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俺が統合失調症を発症した時の話するの続き

152たこ助 ◆6KctQgwHqc:2014/05/10(土) 23:28:50 ID:aZQAUn020
>>146
ご返事のレスをいただいて恐縮です。

エゴに「探究心」がない、この意見には俺も賛成です。
そして、エゴとは本質的に「自分が自分である」という自信がないもののようにも思えます。

レスを拝見して、
利己的な衝動と、本能的な衝動、これに加えて道徳的な衝動(これもエゴの一部かも知れませんが)。
この3つがせめぎ合い、エゴとは生まれているのでは、と思考しました。
必ず“有る”ことを排他的に選択するエゴは、俺を道案内し、
俺に「エゴ」と、「それ以外の何か」の境界に見せたのかも知れません。
しかし、一つ腑に落ちないことがあります。

俺の体験が事実であったとした場合ですが、
エゴは「自分とは何か」を問いかけ、その先を見せようとしました。
しかし、そこで俺は大変に美しい空間が広がっていることを感じ、同時に「自分が無い」ことを体験しています。
これは不合理なもので、まるでエゴが「行くべき場所」に案内しておきながら、
その場所を知らなかったように思えるのです。

これを合理的に解決する答えは「その場所は知ってはならなかった」となりますが、
それでは、俺をその場所へ向かわせたのは、本能的なものだったのでしょうか。
疑問は尽きません。

>なぜ成りて成るものが自らを消し去るのか
これは、俺が体験したことによる感想なのですが、
「成りて成るもの」も、「時間のようなもの」の制限を受けているように思えました。
なぜなら、俺が「自分が無い」場所で見た時、「空間のようなもの」が広がっていたためです。
空間と時間は同一のものです(その場所でも、この対称性が守られているかは分かりませんが)。
よって、「成りて成るもの」も、俺たち人間とはスケールが違うかもしれませんが、
変化があり、限りあるものではないか、このように思っています。


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