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自覚の方法に関すること
339
:
慧空
:2015/10/30(金) 23:37:54
自覚初心者さんへ
自覚初心者さんは、ハートやハートのコアを意識しすぎておられるのだろうと思います。
あるいは、ハートやそのコアに拘りすぎているというか。
一旦、ハートやそのコアのことは忘れて、あるいは脇に置いておいて、
シンプルにただ「私」に意識を向けることをやってみて頂きたいと思います。
「私」に意識を向けるやり方を変えてみるのもいいかも知れません。
「私」に意識を向けるやり方には、二つのやり方があります。
一つは、ハートの中心に「私」という考えをつくり、その「私」に意識を向ける、あるいは集中する方法です。
もう一つは、身体の中心を縦に通る中心軸をイメージする方法です。
中心軸をイメージするだけで、自覚になります。
一旦、ハートから離れるために、この二つ目の中心軸を使った方法を試してみるのもいいかも知れないと思いました。
中心軸に「私」という名前を付けて、中心軸をイメージしながら、そのイメージに「私」を重ねるようにしてもいいです。
>「私」とは、本質へ意識を向かわせるための最低限かつ唯一残す思考と言うことでしょうか?
そうです。
取りあえずはそういうご理解で問題ないと思います。
340
:
自覚初心者
:2015/10/31(土) 00:14:00
慧空さん、夜分に失礼します。
>自覚初心者さんは、ハートやハートのコアを意識しすぎておられるのだろうと思います。
本当にその通りです。
「正しく行わなければならない」とガチガチになってました。
>一旦、ハートやそのコアのことは忘れて、あるいは脇に置いておいて、
シンプルにただ「私」に意識を向けることをやってみて頂きたいと思います。
はい!そうします!
一旦、ハートから離れるために、この二つ目の中心軸を使った方法を試してみるのもいいかも知れないと思いました。
慧空さん、色々な方法で導いて下さり、本当に感謝しています。
ハートは置いといて、こちらの方法を試させて頂きます。気を抜けば正解を求めて、今度は、中心軸ってどこだ?どこだ?と思考が周りだしそうですが笑、とにかく結果は気にせず、実践あるのでやってみます。
341
:
ツヨシ
:2015/10/31(土) 18:49:26
慧空さん
自覚初心者さんへ
今回のお二方のやりとり、非常に興味深く読んでおります。
特にハートについての自覚初心者さんのご質問、私もモヤモヤしつつもいまいち整理がつかず慧空さんにどうご質問しようかと迷っていたところです。
ハートの感覚は身体的に付随した要素であり、私自体ではないというお言葉ですっきりしました。
また一から自覚で探究していますが、ハートに集中するとそれを見ている私が現れてしまい集中し切れないでいました。
最近は直にその見ている私、目の奥にいると感じる私に焦点を当ててますが、それで良かったんですね。
大悟に達するにはハートへの集中が必要であると誤解していました。
この目の奥の私ですが、今までこれを大いなる私と感じていました。
しかしこれを自覚すると、これさえも身体的な要素に付随した考えであることがわかります。
となるとやはり思考自体が私であるということに気付きますね。
今のところ整理がついたのはこの辺までですが、大きなヒントを与えて下さったお二人に感謝致します。
342
:
佐藤
:2015/10/31(土) 19:01:35
自覚初心者さんは、頭が良いですよね。
私のハートの自覚は、
ハートの私そのまま自覚するという感じでした。
頭からハートを見るのもありますが、
ハートから頭を見たり、ハートから腹を見たり、腹からハート見たりしながら自覚するというのもやってみてハートの私の感覚をとらえると良いと思いました。
俗に言う真我といっても良いと思います。
343
:
ツヨシ
:2015/10/31(土) 19:11:42
佐藤さんへ
佐藤さん初めまして。
自覚初心者さんのぐいぐい行く質問に真剣さを感じました。
また自分のことをよくわかってらっしゃいますね。
ハートから頭を見る!
その発想はありませんでした。
面白そうなのでやってみます。
アドバイス頂きありがとうございます。
344
:
佐藤
:2015/10/31(土) 20:01:12
ハートから頭は、ハートの私を捉えられないく、さっぱり分からない時に慧空さんに教えてもらいまして、ハッとした過去があります。
その頃は、ハートは神聖で とてもそれを私であるという感覚が無かったものですから。。
345
:
慧空
:2015/10/31(土) 20:04:44
ツヨシさんへ
>大悟に達するにはハートへの集中が必要であると誤解していました。
悟りを深めていくことは、囚われを手放していくことと同義ですから、
囚われを手放していけば、いずれ自ずと大悟に至るんです。
小悟だってそうです。
解脱の悟りだってそうなんです。
自分に囚われに気づいて、それを手放していくだけなんです。
ただ、大悟はハートが滅せられることに伴って生じる悟りなので、
ハートを滅するため、ハートにある「私」という感覚の中心(コア)に意識を集中して、
それを突き抜けるというか、破壊するというか、焼き尽くすというか、そのようにして
ハートにある「私」という感覚の中心(コア)を滅するのが、手っ取り早いというだけなんです。
ハートは、「私」に関する囚われの集合体のようなものなのです。
その囚われをある一定レベル以上滅すれば、ハートが消滅するとともに、
それに伴って、「私」に関する感覚が大きく減退し、より深い観照意識が表面に現れるようになるんです。
大悟に伴って実感する「見る者は見られるもの」という感覚は、その深い観賞意識に始めて触れたときの感覚なのです。
続きます。
346
:
慧空
:2015/10/31(土) 20:10:49
続きです。
>この目の奥の私ですが、今までこれを大いなる私と感じていました。
しかしこれを自覚すると、これさえも身体的な要素に付随した考えであることがわかります。
となるとやはり思考自体が私であるということに気付きますね。
その目の奥の私は、おそらく、悟りを深めていくときに最初に体験する観照意識のことだろうと思います。
この観照意識はまだ浅いものであり、肉体に付随した感覚の影響を強く受けているのだろうと思います。
347
:
ツヨシ
:2015/10/31(土) 23:25:47
慧空さんへ
> ハートにある「私」という感覚の中心(コア)を滅するのが、手っ取り早いというだけなんです。
なるほど、そういうことだったんですね。
慧空さん、佐藤さんがハートに集中されて大悟のゲートをくぐられたわけですから、ハートが最も大悟のゲートに合う鍵であることは理解できました。
ただ、ハートの感覚も目の奥の感覚も私ではなく、思考が私であるんだと確信しつつあったのですが、ひとまずその事は横に置いてハートの感覚を私として焦点を当て続けた方がよろしいのでしょうか?
348
:
ツヨシ
:2015/10/31(土) 23:39:07
自分の上の文章を読み返してみたら馬鹿なことを言ってるなと思い追記です。
ハートの自覚が最も大悟への近道なのですから、あれこれ考えず素直にハートに集中しようと思います。
失礼致しました。
349
:
慧空
:2015/11/01(日) 00:30:10
ツヨシさんへ
>ただ、ハートの感覚も目の奥の感覚も私ではなく、思考が私であるんだと確信しつつあったのですが、ひとまずその事は横に置いてハートの感覚を私として焦点を当て続けた方がよろしいのでしょうか?
いえいえ、ハートにある私という感覚の中心(コア)を滅するのが最も直接的で最短のルートだろうとは思うのですが、
それよりも大切なことは、その方法がツヨシさんに合っているのかという点だと思いますよ。
自分に合ってない方法なら、無理にそれをやるのもどうかと思います。
大悟に至る方法は経路は複数存在します。
ハートを直接的には使わない方法やルートもあります。
例えば、ただ単純に「私」に意識を集中するだけでも大悟は起こるはずですし、
自覚によりコツコツと囚われに気づいてそれを手放して行っても、大悟に至ります。
ですから、ツヨシさんにはツヨシさんに合ったやり方やルートがきっとあるのだろうと思いますよ。
350
:
慧空
:2015/11/01(日) 00:42:19
補足です。
さらに他の方法として、「私とは何か」を徹底的に追求していくだけでも、
間違い無く大悟に至ると思います。
実は、私(慧空)はこの追求もかなりやっておりまして、私が悟りを深めるのにとても寄与したのではないかと思っています。
しかも、この方法の利点は、その追求によって到達できる悟りの深度が、大悟のゲートよりの位置よりもさらに深いところまで到達可能である点です。
具体的には、大悟ゲートと解脱の悟りとの間のおよそ中間地点までこの方法で到達できます。
ハートにある私という感覚の中心(コア)に焦点を当てる方法だと、大悟ゲートを潜るところまでしか有効に機能しないのです。
なぜなら、大悟に伴ってハートが消滅するので、大悟後はハートが使えなくなるからです。
そう考えれば、どの方法も一長一短があるのだろうと思います。
351
:
ツヨシ
:2015/11/01(日) 13:06:05
慧空さんへ
いろいろとご助言頂きありがとうございます。
私の場合、私とは何か?を追求する方法から入って来ましたので、そちらの方がやり易さはありますね。
その方法でも大悟に到達できるという慧空さんのお言葉は大変励みになります。
追求や自覚をしていてガツンとした気付き、深い自覚があると胸が開放された感覚がありますが、これがハートと言われるものなのでしょうね。
この時は囚われが滅せられてるのかなと思います。
このハートに直接的に働きかけるのがハートの自覚なのかなと感じました。
ただ私の場合は直接ハートに働きかけると違和感が出てきてしまうので、コツコツ自覚で少しずつ囚われを減らして行きたいと思います。
まだその時期ではないのかもしれません。
352
:
慧空
:2015/11/01(日) 18:12:34
ツヨシさんへ
>まだその時期ではないのかもしれません。
そんな悠長なことを仰ってないで、ガンガンとやってくださいな。(^o^)
353
:
ツヨシ
:2015/11/02(月) 13:09:40
慧空さんへ
そうですね笑
このまま一生モヤモヤしながら大悟に至らず、気づいたら死んでいたじゃつまらないですもんね。
生きているうちに解脱まで到達してみたいです。
ハートを頭から見ることに違和感がありましたが、昨日、目を閉じて目の奥の私をハートに移動させて集中するというアレンジを加えてみたところしっくりきたような気がします。
佐藤さんからのアドバイスでピンときて、中学生の時に読んでいた高藤総一郎さんの秘術超能力仙道入門(!!)瞑想方を思い出したのですが、役に立ちました笑
集めていた本はすべて母親に捨てられてしまいましたけども…。
354
:
慧空
:2015/11/02(月) 20:05:46
ツヨシさんへ
>中学生の時に読んでいた高藤総一郎さんの秘術超能力仙道入門(!!)瞑想方
世の中には、そんな中学生がいるんですね。
すごいというか、なんというか。
お母さんはさぞ心配されただろうと思いますよ。(^o^)
355
:
ツヨシ
:2015/11/03(火) 01:01:17
はい。
当時は仙道のファンタジックな世界に惹かれて部屋で外功なども挑戦してました。
母親もびっくりしてましたね笑
少し不眠症というか、寝ていても意識が胸や腹で半覚醒しているという状態が起こるようになり、怖くなってやめてしまいしたが…
こちらの掲示版の主旨と少し違いますので仙道の話はこの辺で(^-^;
356
:
カオリ
:2015/11/03(火) 20:06:24
慧空さんは、現在キャンドルライトに復帰されているのでしょうか?
357
:
慧空
:2015/11/03(火) 20:14:58
カオリさんへ
復帰していませんし、そのつもりもありません。
358
:
自覚初心者
:2015/11/04(水) 14:53:56
慧空さん、こんにちは。
突然ですが、全く的外れな質問でしたら失礼します。
自覚をする中で起こった疑問なのですが、感覚と思考、同時に意識を向かわせる事は不可能ですよね?
例えば、足が痺れている時に、「足が痺れて痛いなぁ〜」と思った時、意識の動きとしては、
足のジンジンを感じる(感覚)→痛いと思う(思考)は、決してジンジンと言う感覚に意識がありながら、痛いとは思考出来ず、0.0000何秒か(これはイメージでもの凄い早いと言う意味)で意識が感覚から思考に移動しているという事ですか?
だとすると、体感として絶えず続いていると思っている痛みの感覚も、痛いと思考が走るその瞬間は、ジンジンと言う感覚はない(感知してない)と言う事ですよね。
これと同じ様な質問になりますが、感情と感覚も同時に意識を置く事は不可能ですよね?
思考、感情、感覚、は同時に起こっている様で、もの凄い速さで意識がそれぞれの対象に飛んでっていっては消えると言う繰り返しをしていると言う事でしょうか?
359
:
慧空
:2015/11/04(水) 19:02:01
自覚初心者さんへ
>感覚と思考、同時に意識を向かわせる事は不可能ですよね?
>感情と感覚も同時に意識を置く事は不可能ですよね?
その通りです。
自覚初心者さんは、既に相当な達人者ですよ。
初心者さんが理解されているように、意識の認識対象は常に一つなのです。
あるいは、意識は常に一つであり、その内容が刻々と推移して行っているだけということもできます。
>思考、感情、感覚、は同時に起こっている様で、もの凄い速さで意識がそれぞれの対象に飛んでっていっては消えると言う繰り返しをしていると言う事でしょうか?
これについても、大凡のところはその通りです。
引き続き、初心者さんが捉えかけておられる意識の挙動ついて、自覚によりさらに追求して頂きたいと思います。
360
:
自覚初心者
:2015/11/04(水) 21:54:58
すみません、慧空さん、また誤解を招く様な書き込みをしてしまいましたが、これは、私の中の仮説に過ぎず、ここを今確かめたくて自覚で実験するのですが、全く捉えられないんです(^_^;)
今朝、もの凄くイライラしながら菓子パンをかじってたんです。その時の様子を自覚していたら、もうイライラの感情でいっぱいなんですけど、一瞬パンの事を「おいしい」って認識したんです。心の声でおいしいと喋っていたのかも自覚出来ず、ただその様な味覚が走りました。あっという間にイライラの感情と思考に飲み込まれたので、その時は感情(イライラ)の最中、味覚(おいしい)がよぎっただけと自覚していたのですが(感情と味覚が同時進行)、ふとそれは、同時ではなく、1つしか焦点を当てられない意識が、感情から味覚に移ったのではと感じたのです。
より細かく分けるなら、イライラ(感情)→イライラする〜(思考)→味覚→おいしい(思考)と言う意識の流れになりますでしょうか。
その後も、この意識の推移を捉えたいと自覚するのですが、そのもの凄い速さに全く歯がただずでして…
意識の焦点は1つであり、感覚、感情、思考を行き来しているのであれば、人間が認識するものは全て、感覚、もしくは感情が発生して、そこから思考へと移る、一連の意識の流れがあると言う事でしょうか?
(視覚、臭覚、味覚、などは感じた時点でもうすでに思考が入っている)
それとも認識が伴うものでも、思考には変換せず、純粋な感覚、感情だけで体験する事は可能でしょうか?
自覚をするにあたり、認識するものには全て思考がセットになっているのだとしたら、自覚出来ていない思考がもの凄い数になるのでは?と言う疑問と、自覚をマスターされている方は、ここまで詳細に意識の移り変わりを捉えられておられるのか?と思い質問させて頂きました。
361
:
慧空
:2015/11/04(水) 23:14:31
いえいえ、私は誤解してないと思いますよ。
初心者さんのいまの状態をそれなりに把握してると思いますよ。
うまく表現できませんが、文章として書かれている内容ももちろん判断のヒントにしていますが、
それに増して、感じるようにして分かる部分があるんです。
分かるときは、短い一行の文章でも、その人のことが分かるときがあります。
意識の焦点の件ですが、意識の焦点はかならず一つだけ、つまり意識は一つだけ、
というのは、まさにその通りなんです。
>意識の焦点は1つであり、感覚、感情、思考を行き来しているのであれば、人間が認識するものは全て、感覚、もしくは感情が発生して、そこから思考へと移る、一連の意識の流れがあると言う事でしょうか?
(視覚、臭覚、味覚、などは感じた時点でもうすでに思考が入っている)
私の意識の展開についてある程度は詳細に観察、追求しましたので、それなりのことは分かっていて、
それをここに書くことはできますが、それを書いてどうなるものでもないので、どうしようかと思っているのですが、
どうしましょうかねぇー(^_^;)
ちょっと書きましょうか。
意識の展開についてご自分でもよく観察されるといいと思うのですが、
意識の展開は、六根の連鎖的な連なりなのです。
六根とは、五感と意でして、意は感情等を含む思考のことです。
そして、意識の展開の起点になるのは、多くの場合、五感、あるいは五感の認識なのです。
最初の五感の認識があり、それに反応、あるいは誘発されるようにして、感情等を含む種々の思考が連鎖していきます。
但し、私としては、最初に五感でなく意が来ることもそれなりにあるように思っています。
>それとも認識が伴うものでも、思考には変換せず、純粋な感覚、感情だけで体験する事は可能でしょうか?
それは不可能です。
絶対不可能とは言いませんが、思考が介在しない意識の展開は、おそらくあり得ないと思っています。
なぜなら、意識の要素の中で、実は「思考」こそが、「私」の最も本質的な部分だからです。
「私」が存在する限り、「思考」の発生は不可避です。
但し、囚われが減るに従って思考もある程度の最低限のレベルまで減少していきます。
>自覚をするにあたり、認識するものには全て思考がセットになっているのだとしたら、自覚出来ていない思考がもの凄い数になるのでは?と言う疑問と、自覚をマスターされている方は、ここまで詳細に意識の移り変わりを捉えられておられるのか?と思い質問させて頂きました。
そうなんです。
思考はもの凄い数で次から次に起こってくるんです。
そして、それをすべて自覚するのは、そもそも不可能なのです。(^o^)
しかし、不可能だと最初から諦めてしまうのはどうかと思います。
やはり、すべての思考を自覚するぞ、という強い意気込みが自覚には大切なのです。
さらに何かありましたら、遠慮なくどうぞです。
362
:
自覚初心者
:2015/11/05(木) 01:01:13
慧空さん、ご丁寧に説明して下さり、本当にありがとうございます!
>但し、私としては、最初に五感でなく意が来ることもそれなりにあるように思っています。
私は営業職時代、よく会社の携帯の着信音がなると、身体がビクッと反応していました(^_^;)身体の反応→嫌な感情→「クレームかなぁ…」(思考)でしたが、ただの携帯の着信音でこれだけの意識の連鎖が自動的に起こるのは、この場合、着信音に対しての「怒られる」と言う恐れの意、(感情、思考)が先にあったからと言う事でしょうか。
>意識の要素の中で、実は「思考」こそが、「私」の最も本質的な部分だからです。
「私」が存在する限り、「思考」の発生は不可避です。
但し、囚われが減るに従って思考もある程度の最低限のレベルまで減少していきます。
認識(する私)がある限り思考が発生するのなら、逆説的に言えば、認識がなく(認識する私がおらず、意識が対象物そのものになる)、純粋に感覚にとどまった時、よく言われる「ありのままをみる」と言う状態になるのでしょうか?
すみません、まだ体験をしていない事をあれやこれや仮説を立てて確認するのは、頭での理解でしかありませんが、興味が止まりません(^_^;)
>そして、それをすべて自覚するのは、そもそも不可能なのです。(^o^)
しかし、不可能だと最初から諦めてしまうのはどうかと思います。
いえいえ、諦めません!!いっこうに意識の流れが捉えられない私には、よっぽど自覚が向いていないのかと疑っていましたが、少し安心しました。慧空さんのご丁寧な説明のおかげで、俄然ヤル気が沸いてきました!
ありがとうございました!
363
:
慧空
:2015/11/05(木) 06:57:31
>着信音に対しての「怒られる」と言う恐れの意、(感情、思考)が先にあったからと言う事でしょうか。
意が先にあったというか、着信音が反応しやすい囚われ(種、カルマ)が先にあるということなのです。
例えば、「クレームを受けることはいけないことだ」とか、「評価されないとダメだ」等の囚われがあったのだろうと思います。
>認識(する私)がある限り思考が発生するのなら、逆説的に言えば、認識がなく(認識する私がおらず、意識が対象物そのものになる)、純粋に感覚にとどまった時、よく言われる「ありのままをみる」と言う状態になるのでしょうか?
「私」とは意識そのもの、存在そのものであり、世界なんです。
世界がある限り、「私」やその必須の要素である思考も、決して無くなることはないんです。
残念ながら、最終的な悟りである解脱の悟りに至っても、存在(世界)が続く限り、「ありのまま」、あるいは「ありのままを見る」という状態に至ることはありません。
なぜなら、存在がある限り、思考や、こうしたいという意志や衝動は必ず起こってくるからです。
「私」とはそういうものなのです。
本質的にどうにもならない、どうしようもない、にもかかわらず、思考や意志や衝動が起こってきて、
それから逃れることができない、ここに、「私」という存在の根本的な性である「苦」があります。
ちょっと書きすぎました(^o^)
364
:
自覚初心者
:2015/11/05(木) 14:04:29
慧空さん、こんにちは!
慧空さんのご説明、体験していない事とは言え、頭での理解ではありますが、とても分かりやすかったです!
ありがとうございました。
>意が先にあったというか、着信音が反応しやすい囚われ(種、カルマ)が先にあるということなのです。
例えば、「クレームを受けることはいけないことだ」とか、「評価されないとダメだ」等の囚われがあったのだろうと思います。
すみません、カルマの意味がよく分からないのですが、普段の思考としては上がってはこない、潜在的に隠れ持っている囚われと言う事でしょうか?
自覚をする事によって、無意識に起こっていた囚われの思考に気付く事は出来ますが、かなり深くに沈められている、根っ子の囚われに気付くと言う事は可能なのでしょうか?
私は仕事で着信音が恐怖になり、自分なりにその原因を探った事があります。
慧空さんの言う通り、人一倍「クレームを受ける私はダメだ」や「評価されなければならない」と言う囚われが強かったです。
もし営業職時代に自覚を知っていれば、これらの思考は頭の中の会話を観る事で、比較的簡単に捉えられていたと思います。
ただ、クレームが平気な人だって、評価などあまり気にならない人もいる中で、どうして私はこれらに強く囚われるのか?とさらに追求していくと、「認められないと自分の存在(私)を証明出来ない」と言う囚われがあった事に気が付きました。他人からの評価や、役職、お給料など、自分以外の物に自分を依存させなければ(外側からのイメージとしての私)、ただの生き物としての私(何も持たず赤子の様なまる裸の存在)では、私が消滅してしまう様な恐怖があったからでした。※すみません、非常に分かりにくいのですが…。
根っ子の囚われを消滅させなければ、枝葉になって持っている囚われも中々消えにくいのではないか?と思ったのですが、以前、佐藤さんにお聞きした質問で、自覚による気付きが起こった場合、その囚われは一瞬にして手放す事が出来ると伺ったのですが、これは、自覚によって潜在下に隠れていた根っ子の囚われまでが、気付きとなって思考に上り、また手放せると言う事でしょうか?
何度もしつこくすみません(^_^;)
365
:
慧空
:2015/11/05(木) 21:52:58
自覚初心者さんへ
>カルマの意味がよく分からないのですが、普段の思考としては上がってはこない、潜在的に隠れ持っている囚われと言う事でしょうか?
カルマと囚われは同じものを別の見方をしているという感じです。
ただ、囚われは自覚によってほぼ完全に手放し、取り除くができるんです。
囚われは、自我である自分自身が掴んでいる考えですから、手放すのも自我の力でできるんです。
しかし、カルマという言い方をした場合、カルマには、二種類の要素があるんです。
一つは、囚われと同義な要素です。これについては、自覚で取り除くことができます。
もう一つは、私(あるいはこの世界)のベースとなる部分をつくっている要素です。
これについては、いくら自覚をやっても自我の力ではどうすることもできないものです。
余計に分からなくなってしまったかもしれませんね。(^o^)
>自覚をする事によって、無意識に起こっていた囚われの思考に気付く事は出来ますが、かなり深くに沈められている、根っ子の囚われに気付くと言う事は可能なのでしょうか?
可能です。
>以前、佐藤さんにお聞きした質問で、自覚による気付きが起こった場合、その囚われは一瞬にして手放す事が出来ると伺ったのですが、これは、自覚によって潜在下に隠れていた根っ子の囚われまでが、気付きとなって思考に上り、また手放せると言う事でしょうか?
まあ、大凡はそういうことです。
366
:
自覚初心者
:2015/11/05(木) 22:36:33
>もう一つは、私(あるいはこの世界)のベースとなる部分をつくっている要素です。
これについては、いくら自覚をやっても自我の力ではどうすることもできないものです。
この部分があまりピンと来ませんが、頭で考えてもどうにもなりませんね。想像は一旦脇に置いて、今私が見ている風景をただ自覚していきたいと思います。
慧空さんの丁寧なご説明に、感謝しています。
本当にありがとうございました。
>以前、佐藤さんにお聞きした質問で、自覚による気付きが起こった場合、その囚われは一瞬にして手放す事が出来ると伺ったのですが、これは、自覚によって潜在下に隠れていた根っ子の囚われまでが、気付きとなって思考に上り、また手放せると言う事でしょうか?
まあ、大凡はそういうことです。
私の場合、自覚する事によって、囚われの思考に気付く事は出来るのですが、だからと言って手放しが起きる訳でもなく、相変わらず握りしめたまま、と言う状況が何度もありまして…(^_^;)
これは気付きではなく、思考が思考を監視して分析した結果、つまり頭での理解だからと言う事でしょうか?
自覚によって囚われを一瞬にして手放せる程の気付きは、正直まだありませんが、一方で、知らぬ間に心の焦りが和らいで来ているのは確かです。
どうして前はあんなに心が焦ってイライラしていたのかと、その原因の囚われすら今となっては探せない程です。
気付きとは、原因となる囚われを捉え、手放しが起こるものだと思っていましたが、この様に実感なく、知らぬ間に手放しが起こっていたと言う事はあるのでしょうか?
もう本当に何度もすみません!この質問で、一旦終わりにさせて頂きます(^_^;)
367
:
慧空
:2015/11/05(木) 22:54:58
いえいえ、何度質問されても大丈夫ですよ。
遠慮は無用です。
もしお答えするのが面倒になったら、手抜き対応にさせて頂きますし。(^o^)
囚われも、深さや強さがいろいろありまして、自覚による一度の気づきで簡単にパッと手放しが起きるものや、
何度か気づきを重ねてやっと手放しが起きるものなど、いろいろなんです。
でも、囚われに対する深い気づきが起きたときは、一度に根っ子から手放しが起きます。
これも実際に体験してみないと分からないことです。
>この様に実感なく、知らぬ間に手放しが起こっていたと言う事はあるのでしょうか?
あると思います。
私自身も、明確な手応えの無いまま、複数の囚われの手放しが起こっていったんだと思っています。
まだまだ追加のご質問、大丈夫ですよ(^^)/
368
:
自覚初心者
:2015/11/05(木) 23:31:33
慧空さん、本当にご親切にありがとうございます(;_;)
この様に言って頂けると、ホッとします。
自覚で起こる気付きについて、思考で思考を分析しているだけなのか、実際に気付きが起こっているのかが曖昧で、質問させて頂きました。
実感がなくとも、水面下で少しづつ囚われが手放されている事もあると分かり、少し安心しました。
気付けていない根っ子の囚われ、中々消えないしつこい囚われ、まだまだたくさんあります!
引き続き、精進して自覚を行って行きたいと思います!
369
:
トレ
:2015/11/06(金) 19:24:32
初めまして。宇宙に意識を向けることや外や人の意識に影響され、ずっと疲れていたのですが、
どうしても自分に意識を向けなければと思い、ようやく慧空さんのブログで自覚のやり方をつかみ
練習中です。
事務仕事が多いのですが、どうしても文章や数字に集中できず重要な部分を落としていたり、
興味があることが次から次へと湧き出てきてしまったり、飽きてくると他のことを考えながら
何かを同時進行する癖がついてしまっております。
また、飽きてくると、同じ空間にいる人の意識と繋がってしまいそちらに意識が向いて
集中出来なくなってしまったり、その人と自分を比較して自分を傷つけてみたり、嫉妬してみたりと
自己嫌悪に陥ったりします。また、幻聴がなかなか治らず薬は飲んでいますが、やはり治りません。
飽き性なのと、人が好きなようで⁈なかなか自分だけに意識を向けていられません。
また、自己嫌悪しすぎていたので、今は自分のことを大好きになれるようトレーニング中です。
何か、アドバイスがあればお願いいいたします。
370
:
慧空
:2015/11/07(土) 11:23:42
トレさんへ
すみませんが、特に申し上げることはありません。
自覚を頑張って頂きたいと思います。
371
:
佐藤
:2015/11/09(月) 12:01:43
トレさん
ひとまず、ゆっくり動作されたら如何でしょうか?
所詮、忙しくしても大した事はできません。
372
:
ツヨシ
:2015/11/12(木) 13:16:19
慧空さん
こんにちは。
今更ながらですが、自覚について私の中でしっくりきたものがありましたのでご報告させてください。
①思考の出所をグッと集中して見張る。
②湧き出る思考を見張っている者(大いなる私)に気づく。
③見張っている者も思考であることに気づく。
④また①に戻る。
これを繰り返しています。
今まで③の大いなる私を認識した後は無思考のままで止まっていました。
しかし認識しているということは言語の思考とは違う想念的な思考がその裏に隠れているのではないか?という疑問があり、自覚を続けていたところ、うっすら想念に気づいてきました。
ということはその想念も①と同じ出所から湧いてるのではないかと思い、上記の繰り返しをしてみたところしっくりきた次第です。
相変わらず初歩的な段階ですがこのまま続けて気づいたことがありましたら再度ご報告させて頂きます。
よろしくお願いします。
373
:
慧空
:2015/11/12(木) 13:29:59
ツヨシさん
いいですねぇ〜(^o^)
③から④のあたりなんか、すごくいい感じだと思います。
これを続けられたら、囚われもボロボロと剥がれ落ちるんじゃないかと思いますよ。
次のご報告、楽しみに待ってます(^^)/
374
:
ツヨシ
:2015/11/16(月) 10:44:52
慧空さんへ
ご質問なのですが、慧空さんは大いなる私をどのように捉えられてましたでしょうか。
言葉や映像の思考を発する核は簡単に捉えることができて集中できるのですが、それを見ている者を捉えるとなると、視界全体に万べんなくあると言いますか、核として集中できないでいます。
この状態の時は言葉や映像の思考は極限まで抑えられており、例えばこの時に目の前に誰か横切ったり音が聞こえると、言葉ではなく感覚として気づく、矢印が向かう、といった認識があります。
大いなる私を捉える、集中するというのは、この気づく瞬間を見続けるのでしょうか。
それともこの全体的な私の中に、私、私…と私の核を作っていけばよいのでしょうか。
拙い表現で申し訳ございませんが何かアドバイス頂ければ幸いです。
よろしくお願い致します。
375
:
慧空
:2015/11/16(月) 21:09:33
ツヨシさん、こんばんは。
拙い表現だなんて、とんでもないですよ。
そもそも、このような内容を文章で表現すること自体に無理がありますから、
それを表現されているツヨシさんは、相当な方なんだと思います。
>慧空さんは大いなる私をどのように捉えられてましたでしょうか。
悟りの進行に伴ってかなりダイナミックに変化していきましたので、
一言でこう捉えていたとは言えません。
悟りのどの階層に注目するかで、「私」や「大いなる私」の捉え方や、理解や、感覚が変わります。
>言葉ではなく感覚として気づく、矢印が向かう、といった認識
ここで表現されようとしていることは、よく分かります。
ここまで意識の展開の様子を捉えておられるのでしたら、
「私」とは意識そのもの、あるいは意識の連鎖そのものであるということもそれなりに理解されているのではないかと思いますが、
如何でしょうか?
おそらくですが、ツヨシさんは大悟されているか、その少し前のあたりにおられるのではないかと思います。
大悟を境に、「私」に対する感覚がダイナミックに変わるので、それに伴って、自ずと自覚のやり方も変わります。
核心部分は変わりはないのですが。
もう少し、質問させてください。
>言葉や映像の思考を発する核は簡単に捉えることができて集中できるのですが
と仰る「思考を発する核」とは、どのようなもの、あるいはどのような感じで捉えておられますか?
身体の中に、それに相当する場所があったりしますか?
それを見ている者を捉えるとなると、視界全体に万べんなくあると言いますか、核として集中できないでいます。
この点については、仰りたいことはよく分かります。
「それを見ている者」は、本質的に捉えることができないのです。(^^)
それはなぜかを簡単に説明しますと、こういうことです。
「それを見ている者」は、認識、あるいは認識主体そのものなのです。
「私」に対する追求の最終的な到達地点といいますか、それ以上の先は無い限界地点といいますか
行き止まりといいますか。
つまり、それは「私」という存在にある観点からの究極的な姿なんです。
はたして、「私」が「私自身」を捉えることってできるでしょうか?(^^)
私(慧空)はいつも、「私」に意識を向け、「私」を捉えろと言っていますが、
実は究極的には、「私」は捉えられないのです。(^o^)
だって、「私」を捉えようとしているその行為や意図、動きそのものが「私」なのですから。(^o^)
そのように、究極的な観点で言えば、そのように「私」とは絶えず変化している連鎖的な展開や変化そのものなのです。
ご質問、大歓迎ですから、さらに気になられることがあれば、遠慮なくどうぞです。(^^)/
376
:
慧空
:2015/11/16(月) 21:13:32
<訂正です>
つまり、それは「私」という存在にある観点からの究極的な姿なんです。
→ つまり、それは「私」という存在の、ある観点からの究極的な姿なんです。
377
:
ツヨシ
:2015/11/16(月) 23:03:54
慧空さんへ
慧空さん、こんばんは。
詳細なご返答頂きましてありがとうございます。
確かにこの微妙な状態を表現するのは難しいですね笑
ブログでは大いなる私に意識を集中するとありますが、それ通りにうまくいかない歯痒さと、自分の捉えてるものは別なのではないかという疑問もあり、休憩中になんとか整理して書き込んでみました。
慧空さんなら表現したいことを理解して頂けるかなと思いましたが、わかって頂きとても嬉しいです。
大いなる私は悟りの段階によって理解が変化していくものなのですね…。
実は一人でベンチに座りながら自覚をしていたところ、上記のように前に人が通ったんです。
その時 はグッと思考に意識を向けていた最中だったのですが、
通常なら「人か…」という思考が浮かぶところ、この時は思考が浮かぶ直前を捉えました。
その後に「今のは意識の矢印か…」と思いました。
意識の矢印については以前から気づいていましたし、頭では理解していたのですが、ただそれが「私そのもの」という実感は腑に落ちるほどありませんでした。
しかしこの時はこれも表現しにくいところですが、「主体があるから客体がある、またその逆も言える。」的な感覚が一瞬パッと訪れ、すぐに消えてしまいました。
その時の理解をすぐにメモしましたが、今読み返しても??となってしまいます笑
思考を発する核ですが、ついおとといまでは喉の奥、脳幹あたりにモヤっとした核がありましたが、今は首と胸の境、かつ前方の空間に移っています。
自覚で私をギュウっと凝縮させて自分に向けていたらなぜかそこが核になってしまいました。
イメージとしてはラッパ状の穴が開いており、そこに向かって私が凝縮され、最後には針のように細く硬い状態で刺さるような感覚で自覚しています。
> 私(慧空)はいつも、「私」に意識を向け、「私」を捉えろと言っていますが、実は究極的には、「私」は捉えられないのです。(^o^)だって、「私」を捉えようとしているその行為や意図、動きそのものが「私」なのですから。(^o^)
すごい種明かしですね!!笑
驚きましたが、なんとなく「やはり!」という感じもします。
自覚をやっていて、後で頭で理解しようとすると矛盾を感じる点があったからです。
なるほど…。
今はまだ慧空さんの言葉を体感として理解しきれてないのですが、自覚を続けて落としこんで行きたいと思います。
378
:
慧空
:2015/11/17(火) 07:07:22
>思考を発する核ですが、ついおとといまでは喉の奥、脳幹あたりにモヤっとした核がありましたが、今は首と胸の境、かつ前方の空間に移っています。
自覚で私をギュウっと凝縮させて自分に向けていたらなぜかそこが核になってしまいました。
イメージとしてはラッパ状の穴が開いており、そこに向かって私が凝縮され、最後には針のように細く硬い状態で刺さるような感覚で自覚しています。
なるほどです。
ツヨシさんの場合はそういう感じなのですね。
おそらく、このあたりの具体的な感覚はひとそれぞれなのだろうと思います。
多分ですが(いい加減で済みませんねぇ、笑)、ちゃんと出来てるんだと思います。
>すごい種明かしですね!!笑
あら、種を明かすのが少し早すぎましたかね。
まあ、いいでしょ。(^o^)
後悔のないよう、徹底的にやって頂きたいと思います。(^^)/
379
:
ツヨシ
:2015/11/17(火) 16:11:31
慧空さんへ
> おそらく、このあたりの具体的な感覚はひとそれぞれなのだろうと思います。
通常の肉体感覚の意識で、頭のてっぺんから爪先までスキャンするように探ったところ、私の核は上記の辺りにあるようです。
しかし自覚に集中すると、頭の奥や喉付近というイメージも思考として捉えるようになり、
視界全体の中からポッと湧き出す感覚となります。
このまま行くと無思考になってしまうので、今はそこでもう一度「私私…」と核をイメージしてますが、ずっとやっていると私という存在が大元なのか、思考が大元なのか…鶏と卵どちらが先か?みたいな感覚になり途方に暮れる時もありますね笑
このように堂々巡りをしてしまう点も、私とは究極的に捉えられないと言われる所なのかなと思います。
> あら、種を明かすのが少し早すぎましたかね。まあ、いいでしょ。(^o^)
自分で体験して理解することが大事ですものね笑
しかしすっきりしない苛立たしさもあるので、たまに種明かしをして頂けるとありがたいです笑
ところで意識の矢印についてですが、矢印と表現しているように意識の起点(私)から目標方向に矢印が向かう感覚が今までありました。
しかしベンチでの自覚中の件を思い返してみると、「人がいたから気づいた」のではなく、「『気づく』と人が同時発生した」という感覚だったのですが、これが見るものは見られるものと言われる感覚なのでしょうか。
気づくことがなかったら人を認識することができないのは当たり前のことかと思いますが、非常に気になる所です。
380
:
慧空
:2015/11/17(火) 22:07:48
>視界全体の中からポッと湧き出す感覚となります。
なんとなくですが、いい感じに捉えておられると思いますよ。
>このまま行くと無思考になってしまうので、今はそこでもう一度「私私…」と核をイメージしてますが、ずっとやっていると私という存在が大元なのか、思考が大元なのか…鶏と卵どちらが先か?みたいな感覚になり途方に暮れる時もありますね笑
>このように堂々巡りをしてしまう点も、私とは究極的に捉えられないと言われる所なのかなと思います。
この点についても、とてもいい感じだと思いますよ。
方向性は合ってると思いますし、かなりいいところまで捉えておられると思います。
>ところで意識の矢印についてですが、矢印と表現しているように意識の起点(私)から目標方向に矢印が向かう感覚が今までありました。
>しかしベンチでの自覚中の件を思い返してみると、「人がいたから気づいた」のではなく、「『気づく』と人が同時発生した」という感覚だったのですが、これが見るものは見られるものと言われる感覚なのでしょうか。
>気づくことがなかったら人を認識することができないのは当たり前のことかと思いますが、非常に気になる所です。
これも、いい感じです。
ツヨシさんは、思考や意識の動きを直接観ていくことによって悟りを深めていかれる方ですね。
そういう方は、「観るものは観られるもの」に関しては、それほど強い感覚は起こることなく、
さらに先に進まれるのではないかと思っています。
おそら く、つよしさんは、「私」とは意識、あるいは意識の連鎖そのものであるということを理解されるようになるんだと思いますよ。
なんとなくですが、そう思います。
381
:
ツヨシ
:2015/11/19(木) 14:27:51
慧空さん
こんにちは。
観るものは観られるものの強い衝撃というか、慧空さんのように朝起きたらすべてが変わっていたという体験を求めているなと自覚しています笑
すごく単純に、あれこれ考えず意識を観察してみると、「私に矢印を向けるから私が発生している」「意識を景色に向けている時はそれしかなく、距離はない」ということがわかりますが、何かが抜けているというか、まだ気づいていないことがあるのでは?というモヤモヤがまだあります。
方向性は間違っていないというご指南を頂きましたので、このまま自覚を続けていき到達したいと思います!
いつもアドバイス頂き本当にありがとうございます!
382
:
慧空
:2015/11/19(木) 18:43:32
>すごく単純に、あれこれ考えず意識を観察してみると、「私に矢印を向けるから私が発生している」「意識を景色に向けている時はそれしかなく、距離はない」ということがわかります
ひょっとすると、既に大悟されているのかも知れません。
しかしまあ、大悟したからと言っても、まだ途中であり、中途半端なので、
どうってこと無いのですがね。(^o^)
>何かが抜けているというか、まだ気づいていないことがあるのでは?というモヤモヤがまだあります。
(^o^)
そりゃそうですよ。
そのモヤモヤ感は、本当に最後の最後にならないと消えませんから。(^o^)
そのように、まだなお何かを求めて彷徨っている、あるいは彷徨い出そうとしている自分自身にの姿に気づいて頂きたいと思います。
ツヨシさんは、一体何処に行こうとしておられるのでしょうか?
そんなに魅力的なところがあると思っておられるのでしょうか?(^o^)
383
:
ツヨシ
:2015/11/19(木) 21:31:15
慧空さん
> そのように、まだなお何かを求めて彷徨っている、あるいは彷徨い出そうとしている自分自身にの姿に気づいて頂きたいと思います。
そうですね…まだ自覚が中途半端なのですね。
このような思考を自覚しなければいけません。
自分が自分を苦しめていることを知り、悟りへの興味が湧きましたが、いつの間にか悟ることへの強烈な執着、囚われが厚くなってしまったようです。
> ツヨシさんは、一体何処に行こうとしておられるのでしょうか?そんなに魅力的なところがあると思っておられるのでしょうか?(^o^)
これは「苦しみから逃げたい」が正直な所です。
しかし慧空さんはどこまで行っても苦しみは無くならず、むしろ苦しみこそ私とおっしゃる。
それを自分で体感してみたいです。
自分の目で見て、苦しみに対して完全に降伏したいと思っています。
384
:
佐藤
:2015/11/20(金) 07:24:22
>苦しみに対して完全に降伏したい
外から見れば、
苦しい苦しいといった様子だったりします。
そのままの様子ですね。^_^;
なので余計に意味不明ですよね。
385
:
ツヨシ
:2015/11/20(金) 12:43:53
佐藤さんへ
こんにちは。
外から見るとはどういうことでしょうか?
386
:
佐藤
:2015/11/20(金) 14:39:24
例えば、ツヨシさんから解脱者の発言を見たり聞いたりするとです。
387
:
ツヨシ
:2015/11/20(金) 23:25:21
佐藤さんへ
ああ、確かにそうですね。
これはよく言われるように、苦しみはあるけれども幻想であることを理解しているため、思考と同一化していないからということなのかなと思っていますが…。
388
:
佐藤
:2015/11/21(土) 06:38:58
仕方ない事だという状態であり、
どうこうしようとする
自我の力が残ってないんだと思います。
逆でして、大悟以降は、思考と私の同一化が起こるので、世界に結構振り回されます。
それも仕方ないという感じかなと。。
389
:
ツヨシ
:2015/11/21(土) 17:28:54
はたから見ると解脱者も苦しんでいるように見え、また大悟者も思考と私が同一化するため世界に振り回される…。
まるで悟りを知る前に逆戻りしているように感じますが、本人の中では普通の人の感覚とまったく違うのだろうなと思います。あくまで想像ですが。
実際自分がその状態になってみて「こんなはずじゃなかった!」と思うこともあるかもしれませんね。
苦しみから逃げたいという考えもありますが、ただ単純にどんな感じなのかという興味もあり、どうしてもこの衝動は消えないでいます。
死ぬ間際に後悔しないよう突き詰めていきたいと今は思います。
390
:
名無しさん
:2015/12/04(金) 09:07:23
自覚には集中力が必要なのでは?
391
:
自覚初心者
:2015/12/25(金) 20:36:59
慧空さん、こんばんは。
お久しぶりです。
またまた基本的な質問で申し訳ありませんが、自覚を続けているうちに、だんだん訳が分からなくなって来ました‥。全くの振り出しに戻ってしまった様です。
自覚とは自分の中にやってくる思考に気付く事だと思うのですが、気付きと認識の違いが分からなくなっています。
やって来る思考を只観て、それが去って行くのを只観る
(流し切る)。これが自覚である、と言う基本理解はあっていますでしょうか?
私の場合、
またこの思考が来た!とか、
またこの感情が上がってきた!とか、やって来た思考や感情を捕まえて、それについて思考しちゃってます。
そして、その思考してしまった自分をまた観る‥の永遠のループになってしまい、自覚ではなく、思考の中に思考による分析が挟まっていると言う感じです。
また一方で、やって来た思考を一切掴まないでいると、気付きと言う認識さえ入らないので、思考をサラサラと流してばかりいると、自覚をしていると言う自覚さえ持てず、思考している内容も分からない(自分が何を思考しているのか分からない)と言う訳の分からない状態になってしまいます。
私は何か根本的に自覚を勘違いしているのでしょうか。
年末のお忙しい所すみませんが、何かアドバイス頂けると幸いです。
392
:
慧空
:2015/12/27(日) 21:09:31
自覚初心者さん
お久しぶりです。お返事が遅くなり、すみません。
>やって来る思考を只観て、それが去って行くのを只観る
>(流し切る)。これが自覚である、と言う基本理解はあっていますでしょうか?
敢えてちょっと厳しい言い方をしますね。
これは自覚とは違います。
考えをただ観るのは、禅者や瞑想者の一部の方がよくやられる手法だと思います。
これではダメなんです。
本質的な要素が抜けているんです。
その本質的な要素とは何か。
それこそが、「私」であり、「私(自我)の主体性」なんです。
まず、起こってくる考えをただ観るだけだと、考えをただぼんやりと観るだけになりがちです。
それでも、感情や思考等に巻き込まれにくくなりますから、楽にはなったり、スッキリする部分はあるでしょう。
でも、それじゃあダメなんです。
それでは、私という自我が握りしめている囚われや、その囚われに起因して起こっている思考や衝動に気づけないんです。
自我が握りしめている囚われや、囚われに誘発された思考や衝動に気づくためには、
鋭く意識を「私」に集中し、私という自我が、自らが握りしめた囚われによる思考や衝動を引き起こしている現場に直面する必要があるんです。
「私」に集中しないと、その思考が起こる現場に気づけないんです。
ですから、考えが起こってきたとき、あるいは、自分が何かの考えをつくったとき、
「この考えは「私」に起こってきた考えなんだ」、あるいは、
「この考えは「私」がつくった考えなんだ」と心の中で唱えつつ、
その考えが起こってきた瞬間の現場に意識を向け続けて頂きたいんです。
これが自覚です。
393
:
自覚初心者
:2016/01/04(月) 20:17:13
慧空さん、せっかくお返事を頂いていたのに、すみません!
年末より病床に伏せておりましたm(_ _)m
慧空さん、アドバイス拝見させて頂きました。
いつもご丁寧にありがとうございます。
>その本質的な要素とは何か。それこそが、「私」であり、「私(自我)の主体性」なんです。
この「私」と言う所に引っかかっていました。
降ってくる思考を観る度に、どこか「勝手にやってくる」感覚があったので、「私」が作り出しているとは思えなかったのです。「自我」や「おおいなる私」については正直勉強不足な所があり、よく分からないのですが、慧空さんのおっしゃる「自我の主体性」と言うのは、思考を認識している私、おおいなる私ではないと言う事ですよね?
>まず、起こってくる考えをただ観るだけだと、考えをただぼんやりと観るだけになりがちです。
それでも、感情や思考等に巻き込まれにくくなりますから、楽にはなったり、スッキリする部分はあるでしょう。
本当にぼんやりとしていて、
何を思考していたのか次々と忘れていってしまいます。
>それでは、私という自我が握りしめている囚われや、その囚われに起因して起こっている思考や衝動に気づけないんです。
全てがぼんやりで囚われなどの認識が入りません。
>自我が握りしめている囚われや、囚われに誘発された思考や衝動に気づくためには、
鋭く意識を「私」に集中し、私という自我が、自らが握りしめた囚われによる思考や衝動を引き起こしている現場に直面する必要があるんです。
「私」に集中しないと、その思考が起こる現場に気づけないんです。
思考を観ると言う事よりも、私に意識を集中する事で、集中出来てない瞬間(思考や他の感覚に意識が移動した瞬間)を捉える、つまり思考の出どころを捉えると言う事でしょうか?
私自身も、ただぼんやりと眺めるよりもこちらの方が囚われに気付きやすいです。
ただ、引っかかっている所があり、それが下記の部分にあたるのですが↓
>ですから、考えが起こってきたとき、あるいは、自分が何かの考えをつくったとき、
「この考えは「私」に起こってきた考えなんだ」、あるいは、
「この考えは「私」がつくった考えなんだ」と心の中で唱えつつ、
この認識の作業をする事は、思考を瞬間的に掴んでしまっている事になるのではないかと疑問に思っていたのです。
まだまだ自覚の浅い私に限った事なのかもしれませんが、
この認識を入れた瞬間、私への集中が途切れてしまうのが気になっていました。
またこちらに関しては、私個人の課題であり、まだまだ自覚不足の点であるのですが、「この考えは私が作っているんだ。」「はぁ〜またかぁ」とか「嫉妬しているなぁ」とか、同時に何らかの感想が入ってしまうのも悩みでして‥(;´∀`)
さらにこれを自覚して〜と数ヶ月もしていると、自覚が進展しているのかと少し不安になってしまいました。
また何かアドバイスを頂けると幸いです。
最後になりましたが、慧空さん、こちらの掲示版をご利用されています皆さん、まだまだ右も左も分からぬ私ですが、本年度もどうか、何卒よろしくお願いします。
394
:
慧空
:2016/01/06(水) 21:07:21
>慧空さんのおっしゃる「自我の主体性」と言うのは、思考を認識している私、おおいなる私ではないと言う事ですよね?
はい、そうです。
思考を観ると言う事よりも、私に意識を集中する事で、集中出来てない瞬間(思考や他の感覚に意識が移動した瞬間)を捉える、つまり思考の出どころを捉えると言う事でしょうか?
必ずしも思考が起こる瞬間を捉える必要はないんです。
思考が起こるときのプロセス(経緯)について自覚あるいは認識できれば、それでいいんです。
しかし、現実にはそのようなプロセスを認識できるようになるころには、思考が起こる瞬間を捉えるようになっているだろうとは思います。
但し、思考が起こるプロセスをただ漠然と認識すればいいということではないんです。
答えから先に言ってしまいますと、よくあるパターンとして、
思考が起こるときは、起こってくる現象に自分が握りしめている囚われが反応することで、その囚われに関連した思考が起こってるんです。
その囚われが思考や衝動を誘発している現場を見て、それに気づいて頂きたいのです。
自覚は、それをやるための最も強力かつおそらく唯一の手法なんです。
>>ですから、考えが起こってきたとき、あるいは、自分が何かの考えをつくったとき、
>「この考えは「私」に起こってきた考えなんだ」、あるいは、
>「この考えは「私」がつくった考えなんだ」と心の中で唱えつつ、
>この認識の作業をする事は、思考を瞬間的に掴んでしまっている事になるのではないかと疑問に思っていたのです。
自覚特有の「この考えは「私」に起こってきた考えなんだ」等のフレーズも、考えであることに違いはありません。
しかし、考えには様々な深さがあり、「この考えは「私」に起こってきた考えなんだ」等の考えは、非常に深く、
最も深い考えの部類のものなのです。
うまく言えませんが、自覚とは、最も深い考えである「私」という考えをノミのように使って、
それよりも浅い考え(囚われ)を削り落とすというような感じのところがあるんです。
こんな説明をしても、よけいに分からなくなってしまいますかね。(^o^)
おそらく、自覚初心者さんは、それなりに進展しておられると思いますよ。
大丈夫です。(^^)
395
:
めがね
:2016/01/07(木) 22:00:59
上記の回答、これはとっても響きました。
考えが多すぎてジャマでジャマで
うんざりしてたのですが仕組みが解ったので頑張れますm(_ _)m
396
:
慧空
:2016/01/08(金) 10:58:21
めがねさん
へ〜、そうなんですか、それは良かったです。
わざわざコメント、ありがとうございます。
397
:
自覚初心者
:2016/01/08(金) 14:31:35
慧空さん、こんにちは!
アドバイス、本当にありがとうございます。
正直分からない所がありますが、またまた頭が回りだしそうなので、今は分からない自分を自覚して、そのままにしておきたいと思います。
>但し、思考が起こるプロセスをただ漠然と認識すればいいということではないんです。
答えから先に言ってしまいますと、よくあるパターンとして、思考が起こるときは、起こってくる現象に自分が握りしめている囚われが反応することで、その囚われに関連した思考が起こってるんです。
その囚われが思考や衝動を誘発している現場を見て、それに気づいて頂きたいのです。
自覚は、それをやるための最も強力かつおそらく唯一の手法なんです。
自覚をしていると、本当に毎日毎日同じ思考が降ってくるのだと驚かされます。
多分、私の1週間、思考の内容は全部同じです(笑)
今は1番思考に乗っ取られやすいのは「自覚」についての内容です。
絶えず、「良くなろう良くなろう」の衝動で迷っている自分がいます。
気が付けばああでもない、こうでもないと解説を始めています。
根底には、苦から逃れたいとの思いと、このままではいけない!と言う自分への否定があり、それらの衝動が「私への集中」にすら、あの手この手の思考で襲ってきます。
「自覚をしよう」とする思考がある限り、これらの衝動が生き続ける事になるのではないかと、最近自覚をしていて思います。
気が付けば私は、自覚の事を苦から逃れるための願望実現方法とし、囚われていました。
慧空さんはじめ、皆さんにはこの様なご経験はありましたでしょうか?
私は一方で、自覚を続けるためにもこれらの衝動が完全に消えてなくなってしまうのを恐れています。(私を自覚へと突き動かす動機)
398
:
慧空
:2016/01/08(金) 21:43:19
自覚初心者さん
>「自覚をしよう」とする思考がある限り、これらの衝動が生き続ける事になるのではないかと、最近自覚をしていて思います。
気が付けば私は、自覚の事を苦から逃れるための願望実現方法とし、囚われていました。
慧空さんはじめ、皆さんにはこの様なご経験はありましたでしょうか?
これは悟りの過程で、多くの方々が通るところなんです。
多くの方は、まだまだやりたいことややるべきことを抱えています。
これは悟りの道に入った人もそれほど変わりません。
よくあるパターンとして、そのようにやりたいことややるべきことまだ抱えている人が、自分に意識を向ける自覚をすると、
やりたいことや、何かをやりたいという衝動が表出してくるんです。
そうしたら、そのやりたいことに取り組めばいいんです。
それに十分に取り組んだなら、その取り組んだ対象に対するやりたいという衝動はすーっと消え去ります。
そして、さらに自覚をしてまた何かをやりたくなったら、またそれに取り組めばいいんです。
そうやって、やりたいことを一通りやり尽くしたら、自ずと深い悟りに入っていきます。
ちなみに、私(慧空)も自覚をやることにより、やりたいことが表出してきました。
それはさらに自覚をすることであり、悟りの道をさらに追求することでした。
>私は一方で、自覚を続けるためにもこれらの衝動が完全に消えてなくなってしまうのを恐れています。(私を自覚へと突き動かす動機)
なるほどですねぇ。(^^)
その気持ちはとてもよく分かりますよ。
最終的な悟りに至ると、自覚への衝動が忽然と消え去るとともに、自覚が出来なくなるんですが、
悟りの道の途中で、自覚への衝動が消えてしまったら、そこで止まってしまいますから。
自覚初心者さんは、ご自身の内面の葛藤や、とても複雑で微妙なところをよく捉えておられると思います。
この点からもちゃんと自覚できておられると思いますよ。(^^)
399
:
自覚初心者
:2016/01/12(火) 15:14:32
慧空さん、こんにちは!
いつも私の長々とした文章にお付き合い頂き本当にありがとうございます。
そして、慧空さんの励ましのお言葉にも感謝しております。
‥と、すみません、今回もかなり長くなってしまいましたm(_ _)mm(_ _)m
>よくあるパターンとして、そのようにやりたいことややるべきことまだ抱えている人が、自分に意識を向ける自覚をすると、やりたいことや、何かをやりたいという衝動が表出してくるんです。
自分に起こる「やりたいという衝動」について観察していました。
観察を経て感じた事は、衝動には純粋に起こる物と、囚われが引き金となって起こる物があるのではないかと言う事でした。
私には幼い息子が二人います。彼らを見ていると、やりたいと言う衝動に何の曇りや囚われもないのです。やりたい想いと行動が一致していると言いますか、やりたい事そのものが目的なんです。ですから、やる事に何の意味や囚われも持たず、それが終わればスッと手放す。そして次の衝動のまま動く。と、とても純粋でシンプルなんです。
一方の私に起こるやりたい衝動は、それそのものが目的ではなく、苦から逃避したいがたの手段としてです。ある特定の感情を味わいたくない(不幸になりたくない)、そのためにはこれをしなければ!と衝動が常に私を急かします。
>そうしたら、そのやりたいことに取り組めばいいんです。それに十分に取り組んだなら、その取り組んだ対象に対するやりたいという衝動はすーっと消え去ります。
私の衝動の根源が苦からの逃避により起こるものなので、やりたい事ややらなければならない事を終わらせれば、次のまたやりたい事ややらなければやらない事を作り出してしまい、イタチごっこになってしまっています。
>そして、さらに自覚をしてまた何かをやりたくなったら、またそれに取り組めばいいんです。そうやって、やりたいことを一通りやり尽くしたら、自ずと深い悟りに入っていきます。
苦の逃避から起こる衝動に支配され従う事が、苦を生きながらえさせている原因だと思い、自覚の眼で起こってくる衝動との間に距離を置き、衝動をそのままに放置しておくと言う訓練をしていました。
只、これは同時に、起こる衝動への抵抗や拒否になるのでは?とも思っていました。
衝動に従わずそのままにしていると、衝動がその存在を消されては困るとばかりに大暴れしてくるのです。私の中から、不幸という名の問題を無視してはいけない!と(;´∀`)
問題がなくなっては生きていけないと怯えている様にも感じます。
自覚を教えて頂いたおかげで、衝動を我慢していた頃と違い、始めは慣れないことに(衝動に従わない事に)大暴れしていた自我も少しづつ大人しくなってきた様に思います。
こちらの文章で慧空さんが意図されている事はつまり、自我が苦の衝動に振り回されて、心底ヘトヘトに、飽き飽きするまでやり尽くせば、後は自然に手放しが起こってくると言う事でしょうか?
起こる衝動を自覚によって流すのではなく、思いっ切りやりきってしまった方が良いのではと迷っています(^_^;)
>ちなみに、私(慧空)も自覚をやることにより、やりたいことが表出してきました。
それはさらに自覚をすることであり、悟りの道をさらに追求することでした。
この時の慧空さんの悟りを追求したいとの衝動は、私に起こる苦を根源とするものとは異なるのでしょうか?
これは想像でしかないのですが、もし私にも第一段階目の悟り?(すみません、用語が分からないのですが)を迎える事が出来たならば、余計な囚われが削ぎ落ちた純粋な衝動として、自己を追求したいとの欲求が生まれるのではないかと感じています。
苦からの逃避と言う手段として悟りへの欲求がある一方で、ただ己を知りたいとも思うのです。
400
:
慧空
:2016/01/13(水) 08:44:57
自覚初心者さん
>一方の私に起こるやりたい衝動は、それそのものが目的ではなく、苦から逃避したいがたの手段としてです。ある特定の感情を味わいたくない(不幸になりたくない)、そのためにはこれをしなければ!と衝動が常に私を急かします。
ご自分の衝動について、よく理解されていると思います。
そこまで理解しておられるなら、衝動に対する対処の方法はご自分で決められると思いますよ。
それらの衝動そのものを自覚で抑えたり、切ったり、あるいは、その衝動を引き起こしている囚われを自覚の目で見ることにより、
衝動を根っ子から消滅させることもできると思います。
また、上で私が言いましたように、衝動に身を任せて、それをやり切ってしまうというやり方を選択することもできると思います。
多くの方は、このやり方が手っ取り早いし、最終的にはこのやり方をやることになるのだろうと思います。
何度も使っている例ですが、若くして出家した修行者は異性に対する欲望や妄想が大変な訳です。
それを無理矢理、意識の力でどうにかしようとしても殆どの場合、しっぱいします。
表面的には成功したかに見えても、深いところでは納得できていない衝動がしっかり残っています。
そのような妄想等は、まずは、その対象(異性)を知らないことから起こってきます。
知ってしまえば、過剰な妄想は起きたりしません。
また、その対象をそれなりに経験すれば、欲望や妄想も自ずと小さくなります。
そして、飽きるほど、あるいは納得できるまで経験すれば、もやは欲望や妄想は殆ど起こらなくなります。
そういうものなんです。
>この時の慧空さんの悟りを追求したいとの衝動は、私に起こる苦を根源とするものとは異なるのでしょうか?
鋭いですね(^^)
悟りを追求したいという欲望や衝動は、紛れもなく、私に起こる苦を根源としたものですよ。(^^)
でも、その悟りに対する衝動は、悟りの道を進むときの大きな原動力になるんです
その原動力を使って、大悟のゲートも潜れますし、最終的な悟りの割と近くまで、到達できるんです。
でも、最終的な悟りに到達する際には、それを手放す必要があるんです。
これが難しいのですが。(^^)
>苦からの逃避と言う手段として悟りへの欲求がある一方で、ただ己を知りたいとも思うのです。
そのお気持ち、とってもよく分かりますよ。
私もそういう過程を通ってきましたから。
大丈夫です。(^^)
401
:
自覚初心者
:2016/01/18(月) 20:46:34
慧空さん、長い間返信が出来ず、本当に申し訳ありませんでした。
携帯をなくしてしまいました(^_^;)
1つ1つのアドバイス、とても参考になります。
衝動に対する対処の方法は自分で決める、と言うのは本当にその通りですね。
私は慧空さんにいつも答えを求めてばかりいました。
確実で近道なものを探していたんですね。
最近は衝動に対して、客観的に、私に起こる現象として放っておける時も出て来ました。
距離が出てきても相変わらず同じ衝動が起こってくるのですが、その力も弱まってきています。
自覚が進んでいるか不安になる私(確実で正確な道筋を探したがる衝動)も続けて自覚していきたいと思います。
本当にありがとうございました。
402
:
慧空
:2016/01/19(火) 08:46:19
自覚初心者さん
こちらこそ、自覚初心者さんとやりとりができて嬉しかったです。
ありがとうございました。
403
:
関西40歳独身
:2016/01/22(金) 12:48:56
慧空先輩お久しぶりです。少し前の投稿で話題が出てきていましたが、過ごしやすい時期は悟りのことは忘れた振りをして楽しめることを存分に楽しんでおりました。ここ一週間で自覚を再開しまして3日で胸に針を突き刺したようなハートの感覚が再出現。他の方はどうかわからないのですが、冷たい風が上半身に当たるとハートにズキズキと響きます。一切の価値感を排除して、という価値観も排して私 という感覚に焦点を当てていきたいと思います。本当に「私」がキーポイントなのを思い出しました。
404
:
慧空
:2016/01/24(日) 15:08:13
関西独身さん、
お久しぶりです。
>過ごしやすい時期は悟りのことは忘れた振りをして楽しめることを存分に楽しんでおりました。
いいですね。
人それぞれの道とうか、過程があるんでしょうね。
405
:
関西40歳独身
:2016/01/26(火) 12:08:42
慧空先輩こんにちは!昨晩は自分を掘り起こすつもりでこれかな?と思うお金のに関すること、自分が変わってしまうんじゃないかという恐怖について自覚しておりました。朝おきたときにはハートのコロコロ、チクチクは変わらずありました。仕事場に着き、仕事前にリラックスしてタバコを吸って休憩しているうちに、胸の辺りがゴロゴロポコポコしてきまして気づくとコロコロチクチクが感じ取れないぐらい小さくなってしまいました。先ほど私にしては非常に珍しく上司と口論したのですが、以前なら口論しながら胸に湧き出てくる苦しい締め付けられるような感覚がいくら探しても出てきませんでした。今はコロコロチクチクに変わってハートの辺りが非常に発熱しています。
406
:
関西40歳独身
:2016/01/26(火) 15:45:42
訂正
今はコロコロチクチクに変わってハートの辺りが非常に発熱しています。→今はコロコロチクチクが感じ取れないまま
ハートの辺りが非常に発熱しています。
407
:
関西40歳独身
:2016/01/30(土) 12:11:59
報告から4日程たち、ハートの発熱も随分と治まりました。どうやらハートはまだあるのですが、
感じ方がやはり小さくなっているようです。細々した自覚のテーマから、完全な自由、自由と
いう考えを手放し自由になる、毎日の代わり映えのしない生活を生きる限り続けなければ
ならない不自由を認める(思考がそれは認められないと反発しています)、などが出てきています。
また感覚が鈍化してぼーっとしているだけかもしれませんので、良く気をつけて続けていきます。
408
:
めがね
:2016/02/09(火) 21:48:34
皆さん深呼吸を3回してみてください。
その後の心の状態は普通ですよね、シーンとしてるとかですよね。よろこんだり落ち込んだり、調子に乗ったり、イライラして貧乏ゆすりしたり、人を馬鹿にしたりそんな状態では無いというのを深呼吸をして確認してみてくださいそれがとらわれの無いニュートラルな状態です。それ以外の私の状態を見付けたら慎重に他人や周りの状況のせいにしないで何度も思い返して向き合ってみてください。
「イヒッ」って来たので書いてみました(^^)
409
:
めがね
:2016/02/09(火) 22:12:11
トイレに行きたくなった時の私のモヤモヤはどうしようも無いのでトイレに行ってください(^^)
410
:
関西40歳独身
:2016/02/10(水) 12:29:21
最近試していることを書きます。ハートのチクチクが小さくなってしまったのでなかなか自覚も集中してやりにくくなっています。部屋を暗くして瞑想的に自覚をやろうとしても大量の涙が出るだけで寝てるような起きているような... 初心に返って自分に鋭く焦点を合わせて、をあれこれ工夫しています。例えば物音がしたとき、音の発生場所に意識を向けていたのを自分の耳とか耳の奥、聞いている自分にフォーカスするよう変えて見たり、日常生活中も両手で握り拳を軽く握ると、どうやら胸から上の意識?感覚が固定してフラフラしなくなるようなので、その状態で 私 私 とやっています。そうすると、漫画の集中線が上半身辺りにビッシリあるような、自分にフォーカス出来ているような感覚になります。
411
:
123
:2016/03/01(火) 12:28:27
自我を滅ぼす念を送っていると、胸中心が押されて液体に浸る感覚があります 同時に快感というか幸福感が強く現れます
412
:
123
:2016/03/01(火) 17:57:20
胸だけでなく頭も悟りと関係あるかと思うのです
頭 眉間の感覚と幸福感
413
:
123
:2016/03/02(水) 00:36:57
みなさんはじめまsて。
おくれまsたがよろsくお願いいします。
慧空さんのHPを昨日初見しましてからきました
自分は悟りに関して全く興味ありませんでしたが、
ここ最近の異常な感覚から興味を持ち始めました
414
:
めがね
:2016/03/02(水) 17:17:11
123さん
こんにちは、
私は気付きが来たときに独り言のように
書き込みしています。
こちらこそよろしくお願いします(^^)
415
:
慧空
:2016/03/03(木) 00:04:17
123さん、こんばんは。
よろしくお願いしまーす。(^^)
416
:
名無しさん
:2016/03/10(木) 03:47:50
契約書にパンチ穴あけて保存してた後輩に2時間ガチ説教した結果wwwww
http://bit.ly/1LDQeP1
417
:
名無しさん
:2016/03/13(日) 12:11:09
【悲報】兵庫でとんでもない物件が見つかる【画像あり】
http://bit.ly/1XshYHR
418
:
名無しさん
:2016/03/18(金) 01:21:09
車のディーラーで試乗拒否されたったwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
http://bit.ly/1R5AmkD
419
:
めがね
:2016/03/21(月) 07:05:59
意識が昨日から大きく変わった気がする
自我の私の考えが私自身で
意識・考え・感情
私そのもので
もう一つ、以前から自我の私が考えると
その考えが現実化してしまうと不安になってましたが
その考えから離れ
考えたからではなく予知している部分があると思う。
420
:
めがね
:2016/03/21(月) 07:37:10
考えに合わせていこうとしてた
421
:
名無しさん
:2016/03/21(月) 09:00:58
めがねさん、理解が進まれてるようですね。(^^)
私も昨日は何か感じるところがあって、ちょっとした節目だったのかと思っています。
422
:
慧空
:2016/03/21(月) 10:59:32
ああ、上の名無しは私(慧空)でした。
423
:
めがね
:2016/03/21(月) 12:34:35
慧空さん
そうでしたか、どう変化しているのかゆっくりお聞きしたいです。(^^)
4月の12・13日仕事で東京に行きます。
13日は朝から空いている予定なので、もしお時間が空くようでしたら
佐藤さんともお会いできないかな〜と思います。(^^)
それと多分、大悟したと思います。
まだハートに感じるので多分ですが。
「見る者は見られるもの」の感覚は思ってたのと違った感覚でしたが
見ている側に片寄った感覚で視線を早く動かすと、ちょっとフワフワする感じもあり
しかし、この感覚は何か物を作っているときに、とても繊細で
極度の集中した時に近いのかもしれません、それが集中した一時ではなく、
続くので違和感があると表現すると少し伝わるかもしれません。
でもまだ解りませんが・・・
自我の私を消えてしまえと思ってましたが
ぐるっと回って自我の私が自分だった〜でも幻だったわ〜
424
:
めがね
:2016/03/21(月) 12:41:53
もう少し、
私は体側ではなく
意識の方なんだと理解が深まったので
こういった感覚になったんだろうと思います。
425
:
慧空
:2016/03/21(月) 16:38:44
めがねさん、なるほどですねぇ〜。
それはそれは。(^^)
あいくに、4月12日、13日は仕事でしてお会いできそうにありません。
また今度お会いできればと思います。
426
:
慧空
:2016/03/21(月) 16:42:12
ああそうだ、スカイプでよろしければお話ししましょうか。
今週から来週前半ころはちょっと忙しいのですが、それ以降でしたら大丈夫ですので。
427
:
めがね
:2016/03/21(月) 18:34:44
そうなんですね(^^)
了解です。
私は平日の水曜以外でしたらきっと
時間が空きやすいと思います。
ご連絡お待ちしております(^^)
428
:
めがね
:2016/03/23(水) 19:25:08
早々こんな事に気付いた
悟らない人は物事を大きく楽しめるから大きく苦しむ
悟った人は大きく楽しめなくなるけれど大きく苦しめなくなる
悟りはよい事ではない(笑)
429
:
taocon
:2016/03/24(木) 16:54:28
こんにちは。
めがねさん、質問させてください。
私も試行錯誤しながら自覚を行っているのですが、なかなか進展しない感じで途方に暮れています。
めがねさんは日ごろ、お仕事や家族との生活を送りながら、どのように自覚に取り組まれてきたのですか?
それらに対して、自覚が進んでゆくことによってどのような心境の変化がありましたか?
もし、めがねさんなりの自覚のコツなどがあれば教えていただけると幸いです。
突然すみません。とても興味があります。
430
:
名無しさん
:2016/03/24(木) 17:03:13
教授「テストに何でも持ち込んでいいよ」ワイ震える
http://bit.ly/1R5A8tM
431
:
めがね
:2016/03/24(木) 18:29:50
taoconさん
こんにちは、(^^)
私でよければいつでも聞いてください。
taoconさんは悟りの段階として、今ご自身でははどの段階にいらっしゃるとお思いですか?!
それをお聞きして、その時の私のやっていた感じをお伝えしたほうがいいのかなと思います。
それと、一番最近の「気付き」が何だったか有るのであればこの2点を教えてください。
432
:
めがね
:2016/03/24(木) 18:38:28
無ければ無いでいいですし、自覚を始めたばかりとか
なにもtaoconさんのことを知らないので。
433
:
めがね
:2016/03/24(木) 18:58:08
今時間があるので
大まかに始めのころのやっていたことを書いていきますね
私の場合は悟りのほうから突然やってきたわけでは無かったので
一つ一つ考えを中和していったって感じです。
最初は慧空さんを知らなかったので自分自身で
しっくりくる方法を作っていった感じです。
初めて何年も自我って何??理解できていなかったころです。
1日の内にどんな事ガラでイライラ・不安になったかなと
思い出す時間を作りました。
434
:
めがね
:2016/03/24(木) 19:10:30
今だからこそ、なんでそれがよかったか解るのですが
その当時は1つの事柄で毎日の様にイライラしていました
苦しんで苦しんで何週間かたったころ
いつもはあいつが悪いからだといつも考えてイライラしていたのが
もうこんなくだらないことでイライラしてるなんてあほらしいと
少し、客観視できたんです。そしたら、それを思い出すと
どんどん客観視でき、気付きも来て
その時の気付きは「外側を攻撃する気持ちで実は自分自身を傷つけてきた」
435
:
めがね
:2016/03/24(木) 19:19:53
思い出すことによって
現実で嫌なことが起こってくるのを待つのではなく
あえて苦しいですが
思い出すとは考えを一人の時に頭の中につくる事です。
考えを掴んでいることですので無意識に感情に捕らわれ
考えが連鎖します。その事ガラの相手のを攻撃する考えが
それを何十回とやっていけばそのうち客観視できる時が来ますが
その苦しむ事ガラは無くなる(小さくなる事)だと
全て俺に任せろというような強い自分を作り立ち向かいます!
この当たりがコツですかね
だんだん上手になりますので早くなります。
436
:
めがね
:2016/03/24(木) 19:23:44
自分から見たら正しい事とゆうのは
誰から見ても正しい事だと思い込んでいました
それが、1人1人正さが違いその色々な視点で見れば
正しいことでは無かった。
それでも私はそういったことはしないけど
したくなる気持ちも解るよとなってきます。
437
:
めがね
:2016/03/24(木) 19:27:30
それで大きな感情に捕らわれることが少なくなってくる頃に
慧空さんの自覚がやりやすくなりますし
うまくいかないと思い込みにくくなって続けやすいかと
しかし、たまに大きな捕らわれが出たら先ほどかいた様に
とっとと苦しみます。(^^)
こんな感じです、何か有ればまた質問してください。
438
:
taocon
:2016/03/24(木) 21:46:32
めがねさん
書いていただいたコツ、とても参考になります。
ありがとうございます!
まだ私は悟りの「段階」といえるほどの気づきなどは何もないですし、
何かの拘りを手放すようなことも起きていません。
ただ、「自覚」を行っていると思考が静まり、ある種の集中力が増して、
例えば歩いていると目にものが飛び込んでくるような、見え方というか焦点の当たり方をするといった感じなのですが、
逆にボーっとする感じも起きていて、自覚をしていると日常の生活に差しさわりが起きる感じになってしまいます。
慧空さんの体験談はあまりにも凄まじい感じがして、ちょっと恐ろしい感じもしてしまうのですが、
めがねさんはお仕事もちゃんとされていながら(そのようにお見受けいたしましたが?)どのように自覚を続けてこられたのか、両立はできているのか?とか、気になってお尋ねいたしました。
「両立できないかも」という恐れは私の拘りだとも、今書いていて気づきましたが。
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