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俺が統合失調症を発症した時の話するの続き
157
:
129
:2014/05/11(日) 00:51:57 ID:BKpsq2bc0
<<155
その矛盾は私から生まれたと思います。
思考で一方が否定し一方が肯定することを、葛藤と言うと思います。
それは日常生活ではよくあることです。ただ分離して第三者として
映像でみることは稀なことと思います。
想念②から完全に分離した想念①がその有様を観測できたと
言うことは、もしかしたら一なる者と融合して、その後の分離過程
をヴィジョンとして観測したのかも知れません。一旦は全ての真理を
悟ったように感じて今ここでその体験を分析していると言うことは
そのような過程だと思います。もし融合を現在も維持しているのならば
探求はありえないと思います。体験を分析し理解する過程だと思います。
神を見失うとは一般的には人は言いませんが、我を見失うとはよく聴きます
その時ひとは想念②と想念①を同一化しています。故に一なる者がより
見え難くなるのだと思います。
テレビはその空間では身体で触ることができます、これをここでは実在
と定義すると、テレビに映る物は触ることはできませんし具現化もありません
触ろうと手を伸ばして触ってもそれがテレビなのです。その見地での例えです。
故に番組を放送している人たちの存在の有無はこのたとえでは
フラクタル構造の外の話でまた別の見地での話しに拡大しなければ
説明できないのでまた別の話です。しかしそれも構造的にはスケール
の違いだけで同じ構造だと認識しています。
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