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非武装信仰板

1472シャンソン:2018/04/09(月) 16:56:00

   台湾からの「しあわせ運べるように」
 https://www.youtube.com/watch?v=OGnE-5JKF1w

1473トンチンカン信徒:2018/04/09(月) 17:38:31
♪北斗の拳も、続編には、ナチスも、日本軍も、満州も、出てくる♪

♪千葉周作の北辰一刀流も、北斗の剣だよ♪

1474神の子様:2018/04/12(木) 21:44:14

   仏教は肉食禁止ではありません
 https://ameblo.jp/myouenjiblog/entry-12091370095.html

1475🐵:2018/04/12(木) 21:47:37

 今世紀最大の著作権無駄遣い 北斗の拳🍓味

1476🐻:2018/04/12(木) 21:48:12
  https://dic.pixiv.net/a/北斗の拳イチゴ味

1477🍋:2018/04/14(土) 14:26:13

  伝道に肩書はいらない 神様の眼
 https://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19735591.html

1478転載:2018/04/14(土) 14:29:17

  「自分の宝を地上に積むのはやめなさい。
  そこでは、虫とさびでキズ物になり、また盗人が忍び込んで盗み出したりする。

  自分の宝は、天に蓄えなさい。
  そこでは、虫もさびもつかず、盗人が忍び込んで盗むこともない。
  自分の宝のあるところに、自分の心もあるからだ」(マタイによる福音書6章19〜21節)

1479👼:2018/04/15(日) 22:18:20

ギャレットがリーディングのことをあまりよく思っていないのはわかっていた。
霊能力については、ずっと柔軟な姿勢で支えてくれていたけれど、リーディングが生活の大きな一部を
占めるようになると、心配になったようだ。

「悪魔につながらないって、どうやって保証できる?」そう聞いてきた。
そう思う気持ちもよくわかったけれど、わたしにいえることは、悪魔ではないことがわかる、ということだけだった。
リーディングでやってくるメッセージはどれも美しくて、愛に満ちていたから。けれども、このときわたしはまだリーディングをたくさん
やっていたわけではなかった。どれもいいメッセージだと思ってはいたが、もし悪いものだったら、わたしのせいで家にとんでもないものを
持ち込んでいるとしたら。

 答えは見つからなかった。そしてある日、わたしと同じくらいの年齢の女性のリーディングをした。わたしと同じように娘がいたが、その人の娘ヘイリーは、三歳で
亡くなっていた。りーディングで、わたしは圧倒的な悲しみを感じ取り、この女性がその悲しみに押しつぶされているのがわかった。この女性は娘を助けられなかったと、重い罪悪感に
苛まれていた。家に引きこもり、祝祭日も祝わず、友人にも会わないで、四六時中、苦しんでいた。

 人生と心と魂がすべてめちゃくちゃに壊れていて、生きる術を失ってしまっていた。リーディングをはじめてすぐに、「向こうの世界」から小さな女の子がやってきて、母親について教えてくれた。
娘を助けられなかったことでどんなに自分を責めているか、どんなに悲しみで凝り固まっているか。そしてお腹に手をやってみせた。何を伝えようとしているのかすぐにわかった。
「娘さんが来ています。自分が死んだのは肝臓のせいだといっています。お母さんがなんとかできるようなことではなかった、自分はこの世に長く生きる運命ではなかったのだからと。この世に生まれてきて、
無条件の愛を感じることは決められていたけれど、ずっといるさだめではなかった。

 悲しみと罪悪感をまぜこぜにしないで、といっています。罪悪感は捨ててと。娘さんを救えなくて母親として失格だと思っているかもしれないけれど、あなたは娘さんを救う役割を与えられなかったのです。あなたの役割は
ただ愛してあげることだったのです」長い沈黙のあと、電話の向こうで静かなすすり泣きが聞こえた。この女性の、かわいらしく果敢な娘がやってきて慰めている。母親が癒されるのを助けようとしている、それは本当に心を打たれる光景だった。
何日か経って、この女性から小包が届いた。

 リーディングのおかげで悲しみが癒された、また前を向いて生きていくことができそうだ、と書いてあった。娘が自分と一緒にいることがわかり、すべてが変わった、本当に久しぶりに外出して友達に会ったと。娘に命を救われたのだ。
手紙と一緒に梱包材で丁寧に包まれた何かが入っていた。小さな天使の陶器の置物だ。娘が病気になる前に、娘に似ているからと買ったものだという。娘が亡くなったあと、この陶器の天使はこの女性の宝物だった。命をもぎ取られてしまった娘との唯一の
つながりだったのだ。いまその天使をわたしに持っていてほしいという。いまでも大切なものだけれども、もう必要ないからと。

 この手紙と天使をわたしはギャレットに見せた。ギャレットは手紙を読んで、リビングを出た。しばらくして戻ってきてから、わたしの隣に座った。手に陶器の天使を持っていた。
「君のリーディングが、この人の人生を変えたんだね。悲しみでがんじがらめになっていて、引きこもってもう生きるのも嫌だと思っていた人だ。でも君と話したあと、また生きようと思ったんだね。この手紙に書いてあることは、本当に純粋で美しい話だ。まさに癒しね。
君がやっているのは、人は癒すことなんだ」

 ギャレットの言葉で、わたしの心は決まった。自分の霊能力とずっと闘ってきたけれど、この霊能力を大切にしようと思った。夫がいなければ、そう思えたかどうかはわからない。夫と一緒に、そう考えることができるようになったのだ。

 『魂の呼び声に耳をすまして』奇跡の霊能者のメッセージ ローラ・リン・ジャクソン 著

1480神の子様:2018/04/30(月) 14:16:29

 霊界物語 谷口正治録 https://ameblo.jp/motoharu567/entry-12214918717.html

1481シャンソン:2018/05/03(木) 20:51:41

 最初のころにやったリーディングでもうひとつ、許しの力を教えてくれたものがある。
バーバラという五〇代の女性で、やはり友達からわたしのことを聞いたという。バーバラはペンシルベニアの自宅の
キッチンからわたしに電話をしてきた。

 リーディングのあいだ、わたしがいっていることことをバーバラがそばにいるご主人のトニーに伝えているのが聞こえた。
「夫はこういうことを信じないんです。死んだらそれで終わり、ただ土に埋められて終わりなんだと考えています。でも、話してあげてくれますか」
わたしが遮る前に、バーバラはトニーに受話器を渡した。

 困った、うまくいくはずがない、とわたしは思った。信じない人にも「向こうの世界」はやってくるのだろうか。トニーは機嫌が悪そうに挨拶をした。自分はこんなことを信じていないと、暗にいいたかったのだろう。
わたしは深呼吸をしてから「向こうの世界」を待った。すると誰かがやってきた。トニーの父親だ。「ロバート」と名乗ったトニーの父親は、息子にどうしても伝えたいことがあるという。
「お父さんがいらっしゃっています。何かとても大切なことを伝えたいそうです。そしてそのことをわたしがきちんと理解して、すぐにお伝えすることが大切だと。お父さんはベルトのことについて、本当に悪かったと謝っていらっしゃいます」
トニーは何もいわなかった。わたしは続けた。

 「お父さまが『向こうの世界』にいらっしゃって、自分の人生を振り返ったとき、あのときあなたが何をしていたのか、やっとわかったんだとおっしゃっています。そしてベルトのことは本当に悪かったと謝っていらっしゃいます。どうか許してほしいと」
トニーが静かに泣き始めたのがわかった。トニーの父親はそのできごとの詳しい様子を見せてくれた。わたしが「動画」と呼んでいる形で。幼いトニーが、自分の部屋のベッドに座っている。ドアは閉まっている。手にベルトを持っていて、それがトニーにとってとても大事なものだということがわかる。
このイメージをトニーに伝えると、トニーは少し落ち着きを取り戻して話をしてくれた。それまで誰にも打ち明けたことがなかった話だという。

1482シャンソン:2018/05/03(木) 20:52:28
>>1481

 ある一二月の寒い夜、七歳のトニーは、ボーイスカウトのミーティングに行った。そこで手作りできる革のベルトキットをもらった。父親へのクリスマスプレゼントにしようと思いついて、トニーはわくわくした。そのミーティング
トニーは一生懸命ベルトをつくった。模様を彫って、ベルトの穴を開けてバックルを付けた。そして家で仕上げようと思い、コートのポケットに隠して持って帰った。自分の部屋に入って、仕上げの作業をはじめた。夢中になりすぎて、毎日やる約束のお手伝いだったゴミ箱を外に出すことを忘れてしまった。
このお手伝いを忘れてしまったのは、はじめてではなかった。忘れると父親はいつも腹を立てたが、この夜はトニーの部屋まで足音荒くやってきて、かんかんになってドアを開け放った。父親はベルトに気がつくと、それをつかんでトニーを打った。ほんの数秒のことだった。けれどもこのことで、トニーと父親のあいだの大切な何かが、壊れてしまった。

「結局ベルトは父にあげなかったんですよ。ベルトのことを教えたこともない。でも、ずっとそのことで悲しかったんです。父さんを裏切ってしまったように思ったから」
トニーの父親がまたやってきた。「違う、裏切ってしまったのはわたしだ、そうお父さんはおっしゃっています。あのときはわからなかったんだと。でもいまはどういうことだったのかわかる、本当に悪かった、許してほしい。あなたのことを本当に大切に思っているし、素晴らしい息子だと思っていると」
わたしは涙をおさえるのに必死だった。それはこの悲しい物語のせいではない。トニーと父親のあいだに、美しい光の道がみえたからだ。トニーはこれまでずっと、傷を抱えて生きてきた。そしてその傷をいまやっと解き放つことができたのがわかった。父親と息子のあいだで素晴らしい癒しが生まれたのがわかった。父親が亡くなったあとで。

「父さん、もういいんだ。もう大丈夫だ。どうか、父に大丈夫だと伝えてください」深い愛情に突き動かされた声でトニーはそういった。
「わたしにいわなくても大丈夫です。ご自分で伝えてください。お父さんはいつもあなたのそばにいらっしゃいます。いいたいことをおっしゃれば、お父さんには聞こえます」
トニーは、受話器を妻に戻した。トニーが何度も繰り返しているのが聞こえた。「父さん、大丈夫だ。もういいんだよ。本当に大丈夫だ」

 このリーディングでわかったことがある。わたしたちと大切な人たちをつなげる光は、亡くなったあとも絶対に壊れることがない。その光は揺らぐこともない。それどころか強くなるのだ。
トニーとジョアンのリーディングで、人との関係は人が亡くなったあとでも広がり続けることがわかった。トニーの父親は、生きていたときはわからなかったことが、亡くなってからわかるようになった。わたしたちの考えや行動は、「向こうの世界」にいる人たちにとって
大きな意味を持つ。わたしたちの愛と理解で進み続けることを助けられる。

 わたしたちには、亡くなった大切な人を癒す力があるのだ。

 『魂の呼び声に耳をすまして』 ローラ・リン・ジャクソン 著

1483「考える」管理人◇日野:2018/05/03(木) 22:46:57
日蓮聖人は菜食主義者であったが、今の時代は日蓮宗・法華宗・日蓮正宗等の僧侶の多くは肉食をしているという。
中でも日蓮聖人を「大聖人」「末法の本仏」と呼んで崇拝している日蓮正宗の僧侶が肉食を行うのは不可解である、と思っていると、彼らは日興上人の次の言葉を肉食容認の論拠にしているようだ。

「先師の如く予が化儀も聖僧たるべし。但し時の貫首或は習学の仁に於ては、設ひ一旦の媱犯有りと雖も、衆徒に差し置くべき事。」(「日興遺誡置文」より)
<意訳>
「師の日蓮上人のように私も聖なる僧として(肉食禁止等の戒律を守って)きた。しかし、もしもその時の貫主や修行中の僧侶が一度戒律を破ったことがあったからといっても、そのまま門下にしておくべきである。」

要するに「私は日蓮聖人を見倣って肉食はしてこなかったけど、それが出来ない弟子がいても赦してあげよう」という程度の意味である。
元々、日蓮聖人の教えに「末法無戒」というのがある。
これは「今の時代は末法の世であるから、戒律を守ろうにも守れない人がいる」ということであり、日興上人の言葉もその延長線上にあるだろう。
だからと言って例えば「不殺生戒なんか末法の世にはどうせ守れないんだから、いくらでも人を殺してよいのだ」という意味ではない。
むしろ、日蓮聖人は「武士の家の仁昼夜殺生の悪人なり」と言われた。
つまり、戦闘を職業とする武士ですらも「悪人」なのである。決して「不殺生戒など守れないから無視しても良い」等という意味で「末法無戒」を言ったわけではないのだ。
それでは日蓮聖人は「武士は人殺しの悪人だから救われない」と言ったのかというと、そういうわけではない。日蓮聖人は次のように仰っている。
「阿闍世王は父を殺害し母を禁固せし悪人なり、然りと雖も涅槃経の座に来つて法華経を聴聞せしかば現世の悪瘡を治するのみに非ず四十年の寿命を延引したまい」
「法華経の心は当位即妙・不改本位と申して罪業を捨てずして仏道を成ずるなり」
どういうことか、簡単に要約するとこうなる。
「現象において父を殺して母を幽閉するような悪人であっても、『法華経』の真理を聴くと救われるのである。」
「『法華経』は現象的に罪を背負ったままの状態であっても解脱をなしうる(実相を顕現させる)功徳を持っているのだ。」
ようは「仮に親殺しの悪人であっても救えるのが『法華経』の教えである」ということだ。
日蓮聖人の立場からすると肉食は良くないことである、日興上人もその立場を引き継いでいる。
だが、日興上人は「親殺しの悪人であっても救えるのが『法華経』の教え」だという信念から「仮に私の弟子が肉食をしたとしても、その弟子を追放するようなことはしない」と言ったのだ。
「罪業を捨てずして仏道を成ずるなり」とは、深い宗教的真理が込められている。
このような日蓮聖人と日興上人の思いを無視して「肉食を禁ずるのは時代遅れである」と言わんばかりの言動を行うのは不誠実であろう。
ある日蓮正宗の信者はブログに次ように書いている。

「当然、末法無戒を宗是(しゅうぜ)とする本宗においても、この期(ご)に及(およ)んで、あえて肉食・妻帯をタブー視していく必要もなくなり、明治・大正・昭和と進んでくるなかで肉食・妻帯が通例化(つうれいか)してきたのである。」

これは日蓮聖人の教えを歪曲するものではないのか?
日蓮聖人はあくまで「肉食は悪業であるが、それでも『法華経』の真理で救われる」という立場であり、決して肉食を「通例化」すべし、とは言われなかったのである。

https://www.facebook.com/tomoki.hino.5/posts/1249605018502940

1484👼:2018/05/04(金) 22:49:23

 【インド哲学】 生長の家とは何だったのか
 https://blogs.yahoo.co.jp/indianphilosophy2005/folder/1261890.html

1485神の子様:2018/05/05(土) 00:12:24

  生長の家はカルト教団だと、お思いですか?
 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1261897752

1486質問:2018/05/05(土) 00:15:15

  生長の家の信者さんへ。入会を考えています。
 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13188645508?query=%E7%94%9F%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%AE%B6&status=solved

1487転載:2018/05/11(金) 15:59:28
800 :神の子さん :2018/05/10(木) 18:01:12 ID:mbA2fRWw
>>798

一年三か月もほったらかしの投稿に今返事するとは?


もっと多いような気がします。(気がするなんて想像の文言でなく、あなたの教区の事実を書いたらどう) 

また、組織に残っている人も、総裁の言うことに共鳴して残っているのではなく、仕方なしに残っている人が多いです。(あなたの教区ではそうかもしれないが当教区の役職者は違います。)

総裁は信徒を内心ではバカにしているのが見え見えなので、信徒の方も彼の言動を信頼していません。(信頼しない人について行きますか?一般信徒は辞めるもサボるも自由なんです。あなたは多分組織人でしょう。金のために組織に残る人にはあなたの様な人もいるのでしょうが、私の周りにいる人たちは信用していますよ。五月二日に本部に行ってきました。玄関前で写真を取っていた若い本部員さんと一時間ほど話をしました。彼は生長の家三代目さんでした。五六人まとまって建屋から出てきた職員さん達もにこやかでした。金のために本部職員でいるようには見えませんでした。「総裁は信徒を内心ではバカにしているのが見え見えなので」一般信徒を馬鹿にしている見え見えの証拠を出してください。一円にもならない幹部研修会に一万人もの人が集まる訳がないではありませんか。)


信仰は自由なんです、いやならさっさと辞めたらいかがですか。

1488転載:2018/05/11(金) 16:06:02
>うのはなさんが独占版ができたときに、志恩さんが反対していたというのは
本当です。わたしにはこうなることがわかっていたんです。(志恩)

 これは嘘ですね。あなたは妨害されたっていわれることに抗議していたし、
 私も掲示板の一員だからあらし問題に意見する自由があると主張していました。
 「あらし問題」は既に解決済みなのに、そういう解釈をしてひとりでわかったような
 口を叩いて人を傷つけていたのです。

 しかし、反対していたというのは本当です。というぐらいだから
 どれだけピントはずれで迷惑だったのかというのは、理解しているんですね?

1489シャンソン:2018/05/11(金) 17:00:19
  トキ管理人様へ

 それと、あなたが誤読したことが原因でなぜかカモの子や志恩から
 不愉快な目にあわされましたが、政治連合版でもどこでも
 おかまいなしに雑談してくる志恩さんの投稿は
 マキさん曳馬野さんワハハハハとか気の狂ったような書き込みなど
 マキさん関係スレッドにまとめるようなことはできないでしょうか。

 志恩さんはいいんですよ、ここは誰がどこで返事したってといい
 あちこちでいろんな迷惑な投稿をしてきますが、孫の話でも部室を2つ使って
 ややこしい。
 独占版は使いこなせないから、新したらばでも他掲示板でも平気で
 自分の話に必死になっていますが、志恩さんの生長の家の目的外、
 志恩さん専用の部室版などを作成すれば、すこしは周囲の迷惑も回避できるのではないでしょうか?

 http://bbs5.sekkaku.net/bbs/toki2/&mode=res&log=218

1490シャンソン:2018/05/11(金) 23:10:27
> マキさん曳馬野さんワハハハハとか気の狂ったような書き込みなど
 マキさん関係スレッドにまとめるようなことはできないでしょうか。

 なんか他人の投稿にあれこれ邪推するような書き方をするのは
 心苦しいのですが、上記のような感想を書いたら、急にバカ笑いはやめて
 光の言葉など書き写しています。
 態度が急変するのは、見ていて恥ずかしい気分になります。
 訊け氏がいっていたように自分の好感度を気にしているのかもしれません。

1491神の子様:2018/05/12(土) 01:29:10
心がけることは、余計なことは言わずに必要最低限のことだけを伝えましょう。本来、多くの情報を伝えることは丁寧なことになりますが、話が通じない人にとっては逆効果になることがあります。

また、こちらの気持ちは理解していないと思って話しましょう。伝えたい内容さえ伝わればそれで良しとしましょう。伝えた内容に自分なりの意見や相手の意見を求めたりすると、お互いに会話の内容がすれ違ってしまう可能性があります。

1492シャンソン:2018/05/13(日) 20:30:23
      苦しい時にホントが見える

 キリストの愛とかやさしさとは反対に、ブッダは苦しい時のことを言っている。
プラスじゃなくマイナスの方向になった時に、どうすればいいか。ぼくはブッダのそこが好きで、
「そうだよな。苦しい時にホントが見えるよ」って思ってる。

 いい時は楽しいから、みんな感謝もするし、「ありがとう」って言ってればいい。
だけど、苦しい時になると「あいつだけは許されない」とか「あいつだけは呪ってやる」って気持ちが出てくる。
それが人間のホントのところだよ。

 自分が一番苦しい時に、一番かみさまは見てるよ。
苦しい時の自分がホントの自分。愚痴を言ったらラクだよね。人を責めたらラクだよね。でもやせ我慢して何度も歯を食いしばって前向こうとしたらいい。
一番苦しい時にやせ我慢して格好いいことを言ってる人にだけ、先に光が見える。

     『かみさま試験の法則』 のぶみ 著

1493シャンソン:2018/05/16(水) 09:39:14
     悪いところも「好き」って言えますか?

 ここでぼくの人生についてちょっと話すと、ぼくのお母さんはキリスト教の牧師で、
とにかく忙しい人だったんです。ぼくを怒ったりする人じゃなかったんだよね。お姉ちゃんには
怒ってたんだけど、ぼくは怒られた記憶がないくらい、怒られなかった。

 ぼくが小学1年生の時に、お母さんが甲状腺がんになるんです。
だからぼくはいじめられている時も、お母さんに迷惑をかけちゃいけないと思ってずっとお母さんに言わなかった。
だけどつらくて死にたいなって思って、2回自殺未遂したんです。でも、その時もお母さんには心配をかけると思って言わなかった。

 中学の時学校に行かなくなって、引きこもりになってる時も、お母さんには何も言わなかった。お母さんはそれでも怒らなかったんです。
高校の時手をつけられないくらいの不良になって、警察に何回もつかまるんだけど、その時もお母さんは1回も警察に迎えに来なかったんです。未成年で
警察に何回も引っ張られるのはよほどのことなんだけど、お母さんは来なかったのね。

 ぼくは2016年『情熱大陸』ってドキュメンタリー番組に出たんだけど、最後はお母さんのインタビューだったんです。
それでインタビューアーの人がお母さんにその時のことをどう思うかって聞いたら、お母さんにその時のことをどう思うかって聞いたら、お母さんは「小学校の時は友だちがいっぱいいて、
すごいいい子でした。高校の時は美術部でした」って言い出したのね。

 ぼくは「いや、お母さん、何を話してもいいけど、ウソをつくのはやめようよ」って言った。
ぼくは小学校の時ものすごいいじめられてたし、高校の時にものすごく悪くなったから。
でもお母さんは知らなかったんだよね。ぼくが言わなかったから。

 それでぼくが「小学校の時に唇をかみ切ろうとしてたよね。だからぼく、まだ唇にこうやってアザが残ってるんだよ。お母さん、唇噛むのやめなさいってよく言ってたじゃん」って言って見せたら、お母さんは
「あっ、そういえば唇噛んでた」って言った。「それはタラコ唇っていじめられてたからだよ。あと、お母さんが買ってくれたスゥェットのズボンあるじゃん。そのスウェットのズボン履いてる時、好きな子の前で脱がされたことがあったんだよ」
って言ったら、お母さんは「ああ、そうなんだ」、って。

 そうしてぼくが高校の時に美術部だったって言ったのは、必修科目で音楽か美術を選ばなくちゃいけなくてぼくが美術を選んでたから美術部だと思ってたらしい。いや、目を背けてたんだよね。
そのあと、お母さんは「高校の時から絵本を描いていました」って言いだしたんだよ。
「いや、高校の時は絵本描いてないよ」って言ったら、「いや、あなたは描いてた」って言う。

 それでわかった。お母さんはぼくのことを「この子はいい子だ」って決めつけてたんだよね。
でも、子どもとしては、「いいところと悪いところがあって自分だよ」って知ってほしかった。
お母さんははじめてホントのことをぼくから伝えられて、ショックで次の日入院してしまった。

1494シャンソン:2018/05/16(水) 09:43:39
>>1493

 あとからメールで「『情熱大陸』っていうすばらしい番組で、あなたが悪かったこと、つらかったことをどうしても話したくなかった。ごめんね、お母さんダメだよね」と送られてきた。
人っていうのは2つなんです。いいところと悪いところがあって、人なんだよね。だからぼくはなんでも差別するのがキライで、言葉でも「ありがとう」でも「バカヤロウ」でも、全部大好きだと思って生きてる。食べ物も「好きキライない」って
言うんです。

 なぜなら差別したくないから。キライなものとか好きなもので分けたくないから。それは自分がやられてすごくつらかったからだよね。
このやりとりを見てたインタビューアーの人に、「のぶみさん、そういうお母さん見て、今後どういう絵本を描いていこうと思いますか」って聞かれたの。
それで、「お母さんのぼくのことを光だと思ってたから、ぼくは光みたいな絵本を描けばいいのかな」って答えたんだけど、いや違うなと思った。それで、こう言い直したんです。

「『いいところと悪いところがあって人なんだよ』って。『いい子に育てようとしちゃいけないんだよ』って。『悪いところがあってもあなたが好きよ』って言ってあげられる絵本を描きたいです」
子どもは「ああしなさい、こうしなさい」って、いい子になるようにばっかり育てられるけど、子どもにとって一番癒やしになるのは、本当は「あなたに悪いところがあっても、お母さんは好きよ」って言ってくれることかもしれないですね。
「そんなこと言われたら、子どもが人殺しになっちゃうかもしれないじゃないですか」っていうお母さんもいるけど、そうじゃないと思う。

「悪いところも好きよ」って言われたら、悪いところはちっちゃくなるよ。
 ぼくはこれまで生きてきて、それを知っています。

  『かみさま試験の法則』 のぶみ 著

1495🌌:2018/05/17(木) 20:26:54
宇宙人の魂を持つ人 ワンダラーの出身地

https://blog.goo.ne.jp/konsaruseijin/c/ca810637d7ba33472e491a9c8ae31ac2

1496転載:2018/05/20(日) 16:08:01

隠れ念仏(かくれねんぶつ)は、権力から禁止された浄土真宗(一向宗)の信仰を、権力の目から逃れて信仰すること、或いはそれを行う者や集団を指す。
南九州の旧薩摩藩や旧人吉藩では、三百年にわたり浄土真宗が弾圧されたため、これらの信仰形態の名残が見られる。
また、神道と習合してカヤカベ教のような秘密宗教も派生したが、基本的には本願寺教団に属し、浄土真宗の主流の教えを守る者をいう。東北の隠し念仏は別物と考えられる。

1497🌺:2018/05/20(日) 16:26:44

   学校長エッセイ 花はなぜ美しいのか
 http://nd-koucho.blogspot.jp/2012/04/blog-post_19.html

1498ヤフオク:2018/05/20(日) 16:34:07

   生長の家創始者 賛 「観音画」 
 https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/x535659086

1499文化財復元:2018/05/20(日) 16:35:54

 「生命の実相」谷口雅春 http://fukugen.info/wordpress/blog/2014/08/18/生命の実相%E3%80%80%E3%80%80谷口正春/

1500シャンソン:2018/05/25(金) 20:35:04

  仏教の国へようこそ バカボンについて
 https://blog.goo.ne.jp/sombrero-records/e/5fe98635ff7369c032594510e5598e50

1501シャンソン:2018/06/09(土) 11:35:20
  「人間を釣るための大きな釣り針」が世間にあることを知っておきましょう

(独自の訳)

「ああ、これは自我(ワレヨシ)の欲望の対象になるものだな。(異性・賭博・不倫・甘い物事・危険なクスリ....)。
これを楽しんで欲望を発散したとしても、一瞬で終わるだけだ。もし楽しんだとしても、小さなことであり長くは続かないことが
わかっているんだ。これがもたらす後からの苦しみのほうが、快楽よりも大きいことはわかっている。これは自分を釣るための大きな釣り針であることを知っている」

 このように真理の知恵を学ぶ者は、実際にひどい目に自分が遭わなくても避けることが可能になる。
だから賢い人は、どんな交わり、集団の中に自分がいましても、自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
 まるで一本の角が立つサイのように一人で歩みなさい。

 「原始仏典『スッタニパータ』第一章第三節─六十一番」

  『 柔訳 釈尊の教え 第1巻』 伊勢白山道 著

1502シャンソン:2018/06/18(月) 07:42:54
1262: シャンソン :2017/10/21(土) 10:15:03

> シャンソンさんは、この掲示板に書く権利はありません

 それで、このあいだ、時期が来たら削除します、っていうことでしたよね。
それは完了したんですか?閉鎖移動の件もうやむやになっています。

1263: シャンソン :2017/10/21(土) 11:06:10
  それと、独占版ができる前に、私が、本板には出入りせずに、
この傍流で本の引用などしていると、るん吉や訊け氏やそんなひとたちが
部室を使い、傍流にも入って来てので、部室でのうの話題禁止の件はどうなったのかと
書きましたが、それについてもトキさんから、はっきりとした返答投稿が見当たりません。

 今部室でごたごたいってる問題などは、
以下のところでも話し合えるはずですよ。管理人ならちゃんと整理してまとめてください。

 新したらば有料掲示板 http://bbs5.sekkaku.net/bbs/toki2/page=61

1503転載:2018/06/24(日) 17:08:20

―ヘブル2:1-3「私たちは聞いたことにいっそう注意を払わねばなりません。そうでないと、押し流されてしまいます。もし、天使たちを通して語られた言葉が効力を発し、すべての違犯や不従順が当然な罰を受けたとするならば、まして私たちは、これほど大きな救いに対して無頓着でいて、どうして罰を逃れることができましょう」。

1504シャンソン:2018/06/27(水) 08:46:55
>>1295>>1296
トキ管理人へ。新したらば、旧本板での志恩さんやカモの子の
 いいがかりについて早く見解を示してください。

 トキさんは部室版でも、他の人から誰がまじめに信仰してるんですか?と
 尋ねられたままですが、なにも回答していません。

1505シャンソン:2018/06/27(水) 08:54:45
匿名掲示板のバカから日野サンへの進路指導です。 (2712)
日時:2018年06月16日 (土) 11時59分
名前:「訊」

 「相手にしてない」とか言ってたにもかかわらず突如、昨夜現れた日野サンです。昨日は時間が無くて触れられなかった件がありますんで、それに関して以下述べてみます。テーマは「日野サンへの進路指導」てなモノになりますが、以下をまあ、(本当に自画自賛したくなるくらい親切な)匿名掲示板のバカを代表して、お伝えして参りましょう。<

この傍流や独占版に正々堂々と入り込んでは
 「うのさんが自分で自分を馬鹿だといった」「雅春先生を汚す奴は出ていけ」と
 いきまいていたただの背教男が、掲示板の代表者になったそうです。

 管理人が頼りないと、こういう人に乗っ取られるんでしょうね。

1506シャンソン:2018/06/27(水) 11:02:28
志恩さんへ。

>彼の会社、「まるかん」で取り扱っている品を、ざっと見てみましたが、
高い値段が付いているものばかりで、どれも 買いたくない、と
思える 怪しさ漂うものばかりが並んでました。<

 さすがに1万3千円でも高いけどっていうだけの
 無職老婆だけのことはありますね。
 そんなことより、話をすりかえないで
 去年からあなたが転載したカモの子さんの投稿について
 逃げまくっている質問に回答してください。

 あなたのような人が一番信用がないんですよ。

1507シャンソン:2018/06/29(金) 17:18:59
      もう一歩深いところを見る

 女子高で国語の授業に出たとき、うしろの四、五人が騒いでいるので、そばに行ってみると、
画用紙を裏返して「見ちゃダメ!」と言います。「そう言われると余計見たくなるんだよ」と言って無理に
取り上げてみると、棒グラフが書いてあって、下のほうには男の先生方の名まえ。一番長い線の隣に「君が代先生」と
書いてありました。

 聞いてみて驚きましたよ。同じ靴下を三日も四日も続けてはいてきたので「コケのむすまで」、それで「君が代先生」なのだそうです。
教団に戻って黒板に「深心遠慮」と大書しました。「読めるか?」と聞いたら「読めません」と言うんだね。そこでわたしはこんな話をしたのです。

「これはね、じんしえんりょ、と読むんだよ。深きを思い遠きを慮る、思いを深めて遠い先まで考える、という意味なんだね。同じ靴下を続けてはいてきたから、コケのむすまで、
君が代先生というのは、深い見かたではないんだね。あの先生は、気に入った靴下があると、二足も三足も、同じ色、同じ柄のものをいっぺんに買う先生なんだよ。ちょっと見ると、代わり映えはしないけど、
いつもきれいな靴下をはいてきているんだ。人間ってね、上辺だけ見て人を批判したりしてはいけないんだな。深いところに目をやらないといけない。みんなも、この学校を卒業して社会に出ていくと、周囲からいろいろな目で見られ、
批判される。そんなとき、この言葉を思い出すといいよ。そして、自分はなるべく表面だけで人を語らないように心がけるんだね。分かってくれたかな?」

「深思遠慮」、この言葉は『父母恩重経』という教典のおしまいのほうに出てきます。知ったのは二十歳のころ。早いうちに知っていてよかったなあと思っています。
世間は何かとうるさいですよね。あの人が、この人が、と言い合って、傷つけ合っているのがこの世の中。布団にもぐりこんでも、まだ言い足りなかったことを思い出して、くやしくて、くやしくて、眠れない。
なんていうようでは、人生めちゃくちゃのまま終わってしまいます。

1508シャンソン:2018/06/29(金) 17:35:02
>>1507

 浅い見かたで人を見て、失敗したことがあります。
酒席でしたがね、私の目の前の女性が、ほとんど聞こえないような小さな声でしか
話をするので、「もう少し大きな声で話してくれませんか」と言ったところ、隣の男性がわたしに
口を寄せて小声で言うのです。

 「彼女はね、のどの手術をしたばかりなんですよ。小さな声でしか話せないんだそうです」
これでわたしはギャフンでしたね。「深きを思い....」どころの話じゃなかったんですよ。
もう一つ、思い出しました。ずうっと前の話だけれど、うちの寺で仏教講座を開いていて、年一回、旅行をしていました。
若い女性の一人が「母も連れて行きたい」と言うので「いいよ」と言って、大勢でバス旅行です。サロンバスのうしろで乾杯をしようというのに、
そのお母さんだけがカップを持たない。「私はダメなんです」の一点張り。

 わたしはなんと「農薬だって飲む人がいるんですよ」と言ってしまったんです。そのお母さんは笑っていましたがね。
次の休憩のとき娘さんが言いました。「父が亡くなって四十九日も済んだところです。母がさみしいだろうと思ってこの旅行に連れて来ました。じつは、父親は農薬を飲んで亡くなりました」。
全身から血が抜けて真っ青になった、というのはこのことです。

 以来、私は〝農薬〟と聞いただけでも身体が震え熱が出るようになりました。

 深く思わない言葉というものは怖ろしいですね。
「粗なることばをなすなかれ」と、お釈迦さまはよくさとされました。よくよく反省させられる教えです。
でも、失敗するたびに反省させられるということは、教えを生かすという意味でありがたいことだと思うのですよ。

  『雲の上はいつも青空』人生を励ます禅僧の50話 酒井大岳 著

1509転載:2018/06/29(金) 22:51:45

>終末論を語る場合,個人的終末論と宇宙論的終末論とを,すなわち個人の未来に控えている体験と,人類の未来に,ひいては全被造物の未来に控えている体験とを区別する必要がある。前者は死ぬとき各自に起こる。後者はすべての人に同時発生的に,宇宙規模の出来事と関連して,具体的にはキリストの再臨と関連して起こる。(エリクソン 2006:370)

1510🍋:2018/07/02(月) 14:57:38

「私は親からの邪悪な影響に打ち克つ子供たちを何人も見てきた。
  それは魂が生来純粋なものである証だ」
出典
マハトマ・ガンジー

1511シャンソン:2018/07/06(金) 10:29:56
傍流掲示板読んでみた不思議。 (2988)
日時:2018年07月06日 (金) 04時24分
名前:あーねー

帰れ管理人さんの返答内容と、言ってることがほぼ同じ。

激情型なところも、よく似ている人がいる。

コッチよりアッチがピッタリです。

水の合うところへ是非!それがいいでしょう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 シオンさんやうのはなさんは光明に書いてもらえないでしょうかと
 和解派の方から昔も書かれたし、うのはな専用掲示板ができてからも
 多くの人があっちへ行けとかここに言いに来ていました。

 トキ管理人がいい提案がありますといって、これで解決するとかいってた
 独占版ができても、志恩さんはじめ多くの人が迷惑な書き込みをしてきました。

 だから、トキ管理人に傍流だけでも閉鎖するように、運営のことは
 トキ管理人に話してください。
 この傍流も早くからトキさんに器量がないのなら閉鎖したらいいといっています。
 
 本流系管理人さんと似ているのは、基本的に方向性がおなじだからでしょう。
 人間的にはわたしのような激情型とちがい、「まともな信徒」の部類に入る
 人だと思いますが。「あーね」さんと同様に。

 ただこの傍流では本流でも教団でも特定団体への批判集中は避ける方向でいます。
 絶対にしないというわけではありませんが。
 そういう意味でも「生長の家」の名称をはずしているので
 そのへんの御理解はお願いします。

1512神の子様:2018/07/06(金) 10:46:41
賛成します (2956)
日時:2018年07月04日 (水) 16時30分
名前:トキ

 多少の意見の相違があるのは当たり前で、それをお互いにレスペクトするのが大事だと思います。少なくても、路線の問題についても、議論をする、という当たり前のことを実践していたら、ここまでこじれなかったと感じます。いきなりの再統一は無理かもしれませんが、少なくとも対立する勢力同士がいくつかの問題(例えば、聖典などの著作権)について話し合いを始めることからして欲しいと思います。このままでは信徒が困ります。両者のご有段の期待します。

1513シャンソン:2018/07/07(土) 08:19:22
>>1512

上の新したらばの投稿は、私が専用版で「夜空ノムコウ」という
 青春を振り返っているような歌を貼ったあとに、新掲示板で「みんな仲良くできないのかな」
って投稿があったから、単細胞にこの掲示板のごたごたした人縁関係のことをいってるのかなあって
思ってたけど、組織の話だったんですね。

 今の内部を知らない人から見たら、職員の他愛もない話が貴重な情報に聞こえるのかもしれません。

1514シャンソン:2018/07/07(土) 08:26:36
>こんな人間が生長の家の正義を述べるとは、このような人間を残した雅春先生の生長の家が信じられ

 普通の会社では内部批判している人には辞めろっていうんだけど
 正義がないから、正義の話をぬけぬけとやれるんじゃないですか。
 
 それに、ここの掲示板体質が、二人の投稿者から妨害されて立往生している際に
 雅春先生は総本山で不整脈女性になんと指導されたのでしょうか?って
 入院前の女性が尋ねても、結局誰も何も回答せず、夫の突然死や
 葬儀屋がどうだ、出ていけなど、人を攻撃するばかりのところです。

1515シャンソン:2018/07/12(木) 20:40:50
   すべての生命はひとしく慈しむべし

訳文にはこうある👉弱きものも 強きものも 大きいものも 小さいものも
すべての生きとし生けるものの 命の尊さを知るべし 幸せであれ 平穏であれ 安らかであれ


  『メッタ・スッタ(慈経)』 世界の聖典・教典 一条真也 著

1516シャンソン:2018/07/13(金) 00:34:52
   牛を殺した罪は牛と同じ生活をして償うべし

訳文にはこうある👉牛を殺して準大罪の罪と結ばれた者は、剃髪し、殺した牛の皮を
まとい、一ヵ月大麦の煮汁を飲み、牛舎に住むべし。

 『マヌ法典 第11章 贖罪 準大罪の贖罪』 世界の聖典・教典 一条真也 著

1517シャンソン:2018/07/13(金) 00:38:42
    聖戦であっても、女・子供の虐殺は許されない

訳文にはこうある👉神の使徒の行った或る遠征で一人の女が殺されて見つかったとき、
彼は女や子供達を殺すことを禁じた。

 『ハディース』聖戦 148節  世界の聖典・教典 一条真也 著

1518神の子様:2018/07/17(火) 18:06:56
2725 :神の子様 :2018/07/05(木) 16:57:06
「常に自分たちは正しい」という思い込みに支配されている人間は反省すると云うことは出来ないのでしょう。

夫々の掲示板にはそれぞれ管理人がいて運営している。その管理人の指示に従えず、道理の解らない管理人であるという。

トキ管理人は自分が批判された時は知らん顔なのに、他の管理人の人格批判をする、まるで話にならない。

揉め事を起こす人はだいたい志恩さんです。貼り付けはご遠慮願いたいと云われているのに、性懲りもなく張り付ける。

投稿文に意見があるのであれば、書かれた掲示板で意見を述べればいいことで、その掲示板に書かれないと云うことは、どうでもいいと思うから書かれないのです。

トキ管理人が斯く言っている、、と余所に張り付ける必要はありません。ましてトキ管理人とは思想が違うと云われる掲示板には。

このような人間は荒らし認定でいいと思います。

1519シャンソン:2018/07/27(金) 14:48:04
  他の神をだまして不老不死の秘薬を奪った最高神

☛訳文にはこうある

 すべてが破壊されてしまった時に、大力のウィシュヌ神は、
 人の心を惑わす魔女の姿をとって、急いで甘露を奪い去った。

 (『ラーマーヤナ』第45章 乳海の攪拌) 

   『世界の聖典・経典』 一条真也 著

1520シャンソン:2018/07/27(金) 14:55:07
    神の像を勝手に作るのは最大の罪である

☛訳文にはこうある

 最大の罪は、偶像崇拝、親に対する不従順、虚偽の証言

 (『ハディース』背教者と反抗者に悔い改めを求めること、および彼らと戦うこと1章2節)

    『世界の聖典・経典』 一条真也 著

1521トンチンカン信徒:2018/08/01(水) 05:15:28
崇教真光はカルト教団としても認定されている宗教ですが、具体的に何が危険なので...
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tig********さん 2009/12/211:25:21
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崇教真光はカルト教団としても認定されている宗教ですが、具体的に何が危険なのでしょうか?一般の人の生活と、何がどのように変わってしまうですか?
また、無宗教の人が真光の男性と結婚するとどのような弊害が待っていますか?
詳しい方どうか教えてください…

1522トンチンカン信徒:2018/08/01(水) 05:21:10
>>1521
♪新掲示板、真光について、訊け氏と日野氏が話ていた♪

♪瀬緒津姫も、そうだが、基本、うしろの百太郎系統が、大好き日野氏♪

♪志恩さんも、似た傾向にある♪


♪コックリさんが、呼べると、喜ぶんだろな♪

1523シャンソン:2018/08/01(水) 12:32:48

隠れキリシタンの島 https://news.yahoo.co.jp/feature/1036

1524シャンソン:2018/08/06(月) 07:25:52
  人生がある日突然ひっくり返されてしまったと感じるなら
あなたはメビウスの輪の上にいます。焦らずそのまま前に進めば、
ちゃんと穏やかな場所へ戻れるようになっています。しかも今までとは
比べものにならないほど景色のいい場所へ。

  ある日突然、予期せぬ出来事や問題が起こる。
 悲しみや不安でどん底へ突き落される。出来事の渦中はいつも大嵐....。

  でも大丈夫!
 人生はメビウスの輪。行き止まりも迷い道も落とし穴もない。
 進めば進むだけ、高い次元へ運んでくれるのです。

 予期せぬ出来事はいつもがんばっているあなたを上のステージへ運ぶ、
 神様から差し伸べられた温かな手。

 いつか今の場所を見下ろして
 懐かしく話せるときが必ず来ます。

  『神様からのBright word』 日下由紀恵 著

1525神の子様:2018/08/07(火) 20:48:39

   神の遺伝子YAPについて
 https://www.youtube.com/watch?v=NkI6m5S-56o

1526シャンソン:2018/08/08(水) 05:57:54

 昔、職場の上司や先輩などが「真如苑」信者だったこともあり
 職場の人のつきあいの一環で真如苑の行事に参加したり
 真如苑の聖典などを読んだことがあります。

 そこで教主様の奥様の戒律事項みたいなもので
 「井戸端会議をしない」という項目がありましたが、
 今は「生長の家の信徒のわたくし」を看板に掲げているような人の掲示板で
 井戸端会議やバトルを展開している自分自身が情けなくなったりもします。

 真如苑信徒について https://followers.shinnyo-en.or.jp/about/index.html

1527トンチンカン信徒:2018/08/08(水) 06:09:59
>>1526
♪シャンソンさんへ、本島掲示板のアクエリアンの親分=志恩さんが、シャンソンさんに、コメントです♪

♪シャンソンさんより、私は、若いと言いたいそうです、あと、関西女に負けたくないそうです(笑)♪
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

5845:志恩
18/08/06(月) 20:58:24 ID:6hRUvSRg
シャンソンさんが教えてくださった斎藤一人さんの話を、聞いたのですが、
いつまでも年をとらない、という話で、自分の年は、自分で決めていいのだという
ことを言ってました。斎藤一人さんは、27歳だと思ってるそうです。

上には上がいるものです。多分彼は70歳ぐらいだと思うけれど。
自分の年をお身出しちゃダメだよ、人に年を聞かれても、
自分の年を思い出して行っちゃだめだよと言ってました。

私が、前から36歳二人と言ってるのは、いいことだったんだと
知りまして、これでいいのだと、改めて感心した次第です。

ですから私は、老婆ではなく、乙女です。

1528シャンソン:2018/08/08(水) 13:01:40
    赤ちゃん・子どもから

 ママのせいじゃないよ
「代わってあげられなくてごめんね」
「もっと早く気がついてあげられなくてごめんね」って
   いまでもそういうけど
   ママのせいじゃないよ
    誰もわるくないよ
  決まっていたことだったの
   だから責めないでね 

 『天国からの「愛」のメッセージ』 写真・文 Chie 著

1529シャンソン:2018/08/09(木) 21:38:46
  あなたが生まれてきた。それだけで、親孝行は済んでいるのです。

 お説教に指図に小言、いつも何かと心配をしてくる親。
仕事や恋人、食べるものにも口を出し、そんな親から「離れたい!」と思う気持ちと
同時に、苦労や迷惑ばかりかけた罪滅ぼしもしなくちゃと思っている優しいあなた。

 でも、生まれてきただけで親孝行は済んでいます。
子どもとは、親を幸せにするために生まれてきます。あなたがかけた苦労や迷惑というのも、
親に何かを教えるための子どもからの〝お題〟。

 お父さん、お母さん、私がいるから大丈夫だよ。

親のことでネガティブになるときは、両親の魂にそう呼びかけてみてください。
お互いに幸せにするエネルギーが回り始めます。

   『神様からのBright word』 日下由紀恵 著

1530シャンソン:2018/08/10(金) 16:25:58

 雨ふりお月さんの歌詞の意味と動画 亡くなった娘への鎮魂歌
   https://entame-lab.com/amehuri-otsukisan/

1531シャンソン:2018/08/10(金) 22:01:58
  この広い宇宙で私たちが知っていることは、
  砂漠の砂のほんの一粒にも満たないもの。
 「自分は何も知らない、ということを知っている」
  ことに気づくと、神の叡智は降りてきます。

 突き詰めれば突き詰めるほど、物事は奥深く、その果てしない世界のなかで、あるとき、
自分がまだまだ成長途中であると気づかされます。神の叡智は、人の一生で受け取れる量を
はるかに超える大きさで私たちを包んでいます。

 〝自分はまだまだ何もわかっていない未熟な存在〟と思う謙虚さに
天の波動は共鳴し、神の叡智が降りてきます。何かを知りたいときはもちろん、
初めてのことや失敗に心が混乱するときは、神様に、人に、そして起こった出来事に、
「教えてください」とお願いしましょう。

 ひらめきや気づきがあったら、「教えてくれてありがとう」と伝えましょう。
偉大な天空に敬意を表し、そこに包まれた自分の若さを意識することで、
神様はとても喜んで、あなたに「さらなるとっておき」を教えてくれるのです。

    『神様からのBright Word』 日下由紀恵 著

1532シャンソン:2018/08/12(日) 20:59:49
    神社とは、どんな場所?

 神社とは何でしょうか?そういう質問をよくされます。
いろいろな考え方があると思いますが、私はこう答えます。
「それは、私たち日本人が縄文時代から実践してきた暮らしであり、
知恵であり、文化です。それが今も残るべきところに残ったもの。そのひとつが神社なのです」

 日本人が縄文の昔から伝えてきた暮らし、知恵、文化、そのいずれも常に神様とつながっています。
宗教という言葉があるため、現代に生きる私たちは神道を「宗教のひとつ」と考えてしまいがちです。
しかし、宗教などという概念が生まれるよりも遥かずっと昔から、日本人は何か大きな聖なる存在を自分たちの身近に繊細に
感じとり、その存在に額ずいてきたのです。

 その存在はまず、自然とともにありました。
縄文時代は特に、自分たちの生殺与奪のすべてを握っているのが自然でした。
自然とは恵みを与えてくれるものであり、また命を奪うものでもありました。

 日照り、大雨、噴火、地震、津波......、
世界の中でもこれだけ多くの災害に見舞われる国はありません。
人は自然(神様)の猛威を恐れ、また感謝もし、手を合わせてきたのです。
東日本大震災のとき、津波で家族も家もすべてを失った漁師さんたちが、
「それでも恵みを与えてくれるのはこの海なんだ。海を憎む気持ちにはなれない」

と、また漁に出て行く姿をニュースなどで見た方も多いと思います。
その姿は縄文から変わらない、私たち日本人の姿です。大きな台風は実りを間近に控えた米や農作物を台無しにし、
水害など人命をも奪う大きな被害をもたらします。けれども、その翌年は作物に虫がつかない。

 逆に、台風がそれほど来なかった年には、葉っぱがなくなるほど虫が発生するともいわれています。
すべては大いなる自然(神様)の采配。その神様の思いを届けようとしてきました。
伊勢神宮では年間、一五〇〇回を超える数の祭祀が行なわれています。

 それは朝、御神水を汲みに行くことから始まり、神宮にお祀りされている神様方への食事の準備をし、朝に夕にお供えすること。
お供えする神饌(神様の召し上がるもの)である米、野菜、果物,塩にいたるまで、すべて自分たちで作るため、お田植えなどが重要な神事となっています。
神さまに奉納する麻や絹を織ることも神事です。おわかりでしょうか。

 かつての日本人の生活そのものが、伊勢神宮の祭祀となっているのです。
そう、私たちの生活は伊勢神宮と同様、今も神様とともにあるものに違いないのです。
キリスト教では禁断の果実を口にしてしまったアダムとイブに対し、「神が罰として、
イブ(女)には出産の苦しみを、アダム(男)には労働の苦しみを与えた」とあります。

 労働が罰であり、苦しみであるということです。
対して、私たち日本人にとって働くことは神様とともにあること。
そこには喜びがあります。「日本人は勤勉だ」という海外からの賞賛の裏にはそんなことが影響していたのかもしれません。

現在では、神社というとパワースポットであるとか、縁結び、開運など、現世利益のためのキーワードばかりに焦点が当てられているように思えます。
本来は私たち日本人の姿そのもの。そして、その地に住んでいた祖先が手を合わせ続けてきた聖なる空間です。日本人と自然、その暮らし方そのものにもう一度、
目を向けていただければと思います。

  『神社に行っても神様に守られない人、行かなくても守られる人』 滋賀県近江八幡市賀茂神社 岡田能正 著

1533シャンソン:2018/08/13(月) 11:52:55

 この世の時代が変わろうとも、貧しさや苦しい環境にあったとしても、命の重さは同じであり、
存在する事に意味がある。今のあなたの存在は絶対のものだと思う。すなわちあなたの両親も絶対の存在だと言う事になる。
存在が絶対であることは永遠につながる。

 あなたも、あなたの両親も、永遠の存在、つまり永遠の命という恩をいただいているのだ。どのような時でも、親は子供を慈しみ育て守る。
その親心とはどういうものであろうか。人は自分が、父となり母となって初めて親の苦労を知る。そして親の恩を知る。親の子に対しての思いは、天より高く海よりも深いと言われている。
また、父の種なくして、母の畑なくして、子供は育てられないとも言われている。

 親の恩について、『恩重経』は生前に親孝行するべきこと、死後にも親孝行をするべきと教えている。恩に報いるには、先ずその恩というものを知らなければならない。これを知恩と言う。恩を知る事で、人は感謝する。
恩を知る事で人は優しくなる。恩を知る事で人は全てを許すことができる。恩を知る事で人は命の大切さを知ることができる。恩を知る事で人は真実に目覚めることができる。親の存在があるからこそ、この世に産まれ、その思いを忘れる事なく尊敬する事が、
親孝行につながるのではないだろうか。

 また死後にも心をこめて供養する事が、親孝行につながるのではないだろうか。現在八十歳になる私も、親の恩を忘れる事はない。親孝行とは不生不滅の考だと私は思う。人間は物質よりも精神、肉体より霊魂、感情より良心を追求することで、その人の生き方が左右されるのではないだろうか。
しかし目ぐるしく時は流れ、今や法事や墓についても簡単にまとめられ、コンパクトに凝縮され、ほぼ無関心状態になっていると思う。私はそういう場において、家族や和合するいい機会でもあると思う。人間は誰かを尊敬する事により、真の人間になるのではないだろうか。そして先祖を尊敬する心は、この社会において
絶対必要である。各宗派によって様々な考え方があるけれど、その行動が重要なのではなく、その思いが重要である。

 人が生誕する事はとても喜ばしい事である。しかし、ふとそれはこれからの人生において、様々な苦難に立ち向かうスタートラインに立ったにすぎないと考えるときがある。だからこそ私は『恩重経』を、皆様に伝える事で、その功徳をもって、父母の恩に気づき、衆生の恩に思い至り、仏様の恩に気づいて頂けたなら幸甚である。不動昭考院住職としての法布施に、
この『恩重経』印施仏事に深く合掌礼拝し、私の言葉にさせていただくこととする。
 
      合掌

  『佛説家宝父母恩重経の心』 発行人 池道子

1534転載:2018/08/14(火) 19:41:27
和弘
2014年7月8日 23:16

大乗仏教の根幹は、縁起(関係性)の世界を直視し、社会の人間関係に根差した、
慈悲行(他者貢献)において、世界は仲間である(自他不二)という世界観をも
つことにより自我への執着をなくし、自他共に苦悩から解脱を成さしめんという
ことである。

その自他不二の菩薩と呼ばれる道の具体化が、アドラー心理学に示されていて、
その鋭い人間分析に救われる。人間の真実と普遍の道は変わらないであろう。
東洋と西洋、宗教と科学の枠組みを超えて、人間の真実を、菩薩道とアドラー
から学んでみたいと思う。

ここは掲示板である。チャットなどとは違う。
権力争いになる論争はしない。

1535シャンソン:2018/08/15(水) 14:08:31
  ヨガナンダの名言より

※病気を治したり、健康を維持するために、
 いつも、物質的手段ばかり用いているなら、
 どうしても、それに頼るようになってしまう。

 しかし、心の力は、物質よりも勝っている。 
 人は心の使い方を学び、心に拠るべきである。
 心こそ、最高の道具であることが分かるだろう。

 心は、あなたが命じれば、何でも適えてくれる。

 意志の力は、偉大なるエネルギーの源である。
 意志と意欲により、人は内なる無限の宝庫から、
 即座に、エネルギーを引き出すことができるのだ。

 意欲なき人は、人体からエネルギーが漏れていき、
 意欲のある人に、宇宙からエネルギーが流れていく。
 肉体的にも、精神的にも、厳しい仕事に耐えられよう。

 心の力は、機会を与えないと、奇跡を現さない。
 また、物質に頼っている間は、働こうともしない。
 だから、その驚異的な力も一般の人も目を触れない。

 しかし、食を断ち、心の力に拠ることを学べば、
 それは、病気を治すのにも、事業を成すことにも、
 すべてのことにおいて、働き始めていくことだろう。

1536シャンソン:2018/08/18(土) 17:33:51

  五木寛之の宗教 Webでも考える人
 http://kangaeruhito.jp/articles/-/2188

1537シャンソン:2018/08/20(月) 11:45:02

伝統版 先祖供養② http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&amp;tid=7704087

1538転載:2018/08/24(金) 21:16:17
  雅春先生を汚す奴は出ていけ! もちろん生長の家とは無縁の掲示板です。


もし『A』や『B』や『C』といった存在の男の一人が、真理から逸れ、例えば理不尽な強要や、残虐な暴力を働いたとする。すると、その連帯責任として当然彼らと同じそのグループや、そこにいる人間達の価値は低下することにはなる。同じグループなのに『自分たちは模範的だけど、あいつらは間違っている』と批判するだけの排他的な人間の価値は、あまり高くはない印象を受けるはずだ。

だが、『説かれている真理』の価値が低下することは無い。ただその男や、そのグループが、真理から逸れた行動を取っただけだからだ。

このことからわかるのは、人間には責任があり、真理には責任がないということなのだ。

1539幸小学校校歌:2018/09/02(日) 18:28:45
 谷川俊太郎

わたしがたねをまかなければ 
はなはひらかない


ぼくがあしをふみだすとき 
みちはかぎりない


じぶんでかんがえ じぶんではじめる
幸小のわたしたち




わたしがあすをあきらめたら 
あさはもうこない


ぼくがほしをみつめるとき 
そらはかぎりない


あせらずことこつ ねばってやりぬく
幸小のわたしたち



ひとりがうたをうたいだすと 
こえはこだまする


ひとりひとりてをつないで 
ゆめはかぎりない


みんなでなかよく ちからをあわせる
幸小のわたしたち

1540フランスの詩人:2018/09/02(日) 18:33:40

 天にまします我らの父よ
 天にとどまりたまえ
 我らは地上に残ります
 この世はときどき美しい

〜ジャック・プリヴェール「われらの父よ」

1541シャンソン:2018/09/03(月) 11:24:39
        志

 わたくし空海は、天性の詩人でもありました。「文鏡秘府論」では、
詩と志の関係についても語りました。「詩は志に本づくなり、心に在るを志と為す。
情中に動きて、言に形はれ、然る後に之を紙に書くなり」。

 心を自然のあれこれに遊ばせつつ、吸収し、それらを自分の内から湧き出せるように、詩と書に表すのです。
つまり志とは、この世界や生命、社会を少しでも良くしようという願い。
 その願いが、詩になって形になるのです。

 釈迦が人間を言葉による教えで救ったように、時のリーダーが世界を救うには、やはり文章を根本にしなければいけません。

    『空海からの問題集』 内海一郎 著

1542シャンソン:2018/09/03(月) 11:32:19

1354: うのはな :2011/10/14(金) 11:54:22 ID:iM0b0bt6

 『何を食ひ何を飲まんと思ひ煩ふことなかれ』と云ふのは眞理なのですけれども、
併しながらそれを楯にして自分の料理の下手なことを弁護して見たり、自分の思遣りのない
ことを弁解して見たりしてゐるのでは駄目であります。
 食物は神様の生かす生命が現れてゐるのですから、それを神の生かす生命さながら、
それを生かして出すのが割烹の原理であります。

 神様の生命を少しも値引きしないで、神様から興へられた生命そのまま百パーセントの
美味しさを生かし、発揮してそれを食膳に出すと云ふのが料理の原理であります。
それなのに、自分の誠が足らず、熱心が足らず、深切が足りないために、百ある食物の生命を、
或いは八十パーセントしか生かさなかったり、或いは六十パーセントしか其の
美味しさを発揮しなかったり、中には三十パーセント位しか神の生命が現れてゐない御料理が
あったり致しますと、神の生命を途中で穢してしまったと云ふことになるのです。

 お食事を頂く方の側から申しますと、『何を食ひ何を飲まんと思ひ煩ふこと勿れ』でありますが、
お料理をする上から云へば、興へられた材料の中にある神の生命を生かすも殺すも料理する人の愛にあるので、
美味しいのを相手に食べて頂きたいと云ふ愛の心がなければ本答に上手な料理は出来ないのです。

 併しながら、相手に美味しいものを食べさせてあげたいと云ふ愛がありましても、
自分の我でさう思ったのでは、自分の好きな料理ばかり拵へることになるものです。
さうして、夫の嗜好も察しないで、自分が好きだから、夫も好きだらうと思って、自分に
とって美味しく感ずるものを出して、夫の嗜好を無視し勝ちであります。
例へば自分が甘い料理が好きだったら、無暗に砂糖を入れた料理を出す。
ところが夫は塩辛い料理が好きなのに黙ってこらへて食べてゐるやうなこともあり勝ちです。

 正直に『良人がとてもお前の料理なんて食べられやしない。まるで砂糖を
嘗めてゐるようなものだ』とでも言って下さればよく判るかも知れませんが、
さうでない場合には気が附かない。
 ですから、妻たるものは先ず夫の嗜好を呑込むことが必要です。
『何がお好きでございますか。今日の料理はどうでございました?辛かったら辛かった、
甘すぎたら甘すぎたと遠慮なしに被仰つて下さい』と言って、夫の嗜好に沿ふやうに
心掛けなければなりません。


『 愛と光との生活 』 谷口雅春 先生著

1543シャンソン:2018/09/03(月) 11:32:53

1354: うのはな :2011/10/14(金) 11:54:22 ID:iM0b0bt6

 『何を食ひ何を飲まんと思ひ煩ふことなかれ』と云ふのは眞理なのですけれども、
併しながらそれを楯にして自分の料理の下手なことを弁護して見たり、自分の思遣りのない
ことを弁解して見たりしてゐるのでは駄目であります。
 食物は神様の生かす生命が現れてゐるのですから、それを神の生かす生命さながら、
それを生かして出すのが割烹の原理であります。

 神様の生命を少しも値引きしないで、神様から興へられた生命そのまま百パーセントの
美味しさを生かし、発揮してそれを食膳に出すと云ふのが料理の原理であります。
それなのに、自分の誠が足らず、熱心が足らず、深切が足りないために、百ある食物の生命を、
或いは八十パーセントしか生かさなかったり、或いは六十パーセントしか其の
美味しさを発揮しなかったり、中には三十パーセント位しか神の生命が現れてゐない御料理が
あったり致しますと、神の生命を途中で穢してしまったと云ふことになるのです。

 お食事を頂く方の側から申しますと、『何を食ひ何を飲まんと思ひ煩ふこと勿れ』でありますが、
お料理をする上から云へば、興へられた材料の中にある神の生命を生かすも殺すも料理する人の愛にあるので、
美味しいのを相手に食べて頂きたいと云ふ愛の心がなければ本答に上手な料理は出来ないのです。

 併しながら、相手に美味しいものを食べさせてあげたいと云ふ愛がありましても、
自分の我でさう思ったのでは、自分の好きな料理ばかり拵へることになるものです。
さうして、夫の嗜好も察しないで、自分が好きだから、夫も好きだらうと思って、自分に
とって美味しく感ずるものを出して、夫の嗜好を無視し勝ちであります。
例へば自分が甘い料理が好きだったら、無暗に砂糖を入れた料理を出す。
ところが夫は塩辛い料理が好きなのに黙ってこらへて食べてゐるやうなこともあり勝ちです。

 正直に『良人がとてもお前の料理なんて食べられやしない。まるで砂糖を
嘗めてゐるようなものだ』とでも言って下さればよく判るかも知れませんが、
さうでない場合には気が附かない。
 ですから、妻たるものは先ず夫の嗜好を呑込むことが必要です。
『何がお好きでございますか。今日の料理はどうでございました?辛かったら辛かった、
甘すぎたら甘すぎたと遠慮なしに被仰つて下さい』と言って、夫の嗜好に沿ふやうに
心掛けなければなりません。


『 愛と光との生活 』 谷口雅春 先生著

1544君の青空:2018/09/03(月) 13:30:59

 英ロイヤルウェディング 【スタンド・バイ・ミー】
  https://www.youtube.com/watch?v=2O8H2UBthOI

1545転載:2018/09/07(金) 16:51:55
806: 金木犀 :2012/06/09(土) 15:10:41 ID:j28jHRaM
聲字即實相の神示

吾が第一の神殿は既に成れり。名付けて『生命の實相』と云ふ。完成(ななつ)の年になりて吾が第一の神殿が完成するのも生命の顕現には周期的波動があるからである。七つが事物の顕現の周期律になってゐる。吾に神殿は不要であると嘗て示したことがあらう。吾は道(ことば)であるから、吾が道(ことば)を語るところに吾が神殿は築かれる。吾が道(ことば)を載せた『生命の實相』こそ吾が神殿である。『生命の實相』は吾が本體であり、無形の『生命の實相』を形にあらはしたものが『生命の實相』の本゜である。『言葉』を載せた書物を『本』と云ふのも、『言葉』こそ事物の本であり本質であり、本體であり、本物であるからである。『言葉の宇宙』が先づ出来て、『形の宇宙』がその映像(かげ)としてあらはれるのである。今迄の宇宙は、『言葉』が實相を語らず、不調和で濁ってゐたから、宇宙の萬物の運行が亂(みだ)れて生活苦や、病気や、天災や戦争など色いろ不調和なことばかり起ったのである。『生命の實相』の本゜が出た以上は、言葉が實相を語り、善き圓滿(えんまん)な調和した言葉の『本』が整うたのであるから今後何事も急轉直下(きゅうてんちょっか)する。『生命の實相』を披(ひら)くだけで病念は去り、煩悶は解決し、人々ただ自己生命の實相(ほんとのすがた)を知り、歓喜踊躍して手の舞い足の踏む所を知らないに至る位はその三番叟(さんばそう)にすぎない。その歓びの相(すがた)こそ人間の生命の實相である。吾が道(ことば)を『生命の實相』と呼ばしめ、それを本の形にして、披いて讀むものにさせたのも象徴的因縁のあることである。『生命の實相』を展開(ひら)けば形の理想世界が成就するのである。今は過渡期であるから、仮相(かりのすがた)の自壊作用として色々の出来事が突発する。日支の戦ひはその序幕である。神が戦ひをさせてゐるのではない。迷ひと迷ひと相摶(あいう)って自壊するのだ。まだまだ烈しいことが今後起るであらうともそれは迷ひのケミカライゼーションであるから生命の實相をしっかりと握って神に委せてゐるものは何も恐るる所はない。
(昭和七年一月十一日神示)

1546シャンソン:2018/09/07(金) 17:46:18
       先生になると云うことは

 真渓涙骨翁の言葉に「人間念仏を唱え始むれば人を審判き始める」
と云うのがある。信者である間は非常に謙遜であった人が、宗教の教師にでもなると急に先生
振って威張り出す。

 そして自分の下役や信者を大声で怒鳴りつける人がある。
「先生」になると云うことは此の意味で大変恐ろしいことである。
恐ろしいとは、魂を驕慢にする誘惑に曝されると云うことである。

 或る宗教の教師の修練会の時には、信者ばかり集った講習会のときよりも、
敬虔さが足りず、理窟ばかり言って横柄で始末に負えなかったと云う話をきいたことがある。

「先生」になると云うことは「現象の自分」がそんなに威張り出すことではなく、すべての人を神として
拝めるようになることである。

    新版『真理』第8巻信仰篇 谷口雅春(先生) 著

1547シャンソン:2018/09/08(土) 07:54:10
アレイスター・クロウリー(英国・神秘家・魔術師)


「世界とは鏡のようなもの。それを変えるにはあなたを変えるしかない」

1548愛国源流から:2018/09/09(日) 09:47:14
     【 『生長の家』誌 23年5月号26項〜32項掲載  】  
    
   谷口雅春 先生 



  小生公職追放仮指定者として発表致されましたが、思想傾向、行動を参酌して正式決と相成る由につき、爰に左の通り異議の申立てをなすものであります。




  一. 谷口哲学の根本思想は平和愛好である




 元来、小生の著書を貫く所謂「生命の實相」哲学〈谷口哲学〉なるものは「汝等天地切のものと和解せよ」〈「生命の實相」第一巻及「甘露の法雨」巻頭・附属書類経本参照との神示に出発し、根本的に平和の哲学であります。


 その争闘を否定せる哲学は「争いの念波は神の救いの念波をよう受けぬ」〈「生命の相」第一巻々頭〉と喝破されており、これは「本来戦争無」の哲学であり、「甘露の法雨の中にも「争うものなく相食む者なく」と書かれているのであります。


 従って私の哲学又は著書によって行動したる者は、日米戦争前に於いては、反戦運動なっているのであり、生長の家誌友にして紫雲荘主人たる橋本徹馬氏及び弁護士久保久氏の両氏は、日米争戦直前「汝等天地一切のものと和解せよ」の思想に基き、近衛文麿の内命を受諾してプライヴェートに米国にわたり、米国名士と折衝して平和工作に懸命たのであります。


 然るに橋本徹馬氏は帰朝匇々日本憲兵隊に捉はれ、反戦主義者として暴虐なる取扱い受けましたが、紫雲荘を解散すると云う條件で辛うじて釈放されたのであります。橋本馬氏は唯今「紫雲」と云う雑誌に、生長の家と同一思想を宣伝しているので、吾々のこ思想傾向が全然平和主義であることは明かであります。

1549伝統版 転載:2018/09/10(月) 12:13:02
原爆にも犯されない奇蹟の体験〜その3 - 伝統
2018/08/11 (Sat) 04:41:42

      *神秘面より観たる『生長の家』四十年史(p.45-46)より

それは昭和20年8月9日、アメリカ空軍機B29が長崎を「原子の火」をもって
攻撃した時のことであった。

B29機は長崎市の中央にあらわれて、そこに落下傘(らっかさん)にぶらさげた
原子爆弾(それは後に明らかにされた所によると、広島を襲った原子爆弾よりも
2倍の爆発力をもったプルトニューム爆弾であった)を投下すると、
そのまま西の空に消え去ったのであった。

丁度その時、長崎の東端にある町、浦上にある有名なカトリック教会では、
その信者の90%の人々が集まって熱心な祈りを捧げていたのである。

それはカトリックのことであるから「主イエス・キリストの受け給いし苦しみを
我にも受けせしめ給いて、自分たちを代贖者(だいしょくしゃ)として
この戦争を終結せしめ給へ」というような意味の敬虔(けいけん)な祈り
であったと思われる。

そのとき落下傘によって空中に浮かんでいた原子爆弾は恰(あたか)も
その祈りに応えるかの如く、風に吹かれて、その熱祷(ねっとう)を
捧げている最中の、教会の真上まで来ると、ピカドンと爆発したのであった。

そしてその熱祷を捧げている最も敬虔なキリスト信者たちは一瞬のうちに
霊界に移行したのである。

その教会の隣に、長崎医大及びその付属病院があった。
病院勤務の臨床を担任している博士たちは一瞬のうち全部息の根が絶えた。

病院全部を暖房するための煙突は“く”の字にひんまがり、
付近の山王神社の御影石の鳥居はその一方の柱が無残にもへし折れて飛んだ。

それは8月の事であったから大学は休暇であったから学生には被害がなかったが、
学科を担任している教授たちは、頻々(ひんぴん)として長崎を襲ってくる
空襲のために、もしか大学校舎に爆弾が命中して火を発したら、防火に従事する
必要のために出勤して、泊り込んで当直する事になっていたのであった。

当直に当たっていた教授は皆、無慚(むざん)な死をとげた。
その日出勤していなかった教授だけが救かったのである。

精神科の科長をしていられた高瀬清博士は(その夫人が長崎の生長の家白鳩会長
であった)、その休暇を無駄に過ごさないで有益に利用しょうと思って
8月1日から7日までの1週間、歯科医を集めて精神医学の講座を開いて、
毎日数時間の連続講義をすることにせられたのであった。

1週間連続の講座が終わると、教授の一人が、高瀬博士に
「先生は御老体でもあるのに1週間も連続の御講義では、お疲れでしょうから、
3日間位は公休をお貰いになって自宅で静養して下さい」と勧めるものであるから、

8月8日、9日、10日と3日間、長崎市から汽車で1時間半の距離にある
疎開先の自宅に帰って休養しておられたのであった。

そのために8月9日に長崎市を襲った原爆から自然に身をかわして
無事なるを得たのであった。

当時の生長の家幹部の人たちは、あの原爆の当日、あの時間に、
不思議にも何かの用向きで長崎市にいないで、原爆とスレ違って
救かっているのである。

どんな災害も、心がそれに波長があわねば近づくことが出来ないと言う
真理の実証と見ることが出来るのである。

         <感謝合掌 平成30年8月11日 頓首再拝>

1550 転載:2018/09/10(月) 12:25:21
646: 流氷 :2014/02/05(水) 20:44:06 ID:zkT6v8o2
     空気の中に溶けてしまった人  ドローシー・デゥーランド

 私が子供のときに起こった事故について母が話してくれました。
悲劇が彼女に重くのしかかっていました。それは、母が22歳のとき、彼女の兄、母、そして
私の父(享年31歳)を亡くし、私は重病にかかっていたそうです。新しい治療法があったものの、
子供に試されたことはなく、その治療に同意すれば生きられるチャンスは半々、拒めば私は死ぬだろうと言われたのです。

 そこで母は同意書にサインをして、そのまま病院を出て、海に飛び込もうと港に向かいました。
自分が愛した人がみんな連れ去られる。母は私が死んでしまうだろう、もう生きていても仕方がないと思ったのです。
よどんだ水を見つめていると、港で働いているらしい男の人がそばに現われました。
その男の人は大きくて、最初、ちょっと怖かったらしいのです。そのあたりは危険なことも多く、女性は暴力を振るわれるかもしれないと、
あまり出かけない場所でもありました。けれども、もうそんなことはどうでもいいと母には思えたのです。

「自殺は解決にならないよ。大丈夫、全部うまくいくから」と彼が言いました。
ちょっと彼のほうを見た母は、もう一度水をじっと見つめました。そしてもう一度見上げると、その男の人はいなくなっていました。
あたりを見回しましたが、本当に空気の中に溶けてしまったようだったらしいのです。
本当にすべて大丈夫だったので、こうして私がここに生きています。母は、その男の人に会った日から、私がが退院して家に帰った1999年5月18日まで、
天使と一緒にいたのです。

 『エンジェル・コンタクト』 ドリーン・バーチュー 著

1551転載:2018/09/10(月) 14:18:40
   最上のわざ   (詠み人知らず)

この世で最上のわざは何
美しい心で年をとり
働きたいけれども休み
失望しそうなときに希望し
従順に平静に、おのれの十字架を担う
若者が元気いっぱいで、神の道を歩むのを見ても妬まず
人々のために働くよりも、謙虚に人の世話になり
弱って、もはや人のために役に立たずとも
親切で柔和であること
老いの重荷は神の賜物
古びた心に、これで最後の磨きをかける
まことのふるさとへ行くために
おのれをこの世につなぐ鎖を
少しずつはなしていくのは、真にえらい仕事
こうして何もできなくなれば、それを謙虚に承諾するのだ
神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる
それは祈りだ
手は何もできないけれども
最後まで合掌できる
愛するすべての人のうえに
神の恵みを求めるために
すべてをなし終えたら
臨終の床に神の声をきくだろう
「来たれ、わが友よ。我、汝を見捨てじ」と。

1552転載:2018/09/10(月) 18:19:10

わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。だから、機会のあるごとに、だれに対しても、とくに信仰の仲間に対して善を行おうではないか。

出典:新約聖書「ガラテヤ人への手紙」 6章9-10節

1553転載:2018/09/10(月) 18:19:57

わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。だから、機会のあるごとに、だれに対しても、とくに信仰の仲間に対して善を行おうではないか。

出典:新約聖書「ガラテヤ人への手紙」 6章9-10節

1554シャンソン:2018/09/13(木) 12:53:27

  木曽正人団長の「レイテ島」ビリヤバ戦跡地に於ける霊的体験
 http://hikarinoshingun.giri.jp/03-aikoku/0301akk-sendou-ronbun/12kiso-masato.htm

1555スリランカの僧侶:2018/09/19(水) 10:41:04

 私たちが現実と思っているこの世界は、心がつくりだす「錯覚の世界」にすぎない。仏教ではそう語っています。ですが、皆の錯覚はほとんど似ているので、錯覚ではなく現実そのものではないかと、私たちはさらに錯覚します。

1556神の子様:2018/09/19(水) 16:54:42
508: ハマナス :2012/04/23(月) 09:49:08 ID:u5mC.eb2
神の子のみなさま
 
おはようございます。
今週も皆さまによって、喜びいっぱいの光輝く一週間でありますように。

愛は他と共に自己をも癒す  (『新版 生活の智慧365章』P.135)

『愛は凡て癒す』と云う谷口清超氏の著書の中には無数の奇跡的治癒が書かれているが、
ブラザー・マンデス師の著書の中にも次のような愛の奇蹟が書かれている。
  
 或る婦人が慢性の頭痛と、中耳炎とで悩んでいたが色々の医療を受けても治らなかった。
この婦人がマンデス師の説教会にやって来て、その由を訴えたのである。そして「自分の
心が完全になるまでこの病気は治らないでしょうか」とたずねた。マンデス師は「自分の
心が完全になるまで、神の救いが来ないのであれば、すべての人間は永遠に神の救いを
待ちのぞむばかりで救われる事はないでしょう」と答えた。そして「今あなたが自分の事
を忘れて人を愛そう、人を癒してあげたいと云う愛の心を起こしたら、神のすべてを癒し
給う愛の力が流れ入ってあなたは癒されてしまうのである。さあ、私が神の癒す力の仲立ちに
なってあげましょう。あなたは自分の病気を治そうと云う考えを捨て、自分の病気を忘れて、
他の人を癒してあげようと思う心になって、他の病人に手を触れてあげなさい」と言った。

 そしてマンデス師は、その頭と耳とが慢性的に悪い病人の手を握り、握られた彼は脊椎と
臀部の痛む病人に手を按して、「神の癒す力、われを媒介としてこの人に流れ入り癒し給う」
と念ぜしめたのである。すると、脊椎と臀部の神経痛の患者は忽ち治ると同時に、それを
癒そうと愛の思いを起こした人の慢性の耳及び頭の病気も治ってしまったのであった。

感謝合掌

1557神の子様:2018/09/19(水) 16:58:58
3030: トキ :2014/07/21(月) 16:05:11 ID:9wlISb0c
実在宇宙は無限創造の世界
 
 実相は単なる「空」ではありません。実相の世界の第三の特徴は、宇摩志阿斯訶備比古遅神
といはれるこの神の名によって現されてをりますように、無限創造の働、無限のものを
産み出す働、これが実相の世界の特徴でありまして、この実相の世界を単なる空の世界であって
何もないからからつぼのものであると考えてはならないのであります。肉体的五官の感覚をもって
見ると実相の世界は見えないのでありますから、「空」と云ったりしますけれども、「空」
の奥に「無限相」無限の創造があることを知らなければならないのであります。

「限りなく日本を愛す」 谷口雅春先生著、145p より謹写

*トキの感想

 以前、この掲示板でも、実相のあり方について議論がありました。
実相のあり方は、谷口雅春先生のご指導によれば、以上のものです。興味の有る方は
以下、詳細に書かれていますから、ご覧下さい。

1558神の子様:2018/09/19(水) 18:07:05
104: SAKURA :2012/04/18(水) 21:26:40 ID:FEa/NNlc
                <つづく>            NO.2 

それは!【毎朝、寒暖でも掃除!全て“感謝行”を】のアドバイスを受けまして【実行】
「〜♫〜 ありがとうございます 〜♫〜 ありがとうございます 〜♫〜」
ある時!その地方講師のおばさんが私に“素敵な人”が出来たら?この様にすると…
【必ず!!成就する〜〜ノョ!】と言って…その後何カ月後、本当に、
近所の素敵な人から“声”がかかり【結婚ゴ-ルイン】に、
その後?音沙汰なしでしたが?聞くところによりますと【転勤で北海道の札幌】
その後“幼なじみ”とは、全く連絡が…>< 途絶えていましたし、
原因の一つは【私の聴力喪失が原因】ですから…それにしましても…
“幼なじみ”の自殺…余りにも衝撃的!!“ビックリ”した次第です…。

【相思相愛での結婚】しかも…相手側も【てんかんの持病を受け入れての結婚】なのに、
相手は離婚して、此処FUK故郷に戻り,
風の便りでは、別の人とその後?直ぐの結婚との事ですが〜〜〜??

その後…別々の“人生を歩み”いつしかお互いに“便り”もなくなり…
そうです〜ネ!数年前に!【彼女が結婚後!転勤先の北海道にて自殺】…
この事を「亡き母」から聞きました…。
突然の“悲報…”しかも彼女の詳しい状況が分からずじまいでした…。
只!てんかんの薬は常時投薬していたそうですが…それが原因かは分かりませんが…
子供さんが「障害児」という事を、母から当時聞いた次第です。
二重の“ショック”でした…。

■ブレイクしますが……「向こう側のサイト」に興味深い“投稿”があり抜粋します。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
■ 10年前の雅宣氏との一問一答 その一NEW (8439)
http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&amp;mode=res&amp;log=1998

回答
991. Re: 生長の家は「現象を救う」ことを主目的としてはいません 谷口雅宣  2003/09/18 (木) 20:24
**** 様:
 あなたの仰る「真理による救済」とはどういうことを指すのでしょうか? 
病気の人が病気で悩んでいる時に、病気を治すことが救済ですか? 
借金苦で死にたいと思っている人の借金を肩代わりすることが救済ですか?
結婚相手が見つからずに悩んでいる人に、相手を見つけてあげることが救済ですか? 
抽象論ではなく、具体的に考えてみませんか?
谷口 雅宣 拝

1559シャンソン:2018/09/20(木) 16:14:31

 わたしには、人生において尊敬していう人が何人もいる。
最初の人物は父親、そしていちばん最近出会ったのはディーパック・チョプラ氏である。
そして、そのあいだに、笑いについて教えてくれた人物がいる。彼の名前はデル・クローズ。

 デル・クローズは、一九五九年、シカゴにセカンドシティ・シアターを創設したメンバーのひとりだ。彼はご存じのとおり、現代の即興
コメディの父であり、アメリカの風刺ブームの中心人物であり、「ハプニング」の考案者でもあり、哲学者、理論家、偉大なる教師であり、そしてなによりも、
おもしろかった。彼は、おもしろい、ということがなんなのかを知り尽くしている人だった。

 ビル・マーレイ、ジョン・ベルーシ、クリス・ファーレイ、スティーブン・コルベア、エイミー・ポーラー、わたし、そしてほか多くの人々が、彼にさまざまなこと、とりわけ彼の哲学ーコメディとは真実に匹敵するものであること、そして真実とは
スピリチュアルな成長だーということを教えてもらった。つまり、「ハハ(笑)」には、ひとが真実を理解したときに発する音「アーハー」に通ずるものがあるのだと。

 真実はひとを自由にすると言うが、真実というものはまず、たいへんな痛みをともなうものだとわたしは思う。レニー・ブルースが言っていたように、コメディの方程式は「笑い=痛み+時間」なのだ。デル・クローズは「+時間」を「距離」だと言っただろうが、
ディーパック・チョプラは「デタッチメント」と言うだろう。しかし、悟りのためには陽気に心の旅をする必要があるということには、ふたりとも同感してくれると思う。
 笑いは気分をよくしてくれるものだ。本書は、テンポよく、エンターティンメントの手法を用いながら、笑いのもつ霊的なかつ健康的な本質について、さらにはデタッチメントや感謝、笑いをもたらす勇気ある真実の探求や、そうしたものがもたらす心の平安についての考え方を
示してくれている。

 わたしにとっての最初のヒーローである父は、「この世には、笑い飛ばせないほど辛いことなんかない」と言っていた。父は、どんなに辛いときにもユーモアを忘れない情熱的な人だった。世界大恐慌から一九三九年の「偽の戦争」、第二次世界大戦、冷戦、そして、最後はアルツハイマー病という自分との戦いを
生き抜いた。そして、認知症を発症してからも、自分自身の置かれた状況にユーモアを見いだせるほどの人だった。人間は、生来、笑うことを心から求めているのだ。フランスの哲学者アンリ・ベルクソンは著書『笑い』のなかで、笑いとは脳の奥深くにある爬虫類脳の自発的な反応であり、モラルの自覚がそのきっかけであると言った。
本書においてチョプラは、自分の闇のなかにある恐れと向き合うこととなったコメディアン、マイケル・フェローズを登場させ、このことをドラマ仕立てですばらしく表現している。
チョプラは、この世に闇があること、そして、コメディはそれを照らす灯火のようなものだと教えてくれる。

 そして、わたしたちに、闇ではなく、その灯火について深く考えよと励ましてくれるのだ。
なぜ神様は笑っているのだろう?それは、神様がジョークというものをご存じだから。わたしはそう思っている。

 マイク・マイヤーズ

    『神は笑っている』 ディーパック・チョプラ著

1560シャンソン:2018/09/20(木) 16:15:47
 人生において尊敬していう人→人生において尊敬している人

1561再掲:2018/09/25(火) 20:16:20
1029: シャンソン :2017/04/04(火) 20:58:27
>>1028

他版で曳馬野さんが掲示板を見なかったら閉鎖したのと同じだって書かれているのを
読んでドキッとしました。数年前に雅宣先生から教えられた話と同じだからです。
総裁ぶろぐを何回も読む気はないけど、なにがしかの心に残るものがあれば
それは感謝に値するものなんでしょうね。

1030: 曳馬野 :2017/04/04(火) 21:39:25
何にも囚われないで生きることが自由と云うことなんですね。ですからシャンソンさんを見ていますと、過去に囚われ過ぎなんですよ。
周りの環境を自分好みに変えることが出来るのを自由と云うのではないのです。雅春先生でも雅宣先生を自由には出来ませんでした。恵美子先生でも自分を自由には出来なかっのでしょう、軟禁生活を強いられたと分派の人が云うのですから。
そのように考えるなら、掲示板で色々言われることに、縛られないでいられるかのどうかと試されている、相手が何を言うかは問題ではないのです。相手は自分の考えを述べているだけ、その事実があるというだけのものです。
如何にしてもあなたの心の自由は束縛されはしないのです。あなた自ら心に溜め込まなければね。

シャンソンさんが心の自由を得られることを祈ります。

1562シャンソン:2018/09/25(火) 22:47:11

>シャンソンさんが心の自由を得られることを祈ります。

 でも、環境は人を変えるというように、
 迷惑な老婆の夫が突然死して、
 大義名分のために人を撃つ男が出て行って、
 トキ&訊け体制下の生長の家は崩壊したから
 自由といえば自由ですね。

 まさに水槽の中の一匹だけの金魚です。
 
 突然死っていうのは突然やってこないというから
 普段の行いに注意しようってことですね。

1563シャンソン:2018/10/02(火) 21:50:01

 人を信じる心をなくしてはいけない。
 人間性とは大海のようなもの。
 数滴の汚れで、海全体が汚されることはない。

   マハトマ・ガンジー

1564シャンソン:2018/10/04(木) 21:14:17
     感謝の習慣は「太陽」からありがとうございます」

 私が今、こんなに元気で、毎朝、「今日も一日、感謝に満ちて暮らしましょう」と、
すがすがしい気持ちでいられるのは、朝の散歩の折に、太陽の光を全身に浴びながら、
天に向かって「生かしていただいてありがとうございます」と祈る習慣が身についたからだと思います。

 最近は、明治神宮の「清正の井戸」がパワースポットといわれ、大勢の方々が訪れるようになりました。
私もずいぶん前から、お詣り前にいつも立ち止まり、曇りの日でも太陽の方角に向かって感謝の祈りをするようにしています。
 大きく深呼吸しながら、「万物に光を供給してくださる天照大神様、生かしていただいてありがとうございます。世界が平和でありますように」などと
声を出して祈ります。

 そのたびに、清新な気が体中にいきわたるように感じられて、深い感謝の気持ちが湧いてきます。
なかなか分かっていただけないかもしれませんが、宇宙の気と同調できたような、ぴりぴりと鳥肌が立つような響きが感じられるのです。
「サムシンググレート」と申し上げられる、何か大いなるパワーを注入していただける感覚といったほうがよいかもしれません。

 自分を内観し、心の中にざわざわした気持ちがあると思うときは、念力的にならぬよう、心を静かに、宇宙の気との同調を感じるまで祈ります。
この太陽に祈る毎日の習慣が、何に対しても感謝ができるようになった原点と思えてなりません。

 この本をお読みくださる方の中にも、苦手な人に感謝、つらいことに感謝等々と言われても、すぐには納得できない方がおられることでしょう。
それでも、毎日気が晴れない、心にわだかまりがつかえている、といった方は、散歩の途中にでも、自分のお気に入りの場所を見つけ、大自然の中で「ありがとうございます」と呟いて
いただきたいと思います。

 忙しい方は、散歩をなさらなくても、カーテンを開けて「ああ、今日はいいお天気」と思ったら、一分でも二分でも、光を浴びながら祈る習慣を養ってみてはいかがでしょう。
はじめは口先だけでも、感謝の言葉を発していると、後から心が追いついてきて、どんなことにも「なんてありがたいことかしら」と、つくづく思えるようになってきます。
 それに伴い、思いやりの心も養えて、自然に幸せな道が開けていくようです。

 生真面目でこだわりの強い方は、「毎日やらなくてはいけない」と思いすぎて、一日でもできない日があると自分を責め、「私は駄目だわ」と諦め、長続きしないことがあるかもしれません。
何ごとも、気楽に楽しんでぽつぽつ続けることが一番です。
 今までにも、会う人ごとにそんなお話をしてきたので、最近は、「そういえば、毎朝、太陽に御挨拶するようになったわ」と
言ってくださる方が増えてきました。

 もしも嫌な記憶が出てきましたら、何回も太陽に向かって「光を届けてくださり、ありがとうございます」と言い続けてみてはいかがでしょうか。
やがて優しい穏やかな気持ちになり、マイナスの事象にとらわれる時間がもったいないとさえ思えてくるから不思議です。

    『なにがあっても、ありがとう』 鮫島純子 著

1565🍋:2018/10/07(日) 20:41:44

いまをどう生きる@imaodoikiru
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宗教は人間に必要なものだと、私は思います。なぜかと言えば、人間の暮らしは、永遠に不公平が続いてゆくものだからです。不公平で理不尽だからこそ、人は、もうひとつの世界がなければ救われないのです。五木寛之

1566シャンソン:2018/10/14(日) 19:15:11

「ああ、私はなんて馬鹿なんだろう!」と我が友が何かに打たれたように叫ぶ。
まるでオーブンにパンを入れっぱなしにして、手遅れになってから思い出した女の人みたいに。
「私がこれまでどんな風に考えていたかわかるかい?」彼女は何かを発見したというような口調で僕に言う。

 彼女はにっこりとしているが、それは僕の顔を見てほほえんでいるのではない。
僕のずっとうしろの方の一点を見ているのだ。「私はこれまでいつもこう思っていたんだよ。神様のお姿を見るには私たちはまず
病気になって死ななくちゃならないんだってね。そして神様がおみえになるときはきっと、パブティスト教会の窓を見るようなものだろうって
想像してたんだ。

 太陽が差し込んでいる色つきガラスみたいに綺麗でさ、とても明るいから、日が沈んできてもまるっきり気がつかないんだ。そう思うと、安心できたんだよ。
その光を見ていれば怖い思いなんてせずにすむってさ。でもそれは正真正銘のおおまちがいだったんだよ。
これは誓ってもいいけれどね、最後の最後に私たちははっと悟るんだよ。神様は前々から私たちの前にそのお姿を現していらっしゃったんだということを。物事のあるがままの姿」

 彼女の手はぐるいと輪を描く。雲や凪や草や、骨を埋めた地面を前脚でかいているクイーニーなんかを残らず指し示すかのように
「私たちがいつも目にしていたもの、それがまさに神様のお姿だったんだよ。私はね、今日という日を胸に抱いたまま、今ここでぽっくりと死んでしまってもかまわないと思うよ」
これが僕らが共に過ごした最後のクリスマスである。人生が僕らの間を裂いてしまう。

 わけしり顔の連中が、僕は寄宿学校に入ったほうがいいと決める。
そして軍隊式の惨めな監獄と、起床ラッパに支配された冷酷なサマー・キャンプが続く。僕は新しい家も与えられる。でもそんなものは家と呼べない。家というのは友達がいるところなのだ。なのに僕はそこから遥かに
隔てられている。彼女は一人取り残されて、何をするともなく台所をうろうろしている。

 彼女にはもうクイーニーしか残されていないし、そのクイーニーもやがて姿を消してしまう(「親愛なるバディー」と彼女が僕に手紙を寄越す。ものすごく読みにくい金釘流の字で。「昨日クイーニーがジム・メイシーの馬にひどく蹴られました。
有難いことにそれほど苦しみませんでした。私は上等の亜麻のシーツにくるみ、荷車に乗せてシンプソンの牧草地まで運んで、自分の埋めた骨と一緒にいられるように...」)。そのあと何年かは、十一月になると、彼女はひとりでフルーツケーキを焼きつづける。
それほどたくさんの数ではないけれど、いくつかは焼く。言うまでもないことだが、僕に「いちばん出来のいいやつ」を送ってくれる。そしてまた、どの手紙にもちり紙でくるんだ十セント玉が入っている。

「映画を見て、私にその筋を教えておくれ」。でも彼女はやがて僕と、彼女のもう一人の友達を混同するようになってくる。
一八八〇年代に亡くなったもうひとりのバディーとだ。一三日以外にも、彼女がベッドから起き上がらない日がどんどん増えていく。そして、十一月のある朝が訪れる。木の葉も落ち、鳥も消えてしまった。冬の訪れを知らせる朝だ。それなのに彼女は身を起こして「ねえ、ごらんよ、
フルーツケーキの季節が来たよ!」と叫ぶことはできない。

 そしてそのとき、僕にはそれが起こったことがわかる。その電報の文面も、僕の秘密の水脈がすでに受け取っていた知らせをただ再確認しただけのことだ。その知らせは僕という人物のかけがえのない一部を切り落とし、それを糸の切れた凧のように空に放ってしまう。
だからこそ僕はこの十二月の朝に学校の校庭を歩き、空をずうっと見上げているのだ。心臓のかたちにも似たふたつの迷い凧が天国に向かって飛んでいくところが見えるのではないかという気がして。

 『クリスマスの思い出』トルーマン・カポーティ 著 村上春樹訳

1567シャンソン:2018/10/15(月) 05:06:03
   父が母を勇気づけてくれたことでわたしは生まれました。

ーお父さまが五十代の時に、おできになったお子さんだったのですね。

 53歳で、旭川第七師団の第10代師団長になって2年目か3年目でございましょうか。
周りの方から「師団長に孫が生まれたことはあるけれども、子どもが生まれたことはない」といわれたようです。
 わたくしの姉が長女で、22歳上になりますが、ちょうど同じ年に、長女を産んでおります。

 ですから孫と子どもがいっしょにというので、母は産みたくないっていう気持ちを持っていたようです。
その時に父が「男が子どもを産んだらおかしいけれども、女が産むのに恥ずかしいことがあるものか。産んでおけ」っていって、
わたくしを産んでおいてもらった。わたくしはそういう子なんです。

 父のおかげで、わたくしはこの世に生を受けることになったんですね。
だから父は、わたくしの命をそこでも救ってくれて、それから二・二六の日も弾からわたくしを救ってくれて。
その代わりに、わたくしだけは、父の最期を看取ったといいましょうか、敵のさなかで、ただひとりで父を死なせないですませることができたと。

 そのために産んでおいてくれたのかなと思います。
ほこらしげではないですけれど、母でさえそばにいなかったのに、わたくしはお父様の最期まで見た。
 それこそ父の、ピストルを構えた時から最期の息絶えた時まで見た、唯一の人間でございます。

 『〝ふがいない自分〟と生きる』渡辺和子 NHK「こころの時代〜宗教・人生〜」制作班 編

1568シャンソン:2018/10/15(月) 10:54:24
>>1564

鮫島純子さんの経歴は?https://kaitored.net/8378.html

1569転載:2018/10/19(金) 14:10:03

シスター渡辺は修道会に入られてすぐアメリカに派遣され、帰ってくると岡山の大学に派遣され、翌年には学長をされることになったそうです。まだ終身請願前なのに、これまでのアメリカ人学長の半分の年齢(36歳)で、卒業生でもなく、地元出身でもないのに大役をまかされたそうです。当時は、周囲からの風当たりも強く、大変苦労されたそうです。
「こんなはずじゃなかった」と苦しんだ末に、二人の神父さまに相談されたそうです。知り合いの神父さまは慰めるでもなく、
「あなたが変わらなければ、どこへ行っても何をしても同じだよ」
と、ナウエンの本に書かれているような言葉を言われたそうです。そのころのシスターは、みんなは何もしてくれないという「人に求める思い」にとらわれていたそうです。そこで、自分から与える人、あいさつし、お礼を言い、お詫びをし、人を褒める人間に変わったとき、周りの人も受け入れてくれるようになったそうです。
もう一人のベルギー人の神父さまは「神さまがお植えになったところで咲きなさい」という英語の詩をくださったそうです(シスターは「お植えになった」を「置かれた」と以下のように訳されました)。
神様が置かれたところで咲きなさい

置かれたところで咲きなさい
仕方がないと諦めるのでなく咲くのです
咲くということは、自分が幸せになり
周囲の人を幸せにすることです
咲くと言うことは、私は幸せなんだということを
周囲に示して生きることなのです
咲くと言うことは大変だけれども、そこに置かれている間はそこで咲くのだと教えられたそうです。それは、決して見事な咲き方でなく、自分なりに一生懸命咲かせればそれで良いのだということです。

1570転載:2018/10/19(金) 14:13:17
■ 小泉 吉宏  ◇ http://blogs.yahoo.co.jp/e_dream21/33731555.html
漫画家、絵本作家。
結婚式のスピーチや、道徳の教科書に載ったりするなどで有名になった、「一秒の言葉」の詩の作者。

野原を見て美しいなぁと思う人がいる。
美しいとも何とも思わないで、野原があるぞと思う人がいる。
「美しい景色」って、眺める人の心の中にあるみたいだ。

1571シャンソン:2018/10/19(金) 19:24:57

そこでイエスは彼らに言われた、
「もうしばらくの間、光はあなたがたと一緒にここにある。
光がある間に歩いて、やみに追いつかれないようにしなさい。
やみの中を歩く者は、自分がどこへ行くのかわかっていない。

光のある間に、光の子となるために、光を信じなさい」。
イエスはこれらのことを話してから、
そこを立ち去って、彼らから身をお隠しになった。


このように多くのしるしを彼らの前でなさったが、
彼らはイエスを信じなかった。

ヨハネの福音書 第 12 章第 35〜37 節


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