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非武装信仰板

1566シャンソン:2018/10/14(日) 19:15:11

「ああ、私はなんて馬鹿なんだろう!」と我が友が何かに打たれたように叫ぶ。
まるでオーブンにパンを入れっぱなしにして、手遅れになってから思い出した女の人みたいに。
「私がこれまでどんな風に考えていたかわかるかい?」彼女は何かを発見したというような口調で僕に言う。

 彼女はにっこりとしているが、それは僕の顔を見てほほえんでいるのではない。
僕のずっとうしろの方の一点を見ているのだ。「私はこれまでいつもこう思っていたんだよ。神様のお姿を見るには私たちはまず
病気になって死ななくちゃならないんだってね。そして神様がおみえになるときはきっと、パブティスト教会の窓を見るようなものだろうって
想像してたんだ。

 太陽が差し込んでいる色つきガラスみたいに綺麗でさ、とても明るいから、日が沈んできてもまるっきり気がつかないんだ。そう思うと、安心できたんだよ。
その光を見ていれば怖い思いなんてせずにすむってさ。でもそれは正真正銘のおおまちがいだったんだよ。
これは誓ってもいいけれどね、最後の最後に私たちははっと悟るんだよ。神様は前々から私たちの前にそのお姿を現していらっしゃったんだということを。物事のあるがままの姿」

 彼女の手はぐるいと輪を描く。雲や凪や草や、骨を埋めた地面を前脚でかいているクイーニーなんかを残らず指し示すかのように
「私たちがいつも目にしていたもの、それがまさに神様のお姿だったんだよ。私はね、今日という日を胸に抱いたまま、今ここでぽっくりと死んでしまってもかまわないと思うよ」
これが僕らが共に過ごした最後のクリスマスである。人生が僕らの間を裂いてしまう。

 わけしり顔の連中が、僕は寄宿学校に入ったほうがいいと決める。
そして軍隊式の惨めな監獄と、起床ラッパに支配された冷酷なサマー・キャンプが続く。僕は新しい家も与えられる。でもそんなものは家と呼べない。家というのは友達がいるところなのだ。なのに僕はそこから遥かに
隔てられている。彼女は一人取り残されて、何をするともなく台所をうろうろしている。

 彼女にはもうクイーニーしか残されていないし、そのクイーニーもやがて姿を消してしまう(「親愛なるバディー」と彼女が僕に手紙を寄越す。ものすごく読みにくい金釘流の字で。「昨日クイーニーがジム・メイシーの馬にひどく蹴られました。
有難いことにそれほど苦しみませんでした。私は上等の亜麻のシーツにくるみ、荷車に乗せてシンプソンの牧草地まで運んで、自分の埋めた骨と一緒にいられるように...」)。そのあと何年かは、十一月になると、彼女はひとりでフルーツケーキを焼きつづける。
それほどたくさんの数ではないけれど、いくつかは焼く。言うまでもないことだが、僕に「いちばん出来のいいやつ」を送ってくれる。そしてまた、どの手紙にもちり紙でくるんだ十セント玉が入っている。

「映画を見て、私にその筋を教えておくれ」。でも彼女はやがて僕と、彼女のもう一人の友達を混同するようになってくる。
一八八〇年代に亡くなったもうひとりのバディーとだ。一三日以外にも、彼女がベッドから起き上がらない日がどんどん増えていく。そして、十一月のある朝が訪れる。木の葉も落ち、鳥も消えてしまった。冬の訪れを知らせる朝だ。それなのに彼女は身を起こして「ねえ、ごらんよ、
フルーツケーキの季節が来たよ!」と叫ぶことはできない。

 そしてそのとき、僕にはそれが起こったことがわかる。その電報の文面も、僕の秘密の水脈がすでに受け取っていた知らせをただ再確認しただけのことだ。その知らせは僕という人物のかけがえのない一部を切り落とし、それを糸の切れた凧のように空に放ってしまう。
だからこそ僕はこの十二月の朝に学校の校庭を歩き、空をずうっと見上げているのだ。心臓のかたちにも似たふたつの迷い凧が天国に向かって飛んでいくところが見えるのではないかという気がして。

 『クリスマスの思い出』トルーマン・カポーティ 著 村上春樹訳


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