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悟りに至った方たちとの対話
592
:
Y
:2014/07/02(水) 00:03:08 ID:kBC6GKGU0
>>591
ラピ。さん
>私の答えは「悟ったものも、悟ってないものもいない」ですよ。
>そう書き込んだと思いますが。
>「いる」と言えないでしょう。
>何もありませんから。
この「何もありません」というのが「無がある」という事なんです。
「いると言えないと同時に いないと言えない」のに
「無いから居ない」では「無い」なんです。
「無」がある時には「無を認識する私」と「無」という相対関係が続いているんです。
これは座禅見性の「くう」と呼ばれるモノですが、ここは「不二」ではありません。
>「不二」になにかありましたか?
>私はありましたか?
「ある」が一つだけありましたよ。
それを「私」と呼ぶためには「戻り」が必要でしたけど。
>あなたもありましたか?
「私」と呼ぼうが「あなた」と呼ぼうが同じですよ。
「ある」が一つだけですから それを名付けるのは 常に「この世」です。
>「全てが一つである」という世界があったんですか??
>なにもないはずです。
何もない を認識するなら もうひとつがあるんです。
「ふたつない」が「全てが一つである」事ですから。
「無」と「無の認識」で二つになっちゃうでしょう?
>なのに悟った人だけがいるのですか???
私が悟ったなら悟ったものしかいません。
私が悟ってないなら悟ってないものしかいません。
私が男なら 男しか居ないし、私が女なら女しかいない。
それが全てが完全に一致している「不二」の概念です。
悟ってる人と悟ってない人が居る事が 相対というこの世の当たり前です。
だから、ブッダという悟った人という大前提があって、私達は悟ってないと言うのです。
相対の無い世界がある事がわかるまでは このブッダの形にとらわれた悟りを私達は探します。
私が悟れないと思った理由は「ブッダという模範になれない事」でした。
なれる訳なかったんです。それは私の努力が足りないのではなく、
私の想像していたブッダが幻想だったからです。
不二という境地においては「ふたつない」のですから
私とブッダに違いがないという事です。
私とブッダは「違えなかった」という事です。
だから「みんな悟ってる」と私は言います。
Yと同じと言ってもわからないでしょうけど ブッダと同じ(違えない)と言えばわかりますか?
ラピ。さんの師匠はラマナの話を張ったりしますから ラマナは悟っていると認識されているのでしょう?
「不二」では、その「ラマナ」と「違えない」んです。
ラマナと違うから悟ってないのであり、ラマナと違えなければ悟ってると表現してもいいんじゃないですか?
>私は幻想を打ち砕きました。幻想なんていらない。
「私が」「幻想なんて要らない」と思って打ち砕いたんですか?
ラピ。さんは 呼吸をしなくても苦しくない?
呼吸をしないと死んじゃうのも 幻想の特徴ですから。
打ち砕いちゃって戻ってないというなら そんな事になっちゃうんだけど。
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