[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
本流対策室/3 板
1013
:
「訊け」管理人
:2012/09/18(火) 07:23:03 ID:???
>さくらマネ
素晴らしい文ですね(清超先生ご文章)。ここでこのA君ですが、父親に反撃していたらば、どうなっていたのだろう・・・事態は泥沼化となっていたことでしょう。私も多々経験してますんで、よく解ります(^^)しかし清超先生のご文章も、素晴らしいねえ・・・・私はあまり、蔵書に同先生のものがないのです。(数冊程度です)
さて、本日は、このやり取りに参入できるか不能です。ですんで、一言だけ発言させて頂きます。キーワードは「執(と)れた心」というものです。
この「執れた心」とは、吉田國太郎先生がお使いになられる言葉です。もう、「ハッ!」とすること度々なのですが、まあ、この「執れた心」とは文字通り「執着した心」というものでしょう。そして云うまでもなく、生長の家に於る執着とはたとえば、「不足」だったり「不満」だったりを指すと思います。
さてここで、教団問題指摘の件です。
教団の問題を指摘するのは、構わないと考えます(そして貴女も同意されると思います)。そして散々既述した如く、それは、背教ではないと思います。でも、背教に当たる「問題指摘」というのは、あると思います。それは、この、「執(と)れた心」になろうかと思います。「執(と)れた心」からの対処療法、これはもう、個人では違和感を覚える次第なのです。國太郎先生風に申せば、「悪を『在り』とし、それを殺しにいく」心になりましょうか。警察と泥棒は、同じ方向へ走っていきます。でも双方ともその心、これはまったく違いますよね。「同じ方向へ同じ行動をしている」からと言って動機、これは違うという意味です。(※)
教団問題指摘でも、同じことが言えます。まあ、警察と泥棒には喩えられぬとは申せ、「心のうち」は違っていると考えます。或る方は雅春先生のやり方で行っておられますし、また或る方は背教になっているという・・・・ですんで一概には、言えぬ
・・・・・まだ、話に追いつけていないので、変な文章になりました。また、書きます。
<註>
※ 「同じ方向へ同じ行動をしている」からと言って動機、これは違うという意味です。
「具体的になにもしないのか」そんな指摘が多々あります。(特にトキさんに対し)だけど・・・じゃあ、具体的にはどんな風に、事態を改善させるというのだろう・・・・掲示板で問題の指摘、継続したらどうなるんだろう。(清超先生ご文章の)A君は、父親の問題を指摘することで解決を、みたと云うのだろうか。
さて、「神想観を超える大行なし」、これ以上の具体案が果たして、存在するのだろうか。でもこれ、なにもしていない人と「同一区分」されますよね。これが残念です。あたかも泥棒と警察ですが、外見が似ている(同一方向へ同一動作している)と云う理由だけで、同じものに見られてしまうのだけど・・・・神想観以上の具体案、あるのだろうか。(なお「殺される寸前」ならば、話は別。礼拝よりは回避行動が正解です。でも・・・・あの種の極端な喩えってこれ、現在の問題を正確に、喩えているんだろうか・・・・極端に過ぎる例を持ち出されて、神想観等が否定されてしまってる気がするけど。「喩え話が正確ではない」点、これも議論錯綜の因かも)
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板