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悟りに至った方たちとの対話

1ラピ。:2013/08/14(水) 12:56:14
悟りに至った方を募集します。

スピ系で悟ったという方。
それ以外で悟ったという方。

どうぞ書き込みください。

ぜひ、本物の対話をしましょう!
(*・ω・*)ポッ

565ローマ法王:2014/06/30(月) 15:58:10 ID:jjs6.PJs0
564
この例の場合、煩悩からではなく、煩悩ごとです
あくまでの表現の一つですが、脳みそと身体丸ごとぶっ飛んじゃってるって事です。

566ラピ。:2014/06/30(月) 17:35:23 ID:TYoEs5Ls0
>>562 Yさん

こんにちは!書き込みありがとございます。

>差異があるって何?とは思いますけど。

あの、私は一度も差異があるなんて言っていませんが。
その言葉はYさんの言葉ですよ。
差異がある、ってそもそもどういう意味で言われているのですか?

>>527
>戻ってきた私はまず光を感じ、そして海と空が始まりました。

ここなんですが対象がその時完全に消滅したのなら
「光」を感じることはないと思います。

私も光を感じる経験はしたことがありますが
私にとってそれは単なる神秘経験という位置づけです。

その経験は究極ではありません。
至った時に光など経験するはずがないです。

光の認識とか、光を感じるとか
そういう表現からもYさんの状態が見えます。


>>549

>ラピ。さんには「まだ」悟ってない人が居るんですか?

どうしてそういう表現になるのか、わからないのですが
私は違います。
ではYさんはどうなんですか?
教えてください。

>それでは差異があるままでしょう?

この意味が分からないので教えてください。
ちなみに私は「「まだ」悟ってない人が居ません」ので
差異はない、と言える、ということでいいのですよね?

567あやふや:2014/06/30(月) 18:14:30 ID:ZDoFNhv60
ここを読んでいくうちに
距離を感じつまらなさを感じる

そこから

明確な目的を持ってない私にとっては
より強く自分に感じられる具体的な事柄を
身近なところから見つけたくなった

繰り返すやり方によって
とても楽に物事に対処していた
繰り返すやりかたをすることで
新しいことはなくなった

病気になりさらに繰り返す方法を大掛かりにした

最近ようやく体調が落ち着いてきて
新しい日がこないことを愚痴りだした
全く正反対な性質を持った親しい友達に気付かされた

未だに友がいることがとても嬉しい

568TK:2014/06/30(月) 18:32:53 ID:zfWImUnI0
>>562

>私がお二人に興味ある所もあります。

私は少なくともあなたには興味がありません。

>前にHさんの掲示板で強制削除されてましたよね?

あの酔っ払いの方ですね、あの掲示板の管理者の酔いかげんは気持ちが悪いです。

あなたには彼が賢者に見えているのかもしれませんが、
損をしたのは我々の方ではありません。

569TK:2014/06/30(月) 18:48:15 ID:6aNg/kOk0
>>567

>ここを読んでいくうちに
>距離を感じつまらなさを感じる

まともな感覚だと思います。

次第に読まなくなれば、さらに良い。

>明確な目的を持ってない私にとっては
>より強く自分に感じられる具体的な事柄を
>身近なところから見つけたくなった

いい感じですね。

>最近ようやく体調が落ち着いてきて
>新しい日がこないことを愚痴りだした
>全く正反対な性質を持った親しい友達に気付かされた
>
>未だに友がいることがとても嬉しい

友情を大切にして下さい。

570TK:2014/06/30(月) 19:20:40 ID:zfWImUnI0
以前この掲示板に私がとても興味を引いた方がいられました。

参考までに、紹介だけさせていただきます。

TK師との会話 - 悟りや幸せへの道
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12104/1373075256/71

私の今の所に至るまでに経験してきた事に全て照らすことが出来る経験内容ですので、
とても水準の高い経験だと思いました。

571釈 無限:2014/06/30(月) 21:39:00 ID:TGZTIih60
>>565
>この例の場合、煩悩からではなく、煩悩ごとです
>あくまでの表現の一つですが、脳みそと身体丸ごとぶっ飛んじゃってるって事です。

なんか、ポア思想が臭ってきます。

反省して、ポア思想の洗脳を解いてくださいね。

煩悩ごと焼き尽くすのは、肉体人間を焼き尽くす煩悩が消えるという
考え方の例であっては問題があります。

572TK:2014/06/30(月) 22:22:44 ID:zfWImUnI0
ラピ。さん。

>>566

>ラピ。さんには「まだ」悟ってない人が居るんですか?


>この意味が分からないので教えてください。
>ちなみに私は「「まだ」悟ってない人が居ません」ので
>差異はない、と言える、ということでいいのですよね?

私はこの類の典型的な酔っ払い特有の屁理屈は嫌いなんですね、
まるでかの掲示板の酔っ払いの自称の人のようですが、
まともな受け答えする事はお勧めはしませんが、しかし、
以前のラピ。さんのようでほっておけ無いのかもしれませんね。

ちなみに、あの酔っ払いの人からは我々はなんだかんだ言われましたが、
本物扱いされて他所でやっていただきたいとのお願いでしたから。

考えてみたら、ラピ。さんもよく私の話を聞くまでになったものです。

ラピ。さんはもう少しでチャンスを逃すスレスレでしたしたね。

恐らくこの場合は一生に1度くらいのチャンスだったと思います。

573ラピ。:2014/06/30(月) 23:24:59 ID:PqiZdnGY0
>>527

TK師

>私はこの類の典型的な酔っ払い特有の屁理屈は嫌いなんですね、

どこか(宗教書とか、スピ系の本とか)で拾ってきた言葉を
そうではないのに使うので
表現すればするほどおかしなことになってしまいます。

それらの言葉は本物であれば
使いまわすことができますが
そうでない方は単なる想像=妄想になってしまいます。

そうでないからです。


>以前のラピ。さんのようでほっておけ無いのかもしれませんね。

はい、かつての自分に重なりますね。

だからこそ、伝えているのですが、、、、。

あの掲示板では私は あいさつ&自己紹介と
私に向けて書き込んでくださった方々へのお返事のみの書き込み
2つのみでしたが
それをあっというまに削除されてしまいました。

はぁ?でしたね。


>考えてみたら、ラピ。さんもよく私の話を聞くまでになったものです。

そうですね。
はじめはTK師に対して「何言ってんの?」と
相当に反発していましたから。

なぜ、話を聞けるようになったか。

TK師と対話し続けたからかもしれません。

私は反発しながらもTK師の言っていることに筋が通っている気がして
私の知らない、何かがあるのではないかと
ふと思ったことがきっかけでした。

574TK:2014/07/01(火) 07:23:57 ID:zfWImUnI0
屁理屈の言い合いで悟りは得られない。

しかし世の中、悟りとは「理屈」を身につける事だと勘違いしている者がいる。

だから、基本的に私は屁理屈を説く者を相手にしない。

頭の中でこね回す屁理屈と言うのは対話していてすぐにわかる。

疑問と屁理屈は当然違うが、疑問を発して屁理屈で回答されたら、
その者は屁理屈を身につける事で結果を得たと勘違いする。

これが、スピ系、
精神世界がらみの誤認の者との典型的なやり取りに伴う汚染の伝染というものであるので気を付けなければならない。

屁理屈で悟りは得られないが私はこの者たちを酔っ払いと呼んでいた。

それは悟りでは無くて屁理屈なので、
当然私がここで説いている悟りにより実用的な現実生活での作業能力そのものがアップすると言うのとは全く別物ですが、
それは悟りでは無くて単なる屁理屈だからなのです。

私はここでは、主に悟りそのものより、本物の悟りは能力のアップする事を説いています。

それは、これら酔っ払いと一緒にされたくないからでもあります。

悟りのメンタルで作業能力そのものがアップすれば、
当然世の中うまく渡れて苦悩は減ると私は説いています。

575ラピ。:2014/07/01(火) 07:56:16 ID:F9j7E9Wc0
みなさま、おはよございます!


じゃあさん

>>556

>じゃあさんがそのように表現できるのなら
>まだ至っていないと思いますよ。

この私の書き込みですが早とちりだったかもしれません。

ごめんなさい。

576Y:2014/07/01(火) 08:52:24 ID:i85ZqXHI0
>>566 ラピ。さん

不二について書きながら返信します。
不二とはふたつないという意味で、境地の状態を表す表現で使われています。
私の境地とは「不二になった」事ですが、不二はふたつないという特徴から
その状態を認識するものがありません。
例えてみると「無限だけがたった一つある」ようなものです。
この無限という状態を、認識する為のモノがある場所が無い(余地が無い)訳です。
これを「大いなる一つ」とか「サムシンググレート」とか「根源」とか「真我」などと
私達は表記している様に思っています。
どう呼ばれているにせよ特徴は「不二(二つない)」ですからその特徴を書きました。
私はこの不二という特徴を境地としてとらえてて、この境地を除いてラピ。さんと「一致」はありません。
ラピ。さんが私に「まだ」というのは もしかするとこの境地にとどまっていないという話をされているではなかろうか?
と思いますけれど、この境地にとどまるという事は「悟りに至ったという認識をしていない」という事です。
「不二」という特徴はその境地において境地を認識出来ないという特徴であるからです。
私が境地そのものに成っている時、私は自身を認識できませんので「そこから戻ってくる事」でしか
「悟りに至った事を知るすべが無かった」という事です。
ですから 私は「一致から再び分離に戻る事」で「境地に至った事を認識した」んです。
「光」の表記に関してですが、光は「戻った後」の話ですから、この世(分離している状態)の事です。
ですから光と書きましたが太陽の日差しの事で、ファンタジックなモノを書いた訳ではありませんし、
境地の話でもありません。境地の話は「終わり」から「戻った」の間にある空白です。

「差異」という私の表現についてですが、不二という特徴の境地には「違いがありようがありません」
無限だけが一つあるだけなので「全ては一つ」という言葉の様なモノです。
この完全一致という状態を事実と知った後には「違う様に見えるものは全て幻想だ」という理解がつくので、
「差異が見える」という事は夢のお話、という事と私は結論しているという話です。
私は「不二という特徴をもった、一つの同じもの」になったという境地の体験ですから、
境地から語るとすれば「私が悟っている以上、すべては悟っている」訳です。
「私と違うものが存在出来ない事情により、「まだ悟ってない人」は存在できないという事です。
ですから私の言う「差異の無さ」は私が悟りに至ったという立場においては「悟っているものしか居ない」
という状況でしかありません。
ラピ。さんの「「まだ」悟ってない人が居ません」という表現が
「自分(ラピ。さん)と同じ悟っているものしか存在はありえない」という意味ならば、
私達に差異は無く、これは確かに「不二」という境地です。
TK氏は屁理屈という言い方をしますが「余地が無い」という事は屁理屈では無いんです。
ラピ。さんは「悟っているものも悟っていないものもありません」と表現されていた訳ですが、
これは「無いを認識している」様に思えるのですね。
「ない」と断言するには「無い」「無ささ」を認識する必要があると思うんです。
不二には一切認識の余地がないので ここを「あるともないともいえる」と表記する賢者が居て、
こういう言い方はまるで曖昧の様になっちゃうんですが、そうとしか言いようがないと 私も今の所思ってます。
不二には「断定の出来ないという特徴もある」という事です。
ですからラピ。さんの「ありません」という断定の認識は「分離なく出来るものではないだろう」と思うんですね。

私は不二という境地以外に私達に共通するものなど有り得ないので、私達は「互いの違い」を話す理由なんてないと
思うんですよ。
例えばラピ。さんと私がどこかで会えば、私達は一秒もかからずに「自分とは違う」と認識するんです。
ですからわざわざラピ。さんが「私とあなたは違います」という話をするというのは時間の無駄であると思うんですね。
私達は「違うという誤認」としているんですから「私とあなたの違わなさ」が悟りの会話だと思うんですね。
そして私とあなたの共通する同じさは「不二という境地にしかない」のですからそれ以外の話で「違いを語る事」に
私はどうも意味がわかりません。

長く書いたので読みにくい所があったら ごめんなさい。

577Y:2014/07/01(火) 09:06:23 ID:kBC6GKGU0
TKさん>

私はHさんの掲示板を読んだと記しただけで、あそこの一員ではありませんし、勿論Hさんを賢者と思ってもいません。
友人と「キモイ」と言い合ってます。
この様に洗脳は起きるのか?とかカルトってこうやって始まるのか?とか
そういう興味で時々読みます。
私という人物を千里眼するのは構いませんけど「賢者と思っているのだろうが」
はTKさんの「思い込み」で「妄想」で「想像」に過ぎません。

>>私がお二人に興味ある所もあります。
>私は少なくともあなたには興味がありません。

私は「興味がある所がある」と書いたのであって
どんな書き込みが削除されたかという「所」にだけ興味があります
と書いたつもりでした。
私がTKさんに興味があると思い違いをされたのであれば、申し訳ありませんでした。

578Y:2014/07/01(火) 09:42:16 ID:kBC6GKGU0
もう一つだけ私が何故自分の体験を至ったとするのか?
解決とは何であったかについて補足として書いておきます。
「終わり」は人生で言う所の「死」であり、始まりは人生で言う所の「生誕」です。
私の体験においてこの「終わり」には私の選択の余地がありませんでした。
思考を失うと私達にはまったく次の一手が思いつかないからです。
また「はじまり」にも私の選択はありませんでした。
「もう一度生まれよう」とも「この境地を認識しよう」とも「思う余地」が境地において無かった
にも関わらず、私は「再び戻った(幻想の分離が起きた)」んです。
この「終わりから始まりに至るまで 私には選択の余地が無かった」事実から、
私はその「始まりから終わりという人生の中において」選択の余地のなさを痛感したのです。
余地があるとは もう思えないという事です。
選択の余地が残っているならば 私は お二人の言う様に「もっと精進すれば何々」という事もあり
「自分の努力の余地」があるのですが、私には この余地が無いんです。
私は幻想の世界の住人ですけれど、不二という余地のなさの真実を忘れる事ができません。
どういう景色が見えようとも どうしようもなく 生きていく訳です。
この どうしようもない世界で 自分が思考しているつもりで 自分が選択をしているつもりで 生きているのがYです。
ですから「まだ先がある」という事に私の選択しているつもりの自由において乗っかったとしても
「つもりである」事がわかりきっているので さすがに楽しめないんです。
2+2の答えが4であるとわかっていながら「6かも知れない8かも知れない」と仮説することは楽しくないという事です。
私はこの「どうしようもないという事実」の体験において 思い知らされたので もう至ってしまったんです。
私には「もはや問いの余地がなく、考察の余地がなく、結論の余地がない」ので探求は終わったんです。
これを私は「至った」と呼んでいます。
お二人の悟りと、私の悟りが違うとか同じであるとかに私の結論が無いのです。

579ローマ法王:2014/07/01(火) 09:45:43 ID:h8tbrXaM0
>私は「一致から再び分離に戻る事」

ここは違和感ですね

>残りのヴァーサナが除去されない限りは完全にならないといわれている。

Tkさんも言われていますが、
実践できますね

580Y:2014/07/01(火) 11:06:40 ID:kBC6GKGU0
>>579 ローマ法王さん
再び戻るのは「完全の後」の事です。
「完全にならない」という状況は「完全になる前」にある状況なんです。
ですから当然「完全になる前に残りのヴァーサナが除去された」んです。
立ち位置の誤解釈です。
ローマ法王さんが「完全になった」ら確実にその完全を認識する為に「戻る」んです。
この「戻る」に「戻らない余地」が無いんです。
これはどうしようもなくローマ法王さんが成らない限り理解は不可能です。
なのであなたの仮説で私の事実を変える事はありません。

581ローマ法王:2014/07/01(火) 12:59:00 ID:h8tbrXaM0
>「つもりである」事がわかりきっている

随分と自我が強い感じですね

>不二という余地のなさの真実を忘れる事ができません。

普通忘れますし、それは幻想ですよ

582ラピ。:2014/07/01(火) 17:33:05 ID:TYoEs5Ls0
>>576 Yさん

Yさん、なるほど。
書き込みどうもありがとう、うれしいです。

Yさんはかつての実践第2の終了時と同じ状態かもしれません。

私も彼岸(Yさんの言う不二というやつですかね)に足を突っ込んで帰ってきました。
そして一部が消滅したまましばらく過ごしました。

この状態でTK師に出会いました。

>ラピ。さんが私に「まだ」というのは もしかするとこの境地にとどまっていないという話をされているではなかろうか?
と思いますけれど、

はい。その境地に私たちはいます。


>この境地にとどまるという事は「悟りに至ったという認識をしていない」という事です。

はい、悟りに至ったという認識をしていません。

ただしく言えば「認識をする私がいない」ということです。
認識しておりません。認識しようがありません。

Yさんには認識している私がいることは明らかですね。

Yさんには私の状態がどういうことか想像できないでしょう。

なぜならYさんも経験した通り、
言葉に表すことができない
想像以上の境地だからです。


Yさん、私は第2の実践で一部が消滅していたので
最後、TK師のおかげで起こった激流を
1日で渡り終えました。(第4の実践)

Yさんも、今彼岸の手前で
彼岸にとても近いのだけど(経験していますから)
今のその思考をしている限りは限りなく遠く、
永遠にそのままとなるでしょう。
(でもYさんはそれでいいみたいですね。)

一部の消滅は
ある程度の「楽」は達成しているとおもうので
なかなか苦は発生しないかもしれません。

だから、彼岸から近いけど遠いのです、今のままでは。


>ですから私の言う「差異の無さ」は私が悟りに至ったという立場においては
>「悟っているものしか居ない」という状況でしかありません。

そもそもYさんの答えと私の答え、違うんです。
私は「悟っているものしか居ない」なんて言えません。

悟っているものだけがいる、ということですよね?それほんと?
悟っている人しかいないの?ほんとですか?それってどんな状況。

悟っている、と言った瞬間、悟ってない人も同時に存在するんですよ。
悟っている、悟っていない、とは相対的な言葉で
片方のみでは存在できません。
両方あるからわかるんですよね。
悟ってない人がいるからこそ、悟っていることがわかる。

それがわかる=認識する、ということです。

Yさんは悟りに少し足を踏み込んだことがある、
とは言えると思いますが、まだ至ってはいません。


続きます。

583ラピ。:2014/07/01(火) 17:44:19 ID:TYoEs5Ls0
>>577

>私という人物を千里眼するのは構いませんけど「賢者と思っているのだろうが」
>はTKさんの「思い込み」で「妄想」で「想像」に過ぎません。

根拠があります。
Yさんの書いていること、Hさんの書いていることと変わらないんです。
仲間かと思いましたよ。

お二人、同じようなことを言っているんですよ。
私たちからしたら、同じ次元です。


ちなみに私も第2の実践で闇を経験したあと、
もう一度「人」を味わってみたいと思い、
ぼろぼろになりながら帰ってきました。

この時のことを
一度死んで同じ記憶を持ったまま生まれた、
と確か表現したことがあります。

そして新しく生まれてスピ系の実践を始めました。
(第3の実践と呼んでいます)

私は小さいころから実践ばかりだったから
最後、人間としての幸せを味わいたいと思いました。
(それが最後だと、決めていました)

スピ系は私にとってある意味
「無理やり願望を持つ実践」でした。

愛とかお金とか名声とか、
そういう願望をもってそれを叶えよう!とかやっていますよね。
願望を持たなければ叶わない、とか。

私は元々はそんなに願望なかったけど
「そういうことがきっと普通の人としての幸せなんだな」
って無理やり願望をもってやってました。

でもこの頃が一番、私は人間らしかったかも。(笑)

そしてそれでもう十分、幸せだと思っていました。
人間万歳!

ところがTK師と出会い、一喝されました。

私はその時そのままで進まない、という選択もあったかもしれません。

でも、でも、私の知らないTK師の境地があるのなら
そこに行ってみたい、と思いました。

そしてTK師とのやり取りの中で激流が起こり
その時思い出しました。

この激流の状況は第2の実践の時と同じ状況だと。

そこで原点に戻り、第2の実践を行いました。
(厳密には同じではありませんが その時の経験をいかしました)

第2の時はほんと、死にもの狂いでしたが
第4は第2の実践の経験のおかげであっという間でした。

ただし、第4の実践も「死ぬまでやめない」との強い決心でした。

実践をしてもどこにも私が至れる保証はなかった。

たまたま運が良かっただけかもしれません。

そして無事、卒業できました。


>「もう一度生まれよう」とも「この境地を認識しよう」とも「思う余地」が境地において無かった
>にも関わらず、私は「再び戻った(幻想の分離が起きた)」んです。

その再び戻ったことをTK師から
「退転した」とずっと言われていました。



Yさん、この話をどう取ろうと自由ですが
まだ先はある、ということです。

私は今その境地にくつろいでおります。

あきらめないでよかったです。

584ラピ。:2014/07/01(火) 17:45:08 ID:TYoEs5Ls0
>>580

Yさん、ちなみに「完全」を認識する必要がありますか?

完全そのものなら認識する必要はないでしょう。

例えば幸せについても、幸せを認識する存在ではなく
幸せそのものになりたくはありませんか?

私はそれがよかったし、おかげさまでそうなりました。

完全を認識する存在で満足しているなら
そのままでいいのでしょうね、Yさん。

ちなみに完全も
認識した時点で完全ではありません。

悟りを認識することなく
それそのもになったのが私たちです。

認識で満足しているのならそれもありですかね?

ただし、その認識したものは想像上のもの、
それそのものではありません。

585TK:2014/07/01(火) 19:15:47 ID:H9KwW0OM0
>>562
>私もそうです。その知見が師と同じであるという事です。

弟子を見れば師が分かります。

ちなみにラピ。さんは、本人だけでなく私が成就している旨で承認しています。

ラピ。さんはこの方とは比べ物にならない所の本物の悟りを成就した人ですから、
私としても恥ずかしくありません。

>お二人の悟り具合は 悟りたい人に使えば良くて、私には関係がありません。
>「まだ」悟ってないという未来ある方たちにお使い下さい。

どうぞご勝手に、しかし、真実チャンスを逃したのはこの方のですが、
そのこと自体が我々にとって損も得もありませんからこの方に信じてもらう必要は全くありません。

>>550
>私もそうです。不安が確信、確定になっただけでした。

これでは、普通のエゴ次元の人の答えのままです。

悟っている人は間違ってもこのような答えはしませんが、この方の師、
この方を見ていればよく分かります、例のサイトの酔っ払いの自称賢者(もちろん誤認によるエセです)
の方の傾向にかなり近似しています。

本当の悟りは意識変容(次元上昇)が伴いますからこのような答えはありません。

私は本物の悟りの側面である、ゾーンによる実用レベルでの能力上昇を説く者ですから、
屁理屈で酔っているエセではそもそも役にたちませんから、
当たり前ですが本物でなければ駄目なのです。

フロー (心理学) - Wikipediaより
>2500年以上前、仏教や道教といった東洋の精神的な伝統の実践者は、
>この訓練を彼らの精神開発の非常に中心的な部分として磨いた。日本の実践者は、
>そのような禅の技術を、彼らの選んだ、剣道から生け花までを含む、
>芸術の形式(芸道など)を習得するために学んだ。
>
>あまりに使われすぎた慣用句「ビーイング・アット・ワン・ウィズ・シングス」(物と一体化する)も、
>この概念を説明するのに使われる。

不動智神妙録 - Wikipediaより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%8B%95%E6%99%BA%E7%A5%9E%E5%A6%99%E9%8C%B2

>心が物事に捉われていなければ、素早く動けるが、素早いことが重要なのではないと説く。
>素早く動かなければ、という思いも、また心が捉われている証しであり、
>心が止まっている状態であるとする。

聞く耳は無いかもしれせんが、
釈迦ほどの天才が一たび師と仰いだ人を二人も見限っているのですから、
釈迦と比べたら凡人である我々が師を間違ってしまう事は決して恥ずかしい事ではありませんから、
賢明な判断をされた方がよろしいと思います。

586:2014/07/01(火) 22:06:33 ID:2OB2rbPY0
tkさんは、神を信じますか?

588TK:2014/07/01(火) 22:47:47 ID:H9KwW0OM0
>>586
>tkさんは、神を信じますか?

信じたくても「信じる」行為が逆立ちしてもできません。

あなた方と私やラピ。さんは既に構造が異なります。

589TK:2014/07/01(火) 22:54:58 ID:H9KwW0OM0
>>578

>もう一つだけ私が何故自分の体験を至ったとするのか?

なるほど、あなたは確かに優れた体験をしていると思いますが、
私は自らでそれも知っています。

あなたがまだ知らなくて、我々が知っているもの、
それが「常住(唯作心(kiriya¯citta))」です。

あなたは「戻った」「分かった」これだけですね。

釈迦の分類では、この「常住(唯作心)」の境地を慧解脱、
ここで初めて阿羅漢という事です。

あなたは一時的な心解脱に近いものしかしらない。

だからこそ、
そこに至っているようで酔っ払い的な中身が共存して出てくるおかしな状態です。

確かに、「分かった」、それだけでは一時的の部類なのです。

つまり「常住の境地」にいないと言う意味です。

常住の境地に至ると「分からない」が標準になります。

この「分からない」というのも我々の次元に来ないと、
一般的とされている「分からない」とは全くの違うものなので話しませんが、
屁理屈問答はしたくありませんから「常住(唯作心)」の特徴の一つです。

「常住(唯作心)」にいる者は、話をすれば分かります、しかし、
あなたはそこにいない事が我々いる者としては手に取るように明らかな事実ですが、
あなたの方からは我々は分かるはずがありません。


>どういう景色が見えようとも どうしようもなく 生きていく訳です。
>この どうしようもない世界で 自分が思考しているつもりで 自分が選択をしているつもりで 生きているのがYです。


情けないですね、「常住(唯作心)」の境地の位置づけは私の次の書き込みで若干触れていますが、
お好きなように。

ラピ。さんがあなたに向けて、口酸っぱく叫んでいますが、
もう一度、正しい師を利用しながら、
あなたは焼き直さなければそこへは至れ無いのが事実でした、残念でしたね。

「常時に」どういう景色も見えないし、生きている実感もないし、世界もないし、
自分もないし、選択もないのが慧解脱すなわち「常住(唯作心)」阿羅漢とされているところのものですが、
この言葉からは至ってない人は妄想しか産む事はありません、つまり、至らない限り推測不能と言う意味です。

TK師との会話 - 悟りや幸せへの道
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12104/1373075256/342

TK師との会話 - 悟りや幸せへの道
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12104/1373075256/343

590Y:2014/07/01(火) 22:56:38 ID:kBC6GKGU0
>>582 ラピ。さん

>そもそもYさんの答えと私の答え、違うんです。

はい。それは最初の返信からわかってます。
そして 私の話している「不二」は「違いようが無い」という話をしています。

>私は「悟っているものしか居ない」なんて言えません。

境地では言えないという話なら そもそもここの会話が成り立たないですよね?

>悟っているものだけがいる、ということですよね?それほんと?
>悟っている人しかいないの?ほんとですか?それってどんな状況。

人だけではなく「森羅万象全て 悟っている」という事です。
状況は今朝書いた通り「ふたつない」という境地において「違う事が有り得ない」です。
「ふたつ」は無いんですが「ある」という状態です。
相対でしか有り得ないと、私達は相対しか知らないから必ず「対」を考えるのですが、
この「不二」という状態においては「対の片っぽが無い」んです。
対の片方が無いという状態は私達が絶対に考え付かないからこその「境地」です。
その「不二」という境地において何が起きるのか?という事を今朝のコメントでは書いたつもりです。

>悟っている、と言った瞬間、悟ってない人も同時に存在するんですよ。
>悟っている、悟っていない、とは相対的な言葉で片方のみでは存在できません。
>両方あるからわかるんですよね。
>悟ってない人がいるからこそ、悟っていることがわかる。

ラピ。さんが書いた↑は この世の常識ですよね?
私達は「相対しか知らない」から、対が必ず存在してしまう。
この「不二」という境地において「だけ」例外がある。
この例外が「全てが一つである」証なんです。
ですから この境地の中では勿論「そのもの以外が無い」ので
悟りだろうと私だろうとありとあらゆる「それ以外」はありません。
「それとそれじゃないものがある」という相対ではない境地があり
それを知らない限りは「悟ったものしか居ない」という言い方は出来ないんです。
ですから ラピ。さんは それを言えないんです。
「片方のみでは存在できない」というのがこの世の常識で日常ですよね?
むしろ、それを知らない人は居ないでしょ?
その常識を打ち破る事実が「不二」です。
もし この私の体験をラピ。さんが第二段階という所で体験しているのでしたら
相対しかないのだという話をする筈が無いんです。

悟りというのは涅槃とか彼岸とか呼び名は知りませんけど「とどまるものだ」
と思われています。
教義、教本の類には境地にたどり着くまでのメソッドしか書かれていないからです。
その先が書かれない理由は境地の一歩手前からは「全く自力が働かない」からです。
ですから本に書く必要はありません。
又それ以上の事を書き記せば それを読んで知識として「悟った」ものも出てきます。
私が知識から想像していた悟りと「悟り」は全く違うものでした。
けれど ほとんどの人が「悟りはとどまるものだ」と思っています。
何故 そこだけは みんなが思っていた通りの事だと思いますか?
犯人しか知り得ない事実は 公表されません。
公表されれば 模倣があるからです。
悟りも同じです。
悟りの型にはめられると とどまるしか無いんです。
それが悟りの型だからです。
「悟りの型」それは 自由ではないんです。

色々書きましたが 私はお二人と「違う話」をこれ以上続けるつもりはありません。
私は「私達がどれ程同じなのか?」という話をしていますし、これから伝えたい事もそれです。
同じは「不二」にしかありませんが 違いを語るなら一秒たりとも要らないからです。

591ラピ。:2014/07/01(火) 23:17:22 ID:jOhAFE8.0
>>590

>「それとそれじゃないものがある」という相対ではない境地があり
>それを知らない限りは「悟ったものしか居ない」という言い方は出来ないんです。
>ですから ラピ。さんは それを言えないんです。

大勘違いです。

私の答えは
「悟ったものも、悟ってないものもいない」ですよ。
そう書き込んだと思いますが。

「いる」と言えないでしょう。
何もありませんから。

「不二」になにかありましたか?
私はありましたか?
あなたもありましたか?
「全てが一つである」という世界があったんですか??
なにもないはずです。

なのに悟った人だけがいるのですか???


>もし この私の体験をラピ。さんが第二段階という所で体験しているのでしたら
>相対しかないのだという話をする筈が無いんです。

そもそも相対世界にいる方には
相対世界の言葉で伝えるでしょう?

臨機応変です。

ちなみに「相対しかない」なんてどこに書きましたか?
勝手に思い込まないように。

私は相対世界を超えています。

だからこそ、相対的な言葉も使えます。

まぁ、Yさんが幻想の住民で満足しているんならそれでいいんじゃないですか?
かつての思い出を大事にする幻想の住民ですね。

私はそんなのいやですけど。

私は幻想を打ち砕きました。幻想なんていらない。

592Y:2014/07/02(水) 00:03:08 ID:kBC6GKGU0
>>591 ラピ。さん
>私の答えは「悟ったものも、悟ってないものもいない」ですよ。
>そう書き込んだと思いますが。
>「いる」と言えないでしょう。
>何もありませんから。

この「何もありません」というのが「無がある」という事なんです。
「いると言えないと同時に いないと言えない」のに
「無いから居ない」では「無い」なんです。
「無」がある時には「無を認識する私」と「無」という相対関係が続いているんです。
これは座禅見性の「くう」と呼ばれるモノですが、ここは「不二」ではありません。

>「不二」になにかありましたか?
>私はありましたか?
「ある」が一つだけありましたよ。
それを「私」と呼ぶためには「戻り」が必要でしたけど。

>あなたもありましたか?
「私」と呼ぼうが「あなた」と呼ぼうが同じですよ。
「ある」が一つだけですから それを名付けるのは 常に「この世」です。

>「全てが一つである」という世界があったんですか??
>なにもないはずです。

何もない を認識するなら もうひとつがあるんです。
「ふたつない」が「全てが一つである」事ですから。
「無」と「無の認識」で二つになっちゃうでしょう?

>なのに悟った人だけがいるのですか???

私が悟ったなら悟ったものしかいません。
私が悟ってないなら悟ってないものしかいません。
私が男なら 男しか居ないし、私が女なら女しかいない。
それが全てが完全に一致している「不二」の概念です。
悟ってる人と悟ってない人が居る事が 相対というこの世の当たり前です。
だから、ブッダという悟った人という大前提があって、私達は悟ってないと言うのです。
相対の無い世界がある事がわかるまでは このブッダの形にとらわれた悟りを私達は探します。
私が悟れないと思った理由は「ブッダという模範になれない事」でした。
なれる訳なかったんです。それは私の努力が足りないのではなく、
私の想像していたブッダが幻想だったからです。
不二という境地においては「ふたつない」のですから
私とブッダに違いがないという事です。
私とブッダは「違えなかった」という事です。
だから「みんな悟ってる」と私は言います。
Yと同じと言ってもわからないでしょうけど ブッダと同じ(違えない)と言えばわかりますか?
ラピ。さんの師匠はラマナの話を張ったりしますから ラマナは悟っていると認識されているのでしょう?
「不二」では、その「ラマナ」と「違えない」んです。
ラマナと違うから悟ってないのであり、ラマナと違えなければ悟ってると表現してもいいんじゃないですか?

>私は幻想を打ち砕きました。幻想なんていらない。
「私が」「幻想なんて要らない」と思って打ち砕いたんですか?
ラピ。さんは 呼吸をしなくても苦しくない?
呼吸をしないと死んじゃうのも 幻想の特徴ですから。
打ち砕いちゃって戻ってないというなら そんな事になっちゃうんだけど。

593TK:2014/07/02(水) 00:21:51 ID:H9KwW0OM0
ラピ。さん、頑張りますね。

完璧に屁理屈の言い合いになってますから、
この人は酔っ払いですからお付き合いして同じレベルの屁理屈の言い合いしていても意味ありませんよ。

我々が損するわけではありません。

この人のように私が評価する良い体験が出来ても、酔っ払いになったら、
以前のラピ。さんと同じですね。

私はもう、ラピ。さんの時みたいにあそこまでやるのは御免です。

594Y:2014/07/02(水) 00:28:37 ID:kBC6GKGU0
ここを読んでいる方に聞きたいのは
どうして「違うと言う話」をしてるのか?って事です。
私達は明らかに「違う」という「他人同士」として生きているんですから、
「あなたと私が違う」という話に疑問も不思議さも無いと思うんですよね?
私が不思議でわからなかったのは「同じである事」でした。
どう考えたって「他人と私が同じ訳がない」のに「同じである」という事が
知りたくなる所、興味でありました。
だから「私達は君等とは次元の違う所にいる、違うモノなんだよ」という話には
所詮「大きく違うか 小さく違うか?」の違いであって「違う事」は打破しないからです。
「アメリカ人」なのか「火星人」なのか「次元が違う方々」なのか?
は 違いがあるといういう意味において全く変わり映えの無い事だからです。
幽霊がいたって、自分が幽霊じゃない事は問題ではないし、金星人がいたからって自分がそれでない事も
問題にはならないですよね?
所が「あなたは私である」と言われれば「私にとって大打撃」ですから、
知るべき事として興味がわきます。
また「私が居ない」という話も大打撃として 知るべき事です。
でもね「私はあなたとは別の次元なんです」には 大打撃が無いんですよ。
それは「単なる個性」であって、それはこの世の私達も持っているものだからです。

595釈 無限:2014/07/02(水) 01:24:19 ID:TGZTIih60
             「念の使い方について」

念の使い方によっては、人を幸福にもし、不幸にもします。

感謝の念とかは善に働くけど、相手をねじ伏せようとする念による
攻撃は悪であり、慎まなければなりません。

念は、人の心を楽しませるものとなり、念は剣ともなり弓矢ともなり、
相手を害する道具ともなります。

私は、極力念は良き念を発しようと努めていますが、人を害するよ
うな念を発した場合、反省を入れるようにしています。

相手から害を及ぼす悪しき念が来たら、「あなた様の害する悪念は
入りませんので、そのままお返しします」という念の使い方をします。

嫉妬や恨み妬みなどからくる相手に害を与える悪念となるので、自分
に都合のよい正義となっていないか注意すべきであります。

四正道の「愛」の与える愛と「知」のこの世とあの世を貫く、善なる明る
い智慧と「反省」で心を中道にして、「発展」で与える愛の質の向上に
よる悟りの高さと、感謝からの与える愛の私的幸福からユートピアづく
りの公的幸福へとなっているかであります。

日々、心の内を自己観察して、智慧に先立つ与える愛としての念の使い
方をしていただきたいものであります。

596TK:2014/07/02(水) 03:53:05 ID:H9KwW0OM0
>>594

>「ある」が一つだけありましたよ。
>それを「私」と呼ぶためには「戻り」が必要でしたけど。

まじに、これでは以前のラピ。さんのリバイバル。

私はラピ。さんの彼岸に至る僅か運命の激流の一日のために、
何か月この類のやり取りをした事か思い出しました。

ラピ。さんの時もそうでしたが、変な中途半端な結果を得た酔っ払いは立が悪い。

思い出しました。

見てるとうんざりしてきました。

ラピ。さんが頑張る気持ちもよく分かりますけどね。

597:2014/07/02(水) 04:20:34 ID:2OB2rbPY0
>>588
信じる対象そのものがないということですかね?

598ラピ。:2014/07/02(水) 05:30:19 ID:5Kki1KY.0
みなさま、おはよございます!


Yさん

幻想がなければ生きていけないなら
どうぞ、その幻想の世界なかで生きてください。

自由ですよね。


TK師

かつて師が
「お話になりません」と私によく言ってた意味が
わかりました。

ほんとお話になりませんね。

>私はラピ。さんの彼岸に至る僅か運命の激流の一日のために、
>何か月この類のやり取りをした事か思い出しました。

ぴったり6カ月でしたね。

TK師、ほんとうにありがとうございました。

599TK:2014/07/02(水) 07:22:54 ID:H9KwW0OM0
>>597
>信じる対象そのものがないということですかね?

信じるも含めて行為そのものが無い、これが一番近い表現です。

当然、あなた方から私は受け答えの行為をしているように見えると思いますが、
我々は何もやってないし出来ない、
これは私やラピ。さんの所「常住(唯作心)」へ至っている者でなければ推測不可能です。

阿羅漢の行為はカルマを作らない、これがその仕組みですが、
我々がこの状態を言葉に表すと、
ここにもいますが勝手に変な人たちが拾って自らの妄想のネタに使うのです。

「ここには、私とラピ。さん以外にこれが分かる境地にいる人はいません。」

アイ・アム・ザット 私は在る―ニサルガダッタ・マハラジとの対話より
>私は無だ。
>
>何も持たず何も出来ない。だが、すべてはわたしから立ち現れる。その源が私だ。その根底と源泉が私なのだ。

600Y:2014/07/02(水) 07:34:19 ID:kBC6GKGU0
>>596

>信じたくても「信じる」行為が逆立ちしてもできません。
という話が境地なら「うんざりしたくても出来ない」のが境地ですよね?
TKさんは本当はうんざりしていないのに うんざりしていると嘘をついている。
嘘もつきたくてもつけない筈なのに 事実「嘘をつける」「偽れる」。
これは私達が この世を生きるにあたって、自分を知識で装飾し、
偽りの自分を見せ続けてきた行動様式と 何処がどう違います?
その価値観が全く違わないんですよ。
「私とあなたは違うんです」とずっと主張してきた価値観と全く変わってない。
「あなたはB型で私はA型だから違うんだ」という主張と「私は境地人であなた人間とは違う」
という主張が この世の価値観そのものなんだという事。
「うんざりしてないのに うんざりしていると書かなければコミュニケーションが取れない」
から「嘘だけど そう(うんざりと)言う」という行動様式が この世の行動様式だという事。
「君には私の事など わからない」という考え方 それが「この世のものだ」という事。

ラピ。さん
>幻想がなければ生きていけないなら

あなたもそうですよね。
幻想と話したくて 掲示板なんですよね?
幻想とお話する為に「逆立ちしても出来ない事まで、さもやっている様にみせかけて」
喋ってるんですよね?
嘘をつかなきゃ、しゃべる事も出来ない不自由の話ですよね?

601ラピ。:2014/07/02(水) 07:42:57 ID:5Kki1KY.0
>>598

>ぴったり6カ月でしたね。

間違えました。

1月14日から師と対話させていただいて
私が至ったのが5月13日だから
4ヵ月ですね。

602ラピ。:2014/07/02(水) 07:46:11 ID:5Kki1KY.0
>>600

Yさん

違います。

603ローマ法王:2014/07/02(水) 08:26:18 ID:h8tbrXaM0
Tkさんラピさんは、
コミュニケーション
とってないです。
何もしていないです。
幻想がないということです。

604Y:2014/07/02(水) 08:51:56 ID:kBC6GKGU0
何故 お二人が「戻って認識した事」が悟っていない理由となるのか?
私達の普段している「認識」というのは「違いを認識する」特徴だからです。
「私が私を認識する」は「同じを認識する」んです。
これを理解するには「ふたつない」を通過しないとわからない。
これは「無を認識する私」が相対関係である事に気づかないと仕方ない。
だから お二人は 私が認識したと言えば どうしても
「違いがある、自分でないモノを認識した」としか読み取れない。
そして その経験なら確かに自分も通ったので「そのことだろうと推測する」。
読み取れないのは当たり前で ここが「不立文字」と言われる所だからです。
「違い以外を認識する」という意味は その経験でしかわからないから。
「同じしか認識出来ない」という認識の在り方がわからない。

605ラピ。:2014/07/02(水) 12:15:03 ID:TYoEs5Ls0
>>604

Yさん

>何故 お二人が「戻って認識した事」が悟っていない理由となるのか?

簡単です。

私たちは例えていうなら「戻らず、認識していない」からです。
明らかにYさんと違うでしょう。


Yさん曰く

>この「不二」という境地において「だけ」例外がある。

>その常識を打ち破る事実が「不二」です。

なんですよね?


だからYさんにとっては

>嘘をつかなきゃ、しゃべる事も出来ない不自由の話ですよね?

が常識なんでしょうけど、私たちは違うんですよ。


常識を打ち破るのが不二であるのですから
Yさんの常識が私たちに当てはまらないのは当然です。

606TK:2014/07/02(水) 17:58:21 ID:d3Al9VVg0
>>600

>という話が境地なら「うんざりしたくても出来ない」のが境地ですよね?
>TKさんは本当はうんざりしていないのに うんざりしていると嘘をついている。

嘘はついてませんが、私は何もしてないのです。

嘘というものも「行為」の一つなので、
このような唯作心など境地に居ない人に口で説明できるものではありませんから、
どうぞご勝手に妄想してください。

ラピ。さんはともかくとして、私はあなたと取り合うつもりはありません。

私はあなたに理解してもらわなくても何にも損しませんから、全然かまいません。

強制はしませんが、ラピ。さんもこの人かまうの早くやめればいいと思いますし、
変に情報提供しようなどと試みても我々の得には何もならない、
このままこの人の好きにやらせておいてあげた方が良いと思いますが。

自らで至っていると言うのなら、良かったねと言ってあげてた方が、
面倒無くていいと思います。

607TK:2014/07/02(水) 18:23:56 ID:d3Al9VVg0
>>603

>Tkさんラピさんは、
>コミュニケーション
>とってないです。
>何もしていないです。
>幻想がないということです。

幻想どころか内面と外面が無いのですが、
「常住(唯作心)」は言葉で説明しても無理ですね。

釈迦も同じ経典内で、私はこのことを説くということはないと言ってみたり、
わたしは説くと言ってみたり、エゴ次元の人の常識で照らしたら嘘つきと言われる内容です。

無理ないと思いますよ。

言うだけ野暮ですので、どうぞ勝手に妄想してくださいと私は説く。

これは私やラピ。さんの所へ至っていない人には推測不可能です。


スッタニパータ837
>師が答えた、「マーガンディヤよ。『わたくしはこのことを説く』、ということがわたくしにはない。

スッタニパータ1033
>師(ブッダ)が答えた、
「アジタよ。世間は無明によって覆われている。世間は貪りと怠惰のゆえに輝かない。
>欲が世間の汚れである。苦悩が世間の大きな恐怖である、とわたしは説く。」

スッタニパータ1048
>師は答えた、
「プンナカよ。世の中でかれこれ(の状態)を究め明らめ、
>世の中で何ものにも動揺することなく、安らぎに帰し、煙なく、苦悩なく、
>望むことのない人、──かれは生と老衰とを乗り越えた、──と、わたしは説く。」

608TK:2014/07/02(水) 18:33:52 ID:d3Al9VVg0
それでも「常住(唯作心)」の境地について、私は若干の説明を試みていたようです。

>>346

609:2014/07/02(水) 21:09:38 ID:2OB2rbPY0
>>599
本物の言葉であることは、伝わってきます。

610TK:2014/07/03(木) 07:21:14 ID:d3Al9VVg0
>>609
>本物の言葉であることは、伝わってきます。

そうですね、
とくに今のように比較対象としての自らの誤認による自称至った人とかが近くに居ると、
この方の書き記した内容の差が、
大きな引き立て役効果になってくれてよりそのように見えるのです。

611ラピ。:2014/07/03(木) 07:53:15 ID:9Vur5waM0
みなさん、おはよございます。

「まだ」の場合、
その状態で人を導いても
「まだ」にしか導くことはできません。

人に教えを説くのは「まだ」を卒業してからです。

「まだ」では「まだ」の教えしか解くことができません。

そして、結果的にそれは
「悟り」への道を邪魔することになります。

確か釈迦も偽の教えを説くことは
罪であると言ってたと思います。

まずは至ることです。

偽の教えで人を偽の道へ導くことは
そういうカルマを生み出すだけです。

教える人にとっても教えられる人にとっても
いいことはひとつもありません。

612ローマ法王:2014/07/03(木) 08:55:17 ID:q7b1fXyc0
もし気が進むのなら、アートマン常住とブラフマン常住の違いを説いていただけますか?

613ローマ法王:2014/07/03(木) 11:22:46 ID:q7b1fXyc0
>これは「無を認識する私」が相対関係である事に気づかないと仕方ない。

相対的な私はそもそもいません

614無記名:2014/07/03(木) 15:06:07 ID:nIm/XTjc0
悟った人は日常どんな生活をしているのですか?
もはや何事にも挑戦することなく
社会的責任も果たさず、気の向くまま、というところですか?

615TK:2014/07/03(木) 17:56:11 ID:viOdl9Vc0
>>612
>もし気が進むのなら、アートマン常住とブラフマン常住の違いを説いていただけますか?

少なくとも私はこのような教えは説いていません。

酔っ払いの酒の肴みたいな話しは提供するつもりがありません。

616TK:2014/07/03(木) 18:06:34 ID:viOdl9Vc0
>>614

>悟った人は日常どんな生活をしているのですか?
>もはや何事にも挑戦することなく
>社会的責任も果たさず、気の向くまま、というところですか?

振る舞い方や見かけは他者と特に変わってないと思います。

挑戦しているようにみられる事もあれば、
社会的な責任を果たしているように見られる事もあると思います。

メンタルによる作業能力がアップしてますから、
それ相応の評価をされていると思います。

ただいずれにしても、他者がどう思おうが気になりませんし、それは他者の勝手です。

617ローマ法王:2014/07/03(木) 18:08:45 ID:WGN5pcDg0
>酔っ払いの酒の肴みたいな話しは提供するつもりがありません。

ありがとうございます
確認できました
あと本物であることも

618TK:2014/07/03(木) 18:42:29 ID:viOdl9Vc0
色々な人向けの先駆者として話をしているつもりですが、
なかなか聞く耳が無い人には役に立ちません。

束の間であっても心解脱の経験は、かけがえのないものですが、
私とてそこから退転して、戻ったのはエゴ次元の人です。

同じ退転でも、私の退転はラピ。さんや誤認の方のようにそこで終わりにはしなかった、
従ってさらに実践し先に進んで阿羅漢の境地は唯作心であると言われていますが
「常住」の境地である彼岸に辿り着くことが出来た訳です。

途上でまごついている人たちを見て、話をしても、
分かってもらえないと言うのも、ラピ。さんの時もそうでしたがなんとも言いようがありませんね。

619あやふや:2014/07/03(木) 19:03:27 ID:ZDoFNhv60
色々なわからない途上の人にとって
おおざっぱですが
これだけは気をつけているべきことはありますか?

私の場合は、選んでいる基準は自分でわかりませんが、
惹かれる人の言葉を鵜呑みにすることで、
自分よりずっと優れた人と
接することができていると感じていることはあります。
友人などはすべてにおいて自分より優れています。

620ローマ法王:2014/07/03(木) 19:13:35 ID:WGN5pcDg0
ヴァーサナー消しの実践を説いていただけますか?
皆さん聞きたいと思っているはずです。

621TK:2014/07/03(木) 19:50:44 ID:viOdl9Vc0
>>620
ヴァーサナやサンスカーラ、これら内面世界へのアプローチは、
普通の人には不可能です。

私はそのような事はここでは話しておりません。

このようなものを人に教えられたり本見たりしてやろうとして、
みんな酔っ払いになっている、
私はこのような馬鹿げたことをやめるように説いているものです。

こんなことをしてて、
悟ったと言う人がいたら是非お話してみたいと最初から話しています。

そう言うのが好きな人は、世の中に一杯いますね。

現実からの逃避です、それで何かが得られるはずが無い。

私は精神世界など説かない、脱精神世界を説く者です。

内面世界へのアプローチには、まず、
煮詰まった状態を作り上げなければ不可能なのです。

そのためには、精神世界はご法度です。

私が賢者と認めているEO氏と言う方も、釈迦の仏法はほとんどの者には必要が無い、
まずはサバイバル能力の方が必要だと話していたと思います。

酔っぱらいたければ、ここはお門違いです。

私もラピ。さんも、このようなプロセスを経て、
今の所へ辿りつけてこの真実を自らで実証済みです。

622TK:2014/07/03(木) 21:04:19 ID:viOdl9Vc0
まず、精神(内面)世界では無く現実世界の生き方です、
そこからスタートをしなければ、巷に居る酔っ払いたちのようになります。

そうでなくて悟った人はどこかに居ますか、居るのだったらお話してみましょうよ、
ここには阿羅漢二人います。

623ラピ。:2014/07/03(木) 21:17:33 ID:D0un4Zxw0
>>614

>悟った人は日常どんな生活をしているのですか?
>もはや何事にも挑戦することなく
>社会的責任も果たさず、気の向くまま、というところですか?

見た目は至る前と変わらず普通に生活してるように
見えると思います。

至る前、社会人としてするべきことをきちんとしていましたし
至った後も変わっていないように見えると思います。

でも至ってからは大変快適に
いろんなことをこなしています。

でもこなしていると言っても何もしていないのですが。

どんなときも何もしていないけど
できてしまうんです。
だから仕事も休日も区別がありません。

てきぱきとこなせてしまいます。

動くのに意志が必要なく
動作そのものになっている、という感じです。

624ラピ。:2014/07/03(木) 21:20:37 ID:D0un4Zxw0
「アートマン常住とブラフマン常住」
「ヴァーサナー」

私にとっては聞きなれない言葉たちです。

でもそんな言葉知らなくても大丈夫です。

私がそうであったように。

625TK:2014/07/03(木) 21:38:10 ID:viOdl9Vc0
我々がもし精神(内面)世界を説くとしたらそれは釈迦の言う通りの激流、
すなわち「地獄」のことです。

巷の酔っ払いの良い気分のスピ系だかなんだか酔っ払いだか知りませんが、あれ、
狂ってます。

あれはまったくの非なる別物です、
その前の現実生活を生きるプロセスの実践をインチキして吹っ飛ばしたので激流(地獄の環境)が起きないで、
結果酔っぱらって一生を死ぬまであの頭のボケたままで行くのです。

あのようなゾンビの群れは私には用はありません。

あの者たちは気持ちが悪い、しかし哀れなものだ。

626ラピ。:2014/07/03(木) 21:46:30 ID:D0un4Zxw0
>>619 あやふやさん

選ぶ基準は「自分の善なる価値観」です。

あやふやさんの善なる基準で
あやふやさんの人生を生きていけばいいと思います。

自分の納得する生き方をしていけばいいと思います。

>私の場合は、選んでいる基準は自分でわかりませんが、
>惹かれる人の言葉を鵜呑みにすることで、
>自分よりずっと優れた人と
>接することができていると感じていることはあります。

なるほどです。

あやふやさんにとって、自分より優れていると思っている人と接することが
納得する生き方でしょうか?

>友人などはすべてにおいて自分より優れています。

そしてそのことからあやふやさんがどのように生きていきたいか?
ですね。

627ラピ。:2014/07/03(木) 21:57:17 ID:D0un4Zxw0
>>618 TK師

かつての私のような方がいたので
どうにかして力になりたい、
と思いましたが無理だったようです。

至れば答えそのものになるので
何の言葉も必要なく わかります。

ただ、それには至るしかありませんが、、、、。


>途上でまごついている人たちを見て、話をしても、
>分かってもらえないと言うのも、ラピ。さんの時もそうでしたがなんとも言いようがありませんね。

かつてはいろいろありがとうございました。

今はそのときのTK師の気持ちがよくわかりますね。

628TK:2014/07/03(木) 22:41:18 ID:viOdl9Vc0
>>627

>かつての私のような方がいたので
>どうにかして力になりたい、
>と思いましたが無理だったようです。

やがてこの時を思い出す時が来ると思います。

なぜなら、あの者は我々「常住」の境地には至っていないのでやがて苦悩が来ますから。

世の中は良くできているのです。

楽な時には人は考えないものですから。

ここは酔っ払いにとっては凄く居心地の悪いサイトだと思います。

誰でもチャンスがものにできるわけではありません。

629ローマ法王:2014/07/04(金) 05:39:16 ID:2pCNhLnw0
>我々がもし精神(内面)世界を説くとしたらそれは釈迦の言う通りの激流、
すなわち「地獄」のことです。

これを説いていただけますか?

630TK:2014/07/04(金) 07:08:03 ID:viOdl9Vc0
>>629
>これを説いていただけますか?

お断りします。

無暗に公開出来るものではありません。

我々がその段階に至ったと認めた者にしか、不可能なものです。

ラピ。さんには、4カ月かけた後にようやく明らかにしました。

631TK:2014/07/04(金) 07:24:28 ID:viOdl9Vc0
>>629

死ぬまで酔っ払いで居たいなら、自らの誤認による覚者はその辺に沢山いましたから
そちらで精神世界ができますのでここはお門違いです。

632ラピ。:2014/07/04(金) 07:29:50 ID:MIe9HzXo0
みなさん、おはようございます。

>>628 TK師

>なぜなら、あの者は我々「常住」の境地には至っていないのでやがて苦悩が来ますから。

そうですね。
こちらにないものがまだありますからね。

ただし「人とはそんなものだ」で終わらせるかもしれませんね。
そうではないんですけどね、、、。

お金をとっているのはもちろんですが、とってない場合でも
偽の教えを説くことは、どうなんだろう。

弟子もいるならなおさらのこと。

偽の教えを伝授していってどうするんでしょうか?

一人で妄想するのは自由ですが
堂々と偽の教えを説いてばらまくのは
どうなんでしょうかね。

633ローマ法王:2014/07/04(金) 10:11:04 ID:2pCNhLnw0
ここは破壊の特色が良かったのですがね
現実生きろを説くのは世にわんさかありますからね

634TK:2014/07/04(金) 17:54:14 ID:HTUw7hxc0
>>633
>現実生きろを説くのは世にわんさかありますからね

そうですか、私はあまり目にしません。

私とあなたの見方は当然ですが違います。

例えば今を生きるとか、あれは、我々とは違いますから、
我々が酔っ払いと言う人たちの部類です。

この点についてならば我々は結果に捉われて生きる、という生き方を話ししています。

私には、酔っ払いとニセ物、万歳みたいな世の中に見えています。

あなたにとって微々たる似たようなものにしか見えないものでも、
我々にとっては大違いです。

しかし、死ぬまで酔っぱらって生きて、
そのまま一生を終えるのはその人の勝手ですから止めません。

635TK:2014/07/04(金) 19:46:25 ID:HTUw7hxc0
>>632

彼は惜しいね。

彼は一時的な心解脱を果たしたが慧解脱(常住)は果たしていない。

仏教で阿羅漢の境地とは慧解脱で達成できる境地だ。

慧解脱とは束の間の心解脱のその束の間よりは境地的には下だが、
「我」の無い状態の常住の達成と言う点で、
束の間の心解脱では阿羅漢とは認められないが、慧解脱で阿羅漢の境地とされる。

正確ではないが次のサイトにも説明されている。

http://kawahata-m.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-abf4.html

だから、さらに精進あるのみと言っているのだ。

私はこの者のような段階では甘んじなかった。

この者一度至ったからと言って、もう一度即座に至れますかと問えば、
必ずノウと言う状況だ。

死んで肉体を離れてから後悔をするのだぞ。

今の状態で、得た境地へは再び辿りつくことは不可能だからだ。

束の間得た境地は肉体という道具を利用できるうちに、
より確実なものにしていかなければならない。

しかし、今のその者には、その先への手段は手詰まりだろう。

私に出会った時のラピ。さんのようなものだ。

普通で激流は起こせない、ラピ。さんは普通では無い私の眼を利用して激流を起こした。

この者、慧解脱にも達していないでここでこのお喋り、師にもなったと言う、
これらの行為を止めなければ釈迦が阿羅漢とした境地の慧解脱(常住)へは死んでも
辿りつけないし自ら束の間得た心解脱の境地にも当然に辿りつけることは無い。

この者のような経験をした者として、
束の間経験をさらに確実なものにすべく先に進まなければだめだと忠告しておく。

636TK:2014/07/04(金) 20:43:05 ID:HTUw7hxc0
さすが上座仏教のサイト、
一時的な達成の典型的なこの者の陥っている悪しき状態について語っている。

http://www.j-theravada.net/howa/howa208.html

637TK:2014/07/04(金) 21:03:02 ID:HTUw7hxc0
次の例は7度目の心解脱でその瞬間を捉えて、喉を切り涅槃入りしたと言う話だ。

1度至ったくらいで退転して甘んじている者が全くの及ばない駄目な者であることが分かる内容だ。

http://s.webry.info/sp/76263383.at.webry.info/201205/article_3.html

638釈 無限:2014/07/04(金) 22:04:45 ID:TGZTIih60
魂修行で、難しいのは強い嫉妬の克服解決法であると思います。

軽い嫉妬から重い嫉妬がありますが、軽い嫉妬くらいだったら、砂に
書くような執着をしますが、重く強い嫉妬は岩に刻むような執着である
と思います。

問題なのは、タチが悪く、堕天使まで魂を退化させる重く強い嫉妬であ
ります。

重く強い嫉妬は妬みに走り、自己の理想像を破壊します。

なぜなら、嫉妬している相手は、成り代わりたいと思うほど、自分の理想
像を持っているからです。

嫉妬社会は、嫉妬する国民の集合体であるわけですから、強い嫉妬解決
法が待たれるわけです。

重く強い嫉妬の人達の奪う愛の立場から、どのように与える愛の立場に
切り替えて、重く強い嫉妬の奪う心を持つ人達の正しい方向性へと変え
て真の幸福とするかであります。

重く強い嫉妬の奪う心を持つ人達が、嫉妬する人を暴力で叩き潰したと
ころで、解決が付く問題ではなく、奪う愛の嫉妬の根元は何ら変わって
いないのです。

仏法真理の教えでは、奪い取りたい心の嫉妬は、心の三毒の「貪」のむさぼり
の貪欲に該当すると思います。

貪欲の解決方法は、少欲知足であります。

あと、与える愛に先立つ智慧の明かりを含め、としての感謝と祝福の心が
起きてくるかというと、難しい課題の一つであろうと思います。

嫉妬する相手を自己の理想像と肯定し、目標の一人として肯定するところ
から始まると思います。

ただ、万人を納得させる強い嫉妬の解決方法はないものかなと思う次第
であります。

忌憚のない感想なり、解決法のアイデアがありましたらお教えいただけれ
ば幸いです。

639釈 無限:2014/07/04(金) 22:09:21 ID:TGZTIih60
>>638 訂正します。 失礼しました。


 × 嫉妬する人を暴力で叩き潰したところで

 ○ 嫉妬される側の人を暴力で叩き潰したところで

640TK:2014/07/04(金) 22:30:45 ID:HTUw7hxc0
そのような事をいつまでやっても、死んでも成就は得られません。

それは根本から非なる別物で違うからです。

嫉妬に対する対策は、
努力して嫉妬しなくていいような実力をつける事以外にありませんね。

それを精神世界にかこつけてごまかそうとする、
そのようなインチキをやるために精神世界が利用された事から成果の得られない酔っ払い世界が出現しました。

根本には精神世界で体よく正当化した、現実からの逃避が絡んでいるのです。

641TK:2014/07/05(土) 08:04:55 ID:HTUw7hxc0
さて、ラピ。さんにここはまかせて、私は暫くここから離れる事とす。

誰の手助けにもなれた気はしない。

私のレベルの者にこの距離で接触できることは、一生の内で再びない事だろう。

643ラピ。:2014/07/05(土) 09:21:06 ID:FgOow/X60
みなさん、おはよございます!

TK師、いろいろありがとうございます。
いつでも書き込み、お待ちしております。

私はどんなときも精一杯がんばりました。

そしてある時点で「もう十分やった」と満足しておりました。

でも「もう十分やった」、のその先にまだ道はありました。
まだ、中途半端だった。

中途半端なりに幸せではありました。

でもある時気づきました。
まだ幸せを意図する自分がいると。

まだ幸せそのものではないと。

意図している幸せ。
意図することを忘れたらどうなるのだろう??

意図しなければ幸せではない?

私はそれは嫌だ、
意図せず幸せなのがいい、
幸せそのものがいいと思い
また一からやり直しました。

もし、TK師に出会わなければ
そのことに気づけず、永遠に中途半端なままだったでしょう。

至ることができて私はそれそのものになりました、
認識することなく、意図することなく。

何もしていないけど幸せなんだ。
幸せと表現できるものを超えた幸せです。

そし何もしていないけどできるんだ。

不思議でしょう?
常識超えていますから。(笑)

ほんとうに、ほんとうによかった。

ありがとうございました。

644ローマ法王:2014/07/05(土) 11:02:39 ID:QGrEJWmw0
>誰の手助けにもなれた気はしない。

私も暫く去ります
たまにはロムるかもしれません

最後の詰めをします
ありがとうございました

さようなら

645:2014/07/05(土) 15:28:40 ID:2OB2rbPY0
tkさん、お疲れ様です。
tkさんには、酔っ払い打破のために、もっと鉄槌を振り下ろしていただきたい。
ネット環境では、アラハンのオーラを伝えにくいと思いますが
しかし、わかる人にはわかると思います。
去って行った人も、tkさんにはかなわないと思って去って行ったと思います。

646:2014/07/05(土) 15:37:12 ID:2OB2rbPY0
ラピさん。
わたしは、人目が気になります。
身構えずには、人前でいられません。
独りでいるときは、わりと安定しています。
いったい、どうしたらいいのでしょうか?

647釈 無限:2014/07/05(土) 23:42:51 ID:TGZTIih60
                
              「白紙の心について」

心の向上の障りとして、考えられることは、仏法真理を学ぶまえに、白紙の心になっていない
ことであろうと思いますす。

心を白紙にすることは、時間のかかることであり、非常に難しいことであります。

慣性の法則があるから、すぐには止まれないので、すぐには心を白紙にすること
は、時間のかかることなので焦りは禁物であります。

心の傾向性の考え方の癖やこの世の常識にとらわれた価値感に基づく
自己保存欲や自分に都合の良い価値感があって、人生を長くこの世の
常識に縛られている人ほど、難易度が高くなるのかも知れません。

心の垢が障りとなるので、時間をかけて、白紙の心を公案のように考え
てみるのも心の向上の修行になると思います。

自らの心の白紙がどのくらい白いかを気づくところから始まると思います。

白紙の心のさまざまな段階を知る必要があるのかも知れません。

648あやふや:2014/07/06(日) 00:51:21 ID:ZDoFNhv60
ここを読んでいて感じたのは
私が精神世界とか宗教とか
なんの制限もなく求めていることを
ハッキリさせろということ

大雑把に自分の求めている事を
宗教とかの中に見つけ
簡単な形でおままごとの様に
その中で求めてる事を得た気分になったが
しばらくして制限を感じて離れた
心に染み込んだ制限は十分機能しているようだが
ようやく気づいて違う動きを始めようとしている
そんな感じです

649ラピ。:2014/07/06(日) 09:13:11 ID:iSSBmTJU0
みなさま、おはよございます!!!

>>646 某さん

>わたしは、人目が気になります。
>身構えずには、人前でいられません。
>独りでいるときは、わりと安定しています。
>いったい、どうしたらいいのでしょうか?

人目が気になることは悪いことではないと思います。

某さんの周りの人に対しての「自分はこうあるべきだ」はありますか?
あるとしたら、それはどんなことですか?

もし、それが自分にとって
理想の自分であるなら、
それを実践し続けていっていいと思います。

もし、某さんの「こうあるべきだ」が
よく考えた結果、
自分の理想の意図と関係なしに設定されているなら
(今までの習慣とか、周りの人からの影響とか)
自分の理想に沿った「こうあるべきだ」に変更して
進んでいったら、と思います。

ちなみにかつての私の「こうあるべきだ」は
「周りの人に対して何でも喜んで対応すること」でした。

>身構えずには、人前でいられません。

人前で「どうにかしようとしている」ということです。

それが自分の善なる理想の方向であるかどうか。

いかがでしょうか。

それを生かして
自分の善なる実践としていけばいいと思います。

650ラピ。:2014/07/06(日) 09:31:11 ID:iSSBmTJU0
>>647 釈 無限さん

白紙の心すらも超えなければなりません。

そのためには白紙の心について考えるより、
外に向かって実践し続けることです。

精一杯がんばっていれば
いつのまにか空っぽになっている時があるもんです。

人として生まれてきた、ということは
最大のチャンスを得ている、ということです、それだけで。

人として人の社会で精一杯がんばっていれば
気づいたら空っぽなときも経験しているでしょう。

空っぽにしようとしてもできません。

気づいたら空っぽだった、というのがいい方向性です。

651ラピ。:2014/07/06(日) 09:44:14 ID:iSSBmTJU0
>>648  あやふやさん

あやふやさんの人生を後悔ないよう
あやふやさんらしく生きてくださいね。

私も自分の生き方についてじっくり考えたときがありました。
そして納得した答えを得たら
それを私の生きる指針として守りました。

そしてそれをやり遂げました!

余談ですが私がその指針を誠実に守って生きている間
実は恩恵を受けているところがありました。

精一杯やっていたので
そんなこと当時は気づいていませんでしたが
あとで振り返ると、いろんな恩恵を受けておりました。

不思議です。

ただし、これは恩恵を求めたから得たのではありません。
自分の善なる生き方を精一杯したことに対する
単なるおまけです。

でもすばらしいおまけでした。

あやふやさん、応援しています!

652TK:2014/07/06(日) 09:53:42 ID:ZfEAhMdk0
暫くこの掲示板は休止になるらしいから、
最後に典型的な酔っ払いに話しだけしておく。

世に沢山いるから、代表して聞いてくれ。

>>647
>自らの心の白紙がどのくらい白いかを気づくところから始まると思います。

慢に犯されながら、私は慢と言う名前の者だが、心の白紙とは何たらかんたら、
残念ながらお前さんみたいな酔っ払いは死ぬまで永遠にその世界だ。

これを私は世にうごめく酔っ払いと呼んでいる。

大酒飲んで千鳥足になりながら、酔いを醒ます事は必要であるとかなんだとか、
バカ丸出しだ。

滑稽な事にお前さんにはその慢すら見抜けていないし、
見抜けていないので当然に取り除く事も出来はしない。

しかし、我々の目の前ではお前さんなど丸裸だ、上から見ても下から見ても酔っ払いだ。

釈迦の実践とは激流、お前さんののは釈迦の面汚しだ激流など起きるはずの無い緩流、
いや酔っ払い流だ。

慢とはエゴから切っても切れない付属品のようにセットになっているものだが、
お前さんには見抜けるはずが無い、
まず切り落とすのではなく慢を正しく使って世の中を生きろ、
慢を正しく使えば人間としての幸せを掴むことが出来る。

お前さんが今やろうとしている方向性は、
幸せとはまるで正反対の酔っ払い釈迦の名前だけ口にする面汚しと言うやつだ。

慢を正しい方向に強めることで幸せを掴むことが出来る、しかし、
それで思いっきり幸せを満喫している者の中に煮詰まりと言う現象が来る者がいる、
その時にその正しい方向性で強められた慢は行き場を無くし、苦悩を発生させる。

この時に苦悩と言う形で初めてお前さんは慢を客体化してご対面できるんだ。

死ぬまで今のような酔っ払いを続けても、元々がお前さんののは非なる別物、
仏教と言う名前だけ振り回す釈迦の名前の面汚しと言う類のものだから、
いつまでたっても「緩流」という酒を飲みながら一生をそれで終え無駄に人生を費やすアホの部類だ。

私やラピ。さんは阿羅漢の課題である五上分結の中の慢に対処した激流と呼べる実践の当然だが成就者だ。

我々は唯作心により「行為」そのものを超えているから、あらゆる行為から発生される善悪カルマの作用を既に脱している。

この段階で、それまで実践課題だった禁じ手として居た行為は全てチャラになっことにより「自由」に振る舞っている。

ただし、それをやるにはそれに至るまでのしっかりしたプロセスを踏んでいる。

おままごとで、無駄に人生潰す以外の結果は得られらないのだから、
気分だけ精神世界に酔いしれる気持ち悪い人間を演じる事をまず止める事から始めなければならない。

それでは、酔っ払い諸君に幸運あれ。

653ラピ。:2014/07/06(日) 10:46:06 ID:iSSBmTJU0
みなさま、私もしばらく掲示板から離れます。

インターネット上での活動は
いろんな方との対話ができてとてもよかったです。

対話してくださった方々。
ありがとうございました。

今回のここでのある方との対話でいろいろ感じました。

それで本人がそれでいいといってるのだから
それでいいのではないか、ということです。

そういう方の何かのお役に立てればと思っていましたが
ま、それも必要なかったということです。
要らぬお世話でしたね。

しかし、かつての私もそうであった。
かつての私は聞く耳がなかった。
幻想を真実だと思っていた。

TK師のビンタで目が醒めたのだ。

TK師にはほんとうに感謝してもしきれません。


精神世界なんて見向きもせず
しっかりと「自分の人生」を生きている方々。

なんて美しいことだろう。

これからもすばらしい人生をお歩みください。
応援しています。

もし、今悩んでいるとしても
その悩みをどうにかして解決しようと考えて
それを実際に行動に移しがんばることは
大変清い行動であると思います。

すぐに結果は得られないかもしれませんが
がんばればがんばっただけ必ず得ることができます。
充実した人生でありますように。

私はかつて、日常生活を修行としておりました。


もし、私の言葉が必要な方がいらっしゃったら
またいつか対話ができるかもしれません。

私は私の言葉が必要な方にお伝えしよう。
聞く耳ある方にお伝えしよう。


皆様、ありがとうございました。

654riri:2014/07/06(日) 11:37:23 ID:33MxHT3s0
TKさん、ラピさん、よろしければ、最後に質問させてください。

私は、現実世界でのこの人生を最高に全うしたいと思っている人間です。
私自身はもう十分に物心ともに幸福な人生を過ごせていると感じていますが、
今描いている理想は、自分の周りの少しでも多くの人たちにも物心ともに
幸福な人生を歩めるよう導いていき、その人たちとともに、より大きな理想を
実現していくことです。

そのための基本として
・自分の人生は100%自分自身で責任を持つ
 自分に起こること、置かれている状況は全て100%自分に起因している
・何があろうと、何が起ころうと、意地でも常に前向きな意識を保ち、
 自分の理想に向けて今与えられている課題や直面している壁や目標を
 クリアしながら自信(自分を信じる力)を強めていくことが大切
この2つの考え方が根本にないと本当に幸せな人生を掴むことはできないと思い、
それを伝えようとしているのですが、自分に自信のないように見える人たちには、
なかなか伝わらない、全く伝わっていないのでは?と日々感じています。

自分に自信がないように見える人たちにこそ伝えていきたいことなのですが、
人によっては逆効果だったのか遠ざかっていると感じることもあり、他人の心持ちを
変えていくことの難しさを改めて感じています。

この今描いている理想は絶対に諦めないと覚悟を決めてはいるのですが、
もしかしたらこの私の今の方向性が誤っている可能性もゼロではないと思ってしまい、
書き込ませていただきました。私の向かっている方向は何か誤っているのでしょうか?
それとも、この方向を信じて、それこそ何があっても決して諦めず、挫けず突き進んで
いけばよいのでしょうか?

655TK:2014/07/06(日) 11:42:24 ID:nNsOvP7c0
ついでに、最後ですから次の質問にも答えておきましょう。

>>646
>わたしは、人目が気になります。
>身構えずには、人前でいられません。
>独りでいるときは、わりと安定しています。
>いったい、どうしたらいいのでしょうか?

何も特殊な事ではありません。

例えば野球の下手な人は野球の練習をすればうまくなれるし、
サッカーの下手な人はサッカーの練習をすればうまくなれるしそれだけです。

それと同じに人前に出る場シチュエーションを増やして、
その場で訓練するしかありません。

私などは幼いころに、とある出来事から対人恐怖症になりましたが、
親がとにかく人の居る所人の居る所と連れ回したおかげで今があります。

まず、何でもそうですが、最初は誰でもど素人です。

>身構えずには、人前でいられません。

テニスでも野球でも一番最初は誰でも身構えるでしょうし、同じ事です。

ただ苦手だで逃げていたら、その人はいつまでたっても下手なままです。

とかく何でも精神世界に解決を求めるものと思うのは大間違いです。

人を意識しても、しっかりとうまくやれる人はいる。

用は場数を踏むごとに、その場に慣れそのような場が怖くなくなり、
人前が得意になります。

後はその苦手をクリアーするためにどんな方法があるか真剣に自分自身で考えてみるという事です。

気持ちで逃げていてそれをクリアーするべく行動にも移さなかったら、
当然ですがその人は苦手なものは苦手なままです。

人前で話する機会の多そうな人でも講話集みたいな本を読んでたりしてるのを目にした事がありますし、
さらにうまくなるためにはそれぞれに応じて、皆さん色々と工夫して考えているのですよ。

少なくとも精神世界にはさまざまなものの答えはありませんから、
そこで述べられているものは全て真逆のベクトルですから、
そこを自分自身で封鎖してしまえば現実が見えてきて、
私がここで述べたことのように最もあたり前とされる常識的な内容しか残りません。

>>645
>去って行った人も、tkさんにはかなわないと思って去って行ったと思います。

特に去らせるために話したわけではありませんが、
我々至った者なら、「そうですか」、この一瞬で内容を真逆に切り替える事は自由自在ですが、
エゴに憑りつかれている人ですから、
今までの方向が曲げられると次の方向性が簡単には出てこないわけです。

最初の一時的な心解脱はその人にとって衝撃的事実ですが、しかし、そこに捉われたら先はありません。

http://cyberbaba.blog57.fc2.com/blog-entry-61.html

ちなみに、ラピ。さんはここで言う、観の実践のみで成就した乾観行者ですが、
私は心解脱の経験者ですからこの者の話す内容はよく分かります。

経験してない者よりは経験している者は当然先を歩く人かもしれないし、
それを超える者の存在が目の前に現れなければそれで終わりです。

今のその者の手詰まりに、私は力になれませんでしたが、
あなたはまだまだ釈迦が言う阿羅漢の境地では無いよと教えることが出来たので、
それだけでもこの掲示板は良かったのではないかと思います。

656:2014/07/06(日) 15:51:48 ID:2OB2rbPY0
TKさん、ラピ。さん。
質問に丁寧に答えていただき、ありがとうございました。
勇気をいただきました。

657fig:2014/07/06(日) 16:12:12 ID:Jh9Os8ow0
TK師とラピ。師。

はじめまして。

このスレッドには書き込むべきことではないですが、お許しください。

私はこれまでに何かに努力をしていると心の中に、「慢」と「嫉妬」が勝手に湧きあがり、悩んできていました。
それと、生きていることは、「外部からのある刺激には喜びを感じ、別の刺激には怒りを感じたりを繰り返してる」、とか、
「心の中に湧きあがる感情にたんに突き動かされている」、と感じていて、「これでいいのか?」、と思っていました。

2か月ほど前にこの掲示板を発見し、拝読させていただきました。
その結果、「善の方向を目指し、慢を正しい方向に強める」、という方針を得ることができました。

私は悟りなどほど遠く、まずは結果主義で生きなければいけない人間で、この掲示板に書き込めるような内容が無く、
この掲示板に書き込むことにためらいを感じていました。

この掲示板がしばらく休止になるようですから、お礼を述べさせてください。
私は、この掲示板からたくさんのことを学ぶことができました。
そして、TK師とラピ。師。の言葉を必要としている者です。

ありがとうございました。

658TK:2014/07/06(日) 18:49:08 ID:JUhxtOtA0
本当に、まったく。

>>654
>もしかしたらこの私の今の方向性が誤っている可能性もゼロではないと思ってしまい、
>書き込ませていただきました。私の向かっている方向は何か誤っているのでしょうか?

あなた相当の気色悪い酔っ払いですね。

あなたは今までに現実から逃避して精神世界を相当の間やってきた人なのだと思いますが、
酔っ払いは酔っ払いの好きそうな精神世界言葉を選んでは酔いしれているのです。

> 自分に起こること、置かれている状況は全て100%自分に起因している

これスピ系の酔っ払いが好んで振り回す、
「全てを受け入れて」とかと言うあの気色悪い内容の別表現です。

あなたもそうですが、このような事を言っておきながら、次のような事を言いますかね。

スピ系と言うのは、平然とした顔してこういうバカな行為をする人ばかりでした。

>この2つの考え方が根本にないと本当に幸せな人生を掴むことはできないと思い、
>それを伝えようとしているのですが、自分に自信のないように見える人たちには、
>なかなか伝わらない、全く伝わっていないのでは?と日々感じています。
>
>自分に自信がないように見える人たちにこそ伝えていきたいことなのですが、
>人によっては逆効果だったのか遠ざかっていると感じることもあり、他人の心持ちを
>変えていくことの難しさを改めて感じています。


あなたたちをかまっているのは本当に嫌ですよ。

ここであなたは、他者は心持ちを変える事が必要な、
他者は現在うまくない状況にあると、このような捉え方をしているわけです。


ごちゃまぜで、自分に起こる事が100%自分に起因しているのなら、
他者は100%絶対的に正しいとする別表現ですから、変わるのは自分だけ、
自分が変わればすべてが変わる、このように繋がらなければならないのに、
あなたも他の精神世界病者も、平然とごちゃ混ぜにしてそれで酔っ払って
周囲の人にその酒の臭気をまき散らしているのです。

理想に生きるという事は、周囲が、あるいは周囲の者たちがあなたの理想通りでは無い、
周囲の者に原因がある、
だからあなた自身の良いとする理想の実現で周囲のそれを解決していくのだと言う生き方になる訳です。

スピ。系汚染と言うのは本当に嫌です。

理想と言う言葉と、全ての状況は100%自分に起因しているという相容れない段階の違う真逆なごちゃ混ぜな内容を、
違和感なく振り回す、狂気の世界ですよ。

本来周囲の原因や不快が自分の行為を突き動かす事の原動力にならなければならない所を、
自分に原因がある、
このように自分の中に起きた心の動きに規制をかけるような内容をぶつける事によって行動にその分規制がかかり、
そのごちゃ混ぜによる中途半端さが酔っ払いと言う醜態を生み出すことになるのです。

659TK:2014/07/06(日) 19:10:46 ID:JUhxtOtA0
>>657
>私はこれまでに何かに努力をしていると心の中に、「慢」と「嫉妬」が勝手に湧きあがり、悩んできていました。
>それと、生きていることは、「外部からのある刺激には喜びを感じ、別の刺激には怒りを感じたりを繰り返してる」、とか、
>「心の中に湧きあがる感情にたんに突き動かされている」、と感じていて、「これでいいのか?」、と思っていました。

内面は全く気にしなくて良いです。

正しい行為だけに気をかけて下さい。

嫉妬や慢は、正しい行為を起こすための重要な原動力ですから、
これを否定しては最初の行為を主体とした実践は成り立ちません。

酔っ払いになる人と言うのは、自分のエゴに都合がよさそうな適当な所のみ組み合わせて、
本質とは全く別なものにしては、それを肴に死ぬまで酔っぱらっているのです。

最初の実践が全てと言っても良い、
ここをきっちりやって人間としての幸せをきっちりと手に入れて、
ようやくその先へ進む人は進むのです。

ここを軽んじて無いがしろにしたら、その人には酔っ払いの一生が待っています。


参考
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12104/1373075256/298

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12104/1373075256/299

660fig:2014/07/06(日) 20:50:47 ID:BgIfmvbw0
TK師。

お答えいただき、ありがとうございます。

嫉妬や慢の処理方法が分からず悩んでいました。
「嫉妬」については「理想の自分より劣っているではないか」、「慢」については「理想に近づき、よくやっているではないか」、
という理想実現のための原動力にします。
今は、内面のことは気にせず、最初の実践に取り組みます。人間としての幸せを手に入れます。

「酔っ払い」についてのご注意、ありがとうございます。
「嫉妬はいけない」、「自慢はいけない」、みたいに教えられてきたために、混乱していました。

<298>と<299>のお教え、ありがとうございます。「物質」対「物質」の世界で努力します。

この掲示板には、人間を超えるための教えや、実際に人間を卒業された方のお話があり、とても勉強になりました。
しかし、私自身は第一次実践に取り組むべき人間であり、レベルの違いをひしひしと感じています。

方向性を与えていただき、ありがとうございました。

661riri:2014/07/06(日) 21:32:34 ID:33MxHT3s0
TKさん

>理想に生きるという事は、周囲が、あるいは周囲の者たちがあなたの理想通りでは無い、
>周囲の者に原因がある、
>だからあなた自身の良いとする理想の実現で周囲のそれを解決していくのだと言う生き方になる訳です。

>本来周囲の原因や不快が自分の行為を突き動かす事の原動力にならなければならない所を、
>自分に原因がある、
>このように自分の中に起きた心の動きに規制をかけるような内容をぶつける事によって行動にその分規制がかかり、
>そのごちゃ混ぜによる中途半端さが酔っ払いと言う醜態を生み出すことになるのです。

グサッと来ましたが、ご指摘された通りです。私自身が他責の気色悪い中途半端な酔っ払い状態になっていたことに
気付かせていただきました。最後に、ご回答いただき、本当にありがとうございました。

662ラピ。:2014/07/07(月) 07:09:31 ID:ytV3.uF.0
おはようございます。

お知らせです。
7月8日22:00で書き込みができなくなります。

どうぞ、よろしくお願いします。

663無記名:2014/07/07(月) 08:36:29 ID:nIm/XTjc0
おはよう
悟りは愛ですね?

664TK:2014/07/07(月) 19:20:03 ID:KtDyMBiU0
まとめとして、気付いた事ですが、とにかく、酔っ払いが多いです。

至れた者と酔っ払いとどこが違ったのか、
まず至れた者は当然取り入れた方法が正しかったと言う点、
酔っ払いになった者は取り入れた方法が間違っていたと言う点。

釈迦は此の岸から彼岸に渡るための川はあえて激流であると表現していますが、
緩流で渡れたらそれこそ誰もが願った天才的な良い方法という事になりますね。

かなりお笑いですが、
釈迦以上の救世主みたいな人が世の中に出現してそんな素晴らしい方法を見つけて、
それがスピ系だとでも言いたいのでしょうか、
あの緩流と言う名の酒を頭から浴びて酔いしれているスピ系と言う人たちを見ていると、
ついつい、そのように言いたくなります。

「全てを受け入れて」これ激流の地獄の中の実践法なのですよ。

「ポジティブシンキング」、これも激流の地獄の中の実践法なのですよ、
本物と偽物と両方を経験をしたラピさんならよく分かる所ですが、
スピ系の実践法は非なる別物です。

仏教の経典にこう書いてあってああ書いてあってべらべらしゃべりまくる人多いですが、
これも激流の実践法なのですが、なぜかみんなインチキでこれを緩流でやっているのです。

裁いてはなりませんと口で言いながら平然と裁きまくっている人とか、
スピ系でこの手の酔っ払いも当たり前ですから。

酔っ払いの本人には自覚がありません。

つまりまともにやっているつもりなのです。

なぜこのようになるのか、
それは本当のターゲットがあの者たちには見えていないからなのですね。

これはやはり第一の実践をまともにやってから、
それが煮詰まった状況で初めて今まで見えなかったものが苦悩と言う形で凝縮されてその者の前に現れるので、
ようやくその者にも実践可能となるのです。

この第一のステップを、でたらめにインチキして吹っ飛ばすのがスピ系です。

賢者だか酔っ払いの親玉だか分からないような人たちがウヨウヨいます。

なぜか、話している内容だけはどうも本物の我々の言う激流段階のそれらしいのですが、
あの者たちのは緩流です。

根本からやっている事が違っています。

ラピ。さんがポジティブシンキングやってたと言うのですが、
私にしてみたらそれが、へ、それ全く違っていますがの世界でした。

激流の実践法とは、寸分の狂いも無く実践する所で成果の上がるものですが、
これを一歩間違っていい加減にやると効果が無いばかりでは無く、
害の作用のある毒物のような特性があります。

だから死ぬまで酔っ払いになるような人が多数出現したのです。

至れてもいない人が、もっともらしくインチキを語ったり、
ここにもいましたが自らの誤認によるエセ覚者も多い、
至れてはじめて語れる内容ですから、
誤認の者の内容では酔っ払いを産みだすだけでその者の話も人々を惑わすだけの害にこそなれ世の益には全くなりません。

僅か寸分の違いだけでも用法を間違えたら、毒になる代物なのです。

その者はまず自らが人に話すよりも前に、本物の至った者になることが先決です。

釈迦の時代でも、
結集は阿羅漢の中のさらに特性の優れた選ばれた者だけがそれに当たったようでしたが、
このような事は誰でも良いと言うわけにはいきません。

この辺りは、現代であっても教職は教職の免許がいるしそれと同じ事です。

歩む人たちは、
このような現状が充分にあるという事を踏まえながら先に進まなければなりません。


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