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音楽スレ(2021~ )

1korou:2021/01/01(金) 16:34:02
2020年までで938書き込み。
「名曲300選」の途中とはいえ
それは1000書き込みで完結しない見込み。
となれば、年の途中でスレが変わるのもどうかと思うので
新スレをスタート。

82korou:2021/06/08(火) 15:47:35
再チェック。「復活」やり直し。

やはり時間を作ってマーラーは聴くべし、と再考(コロナ禍で時間もあるし)。
まず、ワルターの新旧盤について感想。
新盤(NYP)を支持したい。これは旧盤(VPO)が悪いわけではなく、恐らく旧盤のほうが優れていると思われるのだが・・・
単なる録音の問題で、しかも新盤の出来も旧盤に比して随分劣るわけでもなく
むしろ鮮明に聴こえる分だけ長所もあるので、ここは新盤の流れの良さに注目したい。
その耳でバーンスタインの旧盤(NYP)を聴くと、明らかに曲への立ち向かい方が異なり
冒頭の低弦の響かせ方が全く耳障りでなく、その後の各フレーズの処理も納得のいく、まさに腑に落ちる演奏だった。
ユンク君で確認できる演奏としては、後はショルティ(AC管)だけとなったが
これはこれで面白い演奏で、曲そのものがショルティのような外面を楽譜通りに磨き上げる手法に向いているのである。
ナクソスに移って、まずシャイー(AC管)を聴いてみた。
抜群の録音という記述も見たが、実際にナクソスで聴く分にはそれほどでもない。
ただし、演奏はまさに常識的に妥当なラインを辿り続けていて、AC管の上手さもあって、聴き映えは意外と悪くない。
曲そのものを聴くには最上かもしれない(ショルティも楽譜通りだが、音の強弱に彼独特の個性が出てしまう面がある)。
ショルティの新盤(シカゴ響)は、期待したほどの名演ではなかった。
旧盤に比べて弱音部分の緊張度が低く、強音部の充実した張りのある美しさとの落差がひどい。
こういうのはカラヤンにはないので、それがこの両指揮者の違いだろう(そのカラヤンの演奏はWebでは聴けない。
「復活」は振っていない?)
「復活」といえばキャプランだが、そのVPOとの演奏は、もはや素人の物好きでは済まされない優れた演奏だった。
しかし、ナクソスの仕様で、楽章の途中でぷちぷち音が途切れる(つまり違う箇所に分離している)ので、これは致命的な欠陥。
アバドの新盤(ルツェルン祝祭管)の演奏は、ワルター新盤でも感じられたあの”突然悪寒のようにやってくるこの世界への絶望感”
といったものが感じられない健康な模範生の演奏に聴こえる。マーラーでそれはまずいのではないか。他には欠点はないのだけれど。
もうくたびれたので、最後にバーンスタインの新盤(VPO)を聴いてみる。
旧盤の良さを失わず、さらに濃厚な表情が色付けされ、しかもVPOの音色の良さ、能力の高さを存分に引き出していて
この曲を深く聴くには最高の演奏であることは間違いない。
結局、深く聴く→バーンスタイン&VPO、軽く聴く→ショルティ&AC管という結論。
(まだまだ聴けていない名演の類は多いのだけど、この曲の比較試聴というのは大変だ)

83korou:2021/06/08(火) 15:55:47
↑の訂正
ショルティの旧盤は、AC管でなくロンドン響だった。

それと、マーラーの交響曲は
どんなに優れていても「巨人」以外は「たまに聴く」に分類するのが妥当だろう。
時間をそれだけ割く余裕がないので。

84korou:2021/06/08(火) 16:36:03
再考。
マーラーについては、「もう聴かない」に分類することはあり得ず
かといって「たまに聴く」以外のジャンルになることもあり得ないわけで
どうしたって「たまに聴く」ジャンルになってしまうのではないかと
今さらながら気づいた。
そのなかで名盤を探る試みをしても
結構、比較試聴するにしても膨大な時間がかかり
その割には最初の結論から変わらないことも多い。
今回の「復活」にしても、バーンスタイン&VPOは不変で
ワルターがショルティに変わったくらい。
それもムリに変更しなくても良かったのでは思うこともある。
やはり、ワルターに戻しておこう(深く聴く、などの注釈は不要で)。

ブルックナーも長時間なので、すべて「たまに聴く」にしたほうが妥当かと思ったが
これは部分的ながら実際には頻繁に聴いているので
現状のままとする。

よって、次回は
マーラー「さすらう若人の歌」から再チェックスタート。

85korou:2021/06/10(木) 15:42:51
再チェック。

マーラーの歌曲「さすらう若人の歌」「亡き子をしのぶ歌」
いずれも、今回ちょっとだけ聴いてみて
こういう純粋なクラシックの歌曲集はもう耳が受け付けないということがよく分かった。
ただし、「さすらう」のフルトベングラー、「亡き子」のカール・ベームは
マーラーの録音をほとんど残していない大指揮者だけに
そこを堪能するという愉しみは否定できない(だから初回は好意的に評した)。
とはいえ、歌曲なのでフィッシャー=ディスカウをどうとらえるかが一番であり
その大仰な表現は、他の歌手を圧倒する技量とはいえ、やはり耳が受け付けない、
というより、歌曲そのものが耳に入ってこない。
「多分もう聴かない曲」ジャンルに分類。

マスカーニの「歌劇”カヴァレリア・ルスティカーナ”」
これは日本語訳の動画見当たらないため、評価のしようがない。
よって「多分もう聴かない曲(オペラ)」に分類。

メンデルスゾーンの「夏の夜の夢」
レコ芸がプレヴィンを絶賛するのだが、今回聴いても全く心に響かない。
曲のお粗末さだけが伝わってくる(残念ながらデュトワ、マークなども同様)。
ところがクレンペラーだけは別格なのである。
ほぼ「たまにしか聴かない」ジャンルに分類しかけていたが
クレンペラーの演奏を聴いて、完全に思い直し、ジャンルを変更した。
なぜかクレンペラーだけは最後まで聴いてしまうのである。
そしてなかなかよく出来た曲だと思ってしまうのである(不思議!)

(再チェックとは別に)
最後に、時間があったので、ついでにマーク指揮の「イタリア」も聴いてみた。
このマークは素晴らしい。初回の推薦も間違っていなかった。

86korou:2021/06/13(日) 16:58:10
再チェック。

モンテヴェルディ「聖母マリアの夕べの祈り」。
独唱入りの曲で、古風かつ素朴な曲調で
今後聴くことはそうないと思われる。
「もう聴かない曲」ジャンルに分類。

モーツァルト「リンツ」。
まずナクソス第1位のカラヤンを聴いてみたが
案の定、序奏部分は荘厳で素晴らしいが、主部の速い部分になると
あまりにも感情のこもらないスタイリッシュな仕上げに違和感を覚える。
前回はクレンペラーを推薦したが、今回聴いてみて、それほどの充実感は感じられなかった。
あれっ?と思い、ベーム&BPOを聴いてみると、クレンペラーより響きに生命感が感じられ
これで決まりかなと思いながら
ワルターで検索するとコロンビア響との演奏があったので
念のため聴いてみる。
このコロンビア響は、その後組織されたコロンビア響とは違うような気もするが(NYPっぽい響き)
さすがにワルター、細かいニュアンスはベームをも上回る。
ユンク君には、その新しいほうのコロンビア響の演奏もあったので、それも聴いてみる。
これは、オケの音色が薄く明るい感じでモーツァルトの音楽との違和感も感じられるが
ワルターの含蓄はさらに深まっているようで、テンポの妙、リズムの愉しさなど、他では聴けない音楽になっている。
甲乙つけ難いワルター&コロンビア響の新旧の演奏だが
ユンク君でDL可能でもあるので、新盤のほうを推薦としたい。

前回は今と違う感性で聴いていたのか「リンツ」だけ名演選びに苦心していたが
今回は全然抵抗なかった。
ただし旋律などは聴き覚えがないので「聴き馴染みはないが良い曲」ジャンルに入れることにする。

87korou:2021/06/13(日) 17:10:13
再チェック、モーツァルト「リンツ」の続き。
クリップスの再聴を忘れていた。
聴いてみると、全然問題ない。他の交響曲と同様、オケの音色、リズム、テンポすべてに満足いく出来。
なぜ、初回に違和感を感じたのか?その感性こそ今思えば違和感そのものだ。
ワルターは撤回(オケの音色が微妙なので)、クリップス&AC管で決まり。

他の「ハフナー」なども「聴き馴染みがない」はず。
ちょっとチェックが必要だ。
「第29番」「第31番”パリ”」「第35番”ハフナー”」はいずれもクリップス&AC管で
「聴き馴染みがないが良い曲」に分類替え。
さすがに「第25番」は聴き馴染みがあるので、コープマンの演奏でそのまま。
「第38番”プラハ”」からは聴き馴染みありでそのまま。

以上で今日の作業は終わり。
残る再チェック作業は
モーツァルトのディベルティメント2曲のみになった。

88korou:2021/06/14(月) 11:01:52
再チェック。

モーツァルト「ディヴェルティメント K.136〜138」
弦楽合奏曲として作曲されたモーツァルト初期の楽曲(16才?)が
勝手に「ディヴェルティメント」と銘打って発表された作品。
弦楽四重奏なのかオケによる弦楽合奏なのか演奏スタイルも確定していないので
いろいろなパターンの演奏が聴かれるが
個人的には、コープマンの演奏でこの曲を「発見」しただけに
小編成オケによる弦楽合奏の形がしっくりくる。
いろいろと聴いてみたが
初回推薦のコープマンを上回るものはない。
小沢征爾&サイトウキネンの演奏のみ、速いテンポの楽章が個性的で面白かったが
緩徐楽章になると急激にダレてしまい、残念。
モーツァルトの若書きなので、しょっちゅう聴いて愉しめる類のものではない。
「たまに聴いて愉しむ」ジャンルに分類することにした。
コープマン以外に良い演奏がないこともあるし。

同「ディヴェルティメント第17番」
これはモーツァルト20代半ばの作品で、ボリューム感は増しているし、構成も深まっている。
しかし、もはやここまで深くなってくると、省略の妙というのも必要であり
それはディヴェルティメントという形式にはそぐわないということもあり
現代人が聴く音楽としては、どうしても冗長の感は拭えないのも事実。
初回推薦のウイーン八重奏団の演奏は、耳がやはり慣れないので
今回はいろいろ聴いて、ユンク君所収のザンデルリンク&レニングラード・フィルが
最も音楽性豊かな演奏と判断した。
そしてこれも(音楽性豊かだが冗長でもあるので)「たまに聴いて愉しむ」ジャンルに分類。

これで再チェックは一通り終了。

89korou:2021/06/14(月) 11:40:25
今、エクセル互換で作ったファイルをみたら
今回の再チェック終了時点以降の曲について
「たまに聴く」と「もう聴かない」の仕分けができていないように思える。
全部聴くのもうっとうしいので
これはさすがに「たまに聴く」だろうという演奏を
初回推薦の演奏で聴いてみて
さすがにもう聴かないだろうというのだけを振り落とした上で
残りの作品を「たまに聴く」に分類替えすることにしたい。

☆「たまに聴く」に分類替え作業
モーツァルトは、さすがに300選にまで絞られた中で「もう聴かない」ジャンルはあり得ないと思うので、全部「たまに聴く」に分類替え。
ラベル「ボレロ」も「もう聴かない」は事実上あり得ない。

パガニーニ「カプリース」(ファイルにはパールマンとあったが、判断過程を読むとユリア・フィッシャーが良いとあるので、その確認)
ラベル「弦楽四重奏曲」(否定的記述がない。アルバン・ベルクQの演奏を再度聴いて判断)
シューマン「交響曲第1番」(クレンペラーだけは何とか聴けたようなので、再確認)
R・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」「死と変容」「ツアラトゥストラ」「ティル」&「アルプス交響曲」(時間があれば再確認)

※ほぼ曲自体が300選というチョイスに残るほどの内容がない、という意味での「もう聴かない」なので、案外、以上の4点だけの確認で
 済むようだ。

90korou:2021/06/15(火) 15:04:57
チャック再確認。

パガニーニ「カプリース」
たしかにパールマンよりはナクソス1位のユリア・フィッシャーのほうが音色が綺麗。
しかし曲そのものが300選に値しない(ただの練習曲のよう)。

ラベル「弦楽四重奏曲」
アルバン・ベルクQの演奏で聴くと、たしかに思ったより面白く聴ける。
しかし、馴染の無い曲でもあるし、頻繁に聴かれる曲でもないので
あえてジャンル替えする必要性は感じない。

シューマン「交響曲第1番」
まず若手代表のヤンソンスで聴いてみて、それからクレンペラーで聴いてみた。
両者の差は歴然としている。
というか、クレンペラー以外でこの曲を面白く聴かせられる指揮者などいそうにもない。
曲はシューマンの欠点が全面的に出てしまっているので、しばしば聴くまでにはいかないが
全く聴かないのは勿体ない。
「たまに聴く」に分類替え。

以上で確認作業終わり。
今度は、「聴き馴染みのある曲」について、ユ・ナの区別をつけるだけの作業。
気が向けば、推薦演奏以外も聴いてみたい。

91korou:2021/06/18(金) 16:28:20
チャイコフスキーの「P協」「Vn協」を連続して聴く。

「P協」でアリゲリッチを推奨していたのには我ながら驚いた。
聴いてみて、かなり彼女にしては不調だったのではないかと思われる出来だった。
特に終楽章でのミスタッチは痛々しいほどで
これはいかに正統派であろうと、リヒテル&カラヤンの牙城を崩すほどのものではないだろう。
日を改めてリヒテルの演奏を聴いて再確認してみよう。

「Vn協」のフェラス推奨も考えものだ。
これは初回選考の際に、もっと広く聴くべきだったと反省しているとおり
もっといろいろと聴く必要がある。
ただし、第2楽章でカラヤンが引き出したBPOの重厚な響きは聴きものだ。
これだけは他の演奏を凌駕しているだろう。

92korou:2021/07/26(月) 11:47:59
ブラームス「第3」を比較試聴。

ジュリーニ&フィルハーモニア管が断然良い。
かつての試聴では、ジュリーニ&VPOについて
聴き通せばVPOの音色の魅力がフィルハーモニア管それよりも勝ると判断して
VPOのほうを推薦盤にしていたが
改めて聴くと、最初からVPOの音色がほとんど録音できていない演奏で
しかもテンポがかなり遅くなってきていて、その分魅力薄になっている。

併記して推薦していたヨッフム&ロンドン・フィルの演奏も
さほど滋味を感じず、ムダな繰り返しもあったりしたので
ここはジュリーニの旧盤のみを推薦盤に書き替えすることにした。

93korou:2021/08/09(月) 13:38:20
久々に音源チェック。

ベートーヴェン「第1」「第2」について。
「第1」のシューリヒトは悪くはないのだが
ワルターの演奏を聴いてしまうと
ベートーヴェンらしい響きの点でワルターに軍配をあげざるを得ないので
併記で推薦は取り消すことにした。
最近の指揮者だとなかなかこの響きは出せないわけで
その意味では、シューリヒトは未来っぽい演奏をしていることになる。

「第2」は、いまだ他の演奏を聴いていないのだが
おそらく凄い演奏を聴いたとしても
それだけでワルターの演奏を外すようなことはあり得ないので
ワルターを推薦のまま残すことにした。

よって「第1」「第2」ともにワルター&コロンビア響で決まり。

94korou:2021/08/13(金) 21:42:12
「エロイカ」の再チェック。

こんな大曲を、しかもいつもと違って夜に比較試聴したので
再チェックできたかどうか・・・

やはり、この曲にはドイツの魂が匂ってこないと個人的には満足できない。
だから、セル&クリ―ヴランド管の演奏は、どんなに立派でも、その点で魅力薄なのである。
たしかに、いろいろ残った録音の中では、ユンク君の説明通り、1957年のものが最高だとは思うのだけれど。

その点で、最初のチェックで推薦盤にしたシューリヒトの演奏は
その基準でいうならば物足りない。
オケがフランスの二流オケというのも物足りない。

だから、今回いろいろ聴いてみて
結局のところ、ワルターとフルトヴェングラーに落ち着いたのである。
(ということで、あとはドイツ系の指揮者でいろいろ聴く作業が残った。
 イッセルシュテット、ベーム、カイルベルト、カラヤン、E・クライバー、クラウス、クレンペラー、ケンペ等々)

それと、前回のチェックでマルケヴィッチの演奏に感銘を受けていたので、それも聴いてみた。
確かに凄い。個人的にはセルなんかよりよっぽど凄い。曲の個性を思えば、シューリヒトよりも良いかもしれない。
それは、シンフォニー・オブ・ジ・エアーの凄さでもある。このオケだからこそ、マルケヴィッチの芸術が生きている。
本当にこのオケの底力は凄い。1955年の時点で合奏力という観点で言えば世界最高だったのではないか。
ただし、ドイツの匂いがない(当たり前だが)。だから推薦盤にはしない。
今、ブラームス「第1」の最初のほうを聴いている。これはそこまでドイツ臭を要求しないので満足して聴ける。凄い。

95korou:2021/08/14(土) 15:11:04
「エロイカ」再チェックの続き。

クナパーツブッシュのブレーメン響との演奏には驚いた。
まだ完成前のリハーサル中の演奏のごとく、未熟な演奏だ。
それに比べて、同じクナのミュンヘン・フィルのほうの演奏は堂々としている完成形で
即興の美しさにおいてフルトヴェングラーと双璧だが、あれほどの真剣さは感じられない。
クナの即興は、何か真剣さとは別の土台の上で組み立てられているように思われ
そこがベートーヴェンの音楽の核心とは遊離しているのが、この演奏の弱点だろう。
その点、フルトヴェングラーの真剣さは、ベートーヴェンの音楽の個性と一心同体のように思える。

メンゲルベルク&AC管の演奏も、それに似て、この大指揮者の個性は十分に発揮されているものの
その音楽の行き着く先はベートーヴェンの音楽の真実とはかけ離れているようだ(それに録音も悪すぎる)。

エーリッヒ・クライバー&AC管は不思議な演奏で、主題提示部の音楽の流れは申し分なく、あらゆる演奏の出来を凌駕するくらいだが
展開部に入った途端に音楽が渋滞し始める。これは、この日のクライバーのコンディションによるのではないか?

カラヤン&フィルハーモニア管は、予想以上に優れた演奏で、音楽の流れをクライバー並みに巧く把握できていて
それが展開部になっても破綻していない。これは逆にこの日のカラヤンのコンディションがベストだったのだろう。
このカラヤンの解釈をステレオで聴きたくなり、約10年後のBPOの演奏に切り替えてみたが
これは失望する結果に終わった。
今度は展開部で緊張度がバラバラになり、優れた部分は凄いのだが、そうでない部分も相当混じっていて
その未整理な部分はBPOのソロ奏者が目立ちすぎる結果を生んでいる。
かなりテキトーに聴けば、提示部は立派で、展開部も部分的に立派なので、もともとの曲の素晴らしさと相俟って
非常に印象的な、近代オケの合奏力のレベルの高さを示した演奏という風に聴けてしまうのだが(これが今までの印象)
今回、フィルハーモニア管と比較試聴してみて、その雑なまとめ方に気づいてしまった。
この時期(60年代前半)のカラヤンは忙し過ぎたに違いない。
だから、50年代の名演と比較すると、レベルは落ちているのだろう。

96korou:2021/08/14(土) 15:54:52
「エロイカ」続き。

コンヴィチュニー&ライプチヒ・ゲヴァントハウス管の演奏は
最初は異様なほどスローテンポに思え違和感ありありだったものの
そのテンポに慣れてしまうと、今度はオケの薄さに違和感を覚え
しかしその薄さにも慣れてくると、最終的に温かみのある手作りの良さのような質感が伝わってくるという
つまるところ、徐々に印象が良くなる演奏だった。
音楽の細部のどこにも不自然な節回し、不自然な流れなど見当たらず
自然に音楽が奏でられていくこの心地よさは、なかなか他の演奏では聴けない良さだ。
「エロイカ」が持つ激しさ、劇的な感動といった側面はまるで再現されないままだが
こういう名演もあるのかという発見。

ベーム&BPO(1962)の演奏も一見不可解な演奏。
とにかく展開部途中まで、提示部全体を含めて何をしたいのかよく分からないのだが
展開部途中から突然人が変わったように劇的な音楽に切り替わり
これは凄いぞと思わせたのも束の間、再現部はまた平坦な音楽に戻る。
どちらにせよ「エロイカ」とベームの相性は悪そうだ。

ヨッフム&BPO(1954)は、それとは真反対の分かりやすい演奏。
提示部のテンポがクライバー並みの妥当な感じで(クライバーほど音楽的美しさには乏しいが)
そのまま展開部に突入してもレベルは落ちないし、今度はフルトヴェングラーを連想させる絶妙のテンポの揺れで
音楽の深みを表現できているので、途中までは凄い名演だと思った。
ところが、どういうわけか、展開部が進行していっても感動するところまで行き着かず
なぜか巧い演奏にとどまってしまっている(その点でアプローチは全く違うが、カラヤン&フィルハーモニア管と同じレベル)。
聴きやすいのだが、感動は与えてくれない。ドイツ的なんだけど、その良さが空回りしている。

97korou:2021/08/15(日) 17:22:04
今日もしつこく「エロイカ」再チェック。

ケンペン&BPOの演奏。筋肉質で締まった演奏だが、音楽が細部でふくらまず
厳しい姿勢で交通整理をしている警察官のような演奏に聴こえる。

カイルベルト&バンベルク響の演奏は
一見(一聴?)特に何も特徴がないように聴こえるが
次第に心が馴染んでいく不思議な演奏だった。
第1楽章だけ聴いて、演奏とは全く別次元の理由で睡魔が訪れたので
再度聴いて、もう少し分析することにする。
今回はここまで。

98korou:2021/08/17(火) 15:16:10
「エロイカ」再チェック。

カイルベルト&ハンブルク響の演奏を再度チェック。
やはり眠くなった。何だろう。あまりにスムーズな響きなのだろうか。
思うに、エロイカという大曲の数々の決めどころに、それらしい演出が皆無なので
退屈してしまうのではないだろうか。
やはりどうあがいても、エロイカを淡々と演奏してしまっては、曲の本質から離れてしまうのではないだろうか。

クレンペラー&フィルハーモニア管の演奏も同じようなことが言える。
新旧2種あって、ステレオのほうはユンク君も書いているとおり、響きが単純に広がり過ぎて(当時のステレオ技術の限界?)
あまり魅力的に響かない難点が目立つ。
その点、モノラルの旧盤のほうは、響きが重々しくいかにもベートーヴェンぽくなっているが
解釈があまりに淡々としていて、エロイカらしくない。

ケンペ&BPOは意外な拾い物で
録音の良さもあるのだが、いかにもベルリン・フィルらしい重厚な響きがたまらない。
ドイツのオケの音色を愉しむことだけで言えば、十分推薦盤に値する。
終楽章まで通しで聴いてみたが、音色の響きは変わらなかった。
ただし、デモーニッシュな解釈は皆無で、そういうのを求めるときには今一つだろう。

99korou:2021/08/17(火) 16:03:11
「エロイカ」続き

ナクソスでヤンソンス&バイエルン放送響で聴く。
超特急、超高速のスタイリッシュな演奏で、いかにも21世紀を思わせる快演だが
何も心に響いてこない。時間のムダだ。

ネルソンス&VPOもさわりだけ聴いてみた。
ヤンソンスと全く同じ傾向の演奏で、VPOの腰が重い分だけ重厚に聴こえるだけのことだ。
ブルックナーであれほどの名演を聴かせる指揮者が
エロイカではこれほど凡庸なのかと嘆きたくなる思い。

ベーム&バイエルン放送響の演奏もあったので聴いてみる。
これは解釈としてはBPOのときとほぼ同じだが
オケの音色を録音がよくとらえていて、見事にドイツ的な響きだ。
ただし、その意味でケンペの演奏と似ていて、音色以外に聴くべきものは少ない。
ヤンソンス、ネルソンスの後で聴いたので、安心感は抜群だったが
ベームの世代ならこのくらいは当然だろう。

カラヤン&BPO(1984年)の演奏はヘン。軽すぎる感じと薄っぺらい録音でベートーヴェンが台無しだ。
ジュリーニは何度聴いてもテンポが遅すぎて音楽が入ってこない。
バルビローリは珍しく老醜をさらしている演奏、本来はもっと快活な演奏なはずなのに。

100korou:2021/08/17(火) 16:05:42
「エロイカ」の続き。
もう7書き込み連続なので、いい加減ケリをつけたい。

突如、耳の調子がヘンになったので今日は終了。
あとフリッチャイとマタチッチを聴いて「エロイカ」は終わりにしたい。

101korou:2021/08/18(水) 16:17:36
「エロイカ」最終チェック。

フリッチャイ&BPOの演奏は
とにかく第1楽章の出来が素晴らしい。
まだまだ最晩年の深みには達していないのかもしれないが(そのあたりも確かめたいところ)
曲想の要所要所でキメ細かく、かつベートーヴェンらしい音色で
この曲が表現しようとしているものを的確に再現できている。
残念ながら、2楽章以降は、当方のコンディション不良で睡魔に襲われ
きっちりと聴けていないのだが
後日きっちりと聴くことにする。

マタチッチ&チェコ・フィルの演奏は
録音の音質がステレオ録音としては明るすぎて軽すぎるようで
マタチッチの演奏個性にふさわしくなく聴こえる。
イヤホンで聴くのが不適切なのかもしれない。
今、たまたま片方の耳のほうを外して聴いてみたら
なかなかシンフォニックに響いていい感じだった。
ただし、もしその響きであったとしても
これだけ細かいニュアンスが要求される音楽の演奏としては
あまりに豪快すぎるかもしれない。
ブルックナーこそ、こういうシンフォニックな響きがふさわしい。

ということで、次の書き込みで総括。

102korou:2021/08/18(水) 16:26:46
「エロイカ」比較試聴の総括

今回の総括で印象に残った演奏は
コンヴィチュニー、カラヤン(旧盤。フィルハーモニア管)、ケンペ、フリッチャイ、マルケヴィッチ。

ただし、もう1回念のため再聴してみて、カラヤンの旧盤とシューリヒトを比較してみて
カラヤンのほうが上という評価にはムリがあったので訂正。

総括すると
ドイツ的響きとエロイカの巨大さを表現できているのは、フルトヴェングラー&VPO
エロイカの巨大さと繊細さを同時に余すことなく表現できているのは、ワルター&コロンビア響
この2つの演奏が双璧。
次点として、まさにベートーヴェン的精神状態を再現できている奇跡の演奏として、フリッチャイ&BPO

ドイツ的響きをもっぱら愉しもうとするならば、コンヴィチュニー&ライプチヒ・ゲヴァントハウス管、ケンペ&ハンブルク響

ドイツ的響きはないが、シンフォニックな厳しさを求めるのであれば、マルケヴィッチ&シンフォニー・オブ・ジ・エアー
同じくドイツ的ではないが、音楽的な美しさの極致を愉しむのであれば、シューリヒト&パリ音楽院管

ということで、最終的にフルトヴェングラー、ワルター併記での推薦とする結論に至った。

次回は「第4」。

103korou:2021/08/27(金) 16:13:37
ベートーヴェン「第4」の再チェック。

前回はワルター&コロンビア響が推薦盤。
この曲に関しては、特に新しい世代の指揮者ではどうにもならない面があり
どうしても旧世代の指揮者の演奏の比較となってしまうのは仕方ないところ。
曲そのものがベートーヴェンにしてはいかにも不出来であり
簡単に言えば「要を得てない」曲なので
どんなにスタイリッシュにキメても、ベートーヴェンらしさのかけらも出てこないのである。
(その典型がカルロス・クライバー&バイエルン放送響の演奏。一般的にはこの演奏がベストらしいが、とんでもない話だ)
そのあたりが「英雄」とか「運命」とは決定的に違うところ。
その点、トスカニーニ、フルトヴェングラーの両巨匠の場合
個性的であると同時に、その個性が曲の物足りなさを十分に補い、聴くに足る演奏になっている。
しかし、その個性による補いを最小限に聴かせ、曲そのものを活き活きとしたものに再現したのが
巨匠ワルターの芸術である。
今再聴しているが、この演奏が一般的にはベストで間違いないだろう。

ナクソスにムラヴィンスキー&レニングラード・フィルのライブ演奏で1955年のものがあり
試しに聴いてみたところ、これは物凄い演奏で、ある意味、あらゆる演奏を超越して最高級の演奏と思えた。
ムラヴィンスキーについては、宇野功芳氏が1949年の録音の演奏を「録音さえもっと良ければ」という留保付きで推薦されていたが
これは、恐らくその1949年盤よりもはるかに音質が良いようだ。宇野氏が書かれたニュアンスが十分に聴き取れる。
この聴き慣れた曲が、まるで違う曲のように聴こえるのには驚かされる。
こういうのを天才と言うのだろう。
ワルターと併記して推薦盤としたい。
心の安らぎも同時にというときはワルター、この曲からもベートーヴェンらしさを求めるときはムラヴィンスキー、という
聴き分け?(妙な言葉になったが)が最高だ。

104korou:2021/08/28(土) 14:29:27
(補遺)ベートーヴェン「第4」

バーンスタイン&VPOの演奏は、最もベートーヴェンらしい響きの演奏で
若い時ならこれがベストの演奏だったかもしれない。
しかし今や曲そのものへの疑念が深まってきているので
この正統派解釈が残念に聴こえる(意欲十分なのに曲がそれに応えていない)。

ベーム&VPOの演奏は、音楽的に正しいという意味においてワルターと双璧、
オケが上手いので、こちらがベストかもしれない。
そして、どうしても納得できなかった第1楽章の展開部の緩さが
ベームの解釈により、ここはオペラのような広がりの展開を意味していると分かり
凡庸な解釈でやたらアクセント、アッチェランドをかけてたたみかけようとする演奏の愚かさを
しらしめてくれたのはさすがだ。
しかし、そうなれば、ベームの非情なまでのリアルな解釈が今度はうとましく感じられ
ワルターの歌心に満ちたフレージングが懐かしく思えてくるのである。
ワルターも展開部を広がりのある音楽として解釈していたに違いない(鈍い自分にはすぐには分からなかったが)。

最後にカイルベルト(&バンベルク州立フィル)。
宇野氏が言うようなオケの響きの美しさについては
ずっとVPO、それもVPOにしては随分と優秀な録音でそれを聴き続けた後なので
それほどまでには感じない。
解釈は若々しく、バーンスタインとベームの老熟した指揮ぶりとは対照的。
そして、展開部はベームと同じでゆったりとして、決して若さのまま勢いで突っ走らないところが
やはりドイツの正統派解釈なのだろうと感じた。

この3つの演奏はすべて優れた演奏だが
ワルター、ムラヴィンスキーの牙城を揺るがすには至らない。

105korou:2021/09/02(木) 17:35:33
「運命」再チェック、
第1楽章を「意志の発現」と採るか、「運命の描写」と採るか。

今まではベートーヴェンの意志として聴いていた。
しかし、このような激しい感情の吐露をメインにした音楽を
もはや我が事として共感できなくなっているここ最近の感性で聴いてみれば
意外なほど客観的に響いてくるのには驚いてしまう。
これはモーツァルトの「第40番」のような”神の摂理”の描写なのだ。
第2楽章も同じく”神の摂理”で、より内面的な精神の状態を表わしている。
第1楽章が神の摂理を自らを取り巻く”環境”の摂理として表現しているとして
第2楽章は”自分の精神そのもの”のなかに神の摂理を見出そうとしている。
外と中、激情と瞑想、それらはゲーテが感じた悪魔めいた近代人の姿としてではなく
あくまでも18世紀までの世界観のなかで表現されている。
しかし、その視点そのものが新しい。独創的で誰も成し得たことのない新時代の視点だ。
そして、第3楽章から第4楽章にかけて
そうした視点で獲得した地点からの旅立ちを表現する。
だから、絶望的な状況のなかであっても、力強さを感じさせる状況であっても
どこかにその絶望と歓喜を見つめている冷静な視点を持っていなければ
新しい時代はやってこない。新しい人間像は生まれない。

こんな風に解釈すれば、今の気分にぴったりだ。
でも、これは本当に難しい。
以上のニュアンスを全うしながら、あくまでもベートーヴェンの響きでなければならないのだから。
ほとんどの演奏は以上の条件を満たさない。皆失格だ。

106korou:2021/09/02(木) 17:47:06
「運命」再チェック。

トスカニーニなどの古い録音は論外だ。ニュアンスも何もあったものではない。録音の古さが全てだ。
フルトヴェングラーの1947年盤も同じ。
フルトヴェングラーの1952年盤は、昔聴いていた記憶からすれば、ユンク君で聴くその音質の良さは画期的だ。
十分にニュアンスが聴き取れる。
ベートーヴェンの響きという点で、これほど力強く、内面から湧き出る力を感じさせる指揮者は他に居ない。
ただし、解釈の基本が、この作品全体を通して、新しい人間像を直接表現しているという立場をとっている。
だから、今の自分には不自然な重たさ、物々しさをもって聴こえる。

ワルターも想像以上に古い解釈だった。
NYPとの旧盤、コロンビア響との新盤ともに、物々しい(よく歌っているので重たさは感じないが)。
最近のお気に入りだったエーリヒ・クライバーの解釈も
こうして聴いてみれば時代の制約を感じてしまう。
出だしからすっかりベートーヴェンっぽく物々しい(切れ味は鋭いので重たさは感じないが)。

かつて偶然エアチェックして聴いていたバーンスタイン&NYPの演奏、これが良かった。
第1楽章は完全に古典派のシンフォニーの解釈で、しかも読みが深い。かつバーンスタインの個性の美点が出て
ベートーヴェンの作品らしい響きに満ちている。
第2楽章も、音量の変化などが想像以上に繊細で満足な出来。
第3楽章から第4楽章はやや平凡だが、それまでの満足感を損ねるものではない(というより、この部分のベストとなると
自分にはイメージが湧かない。どう表現すればベストなのか?)
というわけで、現時点ではバーンスタイン&NYPが推薦盤となる(なおカルロス・クライバーは響きがベートーヴェンでない)。

107korou:2021/09/05(日) 17:50:04
「運命」再チェック。

ユンク君サイトで、スタインバーグ、オ-マンディ、オッテルロー、アンチェルなどを聴く。
どれも悪くはないのだが、あえて聴くほどのものでもなかった。
どの指揮者も「運命」、そしてベートーヴェンが特に得意な指揮者でもないが
ひょっとして意外な拾い物があるかもしれないと期待したのだが・・・

最後にベーム&BPOの1953年盤を聴いた。
これが最初から重厚な響きでいかにもベートーヴェンらしく
またベームらしく一見機械的な処理のように見えて、実は内面からよく歌い上げられていて
この曲の前半の後期モーツァルト風な悲愴美をよく表現していて
その意外なほどの響きの良さに驚かされた。
第2楽章の強音が、録音のせいもあって耳に優しくない響きになってしまうのが唯一の難点。
第3楽章から第4楽章にかけての見事なデモーニッシュな響きは
モーツァルト後期の悲愴美から、ベートーヴェンのみが達し得た近代人の模範となるべき勇気、意欲、力の表現を
最大限に再現していると言ってよい。
この曲に関して
前半はバーンスタインの分かりやすい説得力十分の演奏を聴くべきだが
後半はベームの心の内面から爆発していく人間の精神の
高貴さを聴くべきだろうと思う。

今のところ、この2つの演奏が推薦盤で、多分これ以上の演奏はないようにも思えるが
もう1回他の演奏を聴けるだけ聴いて、「田園」に移る予定。

108korou:2021/09/08(水) 17:51:58
ベート―ヴェン「運命」最終試聴チェック。

1週間ほど試聴し続けて、またまた嗜好が変わった。
基本的に遅いテンポの演奏が頭に入らなくなり(多分、試聴という方式のせいだろう)
バーンスタインの演奏が、それほど良いものに思えなくなってきた。
その一方で、トスカニーニの1939年盤の気迫のこもった演奏に特別な印象をもったりした。

やはりベーム&BPOがベストだと思う。
ただし、クレンペラー&フィルハーモニア管の演奏もそれに匹敵する凄さをもっている。
クレンペラーの指揮は、ひたむきな情熱を感じさせない点で
ベートーヴェン「運命」の演奏としては、最初はどうかと思ってしまうのだが
聴いているうちに、一音もおろそかにしない集中力と堂々とした揺るぎないテンポに圧倒されていき
特に「運命」という曲のキモである第3楽章から第4楽章への突入部分での気持ちの入り方が凄まじく
ベームの燃焼力、内面の強さと好一対であるように思えるのである。

その点、カイルベルト、ヨッフムなどの純ドイツ系指揮者の指揮ぶりは
第1楽章から第2楽章にかけて安心の音色で気持ちよく聴けるのだが
そこから先の音楽がそれ以上に止揚されないまま、安定した感じでフィナーレに至るところが
やはり「運命」としては物足りないのである。

よって「運命」推薦盤の最終結論。
クレンペラー&フィルハーモニア管が1位、ベーム&BPOが2位。
クレンペラーを優先するのは、後半の楽章の切れ目がなく継続して聴けるからで、それ以上に理由はないが、この点は大きい。
次回から「田園」。

109korou:2021/09/09(木) 17:19:34
ベート―ヴェン「田園」の再チェック。

どうも、疲れているときにこの曲はムリなようだ。
どれを聴いても眠たくなる。
疲れてなければワルターでもモントゥーでも美しく聴こえるのだが
たまたま今現在のように睡眠不足だったりすると(本当にたまたま)もうダメだ。
この曲は今回パスすることにしよう。
ワルターはさすがに他と違うのは分かるので
モントゥーを消して、同等のランクでジュリーニを候補に入れておくことにしよう。
次の機会には、ベーム、クレンペラー、シューリヒト、E・クライバーを含めて
比較試聴したい。

ということで次回は「第7」

110korou:2021/09/16(木) 17:45:30
ベートーヴェン「第7」の再チェック。

まずはナクソスから、
トップがベーム&VPOだったので驚いたが(普通はもっと新しいコンビなのだが)
聴いてみると、いきなりの美しいウィーン・フィルの音色に、さらに驚かされた。
VPOの場合、録音の悪さでうんざりさせられるのが常だったので。
演奏もベームらしい重厚なものだが、その個性が「第7」に合致しているかというと
意外と合わないように思えた。
1975年の来日ライブにしても、どちらかいえば沈潜する表現が最終楽章でまさにクレンペラーの演奏のような
えも言い難い感動を生んだわけだが(当時はクレンペラーの演奏の感動を知らなかったので、唯一無二のように思えたが)
つまり、それはベームらしい重厚かつ内省的な響きという個性のゆえ、というわけではなかったのである。
この演奏も、最初のほうで音色からくる感動を味わった後は、意外と平凡で、飽きがくる演奏になっていった。

第2位はラトル&VPO。いかにもラトルらしい鋭くも軽やかなリズムで個性を見せるが
ラトルのベートーヴェンはまさに現代の感性そのもので
どうにも自分には馴染めない。

第3位はカルロス・クライバー&バイエルン放送響による1983年のライブ盤で
これはかつて聴いた1975年のスタジオ録音とは違って、興味深い演奏だった。
第3楽章の途中までは、全く飽きさせず、個性あふれる表現で才能を感じさせたのだが
第3楽章の最後に至って、時間の経過による音楽の深化が感じられないことに気付く。
第4楽章に至っては、ただ単にテンポの速いスポーティーな演奏という印象しか残らなかった。
これがこの人の限界なのだろう。

ということで、今日は、推薦盤発見には至らなかった。

111korou:2021/09/17(金) 16:56:42
ベートーヴェン再チェック。

「第7」のクレンペラー&フィルハーモニア管の1960年盤を再聴。
立派な演奏には違いないが、やはり第3楽章までは、聴く時のコンディションを選ぶかもしれない。
しかし、いかなるコンディションであれ、どんな環境であれ
終楽章のコーダ突入の際の低弦のうなるような響き、その上でインテンポを守りながら凄い集中力で上昇していくメロディ、
そして、いよいよ来るべきときが来たという瞬間に、凄まじいクレッシェンドで突入してくるトランペットの咆哮!
それらを聴いたときの、心が震えるような感動は、この演奏でしか味わえない。
外すわけにはいかないが、これは番外編として併記して
スタンダードな名演をもう1つ探そう。

寝る際の音楽を入れているSDカードの中身を入れ替えてみた。
その作業のなかで、ベートーヴェン「第8」について
ヨッフム&BPOの演奏が優れていることに気付いた。
シューリヒト盤の音の響きの悪さ、ヌケの悪さが気になり始めているので
この曲についてもシューリヒトよりヨッフムのほうに惹かれ始めている。

「第7」と「第8」を並行して作業してみることにする。

112korou:2021/10/13(水) 17:25:39
ベートーヴェン「第8」を再チェック。

今のところ、クリップス&ロンドン響がベスト。
前の書き込みでヨッフムを推奨してみたが
改めて聴くと、BPO盤(ユンク氏)は音が汚く薄いといういつもの録音の問題があり
AC管盤(ナクソス)は自然な音質で聴き易いのだが、肝心の音楽がいつもの豊かなヨッフムの音楽とは程遠い。
ただし、同じように、音質OK・表現物足りずのイッセルシュテットの指揮よりは、ヨッフム&AC管のほうが好みである。
シューリヒトも再々聴してみた。やはり名人芸というべきか、細部の表現が個性的で聴くべきものはあるし
よく聴くと伝わってくる奥底に秘めた情熱、力で、
まさにベートーベンの音楽の本質を、意外な方向からではあるが十分に表現し得ている。
聴く側の緊張感、集中力の問題かもしれない。

(推薦)クリップス&ロンドン響(ナクソスで。ユンク氏のサイトで再生すると微妙に回転数が違うので感動がイマイチになる)
    シューリヒト&パリ音楽院管(クリップス盤にはないベートーヴェン本来の力、情熱を感じたいときは、こっちになる)

クリップスの演奏は、ワインガルトナー、イッセルシュテットといったウイーンの伝統の感性を
ロンドン響の現代的な響きで再現したもので
全体の造型、細部の表現、テンポ、リズム、どれをとっても不満な点はない純音楽的な愉しみに満ちたものである、
そこにないのは、ベートーヴェンらしい力強い生命力、勇気づけられるイメージのみで
それはシューリヒトで味わうのが本筋である。
(最後にクナ&BPOを聴く。まあ凄い演奏である。こんな表現は他の指揮者では聴いたこともなく、もう二度と現れないだろうと
 思わせる。全体に流麗な感じが皆無なので推薦盤にはできないものの、たまに「第8」という曲の別の側面を堪能するという
 意味合いでは絶対外せないだろう。規格外の名盤と言える)

113korou:2021/10/13(水) 18:02:07
ベートーヴェン「第9」の再チェックに突入!

バーンスタイン&VPOの演奏は評価が高いが、今回聴いてみてもやはり重たすぎる。
音楽の深層のリズムは、バーンスタインの場合、どうしても変化しないようで
そうなると若い頃のNYP時代のほうがまだマシということになりそう。
イッセルシュテット&VPOを今聴いているが、これが結構聴ける演奏で驚いている。
VPOの録音としては最上級のもので、弦、金管、木管のどれも最上級の音色の美しさだ。
造型も確かで、「第8」のように難しい構成ではないので、実にスムーズに音楽が紡がれていく。
もっともベートーヴェンらしいか?「第9」らしいか?と言われれば、そうではないので
準推薦という扱いにせざるを得ない(純音楽としての美しさは最上級なのだが。その意味でワルターがコロンビア響で
「第8」「第9」に名盤を残せなかったので、「第8」はクリップス、「第9」はイッセルシュテットがその代わりということになる)

数日前にネルソンス&VPOの演奏を聴いて、その聴き易さに驚いたのだが
今回のイッセルシュテットと比較すると、やはり世代の有利さということはあるだろう。
ネルソンスは恐らくその世代において最も上手く「第9」を指揮できる人のはずだが
やはり、その解釈にはフィルターが入っていて、全体をスタイリッシュにまとめることに重きが置かれている。
イッセルシュテットの指揮だと、そうした考えを意図的にもたなくても、自然に音楽が流れていき
スタイリッシュなことを気にしなくても、無意識に十分にスタイリッシュなのである。
その分、イッセルシュテットの音楽は一層無手勝流とでもいうべきか、自然な音楽の流れ、愉しみに満ちていて
これはウイーンの伝統というものを19世紀末の雰囲気まで受け継ぐことのできた世代の有利さという他ない。
ネルソンスは、その不利な条件のなかで、最大限に美しい「第9」を表現している。
オケの響きも、VPOならという期待に十分応えているし、現代のベートーヴェンとしては最上のものと言えよう。
そして、イッセルシュテット同様、準推薦のベートーヴェンということになる。

114korou:2021/10/14(木) 17:28:24
ベートーヴェン「第9」再チェック。

今日は朝比奈隆とヨッフムの試聴。
朝比奈は、ナクソスで、大フィルとN響の2種類があったので両方、最初のほうだけ試聴。
ゆったりとしたテンポの部分(冒頭など)の意味深い響きはさすがで
これぞベートーヴェンという響きを(どういう仕掛けでそう聴こえるのか不思議だが)聴かせてくれるのだが
勢いをつけるフレーズや強音の部分になると、オケの響きが濁っていて鈍く聴こえるのが残念すぎてどうにもならない。
特に大フィルの音は致命的に鈍い。現代のリスナーは、いろいろな音を聴き続けているので、
今の自分のような”やっとこの年になって満足な音質を手に入れた”ような者にとっては、これは残念すぎて聴けない。

ヨッフムは全部通して聴いた。
第1楽章からずっとオケの響きは有機的で、適度に意味深く、適度にキレの良さがあるので、ずっと聴いていられる。
終楽章の合唱、独唱が素晴らしかったという印象があったのだが、確かに素晴らしい出来ではあるけれど
そこが格別に目立って印象に残るということではなく、一緒に奏でているオケも相変わらず素晴らしい。
そして、以前も感じたように、これは戦中、戦後の混沌、混迷をくぐり抜けてやっと本来の音楽の愉しみを奏でられる喜びに
満ちた演奏なのである。「第9」の演奏として、これほどふさわしい状況、雰囲気はなかなか他には見当たらないのではないか。
やはり推薦盤の1つとして不滅である。

115korou:2021/10/20(水) 14:05:00
ベートーヴェン「第9」再チェック、続き。

こういう大曲を比較試聴するのは大変なのだが
第1楽章冒頭のある種不穏な雰囲気からエネルギーが爆発するような部分だけでも
ある程度判断できることに気付いた。

フルトヴェングラー&バイロイト祝祭管の演奏は
部分的には他のあらゆる演奏を寄せ付けないほどの絶対的な表現が満載だが
冒頭があまりにも残念すぎる。
これは彼の演奏スタイルからして仕方ないのだが
「第7」であれだけ霊感を感じさせる冒頭の響きを出せる人が
こんな平凡な楽譜をなぞっただけのような冒頭の響きになること自体が信じられない。

トスカニーニ&NBC響の演奏は
その点で申し分ないし、途中までは物凄いスピード感で圧倒されるのだが
速いパッセージもそのスピードで突っ切ってしまうので、そこで音楽が死んでしまっている。
こんな単純な過ちになぜトスカニーニは気がつかないのだろうかと思えるほどで
自らの演奏スタイルに酔っているとしか思えない。

メンゲルベルク、ワインガルトナーの演奏は音質が悪すぎて、批評の対象になり得ない。

116korou:2021/10/20(水) 14:22:24
ベートーヴェン「第9」再チェック、続き。

カラヤン&フィルハーモニア管は
あまりにもカラヤンすぎる演奏で、冒頭の不穏感が皆無、これはベートーヴェンではない。

クリュイタンス&BPOの演奏は
これといって欠点の見当たらないオーソドックスなもので
じゃあ何度も聴きたい演奏かと言われれば、決してそうはならないという類の演奏である。
ベートーヴェンを表現するには、あまりにも上品なスタイルと言えるのだが
そう思えば、冒頭の不穏感の出し方など、自らの個性のなかでよりベターな響きを出している点は
さすがと評価できる。でも全体としてはどうでもいい演奏。

シューリヒト&パリ音楽院管については
何とも不思議というべきか、冒頭の響きが不穏感とは程遠いながら、それでいて全然違和感がないという奇跡。
でも、全体にベートーヴェンらしくない響きであることは確かで、さらにオケの音色が明るすぎて「第9」らしくない。
シューリヒトの棒なら、ドイツもしくはオランダのオケで聴きたかったところだ。

ワルター&NYPの演奏は、まさにワルターらしい細やかな表現が聴きどころなのだが
その豊かな感性を邪魔しているかのようなNYPの弦の音色の鋼鉄のような響きが恨めしい。
しかも、これはワルターがアメリカの聴衆向けに磨いた音色のように思えて二重に恨めしい。
ミュンシュ&ボストン響も、音色といい、表現の基本スタイルといい
ワルターの小技がない分だけもっと徹底して50年代のアメリカのオケの音色を代表するかのような演奏だ。
ところが、その分爽快さは際立っていて、さらにトスカニーニのときには無茶苦茶に聴こえた部分、速いパッセージにおいても
この超特急スピードのスタイルながら不自然に聴こえないのが不思議である。
これはこれで”極めた演奏”なのではないかと思えた。
ある意味素晴らしい!

117korou:2021/10/20(水) 15:22:43
ベートーヴェン「第9」再チェック、続き。

ミュンシュ&ボストン響の演奏について補足。
素晴らしいのだが、このスピードで演奏するとリズムに粘り、ニュアンスが出ないのは当然なので
その意味で決して推薦盤のレベルではない。
ただ、数多くある速いテンポの演奏の中では最高のレベルと言える。

クレンペラー&フィルハーモニア管は
あまりにも霊感に乏し過ぎるというか、これはクレンペラーにしてはあまりにも不出来な演奏である。
どこをとっても魅力に乏しい表現になっている。

コンヴィチュニー&ライプチヒ・ゲヴァントハウス管については
とかく明るい音色になりがちなオケの個性をよく修正してベートーヴェンらしい重厚な響きにもっていった
コンヴィチュニーの指揮ぶりが注目の演奏だが
それ以上の聴きどころはない(録音は秀逸)。

アンセルメ&スイス・ロマンド管の演奏は、もはやアンセルメ独自の響きが耳について、どうにも批評できない。

ワルター&コロンビア響については、冒頭の不穏感が皆無ながら、フルトヴェングラーのそれと違って
なんとかそこは聴き続けることが可能で、そこから先に進むと、いろいろな箴言を聴くことができる演奏になっている。
ただ、あまりにもベートーヴェン臭が無さ過ぎて物足りないことも事実。
なかなか「第9」というのは難しい曲だ。

118korou:2021/10/20(水) 15:52:50
ベートーヴェン「第9」再チェック、続き。

フリッチャイ&BPO。
シリアスな響きはいかにもベートーヴェンらしいのだが
どういうわけか健康的な響きにも聴こえ、その点で堂々としていながら妙に残念なオイストラフのヴァイオリンと
よく似ている。
もう少し晩年に近いフリッチャイなら、もっとできたはず。

カラヤン&BPO。
以前のフィルハーモニア管との演奏と比べると雲泥の差で、冒頭から見事な不穏感を醸し出す。
その直後のフォルテの響きは感心しないのだが、それを除けば、何という見事なベートーヴェンらしい響きの連続。
カラヤン独特のレガート、フォルテの響きの軽さに目をつぶれば、断然「第9」らしさにあふれた演奏。
何といっても、この60年代前半のカラヤンのベートーヴェンでしばしば聴かれる圧倒的な気迫が素晴らしく
徐々にレガートも響きの軽さも気にならなくなり、聴き入ってしまう。

マルケヴィッチ&ラムルー管の演奏については
以前は推薦盤にしたものの、こうして多く聴いてみると
数多くあるテンポの速いスタイリッシュな演奏のなかで特に目立って出来が良いというわけでもなく
聴き直してみるとかなり平凡に聴こえた。
マルケヴィッチとカラヤンを入れ替えて、今回の「第9」の再チェックは終了としたい。

推薦、ヨッフム、カラヤン。

119korou:2021/11/05(金) 14:53:15
ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第3番」を比較試聴。

このところこの曲ばかり2週間以上聴いているのだが
決定盤が出てこない。
以前推薦盤にしたケンプ&ケンペンの演奏は
やはりオケの音の出し方にデリカシーが乏しく
モノラルの音質ということもあって広がりもないので却下。
広がりという点では、
ルービンシュタインとクリップス&シンフォニー・オブ・ジ・エアの演奏が
録音も優秀、ニュアンスも豊かで広がりがあり
これを推薦盤とするほかない。
曲自体が形式的なリズムに陥っていて、ベートーヴェンにしては不出来な曲なのかもしれない。
その点で、ルービンシュタインは極めて主観的な弾き方をしていて
宇野功芳氏の指摘のとおりなのだが
こういう曲の場合、こうした個性的な弾き方でないと
最後まで飽きずに聴くことは難しいように思う。
今ずっと聴いているのだが
第2楽章は、ピアノ、オケとも素晴らしい出来で
これに関しては文句なしの名演だと思った。
両端楽章も、曲の出来栄えからみてこれ以上のものがあるようには思えない。

(推薦)ルービンシュタイン(P)、クリップス&シンフォニー・オブ・ジ・エア

120korou:2021/11/08(月) 17:13:42
ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第4番」の再チェック。

結論から言えば、前回推薦のアラウ&C.デイヴィスで決まり。
他の演奏はほぼすべて音色が明るすぎて、この曲のモーツァルト風な側面だけが浮き彫りになっているが
アラウはさすがで、この淡泊な曲からベートーヴェンなるもののエキスを磨き出している。
デイヴィスの指揮も信じられないほどアラウの演奏に沿った見事なもので
協奏曲のバックの指揮の理想ともいうべき、音色を遠景にとどめて
ともすればベートーヴェンの楽譜から導き出されがちなオケの出しゃばり具合が完璧にセーブされて
ベストのポジションでオケが鳴っている。
ドレスデン・シュターツカペレの音色もいかにもベートーヴェンにふさわしく
録音も超優秀でその音色を100%再現できている。

アラウの精神性あふれる高貴な演奏は他の演奏とは隔絶して素晴らしいが
それに匹敵する深い精神性を、こんな明るい淡泊な曲から導き出しているのが
コンラート・ハンゼンのピアノ、フルトヴェングラー&BPOによる戦時中のライブ録音である。
アラウの悠然迫らぬ境地、すべてを見通したかのような演奏とは対照的に、
当時40代のハンゼンは緊迫した雰囲気、凄まじい集中力でもって
この曲の精神性を表現している。
フルトヴェングラーの指揮も、得意ではないはずの協奏曲におけるサポートという立場のなかではベストに近い出来で
ハンゼンのピアノがこの巨匠の音楽と渾然一体となって聴く者の心に迫ってくるのである。
録音もこの時期のものにしては驚くほどクリアだ(ただし、ナクソスで検索して最上位に出てくる録音は冴えないので、
Russian Compact Discというレーベルのもので再生する必要アリ。なお、ユンク君には音源ナシ)

その他に、グルダ、ルービンシュタインを聴いてみたが
悪くはないのだが一長一短があり、上記2点と比べると聴いていてもどかしい。

(推薦盤)アラウ(p)、C.デイヴィス&ドレスデン・シュターツカペレ

121korou:2021/11/12(金) 15:00:50
ベートーヴェン「皇帝」の再チェック。

第3番に続いて苦戦。やはり曲自体の出来が良くないので、名演を探すのが難しい。
今のところ、前回推薦のグルダ、シュタイン&VPOがやはり一番なのだが
それでももっと良いものがあってもおかしくない直感にとらわれるのは何故か。

グルダの音は若々しく、軽快でいて、全然軽い音色の欠点を感じさせない唯一の音である。
「皇帝」は重々しい音色がふさわしいはずなのだが
グルダの演奏で聴くと、この曲がベートーヴェンの若い頃に書かれた曲であることを改めて再認識させられ、
こうした若々しさを感じさせる軽やかな音で弾かれるべき曲なのかもしれないと思わせるのである。
これは他のピアニストの演奏では決してたどり着かない感想なのである。
シュタインの棒は的確で、すでにピークではないVPOの演奏力から最大限のものを引き出していて好感が持てる。

同じVPOでも、ベームの棒にかかると、さすがに見事な音を奏でだす。
ここでは若き日のポリーニが弾いているのだが、残念ながらニュアンスに乏しく、ただ弾いているだけの感じなのが残念。
VPOの音は最高なのだが。
VPOがもっとハイレベルな時代に録音されたイッセルシュテットの指揮はオーソドックスで良いのだが
肝心の録音にクセがあって、弦の音などにふくらみが乏しく感じられる。
バックハウスのピアノはさすがで、この音色と落ち着きは、ちょっと聴いただけでもベートーヴェンそのものだ、
ニュアンスがどうのこうのなどこの演奏には無用なのだが、それにしてもオケの音質が残念すぎて決定盤とはし難い。
ニュアンス関係なしといえば、ホロヴィッツの演奏も凄いものだが、バックハウスと対照的に
このピアノの音色はどこまで聴いてもベートーヴェンではないように思えてしまう。
ライナーの指揮は秀逸なのだが。

他にもいろいろ聴いているのだが、書き切れないので略。
次回で最後にして、当面グルダを暫定推薦盤としようか。
「皇帝」だから名盤を期待するほうがムリなのかも。

122korou:2021/11/18(木) 10:57:53
ベートーヴェン「ヴァイオリン協奏曲」を再チェック。

「皇帝」がまだ済んでいないのだが、ついつい次の曲へ。
とはいえ、どれを聴いてもしっくりこない。
そもそも自分の嗜好として
協奏曲というジャンルに何も見いだせないような感じさえしてきて唖然とする。

そのなかでもまあ聴き易い、安心して聴けるというのは
やはり前回推薦盤のパールマン、バレンボイム&BPO盤となるだろう。
緊張を持続させて聴き続けることができるというレベルではないのだが
耳元でずっとなり続ける音として、ベートーヴェンの「Vn協」ならこんな感じかなという
いい意味での既視感がある。

シェリング、イッセルシュテット&ロンドン響の演奏も
パールマン盤に似た印象で安定感があるが
シェリングの音色が透明すぎ、パールマンの幸福感あふれる音色と比べると
自分の嗜好としてはやはりパールマンを採りたい。

クライスラー、クーレンカンプ、ヘンデル、五島みどり、クレーメルなどを聴いてみたが
いずれにせよ、メロディの起伏が霊感に乏しく、名曲とは思われない。
ベートーヴェンにとって、ヴァイオリンソロの名曲を書くことは
かなり苦痛だったのではないだろうかとさえ思える。

というわけで、この曲の再チェックはまたの機会として
今回は前回推薦盤の通りとしたい。

123korou:2021/11/18(木) 11:15:32
ベートーヴェン「皇帝」再チェック(最終)

やはりグルダ盤を推薦盤とするが
今回、ゼルキン、バーンスタイン&NYP盤を聴いて
その前進するエネルギーの熱さと、ゼルキンの心のこもった弾きっぷりに
感銘するところがあり
両者併記ということで。

音楽的な充実感ということだとグルダ盤(ナクソス)、
ベートーベンを感じたい演奏とすればゼルキン盤(ユンク氏)
という感じになる。

124korou:2021/11/21(日) 15:40:24
ベートーヴェン「悲愴」再チェック。

宇野氏推薦のホロヴィッツは、ナクソスにもユンク氏にも音源ナシ。
ギレリスについて、前回のチェックでは主部のテンポが急すぎて違和感アリと評したが
今回聴いてみて、そういう印象は受けなかった。
堂々とした立派な演奏だったのだが
その直後にケンプを聴いて
やはりケンプの素晴らしさというか、自然に音楽がこぼれ出るような見事さに
圧倒されてしまった。
ベートーヴェンの初期のピアノソナタは
再チェックの必要がないかもしれない。
あまりにもケンプと他のピアニストとの差があり過ぎる。

ということで
「テンペスト」までは、ケンプ中心にさらっと復習するだけにしたい。
「ワルトシュタイン」からいろいろ聴いていこうと思う。

次回は「月光」

125korou:2021/11/22(月) 17:54:59
ベートーヴェン「月光」再チェック。

しばらくケンプで再確認、と書いたものの
この「月光」だけは曲調が合わないのでケンプはパス(一応聴いてみたが、やはりダメ。厳格な曲調にこの流暢すぎる自由すぎる
ケンプのスタイルは合わない)。
なぜか、推薦盤のエクセル表だと、ホロヴィッツの1946年盤が推薦盤になっているのだが
その選考過程を書いた文章が出てこないので詳細が分からない。
ホロヴィッツの演奏は、1946年は音が古すぎて迫力が出てこず、表現自体ももっと”ホロヴィッツの月光”なら出来たはず。
1956年盤も聴いてみたが、出だしから平凡で聴くに値しない。
その点、最初の選考で文章に残してあるギレリスは
今回聴いても素晴らしかった。
何よりも、特殊な表現を聴かせるといった余分なものが全くなく
ほぼ聴こえる音の100%がベートーヴェンそのものであるのが心地よい。
第3楽章を久々に真剣に聴くことができて、ベートーヴェンの骨太で真摯な精神に触れ得た気がして
思わず感涙した。

ギレリスを推薦盤とするが
あとほんの少しだけいろいろ聴いてみることにする。

126korou:2021/11/25(木) 15:09:14
ベートーヴェン「田園」「テンペスト」を再チェック。

「田園」はケンプで決まり。
その結論を出してから数日経ってしまい、他に何を聴いたのか具体的に思い出せないが
最初のチェックの際に感じたことと同じだったことは覚えている。

「テンペスト」のケンプは、「月光」と同じ緩さが出ていて、ベートーヴェンらしさが感じられない。
リヒテルとギレリスは同じようなタイプの演奏で
ゆったりとしたテンポで緊張感を醸し出しながら、大振りな演奏で圧倒的な響きを出しているのだが
曲調がそうだとはいえ、やや劇的演出に走り過ぎているようにも聴こえ、次第に辟易してくる。
特にギレリスの場合、「月光」で素晴らしかったはずのその個性が
同じように弾いた「テンペスト」ではさほど感銘を生まないのは不思議という他ない。
その直後に聴いたナットの演奏は、演奏効果など皆無で真摯に弾いていて、いつもながらスタンダードで好ましい。
さらにバックハウスも、同様に真摯に弾き切り、さらにベートーヴェンらしさがナット以上に出ていて、素晴らしい。
ここはバックハウスを推したい。

(推薦)「田園」ケンプ、「テンペスト」バックハウス

127korou:2021/12/03(金) 15:12:53
べートーヴェン「ワルトシュタイン」を再チェック。

この曲に関しては、ギレリス、バックハウス、ホロヴィッツが抜きん出ているように思え
この3名の偉大なピアニストの演奏を聴いた直後では、他の演奏を聴く気にはなれず
以上全部を推薦盤としたいところだが、やはりその中でもバックハウスを推したいと思うのである。

ギレリスの演奏は、80年代の音楽評論家が一致して推している演奏で
自分も良い録音で余韻も楽しみたいというのであれば、断然ギレリスだと思っている。
どこにも欠点が見当たらず、よくぞここまで緊張を持続して集中力抜群な演奏で弾き切ったものだと感銘さえ受ける。
ただし、ベートーヴェンとしての根源的な力強さ、胸が震えるほどの感動という面では
何か物足らず、せっかくベートーヴェンを聴いているのに、という思いも残る。
ホロヴィッツの演奏もベートーヴェンよりも演奏者を意識させている点では、ギレリスと同様である。
しかし、この演奏は超絶的でホロヴィッツ以外に誰もこんな演奏はできないと言ってよいだろう。
物凄いテクニックなのに、単なる速弾きに終わらず、音楽の急所がすべて押さえられているのは奇跡に近い。
豪胆かつ繊細というのはこういう演奏のことを指すのだと実感する。

バックハウスの演奏は、この二者の演奏と比べれば圧倒される要素はかなり低いものがあるのだが
そうした表面的なものを乗り越えた真のベートーヴェン弾きとしてのクオリティに満ちている。
どこをとりあげても、演奏者自身ではなくベートーヴェンの音楽だけが伝わってくる至高の音楽。
これこそベートーヴェンを聴く、その手になるピアノソナタを聴く醍醐味ではないだろうか。

それにしても、本来なら表面を磨き抜いたギレリスもホロヴィッツも格段下の演奏となるはずなのだが
そうではなくバックハウスに匹敵するものを表面から引き出しているのだから
それも凄いと言わざるを得ない。
他の人の演奏が聴けなくなる最高峰の演奏、三者三様ということ。

(推薦)「ワルトシュタイン」 ⇒ バックハウス

128korou:2021/12/08(水) 12:18:09
ベートーヴェン「熱情」を再チェック。

まず、ギレリスから。
「ワルトシュタイン」同様、見事な集中力、緊張の高さを感じさせる演奏だが
この「熱情」に関しては、さすがに曲のもっと深部にベートーヴェンの爆発的な精神を表わす部分があるだけに
この冷静さはどうなのかと思わせる。
リヒテルも聴いてみたが
ギレリスとそっくりなスタイルで、リヒテルらしさが感じられない。

アラウも同じように冷静なタッチなのだが
旧ソ連勢のようなよそよそしさがない分、違和感は少ない。
ただし、アラウとしてみたら際立って優れた出来でもなく
これならバックハウスで十分ということにもなる。

ケンプが予想以上に素晴らしい。
「ワルトシュタイン」あたりではタッチが軽く感じられたのだが
この「熱情」は速いパッセージでもきちんと音の深みが伝わってきて
ゆっくりとした部分はさすがはケンプという感がある。
ケンプを聴くまでは断然バックハウスとするつもりだったが
これは「熱情」演奏の双璧とすべき名演に思えた。
第1楽章のテンポが遅すぎないのも良い(他のピアニストもいくつか聴いたが、皆テンポが遅い)。

バックハウスは不滅である。
相変わらずどこを切ってもベートーヴェンらしい雰囲気を醸し出していて素晴らしいのだが
特に第3楽章の最後の部分でテンポが一層上がる箇所は、いつ聴いても興奮する。
ベートーヴェンはこうでなくてはならない(その点、ケンプはここだけはあまりに美し過ぎる。それも悪くはないのだが・・・)

(推薦)「熱情」 ⇒ バックハウス

129korou:2021/12/13(月) 17:52:59
ベートーヴェン「告別」(Pソナタ・No.26)を再チェック。

まずバックハウスから。
不覚にも睡魔が訪れてしまった。曲調が独特で、いつものようにしっくりとはこない。
ケンプも同様。しっくりこない上に音質も軽い。

そこでナクソスに移り、曲調から考えてアシュケナージが良さそうに思い(300選では推薦盤の一つ)
聴いてみる。
これは正解で、たっぷりと抑揚をとって情感たっぷりに弾く感じが
うまくハマっている。
とはいえ、部分部分で納得できないテンポの動きもあるので
同じようにじっくりと弾きこなすギレリスを聴いてみた
(本当は推薦盤1位のアラウを聴きたかったが、音源がなかった)。
すると、ギレリスはアシュケナージよりも重厚に弾きこなしていて
それでいて曲調にも合っていて、これこそベストと思われた。

他の後期ソナタとは曲調が異なるので
あまり耳に馴染みがなく、ある意味聴き辛い曲。
このへんで聴き比べは止めておくことにした。

(推薦盤)「告別(No.26)」 ⇒ ギレリス

130korou:2021/12/15(水) 16:32:00
ベートーヴェン「ハンマークラヴィーア」を再チェック。

まずナクソスでレコ芸推薦の演奏からチェック。
ポリーニはさすがで、音の粒がこれ以上ないくらい精密で、強弱のメリハリも抜群、
ポリーニのベートーヴェンとしては最上の出来だろうけれど
この演奏は、曲中のデモーニッシュな部分の表現を拒否しているので
どこまで聴いても、こんなに立派な演奏なのに、ベートーヴェンの魂は感じられない。
ギレリスの演奏はいつも通りで、本来ならこういうタイプの演奏としてベストのはずだが
今回だけはポリーニの集中力がさらにそれを上回っていると思う。
それにしても、本当ならポリーニとギレリスで双璧と評したいところなのに
この曲自体が何か聴く者の心に故意に届かないように創られているかのようで
全然馴染めない感じが強く、どうにも心に響いてこない。
なお宇野氏推薦のゼルキンは、あまりにも音質が悪すぎて聴くに堪えないので除外。

ということで、ベートーヴェン弾き三大巨匠ともいうべきケンプ、バックハウス、シュナーベルを
ユンク君で聴いてみる。
ケンプは、確かに宇野氏のいうとおりで、かなりの熱演なのだが
どういうわけか、いつものエオリアンハープの親しみやすさが出てこず、熱演の割には心に響かない。
バックハウスは、この曲に関しては録音の音質がイマイチで(他の曲だとそうは思わないのだが)
立派な演奏ではあるが推薦するまでには至らない。
シュナーベルは、物凄い速いテンポの演奏でホロヴィッツを連想させる異例の演奏だが
そのテンポが功を奏しているとは言えないのが不思議。曰く言い難い説得力はあるのだけれど。

こうしてみると、曲自体が自分の好みに合わないということで
「告別」とセットで”聴き馴染みアリ&好みと合う”リストから”超名曲だが保留”リストに移動させることにした。
その上でポリーニがベストということで。

(推薦盤)「ハンマークラヴィーア(No.29)」 ⇒ ポリーニ

131korou:2021/12/30(木) 15:41:17
(ベートーヴェンの最後の3つのピアノソナタは
 あまりにマニアックなベートーヴェンの音楽なので
 「好みの音楽」ではなく「たまに聴く音楽」に分類替え。
 今回どの演奏で聴いてもピンと来なかったので、オススメの
 演奏者はバックハウスのまま)

ベルリオーズ「幻想交響曲」を再チェック。
カラヤン&フィルハーモニア管を就寝時に聴いて
意外と聴き易く破綻も少ないように思われたので
まずこれから試聴することに。
やはり細部の魅力に乏しいのが残念なところで
となれば、50年代当初のカラヤンよりもステレオで聴くカラヤンかなと思い
BPOとの組み合わせのものをナクソスで試聴。
70年代カラヤンのレガート誇張の演奏で
これなら旧盤のほうが好ましく思えた。
ミュンシュ&パリ管なら迫力と優美を備えた演奏かもと思えたのだが
実際に試聴してみると、案外迫力ばかりが聴こえてくる。
これも、案外、ボストン響との旧盤のほうが良いのかもしれない(世間の評価とは逆だが)。
そこでユンク君で、クリュイタンス&フィルハーモニア管という懐かしい演奏を試聴。
先に同じオケでカラヤンの演奏を聴いた直後なので
両指揮者の個性がここまで浮彫になるとは、さすがのフィルハーモニア管!
えもいわれぬ「軽み」、重みに対比されるべき「軽み」の極めの演奏で
全くしつこくなく音が絡みあって美しい演奏だ。
ステレオならこれが一番かもしれない。
もう少し聴き続けてみよう。

132korou:2022/01/05(水) 21:09:01
ベルリオーズ「幻想」を再チェック(続き)

ナクソスで、マルティノン&ORTFフィル(フランス放送フィル)の演奏をチェック。
じっくりと溜めた落ち着いた演奏で、熟成感があり、録音も優秀。
クリュイタンスの演奏をもっとモダンにした感じで
この演奏は入門編として最適かもしれない。
ベストは、やはりモントゥー&サンフランシスコ響になるが
ここへ併記ということで。

(推薦)ベルリオーズ「幻想交響曲」・・モントゥー&サンフランシスコ響、(入門編)マルティノン&ORTFフィル

133korou:2022/01/17(月) 20:06:46
ブラームス「第1」で再チェックをしようとしたが
重たい曲調なので比較試聴を積極的にする気になれず、ひとまず中断。

クラシック音楽のレビューサイトを探していたら
モノラル録音の巨匠時代の演奏には目もくれず
ひたすら新録音の演奏で大体1970年〜2010年代発売のCDでの演奏を
レビューしているサイトを見つけた。
ナクソスで聴ける演奏について、参考になるかもしれない。

まず、昨日は
そのサイトの文章を参考に
ビシュコフ&チェコ・フィルの演奏で
チャイコフスキー「第5」を聴いた。
微温的な演奏で、悪くはないが、すでに今日現在、語るべき言葉が出てこない。

今日は
マイケル・ティルソン・トーマス&サンフランシスコ響の演奏で
マーラー「巨人」を聴いた。
指揮者として20年以上も同交響楽団を率いているだけあって
オケとの息はピッタリ。
特に緩徐部分の表現は、うっとりするくらい美しく
これは聴いて良かったと思えた。

まあ、しばらくはこんな感じで聴き続けてみようか。

134korou:2022/01/18(火) 17:25:35
(ほぼ全文書き終えたのに・・・一瞬の操作ミスで文章が全部消えた・・・負けんぞ・・・もう1回書く・・・ふぅ。。。)
今回は、マーラー「復活」を
ブロムシュテット&サンフランシスコ響ほかの演奏で全部聴き通した。

「ききくらべ」氏の評価通り
ブロムシュテットは
楽譜に示されたあらゆるニュアンスを的確に示して
テンポの揺れ、音の強弱、楽器の音の重なり具合、全体の造型すべてにおいて
楽譜以下でも楽譜以上でもない音楽を
見事なまでに再現している。
サンフランシスコ響も
これほど上手いオケだったとは
(昨日のT・トーマスとの演奏といい)予期していた以上のクオリティだった。

ブロムシュテットは、94才の今も現役のはず。
こういうタイプの指揮者は
かつては敬遠していたのだが
今はじっくりと聴けるようになってきた。
またライブ放映があれば
ぜひ聴いてみたいと思わせる「復活」の名演だった。

135korou:2022/02/09(水) 15:22:38
今日から新しい試み「レコ芸推薦盤全記録(上巻)を年代順に聴いていく」
(HPにしたかったがHP作成ツールがないので断念)

(1952年の新譜から)
チャイコフスキー「悲愴」(トスカニーニ&MBC響、1947年録音)
★★★★★★★☆☆☆
この頃は実際の録音年から約5年で、日本での新譜としての発売となっていたようで
この演奏も1947年の録音ながら、この年の新譜としてレコ芸で評価されているようだ。
録音年代の割には音は鮮明で、随所で当時のNBC響の音響の凄みが聴こえてくるのは嬉しいところ。
かつてLPで、貧しい痩せた音質で聴いていた頃が嘘のようである。
演奏は、いかにもトスカニーニそのものの個性が出ていて
がっちりとした構成で筋肉質にまとめているのだが
やはり、この種の音楽を聴く愉しみである「頽廃感」「饒舌感」には乏しい。
ないものねだりになってしまうのだが仕方がない。
録音の意外な良さでオケの地力が聴こえてくるところを評価して、7点とした。

136korou:2022/02/09(水) 15:32:49
(1952年の新譜から)
ドボルザーク「スラブ舞曲第10番、第12番」(ターリッヒ&チェコ・フィル、1950年録音)
★★★★★☆☆☆☆☆
スラブ舞曲の第2集の第2番が
第1集の計8曲から通算して数えて第10番という扱いになっていて
同様に第12番というのは第2集第4番ということになる。
演奏そのものは、今となってはどうということもなく
感じ取れる人には懐かしきチェコ・フィルの音色がたまらないだろうし
そうでない人には単に記念碑的演奏ということに止まることになる。
管弦楽曲の場合、シンフォニーとは違って
楽想の形而上学的な深まりという要素は乏しいことになるので
どうしてもオケの音色で勝負ということになると
最新の鮮明な録音のほうを採らざるを得ないのだが
この演奏も当時の録音技術からすれば平均的な出来とは言え
どうしても音の古さにもどかしさを感じざるを得ないのである。
この小品に関しては、その後に優れた録音で出された演奏が数多くあり
決してターリッヒの実力を示したものにはなっていないはずである。
今評価するとしたら、5点程度かなということになる。

137korou:2022/02/09(水) 15:55:50
(1952年の新譜から)
ベートーヴェン「ピアノ協奏曲第1番」(ギーゼキング、ロスバウト&ベルリン・シュターツカペレ、1937年録音)
★★★★★★★★☆☆
これは優れた演奏。録音はこの年代にしてはまずまず良好。
ギーゼキングのピアノは、余計な解釈を一切排して、ストレートに楽想を伝えてくる。
その明晰な演奏を支えるオケのほうも、堅実そのものだ。
あまり聴き馴染みのない曲だが、この演奏ならずっと聴ける。
両端の速い楽章も、中間の緩徐楽章も
どちらもキリっとして明快で気持ちよい。
1937年という年代を考えると、超モダンと言えよう。
とりあえず8点をつける価値ありと判定。

138korou:2022/02/10(木) 10:11:30
(1952年の新譜から)
ベートーヴェン「ピアノ、ヴァイオリンとチェロと管弦楽のための三重協奏曲」
(ワルター指揮 ニューヨークフィル (P)ワルター・ヘンドル (Vc)レナード・ローズ (Vn)ジョン・コリリアーノ 1949年3月21日録音)
★★★★★★★☆☆☆

初めて聴いた曲で、ベートーヴェン中期の作品としては珍しく駄作と言われている曲らしい。
確かに、全般に貴族のサロンで上品に演奏されそうな無難な曲で
劇的な盛り上がりとか、人間賛歌が胸にこみ上げてくるといった感動は皆無だ。
とても「英雄」と「熱情」の間に作られた曲とは思えない。
そんな凡庸な曲を、明確な表情づけで立派に聴かせているワルターはさすがだ。
ピアノのヘンドルはハイフエッツの伴奏指揮者としてのみ著名だが
ここでのピアノは堅実そのもの、悪く言えば個性に乏しいが、かといって特に問題もない。
チェロのコリリアーノも、いくらか表情づけが見られるが
もともと米国の著名オケでのリーダー格ということで
いかにも全体に合わせている感じはヘンドルと同様。
ヴァイオリンのローズは、NYPのコンマスということで
この三重協奏曲という珍しい企画を立てるにあたって
オケがNYPということで自然と選ばれることになったのだろうが
独奏者3名のなかでは一番雄弁に弾いている(勝手知ったるオケでの演奏だから当然か)
全体として、ワルターとローズの明確なラインに沿って、
他の演奏者もよくそれに合わせているといった感じ。
曖昧なところが何一つないので、初めて聴いたが、飽きは感じなかった。
評価しようにも他の演奏を知らないので難しいが
平均で7点というところか。

139korou:2022/02/10(木) 11:49:42
(1952年の新譜から)
ドボルザーク「チェロ協奏曲」(カザルス、セル&チェコ・フィル、1937年録音)
★★★★★★★☆☆☆

驚くほどクリアな音質で、とても1937年録音とは思えないほどである。
大芸術家であるカザルスの演奏が、それも壮年期の力強い弾きっぷりが
こうして見事な音質で残されているのには、関係者に本当に感謝したい気持ちになる。
カザルスは偉大なのだが、今までその名声にふさわしい演奏を聴いたことがなく、
今回これを聴いて大いに納得。
好みという点からいえば、もう少しゆったりとした情感あふれる弾きっぷりのほうがいいのだが
何というか、このカザルスの演奏には
そんな小さい「好み」などを超越した人間性を感じてしまう。
オケも、若き日のセルも、まるでそんなカザルスの”引力”にひきずられて
平常以上の水準の演奏を引き出してもらったかのように聴こえる。
セルは、この頃からオケの底力を引き出す力はあったに違いないが
カザルスのオーラがそれをさらに底上げしている。

とはいえ
(ベートーヴェンにこのクオリティのチェロ協があれば文句なしなのだが)
さすがに民族音楽としてチェコ、アメリカの音楽を駆使した特殊な曲だけに
カザルスの人間性だけで全てOKというわけにもいかない。
これはドボルザークの音楽の真髄を極めた演奏というより
カザルスという超絶なチェリストを知るための録音というほうがふさわしい。
その意味では、カザルスには申し訳ないが、標準の7点ということになる。

140korou:2022/02/10(木) 17:13:28
(1953年の新譜から)
ベートーヴェン「第2」(ワルター&NYP、1952.3.17録音)
★★★★★★★★☆☆

他の演奏家はともかく、ワルター盤に関しては
この時代にあっても迅速に輸入されていたようで
この演奏などは録音の翌年には新譜として日本でも発売されている。
ワルターほどのビッグネームがベートーヴェンの名曲を振るとなると
何回も演奏機会があるので、簡単には特定できないという
新しい問題が生じてきたのだが
この演奏に関しては、詳細なワルターのディスコグラフィーがネット上にあったので
1952年録音分をレコ芸で推薦していることが特定でき
その演奏はユンク君で聴くことができたので
安心して確認することができる。
それにしても、単純に4、5年経って日本で新譜として発売と見做していたので
1952年のワルターの推薦盤についても見直して確認の必要が出てきた。

それはともかく、演奏そのものは定評のあるもので、さすがである。
ただし、最近の自分の嗜好がこういう曲調に馴染まないので
本当なら☆9つでもいいのだが、今の気分としては☆8つが妥当のように思える。
さらに言えば
NYPの音色が、セル&クリーヴランド管のようなモノトーンな感じなのが物足りない。
(とはいえ、その音色のままでブラームス「第2」のような名演もあるのだが)

141korou:2022/02/12(土) 18:00:21
(1967年の新譜から)
ベートーヴェン「英雄」(オーマンディ&フィラデルフィア管、1961.4.9録音)
★★★★★★★☆☆☆

ずっとモノーラル録音の演奏を聴いていると
それはそれで以前より遥かに聴き易い音質のものを
ユンク氏が保証してくれているとはいえ
さすがにステレオ音質のものを聴きたくなってくる。
そこで、今回から
今参照中の小冊子の末尾から逆に辿るルートも開始することにした。
今日はその第1回で、1967年の新譜のオーマンディのベートーヴェンである。
1961年録音であれば、もうこの時期であれば、2年以内には新譜になるはずなのだが
データを見ると”C→CS”とあるので
これは1960年代前半にコロンビアから出た新譜を
1967年のCBSSONYレーベル開始において、改めて新譜として再発売したものとも考えられ(違うかもしれないが・・・)
その過程で、当時見逃されてきたこの演奏が再評価されたのではないかと解釈してみた。

オーマンディのベート―ヴェンなんか始めて聴いたのだが
予想よりも遥かに良かった。
鳴っている音が実に堂々としていて、揺るぎがない。
ベートーヴェンらしい内部から発せられる緊迫感、攻撃性という要素が皆無なのが
いかにもオーマンディらしく、その意味では予想通りなのだが
それに代わる要素はこれほど耳に心地よく響くとは思ってもみなかった。
本質的なところが抜けているので高評価にはならないが
かといって問題外の演奏ということでもなく
よって☆7つの標準点とした。

142korou:2022/02/13(日) 15:03:58
(1953年の新譜から)
ベートーヴェン「第4」(ワルター&NYP、1952.3.24録音)
★★★★★★★☆☆☆

「第2」よりはいろいろな箇所でやり足りない感じが目立ち
☆7つとした。
曲そのものも、今となっては名演が難しい類になっている気がする。
この曲想を煮詰めていくと「第7」になるのではないかと思えるが
「第7」の完成度を思えば、かなり不出来な曲に感じられる。
「第4」の名演を探さなければ。

143korou:2022/02/13(日) 15:55:48
(1953年の新譜から)
ベートーヴェン「英雄」(ワルター&NYP、1941.1.20録音)
★★★★★★★☆☆☆

1941年の録音によるものが1953年の新譜というのも妙だが
データを確認すると、どうもSPからの復刻版のようだし
ワルター&NYPによる一連の新録音シリーズを発売するにあたって
「エロイカ」の新譜も入れなければということから
戦争の関係で新譜の入荷が途絶えていた時期のものを復活させたのではないか
と推測されるのである。
録音状態も1952年新録音と比べて決して遜色ないので
当時としても違和感はなかったと思われる。

演奏は、後年のもっと優れた名演を知っている我々にとっては
ワルターの「エロイカ」はこんなものではないと言えるのだが
個性あふれる解釈が流布していた当時としては
このすっきりしたストレートな響きは歓迎されたはずである。
今聴くと、第1楽章ではもっとテンポを揺らして曲調を高めることはできたはずだし
第2楽章ももっと劇的に盛り上げることができたはずである。
それに比べて後半2楽章は、さすがの解釈で個性が出ている。
第3楽章の短さにはちょっと驚かされたが、ソロ楽器の響かせ方にワルターらしい魅力が聴けるし
終楽章に至っては、他の指揮者ではなかなか味わえない絶妙のテンポルパートが見られる。
渡米して間もない時期だけに、楽団員に細かい指示を出すには
「エロイカ」の前半部分は、あまりに巨大すぎたのではないか。
そんなことを思わせる前後半の出来不出来の差がある演奏だ。
☆は標準で7つということで。

144korou:2022/02/14(月) 16:33:08
(1953年の新譜から)
ベートーヴェン「運命」(ワルター&NYP、1950.2.13録音)
★★★★★★★★☆☆

一連のワルター&NYPのモノーラルのベートーヴェン推薦盤の最後は「運命」。
これは、今までの演奏とは違って、ワルターの細かい配慮が行き届いた名演に聴こえた。
欲を言えば、第1楽章の展開部でもう少し劇的な感じが欲しいのと
第4楽章に突入するときの髪の毛が逆立つような興奮がもっと欲しかったのだが
それ以外は、スタイリッシュなワルターとしては最上の出来のように思われた。
今書いたように曲の急所に物足りないところがあるので
(それとモノーラル録音なのでワルターの細かい指示が聴き取れないのがもどかしい・・・)
★は8つに止めておくのだけれども
第2楽章の冒頭の気持ちを込めた表現など
他の指揮者では聴くことのできない箇所が幾つもあって素晴らしかった。
第1楽章であれほど苦悩しておいて、第2楽章はなんと能天気な音楽なのだろうと
聴くたびに思っていたのだが
今日ワルターのこの演奏を聴いて、このように第2楽章も苦悩に満ちた音楽になれば
連続性が出てきて、曲としての統一感も増すのだと実感した。
全体で32分にも満たない速いテンポの演奏でもあり
これは「運命」のスタンダードではないのだが
いろいろな意味で、曲の細部の真実を抉り出している演奏だと思う。

145korou:2022/02/16(水) 11:04:03
(1953年の新譜から)
ベートーヴェン「第九」(トスカニーニ&NBC響ほか、1952.3.31〜4.1録音)
★★★★★★★☆☆☆

実に見事な「第九」で、この演奏に決定的な不満を述べることは
誰にも許されないと言ってもよいくらい。
しかし、それでいて「第九」の真髄をこれほど素通りすることは
いかにトスカニーニの流儀とはいえ
指揮者の権限でそこまで許されていいのだろうかという疑いは
残ってしまうのも否定できない。
とはいえ、圧倒されるというか
この偉大な曲にも、まだこんな演奏の仕方が残っていたのかという驚きが強く
それらの思いが聴くにつれて錯綜として絡まっていき
結局、★7つの普通の評価で終わってしまうのである。
どこにもドイツ風の思い入れ十分な曲想のふくらみなど無い演奏であるから
絶対に★9つ以上の絶賛はできない。
しかし、★6つなど否定的な見解はあり得ないのも間違いない。
第1楽章は秀逸で、まさにユンク氏の言うとおり、この偉大な建造物を
こんな風に登ることもでき、こんな風景があったのかと
新しい発見に満ちた体験が堪能できるのだが・・・
第2楽章の意外なほどのテンポの落とし方で、スケルツォの立体感というのも絶妙なのだが・・・
第3楽章は高尚な響きで凡人の鑑賞力を超越しているのだが、高尚なのはわかるとして・・・
終楽章がこんなにあっさりとしていいのかという根本的な疑問、しかしベートーヴェンの意図は?
結局わからずじまいで★7つとなるのである。
トスカニーニはよく分からないというのが正直なところだが
かといって全然理解できない・・・どころか、どの音も明晰で分かり過ぎるくらい分かるのだから
始末に負えない。

146korou:2022/02/17(木) 10:31:00
(1953年の新譜から)
ブラームス「交響曲第2番」(オーマンディ&フィラデルフィア管、1953.2.15録音)
★★★★★★☆☆☆☆

またまたオーマンディの指揮に出会う羽目に。
今まで半世紀以上クラシック音楽を聴いてきて
1週間のあいだにオーマンディが振った独墺系音楽を2回も聴くという体験は
絶対になかったはずで
これはこれで貴重な経験と言える。
前回のステレオ盤の「エロイカ」は、さすがにオケの響きが流麗で感心させられたものだが
今回はモノーラルということもあり、その点でオーマンディが苦心したはずのサウンド作りを
堪能するまでには至らなかったというのが正直なところ。
ただし、ブラームスのなかでも超古典的な構成であるこの「第2番」において
オーマンディの手堅い音楽作りの一端は窺えたように思う。
とにかく余計なことは一切せず、淡々と楽譜に向き合い、忠実にその通りに音を鳴らしていく
こういう指揮者は他に存在しないのではないか。
唯一、響きを華麗に流麗に、という個性のみが感じられて
しかし、その響きを何か意味深いものに持ち込む意図は全くないという不思議さ。
1953年の日本において、響きそのものだけでも感動を覚えたかもしれないが
これほど情報が増えて多彩な表現を簡単に知ることができる2022年の現代では
このオーマンディのような演奏を高評価することは難しいはずである。
(ただし、もはや死語文化のようなベートーヴェンの音楽に関しては
 混迷のイメージを払拭する見事な響きこそ意味を持つという逆説も成り立つ、ということか・・・?)
このブラームスに関しては、残念ながら★6つの低評価とした。

147korou:2022/02/19(土) 13:22:44
(1967年の新譜から)
ブルックナー「交響曲第3番」(シューリヒト&VPO、1965.12.2〜4録音)
★★★★★★★☆☆☆

再びステレオ録音が聴きたくなり、次の該当曲はとリストをたぐってみると
またまたオーマンディのベートーヴェン「第7」「第8」!
ワルター&NYPの硬質な音色のモノーラル、またはオーマンディのモノorステレオの連続!
これはちょっとイレギュラーで敬遠したくなり
その次のステレオはと覗いてみるとシューリヒトのブルックナー。
へぇー、まだこの年代でも録音していたんだと思い
少々長い曲だがチャレンジしてみることに(大げさか)。

シューリヒトの最後の録音のようで
体調はボロボロ、オケをろくにリードできなかった風に
ユンク君は書いている。
確かに第1楽章はあまりシューリヒトらしい鋭さがなく、音が平板に鳴っているように聴こえる。
しかし(ユンク君も指摘のとおり)第2楽章の寂寥感には胸を打たれるものがあり
一度この透明感を体験すると、続く第3楽章、第4楽章も
いくらか無力感は感じるものの、それほど平板な感じはしなくなってきたのも事実。
むしろ、VPOの美しい音色がステレオで響き渡り
いつになく豊かな音質で録音されていることに気付いたりする。
シューリヒトの第2楽章、VPOの第3、4楽章を堪能する演奏だ。
深い何かを感じさせてくれるのが第2楽章だけというのが惜しいので
★は7つ(普通の出来)に止めるが、いわゆる不出来でも愛聴盤という類。
また聴く機会はきっとあると思う。

148korou:2022/02/20(日) 12:28:59
(1953年の新譜から)
ブラームス「交響曲第4番」(ワルター&NYP、1951年録音)
★★★★★★☆☆☆☆

ワルターの個性とブラームスの音楽には親和性が高いのだが
多分、これほどその期待を裏切った例はないのではないか。
これはワルターとしては最悪の演奏である。
第1楽章のどこを切り取っても繊細なフレージングが見られないのには驚かされ
それは第2楽章になっても変わりない。
あまりに酷いので、第3楽章途中からイヤホンで聴くのをやめて
スピーカー出力にしたのだが
たしかにこのくらい大雑把に音を把握したほうが聴きやすい。
考えてみれば、ステレオ録音による優れたブラームスの演奏を聴き続けた結果
かつて聴いたモントゥーやワルター&NYPによるブラームス「第2」などの名演なども
今聴くと案外感動の度合いが低くなっているのではないだろうか。
ブラームスは本当に繊細で
かつその繊細の度合いが高まっていった結果の高揚感なのであり
それは各楽器の音の絡まりが明晰に聴こえてこないと味わえないはずである。
このワルターにしても、演奏そのものはもっと繊細だったのかもしれないが
この録音では(モノラルとしては決して悪くはないレベルだが)伝わってこないのである。
そして、この時期特有の表面的な磨きだけが如実に伝わってきて
晩年のワルターとはあまりにも違い過ぎて、受け入れ難い演奏に聴こえるのである。
ユンク君はある意味高評価を与えているが、残念ながら同意できないので★6つ。

149korou:2022/02/21(月) 12:34:48
昨夜からUSB接続部分の高頻度の脱着による摩耗を恐れることなく
ウォークマンによるクラシック音楽鑑賞を開始することにした。
ユンク君サイトのMP3データベースにログインして「Symphony」ジャンルで検索、最上位結果から順番に視聴。

(ナイトミュージック第1弾)
ドラティ&ロンドン響 チャイコフスキー「交響曲第5番」

どの楽章の冒頭も十分に意味深く、ドラティは凄いなと思わせるのだが
いざ曲の本題に入ると、その意味深さがどこかへ消えてしまうという惜しい演奏。
録音の精度は素晴らしく(これはユンク君の解説を後から読んで納得)
特に第2楽章のホルンの音色など、チャイコ「第5」でこれ以上のものはあるのかと思えるほどの美しさ。
あくまでもロンドン響の実力を堪能する演奏で、
その一方で指揮のドラティには
職人に徹し過ぎていて不満が残る。

151korou:2022/02/21(月) 12:39:47
↑ 訂正

”「Symphony」ジャンル”じゃなくて
”「Symphonic」ジャンル”だった。

152korou:2022/02/21(月) 13:37:03
(1953年の新譜から)
モーツァルト「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」(カラヤン&VPO、1949年録音)
★★★★★★★☆☆☆

カラヤンが帝王になる前の時期の演奏で
この時期どのような評価がされていたのか興味深いが
「レコ芸」の当時の文章からはなかなか読みづらいものがある。
注目すべき指揮者なのに、どう高評価すべきか分からないといったような
戸惑いもあるようだ。
しかし、この演奏に関していえば
当時はプロの評論家にとっても神のような存在だったはずのVPOが
実に綺麗なアンサンブルを聴かせてくれているので
文句なしの最上の演奏と書かれている。
カラヤンの棒は未だ没個性的で
これなら他の指揮者でもいいのではないかと思えるほどだ。
VPOが非凡なのでカラヤンの平凡を補って★7つの出来かな。

153korou:2022/02/21(月) 13:56:15
(1953年の新譜から)
レスピーギ「ローマの祭り」(トスカニーニ&NBC響、1949年12月12日録音)
★★★★★★★★☆☆

言わずと知れた歴史的名演奏で
今回も、馴染の無い曲とはいえ、これほど聴き映えする演奏だったのかと
再認識させられた。
トスカニーニの素晴らしいしNBC響のアンサンブルも驚異的で
これが鮮明なステレオ録音だったらどれほど凄かっただろうかと
叶わぬ思いにとらわれる。
本来なら★9つ、または満点でもいいくらいなのだが
さすがにこれほど演奏効果のある曲については
最新の録音で聴きたいので
仕方なく★8つとした。
まあ、内容は軽い曲なんで、いつも聴きたいかと言われれば
首を振るしかないのだけれど。

154korou:2022/02/22(火) 14:41:49
(1953年の新譜から)
グリーグ「ピアノ協奏曲」(リパッティ、ガリエラ&フィルハーモニア管、1948年録音)
★★★★★★★★★★

リパッティ、夭折したピアニスト、だが天才、それも超がつく大天才なのに
誰からも愛され、尊敬され、敬われた人。
この演奏からは、そんな彼の高貴で純粋な魂があふれ出てくるようで
聴いていて絶えず胸を打たれ、もう批評の余地などないほど感動してしまう。
何がどうなっているのかもはや分からないのだが
リパッティが鍵盤を叩いただけで何かが違って聴こえ
世界は美しく輝き出すのだ。
これ以上何が言えよう。
★満点以外はない。

(1953年の新譜から)
シューマン「ピアノ協奏曲」(リパッティ、カラヤン&フィルハーモニア管、1948年4月9,10日録音)
★★★★★★★★★★

これも詩情溢れる名演。カラヤンのきびきびした伴奏ぶりも見事。
シューマンは見かけの穏やかさ、ロマンティックな装いとは裏腹に
どこからともなくしのびよる孤独の影が否定し難く
リパッティはそんな暗い影を巧まずして表現し得ているようで
これも奇跡の演奏というほかなし、★満点というほかなし。

156korou:2022/02/22(火) 21:03:54
(ナイトミュージック第2弾)
ドラティ&ロンドン響 チャイコフスキー「交響曲第3番」

書き忘れていた。
というより、昨日は聴いているうちに寝込んでしまっていた。
非常にシンプルな曲で、交響詩のような感じ。
ドラティの演奏は、そんな浅い感じの曲を上手く演奏していた。
もう1回聴かないとダメかも。

157korou:2022/02/23(水) 16:30:18
(1953年の新譜から)
モーツァルト「フルート協奏曲」(モイーズ、ビゴー&パリ音楽院管、1936年録音)
★★★★★★☆☆☆☆

演奏は大層立派で、近代フルート奏法の祖の名に恥じないと思うが
さすがに1936年録音ともなると、音のヌケがイマイチで
その雰囲気ほどには感銘を受けないのも事実だ。
曲そのものは予想以上に各所がまとまっていて
聴き応えのある佳曲だと思った。
第3楽章は聴いたことのあるメロディで
このメロディがこの曲だったのかという感じ。

(1953年の新譜から)
モーツァルト「ピアノ協奏曲第21番」(カサドシュ、ミュンシュ&NYP、1948年12月20日録音)
★★★★★★★★☆☆

聴き慣れていないフルート協奏曲の直後に聴いたので
この曲、というかモーツァルトの中でピアノ協奏曲というジャンルが占める大きさといったものを
如実に感じてしまった。
カサドシュのピアノは明晰そのもので曖昧な部分は一切なく
まるでベートーヴェンの曲のように力強いタッチで弾き上げている。
ミュンシュの指揮も、そんなカサドシュのピアノに寄り添った感じ。
なんといっても、曲の良さを伝えている点で最上の演奏の一つだと言えよう。

158korou:2022/02/23(水) 16:31:32
(ナイトミュージック第3弾)
セル&クリーヴランド管 マーラー「交響曲第4番」

またしても途中で寝てしまった。まあよくある話だが。
ドラティともども、聴き直しかな?

159korou:2022/02/24(木) 13:30:45
(ナイトミュージック第2弾)を聴き直し。
ドラティ&ロンドン響 チャイコフスキー「交響曲第3番」(1965.7.30〜31録音)

やはり未知の曲は昼間Wikiでも見ながら鑑賞しないと
訳が分からないまま終わってしまう。
たった今聴き終わり、意外と長いこの初期最後の交響曲が
しっかりとした構成と曲想を持っていたことが判明した。
ドラティの指揮はすっきりとしていて、実に聴き易い。
ただし「第5番」の時と同様、全体として”当たり前”の指揮で終わっていて
そのあたりはセルとかショルティなどと同じ部類で
そこからいろいろなニュアンスを聴き出すクラシック音楽ファンとは
自分は同じでないので、これを聴き続けることは難しい。
特にこのような未知の曲では
最初に構成をつかむのには最適だが
以降は、曲自体の深さにも聴き及んでくるので
そうなると、もはやお役御免ということになる。

セルのマーラー「第4」は
それなりに面白いし、演奏自体は立派だし
データとして保存したので、これ以上聴くことは止めにする。
ナイトミュージックは、以降既知の曲に限定したい(すぐ評価したいので。途中で寝ても、知っている曲なら評価可能だから)

160korou:2022/02/24(木) 22:59:20
(ナイトミュージック)
☆未知の曲(スルー)
マゼール&VPO「チャイコフスキー 交響曲第3番」
モントゥー&ロンドン響「シベリウス 交響曲第2番」

161korou:2022/02/25(金) 18:17:11
(ナイトミュージック)
ドボルザーク「交響曲第8番」(ジュリーニ&ロンドン響)

これは予想通りの名演。たっぷりと歌って、構成もしっかりとしていて
ジュリーニの指揮の美点がよく出ている。
PCの”ミュージックークラシック”フォルダ内に保存した。

(気まぐれなデイ・ミュージック)
時として、何の脈略もなく特定の曲、演奏を聴きたくなることがあり
今日はコロナワクチン直後の体調不良で、無性に豪快なオケの音を聴きたくなり
結局、ホルスト「惑星」(カラヤン&VPO9を鑑賞。
1961年当時としては録音が抜群で、同じく最新録音のレヴァインよりも音楽的に精緻なので
この曲の推薦盤としてボールトから変更した。

162korou:2022/02/26(土) 11:32:20
(1953年の新譜から)
サン=サーンス「ヴァイオリン協奏曲第3番」(フランチェスカッティ、ミトロプーロス&NYP、1950年1月23日録音)
★★★★★★★☆☆☆

ロマン派のヴァイオリン協奏曲としては著名な曲らしいが
今回初めて聴いた。
確かに予定調和の調性のなかで、ヴァイオリンがヴィルトゥオーゾ的弾き方で堂々と弾きこなす
典型的な19世紀音楽のように思われた。
フランチェスカッティのヴァイオリンは情熱的で特徴のある弾きっぷりで
それでいて確信にも満ちているので、聴いていて飽きることはない。
ただし、曲がいかにもという感じなので
これだけの名演であっても感銘度は薄いのは仕方ないところ。
★7つとした。

今回などの感じから
これからは協奏曲のジャンルは飛ばすことにした。
交響曲と管弦楽曲に絞って聴き続けたい。

163korou:2022/02/27(日) 16:02:07
(ナイトミュージック)
ブラームス「交響曲第1番」(カラヤン&VPO)

全体にレガートがきつすぎて
部分的にブラームスの音の作り方に合致している部分もあるが
クライマックスでの音響の弱さを感じる面もある。
この曲の場合、どうしても力感が必要になるので
カラヤンの場合、録音だと実演のときのような演奏意志が発揮されず
かなり損をしているように思われる。
なかなか評価が難しいのだが
ベストの演奏としては選べないのは確か。
ベストとしては他にもっと良い演奏があるので。
とはいうものの、レガートがブラームスが作り出す音形に合っている部分とか
60年代前半のカラヤンに共通して感じられる演奏意志が
それはブラームスの音楽が要求しているレベルのものではないにせよ
感じられる点で
他の無難なだけの演奏とは一線を画していることだけは確かだ。

164korou:2022/02/27(日) 16:29:04
(ナイトミュージック)は、自分の好きで聴いているわけで
しかも安眠用という目的もあり
最初に決めた原則をコロコロ都合よく変更して
何ら差し支えない類のものである。

今回、次のような原則に変更することにした。
(原則3)モノーラルの年代は原則飛ばす(あくまでも原則)
(原則4)同じ指揮者のものを連続してチョイスしない(参照するリストが同じ指揮者が並ぶようになっているので念のため)

今までの原則は次のとおり。
(原則1)知らない曲はチョイスしない。
(原則2)すでに聴いた演奏は原則飛ばす(あくまでも原則。聴いていてもよく覚えていないものは除く)

165korou:2022/02/27(日) 16:37:46
(1954年の新譜から)
ベート―ヴェン「交響曲第1番」(トスカニーニ&NBC響、1939年10月28日録音)
★★★★★★★★☆☆

1939年の演奏が、15年かかってLPとして?新譜扱いになるとは
さすがに戦争の影響なのか。
録音状態は悪く、これは年代を考えると仕方ないのだが
1939年でも抜群の音質のものも現に存在するので
トスカニーニの指揮となれば
もっとどうにかならなかったものかと残念になる。
それこそ録音状態さえ良ければ
これは文句なしの★満点の演奏で
★8は、録音の悪さゆえの減点2であり
演奏そのものは神がかりというか
これ以上、ベートーヴェンのシンフォニーとしてふさわしい響きは
考えられない。
やはり世紀の大指揮者だ。

166korou:2022/02/27(日) 17:11:13
(1954年の新譜から)
ベート―ヴェン「交響曲第5番」(ベーム&BPO、1953年3月23日〜25日録音)
★★★★★★★☆☆☆

立派な演奏であることは間違いない。
しかし、聴いていて眠くなるのも事実。
立派過ぎてついていけないという感じもあるし
もう少し何とかやりようはあるだろうという不満も残る。
でも、どういうのがいいのかとなると
この演奏にさらにプラスするものが存在するのかといえば
すぐには思いつけない。
基本、立派な演奏なのだから
下手に批評すると無意味な見解になってしまう。
この時期のBPOには
どことなくフルトヴェングラー時代の凄みを連想させる音色があり
それが壮年期のベームの堂々たる指揮ぶりと相俟って
実に堅固な音楽となっているのだが
あまりに曲の本質をとらえすぎていて
かえって細部の美しさとか
ベートーヴェンの音楽の別の本質かもしれないユーモア、軽妙さなどが
全部消されているかのような演奏に聴こえるのである。
ここにないものがワルター&コロンビア響の演奏にはあるわけだ。
というわけで、★7つの標準的な評価となった次第。

167korou:2022/02/28(月) 13:35:34
(1954年の新譜から)
ベート―ヴェン「交響曲第6番」(エーリッヒ・クライバー&AC管、1953年9月録音)
★★★★★★★★☆☆

録音状態は、弦の響き具合などはまずまずながら
いかにモノーラルとはいえ、これほど真ん中に音が集まり過ぎて
広がりがない音質というのも珍しいくらい。
アムステルダム・コンセルトヘボウ管なので
それでも細部の美しさなどは伝わってくるものの
名演だけにこの音質は惜しい。
第1楽章、第2楽章は信じられないというか、奇跡的な超名演だ、
第1楽章の溌溂としたリズム、第2楽章のゆったりとしたテンポが醸し出す雰囲気などは
E・クライバーが20世紀最高の指揮者であることを証明している。
誰にも真似できない至高の音楽である。
それに比べると、第3楽章以下は平凡で
そこのギャップが大きくて★8つに止めたのだが
「田園」の前半だけを堪能するのであれば
断然この演奏だろうと思われる。

168korou:2022/02/28(月) 13:38:32
(ナイトミュージック)
ベートーヴェン「交響曲第9番」(クリップス&ロンドン響)

クリップスの指揮は揺るぎない。
音楽の勘所を心得ていて
変わったことは一切しないのだが
印象に残る演奏となっている。
ロンドン響も相変わらず上手い。

169korou:2022/03/01(火) 12:15:42
(1954年の新譜から)
ベルリオーズ「幻想交響曲」(モントゥー&サンフランシスコ管、1950年2月27日録音)
★★★★★★★★★☆

もう35年以上この曲のベストと思っている演奏を
あらためて最初から最後までしっかりと聴いてみた。

そうして聴いたおかげで今回分かったことは
このモントゥーの指揮でこの曲を聴くと
曲の構造が手に取るように分かるということだった。
このフレーズから次の展開になりますよと
丁寧に教えるかのように
そこの部分を強調して聴かせてくれるので
今までぼんやりとしか把握できていなかった曲の流れが
明確に分かってくるのだ。
特に第1楽章のフレージングなど
他の指揮者では聴くことのできない名人の芸術だろう。
その一方で、そうしたフレージングに不向きに第3楽章などは
それほどの感銘は受けず
また第4、第5楽章などは
むしろオケの積極的な音出し(音力?)のほうが目立ってくるのも事実。
”通俗的になるきらいがある”という当時の評価も
その点を指しているのだろうが
自分などには、むしろ安心して聴けて良い面ばかりに聴こえた。
全体として★9つが妥当だろう。

170korou:2022/03/02(水) 09:58:38
(ナイトミュージック)
チャイコフスキー「交響曲第6番」(フリッチャイ&BPO)

フリッチャイの1959年の指揮ということで
結構期待するところがあったのだが
この曲に関しては、録音がすっきりしないこと、BPOが意外と冴えないこと等もあって
それほど感銘を受けなかった。
ユンク氏の文章を読んで、1953年の演奏もあることを知り(サイトでは逆にその1953年盤のみがアップされている)
それも聴いてみたが
オケがRIAS響というBPOよりランクが下のオケであるにもかかわらず
むしろそっちの方がスムーズに曲想が展開しているように思われた。
何事も思い込みは禁物で
フリッチャイなら何でも晩年のほうが傑作というわけでもないようである。

171korou:2022/03/02(水) 10:53:58
(1954年の新譜から)
ブラームス「交響曲第1番」(ベイヌム&AC管、1951年9月録音)
★★★★★★★☆☆☆

冒頭から貧相な音質でがっかりさせられるのだが
演奏は質素かつ堅固というべき中身の充実した
紛れもないこの時期のベイヌムの輝かしい演奏なので
音質は我慢して聴いていると
第1楽章の再現部の重厚な音、これこそソナタ形式であるべき理想の演奏の形ではないかと
思われるほどの充実した音作りに感心させられた。
その後、そのときの感心というか感動に至るまでの瞬間は訪れなかったが
それでもどこを切っても血潮に満ちているような生命感の輝きは失われず
ベイヌムが非凡な指揮者であったことを十分に窺わせる佳演であることには
間違いないと思われた。
★8つでもいいのだが
いかんせん音質が酷く、この頃のAC管の美しい音色が全く採れていない録音なので
残念ながら★7つとしたが
演奏そのものは★9つでもいいほどのハイレベルだ。
1958年にも同じ組み合わせでステレオ再録しているのだが
この演奏は冒頭から緩やかで緊張感に乏しい感じで
少なくともこの曲の演奏としては出来が落ちるように思われた(全部は聴いていないが)

172korou:2022/03/03(木) 12:12:44
(1954年の新譜から)
ドボルザーク「交響曲第9番」(トスカニーニ&NBC響、1953年2月2日録音)
★★★★★★★☆☆☆

第1楽章冒頭の響きからして、かなり粗悪な録音ということが分かるのだが
これでも、ユンク氏によればかなり改善された響きらしい。
これよりまだ粗悪なものが、トスカニーニの演奏として出回っていたのだとしたら
それは正しい評価をせよというほうがムリな話だ。
今回はその響きを最初我慢して聴いていたのだが
第1楽章の途中から耳が慣れていき
すると、響きの奥底から、純粋に美しいフレージングによるメロディが浮き上がってくるようで
新世界とはかくもリリカルな響きも持っていたのかという
発見にもつながったのである。
もっとも、本当はもっと肉付きの良い解釈と響きで聴くべき曲であるはずなので
このトスカニーニのアプローチは、トスカニーニのように徹底してこそ許されるべきものであって
あくまでも異形の美しさなのである。
そういった諸々の思いを総合して
あえて普通の評価(録音の問題が一番大きいが)★7つとした。
聴くべきものが多い★7つということで。

173korou:2022/03/03(木) 15:11:18
(1954年の新譜から)
ハイドン「交響曲第88番」(フルトヴェングラー&BPO、1951年12月5日録音)
★★★★★★★★☆☆

久々にじっくり聴くフルヴェン、しかもお初に聴くハイドン。
想像以上に豊かな音質で、
あたかもウイーン風情緒まで聴こえてくるような感じには驚かされた。
演奏はユンク氏ほか絶賛の内容で
確かにフルトヴェングラーの晩年のスタイルとして
これ以上のものは考えられないのだが
ハイドンの音楽のなかの何かごく一部の要素を
思いっきり拡大して、その良質な部分を見せてくれたという
いわゆる異形の演奏のイメージは否めない。
これは聴く前から予想できたことで
そもそもハイドンをフルヴェンで聴くこと自体
異例な音楽鑑賞なのだから。
それでも純度は高い演奏で
★8つが妥当ではないかと思う。

174korou:2022/03/04(金) 15:16:43
(1954年の新譜から)
モーツァルト「交響曲第40番」(ワルター&NYP、1953年2月23日録音)
★★★★★★☆☆☆☆

ワルター&NYPの演奏に関しては
今現在の自分の嗜好と全く正反対の位置にあるために
正しく評価することは難しい。
どうしても後年のコロンビア響との円熟の演奏と比較してしまうわけで
あの細部にまでニュアンスが神のごとく行き届いた演奏を知ってしまうと
この時期の演奏にはどうしても不満が残るのである。
NYPの音が大雑把に聴こえてしまうのは仕方ない。
本当はいろいろとニュアンスが伝わる演奏だったのだろうし
当時の批評もそういう感じで書かれているのだが。
厳しいようだが自分の感銘度からして★6つ。
(第3楽章だけは、この演奏のほうが毅然としていて良いのだが)

175korou:2022/03/04(金) 15:49:30
(ナイトミュージック)
フランク「交響曲 二短調」(バーンスタイン&NYP)

第1楽章冒頭は意味深げな音の響かせ方で期待をもたせるが
主部に入るとその緊張感は消えてなくなり
それはそれで面白い音響の展開ではあるのだが
統一性はみられない。
第2、第3楽章については
それほどの個性は見られない。
いたるところにバーンスタインの個性は発揮されているので
レニー好きの人には満足できるが
それ以外の人に何らアピールしない演奏のように思われる。
それに、この隠れた名曲には、もっと優れた演奏がいくつか存在するので
そのレベルにまで達しているようにも思えない。

176korou:2022/03/05(土) 23:14:30
(ナイトミュージック)
シューベルト「未完成」(マゼール&BPO)

特に不満な点はない演奏だが、かといって、いつも愛聴すべき演奏かと言われれば
それも違うということになるだろう。
BPOの上手さとか、すでに老成したかのような無難な指揮ぶりとかは
すぐに伝わってきたのだが
その他の点については(眠る前に聴いているせいもあって)判然としない。

177korou:2022/03/06(日) 14:50:36
(1954年の新譜から)
プロコフィエフ「交響曲第7番」(オーマンディ&フィラデルフィア管、1953年4月26日録音)
★★★★★★☆☆☆☆

始めて聴く曲で、ジダーノフ批判以後の作品ということから
あくまでも音の響きが伝統的な調和のとれたものという特徴を持っているようだ。
しかし、もともと独特の感性で音響を造形してきたプロコフィエフにとって
こうした”一見当たり前な曲”を作曲するということは
どういう意味があったのかという極めて素朴な疑問は拭えない。
ショスタコーヴィチには、辛うじて”叙情”という個性が残っていて
それが「交響曲第5番」という傑作を生んだように思うのだが
プロコフィエフには、伝統的な音楽を創る必然性は何一つなかったと言えるのでは?
もっとも、何の知識もなく、ただ実際に曲を聴いただけのことなので
これ以上の思考は深められないので、感想はここまで。
オーマンディの指揮は、スコアを音のしただけのことで
上記疑問について何も示唆するものはなかったと思われる。
よって★6つ。

178korou:2022/03/06(日) 15:08:40
(ナイトミュージック)
シューベルト「グレイト」(スクロヴァチェフスキ&ミネアポリス響)

グレイトは難しい。どこもこれといって欠点のない演奏なのだが物足りない。
今、たまたま次回聴く予定のフルトヴェングラーの演奏も冒頭だけ聴いたが
これも冒頭が上手くいっていない。
この曲を演奏して上手くいく人は選ばれた人なのだろうと思う。

179korou:2022/03/06(日) 15:17:17
ナイトミュージックのネタ元を”Symphonic”にして
前掲の原則通り聴いていたら
もう全部の指揮者を聴いてしまったので
次回からネタ元を”Symphony”に変更。
原則として、聴きたいものを聴く、できればステレオ録音、という程度に
とどめることにした。

ということで、次回は
シューリヒト&VPOでブルックナー「第3」

180korou:2022/03/07(月) 14:29:02
(1954年の新譜から)
シューベルト「交響曲第9番」(フルトヴェングラー&BPO、1951年12月録音)
★★★★★★☆☆☆☆

フルトヴェングラーの全録音のなかでも最高傑作とも言われる名演なのだが
今の自分の音楽嗜好と正反対な演奏なので
ずっと退屈し、かなりの部分を居眠り寸前で聴いていた。
全くニュアンスが感じられず、哲学的な韜晦ポーズで楽員をリードしているかのような演奏に
親しみ、優しさなどのシューベルトらしい美しさ、可憐さなど
どこへ行ったかのかというような感じだ。
勢いで演奏してもある程度は問題ない終楽章のみ
聴くに値するエネルギー、熱さのようなものが感じられるが
それにしても他の指揮者でも代替可能な演奏に思える。
かつては、部分的に聴いて十分に感動し
またユンク氏のページでもいろいろな人が「素晴らしい」と絶賛しているのだが
今の自分には全く無縁なことになってしまった。
★6つがギリギリのところ。

181korou:2022/03/07(月) 14:41:04
(ナイトミュージック)
ブルックナー「交響曲第3番」(シューリヒト&VPO)

シューリヒトにしては、やや燃焼度の低い演奏で
いつものような一気に音楽の急所をつかんで聴く者を異世界にいざなうといった爽快さは薄いものの
それを補うかのようなVPOの美しい音響を堪能できるので
これこそステレオ録音で本当に良かった。
病身をおして録音を実現してくれたシューリヒトに感謝である。
それにしても、ワルターにしてもシューリヒトにしても
晩年に至るまで、クオリティとしては万人向けではなくなっているとしても
それはそれなりに天才のゆえんをみせてくれるのには感謝するほかない。
凡人の指揮者にはできないわざである。
これは保存版の演奏。


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