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本流対策室/3 板

999ユタカ(神の子人間を生きよう:2012/09/16(日) 22:38:21 ID:gn5QzOTA
トキ様

I教化部長は本当に新教本を素晴らしいと思っておられるし、総裁の事もきちんと理解されておられますね。ユタカの質問に丁寧に返答してくれて、それが、納得できるんだなぁ。。。

いい先生ですね。。。 ただ、おじいちゃん先生ですが・・笑うと青年っぽいです。。

おじいちゃん先生のように 息の長い先生と短い先生の分かれ道はなんだろう???

1000ユタカ(神の子人間を生きよう:2012/09/16(日) 22:40:53 ID:gn5QzOTA
あと、青年会の時代の話になると、安藤、森田と良く名前を聞きますが、I本部講師はなぜ名前がでないのでしょうか?

1001ユタカ(神の子人間を生きよう:2012/09/16(日) 22:50:48 ID:gn5QzOTA
トキさん、「燃える青春」という本読んでみたいです。

貸してもらえませんか?? よろしくお願いします。

1002志恩:2012/09/17(月) 10:48:36 ID:.QY5jUA6
さくら様曰く「自分の善悪などの二元的価値判断をこえて、物事の神性を信じよう。」

ですか。。
これは、善か。これは、悪か。
これは、本物か。これは、偽物か。

ひとりの人間として 善か悪か、物事を判断することが、なぜ、教えに反することになるのでしょう?

善悪を判断することを封印し、「大調和の神示」を印籠のように持ち出してばかりいる人が多いから
抜本的な改革が出来ずに、どんどん、このように、生長の家が、衰退していったんじゃ、ないですか?

「大調和」するとは、
妥協し合うことでは、ありませんから、それが、看板の教えだというなら

生長の家の全権を握っている 雅宣先生ご自身が、左翼思想を撤回し、本来の教えを受け入れ、天皇陛下、雅春先生を心から崇敬し、、、
「生命の實相」「甘露の法雨」を、基本にする、、と立ち位置に変え、本来の人類光明化の教えに原点回帰されることが、

その「大調和の神示」を具象化する第1歩となるのではないでしょうか。

訊け君や解説者様やさくらさんが、批判を繰り返しておられるように、本流は、総裁の数々行為の批判を繰り返しています。

本流掲示板は、今の教えを正すために、どのようにご自分達が悪くいわれても、勇気ある告白や、
過去、現在にわたっての、誤った行為を続ける雅宣総裁に対する批判の記事を載せてます。
私も、同調してまいりました。

それを、正常な行為でないというふうに、訊け君は、1年以上も前から批判を続けているわけです。

勿論、本流掲示板の
中には,童子様、山ちゃん1952様、伝統様、今では、マリーゴールド様、コスモス様他の方々も加わられて、本来のお教えの真理を、書き続けている
方々も、いらっしゃいます。


私は、総裁を批判し続けることは、それが、この機には、重要であり必要だからだと思っております。

今もなお、総裁は、やりたい放題をし続けているのですから、言われても当然でしょう。

最近では、
愛国掲示板も出来て、ここでは、本来の教えを
書き込んで下さる方々も増えて、2つの本流掲示板は、それぞれの特徴がありますから、大きい流れをみれば、佳き方向に向かっていると思います。

本当の大調和の道として、
トキ様、訊け君、解説者様、さくら様が望まれているのは,具体的に、どういう状況になることですか?

私は、環境問題を主流から支流に廻して
神が降臨して、主導されるような 人間が 実際に救われる教えに回帰することが、本当の意味で
「大調和の神示」があらわれ、生長の家も、人類も、ともに衰退から,繁栄に方向転換できる道では、ないかなと思いますが。

                 つづく

1003志恩:2012/09/17(月) 11:39:06 ID:.QY5jUA6
ユタカ様が、他の板で言われてますが、
愛国掲示板に、いいヒントの投稿文がありました。

投稿者は、澤水紘一様です。

  ①「練成会に臨んで内観すること」 藤原敏之 先生
    http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=hikarinomi&mode=res&log=275

  ②生長の家全信徒は、今、原点に戻り。。
   http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=hikarinomi&mode=res&log=274


 この中に、「話しが上手であっても、行事がうまく行われても、人間によって為されている限り、
       単なる行事に終わり,話となります。

       救われるのは、話でもなく行事でもなく、そこに神の御降臨があるかないかで決まるものと
       信じています。
    
       どれだけ神を現すかが、重要な鍵となり、このことを明確にし、正しい基盤の上に立って
       行われている時、上手下手には関係なく必ず成果が上がるものと思います。

       何故かと言えば、そこに神が現われている時、そことは最高となり最善となりますが、
       神があらわれないでは人間力が主体となり、相対力しか働かないからであります。

       教えは、覚えたり,知るものではなく、行ずるのであります。教えをそのまま実行する時、
       初めて結論となり、金剛不壊の信となり、信は即ち絶対でありますから自信となり、其処に
       完全な自由が得られるのであります。」


 トキ掲示板の一部のお方のお話をうかがうところによりますと、

 只今、千葉の教化部長をされてるI(泉)本部講師も、宮城県の教化部長をされているT(高坂)本部講師も、
 雅宣経の新経を、信徒の皆様に勧めておられるそうですね。

 おふたりとも、今の教えに洗脳されてしまわれたのでしょうか。信徒の皆様に新経を勧めているのですから、洗脳は、本格的ですね。

 総裁先生のフェイスブックとやらにも、どなたか信徒のかたの書き込みで
「甘露の法雨」のような抹香臭いお経は,読むのをやめて、これからは「大自然讃歌」経を読みます」というのがあったそうですね。


次は、これは、以前、復興G様に教えて頂いたのですが、

雅春先生は、「大般涅槃経解釈」で、下記のように説かれておられます。

「もし、宗教人であれ、在家の人々であれ、師に対する恩知らずの そあく の言葉をもって正法を誹謗し、その重大な悪業を犯しながら
 悔い改めようとせず、心に慚愧の思いをおこすこともないならば、そのような人を名づけて一せんだい の道に趣く者というのじゃ」

 釈尊は、ご自分のお説きになる教えを「正法」と仰せられ、ご自分の説法にケチをつけたり、攻撃したりする者を「正法を誹謗する者」として、
 そのような者に、布施することは、よろしくないとせられたのであります。。。。」

1004志恩:2012/09/17(月) 11:43:48 ID:.QY5jUA6

>>1003:でご紹介した復興G様のご文章を貼付させて頂きます。


 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1311411528/1292

1005志恩:2012/09/17(月) 12:45:59 ID:.QY5jUA6
1003,
1004,に関連する 復興G様のご文章を貼付させて頂きます。

 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1311411528/1204

1006さくら:2012/09/17(月) 23:59:45 ID:e8ieIrPA
先日、この板で、出典の分からない体験談を書き、意図しない論点の話になって残念だったところ、ある方が聖典のすばらしい箇所を紹介してくださいました。
あまり自分の考えを述べるのに聖典謹写はしないのですが、しかもこの板で長い謹写は申し訳ないのですが、出典の分からない体験談を紹介してあやしまれたので、
その代わりに置くものとします。

【※注意※】
1.ここへご文章を書いたからといって、「本流側の方が雅宣総裁を批難していることに反対している」、という意図はないですので、発言のたびに、すべてこのことに
結び付けていただかなく必要はないこととおもっております。
ですから、「総裁と父母や息子とは違います。」などや、誰としっぽりなどの部類のご意見がありましても、返信は差し上げないと思いますが、どうぞご了承ください。

2.この体験談には、常識から考えると「危険な場面」があります。
ただし、この文章には、その危険な行為や常識のはずれた行為を推奨する意図はまったくなく、人に宿る神性を信じて感謝することが述べられていることを紹介の意図としております。
その危険行為を流布する文章だと誤解のないよう、ご自分の良識の範囲でご判断したり、ご自分が人生の先輩や真の生長の家とおもわれる方にお尋ねしたりして対処いただきますよう、お願いいたします。

1007さくら:2012/09/18(火) 00:03:25 ID:e8ieIrPA
『善意の世界』より抜粋  谷口清超先生 著P98〜
父母の喧嘩
さて高知県に宿毛市という所がある。県の南西端にある美しい町で、
その土居下というところに後藤良夫さんといって英語と数学の私塾を経営している教育者がいらっしゃったが、
私が昭和四十二年の冬高知市に講習会に行ったとき、こんな話をしてくださった。
後藤さんは当時宿毛市の相愛会長をしていたが、ある日或る所で高校生と中学生との見真会が行われた。
その時、後藤さんは講師として出席し、親孝行の話をし、“感謝は凡てを癒す”ということをテーマに話した。
さて後藤先生がその晩会場内の一室で眠っていると、中学三年のA君が部室にやって来て、「先生、先生」と揺り起こす。

「どうしたのかね?」
ときくと、A君は、

「先生、相談があります」
と真剣な顔でいう。

「よし、分かった。しかしここでは皆さんに迷惑をかけるから、別室へ行って話を聞こう」
と電燈のとぼっている別室へ行ってA君の相談をきいてあげた。

「先生は今日、“親に感謝しなさい。感謝は凡てを癒す”という話をなさいましたね?しかし僕は、どうしても親に感謝することができないのです」

「そりゃ又どうしたことかね?」

「実は恥ずかしいですが、僕の父には母以外に女の人がいるんです。それがもとでお父さんとお母さんはよく大喧嘩をしています。近所でも評判になるくらい、毎日のように喧嘩をするんです。
その父母を見ていて、僕の夢はやぶれてしまいました。あんな喧嘩を見ていると、どうしても父母に感謝なんかする気になれません」

「そうか。なる程。あんたの気持ちもよく判るよ。しかしねえ・・・」
と、後藤さんは大略次のようなことを話してあげた。

一、親と子の結びつきについて。
二、神に感謝しても、父母に感謝しない者は神の心に叶わぬということ。
三、香川県での或る体験談。即ち或る不良の息子が、或る日父に多額の金を無心したところ、父に断られたので、カーッとなって、父に火の入った火鉢をぶっつけようとした。
すると父はその時、合掌して息子を拝んだ。その尊い父の姿を見て、息子はそこにひれ伏して、「お父さん、僕が悪かった」と言って、遂に父と子の和解ができたということ。
即ち、どんなに感謝しにくいような出来事があっても、その現象の奥にある実相を礼拝するならば、必ずそれがあらわれて、現象の悪は消えるのであるということ。
四、いかなる逆境でも、それを住みよい世界にする智慧と力とが、人間には与えられているのだということ。

後藤先生はこの四つのことを、A君に約一時間半にわたって話して聞かせた。

夜半のこの愛のこもった話は、A君の心の中にしみ透って行ったようである。A君の顔には明るい微笑すら浮かぶようになった。

1008さくら:2012/09/18(火) 00:06:25 ID:e8ieIrPA
合掌

「先生、有難うございます。僕、帰ったら、お父さんお母さんに、第一番に感謝します!」
と、A君は力強く言って部屋に引き上げた。
やがてその見真会も無事に終りA君は喜び勇んで我が家に帰って行った。
そして開口一番、

「お父さん、お母さん、有難うございます」

と言おうとした途端、家では父と母が大喧嘩をしている真最中であった。
その喧嘩の声が、近所隣に鳴り響いている。これを見たとき、A君は、

「こんな下らない父母に、どうして感謝ができるもんか!」

となさけなくてたまらず、せっかく見真会で心に決めて来た父母への感謝の言葉など一言も出て来なかった。
ただ口惜しさ一杯で、父母の浅間しい姿をじっと見守っていた。すると父母の喧嘩は段々激しさを増し、ついに父が母をぶん殴ろうとして、手をふりあげた。

その時、A君は無我夢中で、パッと父の前にとび出し、父をつき飛ばした。

 父は思わぬところから新手の攻撃をうけ、ヨロヨロとそこへ倒れた。
その瞬間、父はカーッとなって、近くに転がっていた棒切れをとるやいなや、それを握って立ち上り、A君に向かって殴りかかろうとした。
その途端、A君は後藤先生からきいた話を思い出した。いうまでもなく、不良の息子から殴られようとしたときの、父親のあの話だ。
A君の頭に、

「合掌するのは今だ!」

とひらめいた。A君は、直ちにその場に正座合掌して、父を拝んだ。
目をとじて合掌しながら心の中で、

「お父さん、有難うございます。お母さん、有難うございます」

と念じていると、何分たっても、棒が振り下ろされない。どうしたのだろうと目を開いてみると、
お父さんの眼からは、涙がポロポロと頬を伝って流れ落ちていたのである。
その父の泪を見たとき、A君はたまらなくなった。父の涙が、A君の胸を深くえぐったのだ。
思わず、

「お父さん!」

と呼んで、父の胸にとびついた。

「お父さん、僕が悪かった!お父さん、僕をゆるして下さい!」

父とA君とは、抱き合って泣いた。合理的な節も何もありはしない。何がわるい。どちらが悪いの問題ではないのだ。A君が父と喧嘩しなければならぬ節はないし、又わびなければならぬこともない。がしかし、こうして父と子とが抱き合って泣いたとき、一切の行きがかりが何もかも解消して、心と心が通じ合った。
二人は心から和解し感謝しあうことができたのである。

1009さくら:2012/09/18(火) 00:09:49 ID:e8ieIrPA
絶対絶命

この有様を見ていたお母さんも、たまらなくなって泣き出した。もとはと言えば自分と夫の争いである。
ああ私が悪かったと気がついたものだから、抱き合っている父とこのところへ飛び出して、

「お父さん、タカシ、ゆるして頂戴。私が一番わるかったんです。ゆるして頂戴!」

と泣きながらわびた。こうして親子三人は心から懺悔と和解の涙にむせんだ。
このようなことがあってから、A君の家族は一変してしまった。父と母との仲がよくなった。
A君が父と母との「争い」に心を奪われて、それを心で咎めている間は、どうしても調和できなかった一家が、
A君一人の心が変り、父母の争いの姿の奥底にかくれている「本当の父母の姿」を観る心になり、
それを振り上げられた棒の下で、実際に拝み切った時、忽然として調和した姿があらわれ、「争い」の姿が消えていってしまったのである。
 このことがたちまち隣近所で評判になった。
何しろ今迄はあんなに派手に言い合っていた夫婦が、すっかり仲良くなり、親子も調和しあったのであるから、

「一体、どんなことが行われたんだろう」

という訳だ。
こうしてA君の父と母と、A君自身、その妹の全家族が、熱心に「生長の家」の御教えを行ずるようになり、全員聖使命会員となった。
勿論、お父さんとの間に問題のあった女の人も、話し合いできれいに別れて行ってしまった。

そもそも人間にとって、根本的に不可能なことなど何一つありはしない。
何故なら、人間は本来「神の子」であって、神から無限の智慧と愛と生命力とが与えられ済みだからである。
ところが人々は、とかく現象的な知識で、自分の能力を限定し「常識」の虜囚になっている。
自分に親切にしてくれる人でなければ感謝できないと思っていたり、自分に都合の悪いことを言う親の言うことなど聞いてやるものかと思っていたりする。
そう思って「自分」という殻をしっかり握りしめている間は、人間の「実相」はその「殻」によって蔽い晦まされて、出現しない。
自分の「実相」があらわれてないから、世界は狭く暗澹としている他はないのである。
この「殻」を打ち破らなければならない。
親に感謝するという、最高の命令を、断々固として実行に移す。
それは親から「不可能」と思われることを命じられる時でもよろしいし、親のふりあげる棒の下でもよろしい。
そのような“絶対絶命の境地“に於いて、無条件で合掌三昧の心境になり、父母の心にハイと一つに成り切るとき、
忽ち我の殻が破れ去って、光明燦然たる「実相」が輝き出し、一切の悪しき現象がことどとく拭い去られてしまうのである。

人生とはそういったものなのだ。

1010さくら:2012/09/18(火) 00:11:50 ID:e8ieIrPA
【※再注意※】

この体験談には、常識から考えると「危険な場面」があります。
ただし、この文章には、その危険な行為や常識のはずれた行為を推奨する意図はまったくなく、
人に宿る神性を信じて感謝することが述べられていることを紹介の意図としております。

落とされようとする火鉢の下や、殴られようとする棒の下で、ただ、何もしないで、
人の笑顔を思い浮かべて祈っていればよいということ推奨するもの意図のないご文章として紹介させていただいております。

その危険行為を流布する文章だと誤解のないよう、ご自分の良識の範囲でご判断したり、
ご自分が人生の先輩や真の生長の家とおもわれる方に、お尋ねしたりして対処いただきますよう、お願いいたします。

1011志恩:2012/09/18(火) 01:15:12 ID:.QY5jUA6
さくら様

すばらしい体験談の謹写を、ありがとうございました。
これは、練成会で学んだことを、帰宅して実践したら、奇跡の様にご家庭の調和が
戻ったという体験談を、清超先生がお書きになられたものですが、、

私も、思春期時代、父に感謝できなかったのですが、中3の時、夏期飛田給中学生練成会に参加して、
心が入れ替わって、父に感謝できるようになり、実際に家でも実行した結果、父と和解が出来た体験を持っております。
生長の家の教えで、救われた1人ですので、この体験談に感動しました。


それで、われわれは、いままで、
現総裁先生と本流の話を、していたわけですが、、、だから、さくら様は、なにをおっしゃりたいのでしょうか?

この体験談のように、やりたい放題しているのは、現象だから、現総裁先生に対して、もっと実相を拝んで
やりたい放題は、無視して、本流は、批判をやめて、ただ、もっともっと、実相を拝することを、実践せよ!と、おっしゃりたいのでしょうか?

生長の家人ですから、本流の皆様も、神想観 実修後に発言されてると思いますけれどね。

公人や外国人関係に対することと、個人関係に対することと、対処方法は、同じではないと思います。
現総裁のことは、毎日、真剣に祝福の祈りをし、その上で、発言しているのです。

中国人が、暴動を起こしていますよね。
さくらさんは、あの群衆の中で、日本人だと わかられながら、中国人の実相を拝し、瞑目合掌して、たたずんでいられますか?

教えの表現にも、人時処が、あるのでは、ないでしょうか。

1012さくら:2012/09/18(火) 06:42:35 ID:e8ieIrPA
>>1101
志恩さま

練成のあと、お父様に感謝された体験、すばらしいですね。
自分が体験で感じたこととは、自分の核になるものですから、そのような経験は、本当に宝ですね。
わたしも練成の後、帰って父と母に感謝の言葉をいったら、「口だけでいうな!」と一度、突き放されました、笑。
その後、自分が救われた思いをもって淡々と実践していたある時、父母に心から許し受け入れてもらったとき、はじめて安堵できたのを覚えています。

父母のせいとか、人のせいばかりしていた自分にも気がつきました。

ちなみに、わたしは父母に感謝できてはじめて、天皇のありがたさとか、日本の国に生まれてよかったとか、そういうことも分かりました。


正直、和解の状態とはどうなればよいのか、ということは、自分の中では具体的な状態として分からないところは確かです。
どのような状態であれば、いいのだろうと、考えてますが。
ですから、自分の思いの中で和解ということにもこだわっている、というわけではないかもしれません。

でも、神意が現れれば、調和が自ずからそなわると生長の家で教えていただいていたのを、
さいきん、改めて思い出しまして・・笑、まずは、自分の信仰を振り返ろうと思ったんです。

神様が現れたくてもあらわれない状態にしているのは、自分の心だったと思い出しました。

雅宣先生に忠告される(悪いことは悪いという)ことが悪い、といっているのではないです。

改善の余地があるなら、組織の中にいる幹部など信頼できる方がきちんと信徒の思いや組織の現状を伝えるべきだとおもいます。
ですから、幹部の方にも信徒が安心して信仰できる状態でない現状に気がついてほしいです。

ですから、トキさまが掲示板において、組織としても改善してほしい点を具体的に述べられている意見には、賛同することが多いです。

その上で、個人的に望むのは、
組織間の事情に振り回されない信徒が安心して信仰の深化を求められる環境をまもること、
組織の体質の改善、
組織活動(普及の仕方や現代の社会に役立つ活動のあり方を見直す)の方向性などを、
考えてほしいと思ってます。

中国とのことですが・・、個人的には、決してあちらの波長にあわせて、感情的になってはいけないのではないかとおもっています。
感情的になれば、重要な時期にちょっとしたタイミングのずれを起こしたり、間違えることになるし争いの危険性に火を注ぐことになりますし。
絶対にいいことにはならないです。

もちろんなにより防衛意識をしっかり持つことととか、淡々と事実の正当性を国際社会に訴えていくことなどが大切だとおもいます。
危機管理は十分備えるべきことですね。

歴史の深いところは勉強不足なのですが、いろんな歴史の局面で、日本を救ってきたのは、
結局は、日本人のもっている高い精神性であったのではないかな・・と感じることがあります。
ですから、あちらは派手にわめいても、日本人として屈辱を感じることがあったり、
それを黙っていればうちに籠もるように見えても、
虎視眈々と、日本人としての強さを蓄えること、耐える、備える・・そういう時期も大切ではないかとかんじます。

生長の家のいまの状況も同じように、建設的な改善の提案をしながら、
信徒が、強い信仰の力を蓄え備えていく・・そういう大切な時期であることも考えさせられています。



1013「訊け」管理人:2012/09/18(火) 07:23:03 ID:???


>さくらマネ


 素晴らしい文ですね(清超先生ご文章)。ここでこのA君ですが、父親に反撃していたらば、どうなっていたのだろう・・・事態は泥沼化となっていたことでしょう。私も多々経験してますんで、よく解ります(^^)しかし清超先生のご文章も、素晴らしいねえ・・・・私はあまり、蔵書に同先生のものがないのです。(数冊程度です)

 さて、本日は、このやり取りに参入できるか不能です。ですんで、一言だけ発言させて頂きます。キーワードは「執(と)れた心」というものです。

 この「執れた心」とは、吉田國太郎先生がお使いになられる言葉です。もう、「ハッ!」とすること度々なのですが、まあ、この「執れた心」とは文字通り「執着した心」というものでしょう。そして云うまでもなく、生長の家に於る執着とはたとえば、「不足」だったり「不満」だったりを指すと思います。

 さてここで、教団問題指摘の件です。

 教団の問題を指摘するのは、構わないと考えます(そして貴女も同意されると思います)。そして散々既述した如く、それは、背教ではないと思います。でも、背教に当たる「問題指摘」というのは、あると思います。それは、この、「執(と)れた心」になろうかと思います。「執(と)れた心」からの対処療法、これはもう、個人では違和感を覚える次第なのです。國太郎先生風に申せば、「悪を『在り』とし、それを殺しにいく」心になりましょうか。警察と泥棒は、同じ方向へ走っていきます。でも双方ともその心、これはまったく違いますよね。「同じ方向へ同じ行動をしている」からと言って動機、これは違うという意味です。(※)

 教団問題指摘でも、同じことが言えます。まあ、警察と泥棒には喩えられぬとは申せ、「心のうち」は違っていると考えます。或る方は雅春先生のやり方で行っておられますし、また或る方は背教になっているという・・・・ですんで一概には、言えぬ

 ・・・・・まだ、話に追いつけていないので、変な文章になりました。また、書きます。


<註>

 ※ 「同じ方向へ同じ行動をしている」からと言って動機、これは違うという意味です。

 「具体的になにもしないのか」そんな指摘が多々あります。(特にトキさんに対し)だけど・・・じゃあ、具体的にはどんな風に、事態を改善させるというのだろう・・・・掲示板で問題の指摘、継続したらどうなるんだろう。(清超先生ご文章の)A君は、父親の問題を指摘することで解決を、みたと云うのだろうか。

 さて、「神想観を超える大行なし」、これ以上の具体案が果たして、存在するのだろうか。でもこれ、なにもしていない人と「同一区分」されますよね。これが残念です。あたかも泥棒と警察ですが、外見が似ている(同一方向へ同一動作している)と云う理由だけで、同じものに見られてしまうのだけど・・・・神想観以上の具体案、あるのだろうか。(なお「殺される寸前」ならば、話は別。礼拝よりは回避行動が正解です。でも・・・・あの種の極端な喩えってこれ、現在の問題を正確に、喩えているんだろうか・・・・極端に過ぎる例を持ち出されて、神想観等が否定されてしまってる気がするけど。「喩え話が正確ではない」点、これも議論錯綜の因かも)

1014志恩:2012/09/18(火) 07:47:03 ID:.QY5jUA6
さくら様

コメント、ありがとうございました。
今、朝の忙しい時間帯ですので、お礼の言葉だけで、すみません。

1015a hope:2012/09/18(火) 07:57:35 ID:r8H4x9xE
みなさま おはようございます!

さくらさま

今朝この掲示板を拝見する前に、神想観している時に、さくらさまへの感謝の気持ちが、[
ジワジワと湧いてきて、「先日お話あった内容(ごみを捨てた母親の体験談に関する)をもう一度読み直さなくては・・・」
と思っていました。
そして、こちらを拝見したら、さくらさまの素晴らしい体験談の書き込みがありました!

わたしは個人的には、今回のさくらさまが紹介して下さった体験談の拝見して、少しも危険だとは感じませんでした。
素晴らしい、「生長の家」の体験談だと心から感動しました。
ありがとうございます。

今日も、素晴らしい一日になりそうです。

感謝 合掌


ちなみに、わたしが、前回「危険」と言ったのは、「身の危険」という意味ではありません。
『「生長の家の教え」が間違って伝わる危険』(曲解されるという意味)で使わせていただきました。
(生意気なことを言って申し訳ありません。)

1016うのはな:2012/09/18(火) 10:57:58 ID:JsVayk8A
別版 うのはな島といわれるところで、うのはなさんは全然相手にされていないのに
すごいと、とんちんかんなことをいってる方がいましたが、あの島は、
誰かに相手してもらいたくてできたのではありません。
だから別にコメントしてくなくてもいいのだが、それはともかく、ここにも
背教だどうだと頭でっかちに考えている人が登場しました。

 本流掲示板で、運動の定義を決めませんかというほどずれてる人です。
 あらしは去れ!と一喝されてる人が、組織がどうだ、背教がどうだとしゃべっている、
 と、読者の方は頭に入れてお読みください。

1017「訊け」管理人:2012/09/18(火) 11:00:41 ID:???


 いろいろ思うところあり、記事をアップしました。出典は昔の神誌(「白鳩」昭和50年)からです。これ、「反戦運動」と「平和運動」の違いがよく、理解できるものと思います。非常に興味深い内容ですので、出来ましたらご高覧くださいませ。

 話は、原爆症のご婦人です。白鳩会の会員訪問を受けそして、症状が良化し映画の主人公にまでなった方です。(原爆病院を連日、交代で訪問されていた白鳩会会員が、おられたそうです。その話も感動ですが割愛)原爆を投下したアメリカ兵を怨んでいたが、生長の家のお陰で気づきを得、「ああ、間違っていた」となりケロイドまでも症状が、緩和したわけですね・・・とまあ、ここまではよくあるお話しでございましょう。

 この話には、つづきがあるのです。以下が実に興味深いのですがこの婦人、その後、「やはり原爆の悪を訴えねば!」という方向へ逆もどりされるのです。

 せっかく症状が緩和したのにご婦人、やはり原爆の悪を訴えようと決意されます。さて、映画の主人公になり取材が来ます。そして、その記者などから質問され、当時の悲惨な状況を思い出され「やはり原爆を憎まねば!」「声を大にして世間に訴えねば!」な方向へと、相なって仕舞うわけなのであります。さてここで、いったいこのご婦人ですが、その後どうなったでありましょうか・・・・教団の問題に照らせばやはり、「悪は悪として糾弾すべし」なのか否か・・・・・ぜひ皆様、ご高覧ください。

○「怨嗟」は解なりや
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65688898.html

1018志恩:2012/09/18(火) 12:00:47 ID:.QY5jUA6
訊け君の考え方ですと

『長いものには、巻かれておけ!』ですよね。

尖閣列島は、日本の領土ですが、中国が、自分のものだといい、今回のように、大騒ぎして奪おうとしていても、
なにも言わず、し〜んとして、中国を拝んで、やりたい放題にするのが、訊け君流の「平和運動」なのでしょうか。

つぎに中国が、狙うのは,日本の全土です。日本全土を、奪おうとしても、ただ「平和運動」。。。

原爆の話ですが、「原爆は、間違っている、自分は、このようなケロイドになるし、原爆病になるとは、このような生き地獄の病状にもなるのですよ」
         と、世間に向かって、原爆の恐ろしさを、訴える事が、「反戦運動」になるのですか。

         原爆に感謝したら、ケロイドがよくなってきたという体験談だそうですが。。だから、自分のケロイドを悪化させないためには、
         原爆にも感謝して、世間には、原爆については、もう、大きい声でいうな!ということですか。

オーム真理教によって、殺された家族のいる遺族に、オーム真理教の実相に感謝せよと、説教してるように、聞こえます。

生長の家も、雅宣総裁に、尖閣諸島を乗っ取られた如く、真逆の別物の思想にされて、乗っ取られて、お金と看板だけ、使われているのが現状です。

それで、本来の教えを学んで来た人達が、これは、人類のためにならないと、住吉の大神様に申し訳ないという気持ちから、
自分がどうのというのではなく、無私のこころで、ボランティアで、生長の家の原点回帰を訴え続けていることが、

訊け君にとっては、ただの「反戦運動」であり、呪いと恨みでやっているなどという低俗な受け取り方をしていると思いますと、

私は、訊け君に失望し、、ひどく、がっかりいたします。

1019「訊け」管理人:2012/09/18(火) 12:08:36 ID:???

>『長いものには、巻かれておけ!』ですよね。


 その通りです。ただし、その「巻かれる」べき「長い」ものですが、これを「谷口雅春先生に」
せよの意味です。




1020志恩:2012/09/18(火) 12:23:44 ID:.QY5jUA6
訊け君

訊け君のように、『長いものには、巻かれて置け!」の「長いもの」とは、雅春先生のことだと、
あなたのように、分ってる人は、いいのですが、、

情報が、届かない人は、「長いものは、今の教えだ」と、洗脳されることが、大いにあるのです。

ですから、信徒の発言として
「甘露の法雨」のような抹香臭いお経は、読むのを辞めます.今後は、「大自然讃歌」経を読誦します」

と,宣言する人も出て来ているわけです。

教化部長も、今,知っただけでも、千葉、宮城、福岡では、
教化部長が、新経読誦のほうを、絶賛して、読誦を推進しているという
ことですよね。つまり、本来の原典が、巧妙な手法により、この世から消されて行く現状というものが、
あるのです。

ネットで、正しい情報を伝えなくて、どこで伝えるのですか?

1021「訊け」管理人:2012/09/18(火) 12:24:08 ID:???
<補足>

 中共の内部抗争を「領土侵犯問題」と誤認せぬこと、そんな叡智も得られます。習近平(ウォール街代理人)がマズイので、外形「対日問題」でデモを煽ってますが、内実は反対派への牽制です。・・・(中略)・・・とまあ、ああ、こういう話は後日にでも致しましょう。私は尖閣問題、まったく楽観してます。習近平は就任時にも尖閣で、救われました。(反対派である親日政権をつぶせました。詳細説明は割愛)

 なお、いいたいことはこういう事です――「執れた心」では、問題の本質は見えてこないという意味です。

 ところでよく、その種の喩え話が出て参りますけども、それ、正しい喩え話になっていますでしょうか。私は疑問です。無論、日本本土にまで敵軍が来れば、大半の日本人は戦います。(私も含め)
 だけども・・・・現在の問題って、そんな喩えで語られるものなのでありましょうか。いやー「呑気だ」と云われて仕舞うでしょうが、私から見ると異常です。「それ、喩え話が間違ってませんか」とは、偽らざる本音です。一例を出せば「大自然讃歌」ですが、「読まなきゃいいじゃん」が正解だと思えます。そして「『甘露の法雨』を読みましょうよ」が正解です。なにも「本土決戦だ!!」てなムード、駆り立てる必要があるでしょうか。その意味でも貴女さまの喩え話は、いつも、的を射ていないと考えるのであります。

1022「訊け」管理人:2012/09/18(火) 12:33:14 ID:???

>>1020

 これを読んでの再レスです。

 

>情報が、届かない人は、「長いものは、今の教えだ」と、洗脳されることが、
>大いにあるのです。


 じゃあ、キチンと伝えるべきですよね。でも、皆さんの行動を見ているとその(伝達すべき)教団派を排除、なさるではないですか。その辺の行動に私から見ていると、「怨嗟」に見えますよ。

 「情報を伝えているんです!」けど、「アナタは教団擁護派です(書き込み禁止です)」では矛盾、してはおりませんか?

 時間がないため、縷々語れませんが。



1023超初心者:2012/09/18(火) 14:11:10 ID:bSrEmH5E
>>1010
清超先生のこのご文章では全然危険な場面は感じられませんでした。

隣の家の庭にゴミを捨てろと息子さんに言われてゴミを捨てたお母さんのお話の方はとても危険だと思いました。
いくら息子さんの実相を拝むと言えども、他人に迷惑をかけるという常識から外れるのはいけないと思うのです。いけない事はいけないと教えるのが親の務めだと思います。
その前に引きこもりの原因が何かを突き止めるのが大切だと思いました。意外とお母さん自身に問題があるのかもしれません。

1024goro:2012/09/18(火) 16:08:55 ID:Cc8Z7oOY

>>「大自然讃歌」ですが、「読まなきゃいいじゃん」が正解だと思えます。
そして「『甘露の法雨』を読みましょうよ」が正解です。
なにも「本土決戦だ!!」てなムード、駆り立てる必要があるでしょうか。<<


間違いは間違い、ダメなものはダメと言うことが二元論であると言い張る人達が
理解できないのは、どう表現するかの方法論であり、信仰の問題ではないのです。
彼らはどこまでも形に囚われています。

怨嗟の心、憎む心に気付いて反省し、対象を許した時和解できたといえるでしょうが
志恩さま始め言うべき事はハッキリ言いますと言う人達は、怨嗟の心や憎む心で言っているのではありません。

”読まなきゃいいじゃん”とは対象を悪と認めているから言えることなのです。


当に”似て非なる”世界に居るからいつまでも不毛の論議を続けておられるのです。

■ 信仰の純粋さ、信仰の深度、真理の理解度が違えば「同じテキスト・同じ言葉」を
  使っても、真逆の世界に居ることになってしまうのです。

■ 「神想観を超える大行なし」については反論の余地はありません。『甘露の法雨』読誦も同じです。
  形の上で”同一方向へ同一動作している”と見えても、心で、魂で、何を観ているかで
  悪想観になる場合があります。(泥棒と警察は素晴らしい例えです)

■ 純粋理論的に言えば「平和運動」も「反戦運動」も反対出来る余地はありません。
  為にする運動であればどんな運動であれ胡散臭さを感じ賛成できないのです。
  どっちがいいかの問題ではありません。魂の、心の中身の問題です。

■ 谷口雅春先生に帰ると言っても形から抜け出せない人は所詮お釈迦様の膝の上の
  猫にすぎないのです。門前の小僧のほうがまだマシです。

■ 領土問題について、>>「本土決戦だ!!」てなムード、駆り立てる必要があるでしょうか。<<
  駆り立てる必要は毫もありません。ただし、一歩譲れば百歩譲ることになり、百歩譲れば
  万歩譲らされることになります。「蟻の一穴」でダムは崩壊するのです。
 
 「執れた心」から「解かれた心」になりませんか?
  私たちはどこまでも善悪を観ない世界にいます。
  あなた方の実相を心静かに祈り、御心の平安を祈ります。

1025さくら:2012/09/18(火) 17:03:05 ID:qZAyo/PQ

>その前に引きこもりの原因が何かを突き止めるのが大切だと思いました。
意外とお母さん自身に問題があるのかもしれません。

この論点については、すでに上記で、再三、言及しておりますが。

また新しい体験談の掲載を新しいものに置き換え、注意書きを書かせていただきました。

危険性の配慮がないのは、その論点を意図している文脈ではなかって点を、ことわりをいれさせていただきました。
ここに論点をうつされたかったら、教育論、常識論…多面的方面で、そのような配慮ができるお話で学ばれることをおすすめいたします。

超初心者様は、わたしより先輩の方かもしれませんが、
初心者であられましたら、私の出典あきらかじゃない体験談の危険性に目をつけるより、聖典を読まれることを、おすすめしたいと思います。

しかし、生長の家には、病気の体験談もあり、世間様に迷惑のかける不良児や犯罪者の体験談、浮気暴力男の体験談もあるかもしれませんが、
超初心者様は、その度に、そもそも、病気になるのは、不摂生が悪いのではないか、不良児は親に原因はないか、浮気は妻がちゃんとしてないからじゃないか、と道徳的善悪に目がいかれるかもおもいます。
ご自分の良識で、その都度、学ばれますことを、祈らせていただきます。

ここに論点や意図はないと再三書きましても、またこの論点に戻るかもしれませんし、
論点はここにないと、公平な立場でジャッジする制度もこの掲示板にはなく、自由です。
部外者がまたに論点整理にでてきてくれるくらいです。

結局、生長の家の危険性を流布する体験談をさくらは意図して書いたのだと、結論づけられることになるかもしれませんが、
わたしは、ここで、否定させていただき、今後、この論点移動には、加わることはございませんのでこれで失礼いたします。

ありがとうございます。

1026初心者:2012/09/18(火) 18:23:01 ID:qBrfhCPc
>間違いは間違い、ダメなものはダメと言うことが二元論であると言い張る人達が
理解できないのは、どう表現するかの方法論であり、信仰の問題ではないのです。
彼らはどこまでも形に囚われています。

「言い張る」とはどういうことでしょう。かつてわたしにたいしても「勝ち誇って
お帰りください」といわれましたっけ。

お得意の悪意に満ちた表現?おそらくそうではなく、これもまた「どう表現するか
の方法論」の問題であり、「形にとらわれるな」と、きっとこのようにおっしゃりたい
のでありましょう。

それが信仰の問題ではなく、どう表現するかの方法論の問題であれば、発言の
許容範囲は大幅に拡大される。つまりはこういうことですね。わたしとしても、
ふたたびこちらで書かせていただく口実ができたというものです。

>信仰の純粋さ、信仰の深度、真理の理解度が違えば「同じテキスト・同じ言葉」を
  使っても、真逆の世界に居ることになってしまうのです。

「真理の理解度」とはえらく自信たっぷりな物言いでありますね。「感性の深さ」と
もども、「理解度の高さ」も、これよりとくと拝見させていただくことにいたしましょう。

>魂の、心の中身の問題です。

これは、魂と心の中身をこちらで開陳していただければすむ問題でありましょう。
具体的になにをいわんとしておられるのか、開陳していただいたあとで評価すれ
ばよい問題でしょう。いくらなんでも、開陳できないのをいいことに、「魂と心の
中身の問題」と声高に主張しておられるわけではありませんでしょうから。

それにしても、「どこまでも善悪を見ない世界」におられるとは、うかつにも存じて
おりませんでした。そうですか、善悪を見ない世界におられるのですか。で、あとは
どう表現するかの方法論の問題ということになるわけですね。

いうまでもありませんが、わたしへの返信の必要はありません。「真理の理解度」が
期待はずれの浅さであれば、「返信無用の軽い言葉」でご批判させていただく
までであります。

みなさまへ

こちらにもどるつもりはありませんでしたが、どう表現するかの方法論の問題で
あれば発言の許容範囲は大幅に拡大されるとのことですので、これを、恥も外聞も
なくもどるにあたっての口実ということにさせていただきましょう。

1027トキ:2012/09/18(火) 18:55:30 ID:U9jscdCo
>>1026

 お帰りを心から歓迎いたします。気にしないで、投稿して下さい。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

1028初心者:2012/09/18(火) 18:57:23 ID:qBrfhCPc
トキ様

いつもながらのお心づかい、感謝いたします。

1029初心者:2012/09/18(火) 18:58:15 ID:qBrfhCPc
それにいたしましても、理論や知識にもとづいて発言しようとする姿勢もまた
「どう表現するかの方法論の問題」でありますのに、形にとらわれて批判して
おられるのは、いったいどこのどなたでありましょうか。

「彼らはどこまでも形に囚われています」と批判なさるのであれば、形にとらわれ
ないとはどういうことか、まずは御身がその範をこちらで示すべきでありましょう。

どのような範をお示しいただけるのでしょうか。「あなた方の実相を心静かに祈り、
御心の平安を祈ります」。これがその範ということでしょうか。ならばそのように
なさってください。たとえどのような方法論を用いられようとも、この見事な範を
ゆるがせになどなさりませんように。くれぐれも「心静かに」をお忘れなきように。

1030志恩:2012/09/18(火) 19:50:17 ID:.QY5jUA6
こんばんわ。

私は、今日は、地区の雑用がありまして、忙しくしておりまして、只今、やっとPCの前に,座りました。
開いてみて、びっくり。
なんと、百獣の王 ライオンキング様が、世界1周の旅から、お帰りになっておられるでは、ありませんか。

さくらちゃんが、初心者様より一足先に帰られてたから、もう、そろそろ、初心者様が、お帰りになるかな、と
思っておりました。

goro様、1024を、今、読ませて頂きました。私を、フォローして下さったコメントを書いて下さってたのですね。
嬉しく存じました。ありがとうございます。

それで、初心者様に,言われないでいい事迄、言われてるみたいで、私のせいで、すみません。

初心者様は、特に、さくらちゃんに、だれかが反論するようなことがありますと、鬼のように
怒るところが、ございます。

今回も、
初心者様の「さくらちゃん」「さくらちゃん」「さくらちゃん」連呼が、9 ・10 ・1くらいに、はじまると
存じますので、くれぐれも、皆様、耳栓をおわすれなく。


初心者様、お帰りなさいませ。
どうぞ、また、貴方の愛しのさくらちゃんと、しっぽり お語りくださいませ。

1031志恩:2012/09/18(火) 19:58:08 ID:.QY5jUA6
このたび、
初心者様に敬意を表しまして
巨像の王様から、百獣の王様に、昇格させていただきました。

よって、
メス・ライオンの座は、謹んで、さくらちゃんに,お譲りさせて頂きます。

私は、(とっても ついてる) ヒポポタマスの座にくだりますので。礼拝

1032goro:2012/09/18(火) 20:33:41 ID:Cc8Z7oOY

 志恩さまが雅宣総裁であると断定されている初心者様から、

内容はともかく直々に御言葉を賜るなんて光栄であります。


ビックリ箱から飛び出すみたいにイキナリ
出て来られて
以下の様な仮定から断定へとお得意の論法面白いです。

>>それが信仰の問題ではなく、どう表現するかの方法論の問題であれば、発言の
許容範囲は大幅に拡大される。つまりはこういうことですね。わたしとしても、
ふたたびこちらで書かせていただく口実ができたというものです。<<

>>>許容範囲は大幅に拡大される。つまりはこういうことですね。<<<


>>こちらにもどるつもりはありませんでしたが、どう表現するかの方法論の問題で
あれば発言の許容範囲は大幅に拡大されるとのことですので、これを、恥も外聞も
なくもどるにあたっての口実ということにさせていただきましょう。<<

>>>発言の許容範囲は大幅に拡大されるとのことですので<<<


  お得意の話法がほんとに面白いです。それだけです。

1033goro:2012/09/18(火) 20:40:36 ID:Cc8Z7oOY
 
 志恩さま

ヒポポタマスって「影の番長」という意味もありますから言い得て妙です。
普通には優しいのんびりカバさんですが、ある意味アフリカゾウより怖い存在だそうです。

ホントに志恩さまらしくて素敵です^^v

1034初心者:2012/09/18(火) 20:58:43 ID:qBrfhCPc
>間違いは間違い、ダメなものはダメと言うことが二元論であると言い張る人達が
理解できないのは、どう表現するかの方法論であり、信仰の問題ではないのです。

要約すれば、「二元論と言い張る人たちが理解できないのは方法論であり、信仰の
問題ではない」となります。「文章の意味が理解できるか」と知人にたずねてみた
ところ、「理解できない」との返事をいただきました。

「得意の論法」で、とりあえず理解できる形に仕上げてみました。

1035さくら:2012/09/18(火) 20:58:57 ID:qZAyo/PQ
…こちらは、あの、初心者様ですか?
超初心者様と、初心者様が出てこられて、ややこしいですね、笑。

それにしても、いつも真の生長の家の管理人様はじめ、先輩方々から相変わらず、大歓迎されてよいですね、笑。
さくらは真の生長の家の人から疎まれてますから、笑。

初心者さまに、ちょうど、お聞きしたかったのですが、
二元論についてなんですが、さくらは二元論がなんなのか、まだ曖昧なのです。

総裁についてはおかしいことは、おかしい、間違いは間違いだと指摘することは、方法論の違いだけで二元論ではない。

しかし、環境問題に取り組むために現代の人間がしていることはおかしいことはおかしいと指摘することは、神の子人間を否定する、二元論である。

そういうなのでしょうか。

二元論とは、どの状態をさすのでしょうか。

1036さくら:2012/09/18(火) 20:59:48 ID:qZAyo/PQ
>間違いは間違い、ダメなものはダメと言うことが二元論であると言い張る人達が理解できないのは、どう表現するかの方法論であり、信仰の問題ではないのです。
彼らはどこまでも形に囚われています。

goro様がおっしゃること、わかります。
同じことを、わたしの側からはこう言いたいことです。

「この体験談は、世間に迷惑かけてるから危険だ、道徳的に危険だ、生長の家が世間に誤解されるから危険だ、と言い張る人達が理解できないのは、
どう表現するかの方法論であり、信仰の問題ではないのです。
彼らはどこまでも形に囚われています。」


どちらにも言えることなのに、
人は、どちらの味方(見方)に立つかによって、どちらかにだけ、当てはめようとしてします。
わたしもでしたね、その点を反省し、体験談を書き直しました。

訊け管理人様が、平和運動と、反対運動について、「方法論」は大切だということを、
「怨嗟」は解なりや、
の例をあげてお話くださいましたが、
わたしはそれを読んで、方法論を選ぶことも、大切だとかんじました。

だから、自分が書いた体験談を危険な「方法論」だと指摘されたので、改めまして、訂正させていただきました。


つまり、方法論は、大切なのでしょうか、
大切ではないのでしょうか。

それは、どちらの立場でそう言えるのでしょうか。

1037志恩:2012/09/18(火) 21:08:48 ID:.QY5jUA6
goro様

初心者様は、いつもさくらちゃんに関する事で、他の人が、さくらちゃんを いじめてると
誤解しますと、

クオバディスの騎士のように、おのれ〜〜とか言って立ち上り、
剣のさやに手をかけられまして、

「それでは、切るか、切られるか、戦いますか!
 どちらかが、死ぬまで、剣と剣で、戦いましょうぞ!!」

このように、恥も外聞も捨てて、
ガオ〜、ガオ〜と、世にも恐ろしげに 飛び出しそうな目をされて、
われわれに向かって, 襲撃の雄叫びを上げられるのです。

ですから、私は、もう、掲示板上で、殺されかかるのは、馴れておりますの。

1038志恩:2012/09/18(火) 21:12:55 ID:.QY5jUA6
そして、いつものことながら

初心者様が、おいでになると、さくらちゃんは、われわれに対して、ものすご〜く、強気の発言になるのです。

うんざりですが、

これにも、毎度の事などで、馴れております。

1039ユタカ(神の子人間を生きよう:2012/09/18(火) 21:15:55 ID:gn5QzOTA
甘露の法雨負け裁判につき急遽総裁の思いつき経が発売されて

今現在、大騒ぎしていますが・・・ それでは、なぜ、実際に本流の人だけでも

反対の署名を集めたり、本部に反対表明を出さないで、悪口ばかり書いているのでしょうか?? だったら、自分たちのなんらかの意思表示をしたらいいと思います。

裁判の当事者は出来ないでしょうが・・・ 以前の本流でもFAX署名を集めていましたが、結果3枚しか集まらないと言う・・・事態ということでしたが、、、

ここにいる人は本気で甘露の法雨と聖経甘露の法雨パクリバージョン大自然経の事を考えているのか、ただ、言っているだけなのかがわかりません。。。。

1040志恩:2012/09/18(火) 21:21:36 ID:.QY5jUA6
二元論者の初心者様に二元論を問うても、二元論のややこしい回答しか、
いただけないと存じますけれど、

初心者様、さくらちゃんと、どうぞ!

初心者様は、思想は、変えないのですか?
やはり、二元論なんですか。
やはり、ひも理論でしょうか。。

1041神の子さん:2012/09/18(火) 21:22:01 ID:4eGgENEY
志恩さんはさくらさんに嫉妬してるんですか?

1042志恩:2012/09/18(火) 21:29:05 ID:.QY5jUA6
あははははっ
神の子さん様、おもしろい発想ですね。思ってもみませんでした。
そういえば、年下の男の子って,歌、ありましたものね。(笑)

前にも別板でお願いしましたけれど、神の子様がたくさんおられるので、
イルカ、でも、クジラでも名前を付けて 入ってくださると、わかりやすのですが。

1043初心者:2012/09/18(火) 21:37:19 ID:qBrfhCPc
さくらちゃんへ

論旨は似たようなものであっても、本流の発言は方法論であり二元論ではない、
総裁の発言は方法論ではなく二元論であると、こういうことなのでしょうか。

短文でありながらわかりにくい文章、あるいはどうとでもとれる文章を解析しなく
てはならないようです(解析の仕方に物言いがつけられましたが)。

それが方法論であるのか、それとも本質論であるのか、どうやって区別するので
しょうか。本流の発言の多くは方法論であり、総裁の発言の多くは本質論であると
あらかじめ決めつけておくということなのでしょうか。

さくらちゃんもいっておられるように、すべてが方法論であるとの認識に立てば、
発言の許容範囲は大幅に拡大されますね。「これは本質論ではなく方法論だ」と
ことわりさえすれば、二元論を一元論といいくるめることも容易にできてしまう
でありましょう。

さくらちゃんが試みておられますように、「間違いは間違い、ダメなものはダメと
言うことが二元論であると言い張る人達」の部分をほかの言葉に置き換えても、
文法的には疑問が残る表現であっても、いちおう意味のとおる文章ができて
しまいます。なんとでもいいくるめることはできる、ということなのでありましょうね。

以上のことをもって「発言の許容範囲が拡大される」と表現いたしましたが、こう
した表現がなぜか「面白い」と感じられるようですね。これのどこがどう面白いの
でしょうね。この面白さこそが「深い感性」のなさしむるわざ、ということなので
しょうね、きっと。

1044志恩:2012/09/18(火) 21:40:12 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

FAX の効果はない、とトキ様が、以前、その話が持ち上がった時におっしゃってました。

FAXや、署名が、たくさんきても、受け取った職員が、総裁に見せずに、纏めてすてたら、おわり。

そして、それによって、気持ちが、かわるような教団上層部でないということでしたし、
FAXをだすとき、自分の電話番号とか実名でやらないかぎり、信憑性がない、そうしますと、
身バレすることになりますよね。

身バレすると、本人にどんないやがらせがあるか、保証のかぎりではないし、身バレするようなことは、
一切避けなければいけないと、トキ様は、教団のお方ですから、事情がおわかりなのか、そうおっしゃってました。
私も、それは、わかる気がしました。

掲示板で言うだけかといわれますが、ネットをされてる多くの信徒のお方は、掲示板をご覧になると思いますので、
ネットで、正しい情報を流して、

あとは、それぞれのご判断にお任せするという方針をとっています。

1045ユタカ(神の子人間を生きよう:2012/09/18(火) 22:04:48 ID:gn5QzOTA
じゃぁ、

本流の人が団体を作ってが○○都道府県に集合して、講習会に参加して、

総裁が入場の際に、直接「総裁のパクリ経反対!! ヤメロ〜〜〜!!」等何でもいいから少し考えて

実際行動を!! と言って私は実際行動を煽るつもりはありませんので、これでこの話は終わります。

志恩さま、お話の途中にお邪魔しました。。。

1046初心者:2012/09/18(火) 22:36:50 ID:qBrfhCPc
さくらちゃんへ

一元論と二元論の問題は、現代の思想界においては、「動機の問題」として決着
がついていますね。持論を展開するにあたってどちらの考え方が自分にとって
好都合であるかで、一元論か二元論かが決まるといってよいのではないでしょう
か(はじめに一元論ありき、ではなく、持論を正当化するために、結果的に一元論が
もちいられるということです。ものごころついたその瞬間に一元論を主張したとい
うのであれば、話はべつですが)。

人間がどんなにシャカリキになっても、この問題に決定的な答えをだすこと
はできないでしょう。世の中に徹頭徹尾、一元論だけでものを考える人がいま
すか?あるいは、徹底的に二元論だけで考えられる人がいますか?そのとき
どきの都合で一元論らしきものを持ち出しもすれば二元論らしきものを持ち出しも
する。これが人間というものでしょう。

ようするに、一元論、二元論といったところで、形式的な操作をおこなっている
だけなのですね。形式的操作ではなく、物事の起源や根本原理にまでさかのぼっ
て、一元論、二元論の問題を可塑的に操作できる人がはたしてどれほどいるでしょう。

神想観ははたして、こうした問題にたいして可塑的な操作をおこなっているといえ
るのでしょうか。神想観による直観知性の実現が語られてはいても、可塑的な操作
にかんしては、原理的にも論理的にも納得できる説明はいっさいなされていませんね。

一例をあげれば、世界がユニバースであるのか、それともマルチバースであるのか
の問いかけに、生長の家はおそらくなにも答えてはいないでありましょう。可塑的
な操作が実現されていれば、理論的にも論理的にも納得できる形で答えられる
はずでありますね。

結論からいえば、一元論、二元論にさしたる意味はないということです。意味の
決定を不問に付すという「差延」がここでも実現されていますね。

1047志恩:2012/09/18(火) 23:20:06 ID:.QY5jUA6
横スレ すみませんが、
ユタカ様、

今日日(きょうび)の生長の家のご講習会の実体を、ご存知ないのでしょうか。

聞くところによりますと、

総裁先生の周囲には、屈強なボディガードが、何人も

取り囲んでいて、信徒が、総裁にむかって、余計なことを いわないように、

神経をぴりぴりさせながら、総裁先生をお守りしているそうですよ。

1048志恩:2012/09/18(火) 23:22:51 ID:.QY5jUA6
そういうわけで、身バレしないようにペンネームを使って
このような掲示板で、情報を、発言するしか、ないのです。

1049志恩:2012/09/18(火) 23:31:13 ID:.QY5jUA6
神の子さん様

先ほど、神の子様というお名でなく、イルカでもクジラでもつけて、入って下さると、
分かりやすいのですが、とお願いしましたが、

すでに、売り切れているペンネームが、ございますので、お知らせ させて頂きます。

売れ切れのペンネーム


 ワニ、マントヒヒ、蘇我のイルカ、ダチョウ、ヒポポタマス(カバ)、鹿、 メス・ライオン、

 
以上が、売れ切れでございますので、
その他のお名で、よろしくおねがいします。

1050ユタカ(神の子人間を生きよう:2012/09/19(水) 00:03:29 ID:gn5QzOTA
しかしね〜〜〜〜。。。

身バレがなぜマズイのかなぁ〜〜!!?? 本流の人はみんな普通のおじいちゃんでしょうに・・・・

不思議だなぁ。。。。  まぁ、いいや・・・・  

レスはいりません。 おやすみ ・・・

1051解説者:2012/09/19(水) 00:59:37 ID:???
志恩様

>>1002
>ひとりの人間として 善か悪か、物事を判断することが、なぜ、教えに反することになるのでしょう?

もう一度、おたずねします。
本部前で街宣車から主張を訴えていた右翼団体と何の違いがあるのでしょうか?
右翼団体が相応しくなければ官邸前の反原発デモに置き換えても結構です。
彼らもひとりの人間として、善か悪かを判断しての行動だと思います。
おそらく、彼らと本流派の人たちの違いは志恩様がおっしゃっているように、

>>1011
>生長の家人ですから、本流の皆様も、神想観 実修後に発言されてると思いますけれどね。

純粋な信仰心に基づいての行動であるということなんですよね?
私は神想観をすればするほど、「すべての責任は自分にある」と思いますけどね。
極端な例えになりますが、イスラム教のジハードやオウム真理教のポアに通じる、
それこそ、危険な考えではありませんか。

志恩様もgoro様も訊けさんや私に「批判されている」と、捉えているようですが、
私は批判しているつもりはありません。
若輩者ゆえに信仰生活における素朴な疑問を教えの先達である志恩様にご指導を受けたいのです。

最後にgoro様、訊けさんは
>「大自然讃歌」ですが、「読まなきゃいいじゃん」が正解だと思えます。
と、たしかにおっしゃっています。
「大自然讃歌」を新聖経とすることにも疑問を投げかけています。
しかし、「大自然讃歌」の内容そのものは悪いとはおっしゃっていません。
「読まなきゃいいじゃん」というのは、読むことを強制(?)された人に向けての言葉でしょう。
だから正確には「(そんなに嫌なら)読まなきゃいいじゃん」ということになります。
それは私も同感です。

本流派も教団もその目的は「人類光明化」ではないでしょうか?
私には双方とも本来の目的を忘れているように見えます。
それこそ、不毛な争いではないでしょうか?
私はいずれにも属しない「和解派」ですが、たとえ教団がなくなろうが、
自分のおかれた立場で「人類光明化」運動をしていきます。
それが谷口雅春先生の願いであると思います。

1052元本部職員s:2012/09/19(水) 02:01:03 ID:4XyYSDw.

合掌

初めて書き込みさせて頂きます。

>たとえ教団がなくなろうが、
自分のおかれた立場で「人類光明化」運動をしていきます。
それが谷口雅春先生の願いであると思います。

解説者様に同感です !

本部奉職していた頃、白鳩の間で雅春先生が
「生長の家が事業化されたら汚くなる
そうなったら生長の家は無くなってもいい」と語られておられました。

神と一体化されている雅春先生は其の当時から既に今日の生長の家を
お見通しだったのではと思われます。

ですから、私も今の教団は無くなってもいいと思っています。
そして自分の今置かれた場で一生懸命「真理」を宣布し
周りを光明化することに専念することが神の子を生きることだと思います。

再拝合掌

1053さくら:2012/09/19(水) 08:02:01 ID:qZAyo/PQ
初心者さま

丁寧な返信、いつもありがとうございます。

一元論、二元論の問題は、おもうより複雑なものがあり、
その時の主張によって、一元論のようだったり、二元論になったりするということですね。
納得しました。


雅宣総裁の大自然賛歌が、二元論を認めているということや、
そのために災害が起こっている、大犯罪者だとの意見がありますが、
雅宣総裁が、本質的にいつも二元論を唱えている、というなら、話は別ですが、よく検討すれば、二元論は、主張の手段にすぎないのではないかという側面が思うのですが…
まあ、影響を受けるかたや嫌なかたは、災害が起こるなどと恐怖心を煽るくらいなら、本当に読まなければよいだけだと思います。

その方便的な二元論よりも、それを言葉の表面だけを捉えることのほうが、危険のような気がしました。

1054さくら:2012/09/19(水) 08:03:08 ID:qZAyo/PQ
>本部奉職していた頃、白鳩の間で雅春先生が
「生長の家が事業化されたら汚くなる
そうなったら生長の家は無くなってもいい」と語られておられました。

横レスで、すみませんが、

雅春先生が、そのようなことを言われたのですか…
ご紹介感謝いたします。

わたしも、宗教が、組織のための組織になり、欺瞞や形式ばかりになって、本来の純粋信仰を失うなら、たとえなくなってしまっても仕方ないのではないか…と思ったことがあり、
ここでそのような内容を書いて、生長の家の先輩からカルトスパイでサタンの発想であると言われたことがありましたが、

雅春先生のご心境とは、程遠いとはいえ、
このことばのお気持ちが伝わってまいりました。

わたしの書き方が変なのでそう受け止められたのでしょうが、
やはり、これと同じ気持ちでした。

いまの教団や本流派を見ていて、本来の目的からはずれていってることが多いと感じましたので。

>たとえ教団がなくなろうが、
自分のおかれた立場で「人類光明化」運動をしていきます。
それが谷口雅春先生の願いであると思います。 

>ですから、私も今の教団は無くなってもいいと思っています。
そして自分の今置かれた場で一生懸命「真理」を宣布し
周りを光明化することに専念することが神の子を生きることだと思います。

このような気持ちになっても、生長の家を愛していない、カルトの発想ではないのですね。
安心いたしました。

わたしも、解説者様と元本部職員に賛同いたします。

1055「訊け」管理人:2012/09/19(水) 08:14:46 ID:???

>トキ理事長

 話しの流れを切ります。と、云っても完全に切れる話では、ありません。ですのでこちらに掲載します。

○光明掲示板 無免許運転氏のご投稿文
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=322

(内容一部引用)

「私たちの無限力を引きだしてくださってゐる総裁先生ありがたうございます。」といふ言葉が掲示板や本流メンバーの口から出るようにならなければ、谷口雅春先生の、「皆さんの一人一人の中に住吉大神の全身が宿ってゐるのである。皆さんが住吉大神である。」というご宣言が現成しないのではないでせうか。

この事を逆に言うならば、
掲示板や本流派メンバーの口から、「私たちの住吉大神を引きだしてくださってゐる総裁先生ありがたうございます。」という言葉が出るやうになったならば、17日に予定されてゐる桃の實会主催の見真会は波長が合って、必ず開催に好都合な天候になると思ふのであります。

本流派の皆様にご一考いただけたら幸甚です。ありがたうございます。

(引用終了)

 メールで同氏のご文章が、送信されて着ました。(私はアク禁のため、深切なかたがお知らせくださったわけです)そしてトキさん・・・これは、読んでびっくりの内容です。そして結論から申せば「チェスト!」でありましょうか。

 本流派にも「和解」の動き、出てきていると察します。「聖典」そのままを受け行動する限り、この、無免許運転氏の様にならざるを得ないと、私も思います。今回はこの、無免許運転氏を高評価した次第。トキさんはいかがお考えでございましょうか。

 でも、貴殿掲示板でのご尽力ですが、ようやく効を奏してきつつある様に思います。「和解以外に選択肢があるのか」ですが、聖典を拝読する限り答えは、「ない」になるわけです。今回は無免許運転氏が、このようなご発言をされました。アホだのなんだの云われながらも「和解」、言い続けてこられて良かったですね。私は嬉しいです(^^)



1056「訊け」管理人:2012/09/19(水) 08:30:57 ID:???


>解説者さま
>元本部職員sさま
>さくらさま

――――――――――――――――――――――――――――
>>1052(元本部職員sさまご投稿)
本部奉職していた頃、白鳩の間で雅春先生が
「生長の家が事業化されたら汚くなる
そうなったら生長の家は無くなってもいい」と語られておられました。
――――――――――――――――――――――――――――

 たぶん本当のことだと思います。いや、証拠すらないのですが以下はやや、このご発言の傍証になるのかもしれません。

 さて、ご紹介するのは『弟子像』です。同書にて榎本惠吾先生はこう、述べておられます。「以下は大切な視点だ」というトーンでの、それでいて読み落として仕舞いそうな一文なのですけども、個人的には「コロンブスの卵」の様な話でした。どんな話かと申せば、


 「谷口雅春先生は、組織のない状態から救われたのである」


 というものです。

 組織が無くなるのは、寂しいことです。とは申せ「聖典=神殿」であるとの視点は、外せないものではなかろうかと。運動するにせよ発言するにせよ、その「守るべきものは何か?」という視点が、抜けていきがちになってはいないかと(これが議論錯綜の原因ではないかと)

 以上余談でありました。


追伸

 だからと言って「組織改善は不要!」とか、そんな極論を申しているのではありません。
 その点は特に付記しておきます。無論組織が健全化され、御教えに沿ったかたちで練成会
などが運営されれば、これにすぐる幸せはないでありましょう。

1057元本部職員s:2012/09/19(水) 09:58:15 ID:4XyYSDw.
合掌

さくら様へ

スレありがとうございます。

>わたしも、宗教が、組織のための組織になり、欺瞞や形式ばかりになって、
本来の純粋信仰を失うなら、たとえなくなってしまっても仕方ないのではないか…と思ったことがあり、
ここでそのような内容を書いて、生長の家の先輩からカルトスパイでサタンの発想であると言われたことがありましたが、

さくら様も雅春先生と同じ思いを持たれていらしたのですね・・・
まさに、さくら様は純粋霊であるからこそ宗教が、組織のための組織になり、
欺瞞や形式ばかりになって本来の純粋信仰を失うなら、
たとえなくなってしまっても仕方ないのではないか…と思われたのだと思います。

純粋霊のさくら様を心からご尊敬申し上げます。

そして、その発想がカルトスパイでサタンであると言われたことには ! 驚きました〜 !
ずいぶん酷いことを言われさぞかし心痛められたのでは・・・

そのように思う生長の家の先輩の方が私に言わせればカルトスパイでサタンであると思いますが・・・

>このような気持ちになっても、生長の家を愛していない、カルトの発想ではないのですね。
安心いたしました。わたしも、解説者様と元本部職員に賛同いたします。

ご賛同心から嬉しく思います。
そして、さくら様の純粋さに感動し涙が出ました !

本当にあの当時は私も最初は雅春先生の突然(汚くなったら生長の家無くなってもいい)
とのお言葉に゛えっ !゛と一瞬耳を疑いましたが・・・

今になってやっと雅春先生がどうしてあのような発言をされたかの真意が解ってきたのであります。
゛神は全てを知り給う゛全てをお見通しの発言だったのだと・・・

そして(パテントは君達に譲った! 君達ひとりひとりが谷口雅春である)とのお言葉を心に受け、
生長の家は宇宙の家だから、原宿教団に会費を払っている者達だけが生長の家人では無いのでありますから、

又これも雅春先生のご発言で(この世に生長の家人で無い者はひとりもいない)と、

この広大なる宇宙に住んでいる者全てが(生長の家人である)と見て、

>たとえ教団がなくなろうが、
自分のおかれた立場で「人類光明化」運動をしていきます。
それが谷口雅春先生の願いであると思います。

との解説者様に
共鳴共感したのでございます。

本当に突然の進入者に対し
さくら様からのスレが頂けるとは思いも寄らなかっただけに
凄く嬉しく思います。

ご賛同本当にありがとうございました !

<感謝感激礼拝再合掌>

追伸:

訊け」管理人様へ

合掌ありがとうございます。

訊け」管理人様のブログは時々拝見させて頂き、
学ばせていただいております。

>たぶん本当のことだと思います。

との お言葉ありがとうございます !

たぶんではなく一番前の席にて゛はっきり゛お聞きしましたので、
今でもその時の雅春先生のお姿が鮮明に浮かんでまいります。

>「谷口雅春先生は、組織のない状態から救われたのである」

>だからと言って「組織改善は不要!」とか、そんな極論を申しているのではありません。
 その点は特に付記しておきます。無論組織が健全化され、御教えに沿ったかたちで練成会
などが運営されれば、これにすぐる幸せはないでありましょう。

には、同感いたします !

<感謝再合掌>

1058解説者:2012/09/19(水) 10:11:22 ID:???
元本部職員s様

レスをありがとうございました。
そして、貴重なお話をありがとうございます。

>たとえ教団がなくなろうが、
自分のおかれた立場で「人類光明化」運動をしていきます。
それが谷口雅春先生の願いであると思います。

本流派も教団も根底にはあると思っています。
双方のわだかまりを信仰によって乗り越えて、和解し、
互いに手を取り合って人類光明化運動に取り組むことができればと願ってやみません。

今後ともよろしくお願いいたします。

1059志恩:2012/09/19(水) 10:34:01 ID:.QY5jUA6
愛国掲示板と光明掲示板を,見ましたら

大型台風直撃という天気予報に反して
9月17日(月)に、福岡県中央区で,「桃の實の会」が開催した
「生命の實相一日見真会」は、穏やかな晴れだったという記事が載っていました。

ここの掲示板の投稿者でも、いらっしゃるマリーゴールド様(みすはなまる様)も、参加されたと、感想文を載せておられますね。

私は、この日の数日前から、ネットで福岡県の天気予報を、気にしてチェックしており、
私も、晴れ渡る青空の福岡県の映像を、ありありと神想観のときに祈っていました。

大型台風の雷鳴轟く、大嵐の中での集まりより、晴れていたほうが、気持ちがいいですものね。当日は、晴れたし、
見真会の内容も、大変素晴らしい内容だったとのこと、、、喜びの参加者の皆様の感想文も拝見できまして、
私も、嬉しくて、胸がいっぱいになりました。

奇しくも、この「桃の實会」を立ち上げられたという福岡県の吉田様(女性)の体験談が、10月号「谷口雅春先生を学ぶ」誌 p36~39に、載っておりますので、
極々簡略化して、ご紹介します。

この吉田様は、昨年の11月まで、生長の家 総連会長をされてて、組織の教区の上部で、活躍されていたお方だそうです。

それが、なぜ、新しい使命を生きようと決断されて「桃の實の会」を立ち上げることになられたかといいますと、
さかのぼりますが、
吉田様は、このみ教えを真剣に学び、平成8年に、地方講師を拝命されましたが、出講に出始めた頃には、教えがだんだん変わっていくのを目に当たりにみえてきた。

ある日、出講先で、絶版になった(雅春先生著)「神ひとに語り給う」を使ったり、今の教えが、おかしいという雰囲気が自然とでてしまい、出講が「ゼロ」になりました。

そのとき、「あなたには、絶対にやめて欲しくないから、もう一度、出講できるようにするために、雅宣先生の本をしっかり読み、

      踏み絵を踏んで貰わないと、出講させられない!!!』と、いわれました。

それにショックを受け、「踏み絵までふんで出講させて貰っても、私の魂は、本当には、決して喜ばない!!!」と思い、「今の教え」から足を洗う踏ん切りが、やっとつき、
それで「桃の實会」を立ち上げた。

教団を辞めて来る人の受け皿となるよう尽力したい、谷口雅春先生の本当の生長の家復活のために、今後の人生を捧げて参ります、、と書かれておられます。


http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E7%94%9F%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%AE%B6&amp;search.x=1&amp;fr=top_of3_sa&amp;tid=top_of3_sa&amp;ei=UTF-8&amp;aq=-1&amp;oq=%E7%94%9F%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%AE%B6


光明掲示板で、
「実相の雅宣総裁先生、ありがとうございます」を唱え、口にも出して言いましょうということですが、それは、すばらしいことですね。

ただ、生長の家は今は、信徒が、総裁の「実相」を拝まないといけないということで、生長の家は、不思議な教えに様変わりしたものだと、痛感しています。

1060志恩:2012/09/19(水) 10:41:10 ID:.QY5jUA6
貼られていないので、貼り直します。

愛国掲示板
「桃の實の会」主催「生命の實相一日見真会」
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=hikarinomi&amp;mode=res&amp;log=289

1061志恩:2012/09/19(水) 11:13:17 ID:.QY5jUA6
元本部職員s様

はじめまして、ご投稿、ありがとうございます。

>>本部奉職していた頃、白鳩の間で雅春先生が
 「生長の家が事業化されたら汚くなる 
  そうなったら、生長の家は無くなっていい」と語られておられた。<<

>>神と一体化されている雅春先生は、その当時から、既に今日の生長の家を
  お見通しだったのではと思われます。<<

と,お書きくださっていますね。

ということは、今の教えは、今の生長の家教団には、「神は いない」。
事業化して汚くなっているから、、、ということになりますね。ご教示ありがとうございました。

自分のおかれた場で、一生懸命真理を行じ、宣布し、周りを光明化することも、精進させて頂きます.

解説者様、訊け様、
神のいない、事業化された、このような汚れ切った教団と、どのような「和解」が成立するのでしょう。
両派、歩みよるとは?

具体的な案をお示しください。

1059:でご紹介しました吉田様は、地方講師になられて、ある日、出講先で雅春先生の著書について、語られたら、
出講停止になり、今後、出講したければ、雅宣先生の著書を勉強せよ、踏み絵を踏め!と、脅かされているのが、いまの
生長の家教団が、組織に指令をだしている現状なのです。

この現実を、どう、受け取られるのでしょう。

ただ「実相の雅宣先生を拝せ」,「雅宣総裁は、まちがったことをしていると連呼することは、オーム真理教の《ポア》と同じだから、
批判するな、」そうやって、あなた方は、批判しているのではないといいながら、本流や私を大批判して、真実の口を封印しようとしています。

批判していたら、良くなったのか?

良くなるのは、これからです。
「実相の雅宣先生に、ありがとうございます、」と,感謝して、間違っていると思った事は、議論し合う。これが、フェアプレー精神では、ありませんか。

もう、新経のことは、賛成派と批判派で、議論しあいましたから、少しは、この議論は、下火になったと思います。
しかし、聖使命新聞9月1日号を検索してみましたら、

生長の家は、全組織をあげて、この偽経の推進運動をしているのでした。

1062トキ:2012/09/19(水) 11:13:22 ID:in1Z8uVU
元本部職員s様

 すばらしいご投稿、ありがとうございました。

 実は、直弟子の先生方からは、ご存命中に「今の生長の家は、会社みたいな団体になってしまった」という嘆きを聞いていたので、
谷口雅春先生がそのような発言をされていたのを知り、感慨無量です。確かに、現在の生長の家という組織は変質して来たのは感じて
います。

 戦前、未婚の女性を対象に花嫁寮が本部に併設されて運営されていましたが、谷口雅春先生が晩年、体調を崩されたときいたかっての
花嫁寮の卒業生が相談し、代表がお見舞いに長崎の総裁公邸にまで行かれたのです。ところが、受付に来意を申し上げたところ、絶対に
面会は駄目だ、とけんもほろろの対応をされたと聞きます。それで、受付で押し問答をしていると、声を聞きつけた谷口輝子先生が顔を
出され、

 「この人達は私の娘みたいなものだから、通して下さい。」

と言われたので、面会がかなったそうです。しかし、その後、東京へ帰って来てから、「あの明るかった生長の家が、どうしてこんなに
人間味のない団体になったのかしら。」と花嫁寮の卒業生たちは嘆いていたと聞いています。

 私も、本部に奉職した後輩と話していて、あまりにも心ない発言をするので、ショックを受けた事がありました。最近の本部の態度は
ことに官僚化されています。重要な方針が、教化部長にも相談無しに決定され、それがメールだけで通知がくるという状態です。その
内容が、また、教区の人間の神経を逆なでする話ですから、バカらしくてやってられないです。

 細かい数字はあげられませんが、最近の退会者数の増加は信じられないペースです。ことに、「新経本」が発表されて以来の特徴は
幹部や講師の退会が目立つ点です。幹部が退会するという事は、幹部がお世話していた人達も同時に退会するケースが多いし、部内の
士気への影響も大きいです。

 本部は、相変わらず、聖使命会員や普及誌の数を増やせ、といってきます。しかし、教区にしたら、「こうなったのは、全部、本部の
せいだろう」という意識があるので、真面目に相手をするつもりがわいてきません。

 こうなると、本流復活派も教団も、一度、真剣に反省して、初心に戻す必要があると思います。

合掌 ありがとうございます

1063「訊け」管理人:2012/09/19(水) 11:43:55 ID:???

>>1061志恩さま


>解説者様、訊け様、
>神のいない、事業化された、このような汚れ切った教団と、どのような「和解」が成立するのでしょう。
>両派、歩みよるとは?


 「汚れきった教団」であれば和解、不能でしょう(やや方便的な言い回しになりますが)。そして具体案としては「神想観」、これになるのではないでしょうか。

 なお、>>1056もご高覧頂きたいのですが、(万が一)教団との和解が不能でも、御教えの継承は可能ではないでしょうか。いま行っている投稿の意図は、そこです。
 さらに補足するならばWEB誌友会、メインテーマである「ひとりひとりの法燈継承」とは、そういう意味だったと理解しています。必ずしも組織、「和解に至らずとも(御教えの継承は)可能」と解釈しております。組織を批判することに比べたら、余程奏功でしょうし御繁えにも適っていると考えます。



>ただ「実相の雅宣先生を拝せ」,「雅宣総裁は、まちがったことをしていると連呼することは、オーム真理>教の《ポア》と同じだから、批判するな、」そうやって、あなた方は、批判しているのではないといいなが>ら、本流や私を大批判して、真実の口を封印しようとしています。


 そんなこと、過去に一度も申しておりません。オウムのポアといっしょだから貴女様へ、そんな指摘をしているわけではないのです。私の主張は「御教えに還れ」、です。詳しく申せば「悪の剔抉(てつけつ)を止めよ」、これが主張であります。もっとくだいて書くならばたとえば、悪を指摘した際には「解決策を提示」するとか・・・(中略)・・・過去にも書きましたが、「誹謗中傷」と「疑問を呈する」ことの相違、これをご確認くださいということに、なりましょうか。


>「実相の雅宣先生に、ありがとうございます、」と,感謝して、間違っていると思った事は、議論し合う。
>これが、フェアプレー精神では、ありませんか。


 これまた以前から、そう申しております。疑問を呈することまでも「背繁にあたる」でありましょうか。私はそんなこと、過去一度も申しておりません。雅春先生はやり取りを、もう、大歓迎しておられるのではなかったでしょうか。

 しかし、繰返しですが、御繁えに適ったかたちが望ましいと思います。そしてその、「御繁えに適う」とは一例を挙げれば、「悪の剔抉(=ほじくり出すこと)を止めつつ」執り行なうということに、なるのではなかろうかと思います。



1064解説者:2012/09/19(水) 11:48:20 ID:???
志恩様

>>1061
ただ「実相の雅宣先生を拝せ」,「雅宣総裁は、まちがったことをしていると連呼することは、オーム真理教の《ポア》と同じだから、
批判するな、」そうやって、あなた方は、批判しているのではないといいながら、本流や私を大批判して、真実の口を封印しようとしています。

う〜ん…。
どうしてそんな風にとらえてしまうんだろう。
批判されている、と受け取るのは、
志恩様の心の中に何かしらの「やましさ」があるのでは?

具体的な案ですが、生長の家の全信徒、もちろん、本流派も教団もすべての信徒が
今一度教えの根幹である『生命の實相』、『甘露の法雨』に立ち返ること。それしかありません。

>批判していたら、良くなったのか?
良くなるのは、これからです。

これから良くなる、という根拠をお示しください。

本流派VS教団の批判合戦は神の御心にかなっていませんから、
私はとても良くなったとは思えません。
互いに「神の名のもとに」争っているわけで、
どちらかがこの世から消滅するまでそれは続くでしょう。
谷口雅春先生がそれを望んでらっしゃると思いますか?

1065解説者:2012/09/19(水) 12:07:30 ID:???
先ほど、>>1064 で
「どちらかがこの世から消滅するまで争いは続く」
と、書きましたが、勝者も茨の道を歩むことになるでしょう。

なぜなら、大調和を説く教えのハズなのに、
さんざん争っていたわけですから。
信徒ならずとも、一般人もドン引きします。

逆に和解したらどうなるか?
世間、いや、全世界から注目を集め、信徒もどんどん増えますよ。
世界中で起こっている宗教戦争に終止符を打つことができるかもしれません。

宗教団体の分裂は、世間ではまぁよくあることです。
しかし、和解して1つになったという話は聞いたことがありません。
そこにも生長の家の使命があると思います。

1066志恩:2012/09/19(水) 12:33:00 ID:.QY5jUA6
トキ様

詳細の情報提供を感謝いたします。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
解説者様、訊け君

>>1052;元本部職員s様の、コメントに、答えがあります。

雅春先生は、おっしゃったそうですよね。

「生長の家が、事業化されたら、汚くなる、そうなったら生長の家は、
無くなってもいい。」と。

つまり、汚くなった今の教団は、無くなってもいい。

コップに入っている汚水に、きれいな水を加えても、汚水のままだ。

汚い教団とは、手を結ぶな。これが、実相の雅春先生の声です。

汚い教団と手を結ぶのは、妥協です。

雅春先生の説かれたのは、和解の真理であり、妥協の真理では、ありません。

本来の生長の家人は、真逆の思想と,決して、つるんだり、妥協してはならないと存じます。

1067志恩:2012/09/19(水) 12:38:30 ID:.QY5jUA6
福岡県の桃の實の会を、立ち上げられた吉田様は、

本流から様々の、正しい情報を得ていらしたから、今の教えと離縁する決断ができたのです。

見真会に参加されてるのは、そういう方々の氷山の一角に過ぎません。

今日日のような、ネット社会では、情報は、広く深く伝達されているのです。

頭では、今の教えは、どうなったのか、わかってきた方々は、潜在的に圧倒多数を

占めて来ていると,察しられます。

1068志恩:2012/09/19(水) 12:42:27 ID:.QY5jUA6
本来の生長の家の教えに回帰してこそ、

生長の家は、復活し、繁栄します。

神が降臨すれば、つぎつぎに、人々は、救われるからです.

1069解説者:2012/09/19(水) 12:43:47 ID:???
>コップに入っている汚水に、きれいな水を加えても、汚水のままだ。

きれいな水を加え続ければきれいな水になることも
生長の家では教わっています。

きれいな水を加え続けること。
これは人間の智慧をもって為すのではなく、
神想観や聖経・聖典の拝読という宗教行で行おうと言っているのです。

今はまだ汚れているかもしれませんね。
何でこんなにきれいな水を入れているのに…と、
ヤキモキなさっているのでしょう。

志恩様の愛と祈りがあれば必ずやきれいな水になる日が来ると信じています。

1070志恩:2012/09/19(水) 13:31:50 ID:.QY5jUA6
《和解》は、

天照大神様、、住吉の大神様、との和解であり、、、真逆の思想を説く、現象、雅宣総裁との、妥協では、ありません。

此の分ですと、住吉の大神様からの人間に対するメッセージが書かれてある「甘露の法雨」を読誦させずに、

「大自然讃歌」の読誦を読むことが、踏み絵になるやもしれません。

だって、雅春先生の著書で、講義したら、出講が、停止になるのが、現状なんですから、みつかった、

そうなるところも、あるかもしれません。全部じゃないでしょうけれど。

1071志恩:2012/09/19(水) 13:41:35 ID:.QY5jUA6
光明掲示板に
 「靖国見真会」参加者様が、解説者様宛に、ご文章を載せられております。

題・【「和解」派とは、
    ”和解”をこそ 至上価値的とする志操なき人々なり…これが、私の定義です。】


  http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=348

1072神の子さん:2012/09/19(水) 14:15:25 ID:YVdRfPUk

>和解”をこそ 至上価値的とする志操なき人々なり…これが、私の定義です。


谷口雅春先生は志操なき人なりや?

1073神の子さん:2012/09/19(水) 14:45:49 ID:YVdRfPUk
和解を言っているのは掲示板の信徒ではない。

谷口雅春先生なのです。

それを忘れてもらっては困りますよ。

1074さくら:2012/09/19(水) 16:35:16 ID:qZAyo/PQ
>>1055訊け管理人さま

いま、光明掲示板見ましたが、無免許運転さまは、さすがですね…
実は、さくらはジワジワ感動いたしました。笑。
おっしゃることにも筋が通ってらっしゃり、納得ができますし、
まるで、現代のスターデイリーですね…笑。

「悪いものを悪いと指摘することこそ、愛の実行だ」という意見がありますが、
わたしは、それが、「何かを変える為」であるなら、…まあ「愛の一つのあらわれ」なのかもしれませんが、
神の智慧につながることか、生長の家のみ教えの実行とはいえないのではないかとおもっています。

善悪を判断して、悪いと思うものに抵抗し、排除する…そんな運動は巷に溢れているわけですよね…それで世の中よくなったのでしょうか。
生長の家は、そんな運動ではないと。

無免許運転さまは、
愛の実行と同時に、神の叡智に目覚められ、実相を観じる、という選択をされたのではないかと、おもいます。
光明掲示板の、リーダー的な方が、先頭にたって、この方向へ向かわれるのはすばらしいとおもいました。
これからは、いま以上に注目させていただきます、笑。


>だからと言って「組織改善は不要!」とか、そんな極論を申しているのではありません。
 その点は特に付記しておきます。無論組織が健全化され、御教えに沿ったかたちで練成会
などが運営されれば、これにすぐる幸せはないでありましょう。 

ここも賛同します。
ただの「愛の非難」を続けるより、信徒に役にたつ改善案を提案することなどが、知恵のある愛だとおもいます。

1075さくら:2012/09/19(水) 16:35:58 ID:qZAyo/PQ
>>1057元本部職員sさま

…投稿を読み返して見ましたら、元本部職員sさまを呼び捨てにしていまして、大変失礼いたしました。(親しみを感じるかたには呼び捨てしまうのです、…はい、言い訳ですね、笑。)

…元本部職員sさまの言葉で、いろいろ掲示板で感じてきた想いが、救われたような気持ちになりました…

>そして(パテントは君達に譲った! 君達ひとりひとりが谷口雅春である)とのお言葉を心に受け、
生長の家は宇宙の家だから、原宿教団に会費を払っている者達だけが生長の家人では無いのでありますから、

又これも雅春先生のご発言で(この世に生長の家人で無い者はひとりもいない)と、

この広大なる宇宙に住んでいる者全てが(生長の家人である)と見て…


わたしはまだ信仰に対して未熟ですが、
教えの根底には、人間は一人の例外もなく救われているのが生長の家であり、この世の一人の例外もなく生長の家人だと観るという、広大な教えが生長の家であるということに救われた想いがあります。
ですから、元本部職員sさまが雅春先生の想いをお伝え下さることに、ほんとうに、ありがたいなと感じますし、感謝しています。

例えば…
正当な著作権をもち、我々と行動を共にするものだけが、真の生長の家という…などや、
誰が真の生長の家の考えで、違うものは真の生長の家じゃないとか…ジャッジしたり、排除したりすることが、
教えを学ぶ目的ではないと思っています。
解説者さまがおっしゃられたように、これこそカルト思考の種になってしまうことだと感じているのです。

むしろ自分と違うものこそ、理解を示し、苦しみや悩みがあれば、取り除いてあげよう、とする姿勢が、生長の家の生き方であってほしいな、と…。


でも、生長の家は、そのように排除しないからといって、
何にでも妥協する教えではないですよね。

神があらわれれば、すなわち、
善となり義となり慈悲となり、
調和自ずからそなわり…

の「甘露の法雨」のお言葉のように、
私たちにできるのは、神があらわれるように、心でどのような思いをもつか、何を観るかが大切であるということを教えて頂いているとおもいます。

元本部職員sさま、また、よろしくお願いいたします。

1076goro:2012/09/19(水) 17:34:45 ID:Cc8Z7oOY

さくら様

志恩さまが>>1071 に於いて以下のURLを紹介されています。

  http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=348

全てをお読みいただいてのご感想をおきかせ下さい。
よろしくお願いいたします。

1077トキ:2012/09/19(水) 18:56:26 ID:in1Z8uVU
 いやー、靖国見真会参加者様から、

「“和解”をこそ至上価値とする“志操”なき人」とお褒めの言葉を頂戴した和解派のトキです。

 まあ、私は、生長の家の人間のくせに、チャンネル桜の活動者とも、日本共産党の幹部とも平気でつきあう
人間ですから、まったく“志操"がないみたいです。

 さて、日本共産党の活動者に話を聞くと、最近、彼らの状態は悲惨みたいです。あまり詳しく話して、
情報源がもれるとご本人が迷惑を被るので割愛しますが、例えば、民青なんか、今の生長の家青年会と
遜色のない程度の活動をしています。(注:それほどレベルが落ちている、という意味です。)

 逆に、チャンネル桜など、民族派や愛国運動はかってないほど、盛んな活動を展開しています。
昔、生長の家が政治に進出していた当時は、愛国運動というと、軍艦マーチをならした営業右翼という
イメージしかなかったのですが、今は、普通の市民の間で、すでに定着をしている、という印象を受けて
います。

 今、生長の家がおかしくなっているのは、一つに環境への課題な傾斜であると指摘されています。
これは正しいと思います。ですから、本来の生長の家に戻る必要があると思います。で、本来の生長の家
の活動ですが、宗教団体ですから、本業はやはり宗教だと思うのです。

 逆に、愛国運動については、現在では、まじめに活動をしている団体が多数あるのですから、志のある
人がそこに参加したほうが良いと思います。そのほうが、その団体も喜ぶでしょうし、結果的に日本の国のため
になると思います。これは環境問題にも言えると思います。もちろん、理念としての愛国や環境は大切ですが、
あくまでも信仰が第一だと思うのです。

 教団は今の環境偏重の運動からは脱却する必要はあると思いますが、その原点は、吉田國太郎先生や
藤原敏之先生などが指導された信仰に基づく運動であるべきだと、個人的には思っています。

 それと、幸福の科学ですが、ここには、過去、「谷口雅春霊言集」に騙されて、多数の生長の家の信徒が
加入した事実があります。しかし、大川隆法の正体に気がついた人達が声をあげだしています。その代表が
かって生長の家本部職員で、幸福の科学の大幹部を経て、現在は幸福の科学撲滅運動に頑張っている種村修
さんです。

http://tanemura1956.blogspot.jp/2012/09/blog-post_11.html

また、同じく生長の家職員で、幸福の科学の職員になり、その後、大川の正体に気がついた人がこのような
サイトを開いています。

http://antikkhs.blog119.fc2.com/

 ご参考まで。

1078さくら:2012/09/19(水) 19:17:17 ID:qZAyo/PQ
>>1076
goroさま

ありがとうございます。
現状把握が浅いことがありますので、ご指導頂けましたら、幸いです。

わたしは、今の教団の活動方針や組織の考え方に従えないこがあり、距離をおいていますが、
それでも、正直、雅宣総裁の話や本を読んで、生命の實相や甘露の法雨の根本の思想を、完全否定したような発言は、聞いたことがありません。

環境問題への取り組みなどは、対処療法的なものですし、その考えは二元論なのかもしれません、科学雑誌の知識などを読んでも、人間として生きる喜びを感じることはありませんし…
人を救う宗教としての役割の意識に欠けているのかな、とおもい、その点残念です。
雅春先生の人間の生命を鼓舞するすばらしいご文章とは、本質が違います。

ただ、それも、思想の否定というより、客観的な考察に基づいた理知的な判断力を、読者に養ってほしいという想いがあるからみたいですし、
総裁の発言として、自分の分からないものや、検証できないものを安易に話さないという姿勢があるようです。
ですから、個人的には、経本をつくられたのは、なにか、焦りがあったのかな…などとおもいました。これは、失敗だとおもいます。
でもこれも災害をおこしたりする力のあるものではなく、宗教的センスにはかけるのではないか、という感じです。

活動の方針も賛同できないのは、雅宣総裁の思想というより、組織のやり方というか、
組織の体質にも、おおきな問題があると感じていました。

わたしは、雅宣総裁の方針には従えないですが、なぜそのようなことをされるのか、多少理解はしようとはしました。
批判のなかには、雅宣総裁の本も読んだことなく、ネットの情報だけで騒ぎが大きくなってるものもある気がします。


雅春先生殺しとは、実際、雅春先生の本を絶版したり、著作権の裁判のことや、「大東亜戦争は侵略戦争である」など数々の、愛国運動を抑制するような発言のことでしょうか?
絶版のことなら、これは、雅宣総裁の思想というより、出版経営や、過激な愛国運動を防ぐような意味など…思想弾圧というより、他の意味もいろいろあったのではないでかとも、思うのですが…。
もしかしたら、いままで信徒が、熱心に絶え間なく普及運動をしていたら、絶版を防げたものも、あったのではないかということは、ないのでしょうか。
そしたら、信仰のある信徒こそ、もっと、雅春先生の聖典を守るべきだったかもしれませんし。
はっきり、思想弾圧とは言えるのでしょうか?分かりません。

裁判のことも相手があることですし、前にトキさまが、両方の言い分を書いているのを読みまして、どちらも組織の事情ばかりで信徒のためを考えてないな。というのが感想でした。
これも、思想弾圧とは思えませんでした。

愛国運動が、違う表現としてあれば、雅宣総裁の反応もすこしは変わったことはないか…なども考えます。
でも、愛国運動を牽制するあまり、本来の愛国心を養うみ教えが説かれなくなったのは、これはとても残念です。
ほんとうの愛国心をお持ちの先輩方々がご指導下さることを願っております。

…この問題が、本当に思想のちがいなのか、わたし個人的には、まだはっきり言えない、というのが、感想です。

幹部とか責任者じゃないから言えるのかもしれませんが…もっと、冷静に歩み寄りを考えて頂きたいとおもっています。

信徒が雅春先生の本当にお伝えしたかった愛国心や人間神の子をお伝えしていくことを、雅宣総裁の批判より優先すべきかともおもいました。

ご舌足らずで生意気な表現になりましたら、申し訳ありません。

ありがとうございます。

1079元本部職員s:2012/09/19(水) 19:35:11 ID:4XyYSDw.
合掌

さくら様へ

>…投稿を読み返して見ましたら、元本部職員sさまを呼び捨てにしていまして、大変失礼いたしました。(親しみを感じるかたには呼び捨てしまうのです、…はい、言い訳ですね、笑。)


全然、気が付きませんでしたし、全く気にしておりませんので、かえって、親しみを感じて下さったことの方が嬉しいです !


>わたしはまだ信仰に対して未熟ですが、
教えの根底には、人間は一人の例外もなく救われているのが生長の家であり、
この世の一人の例外もなく生長の家人だと観るという、広大な教えが生長の家であるということに救われた想いがあります。
ですから、元本部職員sさまが雅春先生の想いをお伝え下さることに、ほんとうに、ありがたいなと感じますし、感謝しています。


いえいえ、こちらこそ、肉体人間からしましたら、まだまだ未熟者です。
唯々雅春先生の御教えによって゛魂は救われ済みなのだ゛と教えられ雅春先生を魂の師としてお慕い申し上げている次第です。
この度は、さくら様の純粋無垢なる魂にふれ心浄められましたので 心から感謝しています。ありがとうございました !


>私たちにできるのは、神があらわれるように、心でどのような思いをもつか、何を観るかが大切であるということを教えて頂いているとおもいます。


その通りだと思います !

谷口雅春先生という名で、この地上界に於いて肉体をもって説法されていた魂は今や霊界にて、
住吉の大神又は宇宙の大神として高き身位につかれ霊界にて未だ悟りえぬ魂を救済されておりますので、

゛谷口雅春先生を学ぶ゛というよりは、゛宇宙の大神に学ぶ゛とした方が肉体人間なる雅春先生に執着している感がなくなり
しっくりいくような気がいたしますし・・・

>正当な著作権をもち、我々と行動を共にするものだけが、真の生長の家という…などや、
誰が真の生長の家の考えで、違うものは真の生長の家じゃないとか…ジャッジしたり、排除したりすることが、
教えを学ぶ目的ではないと思っています。

という、さくら様の意見にも共感は覚えます。
神の心は何処までも広く、どんな人でも包み込む広大無辺なものであり、
そんな了見の狭い教えでは無いはずですので・・・

ただ、思うには・・・生長の家という雅春先生の教えを学び人類光明化の同志であり選ばれた霊の戦士でありながら、
争わなければならない事になった諸悪の原因は、やはり雅春先生の愛国の書を絶版にし、公にも左翼と名指しされてしまった。
組織のトップにあると言っても過言では無いと思います。

何故なら組織を人体に例えても解る通り、今組織は舞踊病という病気にかかってしまっているような状態なのです。
頭がおかしくなれば手足がバラバラになって踊り出すという・・・

又駒に例えても解りますように、中心がしっかりしていなければ駒はグラグラになり回らなくなると同じです。

このトップの考え方が雅春先生の教えそのものを一滴ももらさず継承するという使命を果たさず、
自分の思想(左翼的)に好き勝手に改変したとなると、やはり雅春先生に学ばれ救われた信徒達であるならば黙ってはいられないはずであります。

それを黙認するということは、左翼的思想に迎合するという罪を犯すことにもなり、罪は=包みであり、
本来の神の子の実相を包み隠すこととなりますので、やはりその包みを取り払い排除しなければ解決がつかないのであります。

そこで、ヤマタの大蛇(左翼思想)を護国の真剣で、首を切って落とすという、正義の戦いは、やむえ得ないということにもなりましょう〜

今は誰々の擁護派とか言ってる場合ではないのです !

日本の国を守る救う為にも、生長の家が雅春先生の説かれた愛国の書に従い、護国の真剣を振りかざし戦わなければならない時期に来ているのです !

そのことをないがしろにし、ただ祈っていればいいでは、時遅しになってしまう恐れもあります。

故に、行動の伴わない空念仏に終わらせない為にも、日本の国のために生長の家を正すことが必要なのです !

私は霊界で雅春先生は゛国難の今こそ立て゛と強く信徒に望まれていると思うのでございます。

少々熱く語り過ぎましたが・・・
このことを、さくら様にご理解いただければ幸いに存じます。


再拝合掌

1080うのはな:2012/09/19(水) 20:05:33 ID:ymetHEVk

原宿教団との関係が噂になると自分の会社取引に損失が出るおそれがあると、
掲示板で訴えていた訊け管理人氏ですが、こんな販売方法をどう思われるでしょうか

 http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=347

1081トキ:2012/09/19(水) 20:11:07 ID:in1Z8uVU
>>1080

 こんな販売方法はおかしいです。

1082初心者:2012/09/19(水) 20:52:53 ID:qBrfhCPc
一元論は決定論ですから、「最後の審判」に行きつかざるを得ないですね。最初か
ら予定されていたシナリオだけが許されて、許されざるシナリオは、最終的には
神の裁きを受ける運命にあるとする考え方に、どうしても行きつくことになりますね。

1083初心者:2012/09/19(水) 20:59:07 ID:qBrfhCPc
感想を求められたわけではありませんが、まずはひと言。

「間違っている」とおもえる思想を批判するのは当然のことです。ですが雅春先生
は、「間違った考えを主張する人の人格や行状を裁け」と、このように言っておられ
たのでしょうか。共産主義者や○○学会に属する人々の人格をあげつらい、行状を
告発せよと、このように言っておられたのでしょうか。どうなのでしょう。

1084初心者:2012/09/19(水) 21:21:21 ID:qBrfhCPc
思想には思想で、論理には論理で、知識には知識で立ち向かう。これが批判という
ものでしょう。

総裁の思想を批判したければ、理論でも論理でも知識でも、好きなものをもちいて
堂々と批判すればよい。これだけの話です。

1085トンチンカン:2012/09/20(木) 00:32:02 ID:9yITXFI2
初めまして

何故か、あの「和解、和解」と叫んでおられるトキ管理人さんの部屋に足を踏み入れてしまいました。

雅宣総裁の説く「今の教え」とやらはオカシイ、これは雅春先生の説かれた「御教え」とはかけ離れたものでしかない、、、なのにどうして「生長の家」に居座っているのか不思議でならないのです。

このような場合に過去の宗教界を見れば、皆さん独立されて“自論・自説”を説かれ、新派の宗教として巣立っておられます。

だったら、雅宣総裁もまた先人に倣って『新宗教マサノブ教(仮称)』として独立されるのが当然だと思えてならないのです。

丁度、森の中に建設中のサティアンみたいなものが近々完成するのでしょうから、そこで「ヤマギシ会」みたいな活動を開始されるおつもりなのでしょうか?

最高裁の判決を心待ちにしているのですが、、、

1086うのはな:2012/09/20(木) 01:42:22 ID:dKKqXaLQ

トンチンカンさんは、ほんとにトンチンカンですね。

 ここは建前は中立で「和解目的」掲示板なんですよ。

 なぜか「和解 和解」と叫んでいるトキさんは、、、
 最近、双方とも冷静に話し合い 話し合い に変化しているようです。

 誰が話し合うのか知りませんが、判決を下すのは最高裁になるのに、
 和解和解っていってて飽きないものでしょうか。

 トンチンカンさんのまたのご来店を心待ちにしています。

1087初心者:2012/09/20(木) 07:08:59 ID:qBrfhCPc
トンチンカン様

>雅宣総裁の説く「今の教え」とやらはオカシイ

総裁の教えはどこかどう「オカシイ」のでしょうか。まずは、どこがどうオカシイ
のか、これをはっきりさせるところからスタートするしかないでしょう。具体的に
どこがどうオカシイと考えておられるのでしょうか。

1088志恩:2012/09/20(木) 07:20:34 ID:.QY5jUA6
解説者様、訊け様

”生長の家の教えの「和解」を、いつも、持ち出されるお二人ですが、

それに対して、goro様もご紹介下さいましたが、

光明掲示板で、「靖国見真会参加者」様に続いて、「縹」様も、コメントされ、
再び「靖国見真会参加者」様が【和解】についての的を得た回答を載せて下さって
ますので、改めて、貼付させて頂きます。

 http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=348

これで、
解説者様、訊け様は、ご納得されたと、存じますが、
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
〜「天地一切のものと 和解せよ」とは〜

「生命の實相」第14巻 第4章 に、【和解の倫理】p55~65が、詳細に掲載されてますので、こちらも、一応、ご紹介します。

 p66” 虚説に 和解してはならぬ” ということを、
雅春先生は、ここでも明確にお書き下さってます。


虚説とは、実相の世界にはない「誤れる見解」のこと、すなわち「無い説」。

虚説の中でも、最大の虚説は「物質はある」という見解であります。生長の家誌友の中で、

近頃 脱線して「物質もある、心もある」という二元論に誘惑されたり、
「現象も真我のあらわれである」という説に惑わされた人がありました。

その理由は、われわれは、天地一切のものと和解しなければならないから「物質はある」という説とも和解したとき、
本当の真理が、かえってわかるのだという理論から、
虚説に対しても、一応は耳を傾けなければならないというわけだったのであります。

われわれは、天地一切の「実在」と和解しなければなりませんけれど、虚説に対して、和解しては、ならないのであります。

虚説に和解したら、実相をくらますことになります。実相をくらませば、みずから迷うことになるのであります。

迷えば迷いの影を現象界にうつして、現象界がままならぬ相(すがた)にあらわれてくるのであります。

「物質もある、心もある」という二元論に引っかかって、現象界が変に乱れて、集金が集まらなくなったり、歯痛が酷くなった数氏の実例は、

かって「生長の家」誌に書いた通りです。


 p62: ”光は、闇と和解せず”
「敵を愛せよ」と仰せられたイエスが、なず「サタンよ、退け(しりぞけ)」といわれて「サタンを愛せよ」と言わなかったのでしょうか。
  (中略)
 、、虚説に対しては、あくまでも戦い、人に対しては、どこまでも実相をみて、許す事にしたのであります。

どうか、みなさんも、虚説に対しては、和解することなく、どこまでも「サタンよ去れ」の態度で、進んでいただきたく。。。。。


【天地一切のものと和解せよ】

との生長の家の第一最大の誠命(いましめ)は、「天地一切のものの”実相”と和解せよ」ということであって、

仮相や虚説に対しては「サタンよ去れ」と排撃すべきなのであります。


釈迦もキリストも、同じような態度で、虚説を駁撃(ばくげき)せられたのであります。

1089志恩:2012/09/20(木) 07:29:39 ID:.QY5jUA6
解説者様、訊け様、が、よく使われる「定義」と「倫理」の意味

定義ー ある概念の内容を限定すること。

倫理ー 人間世界を守る最善の知恵。
    善悪・正邪の判断において、普遍的な基準となるもの。

1090初心者:2012/09/20(木) 08:12:27 ID:qBrfhCPc
>>1088

総裁の人格的な欠陥や過去の悪行を公の場であばきたてる行為は、総裁が公人で
あるがゆえに、雅春先生の教えにもとづく行為であり、神の道にもかなう行為だ
と、このように考えておられるということですね。

1091初心者:2012/09/20(木) 08:17:01 ID:qBrfhCPc
本流掲示板からの抜粋です。

>翻って、今日の生長の家教団の実情を考えてみましょう。「聖経」を〝補強〟するという名のもとに「大自然讃歌」に「観世音菩薩讃歌」が相次いで発表され、それがしかも新しい「経本」として出版されるわけです。これが果たして『真』なるもの、『実在』なるものと言えるのでしょうか?「ホンモノ」でなければ「和解」したくはないし、また「和解」してはならないと思うのです。「神」をそこにあらわすために、今、私たちに求められていることは、何が「ホンモノ」なのか、何が「ニセモノ」なのか、それをはっきりとよりわける力であると思います。そして、この二つの「讃歌」とも「ホンモノ」とは認め得ないからこそ、私どもはこれとの「和解」はあり得ないと判断しているのです。〈
以上の文面の投稿者は、「これが果たして『真』なるもの、『実在』なるものと言える
のでしょうか?」と判断を読み手に丸投げしていますね。そしていつの間にか、
「ニセモノ」と断じきって「和解はあえない」と結論づけているようにおもわれま
す。

投稿者は、具体的にはなにも言ってませんね。この程度の書き込みから、いったい
何を了解せよといわれるのでしょうか。

1092初心者:2012/09/20(木) 08:19:58 ID:qBrfhCPc
訂正いたします。

抜粋は、本流掲示板ではなく光明掲示板からでありました。両者を明確に区別する
必要はないともいえますが。

1093初心者:2012/09/20(木) 08:38:13 ID:qBrfhCPc
和解をさまたげる要因として、現教団による締め付けの厳しさが問題になっている
ようですね。わたしの体験では、かつての教団でも似たような締め付けはあった
ようにおもいますが、この点は問題にされないのでしょうか。

こちらがアイデアを提供したとしても、「雅春先生の教えとはちがう」のひと言で
却下という事態は、かつての教団では日常茶飯事であったといってよいような
気がいたします。

雅春先生の教えにガチガチにしばられることを「よし」として、それ以外のことは
考えさせまいとする、上からの尋常ならざる圧力がつねに潜在していたと考えます。

現教団にしても、かつての教団にしても、締め付けの厳しさに変わりはないでしょ
う。ただそうした締めつけが、おおっぴらになされているか、潜在的にそうした力学
が働いているかのちがいがあるだけではないでしょうか。

このあたりの事情は、当掲示板において、こちらが何かひとこと発言したとしても、
発言の内容にたいする応答ではなく、「それは人間知だ」とか、「理論や知識は何
の役にも立たない」とかの反応が返ってくることからも明らかでありましょう。

雅春先生の教え以外は考えさせまいとする力学が、いまも潜在的に働いているの
は明らかでありますね。いま起きている問題が、いまもこのように働いている力学
と無縁であるとお考えでありましょうか。

いまの問題を引き起こした責任は、こうした力学を行使する側にもあると考えま
す。相手が誰であれ、なにがなんでも、「彼らが考える雅春先生の教え」に縛りつけ
ておこうとする勢力が、そのことに無自覚であり、無反省のままでは、和解は遠の
くばかりと考えます。

1094「訊け」管理人:2012/09/20(木) 08:48:18 ID:???

>>1088志恩さま

 出張中のため手短な返信になります。お許しください。なお、アク禁中につき同掲示板の内容は把握しておりません。ただ「和解の倫理」を軸に論を展開、されておられるのですね?その線で返信致します。そして私の主張ですが、解りやすく箇条書きと致します。(必要であれば詳細に説明可能です。ただし、本日中に可能かは不明です)


<「和解の倫理」に関し>

○ 摧破すべき虚説とは、「自分が悪を認める目」を指します。
○ 「サタンよ去れ!」のサタンとは、相手方ではなく「自分側の迷妄」です。
○ この「サタンよ去れ!」を、「相手方への攻撃許可だ」と解釈されておられれば、それは間違いです。
○ ちなみに「和解の倫理」に関しては、『生命の實相』14巻で全文をご高覧ください。(本流抜粋は重要事項がなぜか、削除されております。過去にも指摘しましたが、全文をお読みくだされば、私の主張が正しいと判ってくださると思います)


<「疑問を呈すること」と「相手を撃つ」ことの相違点>

○ (言うまでもないことですが)「和解せよ」とはたとえば、〝裁判和解〟の様なものではありません。
○ 雅宣総裁の悪行を認め、平身低頭することは「和解」ではありません。(それは「和解」ではなく「妥協」でありましょう)
○ (既述繰返しですが)「疑問を呈すること」はなんら、背教にはなりません。(むしろ雅春先生は議論を、「大歓迎」されておられます)
○ ただし雅春先生は、「間違った考えを審判(さば)け」とは、おっしゃっておられません。
○ ましてや「その発言者の行状や悪行をいつまでも指摘しつづけろ」とも、おっしゃっておられません。


<「反戦/平和運動」の喩え真意>

○ 「間違った人/思想」に対しいつまでも、指摘をつづけることは建設的ではありません。
○ 念のため繰返しておきますが、ここで言う「指摘」とは「間違った考えを審判(さば)け」等を指します。
○ 疑問を呈する自由は当然、在ります。(既述)
○ 信仰の面から見ても相手を撃つ行為は、背教です。(既述の如く「和解の倫理」には、そんな記述は一切ございません)
○ ならばどうするか?「平和運動」です。
○ 相手を撃つことに快感を覚えるのではなく、なにかを始めることを意味します。
○ ここで言う「なにか」とはたとえば、新経否定運動の代りに「『甘露の法雨』読誦運動をする」などを指します。
○ さらに例示すれば、教団否定運動の代わりに、「『学ぶ会』『ときみつる会』『桃の實の会』を盛り上げる行動」を指します。
○ 宮澤潔先生の言葉を引用するならば、「総裁を批判している暇があったならば、伝道しましょう」になります。




追伸

 なにか説明を求められれば、堂々返答する準備があります。どうぞよろしくお願い致します。

1095志恩:2012/09/20(木) 08:48:47 ID:.QY5jUA6
>>1090:初心者様

雅宣総裁先生は、生長の家総裁という【公人】のお立場のお方です。

公人である総裁先生を名指しで、個人的なことも、行為についても、掲示板上で、批判することは、法的にも、生長の家的にも、なんら問題は、ございません。
憲法でも「表現の自由」は、保証されております。

個人のプライバシー権というのも、ございますが、貼付した文にも書いてありますように
この「プライバシー権と表現の自由」は、どちらが、優先するのかが問題になることが、時折あります。

そうした場面で、まず注目すべきはプライバシー権を主張している人物が「私人」なのか「公人」なのかということです。

つまり「私人」のプライバシーは、厳重に保護されなければならないが、「公人」の場合は、プライバシーについては、制限されています。

何によって、公人のプライバシーが制限されるかと言いますと,貼付したものには「公共の利害」との関係とありますが、
生長の家の場合は、本来の教えが、今の教えに変節したことによる全組織、全信徒に対する影響という問題が、ございます。

その場合、プライバシー権よりも、表現の自由が、優越的権利となることは、明らかなことなのです。



http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=348

1096志恩:2012/09/20(木) 09:01:35 ID:.QY5jUA6
すみません。間違って、別のを貼付してしまいました。
貼り直します。

「プライバシー権と表現の自由」
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/9575/kokuhatu.html

1097トンチンカン:2012/09/20(木) 09:01:41 ID:9yITXFI2
“初心者”さんて?

本当にトンチンカンな、トンチンカンです。 お聞きしたいのですが、、、

今出てこられている“初心者”さんとは、こちらの掲示板の一部の常連さんが『初心者=雅宣総裁?』と言っておられる、その“初心者”さんでしょうか?

そうだとしたらオカシイですね、、、?

少し前に、「この掲示板には再び戻って来ません。皆さんご安心下さい」といったようなことを述べていなかったでしょうか?



その“初心者”さんからのメッセージです。

>雅宣総裁の説く「今の教え」とやらはオカシイ

総裁の教えはどこかどう「オカシイ」のでしょうか。まずは、どこがどうオカシイ
のか、これをはっきりさせるところからスタートするしかないでしょう。具体的に
どこがどうオカシイと考えておられるのでしょうか。


まずは“初心者”さんとココで議論するつもりはありません。

各地の教区の組織内の人達のあいだにも、「雅宣総裁はオカシイ」なんて声が聞こえてまいります。 雅春先生のお話を聞いて育った世代には、肌で感じるのです。

1098「訊け」管理人:2012/09/20(木) 09:32:38 ID:???

>志恩さま

<参考資料>

『善と福の実現』14頁より謹写――

 世界の根源が神であり、神が善であるとわかったならば、そして神のみがすべての渾てであるとわかったならば、世の中に悪意ある対立などありようがないのである。「敵がない」という人生観にならなければならないのである。「敵がある」と云う人生観に立つ限り、自分の妄想によって「敵」を描き、描くゆえにその「敵」が現実にあらわれ、ついにその敵のために敗北せしめられると云うことになるのは、古今東西の実例によっても明らかなことである。
 「敵」だと思えば、敵でないものが敵とあらわれて来る。すべての存在は「敵」ではない、「善意」と「愛」とをもって吾々に何かを互いに貢献し協力すべく与えられているところの存在と信じ、現実に「敵」とあらわれていても、それは敵ではないとして「実相」の善を信頼して厚遇するならば味方となってあらわれて来るのである。
 敵があると信じ、不調和が存在すると信じ、それに対して身構えすることは、神の善意と、その無限力とを信じない不敬の罪だと云わなければならない。


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