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トーキングスティック板/2

544tapir:2016/11/06(日) 23:12:40 ID:CxVXlSJM

>>533 「訊」様


「岡氏解任」に関しては「コミュニケーション能力の不足」が当てはまりますが、経本、三神勧請に関しては「コミュニケーション能力の不足」で説明できるでしょうか?


私は説明できると思います。


何故、雅宣総裁は、自作の『経本』を出版したのか?

それは、裁判の結果、『四部経』の著作権が社会事業団にあることが明らかになり、生長の家教団から出版できないことになったからです。

『四部経』が使用できなくなったので、代わりになる神様の言葉を「実相世界」から、総裁自身が汲み上げて、言葉を編み出して、信徒の皆様に使っていただこうとされた結果が「経本」です。


それは、裁判の前に、和解のための話し合いをしないで、直接裁判に持ち込んだ結果でもありました。

 なぜ和解のための話し合いをしなかったのか? 社会事業団との「コミュニケーション」ができなかったからだとすれば、総裁・教団側の「コミュニケーション能力の不足」という言葉で説明できます。



 なぜ造化三神を勧請したのか? 総裁は「住吉大神」とコミュニケーションができなかったのではないでしょうか。

 「住吉大神」に対する「コミュニケーション能力が不足」していたのだと思います。

 幽の幽なる神様である「造化三神」なら「コミュニケーション」は不要なので気持ちが楽になられたのでしょう。


 神様の世界のことなのでこんな書き方をしてよいのだろうかとも思いますが、どうもそんな気がしてなりません。


tapirの神がかり的な空想と思っていただいてもけっこうです。



>>○ そして処方箋は、電話一本で解任されるような雰囲気ではなく「総裁へ真意の確認が可能な環境の整備」と云えましょうか。
○ 真意を確認し合えば案外、双方ともに「同じ内容を主張していた」って事も判明するのではないかと楽観できるのです。<<


上記を実現するために、総裁・教団の「コミュニケーション能力の不足」を補う必要があります。

「コミュニケーション能力の不足」を補うには、「コミュニケーション能力のある人に助けてもらう」しかありませんが、「総裁」=「御教え」という教義が、「能力のある人に助けてもらう」を妨げているように思えるふしがあります。


「総裁」を絶対視するような特別な立場に祭り上げてしまったことが、心ある人が、総裁を助けられない空気を作り上げてしまったと思います。


これが「総裁制」を廃止して合議制にする方がよいと考える理由でもあります。


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