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素朴な疑問
2356
:
犀角独歩
:2005/05/10(火) 17:22:16
2347、8 パンナコッタさん
この引用の要伝寺のダイジェスト、これはひどいですね。
まるで論攷の骨子を取り違えています。
高木師は、円仁の血脈の例を挙げ、「同一人における代数の食い違いから別人とする戸頃師の論は、同一人が複数の相承を受けていたという点からすれば、必ずしも全面的に肯定できることではないといえるのである。すくなくとも、代数の食い違いだけでは、別人説はなりたたないというのが、筆者の戸頃説への批判の第一点であった」(P238)と言います。
また日蓮房重如の年齢については「安房の日蓮と同じく1222年(貞応1)の生れで、安房の日蓮よりも17年も長寿であった」(P234)といいます。
なお、戸頃師は『本朝高僧伝』で依用しますが「筆者(高木)は、この戸頃説批判ののちに、鎌倉時代の資料のなかに重如日蓮の実在を知り得たのであった。それはまた、『本朝高僧伝』の他の僧伝において依拠されたものであったのである。ほかならぬ、凝然の『東大寺円照上人行状』中巻の重如日蓮略伝がそれであった…日蓮房重如、本 舜観房瞻秀ト号ス、大和ノ国人也」(P240)と紹介します。
それ以降、「重如日蓮」とは記さず、「重如」、もしくは「重如房日蓮」と記して一貫します。
また、『理性院血脈』と感見記の代数の食い違いからとするのではなく「…真空、日蓮…」という血脈の次第で「鎌倉における(法華)日蓮と真空との接触もまた、考えられない」(P250)という戸頃説とは別説で、別人説を立てています。
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