したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

悟りに至った方たちとの対話

590Y:2014/07/01(火) 22:56:38 ID:kBC6GKGU0
>>582 ラピ。さん

>そもそもYさんの答えと私の答え、違うんです。

はい。それは最初の返信からわかってます。
そして 私の話している「不二」は「違いようが無い」という話をしています。

>私は「悟っているものしか居ない」なんて言えません。

境地では言えないという話なら そもそもここの会話が成り立たないですよね?

>悟っているものだけがいる、ということですよね?それほんと?
>悟っている人しかいないの?ほんとですか?それってどんな状況。

人だけではなく「森羅万象全て 悟っている」という事です。
状況は今朝書いた通り「ふたつない」という境地において「違う事が有り得ない」です。
「ふたつ」は無いんですが「ある」という状態です。
相対でしか有り得ないと、私達は相対しか知らないから必ず「対」を考えるのですが、
この「不二」という状態においては「対の片っぽが無い」んです。
対の片方が無いという状態は私達が絶対に考え付かないからこその「境地」です。
その「不二」という境地において何が起きるのか?という事を今朝のコメントでは書いたつもりです。

>悟っている、と言った瞬間、悟ってない人も同時に存在するんですよ。
>悟っている、悟っていない、とは相対的な言葉で片方のみでは存在できません。
>両方あるからわかるんですよね。
>悟ってない人がいるからこそ、悟っていることがわかる。

ラピ。さんが書いた↑は この世の常識ですよね?
私達は「相対しか知らない」から、対が必ず存在してしまう。
この「不二」という境地において「だけ」例外がある。
この例外が「全てが一つである」証なんです。
ですから この境地の中では勿論「そのもの以外が無い」ので
悟りだろうと私だろうとありとあらゆる「それ以外」はありません。
「それとそれじゃないものがある」という相対ではない境地があり
それを知らない限りは「悟ったものしか居ない」という言い方は出来ないんです。
ですから ラピ。さんは それを言えないんです。
「片方のみでは存在できない」というのがこの世の常識で日常ですよね?
むしろ、それを知らない人は居ないでしょ?
その常識を打ち破る事実が「不二」です。
もし この私の体験をラピ。さんが第二段階という所で体験しているのでしたら
相対しかないのだという話をする筈が無いんです。

悟りというのは涅槃とか彼岸とか呼び名は知りませんけど「とどまるものだ」
と思われています。
教義、教本の類には境地にたどり着くまでのメソッドしか書かれていないからです。
その先が書かれない理由は境地の一歩手前からは「全く自力が働かない」からです。
ですから本に書く必要はありません。
又それ以上の事を書き記せば それを読んで知識として「悟った」ものも出てきます。
私が知識から想像していた悟りと「悟り」は全く違うものでした。
けれど ほとんどの人が「悟りはとどまるものだ」と思っています。
何故 そこだけは みんなが思っていた通りの事だと思いますか?
犯人しか知り得ない事実は 公表されません。
公表されれば 模倣があるからです。
悟りも同じです。
悟りの型にはめられると とどまるしか無いんです。
それが悟りの型だからです。
「悟りの型」それは 自由ではないんです。

色々書きましたが 私はお二人と「違う話」をこれ以上続けるつもりはありません。
私は「私達がどれ程同じなのか?」という話をしていますし、これから伝えたい事もそれです。
同じは「不二」にしかありませんが 違いを語るなら一秒たりとも要らないからです。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板