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本流対策室/3 板
1036
:
さくら
:2012/09/18(火) 20:59:48 ID:qZAyo/PQ
>間違いは間違い、ダメなものはダメと言うことが二元論であると言い張る人達が理解できないのは、どう表現するかの方法論であり、信仰の問題ではないのです。
彼らはどこまでも形に囚われています。
goro様がおっしゃること、わかります。
同じことを、わたしの側からはこう言いたいことです。
「この体験談は、世間に迷惑かけてるから危険だ、道徳的に危険だ、生長の家が世間に誤解されるから危険だ、と言い張る人達が理解できないのは、
どう表現するかの方法論であり、信仰の問題ではないのです。
彼らはどこまでも形に囚われています。」
どちらにも言えることなのに、
人は、どちらの味方(見方)に立つかによって、どちらかにだけ、当てはめようとしてします。
わたしもでしたね、その点を反省し、体験談を書き直しました。
訊け管理人様が、平和運動と、反対運動について、「方法論」は大切だということを、
「怨嗟」は解なりや、
の例をあげてお話くださいましたが、
わたしはそれを読んで、方法論を選ぶことも、大切だとかんじました。
だから、自分が書いた体験談を危険な「方法論」だと指摘されたので、改めまして、訂正させていただきました。
つまり、方法論は、大切なのでしょうか、
大切ではないのでしょうか。
それは、どちらの立場でそう言えるのでしょうか。
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