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トーキングスティック板/2

1トキ:2015/05/27(水) 09:42:08 ID:tsx6GVdw
 この板は自由に意見を発表できる場として提供いたします。
規約などはトーキングスティック板と同じですので、トーキングスティック板
の冒頭部分をごらんください。

 ご利用希望の方は、管理人まで申し出てください。

 管理人から指定された方以外の人の投稿はできません。

ご注意ください。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

486tapir:2016/10/27(木) 11:29:25 ID:AwV5D.Gg

>>282 「考える」管理人◇日野様


>>例えば、青年会においては青年会中央委員会が最高議決機関です。「青年会ヴィジョン」も中央委員会で決定されました。代表者会議も同じような機関だったのでしょうか?理事会と代表者会議の関係等がどうあるべきかについても、ご教示いただければ幸いです。<<


青年会中央委員会と「代表者会議」の現在の関係の「正式な位置づけ」は、私にはよく分かりません。

ただ、「運動方針(案)」を「代表者会議」で審議できた時代に、「運動方針(案)」の中に「青年会ヴィジョン」が入っていたとすれば、他の組織代表が質問することは出来たでしょう。

例えば、「過去の青年会の綱領との関係について詳細な説明が必要ではないのか」などと提案する人が出たかも知れませんが、既に決定していると言われれば、そのような意見をあえて出す気にはなれなかったのではないでしょうか。


理事会と代表者会議の関係等がどうあるべきかについて、以前、トキ様が次のように書かれていました。

>>*重要な事項は、代表者会議の過半数の賛同を必要とする。

私もこのトキ様の意見に同感です。

(自覚的な)「聖使命会員」の意思を「総会」のような形で反映できないのであれば、「聖使命会員」が決定権を教区五者に委任して、生長の家本部(総裁・理事会)が主催する「代表者会議」において五者が「聖使命会員」の意思を代表して教団運営に参画することが次善の策ではないかと思います。

そのためには「代表者会議」を名実ともに、「自覚があって組織運営に参画したい聖使命会員に委任された代表者の会議」にする必要があると思います。

なお、ここで「株主」というのは、世間一般に多く見られる投機目的の株主ではなく、「法人」を支援し誠実にその発展を願うという、本来の意味での「株主」であることを、念のためお断りしておきます。

487tapir:2016/10/27(木) 11:35:47 ID:CxVXlSJM

>>486

「他の組織代表」というのは、青年会教区委員長ではなく、講師会長、相愛会連合会長、白鳩会連合会長を指します。

488tapir:2016/10/27(木) 11:53:54 ID:CxVXlSJM
>>487

すみません、再度、訂正します。


>>486

訂正後:「他の組織代表」というのは、青年会教区委員長ではない、講師会長、相愛会連合会長、白鳩会連合会長を指します。



今から外出しますので、コメントをいただいてもすぐにご返事できません。ご了承ください。

489トキ:2016/10/27(木) 12:05:28 ID:Ur9KpkaU
 「青年会宣言綱領」について。

 青年会宣言綱領は、第1回青年会全国大会に集まった各教区の青年会の代表者が本部に
集まり、激しい議論の末に原案が修正され、採択されました。この会議に出席した人の
大半は故人ですが、現在でも健在の方に話を伺うと、たいへん激しい議論が展開され、
その熱心さには驚いた、という証言を得ています。

 また、あの交通事情が悪い時代に、全国の青年会の代表者が何日もかけて東京に集ま
ったのも特筆すべきです。

 対して、「青年会ヴィジョン」なるものは、青年会会員は、機関誌を読んで、初めて
内容を知った、というものです。おそらく、青年会中央委員会でのみ審議されたものと
想像されます。

 なお、以前、機関誌に掲載された「両軸体制」ですが、おぼろげな記憶ですが、総裁
ご自身が「失敗だった」と表現されたご文章を拝読したと思います。時間があれば、ま
た、調べてみます。

 以上、雑感ですから、無視してください。

490tapir:2016/10/27(木) 22:51:41 ID:CxVXlSJM

>>489 トキ様

コメントをいただき、ありがとうございました。

「訊」様がまとめて下さった

>>改変の中味であるが、それが果たして本当に『御教えの否定』に該当するのか否か<<

ということを論じるために、いろいろ書いているうちに、総裁ご夫妻の問題は、御教えの改変や『御教えの否定』というより、トキ様の書かれた作為、不作為で、説明できるように思えてきました。

すなわち、①御教えに照らして実行すべきでないことを実行する、②御教えにおいて当然実行すべきことを実行しないことにあるのではないかと。

① の例は、御祭神の変更、新経本の発行、国際平和信仰運動の追加等
② の例は、『生命の實相』裁判における和解勧告に応じない、聖使命会員の意思を運動に反映しない等。

また総裁ご夫妻の作為・不作為で特徴的なのは「縦の秩序の軽視」だと思います。

縦の秩序の軽視は、
社会的に言えば、年上や目上の人を尊敬しないこと。
時間的に言えば、御教えに貢献した先人(谷口雅春先生とその弟子たち)を尊敬しないこと、歴史上の人物を尊敬しないこと。
「神」「上」を尊敬しないこと。

があげられます。

 過去の先人が心血をそそいで作成したもの(青年会宣言綱領)を無視して、促成で作った新しいもの(青年会ヴィジョン)を施行することにも、縦の秩序の軽視が現れています。

>>機関誌に掲載された「両軸体制」ですが、おぼろげな記憶ですが、総裁
ご自身が「失敗だった」と表現されたご文章を拝読したと思います<<

私が読んだものは「小閑雑感」の「2010年8月11日 ネット時代の運動を考える (6)」にあります。引用した言葉は最後の段落に出てきます。

http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue/2010/08/index.html

ご参考までに。

491tapir:2016/10/28(金) 10:34:10 ID:CxVXlSJM
>>474 「訊」様   

続きです。

話が、横道にそれてきたような気がするので、元に戻します。


>>「文章や講話に接する限り純子総裁だが、谷口雅春先生の御教えの改変を意図しているとは考えられない。表面上はそう言えるのだが、しかしながら現場に下りて来る方針の中にはその、懸念される御教えの改変もしくは、改変したのかと誤解されかねない事象が多々見受けられる。(岡氏解任や経本、三神勧請等)その改変の中味であるが、それが果たして本当に『御教えの否定』に該当するのか否か、それを話し合いたい」<<



私は、「訊」様の「本流対策室 3687のコメントがこの問題の本質をよくあらわしていると思いました。

「訊」様の3687コメントの要点をまとめせていただきました。まとめ方が違っていましたらご訂正ください。


(1)総裁ご著書『生長の家ってどんな教え』は良書である。実相と現象の峻別の説明が素晴らしい。

(2)「総裁=左翼」という批判の仕方は間違い。「左翼」だという「根拠」がない。

「総裁は大東亜戦争を否定した」のではない。総裁が完全否定したのは〝500%美しい日本〟という妄言。戦争の理念は素晴らしかった、しかし戦時国際法的に見たらどうか? と提議したのが総裁。総裁主張の「真珠湾=戦時国際法違反行為」は誰も否定できない。

(3)総裁が批判されるべきは「組織運営上のスットコドッコイぶり」


冒頭の「論点」に照らせば、こうなります。


(1)(2)文章や講話に接する限り純子総裁は御教えの改変を意図しているとは考えられない。 純子総裁は谷口雅宣先生の教えを擁護している。谷口雅宣先生の文章には素晴らしいものがある。

(3)現象に下りて来る方針の中には、スットコドッコイ(めちゃくちゃ)なものがあり、懸念される御教えの改変もしくは、改変したのかと誤解されかねない事象が多々見受けられる。


前半(1)は、これまで書いたことで概略説明ができたように思いますが、問題は後半(3)です。

492tapir:2016/10/28(金) 10:36:11 ID:CxVXlSJM

>>474 「訊」様   


(3)の命題を考える前に、確認したいことがあります。


光明化運動は「現象」か、「御教え」かということです。


・光明化運動は「現象」である。(雅宣総裁説)

・光明化運動は「御教え」である。(榎本恵吾説)


生長の家教修会に出席した方の話では、谷口雅宣先生と榎本講師のやりとりは、かなり衝撃的な場面として、記憶しているとのことです。

谷口雅宣先生が、「光明化運動は現象でしょ。そうじゃないですか?」と答えられたことに対して、榎本講師は「現象ですか!」と言ったきり絶句したそうです。


前のコメントで、私はこう書きました。

>>10数年前の生長の家教修会で、故 榎本恵吾講師が谷口雅宣先生に質問された時に、谷口雅宣先生が「人類光明化運動は現象です」と答えられたと聞きました。現在も谷口雅宣先生が同じ考えを持っていらっしゃるかどうかは知るすべがありませんが。<<


最後の一行について、谷口雅宣先生が『歴史から何を学ぶか』172頁に次のように書かれているのを、本日、見つけましたので、これが現在の谷口雅宣先生のお考えだと思います。


文中で「そういうふうに」「こういうことは」というのは、この文章の前で、「生長の家教規」改正のことを話されたことを指します。


『まあ、そういうふうに我々の運動は、昔から完全であったわけではない。私が午前中に「我々の運動は現象だ」と言ったら、びっくりされた人もいたけれども、こういうことは皆、現象でしょう? 違いますか? 「条文の表現」がどうだこうだというのは、明らかに現象に属することですね。そういう意味で「現象」と言ったのですよ。「実相世界に根拠のない運動だ」という意味でいったのではない。我々の運動の根源が実相世界にあったとしても、それが現象として現れてくる時には、現象人間としての我々はまだ不完全な知識しか持っていないし、能力面でもまだ百パーセント〝神の子〟の本質が発揮されているわけではないから、どうしても不完全な形のものを表現してしまう。その不完全な部分は改善したり、改正すればいいんですよ。間違いは改め、訂正すればよろしい。』

(『歴史から何を学ぶか』172頁)



この御文章は一見、整合性があるように思えるのですが、「訊」様、トキ様、皆々様、どう思われますか?



私は、総裁が「運動は現象である」との認識を持っていらっしゃることが、過去の運動をどんどん改変して、御教えに深くかかわる御祭神まで改変したことにつながるような気がしています。


「細部に神が宿る」という言葉がありますが、運動で使う言葉(例えば青年会宣言綱領)に「神が宿る」と思えば、軽々しい扱いはできません。一方、運動で使う言葉が「不完全な現象」と思えば、簡単に破棄してよいことになります。

493トキ:2016/10/28(金) 11:17:37 ID:jbE.sa06
>>490

>>tapir

 ご丁寧なご教示に深く感謝申し上げます。

 これは、本題とは関係がないのですが、総裁の両軸体制に対する感想は、他人事のようで
少し違和感を覚えました。両軸体制自体は、総裁のご発案で始まったとご本人が言われてい
ました。つまり、彼が責任者だったわけで、それが上手くいかなかったなら、こういう言い
方はないとは思いました。

 現場が何か失敗したら責任を追及されるのに、要職にある人が失敗しても責任を問われない
というのは、どうかと感じました。

 話が脱線して、すみませんでした。


>>私が読んだものは「小閑雑感」の「2010年8月11日 ネット時代の運動を考える (6)」にあります。引用した言葉は最後の段落に出てきます。

>>http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue/2010/08/index.html

>>ご参考までに。

494「考える」管理人◇日野:2016/10/28(金) 12:54:24 ID:GqhqrNpo
>>489

青年会中央委員会に当時所属していたからが知り合いにいますので、私が知りえた情報を述べさせていただきます。

まず、「青年会ヴィジョン」の制定自体は、かなり以前から青年会中央委員会において議論されていたことであるようです。守秘義務が課せられていたのかはわかりませんが、結果的に秘密裏に話が進んでいたようです。青年会中央委員会の委員は各地の教区青年会の委員長を兼任しているので、議論には時間がかかった模様です。

(※生政連の活動停止の決定も、秘密保持が保たれた状態で理事会が決定しました。路線変更を行う際には、こうした方式は有用であると思います。)

今の会長先生の代になってからは、SNSにおける秘密グループで中央委員会のメンバーらが活発に議論し、原案を定めましたが、正式な案は二度の中央委員会召集を経て決定されたということです。尚、青年会の規約改正には中央委員会を通過する必要がありますが、「ヴィジョン」の場合は『人類光明化運動要綱』の改正でもあるため拡大最高首脳者会議の承認が必要で、拡大最高首脳者会議から二度にわたる訂正要求があり、それに応じて三度中央委員会が開催されたそうです。(SNSでの議論も、当然活発に行われていました。)

こうした五回以上に及ぶ中央委員会での審議を経て、現在のヴィジョンが制定されました。秘密裡に審議されたのは生政連活動停止も同じですし、決定のプロセスに大きな問題があったとは思いません。

495「考える」管理人◇日野:2016/10/28(金) 12:57:57 ID:GqhqrNpo

>対して、「青年会ヴィジョン」なるものは、青年会会員は、機関誌を読んで、初めて
内容を知った、というものです。<

これは事実に反します。組織会員には機関誌掲載の前から、各教区青年会から「青年会ヴィジョン」の制定を通知する文書が送られていました。

少なくとも、私の場合は機関誌掲載の前から「宗教法人生長の家青年会兵庫教区青年会委員会」名義で通知文書が来ていたと記憶しています。

496トキ:2016/10/28(金) 13:45:55 ID:jbE.sa06
>>495

>>これは事実に反します。組織会員には機関誌掲載の前から、各教区青年会から「青年会ヴィジョン」の制定を通知する文書が送られていました。

 私の所属する教区の場合、青年会の会員は機関誌を読んで初めて知ったと話していました。

だいたい、中央委員会だけでこれほど大きな事態を議論するのは、密室での話し合いと言うのです。

497トキ:2016/10/28(金) 14:05:19 ID:jbE.sa06
>>494

 青年会で活動をした経験のない方のために「青年会中央委員会」について説明します。

全国に59ある教区の青年会は、それぞれ複数の青年会をまとめて「ブロック」と称する集団
にまとめられます。そのうち、本部が適任と思われる人物を代表者として選び、その人を
「青年会中央委員」とします。当然、本部の方針に忠実な人物が選ばれます。

 記憶に間違いがなければ、北海道、東北、関東、信越、中部、近畿、中国、四国、九州の
ブロックがあります。(人物がいる場合は、一つのブロックから2名が選ばれる場合もある
みたいです。)

 これにプラスして、本部の青年会部の職員のうち、専門の運動を担当している人も、それ
ぞれ「青年会中央委員」として選出されます。これらの人たちは、職員ですから、本部の
方針には忠実です。

 つまり「青年会中央委員」とは、本部の方針に異論のない人たちから選ばれています。

 「青年会中央委員」の総数も、15名以上、30名未満かと思います。その半分は職員です。
今でも1000人以上の青年会会員はいると思われます。すると、代表率は1%未満と考えても
よいでしょう。

 これが声高に「立憲主義」だの「民主主義」を叫ぶ組織の意思決定というのは矛盾すると思い
ます。

498「考える」管理人◇日野:2016/10/28(金) 14:50:39 ID:GqhqrNpo
>>497

そういうトキさんも、理事会が密室で決めた生政連活動停止には賛成だったのでしょ?

地方信徒さんも同様だったと思います。生政連活動停止も「密室での決定」にはならないでしょうか?

立憲主義や民主主義は、国政においては必要な制度ですが、組織運営については規約通りの運用が行われていれば余程のことがない限り問題はないはずです。

499トキ:2016/10/28(金) 15:38:22 ID:jbE.sa06
>>498

 「生政連活動停止」が組織に重大な損害を与えたのは、その結論ではなく、
意思決定の過程が不明朗だったからです。活動をしていた人にとって、いき
なり二階にあげてハシゴを外されたような、極めて問題のある決定だったの
です。普通の感性なら、そうです。

>>組織運営については規約通りの運用が行われていれば余程のことがない限り問題はないはずです。

 ここまで組織が混乱し、会員が激減しているのは「余程のこと」です。

500トキ:2016/10/28(金) 15:47:16 ID:jbE.sa06
追伸

 日野君の投稿は、訊け様とtapir様のやりとりの妨害になる可能性があるので、
別の板でお願いいたします。

合掌 ありがとうございます

501トキ:2016/10/28(金) 15:48:04 ID:jbE.sa06
>>493

tapir様へ継承が抜けていました。
失礼を深くお詫び申し上げます。

合掌 ありがとうございます

502tapir:2016/10/28(金) 22:49:56 ID:CxVXlSJM

>>501 トキ様へ

どういたしまして。

どうぞ気になさらないでください。

合掌。

504「訊」:2016/10/29(土) 06:20:58 ID:otzau7q6

(トキ理事長、論点違いの>>503文は削除下さいませんか?意味不明過ぎです・・・・)

>>tapi様


 もう、全て、全てを精読しております。スゴイ!

 貴殿側疑問のご所在ですが、いずれも良質のものでございまして、弁護人である当方は現在、フラフラとしております。さて、月末激務期にてなかなか返信が出来ずにおりますけれども、お問い合わせを受けた>>492にのみ返信をさせて頂きます。(なお>>491の御まとめですが、当方主張内容は御貴殿の要約で間違いはございません)




 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
>>492

>>>この御文章は一見、整合性があるように思えるのですが、「訊」様、トキ様、皆々様、どう思われますか?<<<


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


 当方感想の結論、それは、


 「但し書きは必要になるが、それでも、榎本恵吾説の方が正統」

 
 と云うものになります。意味を解説致します。


 先ず「但し書きが必要となるが」とは、「総裁ご発言の背景に関する確認」を意味します。(後述しますが)まあ、御教えにおいては「実相独在」なのですから、その意味で榎本先生のお嘆きも理解出来るのではありますけれども「発言の背景」が重要だと思います。「運動であれ現象ですよね?」の総裁ご発言が「どのような議論の流れの中の、どのようなタイミングで飛び出したものなのか」は案外、重要だとは考えてますしその意味で、適確か否かの判定は現時点では、避けるべきかとは思っているためです。ゆえに背景が未確認ですと、なかなか判断はつかないのではありますが、「それでも」という方向での話をしてみます。


 さて「それでも」部分のお話ですが当方は「それでも榎本先生説が正しい」と思います。>>492の総裁に拠る「実相か現象か」解説を拝読しますが、この箇所に注目しました。


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

(総裁ご発言)間違いは改め、訂正すればよろしい。


 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


 詳しくは本日か明日にでも書こうと思いますけれども、たぶん、榎本先生のお嘆きはこんな意味だったと思います。憶測ですが、



 「それでは総裁先生、間違いを改め、訂正する我々も現象ってことになりませんかね?」


 と。


 (「たぶん」ですよ)


 総裁先生に於ける>>492(『歴史から何を学ぶか』172頁)ご発言ですが、総裁真意を問う必要があると考えます。この文章を拝読する限り総裁から「間違いは改め、訂正すればよろしい。」と云われたならば我々は、こんな質問をするのが誠実だと思いますし、その質問とは「それでは総裁先生、間違いを改め、訂正する我々も現象ってことになりませんかね?」と云うものになろうかと思います。


 ・・・・・・・あ、時間切れです。「榎本恵吾説の方が正統」部分の理由説明、ですが、今夜か明日にでももう少し厚めに、書いてみようかと思っております。







追伸

 某地方自治体の某部署より「ぼーだいな提出資料」を求められておりまして、しかも、この担当官がドラマにそのまま出てきそうな位の公務員クンなんです(笑)しかも、イジワルでホント、困ってます(笑)なのでレスは遅れると思いますが、なにとぞご海容の程を。

505tapir:2016/10/29(土) 12:20:07 ID:CxVXlSJM

>>504 「訊」様


ご多用の中、コメントをいただき、ありがとうございました。


榎本恵吾様がどのような質問をされたかは、話してくれた方は詳しく覚えていないそうです。
(岡先生なら、覚えていらっしゃるかも知れません。)

ただし『歴史から何を学ぶか』75頁、谷口雅宣先生の「まとめの講話」の中に、

『私たちの運動は「現象」だということです。違いますか?』

という言葉がありましたので、この「まとめの講話」に関連しての質問ではないかと推測しています。


のちほど、この部分を書き写してアップしたいと思いますが、私も今から明日まで用事がありますので、あまり投稿する時間がありません。

というわけで、どうぞ、お仕事にご専念下さい。

ゆっくり進めて参りましょう。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

524「訊」:2016/10/30(日) 00:50:48 ID:UwmMP2MI

>>505 tapir様

 ありがとうございます。

 さて、今後の議論活発化のための、良質の資料をご紹介致します。以下スレッドの投稿1番からご拝読賜りたいのでありますが、復興Gさまご紹介の「榎本恵吾先生御文章」です。特に、組織問題に関して触れておられます。


○  『神癒の展開としての人類光明化運動』―「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」にての覚え書―  榎 本 恵 吾 
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/-100


 私も今から再度読み込む予定にしております。





525「訊」:2016/10/30(日) 01:10:53 ID:UwmMP2MI



>>505 tapirさま



 「我々の運動は現象でしょう?違いますか?」な総裁先生ご発言、ですが榎本先生が「現象ですか!」と言ったきり絶句された理由、これは以下が根拠だと思われます。榎本恵吾先生の御文章より紹介します。


∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 「生長の家人類光明化運動」 は、神がおはじめになり、神が為し給うている運動である。完全なる癒しのみがあり、絶対の癒し、すべてのすべてなる癒しなるものそのもの即ち神が運動をおはじめになりて、癒しそのものが運動をしているのである。それ故、この運動は永遠久遠の運動なのである。永遠久遠なるものがおはじめになり、永遠久遠なるものが為し給うているのである。

  「元(はじ)めを元めとして、元めの元めに入る」 という古来からの言葉がある。元めが渾てなのである。元めとは神ということである。そして今ということである。なぜならば、神は渾ての渾てであり、神は今であるからである。

 神にはやり直しということは有り得ないのである。やり直しのない出発が 「生長の家の人類光明叱運動」 なのである。

 やり直しがないとは、神であり、實相ということである。

 神は 「そのままでよい!!」 と宣言されているのである。 「生長の家人類光明化運動の発進宣言」 とは、 「そのままでよい!!」 との神の宣言ただ一つなのである。

 「そのままでよい!!」 とは、まことの光りということである。

 「神、光りあれと言い給いければ光りありき」

 これが 「生長の家人類光明化運動」 の発進の宣言であり給うのである。それ故、生長の家は久遠の昔から在り、 「生長の家人類光明化運動」 も久遠の昔から在りつづけなのであり、天地(あめつち)と偕(とも)に窮(きわ)まりなかるべし、なのである。

 神には練習は有り給わないのである。神が 「光りあれ」 という練習をされ給うたであろうか。神が天地創造をされるに当たって、リハーサルをされ給うたということは有り得ないであろう。

 それ故、神の 「光りあれ!!」 との宣言によって発進した 「生長の家人類光明化運動」 には練習はないのである。ただただ偉大なる本番のみの純粋なる持続、完全の持続、天国の持続、完全なる癒しそのものの持続があるのみなのである。絶対の癒し、みずから癒しそのもの、みずから甦りそのものである 「人類光明化運動」 があるのみなのである。

(全文http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/54


∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽




 そしてこれが、>>504で当方が述べたところの「但し書きは必要になるが、それでも、榎本恵吾説の方が正統」の理由になります。要約すれば「そのままで良い!という部分に命懸けとなる生き方」が榎本先生の御主張と云えましょう。ですので「間違いは改め、訂正すればよろしい。」なる総裁ご発言ですが、ズレていると思います。(もしくは「生長の家総裁としてふさわしい」物言いが、他にもあったのではないかと感じます)





526tapir:2016/11/01(火) 18:30:16 ID:CxVXlSJM

>>524 「訊」様


考えの整理もコメント作成も、まだ途中なのですが、時間がかかりそうなので、経過報告をいたします。

榎本恵吾先生の文章を紹介していただき、有難うございました。

これまで、榎本先生の文章は目を通す感じでは読んではいたのですが、谷口雅宣先生の文章と比較して精読したのは初めてでした。まだ、読んでいる途中ですが、とにかく驚きました!


何に驚いたかというと、一言でいえば「すべての答えがここにある!!」という言葉になります。

詳しくは追って書かせていただきます。

まずは途中経過のお知らせまで。

527tapir:2016/11/02(水) 23:07:34 ID:CxVXlSJM

>>504 「訊」様


谷口雅宣先生の文章を読んでから、榎本恵吾先生の文章を読んだことによって「訊」様の


>>「榎本恵吾説の方が正統」

がはっきりしてきました。


最初に、谷口雅宣先生の『歴史から何を学ぶか 平成十五年度 生長の家教修会の記録』の文章を、少し長くなりますが、引用いたします。


「生長の家教修会」は、生長の家副総裁御指導の下に本部講師・本部講師補が集まる教修会です。その第一回教修会の記録が、『歴史から何を学ぶか』です。(谷口雅春先生の時代以来、途絶えていた「教修会」の再開は画期的なことだったと思います。)以下の文章は、午前中の3人の本部講師による発表の後の谷口雅宣先生の「まとめの講話」の文章です。

午前中の発表のタイトルと発表者は以下の通りです。

1、 大東亜戦争をめぐる〝評価〟の変遷               妹尾壽夫
2、 実体験に基づき、谷口雅春先生の教えの意味などを語る      良本峯夫
3、 日本における戦後の〝愛国運動〟の意義             森田征史
4、 まとめの講話                         谷口雅宣


4、「まとめの講話」の中に、「運動は現象」の言葉が出てきます。

「まとめの講話」の中から、2か所の文章を引用いたします。

「運動は現象」は、2番目に引用した中にあります。


『まず第一に考えるべきことは、私たちの運動は何であるかということですね。私たちはもちろん現象世界に生きているのですが、谷口雅春先生は何を説かれたかというと、「実相世界」を説かれたのです。そういう世界があるということを説かれた。違いますか? 「現象世界はこうなっている」という、現象の分析を中心に説かれたのではなくて、実相世界という素晴らしい神の国、仏の浄土が実在するということを一生かけて説かれた。それが生長の家の中心教義です。しかし、その一方で、仏教でも説かれている唯心所現の真理も説かれた。これは現象世界の話です。ですから、先生が厖大な著作の各所に書かれているお言葉というものは、これは実相世界のことを語っているのか、それとも現象世界のことを語っているのかを、我々がきちんと判別して理解しないといけない。そこが一つの重要なポイントだと思います。
特に午後のシンポジウムで話されると思いますが、生長の家の運動の特徴というものは文書伝道であるということを皆さん十分ご承知だと思います。文書伝道というものは、教えの元である指導者の方が直接真理を文字によって説かれるわけです。キリスト教や仏教では口伝や聞き書きが主で、教祖自身による記録が現在残っていないから、いろいろな問題が起こる余地があることは皆さんご存知だと思います。しかし、その反面、教祖が書かれた文書が多く残っているということが、逆に問題を惹起することがある。どうしてでしょうか? それは、雅春先生はほとんどあらゆる種類の状況において、現象のことも語られたし、実相のことも語られたからです。それらすべてが残されていて、それはすべて雅春先生自身のお言葉だから。逆に誤解の原因となる。我々、読む側の人間がいちいちそれを注意深く判別して理解しなければならない。特に、先生の生きられた時代を知らない後世の人間が昔の先生の御文章を読むときには、注意が必要です。雅春先生は、ある時期には「日本は聖戦をやっているのだ」と確かにおっしゃった。しかし、また別の時期には「これは聖戦ではない」とおっしゃった。「こんなつまらない戦争を支援するわけにはいかない」とさえおっしゃった。では、先生の真意はどこにあるのでしょう?
これを判断することはきわめて重要であり、そして困難な場合もある。そのための一つのポイントを申し上げますと、先生のお言葉には、実相についての記述と現象についての記述があるということです。』
(『歴史から何を学ぶか』「まとめの講話」71頁〜72頁)

528tapir:2016/11/02(水) 23:10:09 ID:CxVXlSJM

>>504 「訊」様

『しかし、私たちは普通そういう意味では「聖戦」という言葉を理解しない。「聖戦」と聞いたら、それは現実に日本軍が中国人とか韓国人とかアメリカ人を刺し殺すことが神の意思であると、そういうふうに考えてしまうことが多い。ですから、その辺のところが重要で、我々は「現象」の側から世界を語っているのか、「実相」の側から語っているのかというところが、重要なポイントとなってくると思うのですね。
皆さんの記憶の新しいところから申しますと、妹尾さんの発表の中でも「大東亜戦争の評価」という言葉が出てきましたけれど、これは厳密に言えば正しい表現ではない。大東亜戦争は、本質的には「迷いと迷いとが相打って滅びて行く」という普通の戦争と変わらないものだから、実在の世界には初めから存在しないものである。だから、そういう「迷い」を〝評価〟する必要はない。そうじゃなく、迷いと迷いが相打っていく中でも、その過程において「実相」がより明らかに現象世界に投影されていくところもあるのだから、その「迷いでない部分」を評価する。分かるでしょう? それがアジア民族、アフリカ民族の独立です。それは確かに日本が一時期、「大東亜共栄圏」とか「大東亜民族の共存」とかいう標語を旗印にしました。それはそれでいいんですよ。そこのところは実相が現れつつある部分ですから。しかし、そういう政治標語と戦争とは同一ではない。歴史を勉強すればすぐわかる通り、戦争の本質は破壊であり人殺しなんですよ。破壊や人殺しを通じて、お互いの迷いが ―― これは日本だけの迷いだけじゃなく中国の迷いもあるし、アメリカの迷いもあるし、イギリスの迷いもある ―― そういうものが崩壊していく悲惨な状況が戦争の本質である。だから、そういう迷い全体を指して呼ぶ「大東亜戦争」というものは評価しない、というのが正しい。「戦争」を評価するのでなくて、その迷いを通じて以前より真理が明らかに現れてきているという、「光明」の部分を評価する。この言葉の使い方を間違うと、危ない。一つ間違うと単なる右翼になってしまう。単なる民族主義や国粋主義になってしまう。日本人だけが繁栄すれば、他の国の人々がどんな悲惨な目に遭ってもそれは正しいと考える、そういう我々の信仰とは何の関係もない考え方に陥ってしまう。このところを是非、皆さんに確認していただきたいのです。
それからもう一つ重要だと思うのは、私たちの運動は「現象」だということです。違いますか? 
 皆さんは肉体を使ってこの運動をしているでしょう? 私も今、「声帯」という肉体の一部を振動させて、皆さんの前で話をしている。我々の感覚でとらえられるものは、「声」も「人の姿」もすべて現象ですよ。私が今、心の中で言おうとしていることが、「声帯」という肉体の器官を使わずに、すべて以心伝心で皆さんに伝わるならば、講話などする必要は何もない。けれども残念なことに、現象世界はそういうふうになっていないので、私は現象界の手続きを踏んで ―― 自分で論理的に、順序立てて考え方を組み立てた後、皆さんの前で声帯を震わせて、時間の制約に制限されながら話をしているわけです。そして、言葉が現象であるならば、我々の運動は当然現象です。なぜなら、我々の運動は言葉の運動なんですから。

529tapir:2016/11/02(水) 23:10:50 ID:CxVXlSJM

>>504 「訊」様


 では、「運動は現象だ」ということは、何を意味するでしょう? 私たちは「現象世界は不完全である」と学んでいる。とすると、我々の運動も不完全なのです。どう思います? 不完全でしょう? 例えば、運動目標を達成しない教区はたくさんある。また、日本全体で運動目標が達成できないことも珍しくない。それを「完全」とは言えないですよ。我々のやろうとしていることは実相世界の顕現であるけれども、その過程では転んだり、泣いたり。笑ったりするではないですか。それでいいんですよ。だから、それと同じように我々の運動もつまずくことがある。倒れて起き上がることもある。その事実を認めないといけないと思うのです。「倒れた」と認めなければ、次に「起き上がる」ことはできない。そうしないと、歴史から何も学ぶことができない。
 谷口雅春先生は、確かに素晴らしい実相世界を説かれました。しかし、現象世界にどのようにして実相を現すかということについては、大変悩まれました。何回も試行錯誤されています。それは森田講師の発表を聞いても分かるでしょう? 生長の家がやろうと思ったことが、現象的にはできなかったことは数多くある。その理由を、森田さんは「それは私たちの信仰が足りなかった」とおっしゃるけれども、そういう理由も一部あるかも知れないけれども、それだけじゃない。現象の運動というものは、つまずいたり倒れたりするのが当たり前です。日本が戦争に負けたのもそうである。だから、先生がいろいろな所 ―― 本や月刊誌、講演などで説かれている様々な方策というものも、必ずしも全てがうまくいったのではない。我々はそのことを認めなければいけないでしょう。そして、そこから私たちは学ぶのです。学ばないと意味がない。単に私たちの信仰が足りなかったとか、人の数が足りなかったとかいうのでは、理解が足りません。それは本当の原因じゃなくて、それはむしろ結果なんですよ。我々自身に対して、もっと真剣な問いかけが必要です。なぜ、信仰が足りなかったのですか? なぜ、信徒の数が不足していたのですか? 不足していたのに、なぜ、それが分からなかったのですか? なぜ、我々のやり方が世間から受け入れられなかったのですか? なぜ、我々の運動が政治家に利用されたのですか? そういうことを検証して原因を突き止めてから、初めて我々は前に進むことができる。そういう真剣な反省や分析がなかなか今までできなかった。ですから、それを今日をきっかけにしてどんどんやっていきたい。今まで、なぜか知らないけれどタブーだった色々のことにも挑戦すべきです。』(『歴史から何を学ぶか』74頁〜77頁)


引用は以上です。


本題に関係する部分で、以下の点に注目しました。


>>私たちはもちろん現象世界に生きているのですが、谷口雅春先生は何を説かれたかというと、「実相世界」を説かれたのです。そういう世界があるということを説かれた。違いますか? 「現象世界はこうなっている」という、現象の分析を中心に説かれたのではなくて、実相世界という素晴らしい神の国、仏の浄土が実在するということを一生かけて説かれた。それが生長の家の中心教義です。しかし、その一方で、仏教でも説かれている唯心所現の真理も説かれた。これは現象世界の話です。<<


>>しかし、その一方で、仏教でも説かれている唯心所現の真理も説かれた。これは現象世界の話です。<<


谷口雅宣先生が「縦の真理」と「横の真理」を説く時に、「横の真理」=「唯心所現」を「現象世界の話」とされているが、榎本恵吾先生の文章を読むと、「横の真理」は「現象無しと悟る事である」となっています。



>>その説明によれば、横の真理とは三界は唯心の所現ということ、即ち、現象無しと悟ることである、と 「現象無し」 が横の真理であると説明されているのである。<<

(18 :復興G:2013/07/03(水)   『神癒の展開としての人類光明化運動』
     ― 「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」 にての覚え書―
             榎 本 恵 吾  十四)


総裁先生と榎本恵吾先生の説かれる教えは、次元が違うと思いました。(三次元と六次元くらい?)

悟りの深さの違いといってもよいと思います。

ゆえに榎本恵吾先生の説かれる「人類光明化運動」の見方が「正統」であると思います。

530tapir:2016/11/02(水) 23:51:44 ID:CxVXlSJM

>>525 「訊」様

「訊」様が引用された以下の榎本恵吾先生の文章は「生長の家人類光明化運動」の究極の説明になっていると思います。


>>「生長の家人類光明化運動」 は、神がおはじめになり、神が為し給うている運動である。完全なる癒しのみがあり、絶対の癒し、すべてのすべてなる癒しなるものそのもの即ち神が運動をおはじめになりて、癒しそのものが運動をしているのである。それ故、この運動は永遠久遠の運動なのである。永遠久遠なるものがおはじめになり、永遠久遠なるものが為し給うているのである。<<


それで「運動は現象」とのお言葉に、そのギャップの大きさに絶句されたのだと拝察いたします。


長々と引用した総裁先生の文章は、「タブーをなくそう」という宣言として新鮮なものを感じます。

けれども教えの解釈とその表現において、榎本恵吾先生の文章を読んだ後には、失礼を承知で申し上げますが、浅い解釈、拙い表現と言わざるを得ません。

「浅い解釈」は、榎本恵吾先生の文章との対比ではっきりしたと思います。


「拙い表現」について、谷口雅宣先生の以下の文章をあげたいと思います。(これも榎本先生の緻密な文章を読んでますます感じたことでもあります。)


>>皆さんの記憶の新しいところから申しますと、妹尾さんの発表の中でも「大東亜戦争の評価」という言葉が出てきましたけれど、これは厳密に言えば正しい表現ではない。大東亜戦争は、本質的には「迷いと迷いとが相打って滅びて行く」という普通の戦争と変わらないものだから、実在の世界には初めから存在しないものである。だから、そういう「迷い」を〝評価〟する必要はない。<<


(1)「評価」の言葉の意味が、妹尾講師の使い方と違っていること。
  妹尾講師は、谷口雅春先生が「大東亜戦争」について、プラスやマイナスの評価をされたという意味で「評価」という事がを使っているのに、谷口雅宣先生は、「評価」を「善いことと認める」の意味で使っているので、同じ言葉の意図的な置き換えが、文章の意味を分かりづらくしていると思いました。


(2)谷口雅春先生は「神が戦(たたかい)をさせているのではない。迷いと迷いと打合って自壊するのだと教えてある。」(『神示集』119頁「日本の実相顕現の神示」)と書かれているのを、『大東亜戦争は「迷いと迷いとが相打って滅びて行く』と総裁先生は言い換えている。

 理念としての「戦い」を現実世界の「大東亜戦争」に安易に置き換えてよいのかどうかに疑問を感じます。
 「戦い」が神の世界にないというのはその通りですが、歴史上の「大東亜戦争」にはプラス面とマイナス面があったと考えるのが普通だと思います。それを単純に「迷い」であると決めつけるのは、言葉の混同だと思います。


最初の論題ですが、

「文章や講話に接する限り純子総裁だが、谷口雅春先生の御教えの改変を意図しているとは考えられない。表面上はそう言えるのだが、しかしながら現場に下りて来る方針の中にはその、懸念される御教えの改変もしくは、改変したのかと誤解されかねない事象が多々見受けられる。(岡氏解任や経本、三神勧請等)その改変の中味であるが、それが果たして本当に『御教えの否定』に該当するのか否か、それを話し合いたい」


御教えの改変を意図しているのではないが、御教えの浅い解釈、拙い表現が誤解を産み、総裁・生長の家本部と地方の幹部・信徒との間の意見の食い違いと、様々な問題の原因になっていると思われます。

『御教えの否定』に該当するか否かは、もう少し話し合ってから結論を出したいと思います。

531tapir:2016/11/02(水) 23:56:02 ID:CxVXlSJM
>>530

訂正いたします。


誤:妹尾講師は、谷口雅春先生が「大東亜戦争」について、プラスやマイナスの評価をされたという意味で「評価」という事がを使っているのに、

正:妹尾講師は、谷口雅春先生が「大東亜戦争」について、プラスやマイナスの評価をされたという意味で「評価」という言葉を使っているのに、

失礼いたしました。

532tapir:2016/11/03(木) 11:49:30 ID:CxVXlSJM

>>525 「訊」様


 前のコメントにおいて、


>>榎本恵吾先生の説かれる「人類光明化運動」の見方が「正統」である<<


と表現しましたが、「正統」と言い切ってしまうと、誰かが「異端」なのかという誤解を生じる恐れがあるので、谷口雅宣先生より榎本恵吾先生の見方が「より正統に近い」と訂正させていただきたいと思います。


>>榎本恵吾先生の説かれる「人類光明化運動」の見方がより「正統」に近いと言える。<<


 別の言い方をすれば、「久遠を流るるいのち」の表現において榎本先生の方が「より優れている」となります。

 「久遠を流るるいのち」を「光」に置き換えれば、榎本先生の文章が「より明るい光」を放っているとも言えます。

 「光」の明るさは、「人を癒し」救う力の大きさでもあります。



また前のコメントにおける谷口雅宣先生の文章の説明について、補足いたします。

谷口雅宣先生の文章では、重要な事柄において「人と価値観を共有しよう」という意思が不足しているように思います。

他の人(榎本恵吾氏、岡氏)や歴史上の人々(大東亜戦争関係者)について「その人・人々がどういう背景を持ち、どういう気持ちでいたのか」ということを想像する力が不足している、「想像力の欠如」と思われます。

*「想像力の欠如」は、谷口雅春先生が若い頃に愛読されたオスカー・ワイルド著『獄中記』に頻繁に出てくる言葉で、ワイルドは「想像力の欠如」を強く非難しています。



 けれども生長の家の悲劇は、そのような資質の方が「総裁」という地位に就任せざるを得なかったことでもあります。


「総裁」に就任されてから、谷口雅宣先生は谷口雅宣先生なりに真剣に努力されてきたと思います。

谷口雅宣先生が、本部講師の一人であれば、『歴史から何を学ぶか』で「タブーをなくして議論しよう」と言われたようにその個性を生かし、組織を活性化するカンフル剤として有効な働きをされたことでしょう。



谷口雅宣先生の問題は、「総裁」=「御教え」という地位が引き起こした悲劇であり、新・生長の家においては、このような「総裁職」を廃止することが歴史の必然であることを指し示していると思わざるを得ません。

533「訊」:2016/11/03(木) 12:16:24 ID:dGeandvQ


>>tapirさま


 良質のやり取りを継続くださいまして、誠にありがとうございます。生長の家関連のWEB掲示板は多々存在しますけれども、このスレッドで展開されるやり取り以上に良質なものは現在、存在しないと断言出来ることでしょう。tapirさまは例えば、一文をご投稿される際に5時間を推敲に充てられる方です。そして、教団を批判するばかりではなく、評価出来る面はきちんと称賛を贈られる方でもありまして「検察として最強」とも云えましょうが、願わくばもう少し、現教団擁護勢力による感想などにも接したいところと言えるでしょうね。(まあたぶん、誰も反論出来ぬのでしょうけど)「公平で公正で知的誠実さのあるやり取りの環境」ですが、そこで導き出される結論こそが本物に近いものでありましょう。

 ああ、長々と前口上を述べるのもナンですから、さっそく本題へ入ります。

 貴殿ご主張を読んでの感想ですが、その結論は「質問くらいはさせてよね、総裁先生」ってところです。現教団の問題点ですが、結局はコミュニケーション不足ってところに集約されそうな気がしているんです。御教えから外れているか否か?の判断ですが、「その前段階が不足している」って事になりまして、意味するところは総裁側も批判側も結局のところ「相手方の発言真意を未確認のまま、好き勝手な事を述べている」って事になりそうな情勢です。なんで「質問くらいはさせてよね、総裁先生」ってのが貴殿ご主張を読んでの感想ですが、その結論になりますか。




<「当方主張内容」のダイジェスト>

○ tapirさまご発言に対して現時点、一点を除いて全面同意致します。
○ 同意出来ない点は、「総裁職を廃止することが歴史の必然であることを指し示していると思わざるを得ません」の箇所になります。
○ やはり、現教団に関する問題は、御教えから外れているか否かの程度ではなく「単なるコミュニケーション不足」だと感じられます。
○ そして処方箋は、電話一本で解任されるような雰囲気ではなく「総裁へ真意の確認が可能な環境の整備」と云えましょうか。
○ 真意を確認し合えば案外、双方ともに「同じ内容を主張していた」って事も判明するのではないかと楽観できるのです。


 ってなモノになります。箇条書きにしましたが当方の感想は、上記のごとしです。時間があれば全主張をここに投稿してみたいのですが、その前に「再度tapirさまご投稿を精読したい」のと「月初激務期のため」との理由で後日に掲載する事をお約束致します。なお、当方投稿文掲載前にこの議論が、どんどん進んでいくことに対しても歓迎致します。なにか思いつかれた方はどしどしと、tapirさまに向けてのやり取りを呼びかけてみてください。(論点がかなり違う主張に対しては当方より、「その議論のやり取り停止を命じる」場合もございますが、原則的には弁士中止令は発しませんのでご安心を)





534「訊」:2016/11/03(木) 13:00:13 ID:dGeandvQ


 上げておきます。

535「訊」:2016/11/03(木) 17:15:46 ID:dzDgNoIw

>>tapirさま


 一点だけ総裁の弁護を致しますが、「対機説法である点は情状酌量の余地あり」ってな話になります。

 さて、当方は「榎本先生説>総裁説」と主張し、正統に近いのは総裁説ではなく、榎本説であるとしました。貴殿からもご同意を賜りましたけれども「対機説法である点は情状酌量の余地あり」、なのでありまして総裁の(貴殿ご引用部分)御文章ですがこれは、「現象もあるとし、実相もあるとする迷える信徒向けかも」な点は要注意だと思うのです。ここで、比較材料とされた榎本説を読みますと確かに澄み切った観があるのです。けれどもこれは同先生が、自らの実相一元の境地で説いているためでありまして、その点で総裁は迷える信徒も含めて講話を行う必要があったワケですから要注意かもしれません。つまり、総裁ですが「あのような物言いになったのは多種多様な信徒が目前にいるため」とも言えるのですよね・・・・・・・・雅春先生だってその種のお話し(あたかも現象があるかのような観点の話)は多用されておられますしね。

 「ただし」・・・・・・・・・って話も以下行いますが、ここからが本論になりましょうけれども「ただし」総裁先生説ですが、貴殿ご指摘の部分はあながち外れてはイナイとも思えるのですよね。「総裁は榎本先生に比べて現象に捉われすぎ!」な批判は的外れの可能性大とは申せ(既述弁護のごとく対機説法だからですね)、それでも、誤解を生みそうな表現も多々ございまして・・・・・・・・・・・ってことで、こうなるんです。当方としての感想は「総裁先生、やはり質問くらいはさせてくださいよ」と。「電話一本で解任になるなんて、それはあんまりですよ」と。つづけて「なぜなら雅春先生の御文章と比較して、雅宣総裁の御文章ですが『人に拠って解釈が違ってくる』からです」と当方ならば、主張するでしょうかね。


 総裁真意をしつこく確認する必要のある、そんな御文章なのです。ゆえに・・・・・・・・・・・せめて質問をする自由くらいはナイことには、誤解による教団崩壊、充分にあり得ると思います。雅春先生の御文章は読み手を選びませんでしたけれども、つまり、読み手によって解釈が違ってくる余地がナイのですが現総裁の御文章は、そうではありません。その辺は謙虚になられて現総裁、「私の文章は雅春先生に比べると誤解を与える余地が大きい」と御認めになられた上で、各信徒に質問をする自由くらいは与えて頂きたいです。クドイですが、電話一本で解任されるなんて、余りにナンセンスですよ。これじゃ真意は、伝わらない・・・・・・・・・






536tapir:2016/11/03(木) 20:57:02 ID:CxVXlSJM

>>535 :「訊」弁護人殿


>>「対機説法である点は情状酌量の余地あり」<<


谷口雅宣先生は、とても良い弁護人を得ることが出来ました。


たしかに榎本先生のように「実相世界」を重視する方は、御教えの大切な部分を人々に伝えて救済するには重要な役割を果たしますが、一方で、そのような方ばかりでは、組織運営が成り立たないのではないかとの懸念もあります。

組織運営には、現実を見つめて現象処理のできる人が必要であり、現象面の判断材料として、谷口雅宣先生のような対機説法が必要な場面もあると思います。

谷口雅宣先生が生長の家の組織運営に問題意識を持たれて改善を志したことは、プラスの意味で評価したいと思っています。榎本先生のように「実相世界」を見つめているだけでは進まないことも、総裁だから進めることができたこともあったと思います。


しかし、それでも、「訊」弁護人の言われる通り、雅宣先生の御文章には、問題があると思います。

人に説明しようと思うと、朗読しただけではちんぷんかんぷんで、「解釈」を加えて、解説しなければ伝わらない部分が多々あります。


>>「なぜなら雅春先生の御文章と比較して、雅宣総裁の御文章ですが『人に拠って解釈が違ってくる』からです」<<


雅春先生の御文章は読み手によって解釈が違ってくる余地がないが、雅宣先生の御文章は「人に拠って解釈が違ってくる」のは、訊け様の書かれている通りです。


対機説法であっても、谷口雅春先生の御文章は読み手によって解釈が違ってくる余地はないか、あったとしても極めてわずかです。

「訊」様の書かれた通り、雅宣先生の御文章は、「真意」が解らないのです。

私は、雅宣先生の御文章を、「真意が伝わらない」→「推敲が足りない」→「未完成」→「拙い」と決めつけてしまいました。


しかし、「訊」様は、谷口雅宣先生の御文章を「人に拠って解釈が違ってくる」とソフトに表現されています。


>> 総裁真意をしつこく確認する必要のある、そんな御文章なのです。ゆえに・・・・・・・・・・・せめて質問をする自由くらいはナイことには、誤解による教団崩壊、充分にあり得ると思います。雅春先生の御文章は読み手を選びませんでしたけれども、つまり、読み手によって解釈が違ってくる余地がナイのですが現総裁の御文章は、そうではありません。その辺は謙虚になられて現総裁、「私の文章は雅春先生に比べると誤解を与える余地が大きい」と御認めになられた上で、各信徒に質問をする自由くらいは与えて頂きたいです。クドイですが、電話一本で解任されるなんて、余りにナンセンスですよ。これじゃ真意は、伝わらない・・・・・・・・・<<


>>質問をする自由くらいはナイことには、誤解による教団崩壊、充分にあり得ると思います。<<


現在、表面化している問題の大半は、信徒・幹部の「質問をする自由」の保証と、質問に対して「誠意ある回答」がなされることによって解決するでしょう。


それが実現できればの話ですが・・・・・・

537しおん:2016/11/03(木) 21:50:52 ID:6hRUvSRg
転載、コメント板より

2647 :曳馬野:2016/11/03(木) 17:33:59 ID:EByvCsgM


トーキングスティック板/2  >>530 :tapir   >>「生長の家人類光明化運動」 は、
神がおはじめになり、神が為し給うている運動である。完全なる癒しのみがあり、絶対の癒し、すべてのすべてなる
癒しなるものそのもの即ち神が運動をおはじめになりて、癒しそのものが運動をしているのである。
それ故、この運動は永遠久遠の運動なのである。永遠久遠なるものがおはじめになり、
永遠久遠なるものが為し給うているのである。<<

それで「運動は現象」とのお言葉に、そのギャップの大きさに絶句されたのだと拝察いたします。


完全なる神の世界に癒しがあるのですか? 「この運動は永遠久遠の運動なのである」、のであれば
「始め」というものはありませんよね、「はじめた」という言葉が多用されていますが、
生長の家人類光明化運動というものは、現象の不調和をなくすために昭和五年に始まったと云うことですと、
「運動は現象」と いう言い方は可笑しくありません。

過去の悪想念惡行為が現象化して消える事そのものが神の、生命のの働きだと私は思います。
神が、生命が、今此処に働いているのが事実であるからこそ、現象の姿に心を止めず、凡てのものに感謝しましょう
というのではないのですか?過去とか未来とか現象の時間経過を心に留めていながら今の運動を考えればすべて
「現象の運動」と云えます。

生長の家では「永遠の今」と云いますが、ご存知の通り過去未来と云う時間の流れ、空間的な広がりの交差している
一点もない、現象的には一切所にそのまま働いている生命を捉えて『永遠の今』というものと考えます。
神の世界は完全であるという言い方をするのであれば、人類光明化ということ、癒しと云うことは存在しません。
あくまで現象有の視点から、不調和な世界が存在するとして、その解消を目的にするのであれば、
「運動は現象」と云えます。

しかし永遠の今に生きるのであれば、凡てに感謝する総感謝の生き方以外はありません。
本流派の方々が総裁の事を色々言われることも想念の消えゆく姿だけのものであり、
総裁が新たな運動提起するのも消えゆく姿だけのものでしょう。
現象の改善を目的とする人にこうすれば良くなるとの言い方をする、
しかし言葉でなく今永遠の命を生きる人は感謝の言葉、態度ですべての物を大切にする。

人間の生活改善により多くの関心が集まるところには、
ややもすれば教えにより個人の欲望実現が成就されるという期待を持たせてしまいます
。しかし大自然と云われるように、神の儘に其の儘あるのが自然でしょう。
人間が自然界の生物のように言葉なくしてそのまゝに生きる処が『永遠の今』の世界、
善悪の観念の生じない世界でしょう。完全と云う観念そのものが不完全なものがあるという認識に
対比して使われる観念です。「不完全」と云観念の無い人間に「善くしよう」「光明化しよう」という観念はありません。

「良寛」さんのような生き方になるのでしょう。

538しおん:2016/11/03(木) 21:52:05 ID:6hRUvSRg
転載、コメント板より
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1449898060/2654

539tapir:2016/11/03(木) 22:39:09 ID:CxVXlSJM

>>537 しおん様

ありがとうございます。

コメント版に以下の通り、曳馬野様へのご返事を書かせていただきました。

合掌、ありがとうございました。

>>2647 曳馬野様

コメントをいただき、ありがとうございます。


>>しかし永遠の今に生きるのであれば、凡てに感謝する総感謝の生き方以外はありません。本流派の方々が総裁の事を色々言われることも想念の消えゆく姿だけのものであり、総裁が新たな運動提起するのも消えゆく姿だけのものでしょう。現象の改善を目的とする人にこうすれば良くなるとの言い方をする、しかし言葉でなく今永遠の命を生きる人は感謝の言葉、態度ですべての物を大切にする。<<

この部分、曳馬野様の書かれた通りだと思います。

谷口雅春先生のお言葉に「感謝がすべてを癒す」というお言葉もあります。すべてに感謝することは本当に大切なことだと思います。


私のコメントの中の「究極の説明」という言葉の使い方は少しおおげさだったかも知れません。曳馬野様の解釈の仕方もなるほどと思いました。


また、「運動は現象」については議論が先に進んでいて、>>536 では、以下のように書かせていただきました。


>>組織運営には、現実を見つめて現象処理のできる人が必要であり、現象面の判断材料として、谷口雅宣先生のような対機説法が必要な場面もあると思います。

谷口雅宣先生が生長の家の組織運営に問題意識を持たれて改善を志したことは、プラスの意味で評価したいと思っています。榎本先生のように「実相世界」を見つめているだけでは進まないことも、総裁だから進めることができたこともあったと思います。<<


曳馬野様は、総裁先生を弁護する立場の方と拝察いたします。


ここで話し合っている元々の論題は、以下の通りですので、この論題について曳馬野様のコメントをいただければうれしく思います。

「文章や講話に接する限り純子総裁だが、谷口雅春先生の御教えの改変を意図しているとは考えられない。表面上はそう言えるのだが、しかしながら現場に下りて来る方針の中にはその、懸念される御教えの改変もしくは、改変したのかと誤解されかねない事象が多々見受けられる。(岡氏解任や経本、三神勧請等)その改変の中味であるが、それが果たして本当に『御教えの否定』に該当するのか否か、それを話し合いたい」

540tapir:2016/11/03(木) 22:51:37 ID:CxVXlSJM

>>538 しおん様


私の気がつかなかった曳馬野様のコメントに答えていただき、ありがとうございました。

ご愛念に感謝申し上げます。

538は、ここの論題とは少し違う内容のようなので、ご返事はコメント版に書かせていただきます。

合掌、ありがとうございます。

541しおん:2016/11/04(金) 07:31:33 ID:6hRUvSRg
tapir様
ご丁寧な お返事、ありがとうございました。

543tapir:2016/11/06(日) 23:02:30 ID:CxVXlSJM

>>533 「訊」様


肝心の「訊」様の御主張内容のダイジェストについて、はっきりとしたご返事をしていなかったように思いますので、あらためてご返事いたします。


>>

<「当方主張内容」のダイジェスト>

○ tapirさまご発言に対して現時点、一点を除いて全面同意致します。
○ 同意出来ない点は、「総裁職を廃止することが歴史の必然であることを指し示していると思わざるを得ません」の箇所になります。
○ やはり、現教団に関する問題は、御教えから外れているか否かの程度ではなく「単なるコミュニケーション不足」だと感じられます。


○ そして処方箋は、電話一本で解任されるような雰囲気ではなく「総裁へ真意の確認が可能な環境の整備」と云えましょうか。
○ 真意を確認し合えば案外、双方ともに「同じ内容を主張していた」って事も判明するのではないかと楽観できるのです。<<



 「同意できない点」は、ひとまず横に置いておきましょう。


それ以外の「訊」様の御主張には、私も一部言葉を変更した上で、賛同いたします。


>>○ やはり、現教団に関する問題は、御教えから外れているか否かの程度ではなく「単なるコミュニケーション不足」だと感じられます。
○ そして処方箋は、電話一本で解任されるような雰囲気ではなく「総裁へ真意の確認が可能な環境の整備」と云えましょうか。
○ 真意を確認し合えば案外、双方ともに「同じ内容を主張していた」って事も判明するのではないかと楽観できるのです。<<


>>現教団に関する問題は、御教えから外れているか否かの程度ではなく「単なるコミュニケーション不足」だと感じられます。<<

 
 「単なるコミュニケーション不足」の部分を、「総裁・教団のコミュニケーション能力の不足」と訂正させていただきたいと思います。


>>現教団に関する問題は、御教えから外れているか否かの程度ではなく、総裁・教団の「コミュニケーション能力の不足」だと感じられます。<<

であれば、賛同いたします。


その上で、論題を確認いたします。


>>「文章や講話に接する限り純子総裁だが、谷口雅春先生の御教えの改変を意図しているとは考えられない。表面上はそう言えるのだが、しかしながら現場に下りて来る方針の中にはその、懸念される御教えの改変もしくは、改変したのかと誤解されかねない事象が多々見受けられる。(岡氏解任や経本、三神勧請等)その改変の中味であるが、それが果たして本当に『御教えの否定』に該当するのか否か、それを話し合いたい」<<

544tapir:2016/11/06(日) 23:12:40 ID:CxVXlSJM

>>533 「訊」様


「岡氏解任」に関しては「コミュニケーション能力の不足」が当てはまりますが、経本、三神勧請に関しては「コミュニケーション能力の不足」で説明できるでしょうか?


私は説明できると思います。


何故、雅宣総裁は、自作の『経本』を出版したのか?

それは、裁判の結果、『四部経』の著作権が社会事業団にあることが明らかになり、生長の家教団から出版できないことになったからです。

『四部経』が使用できなくなったので、代わりになる神様の言葉を「実相世界」から、総裁自身が汲み上げて、言葉を編み出して、信徒の皆様に使っていただこうとされた結果が「経本」です。


それは、裁判の前に、和解のための話し合いをしないで、直接裁判に持ち込んだ結果でもありました。

 なぜ和解のための話し合いをしなかったのか? 社会事業団との「コミュニケーション」ができなかったからだとすれば、総裁・教団側の「コミュニケーション能力の不足」という言葉で説明できます。



 なぜ造化三神を勧請したのか? 総裁は「住吉大神」とコミュニケーションができなかったのではないでしょうか。

 「住吉大神」に対する「コミュニケーション能力が不足」していたのだと思います。

 幽の幽なる神様である「造化三神」なら「コミュニケーション」は不要なので気持ちが楽になられたのでしょう。


 神様の世界のことなのでこんな書き方をしてよいのだろうかとも思いますが、どうもそんな気がしてなりません。


tapirの神がかり的な空想と思っていただいてもけっこうです。



>>○ そして処方箋は、電話一本で解任されるような雰囲気ではなく「総裁へ真意の確認が可能な環境の整備」と云えましょうか。
○ 真意を確認し合えば案外、双方ともに「同じ内容を主張していた」って事も判明するのではないかと楽観できるのです。<<


上記を実現するために、総裁・教団の「コミュニケーション能力の不足」を補う必要があります。

「コミュニケーション能力の不足」を補うには、「コミュニケーション能力のある人に助けてもらう」しかありませんが、「総裁」=「御教え」という教義が、「能力のある人に助けてもらう」を妨げているように思えるふしがあります。


「総裁」を絶対視するような特別な立場に祭り上げてしまったことが、心ある人が、総裁を助けられない空気を作り上げてしまったと思います。


これが「総裁制」を廃止して合議制にする方がよいと考える理由でもあります。

545「訊」:2016/11/07(月) 15:55:30 ID:A5smU/TI


>>544  tapirさま


 本年3月の判決(最終結審ではナイにせよ)では教団ですけれども、『甘露の法雨』をお守りとして配布するのはOKになっております。その点を勘案してのご意見であり、3月判決がどうのこうのは余り本旨に無関係とは申せ一度ここに、表明しておきましょうか。(論点が見えない者による珍入防止のためです)と云う、ことで本題に入りますが、良い言葉を掘り当てられましたね(笑)その通りだと思います。これですが、


>>>総裁・教団側の「コミュニケーション能力の不足」という言葉で説明可能<<<


 の一文です。

 当方の表現よりも、より、本質を照らし出す言葉だと思います。今後はこの一文を軸にいろいろと、説明可能になるかもしれません。楽しみです。





追伸


 なお、教団派のなかで「訊けは純子総裁の弁護もできず!」な言葉がありましたが(笑)そうお思いならば、さあ、遠慮は無用です。

 あなたが弁護、なさいませ。

 だいたい、当方のような者シカ弁護人、いないのが異常事態ですし教団派としては、「恥」だと思いますよ。

546「訊」:2016/11/12(土) 23:16:40 ID:/5mQYuIs

>>トキ理事長


 トキさんはこの、「総裁・教団のコミュニケーション能力の不足」に関してどのような感想をお持ちでしょうか、ぜひ、何かお知らせくださらないものかと。宜しくお願いしたいのです。

 背景をザックリと語りますけども(一部のテーマを除き)教団や総裁の主張は「背教には該当しない」と考えられるのです。が、「現場に降りて来た際」や「運用者の指示」ですが、これらがオカシクなる事態が、多発している印象があるのです。そしてそこには要因として、「質問すらも許されないムード」ってのが挙がっている現在なんですが、トキさんは何か、語りたい件などございませんか?

 如実なテーマはあの、(何度も取り上げた)岡先生解任の件です。こんな事をしておれば総裁の真意ですが、「それを確認するだけでも懲罰人事が発動」ってな事になるわけでして、益々総裁の御下知ですけれども正確に伝わらなくなると思うのです・・・・・・・・・・・・・総裁の言葉は雅春先生と比較すれば、「解釈の余地がワイドにあり過ぎないか?」が疑問なんでして、それならばこそ、信徒側には「質問する自由くらいは保証」されてイナイことには教団ですが、暴走していくしかナイでしょう?

 ですんで、何か、トキ理事長の方からこのテーマに関する感想、頂戴できれば幸いです。どうぞ、宜しくお願いします。




547トキ:2016/11/13(日) 13:51:09 ID:e9zZHdNM
>>546

「訊」 様

 私は現場の人間ですから総裁のことはあまり接点がなく、自信を持って言えないので
すが、雑感ということでお許しください。

 青年会時代、まだ、谷口雅宣先生が副総裁にご就任されて間もない頃に経営者のあつ
まりである「生長の家 栄える会」で講演会をされたのです。その話を後日読んだので
すが、「計量経済学」の分析を話していたのです。具体的に言うと、微分や積分の数式
を使って説明をしていたのです。

 大学での話ならともかく、一般の人を対象にした講演会で、微分や積分の話をするの
は、場違いも良いところです。その時に、彼はそもそも、誰かに理解をさせようという
能力がなく、それ以上に大事なのは、その意思もないのではないか、という印象が残り
ました。

 彼のコミュニケーション能力はもともとあまり高くなかったと聞いていますが、それ
がどんどんと低下してきており、かつ、その意思もどんどん低下しているのではないか
と想像しています。

 まだ、若い頃は、それでも少しは話ができるという印象があったのですが、総裁代行
になられてから急に横柄になった、という噂が流れました。最近はひどくて、「私のや
りかたが気に入らない人はどうぞやめてください。」ということを平気で言います。

 権力の毒という言葉を使いますが、組織内では批判をされないし、どんなことを言っ
ても、本部の職員さんや、堀さんや日野君みたいな忠実な信徒さんが賞賛してくれます
から、完全に勘違いをされているかと思います。

 結果として、コミュニケーション能力がますます低下しているのが実情かと思います。

548トキ:2016/11/13(日) 23:20:34 ID:iLUNb4X2
 営利を目的とする会社ですら、経営者は従業員との意思疎通を極めて重視します。
顧客に対しては言うに及ばずです。

 非営利団体であり、しかもボランティア団体である宗教法人で、コミュニケーション
が取れないというのは、問題外です。このあたりを、失礼ながら、現在の指導部は理解
をしていないです。人間に感情がある、という点を全く理解していないのです。

 自分もささやかですが、青年会時代には指導部的なことをした経験があります。
やはり、意思疎通にはかなり気をつけました。そうでないと、後でトラブルが起きるから
です。人の心を扱う宗教法人が、コミュニケーション不足というのは、冗談にもなりません。

549「訊」:2016/11/14(月) 10:05:45 ID:XN.MJxWI


>>>営利を目的とする会社ですら、経営者は従業員との意思疎通を極めて重視します。顧客に対しては言うに及ばずです。<<<


 仰る通りです。まあ、私だって100%完璧ではありませんが、少なくともその意図はあります。コミュで誤解が生じるだけで収益1,000万規模が、お流れになることだって珍しくナイんですから、相当に気を使いますね。


>>>非営利団体であり、しかもボランティア団体である宗教法人で、コミュニケーションが取れないというのは、問題外です。このあたりを、失礼ながら、現在の指導部は理解をしていないです。人間に感情がある、という点を全く理解していないのです。<<<


 岡先生のような忠臣を電話一本で解任です。真田幸村ナシで大阪冬の陣を迎えるような話ですし、茶々サマ以上の暴走が見られませんかね?現教団は・・・・・・・・ところでNHK大河「真田丸」を視てますけれども大坂方の混乱ぶりは、まさに現教団ではナイでしょうか。

 あ、でもこれは、大坂方に失礼ですね。お茶々サマすら幸村を重視しました。岡先生をカンタンに粛清した現教団とは、比べものになりませんよね。(残ってんのが堀講師や日野クン・・・・・・・・いったい、どーするんでしょうかw)

550「訊」:2016/11/14(月) 10:50:04 ID:XN.MJxWI



>>547 トキ理事長


 絶句してますが、経営者を前に限界費用曲線(MC)等を御講義されたとすれば、総裁ですが、かなりズレてますね。(微分を使ったってことはMCやMRのお話だったんでしょうね、経済学の)

 もう、総裁ですが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・自分をアピールする事に精一杯だったのかもしれませんね。よりによって、経済学でしょう(笑)経営者の前で(笑)「役に立たねえよ!そんなモン!」なんですけれども、


>>>彼はそもそも、誰かに理解をさせようという能力がなく、それ以上に大事なのは、その意思もないのではないか、という印象が残りました。<<<


 は、その通りなのかもしれませんね。

 総裁ですが、一般信徒の前でキリッとしたいのかもしれませんが、その道の専門家に言わせると「・・・・・・・65点」

 そんな話が多いですよね。総裁のお話って「決して間違っちゃイナイんだけれども、そして落第ではナイんだけれども・・・・・・・・・どうよ?」って云うね。「わざわざ時間を作って聴くような話ではナイよね?だってそんな事なら、とっくに知ってますよ」系なんですよね、総裁のご講話は・・・・・・・・これが残念です。

 ・・・・・・・・・畑作業もイイですがもう少し、世間と交流なさってはいかがでしょう?的を射た話がデキナイ宗教指導者なんて、存在意義はあるんでしょうか?いやホント、絶句してますが、経営者を前に限界費用曲線(MC)等を御講義されたとすれば、総裁ですが、かなりズレてますね。呆れるレベルですよ・・・・・





551「考える」管理人◇日野:2016/11/14(月) 14:11:38 ID:O8R3GTjo


>>>残ってんのが堀講師や日野クン・・・・・・・・いったい、どーするんでしょうかw<<<


堀浩二先生の素晴らしさを理解できないのも、訊けさんの限界。独学で審理を勉強して驕慢になり、教団や本流の先覚者を尊敬できない状態を「訊けの悟りの限界」ということにしましょう。

552「考える」管理人◇日野:2016/11/14(月) 14:12:11 ID:O8R3GTjo


>>>残ってんのが堀講師や日野クン・・・・・・・・いったい、どーするんでしょうかw<<<


堀浩二先生の素晴らしさを理解できないのも、訊けさんの限界。独学で真理を勉強して驕慢になり、教団や本流の先覚者を尊敬できない状態を「訊けの悟りの限界」ということにしましょう。

553「訊」:2016/11/14(月) 14:45:00 ID:glbO3mDc



>>>>独学で真理を勉強して驕慢になり、教団や本流の先覚者を尊敬できない状態を「訊けの悟りの限界」ということにしましょう。<<<

 じゃ、組織に入っている日野サンが、その程度である理由は何ですか?(笑)そして、日野サンを見てれば「組織に入るよりも独学のほうがマシ」とか思えてくるんですが、傲慢でしょうか。

 まあ、事実として教団の日野サンや本流派よりも、当方の方が御教えを解していると思ってます。断言出来ますんで、そんなに悔しかったらかかってくればイイんです(笑)

 だって、限界なんでしょう?キケの(笑)

 限界のある訊けにどうして毎度、負けているんですか?(笑)





554「訊」:2016/11/14(月) 14:46:01 ID:glbO3mDc

 あ、日野サンの話はどうぞ、別スレでお願いします。ここはTS2スレですんで、論点を確認してくださいね(笑)

 他でギャースカギャースカ、お願いします。

555トキ:2016/11/14(月) 17:51:02 ID:Uu4mMZ8o
>>550

 そうですね、確か、限界効用とかの話だったと思います。

 私は理科系ですので微分とか積分は理解できましたし、社会人でしたので、経済学の本も少し読んで
いたので理解はできましたが、周囲の会員は全く理解できないと話していました。

 ですから、「よく勉強されているな」という感想と、「こんな場違いな話をするなんて、どうかして
いる」という感想の二つが同時に交錯しました。

556「訊」:2016/11/15(火) 06:55:30 ID:otzau7q6


>>>そうですね、確か、限界効用とかの話だったと思います。<<<


 恐れていた予感が、的中でしたね。経営者の前で「経済学の限界効用を講義スル」ってのは、的外れなんでありまして、どれだけ的外れかと申せば「女優志望者の前で節税対策を伝授する」くらいに、的外れなんデス。女優志望者はまず、女優になる事が先決です。儲かってからでイイんです、その、節税対策なんて話は・・・・・・・・・・限界効用も同種なんでありまして、該当する企業は非常に限られております。大企業になってからも必要か?非常に疑わしいのがMRやMC曲線なんですけど、その辺の機微が、もう、まったく分かっておられナイのではないでしょうか?総裁は。

559「訊」:2016/11/16(水) 15:26:24 ID:8HU4yeco


>>tapirさま
>>トキ理事長


● 総裁blog「唐松模様」
http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/


 閃いたんですが「優先順位の付け間違い」ってのも、キーワードになりませんかね。

 さて、総裁ですが決して背教者ではナイのです(一部のテーマを除き)。外形的には雅春先生の御教えと一致、してますし理屈では正しいワケですが「それなのに何故、我々は違和感を覚えるのか?」の理由の話をすると、これ、優先順位ってのは重要な視点かもしれません。

 トキさんやり取りで経済学の限界効用の話が飛び出しました。これは、(まだ売れる前の)女優志望者へ節税対策を講義するようなモン、非常に的外れだ!と当方は感想を述べましたけれども、毎度毎度ですが総裁のご講話は・・・・・こんな感じなんではないでしょうか。

 「間違っちゃイナイ」けど「今、必要なの?」って云う・・・・・・・・


 人時処の三相応を得る、これが大調和なんですけれども総裁のお話は、この、「時が軽視されてはイナイのか?」と。それ故に我々は毎度、違和感を覚えるのではナイか?と・・・・・・・・・それが当方の感想になります。繰り返しですが、間違っちゃイナイんです。ですんで「背教だ!」な本流指摘は的外れ、となりますがだからとて、「ほら、総裁は完璧」ってな教団派の意見も少々オカシイという・・・・・・「今、それ、必要なんですか?」それが総裁の問題だと思います。CO2しかり、マウンテンバイクしかり、ノーミートしかり・・・・・・・なんでありまして、それらすべては特に背教の誹り、該当するとは思えません。けれども「今、必要なんですか?」ってな視点、つまり、三相応の「時」を問題意識上にすれば「オカシイ」となるんですよね。


 ・・・・・・・・ここがひとつのキーワード、と、言えるのかもしれません。



560トキ:2016/11/16(水) 19:52:27 ID:Vn8Iv6xY
>>559

 確かに「優先順位」が違うというのは言えます。

 少し話がずれますが、私は大学では自然科学を勉強したのですが、大学に入って最初に
させられたことは、針金の直径をノギスで計測して誤差を調べることでした。その後も同様
の実験を繰り返したのですが、その趣旨というのは、

 「理論と実務の間には、乖離した部分がある。」

というのを学生に認識させることでした。

 それで思うのですが、総裁ご自身はかなり勉強をされていますし、真面目な性格なのですが、
彼は「現場」というものをご存知ないので、理論や理屈で通ることが、そのまま実務でも通る
とは限らない、と言う発想を認められないのではないか、と感じることはあります。

 優先順位が違うというのも、彼の頭の中では「正しい」優先順位なのですが、実際に試した
ら、全然、不評なんです。ところが、それを認めないのは、理論優先のお考えがあるように
思うのです。

562トキ:2016/11/16(水) 20:03:45 ID:Vn8Iv6xY
 少し余談ですが、最近、「ヌーハラ」という言葉があるのを知りました。

https://matome.naver.jp/odai/2147925312278762801

■ラーメンや蕎麦などを「すする音」はマナー違反?とくダネの「ヌーハラ」特集にネットでは批判殺到

 日本では蕎麦などの麺類を食べるときに「音を立てて食べる」のが「通」となっていますが、外人には
それがマナー違反となるので、どうすべきか、という議論になっているみたいです。

 それで思い出したのが、大昔の青年会時代、本部の職員さんから、総裁とお食事をご一緒するときには

 「谷口雅宣先生とお蕎麦をご一緒するときには、絶対に蕎麦の音を立ててはいけない。ご一緒に蕎麦を
食べているときに音を立てて、そのために激しく注意を受けた人がいます。」

と注意をされたことがありました。

 それを聞いたときには、若気の至りでたいへん申し訳ないですが、かなり神経質な方ではないか、という
印象を受けた記憶があります。

 想像ですが、こういう真面目な方が何かのトピック、例えば地球環境とか貧富の差とか立憲主義とか
の話題にはまると、のめり込んで他のところが見えなくなるのではないか、と思ったりします。

 このあたりが優先順位の狂いになるのかもしれません。

 でも、立憲主義とか言われる割には、tapir様が言われるように、生長の家はすごい専制体制ですから
このあたりはおかしいのですが。

563「訊」:2016/11/17(木) 13:57:19 ID:pmwWiIqY




 「理論優先」・・・・・・・・・これまた、何かスッキリしました。



>>>優先順位が違うというのも、彼の頭の中では「正しい」優先順位なのですが、実際に試したら、全然、不評なんです。ところが、それを認めないのは、理論優先のお考えがあるように思うのです。<<<


 そうかもしれませんね。「理論優先」のきらい、総裁の御説にはそれを感じます。会社経営を〝した事もナイ〟20歳代経営コンサルタントが、「ROEとROAがさぁ〜(企業収益性のこと)」とか言っている風景に似てます。「それは正しい」とは云えるのですが、聞いている側の経営者は、ドッチラケと云う。あくまでもテキスト上のコレクト(正確さ)に過ぎないんデスけどもコンサル兄チャン、現場を知らぬのでその辺が、なかなか伝わりません(笑)


 ところで余談ですけども、余談とは云え雅宣総裁にも関連するんですが(政治板で数回私が批判したw)浜田宏一氏(内閣官房参与)がついに昨日、御自身の経済政策の間違いを御認めになられました。彼(浜田氏)も理論優先のキライがありまして、現実の経営現場はまったく見えてなかったんですが、自分の理論の間違いを素直に認めた点は評価出来ます。しかも、日経で読んだ代替案ですが、当方ら地方中小企業経営者が以前より主張していた内容と同じです。学者がそこまで主張変更するのも珍しいですし、たぶん同氏、学者仲間内では変節漢呼ばわりされるんでしょうが、誠実な方だと好印象でしたね。


 雅宣総裁もこの、浜田内閣官房参与並みに現実をご覧になられると良いのですが・・・・・・・・・つづきはまた、書きます。




564日野:2016/11/19(土) 07:28:44 ID:vpyVTQOs

>でも、立憲主義とか言われる割には、tapir様が言われるように、生長の家はすごい専制体制ですから
このあたりはおかしいのですが。<


国家権力と宗教の違いが分かっていないバカを発見wwwwwwwwww

権力者が間違うこともあるというのが前提なのが、立憲主義。

だけど、生長の家は楠本加美野先生が言われる通り「総裁の説く御教えが神意」という立場。

あと、トキさんは組織の職員か何かをしているから厳しく感じるのかもしれないが、別に地●信●みたいに生長の家の組織運動に全生活を奉げる必要もないし、「組織活動は部活動」みたいなノリの人間にとっては生長の家はそんなに厳しいところではありませんね。

565「訊」:2016/11/19(土) 07:38:22 ID:2J0MVvkY

>>トキ理事長


 また、オモシロイ子が珍入しましたね。

566日野:2016/11/19(土) 07:38:55 ID:vpyVTQOs

生長の家信徒の仕事は「人類光明化運動」をすることであって、「組織運動」をすることではありません。

だから、私は地●信●さんみたいに青年会活動に全生活を奉げるようなことはしない。ただ、日頃から人類光明化のために自分の天分を尽くすまでです。

私にとっては、組織運動はあくまで「部活動」です。で、「部長」であり「最高責任者」は総裁先生です。(法律上は理事長が代表者らしいけど、それはトキさんの方が詳しいでしょうから私からは言いません。)

そして、その「谷口雅宣部長」は、決して悪い人じゃあ、ありません。人類光明化運動を熱心に推進されておられます。

なのに、その「組織運動部」の「破邪顕正部員」や「青年協議会部」の皆さんが、「組織運動部の方針はおかしい!生長の家学園から除名しろ!」と叫んでいるわけw

で、それに同調した「トキ部員」は「今、私が所属している部活は専制的だ!」と叫び、「地方信徒部員」は「私はこの活動に全生活を奉げていたのに、今の部長は何なんだ!」と叫んでいる。それじゃあ、前者はその部活をやめればいいわけだし、後者についてはたかが部活に全生活を奉げたあんたが馬鹿だっただけwwwwwwwwww



(捕捉)

「本部講師」や「本部職員」は、例えてみれば「生長の家大学組織運動学部」に所属して、専攻として組織運動をしているわけだから、それに全生活を奉げるのは当然のこと。

だけどね、在野の信徒は組織に「全生活を奉げる」なんてのは、ダメだよ?誰かさんみたいに周りが見えなくなるからね。(笑)

567トキ:2016/11/19(土) 10:07:22 ID:GwEzCGU6
>>564

日野君へ

 君ね、国家から法人格を与えられ、免税上の優遇措置まで受けている宗教法人で
そんな独裁体制が認められると思っているのかね。それじゃ、麻原と同じじゃないか。

 私が青年会で活躍した頃には、まだ、谷口雅春先生の直弟子は多数ご存命だったが、
君の言うような総裁を祭り上げるような方はいなかったよ。

568tapir:2016/11/19(土) 10:38:25 ID:mJKASjw.

>>559
 「訊」様
>>560、562
 トキ様


「訊」様の言われる通り、


1、(谷口雅宣先生は)「背教だ!」な本流指摘は的外れ

2、「総裁は完璧」という教団派の意見もオカシイ


に同意いたします。


「人時処の三相応を得る」、これが大調和。

しかし、総裁のお話は「時が軽視されている」、すなわち「優先順位の付け間違い」。


これも、「人」「処」の相応を得ていない場合もあることを追加して、同意いたします。


「優先順位」ということで、私が思いつくのは、谷口雅宣先生が、御自身の著書『信仰による平和の道』をここ数年(5年程)、品切れのまま放置していることです。

この著書は「国際平和信仰運動」のテキストとされ、今年の「国際教修会」でも谷口純子先生が使用されていました。

ポルトガル語、中国語にも翻訳されて日本国内のみならず海外の幹部にとっても国際平和信仰運動の指針となっています。

そんな大事な本の日本語原典を、なぜ品切れのまま5年も放置しているのでしょうか?


谷口雅春先生ご著書の例でいえば、どこか不都合な個所があって、再版しないことにしたと推測されます。

けれども「国際平和信仰運動」を続ける限り、品切れのまま放置しているのは二重の意味で、「責任」の放棄だと思います。


「問題になる個所」があるなら、常識的に、①速やかに問題個所を訂正した改訂版を出す。②同書をテキストとして教えを説く講師・幹部の為にどの箇所を訂正したか周知する、の対応が必要だと思います。


最低限の事として、①は速やかに実行すべきです。そうしなければ国際平和信仰運動に尽力している人々に対しての御教えの総攬者としての責任を果たしていないことになります。


『信仰による平和の道』改訂版発行は「国際平和信仰運動」推進の上で、かなり優先順位の高い業務だと思いますが、実行される気配がありません。

自著でさえ、そのような当たり前のことが出来ない人が、谷口雅春先生の重要なご著書を何冊も「再版未定」にしているのは何をかいわんや、です。

 谷口雅春先生ご著書の「再版未定」は、恣意的な判断によるものだとの非難を受けても仕方がないと思います。


谷口雅宣先生は、運動を推進している信徒・幹部のニーズに応えることの「優先順位」を低く見ていると言われても仕方がないと思います。(続く)

569tapir:2016/11/19(土) 10:40:10 ID:mJKASjw.

>>559
 「訊」様
>>560、562
 トキ様


トキ様が書いていらした蕎麦の音の話ですが。

>> 「谷口雅宣先生とお蕎麦をご一緒するときには、絶対に蕎麦の音を立ててはいけない。ご一緒に蕎麦を
食べているときに音を立てて、そのために激しく注意を受けた人がいます。」

と注意をされたことがありました。<<


アメリカ帰りの谷口雅宣先生が「蕎麦の音を立てない」ことにこだわる気持ちは分からないでもありません。ご本人がアメリカ留学の際に友人に指摘されたのかもしれません。もしかしたら谷口家では海外訪問に備えてそういう教育があったとか?

しかし日本人のマナーは音を立ててよいのですから、「外国人はこういう時は音を立てないので私もそうしている」とお話する程度なら理解できますが、人に強要することではないし、まして「激しく注意」するのは常軌を逸しているとさえ言えます。

トキ様は謙虚に「若気のいたりで」と書かれていますが、私なら「神経質」を越えて「変った人」だと思ったことでしょう。


「コミュニケーション能力の不足」、「優先順位をつけ間違う」、「蕎麦の音に激しく反応する」、「理論優先(現場で活動している人の気持ちを察することができない)」



これらの特徴を総合すると、谷口雅宣先生は常人と違う「独特の個性」を持っていらっしゃるのではないかと思います。


あくまで仮定の話ですが、谷口雅宣先生は自閉症スペクトラムではないかと、私は疑っています。身近にいた人の話を含めて、いろいろな人の話を総合して、そう考えると谷口雅宣先生の様々な特異な行動が理解できるからです。

https://medicalnote.jp/contents/150530-000017-MFVVZG


自閉症スペクトラムには様々な程度があり、その原因は分かっていませんが生まれつきのものであるとのことです。

自閉症スペクトラムの一種であるアスペルガー症候群が谷口雅宣先生の「独特な個性」に一致するように思います。


かつて先生と接触のあった人と話をしたときに「アスペルガーであれば、先生の行動が理解できる」とも言っていました。私の数少ない接触においてもそれを感じています。

アスペルガーは、「脳機能の微妙な障害」によるとのことです。


「認知発達の偏りをもたらすのは何らかの脳機能の微妙な障害」

http://www.autism.jp/knowledge/whatisas/web-j.html


アスペルガーの人が職場に適応できない場合、適応するためには本人だけの努力では無理で鬱になる人もあるそうです。周囲の適切な理解と助けを欠かすことができません。

(続く)

570tapir:2016/11/19(土) 10:42:00 ID:mJKASjw.

>>559
 「訊」様
>>560、562
 トキ様


私は専門家ではありませんが「自閉症」について2冊の本を読んだことがあり、そこに谷口雅宣先生に通じる話があるように、かねてから思っていました。


自閉症スペクトラムかも知れないと書くことは個人の名誉にかかわるので、憶測で物を言うのは控えるべきかもしれないと、何度も書くことをためらいました。

書くべきか書かざるべきか、何日も迷っていました。

それでも、あえて書くことにしたのは、谷口雅宣先生へのいわれなき誤解を解きたいからです。


「自閉症」の手記を読んで一番心に残ったのは、小さいころから「性格が悪い」、「頭が変だ」、「親のしつけがなってない」との評価を受けて周囲の冷たい目にさらされ、周囲に適応しようとしながら適応できない、周囲から理解されないで苦しむ自閉症児の姿です。


「自閉症スペクトラム」は、「重度の自閉症」を黒とし、健常者を「白」とした場合のグレースケールを指し、人によって「黒っぽいグレー」だったり、「限りなく白に近いグレー」だったりします。

http://自閉症障害.jp/554.html


谷口雅宣先生は普通の学校に通っていらしたし、留学もされているので「白に近いグレー」と拝察されます。


アスペルガー(自閉症スペクトラム)は、歴史上の人物でもエジソンなどそうではなかったかと言われています。有名な作家の白洲正子氏も、自伝に「自分は自閉症的傾向があった」と書いています。

個性を生かして、普通に過ごしている人、特別な才能を発揮した人もあります。


その症状を読むと、谷口雅宣先生の人と違う行動や言動について説明できることがたくさんあるように思います。

・人とのコミュニケーションが極度に苦手なこと。

・人の気持ちが読めない(「憶念」が理解できない。講習会での不適切発言)

・音に敏感(蕎麦の音)

・自分独自の理論にこだわる。(そのため優先順位をつけ間違う)

・突発的な出来事があると、普通の人が何とも思わないことでも、激しく怒り出す。
(続く)

571tapir:2016/11/19(土) 10:43:45 ID:mJKASjw.

>>559
 「訊」様
>>560、562
 トキ様


谷口雅宣先生は「独特の個性」のため、社会生活に適応するのに人の何倍もの努力が必要だったのではないでしょうか。

「総裁は完璧」との信徒の期待通りの型に収まらない自己、生来の「独特の個性」を生きることしかできない自己を抱えながら、谷口雅宣先生は、特に副総裁就任の当初は、人の何倍も努力をされたことと拝察いたします。

「独特の個性」そのままでは一般社会では通用しないので、生長の家「総裁」でなく別の職業についていれば、「個性」を生かした普通の職業人になれたかも知れません。


しかし生長の家では、その「中心帰一」の御教えのために、谷口雅宣先生の「独特の個性」が、そのまま組織に反映されることになってしまい、現在の「専制体制」ができ上ったのだと思います。


常人とは違う「独特の個性」の先生を「生長の家大神の ―― 総裁 ―― 御教え。この三つを結び貫く神意の展開が光明化運動の不動の中心である」とする「総裁」の地位に就けざるを得なかったことと、総裁の御指導を総裁の発した言葉通り鵜呑みにして実行することが御教えにかなっているとする堅固な体制を構築したことが、相乗効果となって現在の生長の家の悲劇を生みだしたと思います。


谷口雅宣先生の常人とは違う「独特の個性」を神意の表現と見誤った本部の幹部たちを責めるのも気の毒な気がします。

谷口雅宣先生は生長の家総裁なのだから「中心帰一」するのが生長の家信徒の取るべき道なのである、それが谷口雅春先生、谷口清超先生の御恩に報いる事であると信じて、総裁の御意向を生かそう生かそうとして実行して行ったら、いつのまにか地元教区の皆様の思いからはるかかけ離れた運動になってしまったのです。

軌道修正したいと思っても、少しでも批判的意見を述べれば今の地位を追われるかも知れない。自分のみならず、場合によっては、周囲の関係者にまで類が及ぶ。こんな環境でがんじがらめになっているのだと思います。



この状態を脱するためには、いつもの話になりますが、生長の家が、総裁制を廃止して、合議制に移ることです。

本人の努力では変えられない「独特の個性」の方が三代目総裁に就任して、周囲の努力にもかかわらず、あらゆる点で行き詰まっています。このこと自体が、大きな運命の手によるものであると言えるのではないでしょうか。

生長の家は、本来、合議制で運営するのが、御教えの上からも適切であることを示すために、このような天の配剤があったという解釈ができるのではないかと思っています。

それは「住吉大神」の大いなる宇宙浄化のお働きであり、「神意の現成」であると言ってよいと思います。

大きな歴史の流れの中で。

572神の子さん:2016/11/19(土) 11:51:04 ID:8yVvLh4A

tapirさん

総裁がそのような人だとしますと、清超先生はそのような先天的な脳障害の子供を正常化することの出来なかった、病なしを標榜する生長の家の総裁としては不適格な人であったと云うことになります。

そしてそんな孫を正常することの出来なかった、雅春先生も可笑しいと云うことになりませんか?

573tapir:2016/11/19(土) 12:36:04 ID:mJKASjw.

>>572 神の子さん


ハンドルネームをお使いください。


今はあまり時間がないので、簡単に書きます。時間が取れたら、後程、続きを書くかも知れません。

生長の家は、「病なし」であると同時に「肉体無し」の教えです。


「病なし」は、すべての人間が現象的にどこにも欠陥の無い完全な肉体を持っていることを指すのではありません。


谷口雅春先生の御教えに「堅固法身 膿滴滴地」という教えがあります。

http://shimane-seicho.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/april212011-c0a.html


>>それを形容して、「膿滴滴地」と禅宗の本には書いてあるという。膿滴滴地であるにもかかわらず、和尚はいつも「膿が流れているそのままで堅固法身だ」とお答えになったのだった。肉体が堅固で健康である間は人間は堅固であるが、肉体がこわれたらもう堅固でなくなると考えているのでは、「人間は金剛不壊である」ことを悟ったのではないということである。ですから、肉体の病気にかかわらず、膿がたらたらと流れているそのままでも、自分の実相は堅固法身である、と悟らなければならないのであると示されている。<<


故人ですが、生長の家の本部講師で両手の手首から先を幼い時の事故で失った岡田淳先生という方がいらっしゃいました。不幸を乗り越えて、謙虚で、素晴らしいお話をなさる先生でした。手首を器用に使ってお箸もふつうにお使いになれる先生でした。岡田先生が生長の家に深く傾倒されたのは手の障害があったのがきっかけだったと聞いています。生長の家の本部講師になられましたが、先生の手先がもう一度生えてくることはありませんでした。それでも本部講師として人々を救って来られました。


軽いアスペルガーの場合は、一見「個性が強すぎる協調性の無い人」にしか見えないので、谷口雅春先生も谷口清超先生も、「今は若いからいろいろと人とぶつかっているようだが、年齢と経験を重ねれば、丸くなって立派な後継者になるだろう」と信じていらしたのだとも推察されます。

谷口清超先生も、谷口雅春先生も立派な生長の家の総裁であり、慈愛深い父であり、祖父でいらしたと思います。生長の家総裁として不適格とは思いません。

天皇陛下がパラリンピックの開催に尽力され、障害のある方々にお心を寄せていらっしゃることがお手本です。 「完璧な肉体」を求めるより、はるかに素晴らしい慈悲の表現だと思います。

谷口雅春先生の生きていらした時代には「自閉症スペクトラム」という言葉もなかったでしょう。

私の読んだ本は、『自閉症だった私へ』(ドナ・ウィリアムズ著)で、1993年に出版されています。その頃からだんだんこの障害が世に知られるようになったと思います。

「脳の障害」が消えることもあるかも知れませんが、消えなくても谷口雅宣先生の実相は金剛不壊であり、堅固法身なのです。何より、人間は肉体ではないのです。

ご本人がどれだけ努力を積むか、周囲の人々がどのように先生をサポートするか、信徒がそのことをどのように受け止めるか、すべての人々の人生勉強であると思います。

574トキ:2016/11/19(土) 12:51:26 ID:GwEzCGU6
 谷口雅宣先生個人について言及は控えますが、偶然、友人にアスペルガー症候群の人が
いるので、その人について紹介させていただきます。ちなみに友人は医師から正式に
アスペルガーと診断を受けた人です。

 友人の場合は、名門大学を卒業後、いくつかの難関資格も取得し、忙しく仕事をして
います。ただし、人間関係を作るのは苦手で、なかなか友人ができずに困っているのも
事実です。また、仕事も途中で挫折することも多く、苦労しています。

 アスペルガーは、いわゆる天才と言われる人が多く、スティーブン・ジョブズや
ビル・ゲイツから、古くはアインシュタインもそうだと言われています。うまく才能
が発揮できれば「天才」ですが、そうでなければ単なる「嫌な人」に終わります。

 周囲に良い人材がいれば才能を発揮できますが、変な側近が多いと悲惨な運命を
たどるみたいです。

575トキ:2016/11/19(土) 13:13:00 ID:GwEzCGU6
 これは独り言だとご理解ください。

 現在、韓国が大揺れです。親友の崔順実(チェ・スンシル)容疑者の国政介入疑惑が露見してから、朴槿恵(パク・クネ)大統領に
国内での退陣要求が強まっているのは説明の必要がありません。

 ただ、従来から朴槿恵大統領の政治方針には理解できない部分が多かったのも事実です。それが崔順実容疑者の存在が明らかになり
従来の朴槿恵大統領の言動の多くが説明可能になったのも事実です。

 今回、『"人間・神の子”は立憲主義の基礎』と称するブックレットなるものを信徒に売りつけようとしています。
参議院選挙も終わり当分大きな国政選挙もない状態で、このような”ブックレット”を信徒に売りつける発想の貧弱さには仰天するしか
ないです。好意的に考えたら先の参議院選挙以来信徒の間で動揺が広まり信徒の退会が止まらないので、その防止のためにこのような
行為に及んだとも考える余地はあります。

 しかし、本人は大真面目にやっているみたいですから、おそらくは彼は彼なりの”憂国の至情”に燃え、「信徒を覚醒させるために」
ブックレットを配布している可能性も大きいです。生長の家版の磯部浅一大尉(二・二六事件の青年将校)といえるでしょう。

 ただ、安価な”ブックレット”を大量に印刷し会員に売りつけるという発想は、生長の家政治連合の時代ならともかく、最近の生長の家
にはなかったものです。むしろ左翼運動をしている運動家の発想です。その他にも、「立憲主義」とか「民主主義」を看板に自分の政治
思想を売り込むのも左翼運動をしている人によくみられます。

 これは全く証拠がなく個人的な憶測ですが、谷口雅宣先生についても、正式な生長の家のラインとは別に、全く関係のないラインで
左翼関係者とのつながりが存在すると仮定すると、説明が可能な部分があるという感想を持っています。

 なお、繰り返しますが、これは「仮定」すればの話で、何も根拠のある話ではないから、ご注意ください。

 脱線した話をして、すみませんでした。

閑話休題。本題にお戻りください。

576tapirさんへ:2016/11/19(土) 22:51:17 ID:rVlPSP2.
>>生長の家は、「病なし」であると同時に「肉体無し」の教えです。について「堅固法身 膿滴滴地」を例に出されました。「病なし」は、すべての人間が現象的にどこにも欠陥の無い完全な肉体を持っていることを指すのではありません。

とのお説ですと、「肉体無し」と同時に「現象無し」「心も無し」が生長の家でありましょう。生長の家が膿滴滴地になっていても、あなたがそれに捉われる心がなければ、何の問題もないではありませんか。

「肉体無し」と同時に「現象無し」「心も無し」の生長の家の話を聞いて救われたいのに、そのような真理の話が聞けないから、講習会はつまらないし総裁の話はつまらない、と批判する人は、散々真理の話を聞いてきたにもかかわらず、無い病気に捉われ、無い現象に捉われ、無い心の葛藤を起こし、我が心としているに過ぎないのではないですか。

577tapirさんへ:2016/11/20(日) 15:27:37 ID:rVlPSP2.
私は静かに合掌し神に祈りました。

「神様、この哀れな姿に化した神の愛し子を、どうぞお救い下さい。人間が神の子であり、病は本来無い、病は迷いであり、迷いの心の影であって本当はどうもなっていない。この姿は嘘である。実在ではない。このありもしない虚妄を私の心から取り去り給え」

 と一心に心のうちに祈りました。  (藤原敏之講師の祈り)

『この姿は嘘である。実在ではない。このありもしない虚妄を私の心から取り去り給え』この祈りを一心に祈りつつの、生長の家の為になると感じられることを、していると云われのであれば私は何も云うことはありません。

578tapir:2016/11/21(月) 23:42:43 ID:mJKASjw.

>>572 神の子さん

あらためてご返事いたします。

私が仮説として書いたことについて、「谷口雅宣先生の魂が幼い」と言った人があります。

私自身、谷口雅宣先生の魂が幼いのではないかと誤解していた時期もありました。


しかし今は、そうではなく、谷口雅宣先生は、むしろ大いなる使命を持って生まれて来られた「高級霊」であると考えています。

生長の家創始者谷口雅春先生は、心身障害児について、高き魂を持つ高級霊であると次のように説かれています。


「高き魂をもつ高級霊はみずから進んで心身障害児となって生まれ、普通よりは一層嶮しき苛烈なる体験を経つつ、普通の安楽生活者よりも急速にその魂を進歩させるのである。ゆるやかに進む者は遅足の乗り物に乗るように少ない振動しか受けないが、急速に走る乗り物は地上の乗り物でも、空中を飛ぶ飛行機でもその騒音も振動もはげしいのである。されども、それだけ速やかに魂は目的の高度に達し、約束の天国浄土に到着することができるのである。」
(聖経『続 真理の吟唱』258〜259頁)

ここでは肉体が乗り物に例えられています。


『生命の實相』第9巻には、「肉体は乗馬であり霊魂は騎手である」と書かれています。

高き進化をとげた霊魂はあえて、暴れ馬を選んで、騎手としての技量を高めるのだと思います。

谷口雅宣先生は、「高き進化をとげた霊魂」であり、あえて扱いの難しい馬を選ばれた勇者なのではないかと思います。

そう考えるとき、何より、私の魂が納得するのです。

神意は、長い年月を経て初めてその意味が分かるような、大きなスケールで展開するものだということも言えます。


【ご参考】

『生命の實相』第9巻(霊界篇)130頁〜134頁、169頁〜170頁においては、幼くして亡くなる霊魂(障害児を含む)について、高き進化をとげた霊魂であると書かれています。

神の子さんにおかれましては、該当するページをぜひ読み返していただきたいと思います。

その一部は以下の通りです。ここでは、高き進化をとげて能力の高いはずの霊魂が「肉体の不完全な」ゆえにその「能力」を奪われてしまうのは残酷だとの画家コルニリエ氏の質問に答えて、霊媒を務めるレイヌが「神の摂理の恩寵(神の法則の恵み)」を説き、そういった霊魂は不自由な肉体に打ち勝って「優秀な肉体を使用する」のと同じ成果を得られると説いています。


『肉体は乗馬であり霊魂は騎手である。

 自分は、もしこの見地が採用されたならば、地上における各人相互の判断は奇妙なものになってしまうであろうといった。そしてまた、運命は霊魂から、霊魂自身の能力だと思われていたものを、その肉体の不完全なというゆえに突然奪ってしまうというのはなんたる残酷なものであろうと言いたした。
 が、レイヌは主張する――「いいえ、それは全然反対です。いかなる場合にも摂理の恩寵はその霊魂につきまとっているのです。霊魂は常に反作用を営むものです。そして現実的には所有していない優秀な肉体を使用して獲られると同じ利益をその霊魂は獲得するのです。」』(『生命の實相』第9巻(霊界篇)169頁〜170頁)

579tapir:2016/11/21(月) 23:44:56 ID:mJKASjw.

>>577

合掌、ありがとうございます。

祈っていただいたことに、深く感謝申し上げます。ありがとうございます。

私は今年の初めから、毎日、朝晩の神想観の中で、谷口雅宣先生のことを思いながら、『私はこうして祈る』8~9頁の「相手を赦すためには」の祈りを読み続けてきました。

その中で、あのコメントを載せることを決断しました。

とはいえ、貴方様が私のコメントに抗議されたのは、私の言葉の表現において愛が足りないと感じさせるところがあったのかも知れないと思い、そのことを反省しています。

これからますます祈りを深め、神様との一体感を深めなければならないと思いました。

私の足りないところを、気づかせてくださり、ありがとうございました。

再合掌

580「訊」:2016/11/22(火) 07:03:28 ID:0aDmqHNo


>>579 tapirさま


 雅宣総裁は聖パウロだと思います。パウロは最初、キリスト教を弾圧する側の人間だったワケですが、その後、弾圧の過去を強烈に悔い改めて最も敬虔な信者の一人となりましたよね。雅宣総裁もそのうち、雅春先生の御教えの最も敬虔な指導者におなり遊ばされないかと。




581トキ:2016/11/22(火) 17:07:55 ID:RKZ7Ftls
>>580

 すると、今の総裁はサウロの状態ですね。うーん、最後は殉教されるのでしょうか。

582tapir:2016/11/28(月) 23:24:11 ID:o8ZQc7sI

>>579
>>581

「訊」様
トキ様


雅宣先生は、映画『禁じられた遊び』のミシェルのようだと思います。

両親を失った5歳の少女ポーレットを喜ばせようと、十字架を集める11才の少年です。

ミシェルはポーレットを喜ばせたいという、彼なりの善意で一杯なのですが、十字架集めがエスカレートして、亡兄の墓の十字架を取ってきたり、教会の十字架を持ってこようとしたりして、誤解から、ミシェルの家と隣家との争いを引き起こしてしまいます。

ミシェルの思いも空しく、ポーレットは戦災孤児として孤児院に引き取られることになり、ミシェルから引き離されます。


雅宣先生は、彼なりの善意で、信徒(無垢なポーレット)を喜ばせたいと思って、見当違いのものを提供して、結果的に神様や亡くなった人を侮辱するような行いをしてしまい、周囲に争いを招いてしまう。しかし、そこに悪意はないのです。

信徒たちは、大きな手によって、雅宣先生から引き離されることになるのでしょうか。

雅宣先生の魂は「幼くない」けれども、現象的な社会性において「11歳の少年」のようなところがあるのかも知れません。

583「訊」:2016/11/28(月) 23:36:26 ID:Hgg2JCZM

>>582

 卓見ですね。その通りかもしれません。『禁じられた遊び』のミシェルですね、総裁は。

584トキ:2016/11/29(火) 17:11:48 ID:eMGihSq6
>>582

tapirさま

 2016年度の「生長の家人類光明化運動・国際平和信仰運動」”新しい文明”の基礎を作るための3カ年計画

と称する2017年度の生長の家の運動方針を見せてもらいました。この本は本部が出版し、幹部向けに配布して
おり、総裁の校閲も得ているので、総裁や教団指導部の考えが反映した本といえるでしょう。

 この本の中で、「”新しい文明”の基礎を作るための3カ年計画」の前文のなかで、自画自賛を羅列しながら、

最後に

 「また、それよりも大きな問題は、教勢が伸び悩んでいるどころか、減少傾向が一向に止まらないことである。」

と明確に書いて有ります。(6ページ)

 しかし、驚くのは、

 「その原因として、”自然を伸ばす”取り組みと、”教勢を伸ばす”取り組みの間に、やり方によっては相互に矛盾す
ることが挙げられる。」

と続き、以下、長々と訳のわからない文章が続くことです。

 要するに、「教勢が伸び悩んでいるどころか、減少傾向が一向に止まらないことである。」の原因を戦術的な失敗
にしているのです。

 これは驚くほど現実から乖離した分析です。

「減少傾向が一向に止まらないことである。」の原因は、総裁の指導の方向が信徒の願いと乖離していることです。
現状は戦術的な改善ではカバーできないほど悲惨です。

 「見当違い」というのは、実に当を得ています。

585志恩:2016/11/29(火) 17:20:52 ID:6hRUvSRg
>>582:で、tapirさまが、

雅宣先生は映画『禁じられた遊び』のミシェルのようだと思います。
とおっしゃったので、なるほど!と私も思わせていただきました。

「禁じられた遊び」は、大変古い映画ですが、名画でしたので、私も過去に2回ほど見ました。

映画の中で流れるギターが、物悲しく奏でる「愛のロマンス」という曲は、日本人の若者たちの間で、ギターを弾き始めた人たちは
ほとんどの方たちが、練習曲として弾いていた曲です。

私の亡き夫も、学生時代に、この曲をよくギターで弾いていたと昔、夫と私が、結婚した後に話してくれたのを今は懐かしく思い出しております。

ストーリーを知らない方々のために、あらすじと結末を簡単に、ご紹介します。

「 『禁じられた遊び』あらすじと結末」(ネットより)

:1952年フランス映画。
第二次世界大戦中、家族を失った幼い少女ポーレットと心優しい少年ミシェルの無垢な交流を描いた反戦映画。
死があまりにも身近だった時代、幼く無邪気な二人が行った「禁じられた遊び」とは。

1952年のアカデミー名誉賞に輝いた不朽の名作。

:ポーレットとミシェルの出会い:

舞台は1940年、第二次世界大戦下のフランス。ドイツ軍に占領されたパリからは大勢の市民が逃げ出していました。

その中に両親に連れられた幼い少女ポーレットもいました。
しかしドイツ軍の戦闘機に爆撃され、両親と愛犬ジョックは死亡してしまいます。

その上ジョックは川に捨てられてしまい、追いかけたポーレットは道に迷ってしまいました。
市街地の混乱をよそに仕事に励んでいた農家のドレ一家でしたが、長男ジョルジュが迷い込んだ馬に蹴られ怪我を負います。
その拍子に逃げた牛を追ったドレ家の末っ子ミシェル。彼はポーレットと出会い、彼女を家に連れて帰りました。

一家は両親を失った幼いポーレットに同情し、色々と世話を焼いてくれます。その夜、ポーレットは死んだものは穴の中に埋めるのだと
ミシェルから聞かされます。

:水車小屋の墓場:

翌日、ポーレットはジョックを埋めるために土に穴を掘ろうとします。
そこへ偶然司祭が通りかかり、祈りの言葉を教えてもらいました。

ポーレットはその場を離れ、半ば廃屋になった水車小屋で再び穴を掘り始めます。やって来たミシェルに手伝ってもらい、
ポーレットは祈りを唱えながらジョックを土に埋めました。

ジョックが寂しくないよう墓場の仲間が欲しいと言い出すポーレット。
ミシェルはたくさんの動物の墓を作ろうと提案します。ミシェルは墓に十字架を立て、立派な墓地にするとポーレットに約束します。


続く


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