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蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について

1管理者:2004/05/13(木) 11:57
新しいスレッドの御提案が有りましたので立ち上げます。提案文は以下の通りです。

891 名前: 犀角独歩 投稿日: 2004/05/13(木) 11:18

管理人さん:

昨晩、三学無縁さんとも話したのですが、『本門戒壇の大御本尊様の偽作説について』において、名無し@ピンキーさん、Happy Birthday!!さん、また、空き缶さんが興味を示されてお出でであった山中師『御本尊集目録』未載でありながら、御筆漫荼羅(真筆)と伝えられる漫荼羅は興味深いものがあります。また併せて、真偽未決御書、また、各文献の著者の実否などを議論するスレッドがあればよいと考えます。

以上、三学無縁さんと連名で提案させていただくものです。

2犀角独歩:2004/05/13(木) 15:23

管理人さん、スレッドの立ち上げ、有り難うございます。

スレッド・タイトルは『蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について』ですが、やや広く、写本・門流文書にも話題が広がることを期待します。

さて、『本門戒壇の大御本尊様の偽作説について』の867で名無し@ピンキーさんがご紹介くださった漫荼羅を興味深く拝見しました。
http://www.eps4.comlink.ne.jp/~shokeiji/mandara1.htm

中央題目・日蓮・花押
南無釈迦如来・南無多宝如来
鬼子母神・十羅刹女
不動・愛染

左右下に書き込みがありますが、読み取れません。

題目は弘安3年以降の筆法に似、けれど、日蓮花押の配置は建治年間の如く、花押の筆法は文永から建治のよう。不動・愛染は、形自体は弘安2年4月以前の筆法に似ますが、一画の下から斜め上に書き出す ┓ で、この筆法は山中師『御本尊集』には見られません。わたしの知る限り、この不動・愛染に最も酷似するのは、何と完則図弥四郎漫荼羅を写したという相貌図のそれです。座配の釈迦・多宝、鬼母・羅女というのも極めて特異と思えます。

不動・愛染を除けば、一々の蓮師の筆に似るように思えますが、しかし、筆法の年代が区々と見えます。

この漫荼羅、本当に蓮師の真筆、御筆漫荼羅なのでしょうか?

もちろん、これは名無し@ピンキーさんにケチをつけようというわけではありません。
純粋に相貌から感想です。名無し@ピンキーさんは、どのような点から、この漫荼羅を真筆とお考えになるのか、よろしければ、ご教示ください。

3犀角独歩:2004/05/13(木) 17:11

2の補足です。

完則図・正慶寺漫荼羅の愛染の比較
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/kasoku_shokei_aizen.jpg

左が完則図の愛染、右が正慶寺漫荼羅の愛染です。

『所謂「本門戒壇之大御本尊」の真偽について』
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/itamandarasingi.html
の中でも書きましたが愛染の筆法の変化は御筆漫荼羅図示を測るうえで重要なポイントになります。

以下は愛染筆法の変遷です。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/aizen_hensen.jpg

4犀角独歩:2004/05/13(木) 17:47

3の補足です。

考えながら打って次々に投稿して申し訳なく思っております。

整理します。

 正慶寺漫荼羅
【中央題目】弘安3年以降の特徴。‘南’より‘經’のほうが大きい。(初期は尻すぼみ)旁が二画から‘ツ’様。最終画が光明点とならず、止筆あるいは短く書き終える。
【日蓮・花押】花押の筆法は鍵手で文永〜建治のよう。その配置は建治年間初期。
【梵字・愛染】一画 ┓ の筆法は初期(文永)の如く。ただし、弘安2年4月前の形。
【諸尊勧請】釈迦・多宝、鬼母・羅女。

以上です。

5名無し@ピンキー:2004/05/13(木) 18:56
蓮祖大聖人筆で、真偽未決の御本尊は多聞にあると思われますが、富士日興門下
古刹寺院における御本尊で、北山末の御殿場市久成寺には五体真偽未決の御本尊
が現存しております。私の手元に写真があるのですが、スキャナーがありません
ので、お許し下さい、
御殿場市立図書館の郷土資料室に久成寺史が常置されていますので、その中に、
写真が掲載されています。
今後とも皆様には、宜しくお願いいたします。

6犀角独歩[TRACKBACK]:2004/05/13(木) 20:22

わたしが最近、仄聞して吃驚したのは、れんさんが『本門戒壇の大御本尊様の偽作説について』の775で指摘された石山六壺・伝興師書写板漫荼羅の偽作説でした。
これには御筆漫荼羅偽作の話題以上に感心させられました。
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/364/1015557630/r775

石山所蔵で、御筆であるという弘安2年11月・増師授与漫荼羅に興味を懐いていますがこれまた、写真が公開されていないので、まったく実否がわかりません。

「未公開」というのは、どうにも胡散臭さがついて回ります。

山岳無縁さんには『日興跡条々事』のことについて、今の研究の触りをご紹介いただきたいと思っています。

7犀角独歩:2004/05/13(木) 20:23

…打ち間違えました。山岳では山伏になってしまいますね(苦)
失礼しました。訂正するまでもなく、「三学無縁さん」です。

8犀角独歩:2004/05/13(木) 23:30

 三学無縁さんのコンピュータが‘風邪’を引いたとのことで、代理投稿の依頼をファックスで頂戴しました。

以下、三学無縁さんです

*** 以下、代理投稿 ***

山岳無縁…たしかに山登りとは縁のない体力ゼロの私のであります。どーせなら、三角無縁とでも変換していただければ、フチなし三角、という私らしいハンドルになったのに…。

私は、ハンドル通り、学はありませんので、教学的な検討をできるものではありません。
まず、石山系の各書籍に掲載されている条条事の本文の比較検討から始めました。

ひとつは、富要などに掲載されている諸師の文書に引用されている本文の問題。
もうひとつは、石山が教科書というか正典的に位置づけをしていると思われる遺文集類に掲載されている本文の比較です。

条条事は不鮮明な写真がカラーと白黒の2種類、非公式ではありますが、、世に出まわっています。白黒の方は、『日興上人全集』に掲載されているのですが、、やはり鮮明なものではありません。しかし、この写真が真筆だとしますと、石山系出版物に掲載されている本文と異なることになってしまいます。

さらに、堀日亨師の説による正本本文とも異なります。また、石山には、「正本と案文」つまり、清書した正式なものと草稿というか下書きの2種類の真筆がある、というわけですが、これまで書籍に収録されたものが、正本であるのか案文であるのか不明です。

それぞれの書籍に掲載されている本文に違いがある、ということは、それらのどれかが正本でありどれかが案文なのでは、と考えられるのですが、すべて、正本らしいのです。しかし、すべて正本だとすると、各書籍で、、本文が異なっているのは何故なのか、という当然の疑問が生じます。

私の論考では、基本的には偽作論や新作論を云々するつもりはありません。また、これまで行なわれてきた真偽論を論評するするつもりもありません。というよりも、学無しですので、私の手には余ります。

それに、そういったことに触れると、枚数がどれだけになってしまうことやら…。さらに独歩さんからは、今月中に書け! とキツイお達しもあるわけで…。

ある人からは、これまでの主な真偽論を紹介してほしいとは、くり返し言われているのですが、つらいです。

従来、相伝書類だけではなく、日蓮遺文についても、真書、偽書、真偽未決としての疑書、という分け方がありますが、わたしは、もうひとつ、擬書というのを加えたいと思っています。これは私の造語ですが。

真跡がなく、写本も上古のものがない。(ここでは直弟子段階の写本という意味で上古と書きます)しかし、内容的には日蓮遺文と見なすことができるもの。

つまり、後生の作であると考えられるが、日蓮の遺文とそれほど違和感のない内容のものです。

とりとめなくなってしまいましたが、長くなりましたので、これくらいにさせていただきます。

*** 代理投稿おわり ***

わたしがきついお達しなど三学無縁さんにできようはずはありません(笑)

9犀角独歩:2004/05/15(土) 12:26

空き缶さんからのご依頼でアップしました。

「法華宗(陣門流)理性寺所蔵の伝宗祖曼荼羅」だそうです。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/jinmon_mandara.jpg

わたしの個人的な意見としては

愛染は文永年間の筆法
中央題目は、まあ弘安というところ
花押は蕨手、どんなに下っても弘安初期、あるいはもっと前
全体のレイアウトは弘安3年前後

初期で「日蓮」と一体化して書かれる御筆は『本尊集』で見ると
第8 http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/008.html
第10 http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/010.html
でしょうか。まだ、鍵手の特徴を表す以前の花押筆法の段階ですので、該当漫荼羅とは異なります。

これが御筆漫荼羅であるかどうか。まあ、陣門流のケチをつけるわけではありませんが…。

まあ、こんなあんなしながら、漫荼羅の鑑定・鑑別を皆さんと共にすると富士門信徒の漫荼羅鑑別眼はレベルが上がり、自ずと弥四郎漫荼羅その他を見る目も養われると…、そんな期待もあったりするスレッドの提案の延長です。

10犀角独歩:2004/05/15(土) 13:57

空き缶さん:
れんさん:
皆さん:

『御伝土代』については、こちらで議論しませんか。
なんか仕切っているようで恐縮ですが、あとの探すときに的確なスレッド下だと探しやすいものですから。
お願い申し上げます。

11空き缶:2004/05/15(土) 14:10

それでは、先のカキコは誤字もありましたので、以下の通り修正して再投稿します。

「御伝土代」については、ほんの一部ですが「図録 日蓮聖人の世界」に写真が収録されています。

興風談所「御書システム」のHP、「コラム」に日道師の自署・花押の筆写真が出ています。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~goshosys/colum_ft.html

あとは菅野慈俊師の「御本尊集」(奉蔵於奥法賓)に、道師書写曼荼羅の写真が出ているはずです。

この辺は資料豊富な、れんさんにご協力とご助言を願います。

私は独歩さんの危惧そのものではないかと思います。

12空き缶:2004/05/15(土) 18:29
携帯よりテストです。
御伝土代の写真、日道師の他の筆写真ですが、大石寺版「日興上人日目上人正伝」にも若干ですが収録されてましたので、ご参考までに報告致します。

13空き缶:2004/05/15(土) 18:31
と、思ったら!!復旧おめでとうございます。

14れん:2004/05/15(土) 18:48
独歩さん。道師の筆蹟については御伝土代を含め、御筆写真が以下の書物にあります。「歴代法主全書」第一巻口絵。「日興上人日目上人正伝」P344、P376。「日興上人」(継命新聞社)P51、P73、P84。「日目上人」(前同)P72、P123、P127。以上の御筆写真を見る限り御伝土代の道師筆は間違い無いと存じます。本仏論については興師弟子の満師の日満抄(盛師写本現存)に「我等一念心九識圓備自躰無作常住境智不二自受用身自躰也」と中古天台的な解釈が見られますが、土代のそれは、天台の文句九・伝教の守護国界章の解釈に順じており問題ないと思います。

15れん:2004/05/15(土) 19:08
あと、興門資料刊行会から復刻版がでた「四聖一士・御遠忌記念写真帖」にも道師御筆写真がありましたね。完則師目録の三師伝時師説は決して無視はできないものの、あくまで当時の人の見解を記したものと思われ、やはり近代・現代においてあらためて御筆写真や実物をを実見した上で、道師筆と鑑定した亨師や興風談所諸師の見解はある程度は尊重すべきものと考えます。かといって、独歩さんの観察眼・着眼点を決して否定するものではありません。むしろ、独歩さんの鋭い観察眼・着眼点にいつも敬服いたしてしております。

16空き缶:2004/05/16(日) 18:19

 れんさん、さすがですね。
 
 結構いろんなところに出ていてびっくりです。

 私的には、道師の書く「日」の字の違いが気になったのですが、興風談所も御伝土代を道師筆と認定しているとなると、やはり道師筆は動かし難いものなのかもしれませんね。

18れん:2004/05/16(日) 21:00
空き缶さん。犀角独歩さんのご意見も、実に傾聴すべきご見解ですが、道師筆写真資料を架蔵し道師筆の鑑定能力のある興風談所のご見解を尊重して道師筆と見ております。独歩さんは興風談所の鑑定能力に疑問符をつけておられる様ですが「興風」誌などからみられる近年の実績からみてもその能力は非常に高くそれなりに信用に出来るでしょう。なお未見ですが、日蓮実宗蓮華寺から出した「日蓮実宗蓮華寺二十周年記念誌」に同寺所蔵の道師消息、道師書写法華証明抄写本の御筆写真が掲載されている由ですので、これら未見文献も調べるべきかも知れませんね。

20犀角独歩:2004/05/18(火) 06:38

れんさん、有り難うございました。
柄にもなく風邪を引いてしまい、お礼が遅れました。
ご教示、興味深く拝読いたしました。

石山の時師と古写本の時師違いには大いに溜息をついたものでした。
学会を含む石山系教学から、わたしが蒙を啓く大きな足掛かりとなったのは仏教学者には頗る評判は悪いものの、サンスクリット説話では世界で三本の指に入ると言われた故岩本裕師でした。しかし、この師ですら、『十王賛嘆抄』を真跡として扱っていました。
次に私が兜を脱いだのが執行海秀師。しかし、その師ですら『五人所破抄見聞』を妙蓮寺眼師の書として論を立てていました。

以上のような有様ですから、山上師が『三大秘法稟承事』に疑義を立て、坂井師が二箇相承を偽書と論えば喝采は送るものの、石山の旧態依然の血脈譜をなぞる如き(もちろん、れんさんがそうであるという意味ではありません)蓮興目道を示すような論には二重にも三重にも身構えてしまう悲しき習慣が身に付いているのかもしれません。

わたしは古文書研究というのはまずは科学判定ありきから始めるのが一番の近道と考える立場です。そんな意味から、筆跡の形を必死に睨む努力には敬意を表するものの、もう少し、今日的な鑑定方法も取り入れたほうが善いという思いがありました。

参)真贋のはざま
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/2001Hazama/01/1400.html

そのような意味からの石山周辺への鑑定疑義であることをご了解いただければ有り難く存じます。これはれんさんのご教示を軽率に扱う意味はもちろんございません。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

また、空き缶さんには多くの示唆を賜りましたこと、深く御礼申し上げます。
今後ともよろしくご教示のほど、お願い申し上げます。

21無常 北九郎:2004/05/18(火) 20:23
略、、;;: 興風談所〜れんサンの言言を検察したが、、「、、何の事はない===未だに、ダマシのテクニックの継続中の”正信会”崩れのなれのハテ、のようです、、。!! ダマシにダマシた「正信会」の者ドモの無反省には、、驚愕ダゼ、、。!!


22れん:2004/05/18(火) 20:42
犀角独歩さん。返レス有難うございます。さっそく参考に「真贋のはざま」を読ませていただきました。私も放射性炭素年代測定による古文書の鑑定をすべきであることは勿論全く同感ですが、現在の石山に弥四郎マンダラを含め、所蔵文物の放射性炭素年代測定による鑑定をするだけの勇気はないでしょう。外部の人間としては、放射性炭素年代測定は今のところ無理ですから、その前座段階として、数少ない公開された文物の写真等から、その筆跡が誰のものかを推定する事は決して無意味ではないとは愚考しております。

23犀角独歩:2004/05/19(水) 02:16

れんさん、22に仰る点は、もちろん、わたしは賛同します。
あの難解な墨跡から筆者を探る努力に、もちろん、敬意を表し、また、その結果を注視し続けています。

24れん:2004/05/20(木) 02:59
無常北九郎さん。板の趣旨から離れますが、私のことを誤解なさっている様なので一言。私は先日創価学会を脱会したばかりのものです。興風談所さんには、刊行資料をお分けいただいておりますが、こちらの掲示板で皆さんのご投稿から多くのことを学ばせて戴いております。以上の通り、私が「正信会崩れ」云々とのご投稿は貴殿の勝手な憶測であり事実ではありませんので、一言申し上げました。

25犀角独歩:2004/05/20(木) 09:04

れんさん、脱会をされたのですね。その決断に改めて敬意を表します。
おめでとうございます。

26無常 北九郎:2004/05/20(木) 20:45
略:: れんサンの脱会宣言に接し、、小生の誤解多大と判じて、、深く御わび申し上げます、。 因みに、小生「石山〜学会〜正信会」の流れでボロボロになった被害者ですので、ご迷惑をお掛け致し深心より陳謝致したく存じ申しあげます、、ドーモでした、、。

27犀角独歩:2004/05/20(木) 21:44

無常 北九郎さん:

はじめまして。
> 「正信会」の流れでボロボロになった被害者」

この形もありですか。
わたしは過去10年間、学会を含む石山系集団の被害者と関わってきましたが、正信会を被害を加える集団と論う人に会うことがなかったのです。認識を新たにしました。

28無常 北九郎:2004/05/21(金) 21:30
この形も「大いに在り、、」でございます、、。 所詮「エエカッコシーの日達、、」の弟子らの「思いカブレ」の「信者無視=僧侶最優先主義、、」の「彼ら僧侶の生活優先第一、、」に依る「、、信者などうでも良い?、」という「差別主義」にドップリ浸かった最低の「庶民虐待優先」の「日蓮サンに反逆」した「団体」で在った事実には驚愕を禁じ得ません、、。

29ボチボチの低血圧者:2004/05/22(土) 17:31
28様、; ソンナに熱くなされませんように、、。 頭を一度くらいは「御冷やし、、」を御期待しますが、?

30無常:2004/05/23(日) 20:51
、、、畏まりました、、。 ご迷惑を深心よりお詫び申しあげます、、。

31無常:2004/05/24(月) 06:55
、、全面削除に御同意しまして深くお詫び申し上げます、、。

32犀角独歩:2004/05/24(月) 10:21

地名さん:

真偽問題に関わるのでスレッドを変えました。

> 素朴な疑問 1377
 http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/1377

改めて気付いたのですが日宗全『産湯相承事』は冒頭に「日興記之」が落ちているのですね。その代わりに文末に「日蓮在御判」とあるわけです。たぶん、日宗全興尊部は亨師がその編纂に与していると思うのですが、同じ監修に携わった学会御書では「日興之を記す」が入り「日蓮在御判」は記されていません。

また、同じく亨師編纂の冨要(1巻)掲載では「日興之を記す。」で文末「弘安五年壬午十月八日 日蓮在御判」と記されるものの、ここに二重線を傍線し「編者(亨師)曰く房州妙本寺日山−我師門下−写本等に依って之を写し一校を加へ延書となす、書末年月御名判に二線を引きたる一行は後人の疑託なるが故なり」と註します。

つまり、山師本では「日興記之」「弘安五年壬午十月八日 日蓮在御判」と併記されていたのか、あるいは複数の写本から文頭・文末に両文を亨師が載せ、二線を引いたのか、どちらかということなります。

学会御書で古写本を呈示しませんが、平成新編では何と「左京日教筆/大石寺」と記します。これにはやや驚きました。

これらの写本ルートの一方は房州で、一方は京都。わたしは「大日蓮華山」は、駿河…、もっと詳細に言えば重須発なのかと思っていたのですが、これはもっと慎重に考えないといけないようですね。

山師、教師と来るとなると、この書の成立はいったいいつ頃のことと考えるべきなのか悩むところがあります。しかし、記される教学的な姿勢からすれば、やはり日蓮本仏論の濫觴期・蓮祖滅100年前後と考えるのが至当と言うことになるのでしょうか。

この辺り、研究されていないものでしょうか。
地名さんをはじめ、どなたかご教示いただけませんでしょうか。

33空き缶:2004/05/24(月) 13:22

 犀角独歩さん、こんにちは。

『産湯相承事』に関し、興風談所御書システムの解題には以下の記述がみえます。 

「なお、『日教本』には、天照太神が天下った出雲の日御碕のこと、十羅刹女と天照太神と釈尊と日蓮とが一体異名であること、日蓮は日月を表し、日月の画数が十であるのは、十羅刹女(日蓮)が諸神を束ねることを意味すること、等の文章が欠落している。この部分は出雲の日御碕が出てくるところ、本書が出雲の日尊門流によって作られたことを示唆するものと考えられるが、『類聚翰集私』は日教が造像読誦を許す尊門から、大石寺日有に帰依して以降に著されたものであるから、日教はあえてこの部分を削除したのかもしれない。」

 尊門と郷門には、現在大石寺が自山の相伝書としているものの写本が多くあり、相伝書類の偽作は大石寺系ではなく尊門・郷門にて行われたものと思われます。
 もちろん二箇相承については別で、従来の定説?どおり重須にて偽作されたものではないでしょうか。

34犀角独歩:2004/05/24(月) 17:17

33 空き缶さん:

重要なご指摘、有り難うございます。

ご指摘のとおりであれば、石山の平成新編御書は『産湯相承事』に就き、冒頭目次の該当書欄に古写本として「左京日教筆/大石寺」と挙げながら、掲載文書は違う文書を掲載していることになります。なぜならば、ご指摘の箇所は石山平成新編には掲載されているからです。

「日興記之」「弘安五壬午年十月八日 日蓮在御判」を取ったり付けたりするばかりではなく、所蔵(するという)古写本に無い文書を書き足すことまでするとは、全く以て証憑性に耐えない全集であると、改めて呆れました。

> 相伝書類の偽作は大石寺系ではなく尊門・郷門にて行われた

これはまた隆門の模倣も視野に入れても可と思います。

一点。『産湯相承事』はしかし、ある面、神道色というか・山岳信仰の色合いを感じさせる面もあります。この点は富士信仰の延長からその影響を考えられるのではないのかと想像するのですが、この点はどうでしょうか。

『就註法華経口伝』と同様に、該当書は通称を『日興記』と言われるもので、興師に仮託した書であることは共通の認識ですね。この書に「大日蓮華山」が出ます。成立はいったいいつ頃のことでしょうか。時と場所が特定できれば、「大日蓮華山」語の興門初出書か否かが決せようかと思います。いずれにしても房州山師、要山(系)教師の時代には‘写本’されたというわけですから、その時代以前の成立であるといえるのでしょうね。

35空き缶:2004/05/24(月) 19:16
犀角独歩さん

>これはまた隆門の模倣も視野に入れても可と思います。

極めて重要なご指摘と思われます。

尊門・郷門の相伝書偽作疑惑の根拠は、本門教学上肩を並べ難し巨匠の出現があったことを私も考えています。
教学的にお手上げ状態の富士門流にとって、日隆の存在は本門教学の正系を自負するものにとって脅威であったことと思われます。
教学論争では耐えかねた富士門は、正系としての「証」づくりが必要になったのではないでしょうか。

悪くいえば郷門中興の日要師は、自らの弟子を日隆の門下として送り込み、巧妙にその奥義の一部を盗み取ることに成功したといえるのではないでしょうか。

大石寺の日有師の京都遊学も、私は住本寺の板曼荼羅の見学と日隆教学の摂取にあったと思っています。

36地名:2004/05/24(月) 22:21

こちらの掲示板に記載させて頂きます。
独歩さん、空き缶さんのお力をお借りして検討してまいりたいと存じますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。議論が前後しますが、以下から記します。

2.『産湯記』(「産湯相承事」)における「大日蓮華山」及び「富士山」の記述数及び記述箇所については、以下のとおりです。
富士山   3箇所
大日蓮華山 1箇所
(聖人托胎口傳)
有夜霊夢曰、叡山頂腰ヲカケテ、近江湖水以手洗『富士山』日輪出奉懐思
(聖人御生不殊佛御誕生口傳)
又可産生夜夢『富士山』頂登見十方明事掌内如見三世明白
(日文字口傳)
聖人重曰様日蓮弟子檀那等非母物語不可思、即金言也、其故予修行兼母霊夢ニアリケリ、日蓮『富士山』自然名号、富士郡名也、實名『大日蓮華山』云也、我中道修行故如此、国云日本、神日神申、佛童名日種太子申、予童名善日、仮名是生實名即日蓮也、久遠下種南無妙法蓮華経守護神我国天下始国出雲也出雲日御崎云所、天照大神始天下給故日御崎申也、我釈尊顕法華経説已来号十羅刹女

37地名:2004/05/24(月) 22:24

3.『産湯記』における「富士山」と「大日蓮華山」との関係です。

①「日蓮」は、「富士山自然の名号」であること。
②「富士は郡名」であること。
③「実名は大日蓮華山」であると云うとしている。
④「日蓮は富士山自然の名号」:「富士は郡名」=「大日蓮華山は実名」

『産湯記』 : 「日蓮『富士山』自然名号、富士郡名也、實名『大日蓮華山』云也」

しかし、「富士山」の「実名」がなぜ「大日蓮華山」なのかについては、同書の本文において何ら言及されておりません。また、その出所についても明示されておりません。

38地名:2004/05/24(月) 22:28

4.『産湯記』について、執行海秀師の「興門教学の研究」より引用いたします。

「日蓮宗宗学全書本、富士宗学要集本があり、その他異本として「本尊論資料」の日興門流の口伝に「御実名縁起」(又云産湯相承)がある。要集本は、宗学全書本にある「追記」の分、小活字7行を削除している。また本文行間の日悦本・日感本に加えられている「傍注」も後人の加筆として削除している。 中略 
本書の写本として本是日教本(大石寺蔵)と日山本(保田妙本寺蔵)とが伝えられているが、引用文によれば勝劣血脈が別伝されていることになる。日安の「日叡縁起」(文安六年、1449年)には「日文字口伝義、如産湯相承」とあり、産湯口決は日文字口伝より成っていたことが推察される。」とある。

「本是日教(1428−1489年)の「百五十箇条」には百六箇抄を初め、産湯相承、二箇相承等が引用されている。」同書P20

「次に、記述の内容について検討してみると、 中略 
「○日文字口伝
日蓮富士山自然名号、富士郡名也、実名大日蓮華山云也、我中道修行故如此国云日本、神日神申、仏童名日種太子申、予童名善日、仮名是生実名即日蓮也」
富士山(大日蓮華山)と日蓮と日本と日神と釈尊(日種)とは一体異名という日の字口伝である。 中略 」同書P56

「日文字口伝」を整理しますと

日蓮=富士山(大日蓮華山)=日本=日神=釈尊(日種)→一体異名

となりますでしょうか。

39地名:2004/05/24(月) 22:34

32〜35 の独歩さんと空き缶さんの記述内容につきましては、よく拝読・未読した上で参考に資するものが得られましたらコメントさせていただきます。

40犀角独歩:2004/05/24(月) 23:36

空き缶さん:

> 有師の京都遊学…住本寺の板曼荼羅の見学と日隆教学の摂取

「なるほど」と思った次第です。

41犀角独歩:2004/05/25(火) 00:07

地名さん:

日宗全『産湯相承事』文中で()で記される口伝・口決は以下となりましょうか。

父母夫婦先表口傳・聖人托胎口傳・聖人上行菩薩口傳前是生御事・聖人御生不殊佛御誕生口傳・苦我茀口決・諸天頌口決・日文字口傳・生佛法界一如口傳・本門下種口傳・佛與聖人同体口傳

これは『就 註法華経 口伝』についても言えることですが、口伝を文書にしてしまうことは、口伝授に対する冒涜ではないのか?とわたしは思うのです。口伝を口伝せず、文にした時点で口伝でなくなるというパラドシカルな性質を帯びているからです。

それにも拘わらず、ある時期から文書化されていくのはどのようなことなのか、わたしは興味を懐いております。

『産湯相承事』は複数の口伝を文書化したうえで、さらに一連の物語として構成した点で文学的要素すら持った文献ですね。これは『就註法華経口伝』の如き逐語的拡大解釈とはまた違った趣を呈しています。


これら口伝が蓮師から興師になされたとは、もちろん、信じがたいところです。
また、石山歴代に何ら古写本がないことを「口伝であったから文書しなかった」などと言い訳するのかとやや皮肉りたくなります。しかし、それが他山で文書化されたのであれば、口伝を他山僧に語った不埒な相承者が歴代にいたことになるという、これまた、皮肉な憶測を導くばかりの体たらくとなるわけです。

なんだか、「つぶやき」のようなことを書きましたが、以上のような点も含めて『産湯相承事』は興味が尽きない一書であると思います。

さて、何故この書中に「大日蓮華山」語が使用されるのか、これがいま継続する考証である流れを継続いただきたくお願い申し上げます。やや脱線したことをお詫び申し上げます。

42空き缶:2004/05/25(火) 00:50
もう少しの脱線をお許し下さい。

『就 註法華経 口伝』に関しましては、以前れんさんも指摘されていましたが目師の自署・花押の入った「聴講見聞録」(建治三年二月書了)が、近世まで本山實成寺にありました。

 實成寺に確認しましたが「現在は西の方のお寺にあると聞く」ということで、實成寺には無くどこかに移動されているようです。
 御義口伝抄はこの聴講見聞録をもとに、尊門で偽作された可能性がありますね。この聴講見聞録は『就 註法華経 口伝』の謎を握っているように思います。

43犀角独歩:2004/05/25(火) 18:31

空き缶さん:

> 聴講見聞録

これは原文が遺っているのでしょうか。
ご教示いただければ有り難く存じます。

44空き缶:2004/05/25(火) 20:23

犀角独歩さん、「聴講見聞録」は現在でもどこかの寺院あるようです。
言葉を濁したのか、本当にわからないのか「西のほうのお寺」とだけ説明していました。
「本山」としての性質上、いろんな末寺の住職が人事で移動になってきますので、歴代の誰かが持ち出したとのことです。

今年の八月の第四週の日曜日が、晴れれば實成寺のお虫払い法要になります。もう一度訪れて、この目で確かめたいものがいくつかあります。
実際には、「日蓮宗の本山めぐり」の記述はかなりいいかげんで、日尊師の曼荼羅も存在しないようです。

45地名:2004/05/25(火) 23:57

5.『日蓮教学の研究』望月歓厚著、平楽寺書店P294-295    
「大日蓮華山」に関連した記述がありますので記します。            

「戒壇論も同じく、日興には今日大石寺のいう大戒壇を富士山に建立するというような事はなかったようである。                             
富士山でなければならぬという考えは、前述の如く身延離山当時の日興の心境から推して、そういう事をいうべき筈がない。                         
何処までも師の墓・身延を去るという事が非常な悲しみであったという事が現れている。

したがって他に戒壇の中心道場を求めて、是が本来の戒壇道場である、これが聖人の思し召しであるというような主張はない訳である。                   
故に戒に就いても、受持の当所即受戒である。即ち、日興の『三大秘法口決』の裏書に
   受持即受戒也 経に云く 是名持戒。 持経の所即戒壇也 法界道場云々。   
と明瞭に出ている。事の戒壇建立が理想であるならば、かかる明瞭な言表はあり得ない訳である。                                    

これらの言葉に依れば、やはり理の戒壇で、何(いず)れの所に於(お)いても妙法受持の当所を戒壇とする考えであった。『本門寺棟札』というのがあるが、これにも少しも戒壇建立の処(ところ)というような事は出ていない。                 

しかるに『五人所破抄』『門徒存知事』の如きに至っては、明瞭に日蓮という名と大日蓮華、即ち富士山という二つを結びつけて、其処(そこ)を戒壇とすると論じているのである。
   富士とは郡の号、即ち大日蓮華山と称す。ここに知んぬ。先師自然の名号と妙法蓮華の経題と山州(さんしゅう)共に相応す、弘通此地に在り。

46地名:2004/05/25(火) 23:58

続き
『門徒存知事』にも、                              
   しかれば駿河国富士山は是れ日本第一の名山也、………よって広宣流布の時至り國王此法門を用ひらるるの時は必ず富士山に立てらる可きなり。            
と述べて広宣流布の時、富士山を戒壇にするという事を明瞭にしている。なお進んで富士山帝都説というのが出て来る。                          

富士山は戒壇の道場であると同時に、政治の中心、王城を此処に持って来なければならぬという論である。                                
   尤(もっと)も本門寺と王城と一所なるべき由・且(か)つは往古(おうこ)の佳例(かれい)なり。                               

こういう事は『門徒存知事』や『五人所破抄』そのものに就いて、一々批評しなくとも、かかる思想から見て、後世のものであるという事は推測がつくのである。故に私は、日興本来の考えは受持即受戒であったのが、身延を離山して後、身延に参詣しないというような考えから、次第に中心地を富士山へ持って来る、そして其処を戒壇の根本道場とする、尚(なお)、進んでは王城そのものも移さなければならぬというような思想が出来たものと考えるのである。」

     「本門寺」思想 → 「富士山戒壇」思想 → 「富士山帝都」説    

  この思想等は、日興その人の思想的変遷なのか、あるいは日興没後・門下により醸成されたものなのでしょうか。

47地名:2004/05/25(火) 23:59

6.「産湯相承事」宗全書・興尊(P35−39)の「奥書」、「校合本」等について記します。

●了玄本・奥書
御本云余謂於当時者他門流中多有此転写本以禁秘之
   干時永禄三庚申年七月廿日         日辰 在判
日辰上人御真筆奉頂戴以写之者也
   維時寛永第五歳戊辰夷則七日          了玄

●山師本・奥書
釈迦大牟尼尊 上業菩薩 口伝在之    
日蓮 日興 日目    
右此血脉者当宗深秘嫡祖密伝也、 人得正法故云聖人之手続也 非日興門葉者全不可授与之 設雖報○千万両金勿授之 所以者背先師聖人素意甚深御口伝 不知聖人御意 流流各各構異議 逆悪甚也 定六人上首有表義 雖然以日興 被定惣貫主者也、 仮令又六老僧各雖構門流 予如存日成思可仰五人以外悉以日興師範、 若背此掟日蓮正義可滅故先師聖人御遺言是則最後結要正誠也 各背御遺誡存本迹一致之私義法門既分二途一期之間御説法本迹一致被仰出事全無之脱法華本迹表裏修行事下種法華南無妙法蓮華経為教相也 全非観心首題五字雑余事優優敷僻事也 勝劣血脉有別紙云々

48地名:2004/05/26(水) 00:00

続き
●校合本
一 富士大石寺所蔵本 本是教師の写本に依り堀慈琳氏の校合を経たるもの       
一 稲田海素所蔵 保田妙本寺 日山師写本                     
一 堀慈琳氏所蔵 了玄師写本                           
一 富谷日震氏所蔵 嘉伝悦師写本                         
一 日蓮宗大学所蔵 薩牙感師手澤本                        

●編者云
本文行間「父母夫婦先表口伝」等の傍注は悦師本・感師本に依りて之を加ふ蓋し後人の加筆に係るものなり。又山師本奥書と大同小異のもの悦師本の奥にあり。今山師本奥書の格上にその小異を掲出す。

49地名:2004/05/26(水) 00:01

続き
※ 「宗全」の頭注にある注記(諸本の文字の出入り)を記します。
「相承事」下・山本・有「日興記之」四字
教本・無「日蓮」二字「禅尼」二字
「童女御名也」・諸本為本文・今依悦本 蓮山・悦本並作「妙興有之」 山本・悦本並作在座
悦本・無「眞」字
山本・悦本並無「氏」字
悦本・無「四」之字
「留」上・教本・有「安」字
悦本「少」作「小」、無「行」字、下作○
「生」教本・作「聖」
「情」山・悦本並作「生」
「後」悦本・作「彼」
「地」悦本・作「化」
「持」山本・悦本並作「治」
「之」山本・悦本並作「於」
教本・無「無」字

非母物語頭十一字 悦本 作非母ノ物語とイヘトモ不思議ハ即金言也
教本 自守護神至一体束合深義也 文無之
山本 無蓮即等九字
品下 悦本 有也経二字
教本 無主君等細注

50地名:2004/05/26(水) 00:11

独歩さん
ご指摘の点ですが、以下のようではないかと推測いたします。

(①父母夫婦先表口傳)
東條片海三国氏大夫云者アリ、是夫定云々七歳春三月廿四日夜也、正今覚侍也、我奉後父母已後、無詮方如遊女時御身父嫁

(②聖人托胎口傳)
有夜霊夢曰、叡山頂腰ヲカケテ、近江湖水以手洗富士山日輪出奉懐思、打驚後月水留夢物語申侍父大夫我不思議御夢相蒙也、虚空蔵菩薩見吉児御肩立給

(③聖人上行菩薩口傳前是生御事)
此少人為我上行菩提薩埵也、為日下人生財摩訶薩埵也、亦為一切有情行末三世常恒大導師也、是汝與ノ給見後、御事懐妊之由聞語相タリキ、サテコソ御事聖人ナレ

51地名:2004/05/26(水) 00:12
続く

(④聖人御生不殊佛御誕生口傳)
又可産生夜夢富士山頂登見十方明事掌内如見三世明白、梵天帝釈四大天王等諸天悉来下、本地自受用報身如来垂迹上行菩薩御身凡夫地謙下、御誕生唯今、無熱池主阿那婆達多龍王八功徳水応持来也、當奉浴産湯告諸天、仍龍神王即時青蓮華一本荷来、其蓮清水出御身浴進侍、其余水灑四天下受其潤人畜草木国土世間悉放金色之光明、四方草木華發菓成、男女並座有無煩悩、淤泥中出不染塵泥譬蓮華自泥出泥如不染、人天龍畜共白蓮各捧手日向今此三界皆是我有其中衆生悉是吾子唯我一人能為救護唱奉見驚則聖人出生

(Ⅰ.苦我茀口決)
毎自作是念以何令衆生得入無上道速成就佛身苦我茀キ玉フ、我少未寝様ナリシ時

(Ⅱ.諸天頌口決)
梵帝等諸天一同音唱言、善哉善哉善日童子末法教主勝釈迦佛三度唱作禮而去給寤見聞シナリト、慥語給聞食、サテハ某日蓮也言也

52地名:2004/05/26(水) 00:13
続く

(⑤日文字口傳)
聖人重曰様日蓮弟子檀那等非母物語不可思、即金言也、其故予修行兼母霊夢ニアリケリ、日蓮富士山自然名号、富士郡名也、實名大日蓮華山云也、我中道修行故如此、国云日本、神日神申、佛童名日種太子申、予童名善日、仮名是生實名即日蓮也、久遠下種南無妙法蓮華経守護神我国天下始国出雲也出雲日御崎云所、天照大神始天下給故日御崎申也、我釈尊顕法華経説已来号十羅刹女

(⑥生佛法界一如口傳)
十羅刹天照大神釈尊日蓮一体異名、本地垂迹利益広大也、日神與月神合文字訓十、十羅刹女申諸神一体束合深義也、日蓮日則日神昼也、蓮即月神夜也、月水縁蓮水生故也、又是生日下人生書

(⑦本門下種口傳)
日蓮天上天下一切衆生主君也父母也師匠也、今久遠下種寿量品云今此三界皆是我有(主君義也)其中衆生悉是吾子(父母義也)而今此所多諸患難(国土草木)唯我一人能為救護(師匠義也)云(佛與聖人同体口傳)日蓮今此三界主也、日蓮大恩以希有事憐愍教化利益我等無量億劫誰能報者ナルヘシ、若日蓮現在弟子並未来弟子等中、日文字名乗上字不置者、自然法罰蒙可知、予一期功徳日文字留置御説法儘、日興謹奉記之、聖人言、此相承日蓮嫡々唯授一人秘傳也、神妙神妙言給留畢

53地名:2004/05/26(水) 00:19

41-44 の空き缶さんと独歩さんの記述内容の方がものすごく重要な事をご指摘なされています。
脱線どころか、大変勉強になります。
是非引き続き「産湯記」等のご検討をお願い申し上げます。

このような「口傳」の集合体は、それぞれ別々の出所なのでしょうか。
どうも一冊の「…記」のようには見受けられないのですが。

54地名:2004/05/26(水) 00:30

52 について

⑦と⑧を分けますので、独歩さんのご指摘のとおりかと思います。
以下に訂正いたします。

(⑧佛與聖人同体口傳)
日蓮今此三界主也、日蓮大恩以希有事憐愍教化利益我等無量億劫誰能報者ナルヘシ、若日蓮現在弟子並未来弟子等中、日文字名乗上字不置者、自然法罰蒙可知、予一期功徳日文字留置御説法儘、日興謹奉記之、聖人言、此相承日蓮嫡々唯授一人秘傳也、神妙神妙言給留畢

55犀角独歩:2004/05/26(水) 10:06

地名さん:

詳細の対象、有り難うございました。
たいへんに参考になりました。

> …「口傳」の集合体…それぞれ別々の出所
> 一冊の「…記」のようには見受けられない

わたしもそう思います。
それぞれの特徴から、出所が判別できるのだと思います。
そんな研究はあるのでしょうか。
それにしても、『産湯相承事』の‘作者’はなかなか筆力であると改めて感心しました。

56れん:2004/05/26(水) 11:58
横レス失礼します。
空き缶さん、聴講見聞録は実成寺にないのですか。題名から想像するに日法師の蓮師聞き書きのごとく蓮師の教学を検討する上で有益な資料と想定されますから、非常に残念です。空き缶さんは実成寺のお虫払いに参詣されるとのことですので、行かれましたら、実成寺の宝物についてご教示ください。
犀角独歩さん、「図解必携…」はいつ頃、発刊されるのでしょうか?空き缶さんではありませんが、私も首を長くして刊行をお待ちしていますので、いつ頃刊行されるご予定かご教示ください。m(__)m

57空き缶:2004/05/26(水) 16:09

 れんさん、お久しぶりです。
 實成寺では聴講見聞録を「日目上人の書かれたもの」といわれていました。「日蓮宗の本山めぐり」によれば目師の自署・花押は認めるものの、目師の著作とまでは書いていませんでしたので、この点も気になるところです。
 いずれにしましても、現在は實成寺にないということで現状では確認のしようがありませんね。極めて残念です。
 所持している寺院には名乗り出てもらいたいですね。それとも出せない理由でもあるんでしょうかね。
 いずれにしましても、實成寺には継命新聞社「日目上人」に掲載の、目師書写曼荼羅の目録から外れているものがありますので興味があります。お虫払いは晴れれば全ての宝物を出すといわれていましたので、この目で確認したいと希望しています。
 實成寺には興風談所の御僧侶も、何度か足を運んでいるようですので、「日目上人」に掲載されなかったということはそれなりの判断があったものと思われます。

58一字三礼:2004/05/26(水) 16:12
「聴講見聞録」の筆録年代が気になります。

目師が身延山にあがったのが建治2年11月24日とされています。(日蓮正宗聖典603)
この年代に間違いがなければ、「聴講見聞録」の建治3年2月書了は、いかにも時間が短いように思います。

59れん:2004/05/26(水) 19:23
空き缶さん、そういえば目師開山の富士宮市安居山東漸寺所蔵の目師マンダラ?も「日目上人」には掲載されてませんでしたね。伊豆実成寺のものについては、空き缶さんのご教示をお待ちいたします。
一字三礼さん、実見した堀日亨師によれば、「聴講見聞録」は止観と五戒口決の抄録とのことで、保田妙本寺の行忍抄と同類のいわゆる要文集の可能性もあると思います。たまたまその中に、上記要文に関する蓮師の法義指導も筆録されていたが故に「聴講見聞録」と呼ばれるようになったのかもしれません。いずれにせよ所蔵寺院には公開してほしいものです。

60一字三礼:2004/05/26(水) 21:12
れんさん
>蓮師の法義指導も筆録されていたが故に「聴講見聞録」と呼ばれるようになったのかもしれません。

常々、蓮祖の止観解釈を知りたいと思っていたので、がぜん興味が涌いてきました
「日目身延において五戒口決伝受を書写す建治3年2月」(富士年表)
なるほど、確かに「五戒口決伝授」と「聴講見聞録」は書かれた時期が一致しますね。

ところで不勉強をさらしますが、お教えいただければありがたいです。
「五戒口決伝授」とはいずれの法門でしょうか。

61地名:2004/05/26(水) 21:18

『富士門徒の沿革と教義』松本佐一郎著、P159-164から引用いたします。
(読みやすいように括弧や句読点等を適宜入れております事お許しください)。

「その他の口伝法門
●日順師の「本因妙口決」の末文に、
次に「日文字の口伝」「産湯の口決」「本尊七ヶ口伝」「教化弘法七箇の伝」は「別紙」の如し(要相127 学二312)
とあるが、その「別紙」というのは無い。これはおそらく右の口伝に順師が注を加えたものであろうから、せん滅が惜しまれる。

●産湯相承(産湯の口決、日文字の口伝)
「産湯の口決」は要集相伝信条部に「産湯相承」として載せられ、別刊もあり、宗学全書第二巻(学全本)にもある。
また身延文庫「本尊論資料」第二篇には稍変わった異本があり、これは日意師が後半を不審な内容だからといって書き留めなかったのを他本を以て補ってある。
学全本には日山師の「奥書」に長々と興師の説に仮託して一致征伐の文章を偽作したものが付加されているが、前の「百六箇抄」の偽作文と同様な代物だから贅説せぬ。
学全本には所々に何々口伝と書いた細字傍注があって、全体を若干の口伝に小分けしているが、編者はこの細注を後加分と言い、要本ではすべてこれらを欠いている。
どの「奥付」にも弘安五年十月八日の記文があり、要集では後人の偽托として二本線を引き、要集を転載した創価学会版御書では、二本線を削除してある。

62地名:2004/05/26(水) 21:21

続き
「底本」は、
要集本    ①房山・日山師本・等
学全本    ②了玄本(辰師本の写し)
       ③山師本
       ④大石寺・僧・本是教師本
       ⑤嘉伝・悦師本
       ⑥大崎蔵・薩牙感師・手択本
       ⑦身延本 意師本・其他
で、要本は等略してあるが、「底本」は学全本と共通していると思われる。
要本には学全本使用・山師本の長い「奥書」について、一言も触れていない。あるいは触れる価値さえ無い偽択分として片付けてしまったのかも知れぬ。
意師本の表題は「御実名縁起」としてあったらしい。

63地名:2004/05/26(水) 21:23

続き
全体の構想は、
前分は、御父母の夢物語に寄せて聖人の仏法における地位を説いたもので、
後分は、「日文字」の宗教的内容を説いている。
この部の学全本「傍注」に「日文字口伝」とあるのは、後注が計らずも順師の所謂「日文字口伝」と同名になったものか、それとも順師の時は後分が別になっていて、それに「日文字口伝」の名が付けられていたのかは、論ずべき材料が少ない。
ただ順師のあげた口伝の中で「日文字口伝」のみは要・学・身・三本の何れにも見当たらないし、現存の「産湯相承」の前分たしかに産湯に関して述べられているが、後分は産湯と直接関係が無いので、順師の頃は、「産湯の口決」「日文字の口伝」といって別になっていたものが、後になって一本化して「産湯相承」となったと推理することもできる。
ただし「傍注」の「日文字口伝」の語は、その後に同様な三箇の「傍注」があり、これは前分に六箇の「傍注」があって全体を十箇に分けているのと同じ形で、特に「日文字口伝」から後の全部を含むという表現とはみえないから、順師の「日文字口伝」とは別の考え方で施した後注であろう。
私見では史料が少ないけれども元は別本であったと思う。順師の「別紙」が無いから、今のところこの程度で満足する外は無い。

入文の「房号」は「是生」に作ってあるが、「是聖」「是性」など色々に作った御伝記がある。聖人御自写の「円多羅義集」には「是聖」とあって「生」字でないけれど、この時代は通音が平気で用いられたのだから、取り立てて言う程の事ではない。

御父を「三国氏」と言うのは「註画讃」にもこの説があり、古伝ではあろうが確実な出所は分からぬ。あるいは本書あたりが種本で、「註画讃」の著者が密かにこれに拠ったのかも知れない。 中略

64地名:2004/05/26(水) 21:24

続き
「日輪の夢」と「青蓮華」の「産湯伝説」は諸門流に伝わるもと同じ類であるが、遙かに複雑で且そのうちに法門が説かれている所が変わっている。
所述の法門は、上行応生、本地自受用・垂迹上行、末法教主・勝釈迦仏、寿量魂魄等の、両巻血脈と同じものだが、唯、「十羅刹、天照、釈迦、日蓮一体異名」、「十羅刹諸神一体」等の説が本書の特徴であって、是は検討を要する。

周知の如く、「十羅刹女」は、御書にしばしば出て来る「鬼神」の名で、出典は「法華経・神力品」に゛法華経の行者の守護を誓う゛御文がある。
宮崎英修学士は「十女」について極めて詳細な研究を出しておられるが、これにおいても「守護鬼神」であるという線は動かない。
「鬼神」だから守護のしかたも荒っぽく、迫害者を治罰したり、行者を苦しめ鍛えたりする。しかし本書に見えるような取扱について言って居られるのは、富士の特殊性を認めない立正大学の学風から言えば当然であろう。唯、本口伝には「十女」を言って「鬼子母神」を除いているが、学士の研究にも宗門の上古には「十女」の方が重く見られていたとあるのが注目すべきことであろう。
聖人真跡の文永期曼荼羅(以下「妙曼」と略記する)で、随喜文庫発行の御本尊写真集には、「十女」の一々の名をあげて勧請されたものが若干あって、弘安期に入って「十女」具名の図顕がなくなってからでも、「鬼子母」「十女」は中尊に近く位置することが多く、重視された意がみえるが、それだけでは本口決における「十女」の註脚には不足する。結局「十女」に就いて一番詳しい依文は「御義口伝・陀羅尼品」である。
十界互具百界千如の一念三千を鬼子母神・十羅刹女と云うなり 三宝荒神とは十羅刹女の事なり 所謂飢渇神・貪欲神・障碍神なり 今法華経の行者は三毒即三徳と転ずる故に三宝荒神に非ざるなり 荒神とは法華不信の人なり 法華経の行者の前にては守護神なり   皐諦女は本地は文殊菩薩なり 山海何かなる処にても法華経の行者を守護すべし(日137)
一念三千を観法と考えては鬼神と同等にならないから、ここでは法体と考えるべきだ。法体の一念三千とは仏そのものだから、
十女 = 三宝荒神 = 法華不信の人 = 法華経行者 = 守護神   
となる。この最後の不等号が気になるから、全部が等式に入るように処理するには、仏の性悪の法門を出して来るより外に手がない。
法華宗の心は一念三千 性悪・性善 妙覚の位になお備れり 
元品の法性は梵天帝釈等と顕れ 
元品の無明は第六天の魔王と顕たり(治病大小権実違目 艮2100)
天台大師より外の人師の所釈の中に一念三千の名目これ無し 若し一念三千を立てざれば性悪の義これ無し 性悪の義これ無んば 仏・菩薩の普現色身・不動愛染の降伏の形 十界の曼荼羅三十七尊等 本無今有の外道の法に同じきか(法華真言勝劣事 艮502)

65地名:2004/05/26(水) 21:25

続き
仏心中の一念三千、仏力中の一念三千の中には当然・餓鬼界も無くてはならない。所謂・衆に三毒ありと示すの格で、仏のはたらきの中で行者を苦しめる力がある。それが苦しめっ放しでなく、かえって守護の力として働いて来るから、大局観に立てば苦しめる事に依って行者を助ける用を成ずる。末法の化導に三類の強敵は付きもので、それがあるからこそ行者は過去の罪障を滅することができ(転重軽受事 艮692)、法華行者たる資格を証明しうる(開目抄 艮817)。それだから末法には仇をする悪鬼神の存在は大切であり、観心釈に立てばそれすらも仏の用と見ることができる。と、ここまで推してくると、聖人等御返事(変毒為薬御書)の文が有力な註脚であることが発見される。これは熱原法難の時、神四郎等が蟇目で責められたことを報告した飛報への御返事である。
今月十五日酉(とりの)時御文・同十七日酉時到来 彼等御勘気を蒙るの時 南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と唱え奉ると偏(ひとえ)に只事に非ず 定めて平金吾の身に 「十羅刹」 入易りて法華経の行者を試すか  例せば雪山童子・尸昆王等の如し はたまた悪鬼その身に入るか 釈迦・多宝・十方諸仏・梵帝等五五百歳の法華経の行者の守護を為す可之御誓是也
「十羅刹」が平頼綱の身に入って行者を試みる。そして、それは結局仏に出るものであるとなって、 「釈尊=十女」 の線は遠回しではあるがつながってしまう。遠回りではあるが、 「産湯相承」 の線は御書と反対や傍道に走っているものではなく、むしろ、その延長線上に有るものであることがこれで明らかになる。
天照釈迦日蓮一体は「報恩抄」に
神をば天照という国をば日本という又教主釈尊をば日種と申
と義にその一体を示し、「諫暁八幡抄」には八幡 釈迦の一体を説かれてある。八幡天照は「日女抄」に一つにまとめて説かれ、「高橋入道御返事」「神国王御書」に天皇天照一体の義があるから、この線も当然釈迦天照一体を指向する。更に口伝相承に求めれば興門は勿論の事、朗門(本二88)(本尊ノ聞書 本二88) 向門(御本尊十界ト習事 本二143)などにもあり、富士独自の義とするわけには行かなくなる。たとへこれらの相伝が富士家の義を盗んだものと仮定しても、他門徒にも承認された法門であるという線になるだけのことで、日蓮宗として見当外れの法門だとは言い得ないのである。

註:(4)十女具名の妙曼は文永期に限られるので、あるいは十女重視の法門は文永期にのみ限られたとも見られるが、口伝は主として身延期に属すると思われるから、十女を重く見られたのは文永期だけのものとすべきではない。しかしその詳細に関しては未だ成案を得ぬ。

66地名:2004/05/26(水) 21:26

続き
更に朗門の像師から大覚師に与えたといわれる口伝には、「産湯相承」を簡略化したような記が出て来る(当家相伝大曼荼羅事 一 日蓮ト名乗給事 本二44)。しかも「産湯相承」では「叡山に腰をかけて近江の湖水で手を洗い富士から出た日輪を抱く」という夢想が、「日天子の蓮華に座したるを手に取る」と語られており、伝承の間に変形の起こったことを示している上、「是生は日の下の人を生む」というのが、唯「是生者日下人ハ是ノ字ト書」と変わって、「産湯相承」では末尾にあったものが、右の夢想のすぐグ後に出ている。こうしたちがいは、一方が他を種本として盗作したのなら起こり得ない。必ずもっと大きな、字句や形式の類似がある筈だ。変わっていてしかも同じことを言っているのは、両者の根源が一つで、しかも伝承の間の変化があることを推測せしめる。奥書によればこれは延文三年に大覚師が筆記したもので、順師の本因妙口決と略同時期になり、富士がその特色法門を他門流に向かって広説するに至った時でもなければ、大覚師が遙々京都まで富士の法門を輸入したとも考えられぬ。このように御書と共通点が多く、他に類似の口伝があってその相互間の交渉が認め難いのだから、本書が確実な口伝であることは疑い得ない。いわんや本因妙口決に名を載せられたことにおいて、本因妙抄におけると同様な、確実性があると言ってよい。」

末尾の「……このように御書と共通点が多く、他に類似の口伝があってその相互間の交渉が認め難いのだから、本書が確実な口伝であることは疑い得ない。いわんや本因妙口決に名を載せられたことにおいて、本因妙抄におけると同様な、確実性があると言ってよい。」というお考えは上述した望月師や執行師の考えとやや異なるものと思われます。


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