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非武装信仰板

1483「考える」管理人◇日野:2018/05/03(木) 22:46:57
日蓮聖人は菜食主義者であったが、今の時代は日蓮宗・法華宗・日蓮正宗等の僧侶の多くは肉食をしているという。
中でも日蓮聖人を「大聖人」「末法の本仏」と呼んで崇拝している日蓮正宗の僧侶が肉食を行うのは不可解である、と思っていると、彼らは日興上人の次の言葉を肉食容認の論拠にしているようだ。

「先師の如く予が化儀も聖僧たるべし。但し時の貫首或は習学の仁に於ては、設ひ一旦の媱犯有りと雖も、衆徒に差し置くべき事。」(「日興遺誡置文」より)
<意訳>
「師の日蓮上人のように私も聖なる僧として(肉食禁止等の戒律を守って)きた。しかし、もしもその時の貫主や修行中の僧侶が一度戒律を破ったことがあったからといっても、そのまま門下にしておくべきである。」

要するに「私は日蓮聖人を見倣って肉食はしてこなかったけど、それが出来ない弟子がいても赦してあげよう」という程度の意味である。
元々、日蓮聖人の教えに「末法無戒」というのがある。
これは「今の時代は末法の世であるから、戒律を守ろうにも守れない人がいる」ということであり、日興上人の言葉もその延長線上にあるだろう。
だからと言って例えば「不殺生戒なんか末法の世にはどうせ守れないんだから、いくらでも人を殺してよいのだ」という意味ではない。
むしろ、日蓮聖人は「武士の家の仁昼夜殺生の悪人なり」と言われた。
つまり、戦闘を職業とする武士ですらも「悪人」なのである。決して「不殺生戒など守れないから無視しても良い」等という意味で「末法無戒」を言ったわけではないのだ。
それでは日蓮聖人は「武士は人殺しの悪人だから救われない」と言ったのかというと、そういうわけではない。日蓮聖人は次のように仰っている。
「阿闍世王は父を殺害し母を禁固せし悪人なり、然りと雖も涅槃経の座に来つて法華経を聴聞せしかば現世の悪瘡を治するのみに非ず四十年の寿命を延引したまい」
「法華経の心は当位即妙・不改本位と申して罪業を捨てずして仏道を成ずるなり」
どういうことか、簡単に要約するとこうなる。
「現象において父を殺して母を幽閉するような悪人であっても、『法華経』の真理を聴くと救われるのである。」
「『法華経』は現象的に罪を背負ったままの状態であっても解脱をなしうる(実相を顕現させる)功徳を持っているのだ。」
ようは「仮に親殺しの悪人であっても救えるのが『法華経』の教えである」ということだ。
日蓮聖人の立場からすると肉食は良くないことである、日興上人もその立場を引き継いでいる。
だが、日興上人は「親殺しの悪人であっても救えるのが『法華経』の教え」だという信念から「仮に私の弟子が肉食をしたとしても、その弟子を追放するようなことはしない」と言ったのだ。
「罪業を捨てずして仏道を成ずるなり」とは、深い宗教的真理が込められている。
このような日蓮聖人と日興上人の思いを無視して「肉食を禁ずるのは時代遅れである」と言わんばかりの言動を行うのは不誠実であろう。
ある日蓮正宗の信者はブログに次ように書いている。

「当然、末法無戒を宗是(しゅうぜ)とする本宗においても、この期(ご)に及(およ)んで、あえて肉食・妻帯をタブー視していく必要もなくなり、明治・大正・昭和と進んでくるなかで肉食・妻帯が通例化(つうれいか)してきたのである。」

これは日蓮聖人の教えを歪曲するものではないのか?
日蓮聖人はあくまで「肉食は悪業であるが、それでも『法華経』の真理で救われる」という立場であり、決して肉食を「通例化」すべし、とは言われなかったのである。

https://www.facebook.com/tomoki.hino.5/posts/1249605018502940


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