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昭和初期抒情詩と江戸時代漢詩のための掲示板

107中村一仁:2006/01/18(水) 02:07:41
感動と危機の予感と
やす様

12日から北海道に出向き、淺野晃関係の取材等をしてきました。
12日は苫小牧市立中央図書館を訪れ、生前の淺野が当時の図書館長に託した資料(閉架)を閲覧させてもらひました。先頃、決定版全集に収録された三島由紀夫の書簡2通のほか、保田與重郎の手紙が3通、水野成夫の手紙が3通、変はつたところでは大川周明の手紙が1通、モスクワ留学中の蔵原惟人からの絵葉書が1通…などなど、貴重な来簡がたくさんあるのを眼にして、絶句してしまひました。特に、詩集『寒色』が読売文学賞を受賞した際に水野が書き送つた手紙をこの眼で見た時には、その短い文面に、勇払時代の淺野を励まし続けた水野の歓喜と、2人の長年の友情が凝縮されてゐるやうに思はれて、胸が熱くなるのを禁じ得ませんでした。また、保田の書簡はいづれも淺野から贈られた詩集への礼状で、詩集『草原』への礼状では、佐藤春夫の法要を無事に終へたことや中谷孝雄・平林英子夫妻が参列し、京都の寺めぐりの際に2人が淺野のことを話題にしてゐたことが書かれてゐました。このあたりのことは「昧爽」第11号で詳しく書くつもりです。

13日から15日午前までは、穂別町の資料室の整理を手伝ひました。前にお伝へした、千代子の最後の手紙がノートに写されてゐたといふ話ですが、日記の間に千代子の手紙を写したノートの切れ端が挟まれてゐたといふのが実際のところでした。おそらく実物を苫小牧に送つてしまつた後も、それを読み返してゐたのでせう。淺野がいかに千代子を愛してゐたかが、痛いほど理解されました。また、昭和天皇崩御に際して詠んだ追悼歌の歌稿が見つかり、そこに書かれた歌と、雑誌に掲載された決定稿の間に若干異同があつたのが興味深かつたです。

穂別町は市町村合併で3月に「むかわ町」になるものの、資料室に配分される新年度の予算がゼロで、3月で資料室は事実上閉鎖状態に追ひ込まれることが判明し、愕然としました。小説『風の生涯』で淺野を描いた作家の辻井喬氏や、北大名誉教授で日本浪曼派研究の泰斗である神谷忠孝氏に発起人になつていただく形で、研究団体の設立を急がうといふ声もあり、その話が具体化した時には、やす様や立正大学OBの諸氏にも改めてお願ひさせていただく所存です。それでも、斉藤征義氏はあくまで「天と海忌」は開催する方向で動くとのことで、辻井氏に講師を打診すると言つてをられました。私は斉藤さんの判断に従つて、ついていかうと考へてをります。

寒い毎日が続きますが、くれぐれも御自愛専一に願ひ上げます。


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