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昭和初期抒情詩と江戸時代漢詩のための掲示板

41やす:2005/06/01(水) 23:29:24
思ひ違ひ
本日「岩手の農民詩人の状況」到着。あれれ、鈴木伸治と鈴木信治は別人なるべし。
『傾斜ある感情』もってるけど、穏和な抒情詩なので、をかしいと思った。
・・・恥ずかしい。

42やす:2005/06/03(金) 17:57:34
(無題)
図書館に毎月送られてくる広報誌は、目次には目を通すやうにしてゐる。

「學鐙」Vol.102(2) 18-21p「立原道造と建築」鈴木博之氏は今度の新全集の編集に係ってをられる一人。
例の「ヒアシンスハウス」のことを、“とてもとても純粋ではあるけれど、少年らしい欠点だらけの小屋”で“隠者の庵ではなく、少年の秘密基地に近い”と記されてゐる。云ひ得て妙なり。

43やす:2005/06/07(火) 07:51:05
新村堂書店古書目録
新村堂書店古書目録到着。
相変はらず手の出ない美濃の漢詩集に加へ、この度は新顔に北條霞亭の詩集が写真入で登場(『嵯峨樵歌』\89,250)。また『雲嶺樵響』は、以前読んだ『月瀬幻影』(大室幹雄著、中公叢書2002)冒頭で、一章を割いて紹介されてゐる静岡・藤枝の“御隠居ポエット”の詩集だ。岐阜でいふなら山田鼎石のやうな詩人かな。
近代詩では再びあらはれた『詩集西康省』の署名本(今度は三好達治宛 \29,400)にドッキリ。 報告をはり。

44岡部悦子:2005/06/08(水) 15:57:32
壷田花子作「夏河」についてお尋ねします
詩の出典と、詩の表記について教えて下さい。
故中田喜直氏が女声合唱に作曲されています。
花根(かこん)が辞書に見当たらず、仮根(かこん)ではないかとの
疑問を持っています。よろしくお願い申し上げます。

「夏河」
水の底なる
オフェリャ様
お優しい姿が映ります
摘みとられ
流されてゆく
水ヒヤシンス

川上では
蛇が首を持ちあげて
上手に泳ぎます
裸の黒い天使が
水音を立てて
浮ぶ花根(かこん)を
じゃまがります
小さな魚を
掬うために

http://www.ongakunotomo.co.jp

45:2005/06/08(水) 16:05:28
アドレスを書き忘れました
メールアドレスを後送致します。

46やす:2005/06/08(水) 19:59:42
(無題)
岡部さま、はじめまして。
おたづねの作品は
『水浴する少女』壺田花子 第三詩集(昭和22年12月10日 須磨書房刊) 23-24p
に歴史的仮名遣ひで載ってゐました。
御指摘の部分は「花根」(ルビなし)となってをります。
とりいそぎ御報告まで。レファレンスありがたうございました。

47やす:2005/06/09(木) 21:16:57
(無題)
購入の漢詩集、本日到着。
“御隠居ポエット”の詩集、表紙裏は“三都書林発兌(天保庚子=11年春新鐫)”となってゐて、『月瀬幻影』で紹介されてゐる“天均堂蔵(天保10年)”とは異なる後刷りと思しきもの。目録には天保10年と記載されてゐたから、てっきり紹介通りの地方の私家版と思って注文したんだけどちとガッカリ。
『柳湾漁唱』は、以前かわほり堂から売って頂いた端本と合はせて、三冊揃ふのを夢見るやうになりました(♪)。

48やす:2005/06/17(金) 22:45:30
(無題)
日本古書通信No911号到着。人魚の微笑様の予告通り「続署名本の世界」は今月をもって最終回。年内に単行本化される「署名本は語る」は100部限定で\8,000(販売は50部のみ)。抽選応募は一人一枚往復葉書で人魚書房まで。(〒171-0022東京都豊島区南池袋3-9-5-912)

石神井書林目録No.66号到着。
『山上療養館』昭和14年コギト発行所\15,750、『校註祝詞』昭和19年私家版\73,500、『岩魚』カバー欠昭和39年「陽炎」発行所\4,200、『浚渫船』見返欠昭和12年由利耶書店 \8,400などなど。

「絨毯」主宰者平野幸雄氏消息不明の由、中村一仁様のお便りにて知る。氏と通行が無くなって久しいが、私に代はって中村様のやうな浪曼派の血脈を継いだ若い友を得たことを知って、かげながら安心してゐたことでもあった。以前、文通の当時にも連絡が途切れたことがあって、そのときはしばらくして「実は入院してたんです」などと電話口で大笑された翁であったが、独居に加へすでに宿痾を薬で抑へる身であった。「絨毯」もその後何号まで刊行されたかを詳らかにしない。まずもって無事を祈る次第にて、皆様からの情報提供を募ります。

49やす:2005/06/20(月) 12:27:36
業務連絡
今週から三週間断続的に出張に入ります。レス遅れましたらあしからず御海容ください。

50やす:2005/06/22(水) 22:56:29
出張先より
今夜より姫路はゆかた祭とか、屋台で大変な賑はひでした。浮かれた勢ひでせうか(笑)骨董屋さんの店先で星巌の軸を発見、破格だったので買っちゃひました。印譜照合の結果は帰宅後発表。乞ふ御期待。皆で笑ひませう。

51やす:2005/06/24(金) 23:34:01
【今週の受贈書目】
『保田與重郎の維新文学 私の述志案内』古木春哉著、平成17.1白河書院刊、非売品(中村一仁様より)
「近代文学・資料と試論」4号(碓井雄一様より)
 中村さま、碓井さま、ありがたうございました。
ほかに明治古典会七夕大入札会目録、扶桑書房目録など。
古木春哉氏の遺著については、追って思ふこと書きたいです。

 さて購入の掛軸。箱はもちろん風帯・一文字もなければ軸先すら欠けてる逸品です(\8,500だもの 笑)。
関防印が合致してホッとしたものの、残りの印は真贋をどうかういふ前に印譜には未掲載(!)載ってない!うーん、困った。けだし“西征”中には、方々の止宿先で揮毫してゐる間に失はれて伝はらない落款の一、二顆があっても不思議ではない。こりゃ世紀の発見だ、わあい。などと都合のよい想像。ともあれ150年ぶりかに“里帰り”した掛軸を眺めては、ひとり北叟笑んでをります。実に、その、良い・・・「なんとか瞢騰ゴニョゴニョ水晶の燈」読めない(爆)。県立図書館に行って全集を見てきます。

52やす:2005/06/25(土) 21:51:47
掛軸の解読
吟愁和(帶)酔半瞢騰

時(坐)待林梢殘月昇

一陣飛香竹(春)影閃

風花亂撲水晶燈

??吟愁、酔ひに和して半ば瞢騰(ぼうとう)
??時に待つ、林梢、殘月の昇るを
??一陣の飛香、竹影の閃めく
??風花乱れ撲つ、水晶の燈

( )は版本(『黄葉山房集』:嘉永元年12月〜2年8月)所載時の字
『梁川星巌全集』第二巻 94-95p:伊東信編著、昭和32年刊より

53やす:2005/06/30(木) 22:39:49
「立原道造賞」
立原道造記念館から館報34号と企画展の御案内をお送り頂きました。ありがたうございました。企画展では来簡として保田與重郎や田中先生(全集未収録)も展示されるとか。とまれ館報の誌面後半を飾り、本草書誌学的薀蓄を全開するりょくと様の一文「詩集の彩り 風信子追録」に瞠目です(書影があったらなほ楽しめるものになったでせう)。また日経アーキテクチュア主催の「立原道造賞」はすぐれた意匠の設計を応募した若手建築士に与へられる新設の賞。職場の大学の住居学の学生およびOGの皆さんには是非チャレンジしてほしいですね。

54やす:2005/07/10(日) 16:50:29
追悼
 串田孫一氏の訃報(8日)を新聞で知り、昔頂いた詩集の礼状を取り出してながめる。
 最初の詩集はいろいろな詩人に献呈したが、現在高名にして、温かいメッセージを添へて励まして下さった先輩はすくなく、封筒が再生手作りのものだったことも含めて、とてもカンゲキしたことだった。思ふに二十代のみぎり、わたしが霧が峰高原や那須岳周辺まで足繁く散策に通ったのは、すでに信濃追分では感じられなくなった戦前の四季派的山麓風景を、戦後の山岳地帯の自然に置き換へて、その詩情の開拓者であった串田氏や尾崎喜八の著書を通じて索め、慕ったからではなかったか。それは未知なる追体験といふより、かつて幼年時代、父の持ち物だったスキーの革靴やチクチクするセーターやの、ワックスの匂ひがする想ひ出にまで繋がる。謂はばいみじくもこの手でつかみ得た四季派詩情の尻尾でもあったのである。
慎んで哀悼の意を表します。

55やす:2005/07/11(月) 12:24:28
(無題)
梁川星巌の掛軸。例の、 『梁川星巖先生印譜』未掲載の二顆を捺したものが、Yahooオークションに出てるのを発見。
印の組み合わせやサインの筆跡までそっくり。
こんなの見てるとオークションに参加したくなります。

http://page10.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/m16358227

56やす:2005/07/14(木) 23:03:48
日本古書通信912号
日本古書通信912号本日落手。人魚の嘆き様連載「続署名本の世界」の余談として、近来の“大発見”について詳細が報ぜらる。偶々オークションで手に入れた『一握の砂』並本の、何故か糊付けされてゐた見返しをはがしたら、なな何と、啄木の尾崎行雄宛とおぼしき署名が現はれたといふもの。前の所蔵者は気がつかなかったのかしら? それとも由来に曰く付きの本?? 当の人魚の嘆き様は「いーや、曰くがつくなら此度の連載をミューズに嘉せられた我に付くべし」などと(笑)。しかしこんなこともあるんですね〜。ますますオークションに参加したくな・・・我慢がまん(汗)。

目録では新村堂書店からコギト1〜131号(123号欠)130冊の合冊が \136,000。
また新岐阜百貨店からも古書目録届いたけど・・・今回はみるべきものなし。しかも会場の新岐阜百貨店は今年で廃業。近鉄に続き、岐阜で古書展をするデパートが潰れてゆく。来年からどこでやるのかな。

57やす:2005/07/22(金) 11:41:44
業務連絡
小山正孝氏の御遺族より『未刊ソネット集』小山正孝著 -- 潮流社, 2005.7, 451p.
をお送り頂いた。本日よりしばらく家を留守にするので、帰還後には感想を記したい。取急ぎ御礼を申し上げます。ありがたうございました。

58やす:2005/07/27(水) 00:09:17
北海道より
本日、札幌弘南堂書店をめぐる。収穫『近世儒林編年志』昭和18年ほか。にこにこ。

59中村一仁:2005/07/27(水) 23:35:34
思ひ出の弘南堂書店
やす様

ご無沙汰致してをります。北海道旅行の最中でせうか。どうぞよいご旅行とならんことをお祈り申し上げます。

北大前の弘南堂書店、本当になつかしいですね。学生時代、毎日のように店を冷やかしてゐたのが思ひ出されます。正門近くの南陽堂書店とはご主人同士が兄弟といふ、北海道を代表する古書店ですね。私は昔、弘南堂で角川の『丸山薫全集』を購入しました。桶谷秀昭氏の『中野重治 自責の文学』や『保田與重郎』を、当時としてはずいぶん高い値段で買ったのもここでした。

もし時間があるなら、札幌の石川書店や並木書店など、丹念に廻られることをお勧めします。敗戦後、東京の印刷所が焼けてしまつたため、札幌の印刷所で刷られた文学書が少なくないせゐもあり、黒つぽい本に意外な拾ひ物があるかもしれません。それと、北海道は淺野晃の友人知人が多い場所だつたせゐもあり、歌集『廣原』や詩集『光の中に歩む』など、淺野の稀覯本が信じられない廉価で売られてゐたりします。『幻想詩集』なんかも、どこかに転がつてゐるかもしれないですね。

私は8月上旬に、北海道に足を伸ばして小樽で寿司やウニ丼、海賊蒸しなんかをたくさん食べてくるつもりです。淺野晃宛書簡翻刻のことは「昧爽」に書くつもりです。ではまた。

60やす:2005/08/01(月) 22:44:28
『保田與重郎の維新文学』
『保田與重郎の維新文学 私の述志案内』古木春哉著--白河書院, 2005.1, 193p.非売

 先達て中村一仁氏を通じてご恵送頂いた本書は、著者が一期の決算として、自ら旧著(『わびしい来歴』1976)に増補改題を施したものが、そのまま遺稿集として刊行されることとなった、非売品の一冊である。
 跋文で、谷崎昭男氏が在りし日の著者について、日本浪曼派の研究者ではなく「あくまでそれを恢復といふかたちで行為しようとしたひと」であったと偲び、また「厄介な氏の稟質」が凝ったやうなその文章に至っては、「読者はその難解をむしろ労はるのがつとめである」とまで書かれたのは、四十年来の友情に応へて最も本書の意義を伝へるくだりであらう。それほどにも著者が信奉した保田與重郎の文体に擬へた本文は、しかし述志の気迫が含羞の韜晦をともなひ、たいへんに読みづらい。日本浪曼派へのオマージュであったればこその「姿勢」なのだが、けだし「研究者ではなく、あくまでそれを恢復といふかたちで行為」するとは、作家を分析するのではなく、作家とともに世間の俗を暴き立てるといふ、日本浪曼派独特の批評流儀のことを指すのであらう。ならば、保田與重郎のやうな述志と韜晦を極めた批評それ自身に対するオマージュとは、同じ方法によってはあり得なく、むしろ師の自らに対する架空の批評に鼓舞されつつ、歌なり詩なりの実作によって鬱屈を昇華させるのが素直な発露ではなかったかと、その文章から立ちのぼる人となりを思って惜しんだのである。ひとから「日本浪曼派運動史」を書くやうにすすめられて憤ってみせるところ、清貧の私小説家の父を持つといふ運命のもとに出発した非職業文筆家(ディレッタント)たる著者において、確かにいろいろなことが秘匿・優遇・免責されるかもしれないところに、一種の「甘え」はなかったらうか。
 と、云ふは易いが、翻って私にとっても切実な課題が横たわってゐるから敢へて云ふ。「日本浪曼派」を「四季派」なり「戦前抒情詩派」とすれば、かうした批判はそっくり自分に突き刺さるからである。
 もっとも私かに歌集や詩集はおもちだったかもしれない。
 著者が自らの中学校時代を振り返り、戦中は自分のことを戦争協力に協力的でない要注意人物と刻印したやうな校長のことを、戦後、数を恃んで押し寄せてきた同級生達から弾劾されようとした時に、反対に擁護に働いた、といふエピソードを興味深く読んだ。ここには「より公共的な戦争協力を当為と感じてゐるやうな狷介年少の詩人」――いつでも多数派の中に俗悪を見出さざるを得ない宿命としての「天の邪鬼」たる著者の面目が躍如してゐる。彼が味ははなくてはならなかった失意、天性の浪曼派ゆゑに陥らざるを得ない敗者の誇りとその結末について、もっともっと身近の言葉で語って頂きたかった気がする。
 御冥福をお祈りします。


>中村一仁さま
 といふわけで、北海道より帰還しました。入れ替り、ウニ丼食べに出発されたでせうか。私もおいしいもの食べすぎてたいへんなことになってゐます。「札幌の印刷所」…とは、青磁社などのことですね。
  弘南堂書店には『山羊の歌』函付90万円也が飾ってありました。
「かつては全く見ない本だったのに、ここ何年かで十冊ほど出たんですよ」とは御店主のお話。函欠瑕物ながら今年我が蔵儲に帰することとなった一本も、そのどさくさのおこぼれに与ったといふわけであります(♪)。

 仕事や受贈の御礼などひとつひとつ片付けてゆきます。暑くて死にさうです。

61やす:2005/08/03(水) 19:25:00
『朔』156号
八戸の圓子哲雄様より『朔』156号をお送り頂きました。前号につづいて、特輯は青森の郷土詩人一戸謙三(筆名:一戸玲太郎)。「もはや忘れたい過去」として「詩人自らの手で葬られた」初期の未刊詩篇の数々。『ねぷた』の郷土詩と『詩鈔』におけるモダニズム詩しか知らぬ私にとって、もうひとつの(そしてもっともなじみやすい)横顔でありました。言及されることが少ないマイナーポエットの詩史上における位置や意義について、新出資料に基づき坂口昌明氏が解説される手際に敬服します。ありがたうございました。

後記にて平野幸雄氏の訃を知りました。いつ亡くなられどのやうに伝はったのか、圓子様にお聞きしたいと思ひます。

62やす:2005/08/04(木) 12:47:41
(無題)
新宿京王古書展の均一台(?)に拙詩集あらはるとの彭城矯介様よりの情報。
出品は関西の古書店で・・・ほかにも「詩集歌集句集がかなり沢山」といふことは・・・平野翁の蔵書が処分されたのかもしれない。

63やす:2005/08/09(火) 20:13:17
山上銷夏
今夜は信州鉢伏山の山荘にて一泊。むかし詩を書きに来た山に十余年ぶりの来訪です。食事どきには鹿の親子に窓から覗かれ大喜び。しかのみならず(笑)山小屋のワンちゃんとはお友達になったりして。

64やす:2005/08/14(日) 23:10:42
平野幸雄氏と「絨毯」のこと
 京都の平野幸雄氏がなくなられた。日にちについてさへ今つまびらかにしない。音信が途絶して二年近くなるが、その後中村一仁様より消息を仄聞して秘かに安堵してゐたことでもあった。追悼の意を表するとともに、茲にあらためて思ひ出されることを書いてとりとめもなく偲ぶこととしたい。
??13年前の平成4年、東京から帰郷して間もない頃にさかのぼる。「自分の雑誌でぜひ田中克己先生の追悼号を出したい、ついては師の晩年に一番近くあった者としてあなたにも何か回想を書いてほしい。自由に、何枚でも構はないから。」との趣旨で、ある日突然、未知のひとから手紙が届いた。電話だったかもしれない。その際自己紹介代はりに送られてきた雑誌(?)は、定型封筒に収まるやうレイアウトされた片々たる縦長のパンフレットで、であるにも拘らず、小高根二郎、浅野晃とすでに刊行された追悼号への寄稿者が、中河與一、森亮、中谷孝雄といった錚々たる人たちであったこと。またたった100部余りを年に1,2冊のペースですでに30号余りも出してゐるなんて、なんと息の細い長い雑誌なんだらう、と、ライフワークであるその風変はりなリトルマガジンの存在に驚いた。そして当時「田中克己追悼」と銘打って全特集を組む気配のなかった巷の詩誌に慊らぬ思ひを抱いてゐた私は、迎へて下さるところがあるなら一度思ひの丈をすべて吐き出してみよう、といふ気になり喜んで書かせて頂いたのだった。この寄稿は結局連載となって四回続き、以後文のみならず詩の依頼も受け、おだてられた私は、浪曼派作家および戦中派世代の不遇を切々と喞つ手紙とともに、この奇特な非売雑誌「絨毯:じゅうたん」の寄贈に与る「若い客人」待遇となったのである(序でながらいふと、印刷所だった文童社も、かつて詩誌「果樹園」を印刷してゐた浪曼派と縁深い印刷社であった)。
??それから平野さんは、私が担当することとなった『田中克己詩集』編輯の際に、短歌をどうして収めないのか、自費で印刷するから既刊分だけでも「栞」として綴込ませて頂けないか、と態々申し出され、詩以外を他日に期すつもりだった私の方針をゆさぶった。この御厚意に甘えることで結局、全歌集について中途半端に已んでしまった責任は、お世話になった刊行元潮流社の八木社長が不快の意をもらされるまでもなく、全て編者の私に帰するものであって、亡き先生、御遺族のみならず平野さんにもお詫びしなくてはならぬ不明についてあらためて記しておきたい。
??しかしながらこのリトルマガジンに寄せた文章が、その後拙サイトを立ち上げる際にはコンテンツの核となったのである。二冊の詩集を出しても反応は続かず、同人誌の参加にも意欲がもてなくなってゐた私に対して、さらなる作品を求めて下さったのも実に平野さんだけであり、寄稿詩に恥じぬものを選り抜き掲載して頂くことでピリオドを打ち、私は自らを孤独な詩作から解放させる方途としてその後インターネットにひらかれていったのである。パソコンとは無縁の方だったが、その際にも平野さんは「ホームページを宣伝しませう」とて「絨毯」の裏表紙に大きく紹介文を載せて下さったのだった…。
??平野さんとの通行が途絶えたのは52号を出された平成14年の春以降のことである。微々たる小額の借用と律儀な返済を何度も繰り返されるので、私がこれで終りにしませう、今までお世話になってゐるのですから返却はお気遣ひなく、との返書を認めたからであった。古書価の暴落がはじまりいろいろな全集が安くなって古書店の店頭に出てゐると、矢も盾もたまらなく買ってしまはれるらしかった。さりとて物に執着される風はなく、「この新刊まだ御存知ないでせう」と、浪曼派関連の恵贈本を突然送って下さったりする。だから無心のことも、或は手紙を寄せる口実だったのかもしれない。その以前にも一度、半年ほどのブランクの後に電話で、しばらく入院してゐたことや、「実はガンなんですけど歳だから薬で抑へてをれば平気なんです」と明るく笑って話される平野さんだったから、中村一仁さんから、その後も「絨毯」が刊行されてゐる事とともに、平野さんが相変らず元気である様子を知らされる機会を持つやうになると、私は平野さんとの疎隔にはじめて気付くとともに、しかしむしろこれを汐に、後は新しい若い友に頼むこととして、私はホームページで広がり始めた新しい繋がりのなかへ進んで、深刻に気遣ふこともなくなってしまった。平野さんの好きな話題について書けることが少なくなったので、自分は用済みとなりそれでよかったのだと一人合点したのである。
??二度も直接お会ひして話し込む機会があっにも拘らず(一度は京都駅で、一度は岐阜まで来られ、山寺の庵にご案内したかと思ふ)、家庭の事情に立ち入ることをしなかったから、御家族のことは存じ上げない。一兵卒として帰還された後、戦後は京都撮影所関係のお仕事に就かれ、今は年金暮らしの気楽な独居であることをお聞きしたが、その遺志と蔵書の行方を知るすべは無く、長らく「編輯中」と予告されてゐた御自身の歌集『マレオテイスの野』もどうなってしまったかわからない。先達て古書展で関西の古本屋さんから大量の詩集歌集句集が出て、なかに私の詩集を発見したと報じて下さる方があり、もしや平野さんの蔵書では、とも案じられたが、いったい何を案じたものか理由も資格もわからぬままに、今は御冥福をお祈りするばかりとなった。明日は毎年のやうに手紙で平野さんが不満をもらされた「大東亜戦争」の「敗戦記念日」である。

65中村一仁:2005/08/15(月) 00:37:14
哀悼 平野幸雄氏
やす様

平野さんへの追悼文、謹んで拝読致しました。本当に、あの方こそ現代の畸人であつたと今にして思ひます。「昧爽」の第9号には間に合ひませんが、第10号あたりで追悼文を書かうかと考へてをります。保田與重郎の高弟で新学社元社長の高鳥賢司さんの一年祭の前日、JR京都駅で目印の保田文庫の『日本に祈る』を持つた私を迎へてくださつた、あの小柄で痩身の平野さんの姿が今も忘れられません。駅の隣のホテルのロビーで伺つた、伊東静雄夫人の花さんが保田を偲ぶ「?火忌」に数年前まで参列してゐたといふ氏の証言を、今日に到るまで自分の手で明らかにしてはゐませんが、淺野晃を批判する梅原猛氏への反感などは、戦後といふ時代を耐へて生きてきた人の言葉と受け取つたものです。「日本及日本人」に日本浪曼派論あるいは保田論を書かれてゐるので、できればそれを「昧爽」に再録する形で追悼したいものと考へてをります。それにしても、こんな言ひ方は失礼かもしれませんが、亡くなつた日にちすら明らかでないといふのは、実に謎の多い人であつた平野さんらしい御最期と思はれます。

話は変はりますが、穂別町の淺野晃資料室に、やすさんが昭和末に淺野に書き送つた葉書がありました。その他にも、芳賀檀や清水文雄、蔵原惟人や門屋博からの書簡に興味深いものがありました。次はまた冬に行つてくるつもりです。勇払時代の苦渋と悲哀がしみこんだやうな詩稿ノートには言葉もありませんでした。これらもやはり翻刻せねばと思ひました。乱筆乱文ご容赦ください。

66高林ゆきよ:2005/08/18(木) 11:14:59
(無題)
中嶋さま

はじまして!突然の書き込み、失礼いたします。

本日、祖父の名前で検索をかけましたところ、貴サイトの
http://libwww.gijodai.ac.jp/cogito/library/00/toukaishishu3.html
「東海詩集」にて、私の祖父「高林清一」の詩が掲載されていることを
発見しました。

私の祖父は、昭和のごく始め、若いときに上京して佐藤春夫の主催する詩の会に
入門したようです。
貧しさのため尋常小学校しか出ていない祖父にとって、高校生、大学生が闊歩する
東京はヒリヒリするほど刺激的でもありながら、同時に劣等感と対峙せざるを得ない
場所だったようです。

その後故郷の富山に帰って公職につき立身出世し、富山で同人活動をしておりました。

祖父は私が8歳のとき(1984年)に他界しましたが、死ぬまで文芸、とりわけ詩への
情熱を失いませんでした。74歳でした。
祖母は非常に嘆き悲しみ、見るのも辛いと手書き原稿などを祖父の衣服や私物とともに
処分してしまったそうです。

私が成長して祖父の詩が掲載されている同人誌や、原稿、ノートなどを見たいと
思ったときに、ほとんど残っていないと聞かされて非常に残念な思いをしました。

「おじいちゃん子」だったためか、今でも時々、思い出したように祖父の名前を
検索しているのですが、祖父の詩がのっている同人誌(しかも初期の物)の存在を
知っただけでなく、実際の詩まで読むことができて本当にうれしく思っております!

現在私の手元にある祖父の作品といえば、有志の皆様に出していただいた遺稿集と晩年
富山で出されていた同人誌への寄稿分ぐらいしかありません。

晩年の祖父の作風は、郷土愛あふれる落ち着いた叙景詩ですが、遺稿集で読む限り、
若いときの作風はかなり屈折した「朔太郎風」です。
「東海詩人」での詩も、そういう若者くささが滲みでていていました。
優しい人格者の祖父、昔話や世界の童話を読んでくれた祖父、という記憶しかない私
にとって祖父の青春の屈託を垣間見ることができるのは、非常に感慨深いのです。

長文になりましたが、本当にありがとうございました!
これからも、お邪魔させてください。

mayamaya6@excite.co.jp

67やす:2005/08/18(木) 18:04:05
『東海詩集』と「東海詩人」
>高林ゆきよ様
 はじめまして。管理人の中嶋康博@【やす】です。
 戦前の東海詩集(東海詩人協会刊行 第三集)所載詩人、高林清一氏の御遺族であられます由、ここにあらためて掲載につきまして事後承諾をお願ひ申し上げますとともに、このたびはホームページの管理者冥利につきます御挨拶を賜り、現在閲覧が難しいこのアンソロジーを公開してよかったと、たいへん喜んでをります。今後ともなにとぞよろしくお願ひを申し上げます。
 巻末を見ますに、富山県からはこの第三集刊行時のただひとりの新会員として紹介されてゐますが、住所は氷見のままですね。この後、詩心やまず単身上京されたものでせうか。当時の東京が“ヒリヒリするほど刺激的でもありながら、同時に劣等感と対峙せざるを得ない場所”だった、といふのは世代を超えて、(出身は岐阜ですが)卒業後あてもなく同じく富山から上京した私にとっても、切ない実感です。お祖父様もまた、思ひつめて先生の門を敲かれたのかもしれませんね(それ私でした 笑)。
 ありがたうございました。


>中村一仁さま
 淺野先生に書き送つた葉書・・・。うう。そんなもの捨てられずに残ってゐたんですか。たしか封書も『随聞日本浪曼派』の感想を、対話者とのちぐはぐなやりとりを、小賢しく論って認めた覚えもあります(赧顔)。


 さきに“モダ隊隊長” JINさまより、貴重な岐阜市の戦前詩誌「東海詩人」をお送り頂きました。御礼とともにここに謹んで公開致します。ありがたうございました。尤も詩誌は、東海詩集・東海詩人協会とは縁もゆかりもありません。・・・過去の栄光にあやかったのかな。モダニズム系の吉川則比古(高山)や杉浦伊作(愛知)を招待詩人に迎へ、またこれも同人に名を連ねてゐないのに、瀬尾貞男が後記のトップで「さて何を書かう」なんて格好つけてるけど、結局2号以降は出たのだらうか。ともあれ岐阜詩壇の特徴である歌謡調、を脱しようと「まーんまかまか・・・♪」表紙のカットがいしいひさいち風でかわいい(笑)。

http://libwww.gijodai.ac.jp/cogito/library/gifu/tokaishijin1.html

68高林ゆきよ:2005/08/19(金) 09:47:07
高林清一について
>やす様
お返事ありがとうございます!やす様も富山ご出身とは!私は氷見出身(現在は東京です)
なので、あまり岐阜に行くことはなかったのですが、実は近いんですよね。岐阜と富山。

昨日祖父の年譜を見てみますと、東海詩集に投稿したまさに翌年、上京している
ようです。14歳ぐらいから地元で詩や文芸の同人をやっていたよう。

昔の子は早熟なんですねぇ。それとも、詩というのは現代の「バンド活動」みたいに
若者の間ではカウンターカルチャーの一つとして捉えられていたのでしょうか?

市役所の書記をしつつ詩を書いていたようです。東京に来てからは都庁の小使い(?)
をやりながら、詩人で身を立てることを目指していたようですが。
しかし、様々な挫折感からか2年足らずで京都に行き、東本願寺に勤めたそうです。
小僧さんか何かでもやっていたのでしょうか・・・。謎です。

昨日のわたしめの書き込みに、大きな誤りがありました(汗)

×佐藤春夫門下に
○佐藤惣之助門下に

です。惣之助は学校に行けなかったような若者に「詩の家」という同人会を作って
作品を発表させていたようで、祖父もそこに参加したそうです。
祖父が富山に帰ってきてからは、惣之助が2回訪問しています。

69やす:2005/08/19(金) 20:04:39
詩人高林清一について 2
>高林ゆきよ様
 さうですか、佐藤惣之助門下!
 この掲示板を覗いてゐるひとで「詩の家」と聞けば俄然モゾモゾし始める御仁が何人もゐるんですよ(笑)。失はれた資料は実に惜しいことをされました。詩集こそ出てゐませんが、当時の雑誌「詩之家」にはかなりの作品と文章が載ってゐるやうですね。昨日のレスで触れた吉川則比古、瀬尾貞男といった詩人たちと、まさに毎月作品を競ひ合ってゐた仲間であったことも今更ながら気づきました。
 『現代詩誌総覧』(日外アソシエーツ刊)索引をもとに、確認できる収録詩文を拾ってみました。お祖父さまの足跡を探索される際の御参考になれば幸ひです。

「詩之家」より
第3年第4輯(1927.4)「父と子」18p
第3年第4輯(1927.4)「入家の言葉(『詩之家』壁書)」18p
第3年第7号(1927.7)「上庄川畔にて」24-25p
第4年第1号(1928.1)「水上の影」25-26p
第4年第1号(1928.1)「蟹」26p
第4年第1号(1928.1)「新しい生活者(壁画)」46-47p
第4年第4号(1928.4)「百姓」33p
第4年第4号(1928.4)「跪く者」33-34p
第4年第6号(1928.7)「一つの円の中へ」13p
第4年第6号(1928.7)「春の景色」13p
第4年第6号(1928.7)「展望」13p
第4年第9輯(1928.10)「美映」20-21p
第4年第9輯(1928.10)「美映」20-21p
第4年第10輯(1928.11)「半獣神」34-35p
第5年第1輯(1929.1)「半獣神(『詩之家』十一月号寸評)」42p
第5年第1輯(1929.1)「感動思情集」48-49p
第5年第1輯(1929.1)「扇子と蝿と少女」49-50p
第5年第7号(1929.7)「氷見鰯」5p
第5年第7号(1929.7)「オレンヂ色の風景」5p
第6年第4号(1930.4)「西方・丸亀市にて」9p
第7年第1号(1931.1)「上野の風景」66p
第7年第1号(1931.1)「首振り人形」66p
第7年第1号(1931.1)「秋」66p
第7年第4号(1931.4)「小卒男の歌☆失業する宗教 血の火花」34p

「詩神」より
第3巻第8輯(1927.8)「空・雲」55p

「椎の木」より
第3年第4号(1934.4)「春」55p

 残念ながら復刻が未だ無い雑誌なので、どんなものか知るためには所蔵の 神奈川近代文学館まで出向くかコピー依頼をする必要があります。しかし東京にお住まひでしたら近いですね(私は出身は岐阜(出生のみ名古屋)なのですが富山の大学を経由して上京、再び故郷へ戻ってきた「変形Uターン組」です)。
 また、当時の同人誌活動が“現代の「バンド活動」みたいに若者の間ではカウンターカルチャーの一つとして捉えられていた”とは、云ひ得たりです。富山時代には「裏日本」といふ雑誌を編集され、2輯までは出てゐたやうですが(「詩之家」第3年第3輯(1927.3)、および「詩魔」10輯(1927.9) 掲載広告より)、昭和2年3年の発表活動をみるに、実にはじけてます。もっとも上京してからは失意も経験されたとのこと、役所勤めを通じて、たとへばシャルル・ルイ・フィリップにあこがれた詩人大木実のやうに、詩風も順次落ち着かれて行ったものでありませうか。ともあれ経歴に謎のあるお祖父さんをもってるのは、一寸した優越感でもありますね。失はれた資料は実に惜しいことをされましたが(くどい 笑)、お祖母様の苦労も偲ばれるやうです。それでは。

70やす:2005/08/25(木) 22:50:44
詩人山川弘至について
 今年は戦後60年、つまり敗戦間際に無念の死を遂げた詩人たちの60回忌でもある。
 郷土出身の日本浪曼派詩人、山川弘至もそのひとりで、今年になって遺歌集・詩集が刊行された由、未見の方からメールにてお知らせ頂いた。さきに書簡集を刊行した桃の会からといふことで、続いて遺文集も出るらしい。
 奥美濃の郡上郡高鷲村には 記念館もでき、遺品資料が公開されてゐるといふ。
 書誌など詳細が分り次第、また紹介したいと思ひます。

71中村一仁:2005/08/28(日) 04:06:01
ご存じかもしれませんが…
やす様

時下ご清祥のこととお慶び申し上げます。
もう少し、終戦が早ければ、この人は生きて戦後、その才能を開花させてゐたであらうに…と思はせる人の一人に、山川弘至がゐます。折口信夫門下であるとともに、保田與重郎に傾倒した彼の文業が、書物の形で少しでも多くの人に知られるのは喜ばしいことだと思ひます。

ご存じかもしれませんが、この夭逝した詩人の御令室が歌人の山川京子氏です。「桃の会」の主宰者として、淺野晃とも交流のあつた成田れん子に短歌を指導した方でもあります。敗戦後、その山川京子氏のもとを一人の青年が訪れます。青年は「保田與重郎先生に活動していただくために雑誌を出します」と告げました。占領下であり、言論は抑圧されてゐる上、費用はどうするのか。山川氏がそのことを尋ねると、青年はひるむことなく「石鹸を売ります」と答へたさうです。保田與重郎のためなら、そして祖国のためなら何でもするといふ覚悟をこの青年から受けた山川氏は「(雑誌は)何冊でも引き受けます」と即座に回答したとのことです。山川氏を訪ねたこの青年こそ、後年、奥西保氏とともに保田を支へて新学社を創立した高鳥賢司さんであり、その「雑誌」がかの「祖國」でした。平成13年8月、高鳥さんの葬儀に山川京子氏が参列してゐたことが、名状しがたい感慨とともに思ひ起こされます。山川氏は戦前から保田と交流があり、これまで断片的に何度か、保田についての思ひ出を書かれてゐますが、女史御本人による本格的な保田論を、特に歌人の立場から書かれた単行本の形で、いつか拝読したいものです。「昧爽」の定期購読者の女性に山川氏のお弟子さんがをり、その方のご紹介状をいただいた上でお許しが得られたら、山川氏に保田や淺野のこと、そして若くして逝かれた御夫君のことについて、インタビューをさせてもらひたいとも考へてをります。

末筆ながら、残暑やら台風やらで体がをかしくなりさうですが、御自愛専一に願ひ上げます。

72やす:2005/08/29(月) 23:02:27
山川弘至の遺稿集について
 中村一仁さま
 残暑も当地ではひと段落してやうやく秋の気配です。フォローをありがたうございます。
 本日山川京子様より、山川弘至の遺稿歌集『山川の音』および遺稿詩集『こだま』をお送り頂きました。和歌の良し悪しが判定できない凡骨ゆゑ、桃の会をめぐる歌壇の現況等についても詳しくありませんが、さきに同会より刊行された『書簡集』では、詩人の最後の手紙に滲んだ無念に、粛然と息を飲む思ひ致しました。
 このたびも、特に郷土とのつながりにおいてどのやうに美濃の自然を心のふるさととして享けてゐるのか、といったところを興味の中心に、ゆっくり時間を割いて繙きたく(実はまだ小山正孝遺稿集について感想を書いてる最中。汗)、また紹介だけでなく一言なりとも感想が書けましたらここに掲げ、パソコンをされないと仰言る京子様にもお知らせ申上げたく存じます。

【照会先】 桃の会:〒167-0051東京都杉並区荻窪3-29-16
ヤマカワヒロシ【山川弘至】『山川弘至書簡集』1991/桃の会/351p/17.6×10.5cm/非売
ヤマカワヒロシ【山川弘至】『山川の音(遺稿歌集)』2005/桃の会 /182p/17.6×10.5cm/非売
ヤマカワヒロシ【山川弘至】『こだま(遺稿詩集)』2005/桃の会/281p/17.6×10.5cm/非売

73やす:2005/09/01(木) 21:24:19
中原中也の写真
もうご存知の人には失礼。高森文夫氏の遺品からみつかった 初公開写真。
全集が新しく出ると必ずこんな風にあとから出てくる。ぼくは知らなかったなあ。
消えないうちにとりこんでおきませう。
しかし詩人の顔を下から写真撮ると(立原道造もさうだけど)、幸うすく写るね。


四季派の外縁を散歩する(第8回) updateしました。

74やす:2005/09/05(月) 22:34:32
古書・古本フェア
今週名古屋駅のJR高島屋10階催事場で古書展がひらかれるさうです(9/7〜9/12)。目録もなにもなく本日いきなり(緊急案内)の葉書が舞ひ込んで来たんだけど、どこの本屋が参加するとかも不明。土曜日にあそびにゆくかな。

75やす:2005/09/12(月) 12:43:53
(無題)
日曜日に覗いた古本フェアは、すでに売れてしまったといふより肩透かしの感じでした。

先週は扶桑書房さん(〒162-0837東京都東京都新宿区納戸町7LM納戸町104)の古書目録から詩集を買ふことを得、戦前の尾崎喜八の詩集を揃へることができました(記念に詩集の書影をupしておきましたので御覧下さい)。
以前にも何度かふれましたが、戦前の文学書、詩集、雑誌のバックナンバーを、ありがたい価格で、安定して供給して下さる、地方の愛書家には一番に御紹介したい目録の古本屋さんです。ここにても御礼を(笑)。

76やす:2005/09/15(木) 21:55:49
『反響』復刻版
本日図書館に届いた宣伝から。
http://homepage2.nifty.com/TIKURINKAN/86000-090-0.html

77やす:2005/09/21(水) 17:54:03
古書目録より
趣味の古書展 木本書店 No.2173 『館柳湾』巻町双書16集 渡辺秀訃英 \4,000
古書里艸55 No.2998 『海鴎詩刺』菱田海鴎 \15,000

古書里艸は戦前詩集が載らなくなったけど江戸漢詩文がいろいろ。

78やす:2005/09/26(月) 19:50:51
(無題)
立原道造記念館から館報35号と企画展の御案内をお送り頂きました。ありがたうございました。
企画展2005.10.1-12.25 秋季企画展「立原道造・建築家への志向?“立原道造賞”創設を記念して」

この連休は漢詩文に親しみ、明日から出張です。

79やす:2005/10/06(木) 21:48:04
東京より
明日の出張用務に備へて上京、春以来の懸案だった田中克己先生の展墓を終へてホッとしてをります・・・。

80やす:2005/10/07(金) 23:15:56
只今帰還
今回の上京、やれやれ良い本は買へたけれど、新旧の友人とは久闊を叙す能はず。お茶飲んで閑談したかったのになあ。うーん、へこまないくさらない。

81やす:2005/10/14(金) 18:22:06
今週の古書目録から
今月の「日本古書通信」No915、新村堂書店出品の『嚶鳴館詩集』三冊が \60,900とか。
続いて神田古本まつりの目録も到着、巻頭写真版ではかわほり堂(kawahoridou@r2.dion.ne.jp 03-3292-1623)から、『黒衣聖母』1921函少痛印 \12,000『若いコロニイ』1953函署名入 \25,000などが、超破格で紹介されてゐます。
ことにも統治下朝鮮で刊行された稀覯詩集『幽鬱なる信號』上田忠男,1927年)なんてのは、どんな本なんでせう(\36,000)。同じ150部の稀覯詩集でもこちらはこのたび公開〜♪。

82やす:2005/10/15(土) 00:36:05
『昧爽』第9号
 今週はまた『昧爽』第9号を落掌。
 一番の読み物は中村一仁様の「伊藤千代子書簡の公開への感想」でした。「浅野晃ノート」の「番外編」とうたってあるやうに、これは浅野晃の最初の妻にして、夫の転向に錯乱し精神病棟で非業の死を遂げたといはれる伊藤千代子について、昨今の顕彰事業にまつはる政治的な思惑に対する感想(不快感)が述べられてあります。さうして彼女を論じた文献や、詩人が彼女のことを偲んで歌った『幻想詩集』を引き合ひに出しながら、結局彼女が「官憲の弾圧によってではなく、かつて自分が指導したマルクス主義のイデオロギーの呪縛によって死に追ひやられ」たこと、もっといへば「自分が指導したマルクス主義のせゐで千代子を死なせてしまったといふ強い自責の念」といふ、些かも転向に関しては恥じるところの無い、それ故に贖罪のかなはぬ詩人の胸中を、代弁して記してゐます。伊藤千代子の顕彰事業は、検索すればネット上でも簡単に見ることが出来るわけですが、その趣旨をそっくり覆してなほ彼女の姿を傷つけず、むしろ彼女ひとりの無念に対して打たれるがままになりたいといふ真心が、日本浪曼派なんだと云へるでせう。そして実は今回のテーマこそ、「人間浅野晃論」を描く際には最も大切な公私の勘所、つまり戦争で逝った者達への「鎮魂」と共に、もう一方の衷心に秘すべき「詩人の想ひ」であるのかもしれません。中村様はさらにこの問題について、再婚以来永年の苦楽をともにしてきた妻に即して、詩人の「現実」にもしっかり触れてをりますが、この真心がメソメソにみえてしまふ「オチ」を含めて(笑)今後もっと書いて欲しい、読みたい気持がしたことであります。
 ここにても厚く御礼申し上げます。ありがたうございました。

『昧爽』第9号特集「戦争と藝術」2005,9,28 84p \700 編集部(nahoto@wf7.so-net.ne.jp)

83やす:2005/10/19(水) 22:31:04
石神井書林目録67号
本日、石神井書林目録67号到着。
ずーと欲しかった半谷三郎の 『發足』が出てゐます。・・・・・・(涙)あきらめませう。
今週はすでに『漢文学者総覧』『近世藩校に於ける学統学派の研究(上)』と、また訳のわからないものを顰蹙とともに買ってをります(タメイキ)。

84やす:2005/10/20(木) 20:18:30
最後の古書の市
前に新岐阜百貨店の閉鎖のことを記しましたが、本日到着の第7回古書展目録にはなるへそ「最後の古書の市」と銘打ってある。ああーあ。
なんか軸もでるとか。初日は祝日なので太乙と星巌の印譜をもって馳せ参ずる予定。

また先程ゆくりなくもぐれむん様より、福山市鞆の浦歴史民俗資料館の企画展示についてお報せいただく。実におしさしぶりであります。観にはゆけませんけれども図録はどんな感じなんでせうね。楽しみです。

85やす:2005/10/30(日) 15:50:11
只今帰宅
行楽日和の一日、車を飛ばして高鷲の山川弘至記念館を訪問、庵主不在にて見学はできませんでしたが、歌碑を拝み、まだ少し早い奥美濃の紅葉を満喫して参りました。郡上の常盤町には生家も残ってゐる由、またの機会に合せて訪問できたらと思ひます。

86やす:2005/11/03(木) 19:51:41
山川弘至記念館
 行楽日和・・・とはいへなかった一日でしたが、車を飛ばして再び高鷲の山川弘至記念館を訪問、新設される展示室の地鎮祭に30分も遅れて推参仕り候。
 音吐朗々と祝詞が読み上げられるなか、着席の皆さんに分け入り、同じく神妙な面持ちとなって一堂を見回すに…、中央が詩人の弟君、清至氏であることは直ぐにわかったのですが隣の御婦人がてっきり京子未亡人と思ひきや、詩人の妹君とは。それでは東京からおみえになると伺った京子氏の姿は何処…御欠席?え?神主さん?うわあ失礼致しました!(笑) 国学者詩人の妻にして歌人の京子様には、祝詞を奏上するなど何でもないことだったのでした。式後は詩人の御実家にて野生の自然薯を配したお昼を御馳走になり、先日見られなかった展示品の数々もみせて頂き、念願遂げて辞去。
 清至さまを始め御親族の皆様には、厚きおもてなしをまことに有難うございました。
 取り急ぎ茲の場にても“かしこみ畏こみマオス〜”であります。

 新岐阜の「最後の古書展」には帰還後あらためて馳せ参じるも収穫はなし。掛軸屋さんが参加してなかったのも寂しかったです。

87やす:2005/11/18(金) 12:41:03
『和本入門』
今月の「日本古書通信」で知って早速近所の本屋さんへ買ひにゆきました。神田白山通りの古書店、誠心堂の御店主著すところの『和本入門』。古典籍のみを扱ふ高尚なこれまでの書誌学の入門書と違って、とても親切で読みやすいし、現在の参考市場価格なんかが書いてあるのも楽しい。ことにも江戸漢詩に手厚いところに、類書新刊では『江戸の蔵書家たち』以来の充実した読後感を覚えてをります。難は表紙デザインのみ!

88やす:2005/11/23(水) 20:19:53
新村堂書店古書目録81
毎度たのしみな新村堂さんの目録到着。
おお、写真版で『東海詩集 第一輯』(にっこり)、江戸漢詩もどっちゃり。
特筆は、『梁川星巌全集』5冊揃\68,250でせうか。すでに4冊を端本でこつこつ集めてきた人間は、ショックで言葉が出ません…できることなら図書館で買ってあげたいが…たとい岐阜県史上一等偉大な文学者であらうと、国文学科がなくなってしまった今となっては…うう…(何とかならんかなあ)寔に残念であります(涙)。

ともあれ和本の方は実物をみないと納得して買へない代物なので、新村堂・誠心堂級の上物だと近代の無名詩集同様なかなか手の出しづらいところです。むしろ最近はヤフーオークションの掛軸なんかを見てる方が楽しいのですが…これもつらつら眺めてる内にのめり込み、知らぬ間に貴重な休日を過ごしてしまひます。
折角物欲を断つべくこの世界に目覚めたのに・・・これでは修養にならないなあ。

89やす:2005/11/25(金) 12:30:12
扶桑書房古書目録
黒崎書店、扶桑書房、古書里艸、和洋会・・・
年末にむけてこのところいろいろやって参ります。
『青猫』『定本青猫』函付各\15000『随筆山居読書人』袋付\13000。扶桑書房さんの目録は相変らずものすごい品揃へです。でも今回は我慢。といふのも某目録に○○○○や○○○○○が登場、棒給前倒しで購ふつもりです。
舌の根も乾かぬうちにこれはもう物欲のかたまりであります。

90やす:2005/12/04(日) 19:50:22
「近代文学 資料と試論」第5号
 碓井雄一様より個人誌「近代文学 資料と試論」第5号をお送り頂きました。
あつく御礼を申し上げます。碓井氏のライフワーク:このたびは林富士馬の戦後の活動動向を追った『新現実』『三角帽子』『プシケ』の解題目録のほか、米倉巌氏の吉田一穂論考などを併載。
 ありがたうございました。

「近代文学 資料と試論」第5号
         2005.11.30「近代文学 資料と試論」の会刊行  \700

『舞姫』における「虚構」と「現実」            小平 克 1-24p
吉田一穂の白秋観                     米倉 巌 25-36p
芥川龍之介「明治」とその周辺               乾英治郎 37-51p
佐藤春夫『美しき町』論(一)               山中千春 52-64p
林富士馬・資料と考察(二)『新現実』『三角帽子』『プシケ』碓井雄一 65-88p
編集後記 [89p]

91碓井雄一:2005/12/04(日) 22:43:14
(無題)
メールアドレス、消していただきますようお願い申し上げます。

92やす:2005/12/04(日) 23:37:30
お詫び
大変失礼致しました。過去ログもすみやかに対処させて頂きます。御礼は別便にてまた。とりいそぎのお詫びまで。

93碓井雄一:2005/12/06(火) 10:27:37
(無題)
いえ、お速やかな御処置を賜り有り難うございました。勿論、やす様に対する信頼は揺るぎないものでございますが、パソコン初心者ゆえの臆病で、インターネットを、真にご信頼申し上げる方々との間のツールに限って活用したいと思うに至った次第でございます。掲示板、時折楽しく拝見致しております。山川弘至記念館のことなど嬉しく憧れつつ。何卒、今後とも宜しくお願い申し上げます。

94やす:2005/12/07(水) 22:48:45
『湘夢遺稿』と『蘘荷溪詩集』
 碓井雄一さま、今後とも宜しくお願ひ申し上げます。

 本日『湘夢遺稿二冊』と『蘘荷溪詩集五冊』の揃が到着、一足早いクリスマスプレゼントとなりました。『湘夢遺稿』は奥付無し、江馬金粟の跋文が書き改められた再版と思しきもの。大垣市文化財協会による復刻版(昭和35年)の見返しは「湘夢遺稾 春齡庵藏版」であるのに、手許のものは「湘夢遺稿 春齡菴藏梓」となってゐます。序でにいふとこの復刻版、18.7×12.7cmと小さいです。縮小されて復刻されたものか。届いた本は25.1×17.2cmで、方々の図書館を検索して調べたのもこの「美濃本」型である。以前に古本屋の店頭で帙入りを見かけたのはさては復刻だったのかな。
 さてもう一方の『蘘荷溪詩集:じょうかけいししゅう』は、『三野風雅』『南宮詩鈔』に続いて入手が叶った郷土の稀覯本漢詩集です。「袋付き」といふこともあってか大変な出費となりましたが、この杉岡暾桑といふ不遇な詩人、実力を称せられながら、都落ちとも呼ぶべき奥美濃に聘せられて僅か2年で病没、墓誌も子孫も分らず終ひになってしまった先賢の、わが故郷の地名※を冠した遺稿詩集を手にとれば、180年前の姿にもう感無量であります。。
(※山川弘至の故郷、郡上を流れる吉田川はそのむかし茗荷谷とよばれ、読み仮名は「明方みょうがた(現:明宝)」に引き継がれてゐます)

95やす:2005/12/14(水) 12:03:57
初版本はどっち?
 先日御報告の奥付無し『湘夢遺稿』、あれから色々考へてみたのですが、自分の買ったこちらこそ私家版の初刷だった、といふ可能性はないかしらん。といふのも、跋文の江馬金粟の署名は 「姪江馬桂」となってゐるけれど、復刻版では「姪金粟江馬桂」となってゐる。書体も端正である。一体に版を刷り直す際、原版をゾンザイに書き直すものであらうか。版木は遺族所有のままなのに、である。見返しも亦然り、これは市販することになるにあたって丁寧に書き直されたとみることもできるのではないか。それなら見返しがないのも当然(『柳湾漁唱』だって初版の私家版には奥付は存在しないらしい)、などと手前味噌のことを喋繰ってみました。裏をとらなきゃ。

 扨、それはともあれ念願の文机を購入致し、ひとり悦に入ってをります(にこにこ)。

http://libwww.gijodai.ac.jp/cogito/kanshi/saiko/saiko-shoumuiko-fukkoku.html

96やす:2005/12/15(木) 20:35:13
『朔』157号
 八戸の圓子哲雄様より『朔』157号をお送り頂きました。前号、前々号につづいて、特輯は青森の郷土詩人一戸謙三(筆名:一戸玲太郎)。今回は詩人のドイツ近代詩訳出について紹介(1,7-19p)。坂口昌明氏の改題(4-6p)、小笠原茂介氏の考察(2-3p)。
 また類家夕二氏による「小山正孝『未刊ソネット集』から(44-45p)」は、作品解釈の試みと共に、浩瀚な未刊ソネット群からさて何を選び出すかといふ選択をめぐって、今後の後続論文にも資する一石を投じたものです。
 この場にても御礼を申し上げます。ありがたうございました。
     (朔社:〒031-0003 八戸市吹上3−5−32)

97やす:2005/12/22(木) 12:05:06
新刊二冊
1960年生まれの敬愛すべき二先輩が、時を同じくしてクリスマスに新刊を上梓されます。
当ホームページにまつはる関連書籍として、ともに今年最大の収穫であることを疑ひません。
すでにこの掲示板でも度々紹介して参りました雑誌連載や紀要論文を中心にまとめられたものの由ですが、訂正補筆を含め感興はふたたびよみがへります。明日からの休暇のひとときを、これらの本と共にのんびりすごしたいと存じます(にこにこ)。

『署名本は語る』川島幸希 著 2005.12.25 人魚書房刊行 22.3cm, 307p \8000 限定100部(予約頒布・絶版)
『三好達治と立原道造 感受性の森』國中 治 著 2005.12.25 至文堂刊行 19.5cm, 315p \3238(ISBN 4784302573)

國中さま、昨日御著落掌につき取り急ぎこの場にても御礼もうしあげます。有難うございました。


また鯨さんほか目録も色々。ことにも森井書店の目録 No.30は、額にでも入れて飾っておきたいやうな感じの色づかひとレイアウトです。

98やす:2005/12/23(金) 19:24:28
「昧爽」10号
「昧爽」10号をお送りいただきました。いつもながら誠に忝く厚くお礼申し上げます。
このたびの特集は「わが愛誦の詩歌」。中村様の御文章「敗戦国の詩人たち──『ナチス詩集』/西川青濤の歌集」は、「もう誤解を気にせず、詩歌に関して思ふことをこの場ではつきり書きたい」との書き出しですが、誤解はやはり恐れて、思ふところをもっともっと開陳されたらよかったかもしれません。『ナチス詩集』については古くはこの掲示板でもなんやかやありましたが(誤解がなくても恐いですよ 笑)、Book Review 『蝶の生活』
のところでちょこっと触れておきました。
しかしもう10号になるのですね。これからも御健筆お祈りいたします(浅野晃ノート書きついで下さいませ)。

同人誌「昧爽」10号 平成15年12月20日 中村一仁・山本直人共同編集 64p

特集「わが愛誦の詩歌」
「心の眼」岩崎文子
「橋田邦彦先生の歌」薮井竹菴
「『沖縄の歳月』のこと」宮里立士
「前田夕暮素描」山本直人
「敗戦国の詩人たち──『ナチス詩集』/西川青濤の歌集」中村一仁
  ほか

問合せ先 〒340-0011 埼玉県草加市栄町3-1-31-406(中村一仁氏)

99やす:2005/12/24(土) 21:35:39
立原道造記念館館報36号
 立原道造記念館から館報36号ならびに新春企画展「立原道造が描いた世界 パステル画を中心として」の御案内をお送り頂きました。ありがたうございました。
 館報には、さきに新刊を御紹介した國中治氏の「第二次四季の構想」、また前回の休みをおいて再び立原道造を揺さぶらんと試みた?島亘氏の「詩集の彩り」が、それぞれ次号継続分に含みをもたせ誌面をいろどってゐます。二氏は立原道造記念館の懐刀であります。
 冗談はさておき、國中治氏の論文にみられる精緻な論証は、すでに定評をもって知られてゐる通りですが、その論理の背景に在るものが、たとへばこの文章において「四季座談会」の記事について述べてゐるくだり、
“一見孤高で分が悪いように見える萩原朔太郎が、実は三好達治や丸山薫が主張する詩作の次元を凌駕している”だとか、
或は此度の新著のなかでも、三好達治の木下夕爾への羨望を嗅ぎ取ってみせたり、沢西健が示した“立原道造がもし生きていたら再び物語の世界へ帰っていったのではないか”、といった大胆な推論への言及とか、つまり従来の研究者が見過ごしてゐた当事者的着眼点とともに、詩人的な直感を強く感じさせるあたりが、単なる紀要論文とは似て非なる、研究者らしからぬ魅力なのだと思ひます。
 一方、?島氏の一文ですが、氏が云ふとほり、自分の詩集の製作解説を「あとがき」に入れずに同人誌に掲載した“立原流の一種の衒いと含羞み”といふのは、確かにその通りなのでありませう。加へて彼が詩集を刊行する際に、堀辰雄や室生犀星に序文を乞はなかったことを正当化するためにも、資金不足を逆手に取ったあの楽譜型詩集の体裁が、おそらく好都合であったのだと、そこまで私は邪推してをります(笑)。装幀の特異さに表れた彼の矜持からは、「一体に名詩集には前書きも後書きもないものなんだ」といふ、愛書家ならではの一家言をも感じます。そして氏が続けて、
“彼の言葉を理解するときに気をつけなければいけないのは、柔らかな言い回しの中に隠された包み込むような一面的な見方であり、それがともすれば真実に見えてしまった時点で立原という罠に嵌ってしまうことになる。この一面性とは背後に様々な国の詩人たちの言葉を蔵す技巧と換言することができるかも知れない。”
と語るとき、“一面性”“技巧”とは、つまり高度な教養を背景に蔵した表現上の“単純”を指してゐるのだと思はれるけれど、貧しい語彙がそれ故に純粋に凝った秘密は、やはり技術の次元ではなく、文学と生活が一緒になってしまふ詩人の一途さの上に表れてゐるのだといふ気持が私には強い。それを承知で敢へて技巧に換言して、詩人の抽斗を探ろうとする氏の、“衒いと含羞み”をはらんだ続編の行方に期待したい。

100やす:2005/12/27(火) 21:28:49
【業務連絡】
明後日より年末年始の間、メール・郵便でのやりとりができません。
あしからず御諒解下さいませ。

101やす:2006/01/08(日) 10:26:41
新年の御挨拶
あけましておめでたうございます。ことしもよろしくおねがひをもうしあげます。
年末年始をずーと留守にしてをりましたので、読書がまったくできませんでした。
新しいスキャナーを買ったので、許可を得て本日は県立図書館へ参ります。

なほ、お休みの間に詩人小山正孝の選集四部作の最後となる小説集、
『稚児ケ淵』小山正孝著-- 潮流社, 2005.12.26, 19.4cm, 457p.
を御遺族より、
また機内のぐれむん様より、広瀬旭荘や中嶋棕隠など江戸後期の漢詩人たちと瀬戸内の大富豪商家中村家との交流を映す資料を綴った図録
『町人文化の栄華 鞆の津の風雅』福山市鞆の浦歴史民俗資料館, 2005.10.14, 25.7cm, 124p.
の御寄贈をそれぞれかたじけなくいたしました。
取り急ぎこの場をもちましても厚く御礼を申し上げます。ありがたうございました。

102やす:2006/01/09(月) 21:45:49
和本三昧
この連休は岐阜県立図書館へ日参。郷土漢詩集の精粋『龍山遺稿(左合元鳳)』全一冊、『鼎石詩集(山田鼎石)』全五巻三冊、『濃中風藻(金龍敬雄)』上巻一冊、『臥牛集(赤田臥牛)』全十巻五冊、
それから近代詩集では今後も当分現れさうもない服部つやの遺稿詩集『天の乳』をとりこんで参りました。あとはもうしばらく待っても入手できなかったら『ふるくに』をとりに行かうかな。
とまれ、江戸時代の読書人は孜々筆写して蔵書を増やした由ですが、コピーにせよスキャナーにせよ、今や楽になったものですね(それでも疲れました〜)。

103中村一仁:2006/01/09(月) 23:51:19
今年もよろしくお願い致します
やす様

改めまして、新年のお慶びを申し上げます。今年もどうぞよろしくお願ひ致します。
12日から休みをとつて北海道に出かけます。苫小牧市立中央図書館で淺野晃の関連
資料を閲覧し、翌13日に穂別入りします。教育委員会の斉藤征義氏と、臨時職員の
本多紀子さんの尽力でかなり整理が進んだやうですが、さらに来簡について精査した
いものと考へてをります。
それと、今年は「天と海忌」開催の年に当たります。具体的に、開催日はいつ頃で、
どこで行ふのか。講師はどなたをお呼びすればよいのか。具体的に話をすることにな
ると思ひますが、一昨年の「天と海忌」の実行委員長がよりによつて「千代子志の会」
のメンバーで、今度はそのへんをどうするのか、難しいところもあります。

手前味噌で恐縮ですが、保田與重郎の直弟子の女性から「あなた達の雑誌は模索して
ゐるところがある。先生が見たら喜んだと思ひますよ」とわざわざ四国からお電話で
「昧爽」へのご声援をいただきました。しかし「あなたの淺野晃の二人の妻について
の文章、面白かつたけど、淺野晃はこの二人の妻に負けてゐますよ。淺野は所詮取り
巻きで、ただ長く生きたから皆があれこれ言ふだけです。連載の時間と労力がもつた
いないですよ」と連載への根底的な批判も頂戴し、かなりヘコミました。この頃、森
鴎外が『北条霞亭』を書いていくうちに味はつた失望感が理解できる時もありますが、
それでも書けるところまで、淺野論を書いていくつもりでをります。

3月刊行予定の第11号は音楽の特集を組む予定です。重ねて、今年もご指導ご鞭撻を
よろしくお願い致します。

104やす:2006/01/10(火) 21:43:08
御健筆をお祈り申上げます。
『北条霞亭』連載との取り合はせに思はず微笑んでしまった管理人です(^_^)。今年もよろしくお願ひを申し上げます。
しかしながら淺野晃が保田與重郎の「所詮取り巻きで、ただ長く生きたから皆があれこれ言ふだけ」、とは随分な発言ですね。けだし直弟子といってもおそらく信者みたいな歌人の方なんだらうと存じます。詩がわからんのです(尤も私には和歌や俳句がわからんですが)。
「ただ長く生きたから」ぢゃなく、敗戦の世に存ふる運命を背負ったからこそ抒情詩人としての転生を成したのであり、蔵原伸二郎、伊福部隆彦、芳賀檀といった人々とおんなじ道行をたどった文学者として、戦前はあくまでもその前半史なのだと私は思ってをります。むしろその方の仰言るやう、『天と海』の詩人も日常生活では“ぬらりひょん”みたく時化た顔をして妻には一向頭も上がらないといふのが本当だったら(そんなこと言ってない 笑)、そんな風貌にこそ、私は市井に隠れた浪曼派の妖怪たる面目の真骨頂を感じますね。「連載の時間と労力がもつたいない」などといふことがあるでせうか。もはや日本の老人は戦後派ばかりなので、還暦以上の人々に払ふ敬意にも注意が必要です。なにより未開拓の資料とともにをられるのですから、中村様ご自身の目で確かめになって、急がれることなく仕上げてゆかれたらと存じます。妄言多謝。

105やす:2006/01/13(金) 23:38:57
新刊ふたたび
クリスマスに『三好達治と立原道造 感受性の森』を刊行された國中治氏ですが、続けて
エッセイ集『書く場所への旅』2005.12.31 れんが書房新社刊行 19.5cm, 275p
 \2000(ISBN 4846203042)
を大晦日に刊行、此度は年始早々の御寄贈に与りました。
日本語教師体験談、ギリシア随想、文章論、文学漫歩と、種々のテーマ別にまとめられ、
「燈火の領分──大木實『柴の折戸』」など、四季派のことも触れられてゐます。
國中さま、重ね重ねこの場にても御礼もうしあげます。有難うございました。


さて今や独立させた方がいいかもしれないやうな江戸時代郷土漢詩人のコーナーですが、
リンクで紹介させて頂いてゐるホームページ 「従吾所好」に付設されてゐる労作「江戸文学年表」の結構を無断拝借(!)して、リニューアルできないか計画中です(西岡様ゴメンナサイ。いいですか??汗)。

106西岡勝彦:2006/01/17(火) 18:26:16
おっと
googleアラートに「丹生樵歌」を設定していたら、飛び込んできたのが江戸文学年表アップロードの通知。すわや、パクリかとクリックしてみたら、中嶋さんだったんですね。しかも美濃に特化して濃〜い年表になりそうな予感。
どうぞどうぞ、というか僕のも大してオリジナリティのあるものではありませんので。
年表作りはexcelのHTML化を利用すれば楽ですよ。だいぶ加工しなくちゃなりませんが。

ところで当方も中嶋さんに煽られて(?)、最近ご当地漢詩人に興味が湧いてきまして、去年は高槻の藤井竹外の「竹外二十八字詩」を手に入れました。アラートの「丹生樵歌」も地元詩人の漢詩集で、今のところ究極の探求本なのです。

107中村一仁:2006/01/18(水) 02:07:41
感動と危機の予感と
やす様

12日から北海道に出向き、淺野晃関係の取材等をしてきました。
12日は苫小牧市立中央図書館を訪れ、生前の淺野が当時の図書館長に託した資料(閉架)を閲覧させてもらひました。先頃、決定版全集に収録された三島由紀夫の書簡2通のほか、保田與重郎の手紙が3通、水野成夫の手紙が3通、変はつたところでは大川周明の手紙が1通、モスクワ留学中の蔵原惟人からの絵葉書が1通…などなど、貴重な来簡がたくさんあるのを眼にして、絶句してしまひました。特に、詩集『寒色』が読売文学賞を受賞した際に水野が書き送つた手紙をこの眼で見た時には、その短い文面に、勇払時代の淺野を励まし続けた水野の歓喜と、2人の長年の友情が凝縮されてゐるやうに思はれて、胸が熱くなるのを禁じ得ませんでした。また、保田の書簡はいづれも淺野から贈られた詩集への礼状で、詩集『草原』への礼状では、佐藤春夫の法要を無事に終へたことや中谷孝雄・平林英子夫妻が参列し、京都の寺めぐりの際に2人が淺野のことを話題にしてゐたことが書かれてゐました。このあたりのことは「昧爽」第11号で詳しく書くつもりです。

13日から15日午前までは、穂別町の資料室の整理を手伝ひました。前にお伝へした、千代子の最後の手紙がノートに写されてゐたといふ話ですが、日記の間に千代子の手紙を写したノートの切れ端が挟まれてゐたといふのが実際のところでした。おそらく実物を苫小牧に送つてしまつた後も、それを読み返してゐたのでせう。淺野がいかに千代子を愛してゐたかが、痛いほど理解されました。また、昭和天皇崩御に際して詠んだ追悼歌の歌稿が見つかり、そこに書かれた歌と、雑誌に掲載された決定稿の間に若干異同があつたのが興味深かつたです。

穂別町は市町村合併で3月に「むかわ町」になるものの、資料室に配分される新年度の予算がゼロで、3月で資料室は事実上閉鎖状態に追ひ込まれることが判明し、愕然としました。小説『風の生涯』で淺野を描いた作家の辻井喬氏や、北大名誉教授で日本浪曼派研究の泰斗である神谷忠孝氏に発起人になつていただく形で、研究団体の設立を急がうといふ声もあり、その話が具体化した時には、やす様や立正大学OBの諸氏にも改めてお願ひさせていただく所存です。それでも、斉藤征義氏はあくまで「天と海忌」は開催する方向で動くとのことで、辻井氏に講師を打診すると言つてをられました。私は斉藤さんの判断に従つて、ついていかうと考へてをります。

寒い毎日が続きますが、くれぐれも御自愛専一に願ひ上げます。

108やす:2006/01/18(水) 21:15:14
ありがたうございます。
 西岡様、おしさしぶりです。こちらよりお伺ひするさきにありがたき御言葉を賜り、感謝に耐へません。有難うございます。年表に付する情報はそのまま、今は亡き郷土漢文学研究の第一人者、伊藤信先生のライフワークからの引写しですが、それでもよいから不取敢どんなものになるのか【明治・大正・昭和初期 詩集目録】と平行してのらくら作りこんでゆく算段です。
 『丹生樵歌』といふ詩集は、分らぬままこれも引写した次第です(恥汗)。西岡様の究極の探求本とは存ぜませんでした。はて私は何だらう。さしづめこないだ県立図書館でいろいろ頬擦りしてきたもんなあ(笑)。順次upしてゆきますのでお待ち下さいませ♪(『丹生樵歌』所蔵の京都大学図書館にもスキャナーの持ち込みが許可されるといいですね)。
 ところで藤井竹外といへば、高槻のしろあと歴史館で「高槻が生んだ幕末の漢詩人 藤井竹外」といふ展示が催されてゐたみたいです。わたくしは郵便で図録(\500)を購入、また、この度はボロボロの貼交ぜ掛軸を入手したので切り取ってこれだけ額に入れ、机上に飾って雪かきが大変だったこの初春の積雪をしのんでをります(苦笑)。

雪比落花殊不軽  雪は落花に比して殊に軽からず
半庭掃得半庭平  半庭、掃き得て半庭平らかなり
緑芽掀土是何草  緑芽、土をあぐる、是れ何の草ぞ
春自帚痕多處生  春は自から帚痕多き処より生ず
     竹外酔士

今年もよろしくお願ひを申上げます。

109やす:2006/01/18(水) 21:31:42
刊行と時期の予告と
 さて、中村さまには遠路まことにお疲れ様でございました。資料室が閉鎖状態に追ひ込まれるとは、つまり穂別町が鵡川町に併呑されるといふことなのでせうか。合併で財政は潤ふ筈なのに、町史への関心は町全体の面積が広がると重心も移動してしまふでせうから。町の「徳」となることも「得」にならんと切捨てられてしまふ世の中です。本当に残念です。
 わたくし事ですが、このたび新学社の『近代浪曼派文庫』の田中先生の部の選詩に関はることになり、文庫の概要を拝見させて頂いたのですが、ここでも淺野晃の収録巻がなく、岡倉天心の訳出者として姿を現すだけとは、これまた残念に思ったことです。
 田中先生においても、今回収録巻のタイトルが「大東亜戦争詩文集」といふことで、あくまでも戦争詩を中心にとの要請でしたから、詩人の佳品の大半が漏れることとなり、晩年戦争詩を深く恥じてをられた泉下の先生に叱られはしまいか、また事情を知らない読者に対し、他巻の詩人たちに伍して面目を保ち得るだらうか、との心配もあったのですが、こちらの方は詩人と戦争との関係が一通りの流れとして捉へられるやうなものにすることで、これはこれで納得したつもりです。でもやっぱり叱られるな(再苦笑)。この春に刊行されるのではないでせうか。
 それから、なるほど北海道には神谷忠孝先生がみえるのですね。心強いですね。>研究団体の設立…お、お金が要るのですか(再々苦笑)。

110西岡勝彦:2006/01/20(金) 12:29:13
おお
「竹外」とひとこと言えば、図録や掛け軸、詩集イメージまで魔法のように出てくるとは…。僕なんか、展覧会はいちおう見に行ったのですが、墨痕を楽しむところまではとても至り得ません。
「春は帚痕多きところより生ず」いいですね。図録にもこの詩の掛け軸の写真が載ってますが、竹外のお気に入りの詩だったのでしょうか。

「丹生樵歌」の方は、一番近くは大阪の中央図書館にあってコピーもできそうなのですが、なかなか足を運べないでいます。それと国文学研究資料館にもありまして、ここは通信で複写の申し込みができるようですので、試しに電子複写というのを頼んでみるのも面白いかなと思っています。
でもやっぱり、手に入れたいのは実物。まだ辺鄙な山里だった150年ほど前の地元が生んだ、たぶん唯一の詩人ですから、地元の漢詩好きが持ってないでどうする、というわけです。

本年もよろしくお願いいたします。

111やす:2006/01/20(金) 22:16:26
ああ
「まだ辺鄙な山里だった150年ほど前の地元が生んだ、たぶん唯一の詩人」
よい言葉ですね。濃尾平野も当時は目路をさえぎる何ものもなく、長良川には湊があったと聞きます。
ああ、日のあたる古い民家の縁側で、お茶啜りながら江戸時代の漢詩人の伝記が読みたい。

【江戸漢詩情報】
以前紹介した「創文」連載の「日本漢詩人紀行」(林田愼之助氏)が講談社現代
新書の一冊になりました。
『漢詩のこころ 日本名作選』(ISBN:406149824X). 269p, 2006年1月20日 760円

112やす:2006/01/27(金) 17:40:30
詩魔詩人同盟主催「学芸講演会」
JINさまより昭和初期の岐阜詩壇、詩魔詩人同盟が催した学芸講演会のチラシをお送り頂きました。このやうなチラシは捨てられてしまふのが常ですから大変貴重です。これまでの何度とないご厚意にあらためて御礼を申し上げます。ありがたうございました。さきに「四季派の外縁を散歩する第9回 郷土詩人素描──岐阜県の詩集から」のなかにおいて、

当時の中央詩人たちを盛んに講演に招いてゐるが、歌詞作者として成功した彼らを呼ぶことが、自分たちの世間的認知の後ろ盾にはなっても文学的な地位を高めることになる筈はなかった。揉み手で迎へられた有名詩人達もまた、全く江戸時代の流行漢詩人達が地方行脚を行ったのと等しく、物見遊山を兼ねたビジネスに訪れたのではなかったか。「詩魔」を存分に検分できたら思ふところを語りたい

と記しましたが、はしなくもこんな資料が証左のひとつとなるかもしれません。

 「私達の為事の基金を得るために特に両講師及現代大家にお願ひしてその肉筆色紙、短冊をいたゞきました。これを同好の方々に市價の半價以下にてお頒けいたします。」

「市價の半價以下」ねぇ。どうせなら朔太郎呼んで欲しかった(無理? 笑)。

本日発表の「趣味の古書展」抽選『光の処女』(文学堂書店\8000)はもちろん(?)はずれました。懲りずに今度は「和洋会」を虎視耽耽(笑)。

113やす:2006/01/29(日) 21:43:55
小山正孝著『稚児ケ淵』
 今日はテレビで楽しみにしてゐる「何でも鑑定団」の日(当地では一ヶ月遅れの日曜日のお昼にしか映らないのです)。年末最後の放送といふことで広島県神辺町の廉塾などが紹介されてました。鞆の浦歴史民俗資料館の図録をぐれむん様から贈って頂いたのはさういへばお正月。やっと謎がとけたりして(笑 そんなことはない、か)。

 さてやはりこれもお正月に御遺族からお送り頂きました小山正孝『稚児ケ淵』は、閑の折々に読み散らかしてをります。小説については云々できる資質がないので詳しいコメントを差し控へますが、跋文で伊藤桂一氏ほかが言及してゐる初期の「紙漉町」なんかは、はっきり云ったらば大凡私にはもうよくわからないのでした(おそらく大抵の人にも、きっと)。しかし全編こんなドイツロマン派風の主観独白(何故だか昔読んだヴァッケンローダーといふ詩人の小説?を思ひ出した)が続くのかな、と思ったら、さうではなく、表題作や「少年時代」など、青木といふあんまり感心できない少年(笑)の行状・心理を場景とともに客観的に描いてゐる、謂ふところの“青木もの”なんかはとても面白かったです。「少年時代」など、最後に父親に張り倒されるところはカタルシスとして、少年らしい戒心への含みを持たせたエンディングにしたらよほど(彼が立原道造の他に私淑してゐたのではないかといふ太宰治の中期みたいで)読後感がいいのにな、と、こんなコメントは小説を「楽しめたか・楽しめなかったか」といふ映画観客の域を越える感想が書けない仁の云ふことですから御放念下さい。一体主人公の心理描写って小説家の体験にどこまで基づいてゐるのかな〜、と幼稚なこと云ってる時点で小説なんか書けない人間なのですね。

寄贈頂きました御二方にあらためて御礼申し上げます。

114やす:2006/02/05(日) 19:28:47
遠山雲如の刊行詩集
 和洋会目録、『日月の上に』(扶桑書房さん\3000!)は外れましたが、『雲如山人第四集』は我が手に。中には飛騨の山岳風景を歌った「桟雲集」といふのが収められてゐるのであります(ニコニコ)。
 ただしこの本、詩人の第4詩集といふわけではありません。現在遠山雲如の別集(個人集)として確認されてゐる最古の詩集は『雲如山人第三集』。第一集も第二集も伝はってゐないのであります。しかもこの第四集の間になほ『雲如山人集』ほか数冊の刊行があって少々ややこしい。特に『雲如山人詩集(詩鈔(七松堂版))』は、今回需めた『雲如山人第四集(夕爽楼版)』と同内容(但し巻の順序が異なる)の由、「遠山雲如の刊行詩集について」鷲原知良氏(大阪芸文研究誌「混沌」23号)に拠りました。下記に一覧。

『寰内奇詠』(文政9年1826)[編] 半紙本一巻[一冊]。74家138首のうち5首を収む。17才の紅顔詩人を得意の絶頂に至らしめたアンソロジー。
『雲如山人第三集』(天保14年1843) 半紙本二巻一冊。「卜居集[著]」「水雲吟社詩[編]」下総寓居時代の作品。
『雲如山人集』(嘉永2年1849) [著] 半紙本二巻二冊。第一冊:七律、第二冊:七絶。
『墨水四時雜詠』(嘉永3年1850) [著]半紙本一冊。中嶋棕隠『鴨東四時雑詞』にならった江戸版。
『湘雲一朶』(嘉永6年1853) [編]特小本。相模厚木時代の詩友19家を集めたアンソロジー。
『湘雲集』(安政2年1855) [著]特小本二巻二冊。相模厚木時代の作品。
『晃山游草』(安政3年1856) [著]半紙本一冊。八王子時代の作品。
『田園雑興次韻』[安政?年] [著]半紙本。范成大『四時田園雑興六十首』に次韻。
『雲如山人第四集』(文久元年1861) [著] 半紙本二巻二冊。第一冊:「京塵集」二巻、第二冊:「島雲漁唱」「相雲嶽雪集」「棧雲集」。星巌を頼っての上京時代、および明石・淡路・近江・越前・飛騨遊歴の作品。
『雲如山人詩集(詩鈔)』(文久3年1863没年)前述。
『三雲絶句(三雲集)』(没後明治3年1870) [著] 半紙本。宮澤雲山、竹内雲濤らとともに七絶各百首を収める。
『雲如先生遺稿(博愛堂)』(没後明治20年1870) [著] 半紙本二巻二冊。第一冊:七律、第二冊:七絶。
なんでもいいや。早く来ないかな。

115やす:2006/02/18(土) 22:50:08
日録
今月「日本古書通信」は、文学堂・扶桑書房・石神井書林の三古書店主のインタビューを人魚の嘆き様がつとめる第一回目。
扶桑書房・石神井書林の回が楽しみです。

午前中病院見舞、旧友の始めた蕎麦屋 『瑠草』でお昼。帰宅して読書、犬の散歩。夕飯を挿んでふたたび読書。蕎麦は手打ちでおいしいよ(笑)。

116やす:2006/03/04(土) 22:56:57
(無題)
 最近、漢字の修養かたがた再び鴎外の史伝に挑戦を始めました。此度は三部作のうち一番長く未読であった『伊澤蘭軒』です。それで『北條霞亭』のときはずっしり重い全集本に読後の達成感を求めましたが、今度は携帯も出来るやう新書版の選集にあれこれ書き込んでゐます。お供のチャンペラは同じく『鷗外歴史文學集(なんと四分冊あります)』。筋より文体が楽しい読み物ですから、斯様な接し方も許さるべく、いっそのこと富士川英郎の『菅茶山』と平行して、一年一年区切りながら読み進んでゆけないか、などと横着なことを考へてをります。

 さて先日、実は手紙にて匿名子より辛辣な御叱正を賜りました。なかに次のやうな件があって、自分が他人さまからさういふ風に思はれてゐることを初めて知って、情けなくなりました。

(前略)わたくしから見ますと、貴兄一人は棒給を得ている身でありながら、懐を痛めることなく、人からお恵みを戴き続けていることを何ら恥じることない、また、インターネットという媒体を通して、大っぴらに自らの探求物の恵みを賜ることを恬として恥じることのない行為を続けている人のように思われます。
さらに、ほぼ流用に近いデータをさらして、網を張り、そして自ら作ったごとく誇り、在野に隠れている無数の詩人の縁者からの連絡を期待するかと思えば、他に追随する者なきを嘆くというイソップの「からす」のような行いを恥じることはないのでしょうか。 (後略)。

 「からす」といふのはなんでせう、或は「かけす」の誤りと自ら調べさせてことさら辱めるつもりだったのかな。さらに「よかれと思って、インターネット上で他人の著作物を愚弄するに当っては云々」と続いてゐて、未知既知の方々より寄贈いただく本などに対し、これまで論文一本書いたことの無い自分がいい気になって書評をものしてゐた浅はかさを思ひ知らされました。
 顧みますにこのサイトも、いろいろな人々との出会ひによって、これまでモチベーションを高めながら今日を迎へることができたのでした。ことにも稀覯詩集の数々を、頂いたり譲ってもらったり、まるで「古本の神様」でも憑いたかのやうな一時期は、今にしてなほ信じられない気持もし、知識や資金の乏しい田舎棲みの自分が、偶々このサイトを開いてゐたことによって過分の恩恵に与った事実は、確かに匿名子が指摘するやう、側から見たらばまことに独占的な営為に映ってゐたのに相違ありません。それが物質的のことだけであるなら、この手紙を読んでその通りに恥じ入ってしまふところでした。
 もとより詩心といふ、曇ったら無一物になってしまふものに縋って活動してをります。おべんちゃらこそ言はないつもりですが、現代詩に慊らないで来訪して下さった同好者に対して不快感を与へるホームページであっては意義がありません。さうして「あいつうまくやってやがらぁ」と云はれないために、私のできることと云へば、結局のところやはり資料公開をはじめいろいろな有形無形の賜りものを無にしないこと、ではないかとも思はれるのです。批判は謙虚に受け止め初心に立ち返り、(圧力でもない限りは)もうしばらく運営を続けてみようと思ひを新たにしてゐるところです。何卒あたたかくお見守り頂けましたら幸甚に存じます…。

 といふ訳で、
 今週は鯨書房の御主人が編輯に係る地元詩人の詩集『藤吉秀彦詩集』(現代詩人文庫 砂子屋書房2006.3)の御恵贈に与りました。また立原道造記念館よりはヒヤシンス忌の御案内 (このさきなかなか参加も叶ひませんが) を頂きました。この場にても厚く御礼を申し上げます。ありがたうございました。

117やす:2006/03/06(月) 20:05:00
レファレンス
 昨日は県立図書館へ地元夭折詩人の詩集の画像をとりこみにいって参りました。「ふるくに(山川弘至)1943」は酸性化がはげしく既にボロボロ、「伯英遺稿(林伯英) 1801」も綴糸が切れてバラバラの状態なり。事前にその旨を伝へて、却って心置きなくスキャンできたのですが、返却の際にジロジロ睨まれてしまったかも(ごめんなさいね、汗)。 順次upしますのでお待ち下さい。

 またメールでレファレンス2件、1件は判る範囲で先程お答へしましたが、次のは何ともならず。通常、メールでの質問はメールでお返しして掲示板には上しませんが、これは発信者の名前もないし、公開捜査としませう。駒場はもとより神奈川にも芦屋にもないなら、図書館員の出番ではなささうです。どなたか分る人がありましたらよろしく(私だって知りたいや)。

雑誌『椎の木』を探しているもの者ですが、第3次第5年(昭和11年)の2,3,5〜8,10冊をどうしても見ることができません。そのうちの1冊についてでも結構です。お心当たりの方、情報をお教えいただけませんでしょうか。

118やす:2006/03/11(土) 02:00:36
『水彩画を描いたサムライ』
 昨日は職場に一冊の画集が寄贈されました。
 なかに私の故郷岐阜市長良より高富街道の建物ごしに仰いだ百々ヶ峰[どどがみね]と思しき一枚があって、興味深く拝見。 本の題名は『矢野倫真水彩画集 : 水彩画を描いたサムライ』といふ79p:30cmの、図録様の装幀であります。
 作者の矢野倫真(やのりんしん1864-1943)は、抒情味あふれるこれらの水彩風景画が近年遺族の手で偶然発見され、今回出版の運びにまで至ったといふ明治大正期に活躍した画人でありますが、拙ホームページ管理人としましては、同じく旧制岐阜中学(現岐阜高等学校)の先生で、偶々着任したこの土地に根ざして己のライフワークを大成させた、郷土詩人の第一人者殿岡辰雄のことを真っ先に思ひ起こさせました。尤も殿岡辰雄はバンカラ学生達から「マメさん」と慕はれた土佐生れの英語教師でしたが、加賀藩士の血を引く幕末金沢生れのこの図画の先生はまた、学校で唯ひとり綽名で辱められなかった薀藉の風格の持主であったといふことです。明治画壇の潮流が水彩から油彩へ移っていったとき、時好を追はずに出発点の南画に回帰し、教育者としての本分に安んずることを選んだ生き方にも、明治びとらしい処世のいさぎよさは偲ばれて、「水彩画を描いたサムライ」と副題にはありますが、むしろ富岡鉄斎同様、ゆかしき儒者の風韻を感じてなりません。

『矢野倫真水彩画集 : 水彩画を描いたサムライ』2005.8刊行 \2740(送料とも)
購入は倫真の水彩画を伝える会(〒921-8152石川県金沢市高尾2-1-1早瀬氏)へ。以上勝手に宣伝まで。

119:2006/03/19(日) 17:41:18
詩集「シンドロームの街から」 
 はじめまして。大分、以前にホームページの紹介に伺ったことがあるかもしれません。

宣伝になって恐縮ですが、発売2年目に入る私の詩集を紹介させていただきました。

http://www.bk1.co.jp/product/2516271

http://akira5410.hp.infoseek.co.jp/

120やす:2006/03/20(月) 22:04:39
『臥牛山人集』
akiraさま、はじめまして。ホームページの楽しい山の写真を拝見させて頂きました。冊子の枠を飛び出したネット上でどのやうに詩を読ませるかは現代詩に限らず、かうしたサイトを運営してゐる管理人の課題でせうが、人それぞれにあるだらう「読む間合ひ」を無視してフレームが勝手に動いてゆくのは(特にそれが作品にとって初舞台となるのは)まづいかもしれませんね。

といふことでこちらでは当分スキャンした画像をぶつ切りに、「冊子再現」とも程遠い「素材提示」でお茶を濁して参ります。本日はやうやう赤田臥牛の 『臥牛山人集』をupしました。晩年は高山在職中の館柳湾とも交流があった詩人ですが、岐阜詩壇が山田鼎石、宮田嘯臺、左合龍山等を中心にさんざめいてゐた頃、彼等とともに龍草盧や江村北海といった、世代的には頼山陽より一世代前の詩宗を仰いだ飛騨高山の漢詩人です。今後も県立図書館禁帯出の貴重な郷土詩集を一冊づつ公開してゆきますのでよろしく。

立原道造記念館より館報No.37ならびに企画展「堀辰雄の構想」の御案内をお送り頂きました。
山川京子様主宰桃の会より歌誌「桃」一月号三月号をお送り頂きました。
ありがたうございました。

121やす:2006/03/21(火) 08:39:37
インターネット上の古書売買について
 「日本古書通信」No.920到着。前回に引き続き古書店主による座談会は後半「扶桑書房・石神井書林篇」。ページ数が限られてゐるので、近代文学雑誌とモダニズム詩集の草分けである名物古書店の歴史も、今回は「垣間見る」といった感じに留まってゐるが、同号「古本講座2」ではさうした市場の歴史的動向が今や、ジャンルではなく環境において大きく変化してゐることについて、つまり具体的にいへばインターネット上での売買「Yahoo!オークション」の功罪についてであるが、座談会で司会を執った川島氏自らによるメスが入ってゐるので、一読されたい。
 私見を述べるならば、目下日本で一番充実してゐる古本サイト「日本の古本屋」データベースであるが、即時に全国の在庫現状を一覧検索できる特長に加へ、保存や刷版の状態が問はれる高額本や和本については、さらに客観的な写真情報を複数付与することが可能になったら、古書業界の仇敵「Yahoo!オークション」の魅力は半減するのではないかと思ってゐる。プロの古書店による「日本の古本屋」と、アマチュア出品者による「Yahoo!オークション」が融合されることは、買取システムの位置づけを考へると実際にはなかなか難しいことと思はれるけれども、川島氏の指摘される、稀覯本ジャンルにおける「日本の古本屋」=「最高値」=「売れ残り」といふイメージ、これを払拭することは早急の課題であらう。捻った古書価に苦しんできた愛書家達がまるまるYahoo!オークションへ完全移行してしまふ前に、或は古本業に手を染めたamazonが稀覯本の世界に進出してくる前に、「登録者へのアラート」や「店舗・年代毎の詳細検索」など、システムの課題として組織全体で取り組んだ方がいいんぢゃないか、とも思はれる。事実、このやうなインターネット上の組合を持たない書画骨董の世界は、パソコンをいぢれぬ年配層がゐなくなった時点で全ての顧客が同時に売り手に、一国一城の店主になることも予想される。酷く喩へるなら、ヤクザ社会の権益がなくなってそこら中にチンピラ風市民がのさばりはじめた日本と同じである。先日、バブル期の値段札が付されたままの委託品を大量に陳列してゐる地域の骨董センターに足を運び、その感を強くした。古書店とは異なり鑑識の点では素人売買同様、保証さへない。
 学術情報データベースとリンクして、生涯教育にいそしむ国民の資料検索・流通機構としてひらかれるのは、果たして予定通り「日本の古本屋」となるだらうか。その際、初版・復刻毎に古本屋の検索結果も分かれるやうになってゐたら、ポータルサイトはWebCatに移行するかもしれない。数年後が楽しみなことである。

122やす:2006/03/26(日) 21:15:04
『山川弘至遺文集』
桃の会主宰の山川京子様より『山川弘至遺文集』のご恵送に与りました。ここにても心より御礼を申し上げます。ありがたうございました。
 内容は、?ふるさとの四季、?評論、?祭詞集の三部に分かれてゐますが、私には散文詩の趣きをもって故郷への思ひが胸いっぱいに綴られてゐる初期の文章(?ふるさとの四季)に、早熟にして完成された詩人の才能を確信、あはせて昨秋伺った高鷲の旧家や周りの自然を思ひ起こしながら、濃北の風致の素晴らしさを味はってをります。詩人につきましては不日一項を設けてあらためて紹介もしたいのですが、不取敢先日画像をとりこんできた『詩集ふるくに』をupしましたので御覧下さい。

123やす:2006/03/27(月) 19:11:27
残生随白鴎
 最近は漢詩集だけでは物足りず、たうとう掛軸に手を出し始めた恐いもの知らずの管理人。無論しょぼい小遣ひと真贋知識の範囲で、ここでも「状態不問」の方針は変はりません。
 とはいふもののなかには分不相応の美品が舞ひ込むことも。これは杜甫の詩句ですが、「白鴎」とは星巌、藤城、細香ら美濃の漢詩人達が一堂に会して鴎盟を訂した「白鴎社」に通じ、また星巌全集巻頭に序文が置かれた蘇峰翁の、最晩年の墨蹟なので格別の感慨をもって眺めてゐます。
 余談ながら本日人間ドック再検査の結果、異常なし。「残生白衣に随ふ」にならず良かったです。ちゃんちゃん♪
U^エ^U「くだらないなあ。」

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000215.jpg

124やす:2006/04/07(金) 17:28:23
『昧爽』11号
 山本直人様より『昧爽』11号の御寄贈をかたじけなく致しました。いつも有難うございます。ここにてもあつく御礼を申し上げます。
 さて今回は特集記事の「音響の誘惑/日本語ロックの遺産」とは別に、中村一仁様より北海道むかわ町の淺野晃資料室閉鎖予定について【報告】があり、時々の状況は今後も引き続き報告される模様ですが、ともあれ記されるやうに、詩人宛の来簡ほかの貴重な資料について、その行末がたいへん案じられるところであります。
 しかし一口に「資料整理」といっても、達筆の手紙はたしかに読み辛いですよね。先日、四捨五入すると早や五十になることを知ってガクゼンとしました私こと管理人も、管茶山・江馬細香と、このところ念願の墨蹟を“天の命ずる”ままに漁り続けてをりますが(贋物傷物を覚悟の上で、笑)、掛軸や漢詩集の序跋などは『くずし字解読辞典』をもってしてもまだまだ読むことは難しいです。といふか菅茶先生の書など、詩集テキストが無ければ私なんぞになかなか読めるしろものではないであります。

「走雨過山彩霓生 残雲洩日翠秧明 欲知詩画無佗趣 出戸呼童視夕晴 茶山旧意」

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000216M.jpg

125ごん太 U^ェ^U:2006/04/09(日) 17:54:33
本日春満開。
一目千株花ことごとく開き
満前ただ見る白皚皚
近く犬の吠ゆるを聞けども処を知らず
声は香雲団裏より来たる

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000217.jpg

126やす:2006/04/17(月) 21:38:07
寄贈御礼
 多治見の久野治様より新刊『オリベ焼き100選』紹介記事とともに同人誌「宇宙詩人」No.4をお送り頂きました。連載「黎明期の中部地方詩人」は今回、高木斐瑳雄が紹介されてゐますが、限られたページ数のため、さきの著書『中部日本の詩人たち』を出る内容が盛られなかったのは聊か残念でもありました。ともあれ冒頭に拙サイトを紹介頂きまして赧顔の至りであります。ありがたうございました。高木斐瑳雄といへば手許の写真資料など、春山行夫や井口蕉花の生家辺に建った文化のみち二葉館に機会があれば寄贈したいのですが、名古屋で興った「青騎士」運動など、人脈・詩派ともに後裔の喪はれた、現在と絶縁した文学史上の栄光を、アウトソーシング運営の記念館でどんな風に扱って頂けるのかな。久野様も代替はりした高木斐瑳雄の生家に著書を献じたものの、詩人の御先祖を徳に思ふやうな反応は一向返って来なかったとか。

 さて久野治翁といへば在野の織部研究家として、またここでは和仁市太郎の評伝『山脈詩派の詩人』の著者としてもとりあげさせて頂きましたが、かつて御宅までお邪魔して伺った回想談は印象深く、「狼少年」と恐れられた皇国詩人時代、戦後一転して労働運動に挺身、さらに引退後の古人顕彰活動を独学で成し遂げるに至った、そのロマン派的人生の道行きについては、(はっきり申上げると連載なんかうっちゃってよいから 笑)、ぜひ自叙伝として一冊にまとめてのこして頂きたいと思ふのであります。さう考へるのは私だけではなかったこと、今回同封の「中部ペンクラブ会報」のなかでも慫慂されてをりました。なにとぞ御身体ご自愛の上、御健筆をお祈り申し上げる次第です。

127:2006/04/24(月) 16:40:11
井口蕉花の資料引用について
 初めまして。私は愛知県立明和高校の図書館長をいたしております中山と申します。名古屋市「東区まちそだての会」というグループで活動しております。併せて「橦木倶楽部」(旧井元為三郎邸)の維持・管理、保存に向けての活動もいたしており、その一環として「橦木倶楽部通信」というブログを運営しています。私のブログでは現在、尾張や名古屋に関係のある人物の業績を取り上げています。今日は「岡井隆」を紹介しました。明日は「丸山薫」を紹介しようと思っています。この後、「春山行夫」や「井口蕉花」を取り上げていきたいのですが、浅学にして手持ちの資料がありません。年表や詩集の写真など一部使用させていただければ、ありがたいのですが無理でしょうか。むろん、こちらのサイトの紹介とリンク先を載せさせていただきます。
 なお、われわれの仲間の西尾典祐が「文化のみち二葉館」の副館長をしており、文学関係資料の責任者をしております。西尾は毎日新聞紙上に毎週「文化のみち通信」を連載しており、4月11日付けの記事で「春山行夫」「井口蕉花」「折戸彫夫」を取り上げています。一度、二葉館西尾とご連絡頂ければ、寄贈を考えられている資料などの企画展示や常設展示が可能か調整ができると思います。保管庫は空調の完備した蔵造りの立派な代物です。
 橦木倶楽部通信 http://gold.ap.teacup.com/syumoku/



128やす:2006/04/24(月) 23:30:01
管理人です
こちらこそはじめまして。中嶋康博@管理人です。
お申し越しの件につきましては、どうぞ御自由にお使ひ下さいませ。井口蕉花については木下信三氏の論考が詳しく、すでに収集済みかも知れませんが「東海地域文化研究(名古屋学芸大学短期大学部附属東海地域文化研究所編)」に「井口蕉花ノート」(Vol.2, 73-82p / Vol.3, 254-69p)が所載されてをりますので、合せ書き添へます。
「文化のみち二葉館」にはまだ伺ったことがありません(橦木倶楽部ともに素敵な建築ですね)。いづれ拝見に伺ひたく、寄贈の件につきましても、あらためて御相談を申上げたいと存じます。
掲示板にては取り急ぎ用件のみ申上げます。

129masa:2006/04/25(火) 08:00:28
感謝します。
ありがとうございます。正直なところ、井口蕉花も春山行夫も高木斐瑳雄も、本当に最近その存在を知ったばかりです。自分の暮らしている街に、かって詩や文学を志した青春群像があったということに感激しています。私も高校生の頃、同人誌を作ったりしていましたが、今、井口や春山の事歴を勉強し始めて、大正・昭和期の詩人たちの動向に目が向くようになりました。改めて、お礼申し上げます。

130やす:2006/04/26(水) 21:18:01
城北古書会展目録
石神井書房さんの出品より四季コギト関係書目。03-3995-7949 Fax:03-3995-1084
1865『雑誌 果樹園』 \10,000 1-36号合本 昭和31年-33年
1874『コギト詩集』 \12,000 函欠 昭和16年 山雅房
1877『父のゐる庭』 \10,000 函日焼 昭和17年 臼井書房
1878『日まはり』 \30,000 帙少痛 昭和9年 椎の木社
1879『測量船』 \25,000 皮背少痛・函少染  昭和5年 第一書房
2015『田中冬ニ葉書』 \2,000 昭和31年
2020『木下夕爾葉書』 \9,000 戦後

今月いっぱいは公務、来月は高校訪問に忙殺。詩を思ふことしきりなれど。

131やす:2006/05/03(水) 20:42:14
何十年ぶりに金シャチ見学
連休初日。「文化のみち二葉館」を見学。副館長おみえにならず残念でしたが和洋折衷の瀟洒な建物に感銘。帰途、御書物処“永楽屋”に立寄って江戸時代の漢詩集を物色(うそ名古屋城)。藤棚の見ごろはもうすこし先の模様です。

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000223M.jpg

132やす:2006/05/04(木) 19:41:05
城めぐり
連休二日目。「昨日名古屋で今日岐阜城。あした明後日○○城?」
稲葉山山頂で読む漢詩もまた一興(へとへと)です。

 岐府山  金龍道人

古音號稲葉、或稱金華。中古以似中華岐山名岐阜。後至平將軍信長公、移此修覇業、改號岐阜。其地東山右河、山水明麗、爲一都會。信長之孫、信雄黨石田而亡矣。今爲尾州属城、覇業餘風猶存矣。

憶古將縦目 古へを憶へば将に縦目せんとす (縦目:遠望)
城墟聳碧空 城墟、碧空に聳ゆ
路連飛鳥外 路は連る、飛鳥の外
身入亂山中 身は入る、亂山の中
危石徒天險 危石、徒らに天險
老松思國風 老松、國風を思ふ
覇圖雖已矣 覇圖は已むといへども
裁賦欲爭雄 賦を裁して雄を争はんと欲す

 又
岐山雨霽碧崔嵬 岐山、雨霽れて碧、崔嵬
上有平公天主臺 上に平公の天主臺あり
路轉七盤登絶頂 路は七盤を転じて絶頂に登る (七盤:七曲登山道)
千村萬落掌中開 千村萬落、掌中に開く

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000224M.jpg

133:2006/05/06(土) 18:47:24
二葉館副館長と話しました。
こんばんは。今日、二葉館の西尾副館長と話をしました。日時を指定していただければいつでもお会いさせていただくそうです。今日の書庫内では、文学ボランティアの方が城山三郎寄贈の資料を整理されていて、本の間から昔の百円札を見つけ皆で懐かしがっていました。
未整理の寄贈資料の中に「小谷剛」のものと「佐藤一英」のものが目に付きました。「佐藤一英」のものは、たまたま二葉館を訪れたご子息が、寄贈されたもので全集や記念展のパンフレット類、記念切手など比較的新しいものでしたが、これからまだ寄贈されると言うことでした。

134やす:2006/05/07(日) 14:52:40
「橦木倶楽部通信」拝見致しました。
ありがたうございます。今月は高校訪問の出張(三重・新潟)が引き続き、休みはどこにも行く気がおきないかもしれませんが、次回お伺ひする際には事前に御連絡を申上げます。西尾副館長様にはよろしくお伝へ下さいませ。
ともあれバブル崩壊後に出てきた郷土資料を、どこでどう管理するのか、考へなくてはならない時期かもしれません。新たな予算が付き難く、一旦収まってしまった資料はお蔵入りといふ状況は略、図書館と同様なのだらうと拝察いたします。
佐藤一英資料、初期の稀覯詩集や詩人が関はった同人誌の類ひ、これは万一寄贈されればコレクションの核になるかと存じますが、残ってゐてほしいものですね。

http://white.ap.teacup.com/syumoku/124.html

135やす:2006/05/07(日) 18:01:32
薹立ちぬ
家人に所用あり、われも上京一泊。折角なので土曜日に神保町を回ったのですが…。
連休中、店の半分は閉まってをりました。本はぐろりあ展で300円の本を一冊拾っただけ。
といふか、念願の『故園の歌』が懇意の本屋さんの「放出棚」に出てゐたのに手が出ませんでした。結局恥かしくて挨拶も出来ずに退散・・・・こんなことは初めてです。戦前抒情詩の分野、(現実的な範囲で)もう欲しい本は数へるほどしかない筈なのに、たうとう収集にも焼きが回ったかな。薹が立ったかな。(あとで「そんなに欲しかったら買へばよかったのに」と云はれてさらにショック。)
U^エ^;U 「いや今回の状況下、選択は正しかったんぢゃないかな。」

136やす:2006/05/11(木) 19:58:51
旅人かへる。
 自分が「晴れ男」であることはうすうす自覚してゐましたが、今回の出張はまさに雨を避けるやうに北上、雨をやり過ごしてふたたび晴れ間に帰還。御当地新潟では月別気温の記録更新に与ることにもなりました(笑)。
 昨年の担当地区、兵庫・淡路から今年は新潟へ。大地震の痕跡も著しく、と思ったのは、しかしこれは雪害の爪あとでありました。なにしろ三十度近い暑さの中、山間部は道端にもまだ雪が残ってゐるといふ今年の大雪。ゆくりなくも土筆や蕗の薹を摘んで帰るとは思はなかったです。
 ともあれ越後もまた詩人たちの故郷であります。高校訪問の際には校庭の碑や玄関に掲げられた校歌の作者をみてゐるのですが、なんと小千谷高校には西脇順三郎の胸像が!これには驚いたです。今度伺ふときには初版本もって行かうかな(笑)。
 ただ「江戸漢詩先賢追慕行脚者」としては、良寛さんの史跡は沢山あるものの、館柳湾には故郷とて何もない様子。地元高校の国語の先生も御存知なかったのは…当世仕方ないのかな。

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000228M.jpg

137やす:2006/05/15(月) 20:34:30
本の紹介『漢文歳時記』
館柳湾の『林園月令』、伊勢で訳出が刊行されてゐたんですね。
『漢文歳時記』館柳湾著 杉野茂訳 伊勢新聞社 112p B5 1500円

 わが出張先である伊勢と越後。かたや日本で一番雨の降る地区ならかたや日本で一番雪の降る地区。江戸時代に風流を極めた二人の詩人と昭和初期モダニズムを極めた二人の詩人を生んだ土地。明日からはその伊勢へ参ります。尤も良寛でなく館柳湾を偲んでハンドルを握った旅路は、今回も芭蕉ぢゃなく斎藤拙堂や北條霞亭を偲んで走ります(笑)。

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000231M.jpg

138やす:2006/05/15(月) 20:57:23
本の紹介『高森文夫詩集』
 調べものできのう県立図書館へ立ち寄った際に見つけた本。
『高森文夫詩集』本多寿編・解説 -- 本多企画, 2005.6 , 218p, 図版[7]p.
生前の集成的詩集『舷灯』に未刊詩篇を付したもの。なので『舷灯』を手に入れられなかった人はもとよりですが、むしろ本冊の半分を割いて書き下ろされた、詩人の伝記ともいふべき本多寿氏の懇切な解説ゆゑに、お薦めしたいです。ことにも中原中也との交渉に関して詩人が折々に記してきた文章をもれなくあつめて紹介してあるので、安原喜弘の他にもう一人、気を許した親友であった高森文夫といふ詩人の目から眺められた中原中也を知るための格好の一冊となってゐます。新たに公表されて話題となった、藁の上に寝転がる中也の写真も載ってます。ISBN:4894451182 \2000

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000232.jpg

139やす:2006/05/24(水) 18:38:26
本の紹介『舷燈はるかに』
「日本古書通信」古書目録(騎士亭文庫)で見つけた本。
『舷燈はるかに』長谷川敬--木食工房, 1999.2 , 410p ; 19cm, ISBN:なし \3000
 あとがきに、
「・・・(前略)この書下ろし作品は既存の出版社からの発行が決定していたが、私自身で設立し、 すでに仲間の詩集を数点発刊した『木食工房』での出版を最終的に決めた。作品を汚したくなかったからである。(後略)・・・」
 とあるやうに、他にも多く著書はあるのに不思議なことにこの本のみが世に出回ってゐない。大学図書館はおろか公共図書館にも(豊橋市立図書館を除いて)ない様子である。さて何部刷られたものか。丸山薫の評伝は、未亡人による『マネキンガール 詩人の妻の昭和史』の証言が貴重ですが、著者はそれを企画、執筆の協力もされたとのこと。ただし第四期「四季」編集にも与ったといふのに、潮流社のことにあまり触れられてゐないのも不思議といふか残念。同じ1999年には雁行して『涙した神たち』(八木憲爾著 -- 東京新聞出版局, 1999.10, 331p)が上梓された訳ですが、八木会長からもこの本のことやこの方について仄聞した記憶がありません。
 生前の詩人から「誤解されやすいから気をつけなさい」と再三にわたり心配された由。しかしこれだけの内容・分量のオマージュが世に知られないのは残念なので、書影を掲げてみました。
 読みたい人は図書館に行ってもないですから、直接版元に尋ねてみられたら如何。礼を尽くしてお便りをすれば(残部があれば)頒けて下さるかもしれません。
 木食工房 〒351-0105埼玉県和光市西大和団地2-4-501長谷川様方

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140やす:2006/05/25(木) 20:14:29
今週末は岐阜でも古書展
福地書店、一誠堂、和洋会、浪速書林、落穂舎、などなど目録たてつづけに着。
注目は[玉]睛さんの『聖家族』の初版本\50,000(和洋会No.1117)かな。
ともあれ浪速書林から眼福の一冊を掲げます。

https://img.shitaraba.net/migrate1/6426.cogito/0000234.jpg


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