したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

女子高生コンクリ詰め殺人事件

509無精髭:2010/04/19(月) 14:19:22
>508
言わんとすることは分かりますけど、この事件は白線のこちら側で起きた事件だと私は思います。
なぜって、加害者グループは事前に犯行の手筈を整えてから獲物を物色しており、帰宅時に通り魔的に
拉致られた被害者に落ち度はまったくなかったのですから。言うなれば、加害者グループの方こそ
白線を越えてこちら側へやってきたのです。

ところで、白線の向こう側が「常識や一般論なんてものは通用しない程に」物騒なら、そこにいる
複数の男たちはなんで互いにこん棒で殴り合わないのでしょうね? いや、まぁ時にはこちら側での
私たちと同じように殴り合ったりすることもあるんでしょうが、もし普段からそんなことばっかり
しているとすれば、いざというときに―――たとえば、格好の獲物が自分たちのテリトリーに迷い
込んだときなど―――皆が協力するなんてことはありえなさそうに思われるのですが。実際、白線の
向こう側がそんな感じであるとした場合、本件の加害者たちが白線の向こう側に住む人間だったとしたら、
仲間割れをするどころか、犯行に及ぶ以前にお互いの利害を一致させ、徒党を組み、協力行動を
するなんてことがそもそもありえなかったはずです。

いや、そうではなくて白線の向こう側では、よそ者に対しては遵守すべき法や行うべき徳は初めから
ないものとされ、したがって原始的欲求への抑制も働かなくなるが、内輪の者に対しては相互の利害を
承認し合う社会契約が成立している、ということなんでしょうか。つまり、彼らは自分たちの欲望を
解放するための無法地帯をこの社会の中に作り出し、そこでありとあらゆる不徳の限りを尽くすのでしょうか。

しかし、無法地帯を意図的に作り出すことが、単純に言って、彼らは彼らなりの常識や一般論で
動いている事実を示すのだとすれば、少なくとも彼らは知性もなければ話も通じない野獣ではない
ということですから、それは同時に(彼らの持つ常識や規律に対する私たちの理解度に応じて)
私たちが彼らとコミュニケートすることは不可能ではないという道理を示してもいるでしょう。
これは要するに、彼らはこちら側の常識や一般論に従うことがなくても、常識や一般論そのものの
意味は私たちと同様にきちんと了解しているということです。

さて、ここまで考えれば、白線を引くことで、こちら側とあちら側というふうな区別を設ける
必要があったのは、自らの欲望を満たすために常識が通用しない社会の外部にいて、隙あらば
幼い子どもたちを撲殺しようと虎視眈々とこちらの様子を窺っている(とされる)男たちの方では
なくて、むしろ常識や一般論を振りかざして反社会的人間を社会外へと追いやることでかろうじて
自分たちの住む社会の秩序を守っている(かも知れない)私たちの方だということに気がつけるでしょう。

白線を必要としているのは善良な市民であるこちら側の人間であり、こん棒を持った悪人から
すれば境界線などむしろ邪魔な存在ではないでしょうか。境界線の存在によって自分が
より人目に立つ存在として位置づけられたまま行動するよりも、初めから境界線など
なかったかのように善良な市民に紛れて行動したほうが(もしくは社会の死角に入って
行動したほうが)、野蛮な欲望を満たすためには都合が良くはありませんか。

白線を引くことでしか無法地帯を作れないということがない以上、悪人には無法地帯を
作る必要はあれど、白線を引く必要などないのです。私たちは白線を引くことで、
反社会的人間の居場所を暴き出し、それを私たちの身体ばかりか思考からも簡単に
遠ざけてしまうわけです。

510Ken:2010/04/23(金) 14:29:35
最近興味を持った映画に『隣の家の少女』というのがあるのですが。予告編↓

ジャック・ケッチャム原作 映画『隣の家の少女』予告編
http://www.youtube.com/watch?v=nDLWswUHh1g

映画批評↓

『隣の家の少女』映画版と原作の違いについて
http://d.hatena.ne.jp/tsumiyama/20100322/p1

原作↓

隣の家の少女 (扶桑社ミステリー) (文庫)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/459402534X/

シングル・マザーに預けられた姉妹の話。女とその子どもから虐待を受けて、最後は16歳の姉が地下室に監禁、拷問を受けて殺害されるという救いようのない話。実は、基になった事件がある。

ガートルード・バニシェフスキー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%8B%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC

何が恐ろしいかって、この家に出入りしていた近所の悪ガキどももこの拷問に加わっているのです。コンクリ殺人事件に通じるものがある。

この事実をどう受け止めたらいいのか私の中でまだ整理できてないのですが、「白線の向こう側」は案外身近にあるのかも。

511さと:2010/05/15(土) 19:04:38
最近事件の詳細を知って、愕然とした。
なにこいつらって感じ。
何で減刑?むしろ年齢分刑期足せよ。足りないけど。
なぜあんなのを弁護できるのか甚だ疑問。
そしてなぜ死刑じゃない。
死刑宣告してそのまま殺してしまえばいい。
しかも加害者の親は被害者の事を中傷する記事か
何かを書いてる。
こっちも死刑でかまわない。
ってか拷問?同じ責め苦を与えたい。

512犯人に告ぐ:2010/05/18(火) 20:02:18
あえて感情的に言わしてもらうが、おまえらは虫だ。やくざやくざ言うなら本物のヤクザに会ってみるか?楽に逝けると思うな

513Ken:2010/05/19(水) 12:08:21
>>511しかも加害者の親は被害者の事を中傷する記事か何かを書いてる。

「か何か」を書いたというあやふやは伝聞だけで誰かを死刑にしろと公言できるのがすごいですね。

514loveless:2010/05/19(水) 18:35:40
>>513
事件当初、赤旗は加害者の両親の談話を掲載し続け、
「監禁の認識はなかった」「被害者が望んで家にいた」「被害者はタバコを吸っていた」とか
一方的な記事を書き続けたのは有名な話ですねw

その後、突然、「この事件は日本共産党とはいっさい関係ありません」という一文が掲載され、
日本共産党の歴史からは「無かった」ことになってたりします。。
(たぶん、この事件に関する当時の赤旗の記事を入手するのは不可能でしょう)

515Amelia:2010/05/20(木) 12:06:15
>>514

事件当初の赤旗は国立国会図書館にて閲覧可能です。
有料にてコピーもできます。

516Ken:2010/05/20(木) 12:36:33
>>514
それはデマです。

ちょっと検索すると一見していかにも2ちゃんからコピペしました、みたいなあやしげな情報ばっかり。スマイリー菊池事件むべなるかな。「この事件に関する当時の赤旗の記事を入手するのは不可能」って無敵のソースですなあ。(↓ここで読める)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/1054/1050059979/1-8

「加害者の親が被害者の事を中傷する記事」でもないし、「赤旗が加害者の両親の談話を掲載し続けた」わけでもない。「一方的な記事」かどうかは知りませんが、監禁場所を「提供」したCの両親の対応に焦点を当てた記事ではある。なぜこの両親は事件を止めることができなかったのか、というのは誰もがもつ疑問であり、それに対する一つの答えではある。

『その後、突然、「この事件は日本共産党とはいっさい関係ありません」という一文が掲載された』というのもみんながあちこちで書いてますけど、こっちは完全にソースなしですね。今のところ。「想像力」の豊かなアンチ共産党の子が付け加えたというのが私の予測。

517loveless:2010/05/20(木) 21:33:29
>>516
これがデマなら、誰かwikiペディアを修正しないとダメですね。。
ここに書かれていることは、つい信じ込んでしまう人が多いでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E5%AD%90%E9%AB%98%E7%94%9F%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E8%A9%B0%E3%82%81%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

>>515
ありがとうございます。
国立国会図書館の存在を忘れていました。。。機会があれば調べてみようかと思います。

518Ken:2010/05/23(日) 14:43:44
問題の記述は出典が明記されてないですね。「誹謗中傷する」はPOVなのでこの部分は特に問題ありです。出典がない記述は基本的にデマ扱いすれば間違いは起こらないですね。そうしちゃうと、この記事全体とそれ以外もほとんどの記事がデマになっちゃいますけど...。

事件記事はウィキペディアよりも無限回廊がお勧めです。

519ufloat:2010/05/23(日) 20:43:22
以前にKenさん、「Wikipedia(英語版)は日本語版よりは信用できる」と
おっしゃっていましたが、英語版だとここからして要出典がつくのですねえ。

This incident has a high level of notoriety in Japan.[citation needed]

無限回廊の記事は確かに優れていますが、殺人以外の事件や戦前の事件などを
調べる際には、Wikipediaのお世話になることもしばしば・・・。注意しなくては。

あとまあ、前にも出てきた「加害者のその後」に関する話ですが、
10年ほど前にニュースステーションで特集をやったとかで投稿コーナーが
あったような・・・と思い出し、Web Archiveから探してみました。

http://web.archive.org/web/20030625061234/www.tv-asahi.co.jp/n-station/yv/bk00.html

「特集に対する反響」であって「特集の内容そのもの」ではないですが、
「E」(無限回廊記事中の「E」と同一人物かは不明)には子どもがいて、
「D」はどうにもこうにも、という内容となっていたようです。

520無精髭:2010/05/31(月) 01:17:41
>>499>>501で本件に言及した面白い論文があるとお書きしましたが、うじうじと投稿を渋っているうちに
いつの間にか当の論文にアクセスできなくなってしまっていたのでこれまで約束が果たせずにいました。
が、ufloatさんの書き込みからWeb Archiveの存在を知り、保存されていた当の論文を探り当てることができました。
http://web.archive.org/web/20020626233006/http://www.hirojo-u.ac.jp/~asano/muimi.htm

以下のレスに書き込みするのは、大部分は一昨年の11月頃から年明けて1月位までの間に少しずつ書き溜めた文章
だったと思いますので(その後もちょこちょこと加筆修正はしていたはず)、ところどころ表記やリンク貼付について
おかしなところや何らかの不具合があるかも知れませんが、ご了承ください。また、以下にコピペさせていただきます
文章は、必ずしも現在の私の考えをそのまま反映したものであるとは限りませんので、その点もご理解いただければと思います。

ちなみに、以下のコピペ文の内容すべてが上掲の論文に関わっているということはございません。

521無精髭:2010/05/31(月) 01:19:56
私(もしくは私たち)が野郎どもを言語で陥れる(後ろ指を差す)上で気をつけなければならないことを考えてみたんですけどね。

その1 「とりあえずどこに住んどるんじゃいっ!?」という気概を以って情報収集に執念を燃やす
その2 「タイマン張れる度胸があるか?」誰かさんみたいに拉致するゾと迫って来られたらたまんないのでいざという時の為に腕っ節には磨きをかけておく
その3 集団に与せず個人の立場から行えば自己責任を追及されちゃうからできるだけ「赤信号、みんなで渡れば怖くない」をモットーに

後ろ指を差すためには元少年たちの所在が分からなきゃならないわけで、たとえ分かったとしても私みたいなビビリは自分一人で後ろ指差したいとは思わないです。
何されるか分かりませんからね。ですから(妙な言い方ですが)一緒に後ろ指を差してくれるような篤志を募る必要が出てきます。で、同じ志を持った仲間が
たくさんいればいるほど安心して後ろ指がさせるのですが、時と場合によっては後ろ指を差したくないこともあるとしますと、今度はそんな情況でも仲間が差しているなら
差さなきゃいけないという心理機制が働いてしまうことでしょう。言わば、その集団において後ろ指を差す(ある者を排斥する)ことが個々人を結びつける規範として
固定化されるわけです。こういった個人の本音と集団の建前とのズレから往々にして生じる心的葛藤・ジレンマを、各人がよく自覚した上でその身のうちに引き受ける覚悟
というものがあれば万々歳なのですがね。単なる「言葉の暴力」を社会的に容認されるような「批判」にまで調整することが目下の課題でしょう。さすれば後腐れなく
思う存分、大っぴらに言語で元犯罪者たちを攻撃できるというものです。しかし、今申しました手順を経ずに、マジョリティが陰で結託してマイノリティを陥れるならば、
相手がどんな人間であろうと関係なくその行為をすること自体が無責任なのだと(より大きなマイノリティから?)誹られても、その点に関しては文句は付けられないでしょう。

また一方でこれとは別の議論として、下手に刺激しないほうが再犯する確率が低くまるなら、反対に第三者が正義の名の下に犯罪者の心理的圧迫を促すような発言を
繰り返すことは元犯罪者の生活圏にいる住民等の安全を脅かすことにつながりかねないという点で、ちょっと配慮に欠けるのではないかという意見もあってしかるべきかと
思われます。ただ、皆が見て見ぬ振りをして避けようものなら却って図に乗るんじゃないかという可能性も考えられますがねぇ。理想は、再犯しないように・ソレデモッテ
私たちの生活の安全を脅かす心配のなきよう適度に距離をとりながら暮らしてもらうことでしょう。こういった輩に対しては、銘々をあちこちに住まわせたり国が人権保護を
理由にして地域の治安と秩序を守るために必要と思われる情報をわざわざ隠してやったりするんじゃなしに、そろって一箇所の居住区にでも閉じ込めて常時見張っている方が、
元凶悪犯罪者と善良な市民といった対立の構図上、お互いの生活を守る為にはむしろ好都合なのかも知れません。しかし、だからといって何が何でも村八分にすればいいという
地域住民主導の排斥運動じゃ、社会的隔離(排除)という見地から見ても完璧とはいえないのは言うまでもないことです。オウム排斥運動の問題性は言わずもがな、
ごみ処理場の建設・移転問題やそれに類似した原発の問題などと同様、社会にとって文字通り必要悪なものであるにもかかわらず、どの地域も率先して引き受けたがらず
いつまでも義務をなすり合っているなんてようでは、地域コミュニティの倫理性はいまだ「前時代的段階にとどまっている」といわれてしまっても仕方ありません。
元犯罪者たちとどう共存していくのかということは今後も忽せに出来ない大きな問題でしょうね。

一応、こういう議論も挙げておきます。
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa3462753.html

522無精髭:2010/05/31(月) 01:20:57
ところで上に挙げた「その3」についてですけど、先日のスマイリーさんの件は、ネットが匿名性という隠れ蓑とはなりえないということが私なりによく分かる事例でした。
ネットにつなぐという行為は、未知の他者とコミュニケーションを結んだり、新たなコミュニティを形成したりするための手段として(その意義が強調されて)、一般に捉えられているようですが※、
ブログ閲覧や掲示板、SNSを利用する場合は、ごくごく個人的な動機から行われるのがほとんどだと思います。だいたいPCや携帯電話などの情報端末は一人で使うわけですし、
もちろんネット上ではリアルな実感を伴った他者に出会えるわけでもありませんので、そういった事情から察しますに、私やここにいる皆さんを含めてネットユーザーは、
現実(ネット外)のコミュニケーションとは何か別のものを(主にネット上の他者に対して)求めているように思われるのです。ですから、実際に集団に溶け込むには、
群集という実体や社会運動などがありますから、そこに紛れ込むことができさえすれば特に問題ないのですけど、ネットで不特定多数のユーザーたちの集まりに溶け込むというように、
ある特定の場所でのみ支配的な考え方や雰囲気へと意識だけを帰属させるには、先述した私的な動機の影響も相俟って、やはりどこかで無理が生ずるというか、他人とのズレを
感じざるをえないということになるのでしょう。つまり何が言いたいのかと申しますと、匿名性を得るためには集団に溶け込む必要があり、さらにその前提として他人からの承認を
絶対条件とするのです。一言に換言しますと、集団帰属によって自動化したコミュニケーションと本質的に無責任(責任回避的)な匿名性はきわめて近親的な関係にあるのです。
とまあ、そんなわけですから、ネットを私憤のはけ口として用いるやり方では匿名性を得ることは出来ないかと。匿名性を得ることとその動機が個人的なものであることは
両立し得ないから、どこかで破綻する―――事態は、匿名であり続けようといった目的に反した結果となる。第一、匿名性を得るために必要であるはずの他者(との関係)が
ネットユーザー個人のレベルでは本当に必要とされているのか、はなはだ疑問である、という次第です。だからと言ってもちろん、当事件はネットが自己主張のためのツールに
成り下がっていることから必然的に起こったのだと申す気などは毛頭ありませんが。

※主に日々の情報収集から単純な好奇心の充足まで、更にはたとえばamazonで買い物することなどを挙げてみれば、私的な関心や欲求を満たすための手段と捉えたほうが、
ネットユーザーからすると、より実感に即しているかもしれません。ですが、こういうものは新聞・雑誌やテレビなどを見ても満たせるわけですし、家から出ずに通販で買い物を
したいのなら先のようなメディアにも広告が付随しているのですから、既にネットの外でそういったものに囲まれている者にとっては、他のものを差し置いてこれを使わなければならない
という理由をネットに見出すことは困難でしょう。他のメディアにはないような利便性がネットにはあるだろう、だからいつまでたっても時代遅れの石頭なんだという文句は
ご勘弁いただくとしても、そういったメディアはネットが普及する前からあったのですし、何もネットにしか見られないような特徴とは言えないと思いますので、むしろ私が
ここで問題にしたいのは、ネットが一般家庭に普及したときに個々人において、旧来のメディアが喚起し提供するものとは異質の、あらたな関心や欲求(欲望といったほうが好いかもしれませんが)が
生じたのだとする、いわばネット上でしか感じられないそれに特有の関心についてです。その一つとしてコミュニケーションへの関心(情報を取り巻く者同士のつながり、メディアと受容者の
縦の関係ではなく、メディアに対する受容者と受容者の横の関係、等)があり、しかも新たな形のそれに対する期待がネット(ウェブ)に向けられたし、今も向けられているのではないかと思うわけです。

523無精髭:2010/05/31(月) 01:21:20
検挙された人たちの場合、ネットを使ってスマイリーさんにあのようなことをする前にどこかの時点で何かしらの歯止めがかかればよかったのですが(たとえば自分は公共の正義の
ためなんかではなく、自己本位な道徳観のために興奮しているのだと気がついて我に返るとか、「女子コンクリ」に関わる目的のためにネットにつなぐ前に、これからネットで
自分が取ろうとする行動の是非について実際に周囲の人たちと話し合うとか)。。。誰にしろネット上では、その3で冗談口調で申しました条件はとても満たせそうにないですな。

ネットの匿名性の危うさについては、ウィルスやスパイウェアによる情報流出の危険性やプロバイダを経由することで残るIPなどの痕跡、犯罪捜査に協力するためにプロバイダ側が
行う情報提供と(同じことですが)個人情報への警察権力のアクセスなどによって、ネット・ユーザーは匿名であるようで実は匿名でないというようなことを、今回の事件と似たような先例も
通じて以前から見聞きしておりましたし(プロキシサーバーを使う場合も例外ではないとのこと)、ネットに限らず、現代では市民社会が大きな見えない力によって監視されているのは
周知の事実ですから、こういった今更ながらの文脈―――近代都市市民の自由な匿名性への対抗薬として現代の監視技術が存在するみたいないわばネット利用上の物理的制約云々について
申したかったわけではなく、ネットを悪意なく普通に使う場合は利用者の匿名性は十分に保たれるとされているわけですから、そういった既成事実が蔓延(?)している現状に対して、
私たちは常に匿名であることを望みながらも、ネットが個々人にもたらす技術上の恩恵(個々人において他者との同調化と棲み分けとが矛盾なく・モラルに反せず成り立つ)と
個々人のネットにつなぐ目的意識の自己本位性とのズレのために、実は正反対のことをしようとしているのではないか、という疑問を以て一石を投じてみたかったのです。
しかしまあ、何はともあれ、かりそめにもネットの匿名性の陰に隠れたいのであれば、人と仲良くしなければならない、無責任な匿名性とそういった意味での秩序は意外にも
仲が良いのだ、という考え(妄想)を持てたのはこの事件の報道に接しての収穫でした。

524無精髭:2010/05/31(月) 01:23:19
私は、言語も暴力化するものであると捉える以上は、言語による社会的制裁(ある種のリンチ)にも規制をかけるべきだという動きが世の中に
芽生えてもなんら不思議ではないだろうと思います。それは以下に後述します浅野千恵氏の論考のような考え方に少なからず影響されたからです。

(過去レスへの唐突な言及で恐縮なんですけど)以前、カルマさんがこの事件について、

1)人間という動物の醜さ、おぞましさ。
2)男性社会における弊害。
3)応報感情の肯定(「因果応報」思想)。

この三つを軸に感想を述べておられましたけど、私はずいぶんと過激なことを仰るなぁ、と失礼ですが
半ば呆れておりましたが、このたび下記のような論考を読んで、少しく考えを改める気になりました。

『現代思想』第28巻2号、青土社、2000年2月
(無)意味と暴力          浅野千恵
http://www.hirojo-u.ac.jp/~asano/muimi.htm

カルマさんの発言の中で特に気になったのは、2)の箇所だったのですが、浅野氏によれば「暴力は本源的にポルノグラフィックなものであり、
むしろ、性暴力こそが暴力の本質にあり、暴力を規定している。」とのことですから、まぁ、そこまで踏み込んで規定できるものなら、
カルマさんの推測もあながち飛躍しているとは言えないよな、と思いました。以前はカルマさんの書き込みを読んで下記のような感想を懐き、
さっそく覚え書きを認めたものです。

 それと、当事件に絡めての、性犯罪全般への刑罰の軽重に関するご発言には、やや唐突な印象を持ちました。
 カルマさん、何か勘違いされていらっしゃいますよね。当事件は、到底性犯罪というカテゴリだけで括れるような
 小さな事件ではないです。であればこそ、男尊女卑社会だの、その弊害としての性犯罪の発生だのといった問題に対する
 直接的な対処なぞでは、当事件のような集団犯罪のケースを抑止・防止することは望めないという不満が生まれもするのです。
 性犯罪(集団強姦等)の要素はもちろんありますが、それだけではありません。虐待、監禁、脅迫・・・等々の要素に注目しても、
 それぞれ常軌を逸しているのが分かるでしょう。当事件は、性犯罪でありながら、それを超えております。

つーか、投稿するためにメモったので、文章の体裁がモロに仮想論敵を念頭に置いた対話調なんですが・・・それはそれとして、先に引用しました
浅野氏の文の前後を読んでもらえれば、上での私がまさに当の暴力の言語的戦略に引っかかっていて、自分のスケベ心が満たされるよう、無用に
事件解釈のための既存の文脈を切り売りすることでいかに駄弁を弄しているかってのが、一目瞭然でしょ。我ながら、「おおっ」っと悪寒がするぅ。
暴力やモラルについては滋賀県大津市で起きた少年暴行死事件についての所感と一緒に雑談スレでも触れましたが、そのときの私の思い付きと
よく似た考えが浅野氏の論考の中で一刀両断にされているさまは、逆に爽快でした。

・・・まじめに言いますと、浅野氏の論考は、前半部分(大体1から2まで)は鋭いんですけど(ある程度は私の趣味でひいきしてますけど)、
後半からの論理展開がやや性急かつごり押し気味に感じられます。さまざまな暴力を取り巻くマスコミ・論壇等の言説の分析から始まって、
最終的にあらゆる文化現象が、人間性に秘められた潜在的な暴力的特性の顕現であるみたいな結論に至るわけですが、これに至っては牽強付会
と言って好いのではありませんかね。限られた紙幅の中で途方もない問題を設定してしまったために収拾がつかなくなったのでしょうか。
もしくは無理やり収拾をつけるために、つまり好き放題に散りばめた、個々においては鋭い洞察を一束の論理へと回収するために論旨を
広げすぎたことが祟ったのでしょうか。

525無精髭:2010/05/31(月) 01:24:07
その論旨を概説しますと、いじめや恋人どうしのけんかといった狭く閉じた関係でしばしば起こる暴力によって、それを目撃しているのにも
かかわらず、その関係の閉鎖性ゆえに手出しも出来ず、傍観せざるをえない立場に立たされてしまう者が―――言葉を変えれば、間接的な
暴力を被ってしまう者が、その当の暴力的な事象について(あるいは、自分がそういった立場に陥ってしまう必然性について)「既存の概念
コードや論理」を用いて理解しようとする、そういった行為さえも暴力なのだと主張する、かなりラディカルでエキサイティングな内容です(笑)。
暴力とは、言語を通してそれと対峙しているものにも無際限に伝播していく。そもそもそれは、観察者が事態と真に向き合うことを本源的な
ところで拒むような支配的イメージ(先入見)がその言語使用に付きまとうからなのだそうですが。一口に言うと、暴力はそれを目撃する者を
必然的に傍観者にしてしまうが、傍観者となった者は(おそらく暴力に対して傍観者であるという関係を一方的に迫られたがゆえに)
目撃している当の暴力を語ろうとする際に、その暴力によって自分の言葉が暴力的なものへと規定されてしまう、そういった必然的な機構が
あるのだということです。つまり、人は暴力によってただの傍観者にさせられてしまった経験を自然と受け入れてしまうと、それを暴力の
正当な理由や必然性に置き換えてしまう傾向がある。・・・非常に難解ですが、中々に興味深い内容です。

 ところが、そのように意味と必然性を見出すよう働きかけること、それじたいが暴力の働き、効果であるかもしれない。
 だとすれば、暴力の必然性を読み取り、その意味を解釈し、語ることによって、人は必然的に暴力の側に立たされることになる。

私は、暴力が第三者を(暴力的に)傍観者としてしまうことの必然と、傍観者となることを強要された第三者がその暴力体験を幾分正当化して
語らざるをえないこと―――あるいは、傍観者がその暴力体験を論じてしまうと、言語使用においていわばミイラ取りがミイラになってしまう
ように暴力的にならざるをえない、と論及された二つの必然性がどうも頭の中でうまく接合しません。もう一つ。傍観者に対して意味や論理を
付与するといった、暴力による思考・言語活動への介入についての説明をもうちょっと詳しく書いてもらえるとよかったです。あと繰り返しますが、
先に引用しました「性暴力」云々のくだりは、誰からの影響なのかどういった文脈を下書きにしているのか、はっきりとは分かりませんが、
やはり>>469と同じく牽強付会の嫌いがあります。結論が変な方向に捻じ曲がっているような気がするのです。結局そんなことが言いたかったのかよ。
自分のフェミニズムを説きたかっただけかい、と言いたくなりますが、まあ、浅野氏の論考でも言及されている『女子高生コンクリート詰め殺人事件
―彼女のくやしさがわかりますか?』について、amazonのレビューをみると、
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4784501789/ref=cm_cr_dp_all_summary?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending
弱者の立場に立ってそれとは関係性の薄い自説を振り回す論法というものが相対化されていて、もはや時代的に無効となりつつあるのが見て取れますね。
そういった意味では、少し酷な言い方かもしれませんが、このスレッドに書き込まれたコメントのいくつかにも該当することではないかと。

526無精髭:2010/05/31(月) 01:24:43
ですが、もっと大事なことは、浅野氏が説くところの暴力とはなべて性暴力的であるという主張も含め、あらゆる言語事象のうちに暴力的徴候を
見出してしまう浅野氏のこの論考自体が、すでに氏自身が考察対象とする、言語による暴力の影響を免れていないのではないかということです。
にもかかわらず浅野氏は、暴力という事象を言語化しようとする意思のなかに必然的に生じてしまうとされる新しい暴力についての、最初の発見者
としての特権を無反省に行使しているように思われるのです。それは浅野氏の論考が、まだ誰の先入見にも捉えられていない、元のままの、言語化
以前の、言わば初発の暴力というものを認識した者でなければ説けないような性質の理論だからです。自身の理論で批判されているのが概念や論理
形式のようなある言語的対象そのものである場合、その批判対象に自身の理論も含めなければ、更には批判対象である他者の言説の水準に自身の
論法を照らし合わせなければ、一言でいうとフェアではありませんので、同じ言語であるにもかかわらず、自分の言葉を他人の言葉から原理的に
区別して別格に扱ってしまうということとなり、結果的に自説の特権性は高まるでしょうが、普遍性や妥当性はその点でマイナスとなるでしょう。
結局のところ、棚上げにされた前者で後者を規定してしまうならば、そのような一方的な言説における普遍性などはなはだ怪しいものであると
いわざるを得ません。すくなくとも、暴力を批判する浅野氏の論考もあらたな暴力を生んでいると主張することが、なお言語によって可能だと
思われることに対して、浅野氏は反論しなければならないでしょう。※

※たとえば、フェミニズム♯によってその言説・運動の最終的な目標として据えられたもの(最終的とまでは言えないかもしれないが、一例を
挙げるなら、社会での女性の地位向上などに帰結する法整備や具体的な政策)が成就すると必然的に男性の権威が失墜するのであれば、翻って
男性の暴力に対する女性の報復が成功したという見方ができるでしょうし、そこから新たに男性に対する暴力が生まれたのではないかと類推する
ことも出来るかと思われます。あるいは次のような疑問も生ずるでしょう。それは、暴力の本質が性暴力なら、いうまでもなく女性による暴力も
現実にあるのだから、その場合の(男性的でない)性暴力とははたして何なのか、女性の場合においてもわざわざポルノなり性暴力なりと
言わなければならない必要はどこにあるのか、などといったことですが、浅野氏の論考のようなものを読んでこう問い返すことは、自然なことだと
思うのです。しかしそれよりも大事だと思われるのは、言語の本質に暴力性を見出したとして、それを語るのも同じ言語である以上は、
その批判的言説も、言語の本質であるとされる暴力性を免れることはけっして出来ないはずだということです。くどいようですが。

♯フェミニズムが総て上記に該当する(言い尽くされる)ものだとは言いませんし、事実色々と流派や学説・論者間の違いはあるだろうと思います。
ちなみに蛇足ですが、女性による男性蔑視のようなものに対して己を振り返ってみることによる戒めと反発から、男性学が生まれる土壌も整ったみたいで。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B7%E6%80%A7%E5%AD%A6

現代思想で「暴力」を積極的に考察(研究)対象としたのは、まあ色々とおりますが、代表的なのはルネ・ジラールとか、日本では故・今村仁司氏
などですか。今村氏は、boroさんが昨年の8月にウィークリーブックで紹介してくれた『暴力と人間存在』(筑摩書房)でも著者の一人として
名を連ねていますけども、とりあえずそれはおいといて、浅野氏の論法のバックボーンには、フェミニズムやジェンダー論やエンパワーメント論
などの他に、何やらポスト構造主義の影がチラチラしているような・・・。今村氏らによる先行研究から浅野氏らフェミニストへの直接的影響に
関しては知識がないので何とも言えませんが、少なくとも認識の根本的な転回を迫る現代思想の文脈については、明らかにその洗礼を受けて
おりましょう。また、現代思想によって捉え返された<暴力>の概念が氏の念頭にあることも覚えておいて良いでしょう。でないと、先にあげた
論考など意味不明の念仏としか思えないでしょうから。

527無精髭:2010/05/31(月) 01:25:33
ちなみに補足として付け加えさせていただきますと、先に挙げましたカルマさんの発言の軸の一つである 1)については、見方によっては人間は
理性的に人を殺すこともあるという(それ以前に「理性」という言葉の世間一般での使われ方に対して違和感がありますが)ありきたりな切り口から、
そもそも理性と殺人は相関関係にないこと、もしくは一見理性的に見えない殺人行為にも実は理性が働くかも知れないこと―――理性が殺人行為の
原因となっているということではなくて、殺人という一連の過程において理性はもっぱら功利的な状況判断力としてしか働かないこと(つまり最終的な
決断は意志が行うわけですから、殺人行為の原因は理性よりも意志の方がふさわしい)、このいずれかが推察されます。この二つは一見矛盾する
ようですが、カルマさん曰く「理性のコントロール」を失することが殺人等の野獣的所業・背徳・利己的な行為の原因となるという説への、反措定
として挙げられたもので、それぞれ同じ一つの考えの異なった側面というに過ぎません。理性の働きは専ら既存の道徳観によって解釈(曲解?)
された鬼畜的所業とかいった行いの原因にはなりえないほど、より現実に即した実際的な問題を処理するためにある(でなければ、いかなる場合
において人は理性の実在を己のうちに認めることが出来るでしょうか)というふうに捉え返される点で、この二つに相違はないわけです。そこで
「(犯罪だけに限り)理性のコントロールについて云々するのって意味があるんでしょうか」的な質問をぶつけた後、以下に貼付した動物実験などの
ソースなどを援用して更なる反証を試みようと考えましたが、いたずらに煩雑になるだけだろうと思いましたので、止めました。

話を端折りますと、人間は動物でありながらも、他の動物を家畜やペットとして飼い馴らすことによって、逆に動物を超えた存在として自らを
規定します。どう反省を試みたところで、人間的な生の方法の基盤としてあるこの「支配―従属」の関係に肯定的な判断を下さざるをえないことが、
その事情を自ずと物語るのです。またある局面に即した理由の一つに数えられるものとして、例えば人間は社会生活を営む以上、動物としての自覚
よりも人間であることの自覚の方が強いからというのもあるでしょう。いな、言い換えますと、そんな自覚以前に人間がこうして感じている「意識」
そのものが動物には存在しないのだ(「意識」があるとしても全くの別物)という議論も学問の世界では大真面目になされているようですし。
主にこういう問題を扱う学問って、動物行動学とか、或いは行動主義心理学(特に動物心理学)辺りなのかしら。いや、間違えた。「大真面目に」
と言いましたが、それは動物の意識の問題を人間の意識という一般的な事例から分離させて扱うというほどの意味でしたので、科学的な手法から
「意識」一般を解明することに、人間と動物といった違いはないのかも知れません。そこでの議論というのは結局、動物を専門に扱う学問と哲学者や
思想家のような門外漢―――一般的に言って、しろうとの考え方との相違から生まれるかのごとき、擬似問題に過ぎないのかも知れませんね。

まっ、動物についての考察には、カルマさんの「動物という外延の一つにヒトという種がある」あるいは
「人間という概念は動物性をも内包として含む」みたいな主張とは別の、一風変わった趣向のものもあります。
http://amr-i-t.com/magician-of-posthuman/spell08.html
(これを含む論考の目次です。大学生さんのサイトですが、暇があれば読んでみると好いかも。http://amr-i-t.com/magician-of-posthuman/index.html

で、上のリンクを更に辿ると、
http://jinen.exblog.jp/3685750
http://www.hirokiazuma.com/prof/books/dobutsu.html
というように、またまた東浩紀氏が出てくるわけです。

528無精髭:2010/05/31(月) 01:26:58
で、これが動物実験についての色々。↓グロ画像注意。
ttp://www.coara.or.jp/~wadasho/doubutu.html
ttp://www.all-creatures.org/ha/jikken/experiment.html
ttp://www.arcj.info/(http://www.nomoreanimaltests.com
ttp://www.ava-net.net/
ttp://www.aspot.info/sat/cosme01.html
(こういったショッキングな(先入主を植え付けるという意味で分かりやすい)情報を提示した狙いこそ、
浅野氏の論考で槍玉に挙げられている当のものなのですが、あえて挙げます)

書籍についてはこれがおススメみたいですね。。。
http://poochnavi.com/books/asin/4000268651/

動物の権利
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%95%E7%89%A9%E3%81%AE%E6%A8%A9%E5%88%A9

動物権利論へのちょっとした批判
http://semi.natura-humana.net/1999/rf1999/ss/animal.htm

こういった事例を比較対象とするのは極端なんですが、たとえば先に挙げた滋賀県大津市で起きた少年リンチや時津風部屋の力士暴行死事件など、
第三者から見て、悪く言えば一過性の出来事を「女子高生コンクリ詰め殺人」のような超有名事件と同列に扱う代わりに(?)、個々の事件から
際立った特徴のみを取り上げて特別視するようなことを避ける傾向が私にはありますが。浅野氏は暴力の本質は性暴力と言い切るくらいだから、
きっと時津風部屋のケースにもポルノグラフィックなものを嗅ぎ付けるんでしょうねぇ。まあ確かに、お相撲さんの裸は見方によっては
エロティックですし、ひょっとすると相撲についても文化的なセクシュアリティを覆すような前衛性を有すると言えないことはないかも知れないですな。

不覚にも笑ってしまった。。。
http://mentai.2ch.net/sociology/kako/949/949080992.html

529ufloat:2010/05/31(月) 07:14:00
私が以前から気になって仕方がないのは、ここで犯人に「殺す」だの何だの
実に穏やかでないことを言っている人たちは、一体何を目的にしているのか、
一体何がやりたくてそれをしているのか、ということですね。
記事を読んで「犯人め、殺してやりたい」と口走る気持ちならまだ分かりますが、
それを明文化して誰でも読める場に投稿してどうしようというのか。

この事件への怒り、憎しみ、やりきれなさに関しては、私も皆様方と同じですから
あえて書くことはしませんが、「このような事件は許せない。だからこそ、
このような事件を起こさない、減らしていくのは私たちの宿題なのだ」と
結論すれば少しは社会の役にも立とうというものを、
こんなところで「犯人殺す」とわめくことが一体何の役に立つのか。
もし犯人を殺す気もないのにそういうことを言って気晴らしをしているのなら、
うがった見方をすれば、そういう人はこの事件をストレス解消の道具に使っている、
ともいえるわけですが、言ってみれば井戸端で人の陰口をたたくのと同じ次元の行為
ですから、どうやっても「社会のため」とか「被害者のため」にはなりません。

他方、もしそういう人が、法の裁きを受けることを覚悟で本当に犯人を殺したならば、
これはもう「ご立派」の一言。というわけで、私はそういう人に対して
「自分が「嫌い」とか「生きている価値がない」とか思うという理由で
他人を殺害し、社会の秩序を乱した野獣」として厳罰を望みます。
大体、社会でこんなことが許されたらどうなるかは、スマイリーキクチ事件が
物語っているわけです。まさに百害あって一利なし。
また、スマイリーキクチ氏が「家族に不安な思いをさせると考えた」と述べていることからも
家族が被害を受ける可能性は濃厚ですし、私が>>519で挙げたリンクの中にも
「犯人Eは子どもまで持ってのうのうとしていて許せない」という意見がありますが、
犯人はともかく子どもなどの家族には何の責任もないですから、子どもなどの家族をも
巻き込むような行動というのは、すなわち「無実の人を攻撃する」行為に他なりません。
犯人を攻撃するのはまだ理解するにしても、「気に入らない」という理由で罪のない人に
迷惑をかけるのが、果たして「正義」なのでしょうか。

私もこの事件には猛烈な憤りを覚えますし、被害者の無念も察するに余りありますから、
それを口にする人の気持ちも分からないではありません。
「この事件は許しがたい」「犯人は許せない」というところには全面的に同意します。
しかし、否、だからこそ、「うさ晴らしにこの事件を持ち出すのは誤り(冒涜)だ」と言いたい。
「犯人を殺すぞ」と高らかに宣言することで、アナタの溜飲は下がるかもしれないけど、
それってそもそも被害者や社会のためになるの?
むしろ、本事件や被害者を自分のフラストレーションを解消する道具にしているだけではないの?
そういう疑問が生じて仕方がありません。

530loveless:2010/05/31(月) 23:13:31
>>529
その疑問に対する解決策の一つが、死刑存置の理由の一つにありますなー^^)

531無精髭:2010/06/01(火) 00:33:17
>530
死刑には復讐の連鎖を断ち切る効果があるとか言われていますからね。

でもでも、親まで死刑にしろとか軽率なことを言っちゃう表六玉もいるので、
少年法が適用されずに加害者全員が死刑になっていたとしても、関係者に対する
攻撃は現在と同じように続けられたんじゃないですかね。何よりもユーさんは
無実の人に危害が加えられるおそれがあることを一番憂慮されているわけで、
加害者の死は根本的な解決にはならない気がします。

ところで、加害者(Bだったかな?)の親が被害者の墓をオンドリャーと
壊したとかなんとかいった情報もデマなんでしょうか?

532ufloat:2010/06/01(火) 01:54:18
>>531
確かに、犯人が死ぬことにより、犯人に向かっていたはずの感情がやり場をなくし、
家族に向けられたりしたら、たちが悪いことこの上ないですね。
さらに、その「家族」が(スマイリーキクチ事件のように)実は赤の他人であった日には。

さて、どう書こうか迷っている間に、無精髭さんが代弁をしてくださったので、
死刑制度では私の疑問を氷解させることはできない理由を私から述べる必要も
なくなってしまいましたが。
もう1つ付け加えておくならば、私が>>519で挙げたリンク先でも非難を浴びている
「強姦には加担しても殺人には加担していない主犯格以外の者」に関しては、
少年法を考慮に入れないとしても、現行法では死刑にすることはできませんね。
「見て見ぬフリをしたやつらも同罪だ」という人もいますが、こちらも同様。
それから、日野OL不倫放火殺人事件の「師匠」のように、刑法違反をしたわけではないのに
一部の人々からたたかれる(さすがにここでは「殺す」という書き込みまではないようですが、
面接に来たら就職差別をすると公言する人は存在)ケースもあるわけで、
そういう意味でも勇ましいことを言っている人たちに対して私が抱く疑問、
言い換えるなら「そういう人たちの思想やモラル」にかかわる疑問を、
死刑制度によって氷解させることはできそうにありません。

533Ken:2010/06/02(水) 15:30:53
>>528
あんまり関係ないですけど、こういうので槍玉にあがるのって1950年代とか60年代とかいつも古い時代の話であって、今ではさすがにこんな無茶な実験はしてないです。

というかこの時代は人間に対してもかなり無茶な実験してます。開頭手術中に麻酔をとって電極で脳を刺激して何を感じたか報告させるとか、梅毒に感染させるとか、アトミック・ソルジャーとか、同意なしの断種手術とか。今の感覚だととてもじゃないけど考えられない。

一方で動物実験反対派は一部で過激化していて、テロリスト並みの狡猾な手口を使う人たちもいます。

534Ken:2010/06/02(水) 15:51:55
>>519
ここのニュースステーションの放送を文字に起こしたのがある。正確性についてはなんら保証できませんが。

ニュースステーション 2000/11/28
「女子高生コンクリート詰め殺人事件 加害者とその親のその後」
http://2ch-library.com/news/concrete/text/news-station.html

Eというのは殺害に加わわらなかったおかげで比較的軽い罰で済んだ人ですね。社会復帰が絶望的なDと比べると順調に社会に順応しているのがわかります。少年法がうまく機能しているケースなのじゃないかな。自発的にグループを離れるくらいですから4人と比べて悪質ではなかっただけかもしれませんが。

放送を観た人たちによる感想ですけど、放送自体にネガティブに反応している人(放送すべきでなかったというコメント群)が多いのが気になりますね。こんな事件は忘れ去られるか、はじめから知らないほうがいいと考えているのですかね。一方で、この放送によってこの事件のことをはじめて知ったという人たちも多いのにね。Eのその後の人生と被害にあった女の子の人生を対比させて不条理を感じるのはよく分かるのですが、Eには幸せになる権利など一切ないなどと言い切るのはどうなんでしょうかね。中には、Eにも遺族の思いを分からせるためだけにEの子供が被害者と同じ目に遭えばいいなどと暴言を吐く人もいて信じられない思いなのですが。本当にこの事件のことを憎んでいるのかな。

Ufloatさんの問題意識は私にもありますね。20年前の事件に対して直截的な怒りをぶつける人というのはなんだか別の問題を抱えてそうですよね。死刑にならない限り我々は犯罪者と何らかの折り合いをつけて共に生きていかなければならないわけで、その際断固とした拒絶は(要するにDのようなケースは)双方にとって不幸でしかないと思いますね。

535Ken:2010/06/02(水) 16:01:42
>>516に補足
事件発覚直後に共産党は事件が共産党と関係がないというコメントを赤旗に表明してますね。週刊新潮の記事↓

http://2ch-library.com/news/concrete/source/shincho/1989.04.20-028.jpg

時系列的には「事件は共産党と関係ない」というコメントの後に共産党員であったCの両親に関する一連の特集記事が赤旗に載ったということですね。

536loveless:2010/06/03(木) 21:44:56
>>531,532
うーん、ちょっと違うかなw
復讐する権利については、遺族が対象なので、第三者には関係のない話ですねw

ここに書き込んでいる方たちは、おそらく第三者であり、本気で行動に移そうと考えている人はいないでしょう。
(いるかもしれないけど。。)
それでも一言言いたくなるのは、この犯罪に対する罰に「納得していない」から。

私は、法律というのは、なにより納得性が必要だと思っており、刑法の最高刑として死刑があるのも
それが理由の一つと考えています。

537無精髭:2010/06/03(木) 22:22:57
>536
私も>531を書きながら思っていたことですけど、仮に加害者全員が死刑になっていたとすれば、
第三者の義憤(?)とやらも、現実と比較して勢いが落ちていたかも知れないというのはあり得そうですね。

だから、逆に現実では加害者たちが誰一人として死刑になっていないという不満があまりに強いために、
事件(殺人)とは無関係な人間まで死刑にしろという者が出てくるのだ、つまり、本来加害者に向けられる
べき義憤が、人を殺した者は死を以って償うべきという正義が貫徹されなかったことから行き場を失くして、
新たな攻撃対象を求めてさまよっているのだともいえるわけで。正義が果たされなかったために矛先を
狂わされた義憤は、おそらく今度は加害者が死なずに済んだという社会の不正を糾弾することをも自らのうちに
取り込みつつ激しさを増すということでしょうか。死刑忌避という社会の不正とちょうど釣り合いを保つために、
加害者の家族や友人というミニマムな社会、共産党という反社会的組織が新たな問題対象として(必要以上に!)
クローズアップされるのかも知れませんね。

538美浦:2010/06/07(月) 00:54:55
性犯罪防止人形の決定版
久々の女体画像。金で買える商品
これなら内部突入気分が出そう。
抱いて結合すれば、性欲消滅、性犯罪も消滅。
法的規制、処罰、性欲抑制剤などと並ぶ性犯罪防止美女人形
薬剤と異なり、体調に及ぼす副作用もないような感じ。
性犯罪の犠牲者皆無で女性は安心しておシャレを楽しめます。
刑務所費用も、法適用の裁判費や、捜査費も不要。
国家経費の節減。
より良い社会を陰で支えるアート美女
http://mihokasumi.h.fc2.com/

539:2010/06/15(火) 04:10:16
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org965176.jpgよし!この事件の主犯の目隠し無しの写真を見つけた!
削除される前に保存しよう!

540Ken:2010/06/16(水) 13:52:46
その写真が主犯格のものだという保証はどこに?

541:2010/06/17(木) 00:19:46
>>540 http://personalsite.liuhui-inter.net/aoiryuyu/josikouseikankin.htm
これと比較すればわかる

542Ken:2010/06/24(木) 15:28:58
そのリンク先の写真が主犯格の写真だという保証は?

543:2010/06/29(火) 04:46:29
>>542これは実際にマスコミが報道した写真です

544無精髭:2010/06/29(火) 23:30:48
>>543被害者の写真については仰るとおりでしょうが、加害者の写真については初耳でしたね。

545焼肉:2010/07/01(木) 02:49:53
>>529
まさにその通りですね。まだこのスレはまともですが。
他の掲示板やミクシーのようなコミュ二ティサイトでは死ねとか拷問方法しか書かれてなかったりで
モラルを疑うような書き込みばかりで嫌気が差します。
あとフラストレーション解消以外に、Eの子供や結婚についての反応見てると嫉妬の思いの方が強いように思われます。
「前科者の方が自分よりもまともな生活送ってるのが許せない」と。
まあある意味では正論なんでしょうが。
>>534
確かにEは殺害に関わってないんですよね。ほとんどの人は加わってると勘違いしてるようですが。
スマイリーにしてもそうですが、もし万が一彼が関わってたとしても逮捕もされなかった人間を殺人犯として叩いてるわけですから事実誤認にも程があるでしょうね。
スマイリー事件があっても、未だにソースの出所が不明なことを本気で信じてたりする書き込み(住所やら改名情報など)も見られますし、今後もまた何か起きてしまうかもしれません。
こういうことを遺族の方はどう思ってるんでしょうか。

546Ken:2010/07/02(金) 13:55:56
そっとしておいてほしいという遺族が多いのと違いますかね。怒りに任せてあることないこと書く人たちに対しては、自分たちの怒りを代弁してくれてありがとう、などと遺族が思うことはなさそうに思います。あくまでも想像ですが。

547ufloat:2010/07/02(金) 21:55:17
>>545
>こういうことを遺族の方はどう思ってるんでしょうか。
もし私が何らかの事件の遺族であったら、たぶん「やめてほしい」と考えますね。
要は、自分にとって大切な人を殺害された事件を議題に持ち出され、
犯人の悪口大会(正論で非を唱えるならまだしも、犯人を殺すだの拷問するだの、
本当に「悪口」としか言いようがない大会)が開催されているようなものですから。
私が遺族であれば、おそらく冒涜された感じしか受けないでしょう。
ただ、世の中にはそれを喜ぶ遺族、悲しむ遺族、放っておいてと望む遺族、
何の感情もわいてこない遺族など、様々な考えの人がいるはずなので、
ポジティブな感情を持つ人が絶対いないとは言い切れませんが。

しかし、犯人が腹立たしいからといって無思慮にデマを触れ回ったり、
おせっかいにも憎き「犯人」に何らかの攻撃を仕掛け、犯人やその家族に
ダメージや恐怖を与えたものの、実はその「犯人」は無実の一般市民でした、
なんてオチが待っていたりしたら、まず間違いなく遺族は喜ばないはずです。
スマイリーキクチ問題を例に取れば、被害者の親御さんなどの被害者遺族が
(Kenさんの言い方を借りれば)「結果的に犯人ではなかったが、スマイリーキクチ氏を
攻撃してくれてありがとう」などと攻撃者に言うとは到底思えません。
ついでに、誰かが犯人を攻撃したことで、その子どもなどの家族が
何らかの被害を受けたり、多大な恐怖を抱いたとして、やはり遺族が
「犯人の子どもをいたぶってくれてありがとう」と言うとは思えません。

結局、スマイリーキクチ問題を含むこれまでの騒ぎが、遺族の方にとって
役に立っている可能性は限りなく低いのではないかと。

548紫煙狼:2010/07/02(金) 23:41:06
遺族のことを考えているなら「犯罪被害者と遺族の会」などに援助を申し出るでしょう。
犯罪者に対する悪口雑言を恥ずかしげもなく投稿している人々に、そういう真摯な方が
いるなどとは、夢にも思えません。遺族の役に立つ気もないでしょう。

結局は「犯罪者に人権はない」から始まり「日頃の鬱憤晴らし」を「社会正義」という
概念にすり替え「自分の安っぽい正義感」を満たす自己満足のための言動でしかありえ
ないのではないでしょうか?「法秩序を乱した者」への正当かつ適切な制裁は「法秩序
を思い知らせて従わせる」ことであって「法秩序に基づかない私的制裁を加える」こと
ではありえません。

被害者や遺族は「自分の鬱憤晴らしを正当化するための大義名分」でしかない。それが
ネットで見かける「犯罪者を晒し者にしよう論」だったり「犯罪者を惨殺しよう論」の
本質だと、つまりは「その者」を「虐げ」ても後ろめたく感じないで済む「いけにえ」
を欲しているのだと、私は感じます。

被害者や遺族が加害者を憎むのは仕方のないことです。ある意味、それが当然の権利で
あるとさえ言って構わないと思います。しかし、被害者でも遺族でもない我々が憎む
ことを許される対象は「罪」であって「人」ではありませんから「人」に対する制裁を
裁判で下されたところの刑期を終えて尚望み、あまつさえスマイリーキクチ事件のよう
に「自分が罪に問われることはないとタカを括って実行してしまう大ばか者」が現れる
と言うのは非常に情けないことです。


そして…そういう輩は自分のそういう「薄汚い、狡猾で卑怯な一面」を全く自覚して
いない、むしろ「社会正義の代弁者である」と勘違いをしているところが、なんとも
厄介なところだと、つくづく考えさせられます。

549無精髭:2010/07/03(土) 12:50:00
加害者が行き当たりばったりに標的を選んだ事件というのは、もしかしたら自分・あるいは親しい人が
巻き込まれたかも知れないという想像を否応なく掻き立てるんでしょうね。だから、実際の被害者や遺族
のことなんかそっちのけにして、自分・あるいは親しい人が被害者になった場合を考えの中心に据えて
加害者やその行為を評価してしまわざるをえない。結局社会正義のためなんてのは全部嘘っぱちで、
実際は自分や親しい人の保身のことしか考えちゃいないわけです。

本来、無実な人を巻き込んでまでして壮大な嘘なんかつかずに「あんなことをする輩が自分と同じ国にいる
のが不安で仕方がない」と不安を共有するもの同士でただ確認し合っていればいいだけの話です。しかし、
受刑者や既に娑婆に出ている者をネット上で攻撃することが彼らに対する再犯防止や類似犯罪の抑止に繋がる
などという屁理屈・幻想がどうやら一部の人間の間でまかり通っているようですから、それを覆すような
現実(たとえば自分たちのしていることが与える社会への影響等)に個々人が向き合おうとしない限り、
最初は控えめだったやり取りもいつしか過激なものへとエスカレートしてしまうのは避けられないのかも知れませんね。

ところで前にも書いたように、この事件の詳細を知って二次的外傷性ストレスとかに陥っちゃうのは別に
珍しくないと思いますが、そういう状態そのものはもちろん異常なわけですから、自分がそういう
異常な状態に陥ったことを理由に加害者を攻撃しようとするのももちろん異常なわけですよ。

550Ken:2010/07/09(金) 11:45:46
>>543具体的になんというマスコミのいつの記事?

551匿名:2010/07/09(金) 11:50:04
無差別殺人などは社会が望んだ結果だと思います。
これからどんどん増えていく状況になると思います。

552ゼロ:2010/07/09(金) 21:02:09
>>551

無差別殺人などは社会が望んだ結果・・・・・・?
詳しく分かりやすくお願いします。

「匿名」じゃなく、名前書かなきゃ。

553Ken:2010/07/10(土) 14:22:14
この事件は「無差別殺人」なんですかね...。まあ、「無差別殺人」と呼べなくもないかも。

554:2010/07/13(火) 03:17:55
>>550反応が遅れましたが1989年の報道で週刊文春が顔写真を載せた

555hg:2010/07/13(火) 03:19:40
犯人は皆殺されるべき

556無精髭:2010/07/13(火) 23:17:21
>>554当初「あ」さんのことを2chで加害者叩きしている人たちの中の一人かと思っていたのですけど、どうやら
事件報道について事情をよく把握せずに出典不明な他人の書き込みを信じてしまう人だったようですねえ。

以下、ウィキペディア「週刊文春」から。
>1989年に東京都足立区で起きた女子高生コンクリート詰め殺人事件で逮捕された少年4人の実名と顔写真を少年法に反して掲載した。編集長の花田紀凱と部下の勝谷誠彦の判断で、花田は「人殺しの面を見たいだろというのではなく問題提起のため」としたが、大きな波紋を招いた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E6%96%87%E6%98%A5
出典が明記されていないというw 全くもって好い加減な記事。こんなの信用するに足りんぜ。

続いて以下、質問サイトから。
monemu>彼女に対するバッシング報道は、ごく一部といっていいです。その証拠に、週刊文春では「鬼畜犯人」として、当時としては異例の、未成年犯人グループの顔写真入り実名報道をしています。目線は入っていましたが。/ネットで流れてる犯人の名前と写真は、文春のものです。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/875493.html
この人の場合、上の記事の執筆・編集に携わったウィキペディアンと同様のミスを犯しているか、もしくは
「あ」さんのように裏を取ろうという努力を怠って根拠薄弱な情報に踊らされてしまっているかのどちらかですね。

以上のような情報はいずれも出典が明記されていないのでその分余計に検証が困難なものになっています。
そういう記事についてはのちに出典が明記され、さらには資料の具体的内容を転載または資料そのものを
画像化したものが提示されたり、文責(執筆者にある場合、その氏名)が明示されたりした場合、やっと
検証とその中断は容易になります。

たとえば、本件の加害者をネットで叩くことに年季が入っている人なら誰でも知っていると思われるソースが
あります。以下参照。
http://2ch-library.com/news/concrete/source/shukan.html
「FRIDAY 2007年8月24・31日号」の画像に注目。まぁ、これでとりあえず、HP「クソガキ」に貼って
ある写真が加害者たちを写したものであるという信憑性は高まったわけです(完全に証明されたとまでは言い
ません。一応まだ疑える要素がいくつかありそうなので)。ちなみに再犯したBについては週刊文春も顔写真
を載せていたようですね(「週刊文春 2004年7月15日号」参照)。

さて、問題は事件発覚当時の報道においても加害者の写真が公表されていたかどうかですよね。しかし残念な
ことに、「あ」さんの主張とは裏腹に1989年の週刊文春に犯人たちの顔写真が載ったという事実は上のリンク先
のソースからは確認できませんでした。確認できたのは、週刊文春が犯人たちの実名を公表したということだけです
(「週刊文春 1989年4月20日号」参照)。それ以降も週刊文春が本件について顔写真つきの特集を組んだという
事実があればぜひ教えていただきたいのですが。ただ、1990年8月2日号の段階では犯人たちの名前が仮名に戻って
います。これは少年法に基づいて犯人たちのプライバシーに配慮したためと見るべきでしょうから、それ以後
(Bが出所して再犯を犯すまでの間)に写真を載せたとは考えにくいでしょう。

ちなみに、上に挙げたリンク先の情報よりも面白いものがあります。まぁ、これも本件の報道について
多少なりとも興味を持ってネットであれこれ調べたことがある人なら誰でも知っていそうな論文ですけどね。
以下、文教大学情報学部紀要「情報研究」第33号(2005年7月)および第34号(2006年1月)から。

「元少年」殺人犯の再犯と実名報道
女子高生コンクリート詰め殺害事件の準主犯格少年をめぐるマス・メディアの報道
谷原圭亮、小嶋聡、中島寛、水野剛也
前編 http://www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/slib/kiyo/Inf/if33/if3311.pdf
後編 http://www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/slib/kiyo/Inf/if34/if3408.pdf

この論文は事件発覚当時の週刊文春のことにも触れていますけど、週刊文春が犯人たちの顔写真を掲載した
とは書いていませんね。その代わりといっては何ですが、論文によると
>たとえば、『フライデー』(1989年4 月21日号)や『週刊女性』( 4 月25日号・5 月16日号)は、目の部分にモザイクを入れた少年らの顔写真を掲載している。
とのことですので、もしかしたらどこかのおっちょこちょいさんが週刊文春と他誌の報道をごっちゃにして
記憶しちゃったのをそのままネットで吹聴しちゃったのかも知れませんね。で、それを真に受けた人も
少なからず出てきてしまったというわけ。

557無精髭:2010/07/14(水) 08:34:12
この事件が無差別犯罪か否かについてはlovelessさんの>>67が参考になるかと。誰かを拉致監禁した上で
強姦するという目的を持った加害者グループが、老若男女を問わずどんな人間でもターゲットにすることが
できたとすれば、本件において無差別に市民を襲ったといえるかも知れませんね。しかし、実際のところ
加害者グループはバイセクシャルでも多様な性的嗜好の持ち主でもおそらくなかったでしょうから、自分たち
の欲望を満たすために対象を選り好みした可能性は高いかと。ただ、「自分たち好みの女性であれば
誰でも良かった」という考えは共有していたかも知れませんから、ひょっとしたらこういった意味では
無差別的な犯行なり動機といえなくもないかも。まぁ、冗談はこれくらいにしておくとしまして、、、

殺人それ自体を差し当たっての目標として殺人が行われた場合を一般には「無差別殺人」と言うんじゃない
でしょうかね。犯人にとっては要は誰でもいいから人を殺せればいいわけですから、「殺害対象を選ばない」
イコール「殺害対象を無作為に抽出」ということになるかと。ただ、いざ人を殺そうという段になっても
なお殺す相手を選ばないというのは至難の業、というか本件の加害者グループの印象とは逆に非常にストイック
ないしマゾヒスティックな感じを受けますが。自分よりも明らかに臂力に優るような相手や、集団で行動
している中の一人なども当然殺害対象に含まれるわけで、そういうのを標的に犯行計画を実行しようと
いうのですから。返り討ちにあうことを恐れないような命知らずか、もしくはまったく考えもしない
ような向こう見ずでなければ純粋な「無差別殺人」なんて無理でしょう。ですから、他人を無差別に殺害する
ためには、事前に他人間における力の差を解消するような凶器を用意し、かつ犯行時に他人から反撃を
受けないような安全な位置に自分を置くといった犯行計画を立てる必要があります。具体的には、
銃火器、爆弾、毒物、乗り物による犯行で人々の不意を突いて大量に殺害する等々。

前置きが長くなりましたけど、じゃあ本件の場合はどうかというと、、、加害少年たちが被害者を拉致
監禁した経緯なり動機を改めて振り返れば分かるように、加害少年たちは殺人それ自体が目的で数々の
凶行に及んだわけではなかったので(むしろ数々の凶行を隠滅するために被害者を殺したのではないで
しょうか)、上記のような「無差別殺人」には該当しません。

558無精髭:2010/07/14(水) 08:34:38
遺族が「自分たちのことをほっといてくれ」と思いつつ、世人に加害者とその関係者を攻撃してもらいたいと
願うということはあり得るかも知れません。この二つは両立し得ますから。真偽のほどは不明ですが、過去には
>>41>>44の方や>>46の方(>>35の方もか?)のような被害者遺族・関係者を名乗る方々がそれぞれ過激な
ことを書き込んでいらっしゃったことですし。まぁしかし、遺族が加害者やその親族ならびにその他の関係者に対する
制裁を望んでいるのが事実だとしても、法秩序を乱すことになるなら当然その意に沿うべきではないでしょう。

まぁしかし、今は「遺族は第三者による制裁を望んでいない」ということを前提に話を進めてみます。

過去ログにも散見されるようにこの事件を語り継げば人々の防犯意識が高まるかもしれないということですが、
注意すべきはそうすることがやり方次第では遺族の意思に反するかもしれないということです。私としては、
遺族の意思を尊重するなら(遺族を傷つけるリスクに注目するなら)特にこの事件を語り継ぐようなことはせず、
もし風化してしまうのだとしても自然の成り行きに任せておくのが一番の良策だという気がしますがねぇ。

あと、この事件を風化させないことが加害者たちの再犯や別の者による同様の犯罪を未然に防ぐことにつながる
というのはたぶん一概に正しいとは言えないのではないでしょうか。この事件の詳細を知ったところで親が子ども
の非行を予防するための具体的な指針は得られないと思いますし、この事件がその残虐性によって人々の記憶に
残り、被害者に対する同情と加害者に対する憎しみによって風化されないのだとしても、そのような事件の伝わり様
を犯罪者予備軍の者たちが屁でもないと感じる可能性はあるでしょう。また、そのような事件の伝わり様に影響
された結果、犯罪を防ぐという目的を失念して「事件を風化させてはならない」という名目のリンチに加わる
ような者が出てくる可能性もあるかと。

つまり、この事件の詳細を無反省にただ語り継いでいくだけでは逆に人々の憎しみをいたずらに煽ることになり、
しまいには被害者のため・世の中のためとばかりに目が眩んで事件とは無関係な人を攻撃する輩が出てくるのは、
現在の状況を見ても明らかなわけです。この事件を語り継ぐにしても何のためにそうするのか、そしてそうする
ことでどんな公益が生まれるのかといった質問にはっきりと答えられないとしたら、その人にこの事件を語り継ぐ
資格はないでしょう。

仮にこの事件を語り継ぐことが防犯のために役立つということが事実だとしてもこの事件の事実関係をただ伝えて
いくだけでは逆効果を生む可能性があるので、この事件に対する解釈の可能性を狭めてでも、第三者としてこの
事件を考える上での心構えや市民として守るべきモラルについての説明を付け加える必要があるかと。

防犯に限って言えば言うまでもなく、この事件を忘れないようにするにはどうしたらよいかということは問題の
本質ではまったくないです。この事件が起きた原因を探ってそこから教訓を導き出すべきであり、この事件の
後始末をすることなどに大した効果は期待できないでしょう。

559ufloat:2010/07/14(水) 21:01:31
私がデマを振りまくような人に対して言いたいことは、
無精髭さんの>>489-490にほぼ集約されていますね。

自分にとって都合の悪い情報を消し去る世論操作方法の1つに、
その情報に関するデマを大量に振りまく、というものがあります。
こうすることで、情報は大混乱をきたし、各情報の信頼性も低下し、
やがては真実が隠され、風化してしまいます。
木を隠すなら森の中、というやつです。

つまり、ろくに調べもせずに、あるいは確信犯的に不確かな情報やデマを
振りまく人というのは、「社会のため」とか「事件を風化させない」ことを
錦の御旗としているようでいて、実際には上述のような情報操作を
無意識のうちに行い、真実が風化するのに加担してしまっているのです。
事件の真実をデマでもって覆い隠そうとしているのです。
後世の社会に対して、デマで塗り固めた「真実」を残そうとしているのです。

社会に対してデマを振りまき、風化の片棒を担いでおきながら、
よくもまあ「社会のため」とか「風化させないため」といった主張を
平然と行える人もいるものだと、つくづく感心してしまいます。

566無精髭:2010/07/16(金) 21:12:50
(消されちゃいましたけど…)

>>560いやあ、いくらなんでもそれはデマとして広まらないですよ。
そういうのに引っかかるのは事件についてよく調べず、大した考えもなしに
加害者叩きに加わっているにわかの人だけでしょう。2chで長年に亘って
加害者批判を繰り広げている人たちがみんなそういう人だとはとても思えません。

>>561犯人全員が死刑になるべきだと主張するだけならともかく、
現在の犯人たちの個人情報を晒そうとするのはなぜでしょう。
この二つには何か関連性でもあるのですかね?

>>562目の部分がコラでないという保証は?

567pinky:2010/07/18(日) 18:42:38
被害者(八潮南高校 3年<当時> 古田順子さん)の
目線なしの顔写真が載ってました。

http://210.230.1.139/?cmd=read&amp;page=%BB%F6%B7%EF%A4%F2%B8%AB%A4%CB%A4%E6%A4%AF%2F%B0%BD%C0%A5%BD%F7%BB%D2%B9%E2%C0%B8%A5%B3%A5%F3%A5%AF%A5%EA%BB%A6%BF%CD%BB%F6%B7%EF

568無精髭:2010/07/18(日) 21:15:49
>>567「注意:掲載画像はイメージでつ」という記述が見えるんですが…。

569Ken:2010/07/19(月) 13:27:08
被害者の本名・顔写真は当時の週刊誌に出てましたから、図書館まで出かける手間を厭わなければ確認するのは簡単なことですね。

前科者の個人情報を公表することは名誉毀損に問われる可能性がありますが、故人に関しては内容が真実である限り名誉毀損に問われることはないです。とはいってもマスコミは普通第一報ないし裁判以降は被害者の本名を報じないのが慣例になっていますが。

570紫煙狼:2010/07/19(月) 17:44:16
名誉毀損に問われる可能性に関してはKenさんの言うとおりですが、
事件から相当の時間が経過した今に至って、被害者の肖像を広く知らしめる
目的が理解できません。

事件が未解決の場合に事件を早期解決させるため、広く情報を収集することを
意図して被害者の肖像を公開するのであれば理解できますが、それ以外の目的
で公開するのは被害者感情からしても内心穏やかならざるものでしょう。

加害者の肖像にしても、被害者の肖像にしても、真偽のほど如何を問わず、
自分の管理する(自分が責任を持つ)ところ以外で公開すべきものではないし、
他者により公開されているものに関しても、自分で責任を持たない場所からの
リンクは厳に慎むべきです。

571こいつは悪い奴:2011/04/10(日) 01:53:02
4月9日23時50分頃名古屋駅バスのりば側を背にビックカメラ正面、右に曲がった道沿いのところでスーツをきて白い紙袋をもった、顔型たてに長い、不細工、色黒、肌にはりない、たるんでる、身長高い、痩せ型、見た目35〜45ぐらいのげす男に痴漢、ナンパにあいました
こいつは馴れ馴れしい図々しい厚かましい卑しい、こいつは独占欲や自己中わがまま欲望の固まりで人にふらふら言ってたけど
こいつがふらふらしてました
こいつは女の事を束縛干渉、後をつけ、でこわい兄さんでてこない?とかそれが心配だとか言って、足がきれいだから触らしてとか、言って断ると無理矢理抱きつきお尻とか触ってきました
こいつはその後、女にちくられないからか心配そうにみて逃げました
常習犯のような気がします
こいつは
こいつなれてる感じだったし
他にもこいつ事件をおこしてそう
こいつは計画的犯行
こいつは悪い奴です


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板