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素朴な疑問

1管理者:2002/02/20(水) 13:44

1 名前: 管理者 投稿日: 2002/01/28(月) 18:47

スレッド立ち上げの要請がありましたので、立ち上げます。皆様、気軽に御発言ください。要請文は以下の通りです。

>私の場合、皆様のように難しい事はわかりませんが、いわゆる「素朴な疑問」は
>あります。そのような質問でもよろしいでしょうか?
>もしくは、そのようなスレがあればいいのですが・・・

2272犀角独歩:2005/04/27(水) 11:18:21

2271 ラキさん

> 広宣流布(仏法?)に使った金銭は、戻ってくる

もし、そんなことを言い、供養を募る者があれば、よほど、仏教の流れを知らない素人か、詐欺師でしょう。

何故ならば、供養は、元来、喜捨と言われ、何ら見返りを期待することなく、「喜んで捨てる」ものであるとされてきたからです。

2273ラキ:2005/04/27(水) 20:51:21
皆様。こんばんは。

犀角独歩さん。
>供養は、元来、喜捨と言われ、何ら見返りを期待することなく、
「喜んで捨てる」ものであるとされてきたからです。

初めて知りました。
ご供養は気持ちで、額ではないとは言われていましたが、ご供養した物は、
福運となり自分に戻ってくると聞いておりました。(学会では、増えて戻ってくると)

顕正会でも、広宣流布の活動に使ったお金や、年に1度の募金などのお金は、
使った分だけ戻ってくると言っております。
結局両団体は、広宣流布を名目に、折伏をすれば福運が付く!
書籍配布のお金も自前で行いますが、福運!福運が増えるとの甘い言葉で、
信者獲得、書籍販売で設けるために嘘を言ってる事になるのですね。

体験発表や新聞の発表など、ただの偶然だった事なのでしょうか?
今まで、信じて自分が困ったとき、助けてもらえると信じてご供養していたのって、
意味がないのですね!(><)
真実を知って、少し落ち込んでしまいました。
もっと研鑽したいと思います。

2274愚鈍凡夫:2005/04/27(水) 22:52:27

横レス失礼します。

「オイオイ。二日酔いは直ったんかぁ。変なこと書き込んだら出入り禁止になるでぇ!!」(by 外野席)
★☆★凸(--メ)(--メ(--メ)凸★☆★キングギドラ怒りぃ〜!

会員に良い事があれば御利益と言って、更なるご奉公を奨励し、悪いことがあったらあっで「魔が競ってるねん。成長するチャンスやで」なんて、変な激励をし、これまた更なるご奉公を強要されます。結局は、「会のため、○○先生のため」に奉公することが広宣流布であり、日蓮大聖人に連なる者の使命であると、「悲しい自己満足」を奨励されるのです。
教団にとっては、タダで汗を流してくれる会員が多ければ多いほど潤うわけですから、会員がどう転ぼうと、教団の利益になればそれで良しということでしょう。

2275ラキ:2005/05/03(火) 22:14:42
「ごりんじゅうのさい、日蓮むかん(へ?)そうろう」
御書検索で調べましたがヒットしなくて、「日蓮」で検索しても、類似するような
御金言がありませんでした。
歴代上人の御文などで、このような言葉が記載されたものとかあるのでしょうか?
類似してる御金言又は、御文を知ってる方がいましたら、教えて頂けないでしょうか?
お願い致します。m(__)m

2276ラキ:2005/05/03(火) 22:19:29
もう一つ忘れてました。
「けいていしょ」なる御書か歴代上人の著書?は、存在してるのでしょうか?

2277問答迷人:2005/05/03(火) 22:42:15

>けいていしょ

兄弟抄のことではありませんか

2278愚鈍凡夫:2005/05/03(火) 23:39:22

>>2275:ラキさん、どうもです。

> 「ごりんじゅうのさい、日蓮むかん(へ?)そうろう」

次の文の事ではないでしょうか。

「相かまへて相かまへて、自他の生死はしらねども、御臨終のきざみ、生死の中間に、日蓮かならずむかいにまいり候べし。」(「上野殿御返事」学会版P1558)

2279ラキ:2005/05/04(水) 00:47:32
問答迷人さん。愚鈍凡夫さん。
回答ありがとうございます。m(__)m

質問に回答を頂きましたが、知りたかった理由は、
身元が判明する可能性があるので、今回はご容赦の程お願い致します。m(__)m

調べたのですが、解釈をどう受け止めていいか、迷ってます。
勤行の話をしていて、1座は蓮師の言われた作法ではなく、
また、歴代上人も勤行に付いての御文で述べられていますが、
その事を、相手に話したら、経文の文から。
「一心欲見沸 不自惜身命」ではないかと言われました。
言った本人は現代訳の意味は知らないで使用したので、調べたのですが、
「一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまず」 
この意味から私が思うのは、信心(信じる心)が大切で、身命を惜しまない「行」(折伏)が
大切だと、言いたかったのかとも考えております。
だから、この意味では、五座三座の勤行が1座で良いのか理解できません。
蓮師のお心に叶う意味で述べたのかも知れませんが、何かアドバイスでも頂けたら、幸いです。
今は、学びたい・学べる喜びで嬉しいです。^^
信・行がないとダメ!て言われましたが、私は、前にも述べましたが、
やはり、学びたい気持ちの方が大きいです。
それでは、御書拝読してまいります。

2280愚鈍凡夫:2005/05/04(水) 01:21:31

ラキさん、どうもです。
蓮祖遺文における「不自惜身命」の使用例は、写本にのみあります。
「教機時国鈔」、「松野殿御返事(建治二年十二月)」、「義浄房御書」
勤行に結びつけて言う場合、「義浄房御書」を依文としていると思われます。次の文がそれです。

「寿量品の自我偈に云く「一心欲見仏不自惜身命」云云。日蓮が己心の仏界を此文に依て顕す也。其故は寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事此経文なり。秘すべし、秘すべし。」(義浄房御書)

しかし、この書は偽書の疑い濃厚なので、蓮祖の御心とは言えません。また、内容から言って勤行とは関係ないですけどね。

五座三座というのは、本来場所を変えて行われてきた勤行の名残です。したがって、必要以上に拘る必要はないと思います。だから観念文も含めて、勤行に関してはラキさんが納得できる形のものを採用されてはどうですか。
以前、犀角独歩さんが仰ってましたが、蓮祖は方便品・寿量品ともに長行であったと思われます。ご参考までに。

2281ラキ:2005/05/04(水) 02:32:52
愚鈍凡夫様。
毎回、丁重な回答ありがとうございます。m(__)m
御書拝読してふと、現代訳とか御書講義の一番信頼がおける書籍とかあったら、
いいな〜と思ってしまいました。(^^;

今、法華経(岩波書店)方便品を見てみましたが・・・・
方便品の長行て本当に長い〜長行と思い、ビックリしました。(^^;
私は五座三座の習慣がありましたので、1座だと何か違和感があり、
ここの掲示板を拝見させて頂く様になり、蓮師がどのように勤行をしていたのかと思い、
前にも質問をさせていただいたしだいです。
私は、三座が一番大好きです。(五座だと足がしびれるので(^^;)
ご観念文は、初座、ニ座、三座、五座が好きです。
四座の某・・・の御観念文も好きです。
広宣流布は?とお叱りを受けるかも知れませんが、
正宗系団体の「広宣流布」の名目で、言葉が汚いですが「金集め」の名目な気がして、
好きにはなれないです。

勤行の作法に付いては吹っ切れました。
色々ご指導してくれた皆様。ありがとうございました。m(__)m

追伸。
方便品・寿量品の長行を一度実践してみたい思いです。
(カナ振らないと読めないのに、無謀な決意?(^^;)

2282ラキ:2005/05/04(水) 02:48:13
度々変な疑問浮かんでしまい(i ゜__ ゜)タラー…  
御書全集が最初に発刊された(作られた)のは「戸田」氏の時と聴いた記憶があります。
そうすると、それまでの御書全集と纏められた物がなくて、
御書研鑽をどうして行っていたのか?と思ってしまいました。

(つぶやき)
今現在は、御書全集と纏められた書籍があり、
石山。学会は独自の御書があります。
顕正会の浅井くんは、どこの御書使ってるのかな?・・・
まさか!学会版御書て落ちは無いですよね?(;^□^)あはは…

2283パンナコッタ:2005/05/04(水) 11:21:48
学会版御書の元は、平楽寺書店版ですけど。

2284ラキ:2005/05/04(水) 23:54:25
パンナコッタ様。
ご回答ありがとうございます。m(__)m

ググッて見ましたが「平楽寺書店」は歴史がある書店だと、驚きがありました。


皆様へ。
電子空間の放浪をしていて、ふと思った疑問です。
(外国語を使用すると、どこかの教団に謗法〜!と言われそうで。笑)

諸天の中に、日本古来の神が含まれていますが「天照大神」「八幡菩薩」
何故「神道」の神が含まれたのだろうと、感じております。

(ここから、つぶやきです。)
昔は「神道」=「宗教」みたいな、概念がなかったのか?
「神道=心道=真道」と、文字ではなく、音読説で考えたのですが、
「しんどう=心の道」「しんどう=真っ直ぐな道」的な、考えがあったのかな?とも、感じております。
これでは、答えになってない・・・
自分で書いていて、私てやはりおバカすぎです。(><)

2285パンナコッタ:2005/05/05(木) 00:57:20
ラキさん。ここでは”さん”付けですよ。 !(^^)!
平楽寺書店の建物、なかなかいいでしょ。
神道に関しては「本地垂迹」「神本仏迹」を含め愚鈍凡夫さんが「信仰は役に立つか」のスレで
指摘していますので、そちらを参考にしてください。

2286愚鈍凡夫:2005/05/05(木) 03:29:47

> 自分で書いていて、私てやはりおバカすぎです。(><)

いや〜っ、それを言わないでください。小生のHNなんかは、そのものですから。 σ(^◇^;)
何せ、私生活でもボケまくっているもんで・・・・・。 (^_^;)
まぁ、そんなことで、このHN、気に入ってますけどね。 (;^_^A アセアセ…

「小生ってMだろうか・・・・・。結構、自虐的。」(by 独り言) (○ ̄ 〜  ̄○;)ウーン・・・

2287パンナコッタ:2005/05/05(木) 12:16:06

愚鈍凡夫さん。
>「小生ってMだろうか・・・・・」って、
宗教において、絶対のモノに対する服従は、みんな”マゾ”ですよ。(^o^)

2288犀角独歩:2005/05/05(木) 14:19:56

>2287

これは箴言ですね。

2289犀角独歩:2005/05/05(木) 16:46:14

突然、思い出しましたが、パンナコッタさんが記した箴言を裏付けるのがE・フロムの『自由からの逃走』でした。この中でサディズム、マゾヒズムを説明要素として、たしか採り入れていたと記憶します。30年前に読んだ本なので、記憶が曖昧ですが。

2290パンナコッタ:2005/05/05(木) 17:26:03
ああ、下品でしたね。失礼しました。<(_ _)>

しかし、宗教は精神的快楽を与えるシステムの一つであり、信者にはそれによる受け身の部分
がある事は事実ですし、それをM的と表現してもそんなに外れてはいないと思いますが。

2291犀角独歩:2005/05/05(木) 18:05:16

いや、わたしは「下品」などと言っておりませんよ。
また、フロム自身、マゾヒズム語を使って説明していましたから。

2292パンナコッタ:2005/05/05(木) 20:47:40

いやぁ、2287の文は下品だと書いた本人が思っているので。(^^ゞ

渇仰した信仰でひれ伏す信者の姿とは、「精神的マゾヒズムの極致」だと思いますが。

2293ラキ:2005/05/05(木) 22:28:33
皆様。こんばんは。

パンナコッタ様。
スレッド情報ありがとうございます。m(__)m
早速、閲覧したいと思います。

>ラキさん。ここでは”さん”付けですよ。
お心使いありがとうございます。^^
調べ物をしていて、ネット御書を拝読していて、ふと思ったのです。
「様。氏。さん」て?・・・
いつも、皆様の知識の深さに尊敬をしております。
ここの板では、教えてもらう立場なので、
私の思いでは「様」が一番ふさわしい、気持ちなので、ここの板では、このままにさせてください。
他の板では「さん」とお呼びさせていただきます。


愚鈍凡夫様。
>いや〜っ、それを言わないでください。小生のHNなんかは、そのものですから。 σ(^◇^;)
私自身、変な事に興味が行くみたいで、それで、オバかと言うことで(^^;

本日、お寺に参詣に行って来たのですが、また、変な事(疑問)が浮かんでしまい、
困ったちゃんでしかたがないです。(^^;

(恒例のつぶやき?汗)
仏具の「蝋燭立て。おしきみ容れ」の、取っての部分が、象の鼻の形をしてるのは何故?
そして、御香を焚いてる丸い形の御香の「蓋の部分の上の彫刻」これって、
「獅子?シーザー?」みたいな、動物が乗ってるのって、何でかなって?・・・
あと、ご本尊の安置されている「台座?戒壇?」の下の部分にも、「獅子」みたいな
彫刻が彫られているのて?と変なことばかりに、目が行ってしまいました。
インド仏教の影響?名残?・・・
天道説の「地」を支えてる、意味かな?とも・・・
もっと、オバかな発想は、ご本尊に「南無天台大師。南無妙楽大師」が居るのは、
何故だろうと?・・・・
私て(i ゜__ ゜)タラー…

2294パンナコッタ:2005/05/05(木) 23:33:18
ラキさん。お気持ちは大変解るのですが、ここの板のルールと言う事であくまでも
さん付けでお願いします。 管理人さんに怒られちゃいますよ。

象の鼻とかってそうゆうのは見ないと誰も解んないですよ。ただ普通は植物の蔦とかの
意匠だと思うんですがねぇ。

シーザーってカエサル? 沖縄のシーサーの事ですよね。この辺は獅子像とか狛犬でクグって
みてください。また狛犬は三遊亭円丈さんが大家なのでその方面にも検索をかけるといいでしょう。
ちなみに円丈さんが寄進した狛犬の尻尾は、かぜ(扇子)なんですよ。

天台大師は大抵勧進されていますが、妙楽大師は割と珍しいですね。妙楽大師の勧進については、
蓮祖の、著作・曼陀羅の真偽について で法則性が指摘されていましたのでそれを参考に。

2295ラキ:2005/05/06(金) 02:43:38
拝読終わりました。(目がちらついてます。(^^;)

パンナコッタさん。
>ここの板のルールと言う事であくまでもさん付けでお願いします。
了解いたしました。

仏具の疑問もなんとなくわかりました。
「象の鼻のような取っ手」ガネーシャの鼻を意味してるのではと?
そして、彫刻は諸天なのではないかと、私は思いました。

妙楽大師の回答ありがとうございます。m(__)m
後日、拝見させていただきます。

追伸。
管理人さんへ。
掲示板のルール違反をしていまい、大変申し訳ございませんでした。m(__)m

2296管理者:2005/05/06(金) 06:42:53

ラキさん

>掲示板のルール違反をしていまい、大変申し訳ございませんでした。m(__)m

ご協力を感謝いたします。どうぞ今後とも宜しくお願い申し上げます。

2297パンナコッタ:2005/05/06(金) 12:34:26
ガネーシャってインドの土着神でしょ。日本では聖天や歓喜天になっていますし、
古代のナウマンゾウとかは別にして日本に象がいたのは徳川吉宗が見せ物にした
ぐらいですし、ヒンズー寺院にでも行かない限り直接は関係ないかと思いますが。
ただ、その仏器の制作者がヒントにした可能性はあるかもしれません。

2298ラキ:2005/05/06(金) 14:21:33
みなさん。こんにちは。

管理人さん。
ありがとうございます。こちらこそ、今後ともよろしくお願い致します。


パンナコッタさん。
>ガネーシャってインドの土着神でしょ。日本では聖天や歓喜天になっていますし

「ガネーシャ=歓喜天」だから、仏具に使用しても問題がない。
諸天の仲間だからと思ったのです。
諸天なら、彫刻に使用しても問題がない、そのように感じております。
仏具が信仰の対象ではないので、謗法にはならないと、浅井系団体の方は言っていましたが、
何でも謗法と厳格に言ってるのに、変なとこでは柔軟なのが、ハァ〜〜
とため息が出ます。

追伸。
暖かい季節になってきたので、「蓮師ゆかりの地」散歩でもしたいと、思ってるのですが、
お勧めがあれば、参考にしたいので教えていただけないでしょうか?
鎌倉をメインに考えております。
蓮師ゆかりの地ツアーとかあったら、素敵かな〜とも、思う今日この頃。
ここのHPで主催とかなら、色々な話が聞けて、観光ツアーのガイドさんの説明より、
有意義なお話が聞けて楽しい思い出が、できるのではとも思っています。

2299パンナコッタ:2005/05/08(日) 00:41:03
ネットやムック本などに鎌倉の散策ガイドがあるので、それを参考にゆかりのルートを
たててみるのも面白いと思いますよ。
又蓮祖とは直接関係ないですけど、平家物語に出てくる主馬盛久頸坐なんてのありますが
龍口の法難を考えてみるのにいい所だと思いますよ。

2300犀角独歩:2005/05/08(日) 00:50:37

蓮師、ゆかりの地で鎌倉。まあ、そうでしょうね。
蓮師入滅の地に住む、わたしからすれば、こっちのほうがいろいろありますよ、と呼び込みの一つもしたくなりますが、まあ、似合わないのでやめておきます。

2301ラキ:2005/05/08(日) 02:47:17
パンナコッタさん。
日帰りなので、欲張ってたくさん周りたいと思って、以前に調べた事があるのですが、
1日で回りきれるかと思い、お聞きさせていただきました。
再度計画を練って、周りたいと思います。
草案から龍ノ口までの歩みとか・・・

犀角独歩さん。
池上も行きたいと思っております。
学会に居た頃は謗法の地は、行くべきではないと言われていました。
正宗では参詣は問題ないと、述べられているので、堂々と参詣したいと思ってます。
是非、呼び込みしてくださいませ。^^
呼び込みついでに、ツアーでも開催してガイドでもしていただければ、と甘い考えを心で思っていたりします。(^^;
あ!必見!蓮師ゆかりの地ガイドブックなんてあったらいいな〜と、独り言(^^;

追伸。
私は関東に生息しておりますので、千葉〜富士までなら回ることが可能なので、
色々たずねてみたい思いです。

2302愚鈍凡夫:2005/05/08(日) 06:31:08

むむっ、関東に生息とな・・・。ひょっとして新手のカラスかも。 ( ̄Д ̄;;
石原さんに言ってやろう。

2303犀角独歩:2005/05/08(日) 08:56:48

ラキさん

> ツアーでも開催してガイド

わたしにツアーコンダクターをやれと(笑)

とはいうものの、このようなことは過去に何度かやりました。
いちばん、最初は問答さんとでしたか。西山、東光寺、北山、天母山、興師の寓居、本門寺建立の予定地と言われる場所、真の浅間神社のご神体といった場所を地元の、日蓮宗僧侶の方に案内してもらったものでした。

2度目は、身延から西山、油野を抜けて、石山、北山へと、現役顕正会員を含む、数名で周りました。わたしも含めて、石山に久方に入ると、俄に興奮があり、感嘆の声を挙げながら客殿前に至ると、法華講婦人部とおぼしき人から不審尋問を受ける一幕もありました。個人的には、わたしは身延の宗廟・草庵跡、あの地は好きです。

3度目は鎌倉へ。しかし、これはひどい渋滞で、道路の混雑、空腹ばかりが思い出に残るところとなりました。

あと、関西でも問答さんを筆頭に、古刹寺院を尋ねるツアオフをやりました。

しかし、こうして、思い返してみると、そんな参加者の方々は、みな「卒業」していかれました。それはそれでよかったことでしょう。

なお、東京オフ会の開催は、池上本門寺に隣接する区の施設を使っています。そんなことから、境内を皆で散策することはよくあります。少し足を延ばせば、蓮師が多摩川を渡ったという矢口渡(やぐちのわたし)、足を洗ったという伝説が残る洗足池など、いくつか史跡は、この周辺にはあります。

そんなツアオフがご希望でしたら、しばらく開催していないので、企画してもいいですよ。その際は、ラキさんが開催者側として労を惜しまないでください(笑)

2304パンナコッタ:2005/05/08(日) 10:40:09
先のオフ会の前にちょっと時間があったので、独歩さん、三学さん、彰往さんと、本門寺の
境内を見て歩きましたが、やはり”フィールドワーク”をするのであればこのような少人数
の方がよいでしょうね。

寺庭婦人の紫蘭さんのHPに駆け足道中の記事(宗報に載ったらしい)があったと思いますので
それも参考にしてみては、いかがでしょうか。

2305犀角独歩:2005/05/08(日) 11:06:47

パンナコッタさん、どうも。

この前はずいぶんと駆け足の散策でした(笑)
本堂は一尊四士でしたね。わたしは座像であったのが印象に残っています。

2306パンナコッタ:2005/05/08(日) 20:21:06
ひたちさん、はじめまして。
>学会の青年部は正宗の板本尊が偽作であるという前提のもとに各地で論を展開していますが、

えっ、これって部単位ぐらいで既に示し合わせているものですか?
第三文明四月号には、「御本尊不敬の日顕に相承なし」という記事がでていて、だいぶ先の事と
思っていたものですから。

2308ラキ:2005/05/08(日) 21:13:11
愚鈍凡夫さん。
新手のカラスて・・・TT
せめて新種にしてください〜(^^;
カラスとは「正宗系団体の代表」の方々と同じになってしまいますぅ〜

犀角独歩さん。

>わたしにツアーコンダクターをやれと
色んなお話が聞けると思っただけで、わくわくしてしまうので、お願いしたいです。
楽しそうな、ツアーが今まであったんですね。
参加したかったです(><)

>そんなツアオフがご希望でしたら、しばらく開催していないので、企画してもいいですよ。
その際は、ラキさんが開催者側として労を惜しまないでください(笑)
かよわい私に人力車を引けと?・・・(笑)
私がお手伝いできる事て?・・・迷子防止の旗持つぐらいですか?(^^:

パンナコッタさん。
>寺庭婦人の紫蘭さんのHPに駆け足道中の記事
参考にさせていただきます。
書店で鎌倉の観光ガイドを見てきたのですが、「ゆかりの地」リストを先に作らないと、
どこを周っていいのか、悩んでしまいました。(^^:

追伸。
ここは、気持ちが和みます。
御書を読み、教学を学びたいと法華講関係者の方とお話したのですが、
御書を読むのはかまわないけど「正しい解釈」が出来るのは「日顕さん」
だけだと言われました。
自分なりの解釈では、間違った解釈をしてしまうからだそうです。
それよりも、信・行に励みましょう・・・て、なにか、疑問に思ってしまいます。
目から知識を入れるのではなく、耳で聞き、信心でて、折伏行を行うには、基礎教学は必要だと思ってますし、
矛盾点を指摘される恐れのある、教学は後回しで”信心”が根本を強調するのは、(o¬ω¬)----☆ぁ ゃι ぃ
て思っちゃいます。
真面目な?石山系団体の方が見たら、激怒しそうな、聖書や他団体の書籍をいっぱい持ってる私て・・・
地獄行きの直通専用エレベータに乗ってるのかな?(笑)

2309れん:2005/05/08(日) 21:21:58
学会青年部…板本尊偽作…論を展開…

私のネット上の知り合いのさる学会員さんから、法華講員と学会員の対論している板を教えてもらいまして、その板を見ましたが、確かに、その板に投稿している学会員は石山の彫刻本尊・二箇相承・各種相伝書を後世の偽作として論を展開してましたね。ただその内容そのものは、こちらの板で過去数年間にわたり論じられてきたことの焼直しのレベルだと言えます。

2310犀角独歩:2005/05/08(日) 21:29:01

ラキさん、それでは企画しましょうか。

身延までの遠出は、ちょっと、地元を離れられない事情がありまして、わたしは今のところ参加できませんが、東京周辺、鎌倉ぐらいならば、同行できます。

当掲示板責任者の皆さん、また、三学無縁さんと相談してみます。

2311犀角独歩:2005/05/08(日) 21:31:10

れんさん、情報、有り難うございます。

2312パンナコッタ:2005/05/08(日) 22:30:52
れんさん、
どこの板かは大体見当が付きましたのでおっしゃる指摘を理解しました。ありがとうございます。

若手二十代の学会員は、殆ど御開扉を受けた事がない世代になり抵抗がないのでしょうが、その上の
世代はしがらみがあると思いますので公式的には、まだまだといった所ですか。
学生・青年部向けの第三文明の記事にはしっかり
『要するに「宗旨の根幹」として、最も大切にすべき大御本尊を、鑑定家気取りで「偽物」と断じて
いるのである。これ以上の謗法はない。』 
  第三文明四月号 青年が学ぶ正義と真実 御本尊不敬の日顕に相承なし より引用

うーん、過渡期と考えればいいのかな。

2313ラキ:2005/05/09(月) 01:47:45
犀角独歩さん。
企画検討ありがとうございます。
私個人の意見ですが、東京周辺でかまいません。
石山以外行った事がないので(^^;
もう、嬉しくてドキドキしています。(気が早いですね・汗)

「本尊と曼荼羅」スレッド299のリンク拝見させていただきました。
指摘事実を見つめて、画面を見ながらうなずくばかりです。
犀角独歩さんの指摘を私も感じる疑問。矛盾と石山系団体に話しても「信心」の一言で、
言いくるめて、明確には誰も答えてくれないだろうと感じております。

2314犀角独歩:2005/05/09(月) 10:09:51

ラキさんが感じている疑問、そして、周囲の対応。
かつてわたし(達)が歩んできた道と同じです。
半歩、先を行くわたしはラキさんの心境と慟哭がよくわかります。

まあ、ツアオフに行けば、鬱積した気分も晴れるでしょう。

2315藤川一郎:2005/05/09(月) 10:36:25
>>2314
かつて、鎌倉へのオフ会にて鶴岡八幡宮前で「八幡大菩薩は真の神か?」と自動車の中で大音声(?)
で叫び顰蹙を買った参加者がいたそうですが(爆)!
そのような一口ギャグ位は許される会にしてください(ははは)!

2316藤川一郎:2005/05/09(月) 10:38:32
(つづき)
もっとも同じ人物は、身延にて千年杉に「700年ぶりだな」と言って顰蹙を買ったこともあったそうですが?

2317れん:2005/05/09(月) 11:07:30
パンナコッタさん、はじめまして。
現在の若手二十代の学会員は宗門から学会が破門されてからの活動者で、文献で存在は知っていても実際に彫刻本尊など見たことがない人々ですし(私は昨年脱会しましたが、私自身彫刻本尊は幼児期の昭和50年代前半に開扉を一回受けただけです)ここ数年、こちらの板での犀角独歩さん・問答名人さん・愚鈍凡夫さん顕正居士さん他皆さんの秀逸なご議論により、真実が白日のもとに曝されてきていますから、こちらの板を見た人に、その真実が認知され始めている証左といえると思います。
それでも、学会が公式にはまだ彫刻本尊について真作の立場に立っているのは、対宗門対策上の戦略であり、また、古い時代からの一般会員の信仰を動揺させないためでもあると思います。その意味で、パンナコッタさんの仰るとうり過渡期であることは確かだと思います。

2318パンナコッタ:2005/05/09(月) 11:46:14
れんさんには、以前指摘していただいたので、初めてではないですよね。(^-^)

この板で考証した事を若手の学会員が採用し、スタンドプレー的に各地で起きている、
といった感じですかねぇ。
しかし、それで法主絶対論を破折するとなると、まだ危なっかしい気がしますね。
だって学会の歴史を否定する結果に成らざるを得ないですから、保守的な執行部は
いい顔は絶対にしないでしょうし、責任を取るような体質ではない所ですから、
下手したら締め付け的な事もあるような気がします。
ただ、歴史の流れは必然で、嘘がばれていくのは仕方のない流れでなんですけれどね。

2319ラキ:2005/05/09(月) 13:27:44
犀角独歩さん。
ツアーオフ会は、蓮師ゆかりの地を訪れる事ができる喜びで、
教団の事は忘れて、たくさん楽しみたいと思っております。^^

藤川一郎さん。
>「八幡大菩薩は真の神か?」
私も同じ事考えてました。(^^;

残るは、龍ノ口の言葉だけ?・・・
これも誰かされていたりして?・・・(^^;

2320犀角独歩:2005/05/09(月) 14:05:44

藤川さん、久方に笑いすぎて、おなかが痛くなりました。
いやあ、この御仁、どなたでしたっけねぇ(笑)

ラキさん、「楽しむ」、これは大切なことですね。

2321ラキ:2005/05/09(月) 18:53:28
ラキ!湯水の如く沸き上がる疑問!第?回目。

現在は、写真製版のご本尊がありますが、昔の下種されていたご本尊は、
どのようなものだったのでしょうか?
写真印刷技術が出来る以前の物でお願い致します。
一幅ずつ手書き?それとも、木版画だったのかふと、気になったしまいました。

追伸。
犀角独歩さんへ。
>ラキさん、「楽しむ」、これは大切なことですね。
はい(o^∇^o)ノ!これからも色々楽しみたいです。

2322問答迷人:2005/05/09(月) 19:06:16

ラキさん

>今でも、お形木御本尊とか、特別お形木御本尊とか言うのは、木版の名残ですね。形木で印刷したわけです。

そののち、信徒として定着してくると、時の上人が一幅ずつ手書きで御本尊を下付されたわけです。これを成就御本尊、或いは常住御本尊とも言うのでしょうか、一ランクアップの曼荼羅ですね。

2323ラキ:2005/05/09(月) 20:43:35
問答迷人さん。
回答ありがとうございます。m(__)m

石山系では、ご本尊を写真に撮るのは禁止しているのですから、
まだ、木版がでご本尊を印刷して下種してる方が、自然な姿かな?と思いました。
時の上人が「ノミと木槌」片手に彫刻してる姿は・・・
そして、夜な夜な僧侶が墨を塗り印刷してる姿を想像すると、不思議な気分です。

2324問答迷人:2005/05/09(月) 20:59:21

>石山系では、ご本尊を写真に撮るのは禁止

本門戒壇の大御本尊様が、研究対象にされることを極度に嫌がっているのだと思います。昔は、そんなではなかったそうです。

板曼荼羅は仏具屋が彫刻したのだと思います。『時の上人彫刻』なんて事は無いのでは。戒壇板本尊は日法上人が日蓮大聖人の御命令で彫刻したなんて話が実しやかに語られてますが、そのような古文書の記録は無く、日精上人が何を根拠にそんな事を言い出したのか、定かではありません。

2325パンナコッタ:2005/05/09(月) 21:49:23
曼荼羅ではないのですが、愛染感見記の上の部分が欠けている真筆と全体像のある
刷り形木版がありますね。見比べてみるのもいいかもしれませんよ。

2326ラキ:2005/05/09(月) 22:26:31
御本尊が研究対象にされる=科学の発展に伴い、年代特定とか「真偽」の解明を避ける?為の思惑?なのかと、感じてしまいます。
「信仰の対象が汚される」このような事も思ってもおります。
「真偽」ついては、スレットも立っていますので、見守って行きたいと思います。

>板曼荼羅は仏具屋が彫刻したのだと思います。『時の上人彫刻』なんて事は無いのでは。
現在、お寺にある「板曼荼羅」は、仏具屋の彫刻だとして、
仮にも、信仰の対象であるご本尊を、時の上人が筆を取って書きあらわしても、
彫刻の段階で、上人又は僧侶関係者以外の人が彫刻するのは、
途中から「俗世間」の人の手が関与された時点で、「大切な信仰の対象」ではなく、
彫刻になってしまわないかと、書きながら思ってしまいました。
近代なら、大型の紙の製造は可能です。
時の上人が筆を取って、書き表した「ご本尊」をお寺に安置してる方が、
「日蓮が魂を墨にながしこめ」(間違ってたらごめんなさい)
の御金言が、代々受け継がれてる感じがして、大切な「ご本尊様」と思いが強くなると感じております。
(現役の方に怒られそうですが、感じたままの本心なので、ご勘弁ください)

2327ラキ:2005/05/09(月) 22:39:11
パンナコッタさん。
>愛染感見記の上の部分が欠けている真筆と全体像のある
刷り形木版がありますね。

どこに行けば、拝見できるのでしょうか?
蓮師真筆の「ご本尊様」や「お手紙」も直に見た事がないので(^^;
書いていて、蓮師直筆のものを見たい〜〜と、気持ちがいっぱいこみ上げてきてます。

2328問答迷人:2005/05/09(月) 22:48:13

御本尊集がネットアップされています。このリンクは№1の曼荼羅。ここを開いて、下のほうにスクロールすると、御本尊集の全体の目次があります。そこから、御本尊集所収の曼荼羅が見れます。

http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/001.html

2329パンナコッタ:2005/05/09(月) 22:48:28
ラキさん、仏像なんかは大抵彫り師の仕事ですし、鋳物師も作ってますよ。 
とうぜん形木の彫り師も居てその仕事を請け負っていたんでしょう。(直接関係ないですが
浮世絵の彫り師や刷り師の仕事をチェックしてみるといいでしょう)
ですから”開眼供養”が行われますし、重要な意味付けになります。しかし、学会は
この意味合いを否定して、現在の寛師曼陀羅授与では行っておりません。

2330パンナコッタ:2005/05/09(月) 22:54:54
問答迷人さんの指摘されたHPのNO、124です。また刷り形木は不動・愛染感見記
で検索をかければ画像が出てきますのでそれをチェックしてください。

2331パンナコッタ:2005/05/09(月) 23:00:24
>2330 検索をかければ、ほかの画像が出てきますので  です。
 すみません。

2332大勇者:2005/05/09(月) 23:23:26
>2327
学会の公式見解と言って良いかどうか判りませんが、「不動・愛染感見記」は
偽書と論じているようなので、一応参考まで。

2333パンナコッタ:2005/05/10(火) 00:24:26
大勇者さん、
それってここで一寸前に話題になった北林さんの論文ではないでしょうか。
大抵の学会員は不動・愛染感見記の存在自体知らないと思います。富士宗学にも
活字化された文しか載っておらず、図像の掲載はないのでどんな物かも解りませんし
ねぇ。
(ちなみに以前、ある学会の男子部長さんに教えたら、青い顔になってしまいました。
図像のインパクトが強烈だったのでしょうね)

2334パンナコッタ:2005/05/10(火) 00:29:54
大勇者さん、
それって、以前ここで話題になった北林さんの論文じゃないですか?
大抵の学会員は、不動・愛染感見記の存在自体知らないと思いますよ。

2335パンナコッタ:2005/05/10(火) 00:32:46
あれっ、かぶってしまった。すんません<(_ _)>

2336大勇者:2005/05/10(火) 00:45:55
>>2333
パンナコッタ さん

私は北林氏の支持者ではありませんが、不動・愛染感見記の偽書説には説得力を感じています。
素人の私が見てもやはり「身」「見」と字が違うと思います。

図像の掲載どうぞ
http://www.houonsha.co.jp/nichisai/zuhan/hikaku.html

話題のNO18も疑義としていますね。
この辺の根拠はよく解りませんが。

2337ラキ:2005/05/10(火) 03:33:20
みなさん〜こんばんは。

問答迷人さん。
リンクありがとうございます。

大勇者さん。
参照リンクありがとうございます。

パンナコッタさん。
NO,124て、驚きの一言です。

追伸。(感想のつぶやき)
ご本尊集を見ていて、色々なのがあるのが驚きでした。
そして、図画があったのでまた驚き。
「不動・愛染感見記」で検索をして、たくさん話題になっていたのに、
今まで知らなかったのが何故?なのかと・・・
石山系団体では、必要最低限の事しか情報を教えてないと、あらためて実感しました。
自団体以外の書籍を読ませたくない、理由の一つなのかな?とも感じ、ネットの普及で
情報を隠す事が出来なくなり、いかに各団体が正当性を主張するのに躍起になり、
主張すればするほど、私はどこも不信感だらけで、信用度0になってしまってます。
掲示板とかもヒットして覗いて見たのですが「信仰者」としての自覚が無いのか、
発言の虚しい事。。。罵りあいは、どちらの主張が正しい以前の問題だと、再度実感してしまいました。
大発見!・・・では無いですが、「犀角独歩さんとの対話」と言う、HPの記事を見て、
少し得をしたな〜との思いです。^^

2338犀角独歩:2005/05/10(火) 06:49:49

> 2236

筆跡の比較をするのであれば、同時期の真跡を基準にしなければ難の意味もありません。
たとえば『御本尊集』でみても、蓮師の漫荼羅は、文永、建治、弘安とどんどん変化していきます。その間、僅か10年です。

第1
http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/001.html
第123
http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/001.html

この筆法の差を見れば、字体はもちろん違います。しかし、これは編年変化でしょう。

また、感見記、立正安国論、撰時抄では、その筆法を変えています。感見記は、やや行書、立正安国論は楷書、撰時抄は崩し字(連綿体)、これで字体が違うのは当たり前です、筆法が違うのですから。さらに感見記は弟子に与えた授与書、立正安国論は国主と見なした相手に出した上奏書、撰時抄はたぶん講義の原稿という性格の差があります。

以上のような点をまったく考慮せず、単純に並べて、違うというのでは鑑定・鑑別になっていません。よって、北林氏サイトの対照は意味を為していません。

2339ひたち:2005/05/10(火) 06:51:26
不動・愛染感見記に関して、以下のような考えを述べられている方がおります。いわゆる、「重如日蓮」という人が同時期に存在していたというのです。

http://www.mypress.jp/v2_writers/eikou/story/?story_id=989120

ちなみに、私も不動・愛染感見記に関しては北林氏の考察は的を射ているように思います。明らかに諸抄と筆法が違いますね。

2340犀角独歩:2005/05/10(火) 06:56:30

【2238の訂正】

第1
http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/001.html
第123
http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/123.html

2341犀角独歩:2005/05/10(火) 06:58:59

ひたちさん、2人の日蓮に関する考察は、故高木豊師です。
遺稿『日蓮』に載っています。

なお、わたしは感見記の筆法は諸抄と比較して、運筆その他の点では、相似しているように思います。

2342ひたち:2005/05/10(火) 07:17:45
犀角独歩さん、ありがとうございます。

先のサイトでは、どの文献を紹介したのか記されておらず、わかりませんでした。高木豊師の考察でありましたか。

筆法の件、確かにもっと詳細に分析がなされるべきと考えます。

2343犀角独歩:2005/05/10(火) 08:31:10

ひたちさん。もし、「二人の日蓮」説を採って、感見記の偽作を言う人があり、それもこの論が展開された経緯を知ったうえであったとしたら、これほど、ひどい詐術、詭弁はありません。

なぜならば、「二人の日蓮」説は‘感見記を真跡として扱うこと’によって成り立った論だからです。

これはそもそも、日蓮主義の研究者ならば、その名前を知らない人はいない戸頃重基師が、1970年の日蓮仏教研究会(日教研)での発表に、翌'071年に高木豊師が反論をし、それをのちに改稿したという一連の流れで議論されたことでした。『日蓮』(太田出版)に載る『<二人の日蓮>改稿』は胸をすくような名論攷であって、日蓮論攷はかくあるべきとも思う手本的遺稿です。
高木師はもちろんのこと、戸頃師も、当然、感見記を真跡として、この論攷を行っています。
殊に高木師は、感見記の文字ばかりではなく、その絵までも蓮師が記したのではないかという考えに準拠しています。そのような師の論攷「二人の日蓮」説を以て、感見記を偽作というのは、詐欺、ペテンの類といっても言いすぎではありません。

戸頃師は金沢文庫蔵「理性院血脈」の日蓮と感見記の日蓮は別人説を立てました。それは血脈の日蓮が25代であるのに対して、感見記では23代となっているということからです。それに対して、高木師は蓮師が密教相承を複数受けたとすれば、この2代の差は説明が付くとして、戸頃説に反論しました。しかし、その後、もう一人の日蓮、「日蓮房重如」(重如日蓮というのは間違い)の確実な資料を見いだし、二人の日蓮の存在を明らかにしました。しかし、これは感見記を偽作と何らつながることではなく、法華日蓮の存在は、むしろ、感見記によって確定し、その他の資料から日蓮房重如というもう一人の日蓮を立てているのです。

以上のような、経緯があるにも関わらず、「もう一人の日蓮」を感見記偽作と関連づけるなどということは呆れ果てた所行といわざるを得ません。

さらに言えば、このような詭弁を恥もなく吐くほうも吐くほうですが、恣意的に組み立てられ、組織のご都合で宛われた話を鵜呑みにする会員の浅はかな在り方には、呆れを通り越して、哀れすら感じるものです。

2344犀角独歩:2005/05/10(火) 08:37:50

> …「犀角独歩さんとの対話」

かつて、こちらでも、よく投稿されていたLibraさんとの議論、メールのやり取りをご自身のHPに載せたものでした。この当時と、いまでは、わたしの考えには格段の違いがあります。これをお読みいただくのは、恥ずかしい限りです。

もっともこの掲示板の過去ログをお読みになれば、わたしがここにはじめて記すようになった頃はまだ、彫刻本尊真筆説に拠っていたことは了解されることです。文章には責任があります。しかし、それ以上に、真実に基づき、過去の自分を批判できる勇気を持つことは大切なことであると、わたしは思っています。

2345乾闥婆:2005/05/10(火) 10:43:37
「この『感見記』は日蓮の現存真蹟中最古のものであるが、後年の筆跡からしても、確かに日蓮の真蹟としてよいものである。ただ、ここに描かれている明王図は、かなりかなり細かなものであり、果して、それが日蓮の手になるかどうか確かめる基準は、筆跡と違って求められない。しかし『感見記』(中略)が、文字通り日蓮自筆の感見記だとするならば、他者、例えば絵仏師や図像巧者にした感見した相貌を告げてそれを描かせたというよりは、自ら図絵したと考える方がよいのではなかろうか。そうとすれば、これを図絵できた日蓮の図像研究が、専門の図像研究に及ばないにしても、若き日にあったことを想わせるのである。」(高木豊著『増補改定 日蓮 その行動と思想』太田出版 P230-231)

2346乾闥婆:2005/05/10(火) 10:50:55
>2345

誤)絵仏師や図像巧者にした感見した相貌を告げてそれを
正)絵仏師や図像巧者に感見した相貌を告げてそれを

2347パンナコッタ:2005/05/10(火) 11:56:33
あらら、昨晩はパソのトラブルで早々にうち切った後に、こんな論争になっているとは・・。
三学無縁さんは「図は絵師、字は蓮祖」と言っておられましたが自分もこの意見です。

二人の日蓮説については要伝寺の高森大乗師の研究によると、
『神奈川県立金沢文庫に、日蓮なる人物が記した『理性院血脈』という相伝書が伝わるのですが、
この日蓮という人物をめぐって、日蓮宗の祖師日蓮とは別人であるとする学説が戦後に発表されました。
これは、『理性院血脈』の作者が、鎌倉中期から後期にかけて活躍した真言僧の重如(1226〜1299)
であるとする説です。安房の日蓮より4歳年下の重如は、大和の生まれで、字(あざな)を日蓮と呼び、6歳の時、
山城随願寺に入り、金剛王院の胎蓮という人物に灌頂を受け、諸寺に遊学して野沢二流を修めたと伝えられます。
書に優れ、東大寺の凝然(1240〜1321。鎌倉中期の華厳僧で、東大寺の円照に師事。『八宗綱要』の著者)に
声明を教授し、東山に石塔を建立して無縁仏を供養したといいます。正安元(1299)年5月18日、白毫寺で歿
しております(『本朝高僧伝』『東大寺円照上人行状』など)。
 これらの記録から、重如は、東国の法華の日蓮とほぼ同時代の人物で、同じく日蓮と号していたことがわかります。つまり、
金沢文庫に伝わる『理性院血脈』において理性院の血脈相承を受けていたのは、法華の日蓮ではなく、真言の日蓮であった可能性が
非常に高いのです。後に真言の日蓮の相承書『理性院血脈』が、近代に至って法華の日蓮のものと誤伝されてしまったわけです
(高木豊「〈二人の日蓮〉改稿−金沢文庫蔵『理性院血脈』を日蓮伝の資料から除くべき歟のこと−」『大崎学報』135号など)。』

2348パンナコッタ:2005/05/10(火) 11:57:24
続き
『なお、法華の日蓮の真蹟が伝えられる『不動愛染感見記』には、日蓮が大日如来より23代目の嫡々相承を
受けたことが明記されていますが、『理性院血脈』には、大日・金剛薩★・龍猛・龍智・金剛智・不空・
恵果・弘法・真雅・源仁・聖宝・観賢・淳祐・元杲・仁悔・成尊・義範・勝覚・賢覚・賢信・乗印・勝因・
覚舜・真空・日蓮と、日蓮は第25代目に相当するので、『不動愛染感見記』と『理性院血脈』との関係は
薄いと考えられ、その点からも『理性院血脈』は、法華の日蓮の書でないことが推測できます。法華の日蓮の
真言相承の系譜は、明らかに真言の日蓮(重如)のそれとは異なるのです(どの時点で分岐をしているかは未詳)。
また逆に、25代目の血脈相承を受けた真言の日蓮が、23代嫡々相承などという間違いを書くはずがないので、
『不動愛染感見記』は、真言の日蓮の書ではないことはいうまでもありません。★印は「土」扁に「垂」』
 要伝寺HP Q&A Q:鎌倉時代に「日蓮」と名乗った人物が二人いると聞きますが、詳しく教えてください。より引用

蓮祖が真言密教をやっていたのは事実ですが、この真言僧とは直接関係ないと思います。

2349パンナコッタ:2005/05/10(火) 12:29:08
ラキさん、びっくりされました? 自分も初めて見たときはびっくりしました。(^o^)
でもこれがあるのは富士系の保田妙本寺さん、なんですよ。またびっくし。(^◇^)

真偽の論争はともかく、こういったものがあり宗旨ににそぐわないから隠蔽に近い扱いを
するという事実がある事だけは押さえておくべき事ですね。当然御書にもこうした扱いが
あるのも事実です。

2350れん:2005/05/10(火) 13:33:07
横レス失礼します。
保田妙本寺の「不動・愛染感見記」ですが、私は個人的には蓮師の書とみています。このころの蓮師の筆墨は大変少ないのが事実ですが、無記名ながら千葉法華経寺に蓮師の写本として伝承され日蓮聖人真蹟集成第六巻にも収録されている建長三年の年記を有する「五輪九字秘釈」と筆勢を見比べますと、おおよそ同じ筆癖で五輪九字秘釈が蓮師の書写本であることが確実ならば、不動・愛染感見記も蓮師真書として扱ってよいと思います。私自身大日蓮展で感見記の正本を拝見しましたが、疑点は生じませんでした。
感見記中の廿三代の血脈については、山中喜八選集下巻に収録された山中師の論文によると、台密の海雲血脈には大和荘俊範法印が大日如来より二十二代とあるのを紹介し、日大師の「直兼日大問答記」における蓮師は俊範から台密の法門を相承したとの記述が史実ならば蓮師は大日如来から二十三代であり、不動・愛染感見記はそれを証するものとしております。
山中師の推定が正しければ、不動・愛染感見記の血脈は蓮師が自らの台密の血脈を記したものと考えられます。理性院血脈の日蓮については、故高木豊師の論考の通り、重如日蓮と見るのが至当と思われます。以上ご参考まで。

2351ラキ:2005/05/10(火) 13:43:00
みなさん。こんにちは。

昨夜は少し驚きや、今までの体験で、もっと視野を広げて見て行かなければと実感しました。
床に入りながら、色んな考えが浮かび、石山系だけの視点で見ていたのでは、事実・真実は到底見つける事は、出来ないと思いました。
ここの掲示板に出会えて、心から感謝の気持ちでいっぱいです。
「開眼」で少し思い出した事があります。
些細な事ですが、正宗の「信仰のしおり」(宗旨建立七百五十年記念、平成十四年十月十二日)数珠の解説が出ていて、抜粋になりますが、
『「数珠は御本尊様を表す」とされています。数珠、左右の大珠が「親珠」といって、「父母」に当たります。
このうち、父珠が「知断の徳」で、煩悩を断じることを表します。母珠は「万物を生成」し、多くの善根を生むことを表します。
この父母の珠は「陰陽」に通じ、陰陽は「境知の二法」に通じますから、「妙法」の二字を意味します。』P23からの抜粋です。
何故?陰陽が出てくるのかな?と迷った文書です。
同書p25の数珠のかけ方で「正宗寺院での開眼された数珠を用います。」
「数珠の開眼」て今まで聞いた事もない事が出ていて何故?いまさらと感じてしまいました。
破門前の学会では、そんな事は一切言っていなかったですし、石山や末寺で数珠購入しても一言も聞いたことも、文書で貼り出して注意してあった事も
ないと、記憶しております。
私の意見としては、他団体との法具(仏具)の差別化を思っての記載なのかと?
そして、「開眼」が出来るのは、ただ僧侶(寺院)だけでしか出来ない、との思惑もあるのかなって?
言葉は汚くなりますが、「数珠の開眼」=「開眼の為にご供養」を促す思惑も感じずにはおれません。
開眼が必要なら、今まで使用していた「数珠」は、ただの「物」でしかないと、言ってるようにも感じます。
このような事を他の団体所属の方に言ったら、「石山の金集めの口実」と言われるのが、目に見えてると感じております。

2352顕正居士:2005/05/10(火) 15:23:59
廿五代と廿三代については3年前の無徳民さんの御投稿があります(14番)。

http://kamakura.cool.ne.jp/gomoyama/keijiban/shingon.htm

海雲血脈というのは中国の血脈譜です。それによると慈覚大師が十一代であり、以後の天台密教の
相承を調べると俊範法印が廿二代であると。

おそらく『感見記』の血脈は比叡山のでしょう。理性院(醍醐寺)のは東寺密教の相承で、別個の
系図です。比叡山や醍醐寺の血脈を受けるというのは今日でいえば名門のインド学科、仏教学科の
博士課程を修了するくらいだろう。日蓮聖人が12年の修学の期間に両方の相承を受けたかは疑問で
ある。重如も真言ではなく華厳の人である。血脈譜に字(あざな)を記すのも変である。理性院の
ほうはだから分からない。

2353きゃからばあ:2005/05/10(火) 15:37:11

元・無徳民の「きゃからばあ」です。
顕正居士さんに私の投稿を、復活していただき、大変うれしく思います。
あまり書き込みはしていませんが、少しでもこの掲示板にお役に立てれば幸いです。
完全に横レスですが、とにかくうれしくて、書き込んでしまいました。

2354藤川一郎:2005/05/10(火) 16:05:41
>>2351
しかしながら、数珠の開眼は破門前の妙信講の機関誌(冨士)でも、書いてありましたし、昔からありましたよ。
確かに、創価学会からの脱会者の方で、数珠の開眼を聞いてなかった方はおりますが、聞いてた方もおります。
創価学会でどのようにお教えしていたかは知りませんが、法華講では当然のようです。

2355藤川一郎:2005/05/10(火) 16:09:20
(続き)
その昔の顕正会の組長訓には「勤行は五座三座を行う」「数珠は寺院で開眼された者を使用する」等と書いてあります。
五座三座は昭和55年前後にはなし崩しになっておったようですから、この文も破門前と考えて良いと思います。

2356犀角独歩:2005/05/10(火) 17:22:16

2347、8 パンナコッタさん

この引用の要伝寺のダイジェスト、これはひどいですね。
まるで論攷の骨子を取り違えています。

高木師は、円仁の血脈の例を挙げ、「同一人における代数の食い違いから別人とする戸頃師の論は、同一人が複数の相承を受けていたという点からすれば、必ずしも全面的に肯定できることではないといえるのである。すくなくとも、代数の食い違いだけでは、別人説はなりたたないというのが、筆者の戸頃説への批判の第一点であった」(P238)と言います。

また日蓮房重如の年齢については「安房の日蓮と同じく1222年(貞応1)の生れで、安房の日蓮よりも17年も長寿であった」(P234)といいます。

なお、戸頃師は『本朝高僧伝』で依用しますが「筆者(高木)は、この戸頃説批判ののちに、鎌倉時代の資料のなかに重如日蓮の実在を知り得たのであった。それはまた、『本朝高僧伝』の他の僧伝において依拠されたものであったのである。ほかならぬ、凝然の『東大寺円照上人行状』中巻の重如日蓮略伝がそれであった…日蓮房重如、本 舜観房瞻秀ト号ス、大和ノ国人也」(P240)と紹介します。

それ以降、「重如日蓮」とは記さず、「重如」、もしくは「重如房日蓮」と記して一貫します。
また、『理性院血脈』と感見記の代数の食い違いからとするのではなく「…真空、日蓮…」という血脈の次第で「鎌倉における(法華)日蓮と真空との接触もまた、考えられない」(P250)という戸頃説とは別説で、別人説を立てています。

2357犀角独歩:2005/05/10(火) 17:29:10

> 日蓮聖人が12年の修学…両方の相承を受けたかは疑問…重如も真言ではなく華厳の人…血脈譜に字(あざな)を記すのも変…理性院のほうはだから分からない

とは、重要な指摘で、この部分に関しては、戸頃・高木両師の見解より、顕正居士さんの上述の考えのほうが合理的であると思います。

2358れん:2005/05/10(火) 17:40:12
顕正居士さん、御批正ありがとうございますm(__)m
ご指摘の無徳民さん=きゃからばあさんのご投稿読ませて戴きました。わたしが言わんとしたところが、無徳民さんの引用された山中喜八選集の該当の本文でした。外出中の横レスでしたので典拠の本文を引用できず、また、重如日蓮を真言宗の僧と勘違いしてました。理性院血脈の日蓮につきましては、顕正居士さんの仰るごとく、分からないというか、まだ検討の余地があると思います。この件につきまして、これからも顕正居士さんはじめ諸賢の皆様の御議論を拝聴させて戴きます。

2359犀角独歩:2005/05/10(火) 19:02:58

乾闥婆さん、はじめまして。「自己紹介」スレ、拝見しました。

2345の書き出しの補足、有り難うございました。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。

2360パンナコッタ:2005/05/10(火) 19:56:50
犀角独歩さん、
きちんと「別相承による代違いの指摘」がしてあるのですね。なるほど。
独歩さんの指摘をふまえると、この高森師の文は、かなり端折って一寸ぼやけた結論である、
ということになりますね。

2361犀角独歩:2005/05/10(火) 20:43:31

2360 パンナコッタさん、そう思います。

2362犀角独歩:2005/05/10(火) 23:39:13

大勇者さん、ひたちさん、何か、反論なり、ご意見はないのでしょうか。
沈黙してしまっては議論が続きません。

2363ラキ:2005/05/11(水) 00:47:18
藤川一郎さん。
>数珠の開眼は破門前の妙信講の機関誌(冨士)でも、書いてありましたし、昔からありましたよ。
>顕正会の組長訓には「勤行は五座三座を行う」「数珠は寺院で開眼された者を使用する」等と書いてあります。

学会在籍当時、数珠の開眼の話も、書籍類でも見た事がありませんでした。
顕正会のは大変貴重な情報ありがとうございました。
この事実を話しても、受け止めてもらえないのが悲しい思いです。

(恒例の?つぶやき)
顕正会の「諫暁書」の表紙の事で話をした来ました。
犀角独歩さんが以前書き込みをされた指摘を私風に言葉を変えて、
「『立正安国論』の真筆写真が掲載されているのは何故?邪宗、謗法の所蔵品ではないのですか?」
そして「不許可転載なのでは?まさか、邪宗に許可はもらわないですよね?そうすると法律違反になりませんかと?」
蓮師が書かれた物で、昔は著作権など存在しないからいいみたいな、歯切れの悪い回答でした。
そして、4月25日号の顕正新聞の浅井氏の講義で、おかしい部分が拝見できたので、
植物園。気象庁電話で直接質問。
ネットでの歴史の史実の検索して、私が記憶していたのと照らし合わせて、
間違いではない「証拠」(科学的実証。文証)があると指摘しても、目の前の新聞の事実!
間違い箇所を指摘しても、それは部分的な事で、浅井氏が言いたいのは、全体を見ないと判らない。
御書引用で「切り貼り」解説しかしてないのに、全体とは矛盾ではと思い、
全体解釈だともっと違う意味になりますが?と言ったとたん、虚しさがよぎり、
三証を示しても、信あるのみは、蓮師仏法の基礎を否定してるのではと、また感じました。
「喜びで折伏よ」と「幸せですか!」の足裏占いの、教団と同じ思想ではと、悲しい気持ち。
興師、目師は信・行だけではなかったと、記憶しています。
「学」学ぶ事も、折伏行で必要なのですから、大事だと言っていたような?
今は学会の「本尊真偽」の動向を見守るしかないです。
ここの部分は、学会に期待するしかないとは、情けないですが。。。
信仰の根本が崩れれば、顕正会は崩壊するのではとの期待だけです。
顕正会も3代目が世襲制になりそうな感じで、全部淘汰されて、
”事実”を認めて、新たに蓮師の仏法を実践して行って欲しいです。
今日、石山御書が届きました。^^
真筆の所在が載っていて、学会版より少しは進歩したのかな?と・・・

2364ひたち:2005/05/11(水) 00:50:33
犀角独歩さん

二人の日蓮説について、詳細に教えていただきありがとうございます。読ませていただいた限りでは、二人の日蓮がいたことはおそらく本当だろうけれど、「不動・愛染感見記」が蓮師のものでないということにはならないと拝察しました。れんさんの御指摘もその通りと感じます。結局真蹟かどうかは同時期の筆法を比べるしかなさそうです。経年の変遷がたどれるとよいのですが、。一点だけ気になるとすれば、「不動・愛染感見記」に記される日付ですね。建長六年といえば、立教開示された翌年です。年譜によれば、名越に小庵を結ばれた時期かと思います。已に胸に妙法の流布を秘められ、鎌倉を目指された時に、どこの不動・愛染を感見したのだろうという疑問が湧くのです。これが、修学中のものならば、そのような事もあったかもしれないとすることもできますが、やはり引っかかるのです。

2365犀角独歩:2005/05/11(水) 01:09:27

2364 ひたちさん、早速のご返信、誠意を感じます。

ご指摘の点、つまり、建長6年に、なぜ不動愛染か、これは結局、蓮師終生の大問題で、法華経の会座を記した大漫荼羅、だったら、何故、不動愛染が?? という点で、結局、学会教学は難の説明理論も持ち合わせていない空洞があるわけです。

それを自分たちの教学と合わないものは偽作のレッテルを貼って除外視するような短絡思考は、そんなものは通用しない‘子供だまし’だということです。

感見記はもちろん、漫荼羅に至るまで、何故、不動愛染かが、わからなければ、結局、蓮師の実像には迫れないということです。ここで、みなが真剣に考えているときに、「偽書」の一言で片付けて、恰もその子供だましが事実のように豪語して憚らないようなものは捨て置けば、それでよいにしろ、それを納得できるなどと、たとえば、ひたちさんに書かれれば、それは看過できません。では、徹底議論しようということになります。ところが、北林さんの言うことは納得できる、それ以上のことは何もいえないとすれば、ご都合主義に丸め込まれただけであろうという批判が飛んでくるのは、もはや、火を見るより明らかな結果です。それにも関わらず、それを臆面もなく、セット区政があると紹介する神経がわたしには納得できない。徹底議論だということになるわけです。その時の、相手側の対応はただ一つ、では、徹底して証拠を挙げて議論に応じる。ところがそうはならない。言いたいことだけ言って、あとは聞かぬ・見ざる・言わざる、わたしは、こういう対応には、断固、「ふざけるな」と言うわけです。
しかし、こうして、ご返信くださったひたちさんを、わたしはちゃんと評価します。

大勇者さん、読んでいますか。

2366犀角独歩:2005/05/11(水) 01:10:54

【2365の訂正】

誤)セット区政
正)説得性

2367大勇者:2005/05/11(水) 21:44:52
私が何故、北林氏に説得性を感じるかですね。
私の愚考を少し挙げて見たいと思います。
先ず、「不動愛染感見記」が真筆として扱われる最古の遺文という事と思いますので編年変化を考慮した比較が難しいのは仰る通りと思います。
また、花押もこの時期には未だ無いので比較出来ません。(しかし花押の風習は既に日本にはあったと思いますが)
運筆が相似しているというのは書道の経験がない私には解らないところです。

撰時抄には「生身」という二文字が出てきますので25年の差があると言えども比較する資料としては排斥しなければならないとは思いませんし、むしろ良い着眼ではないかと思った次第です。
「不動愛染感見記」の「生身」の文字に注目しますと「身」の跳ね方が右回りか左回りかは大きな違いと考えます。もしこれが二字合によるのであれば「創作」と呼ぶ筆法ではないかと思いますが、しかし「生身」と記す遺文の中にこのような「創作」は(私は)知りません。

次に文献類ですが、「祖師伝」以降には遡れないのではないでしょうか?
興師以外の弟子に授与したものと推測しますが、何故、興門流に伝わるのでしょう。
また、木版画の流布後に軸装裁断されているのにも違和感を覚えるのですが。

2368にし:2005/05/12(木) 04:14:45
だから、No1の本尊とNo122の本尊とどこが似ているわけ。
この違いは、どっちかが偽者だというわけ。
あ、そうか本尊の写真を見るのは怖いのか。

2369犀角独歩:2005/05/12(木) 07:21:03

にしさん、はじめまして。まあ、ここは、そんなにいがみ合って議論しているわけではありませんから、ゆったりと。そういうわたしも言葉にはしばしば棘のあるほうで反省することも多いので、人のことはいえませんが。

さて、大勇者さん、まず、25年の経年差の書を比べるというのは、これは無茶というものでしょう。ご自分の書いたもので25年前のものが残っていたら、比較されてみるとよいと思います。

取り敢えず、今回の議論の要点をまとめ、ブログにアップしました。ご参考に供していただければと存じます。

『日蓮』掲載 「もう一人の日蓮」 再読
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/21544439.html

2370犀角独歩:2005/05/12(木) 14:12:13

> 文献類ですが、「祖師伝」以降には遡れない

これは感見記を指してのことですか。真跡であれば、建長6年まで遡れます。

> …何故、興門流に伝わるのでしょう。

この点は、まだ研究途上のようですが、感見記の真偽とは直接関係のないことであると思います。

> 木版画の流布後に軸装裁断

これは事実と違うのではないでしょうか。木版画が見つかったことにより、真跡で摩耗、表装で損なわれた部分がどのようになっていたかがわかったというのが、先の大日蓮展での解説であったと記憶します。

2371パンナコッタ:2005/05/12(木) 17:22:15
大勇者さん、
違和感を覚えるくらいですから、木版画の流布後に軸装裁断されたという確固たる証拠となりうる
資料のがあるのでしょうか?
この辺の経緯は、よく解ってないものと思っていますので。


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