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俺が統合失調症を発症した時の話するの続き

1たこ助 ◆6KctQgwHqc:2014/04/30(水) 20:20:37 ID:KPSTbrXA0
スレを立ててしまいました。
俺が罹患してしまった「統合失調症」というワケが分からない病気。
しかし、発症に前後して体験した出来事については、多くの方々から色々な意見をいただきました。

このスレでは、みんなでこれらの体験とか、悟りとか、量子力学とか、
果ては宇宙、宗教の発生について色々と意見して行きません?
ってスレです。

139たこ助 ◆6KctQgwHqc:2014/05/10(土) 00:50:45 ID:KPSTbrXA0
>>133
体験については、おーぷん2ちゃんねるのVIPスレで詳しく書かせていただきました。
URLが貼れないのですが、そのスレの>>58辺りです。

俺も、この病気に関する知識を持ちながら、罹患していることに気づけませんでした。
ただ合理性のない恐怖だけがあり、それをぬぐい去ることが出来なかったことを覚えています。

自我が自我がありたいと思うことは自然なことなのかも知れないですね。
奥深いかどうか、自分では何も分かっていないのですが・・・

>>134
精神活動の中で、過去とリンクする感覚は、俺は体験したことがありません。
ただ、上にも書かせていただいたのですが、
「自分とはどこにあるのか」
これは、なかなか難しく、面白い考え方なのかも知れません。

>>135
さとうさんの書き込み、悟りスレで見させていただきましたよ。
「エゴは消えることを絶対に認めない」という言葉は、とても興味深いです。
死の恐怖、心が感じるストレス、自分の居場所。
これらは非常に重要なもので、エゴが生みだしているものなのかも知れないな、と思考しました。

俺から質問させていただいて良いでしょうか?
エゴとは「自我」とも言えると思いますが、
そもそも、エゴに「なぜ?」という探究心はあるものなのでしょうか。

140129:2014/05/10(土) 00:52:09 ID:2t6E65n20
>>137

141129:2014/05/10(土) 01:39:17 ID:BKpsq2bc0
>>137
確かにタコ助さんの言う通り占有したいと思うこと自体おかしなことで
ありえないことを望んでいることになりますが、この現世の社会では
それが多数なのであらゆる争いがあるのだと認識しています。

神性は個々でもあり個でも在ると思います。ただ形や名称にとらわれる為
におこる錯覚に落ちたとき時、個々と個の合一が分離すると言いますか、、、
繋がりを認識できなくなり、人は不安になり不安は悲しみ、恐怖に変わり
現実を否定し、ごまかす為の快楽依存又は破壊行為につながると思います。
瞑想で多幸感を感じるのはその繋がりを強化することができるからだと思っています。
(タコ助さんのレベルに行かずとも。)

タコ助さんは(声の主)と対話する私(タコ助)さんの自我を両方を同時観測している、
第三の視点と言いますか、、その両方を見ている意識はだれだとおもいますか?
又その意識が在ってこそ対話の観測が可能なことには気づいていますか?

142さとう ◆XksB4AwhxU:2014/05/10(土) 05:18:20 ID:/WMh.yZQ0
〉たこ助さん

〉エゴとは「自我」とも言えると思いますが、
そもそも、エゴに「なぜ?」という探究心はあるものなのでしょうか。

了解しましたが、用事があるので今晩にでもお答えさせていただきます。

宜しくお願いします。

143不思議な名無しさん:2014/05/10(土) 12:10:35 ID:8w.ahSxc0
また一人覚者が増えたか。
12進法はガチ。
常識とかいう制限側の情報を元に病だとは判断しないでよいかと。
焼き切れてしまわない程度に探求してください。

144131:2014/05/10(土) 12:15:42 ID:nhx.VdnY0
>>138
レスありがと。
しかしやはり漠然としててイメージにもならないなあ。
12の構造の1つ1つがどんなのか、なんとなくでも答えてもらえるとうれしいw

「成りて成る」ものってのは要するに全てになるエネルギーの源流みたいなものなんだろうね。
一人ひとりの人間の精神なんてのは大樹についた無数の葉っぱの、
その葉についたうっすい産毛の1本みたいなもんなのかもね。

145たこ助 ◆6KctQgwHqc:2014/05/10(土) 20:14:12 ID:aZQAUn020
>>141
確かに、「形」としての神性にこだわる気持ちは、誰にでもあるものですね。
仮に俺が体験したことが事実だとしたら、
神は一つでありながら複数ある、という答えになり、
その二面性のどちらに認識の重きを置くかで、神性は性質を変えるのかも知れません。

俺が一連の体験を客観視できている理由は、
ここで対話していた「自分」は、自然と沸き上がる思考であって、
まるでテレビ画面を見ているように、両者を眺めることが出来たことにあります。
その時の自分は「録音テープ」のような自分と、それを聞いている自分とが分離していたように感じています。

>>143
覚者ではないと思いますが・・・
この世界にある常識にそぐわず、その結果として生き辛いのであれば、
それは病気と考えて妥当であり、治療が必要だと俺は思っています。

探求には興味を引かれますが、これは実は難しい問題です。
次に何をしたら良いのか俺には分かりません。

>>144
12の構造の全容については、それを一意に表現する言葉が見つかりません。
そして、構造の1つ1つに、どのような意味があるのか、
それについても言葉が見つかりませんが、
大まかな図は書くことができます。
http://imepic.jp/20140510/723170

灰色の円「認識」については、良い言葉が見つかりませんでした。
「真実」や「実体」のような言い方も出来るのかな、とは思うのですが、
ここでは、「心」という言葉を用いている関係上「認識」としました。

「エネルギー」は、物質を含む力です。
しかし、その波長はとても長いため、俺たちは物質を波とは見ることが出来ない、そんな感じです。

「心」は、「人が持つ『世界の歯車を回す力』」というイメージです。

法則は、「世界の内側」において働く力です。
その一部は「世界の外側」で生じた結果を埋め合わせるために働く場合もあるように感じています。

「認識」は、「有る」という事実です。
しかし、この表現は不完全であり、他のすべてが「力」であるのに対して、
これだけは、うまく言葉を当てはめることが出来ませんでした。

12の構造のイメージを「なんとなく」伝えると、このようになります。

146さとう ◆XksB4AwhxU:2014/05/10(土) 20:16:02 ID:f5acoR/E0
>>139 たこ助さん

亀レスになりましたが、お返事をさせて頂きます。

〉「エゴ」に好奇心(探究心とも言えます)はあるものなのでしょうか。

厳密に言えば、エゴに好奇心は無いと思います。

エゴは分離故の存在なので、分離のない状態は自己の消失を意味します。なので、エゴは自己保存の為に、手当たり次第ありとあらゆるものを利用します。

例えば、『自分とは何か?』という事を探求している人物がいるとします。

エゴの視点から見れば、これは当然の行動です。探求を続ければ続けるほど、自分自身の存在を定義化や固定化できるからです。

エゴは自分自身を『有りて有るもの』としたいのです。

これを好奇心というならそう呼べると思います。

しかし、分離状態の僕らの心の中にはには、エゴとは違う部分もあり、それがエゴの行動を完全に利用しています。それは、エゴが自らを完全に固定化する為の行動を利用しているのです。

今回のたこ助さんの体験は、エゴが自己探求という形で自らを固定化したいが為に起こしたことですが、心の中のエゴとは違う何かは、間違いなくエゴの行動を利用していたと思います。


ところで、たこ助さんが自我をかろうじて維持したまま、あの世界にいきましたが、自我にとっては恐怖だったと思います。

〉自分は、自分ではない。そして、「成りて成るもの」の内側に自分たちはいるのです。それは、絶望にも近い、何もかもすべてが分かったような、悲しみにも似た感情でした。美しすぎ、あまりにも悲しく、そこを見るべきだったのかどうか分からないまま。

エゴが目指した先に、自分が存在していないことを知ったら、エゴは絶望するしかありません。エゴにとっては最大級の恐怖でしょう。

逆に、エゴではない心の部分は、月並みな表現ですが、あの世界を美しく調和の取れた世界と感じたでしょう。

僕は、もしたこ助さんがエゴ無しであの世界に到達していたら、もうこちらに帰ってはこなかったと思います。エゴがあったからこそ、こちらに戻ってきて、皆に体験をシェアできているのでしょう。

それから、敢えて時間のルールの中で話すなら、最終的に『成りて成るもの』はこの世界とともに消え去ると思っています。

その先のことは、何が起きるのか表現さえ不可能です。

〉「エゴの発生」という究極的な部分への好奇心もありますが、

なぜ分離のが起きエゴができたのか、なぜ成りて成るものが自らを消し去る(この点はたこ助さんは述べてません)のか、ある程度はヒントらしきものはもらっていますが、はっきりと、僕らは真の意味では理解できないとも言われていますし、僕もそう確信しています。

以上、宜しくお願いします。

147131:2014/05/10(土) 20:48:35 ID:CATaHdjI0
>>145
おお、詳しくありがとう。すごく興味深い。

認識ってのは多分、こう思ったからこうなる、みたいなものじゃないかと思うんだけどどうだろう。
極端なことを言うと、コンクリートが硬いのはみんながコンクリートが硬いと思っているからだ、みたいな。

引き寄せの法則という、自分が信じきれば(願望ではなく言葉通り信じて疑わない)
現実が引き寄せられて信じたとおりになる(近づく)、というものがあるけど、
図からシンプルな考え方をすると心が認識に働きかけてエネルギーと法則を動かす、という感じになるんだろうか?

148不思議な名無しさん:2014/05/10(土) 21:36:25 ID:q306mBnU0
あなたは「決して悟ったり解脱してはならない」。
なぜならばEOイズムに限れば悟りというのはもっとも悪質な犯罪であり、
宇宙から弾き出される異分子となる事になるからだ。
それは存在宇宙の意志には決して貢献しない。

宇宙があなたに下した命令は、「存在し続けろ、生まれ続けろ、苦しめ、
楽しめ、そして生活の動機はでっち上げてでも、とにかく生命を繰り返せ、
動き続けろ、退屈するな、思考し続けろ、
目的を絶えず作れ、娯楽を生み出せ、理由などどうでもいいから、
とにかく活動が停止しないように頑張りたまえ」というものだからだ。

149Q ◆XksB4AwhxU:2014/05/10(土) 21:44:43 ID:DKLYq9HY0
>>145
ヒトの体には脊髄に沿って7つのエネルギーセンターがあるそうですが、私はそれはまさにタコ助さんの言う12の構造であると見ているのですが、どうでしょう?
つながりとか感じたりしませんか?

認識が他と違うのは、それが完全に静止していて幅のない断面であるから、かな?
まったくの見当違いかもしれませんが

150129:2014/05/10(土) 22:10:47 ID:BKpsq2bc0
>>145
そうなりますね。その声の主とタコ助さんの自我、とのやり取りを
観測する(私)があって、その私の意識の内の中の出来事と言えないえ
ると思います。その私(意識、見るもの。)が観測者だとしたら
見られる者(声の主と自我)は双方とも、私(意識、見るもの)の映し出した産物
想念による自我と自我との対話になると思います。
その自我と自我の対話を見ている私とは誰か?とその私が私に問うことができれば
そこで、初めて(私は在りてある者)または、(あるがままに在る者)
と、一なる者、と繋がりのある自我が苦肉の策の言葉で答えるとおもうのです。

自我はエゴとは厳密には違うと思います。意識(一なる者)の内から私(想念1)が生まれ
私(想念1)の内に想念2(私の思い、思考)が生まれそして最後に身体を等して物質世界に反映されます。

エゴとはこの過程で言えば、想念2にあたると思います。

ここで言う意識(一なる者)は万物に在り、全てを貫く人が神と例えた者だと思います。
ここで言う私(想念1)思考や思いを観測する意識は普段の人間が活動する意識です。
ここで言う(想念2)私の思い、思考に執着しエゴが強くなると個と個々の分離が起こります。
この例えでいえば、(個)が一なる者で個々が私(想念1)です。故に想念2が強くなると
個と個々を見失い分離したよう錯覚すると思うのです。しかし本当は、一なる者から、私も想念も
身体を通して作り上げる物や行為も、全ては一なる者なくしては存在できないのです。
説明上分離と言いましたが分離は不可能であり見失うだけです。

タコ助さんは(覚醒状態では思考力が落ちると)言われていますが、それは正しいと言えるのです。
思考とは恐怖の回避です。又はあるがままの現実世界の否定ともいえます。
世界を完全に在るがままに肯定するが故に多幸感と美しい世界が目に映ります。
最後の最後で恐怖に落ちた体験は想像するだけで大変だったと思います。
とても伝えたくて我慢できませんでした。ながながと長文お節介失礼。

151不思議な名無しさん:2014/05/10(土) 22:32:16 ID:8w.ahSxc0
知覚とは広がりなどではなく『限定機能』である。
あなたの限定した知覚の世界以外は、あなたにとっては世界ではない。
世界などというものは、ただの限定知覚の中にしか存在しない。

152たこ助 ◆6KctQgwHqc:2014/05/10(土) 23:28:50 ID:aZQAUn020
>>146
ご返事のレスをいただいて恐縮です。

エゴに「探究心」がない、この意見には俺も賛成です。
そして、エゴとは本質的に「自分が自分である」という自信がないもののようにも思えます。

レスを拝見して、
利己的な衝動と、本能的な衝動、これに加えて道徳的な衝動(これもエゴの一部かも知れませんが)。
この3つがせめぎ合い、エゴとは生まれているのでは、と思考しました。
必ず“有る”ことを排他的に選択するエゴは、俺を道案内し、
俺に「エゴ」と、「それ以外の何か」の境界に見せたのかも知れません。
しかし、一つ腑に落ちないことがあります。

俺の体験が事実であったとした場合ですが、
エゴは「自分とは何か」を問いかけ、その先を見せようとしました。
しかし、そこで俺は大変に美しい空間が広がっていることを感じ、同時に「自分が無い」ことを体験しています。
これは不合理なもので、まるでエゴが「行くべき場所」に案内しておきながら、
その場所を知らなかったように思えるのです。

これを合理的に解決する答えは「その場所は知ってはならなかった」となりますが、
それでは、俺をその場所へ向かわせたのは、本能的なものだったのでしょうか。
疑問は尽きません。

>なぜ成りて成るものが自らを消し去るのか
これは、俺が体験したことによる感想なのですが、
「成りて成るもの」も、「時間のようなもの」の制限を受けているように思えました。
なぜなら、俺が「自分が無い」場所で見た時、「空間のようなもの」が広がっていたためです。
空間と時間は同一のものです(その場所でも、この対称性が守られているかは分かりませんが)。
よって、「成りて成るもの」も、俺たち人間とはスケールが違うかもしれませんが、
変化があり、限りあるものではないか、このように思っています。

153129:2014/05/10(土) 23:29:46 ID:BKpsq2bc0
知覚とは自我の産物であり。双方現われては消える。
故に限定的現象であり、私を内包する者から見れば私が知覚する
世界や私の思考思いはテレビに映る映像であり、そこにある実在ではない。
が映像を映すテレビ自体は存在する。

154たこ助 ◆6KctQgwHqc:2014/05/10(土) 23:47:03 ID:aZQAUn020
>>147
認識は「事実を脳が処理した結果」だと思っています。
コンクリートの堅さは、人体が体感した結果だと思いますが、
この本質性とも言えるかも知れません。

この図は、例えば世界が一つの歯車だった場合、
その歯車を回す「原動機」を示したものだと、俺は考えています。
この4つの力(正確には12の力ですが、8の力は混ざり合っているため、明確な区別がしにくいイメージ)により、
「この世界の現象」は起きているように感じました。

ただ、そうなると「思う力が集まれば世界を変えられるんだ!」みたいなことになって、
エキセントリックな答えが出てしまうのですが・・・

>>148
俺はEOイズムを良く知らないのですが、リビドーとデストルドーの話しでしょうか?
犯罪という通念は、多分、人間が作っているものなので、
本質的な心は持っていないと思いますよ。

そして、これは俺も統合失調症の陽性症状で陥ったことなのですが、
宇宙には人間が考えるような意志はないと思います。
「ただ有りて有る」ものが宇宙であり、仮に宇宙が「苦しみながらも生きろ」と言うのだとすれば、
それは、自我の叫びなのではないかな?と、俺は思いました。

>>151
その考えについては、俺も思考しました。
例えば、俺たちがいる世界は仮初めで、実際には試験管の中に浮かぶ脳、
これが見ている夢なのではないか。

しかし、この考えには腑に落ちない点があります。
仮にそうだったとして、では「その答え」を考えさせるような仮想世界を、
なぜ作り上げたのか、という疑問です。

観測していなければ、その事象は存在しない「かも知れない」。
しかし、合理的に考えれば、その事象は確実に存在します。
「限定された世界」以外の世界は、確かに存在するのであって、
ただ俺たちが知らないだけなのだと、俺は考えています。

155たこ助 ◆6KctQgwHqc:2014/05/11(日) 00:08:14 ID:aZQAUn020
>>150
自我と自我との対話であったとしたら、疑問が残ります。
その時、俺はそれを客観的に見ている「視聴者」でありながら、
確かな意志を持ち、「音のような言葉」と対話しているのです。

確かに、その時は思考せずとも思考でき、「思考」と「自分」を分離することが出来ましたが、
果たして、それは自我と自我との対話だったのか。
仮に自我同士の対話だとしたら、一方は進むことを拒み、一方は進むことを肯定していました。
この矛盾は、どのような働きで生まれたのか。
と、疑問は尽きませんね。

「神を見失う」という考え方は面白いと思います。
果たして、万物にある「神性」が宗教発生と関係があるのか。
精神活動の発達により、それを見失うことこそが「今を生きる」ということなのか。
なかなか難しい解釈です。
(俺は、色々と語弊があることを承知の上で言えば「今を生きる」ことを選んだわけですが)

これは、テレビの実在と、番組の非実在とも関わってくると思いますが、
これは人間の「脳の働き」にも言えることかも知れません。
「見ているもの」が事実なのか。
「観ずるもの」も事実なのか。

156不思議な名無しさん:2014/05/11(日) 00:37:03 ID:bT6nV1fE0
たこ助さんとさとうさんのやりとり、
興味深く読んでます!

思考と感情がなければ、個っていう概念は
生まれないよね?もし自分に思考も感情も
なければ、世界をどう眺めるのだろう。

たこ助さんは瞑想中、感情があるよね?
幸せな気持ちとか、高揚感みたいな。
感情って身体の一部が反応することだと
理解してたけど、たこ助さんは瞑想中の
感情は身体で感じているのですか?

エゴって脳含めた肉体なのかな。
肉体の死がエゴの死なのかな。
脳死ってどうなんだろ。思考がなければ
判断しないよね。記憶も思考もなければ
感情も湧かないよね。

エゴって何なんだろう。不思議過ぎる。
この知りたいって好奇心。全てに意味を
見いだそうとするのは思考?本当は
全てに意味がなくてただのエネルギーの
かたまりだったりして。

157129:2014/05/11(日) 00:51:57 ID:BKpsq2bc0
<<155
その矛盾は私から生まれたと思います。
思考で一方が否定し一方が肯定することを、葛藤と言うと思います。
それは日常生活ではよくあることです。ただ分離して第三者として
映像でみることは稀なことと思います。
想念②から完全に分離した想念①がその有様を観測できたと
言うことは、もしかしたら一なる者と融合して、その後の分離過程
をヴィジョンとして観測したのかも知れません。一旦は全ての真理を
悟ったように感じて今ここでその体験を分析していると言うことは
そのような過程だと思います。もし融合を現在も維持しているのならば
探求はありえないと思います。体験を分析し理解する過程だと思います。

神を見失うとは一般的には人は言いませんが、我を見失うとはよく聴きます
その時ひとは想念②と想念①を同一化しています。故に一なる者がより
見え難くなるのだと思います。

テレビはその空間では身体で触ることができます、これをここでは実在
と定義すると、テレビに映る物は触ることはできませんし具現化もありません
触ろうと手を伸ばして触ってもそれがテレビなのです。その見地での例えです。
故に番組を放送している人たちの存在の有無はこのたとえでは
フラクタル構造の外の話でまた別の見地での話しに拡大しなければ
説明できないのでまた別の話です。しかしそれも構造的にはスケール
の違いだけで同じ構造だと認識しています。

158129:2014/05/11(日) 00:55:32 ID:BKpsq2bc0
>>157=>>155 タコ助さんへのレスです
アンカーミスしました。

159129:2014/05/11(日) 02:00:41 ID:BKpsq2bc0
>>156
私見では、私と言う想念1が肯定で最初に一なる者から現われます
これを探求心や好奇心といえると思います。
その後に想念2が否定としてたち現われ想念1と葛藤します、
過去の経験や体験の執着の残りカスが(想念2)偏見やエゴと我々が認識している物と思います
故に肯定も否定も一なる者がなくして存在しないことになります。
何故肯定や否定があるのか(争いや個人的内な葛藤)と言う疑問がのこりますが、
それは人間を一つのデジタル、アナログ変換機として見れば話は早いです。
又は光合成といっても良いかもしれません。

160不思議な名無しさん:2014/05/11(日) 03:12:42 ID:HzCQp0oc0
テスト

161さとう ◆XksB4AwhxU:2014/05/11(日) 05:38:49 ID:/WMh.yZQ0
>>152 たこ助さん

〉たこ助さん

〉これは不合理なもので、まるでエゴが「行くべき場所」に案内しておきながら、その場所を知らなかったように思えるのです。

ある場所で、エゴに合理性は無いと書いたことがあります。

なので、たこ助さんがお考えの様に、エゴは行き先を知りませんでした。なので、エゴは「行くべき場所」へ、たこ助さんを案内したつもりは全くありません。

自己を強化できる、良さそうな場所があるから行ってみよう、という感じだったのでしょう。

例えると、「この株を買うと絶対儲けますよ!」と勧められたので、その気になって買ってみたら、その会社があっという間に破綻してしまあい大ショック!という感じでしょうか。

因みに、なぜここ迄エゴの事を理解できるのかというと、かつてエゴの無い自分自身と出会った体験があったからです。

超越体験や至高体験とは違い、只ひたすら穏やかであった体験でした。

勿論、今の僕はエゴとお友達ですが、その体験があったからこそエゴを理解できるのだと思っています。

ここでは話しが長くなるので体験の詳細は割愛させて頂きます。

〉よって、「成りて成るもの」も、俺たち人間とはスケールが違うかもしれませんが、変化があり、限りあるものではないか、このように思っています。

同じことは考えたことがあります。

今の僕の一応の答えは、「成りて成るもの」は、この折りたたまれた世界の中では完全体であり、自分とは何かを100%理解している。しかし、100%理解しているからこそ、この世界とともに自らを消すことになるということです。

但し、肉体を持った人間には、真相は理解するのは難しいような気がします。

たこ助さんの見た世界は、完全に「抽象の世界」ですから、説明する為に言葉に変換するのは大変だと思いますが、非常に興味深い話なのでシェア頑張って下さい。

162不思議な名無しさん:2014/05/11(日) 06:02:01 ID:7Vn7v6s60
たこ助さん、とても興味深く読ませてもらってます。
エゴで盛り上がっているところ、異なる質問で申し訳ないのですが
「大きな世界」では、複数の時間に、1つあり、「小さな世界」では、1つの時間に、複数ある。
とのお話でしたが、「大きな世界」「普通の世界」「小さな世界」には明確な境界があるのでしょうか、それともグラデーションのように徐々に性質が変わって行くものなのでしょうか。
また、宇宙の外側に12の構造があったように、極小の世界にも、現在考えられる(超ひもの弦?)よりさらに先はあるのでしょうか。
もし体験の中で感じたところがあれば教えてください。

163131:2014/05/11(日) 16:23:25 ID:f95Q5aYw0
>>157
そのエキセントリックなものが答えで間違っていないと俺は思ってるけどね。

>>147で書いた引き寄せの法則もその一端なんだとすれば一応筋が通るし。
過去への行き方で過去の明晰夢を見て、そこを現実世界だと認識できるようになると
その夢の中が本当に現実になり、その世界でその後生きていくなんてていう話もあるし。
(実際の過去とは微妙に歴史等の誤差があるパラレル世界になるらしい)

夢の中が現実世界そのものになる、なんて人間の常識ではまるで説明不能な
それこそエキセントリック以外の何物でもないけど、
たこ助さんの見た世界構造に当てはめればそれ程不自然なものではない気がする。
認識と心がその世界の枠組みを作って、そこにエネルギー(物質)と法則が組み合わさって
世界を形作るみたいな感じかな。

あてずっぽうで無理やり紐づけているとは思うけど、どうだろうw

164131:2014/05/11(日) 16:24:47 ID:nhx.VdnY0
>>163の安価は>>154宛てだった。
アンカミスごめん。

165Q ◆XksB4AwhxU:2014/05/11(日) 17:41:55 ID:DKLYq9HY0
タコ助さん、12の構造に方向はありますか?
エネルギー→心→法則→認識→エネルギー
というような
そう見えるように描いて下さってますけども

166たこ助 ◆6KctQgwHqc:2014/05/11(日) 20:18:44 ID:aZQAUn020
>>156
「個」は、思考と感情が無くとも存在出来ると思いますが、
それを認識して「これは個である」と考えることは出来ないと思います。
仮に思考と感情がない状態で世界を見たとしたら、
それは「事実そのもの」と言えるかも知れません。

しかし、それを「事実」として理解しようとしないのですから、
それはただ「有る」だけです。

俺が瞑想ごっこをしている時は、感情があります。
ただ、表現が難しいのですが、その時は興味の無いテレビ番組を見ているような感じです。
一方で、そのテレビ番組を興味津々に見ている自分もいます。
これらを体が感じているものなのか、と聞かれると答えは、
「感じているが、感じていない」という表現になってしまいます。
当事者である自分と、それを客観的に見ている自分、この2つが同時にあります。

エゴの死は、脳の死だと思います。
仮に肉体を失い脳だけで生きていてとしても、そこにはエゴが残ると考えるからです。
しかし、仮に脳が死んだとして、そこでエゴも同時に消滅するのか、
これについては、俺の感覚で答えるとエキセントリックな答えになってしまいます。
それは、まるで霊の存在を認めるようなものなので、俺は得意ではありません。

>>157
俺の感じた矛盾は、
不可侵な場所へ進むことを禁じる立て看板があり、
しかし、その隣には、通行可能の立て看板がある、という表現が近いかも知れません。
この2つの中間的な解釈は「あなたのご自由にどうぞ」ですが、
では、なぜこの立て看板が立てられていたのか。
葛藤とは、その立て看板を見た俺の主観的なものです。
よって、疑問は「この立て看板の意味」ここに帰結します。

立て看板をエゴに置き換えます。
エゴは「禁じる」と「通行可」の中間として「自分で選べ」と、俺に選択させたのです。

なぜエゴは、
「この2つの選択を自分に見せたのか」この疑問はもちろんですが、
俺の疑問は、
「その時点でエゴは俺に選択を掲示したのか」という点に帰結します。

167たこ助 ◆6KctQgwHqc:2014/05/11(日) 20:19:14 ID:vzJ67b9I0
>>161
エゴの合理性の消失について、詳しく書いていただいてありがとうございました。
「エゴによる道案内ではない」とした場合、
この部分に宗教的な「人智を超えた存在」が入り込む隙間が出来るように思いました。
エゴによって導かれたのではないとしたら、自分は高次元の知性に選ばれたのだ、と思ってしまう。
しかし、それは大きな間違いだと俺は思います。

エゴの無い自分は想像が難しいですが、
俺が体験した出来事は、以前にレスで意見をもらった通り、
エゴによって後付けされた物語なのかも知れません。

しかし、エゴと共に有る自分たちは、エゴが付けた物語から、
そこに埋もれた「事実」を読み解くことしか出来ないのかも知れません。

ただ、この考え方で得たものは、
次に「瞑想ごっこ」をする時の目的になりそうです。
それは、「抽象の世界」で「自分」を見るという目的です。

俺は思慮が浅い上に無知なので、今後も色々と教えていただくことがあると思いますが、
「成りて成るもの」がある世界で「自分を見る」、
これが出来れば、何かを得ることが出来るような気がしています。

168たこ助 ◆6KctQgwHqc:2014/05/11(日) 20:20:04 ID:aZQAUn020
>>162
「大きな世界」「普通の世界」「小さな世界」には、境界はありませんが、
それを「見ることが出来るかどうか」という意味では、境界があります。
すべては、グラデーションのように結びついていると、俺は感じています。
ただ、そのどこかで「特定のエネルギー特徴が顕著になるポイント」はあると思います。
それが、12の構造だと思います。

以下は、俺の妄想ですので、非常にエキセントリックですが・・・

極小の世界はあると思いますが、そこでは「普通の世界」の物理法則とは性質が異なっています。
なぜなら、そこはエネルギーの世界だからです。
すべては波であり、エネルギーの特徴的なポイントによって、
それが「物質の世界」へと出現して「物質」として定着する。
俺の感じたイメージはこんな感じです。

では、「波」の特徴的なポイント以外はどこに行ったのか。
それは、エネルギーの世界に残されていますが、
それは「境界」によって隔てられ、観測することが出来ないのではないか、こう思っています。

ね、エキセントリックでしょ?

>>163
夢については、俺も不思議に思っています。
俺は子供の頃から夢日記を付け続けているのですが、
夢の内容と、現実の出来事には奇妙な符合が確実にあるように思えます。
その結果は、まるで夢が未来を予知しているようでもあり、
非常に不合理な結果だと分かってはいますが、「夢」は非常に興味深い分野だと思います。

俺の妄想では、
「物理法則」と対照的に「概念的な事象」も変化している・・・
という、大変にエキセントリックな考えがありました。

さらに加えて、人間の意志が物理法則をねじ曲げることがあるとしたら、
それは、もはや神の仕業のようにしか思えません。

169たこ助 ◆6KctQgwHqc:2014/05/11(日) 20:20:45 ID:aZQAUn020
>>165
実は、>>145に貼った「12の構造」の図は不完全なものです。

「認識」と書いた部分は、
これを俺の感覚で言い表すとしたら「構造」となります。
(この「12の構造」に気づいた、という意味です)
俺は「12の構造」に出会い、「構造」を入り口としました。

仮に、この図への解釈を許してもらえるのだとしたら、
人間は、「心」と「法則」の中間にあります。

人間から見た場合は、
「法則」→「認識(構造)」→「エネルギー(素粒子)」→「心」
という順番になります。

170Q ◆XksB4AwhxU:2014/05/11(日) 20:53:48 ID:DKLYq9HY0
>>169
丁寧に答えていただき、ありがとうございます。
私は12の構造に十二支を重ねて見ていまして、その順序に関心を持ちました。
図は不完全であるとのことですが、既に勝手に得難いヒントをいただきました。網の目になっているというのが分かったのは大きな収穫でした。
私は、人間は外側の12の構造においては「心」と「法則」の中間にありつつ、内側には12の循環構造がまるまる織り込まれていると考えているのですが、そのあたり何か分かることはあるでしょうか?

171不思議な名無しさん:2014/05/11(日) 21:00:57 ID:hRN3POcc0
>>166
「エキセントリックな答え」になってしまう、みたいなかんじで
途中で書くのをやめるというか、ためらうというのが
今回で3回目くらいですよ

ここには不思議な話が集まるんです
つまり、あなたが出した答えが、話が、いくらエキセントリックだろうと
おかしかろうといいんですよ、むしろそっちのほうがいい
そんなことは問題にはなりません
何が問題か
それはあなたがエキセントリックだからなどといって
すべてを包み隠さずに話さないことが問題なんです
今までの話も一般的な常識からするとエキセントリックだろうし
統合失調症の話とするならばエキセントリックなのは当然です

意見が聞きたくてこのスレをたてたのですよね?
ならば全部話してほしいのです
例えば、光って粒子性と波動性を持っていますよね?
ならほかの物質などもそうであって
小さな世界では波動性が顕著としてあらわれる
このように考えてもおかしな話ではないとも思います

どうかお願いします
エキセントリックかどうか気にせず全部話してください
私には話の内容がエキセントリックであることより
エキセントリックだからといわれて
不思議な話が全部聞けないことがつらいんです

172Q ◆XksB4AwhxU:2014/05/11(日) 21:27:43 ID:DKLYq9HY0
>>169
すみません、もう一つ
人間が12の構造の「心」と「法則」の中間にいる場合、それだと要素と要素の隙間になってしまいます。
そのことについても、何か言えることがあれば聞かせてもらいたいです

173さとう ◆XksB4AwhxU:2014/05/11(日) 21:44:42 ID:dStYEXcs0
>>167 たこ助さん

〉「エゴによる道案内ではない」とした場合、この部分に宗教的な「人智を超えた存在」が入り込む隙間が出来るように思いました。エゴによって導かれたのではないとしたら、自分は高次元の知性に選ばれたのだ、と思ってしまう。しかし、それは大きな間違いだと俺は思います。

見かけ上、人知を超えた存在はあると思います。しかし、この世界(全ての次元、他宇宙、平行世界、想念の世界を含む)がひとつならば、人知を超える様に見える存在と我々の間に彼我はないと思います。

但し、頭ではこの事を分かっていても、確かに人間は「選ばれた」という言葉に弱いですね。

僕の場合、「他者と差は無く皆同じ、差が有る様に見えるのはエゴの視点だ。」ということを意識しており、またエゴではない心の何かを意識している為、昔よりはだいぶ高慢な部分は緩和されてきたと思います。

しかし、何か事が起きるとエゴの方が反応が早いので、まだまだですね。

〉しかし、エゴと共に有る自分たちは、エゴが付けた物語から、そこに埋もれた「事実」を読み解くことしか出来ないのかも知れません。

全く同意見です。それしか無いと思います。


ところで、最後に質問があります。

たこ助さんの言う「エネルギーの世界」という言葉を、「情報の世界」または「情報の海」と変えても、体験から照らして見て違和感はありませんか?僕は、最近エネルギー=情報で良いのかなと思う様になっきました。

あと、仕事が大変だと思いますが、時間がある時にでも教えてください。

宜しくお願いします。

174129:2014/05/11(日) 23:31:29 ID:BKpsq2bc0
>>166
タコ助さんの経験を読む限り葛藤が主観とは
言えないと思います。
なぜならばあなたは声の主と自分の自我との対話の
葛藤を第三の視点でそれから離れて観測していた
のではないのですか?全てが一なる者を経験した
のであれば声の主とあなたの自我とそれを観測する
(私)タコ助さんの違いとはなんですか?その違いは
だれが生み出していると思いますか?それがエゴではないでしょうか。

エゴが選択を提示したとありますが、それは正しいと思います。
ただ、エゴを見ている私はだれなんでしょうか
その私も同じエゴではないかとおもいます。
(私の思考)の内の(私)も(の思考)共に想念だと思います
私は見るもので分離しませんが、思考は限りなく分離広がりを見せます
ソレを観測する私は何処かで選択をしなければなりません、そして思考は
私に収束し、私のさらに向こう側、一なる者へ収束すると思います。

私が疑問をもち思考を生み出し思考が分岐しあれこれ考えて肯定と否定を繰り返す
その行く末を見ていた私が、選択を迫られたと言う事だと思います。
しかし思考を生み出したのは私と言う事になると思います。
よってエゴが選択をかってに提示してきたのではなく、それを生み出したのは
あなた自身の私(エゴ、想念1)だと思います、なぜそれを認識できないかと言えば
他の方の意見と少し被りますが、
エゴは自ら進んで消えようとすることは決してないからです。
故に私(エゴ、想念1)は決して正体を自ら明かすことはないからです。

175たこ助 ◆6KctQgwHqc:2014/05/12(月) 00:12:59 ID:aZQAUn020
>>170,172
12の構造は、ある特定の空間にのみ定義されるものではなく、
宇宙、生物、無機物すら、12の構造であると俺は感じました。
この構造は、力場のようなもので、形があるわけではありません。
それらは螺旋のように、すべてと結びついています。

人間は「心」と「法則」というポイントの中間にあり、
そこにも力場のようなものが満ちているイメージです。

>>171
おっしゃる通りです。
しかし、俺が感じたこと、体験したことを事実と仮定したとして、
様々な「事実」を否定する結果を、俺は書き込むことになります。

「妄想」とすることは逃げであることは理解しています。
しかし、否定は大変に書きづらいものです。

などと悩んでいても仕方ないので、
少しずつですが、書き込んでいきたいと思います。
しかし、その場合は、あくまでも「統合失調症」の妄想として、となりますが。

176たこ助 ◆6KctQgwHqc:2014/05/12(月) 00:13:09 ID:aZQAUn020
>>173
俺は、今の所、エゴというフィルターを透かして見ないと、物事を判断することは難しそうです。
しかし、よくよく考えてみると、「あの場所」で対話した際、
「音のような言葉」と「対話していた自分」の他に、
「もう1つの自分がいた」という客観性は、エゴを客観視していたのかな?
とも思うようになり始めています。

すべてが同じで平等である。
しかし、エゴによって個性も生まれる。
個性が無ければ主張もなく、エゴとは一体何なのか、疑問は尽きません。

>「エネルギーの世界」=「情報の世界」=「情報の海」かどうか
俺が感じた限り、エネルギーと情報は違うように思っています。
例えば、エネルギーに近い「素粒子」を例にすると、
素粒子は情報を持つことが出来ます。
これは、まるで素粒子が情報を記憶したように見えますが、
俺の感じた限り、これには別の要素が絡んで「そう見えている」だけのように見えます。

一方で確かに素粒子は情報を記憶することが出来ます。
しかし、この観点からも「素粒子が情報を記憶した」のであって、
エネルギー世界が情報である、という解釈にはならないのではないか。
これが、俺の解です。

177たこ助 ◆6KctQgwHqc:2014/05/12(月) 00:25:46 ID:aZQAUn020
>>174
俺は体験をする上で、客観視はしていますが、
まるで幽体離脱のように離れては見ていませんでした。

つまり、自分というロボットがいて、
その頭脳の中からディスプレイを通じて体験を見ていた。
このような表現が出来るように思っています。

そして、書き込まれた通り、俺はエゴを客観視していたのかも知れません。
この解釈から言えば、俺はエゴのない状態で、
物事を見ていたとも言えるように思います。

俺が次に知るべきは、「エゴのない自分」のように思っています。
すべてはエゴというフィルターを透かして見たものであり、
結論として、それはすべて「エゴの書いた物語」なのかも知れません。

178不思議な名無しさん:2014/05/12(月) 01:14:04 ID:q306mBnU0
フィリップ・K・ディック
神学的三部作『ヴァリス』『聖なる侵入』『ティモシー・アーチャーの転生』
読んでみそ

179不思議な名無しさん:2014/05/12(月) 02:39:17 ID:g8R12NNw0
>>178
時代遅れ。無意味

180不思議な名無しさん:2014/05/12(月) 02:46:00 ID:g8R12NNw0
>>178
ごめん。同意する

181Q ◆XksB4AwhxU:2014/05/12(月) 03:02:11 ID:DKLYq9HY0
>>175
丁寧に答えてくれてありがとうございます
なかなか言葉にするのは大変でしょう

万物は12の構造を抱き、負うていると
力場のようなものとおっしゃいましたが、私は「流出と形成の秩序」であると見ました
あるひとつの「心」に注目すれば、それは、異なる二つの輪に属する二つの「エネルギー」の境界に形成され、そして二つの「法則」に流出する
万物は12の構造を内蔵しつつ、その4つの要素は外からの流れと内からの流れの両方によって形成される
と、こう私は見ました
こうして諸々の存在は関わり合っていると

螺旋という言葉が出ましたが、それはあの図に表現されていた奥行きというか深さと関係しますか?

182不思議な名無しさん:2014/05/12(月) 04:41:05 ID:BKpsq2bc0
>>177
その通りだとおもいます。
覚醒時エゴと分離した意識は見る者としてエゴを
起因として動く身体を見つめることができます。
故に思考や身体を客観視できるので、まるで自動ロボット
をみるが如く自身の身体を見ることになるのだと思います。
書かれている通りエゴのない自分とはだれか?を知るべき
だと私も思うのですが、その先に行くのを最後で拒んだ
のはタコ助さんのエゴだと思うのです。(が、その先に行った後の可能性が高い)
もしくは覚醒時無意識に一旦、一なる者と融合して、その後分離過程で
エゴが戻り融合拒んだのだと、エゴに錯覚させられている可能性もあると
思うのです。上記にも書きましたが
エゴは決して正体を明かさないし、エゴは自ら消えようとはしないからです。
なにか知ってはならない者を知ってしまった恐怖など存在しないと思うのです
そんな存在しない恐怖を見せている者感じさせている者もエゴなのだと思います。
声の主との会話で、限定しているのは、自分自身と声の主が言ったらしいですが
その言葉は真実だとしても、その言っている声の主こそ限定を強いているエゴなのではないでしょうか。
エゴはどんなことをしても消えることを回避する為いかなることでもすると思います。

 ?<<(私、エゴ)←普段の一般的意識 エゴと私の融合と分離の繰り返し。

 一なる者<<(私)<<エゴ ←瞑想等によるエゴと私の分離 (私も厳密にはエゴ)

(一なる者=私)← 一なる者との融合、(エゴの根本、私が解け入る)

私(エゴ)は見る者、エゴ(思考)は見られる者、

故に私が一なる者に帰れば、そこに見る者も見られる者も存在しない。経験も体験もない。
ただの存在が在りてある。

183不思議な名無しさん:2014/05/12(月) 05:59:22 ID:Zs7se5IU0
156です。お返事ありがとうござい
ました。なるほど、面白い!

182さんへ
確かにエゴは巧妙だよね。私は、悟った
ような境地は未体験だから面白いこと
言えなくて申し訳ないけど…。

自分の中にある、観念 記憶 習慣等の
フィルターを通して世界を見てるよね?
このフィルターがエゴだと思うけど。
好き嫌いの判断も、フィルターがなければ
出来ないような気がする。

フィルター越しに、世界の全てを把握
するのは難しいかもだけど。
よく世界は1つ、全てが私、私が消えた
って体験談あるよね?

その時の高揚感とか、愛に包まれる感じ
とか。その後、それもエゴだったって
あるよね?巧妙過ぎるよね…。

好きで、潜在意識ちゃんねるとか
桑田さんのブログとか見てるけど。

184不思議な名無しさん:2014/05/12(月) 06:21:52 ID:7Vn7v6s60
>>168
162です。
極小の世界、エキセントリックではありますが
実際にそうであってもおかしくないと感じました。
ご回答ありがとうございました!

185不思議な名無しさん:2014/05/12(月) 07:05:09 ID:BKpsq2bc0
<<183
エゴは虚構を作り出す。そしてその虚構を維持しようと
自作自演を繰り返す、まるで釣り氏が釣り張りを投げ、引き戻すように、
エゴはその虚構で釣れた魚を見て虚栄心を満足させるのだが、
エゴはその魚の本当のことは何も知らない、とある魚は知っている
その釣り針は虚構なことを、それを知っていながら釣り針の虚構に
飛びつき、あえて真相を語ろうとするのは訳がある。
たとえ体験が虚構であることを最初から見抜いていても
それに便乗対話することで虚構から真相へと誘導または虚構だと他に気づかせ
引き戻す可能性があるからである。体験を語る言葉は立派なのだが
それは彼の体験から来る言葉にしては、余りにもその自ら語った言葉の意味を
理解してはいない。そして余りにもその言葉が過去の聖人や覚者の言葉と同じ
なのである。しかしソレを説明できてない、そしてオリジナリティな言葉の
使いまわしもない。 虚構を楽しむのならそれでも良いと思うし虚構から
興味を持ち真相にいたる例もあるから否定はしないが、あまり良いこととは
言えないです。まとめてる人には盛り上がって良いとも思うけどね。
これの全ての過程も相互関係の賜物
私は書くべきこと書いたんで、海に帰ります、、

186不思議な名無しさん:2014/05/12(月) 07:48:49 ID:BKpsq2bc0
最後に、エゴについて、、
エゴは死を恐れます、全ての恐怖はエゴの産物だといえます。
エゴ(思考)はその支配下にある
身体の死をもっとも恐れますこれを本能とも言います。(これがエゴによる限定です)
しかしエゴと分離した意識に恐怖はありません、
そこには理性と言う叡智があるだけだと思うのです。
その理性は思考ですが恐怖はないので、平穏で恐怖が
無いので争いも怒りも暴力もありません
ただしある共通の普遍の真理とも言うべき流れの為には
妥協はしません。その時その人は超人的な力を発揮すると
思うのです。近年ではガンジーやテレサ、キング牧師
のように。 ドイツのあの人は真逆の人だと思います。
ソレも一つの強力な力ですがエゴですから限定されます。存在したと言う事は
時代が世界が彼を生み出したのですから、これも否定できない
のも事実です。もし現実を否定するならばそれは自分とその内の者
を否定することと同義だからです。その時人は不安や恐怖を感じます。

187不思議な名無しさん:2014/05/12(月) 15:39:51 ID:plIXzmu.0
興味深くスレを拝見しております。たこ助さんの体験を読みながら、ふと臨死体験をした人達の体験談が頭をよぎったのですが、臨死体験に多く共通するという
「表現できない安らぎ」「天への上昇」「奇妙な音」「暗いトンネル」「肉体からの離脱」「光の存在」「生涯の回想」「生と死の境界」「肉体への生還」
このような要素との共通点などありそうでしたら、そのあたりもたこ助さんにお聞きしてみたいところです。

188たこ助 ◆6KctQgwHqc:2014/05/13(火) 01:14:25 ID:aZQAUn020
>>181
以前に示した図の奥行きは、螺旋を表現したものです。
すべては結びついていますが、自我で例えるなら、それを隔てる検閲官がいるようです。
俺の認識では、この「12の構造」が3つ連なった形が基本形だと感じています。

>>182
俺の出会った「音のような言葉」の正体は、
「道徳的意識」とも表現すべきものかも知れません。
エゴ(自我)とは、この「道徳的意識」と「本能的意識」によって生じ、
これの相互作用によって、自我は“見かけ上”存在しているようです。

道徳的意識は、極端に言えば葛藤によって生じ、
本能的意識は、極端に言えば経験によって生じているように感じました。

これらから導き出す答えは「自我は消し去ることが出来ない」というものです。
自我は「成りて成るもの」の先に進むために必要なものです。

道徳的意識による「こうであるべきだ」という理想、
本能的意識による「このようにしたい」という理想、
自我はこの両者を叶えようとします。
結果、そこには衝突が起き、そこに思考と欲求が生まれます。

自我とは、この先に行くためには必要なものなのです。
仮に「一なるもの」への道が続いているとしても、
自我は無くてはなりません。

なぜなら、自我とは「ここにいる」という意味であるからてす。
この自我が作り出すフィルターを透過する方法は一つです。
それは、何も考えないことです。

目を開けば得られず、目を閉じても得られない。
では、どうすれば良いのか。
俺の答えは「感じたことを、自我により置き換え表現する」です。

189たこ助 ◆6KctQgwHqc:2014/05/13(火) 01:21:18 ID:aZQAUn020
>>187
俺は臨死体験に明るくないので、詳しくは分かりませんが、

「表現できない安らぎ」
  ・・・表現できない幸福感と表現して良いなら体験しました
「天への上昇」
  ・・・自分が広がり続ける感覚はありましたが体験していません
「奇妙な音」
  ・・・瞑想ごっこの時には金属音のような音を聞きました
「暗いトンネル」
  ・・・瞑想ごっこの時に円形のトンネルを通りました
「肉体からの離脱」
  ・・・自分が広がり続ける感覚ですが、肉体からの離脱ではありませんでした
「光の存在」
  ・・・体験していません
「生涯の回想」
  ・・・体験していません
「生と死の境界」
  ・・・自分が「有り」ながら「無い」という感覚なら体験しました
「肉体への生還」
  ・・・広がり続けた自分が肉体に戻るという体験をしました

と、類似性があるように見える部分もあるようにも思えます。

ただ、俺も高校生の頃に交通事故で臨死体験を体験していますが、
その時の感覚とは違うもののように感じています。

190たこ助 ◆6KctQgwHqc:2014/05/13(火) 01:22:43 ID:aZQAUn020
そんなわけで、ねむねむタイムです。
おやすみなさい・・・

191不思議な名無しさん:2014/05/13(火) 04:37:43 ID:BKpsq2bc0
>>188
面白いこと言いますね。レスされた以上今一度吊られて返答したとおもいます。
まず道徳意識は教育その環境によって生じます
本能意識は純粋意識(私)自我①から生じます
故に自我②(エゴ)は道徳意識の影響が大きくなりす。

(こうであるべきだ)という理想
(このようにしたい)という理想
は全く同一のエゴ(自我②)でありそれを見るのが
私(自我①)です。

(こうであるべき)(このようにしたい)、も
共に在るがままの現実を変えようとする現実否定的自我②で
すでにその理想の時点で現実と衝突していますし、思考も欲求も
葛藤もすでにあります。 この二つは同一の否定なので衝突しませんし
衝突しているのはその理想と現実ですよ。理想と理想、否定と否定は決して
衝突することはないのですよ。よく考えて見てください。

自我は生きるために必要不可欠なのは肯定できますが
あなたの言うフィルターを透過する方法(何も考えないこと)
はたんになる一般的思考停止です、
エゴは例えればガラスに付いた汚れであり、その汚れを掃除すること
が本来の瞑想の役目であり、エゴが消えても私の自我意識は純粋意識として
エゴから開放されて残り、現実を思考できます。逆に言えばエゴがある
意識は現実を曇らせて見ていることになるのですよ。

エゴ=思考ではなく、エゴ=汚れた思考なのですよ。
便宜上今まではエゴ=思考と同一で書いてましたがその辺は理解してください。

そしてその(一なる者)と合一するには汚れ無き純粋意識でないと
無理てことを>>182の最後に書いたんですよ。

あなたの答え(感じたことを、自我により置き換え表現する)とありますが
至極正論です。なぜなら誰でもやっている当たり前のことだからです
ただし私が言いたいのはその自我が透明か半透明かてことの自覚が重要じゃないの?
と言ってるのですよ。何も考えないのは単なる現実逃避ですよ。
そんなことをする人は虚構を作り虚構の中に生きることになりますよ。
とても人にお勧めするものではないと思いますよ。

192Q ◆8HAMY6FOAU:2014/05/13(火) 07:18:49 ID:DKLYq9HY0
>>188
タコ助さん、回答ありがとうございます
12の構造が3つ重なっていると聞いて、セフィロトの樹を思い出しました。
3つ重なっているとのことですが、その3つは等価ですか?あるいは入り口と本体と出口という感じですか?
何かイメージの参考になる三次元立体はありますか?(たとえば正四面体やトーラスなど)

たくさん質問浴びせてすみません
真摯に回答していただき、感謝

193たこ助 ◆6KctQgwHqc:2014/05/13(火) 07:52:57 ID:aZQAUn020
>>191
俺は論破を目的にしていません。
道徳的意識は超自我(スーパーエゴ)だと思っています。
理想と否定は違うものだと考えます。

俺が何を言いたいのかというと、
向かい合うべきは自我ではなく、本質ではないか。
このように思います。

194Q ◆8HAMY6FOAU:2014/05/13(火) 10:08:51 ID:DKLYq9HY0
タコ助さん
すみません、さらにもう一つ
人間の中の12の構造における「認識」と道徳的意識、「心」と本能的意識が関係していると感じるのですが、いかがでしょう?

195不思議な名無しさん:2014/05/13(火) 11:19:18 ID:plIXzmu.0
>>191
タコ助さんとは議論の土俵が全く違うように思いますね。
釣られているとお感じになるのであれば、これ以上関わらなければよいのではないでしょうか?
>>193
エゴ(タコ助さん言うところの)を超越した(ような)対象について、とても誠実に語られていると感じます。対象が非常に表現しにくく、言葉の上での表現でいろいろと齟齬が起きているようですが、タコ助さんには自由に語っていただけると嬉しく思います。

196不思議な名無しさん:2014/05/13(火) 17:55:12 ID:BKpsq2bc0
>>193
私も論破を目的としている訳ではありませんよ
ただ一般的にもそうでなくとも、明らかにおかしいところを質問して
いるだけですよ。何故経験過程の表現があれほどレベル高い
歴史的有名人と酷似するほど完璧なのに、<<188のような
その体験過程と比較しても、一般的に考えてもおかしな文章を書くのか?
これが私の最大の知りたいことですよ。それに<<1で色んな意見が
聞きたくてスレ立てしたのではないのですか?なぜレスの質問はスルー
で、このところ考察して返事をしないのですか?一番の謎は
あなたのそのチグハクした知識と体験と態度ですよ。

>>195
はい。分かりました、そのようにします。何故タコ助さんの名前を
出してない私の独り言にあなたがレスするのか疑問ですね。
あなたとタコ助さんのプロレスを観戦することにします。

私の思いすごしならそれでよいのですが、もし神秘や宗教的な
ことで人の関心を集め騙すならば、自己創作でやれば良いと思います
歴史的故人の言葉を自分体験として語るのは本当にマズイと思いまずよ。

では双方お元気で。

197不思議な名無しさん:2014/05/13(火) 18:33:52 ID:BKpsq2bc0
独り言。昨今、話題性を作り上げる為わざとvipにスレ立て追い出される
様にして、そこで多数の閲覧者を獲得し、他でスレを立てなおして
虚構を語る構図があるが、これはまるでカルト教祖がやる方法と
全く同じである。そして質問者と返答者が同一または、繋がっている
いわゆるサクラの手法も全く同じである。
人が多いところで神秘的な体験言う者には注意されたし。

198たこ助 ◆6KctQgwHqc:2014/05/13(火) 18:39:41 ID:rL5.CgxA0
>>192,194
セフィロトの樹を俺は知らないのですが、
3つ「重なっている」のではなく、3つ「連なっている」イメージです。
メビウスの輪は2つの輪で構成されていますが、
それが3つの輪になったようなイメージです。

人間の精神活動に関して、12の構造が当てはまるかどうかは分かりませんが、
「道徳的意識(理想の自我)」「本能的意識(本能的衝動)」「根源的な意識」の3つによって、
「表面に出現する自我」は現れているように、俺は思っています。

>>195
俺の文才のなさで、表現がうまく出来ずに申し訳ないです。

>>196
自我が、俺の体験とどのように関係するのか、意見の交換をしていた認識でしたが、
ご期待にそえる答えとならなかったようで残念です。

199たこ助 ◆6KctQgwHqc:2014/05/13(火) 18:41:59 ID:rL5.CgxA0
>>197
俺にそんなカリスマがあればいいのですが・・・

200白☆ ◆nyvz2gV1Cw:2014/05/13(火) 18:58:57 ID:4hpann2I0
>>199
あぁ、素晴らしい返し、、

201白☆の魔境探訪 ◆nyvz2gV1Cw:2014/05/13(火) 19:02:35 ID:4hpann2I0
>>193
>向かい合うべきは自我ではなく、本質ではないか。
ホントですね。

最近自分の思考のあてにならなさに、
あてにならないどころか、自分をネガティブな方にしかもってかない
ところに辟易してつくづく思います。
「ありのままの自分」
本質の大切さ。

202不思議な名無しさん:2014/05/13(火) 19:26:32 ID:BKpsq2bc0
多分あなたがたはその、形式的なやり取りが他人に信用をえる為
だと心理学で学んだのかかじったのかは知りませんが
リビドーとデストルドと語っているのでユングでもかじったのでしょう
露骨なので、<<199<<200<<201
ばれてないと思っているのはあなた方だけだと思いますよ。
若さゆえの恥ずかしい過ちですね。
草回避です。www面白いので続けてください。たまには虚構も
観戦するのも良いかも知れません。下手な喜劇より私は評価します。

203Q ◆8HAMY6FOAU:2014/05/13(火) 19:27:55 ID:DKLYq9HY0
>>198
たくさんの質問に答えて戴いた、その労に深く感謝します

タコ助さんの言葉を手掛かりとしながら、じっくり消化していこうと思います

何でこんな事、聞いてくるのかと思われたかもしれない
私の頭の中は相当独りよがりにできておるので(笑
勝手に自分が考えてきたこととつなげてはしゃいでしまいました(笑

本当にありがとうございました

204不思議な名無しさん:2014/05/13(火) 19:45:28 ID:BKpsq2bc0
教祖を否定されると信者が賛美のアメあられ
しかも私が否定しだすと必ず現われる、レスのレスポン酢
も早い。ほんと面白いですね。飽きたんで、別のパターンは
ないのですか、、

205たこ助 ◆6KctQgwHqc:2014/05/13(火) 19:46:22 ID:rL5.CgxA0
>>201
本質と一言で書くと簡単ですが、見せかけの本質もあり、
それを見失うと「真実にたどりついた」と思えてしまう。
俺は魔境がどういうものか分かりませんが、
魔境とは別に悟りに限らずあるのかも知れません。

>>203
答えになっていたようで良かったです。
俺のようなバカだと理解出来ないことの方が多いので、
色んな人に考察してもらいたいな、と思ってます。


今日は早く帰れるので天体観測デーです。
楽しみで楽しみでw

206不思議な名無しさん:2014/05/13(火) 19:58:39 ID:BKpsq2bc0
タコス助さんは単なる馬鹿ではありませんよ。
そんに卑屈にならないでいいと思いますよ。
一なる物も馬鹿といっていることと同義ですよそれは。
恐ろしいことですね。

207たこ助 ◆6KctQgwHqc:2014/05/13(火) 20:09:07 ID:rL5.CgxA0
>>206
残念ながらエヴァンゲリオンでリビドーとデストルドー知るていどですので・・・

208不思議な名無しさん:2014/05/13(火) 20:16:13 ID:BKpsq2bc0
そうですか。あなたは何故瞑想ごっこに興味をもったのですか?
ごっこと言う割りに、公園の木下まで行って瞑想するのは
明らかに不自然だとおもうのですが。あと関係ないですが使っている
天体望遠鏡はヴィグゼンですか?

209たこ助 ◆6KctQgwHqc:2014/05/13(火) 20:26:38 ID:rL5.CgxA0
>>108
公園には思い入れがあり、今も何をするでもなく行くことがあります。
不自然ですか?

あと天体望遠鏡はvixenってメーカーですよ。

ただ、疑心暗鬼の会話は俺は得意ではありません。
これで、この会話は終わりにさせてください。

210不思議な名無しさん:2014/05/13(火) 20:45:20 ID:BKpsq2bc0
>>209
疑心暗鬼の質疑は得意ではないとありますが、それは暗にあなたの言うこと
を鵜呑みにしろと言うことですか?そんな訳にはいきませんよ。
あなたは色んな意見が聞きたいからスレ立てたのでしょう。
そこには疑心や否定は避けて通りませんよ。
内容が内容だけに引用が引用だけに酷似が酷似だけに
あなたは元から病気を名乗ることで、否定に対する保険を作り上げ
瞑想ごっこと言って、軽い気持ちで神秘体験を語ることで多くのひとを
炊きつけ、その体験内容の知識は借り物ではないのですか?
もし釣りであった場合、宣言するなら今ですよ。しないと禍根をのこしますよ
別に良いじゃないですか例え釣りだとしても,ばれても他人に虚構を見せる
ことで現実のつらいことから、つかの間の休息を提供したんだから。
ただ故人の言葉や体験を自分体験として引用したのはまずかったですね。
私を呼ぶことになったので。

早く楽にクリアにビグゼンの望遠鏡で今晩の月でも観照しましょう。
そのまえに早めにその対物レンズのエゴの汚れをきれいにしましょう。
ヴィグゼンはいい望遠鏡です。もったいないですよ。

211クリシュナ:2014/05/13(火) 20:46:10 ID:GAob5Vw20
貴重で詳細な体験のシェアー、ありがとうございます。
(NGワードが含まれています、と表示されて投稿できませんのが、該当語句がわかりませんので、分割してコメントさせていただきますね)
 
タコ助さんの体験は、「ワンネス体験」の「至福体験」のさらに先に進もうとなさった体験で、とても貴重な体験だと感じられます。

(続きます)

212たこ助 ◆6KctQgwHqc:2014/05/13(火) 20:54:12 ID:rL5.CgxA0
>>211
NGワードは俺からだと分からないんです、ごめんなさい。
貴重とか恐縮です。

213クリシュナ:2014/05/13(火) 20:58:17 ID:GAob5Vw20
(続きです)・・・・URLの貼付ができないようですね。

わたしも、今、様々な体験を統合しようとしている途上にあります。
たとえば、

◆■『覚醒』の具体的事例(メモ)(1/ ) アメーバ・ブログ
◆みんなが神の子:神の子クリシュナ☆のブログのプロフィールに掲載した瞑想体験事例や精神世界の解説など。
◆「ヨガの宇宙観」みんなが神の子:神の子クリシュナ、
など、 
ブログに書いた精神世界の解説をご覧になったときに、タコ助さんご自身に真理のインスピレーションが閃いて、体験なさったものがより明確に統合できる助けになれば、うれしく思います。  

また、「病気」の概念や観念は、地上の医者や学者と呼ばれる方たちが創造なさった「観念」であって、「実在」ではありません(たとえば、ヤマ天以上の「天界」やその上の「天」には病気はありませんし、病人もいません)
から、他人の観念に囚われないで、ご自分の体験を大切になさり、ご自分の直感に自信を持たれて、さらなる「真理」を体験して統合なさることを楽しみにしていますね。

ありがとうございます。

214不思議な名無しさん:2014/05/13(火) 21:12:18 ID:BKpsq2bc0
さあ、あなたは、どちらをえらぶんでしょうね。
気持ちよく天体観測するか、それとも、新たにあなたが呼んだ
同じく病人や病気がいないそれに苦しむ人は実在では
ない、と言っている、虚構な無責任な意見にまた飛び込むか。
選ぶのはあなたですが。

215たこ助 ◆6KctQgwHqc:2014/05/13(火) 21:47:18 ID:rL5.CgxA0
俺は30分ぐらいしか参加できませんでしたが、楽しい天体観測でした。
これからご近所さんと宴会です。
>>211,213
前例を示していただけるのは、本当にありがたいです。
今はスマフォなので、帰宅後に読ませていただきます。
その際、質問があるかも知れません。
その時はぜひ意見を聞かせて下さい。

216霊的なうんこ ◆Zx91rKO.Z2:2014/05/13(火) 22:46:54 ID:z6Xl.VRM0
また口を出すけど

クリシュナって奴はさ
適当な読み物や知識を集めてつぎはぎだらけの世界観をつくっても
その世界観が本物になることはないってことを分かったほうがいいよ

天界だとかなんだとかいってさ、病人なんかいないっていうけど、そもそも人間がいないでしょ
そういう上の世界の「人間を演じてる個別性」からしたら、こっちの物質世界こそ夢なんだから
そりゃ何もかも実在しないも同然だけど、今、この地上で人間ごっこに勤しんでる個別性からしたら
病気の苦しみも、死の苦しみも、人間関係の苦しみも、どんな苦しみも、全て確かに感じられるだろ

おまえ、今すぐ死にそうになったとして、
もうそれまで考えてきたことなんて何の役にもたたないだろ
その時はもう、ただ、これから自分がどうなるのかみてるだけ…

実際は体験するしかない
体験してはっきりと事実としか思えないってことだけしかない
いくら知識集めても、自分で体験して集めたものじゃなければ納得できないでしょ

じゃあどうやって体験すればいいんだよって話になるけど、
君はさ、ヨーガに興味があるみたいだからさ、

「パラマハンサ・ヨガナンダ」とその師匠である「スリ・ユクテスワ」の本を読んでみて
そのあとで、「ダンテス・ダイジ」の全著作を読んで、
それから最後に、「フーマン・エマミ」「アジズ・クリストフ」
の本を読めば、金のかかる馬鹿みたいなセミナーなんかに行くよりよっぽど本物になれる
ヨーガから禅、いろいろとカバー出来るよ

あと、ダンテスダイジの本は、「ニルバーナのプロセスとテクニック」は最後に読むこと
そうでないと、そこに書いてある行法にはなんの意味も無いから

よくダンテスダイジの著作は詩的な表現なんかが多くて言葉遊びしてるように思われるけど
実際は全く飾り気の無い素直さで解脱からくる言葉を書いてるよ
あれに書いてあることが冗長に思えるなら全く、解脱や悟りがわかってない
本当に、ただ解脱そのものが、解脱について語ってるんだよ

まあ紹介した本を読んでピンとこなければ、今回の人生では解脱に向いてないから
探求をやめたほうがいい

217クリシュナ:2014/05/13(火) 23:09:03 ID:NtyoPebY0
>215 タコ助さんへ
 
お返事ありがとうございます。
 
先ほどは、内なる神さまに促されて投稿させていただきましたが、
このブログには2度と参りませんので、ご質問などありましたら、アメーバブログのメッセージにてお願いいたします。
ありがとうございます。

218まさ:2014/05/13(火) 23:17:23 ID:Kz/TtACA0
ちょっと、周りがウザく感じます。

タコ助さんの話をメインで
聞きたいんですけど?

219たこ助 ◆6KctQgwHqc:2014/05/13(火) 23:41:05 ID:aZQAUn020
>>216
残念ですが、あなたの言っていることは、既にただの悪口です。
もう少し、人に伝わる言い方、人に聞きやすい言葉について、
よく考えた方がいいと俺は思います。

>>217
メッセージの送り方に自信がありませんので、
質問がある場合は、このスレに書き込ませていただき、
不都合がある場合は、「メッセージ」という形にさせて下さい。

>>218
まあまあ・・・

220さとう ◆XksB4AwhxU:2014/05/14(水) 00:01:58 ID:dStYEXcs0
星綺麗でしたか?

221霊的なうんこ ◆Zx91rKO.Z2:2014/05/14(水) 00:25:45 ID:z6Xl.VRM0
たこ助は自分の体験については毎日書き込み続けてるし、
ひととおり語ったら対話形式で返事してるでしょ
たこ助以外がメインになんかなってないよ
まあ否定的な奴がくるのも掲示板なんだし当然
まさって人も、もっと話が聞きたいなら
特に興味があるところについて質問すればもっと楽しめるんじゃない?

あとやたらたこ助に適当に噛み付いてるBKpsq2bc0って奴はさ
yukiのJOYの歌詞を検索して読んでみてよ

だいたいの人は他人が何言ってるのかよくわかんないし、
自分が言ってることもよくわかってないもんでしょ
この歌詞ぐらいのスタンスで向きあえばいいと思う

もしも、BKpsq2bc0が探求に行き詰まってイライラしてるなら
クリシュナって人に勧めた本を読んでみてよ
クリシュナさんは自分の世界観の中に帰っちゃったみたいだけどさ

少なくとも「いつまでたっても分かんない」って状態じゃなくなる
そもそもユングとかもこっち側の人間だしね
ユングも毎晩さ、夢のなかで目覚めたままでいるヨーガの技術を実践してたんだよ
それどころかクンダリーニヨーガまでやってたし

たこ助さんにも俺の書き方が悪口ですとか言われちゃったけど
本当にそう思う? 罵倒なんか全くしてないよ、むしろかなり真剣に親身だと思うんだけど…
特別な何かになりたがってる奴じゃなくて、
統合失調症体験であったり、神秘体験について
本気で求めてる人がいつかこのスレのログを見た時のために向き合ってるんだよ

それとも本当にただ持ち上げるだけの信者を集めてるの?
あなたが>>1で書いたことは嘘だったの?
俺の書き込みもう一度読んでみてよ。本当に悪口かな?伝わらないかな?

>>1で書いてあることが嘘でただの信者集めの自己満足スレなら俺も帰るよ…

222k:2014/05/14(水) 04:02:21 ID:JMcCW8qE0
失礼、てすと

223霊的なうんこ ◆Zx91rKO.Z2:2014/05/14(水) 04:06:07 ID:z6Xl.VRM0
やっぱりここで俺が書き込むのはあんまり良くないかもと思ったので、
後々ログを読む人用に2つに分けて、自分語りして帰ろうと思います
俺も病院いったら統合失調症扱いだろうし、スレ違いでは無いでしょ?
勢いでばーっと書いちゃって推敲とかしないから読みにくいだろうけどそこはごめんね

224霊的なうんこ ◆Zx91rKO.Z2:2014/05/14(水) 04:14:24 ID:z6Xl.VRM0
偽者の弟子は偽者の教師にしか会えないって言ってた覚者がいた
そいつによれば、そういう段階がその人に必要だから仕方がないんだってさ

この掲示板のさとりスレもチラっとみてきたら本気の奴がいないじゃないか

ところで俺は、かつて本物の弟子であろうとした
真剣だった。せっぱつまってたんだ。大真面目なんだよ

道教も禅も気功もヨーガもカバラも物理的なショックを体に与える方法だってなんだってやった

俺が薦めた本を読んでみろよ。俺がどんだけ的確に向いてるものを勧めてるのか分かるから

ちなみに俺はもう解脱してる。悟りを開いてるっていい方してもいいし、解放に到達したといってもいい
本当に満足したんだよ

たこ助さんに第二の世界云々って書いたけど、解放に至るためにはあらゆる身体が使える
第二の体(いわゆるエーテル体)を使って全体までいくニルヴァ−ナが只管打坐、禅の悟りなんだよ
本当に私がいない私までいけば身心脱落なんだ
ちなみに第二の体は第二のチャクラの位置と深いつながりがあるから腹がどうの丹田がどうのって話になる
第二だとか第七だとかいうと上下的に捉えがちだけど全て欠けることはありえない神のグラデーションなんだよ

解放に至る方法は無限にある
ひたすら知恵を研鑽することで窮極に到達する主に肉体的な意識だけをつかった方法すらある
俺はそれは極めてないけど、結局、それも最終的に悟りの方から降りてくるらしいね

俺が最初に梵、ニルヴァーナ、ブラフマンに到達した方法は、
自作の脳波誘導装置とヨガの行法を使って幽体離脱してから、
そのアストラル体(肉体から数えて三番目の体)でクリヤヨガをして、
クンダリーニを上げて一緒に第四のクンダリニーも上げり
頭頂から光を第六の身体であるアートマンまで引き上げた。
第一と第二のクンダリーニは上げなくても行けることがわかった
そうなると死後の幽霊でもその気になれば修行が続けられるわけだ

そこから第六と第七がまるで裏表のように一つであることがわかった
無と有はひとつだった。あらゆる個別性、あらゆる私は幻であって夢だった
最初から悟りしかなかった。迷いの世界も悟りでできていた。
しかし迷いの世界は永遠に迷っていた。でも本当は全部が悟りの中にあった。
矛盾してるように聞こえるかな? 
言い換えると迷いの中にあるものはなかなか悟りに気づけないってことだ

とにかく俺は、それから本当の私になって…悟りが何か分かった
俺が悟ったんじゃない、本質的な私自身に戻ってきた私が悟りと同じになったということだった
俺が神のところへ昇ったのか、神が俺のところに降りてきたのか…
それは同じことだったし、別に悟りを自覚する前から実はそうだった

どちらが上でどちらが下だったのか、磁石がひっぱりあうようにくっついた

もう一人間の価値観を必死に満足させるために生きていく必要がなくなった
残りの人生を死ぬまで道楽し続けるだけになった
何もかもが巨大な流れの中できらめくカスだった
なーんの価値もないといえばそうだった
幸せな奴も不幸な奴も全員、本当の私が作り出し続けてる幻だった
俺の個別性すらそうだった

もう誰にも何にも大した影響なんか与えようとは思わなかった
その原動力もなくなったし、一個別性の俺のために何かがどうにかなる必要なんか無かった

つまり俺は自由だったのだ!

225霊的なうんこ ◆Zx91rKO.Z2:2014/05/14(水) 04:21:44 ID:z6Xl.VRM0
クリシュナって名乗ってた人は騙されて変な宗教に入れられたり
妙なもの買わされる典型的なタイプなんだよ
言葉に真が無いからわかる
探求を始めた頃の俺もそうだったからね
もう一度言うよ。俺も似たり寄ったりだった

あと、前に書き込みで、キチガイって言葉を使ったけど
それは、よく覚者が自分で自分のことをキチガイだって言ったり、
私は狂人とさして変わらないって皮肉るからであって
悪意をもって使っているわけじゃないからね

俺自身も最初に昇ったあとは、暇さえあれば押入れに篭って
何時間でもひたすら壁を見つめ続けるだけの廃人だったよ
実際、臨死体験と同じで俺の呼吸や心臓は昇った時に間違いなく停止してたし、
戻ってきた後はしばらく何もかもが光り輝いてて幸せだった

だからこそさ、真剣じゃない奴には探求なんかやめてほしいんだよ
適当なことなんか言わないでほしいんだよ
どんな修行も最終的には生死のボーダーラインを彷徨うってことをわかって欲しい
そのまま死ぬこともあれば、とんでもない障害を肉体的に抱えることもあるってことを分かって欲しい

悟りは本当の本当に死ぬことなんだから。
その恐怖にすら構ってられないほどの地獄にいるように感じられた奴が
なりふりかまわずに何もかも脱ぎ捨てて全力でジャンプするところが悟りであり、解脱なんだよ

悟りか、発狂して自殺か、発狂して死ぬまでぼーっとし続けるかの三択なんだよ
最終的に、実在、意識、至福と共に、その三択を全部一緒にやるのが解脱後なんだけどね

もしまだ本気になれなければさ、
いいと思える人間関係をつくって、お金稼いで、生きて、死ねばいいんだよ
そして夢から覚めて、また別の夢にリアリティが移って…
飽きるまで楽しみ続ければいい
いつかはだれだって昇ってくるのを選ぶんだから急がなくてもいい
眠ったまま生きて死ぬのもそれはそれで結構なことなんだ

今だからわかるけど、実は悟ってないほうがとんでもない狂気の中に生きてる
でもその神の凶悪なジョークである人生という狂気をみんなは楽しんでる
そしてもちろんそれは悪いことじゃない。俺の個別性は楽しめなかったけどね
でもだからこそ、俺には悲しみが分かってこの人生を選べた
ほんとうにどうしようもなかったからな

くれぐれも言っておくけど俺のレスに釣りは無いからね、マジです

最後にどうか、もしこのレスを見た人は是非ダンテスダイジの「君は君になれ」を読んでほしい

長文失礼しました。ほな、さいなら〜。

226不思議な名無しさん:2014/05/14(水) 06:01:09 ID:LPnYMrek0
波動というか波長というかあわなければ見れども見えず読んでも読めないから。
縁なき衆生は度し難し。
ダイジと無名庵EOは一度は読んでみたらいい。

227Q ◆8HAMY6FOAU:2014/05/14(水) 08:00:09 ID:DKLYq9HY0
>>225
度し難くてごめんなさい(笑

本気じゃないと看破されてしまいました。
その通りでして、私の動機は悟りとか解脱ではなく、人間が何かを決定するプロセスというかフレームというかメカニズムを理解したい、ということなのです。
決定は、言い換えれば、決め付け、思い込み、信念、意志とも言ってもいいかもしれません。
私が意図する意味においては、ですが。
タコ助さんの言う道徳的意識も、そうであると考えています。
そしてその道徳的意識が活動する場が「認識」であると

探究なんてやめろと言われて、余計なお世話じゃ!と思ってたんですが、真意を聞いて少し納得しました。

この先、本気になることがあるかは分かりませんが、紹介の本は波長があえばよんでみます

ありがとう

228不思議な名無しさん:2014/05/14(水) 15:48:10 ID:BKpsq2bc0
面白い人がまた来ましたね。私が彼にたびたび彼質問していた理由は
<<185で述べています。どうやらヴェーダやその他の、思想に長けているみたいですが
私が見る限り読まないよりは読んだほうがよいかも知れまがそれは人によります。
あなたが進めてくれた本の中で読んだものもありますが。
しかしそれはどんなに素晴らしい本でも
人に進められて読むものでもないし、宗教的な本を
他人に勧める時点で私はカルトと思います。特に聞いてもいないこと
に便乗して宗教的本を進めるのはいかかなものでしょうか。
あなたも自分も病気かもしれないと前提し自分の発言に保険を
付ける、そんな姑息なことを言うのは、止めたほうがいいと思います
どうも上から目線の発言で自分を特別視しているように思います。
(悟っているといっても良い)、満足していると言われていますが、
文章を読む限り、一般的に欲求不満なんだなとの感想を持ちました。
あなたは自分で他人の知識の継ぎはきを批判していながら、
自らも他人の知識や本を紹介しています、
自分の文章を読み直してはいかかでしょうか、それともギャグですか?

<<216で薦めた本でピン来なければ探求をやめてもよい
と断言してますが、よくもそんなことが他人にいえますね、さすがに草回避です。
全知全能気分の独善者ですか、、、狂気を感じますね。
私が知っている情報によるとまず第一に、文章を書く上での主語を
(俺)と書く者は、、、で見ていて悟りとか探求以前の段階でマズイと思います。

読んでいて気分が悪くなります。これもあなたの文才なんですね。
確信的なのか?無自覚なのかはわかりませんが、、、

ま、どちらにせよ、すこし自演にもひねりが効いてきましたね、続けてください。

229不思議な名無しさん:2014/05/14(水) 16:27:58 ID:RMGD8.Ws0
なんで君はそんなに偉そうなんだよw

230不思議な名無しさん:2014/05/14(水) 16:49:52 ID:plIXzmu.0
えらい粘着しとるが
×進める
○薦める
だな。w

231不思議な名無しさん:2014/05/14(水) 18:36:22 ID:gaNBF56A0
まぁまぁ、とりあえず一回ミンナで深呼吸しようぜ。

232たこ助 ◆6KctQgwHqc:2014/05/14(水) 19:07:06 ID:rL5.CgxA0
>>221
確かにその通りでした・・・
悪口では無かったですね、俺の理解と思慮が浅かったです。
ごめんなさい。

233不思議な名無しさん:2014/05/14(水) 22:11:31 ID:4N1jagvI0
たこ助さん、私も似たような経験あるよ。もう十年以上前だけど宇宙体験?したよ。
その数年後にはいわゆる至高体験も経験した。
どちらともスピリチュアルなんて全〜然興味なかった頃の話。
探求のたの字もしてない頃の話。
私にはスピリチュアルや探求とかと、宇宙体験とか至高体験とかが同一線上にあるとは思えないよ。


私は何の知識もないトレーニングも行なってない状態でいきなりそうなったから
たこ助さんみたいに自分を自由にコントロールできなくて本当に怖かったよ。死ぬかと思ったw
私の場合は自分が広がる感覚というよりも、何かにひっぱられて意識だけがぐんぐん上昇して
宇宙まで連れて行かれて、まったく自分の意思で動けなくてされるがままだったな。
引っ張る力から解放されて宇宙に漂ってる間はなんとも言えない恍惚感だった。
んでこの手のお話お決まりの「全てがわかった」ってやつを私も体験したよ。
勝手に全ての理が私にダウンロードされるような、知ろうとしてないのにわかってしまうようなあれ。

んで、私はそれがわかってからは元の体や世界には戻りたくないって思った。
こんなことを知ってしまってはあんな無知で不自由な世界でなんか生きられないってねー。
誰とも共感できないし通じ合えないだろうと。凄い孤独を感じたな。
元の体に戻る時は恐ろしくて恐ろしくて。
例えるなら人間の知性と意識を持ったまま蟻として生きろ宣告を受けてるようなね。

でもね私は体に戻ってきた時に「全てわかった」事のほとんど全てを忘れてたよw

お陰で元気にあの体験に囚われることなく過ごしてます。
ほんの少しだけ憶えてる事は言葉と概念の性質。
言葉と概念が存在の拡がりと可能性を制限してる感じ。言葉や概念という型で経験や本質を縛る感じ。上手く言えないなー
でもその型がないと全てが混沌になっちゃう。全てが混沌だから可能性の坩堝なんだけどね。
やっぱり上手く表現できないなー
前にハイデッガーの存在と時間だっけ?を読んだ時はあの体験に似た感覚を持ったけど
どこの部分に共感したのか、ちょっともうはっきり思い出せないな。


その後の至高体験で(こっちは本当に素晴らしい体験で半月程その状態で過ごしました)
いよいよ自分に起きている事がなんなのか知りたくなって
スピリチュアルを調べたり本とかも読んだけどイマイチぴんとこなかったw

自我とかエゴとかんなものわざわざ作って、ある人達はそれを敵視して、いったいどうしたいの?みたいなね。
それ抜きで世界と対峙するってことは蟻宣告を受け入れるのと同じじゃないの?って。怖いよそんなの。
せっかくこの肉体を得て器官を得て認知を重ねてこの私を得てるのに、何故この権限を捨てようとするのか意味がわからない。
今そこから脱さなくてもいつか必ずそうなるのに、今っていう邂逅を捨てる事に夢中な人達の思想が謎すぎる。
まー私が浅はかで理解できないだけなんだけどね。

でもたこ助さんたちのエゴや自我の話はもっと聞いてみたいから是非是非続けて下さい〜


たこ助さん昔事故にあったんだね。もう大丈夫?
私も昔事故にあって頭変形するくらい打っちゃってね、それからこの手の話に縁が出来るようになって
もしかするとそういう事も関係在るのかもね。脳のなんとか〜的な。
私の場合、もともと体の片方に疾患があってそこをフォローするために意識が常に片方に寄り過ぎてるから
それが原因なのかなーと思ったりもしてた。
そう考えるとやっぱり病気とか損傷とか脳の器質の問題でこんな事経験してるのかもね。

234不思議な名無しさん:2014/05/15(木) 05:29:09 ID:N6NCYjUc0
私も似たような体験をしています。
23年程前のスピリチュアルという言葉が世の中に浸透していない頃の話です。
寝る前に瞑想を毎日していたんですが、突如体から意識が抜けてドンドン空へ上昇していき
、自宅から近所、街、と視点が拡がり、例えればGoogleアースで一気に地球視点まで引き上げたような感覚
に似た体験をしました。
宇宙から地球を見て綺麗だなぁ〜!!くらいの感覚で眺めていました。
幸い自我を消していたので、そのもっと先を見たいという探究心はなく、その後自分の体へ戻りました。

235霊的なうんこ ◆Zx91rKO.Z2:2014/05/15(木) 06:35:56 ID:z6Xl.VRM0
>>232
たこ助さんのスレで空気の読めない長文書きこんでた俺が悪いんです
確かに書き方は口が悪いし、伝え方も足りないなと自分でも思いました
こちらこそ本当にすみませんでした

今度こそ最後の書き込みにしますが、
脳波誘導うんぬんのところで、まるでもったいぶったような感じになってしまったところと、
薦めた本について書かせてください

またバーっと勢いだけで書いたのを貼るから読みづらいのはほんとごめんね

236霊的なうんこ ◆Zx91rKO.Z2:2014/05/15(木) 06:50:43 ID:z6Xl.VRM0
>>228
君が、にわかのホモだね?(ニッコリ) 草回避でこっちが草不可避ダルォォ!?

親がアレだったり、学校でもどこでも誰にも認められないからって掲示板で当たり散らしてるのか?
俺の高校時代の同級生に親が真如苑信者だった奴がいてさ、そいつがお前みたいな奴だったよ
親が本質の伴ってない宗教関係者だと、何故かその子供って君みたいな子が多い
君が噛み付いてる言葉は全て君自身のことだよ
他人がみんな自分と同じだと思うなよ
本気でやってる奴は今のお前より、もっと真剣に向き合ってるんだぞ

俺は「体験の伴わない」知識のつぎはぎだけじゃ意味が無いって言った
だから俺の勧めた本は「体験への入り口」になってる

「ヨガナンダ」と「ダイジ」は、
ヨーガや道教や禅なんかの、その思想と心構えと実際の行法への入り口として薦めた
ここからの進路は自分に合ったものを選んでいけるから

最後に読むように言った
「フーマン・エマミ」「アジズ・クリストフ」は
伝統的な手法に合わなかった人達のためなんだよ

フーマンは「私は伝統的な手法にフィットしなかった人達の相手をするのが好きだ」というような事を言ってた
フーマン自身が>>233みたいに突然それが来たタイプだったしね
その後でフーマンやアジズは禅やヨーガ、神道だのなんだの、極めるんだけどさ
これを読んで分かることは、どうにかして本気で本物の覚者を探しだせってことなんだよ
それだけやる気があれば、あとは出会いさえすれば道は開かれるから

君がどんな思想を持っていたとしても、
俺が薦めた本読めば、やる気(縁と言ってもいいのかも)があればこっちにこられる
だからピンとこなければ探求やめろって言った
ピンとこないってことはやる気が無い。
他に心を向けるものがある縁なき衆生ってことだもの。

そのためにさ、最低限の本物と偽者を見分けるスキルと、
道徳的探究心を身に付けるために俺はダイジやヨガナンダを推すんだよ

その人達は行法を厳しくやりこんだけど、帰依する神の属性として特に「愛や慈悲」を選んだ人達だから

人格的な成熟だとかは悟りとは関係ないけど、伝統的な行法の全ては、
それを行う人の精神が、神の属性の何かしらと純粋にシンクロしてないと効果でないんだよ。

つまり、自分にあったやりかたじゃないと必ず途中で辞めちゃうってこと。意味も効果も無いからね。
言い方を変えれば、自分にあったやり方を本気で探せってことでもある。
それが、本物の人にべったりくっついて離れないようなことである人もいるし、
何かしらの伝統的な行法をくりかえすようなタイプもあれば、
俺のように外部から電気刺激を与えるような奴もいる

探求をやめたとしても、ダイジやヨガナンダは本当にいいよ
スティーブ・ジョブズもヨガナンダの本は生涯の愛読書だったしね
若い時に、その本もってインドの覚者に会いに行ったり、後々禅を始めたりね…

237霊的なうんこ ◆Zx91rKO.Z2:2014/05/15(木) 06:56:47 ID:z6Xl.VRM0
>>233
自分から探求をしなくても、生まれつきだったり、何かのショッキングな体験だったり、
霊的な存在のサポートが生まれる前から定まってて、
突然クンダリーニがあがったり、至高体験をする人はいる
あなたは生まれてくる前にそういう予定を立ててたのか、もしくは前世から何かを引き継いでるのかもね

あんまり関係無いかもしれないけど、俺は探求を始める前からよく体外離脱してたんだけどさ、
その時はまだ頭頂から抜け出るタイプじゃなくて、腹や足の方から出てたから明晰夢みたいな感じで
自分の内側の宇宙というか…潜在意識の中を泳いでるような感じで、
エゴやら何やら自分自身が大きく変容するようなことは無かった
あれは遊びとしてはなかなかだけど、あんまり意味ないね
俺は>>234さんみたいに正統派な才能は無かった
それでも始まりはそれをもっとうまくコントロールしようっていう、
本当にしょうもないところからのスタートだったよ
超能力を使って楽しい人生送るぞ−!ってモチベーションでヨーガ始める奴ぐらいのゲスさだね
でもそれから人生めちゃくちゃになって解脱ガチ勢になるんだよなあ…
ずいぶん遠くまできたもんだ…
人は変わる。必然か偶然かは分からないけど、運命や宿命はある。はっきり分かんだね。

238霊的なうんこ ◆Zx91rKO.Z2:2014/05/15(木) 07:03:38 ID:z6Xl.VRM0
ここからは脳波誘導装置について話すけど、
最近、不思議どっとねっとで、明晰夢について独の研究者の発表を取り上げてたよね?
俺は、まさにあのガンマ波を頭にうんぬんってのをやってたんだ
30-40hzが明晰夢と関係がありそうだってのは結構前から言われてたしね

そこに至るまでの経緯から話すよ
いろんな探求をした結果、俺に分かったこと、
それは「俺には才能が無い」ということだった
気やエネルギーの感覚が何年やっても全く掴めなかったんだよ
俺の体質こそまさに縁なき衆生は度し難しって感じだった

ちょっと明晰夢寄りの体外離脱ができる才能なんてさ、
俺の求める探求の結果とはほとんど全く関係が無いと言ってもよかった
クリヤヨガを続けていて、不思議な音が聞こえるようになったり、
360度視界が広がったり、不思議な文字や数字が見えるだとかということはあったけど、
もっと決定的ないわゆる「クンダリーニ体験」が無かった…

でもそのときの俺は超アクティブなマジキチサイコパスだった
気功や腹をつくる鍛錬の過程で、血の量を増やす、血行をよくするために体を作りまでしてて
身長176cm 体重85kg 体脂肪率10%前後って感じでアマレス部みたいな体型にまでなった
後々廃人になったあとで55kgまで激痩せして現時点でガリガリだけどねw
たこ助さんほどハードな食事制限はしてなかったはずなんだけど、廃人の時の脳波が原因かなあ?

とにかく何をどんだけやっても気の感覚すらわからなかった
もう最初の目的も忘れてて「行者は行を求めることが目的になっていく」ってのがまさにその時の俺だった
アレな薬にまでは手を出さなかったけどね…

唐突だけど、世の中には男が自分のケツに突っ込むこんで楽しむ大人のおもちゃ、
エネマグラ、アネロスってのがある

「ケツに大人のおもちゃをつっこんだら気が分かるようになった」

なんて奴の話を聞いた俺は……すぐにマネしました(マジキチスマイル)

しかしこれが、俺の人生を変えることになった
これをケツに入れたままで、明晰夢状態になった俺は、その体でケツのあたりを意識した
そうすると、爆発的な雷が尾骨から脳天を直撃した
快感は無かったけど、俺の視界は真っ白になってすぐさま意識を失った
これは第二のエネルギーと第三のエネルギーが両方とも上がってきたような感じかな?
何しろ一瞬だったからもうよく覚えてない

翌日目が覚めると俺の体質は変わっていた


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