したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

素朴な疑問

1管理者:2002/02/20(水) 13:44

1 名前: 管理者 投稿日: 2002/01/28(月) 18:47

スレッド立ち上げの要請がありましたので、立ち上げます。皆様、気軽に御発言ください。要請文は以下の通りです。

>私の場合、皆様のように難しい事はわかりませんが、いわゆる「素朴な疑問」は
>あります。そのような質問でもよろしいでしょうか?
>もしくは、そのようなスレがあればいいのですが・・・

2016愚鈍凡夫:2005/02/12(土) 19:41:21

生きていく中で、心の静寂が如何に大切か。
そのことを考えた時、日本の優れた文化には、静寂を味わうという行為が含まれていたと思います。もともと、遺伝子として受け継いでいるのかも知れませんが、静寂の時を時間の無駄遣いと感じてしまう現代感覚の方が勝るのかも知れません。
心の休養を、弱さと感じてしまう感性に問題があるのでしょうね。
宗教は、ある意味では心の保険的役割を担っていると思うのですが、人を馬車馬のように駆り立てる新宗教の成立と共に、その機能を失ってしまったのでしょうか。

2017犀角独歩:2005/02/12(土) 20:19:32

ここのところの議論で気付いたんですが、精神状態を説明するのに「躁鬱」ということが言われるわけですね。
それで熱狂的な状態、まあ、これはたしかに躁状態と言えようかと思うのです。
では禅定が鬱状態かといえば、これは全く違いますね。中間に位置すると言うより、質が違います。

2016の愚鈍凡夫さんのお考えには賛同します。
仏法世界のニュートラル状態というのは禅定で、武士道なんかでは平常心というところでしょうか。こういった心を安定するタイミングから、動的状況に、時には熱狂も、熱烈もあるわけですね。しかし、明王、蓮師漫荼羅にもある「不動」というのは、いわば熱狂、活動の、根元的な構えですね、身体はどんなに動的であっても、心は不動である…。

なんかこういうことを考えると、「カルト」と言われるような有様は、元来、原始仏教集団にはなかった。そのような熱狂的、恣意的操作の躁状態に、集団に陥らせるような在り方は、たしかに異常なことなのだろうと。

2018デルトロ:2005/02/12(土) 22:10:29
みなさんこんにちは〜
おそらく私の顔など見るのもイヤでしょうね。
ようく解ってますよ〜知っています。
隠したってお見通しですよお。

私はねえ、不思議なんですよ。
デルトロのやつ、さんざ勝手なことほざきやがって逃げやがった。
汚い奴だ。ぐらいの感想欲しかったのに寂しいなあ。ぐっすん。
それともシカトしてやれってことですかねえ。ぐっすん。
宗教かぶれの、マインドコントローラーがッ!
ぐらいの罵倒が欲しかったなあ。ぐっすん。

いやいや、皆さんがそんな品性の低い人間ではないなんて、
ようく理解しているつもりですよ。

わたしはずるい人間なんでしょうね。
それは何故か。ツギハギだらけなんて勝手にいっておいて
そのツギハギを指摘してないじゃないか!証拠出せ!
文証見せろ!文献出せ!この立派な意見の、どこがツギハギなんだ!
ってね。いわれても仕方ないですよね〜。
ようくわかってます。

2019デルトロ:2005/02/12(土) 22:11:22
私はねえ、残念なんですよ独歩さん。みんなで実りのある議論して
くれてんのかなあと思ったら、どんどんツギハギが増えているんですから。
私が独歩さんの最後の投稿を失礼ながら笑ってしまったのは、
私がツギハギを指摘したのにまたツギハギで返してきたから
なんですよ。
「そんなわけない」
あなたはきっとそう仰るでしょう。

全部否定してみせましょうか?
どこにそのツギハギがあって、どこが綻んでいるのか。
そのツギハギの縫い目をね。気になりませんか?
「興味ない」いやいやそれはウソでしょう。

よかったらお教えしますよ。
私って意地悪ですか?それとも個人的なメールのほうが、
いいのかな?

愚鈍凡夫さん、そんなにあせって無理に長文投稿しなくてもだいじょぶですよ。
私の投稿が、気にいらないなら見なきゃいいだけですよ。
なんでそんなに人目につかないように必死なんですか?
私の文章なんて、ぜえんぶ削除しちゃえばいいんですよ。
お気に召さないのであれば。
でもそんなことしませんよねえ。負けを認めることになりますもんね。
あれおかしいな。勝ちとか負けとか、二元論だぞ?
そんな捉え方、ナンセンスだって、怒られちゃいますね。独歩さん?

2020犀角独歩:2005/02/12(土) 22:29:38

デルトロさん、そんなに御自身を卑下することはないですよ。
実に興味深い存在です。どうぞ、罵倒でも何でもお続けください。
ゆっくりと観察させていただきます。
あなたは、いま、そうしたいんでしょう。
この掲示板の規則に抵触しない限り、それはご自由です。どうぞ。
ただ、わたしはあなたのその姿にかつての自分を観ています。
ああ、わたしもこうだったな。そうしているときの慟哭、辛さはかつて経験したことでした。
だから、あなたが焚き付けても、あまり、腹も立ちません。

あなたがいまやっていること、それが自罰行為ですよ。
その連鎖を止めない限り、あなたの喜怒哀楽のじぇとコースターは止まることはありません。
でも、誰も停められませんよ。停めるのは、あなた自身です。

あなたはどう思っているかわかりませんが、管理人さんも、愚鈍凡夫さんも、そして、わたしもあなたを観ています。しかし、それは決して怒りの感情ではないですよ。それが、他の掲示板と、ここの違いです。

まあ、ともかく、規則に抵触すれば、それなりの管理を余儀なくされます。
もう一度、深呼吸をして、ご覧なさい。

2021愚鈍凡夫:2005/02/12(土) 22:36:45

デルトロさん、お話しさせて頂くのは初めてですよね。あなたのレスに小生への問いかけがあるので、お話しさせて頂きます。

> 愚鈍凡夫さん、そんなにあせって無理に長文投稿しなくてもだいじょぶですよ。

小生の読解力のなさが原因かも知れませんが、あなたの仰る意味が分かりません。
小生は、別に無理などしていませんよ。思ったことを思った通りに投稿しているだけです。
ただ、投稿した以上、自分の文章に責任を負わなければならないと思っていますけどね。
それと、「あせって」という意味が分かりません。説明して頂けないでしょうか。

あなたの表現が気になるんですが、自分だけが苦しんでいると思わない方がいいですよ。
人それぞれ、口にできない苦労があるものです。犀角独歩さんだって、お話しされているのは、苦労のほんの一端だと思いますよ。
小生だって、今生きているのが不思議なぐらいです。これは、生きなければならない何かがあるんだと思っています。要するに、死を迎えるにはまだ早いと言うことです。

2022デルトロ:2005/02/12(土) 22:47:36
おやおや、面白いことを仰いますねえ独歩さん。
罵倒だなんて、とんでもない。あなたは私の恩人なんですよ。

>あなたがいまやっていること、それが自罰行為ですよ。
その連鎖を止めない限り、あなたの喜怒哀楽のじぇとコースターは止まることはありません。
でも、誰も停められませんよ。停めるのは、あなた自身です。

ごめんなさいね。
止めてくれなんて、お願いしているんじゃないですよ。
深呼吸?
いやいや、それが必要なのはあなたでしょう。
いいじゃないですか。怖いなら怖いって告白したって。

あなたはねえ、完全なる邪なんですよ。
だから怖いんです。だからもがくし苦しむんですよ。
そしてたくさんの人を迷わせた。
恐ろしい罪業を積んでいるんです。ね?そうでしょ?
まずそれを認めてくださいよ。
じゃないと教えてあげられないなあ。

ところでまず上の書き込みなんですが、
これを具体的に証明してください。

もちろん、あなたの言葉でね。
文献とかいらないですよ〜
長文読むのキライなんです。ごめんなさいね

2023デルトロ:2005/02/12(土) 22:51:02
ごめんなさいね愚鈍凡夫さん。
あなたはねえ、おっとやめとこう。
罵倒はルールに抵触しますもんねえ。

ちょっとしばらく黙ってていただけませんかねえ。
私と独歩さんとの問題なんですから

2024犀角独歩:2005/02/12(土) 23:02:52

わたしは、何も怖くありませんよ。

2025犀角独歩:2005/02/12(土) 23:04:16

で、何を証明しろと。

2026デルトロ:2005/02/12(土) 23:10:29
怖くない?
そうですか私の勘違いだったようですねえ。
謝りますよ。ごめんなさい。
質問がわかりにくかったようですねえ。

>あなたがいまやっていること、それが自罰行為ですよ。
その連鎖を止めない限り、あなたの喜怒哀楽のじぇとコースターは止まることはありません。
でも、誰も停められませんよ。停めるのは、あなた自身です。

つまり私がこの状態になっているって、どうしていえるんですか
ってことですよ。あなたの思い込みかもしれないじゃないですか。
嬉しいなあ、独歩さんに質問されるなんて、
初めてですねえ。

2027犀角独歩:2005/02/12(土) 23:14:24

そうですか。では、わたしの思いこみですか?

2028デルトロ:2005/02/12(土) 23:24:34

いえいえ、わかりませんよ。
私はあなたではないのですからね。
別に禅問答みたいなことがしたいわけじゃないんです。

独歩さん、あなたにとって私は最高の研究材料なのでしょうね。
マインドコントロールに蝕まれたはずの人間がどうなっていくのか。

本音でお話してください。
私をどう思われますか?

2029犀角独歩:2005/02/12(土) 23:31:40

「研究材料」? はて、わたしはそのようなことを書きましたか?
観察する、そう記したまでです。

あなたを、どう思うか?、いまの段階ではわかりません。

2030デルトロ:2005/02/12(土) 23:53:40
独歩さん、禅問答がしたいわけじゃないんです。
ごめんなさい。揚げ足を取ったりとか、そういうことではないんですよ。
もしそう取られたなら謝ります。
あなたに対して失礼な物言いは重々承知です。
怒っていないと仰るかもしれませんが、似た感情はきっと
あるでしょう。
互いの心を閉ざしたまま会話をしても仕方がないと
私は考えているんです。そして今はシャットアウトさせてしまった。
もちろん私の責任です。当然です。
私が修羅の命を持っているからです。そしてその命が
あなたに感応してあなたは怒ってしまった。
そうではありませんか?
それが恐ろしい修羅の命なんです。

2031大勇者:2005/02/13(日) 00:03:24
>2014 愚鈍凡夫さん。
紹介有難う御座います。

ストレス怖いですね。でもそのサイトネームがもっと怖かったりして(笑
私はプレッシャーやストレスを感じると煙草の本数が異常に増えます。

ストレスによって初代糖尿病になって子供に遺伝すると聞いた事あります・・・
ストレスは遺伝子をも壊すのでしょうね。人生できれば中道で生きたいものです。

2032デルトロ:2005/02/13(日) 00:08:57
どうやらお話する気がすっかり
なくなってしまったようですねえ
独歩さん。ちょっと前置きが長すぎたようですねえ。
また修羅の命がムクムクと湧いてきましたよ。

2033犀角独歩:2005/02/13(日) 00:09:35

デルトロさん、わたしは、本当に少しも怒っていないんですよ。
修羅の命というけれど、別段、修羅とも思わないわけです。

「そうか、そういうふうに書いてくるんだ」と観察している。ただ、それだけなんです。

2034デルトロ:2005/02/13(日) 00:11:06
ツギハギの話はもうよろしいんですか?
独歩さん。

2035犀角独歩:2005/02/13(日) 00:15:47

「ツギハギ」というのは、あなたの感じるところで、わたしのなかではぜんぜん、つぎはぎではないわけです。ただ、それぞれの脈絡が見極められなければ、端から見れば、ツギハギと見えるわけだと理解はしました。

また、話をする気がなくなるとかなんとか、以前に、これで最後の投稿と、区切ったのはあなたのほうです。それを忘れましたか。

まあ、その後に、まだ書きたかった。そんな気持ちになることもあるでしょう。
それはそれで別段、あるがままです。

しかし、なんですか、あなたは、わたしに囃し立てて、怒らせたいわけですか。
わたしの修羅の本性の扉を開けたいわけですか。
知って記しているのかどうか知りませんが、わたしのかつてのあだ名は、まさに「阿修羅」ですよ。あなた、それを知っての焚き付けですか。

2036空即是進化:2005/02/13(日) 00:30:42
デルトロさん
 もらった薬を飲んで早く寝なさい。
 議論は明日でもできます。

2037犀角独歩:2005/02/13(日) 00:35:08

もう、終わりですか、デルトロさん。
では、わたしは、もう寝ます。

デルトロさん、あなた、わたし一人につかっかってきていますが、わたしは、いまや、阿部さんやら、「戒壇本尊」「日蓮本仏信奉者」のみならず、正信会も含めてつっかっかっているんですよ。あなたの修羅など、わたしから見れば、可愛いもんですよ。

何十万、いな何百万の信仰対象を暴いたわたしがどこに立っているのか、あなたは、わたしが書いたものを読んだ訳ではないのでしょうかね。いまの心境からすれば、いちいち、怒った、修羅になった、腹が立ったなどと言っていられません。まあ、あなたを見ていると、かつての自分を見ているようで、他愛なくも、可愛いと思うということです。

ある意味、歴史を捻った実感を掴んだわたしは、しかし、それでも、あなたのような個人を忘れてはいけないと言う思いはあります。話しかけたければ話しかけてください。徹底的につきあいます。ただし、他の方々を巻き込みのは、お互いやめましょう。あなたの言うとおり、二人の範疇で納めましょう。ただ、それでも、場を借りているわたしは、管理人さんには、申し訳なく思います。ですから、どうか、当板のルールだけは最低限守ってください

では、おやすみなさい。

2038デルトロ:2005/02/13(日) 00:51:37
まさかですよ独歩さん。私も阿修羅の塊みたいなですから。
ほら怒ってるじゃないですか。
しかし私がストレスでやられたみたいなこと書いてありますけど、
あんまりイイ気分ではないですね、
もちろん自分の責任なんですけどね。

独歩さん、話が核心に中々迫っていかないんで
ちゃんとお話しますね。
明日でもいいですか?一晩おきましょう。
ゆっくり考えてみませんか。
それでももし、あなたのお考えが変わらないのならば、
私はお話する義務がありますから、お話しましょう

2039デルトロ:2005/02/13(日) 05:19:30
自分なりの分析です。
フラッシュバックです。前の時の感情が
ひょっこりと顔を出して、
歪んだ形で一気に噴出したんでしょう。
その時ポストに教会のパンフ類がたくさん入っていたけど、
あえてそれに因果はみつけません

2041吉祥仙人:2005/02/13(日) 09:24:21
 デルトロさんへ  外野から失礼します。

 私の経験から言っても
 2036での空即是進化さんの判断は適切と思います。

 アエテ言えば、
 デルトロさんの状態は
 おそらくこの掲示板に参加されている
 多くの方が
 すでに過去に経験されている
 状態だと思います。

 自分を危険視することなく
 「だれにでもあることだ」
 くらいに
 冷静にお考えいください。

2042吉祥仙人:2005/02/13(日) 09:32:27
 失礼

 冷静にお考え下さい

2043愚鈍凡夫:2005/02/13(日) 18:49:54

>>2031:大勇者さん、どうも。

特に幼子に対する精神的・身体的ストレスは、取り返しのつかないことになりますから、恐ろしいですね。
今の時代でもそうですが、脳の知識がなかった昔は、どれだけの多くの悲劇が世間の陰で繰り広げられていたかと思うと、やりきれない気分になります。

2044犀角独歩:2005/02/14(月) 00:24:50

そういえば、デルトロさん、本日はお目見えではありませんでしたね。
元気にしていますか。
わたしは、ここ何日か熱が下がらず、そろそろ、ダウンです。
もう、寝てしまいますが、勘弁してください。

2045デルトロ:2005/02/14(月) 05:43:12
こんにちは
ようやくまともになってきました。
以前のを読んでみると完全に増上慢のかたまりですね。いかに謗法与同が恐ろしいものか、
よくわかりました。狂っていますね、完全。
みなさんの激しい憎悪を突き刺さるほど激しく体中で感じます。私流の言葉でいえばもらい狂いしそうになったというのが本音です。
あの後再び、必死何とかその合理性を必死で考えたのがフラッシュバックでした。
馬鹿ですよね、自分で「難信難解」と感じておきながら、また必死で自分の合理化ばかり探していたんですから。

あの自分も今の自分も、ちょっと前の自分も全部すべて同じ自分です。否定はまったくできません。
その時の自分の生命状態を表しているのは事実なので自分の中に色んな生命状態が共存しているのがよくわかりました。
どんな罵倒も憎悪も受けなければいけないとは思います。やはり自分の言葉なのであるから。

ツギハギはお前の主観といわれてみればまったくそのとおりなのかもしれません。
しかしツギハギはいたるところにあるのです。その正体は2000前後あたりに私の投稿にあります。
もしこの私の問いかけに、心の底から「おれは違う。おれの「疑」はそんなところから始まっていない」というならば、
それも正解なのかもしれません。しかし違和感を大切にしてください。マインドコントロールからの解放でのプロセスならば、
もっと反発心があってもいいはずだとどこかにかきました。そうではなく、違和感から生じた疑問なのです。
自分をなんとか納得させたい。その理由を必死で探す。そこにすべての「真」を見ることが、正しいことには思えないのです。
人間には誰にでも仏の生命があるといいます。そしてその正体がマインドコントールによるものだというならば、
その人にとってはそれがきっと正解なのでしょう。

私の今までのこの経緯を、すべて合理的にいくらでも説明できるというのは、おそらくきっとそうなのでしょう。
ハッサン氏の本は読みました。ここの掲示板でもいくつか引用されています。ほとんどが納得できる内容でした。
しかし「人間には仏の生命がある」という箇所がなかったのが残念です。仏の生命とはやっぱりフィクションなんでしょうか?

もし本当にそれがフィクションなのであれば、御本尊様に仏が宿っていないのであれば、やはり写経をしても破っても、
何も問題のないことになってしまいます。もしもそれがマインドコントロールによるものならば、自身を解放するために、
それを積極的にやるべきではないでしょうか?私には恐ろしくてそんなことはできません。
しかしもしこれがマインドコントロールによるものだと主張されるかたは、ぜひともやってみるべきでしょう。
完全に、自分はそのマインドコントロールからは醒めたという自信がある人はそうしてください。
しかし、私のように、全身に恐ろしいほどの震えが起き、恐怖に駆られるのであれば、やはりやるべきではなく、
そして、すぐに心からの懺悔の唱題をしてください。きっと何かを感じるはずです。
そして、私のように、再び謗法与同して、悪鬼を呼ぶこむようなこと愚は絶対に犯さないでください。

2046大勇者:2005/02/14(月) 09:28:51
素朴な疑問です。
人間には誰にでも生命があるといいます。
仏界があるといいます。「法」があるといいます。
私が疑問なのは「生命」でも「仏界」でもありません。

「ある」です。

「有」とは何か?「生存」とは?「存在」「実在」etc・・・
J.ゴンダも十二縁起を訳するに「有、在」を非常に難しい概念だと書いています。

いったい「ある」とはどういうことなのでしょう?
我々は「幻術の中の人が幻を見る」なのか・・・

2047真実 探求者:2005/02/14(月) 21:03:18
、、御免ください、、。 貴重に値します、、御疑問、、かと、、存じます、、。

2048通りすがり:2005/02/14(月) 21:07:47
ピュアな質問です。こちらの皆様は、いわゆる題目の力。仏の生命といったものを難しい事を抜きにして、
どこまで信じていらっしゃいますか?
私は、あればいいなあ、位の気持ちです。
また、それにかわるものが存在すると思いますか?見つける事は出来ると思いますか?
私は存在するとは思いますが、私の力では永遠に見つける事は出来ないと思ってます。
難しい事は苦手なので信じているかいないかレベルで皆様のお気持ちをお聞かせ下さい。

2049問答迷人:2005/02/14(月) 23:36:40

通りすがりさん

>いわゆる題目の力。仏の生命といったものを難しい事を抜きにして、どこまで信じていらっしゃいますか?

僕は、仏の生命は良く判りません。しかし、曼荼羅、題目の五字なら、凄まじい力があると信じていますね。実際に苦境に陥ったとき、必死で曼荼羅・妙法五字にお願いして、苦境を脱した事が何度もあります。

2050大勇者:2005/02/15(火) 00:44:33
通りすがりさん

私は「生命」に対しては半信半疑です・・・自身の実感としては。
他を見て、「分断、分裂の痛み」といいますか、失って初めて感ずるものなのでしようか?

「題目に力」があるとは信じられません。体験が無いからかも知れません・・・
ここでいう「力」とは「エネルギー」や「梵、チャクラ」などはですが・・・
ですが、名(題目)の認識や理解することによって「力」を発見する事は有得るのではないかと信じています。

2051パンナコッタ:2005/02/15(火) 13:23:00
みなさん、パンナコッタでございます。以後よろしくお願いします。

 >いわゆる題目の力 >生命 ・・が、ある

こうゆうのは確かな答えが出ない問いですね。曖昧模糊としてああじゃない、こうじゃない
と、何千年も議論し尽くしたことでしょう。賢人や聖人なんて呼ばれる人だって確かな答え
は出ていないし、出せないでしょう。

これは最初から答えのでない問いだから、出ないのは当たり前です。数学の公理かな。
解けたら定理でしょ。

だから、通りすがりさんのように真面目に苦悩している人には「アンタ、一寸違うけど」と
思われるかもしれませんが、私みたいなガサツな人間から見ると底なし沼にダイブしている
ように見えちゃうんですよ。やらなくていいことまで無理に責任背負い込んじゃって自分を
すり減らしている。 そんなのやめましょうよ。無意味、無駄。

あっ、かなり脱線しちゃいましたね。通りすがりさんに因縁つけている訳じゃないですから
ね。私の愚痴だと思って聞き流してください。すいません。

ちゃんと答えるとすると、
 題目の力→信じていれば、力は発揮されると思うことが出来る。
      信じていれば、力が発揮されないと思うことが出来る。
      
      信じていなければ、別にどうだっていいこと。
                     
こんなところでしょうか。

2052パンナコッタ:2005/02/15(火) 22:30:30
>2051 ああ、エラそうに。済みませんでした。以後こういうカキコは自重しますんで
勘弁してください。唯、自分は実証不可能な物に答えを求めて苦悩しているように見えた
ものですから。

宗教の法則
 【法則2】 宗教の中心は空洞である。

    神や仏がたとえ存在しないとしても、宗教という装置は成立する。
    重要なのは、神や仏が存在すると、人々に信じさせることである。

結局、富士系の信仰はこれにドンビシャとあてはまると自分で思っているからです。

2053犀角独歩:2005/02/15(火) 22:59:26

パンナコッタさん、何も自重する必要はないでしょう。

わたしが、よく引用する高橋紳吾師にお会いしたとき、師の著『きつねつきの科学』に関連して質問したことがあります。

「どんな人が、狐憑きになるんでしょうか」
「狐憑きを信じている人がなりますね」
「信じていない人はどうでしょうか」
「信じていない人はなりません」

簡単明瞭、かつ信仰者にとって、衝撃的な答えであると、わたしは思ったものです。

2054パンナコッタ:2005/02/16(水) 00:31:06
>2053 アハハ、ありがとうございます。一寸余計なことでツッコミ過ぎたかと思いましたんで。

では、別の疑問を提示しますんで、よろしくおねがいします。
北山本門寺の「根源」って何なんでしょう。唯、単に図々しいだけの名称なのかな。村山浅間神社という
所の額に古代文字と称される変な字体で富士根本館と書いてあるのですが、単に似てるだけなんでしょうか。
一寸前に「宮下文書」なる怪しい文献がありましたが、偽書の過程が石山教学と似ている気がしたので。
それを最大限に生かしたのが富士山本門寺であり、爆笑した思い出があったんですが。

2055犀角独歩:2005/02/16(水) 00:43:20

本門寺根源、わたしはあまり気になりませんでしたね。

それより、北山の偽造文書をパクって、自分のところが未来、本門寺になるという石山のほうが顰蹙ものだと思いますね。

2056通りすがり:2005/02/16(水) 01:51:44
問答様、大勇者様率直なご回答有難うございました。
パンナコッタ様、犀角独歩様、そういった解説ではなく、出来ればそれぞれご自身がどこまで信じていらっしゃるのか?を教えてくださればよろしかったので、よろしくお願いします。
私の場合はどうかと突っ込まれますと既に書かせて頂きましたが、「あればいいなあ」位の気持ちです。
ついでに白状すると逆に、イケナい事をしたい時は「なければいいのになあ」と思ったりします。

2057犀角独歩:2005/02/16(水) 02:04:00

通りすがりさん(「さん」付けでお願いします)

えーと、唱題の、ということですね。
わたしも唱題による、体験はあります。しかし、禅、瞑想、その他でもさらに強烈な経験はあります。まあ、唱題以外も試してみないと、唱題がいちばん(○○はいちばんとは他との比較ですから)というのは、なかなかその比較は難しいでしょうね。ということで、唱題がいちばんというのは、わたしのなかで、そうは言い切れないという思いがあります。(わたしは大の羅什嫌いですから、妙法蓮華経という訳は、実は嫌いです。しかし、生まれて、半世紀、このお題目に馴染んでいるので、呪文?と言っては変ですが、この唱題がもちろん、嫌いではないと言ういっけん矛盾したところはあります)

こんな比較を学問的な立場から研究されたのは影山教俊師でしたね。
いろいろやってみて、みんないい、みんな効果があったと言ったのはいちりんさんでした。

「唱題がいちばん」というのであれば、お念仏、参禅も、その他いろいろやってみて、それから出せる結論であろうかと存じます。

2058パンナコッタ:2005/02/16(水) 12:44:05
「宮下文書」なんていうヘンテコな古史古伝なんて持ち出したのは中央政府に対する嫉妬、
ルサンチマンが富士の一帯にあり、せっせと偽書作りに励んでいたグループは直接ではないにしろ
石山系に関わりがあったのではないかなと思ったんです。

2059祝8郎:2005/02/16(水) 16:48:06
横レス失礼します。
「宮下文書」読んでみて、おもしろいことはおもしろいですよね。
かつてオウムが真剣に「研究」していたこともありますね。
いわゆる「古史古伝」については、以下の本が参考になると思います。
藤原明『日本の偽書』文春新書、平十六年五月刊行
同書では「宮下文書」については直接論及されていませんが、「古史古伝」
全般の出現メカニズムについて考察されています。
「上記」「竹内文書」「東日流外三郡誌」「秀真伝」「先代旧事本紀」
「先代旧事本紀大成経」などについて書かれています。
「宮下文書」と石山とはほとんど関連はないと思います。
むしろ関連がありそうなのは田中智学のほうではないでしょうか。
「師子王全集」や日記にはなにか見つかるかもしれませんね。

2060大勇者:2005/02/16(水) 20:16:42
ところで今日は生誕日ということでよろしいでしょうか?

2061犀角独歩:2005/02/16(水) 23:43:11

> 2060

金正日の、というのは北朝鮮の正式見解で、

蓮師の、というときは、先のれんさん、名無し@富士門流のご紹介のとおり、時師記すところの門下唯一の伝承。
もっとも、2月15日釈尊入滅の日とされるわけですから、ここに仮託した伝承と見るほうが至当な気が、わたしはします。

2062パンナコッタ:2005/02/16(水) 23:54:54
どっかの寺で祖師像(でしたっけ?)から発見された発見された、文書ありましたよね。
あれは、どうなんでしょうか?

2063パンナコッタ:2005/02/16(水) 23:57:01
>2062 かぶっちゃった。すんません。

2064大勇者:2005/02/17(木) 12:02:20
>2月15日釈尊入滅の日
!そうか  それで後出し(伝承)なんですね。(反省

犀角独歩さん。パンナコッタさん。勉強なりました。有難う御座います。

2065通りすがり:2005/02/18(金) 11:58:32
犀角独歩さん。レス有難うございます。別に比較はいいですよ。題目の力、仏界の命、を信じているのか否か。どの程度信じていらっしゃるのか?だけで。
私は何度も書かせて頂きましたが、あればいいなあ。悪い事したい時はなければいいのになあ。という感じです。

2066犀角独歩:2005/02/19(土) 05:07:11

通りすがりさん:

> 題目の力、仏界の命

題目の力、あるんじゃないでしょうか。
(もっとも、これを現代的に分析して、健康・精神に有効な有酸素運動と言ったのは富士宮のN師でしたが)

「仏界の命」という語法は、わたしにはわかりません。
命は、使命、もしくは寿命するところでしょう。
仏界は心に具すか否か、大問題ですね。
疑うなと仰ったのは蓮師です。さて、信じてみるかどうか。

2067彰往考来:2005/02/19(土) 09:34:30
>2062

池上本門寺の祖師像から発見された造立銘には生誕日はなく入滅日のみです。もし造立銘に生誕日があったなら、現存する史料としては最古のもので蓮祖在世当時の情報と考えてよいでしょうから当スレッドのような議論は発生しないでしょう。

「現存する最も古い木彫祖師像は著名な池上本門寺像である。大正十四年に稲田海素らが胎内納入品と造立銘を発見し、ただちに旧国宝となった。その納入品であるが、あろうことか日蓮の舎利容器(骨蔵器)だったのである。青銅製経筒形の容器には日蓮の入滅日と大別当日朗・大施主池上宗仲・清原氏女の名が刻まれていた。造立銘によると、七回忌を前にした正応元年(一二八八)六月八日、六老僧の日持と侍従公日浄を大願主に、日行・日妙が結縁して、供養を遂げたことが分かる。」
<三山進編『図説 日本の仏教 第四巻 鎌倉仏教』昭和63年、新潮社、224頁>

2068れん:2005/02/19(土) 19:44:46
蓮師の誕生日の文献上の初見は蓮師に仮託されて制作された「法華本門宗要抄」で「貞応元年壬午二月十六日午ノ刻二生ル」とあります。この書には「我弟子中若申請本門寺之戒壇之勅欲建戒壇須築富士山」とあり富士戒壇論も見えます。興師の弟子代師は延文五年(一三六0)六月三十日付の「法華宗要集事」で本書を偽書と断定してます。代師の記述により一三六0年には本書が成立していたことが分かります。本書の出自については、代師は「自下野国出之」と述べており、三宝寺本「録外御書」の本書写本奥書に「抑此御書者真間花蔵坊小浜長源寺日源於下野国富士門流石田法華堂以御自筆正本書写之。日源示日中如斯」とあり、この石田法華堂は現在不明ですが、京都要法寺日辰師「祖師伝」に「同国(下野国)有里名石田。師(日尊師)於石田立寺」とあり、日尊師建立の寺です。このことから考えると法華本門宗要抄は延文五年(一三六0)までに下野国の日尊門流によって作成されたものと判断され、本書に記された蓮師の生誕日も、当時の尊門の伝承を反映したものと見るべきでしょうね。

2069犀角独歩:2005/02/19(土) 23:44:21

れんさん、ご教示有り難うございます。
そうでしたね。既にご提示くださっておりました。
どうも『御伝土代』が門下最古の伝記という固定観念が抜けません。
2月16日誕生説が1360年までに成立しているも驚きながら、さらに富士事壇説が、それも要山系で、この時点で成立していることにも、驚きます。

2070パンナコッタ:2005/02/21(月) 23:22:01
>2067 彰往考来さん、ありがとうございます。

自分のいっていたのは、小湊誕生寺の「お腹文」といわれているやつでした。
願文の日付は、貞治2年(1363)8月29日。蓮祖の生誕は貞応元年小湊でとあります。
れんさんの指摘をふまえると、滅後80年には貞応元年説がかなり広まっていたと見られますが。

2071十級:2005/02/27(日) 15:03:09
はじめまして、初めて書き込みさせていただきます。
質問の前に少しだけ自己紹介をさせてください。僕は学会員で、学会のカテゴリーで言えば活動家の男子部ということになります。僕が学会または日蓮正宗で習ってきたことに初めて疑問をもったのは、幾年か前のことでした。それは、霊山浄土という語句を検索していた時に、この語句が娑婆即寂光の意義をもって使われている御書には、真蹟が存在しないことに気づいた時でした。
さて、非常に初歩的な疑問なのですが、御書を読んでいると、諸天の加護、また神の守りという言葉にあたります。大聖人の檀那等は、祈りが叶うというのは、自力で成し遂げるという意味で捉えていたのでしょうか。それとも諸天の加護によって成し遂げる、もしくは諸天に叶えてもらう、という捉え方をしていたのでしょうか。どなたか、ご教示いただければ幸いです。

2072犀角独歩:2005/02/28(月) 09:23:10

十級さん、はじめまして。

> 娑婆即寂光

というより、蓮師の霊山浄土観は、晩年の変遷ながら、娑婆即寂光という成句化される思想を蓮師は持っていたのでしょうか。釈尊の娑婆の一仏、法華は此土有遠深厚という認識ではないでしょうか。寿量品から言えば、「常住此説法」が至極であろうと窺えます。

> 檀那等…自力で成し遂げる…諸天に叶えてもらう

両方ではないでしょうか。二者択一をすることではないと思います。

2073退転学会員:2005/03/01(火) 01:49:21
現証ってあると思いますか?大聖人はなんと言ってますか?罰や功徳ってあると思いますか?皆様の考えをお聞かせ下さい。
私は無いと思いたいです。日蓮仏法いや、仏法や、宗教そのものの善悪の報いすら存在しないでほしいと思う事すらあります。何故なら私は悪人だからです。でも、心の底でそれらを信じているから悪人になりきれないのです。勘違いしないで頂きたいのは、犯罪者になりたいわけではないのです。罰さえなければ思いのままに人生を生きたいです。倫理的にどうかはともかく。

2074顕正居士:2005/03/01(火) 03:35:38
>罰や功徳ってあると思いますか?

あると思っている人にはあるが、無いと思っている人にはありません。

「我心自空罪福無主 我が心おのづから空なれば罪福も主無し」(観普賢経)

2075パンナコッタ:2005/03/01(火) 23:29:27
罰ってのは、ウンコだ!
         by 戸田二代会長

2076愚鈍凡夫:2005/03/01(火) 23:36:41

功徳ってのは妄想だ!!

 by 隣の酔っぱらいのオッサン

「おまいら、書き込む板間違っとらへんか」(by 管理人)

2077パンナコッタ:2005/03/01(火) 23:49:20
〉2075
「罰ってのは当たるもんじゃない、出るものだ。ウンコに当たるっていうか? そうは言わないだろう。
自分自身から出て来るものだ。」と、佐渡御書の講義の後の質問会で発言していましたよ。(^o^)

あまりにも功徳=ご利益が身に染み付いちゃって、ちょっとでも良くないことが起きると『罰』と考えて
しまっていますね。そのことで悩んでいる退転学会員さん、そんなことで苦悩してはいけません。

2078愚鈍凡夫:2005/03/02(水) 00:17:47

「罰がなんやちゅうねん。わしら善良な貧乏人に罰を食らわす神さんや仏さんなんか、いらんちゅうねん。わしら、食べていけたらそれでええねん。それだけを神さんや仏さんに祈ってるねん。生きてることが嬉しい、それが信心とちゃうのん」(by 近所の酔っぱらいのオッサン)

聖教新聞にもない、優れた生活指導でした。 (^◇^;)

2079パンナコッタ:2005/03/02(水) 15:13:06
管理人さん、ごめんなさい <(_ _)>

戸田さんの発言は、昭和31年2月21日 大阪中之島中央公会堂での実際の発言です。
輪廻転生思想のもとでの発言なので正しいかどうかは別として、『罰』に畏怖している人
に対して元気づける名調子だと思ったのですが。

ちょっと前に、独歩さんが狐ツキの話を載せていましたね。 信じていない人は狐ツキにならない、と。
普賢経に載っていましたか。 顕正居士さん、勉強になりました。

この信仰が元気・勇気付けをするものから変化して、退転学会員さんの中では癌細胞化してしまってますね。
これは早く、切除なりの治療が必要と思われますよ。

2080犀角独歩:2005/03/03(木) 01:48:45

2079 パンナコッタさん

> 戸田さんの発言は、昭和31年2月21日

これは何に載っているものでしょうか。
わたしの手元に『戸田城聖先生 講演集 下』(発行:創価学会/昭和36年10月12日初版)がありますが、該当の講演は載っていません。

前後を示せば昭和31年2月19日大阪・堺支部決起大会/大阪市中之島中央公会堂、同28日本部幹部会/豊島公会堂となっています。

2081犀角独歩:2005/03/03(木) 02:00:28

まあ、余談ですが、先に示した戸田指導の内、

2月19日には「私は創価学会の会長でありますけれども、よく私のことを『仏さまだ』『生き仏さま』『神さま』『教主さまだ』とか言うが、いつ私がそんな片輪(ママ)になったという」(P186)

同28日には「今の猊下は10年間、猊下になられてから一度も丑寅勤行をおこたられたことのない、すっかり仏さまになっておられる方であります」(P191)
「何が不思議だ不思議だといっても、御肉牙ほど不思議なものはない。日蓮正宗は、日蓮正宗、日蓮正宗といばる理由が、いっぺんでわかります。今から700年前に抜いた歯の肉が盛り上がってきて、お歯を包んでいるということは、どういうことです。こんな不思議なことは、世界じゅうのどこにもない」(P192)

などという文章が載っています。

2082単己:2005/03/03(木) 06:08:54
パンナコッタさん、犀角独歩さん。
戸田さんの講演会を録音したレコードがあります。そのレコードを何枚か、20年位前にテープにダビングさせてもらったものですが、その時に書き込んだ見出しに「昭和31年2月21日(火曜日)大阪中之島中央公会堂「一般講義」とあります。
この時の発言だと思われますが、今テープを再生できる機器がありません。思い出したこの機会に、テープデッキを友人にでも借りてMP3ファイルにでもして保存しようと思います。

2083犀角独歩:2005/03/03(木) 08:26:38

単己さん:

そうすると、わたしのもっている指導集は抜粋であったということですね。もしくは、御書講義を別収録したと言うことだったのですね。

有り難うございました。

2084パンナコッタ:2005/03/03(木) 13:45:44
単己さん、ありがとうございます。まったくそのとおりです。

レコード集「創価学会々長 戸田城聖先生の教え」のNO、18 からの引用です。
背面の説明文によると、昭和31年2月7日(火)午後6時半から、1時間15分の前半と
昭和31年2月21日(火)午後6時半から、1時間の後半の講演となっています。
日付は 昭和36年6月 刊行とあります。

MP3ファイルに、いいですね。ウチもプレーヤーがないので音の悪いテープでしか、たまに聞けないので。
内容的には、「曼陀羅の主題が末広がりなのは?」とか「本因妙抄とは?」とか「万年救護と一閻浮提の違い」
等、興味深い質問が多々あり、それに答えています。(正しいかどうかは別として)

ウチには22枚ほどレコードがありますので聞きたい人がいれば、考えてもいいですよ。

2085管理者:2005/03/03(木) 14:19:23

単己さん

>思い出したこの機会に、テープデッキを友人にでも借りてMP3ファイルにでもして保存しようと思います。

パンナコッタさん

>ウチには22枚ほどレコードがありますので聞きたい人がいれば、考えてもいいですよ。

是非お願いしたいと思います。聞きたい人は沢山いると思います。また、非常に貴重な歴史的レコードであることは間違い有りません。労作業ですが、宜しくお願い致します。

もし、著作権の問題がクリヤー出来るなら、当掲示板にリンクを張って、誰でも聞けるように出来ると良いですね。或いは、リンク集は容量が大分余裕が有りますので、そこに資料としてアップする事も出来ると思います。

2086犀角独歩:2005/03/03(木) 20:11:30

2085 管理者さん、これは時期尚早です。
著作権問題をクリアしていません。

2087管理者:2005/03/03(木) 21:10:44

>著作権問題をクリアしていません。

アッそうですね。死亡から50年だから、2008年4月2日以降なら良い訳ですよね。あと3年少しはダメな訳ですね・・・残念。了解しました。当面、諦めます。お騒がせしました(汗)

2088犀角独歩:2005/03/03(木) 22:14:25

2087 管理者さん、けれど、別段、個人的な授受、また、原典を明示した引用はまったく著作権に抵触しません。個人的であれば、なにも問題はないかと存じます。

2089管理者:2005/03/03(木) 22:47:30

犀角独歩さん

版権についてお聞きします。

著作権は著者が死亡してから50年の期間、その権利を保護するとなっています。同様、レコードの版権は同じく50年間となっていますが、これは最初に発売されたときから起算するのでしょうか。又、創価学会版の御書全集であれば、幾つも版を重ねていますが、版権50年の起算はどの時点になるのでしょうか。

2090パンナコッタ:2005/03/03(木) 22:53:01

確かにネット上で公開するとなると、著作権絡みの問題がありますね。レコードの製作は
ビクター音産で版権が残っているかもしれませんし、単純に信者が布教目的の為に使った
としても問題が出るかもしれませんね。

しかし、あくまで個人としてなら、聞きたい人に聞かせるのは問題はないのですから。
管理者さんが、かなりノリ気だったので巧い方法があれば協力は惜しみません。しかし、個人の
貸し借りをやった場合、数が多くなったりすると、とても対応は出来なくなるので何か良い提案
はないでしょうか?

2091単己:2005/03/03(木) 22:53:04
>2083 犀角独歩さん。さっそくテープデッキを借りて確認してみました。
佐渡御書の『又云く「及び余の種種の人間の苦報現世に受くるは斯れ護法の功徳力に由る故なり」等云云』というところで戸田さんが、「よく罰が当たると言う事をよく言いいますがね、あれは止めてもらいたいですね。罰なんか当たるもんじゃないですから。ウンコは出るもんで…」と話が続きます。
会場が沸いて調子付いたのか何度も連発しています。(笑)この時も、コップ酒ちびちびヤリながら話していたんですかね。

著作権のことですが、例えば『レコード集「創価学会々長 戸田城聖先生の教え」』からと原典明示であればネットに置いてもいいのでしょうか?それとも原典明示の上、個人的授受ということでしょうか?

>2084 パンナコッタさん。

>レコード集「創価学会々長 戸田城聖先生の教え」のNO、18 からの引用です。
そうそう、確かにそういう題だったなと思い出しました。それで、もしかしてと思ったらやっぱり出てました。Yahoo!オークション 。22枚なんですね。これで全部なんでしょうか。自分が以前ダビングしたレコードは18枚分みたいです。それでも、いい加減に放って置いたのでちゃんと再生出来るか不安です。


>2085 管理者さん

パンナコッタさんの話が出て、テープをMP3にしておけばあとあと保存できるし、必要な人が資料として役立てることもできるかなと思いました。あと、3年はダメなんですね。テープは劣化していくので出来るだけ早めにデジタルデータに変換しておきます。

2092パンナコッタ:2005/03/03(木) 23:27:19

単己さん、「ウチにあるのが22枚」というだけで数枚抜け落ちているのもあるようです。
他に池田会長就任時のソノシートとか、正本堂落慶記念の音声記録ソノシートなんてのもあります。

実際に戸田さんの講義を聴いた母の話を聞くと、「御書は全然見てないの。それで頭をふーらふーらと、
動かして原文拝読を聞いているの」とのことなので、御書講義などは何杯かひっかけてやっていたのでしょう。
だから正宗寺院の落成法要のあいさつなどは聞いていても、ちっとも面白くありません。(^。^)
やはり御書講義をすっ飛ばしてやる質問会に、戸田さんの真骨頂があると聞いていて思われます。

2093犀角独歩:2005/03/04(金) 11:37:41

2089 管理者さん:

> 版権

わたしは、最初の発刊からと認識していました。
学会の御書全集なんかの場合、しかし、微妙ですね。

平成初頭の例の分断劇の折、石山は御書全集が学会版権である理由で使用を取りやめた経緯がありましたね。けれど、この版権も当然、初版から起算になろうかと思います。ただし、途中で、改訂・増補などの変更があったときは、今度はそちらはそこからの起算となるのではないでしょうか。

2094犀角独歩:2005/03/04(金) 11:47:45

2091 単己さん

> 罰なんか当たるもんじゃないですから。ウンコは出るもんで…

ご確認、有り難うございます。
まあ、豪放磊落というかなんというか、思わず笑うほかない話だと。

> 著作権…原典明示であればネットに置いてもいいのでしょうか?

文章の抜粋などであれば、仰るような形で、かつ原文の儘であれば、侵害に当たらないと思います。
ただし、音楽、録音となると、ちょっと、判断は分かれると思います。

けれど、現時点でも、たとえば、池田さんとか、阿部さんのスピーチは部分的にネットにアップされているわけで、これを著作権侵害の側面から裁判沙汰にした例は、あまり聞いたことがありません。
安全な方法は、テープ起こしした文を出典明示でアップということになるのではないでしょうか。

少し前ですが、戸田さん、浅井さん、松本被告の録音を聞き比べる会に参加しましたが、これはなかなか面白いものでした。

たしかに文にしてしまうと、話口調が伝わらないわけで、仰るようなアップは、個人的にはたしかに聞いてみたい・設置してほしいという思いはありますが。いろいろハードルは高いようにも思います。

2095犀角独歩:2005/03/04(金) 14:35:03

2093の自己レスです。

ちょっと、ぼっとして、おかしなことを書きました。

版権という言葉が皆さんのご投稿で著作権などを含む広い意味で使われていたので、流れに沿って書いてしまいましたが、出版権、著作権については、ちゃんと分類して考えたほうがよいのでしょうね。

2096祝8郎:2005/03/05(土) 01:46:41
著作権については、著作者つまり作者の死後、50年を保護期間として、遺族など著作権継承者に著作権があるとされます。著作権は財産権ですので、保護期間中に著作権継承者が死亡しても、他の遺族がいる場合にはそちらに著作権は継承されることになります。
ただし数年前に改正された著作権法では、保護期間が75年に延長されたと思います。これは改正施行後の著作物に適用されることになったと思います。
版権つまり出版権ですが、これは著作者と出版社の間で契約書を交わし法的拘束力が発生しますが、契約書を交わさず口頭によるものや、印税および部数ていどのとりきめを口頭でするていどの場合も少なくありません。
書面による契約書が無い場合、一般的に版権は著作物の最終発行年月日から五年から十年の間に増刷がなされないと自然消滅したものと考えられます。
著作者もしくは著作権継承者が他の出版社から再版したいと考えたときには、著作者はいちおう出版社に対してその旨伝えたほうが後々面倒なことにならないでしょう。

2097おしえてクン:2005/03/07(月) 06:21:21
「天台本覚思想について」のスレで、どなたが書いていていた、御義口伝の
以下の文、どう言う意味なんでしょう、できたら現代語訳で、どなたか
説明してもらえませんか?

「六老僧の所望に依って老期たりと雖も、日蓮が本意の一端護義せしめ畢んぬ。
是併ら私に最要文を集めて読誦せしむる所なり。然る間法華諸要の文書き付け
畢んぬ。此の意は或は文を陰して義を取り、或は義を隠して文を取り
或は文義共に顕はし、或は文義共に隠して講談するなり。
委しくは註法華経を拝見すべし。然りと雖も文義甚深の間
愚昧に及ぶべからざるなり。広宣流布の要法、豈此の註法華経に過ぎんや。」

2098顕正居士:2005/03/07(月) 09:42:40
「此意 或陰文取義 或陰義取文 或文義共顕 或文義共陰 講談也」

の意味ですか。文は法華経、義は法華文句と法華文句記でしょう。或いは両方引用し、或いは片方
引用し、或いは両方引用せず講談したという意味です。

2099新発意:2005/03/07(月) 11:39:45
横レス失礼します。
おしえてクンさんの疑問が解決してからお願いします。

法華経の訓を読んでいての疑問に思った事について質問させていただきます。

自我偈の最初の偈文の「自我得仏来」の訓読が「我仏を得てより来」となっております。”自”の文字が訓読では消えるのはなぜでしょうか。「自ら我仏を得てより来」とか「我自ずから仏を得てより来」とはならないのでしょうか。
いくつかの法華経の訓読を見てみましたが、全て”自”が省かれておりました。本覚門、始覚門の読み方にこだわっての事ではありません。正しい訓読をおしえてください。

2100犀角独歩:2005/03/07(月) 11:56:54

> 2097

顕正居士さんのご教示とは、やや違う側面から。

> 六老僧の所望…

この文章はまったく嘘です。
同書の末文には「弘安元年戌寅正月一日」とありますが、「六老僧」の決定は弘安5年9月のことであって、弘安元年段階で決まっていませんでした。また、その時点では「六老僧」と言わず、「本弟子六人」と記される、この二重の科から、この文は証憑に堪えません。

> 委しくは註法華経を拝見すべし。然りと雖も文義甚深の間愚昧に及ぶべからざるなり。広宣流布の要法、豈此の註法華経に過ぎんや

御義口伝は『就註法華経口伝』、すなわち「『註法華経』に就(つ)いての口伝」であって、不勉強な者にはその意味を理解することはできないといい、重要な点は、広宣流布の要法は『註法華経』であるという点です。御義口伝<註法華経という関係であるということです。
石山系の御書全集などで御義口伝ばかりを載せて、註法華経を省くというのは、まったくその原意に悖る行為と言うことになるでしょう。

2101犀角独歩:2005/03/07(月) 12:02:29

> 2099

この質問は基本的な漢文の基礎を欠いたことに拠ります。

> 「我仏を得てより来」

とは、「我、仏を得て自(よ)り来」ということで、自は文頭に来る場合の多くは、「ヨり」と読みます。それを「自ら」と現代語から即断するところに誤りがあります。

2102顕正居士:2005/03/07(月) 13:14:19
『注法華経』とは?

『注法華経』とは日蓮が所持の法華経の余白に法華文句などの経文を書き込んだものです。現存し
写真版が発行されています。書き込み部分をテキストに編集したのが下記です。

http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/goibun/ibun_tyu.htm

例の六老の跋文は御義口伝が注法華経を下敷きにした講義であったように述べています。しかし
御義口伝における法華文句の引用は注法華経のと全く違います。そして16世紀半ばの天台の学匠
尊舜の『法華文句略大綱私見聞』の引用とほぼ同じです。したがって『法華文句略大綱私見聞』を
下敷きに日蓮法華的アレンジを施したのが御義口伝であり、成立は16世紀終わりと推定できます。

六老の跋文を書いた人は注法華経を見ておらず、御義口伝がその講義だと思い込んだのでしょう。
したがって跋文は御義口伝が成立した後に付加されたものと断定できます。

2103パンナコッタ:2005/03/07(月) 13:23:17
横レス失礼します。
弘安元年戌寅正月一日 という日付があると思いでしょうか? 弘安の改元は
2月29日。 都合の悪いことに『弘安改元ノ事』〈真筆あり〉なんてのが
残っていたりしていて、日付が書いてあり「疫病の故か」と、蓮祖は申しております。

2104パンナコッタ:2005/03/07(月) 13:31:40

御義が出たのでついでに質問。
執行海秀師が指摘していた、徐氏の科註法華経からの引用とはどの辺のことでしょうか?

2105犀角独歩:2005/03/07(月) 13:38:08

2102 顕正居士さん:

正確な補完を下さり、まことに有り難うございました。


2103 パンナコッタさん:

弘安改元事 「弘安元年[太歳戌寅]、建治四年二月二十九日改元。疫病の故か」

ああ、たしかに。なるほど。

2106顕正居士:2005/03/07(月) 14:22:10
>徐氏の科註

「宝塔品下廿箇大事」の第十です。「科註四云〜」とあります。

http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049035&amp;VOL_NUM=00001&amp;KOMA=49&amp;ITYPE=0

2107パンナコッタ:2005/03/07(月) 14:57:52

〉2106 顕正居士さん、ありがとうございました。

2108パンナコッタ:2005/03/07(月) 15:11:13

〉2106 学会版の御書では、『補註の四に云く・・』となっていたので、
気が付かなかった。 顕正居士さん、本当にありがとうございました。

2109おしえてクン:2005/03/08(火) 21:49:42
顕正居士さん、 犀角独歩さん遅ればせながらありがとうございます。
それで、御書ですが、御書のなかには、なんとか御返事とか、蓮祖の
手紙が、御書になっていますが、手紙って、その人あてだけであって
手紙の文中が、全ての万民に通用するって皆さん思いますか?

2110犀角独歩:2005/03/09(水) 09:49:41

2109 おしえてクンさん:

この問題意識は、わたしは馴染めます。かつて、同様のことを考えていましたし、いまもってそのスタンスは変わりません。

わたしの場合、この疑問は蓮師の御筆漫荼羅に向いていました。授与者を特定して、1舗ずつ図示した個人宛の漫荼羅が他の人の信仰対象足り得るのかという疑問です。たぶん、この疑問は興師も懐いたのであろうと想像しています。その根拠は興師自身が、蓮師滅後、御筆漫荼羅に意義を書き足しているからです。

消息文が「全ての万民に通用」するか・否かという二者択一で考えることではないように思います。つまり、通用するところもあれば、通用しないこともあるというのが、わたしなりの結論です。

2111おしえてクン:2005/03/09(水) 22:14:57
犀角独歩 さん今晩は、通用するところもあれば、しないところもある
そうですよね、その人の置かれた状況で、書かれてるんですから
話は変わりますが、創価学会、宗門と完全分離するのに、三沢抄を
持ち出してくるんじゃないかと思います、あれには、新しい法が現れる
って書いてあるんですよね、本尊はやはり、最初に書かれた、佐渡始顕本尊
が、日蓮上人の本位じゃないかと思うのですが、日興上人が正当なら、なんで
佐渡始顕本尊を持っていかなかったか疑問です。

2112顕正居士:2005/03/10(木) 01:16:26
日蓮の文章の大半は特定の檀越に宛てた書簡ですから、遺文から日蓮の思想を読み取る場合、
五大部などの「著述」といえるものを基本とし、一二の書簡のみに見える表現については慎重に
考慮する必要があります。「今、末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし」(上野殿御返事)の
類いです。法華経は滅後末法のための経典であるというのが日蓮の思想ですから、ここは特殊
な文脈であらわれた表現でしょう。法華経に拠るならば女人は西方往生を頼むべきだろうか、と
いう質問に切れたのであろうと以前に此処に書きました。末法に入ったならば西方往生について
は法華経にどう書いてあろうが、ということです。

*「若如來滅後後五百歳中。若有女人。聞是經典如説修行。於此命終。即往安樂世界阿彌陀佛
大菩薩眾圍繞住處。生蓮華中寶座之上」(薬王菩薩本事品)。法華経は女人往生の経典とされる。

2113犀角独歩:2005/03/10(木) 14:38:07

2111 おしえてクンさん:

> 三沢抄…新しい法が現れる

とは、以下の文を指すのでしょうか。

―― 法門の事はさど(佐渡)の国へながされ候し已前の法門は、ただ仏の爾前の経とをぼしめせ。此国の国主我代をもたもつ(持)べくば、真言師等にも召合せ給はんずらむ。爾時まことの大事をば申べし。弟子等にもなひなひ(内内)申ならば、ひらう(披露)してかれら(彼等)しり(知)なんず。さらばよもあわ(合)じとをもひて各各にも申ざりしなり。而に去る文永八年九月十二日の夜、たつ(龍)の口にて頸をはね(刎)られんとせし時よりのち(後)ふびんなり、我につきたりし者どもに、まこと(真)の事をいわ(言)ざりけるとをも(思)て、さど(佐渡)の国より弟子どもに内内申す法門あり。此は仏より後迦葉、阿難、龍樹、天親、天台、妙楽、伝教、義真等の大論師、大人師は、知てしかも御心の中に秘せさせ給し。口より外には出し給はず。其故は仏制して云く「我滅後末法に入らずば此の大法いうべからず」とありしゆへなり。――

> 佐渡始顕本尊が、日蓮上人の本位

そのようにお考えですか。
わたしはこの点は意見を異にします。蓮師図示の中で、「本位」、もしくは「最高」のいって、漫荼羅に序列があるとは考えておりません。

2114顕正居士:2005/03/10(木) 18:26:11
妙法曼荼羅についてはわたしも独歩さんと同様に考えます。曼荼羅の様相がみな違うということは
要するに決まった形はない意味です。「再治」、「未再治」という分類をして弘安年間の曼荼羅の方
が完成しているとした学者もおられます。しかし高祖一代弘教の「正宗分」とみなされる『本尊抄』を
述作した後に妙法曼荼羅を図顕されたのですから、文永年間のは未完成というのは変でしょう。

けれども宗派ごとに「宗定本尊」は決める必要があるから、「始顕」とか「臨滅度時」とか納得し易い
のを選ぶわけです。印刷術が発達し、当代の上人があらわしたのより日蓮聖人真蹟の写真版の方
が有難いという人も増えるでしょうし。佐渡始顕を採用したのは智学居士ですがこちらは身延山に
あったのとは違うとおもいます。写しではなく実物を佐渡で入手したが、智応居士が偽筆と断定した。
身延山にあったのも昔は佐渡にあったのではないでしょうか。

特別な曼荼羅という発想は富士派以外には余りないでしょう。多くの宗派では曼荼羅でも一尊四士
でもよいのですし。富士派は分張の由来から諸山の抗争が活発であり、かつ曼荼羅主義であり、又
事戒壇の思想があるのではやくから宗定曼荼羅の必要が生じたのでしょう。曼荼羅と一尊四士とは
現実には檀徒の仏間の御本尊、寺院本堂の御本尊という次元の異なりがありますから曼荼羅主義
だと寺院は板曼荼羅に傾きます。板である以上、日蓮聖人の真蹟曼荼羅そのものではありません。
しかし一尊四士でよいなら板曼荼羅でもよいでしょう。題経寺の板曼荼羅の流行りはじめは寛永から
で堅樹日寛師が活躍したのと近い頃です。でも曼荼羅主義の板曼荼羅は考えると少し変な気もする
ので、有名になると「高祖自刻」の伝説がいわれる、もっと有名になるといささか事が面倒になります。
板曼荼羅に真も偽もないはずなのだが、「高祖自刻」というのが疑といえば疑、たわいない伝説だし、
多くの宗派にあることで済まず、分派抗争は鬱陶しい、「旧信徒」には大変迷惑なことでありましょう。

2115犀角独歩:2005/03/10(木) 23:20:37

> 2114

当掲示板に投稿をはじめて、わたしに「同様」の考えというお言葉を頂戴したのは、たぶん、はじめてのことです。
喜びとして、日記につけさせていただきます。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板