① いつも思うことですが、「萬教帰一」についての雅宣総裁の説明は、大切な事を抜かしている点において説明が本来の『御教え』から外れている。それは、「生命の實相哲学」あるいは「唯神實相哲学」というカギで以って萬教をひも解けば、萬教は一つの真理を説いている事がわかるのである、と言う説明である。開祖・谷口雅春先生は、世の中の宗教は○○教(宗)と大抵は称している。この「教」とか「宗」は“宗門”と云うそれぞれ一つの真理へ到る「門」である、いつまでも入口の門のとこるに立ち止まっていないで、ズンズンと家の中へ入って行けばやがて奥座敷に達する、ここで数多くの門から入った人達は、みな奥座敷で一緒になる。この奥座敷こそ萬教の究極の一つの不変にして普遍、かつ久遠悠久の「一つの真理」のこと、だから生長の家は「教」とか「宗」と云わずに「家」と称する。このことが最も重要な肝心要(かなめ)の点である。
② 實相世界の説明において、實相世界とは空々漠々としたボンヤリとした寂しさ漂う世界(寂光土)ではなくして、大光明、大歓喜の活気凛々呼たる世界で七つの特徴を備えている世界、七つの特徴とは、(イ)中心帰一の妙有世界 (ロ)陰陽の秩序整う世界 (ハ)無限創造の世界 (ニ)金剛不壊の世界 (ホ)遠心・求心調和の世界 (へ)無限包容の世界 (ト)円満完全至美至妙の世界、
この位の説明は初心者に対してもすべきである。それとも敢えてここまで踏み込まないのは、この説明をすれば、雅宣総裁の忌み嫌う日本の國體、夫唱婦随、日本文化にまで説明が繋がるから困ると云うのであろうか?しかし、これは、生長の家の根幹の教義にかかわることである。
③ 教義の説明において抜けている重大点がある。雅宣総裁は敢えてこれを無視している。これはいうまでもなく、「国家の成仏」すなわち、「生命的国家論」である。「日本國の實相の把握」である。これ無くしては、生長の家の教義の説明は、100点満点ではなく50点に下がってしまう。しかし、雅宣総裁は、「生命的国家論」・「實相日本國」・「真理国家」と云った点については、開祖・谷口雅春先生とは正反対の考えをもっている。だから、敢えてこの重大な教義を棄て去り、専ら「日時計主義」に最大の重点を置いている。まさに平和ボケしたセレブ婦人中心の小市民的な文化教養団体化している。開祖・谷口雅春先生の本来の『御教え』は原宿にはない。もはや、日本国に対して雅宣教団は霊的貢献をしていないのである。これではいけない。一日でも早く、「個人の成仏」・「国家の成仏」両者揃った本来の生長の家に戻さねばならぬ「本流復活」の理由がここにある。(以下、午後の部へつづく)