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悟りに至った方たちとの対話

589TK:2014/07/01(火) 22:54:58 ID:H9KwW0OM0
>>578

>もう一つだけ私が何故自分の体験を至ったとするのか?

なるほど、あなたは確かに優れた体験をしていると思いますが、
私は自らでそれも知っています。

あなたがまだ知らなくて、我々が知っているもの、
それが「常住(唯作心(kiriya¯citta))」です。

あなたは「戻った」「分かった」これだけですね。

釈迦の分類では、この「常住(唯作心)」の境地を慧解脱、
ここで初めて阿羅漢という事です。

あなたは一時的な心解脱に近いものしかしらない。

だからこそ、
そこに至っているようで酔っ払い的な中身が共存して出てくるおかしな状態です。

確かに、「分かった」、それだけでは一時的の部類なのです。

つまり「常住の境地」にいないと言う意味です。

常住の境地に至ると「分からない」が標準になります。

この「分からない」というのも我々の次元に来ないと、
一般的とされている「分からない」とは全くの違うものなので話しませんが、
屁理屈問答はしたくありませんから「常住(唯作心)」の特徴の一つです。

「常住(唯作心)」にいる者は、話をすれば分かります、しかし、
あなたはそこにいない事が我々いる者としては手に取るように明らかな事実ですが、
あなたの方からは我々は分かるはずがありません。


>どういう景色が見えようとも どうしようもなく 生きていく訳です。
>この どうしようもない世界で 自分が思考しているつもりで 自分が選択をしているつもりで 生きているのがYです。


情けないですね、「常住(唯作心)」の境地の位置づけは私の次の書き込みで若干触れていますが、
お好きなように。

ラピ。さんがあなたに向けて、口酸っぱく叫んでいますが、
もう一度、正しい師を利用しながら、
あなたは焼き直さなければそこへは至れ無いのが事実でした、残念でしたね。

「常時に」どういう景色も見えないし、生きている実感もないし、世界もないし、
自分もないし、選択もないのが慧解脱すなわち「常住(唯作心)」阿羅漢とされているところのものですが、
この言葉からは至ってない人は妄想しか産む事はありません、つまり、至らない限り推測不能と言う意味です。

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