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素朴な疑問
2347
:
パンナコッタ
:2005/05/10(火) 11:56:33
あらら、昨晩はパソのトラブルで早々にうち切った後に、こんな論争になっているとは・・。
三学無縁さんは「図は絵師、字は蓮祖」と言っておられましたが自分もこの意見です。
二人の日蓮説については要伝寺の高森大乗師の研究によると、
『神奈川県立金沢文庫に、日蓮なる人物が記した『理性院血脈』という相伝書が伝わるのですが、
この日蓮という人物をめぐって、日蓮宗の祖師日蓮とは別人であるとする学説が戦後に発表されました。
これは、『理性院血脈』の作者が、鎌倉中期から後期にかけて活躍した真言僧の重如(1226〜1299)
であるとする説です。安房の日蓮より4歳年下の重如は、大和の生まれで、字(あざな)を日蓮と呼び、6歳の時、
山城随願寺に入り、金剛王院の胎蓮という人物に灌頂を受け、諸寺に遊学して野沢二流を修めたと伝えられます。
書に優れ、東大寺の凝然(1240〜1321。鎌倉中期の華厳僧で、東大寺の円照に師事。『八宗綱要』の著者)に
声明を教授し、東山に石塔を建立して無縁仏を供養したといいます。正安元(1299)年5月18日、白毫寺で歿
しております(『本朝高僧伝』『東大寺円照上人行状』など)。
これらの記録から、重如は、東国の法華の日蓮とほぼ同時代の人物で、同じく日蓮と号していたことがわかります。つまり、
金沢文庫に伝わる『理性院血脈』において理性院の血脈相承を受けていたのは、法華の日蓮ではなく、真言の日蓮であった可能性が
非常に高いのです。後に真言の日蓮の相承書『理性院血脈』が、近代に至って法華の日蓮のものと誤伝されてしまったわけです
(高木豊「〈二人の日蓮〉改稿−金沢文庫蔵『理性院血脈』を日蓮伝の資料から除くべき歟のこと−」『大崎学報』135号など)。』
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