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昭和初期抒情詩と江戸時代漢詩のための掲示板
116
:
やす
:2006/03/04(土) 22:56:57
(無題)
最近、漢字の修養かたがた再び鴎外の史伝に挑戦を始めました。此度は三部作のうち一番長く未読であった『伊澤蘭軒』です。それで『北條霞亭』のときはずっしり重い全集本に読後の達成感を求めましたが、今度は携帯も出来るやう新書版の選集にあれこれ書き込んでゐます。お供のチャンペラは同じく『鷗外歴史文學集(なんと四分冊あります)』。筋より文体が楽しい読み物ですから、斯様な接し方も許さるべく、いっそのこと富士川英郎の『菅茶山』と平行して、一年一年区切りながら読み進んでゆけないか、などと横着なことを考へてをります。
さて先日、実は手紙にて匿名子より辛辣な御叱正を賜りました。なかに次のやうな件があって、自分が他人さまからさういふ風に思はれてゐることを初めて知って、情けなくなりました。
(前略)わたくしから見ますと、貴兄一人は棒給を得ている身でありながら、懐を痛めることなく、人からお恵みを戴き続けていることを何ら恥じることない、また、インターネットという媒体を通して、大っぴらに自らの探求物の恵みを賜ることを恬として恥じることのない行為を続けている人のように思われます。
さらに、ほぼ流用に近いデータをさらして、網を張り、そして自ら作ったごとく誇り、在野に隠れている無数の詩人の縁者からの連絡を期待するかと思えば、他に追随する者なきを嘆くというイソップの「からす」のような行いを恥じることはないのでしょうか。 (後略)。
「からす」といふのはなんでせう、或は「かけす」の誤りと自ら調べさせてことさら辱めるつもりだったのかな。さらに「よかれと思って、インターネット上で他人の著作物を愚弄するに当っては云々」と続いてゐて、未知既知の方々より寄贈いただく本などに対し、これまで論文一本書いたことの無い自分がいい気になって書評をものしてゐた浅はかさを思ひ知らされました。
顧みますにこのサイトも、いろいろな人々との出会ひによって、これまでモチベーションを高めながら今日を迎へることができたのでした。ことにも稀覯詩集の数々を、頂いたり譲ってもらったり、まるで「古本の神様」でも憑いたかのやうな一時期は、今にしてなほ信じられない気持もし、知識や資金の乏しい田舎棲みの自分が、偶々このサイトを開いてゐたことによって過分の恩恵に与った事実は、確かに匿名子が指摘するやう、側から見たらばまことに独占的な営為に映ってゐたのに相違ありません。それが物質的のことだけであるなら、この手紙を読んでその通りに恥じ入ってしまふところでした。
もとより詩心といふ、曇ったら無一物になってしまふものに縋って活動してをります。おべんちゃらこそ言はないつもりですが、現代詩に慊らないで来訪して下さった同好者に対して不快感を与へるホームページであっては意義がありません。さうして「あいつうまくやってやがらぁ」と云はれないために、私のできることと云へば、結局のところやはり資料公開をはじめいろいろな有形無形の賜りものを無にしないこと、ではないかとも思はれるのです。批判は謙虚に受け止め初心に立ち返り、(圧力でもない限りは)もうしばらく運営を続けてみようと思ひを新たにしてゐるところです。何卒あたたかくお見守り頂けましたら幸甚に存じます…。
といふ訳で、
今週は鯨書房の御主人が編輯に係る地元詩人の詩集『藤吉秀彦詩集』(現代詩人文庫 砂子屋書房2006.3)の御恵贈に与りました。また立原道造記念館よりはヒヤシンス忌の御案内 (このさきなかなか参加も叶ひませんが) を頂きました。この場にても厚く御礼を申し上げます。ありがたうございました。
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