[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
俺が統合失調症を発症した時の話するの続き
108
:
たこ助
◆6KctQgwHqc
:2014/05/08(木) 22:12:53 ID:KPSTbrXA0
■「声」との対話
さらに広がり続けたい、この外側へ向かいたい。
この欲求は、危険であることを知りながら止めることが出来ません。
「この外側には何があるのだろう」
それを知りたい欲求に身を任せようとした時、その音は聞こえました。
何度体験しても、それは「音」であり、耳で聞くものではないように思えます。
「この先は見ることはできません」
その声を幸福感の中で聞く時と、それが無く聞く時とでは、印象は異なっていました。
身を焦がすほどの至高の体験のように思われた、その「音のような声」からは、
半ば焦りすら感じられるように思えました。
「対話をするために来た」と俺は言いました。
声は何も答えません。
「この『声』は、自分を導くためのものなのか」と尋ねると、
「この先へ行くべきではありません(見るべきではありません)」というニュアンスの答えがありました。
「本当にこの『声』は、有りて有るものなのか」と尋ねると、
「有るとは、それがが成りて有るものです(成りて成る、いかようにも成るものです)」というニュアンスの答えがありました。
「なぜ、この先を見てはいけないのか」と尋ねると、
「この先には成る前(有るより以前)のものがあります」という答えがありました。
「それに触れることが、いけない理由とは」と尋ねると、
「成ることこそが有るであるからです」という答えでした。
「この『声』は神によって作り出された制限か」と尋ねると、
「成りて成るものによる制限ではなく自分自身の制限です」と答えました。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板