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蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について

32犀角独歩:2004/05/24(月) 10:21

地名さん:

真偽問題に関わるのでスレッドを変えました。

> 素朴な疑問 1377
 http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/1377

改めて気付いたのですが日宗全『産湯相承事』は冒頭に「日興記之」が落ちているのですね。その代わりに文末に「日蓮在御判」とあるわけです。たぶん、日宗全興尊部は亨師がその編纂に与していると思うのですが、同じ監修に携わった学会御書では「日興之を記す」が入り「日蓮在御判」は記されていません。

また、同じく亨師編纂の冨要(1巻)掲載では「日興之を記す。」で文末「弘安五年壬午十月八日 日蓮在御判」と記されるものの、ここに二重線を傍線し「編者(亨師)曰く房州妙本寺日山−我師門下−写本等に依って之を写し一校を加へ延書となす、書末年月御名判に二線を引きたる一行は後人の疑託なるが故なり」と註します。

つまり、山師本では「日興記之」「弘安五年壬午十月八日 日蓮在御判」と併記されていたのか、あるいは複数の写本から文頭・文末に両文を亨師が載せ、二線を引いたのか、どちらかということなります。

学会御書で古写本を呈示しませんが、平成新編では何と「左京日教筆/大石寺」と記します。これにはやや驚きました。

これらの写本ルートの一方は房州で、一方は京都。わたしは「大日蓮華山」は、駿河…、もっと詳細に言えば重須発なのかと思っていたのですが、これはもっと慎重に考えないといけないようですね。

山師、教師と来るとなると、この書の成立はいったいいつ頃のことと考えるべきなのか悩むところがあります。しかし、記される教学的な姿勢からすれば、やはり日蓮本仏論の濫觴期・蓮祖滅100年前後と考えるのが至当と言うことになるのでしょうか。

この辺り、研究されていないものでしょうか。
地名さんをはじめ、どなたかご教示いただけませんでしょうか。


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