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昭和初期抒情詩と江戸時代漢詩のための掲示板

99やす:2005/12/24(土) 21:35:39
立原道造記念館館報36号
 立原道造記念館から館報36号ならびに新春企画展「立原道造が描いた世界 パステル画を中心として」の御案内をお送り頂きました。ありがたうございました。
 館報には、さきに新刊を御紹介した國中治氏の「第二次四季の構想」、また前回の休みをおいて再び立原道造を揺さぶらんと試みた?島亘氏の「詩集の彩り」が、それぞれ次号継続分に含みをもたせ誌面をいろどってゐます。二氏は立原道造記念館の懐刀であります。
 冗談はさておき、國中治氏の論文にみられる精緻な論証は、すでに定評をもって知られてゐる通りですが、その論理の背景に在るものが、たとへばこの文章において「四季座談会」の記事について述べてゐるくだり、
“一見孤高で分が悪いように見える萩原朔太郎が、実は三好達治や丸山薫が主張する詩作の次元を凌駕している”だとか、
或は此度の新著のなかでも、三好達治の木下夕爾への羨望を嗅ぎ取ってみせたり、沢西健が示した“立原道造がもし生きていたら再び物語の世界へ帰っていったのではないか”、といった大胆な推論への言及とか、つまり従来の研究者が見過ごしてゐた当事者的着眼点とともに、詩人的な直感を強く感じさせるあたりが、単なる紀要論文とは似て非なる、研究者らしからぬ魅力なのだと思ひます。
 一方、?島氏の一文ですが、氏が云ふとほり、自分の詩集の製作解説を「あとがき」に入れずに同人誌に掲載した“立原流の一種の衒いと含羞み”といふのは、確かにその通りなのでありませう。加へて彼が詩集を刊行する際に、堀辰雄や室生犀星に序文を乞はなかったことを正当化するためにも、資金不足を逆手に取ったあの楽譜型詩集の体裁が、おそらく好都合であったのだと、そこまで私は邪推してをります(笑)。装幀の特異さに表れた彼の矜持からは、「一体に名詩集には前書きも後書きもないものなんだ」といふ、愛書家ならではの一家言をも感じます。そして氏が続けて、
“彼の言葉を理解するときに気をつけなければいけないのは、柔らかな言い回しの中に隠された包み込むような一面的な見方であり、それがともすれば真実に見えてしまった時点で立原という罠に嵌ってしまうことになる。この一面性とは背後に様々な国の詩人たちの言葉を蔵す技巧と換言することができるかも知れない。”
と語るとき、“一面性”“技巧”とは、つまり高度な教養を背景に蔵した表現上の“単純”を指してゐるのだと思はれるけれど、貧しい語彙がそれ故に純粋に凝った秘密は、やはり技術の次元ではなく、文学と生活が一緒になってしまふ詩人の一途さの上に表れてゐるのだといふ気持が私には強い。それを承知で敢へて技巧に換言して、詩人の抽斗を探ろうとする氏の、“衒いと含羞み”をはらんだ続編の行方に期待したい。


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