[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
悟りに至った方たちとの対話
583
:
ラピ。
:2014/07/01(火) 17:44:19 ID:TYoEs5Ls0
>>577
>私という人物を千里眼するのは構いませんけど「賢者と思っているのだろうが」
>はTKさんの「思い込み」で「妄想」で「想像」に過ぎません。
根拠があります。
Yさんの書いていること、Hさんの書いていることと変わらないんです。
仲間かと思いましたよ。
お二人、同じようなことを言っているんですよ。
私たちからしたら、同じ次元です。
ちなみに私も第2の実践で闇を経験したあと、
もう一度「人」を味わってみたいと思い、
ぼろぼろになりながら帰ってきました。
この時のことを
一度死んで同じ記憶を持ったまま生まれた、
と確か表現したことがあります。
そして新しく生まれてスピ系の実践を始めました。
(第3の実践と呼んでいます)
私は小さいころから実践ばかりだったから
最後、人間としての幸せを味わいたいと思いました。
(それが最後だと、決めていました)
スピ系は私にとってある意味
「無理やり願望を持つ実践」でした。
愛とかお金とか名声とか、
そういう願望をもってそれを叶えよう!とかやっていますよね。
願望を持たなければ叶わない、とか。
私は元々はそんなに願望なかったけど
「そういうことがきっと普通の人としての幸せなんだな」
って無理やり願望をもってやってました。
でもこの頃が一番、私は人間らしかったかも。(笑)
そしてそれでもう十分、幸せだと思っていました。
人間万歳!
ところがTK師と出会い、一喝されました。
私はその時そのままで進まない、という選択もあったかもしれません。
でも、でも、私の知らないTK師の境地があるのなら
そこに行ってみたい、と思いました。
そしてTK師とのやり取りの中で激流が起こり
その時思い出しました。
この激流の状況は第2の実践の時と同じ状況だと。
そこで原点に戻り、第2の実践を行いました。
(厳密には同じではありませんが その時の経験をいかしました)
第2の時はほんと、死にもの狂いでしたが
第4は第2の実践の経験のおかげであっという間でした。
ただし、第4の実践も「死ぬまでやめない」との強い決心でした。
実践をしてもどこにも私が至れる保証はなかった。
たまたま運が良かっただけかもしれません。
そして無事、卒業できました。
>「もう一度生まれよう」とも「この境地を認識しよう」とも「思う余地」が境地において無かった
>にも関わらず、私は「再び戻った(幻想の分離が起きた)」んです。
その再び戻ったことをTK師から
「退転した」とずっと言われていました。
Yさん、この話をどう取ろうと自由ですが
まだ先はある、ということです。
私は今その境地にくつろいでおります。
あきらめないでよかったです。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板