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悟りを目指している方

1ラピ。:2013/07/16(火) 21:50:18
悟りの状態は目指して至れるものではありません。
なぜなら、悟りを目的とすること自体、
悟りを遠ざけてしまうからです。

でも日々、頑張っている方の書き込み、お待ちしています。

173:2013/10/23(水) 10:18:06
ご返答ありがとうございます。

>意識が広がり全体に溶けて消えていきそうになり、
>恐怖で戻ってきた事、

当時、ボディーワーク、瞑想等も沢山していて、その時の体験です。
ボディーワークの時は身体の声を聞こうという意識になりました。
深く入っていった時です。ミクロの世界にアクセスしてたのにマクロになってしまった・・・みたいな・・・
その時探求の扉の前にやっと立ったねと言われました。
その時から比べたらとても成長してると思うのですが、この扉はまだ開けられもしてない・・・と思いました。

世俗にいて、目覚めている、これはワクワクの道だと思います。

はい。そうですね。気付きました。


一般的に言って孤独と言われる状態に持っていく必要性があります。

みんなの中にいても、依存心もなくなり、外側からみたら群れてるようでも意識はそこに居るだけで
十分独りを感じていて、そこには何も引っ掛かりはなくなりました。そこは大丈夫だと思います。

激流の道は、世俗感情一切放棄の道です。

そのようですね

環境は変えず飛び込むことは難しいのですか?
環境を変えずに飛び込んだら、日常ままならなくなるだろうとは想像できます。
それが、ラピさんが短期間だからといってそうではなく、何年もかかる人、途中で挫折する人、
さまざまで、でも、彼岸に至る人は、それだけの実践を積み、本当に覚悟をもった人でないと、無理。
そして、そんな人は稀。

私が甘すぎました。実践も本気で取り組み、自分の本気度がどれだけのものか、仕切りなおしてきます。

いつになるかはわかりませんが、激流に飛び込む準備ができたら、またここにこさせて頂きます。

頭をがつんと殴られた感じです。こうしてられない・・・らぴさん、TK様、ありがとうございました!

感謝!

最後にひとつだけ・・・悟る時には先行く存在が必要だとよく聞きます。激流に乗る覚悟をしてから・・と記しましたが
その間、どーしても行き詰った時には来させて下さい

174monica:2013/10/23(水) 12:06:09
TK師匠さま、ラピ。さま
丁寧なお返事ありがとうございました。
実践を友として生きていきます。
やはり私には、この道しかないです。
ありがとうございました。

175実践マン:2013/10/23(水) 12:56:45
こんにちは。
昨夜のエゴとの戦いで思ったことです。

誰かが嘘をついたら、その嘘を真実と思います。
誰かが隠し事をしたら、その事実は無かったことにします。
誰かが自身を大きくキレイに偽るなら、その人を大きくキレイな人だと思うようにします。

今の私にとっての従順のあり方です。
そう考えを切り替えたら、人を裁かずにすみ、楽になりました。

176TK:2013/10/23(水) 18:34:15
けりーさん

>>一般的に言って孤独と言われる状態に持っていく必要性があります。
>
>みんなの中にいても、依存心もなくなり、
>外側からみたら群れてるようでも意識はそこに居るだけで十分独りを感じていて、
>そこには何も引っ掛かりはなくなりました。そこは大丈夫だと思います。

これをあなたが本格的にやったら、周りの人の方から付き合いを切られていきます。

つまり、あなたは本格的にはやれてません、まず、
悟った者の目でみた本格的というのはあなたの想像以上のものなのです。

>環境は変えず飛び込むことは難しいのですか?

これも何度も言う言葉ですが、このままの環境でやるから、
出家以上に激流になるのです。

出家と言えば、かの有名な何とか教の人たちをネット上で何人も見ましたが、
私の所まで至れている人など居ませんでした。

ニセの成就の印可を与えられて、人に教えを説いている、
このような状況を目にしました。

>私が甘すぎました。実践も本気で取り組み、自分の本気度がどれだけのものか、仕切りなおしてきます。

まだ、やり残したことがあると思うのなら精一杯それをやって下さい。

それでもやればやった分此の岸のままで幸せを手に入れられます。

私の場合はそれ以上どうしても進めなくなったのです。

>いつになるかはわかりませんが、激流に飛び込む準備ができたら、
>またここにこさせて頂きます。

その時には私はここにいないかもしれませんが、
あなたが激流を渡る定めを負った人であれば道はどんな形ででも開かれると思います。

彼岸に渡らずとも此の岸で充分に幸せは手に入れられますから、
あえて彼岸に渡らなくても大丈夫ですよ。

177TK:2013/10/23(水) 18:53:15
>誰かが嘘をついたら、その嘘を真実と思います。

凄いですね、それは本当の実践方法です。

ウソをつく者のウソを見破ってはならないと言うのが真実の実践法です。

しかし、これは当然危険と背中合わせの実践法ですから、あえて私は明かしませんでした。

子供だましと言う言葉がありますが、子供は純粋だから騙されやすいという意味です。

イエスの教えの通りの実践は紛れも無くそのとおりなのです。

マタイの福音書 18章2-3
>そこで、イエスは小さい子どもを呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて、
>
>言われた。「まことに、あながたがに告げます。
>あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、入れません。


しかし、よく気がつきましたね。

178実践マン:2013/10/23(水) 20:44:05
TK先生

ありがとうございます。

はい、先生がお話されていた実践をしたいと思いました。
自分を低くするだけではなく、人々を神のように尊敬するために、そう考えるのがいいと思いました。
聖書は読んでいますが、残念なことにちっとも意味がわかりません。
そういう意味だったんですね。
先生と出会えて本当によかったです。
1人では全く気がつけませんでした。

たとえ危険な目にあっても、そこに自分がいないことが、とても嬉しいです。停滞はイヤです。
実践、頑張ります。

179ラピ。:2013/10/23(水) 22:50:14
☆けりーさん

>意識が広がり全体に溶けて消えていきそうになり、
>恐怖で戻ってきた事、

私も一瞬消えかけた経験をしています。
第2の実践の時、実践の最後は一気に闇になりました。

この時に経験した闇は
今でもどうやっても表現することができません。
(闇とも違うのですが、とりあえず闇と表現しています)

ちなみにその時は消えそうになるのが怖かったです。
だから消えないよう、抵抗していました。

でもその実践そのものが あるものの消滅だったので
消えることに抵抗しようとしても、実践し続ければ
消えてしまいます。

その当時はその実践があるものの消滅であることに
気づいていませんでした。
消えることについても、
それがどういうことかわかっていませんでした。

でもだからこそ実践を決して辞めず
でも、消えることに抵抗していたのですね。

、、、ま、大変な状況だったのです。
(、、、そしてこの時は至れず、、、、)

でもこのかつての経験が役に立ちました。

新たなる実践中、
かつての闇を経験したときと似たような状態が来たとき
「これだ!」と思い、その状態に飛び込みました。

そして至ることができました。

かつての経験があったからこそチャンスを逃しませんでした。

ちょっと抽象的な表現になってしまいますが
こんな感じです。


>環境は変えず飛び込むことは難しいのですか?

私の実践は「今すぐやれ!」がモットーだったので
環境を変えることなく、どんな時もすぐに実践でした。

この日常、チャンスがいっぱいあります。

今できなくていつできるの?というモットーもありました。

そして実践とともに、仕事や家事もちゃんとしていました。
「やれるからやれ!」と自分に言い聞かせて
こなしていました。

もちろん、体がうまく動かなかったときも
日常、しなければならないことはきちんとしていました。

がんばりました。

どんな条件でも喜んで実践することが
大切だと思います。

大変な時こそ、チャンスです。

けりーさん、応援しています。

どうぞ、なにかありましたらまた書き込みくださいね!

180ラピ。:2013/10/23(水) 22:51:48
☆実践マンたん

ちゃんと実践してるからこその気づきですね。

これからも応援しています!

181ラピ。:2013/10/23(水) 23:41:22
みなさま、こんばんは!

昔からのブログ仲間のヤッズ★さんが
この掲示板を見に来てくれて
それについて記事を書いてくれました!

煩悩くん フルスロットル

http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-2661.html

すばらしい記事だと思います!

@(*・ω・*)ポッ

182ちえ:2013/10/24(木) 10:05:50
こんにちわ。悟りを目指していない人、絶対的な幸せを求めていない人で、
でも冷やかしたいわけでもなく、ただその原動力がないだけで、
何かを目指している人に興味がある人は、
どこに書き込めばいいですか?

183ぽにょ:2013/10/24(木) 19:19:06
TK師、らぴ先生、みなさまお久しぶりです。

実践ができている。と、いうよりかは毎日恐怖心との戦いです。(それは体感的なものだったり)

経済的に困窮しても、お金について怖がっている私は本当の恐さから目を背けたいだけだからだ、などの気付きもありました。

恐れに飛び込み現実は動いていますが、思ってた方向には進まず、です。

私自身、悟る、ことについての憧れやこだわりが取れていくような気がしています。が、それが元々持っている敗北感と結びついていないかチェックしながら。
そして自尊心を持つということと下から在る、ということが私にはまだ全然わかっていないようです。

私はずっとフィギュアスケートの浅田真央が好きなのですが、彼女は『小さな時から子犬のように機嫌の悪いことが全然無かった』と聞いて衝撃を受けました。
そして私自身そうあるように心掛けています。怖くても笑う、そんな感じです。

184TK:2013/10/24(木) 19:27:35
ぽにょさん

>経済的に困窮しても、
>お金について怖がっている私は本当の恐さから目を背けたいだけだからだ、
>などの気付きもありました。

あなたは、ほとんどまともな実践にはなっていないですね。

人でも書籍でもいいですから、常に高次元の手掛かりに触れていなければ、
歩める道ではありませんから。

185ラピ。:2013/10/24(木) 22:16:42
☆ぽにょたん

おお!お久しぶり!
どうしてるかなって思ってましたよ。

もしかしたらぽにょたんは
実践というよりは思考や分析している時間が多いかもしれませんね。

実践はつねに実践であり、
気付きを得たらそれすらも捨てて実践となります。

なぜならこの次元での気づきは
どうやってもこの次元どまりだからです。

ぽにょたんは今、どんな実践をしてるのかな。
常に笑う、怖くても笑う、という感じでいいのかな。

それをどんな時もがんばってね。

本気で実践したいのなら「どんな時も」で
例外はなしですよ。

186ヤッズ★:2013/10/25(金) 23:11:02
TKさん、はじめまして!(師の師ということになりますね)
他の方もはじめまして!

ラピ。たん師匠 来たじょ〜(笑)

古くからラピ。さんを知ってる者である故に、TK氏師事後の劇的変化に驚いています。
で、これは本物だとも、、、

そして、その秘密の鍵が「自我の消滅」だったという点にも膝を叩いて納得いたしました。

半田広宣氏のチャネリング存在のオコツトによると、
「これから起こる意識進化は、人間が生きながらにして【死後の世界】へ入っていく
という言い方ができるかもしれません。その意味で言えば人間は不死となります。
そして、それが起きる理由は「自我の消滅」で、
人間は自我の死によって「永遠の生命=真我」に目覚め、
その高次の意識のバイブレーションによって肉体の削除が起きる。」
とまで云っており、肉体の削除が起きるかどうかはさて置き
奇しくも、ラピ。さんが辿った道(自我消滅→真我覚醒【悟り】=彼岸【絶対世界】入り)と同じなのです。

そういえば、以前から不思議に思っていたですが、
ラピ。さんからメールが来る時、「あっ、メール来るな」って感じた瞬間、
やっぱり来ました。しかも何度も(笑)。

此岸の岸辺で何年も意識が佇んでいたとのことでしたが、
だから、あのようなテレパシックなことが出来たのでは?と妙に納得いたしました。

私はバシャールのワクワクも願望実現ワークも「エゴの増大」を招くなぁ、、、
ということで一切やめたという過去があります。
まぁ、それ以前になかなか叶わないという苛立ちもありましたが(笑)
やめてからは、ドラム式洗濯機の当選、、、等、よく叶いました。

このスレでロバーツの話が出ていて、昔、書いた記事(209年)のことを思い出しまして
読み返してみたところ、現在の私とあまり変化ないことが分かりました(滝汗)。
やはり、私もずっと佇んだままなのでしょう。

■熱視線
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-1155.html

この記事で書いたことすら忘れていましたが、
ロバーツの意識は「主体と様々な客体」(プレアデス)から「主体・客体の統合」(シリウス)、
更に先の「主体・その間・客体」(オリオン)という先の意識まで到達していますね。
掲示板で書かれている通りです。

これが聖書でいう

「汝はプレアデスの鎖を結ぶことができるのか?
オリオンの綱を解くことができるのか?」
(ヨブ記38章31節)

のことだと睨んでいます。

こういった知識だけは半端なく持っているのですが、
ラピ。さんや他の方のような神秘体験など微塵もなく全て耳年増的な知識ばかり。
(1回半、対外離脱体験があるだけです)

このように、まだまだ此岸という「相対世界」で彼岸を睨みながら憧れて佇んでいる者ではありますが、
人間の意識進化の先はコッチ方向で間違いないと確信しています。

今回、ラピ。さんに私の目になって貰う件、快く(?)了解して頂き、
早速「真我の目覚めより、エゴ消滅の方が先」とアドバイス頂戴いたしました。
(※何がエゴなのかよく分からないので、ちょとだけ真我に起きて貰おうかなと思っていた次第)

言われるまま、自我との葛藤という激流に飛び込む覚悟は出来ましたが、
仕事上で「あっ、コレ後回しにしたいなぁ、、、」と思うエゴに対して
ならば先にやってしまおうという感じで現在対処中でますが、
大体、勝ってしまいます。(エゴ負け)
勝てる戦いしかしていないのかもしれません。

で、今、この「激流」というものを自ら起こせないところで膠着状態。
何かアドバイスなどありましたら、御教示下されば幸いです。

187TK:2013/10/26(土) 00:23:22
ヤッズ★さん
>TKさん、はじめまして!

はじめまして。

要点を捕まえた、なかなか素晴らしい記事でしたよ。

>半田広宣氏のチャネリング存在のオコツトによると、
>「これから起こる意識進化は、人間が生きながらにして【死後の世界】へ入っていく
>という言い方ができるかもしれません。

ちなみにチャネリングなるものは、決して高次元的情報だとは思っていません。

私はチャネリングを捨てる事を説く者です。

>人間が生きながらにして【死後の世界】へ入っていく

私は死後の世界(かの世)を捨てる方法を説く者です。

なかなかたくましい妄想性ですね。

スッタニパータ13
>走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、
>「一切のものは虚妄である」と知って迷妄を離れた修行者は、
>この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て

去るようなものである。



>人間は自我の死によって「永遠の生命=真我」に目覚め、

この捉え方では、永遠の妄想の世界が待っていると言う所です。


>私はバシャールのワクワクも願望実現ワークも「エゴの増大」を招くなぁ、、、
>ということで一切やめたという過去があります。


激流を渡るには筏が必要ですが、筏はエゴでできていますから、
しっかりした筏(エゴ)が無ければ激流は渡れません。

188ラピ。:2013/10/26(土) 07:42:59
☆ヤッズ★さん

ヤッズ★にいたん、ようこそいらっしゃいました。
記事、ほんとお見事でした!
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-2661.html

読んでて「うん、うん」と思いました。

私もかなりエゴが強かったのでそれを利用して渡りました。
かつては訳も分からずやっていたのだけど
順番としてはやはり少なくとも2段階必要で
まず、善玉エゴを増大させる実践。

(ちなみにこの善玉エゴは例えば自分の理想に向かって
全てをかけるとか、人のためとか
一般的に言われている「いいこと」を目標にして
精進することによって増幅されたもの。
自分の欲望のまま生きて増幅させるエゴは悪玉エゴで
悟りの道ではかなりの遠回りをすることになります。)

そしてとことん進んだうえで第2の扉が開かれます。

私の第1実践はご存じのとおり
「自分を捨てて喜んでなんでもしよう」でした。

はい、がんばりました。
自分の生き方として当たり前にやってきました。

そしてそれをとことんやりきりましたので
第2の扉が開きました。

ちなみにね、この道は本気で歩くと
「やめよう」などという選択はありません。

「やめよう」という言葉こそが「エゴ」の声なので
それを知っていたら
やめることはできませんね。

なぜならやめること=エゴに負けたこと
になるからです。

ちなみに私は「自分を捨てて」いたので
やめようなんてこれっぽっちも「思いませんでした」

思う自分も捨てていた。

そして自分のやってることに疑問を持たず、
「そうあるべきだ」という理想、信念のもと
とことんしていたからです。

にいたん、この道は本気で歩けば厳しいかもですが
本当にこの道が必要な人は
厳しいとも「思わず」、歩きます。

なぜなら「この道」しかないからです。

そう思える人がくじけず何も言われなくても
もう歩いてしまっています。

かつての私を知っているにいたんなら感じてたかもしれません。

「もっと楽に生きたらいいのに」

でも私はどうしてもそれが選択できませんでした。
というか、そんな選択肢がなかった。

偽りの楽はいらなかった。
続かない楽で私をごまかすことはできませんでした。

普通に生きていたら楽しいこともあるし、そうでないときもある。

でも私は絶対的幸せが欲しかったから
たまに来る幸せすらも捨てたのです。

そんなものいらない、と。

そして捨て続けて、激流を渡り、渡り切りました。

そして今、とても楽に生きています。

今は偽りの楽ではなくて
楽とかそうでないとか、そういうものを超えたものです。

本当に絶対的幸せはあったんだな、って思いました。

厳しいことを書いちゃったかな?(笑)

にいたん、応援していますよ!

@(*・ω・*)ポッ

189ヤッズ★:2013/10/26(土) 09:07:26
祖師、師、貴重なるアドバイスありがとうございます!

オコツト情報や他の情報も、
神秘体験の無さを補完するものとしてガムシャラに取り入れていました。
ただ、これらもエゴの欲を満たすだけのものであり、
エゴの理論武装化を増長していますね。

しかも激流を渡る場合には、その重さで沈んでしまうかもです。
実践者にとって害になることはあっても益にはならないですね。

彼岸(絶対世界)に至ることは、エゴの容器に満充満に充填されたものからの離別でもあり、
かき集めた情報を封印、、、いや捨て去ることにしました。
ここで紹介された最小限の聖典に置き換えてみます。


>激流を渡るには筏が必要ですが、筏はエゴでできていますから、
>しっかりした筏(エゴ)が無ければ激流は渡れません。

>順番としてはやはり少なくとも2段階必要で
>まず、善玉エゴを増大させる実践。

善玉エゴとして「ワクワク」を復活させます。
聖地(絶対的幸せ)奪回に向け「全軍出撃!」という感じでワクワクさせます。


>この道は本気で歩けば厳しいかもですが
>本当にこの道が必要な人は
>厳しいとも「思わず」、歩きます。

この実践の継続力の無さは最大の課題です(汗)。
私をよく知るラピ。さん故に完全に見通されていますね。
ラピ。さんの「修行僧」並のトコトン振りを長年傍目から見ている為、
「こりゃ〜半端なく大変な道だなぁ、、、」だとは感じてます。
で、「ワクワク」がその継続を後押しするというわけですね。


>厳しいことを書いちゃったかな?(笑)

いえいえ強烈なビンタが無ければ、目は覚めないものです。
悪玉エゴや妄想で九尾妖狐化した時など遠慮なく蹴りを入れて下さい。

190TK:2013/10/26(土) 17:38:44
ヤッズ★さん

実践には段階があります。

まずは人間対人間の世界で善を追及するという事。

当然戦いもありで、
出来るだけ高い理想を持ちそれの実現に向けて精一杯生きるという事です。

よく、人生哲学とか色々と言いますが、
実は至った我々には一切の哲学なるものはありませんが、
それは至った時には望まずともそのようになる訳で、
ここに向かうためには人生哲学なり理想なりの拠り所が必要なのです。

まず、拠り所の無い人のエゴは散漫な状態にありますが、
第一段階として、エゴにしっかりとした正しい方向性を持たせて進んでいくのです、
この段階ではエゴを強めれば強めるほど、
前へ進んでいけます。

充実感に満ちて幸せな気分も味わえます。

行きどまる事さえなければこの生き方で一生を貫いても充分だと思います。

確かバーナーデッド・ロバーツもエゴは決して悪いものでは無いと言う説明をしていたように思います。

所が精一杯やっても途中までは確かによかったのに、
どのようにエゴを強めようとそれより先に自分の持つ理想通りには進めない状況がやってきます。

それは、バシャールなどとこの地球は違う特性だからですよ、つまり、
「思いが実現しにくい」と言う特性がこの地球にはあるのです。

これこそが、バシャールなどの低次元を遥かに超えた高次元にアセンション出来る、
またとないこの地球の特性なのです。

つまり、
この地球のような「思いの実現しにくい」環境がなかったら我々の言う第2次実践の段階には進めないと言うわけです。

生きている内に、ワクワクを超えたこの段階に進める事が最良だと思います。

191けりー:2013/10/27(日) 19:32:49
来てしまいました・・・仕切りなおして来ました!

ここ数日、色々と振り返りました!ラピさん心温かい言葉ありがとうございます!(嬉泣)
TKさま、意地悪なお言葉ありがとうございます!(私がそう思ってるだけなので、私の問題ですが・・)

此の岸でも楽しいですよ・・とおっしゃいました(涙)また彼岸に至るのは考えているよりずっと厳しい・・とも・・

私は今生、私のようなものが、彼岸に至れるとは思ってもいませんでした。
そうゆう意味では、甘く考えていたと思います。

でも、このサイトを見つけ、心が震えました。至った人たちが此処にはいる・・と
目の前が開けていく感じでした。もしかしたら・・・と思うと飛び込んでいきたい気持ちでいっぱいです。
(至る前のラピさんのブログだけでしたら、心惹かれる事は絶対なかったと思います。m(__)m
でも、至ってからの言葉ひとつひとつが魅力でした)

何しろ私は自己流なので、段階を踏んできちんと実践されているのか分かりません。
私がしてきた事、なるべくまとめて書きます。判断していただけないでしょうか!

若かりし頃から子育て前半まで、私は正しい!人の為にする!をしてきましたが、
うまく回らなくなってきました。(以前にも少しふれましたが)
何が人の為なのか、子育てをしていて、ほんとは何が正しいのか正しくないのか、
全く分からなくなってしまいました。

そして自分のエゴを徹底的に見ていくことからはじめました。
私の行動のひとつひとつ、言葉の一語一語、エゴを見つけたら、
途中で行動や話すことを止め、気付いた時点で、すぐに修正(こっちの方が善だとおもう方に)
していく事を訓練していきました。
それをしていくと、自然と自分の中に新たな段階が生まれてきます。
エゴは以前ほど意識をしなくても、瞬間分かるようになってきたので、新たなテーマが出てきました。

その間小さな実践は沢山ありますが、ここでは大きなものだけ書きます。
相手を良く理解すること

これは、若い頃から教えられている事なのですが、私の未熟さ故、分かって欲しい!で
今まで歩んできたので、もう卒業!遅ればせながら、理解したい・・という気持ちになり
実践してきたところ、私がびっくりするような態度をしてくる人でも、その人の背景や、初めから
もってる素質のようなものを理解すれば、大抵の事は大丈夫と思うようになり、私の気持ちの中にも
色んな人がいて、本当にそれが当たり前と思うようになったし、そのことを教えてくれた事に本当に
感謝しかないし、赦し・・・という言葉も浮かんできました。
相手も・・・そして何より自分も赦しを乞いたい・・・愛するというテーマもありましたが、
ここでは控えます。
(長くてすみません。続きます)

192けりー:2013/10/27(日) 19:35:17
そして今続行中で、停滞してるテーマ(ここ数年、こればかりです)人の為に・・です。

これは、私が若い頃にしていて挫折を味わったテーマなので、実践するのが怖くて怖くて
なりませんでした。また独りになる・・・
しかし、思っていれば事はおきてくるのですね、母の病気を機に、知人や友人の大病。

人によって、信頼度、必要性など全く違うし、あまり立ち入っても・・関係性によっては
迷惑・・始めは躊躇して、やらない事も・・(全部エゴの声ですね)
でも行動を変えなきゃ何も始まらない!がモットーになっていたので、次からは色んな事をしていきました。
その人が本当に望んでいる事のお手伝い。

そしてそれは継続をしていますが、プラスさりげなく!(やってる〜感を出さずに、なるべく知られる事無く、
出来ればひっそりと)
もうひとつは求められたら直ぐにやる!(これは関わってる人がご高齢の方も多く、年をとってる人って
待てないんです!言ったら直ぐにやって貰えないとすねちゃうんです!)我慢させるのはもうシンドイ
ですからね。
今は言われたら、もしくは耳に入ったら直ぐにどこでも行きます!やります!お手伝いします!自分の事より
優先します。
そんな状態ですが・・昨年までは、自分の時間がなくなるほどすることがあったのですが今は落ち着いています。
まだ次には至りません。でも本当はちょっと心をよぎっています・・

私の実践はこんな感じで進めて来ました。実践していけば必ず楽になる自分がいましたし、
意識して生きるのが当たり前になっているので、この先もこんな生き方だと思います。
私の生きる喜びはわくわくではないのです。

こんな私ですが、此の岸から飛び込みたいです。
今がそのチャンスかはわかりませんが、進むことしか頭にありません。

TKさま、ラピさん、私は実践できているのでしょうか?それとも全く違うのでしょうか?
どちらにしても、今何をすべきなのか、彼岸に向けて導いていただけないでしょうか?
書籍もほとんど読んでいません。興味の湧いた精神世界の本ぐらいです。

193ラピ。:2013/10/28(月) 00:08:24
☆けりーさん

おかえりなさい!

読ませていただきましたよ。

>私が若い頃にしていて挫折を味わったテーマなので、実践するのが怖くて怖くて
なりませんでした。
>また独りになる・・・

ここ、けりーさんの重要ポイントでしょうね。

ちなみに「独り」がなぜ怖いのかな?


今まで確かにけりーさんは頑張ってきたと思います。
きっとそのおかげで いろんなことが意識的にできるようになってきたのでしょう。

ただし、それは此岸レベルのことであって
彼岸からすると「だからどうしたの?」ということになります。
(厳しい言葉かもしれませんが、そうなんです。)

まず、今まで自分が積み重ねてきたことはとりあえず忘れてください。

今の自分を作り上げている がんばったこと、積み重ねてきたこと
そしてそれによって得た知識など
一度リセットしてください。

>プラスさりげなく!(やってる〜感を出さずに、なるべく知られる事無く、
出来ればひっそりと)

これはかつての経験を活かしてのことでしょうか?
それもリセットしてください。

そしてかつて挫折を味わったテーマを
同じようにもう一度実践してください。

けりーさんがかつてやっていた実践なのだから
どんな実践かはけりーさんが一番わかりますね。

もう一度、一からやり直しです。

怖かったのですね。
でもその「怖かった」を彼岸にもっていくことはできません。

「怖い」
その気持ちがあったならば、彼岸を渡ることはできません。

ご存じのとおり、「怖い」というのはエゴの声で
実体のないものです。

単なる出来事に意味づけをしてあれこれ考えて
「怖い」と言っているのです。
そしてその意味づけに反応してしまっているのです。

どうぞ、けりーさんのかつての実践を頑張ってみてください。

あれこれ考えても始まりません。
そもそも、その「考え」こそエゴの声ですから。

「こうなったらどうしよう。ああなったらどうしよう。」

まだ起こっていないことです。

それよりもやってみてください。
思考する時間がないほどに一生懸命。

でもまだいろいろ考えたいのなら十分考えてください。
納得するまでいっぱい 考えてみてください。
決心できるまでとことん考えてください。

ちなみに考えている間は
まだスタートにも立っていません。

まずはスタート地点に立つことから。

決心したら、あとは実践のみ です。

194TK:2013/10/28(月) 00:28:38
けりーさん

あなたの基本姿勢がまず、全然なってませんが。

>若かりし頃から子育て前半まで、私は正しい!人の為にする!をしてきましたが、
>うまく回らなくなってきました。(以前にも少しふれましたが)
>何が人の為なのか、子育てをしていて、ほんとは何が正しいのか正しくないのか、
>全く分からなくなってしまいました。

ここからあなたは今現在ほとんど成長してませんよ。

>そして自分のエゴを徹底的に見ていくことからはじめました。

全然徹底して見てないですよ、言葉だけですね。

いくら表現でやったんだと言ったところで、あのたのメンタルは、
全然やってないんですけどと証言していますが、丸見えです。

あなたは、まだ、ワクワクの範疇を超えていません。

あなたは一体、高次元のテキストに何を使ったのですか。

あなたはいくらか背伸びをした気分かもしれませんが、
まだワクワクの低次元の実践の範疇を超えていません。

195salah:2013/10/28(月) 10:20:20
悟りの一瞥を体験してから何かを探す気になれず
いたのですが、最近、一瞥はしたものの、悟りきってはいない
自分に疲れていました
悟りの先にも実践があったということなのですね
淡々と生きることにエゴが残る故疲れていましたが
ここにまた来させていただきたいと思います
ありがとうございます

196TK:2013/10/28(月) 11:18:27
salahさん

>悟りの一瞥を体験してから何かを探す気になれず
>いたのですが、最近、一瞥はしたものの、悟りきってはいない
>自分に疲れていました

悟りの一瞥を体験したと判断できるのならなぜ人を求めるのですか?

あなたの言う悟りの一瞥と言うのは、人の教え以下なのですか?

だったら、それを悟りの一瞥と言うのはおかしいですよ。

あなたが、悟りの一瞥とまで断言するのなら、
自分の手でそれを確実にするべきです。

あなたの中には、人に対する強い依存心のようなものが確認できます。

それがあるうちは駄目ですよ。

今のあなたに悟りの一瞥と表現できるものがある以上、
私からお話しできることはこれくらいです。

あなたは人を求めすぎるのです。

ラピ。さんも私に会うかなり昔に悟りの一瞥がありましたが、
最終的にはそれを思い出し私の指導では無く自分で進んでいきました。

私はラピ。さんが悟りの一瞥を思い出すまでのお手伝いをしただけなのです。

あなたに対しては、以上です。

197ラピ。:2013/10/28(月) 12:21:00
☆salahさん

salahさんは初の書き込みですか?

ようこそいらっしゃいました。

悟りの一瞥ですか。

私もかつて、悟りの一瞥をしましたが
実は師に出会って教えていただくまで
そうであるとは知りませんでした。

その体験はその時点では
「悟りの一瞥」といえるようなものではなかったからです。

まだ悟ってない人が「悟りの状態」をわかるはずもありません。
わかるのであればそれは「悟りの一瞥」ではありません。

その時点で「悟りとはこういうものであろう」
という想像でその体験を「悟りの一瞥(ではないか)」と言われているのだと思います。

言葉に表せない体験です。
どうやっても今でも表せません。

でももし、本当にsalahさんのかつての経験が「悟りの一瞥」であるのなら
そこまで一度は行ったのですよね?

どうやって行ったか、自分自身が覚えていますよね?

その時の感覚がやってきた時がチャンスです。
そのまま進んでください。

でも今は淡々と生きられているようなのでチャンスは来ないでしょうね。

その「悟りの一瞥」の前に激流が必ずあったはずですから。

その一瞥が本物であるなら、ですが。

198ラピ。:2013/10/28(月) 12:57:46
あ、余談ですが
「悟りの一瞥」の経験は師匠に会うまでは
ほんとに謎の経験でした。

そしてスピリチュアル始めてから
「悟りってこんなものだろう!」
とブログに書いてました。

本物の体験を「あれはなんだったんだろう?」とずっとわからず
偽の知識を本物であるかのように思ってました。

偽の知識と表現しましたが
そもそも悟ることは「知ったりする」ことではないので、
偽の知識も本物の知識もないんですけどね。

知識は知識、道を歩くときは捨て去るものです。

だからスピリチュアルも
悟りの道を歩くのであれば手放さなければなりません。

経験者がここにいます(笑)

ただ私もスピリチュアル、長いことやってきました。

それのおかげで得たものもあります。
そして確かに楽しかった。

だから十分、満足いくまでズピリチュアル、いいと思います。

でも、更なる次元に行くと決めたから、
私は今まで得た知識を全部捨て去りました。

自分は一番下でいろいろ意見を言える立場ではない。
(師は「大会社の入ったばかりの若い新入社員」の例えで話してくださりました)

私は世界中で一番立場の低い至らない者

この姿勢で始めました。

今までどんな経験をしていても
一からのやり直しです。

@(*・ω・*)ポッ

199salah:2013/10/28(月) 13:18:27
TKさんラピ。さん
お返事ありがとうございます
TKさんのおっしゃるようにこの世界でなにをしても
ただのあがきです(あがきといっていいか)
あがきに意味もないのですがここに書き込むしか
ほかに方法がないという感じです
TKさんやラピ。さんはあの体験の状態のまま
この肉体を自分と認識してきた世界を過ごして
おられるのではと思ったからです
私が体験した世界は私は私という肉体を超えていました
ラピ。さんのおっしゃるように説明不可です
でもそれは一瞬だったんです
一瞬だったけどあまりにも強烈で
この肉体世界でなにをするのも意味がなくなったんですが
普通の世界が鮮やかに戻ってきた…と申しましょうか
その世界で肉体的には生きるものだと思いまして
でもそれをやってる途中でさまざまなエゴに振り回され
一瞥なんてあったのかというくらいになってしまいました
苦にどっぷりです
私には師がいません
好んで師を持たずにきたのですがお二人に師に
なっていただけるならと思いました
確かにこの世界で人を頼ってもそれは自分のエネルギー世界の
中のことであり、人を頼るの意味がわからないのではありますが…
ラピ。さんのおっしゃるようにその体験があった状態に自分を
持っていくことが意識的にできるかそしてもしそれができた時には
この肉体日常をらくにやり過ごすことができるようになるのか
と思いました
知っているけど基本的には分離してるんだと思います

200ゆうこ:2013/10/28(月) 17:02:01
こんにちわ。
実践の毎日ですが、今日はかなりの出来事がありました。
先日、「ラピさんにアドバイス頂いて発展的な関係になった」
とご報告した新人部下から

この数カ月、上司として全然できてなかったダメ出しを受けました。

実は、先日のご報告のあと、少し波風がたったため
昨夜は「下から」考えて反省した上で、今日は相手の気持ちを聞いて
さらに謙虚に改善しようと思って話し合ったのですが
そんなもの役に立たず、見たくない自分の弱さをズバリ指摘されました。

恥ずかしいことですが
「とにかく改善したいの」と、不満を聞き出せて
「ごめんなさいね」「これから頑張ります」と、言えたので
これから1から出直しです。新入社員以下の謙虚さと
業務をまとめる工夫を兼ねて頑張るしかありません。

今の会社の前は個人プレーや横つながりの仕事が多かったせいか
年齢に見合った部下を育てる力量が培われていない事に気付かされ残念です。

また、親に対して批判している部分を
そっくりそのまま自分も同じように批判されていることもわかりました。

そんな至らない私ですが、
目的は同化しているダメジガを削ぎ落すことなので
落ち込むヒマなく、砕いて研磨して信頼関係を築くしかないです。
プライドや嫌悪感、自責感など不要です(と、ここに書かせて下さい^^;)

この数カ月標榜していた「感謝」も「下から」も過去のこと
いくらガンバったつもりでも息子と同じ年の子に批判される程度では
甘かったということです。改めてやり直してみます。

ブッダを目標に、実生活上での具体的な改善点も見えたので
あとはやるだけです。
(プライド・ジガや自己嫌悪ジガは、思ったより静かなので
今日は眠れそうです^^;)
ダメな自分を自己憐憫したり正当化して
時間をムダにしないよう気をつけたいと思いますm(__)m

以前なら確実にぐちゃぐちゃ考えそうな局面で
ダメジガを客観視する目線を教えて下さったお二人に感謝をこめて
以上、ご報告でした。長文すみませんm(__)m

201TK:2013/10/28(月) 18:01:24
salahさん

>TKさんのおっしゃるようにこの世界でなにをしても
>ただのあがきです(あがきといっていいか)


私はそのようなことはここでは語っておりません。
もう一度精読されてから、もの申して下さい。

と言うのも、私のスタンスは全く逆ですから、
「折角肉体をまとって生きているのですからそれを有効に活かして」が私の実践者に対して示す姿勢です。

私自身が、
無駄と思えるこの世界と言う捉え方が真実かどうかを確かめるために自分の命を使った挑戦をしたのです。

>ですから、昔から、人間はより高次元にアセンションする事が良しとされるが、
>反対に天の神々は、
>さらなる高次元にアセンションを果たすためにこの物質世界に転生して思いが
>実現しにくいと言う特性を充分に生かして「思い」からの解脱を果たし、
>より高次元へのアプローチを試みるのだと言われていますね。


>如是語経
>> このように聞いて、ある比丘は世尊に次のように申し上げた。
>> 「尊き師よ、諸天神にとってよい境涯へ往く、と言われるのは、一体いかなることでしょうか。
>>また、尊き師よ、諸天神にとって善い所得を得る、と言われるのはいかなることなのでしょうか。
>>さらに、尊き師よ、諸天神にとって、きちんと安定した、と言われるのは、どのようなことでしょうか」
>>
>> 「比丘たちよ、人間の状態こそが、諸天神にとって善い境涯へ行く、と言われるものである。
>>また、人間となって、
>>真理の体現者が説いた教えと僧団の規定とに信仰を得るならば、これが、
>>比丘たちよ、諸天神にとって善い所得を得る、と言われるものである。



>TKさんやラピ。さんはあの体験の状態のまま
>この肉体を自分と認識してきた世界を過ごして
>おられるのではと思ったからです
>私が体験した世界は私は私という肉体を超えていました
>ラピ。さんのおっしゃるように説明不可です
>でもそれは一瞬だったんです

あなたにとってたかが一瞬、しかし、
ラピ。さんも私もその一瞬で得たものを貴重な大切な経典として、
彼岸に渡ったのです。

あなたにはその「一瞬」がある以上、あなたはもう盲人では無いですよね。

私が相手にしているのは主に盲人なのです。

ちなみに、肉体など、彼岸に渡らずとも此の岸にいるままでも越えられますから、
これがあなたの言う悟りの一瞥を表す説明なのですねと言う話なのです。

あなたの私やラピ。さんの次元を表す説明は、
かなり次元の低い人を表す表現になっています。

202salah:2013/10/28(月) 18:31:29
ごめんなさい
どこを精読すればいいかはわかってなくて
ただ肉体を持ってして思いからの解脱を果たすの一文は
なるほどとわかった気になりました
説明がへたくそでTKさんやラピ。さんの次元を表す説明が
低くなっていると感じられたのなら申し訳ないです
私の一瞥が一緒だとかそうでないとかの説明をしようと
おもったのではなかったので
でもTKさんがその一瞬を経典にして進んだとのお言葉を
いただき、またラピ。さんがその体験の状態を思い出すように
と前に書いていただいてるので、そのようにしようと思います
悪魔との対話も読んでみます
ありがとうございました

203TK:2013/10/28(月) 19:18:42
salahさん

>私には師がいません

私同様に聖典などを手掛かりに進んだという事だと思いますが、
あなたの表現する「悟りの一瞥」なる所までこの方法でたどり着いて、
何故にここに来て人に依存しようとするのでしょう。

人からああだこうだ言われるより、
自分のやってきた方法をもっと徹底すればいいと言う結論でいいと思います。

師とする人物を持つ場合、その師に全面信頼しなければならないのですよ、
それがたとえあなたの言う「悟りの一瞥」と食い違う事であったとしてもです。

ですから、私はあなたの悟りの一瞥は人の教え以下なのですかとお尋ねしたのです。

そして私自身、聖典などを拠り所として、
生きている人を拠り所とはしないで来たのです。

しかし、
これは言い方を変えれば全ての生きている人を師として実践したと言う意味なのです。

204けりー:2013/10/28(月) 19:20:00
ラピさん、TKさん 

>あなたの基本姿勢がまず、全然なってませんが。

全然駄目だったのですね。それがわかっただけでも良かったと思います。

私の実践は、ただのトラウマ解消法だったのかも・・・と頭に浮かびました。
次元が違いました。

>でもまだいろいろ考えたいのなら十分考えてください。
>納得するまでいっぱい 考えてみてください。
>決心できるまでとことん考えてください。

考えてても何も始まりません・・・とモットーにしてたはずなのに、
そちらから見ると何も始まってないって事なんですね。

私のエゴを徹底的に見る作業は、ラピさんの言う、甘い言葉で
エゴを静かにさせてるだけだったのかも・・・

エゴは消滅させていくものなのに・・・

>それよりもやってみてください。
>思考する時間がないほどに一生懸命。

エゴの声を一生懸命拾っていた事をやめ、エゴの声を拾わず、
とにかく思考せず、一から始めてみます。

書籍はここで度々引用されてるものを、読んでみようと思います。
自分のやってる事がわかって良かったです。ありがとうございます!

205TK:2013/10/28(月) 19:28:29
ゆうこさん

実践者のスタンスがどんなものか、把握されていると判断できました。

これで、潜伏する自我は表面にあぶり出されてきやすくなります。

あとは、状況に応じて巨大な自我が出てきた時が、
またと無い機会と捉えて有効な実践に充てて下さい。

206TK:2013/10/28(月) 19:40:16
けりーさん

あなたはまだ、ご自身のエゴが見えていません。

見えなければ、エゴへの対処は出来ません。

ちなみに、今書込みのあったゆうこさんは実践者のスタンスが出来てきています。

実践者のスタンスとは、あなたとは違って、
潜伏するエゴを表面に引きずり出す方法なのです。

この実践者のスタンスをとれれば、エゴを見抜く目が無い人でも、
容易に見抜くことが出来るようになるのです。

これらの方法が拠り所とする聖典の中に、載っています。

高次元の手掛かりを常に拠り所としていかなければ、
決して次元上昇は出来ません。

207salah:2013/10/28(月) 19:48:24
TKさん
あたたかいお言葉本当にありがとうございます
おっしゃる通り今なぜ依存なのかです
日常からいわゆるスピリチュアルのうわごとが消えてしまって(それはいいのですが)
ある意味ただの肉体意識まみれになっていたということです
変に安心しきっていたような…そんな感じでした

自分のやってきた方法を続ける…
悟りの一瞥があった前と同じことを結局は続ける、そのこと以外には
ないのですね(アジャシャンティさんの『あなたの世界の終わり』にも同じ事が書かれていました)
定着した目覚めを体現されてるお二人のことをふとしたことから今日訪れた掲示板で知り
お話お聞きした次第です
ありがとうございました

208ラピ。:2013/10/28(月) 20:31:17
☆ゆうこたん

ゆうこたん、すべてがチャンスですね。

>プライドや嫌悪感、自責感など不要です

うん、うん。ひたすら実践です。

そして
「実践できない!」
と思うときこそ実践のチャンスです。

@(*・ω・*)ポッ

209ヤッズ★:2013/10/28(月) 22:51:50
TK祖師、アドバイスありがとうございます!

>まずは人間対人間の世界で善を追及するという事。

「聖地奪回!」とはオーバー過ぎました。
対人間視野で「小さなことからコツコツと」で行きます。
この視野でも探せばいろいろとワクワクできそうなことがありますね。
明日から、、、い、いや今からでも早速実践に移したいと思います。

>確かバーナーデッド・ロバーツもエゴは決して悪いものでは無いと言う説明をしていたように思います。

エゴは人がアセンション(次元上昇)する為に、あらかじめ人の内面に埋め込まれた時限爆弾のようなものなのでしょうね。

>この地球のような「思いの実現しにくい」環境がなかったら我々の言う第2次実践の段階には進めないと言うわけです。

第2次実践の段階=ワクワクを超えた段階=ワクワクに背を向けた意思力のみで進める段階

喩えていえば、エゴは跳び箱の「踏み台」みたいなもので、
次元という跳び箱を飛び越える為に必要なものなのでしょう。
そして、その踏み台は①高さと②反発力で性能が決まると理解しております。

エゴの働きをワクワクする方向に使って行けば、
踏み台の高さ(エゴの増大)がある程度まで増して行き、
跳び箱を飛び越せる可能性が上がりますが、
これだけでは反発力が無いため高く飛び上がることが出来ず、
完全に「跳び箱」をクリアすることが出来ない。
飛び越す為には踏み台に反発力が必要。

「私の為」が存在基盤であるエゴに対し、
相反する方向性の「人の為」というエゴ縮小へ強い意思を持って踏み込むことで
力強い反発力が生まれる。
この爆発的な反発力を生む大元がエゴが自らの生死を掛けた戦い「激流」。

これら2つの効果で「強い反発力のある踏み台」が出来上がり、
「跳び箱(次元)」を飛び越せるようになる。
しかし、思いがすぐに叶ってしまうバシャール星では
この反発力が全く期待出来ない為に、
低くしか跳躍できないということですね。

>生きている内に、ワクワクを超えたこの段階に進める事が最良だと思います。

現在は踏み台の高さ調整の段階で、
踏み込み(第二の扉)はまだ先のことですが、
ワクワクしながらその時を待つこととします。

あとラピ。師匠に今後の進め方を相談したのですが、「ブログ無期限停止」を提案されました。

これが一番「激流」になるかなぁ〜(滝汗)。

師匠が黒といえば黒、白といえば白。
師弟関係とはコレが基本ですが、
絶大の信頼を置くラピ。師匠ならば尚更です。
それ以前に師匠には盲目状態の私の目になって貰っていますので、
その目が「こっちだよ」と示唆を与えば、
それに素直に従うべきは当然です。
で、「ブログ無期限停止」を受け入れました。

停止理由は、私が記事書いている時がフロー状態であり、
フローそのものではないということから。
これは「空っぽ状態」と「空っぽ」の違いと同じだよと言われました。
しかし、それ以外にも何か大きな理由があるだろうと思っています。
多分、文面から自分の欲望のまま書いて増幅させている「悪玉エゴ」を感じたのか、
あるいは、至る前のラピ。師匠が陥っていた泥酔状態=空っぽ状態
と同じだと看破したからではないかと思っています。

最近はブログもフルスロットル暴走機関車状態でしたので、
少し冷静になる為にも丁度いい機会でした。

210TK:2013/10/29(火) 00:07:33
ヤッズ★さん

>絶大の信頼を置くラピ。師匠ならば尚更です。
>それ以前に師匠には盲目状態の私の目になって貰っていますので、
>その目が「こっちだよ」と示唆を与えば、
>それに素直に従うべきは当然です。
>で、「ブログ無期限停止」を受け入れました。

あれ、やめちゃうんですか。

強引に激流に飛び込まされているような感じですね。


>停止理由は、私が記事書いている時がフロー状態であり、
>フローそのものではないということから。
>これは「空っぽ状態」と「空っぽ」の違いと同じだよと言われました。

激流理論はさすが、しっかりしてますが。

ま、頑張って下さい。

211ゆうこ:2013/10/29(火) 09:44:19
お二人からのコメントは本当に励みになります。
ありがとうございますm(__)m

今日は週に一度の休みで週課のデトックスデイなので
心も毒抜きしますが岩盤浴で体からも出すようにしてます(#^.^#)

ブッダの言葉には人の体の事も多く書かれてあって興味深いです。

・・・てか、白状することもあって書き込みしてます^^;

ヤッズさんのブログ、先日のリンクで飛んでみて
すっかり忘れていた自分の名前を見つけビックリしまして^^;

6年ほど前の■覚醒戦隊カクセンジャー■最後の新入り
ブルーグリーン・ゆうこ・・・です、私。ww

あまりアクセスしないままブログも止め
仕事や家庭の方に忙しくして、すっかり忘れてました^^;

あれから療育も落ちつき、会社勤めの人間関係で煮詰まって
久しぶりに今年、ラピたん。のブログから掲示板に辿りつき
先日はヤッズさんのブログに数年前の自分の痕跡を発見して
改めて当時の精神状態を思い出しました。

『覚醒』といっても今と全く方向が違うことを感じてます^^;

ブログを止めたのも
今思えば際限のないエゴの声に疲れたせいだと思います。
ブログを書く時間を家事育児に充てよう、と決めてから生活も向上しましたw

でもブログというツールでアクセスがなければ
確実に皆さまとのご縁もありませんでしたから本当に不思議です。

掲示板で貴重なお時間と労力を頂いてコメント下さるお二人と
皆様とのご縁に感謝です。

覚醒戦隊隊員がそれぞれの数年を経て
今から激流に挑む隊員が彼岸に到着するかどうかはさておき
この掲示板はインターチェンジのようなものでしょうか。

複数の道路が立体交差する中で
二人の師匠のランプを頼りに方向確認して
他の方の道も拝読して
また自分の実践の道の運転に戻る元気を頂く・・・
(フリーライドな点に大変恐縮しております)m(__)m

家々を托鉢して修行した時代に比べ
このようなアクセスツールで、ぬくぬくと家に居ながらの実践です。
大変、とかツライとか、とても言えた身分ではないですね。

また長文になってしまいごめんなさい。

今日も実践がんばります。

212けりー:2013/10/29(火) 17:57:52
TKさん

ゆうこさんをはじめ、皆さんの書き込みを参考に、間違った実践をしないよう
一から始めてみます。 

高次元の書もしっかり読むことにします。 

ありがとうございます。

ラピさん

今は駄目だしされ、久々に寝ても覚めてもお二人の言葉で頭がいっぱいです。
もう、いいや〜・・・との言葉にとらわれないよう、一生懸命やってみます。

ありがとうございます!

213ラピ。:2013/10/29(火) 21:30:46
☆ゆうこたん

カクセンジャー・ブルーグリーン!
ちなみに私はパープル!(笑)

なつかしいね。
ゆうこたんが忘れていた過去の自分に
出会ったって感じかな。

確かにあのころのカクセンジャーは
ワクワクの実践の時だった。

第一次実践やったんやね。

214ラピ。:2013/10/29(火) 21:44:54
☆けりーさん

今けりーさんの頭をいっぱいにしているのは
「エゴ」の声です。

それがエゴです。

私、実はダメ出しはしてないのですよ。


実践は「エゴ」の声を無視してし続けます。

実践を遮る声は「エゴ」の声。
判断したり、意味づけしたりするのがエゴです。

それに負けずに実践、頑張ってね!

応援しています!

215ラピ。:2013/10/29(火) 22:27:52
「ブログと激流どっちがいい?」

その問いに迷わず「激流」と答えましたね。

にいたんのブログを書いている状態がフロー状態で
激流を渡り終えた状態(=悟り)がフローそのものである
というその話の流れから
「ブログを続けるのと激流に飛び込むの、どっちがいい?」
というつもりで聞きました。

そして激流ということになると、渡る時は
ブログを書けないほどの激流を渡ることになると思います。

それはいつ終わるかわかるものではありませんので
一生やり続ける、という決心が要ります。

「いつか終わる」

そんな気持ちでの激流はあり得ないからです。

そういう意味で激流を渡る時は「無期限で」
とお伝えしました。

このやりとりは「今すぐ無期限でブログをやめましょう」
という提案ではなかったのです。

言葉が足りませんでした。

でね、にいたんは今「わくわく」を実践しているのですよね?

にいたんの理想はなんでしょうか?

この第1の実践を思いっきりしたら自然に第2の扉が現れますので
今は「わくわく」を思いっきりすればいいと思います。

にいたんのブログも「わくわく」に使えます。
自分の理想の世界を表現していくのです。

ちなみにかつてもブログでワクワクしたよね。

「幸せゲーム」とか「カクセンジャー」とか。

ゆうこたんもカクセンジャーだったよね!(ここで再集合!(笑)

(ちなみに私の「幸せゲーム」の記事は

ブログのカテゴリ「幸せな金持ち宣言」を見ていただけるとわかります。

http://daisukirapisu.blog87.fc2.com/category15-6.html


ちなみにTK師がこう表現されていましたね。

>強引に激流に飛び込まされているような感じですね。

そんな感じでは決心があいまいになって
激流を渡り切れないし、そもそも激流は起こらないかもです。

実際、今回のことは、「私に言われたから」ですよね。

にいたんが自ら決心して
自分から激流に飛び込む必要があります。

にいたん、今を思いっきり頑張って。

にいたんの望む世界はどんなものですか?

そこからが始まりです。

「まずはにいたんの理想を生きるのだ」



TK師がワクワクと激流の違いを書き込みされています。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/12104/1373075256/152

私もその2段階を通っています。

216ラピ。:2013/10/29(火) 22:29:47
215の書き込みはヤッズ★さん宛てです。

@(*・ω・*)ポッ

217名無しさん:2013/10/29(火) 23:20:39
イライラしたり、八つ当たりしている自分を感じると嬉しくなるのはなぜでしょうか。

また自分が操り人形のように感じるのはなぜでしょうか。

この意志でさえ、自分のものではないと感じるのはなぜでしょうか?

こんな状態になることはありますか?

218TK:2013/10/30(水) 00:00:06
>こんな状態になることはありますか?

ありません。

219ヤッズ★:2013/10/30(水) 07:43:49
TK祖師、ラピ。師匠!
アドバイスありがとうございます!

>このやりとりは「今すぐ無期限でブログをやめましょう」
>という提案ではなかったのです。

あーーーーーーっ
そういうことだったんですか!
「無期限停止」を聞いた瞬間、目が点になって周りがモノクロになりましたが、不思議と何の躊躇もなく受け入れている自分がいました。でも今回の件、そう言われた後には何故か憑き物が降りたような清々しい気分になりましたよ(笑)。

>そして激流ということになると、渡る時は
>ブログを書けないほどの激流を渡ることになると思います。

「激流」の話に及んだ時、ラピ。師匠は私がかつて起きた過去想念が次々と湧出する「奔流」があって、次から次へと強い想念が湧出して頭の中を占拠して、1〜2週間の間大変だった時のことをチラっと述べられていましたね。確かに、あんな感じで「激流」が起きるならブログ書くどころではありませんね。それにしてもラピ。師匠はあのような状態が過去に数年間も続いていたことがあったとは、、、今更障ながら師匠のメンタルの強靭さに驚くばかりです。

>この第1の実践を思いっきりしたら自然に第2の扉が現れますので
>今は「わくわく」を思いっきりすればいいと思います。

はい、仰せに従います。
もう少しの期間「ワクワク」フルスロットルします。

>にいたんの理想はなんでしょうか?
>自分の理想の世界を表現していくのです。
>「まずはにいたんの理想を生きるのだ」

憧れの人物は織田信長なんですが、「人の為に」という善玉エゴ育成期に、彼のように「第六天魔王」的に振舞ってしまってもいいのかな?と悩むところ(笑)。

>にいたんが自ら決心して
>自分から激流に飛び込む必要があります。

まだまだ私の筏(いかだ)は小さく浮力も強度も無いため、激流に勝てないかもしれませんね。「自分から激流に飛び込む」という表現にずっと???と思っていましたが、紹介されたTK祖師の「激流とワクワクの違い」を読んで納得いたしました。実は、全掲示板読んでいたのでこの書き込みも読んだ筈なのですが、今とは内容の理解度が全然違います。

>この段階では、外を絶対的なものとして、中を滅ぼしていくのです。

最終的にこうならならば、第六天魔王的な織田信長でもいいかも(笑)
「激流」とはそれまで従順に仕えていた明智光秀が一変して起こした「本能寺の変」になりますね(笑)。

>繰り返し述べますがこれは危険な実践法なのでやれとは言わないですが、
>やる人は自分の自己責任でやるしか手がありません。

「激流」がこういったモノである為、「自分から飛び込む」という決心がいるのですね。

>私が実践時に風俗店の前を通りかかった時に店の呼び込みの人に声をかけられましたが、、、
>声をかけてくれた呼び込みの人の行為には非常に感謝するが、、、
>あなたのお気持ちは非常にありがたい、私はあなたにお金だけ払いますと申し出た、、、

>相手を自分を横道にそれるようにたぶらかす悪い者と識別してしまうのではなく、
>あくまで自分に善意を働いてくれた人と捉えると言う点です。

ラピ。師匠との会話で実践時に「100万円貸して!」と言われたら貸すの?という話が出た時に、金額は違うがTK師匠はお金を渡したと言われるエピソードがここの箇所ですね。う〜む、ここまで外を「絶対視」して自我を滅却しなければならないのが「激流」の実践なのですか、、、、この実践は半端な気持ちではできませんし、内部に強靭なエゴが存在(=強い意志力の反映)していなくては出来ないのが分かります。

>人に従うのではなく、「精一杯の高い理想」を持って、
>自分が中心になって人を導こうとする者の立場をとる事です。

R・シュタイナーのいう「絶対恭順」でラピ。師匠からから流れ込んでくる高い次元の流れを受け止めようとしていましたが、どうも今回の件、あらぬ方向に行ってしまったようです。「下から」というのは「激流」実践時における「外の絶対化」の時の言葉なのですね。今回の件、自分の中で情報混乱した状態で、似ているようで違う点がハッキリしてよかったです。

>強引に激流に飛び込まされているような感じですね。
>ま、頑張って下さい。

TK祖師の「呆れたような」この表現には、上の激流内容から判断した意味(強靭な意志力が備わっていない段階では激流に対処出来ないし、それは自分から飛び込むものであって、飛び込まされるものではない)が込められていたわけですね。多謝です。

220TK:2013/10/30(水) 19:09:21
ヤッズ★さん

ブログの記事もワクワク絶好調みたいな感じですから、
それがうまく行かなくなった時に激流と言う捉え方でいいのではないですかね。

ただし、このワクワクにしても、出来るだけの高い目的意識を持って、
中途半端では無く出来る限りの精一杯に取り組むという事がポイントです。

ここでは、散漫になっているエゴに方向性を持たせるわけです。

外に対して自分の理想を全力で打ち出していくわけです。

ただ、ワクワクの実践は誰でもできますが、
激流の実践は激流を本当に渡った人にしか教えられませんので、
一生の内におけるチャンスというものもそうあるものでもないのが事実です。

私の教えの中に今まで見たこともないような内容がもしあれば、
それは、そのようなものだという事です。

222ゆうこ:2013/11/06(水) 08:28:51
おはようございます(*^_^*)

先週は、『常に意識的にふるまう』ことを意識したところ
もう、エゴとりホイホイに大漁にエゴが捕れました。
んで、気づいた後で、
どんな種類のエゴか(自己顕示欲か、不安かなど)
次はどうふるまうか、改善策もあわせてメモすることにしました。

おかげで3日目にはエゴの種類もわかり
だいたい同じ発生源となるエゴにも気がつきました。
しかも改善策通りに行かずに同じエゴに負けることも多いです。

あんまりエゴ大漁で「ヤなやつ〜」と、げんなりしますが
それもエゴの声なんですよね。
やる気をそがれないよう、『スルーで改善』がんばってます。

何度も同じ種類のエゴが、
しつこく出てきては自問→削る、の繰り返しで
以前なら「アタマおかしくなりそう」と思ったはずですが
それくらいとことんで良い、と聞いてるのでダイジョブですw
・・・かなりシブトイ種類のエゴ居ますけどね^^;

「こういうとこは何も変わってないし変わらないんじゃない?一生」とか
「過去にああだったから、もうダメだよ」とか言う虚無エゴも居ます。

そいつの言葉でこれまで何度も挫折してますが今は
「あ、またエゴが言うてる」という感じで客観視できるぶん、
落ち込む時間が少なくなってます。

ブッダの言葉にあるような『蛇の皮を脱皮』するイメージで
ヤな自分という『皮』をどんどん脱いでますが

厚着しすぎで
いつ裸になれるかわかりません!

でも「脱いだらスゴイんです」、よね?私も他の人も。
ボ・キュ・ボーン・・・ぢゃなくてw
きっと、まぶしくて見えないくらいの光の粒子、っていうイメージです。

皮同士、ガピガピぶつけあって塵垢として落とす、
「落としてくれてありがとう」を意識して薄着の冬を迎えます!

223実践マン:2013/11/06(水) 11:44:41
TK先生

これまで理屈で解決する実践をやってましたが、体が動かなくなり、それ以上進めなくなりました。
体の声を聞き、見えない敵が何なのか悪戦苦闘した結果、体を思考の奴隷のように扱うエゴを発見しました。
今後は思考が体に奉仕していこうという意思が強まりました。
もっともっと神様の声を聞くよう努力していきます。
思考ばかりに振り回されていました。
ご指摘いただきまして、ありがとうございました。

224TK:2013/11/06(水) 17:57:14
ゆうこさん

きっちりと下からが出来ていれば、「激流」が発生するのですが、実際にどうですか。

激流を自分で作り出せなければ、うまく行っていないと思います。

ただ、当たり前ですが、激流は本当に激流なのです。

225TK:2013/11/06(水) 18:31:37
実践マンさん

>これまで理屈で解決する実践をやってましたが、体が動かなくなり、
>それ以上進めなくなりました。

ちなみに「激流」の実践の時には、体は動かなくなるものなのです。

これ、ラピ。さんに聞いてもらっても分かりますが、
体が動く「激流」の実践は無いのです。

私も実践時はほとんどスローモーションで動いていました。

>体の声を聞き、見えない敵が何なのか悪戦苦闘した結果、
>体を思考の奴隷のように扱うエゴを発見しました。

体の声を無視して、だから「激流」なのですね。

体の声を聞いてそれに従ったら、それを「激流」とは言いません。

「激流」とは体の声を無視する所から始まるのです。

>今後は思考が体に奉仕していこうという意思が強まりました。

話を聞くに、まだ「激流」ではなく、
「ワクワク」の実践で行く段階なのだと思います。

>もっともっと神様の声を聞くよう努力していきます。

神様だと思っているものは、本当は神様ではない事が往々にしてあるのです。

そして、最終的には神様も捨てて行かなければならないのです。

ラピ。さんもほとんど魔境にはまってましたから、
そこを気付かせて一切捨てさせてゴールインです。

>思考ばかりに振り回されていました。

エゴの段階の人にとっては、右も左も思考です、それしかないのですから、
いずれにしても思考ですから、この思考の中に善玉エゴと悪玉エゴの2種類がある、
でもいずれも思考には違いなく思考で行くしかないのです。

思考の中にも「意志の力」を多く使う方向性が神に向かう道です。

大して「意志の力」を使う必要性の無い生き方は、
自分の変化は見込めない生き方ですね。

つまり今のまんま、
そのまんまですから楽ですが彼岸に向かう激流(苦悩)とは正反対の生き方という事になります。

正直言って実践マンさんには彼岸では無く「ワクワク」の此の岸の段階の実践が向いてると思います。

つまり、
エゴの動きなど全く見抜けなくてもワクワクの実践ではそれで良いのですから。

226ゆうこ:2013/11/06(水) 20:24:36
TK様 コメントありがとうございますm(__)m

>きっちりと下からが出来ていれば、「激流」が発生するのですが実際にどうですか。

下からを意識し忘れてた事に後で気付く事も多く、できてない事が多いです。
特に目下の人に対してです。

今まで、組織や親子間などの関係性の中で、
悪気なく、当たり前のだったことに対して
改めて(深い意味を持って)エゴ殺しを意識し始めてからは
1日中、気がはりつめている感と、
自分の弱点がさらけ出されている辛さがあります。

そのせいで逆に、
自然にできていたことができない、凡ミスが多発しているような反省もあって
ぎこちないけど「丁寧に、
行為に集中して頭を空白にしよう」と努力している感じです^^;

先週の眠れない日々は
エゴの醜い姿や、煩悩的な妄執と闘って、
数件はどうにか勝った気がしました。

数件はまだまだ勝てておりません。何度も同じエゴと闘い中です。

仕事上では、月末に
抵抗しているエゴを封じる予定を組んだので

>激流を自分で作り出せなければ、うまく行っていないと思います。

という点は、これからだと思っておりますm(__)m

>当たり前ですが、激流は本当に激流なのです。

→ブッダの言葉(戒律)を胸に闘う所存です。

また、先述されている
>体が動く「激流」の実践は無いのです。
>私も実践時はほとんどスローモーションで動いていました。

という状態についてですが

私の『ぎこちないけど丁寧に』という動きは違うようですね・・。

動いている方が無心になれるので
仕事・家事・育児・用事、と分刻みで動いてるのでスローではないからです。
(おかげでいろんなことが片付いてますが)

どの段階かわかりませんが
今は毎朝「滅私」と書かれたポストカードを見て目覚めて、
神棚に祈って、修行中という意識で生活しています。

特にブッダの言葉は、
最初は気にとまらなかった短い文中の重い戒めに
読み返して気付くことも多く
そっちゅう言動を軌道修正しております^^;

がんばりますm(__)m

227実践マン:2013/11/06(水) 20:48:29
TK先生

ありがとうございます。
体の声を無視し続けること、苦悩に向かい続けるこが激流なんですね。
メンタルが弱いので、ワクワクの実践(何でも感謝して受け取れるようにしよう)を激流のように感じてしまっているだけなんだと思っていました。
これまでにご説明頂いている2つの実践を、もっとよく理解することからやり直します。
忍耐強くご指導いただき、ありがとうございます。

228ラピ。:2013/11/06(水) 23:23:08
こんばんは!@(*・ω・*)ポッ
みなさま、がんばられているようですね。


>体が動く「激流」の実践は無いのです。

私の激流は「私の意志」が否定されたことから始まりました。
そしてそれまで「意志」を使って動いていたから
動けなくなりました。

「意志」が否定されたのです。

意志で動いていた私は動けなくなりました。

それでも「なんとしても動くんだ」と動く訓練をしました。

今思い出すと
その時の訓練は「単に動く」訓練をしていたようです。

ただひたすら「動くのみ」。
これをしていました。

それと同時に、第2の実践もしていました。

とことん「ない意志」も使い尽くし続けました。

「ない」と言えるようではまだ終わりではありません。
「ない」を超えたところに「それ」はあります。


魔境についてですが
まさしく私のかつての状況は魔境でした。

第3の実践時、すでに魔境だったようです。

何年もの間、魔境にいました。

魔境と言っても怖いものではありません。
一見、普通のことなんです。
それはそれで、「その時の私」にとっては
問題ではなかったかもしれません。

でもそれは「停滞」と言える状態であり、
その次元を永遠に彷徨う可能性がありました。

ちなみに第3の実践の最後のほうは「神」はいませんでしたが
なにか輝く存在を感じることがありました。

それもズバリ、魔境状態です。

あの手この手で、停滞させようとしてきます。

師も言われているように
これらを捨てなければなりません。

そこに満足して立ち止まったらそれで終わり。

私は師に出会えなければ
一生魔境にはまっていた可能性があります。

ちなみにこの魔境の状態は
本物にしか見抜けないと思います。

229実践マン:2013/11/07(木) 00:48:31
TK先生 ラピ。先生

ありがとうございます。
ご指導のおかげで、苦悩に戻ることが出来ました。
「どうしたらいいか分からない」というエゴの声を無視して
感謝の実践、奉仕の実践を続けて行こうと思います。

私の場合は体を動かし続けた結果
医者や家族から動きすぎだと注意されたことで停滞しました。
休んだおかげで脚の腫れや激痛などの症状は治まりましたが、、、
今後、動き方を工夫し努力します。

ワクワクの実践が向いているとのアドバイスを、ありがとうございます。
私の今の理想は、家事・仕事・家庭円満を実現する努力を
常に感謝して出来るようになることです。

230TK:2013/11/07(木) 06:50:42
ゆうこさん

>私の『ぎこちないけど丁寧に』という動きは違うようですね・・。
>
>動いている方が無心になれるので
>仕事・家事・育児・用事、と分刻みで動いてるのでスローではないからです。
>(おかげでいろんなことが片付いてますが)


スローと言うのは、スローにしか動けなかったと言う意味です。

>私の『ぎこちないけど丁寧に』という動きは違うようですね・・。

無心の精度が違います。

なぜなら、あなたの行為には『ぎこちないけど丁寧に』があるからです。

私のとっていたスローモーションは、
『ぎこちないけど丁寧に』どころか「行為」ですらありません。

止まっている事と区別が無い状態です。

>仕事・家事・育児・用事、と分刻みで動いてる

あなたは仕事や家事や育児や用事や、分刻みで動いている、
の「行為」をしていますが、
これが微細な部分までも切り捨てられて僅かな行為であってもならないのです。

「動いている」であってもならないのです。

そこまでの精度で無心の実現をすれば、あなたも動きは止まります、
止まっている事と同じですから。

特に私の動作には、
「焦り」「時間」「追われる」このような微細な思いが付随していましたから、
これを逐一切り捨てながらスローモーションと言う動作が取られたわけです。

激流と言うのは本当に激流なのです。

緩流なら最初から激流などとは言わないですね。

それと、
例えば100メートル全力疾走で走っている最中がいくら無心に近いからと言って、
それを無心の実践とは言わないです。

私やラピ。さんは精度の高い無心の実現により、動きが止まったり、
スローモーションにしか動けなくなったりしたのですが、反対に、
より精度の高い無心を実現する手段として座禅(止まる)、
またはスローモーションが実際に実践法としてとりいれられていたりします。

http://www.j-theravada.net/4-vipassa.html

自分の中に潜伏するものを表にひっぱり出す手段として、
停止並びスローモーションが実践法として有効なのです。

つまり、あなたのとっている手段は実践法からは外れています。

巷の偽者のするフローのレクチャーは高い金を取ってでたらめな理論をこねくり回し、
しかし、本当の素早い動きを獲得する手段は逆説的なスローモーションの中にあります。

本物の理論は偽者の商売ネタにされかねないので、
このような場所ではあまり言いたくはありませんがね。

つまり、
私に言わせるとあなたののは動作には「行為」や「動き」や「追われる」又は「焦り」が残っている、
私の言うフローと言うものとは別物のように思います。

231TK:2013/11/07(木) 07:06:36
実践マンさん

>ご指導のおかげで、苦悩に戻ることが出来ました。
>「どうしたらいいか分からない」というエゴの声を無視して
>感謝の実践、奉仕の実践を続けて行こうと思います。

ワクワクの実践なら、苦悩はしなくて良いのです。

>私の場合は体を動かし続けた結果
>医者や家族から動きすぎだと注意されたことで停滞しました。
>休んだおかげで脚の腫れや激痛などの症状は治まりましたが、、、
>今後、動き方を工夫し努力します。


「激流」の実践者なら、
かなりこちらが責任の持てないような行為もしなければならなくなりますが、
ワクワクの実践なのであれば、
しっかり養生して良くなってからやろうで良いと思います。

もっとも、あなたの判断ではありますが。

>私の今の理想は、家事・仕事・家庭円満を実現する努力を
>常に感謝して出来るようになることです。

かなり、ワクワクと激流がごちゃ混ぜ的になってますね。

もっとも、
同じ掲示板で異なる正反対の教えを私がしたので、
このようなことになったのだと思います。

>体の声を無視し続けること、苦悩に向かい続けるこが激流なんですね。

そう言う事です。

その方面から考案されたと思われる実践法が、
厳冬の滝に打たれたりの実践法ですね。

>メンタルが弱いので、
>ワクワクの実践(何でも感謝して受け取れるようにしよう)を激流のように感じてしまっているだけなんだと思っていました。

感謝は厳密に言うと「ワクワク」の実践ではありません。

>これまでにご説明頂いている2つの実践を、
>もっとよく理解することからやり直します。

本当はワクワクで行き詰った人が、次の激流に進むのです。

その人にはそれしか方法が残されてない事から、
激流でもその人は進むしかなくなるのです。

232ゆうこ:2013/11/07(木) 07:55:01
TK様
貴重なアドバイス、心より感謝します!!
とても興味深いサイトのご紹介ありがとうございます。
さっそく今日から実践します。

234ラピ。:2013/11/07(木) 23:21:12
みなさまこんばんは!
@(*・ω・*)ポッ

どうぞ、みなさまとことん幸せでいてください。

まだ、「幸せ」というものが存在するのであれば
それを捨てようとするのではなく
まずはとことん幸せでいてほしいです。

私は元々、この世界の相対的な幸せに興味がありませんでした。

なぜ、そうであったのかというと多分、
私はしつくしてしまったからだと思います。

もう十分、幸せであったし、そうでない時もあった。

それらをし尽したからだと思います。

そしてそんなものはもういらない、と思ったからです。


激流となると、今までのものを捨てることになります。

でも、この捨てるということ、
「捨てなければならない」ではなくて
「もう、捨ててしまっている」という状態でなければならない。

「捨てなければならない」というほどの気持ちでは
激流は渡れないし、そもそも激流は起こらないと思います。

「急がば回れ」という言葉がありますが、
「道」を目指したいのなら
まずは今を思いっきり生きていただいたらいいと思います。

なんでも「思いっきり とことん」することは素晴らしいことです。

掲示板を始めて、いろんなやり取りの中で感じました。

まずはみなさんにとことん幸せになってほしいと思います。

私たちが通った道はとことんし尽して初めて
現れるものだと思います。

まだ準備ができていな段階では扉はまだ見えません。

目の前に立ちはだかるがっちりとしまった扉の前に立つときというのは
まさしく目の前は行き止まり状態。

そして、それ以外にはもう道がない、という状態です。

235meiko:2013/11/07(木) 23:22:17
※ブログhttp://daisukirapisu.blog87.fc2.com/blog-entry-1741.html
のコメントに書き込んでくださったmeikoさんのコメントを
ご紹介させていただきます。

meikoさんのお名前で書き込みさせていただきます。
meikoさん、こちらでもよろしくね!@(*・ω・*)ポッ


(ここからmeikoさんの書き込み)

まったく見当外れな解釈かもしれないのですが。

実践とは、悪しきエゴ(目標と違う方向に注意を向けさせようとするエゴ)を「無視する」
というところに鍵があるのではないかと思いました。

善玉エゴを肥大させるために、とことん実践をしていくと、
表に表われることができなくなった悪玉エゴが意識にのぼらないところで肥大していき、
双方が肥大しきったギリギリのところでぶつかり合って激流がおこるのではないかと。

なので、いわゆるスピ系での手法「エゴを見つめて消去」では生きるのは楽になるでしょうが、激流は起こりにくくなるのではと。
消滅しきれるものではないので、いつかは激流が起こるのでは?とも思いますが、
「とことん」を貫きつづけなければ一生そのままかもしれない。

それが「ワクワク」に何時までも止まっていてはいけない理由なのかと思いました。

激流はワクワクの延長線上にありはしても、別物なのかという気がします。
激流を作り出すのは、科学に近いのかしら?という気も。

236ラピ。:2013/11/07(木) 23:51:01
☆meikoさん

書き込みありがとうございます!

はい。
スピ系の手法では激流は起こらないかもです。

私がかつてスピ系どっぷりの時
激流が起こることは全くありませんでした。

私はスピ系にはまってしまう前に一度激流を経験しており、
でも至ることができず帰ってきましたので
ある程度の楽は達成していましたが
それ止まりでスピしてました。

でも師の導きにより
スピ系の知識をすべて捨て去りました。

そして激流に飛び込みました。

ただ、今思うのは
スピ系も、とことんすれば、気付くものがあるのではないか
ということです。

やはりとことんする必要はあると思いますが。

ワクワクの実践ですが
ワクワクをとことんして、行き詰った時、新たな道ができると思います。

ワクワクが第1の実践、
激流は第2の実践となります。

この2段階、私も通ってきました。

237ヤッズ★:2013/11/08(金) 06:30:40
祖師&師匠、いつもアドバイスありがとうございます!

覚醒メカニズムについてあれこれ考えブログを書くことが、現在のワクワク状況です。
ゆうこたんも覚醒戦隊カクセンジャーのメンバーだったのですね!
こうしてまた集結し始めているのも不思議なものを感じますね。

上でタイムリーにもMeikoさんの書き込みがあったのですが、この「激流」が起きることと、
何故、悟り(覚醒)に結びつくのか、グルジェフワークではこう説明されています。

******************************************
感情想念層にはエネルギーが渦巻いて満ち溢れていますが、その放たれたエネルギーのボルテージをもっと高め、
それを眠っていて活性化されていない高次の感情想念層にまで到達させ、
そことリンクさせることで、人はより高い意識状態へ遷移していき、
やがて「覚醒」に至る。その導き手が「自己観察」。

私たちの意識は通常外界に向けられており、
それに対する反応が脳内で始終湧き上がっている状態ですが、
こういうことにエネルギーを消費してしまっているから、
折角、発生したエネルギーが高次の感情想念層に届かず活性化しないのです。
「自己観察」はこの発生したエネルギーをより高次の感情想念層に導いていく。

脳内おしゃべりが、感情想念層で発生させている初源的なエネルギーを
弱めてしまう心理的な「緩衝器」(クンダバッファー)の働きをしている。

スピ系は別名「癒しのワーク」といいますが、実は、今、行われているワークのほとんどは
この理論からかけ離れた所作(緩衝器の働きを強める)となり、覚醒から離れていく。

この「緩衝器」は自動車でいうところの振動を軽減するダンパーやショック・アブソーバーに相当するが、
この心理的な「緩衝器」を取り去って、湧き上がる感情をそのままダイレクトに受け取り、
観察し続け、意識エネルギーをより高次の感情想念層に流し込みはじめと、ついには覚醒に至る。

(拙者記事より)
http://admin.blog.fc2.com/control.php?mode=editor&process=load&eno=2671
******************************************

覚醒メカニズムに関しては同じだと思いますが、
異なるのは【第2の実践】の内容(=激流の起こさせ方とその渡り方)でしょうか。
グルジェフの方法と師匠たちの実践方法(下から、感謝)の違いや、
方法により至る先が異なってしまうのか...何か違いがあれば教えて頂けましたら幸いです。
(EO氏はグルジェフは大悟していないとかなんとか、、、元修行僧ラピエルさんから聞きました。)

238TK:2013/11/08(金) 07:23:38
>覚醒メカニズムに関しては同じだと思いますが、

私はこの部分の妄想性の高い内容に対して受け答えは無記だ。

さらに、私の説く内容は、その妄想をすっかり捨てる事によって至れるところだ。

239TK:2013/11/08(金) 17:49:27
>その放たれたエネルギーのボルテージをもっと高め、
>それを眠っていて活性化されていない高次の感情想念層にまで到達させ、
>そことリンクさせることで、人はより高い意識状態へ遷移していき、
>やがて「覚醒」に至る。


あなたのキーワードになっているものは「エネルギー」ですが、
それは妄想の産物でしかないのですよ。

「エネルギー」と言う対象の「妄想(偶像)崇拝」をしていますね。

エネルギーは絶対的なものではありません。

したがって、あなたのここで述べている全てが変ですね.

本質的なものであれば、
エネルギーも高次の意識状態とやらも一切を捨て去って行くだけです。

あなたが「エネルギー」という妄想の産物を絶対と思っていたら、
いつまでも妄想の世界です。

スッタニパータ946
>バラモンである聖者は、真実から離れることなく、
>陸地(安らぎ)に立っている。かれは一切を捨て去って、
>「安らぎになった人」と呼ばれる。


スッタニパータ9
>走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、
>「世間における一切のものは虚妄である」と知っている修行者は、
>この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

240TK:2013/11/08(金) 19:11:20
meikoさん

>実践とは、悪しきエゴ(目標と違う方向に注意を向けさせようとするエゴ)を「無視する」
>というところに鍵があるのではないかと思いました。

当たっていると言っても良いですね。

客体化すると言う表現の方が本質に近い表現ですが。

>善玉エゴを肥大させるために、とことん実践をしていくと、

この捉え方で問題はありませんし、
私もそのようなとらえ方をして実践に臨んでおりましたが、
本当は善玉エゴをも無くするための方法なのです。

これは至った者にしかわからない相対の原理と呼ぶのです。

>表に表われることができなくなった悪玉エゴが意識にのぼらないところで肥大していき、
>双方が肥大しきったギリギリのところでぶつかり合って激流がおこるのではないかと。

妄想たくましいですね。

自らの中に潜伏するものまでも表面にあえてひっぱり出してきて戦うから激流となるのです。

>なので、
>いわゆるスピ系での手法「エゴを見つめて消去」では生きるのは楽になるでしょうが、
>激流は起こりにくくなるのではと。

スピ系には、あの津留といも者にしても、
来る波をどうやって乗り越えようかと言う内容が主で、
向かっていくと言う手段がみあたらない。

だから私はあの津留という者の教えは塩分を全て除去したラーメンを食べさせられているような教えだと呼んでおりました。

激流とはこのような者には無い内容の部分から起きるのです。

>消滅しきれるものではないので、いつかは激流が起こるのでは?とも思いますが、
>「とことん」を貫きつづけなければ一生そのままかもしれない。

激流が死ぬまで起きないから、私はあの者たちを酔っ払いと呼ぶのです。

>それが「ワクワク」に何時までも止まっていてはいけない理由なのかと思いました。

やる前からああだこうだと、あなたは妄想性が凄く高いですね。

案ずるよりも、まず、行動を起こしてからものを言って下さい。

止まっていると言うのは、「ワクワク」を精一杯やってないという事のあかしです。

>激流はワクワクの延長線上にありはしても、別物なのかという気がします。

やる前の妄想は良いですから、まず、やってみてそれから語って下さい。

私は単なる妄想のネタをばら撒きたくてここで話をしているわけではないのです。

241ゆうこ:2013/11/08(金) 19:20:22
TK様に教えて頂いたサイトの『ヴィパッサナー冥想』を始めました。

まず朝の運転時など、
いかにこれまで『ながら運転』
(エゴのおしゃべり・妄想タイム)だったか思い知らされた上に、
とても安全運転になりました。

先日の軽い物損事故時、
「下から」、「感謝」という言葉に集中していたつもりでも
それに付随したいろいろな想念があって
運転がおろそかになっていた事がわかりました。

本当に無心で集中するための『行為の実況中継』が
実は瞑想であることを知って、
ボンミス多発に対する解決法として意識していこうと思います。

まだ2日目ですが
憶測や判断なしに「心をただ観る」ことは難しく
実感に付随するエゴを黙らせるのに苦労しています。

『嫌悪』など、弱いところは
捨てても捨ててもどんどん出て来て
そこから思考が始まっては止める、捨てるの繰り返し、

その間も『行為の実況中継』&姿勢を意識する・・・というのは
とても大変だし、できない時間の方が多いですが
歩く時も何をする時もできる瞑想を教えて頂いたおかげで
自己嫌悪したりエゴがしゃべる時間はさらに短くなっています。

エゴの実感とは何か、
それはどのように現れるのか
エゴの実体をつかむまで負けるわけにはいきません。

悪玉エゴの掃除、がんばります。

また、上記にあるラピたんの書き込み、
全ての幸せを願うまっすぐな気持ちにも感動しましたので

私の想いも、そういう慈悲の気持ちと感謝をベースにできるよう
日々繰り返して
善玉エゴを育てたいと思います。

いろいろな気付きをありがとうございますm(__)m

242ゆうこ:2013/11/08(金) 19:28:24
あと、コメントして頂いた『スローモーション』技法については
『ヴィパッサナー冥想』の『実況中継』をしていると
結果的にゆっくりになってしまうので
同じものと理解して実践しておりますm(__)m

243TK:2013/11/09(土) 08:53:39
ゆうこさん

まず、いくつかの問題点を指摘します。

>とても大変だし、できない時間の方が多いですが

就寝時以外の意識のある限り実践の例外は無いと言うのが、
実践の基本姿勢でなければ意味をなしません。

例外を認めてしまったら、
結果として肝心の一番の激流の時に実践から逃げると言う意味のない実践の状況になります。

ラピ。さんは分かりませんが、私は私の命より実践の方が重要でした。

あなたの場合は当然にあなたの命の方が実践より重要なのだと思います。

決して私と同じにやれとは口が裂けても言いませんが、つまり、
私から見ると激流ではなく「緩流」に見えるのです。

私が実践に臨んだ時より、
切羽詰まった状況にあなた自身が追い詰められていないからと言うのが根本原因だと思います。

私は死んでもやるしかなかったのですが、あなたにはまだゆとりがある。

このことから、あなたにもまだ、
ワクワクで行ける可能性があるのではないかと思えるのです。
ゆうこさん

あなたは、お見受けするに、行動力は結構早そうなので、
その思慮深さの少ない部分から様々な失敗があったのだと思います。

あなたに思慮深さが加われば、
あなたにはまだあなたのままでうまくやっていける可能性があるように思いますが違うでしょうか。

激流には推進力が必要ですが、
その切羽詰まった地獄でも良いから進むしかないと言う推進力は、
ワクワクを精一杯やって追い詰められた、
もう打つ手がないと言う状況までたどり着かないと得られないものです。

>エゴの実感とは何か、
>それはどのように現れるのか
>エゴの実体をつかむまで負けるわけにはいきません。

この結果を期待しての実践も、良い姿勢とは言えません。

死ぬまで実践しかない、これが実践者の覚悟なのです。

先に対する妄想は僅かなものであっても、
自らの中から捨てながら実践しなければならないのです。


中部経典4-131
>過去を追うな、未来を願うな。
> 過去は過ぎ去ったものであり、未来はいまだ至っていない。
> 現在の情況をそれぞれによく観察し、明らかに見よ。
> 今まさに為すべきことを、努力して為せ。
> 誰か明日に死あり、死魔の軍と会わぬと知り得よう。
> 昼夜に怠るな。


マタイの福音書 6章34
>だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。
>労苦はその日その日に、十分あります。


激流とは別名地獄と表現できるレベルのものでなければ、
それは激流ではなく緩流なのです。

244ラピ。:2013/11/09(土) 09:56:01
みなさんおはようございます!

@(*・ω・*)ポッ


私も師も言われている通り、
寝ている時間以外は常に実践でした。

もちろん気分転換の時間なんてありません。

気分転換の時間はひと時の気が紛れる時間だと思うのですが
私にはそんな時間は自分をごまかしているような気がして
絶対しませんでした。

最後の実践では「死んでもいい」との実践でした。

「死んでもいい」はある意味、
命を懸けた、とも言えるでしょうか。

命より実践だったと、言えるかもしれません。


私が通った道は厳しいものです。

なぜ、それを選択したか。

その道しかなかったからです。


おかげさまで至ることができましたが
この道、お勧めはできません。

その道しかない人は言われなくても進むと思います。

私からはお勧めできません。


それより、今を思いっきり生きてほしいと思います。
楽しいことも楽しくないことも思いっきり生きてください。

思いっきり生きて、それからです。

@(*・ω・*)ポッ

245TK:2013/11/09(土) 10:44:05
ヤッズ★さん

>グルジェフの方法と師匠たちの実践方法(下から、感謝)の違いや、
>方法により至る先が異なってしまうのか...何か違いがあれば教えて頂けましたら幸いです。

かなり異次元な質問なのです。

我々は本来立体なものを、いかに平面で書き表せられるか、
これが我々の取っている対機と言う言語化作業ですが、でもこれ実は逆なのです。

立体しか知らない人たちに平面を教え、さらに点を教える作業が対機なのです。

ヤッズ★さん、あなたは立体的なイメージでの話し方になっています。

つまり、
あなたが至った状態とベースに据えているものも立体的なイメージのものなのです。

しかし、我々は立体から平面に、さらに点に向かう話をする者なので、
あなたの質問にはピントが合わせられません。

至るための実践をする者の中で、
あなたのようなトリックにかかって抜けられない者は多いのです。

掴もうとしたり、把握しようとしたり、
この行為を捨てなければ辿りつけない所が我々の居る所だからです。

これが立体から平面へ、さらに点へ向かう作業です。

結果が先にわからないような先の見えない実践など出来ないとか、
そういう人には永遠にたどり着くことができないのが我々の居る所です。

私は人々のために自分を実験台にして何かを見つけるのだと言う事のために、
この探求そのものを捨てたのです。

複雑ですが、これがポイントです。

つまり、立体から平面へ、さらに点へ向かうためには必要な事です。

ですから、あなたが今掴みたがっているものは、
今後あなたが至るためにはすべて障害になってきます。

僅かなイメージであっても、それは至る事の前に立ちはだかりますから、あなたの問題に向き合う姿勢は変更することが望ましい。

しかし、良く考えてみて下さい、アナログに対してデジタル、つまり有るか無いかの点の集まりで、音楽から、絵から、写真から、毛筆書体から、計算まで、全て線ではなく方向性の無い点のみで表すことができるという事を、全ての方向性から解放された者たち、これが我々なのです。

246meiko:2013/11/09(土) 10:45:32
みなさま はじめまして。

ラピ。さん、こちらにコメントの転載ありがとうございました。

>楽しいことも楽しくないことも思いっきり生きてください。
 思いっきり生きて、それからです。

この言葉、身に沁みます。ありがとうございます。


TK様、ご指摘ありがとうございます。

妄想、まさしくそうです。
その妄想は、ぬるま湯の中にいたいという保身のエゴから生まれたものです。
保身は、現実を生きることへの恐怖感から生まれたものです。

それをこちらに転載ということで、自己をアピールしたいという自己顕示欲と、お返事ほしいというかまってちゃんエゴが炙り出されてきました。

気づかせてもらえたことを感謝します。


ただ、私は悟りを目指しているというより、自分と周囲の幸せを目指している者です。
なので、次回から書き込みは違うスレッドにさせていただきます。

247ラブレザ:2013/11/09(土) 12:35:52
はじめまして皆様。
私はいつも宇宙について思索しています。哲学とは思考が無限に広がるものなのです。はっきり言って楽しいです。私はそんな哲学的探究だけがささやかな幸せの時間が送れるようなつまらぬ人間であります。また哲学とは悪魔でもあります。自己完結、自己満足、自己陶酔の世界ですから。あるようでなく、ないようであるを捜させる深い迷宮なのです。一度引きずり込まれたら半永久的に脱出できません。
我々の住むここ物質的相対世界の答えなんて所詮多数決ですから。
やはり答えは最初からありません。
ここにいて悟りを開くことは無理であると薄々感じておりましたが、この掲示板に出会い確信に変わりました。
その気づきを与えてくれたことに感謝いたします。ありがとう。
おそらくもう私は悟りを目指すということはしないでしょう。まだまだここで遊びたいのです。
ただしかし、ここで私の人生の新たな目標なるものができました。皆様のおかげで。ぬるま湯で鉄は打てません。過酷な環境の火の中でその根拠のない自信を打ち崩して冷水で絞めるをひたすら繰り返して鍛え上げていくものであると思います。
これからは苦楽共々、私の武器になれるようにしていきます。
では失礼しました。さようなら。

248TK:2013/11/09(土) 15:15:45
meikoさん

>その妄想は、ぬるま湯の中にいたいという保身のエゴから生まれたものです。
>保身は、現実を生きることへの恐怖感から生まれたものです。

では、まず第一歩を踏み出せばいいのですね。

>それをこちらに転載ということで、自己をアピールしたいという自己顕示欲と、
>お返事ほしいというかまってちゃんエゴが炙り出されてきました。

全然それで問題ありませんが、自己顕示欲とは悪いものなのですか。

>自己をアピールしたい

このように思ったのですから、それに基づいた行動で全然問題ありませんよ。

>気づかせてもらえたことを感謝します。

変にスピ系をかじった形跡がありますね。

まずいのですよ、
あのごちゃ混ぜで実際に幸せになれた人と言うのはいるのでしょうか。


>ただ、私は悟りを目指しているというより、自分と周囲の幸せを目指している者です。

スピ系をかじると、酔っ払いにはなれても幸せになれるかどうかわかりませんよ。

スピ系はごちゃ混ぜで、
その言葉からしてでたらめという事と等しいようなものではありませんか。

249ゆうこ:2013/11/09(土) 18:34:02
TK様ラピ様

コメントありがとうございますm(__)m

今日もがんばってみましたが
>実践できない時間
というのは、仕事中のことなんです((+_+))

たとえば、お客様から電話で予約を受けるとき
普通に、感謝して下からの気持ちで受けますが
『ヴィパッサナー冥想』の『実況中継』はできないという意味なんです。

PC作業のときも今も、言葉を綴っているときは
実況中継の実践ができません。

言葉を使わない場面は、極力実践しますが
業務がたてこんで急を要する時は何も考えずに仕事に集中します。

で、ふと、集中がとぎれて何かの感情を抱いている事に気付くと
その感情を捉えて、捨て、
『ヴィパッサナー冥想』の『実況中継』でまた集中するという感じなので
これだけでもずいぶん集中力がつく気がしています^^;

あと、不要なストレスが尾をひかない効能もあります。

なので、『ヴィパッサナー冥想』は続けたいと思ってます^^;
(もしかして前述の仕事中は
「電話受けます」「終わります」的なテクニックで対処するかもしれませんね。)

また、ラピたん。のおっしゃる「息抜きすら捨てる」というのは
迷いのある所で、
自分の息抜きが部署内の他の人への気遣いにもなるため
あえて雑談やリラックスを心がけているんですが

家庭内やつきあいにおいても
「まあ、今夜は一杯」みたいな事もないと人間関係が・・・
という具体的に悩む場面があります。

つまり自分の実践(修行中)が他人に違和感を与えるのは悪い事
と思えるのです。

ブッダの言葉には、人里離れよ、とありますが
私は在家だから、『早く飛べない鳥』で、
出家の方には『追い付かない』、
人との和を保つにはそれでよい、と思いながらの実践生活です。

このまま死ぬまでお二人の境地に行けずとも
今までよりは、少しは良い人間になって死ねるといいなぁと思ってます。

来年48になりますんで、遅いんですけど
これまでの不徳を少しでも改善して死にたいんです^^;

残る人生には
ワクワク、という言葉のイメージはちょっと当てはまらず、
『額に汗して下から感謝しながら、家庭や社会で役に立って、
常に心は波風立たず泰然と静まって何があっても平和な人』が理想です。
そういう人になりたくて日々改善と瞑想に励んでいます。

(で、欲を言えば、お二人の境地に至りたい、と。)

『ヴィパッサナー冥想』を続けると
自分の弱さ(体の不調も含めて)どんどん出てくる、とありました。

まだ3日目ですが、その通りと感じてます。
悪玉エゴ、あきれるくらい出てきます^^;
自己嫌悪につぶされないよう必死で捨てて実況中継実践で乗りきってます。

このまま行くと、抗いがたい親玉エゴとの対面は当然ありそうですし
体調との闘いもありそうですが
恐れず地道に実況中継の実践を意識して1日を過ごそうと思ってます。

むしろ、激流を期待してベストを尽くしてる感があるので
>結果を期待しての実践も、良い姿勢とは言えません。
・・というTK師のアドバイス通りできるか自信ありません・・・

かと言って
『ワクワクしつくす』というのも、どういう感じかぴんとこないんです。

暖流実践と言われようとも、
実況中継瞑想生活を続けて、『私』を少しでも改善したいのです。


なので、

激流に飲まれた暁に


『巨大エゴキタ━―━((ヘ(゚Д゚*)ノ三ヽ(*゚Д゚)ノ))━―━!! 』


『師匠(_´Д`)ノ{タチケテー』

・・・となった時のために、ワクワクスレに追い出さずw
このスレで修行させて下さい!お願いしますm(__)m

250TK:2013/11/09(土) 19:46:43
ゆうこさん

>たとえば、お客様から電話で予約を受けるとき
>普通に、感謝して下からの気持ちで受けますが
>『ヴィパッサナー冥想』の『実況中継』はできないという意味なんです。
>
>PC作業のときも今も、言葉を綴っているときは
>実況中継の実践ができません。
>
>言葉を使わない場面は、極力実践しますが
>業務がたてこんで急を要する時は何も考えずに仕事に集中します。

やはりあなたには無理です。

ワクワクの実践に切り替えて下さい。

それは「激流」とは言いません。

あなたの実践姿勢を見ていると、
ワクワクの何かをするような感覚で「激流」の実践が出来るもののようにとらえているように見えますが、
そのような甘いものではありません。

その困難性の中で実施するからこそ「激流」なのです。

実践しやすい所で実践する事など、
言ってみればだれでも出来ますから、それを「激流」とは言いません。

そのような甘いものでは無いのですよ。

死ぬのなら死ぬで良い、仕事を首になるのなら首になるので良い、
私はそれでも首にならずに実践の方が終了まで行きましたが、
このような困難な状況でこなすから「激流」なのです。

あなたは、大昔の時代に、
踏み絵のあんな絵たかが一枚を踏めなくて拷問にあったり、殺されたり、
そのような実践者の心理など分からないでしょう。

あなたののは「激流」の実践に対するほとんど冒涜のようなものです。

あなたは、激流に飛び込まなければならないほどに追い詰められていないから、
あなたにとって実践とはそこまでして覚悟を固める事にはなりえないのです。

あなたに関しては以上です。

251ゆうこ:2013/11/09(土) 19:59:27
TK様

貴重なお時間を割いてのお返事、ありがとうございました。
大切に受け止めます。

ありがとうございましたm(__)m

252TK:2013/11/09(土) 20:43:01
ゆうこさん

>貴重なお時間を割いてのお返事、ありがとうございました。
>大切に受け止めます。

途中を飛ばして先に進む事など無理なのです。

それではごちゃ混ぜのスピ系と同じで酔っ払いにしかなれません。

まず、一歩づつ進む事です。

体を使って、善をなす、悪をなさない、ここからです。

253ラピ。:2013/11/09(土) 22:22:17
☆meikoさん

こちらにもようこそいらっしゃいました!

meikoさんの書き込みから
悟りを目指してらっしゃるのかと思ってました。

>私は悟りを目指しているというより、
自分と周囲の幸せを目指している者です。

どうぞ、幸せを目指して頑張ってください。

そしてそれをとことんし尽したら
更なる道が現れると思います。

254ラピ。:2013/11/09(土) 22:29:31
☆ラブレザさん

はじめまして。
ようこそいらっしゃいました。

>おそらくもう私は悟りを目指すということはしないでしょう。
まだまだここで遊びたいのです

確かにここで遊びたいのであれば
悟るべきではないし、悟れないと思います。

「ここ」で十分遊んで「ここ」に飽きた時、
その時に道が現れると思います。

ちなみに私は「ここ」を十分経験して「ここ」を卒業しました。

卒業するためにも
「ここ」をしっかりと経験しなくては、ですね。

255ラピ。:2013/11/09(土) 23:11:41
☆ゆうこたん

私の経験をふまえて書きますね。

私の通った道を参考にして書くので
厳しい内容になるかもですが書きますね。

でもその道をお勧めしているわけではありません。


>迷いのある所で、
自分の息抜きが部署内の他の人への気遣いにもなるため
>あえて雑談やリラックスを心がけているんですが

人の為に息抜き、雑談ということですが
そういう時も実践はできます。

そうなると、自分はリラックスはできませんが
人の為に息抜きできる環境をつくりながら
自分一人は実践です。

私はどんな状況でも常に実践の姿勢でいました。
例外はありません。


>家庭内やつきあいにおいても
「まあ、今夜は一杯」みたいな事もないと人間関係が・・・


もちろん、私も普通に仕事をしてるので飲み会に参加もありました。

でもその時も常に実践でした。

飲み会に行ったとしても実践です。

そうなると飲み会に行っても自分は飲み会にはならなくなりますが
ひたすら実践でした。

どんな時も実践は続けました。


>つまり自分の実践(修行中)が他人に違和感を与えるのは悪い事
と思えるのです。

そうですね。

でもその違和感というのは他人に与える違和感というより
ゆうこたんの感じる違和感ではないですか?

例えばその場にいたら自分もみんなと同じでなければ
という思いがあったりしますか?

みんながお酒を楽しんでるから
自分も同じように楽しまなければみんなに悪いとか?

そしてそのために実践ができず
実践がおろそかになっている、という感じですかね。

なにをポイントにおくか、ですね。

ゆうこたんは実践よりも別のことにポイントがあるようです。

256TK:2013/11/10(日) 00:17:46
>つまり自分の実践(修行中)が他人に違和感を与えるのは悪い事
と思えるのです。

実践はどんな場合にも最優先です。

人に違和感を与えようと白い目で見られようとです。

人を人だと思ってはなりません。

神が人の姿をして自分の信仰心のぐらつきを試しているのだとこのように捉えて、妄想と戦うのです。

だから、激流になるのです。

人に被けて実践を中断するようなら、その者は激流を渡る資格がありません。


>「従順」と言う行為そのものが、
>「対抗」があって初めて成立する相対の原理でエゴを減らす作用の善玉エゴですから。
>
>これは、本当に凄い実践でしたね、親からも気持ち悪がられるし、
>反対にやめろと言われるし、
>それでも実践は最優先なのでこの場合は実践を優先していいのです。
>
>「従順」の実践中であったとしても、方向性のぶつかり合った選択肢の場合は、
>優先順位を付けた選択と言う手段が許されます。
>
>実践者を続けたければ実践は命に代えても最優先事項です。

257ゆうこ:2013/11/10(日) 06:48:04
コメント、ありがとうございます!

ラピたんも飲み会に参加されたんですね。
(人付き合いを一切断たれていたのかなぁ、と思ってました^^;)

そういう具体的なシーンでの在り方に迷いがあって
我流の解釈で実践できないものと決めつけて過ごしていましたが
改めて挑戦したいと思います。

TK様

>神が人の姿をして自分の信仰心のぐらつきを試しているのだとこのように捉えて、妄想と戦うのです
エゴをぶつけてくる嫌な場合に感謝するのと同様、
楽しそうに誘ってくれたりする場面でも
試練に感謝、なんですね。

自分の「快」「不快」で解釈が変わってしまっていた事に気付きました。

たくさんの気付きありがとうございます。
今日も1日がんばってきます!(*^_^*)

258ラピ。:2013/11/10(日) 08:40:37
みなさん、おはようございます!
@(*・ω・*)ポッ

☆ゆうこたん

>人付き合いを一切断たれていたのかなぁ、と思ってました^^;

そんな状況であれば実践は簡単すぎて
実践にならないかもだね。

できないと思う時こそ実践。
できないと思う時こそチャンスと思って実践です。

だって、その「できない」って声は「エゴ」の声だから。

私は出家したり、一人籠って修行したわけではありません。

日常を修業とし、日常からは逃げませんでした。

どんなにしんどくてもしなくてはならないことはちゃんとし、
それプラス実践でした。

例外なく必ず実践です。

激流ですから、本当に激流です。
大変な時もありました。
っていうか、ずっと大変でした。

でも、日常もきちんとやることはやって
そのやっている時も実践でした。

どんな出来事も実践ができない理由にはしませんでした。

ただし、本気でやれば
ほんとにもう前には戻れません。

リラックスもできなくなるし、
(みんながリラックスしてる時も自分は実践です)
そうしてるとリラックスの仕方も忘れてしまいます。

今まで無意識に当たり前にしていたことが
どうやってしていたのかわからなくなります。

でもそれこそが、本当の激流になります。

@(*・ω・*)ポッ

259こめっ!:2013/11/10(日) 17:16:29
お世話になっております。
こちらに書き込みさせていただきます。

なぜ悟りたいのか?
以前ラピ。さんに問われた事を、ずっと自分自身に聴き続けました。
理由を探しました。人のため?自分のため?理想のため?
やっぱりよく分りません。

でも理想のとおり生き始めると、悟りたい理由が見えた気がしました。
ふざけているよう聞こえるかもしれませんが、
「そこが自分の家だから」って感じなんです。
だから絶対に帰らなければいけない気がするんです。

まだまだ1歩1歩に一喜一憂してしまう自分がいます。
また常に全力なんか絶対無理やろーっていう自分がいます。

でも赤ちゃんの成長スピード、子供の無邪気にとことんする、
をお手本に、また自分自身も通ってきた道なんだから出来たんだと、
日々実践を行っております。

実践ってなんか「取り戻す」ための訓練をしているみたいだなぁって
感じてしまいました。

260TK:2013/11/10(日) 17:40:03
ラピ。さんはやはり一般とはかけ離れていますよね。

私のような事をする者が他にもいたという事の方が、
にわかに信じられないくらいなものです。

「激流」と言うのは、このような変った人たちに必要な教えなのであって、
一般的にはワクワクから、同じワクワクにしても、まずここからです、
一般とはかなり相違するくらいの全力投球のワクワクの実践をする事の方が現実的です。

これを飛ばして次に行くと言うのは、どこか、
スピ系かぶれらしい甘い考えを私は感じざるを得ません。

261ラピ。:2013/11/10(日) 23:25:32
☆こめっ!さん

今理想のとおりに生きてらっしゃるんですかね。

まずはそこからでいいと思います。

一喜一憂しながらも実践していれば
とりあえずは目の前に道が繋がると思います。

ちなみに「帰らなければならない」では帰れません。

まずは精一杯今を生きていくこと。
「今の世界」をしっかりと生きてくださいね。

これが「今の世界」を卒業して自分の家に帰る近道です。

262ラピ。:2013/11/10(日) 23:55:30
☆TK師

なんてったってTK師の一番弟子ですから!(笑)

この掲示板のやり取りで気付いたこと、たくさんあります。

私のような生き方はある意味特殊で
普通に生きてる方の参考にはならないかもしれない
ということです。

今まで激流について書いたことが多かったと思いますが
私もいきなり激流に飛び込んだのではなく
それまでにちゃんとしていたことがあります。

それが「わくわく」の実践となります。
自分の理想にむかってまっしぐらの実践です。

それをしっかりしていないと本物の激流は起こりません。

ちなみに258の書き込みも私の激流での実践です。

まずは激流はそういう感じなんだな、
くらいにとどめていただいて
まずは今、「自分」を生きていただいたら
と思います。

その「自分」を卒業したいのであれば
しっかり「自分」を生きることです。

そうでないと激流は起こりえません。

263TK:2013/11/11(月) 00:17:02
私は以前エゴだけが全てだと思ってましたから、
エゴを捨てる気などこれっぽっちもありませんでした。

その当時はエゴをエゴとして客体化できていませんでしたから、
それをエゴと表現するのもおかしいのですが、
どんな障害が目の前にあったとしても、
頭をフルに使って理論で乗り越えていけ無いもの等ないとこのように思ってました。

このように私が頭をフルに使えば、どんな障害も乗り越えて行けるし、
弱い者も守れるし、どんな理想も実現していける、
不可能なことはないとこのように思っていたのです。

つまり、結論としては、エゴを鍛えていたのです。

ですから、折角与えられたエゴを精一杯使いもしないで、悪いものだ、
ハイ捨てたいですとほざいている人たちは、
現実死ぬまで酔っ払いにしかなれないのは分かってますが、
エゴイコール悪いもの的な洗脳にかかっている自身が、にわかに信じられません。

エゴをただただ悪いもの的な目で見て、捨てましょうとやっている人たちは、
かなりピントが狂っていると私的には思います。

だから、ワクワク以外のスピ系と言うのは、全く持ってこの典型で、
私から見ると何か得体のしれない不気味なものを信じている、
かなり気持ち悪い人たちです。

相手と戦って良いんですよ、口論してもしても良いし、
大いに他者を裁いて下さい、エゴの強さが勝敗を決めます、
だからこそエゴを強めると幸せになれるのです。

小さい時に見たテレビのヒーローものの子供番組はほとんど悪者が存在するのですよ。

自分の手で幸せを掴むと言う言葉は、
こういう理論から出てきている言葉だと思います。

決して座禅したり、ヴィパッサナしたり、
このような事を指している言葉ではないですね。

空を掴むような無い物ねだりをするのではなくて、もっと自分自身に与えられた、
例えば頭とかをフルに使えば、人生は切り開いていけるものだと思います。

そう言う人間としての与えられたエゴならエゴを徹底して生きてもいない人が、
エゴは悪いものだ、と洗脳にかかり捨てたいなどと妄想を抱く、
この人たちは変すぎです。

264ラピ。:2013/11/14(木) 07:58:33
みなさま、おはようございます!

いかがお過ごしでしょうか?

ここの掲示板での私たちの書き込みは
厳しいものに見えるかもしれません。

単に夢を見るだけでいいのであれば
心地よい言葉だけを聞いていればいいと思います。

「ここちよい言葉」で得たその場しのぎの幸せ感でも
少なくともその時は幸せを感じるのだから
それも悪くはないのかもしれませんね。

265実践マン:2013/11/14(木) 13:42:00
ラピ。先生

こんにちは。
今まで教わった実践を理解し正しく実行することが出来ていません。

嘘や裏切りが無い平和な世界が理想です。協力し合い物事を進めていける関係が理想です。
現状では
・嘘を見破らないように、気付かないように探らないように過ごしてます。
・他人のことはほっといて、自分だけが理想通りになるように行動してます。
自己完結してしまい、他者を巻き込んで理想を実現するところまで出来ていません。

その時々の都合のいいように、ワクワクと激流の実践をミックスしてるだけなんじゃないかという気がします。
理想を実現するために他者を巻き込もうとすると、思い通りにいかない。苦しむ。
思い通りにいかない外に苦しめられるのが嫌で、自分を捨ててます。

これはワクワクの実践が失敗しているってことですよね?
思い通りにいかないその時に工夫し努力し、理想を実現する力を強めなくてはいけないんだと理解しています。

266ラピ。:2013/11/14(木) 23:38:27
☆実践マンたん

こんばんは!
「失敗」というものは長い目で見ればありませんよ。
どれも無駄な経験はありません。

>嘘や裏切りが無い平和な世界が理想です。
>協力し合い物事を進めていける関係が理想です。

では別の発想があります。

もし、その実践マンたんの思う理想の世界が
すでに叶ってるとしたら実践マンたんはどんな行動をしますか?

自分の理想の世界にすでにいるとしたら
どの様な言葉を話し、どのような行動をしますか?

その行動を実践としてやっていくといいかもしれません。

>・嘘を見破らないように、気付かないように探らないように過ごしてます。

この行動は「嘘があると感じるけど、それに気づかないようにする」
ということかな?

そうなると「嘘」がある前提の行動になってしまいます。

嘘がない、理想の世界であったなら?

その前提で行動してみると
いろんなことができるようになってたりします。

@(*・ω・*)ポッ

267実践マン:2013/11/15(金) 09:59:25
ラピ。先生

ありがとうございます。

もし、その実践マンたんの思う理想の世界が
すでに叶ってるとしたら実践マンたんはどんな行動をしますか?

上記について昨夜、少し想像してみました。
以前の挫折した時の感情が一気によみがえってきました。
今はずっと封印してあった悪玉エゴにコテンパンにやられてます。
この自分を捨てて、理想の世界での行動ができるように頑張ります。
ありがとうございました。

268ラピ。:2013/11/15(金) 11:00:49
☆実践マンたん

かつて、それで挫折したことがあるのですね。

今、大変かもしれませんが、
実践マンたん、
応援してます。

269ラピ。:2013/11/15(金) 11:11:17
☆実践マンたん

今、ご存知のとおり、実践マンたんに影響を与えているのは
エゴの声です。

ちゃんと神さまが見守ってくれていますからね。

270TK:2013/11/16(土) 07:21:25
実践マンさん

>嘘や裏切りが無い平和な世界が理想です。
>協力し合い物事を進めていける関係が理想です。
>現状では

一つ注意点がありますが、「裁いてはなりません」とか、
知ったかぶったバカ者がこの言葉をさも凄いもののように振り回すことがありますが、
そのような馬鹿者の言葉は無視していいです。

この者たちは酔っ払いですから、それも泥酔状態のほとんど、
何とか教の信者と同じです。

自分で堂々と他者を裁きながらそれを言っている辺りが、笑えます。

次の二者の違いは判りますでしょうかね。

1.自分が人を裁く事は悪い事なのだ。

2.人が人を裁く事は悪い事なのだ。

滑稽なほどに可笑しいのですけが、前者がイエスの教えに沿った者であり、
後者はサタンに憑依された者なのですが、
私が目にしたその言葉を振り回す者は悉くサタンに憑依された者でした。

この者たちは正気ではありません、悪魔ですから、
悪魔がまともだったら大変ですね。

このような頭のいかれた者がいるのです。

ただし、これは激流段階の人の実践法なので気にかける必要はありません。

物事には段階がありますから、
理想主義者の段階と言うものは人を裁くのが特徴です。

ワクワクの次の段階に上がるとこの「裁く」と言う状況が変化するのです。

ただしイエスの教えに沿った激流段階の実践者でさえも立派に「裁いている」のですよ、
形を変えてね。

この言い回しは私は初めて使うかもしれませんし他で見たことがありません。

裁いてはなりませんと言ったのはイエスなのに、え、
ウソでしょと言ったらそれは偽物です。

釈迦は正直でしたね、仏教ではよく「勝者」と言う言葉が出てきますが、
つまり、最後まで敵の存在があったことを物語っているのです。

ヴィパッサナでサティというのが、激流段階の人の形を変えた裁きの形で、
立派にこの人たちも裁いているのですよ。

ただ、裁く対象が変わったと言うだけで、裁く行為自身は変わっていません。

私は裁いていませんなどと言うのは、嘘八百です、
激流段階のまともな実践者であっても裁きの行為だけはあります、
成就者が話すこれが真実です。

ちなみに私の聖典は昔は聖書であり仏典でありでしたが、今の私の聖典は私です、
ですから、聖書の言葉を飛び越えて反したような表現も堂々と使い回します、
だから言葉に縛られるばかりの偽物は語ってはならない、とイエスは言いましたね、
それこそウソをばら撒く永遠の罪人、
その者たちは死んだ後は地獄に行けますからお楽しみということです。

物事には段階というものがありますから。

>・嘘を見破らないように、気付かないように探らないように過ごしてます。

これは、理想主義者の段階の方は無視していい教えです。

>・他人のことはほっといて、自分だけが理想通りになるように行動してます。

でも、それでは世界は良くなりませんね。

自分だけが理想にかなった生き方をしていたら、他の人はどうでも良いのですか。

>理想を実現するために他者を巻き込もうとすると、思い通りにいかない。苦しむ。

そこを何とか頑張って、頭をフルに使って対策を練るのです。

実際に身体を使って他者に働きかけをするのが理想主義者の段階ですから。

そうやって自分自身を鍛えて強くなるのです。

271ラピ。:2013/11/16(土) 10:51:30
みなさま、おはようございます!

さすがTK師匠です。

@(*・ω・*)ポッ

272TK:2013/11/16(土) 11:46:25
>さすがTK師匠です。

君は君自身の第一次実践を思い出すことだ。

それは君のそれまでの振る舞い方の反省と言う「外部への働き方」の修正を主な目的とする実践であって、
内面を修正しようとする事を主な目的とする実践ではなかったはずだ。

内面への働き掛けでは無く外部への働きを主たる目的と言う部分が第一次実践の特徴だ。

その欠陥部分が、やがて躓きの原因として浮上する事となった。

もちろんバシャール星とかでならこの躓きはやってこなかったことだろう、
そこはこちらの環境に比べたらはるかに実践について下の下の劣った私にしてみたら反吐が出そうな牢獄的なおぞましいほどの環境だからだ。

しかし、君もこの第一次実践抜きで、いきなり第二次の実践は不可能だった。

君の中からは私に出会う前のスピ系のごちゃまぜの内容が混在して出てきているように思える部分がある。

スピ系はどの段階の者に向けても、
知らない方が良かったくらいの本当に駄目な情報であると思える。

その一番のダメな部分が「ごちゃ混ぜ」という事になる。

そしてスピ系自身もこの「ごちゃ混ぜ」を否定できない事だろう。

その程度の教えがスピ系だ。

つまり、ここをつかれたら返す言葉が無いのがやつらの正体だ。

実際は底の浅い連中だ、なんと言っても「ごちゃ混ぜ」だからな。


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