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俺が統合失調症を発症した時の話するの続き

108たこ助 ◆6KctQgwHqc:2014/05/08(木) 22:12:53 ID:KPSTbrXA0
■「声」との対話

さらに広がり続けたい、この外側へ向かいたい。
この欲求は、危険であることを知りながら止めることが出来ません。

「この外側には何があるのだろう」

それを知りたい欲求に身を任せようとした時、その音は聞こえました。
何度体験しても、それは「音」であり、耳で聞くものではないように思えます。

「この先は見ることはできません」

その声を幸福感の中で聞く時と、それが無く聞く時とでは、印象は異なっていました。
身を焦がすほどの至高の体験のように思われた、その「音のような声」からは、
半ば焦りすら感じられるように思えました。

「対話をするために来た」と俺は言いました。
声は何も答えません。

「この『声』は、自分を導くためのものなのか」と尋ねると、
「この先へ行くべきではありません(見るべきではありません)」というニュアンスの答えがありました。

「本当にこの『声』は、有りて有るものなのか」と尋ねると、
「有るとは、それがが成りて有るものです(成りて成る、いかようにも成るものです)」というニュアンスの答えがありました。

「なぜ、この先を見てはいけないのか」と尋ねると、
「この先には成る前(有るより以前)のものがあります」という答えがありました。

「それに触れることが、いけない理由とは」と尋ねると、
「成ることこそが有るであるからです」という答えでした。

「この『声』は神によって作り出された制限か」と尋ねると、
「成りて成るものによる制限ではなく自分自身の制限です」と答えました。


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