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非武装信仰板

1572転載:2018/10/22(月) 15:10:30
「最も小さい者(弱い者)の一人にしたのは、わたしにしてくれたこと」マタイによる福音書25章35節‐36節、40節
「最も小さい者(弱い者)の一人にしたのは、わたしにしてくれたこと」
マタイによる福音書25章35節‐36節、40節

25:35 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、
25:36 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』

25:40 そこで、王(イエス)は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟(姉妹)であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』

1573シャンソン:2018/10/26(金) 00:21:23
新したらば 〇 生長の家の信仰に悩む人へ

 これはよく読むと、信仰の話ではなくて、組織の話みたいです。

1574シャンソン:2018/10/26(金) 00:51:25
 ハッピーバレー復讐の街 https://www.nosuke-movie.com/happy-valley/

 このドラマでは、自分の友人女性をレイプし、別の女性を金銭目的のために誘拐しレイプし、
自分の仲間を殺害し、自分の子供にガソリンをかけて殺そうとした男性が出てくる。
子供は祖母である警察官に助けられ、犯人は刑務所に入ることになってドラマは終わるのだが、
シーズン2では、刑務所内にいる犯人の男性が、どうしても子供(小学生の息子)と交流したいから
恋人である小学校のカウンセラーみたいな女性を操って、子どもとの仲をとりもってもらおうとする
場面がある。

 その心理カウンセラーみたいな人は、うまく子どもを洗脳し、
ある日、家族の集まる食卓で、「学校でキリストは許さなくてはいけないって教えている」
「だからぼくもパパを許すことは大事だと思うんだ」と話だし、
周囲を大人たちを動揺させる場面があった。その小学生の男の母親はレイプされて妊娠出産直後、自殺をしているのだ。
それで祖母が親代わりに育ててきたのだ。

 私がこのドラマのこの場面を思い出したのは、
この掲示板でもよく、本流掲示板のことを、背教だ、和解の神示に反しているという批判が出ているからだと思う。
この小学生の男の子がいう「許さなくてはいけない」というのは真理だろう。

 子どもから大人まで誰もが真理の言葉を口にする。

けれど、今の総裁が生長の何かを壊して、それによって多くの人の人生に影響が出たことも事実だろう。
だから子供が「キリストは許せといった」という話をしたら、大人はみんな動揺したのだ。

1575志恩さんを叩く友の会:2018/10/26(金) 15:04:13
志恩さんが、穴熊になりましたので、日吉、品川、田町の、第三者により、『志恩さん、被害者の会』を決起することに、成りそうです!

私、トンチカン信徒が、作るわけで、ありませんが、志恩さんに傷つけらた、第三方それだけいると言う事実です。

1576志恩さんを叩く友の会:2018/10/26(金) 15:07:41
どうして?第三者の方で、志恩さんを恨みに感じてしまったでしょうね?
志恩さんが、コメントがないの、困りましたね。

1577志恩さんを叩く友の会:2018/10/26(金) 18:16:15
私は、志恩さんの家近隣住む者です。

今日も、志恩さんは、創価学会の奥さんと、お話をしていました。

近所では、有名です。

1578シャンソン:2018/10/31(水) 13:00:31

 なぜ、遠く離れた日本での「祈り」が、
 彼の地を癒すことができるのか。
 それは、量子の世界という極限の世界では、
 「非局所性」により、
 距離が存在しなくなるからです。

 『医者が学んだ祈りの力』 小松健治 著

1579シャンソン:2018/11/18(日) 21:17:57
     考え抜けば、道は開ける (高橋呑舟)

 まだ自衛隊にいるとき、私は連隊長から中隊長になる辞令をもらいました。
どこへ行くかは通常、命令を受けるのですが、私の場合、連隊長に呼ばれて「お前の好きなところへ行け」と
言われました。そう言われると考えますね。

 私はそれまで3中隊にいましたから、そこへ行くのがいちばん自然です。2中隊はいちばん優秀な隊でしたから、そこへ行けばさらに楽ができます。
1中隊は問題の部隊で、ものはよくなくなるし、喧嘩はするし、問題の多い部隊でした。

 私はその1中隊に行くことにしますと報告に行くと、大変喜ばれました。本当はそこをなんとかしてほしかったのだと言われました。
問題は多く、特定競技会はいつもドンケツでした。そして12月には、伝統的なマラソン大会がありました。
 私は8月に赴任して、10月までは前任の方針を踏襲し、部隊の利点欠点を見極めることにしました。
そして10月から自分の方針に変更し、2ヵ月でマラソン大会で優勝することを目標にしました。

 その結果、その1中隊がダントツで優勝をしたのです。ふつう1位と2位の差は、平均タイムで1秒ありませんが、そのときは20秒の差をつけて優勝しました。
何をしたかというと、毎晩、真っ暗闇の中を走らせました。人間の深層心理を利用して錯覚を起こさせたのです。そうすると昼間走るのと違ってスピード感がわかりません。
真っ暗な中では少し前しか見えませんから、いちばん前を走る人に、大会で勝てるスピードで走らせました。それが習性となり、本番でもみんなそのスピードで走りましたから、優勝したのです。

 自分も走るのは速くないのですが、夜走ると速くなっている気がしていました。その体験から作戦を立てたのです。また、ちゃんこ鍋を作ってガンガン食べさせ、疲労回復と筋肉をつけさせるために、豆乳もたくさん飲ませました。
筋肉への栄養補給と疲労回復のためです。さらに筋トレは科学的トレーニングを取り入れました。みんなは驚き、それを高橋マジックだと言いました。

1580シャンソン:2018/11/18(日) 21:45:49
>>1579

私が青年将校の頃のことです。
新しい中隊長が着任して間もなく、連隊の射撃競技会の監督を誰がやるか、調整会議にかけられましたが、
誰も引き受けようとする幹部がいないので、私が手を挙げました。その優勝を目標に定めましたが、不思議と不安はありませんでした。
そして、この中隊長のために力になりたいと思っていました。

 当日、私は第1小隊長として遭遇線の尖兵隊長として訓練場に向かいました。スタート地点から1キロメートル行かないうちに、私たちは合格の判定をもらいました。
他の中隊はほとんどやり直しが続いていた中、ありがたい判定でした。
 じつはその前日、中隊長からこの作戦は斜行遭遇作戦といって、小隊を目的地に向かって進めていくもので、そのとき左斜め側方から小さな部隊が牽制してくるが、これに絶対食いつかないようにとあらかじめ
釘を刺されていました。

 そこで私は斜め側方から牽制してくるのを小隊の一部で対処しながら、主力は前進を目標に駒を進めていたのですが、あっという間の判定で、訓練終わりのラッパが響きました。
後でわかったことは、これは桶狭間の戦術と同じパターンだったことです。桶狭間の戦いは、今でも謎とされていますが、今川軍はこの斜行遭遇戦の小部隊の陽動作戦に引っかかったために大将の首を簡単に取られてしまったのです。
信長の作戦勝ちでした。その指導を中隊長から受けていたので、私は1回でパスしたというわけです。その恩に報いるためにも私は、ぜひ優勝したいと思ったのです。

 それに続く射撃競技会は、初めての攪拌11名、3個班による戦闘射撃という極めて難しい危ない競技内容でした。この計画を作成する担当者は前例のないなか、どのように計画を立てればいいのか迷い、悩んでいましたので、私がその作戦構想を伝授しました。
そして簡単には解けないよう配点を複雑にしていましたが、各中隊はたいした作戦を組んでいませんでした。大切なことはいついかなるときも、状況をこと細かく分析し、それに対処する作戦を立てることです。
その結果、各中隊2チームずつ終了した時点で私の中隊はトップに立ち、それも2位との差を大きく開き、最終的には150点差で優勝しました。これも最初の計画段階の情報を提供したことによる作戦勝ちです。

 その後、この戦闘射撃が全国の自衛隊に普及していきました。現在は自衛隊の任務もPKOが加わり、東アジアの情勢の変化により実践訓練に明け暮れいていますが、当時の実弾射撃訓練はこの実践訓練が始まりでした。

 『 120歳時代の生き方 』 競技術と思いの力で目覚める健康革命 高橋呑舟・西村光久 著

1581転載:2018/11/22(木) 21:10:43

   真理を知れば一切の迷信は消える 谷口雅春先生
  https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/284b4c0d05589877a9a5607c60c134e0

1582転載:2018/12/01(土) 17:19:37

 人は何のために「祈る』のか http://bbs2.sekkaku.net/bbs/sengen/&mode=res&log=965

1583転載:2018/12/04(火) 22:51:33

年越の祓え - 伝統
2016/12/31 (Sat) 03:26:45
大祓えは古代より伝わる神事儀礼の一つです。

十二月の大祓は年越の祓えとも呼ばれ、
新たな年を迎えるために心身を清める祓いです。

十二月三十一日、新年を迎える前に今年の罪穢れをはらい、
清々しく新年を迎えられるよう、お近くの氏神様や崇敬神社の大祓に
参列されてはいかがでしょう。


            ・・・

谷口雅春先生は昭和55年12月31日の
龍宮住吉本宮における「大晦大祓」の御祭りの中で、

「にせものは皆ふき祓へ大空の無きこそもとのすがたなりけり」

と祈られ、更に

「虚妄をみな吹き祓って、実相完全の世界を現すのが大祓であります。
この世界が物質の世界であると思っておった考えを全部祓い浄めて
"物質は無いのである"という根本的な真理を悟ることが本当の大乗大祓の儀式である」

と生長の家の大祓の本義をお説きになられました。


<関連Web>

(1)光明掲示板・第一「”「大祓」” (5150)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=973

(2)光明掲示板・第二「年越の祓」 (4126)
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=860

(3)谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐
    「禊祓祝詞講義」 『大祓祝詞の私解』
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=48

(4)伝統板・第二「夏越祓」
    → http://dentou.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=6525486


        <感謝合掌 平成28年12月31日 頓首再拝>

1584シャンソン:2018/12/17(月) 18:20:04
  生死    内山興正 曹洞宗 安泰寺元住職

 手桶に水を汲むことによって水が生じたのではない

 天地一杯の水が手桶に汲みとられたのだ

 手桶の水を大地に撒いてしまったからといって水がなくなったのではない

 天地一杯の水が天地一杯にばら撒かれたのだ

 人は生まれることによって生命を生じたのではない

 天地一杯の生命が私という思い固めのなかに汲みとられたのである

 人は死ぬことによって生命が無くなるのではない

 天地一杯の生命が私という思い固めから天地一杯のなかにばら撒かれるのだ

    『生命法句詩抄』 より

1585シャンソン:2018/12/20(木) 22:03:18
  道元禅師 転載

「学道用心集」

「いわゆる操行と道と合せんには、如何が行履せん。心に取捨せず心に名利なきなり。仏法修行はこれ人のために修せず。今世の人の如きは、仏法修行の人、その心と道と遠くして遠し。もし人賞翫すれば、縦い非道なりと知るとも乃ちこれを修行す。もし恭敬讃嘆せざれば、これ正道なりと知るといえどもすてて修せず。痛ましき哉、汝等試みに静心にして観察せよ。この心行、仏法とせんや、仏法にあらずとせんや。恥ずべし恥ずべし、聖眼の照らす所なり。 それ仏法修行はなお自身のためにせず、況んや名聞利養のためにこれを修せんや。ただ仏法のためにこれを修すべきなり。諸仏は慈悲もて衆生を哀愍すとも、自身のためにせず、他人のためにせざるは、ただ仏法の常なればなり。ーー(中略)--諸仏の妙法はただ慈悲一条のみにあらず、普く諸門に現ず。その本みな然なり。既に仏子たり、なんぞ仏風に慣わざるや。行者自身のために仏法を修すと念うべからず、名利のために仏法を修すべからず、果報を得んがために仏法を修すべからず、霊験を得んがために仏法を修すべからず。ただ仏法のために仏法を修するこれ道なり。」

1586トンチンカン信徒:2018/12/20(木) 22:10:40
>>1585
こんなこと書いてが?

日本曹洞宗が何派に別れてる、知らないシャンソンさん。

道元禅師の直孫は、宝慶寺と昔から決まってるのさ(笑)

1587トンチンカン信徒:2018/12/20(木) 22:19:22
中国曹洞宗は、如浄系では無い。ティクナント・ハンのベトナム曹洞宗も中国曹洞宗の流れだから、日本曹洞宗と別物。

今は、欧米人に人気は、永平寺の道元流日本曹洞宗禅と、日本臨済宗妙心寺白陰流公案禅の、2系統だね。

1588トンチンカン信徒:2018/12/20(木) 22:23:32
>>1587
武道の少林寺は、曹洞宗が、仕切ってるね。

1589シャンソン:2018/12/20(木) 22:47:23

  神さまの眼 伝道に肩書はいらない
 https://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/19735591.html

1590トンチンカン信徒:2018/12/20(木) 23:10:55
>>1589
1589:シャンソン
18/12/20(木) 22:47:23

  神さまの眼 伝道に肩書はいらない
 [blogs.yahoo.co.jp]

===========
志恩さん。自慢の勧誘伝道!

雅春先生と輝子先生に、誉めらたと、志恩さんは、日野ボンや後輩である、我々生長の家信仰信者に、自慢してセールしてます!
シャンソンさんにはとくにね(笑)

1591神の子様:2018/12/21(金) 00:05:23
そうならば「愛国本流掲示板」さんに自分の回答を投稿して、先人の意見をうかがうことを勧めます(トキさん掲示板に投稿しても暇つぶしの道具にされるだけです。勧めません)。


トキさん掲示板に投稿しても暇つぶしの道具にされるだけです。勧めません


トキさん掲示板に投稿しても暇つぶしの道具にされるだけです。勧めません

トキさん掲示板に投稿しても暇つぶしの道具にされるだけです。勧めません

トキさん掲示板に投稿しても暇つぶしの道具にされるだけです。勧めません
トキさん掲示板に投稿しても暇つぶしの道具にされるだけです。勧めません
トキさん掲示板に投稿しても暇つぶしの道具にされるだけです。勧めません

1592神の子様:2018/12/21(金) 00:06:29
トキさん掲示板に投稿しても暇つぶしの道具にされるだけです。勧めません


トキさん掲示板に投稿しても暇つぶしの道具にされるだけです。勧めません

トキさん掲示板に投稿しても暇つぶしの道具にされるだけです。勧めません

トキさん掲示板に投稿しても暇つぶしの道具にされるだけです。勧めません
トキさん掲示板に投稿しても暇つぶしの道具にされるだけです。勧めません
トキさん掲示板に投稿しても暇つぶしの道具にされるだけです。勧めません

https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=2444

1593神の子様:2018/12/25(火) 12:58:39
♪西から登った御日様が、東に沈む〜!あ!快晴♪これで、飯井野田(いいのだ)♪これで、飯井野田♪ボン、ボン、日野ボン、日野ボン♪

♪天災、以下、日野ボン、ボン、ボン♪

1594シャンソン:2018/12/25(火) 20:06:42
    死は死に過ぎず、すべての死が愛されている

 ぼくの講演会には身内を自殺で亡くした人たちも参加されています。
本書を読んでくれている方にも、そんな立場の方がいるでしょう。
 そんな皆さんにぼくが話したいことは、自殺をした人も病気で死んだ人も事故や犯罪に巻き込まれて死んだ人も、
死は死に過ぎないという事実です。

 どのように死んだかは、あくまでもこの世に限ったストーリーであり、そもそも死はまったく違う次元への移行であり、それは
人間の想像をはるかに超えます。自殺した人はあの世で苦しみ続けるとか、自殺すると地獄に落ちるとか、そんなことを断定的に言う識者や
スピリチュアル関係者が大勢いますが、彼らの著作は知識の集大成に過ぎず、本人が体験的に見抜いた真理に乏しいことがわかります。

 つまり、見性体験から発生した「1次情報」ではないのです。
そのような情報に惑わされて、二重三重に苦しむ多くの遺族にこれまで会いました。
ぼくは内なる体験から伝えます。どのような死に方をしても、すべての人は常に愛され、見守られ、救われているということを。
自殺した人たちも、もちろん救われています。大いなる存在の愛と救済は無条件ですから。

 罪や罰といった単なる人間界の論理と、普遍的な真理は、何の関係もありません。
犯罪者と被害者が同等に扱われることは不条理だという考えも、この人間界特有のものであり、真実は真実であることから何も揺らぐことがありません。
身内を自殺で亡くし、罪悪感の中で暮らしているあなたにお伝えします。

 あなたのせいではありませんし、だれのせいでもありません。
ことはそのようにして起きたのです。すべてを司る大いなる意思を信頼してください。
その存在は「何があっても大丈夫」と、これからもあなたに伝え続けます。

    『不死のしくみ』 阿部敏郎 著

1595シャンソン:2018/12/30(日) 19:51:20

 南北朝時代、伊勢神宮外宮神官の村松家行

「情を天地に斉しくし、想を風雲に乗ずるは、道に従ふの本たり、神を守るの要となす」

1596シャンソン:2019/01/03(木) 19:18:31
    苦しみがある場所は、智慧が潜んでいる場所

 賢い人はただでは苦しみません。苦しみから智慧というメリットをいただきます。
苦しみがある場所とは、智慧が潜んでいる場所なのです。
本当のことを言えば、私たちは皆「法を伝える道具」なのです。

 私たちの肉体に生じる苦しみ。老い、病、死。それらは私たち自身に法を伝えてくれています。
心に生じるさまざまな感情は、それもまた法を伝える道具です。私たちの心と身体すべてが「法を伝える道具」なのです。カンポンさんという
法を伝える道具が、今日をもって終わりと考えてはなりません。

 肉体だけが、今日去っていくのです。
法を伝える道具は、今もここにあります。私たちとともに、あります。
カンポンさん、そして教えを伝えてくれた先達たちの教えを、常に身にたずさえ、自分に気づくための注意を促してくれるものとして、
これからも精進していくこと。

 カンポンさんの人生、そしてたくさんの教えを、私たちもまた苦しみなき人生を歩めるという良き励みとして、これからも歩んでいきましょう。
それがカンポンさんと生前ご縁があり、親しくその姿に触れることができた私たちのこれからの役目なのです。

    障害とともに生き、苦しまない生き方を実現したカンポンさんから
死にゆく前に届けられたメッセージ『いのちの最後の授業』 カンポン・トーンブンヌム著

1597新したらば:2019/01/05(土) 06:47:51
日時:2019年01月04日 (金) 17時21分
名前:つれづれ草

「出家は世わたるにたのしからんといへる一言にをとろき、此童子此心にて法師にならは、かならすちくしょうとなるへし」・…原文


「世わたるにたのしからん」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私の引用
『出家すると 苦労せずに 食べられ、それに、楽しそうだ!』・・・志恩さんの意訳

今、論議しているのは、次の法語についての話です。『自分の欲得で出家したいと思う人は、畜生として生まれ変わるという法語』についてです。

「世わたるにたのしからん」と思える人生を勧める為に元の教えに戻れと言い続けているのでしょ。
一般大衆はその通りです、が法師というは人の導きをする人の事です。早い話が私は正統生長の家の教えの継承者であると言う貴女や、と組織人間として生きるトキ管理人の様な人です。

その二人がニコニコ笑い、楽しげに人生を送れてこそ生長の家の真理だと云います。そして笑えなくなりつつあると教団の批判をもっぱらとする。
自分が光明化を勧めればよいだけなのに、批判の愚痴三昧になっている、愚痴の衆生は畜生界に沈む、これ佛道の嫌う貪瞋痴の痴そのものです。

『自分の欲得で出家したいと思う人は、畜生として生まれ変わるという法語』についてです。こんなふうに解釈するから話にならないのです。

1598シャンソン:2019/01/05(土) 13:47:01

 つれづれ草さんも、行き届かない志恩さんと話すことは
どれだけ不毛かよくわかっていると思います。
 トンチンカン信徒氏やるん吉やトキさん相手にうだうだいってるのが
志恩さんにはお似合いです。

 難儀な問題はトキ様に回答してもらいましょうとか
単に掲示板でああだこうだって司会役ごっこをしたいだけのようなので
今年はこんな人の御話の会にまきこまれないように注意しましょう。

1599うのはな:2019/01/08(火) 11:59:34

  人は、自分こそが実在であるにもかかわらず、
  実在を探し続ける。
  これに勝る謎はない。(ラマナ・マハルシ)

1600うのはな:2019/01/08(火) 12:18:27

映画『祈り』 白鳥哲ビデオメッセージhttps://www.youtube.com/watch?v=lvW2t3thrx0&list=PL22ZwK7HOVhJ9RZtdTemHUG884MPtYFOC

1601シャンソン:2019/01/09(水) 10:47:48
ラインホールド・ニーバーの祈りの言葉

 神よ
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

1602シャンソン:2019/01/11(金) 08:48:46
     死ぬのが怖いというその気持ちが原爆をつくる

よしもと 私、作家にも多少友達がいて、田口ランディさんという女の友達がいます。
彼女は原爆について取材して、たくさんの人に会って小説を書きました。その取材の過程で、
もう亡くなられたんですけれども、1人のお年寄りに会いました。

 その人は爆心地から2キロのところにいて、だけれども生きていた。もちろん何かしらの病気は持っていたみたいですけれども、
「原爆なんて大したことはない」と。どうしてかというと、「自分1人も殺せなかったんだから」とランディさんに言ったんですって。

 だけれども、反対運動の人たちは、彼の存在をすごく疎ましく思った。というのは、怖いものだとか嫌いなものだという訴えをしないから。
彼は、ランディさんに「あなたは死ぬのは怖いか」と質問をした。彼女はすごく正直な人だから、「怖い」と。「その気持ちが原爆をつくるんだよ」と
彼は言ったそうです。というのは、自分が怖いから人を倒す。彼女は「今、目の前に怖い人が来て自分を殺そうとしたら、自分はその人を殺すと思うし、自分の子供を
殺そうとしたら、私は多分その人を殺すから」と。

 そうしたら、そのおじいさんは、「でも、死ぬのは本当に一瞬のことだから、その前も後も別に何てことはない。だから、怖いと思うこと自体が変だ」ということ。
だから、「原爆なんて何てことはない」と言い続けてきたんだけれども、とにかく反対運動の人たちに反対される。この話は、何かの集団に属するか否かという話とも似ている。

ボーネル 彼が言ったことは真実だと思います。死を恐れないなら、死ぬことを楯にとっておどかすことができなくなります。

よしもと そうなんですね。だけれども、私とかランディさんは、そういう意味ではいつまでも怖い気持ちを持っていることによって書くこともある。
怖くなくなる、その過程を書いていることもあると思う。

ボーネル もし人が本当に5分間だけでも、あちらの世界を訪れることができたら、地球の人口は激変するでしょう。

よしもと でも、方向性としては減っていますよね。

ボーネル 日本ではね。

  『光のアカシャ・フィールド』 よしもとばなな×ゲリー・ボーネル 著

1603シャンソン:2019/01/14(月) 18:25:19

  アーリーオーン 宇宙神霊 2016.11.22
https://ameblo.jp/aoisoradaisuki123/entry-12221768589.html

1604転載:2019/01/19(土) 17:30:47

 生命の實相を読んでみたい https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=2471

1605シャンソン:2019/02/22(金) 00:38:43
      実体はスクリーン

 毎日毎日、いろいろなことが目の前を通り過ぎていきますが、
そんな現象に巻き込まれることなく、いつも穏やかで一定している存在が僕たちのなかにいます。
その部分はちょうど映画のスクリーンみたいな存在です。

 僕たちはいつも、そのスクリーンに映るドラマに夢中で、スクリーンの存在を忘れています。
そして刻々と変化する映像に一喜一憂して、心や体をすり減らしているのです。
でも本当の自分は、移り変わる映像ではなく、その背後にあるスクリーンです。

 ドラマの出演者としての自分から、スクリーンとしての自分に飛び移ることが、「さとり」といわれている現象です。
それは映像のなかでは決して起きません。次元が違うのです。映像は実体ではありませんが、スクリーンは実体です。
 人生は映画のドラマであり、本当の自分はそれを映し出しているスクリーンです。どんなに残酷な映画でも、どんなにつらく悲しい映画でも、スクリーンは
何ひとつ影響されていません。それはいつも一定で、汚れることも、きれいになることもなく、増えることも、減ることもありません。スクリーンの自分を自覚した時、映像(現象)に
右往左往することがなくなります。

 僕がこうして話し続けているのは、多くの人たちにスクリーンである自分に気づいてもらうためです。
それは何かとてもつもないことが起きることではなく、当たり前の事実に気づくことです。
「さとり」というと、なんだかすごく大げさに聞こえますが、単に本当の自分の姿を思い出すことでしかありません。
まさにそれは思い出すことなのです。

 だって、いつもは映像を見ていますが、その映像はスクリーンに映し出されているのであって、本当はスクリーンを見ているのと同じだからです。
自覚していないだけで、僕たちはいつもスクリーンを見ているのです。だから、本当は誰もがさとっています。ただそのことを自覚していないだけです。
だからあなたがさとった瞬間、必ず感じることがあります。

「なーんだ。このことは最初の最初から知っていたじゃないか」
そうなんですよ。実はいまもあなたは「それ」を体験しています。あなたは「それ」以外であったことはないからです。
僕がいつも「だいじょうぶ、心配ないよ」と言うのはそういう意味です。

 いまあなたが、どんなドラマのなかで誰を演じていようと、そんなものは空中の霧のようなものなのですから。
ドラマのなかで苦しんでいる人を、そのドラマのなかに入っていって助けようとしても無理な話です。世の中には、そういう人が多いですが、その人は
自分が何をやっているのか知らないのです。映画のなかで苦しんでいる人を救う道はただひとつ。

 その人を映画のなかから連れ出して、スクリーンの自分に気づかせてあげることだけです。

    『さとりの授業』 安倍敏郎 著

1606転載:2019/02/22(金) 16:43:51
    谷口雅春先生の言葉
     @DrMasaharuT

諸君よ、自身をはずかしめるな。―自分をはずかしめる者は、神の子をはずかしめる者だ。―他を拝むように自分をも拝め。自分にやどる神を拝み出せ。―言葉に出して自分が神の子だという自覚を強めよ。人間はみんな神の子だと自覚したとき本当に神の子らしくなれる。『生命の實相』生活篇

1607シオン観測:2019/02/22(金) 16:55:30
ニューエージー信仰やグノシス主義信仰のキーきになる、神様ですね。

教皇庁の調査や、公式のサイトでは、そうされてます。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
1603:シャンソン
19/01/14(月) 18:25:19

  アーリーオーン 宇宙神霊 2016.11.22
[ameblo.jp]

1608シャンソン:2019/02/25(月) 19:35:49

 アリオンはニューエイジとはちょっとちがいますね。

1609シャンソン:2019/02/25(月) 19:38:19
> もちろん、読まないのが一番だが、浮世の関係で、講師などはどうしても先導などをしなければいけない場合はあります。その場合は、とにかく、「これは人間が書いたものである」と認識し、他のことを考えながら上の空で唱えると害は少ないみたいです。

 それで、トキさんはいったいどういうつもりで
 「今日はうのはなさんのために一日中、観世音菩薩讃歌をあげます」と
 いったのですか?

 そもそも、トキさんは職員であってもまじめに信仰していませんよね?

1610シャンソン:2019/02/25(月) 20:41:21
志恩さん。自慢の勧誘伝道!

雅春先生と輝子先生に、誉めらたと、志恩さんは、日野ボンや後輩である、我々生長の家信仰信者に、自慢してセールしてます!
シャンソンさんにはとくにね(笑)<

  トンチンカン信徒さんの妄想には志恩さん以上に疲れます。
 志恩さんは、独身のころの伝道体験を書いてるだけで自慢しているとは思いません。
 しかしこの人は、「生長の家一本のわたし」ばかりを主張していて
 実際結婚してからなにもしていないようです。

1611シャンソン:2019/02/25(月) 20:46:49
>自慢してセールしてます!

 セールしているのなら、決算報告があってもいいですが、
 実際何人くらいの人を会員にしたのか
 講習会などに導いたのか不明です。

 志恩さんはよく今の教団の教えなんかを批判中傷していますが、
 志恩さん自身が、大衆文化ズンバや、夫の炭焼きがどうとか
 今の教団信徒みたいな話をよく披露していて
 最近はトキさんや訊けさんなどと迎合して本流批判などもしているようです。

1612シャンソン:2019/03/01(金) 10:57:26

    生長の家思想の萌芽 阪田成一
  https://blog.goo.ne.jp/vannon32/e/0b4d9074d63b2ccf9d5db254298a24d1

1613シャンソン:2019/03/01(金) 11:03:37

 『白鳩会』が人命尊重運動をはじめてから、日本のお母さんたちが、胎内の子供を殺す数が、随分減って来たことは喜ばしいことである。お母さんたちが堕胎の罪を自覚するようになって、自発的に悪業を犯さなくなることを望むと同時に、無自覚の母親たちのために、法律の力でもって人命中絶を禁止して貰える日を心待ちにしている。

 私の許へいろいろな質問の手紙が来るが、時々本末顛倒したことを言って来る人がある。

 「生長の家の宇治で、堕胎した子供を祀って下さると聞いたが、私も近日中におろそうと考えているから、祀って頂く手続きを教えてください」 というのである。祀ってさえ貰えば何人でも堕すつもりで居られるらしい。

 生長の家では、〃祀って上げるから心配しないで堕(おろ)しなさい〃と勧めているのではない。鬼のような親に殺されて、それを恨み悲しんでいる赤ん坊たちが可哀想なので、その霊魂を慰め祀って上げ、霊界で幸せに暮らすように祈って上げるのである。

 教えにふれた親たちは、たとい胎内にいる小さい子供でも、一個の人命をもつものであるから、殺人の大罪を犯したことだと教えられ、再び同じ罪を犯さなくなるのが当然である。

 実家の親が勧めたからとか、夫が堕せと命令したからだとか言って、責任を他になすり附ける母親があるが、母親さえしっかりした信仰をもっていたならば、悪に抗して、神より与えられた幼い命を護って行けるのである。誰の責任でもない。胎内に子をもつ母親が、子を殺す意志が無かったなら、誰も堕したりは出来ないのである。〃親がすすめたからだ、夫がすすめたからだ〃などと言ってはならない。自分が為したのであるから。

 子供を堕しては祀って貰い、また堕しては祀って貰いして、それでよいと思っている人は、自分も永久に救われないのである。懺悔さえしたら、また罪を犯してもよいと考えて、くり返しくり返し罪を犯しているのである。そこには神の子の救いは永遠にない。

 『チベット人の宗教の経典の中には、「懺悔はよく天路に往生せしむ」などの言葉が幾つもあるそうだから、彼らは懺悔さえすれば、一切の罪は消えると信じこんでいて、幾ら罪を犯しても構わない、懺悔さえしたら消えるのだからと信じて、悪行を重ねて居るようである』 (河口慧海師『チベット旅行記』)

 そんな考え方は本物の信仰ではないのである。懺悔さえすればよい。また悪事をしても、その都度懺悔をして置けばよいという考え方は、あたかも私たちが、よごれた手を石鹸で洗い、またよごれたら石鹸で洗い、幾度よごれても石鹸で洗いさえすれば綺麗になるからと、何等の罪悪感もないのと同じである。

 だが、石鹸で洗うような肉体的な汚れではなく、行いの汚れは、自分の魂を汚すだけではなく、他をも汚し傷つけ、相手が多ければ多いほど、罪をひろげて行くことになるのであるから、懺悔という石鹸で一週間ごとに洗い清めて見ても、再び三たびと悪行を積み重ねて行くほど害毒は大きくなるのである。

 懺悔という魂の汚れを洗う石鹸を使う時は、いい加減な心構えで使ってはならない。断じて罪を重ねないことを決意し、心の底から前非を悔い、明日からの生活態度が改められなければならない。

 今日懺悔して、明日からまた悪行をつづけてもよいと思う者は、本当の懺悔をしたのではなかった。明日からまた手をよごそうと思うけれど、今日は一と先ず洗って置こうとするだけである。口先きだけで神や仏に詫びて見て、心のうちでは少しも詫びていないのである。そのようなことは決して懺悔と言われないと思う。

     谷口輝子 生長の家白鳩会総裁  「白鳩」 昭和40年7月号

1614トンチンカン信徒:2019/03/01(金) 13:22:55
>>1613
それでは無く。

究極はこれである。

18/12/20(木) 00:34:15
世界平和の人柱に成る決め覚悟が、日本国憲法にあるということらしい。
宗教生活の究極的なコメントですね。西田天香先生


〜西田天香先生の示された伝導の範例〜

<わたしは伝導のきびしさを憶(おも)うとき、いつも一燈園の創始者の西田天香先生の聖なるきびしさを思い出すのである。天香先生の嫡子保太郎氏が重症で、いつ臨終となるやも測り知ることが出来ないで近親者がその机辺(きへん)に集まっているとき、天香先生は『人類が救いを求めて私を呼んでいるのだ。私はその方に赴かねばならない。それがまた保太郎の菩提のためであるのだ。さようなら』といって危篤の子供を残して人類救済のために旅立っていかれるのであった。それは最近親者たる母に向かって『われと汝と何な関係あらや』と淡々と言い切って、『わが時はいまだ来らず、また時が来たら会おうよ』と十字架上で母と再会する約束をせられたイエスの心境とよく似ているのである。義は重く、真理伝道の使命は重く、肉親の愛情はそれに比べれは軽いのである。>


〜信仰の活人剣『P121〜P122』の “伝道のきびしさ”より。

1615神の子様:2019/03/01(金) 18:16:19
///

1616シャンソン:2019/03/01(金) 18:33:15
       あるがまま

 物質文明が過渡期を迎えると、人は精神的な充足や成長を求めだします。
それはとても素晴らしいことですが、いくつかの落とし穴があります。
例えば、精神性の高い人を生きようとする傾向です。

 目覚めやさとりを経験すると、どんな人になると思いますか。例えば、
「穏やかで感情の起伏が少ない」「誰にでも優しい」
「いつもほほ笑みをたたえている」「落ち込むことがない」
「物欲がない」「性の衝動を超越している」「常に寛容的」

 その他もろもろ.....。
 多くの人は、目覚めやさとりに対してこのようなイメージ・先入観を持っています。
そして無意識に、そんな人間になろうと努力するのです。なれるのなら努力してもいいですが、実際には僕たちはそのような人には
なれませんし、なる必要もありません。

 なぜなら、さとったらこのようになるであろう、というイメージ・先入観そのものが間違っているからです。
もし、さとった人に共通する部分があるとしたら、それは「変な人」くらいだと思います(笑)。人の評価にあまり関心がなくなり、
自分の心のままに生きだすので、多くの場合変人に見られます。言いたいことを言い、やりたいことだけをやりだすと思います。
しかしそれも個人差があり、こうなるとは言いきれません。少なくとも、高潔で聖なる存在でないことだけは確かです。

 それじゃあ目覚めても意味がないじゃないか、尊敬できないじゃないかと思うかもしれませんが、そのような考え方が既に「人間とはこうあるべき」という観念に陥っています。
そもそも、僕たちの感情やメンタル状態は一定ではないのです。それが生きるということであり、生きるとは絶えず変化している、ということです。
あるときは優しく穏やかでも、あるときはちょっとしたことに腹を立てたりもします。それでいいのです。

 感情を一定にして、常に穏やかな人であろうとすれば、不自然になるだけです。
精神性の高さとは、そんな人間的な面がなくなることではありません。いくらさとった人でも、新しい物が欲しくなったり、性の衝動が体中を駆け巡ったりもします。
生きていれば当たり前のことです。

 それなのに自分の精神性を高めるために、高潔な人格になろうと奮闘する人がいます。
行動を律し、身を厳しさのなかに置き、正しい生き方、正しい座り方、正しい修行法、正しい生活態度、正しい....。
そして、いつの日かさとろうというわけです。でも、決してさとれないと思います。

 だって、さとろうとして努力しているということは、「いまのままの自分ではダメだ」ということが前提になっているからです。

1617シャンソン:2019/03/01(金) 18:45:36
>>1616

では、目覚めたらどんな人になるのでしょう。その答えは簡単です。
その人自身になるのです。さとりとは、いまのままの自分でOKだということを知ることなのです。
自分ではない何かになろうとする態度こそが、さとりを遠ざけています。少なくともあるがままの自分には
リアルなものがあります。

 完璧であろうことかとする努力をやめれば、物事は自然に落ち着くところに落ち着くところに落ち着いてきます。
自分以外の誰かになるのをやめ、あるがままの自分にくつろいだとき、心に平安が広がります。それがさとりです。
いままでに何度も何度も聞いてきたでしょ?「あるがままのあなたでOK」だって。

 いままでに何度も何度も本で読んだでしょ?「あるがままの自分を受け入れなさい」って。
あなたはそのたびに言います。「そのことは知っていますよ」。でも、本当に深く深く、その話を受け入れたことがありますか。
ただ頭で知っているだけで、実際には先延ばししていませんか。「あるがままの自分でOKかもしれないけれど、それはいまのあるがままじゃない。
これでいいわけがない。いつかあるがままの自分にOKが出せる日が来るはずだ」

    そんなふうに考えていませんか(笑)。

1618シャンソン:2019/03/01(金) 18:47:44
>>1605>>1616>>1617

同上

1619トンチンカン信徒:2019/03/01(金) 18:53:26
>>1614
イエスの愛究極

雅春先生もめざしたのこれ。

>>わが時はいまだ来らず、また時が来たら会おうよ』と十字架上で母と再会する約束をせられたイエスの心境とよく似ているのである。義は重く、真理伝道の使命は重く、肉親の愛情はそれに比べれは軽いのである。<<


>肉親の愛、負けない、自己になる事<

これになる事は、殆ど人皆無である、肉親の愛負ける、だから、赤子の泣き声に負けるのだよ<

1620トンチンカン信徒:2019/03/01(金) 18:55:15
>>1619
天香さんは、これが、出来た。

1621シャンソン:2019/03/04(月) 21:42:10


正しい教えを知らないで
百年生きるよりも
正しい教えを聞いて
一日生きる方がはるかにすぐれている。

仏陀

1622機密情報:2019/03/05(火) 13:02:16

  JCETI日本地球外知的生命体センター
   www.jceti.org

1623神原康弥の詩:2019/03/05(火) 19:33:14

夜明けの日
わたくしは
一生のお願いをした。
「母とともにお役目を
全うせし日には
歩ける足が欲しいのです」
神は言った。
「歩ける足が何になるか。
あなたの足はそばに眠る母が用をなすだろう。
母とともに生ける日に
足なぞいらぬ、
足の代わりに
真理を見る目を授けよう。
真理の目を足にせよ」
「真理の目の代わりに
指に伝わりし力は永遠なり。
ふたりの宝になるだろう」
その声を聞いて眠る母の目に
涙があふれぬように
私は眠る。
真実を見し友が
集まる日を夢みて

1624神の子様:2019/03/05(火) 19:45:57

ドキュメンタリー映画『天から見れば』
   http://tenkaramireba.com/

1625転載:2019/03/05(火) 19:49:18
「ありがとう」 笹田雪絵
私決めていることがあるの。
この目が物をうつさなくなったら目に、
そしてこの足が動かなくなったら、足に
「ありがとう」って言おうって決めているの。
今までみえにくい目が一生懸命見よう、見ようとしてくれて、
私を喜ばせてくれたんだもん。
いっぱいいろんな物素敵な物見せてくれた。
夜の道も暗いのにがんばってくれた。
足もそう。私のために信じられないほど歩いてくれた。
一緒にいっぱいいろんなところへ行った。
私を一日でも長く、喜ばせようとして
目も足もがんばってくれた。
なのに、見えなくなったり、歩けなくなったとき
「なんでよー」なんて言ってはあんまりだと思う。
今まで弱い弱い目、足がどれだけ私を強く強くしてくれたか。
だからちゃんと「ありがとう」って言うの。
大好きな目、足だからこんなに弱いけど大好きだから
「ありがとう。
もういいよ。休もうね」って言ってあげるの。
多分誰よりもうーんと疲れていると思うので・・・。
でもちょっと意地悪な雪絵は
まだまだ元気な目と足に「もういいよ」とは絶対に言ってあげないの。
だってみたい物、行きたいところいっぱいあるんだもん。
今までのは遠い遠い未来のお話でした。
「ありがとう」
すのうレター より整形して引用させていただきました。
http://www.gokuraku-net.org/snow/
http://www.gokuraku-net.org/snow/kibunn-arigato.htm
笹田雪絵(雪絵ちゃん)
中学二年の時に、手足が突然動かなくなる神経性の難病、「MS(多発性硬化症)」となり、闘病の傍らエッセイや詩を多く書きました。雪絵ちゃんが残したエッセイや詩は今も多くの人達に愛や希望を与えています。

1626転載:2019/03/07(木) 22:37:33

聖典の言葉をいくらたくさん語っていても、それを実践しなければ怠け者である。
それは例えば、牛飼いが他人の牛を勘定しているようなものだ。
そういう者は修行者とはいえない。
思いわずらうな。なるようにしかならんから、今をせつに生きよ。

仏陀

1627トンチンカン信徒:2019/03/08(金) 09:21:17
>>1626
ハンネ=転載くんよ(笑)
それは、君の自身だ。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
1626:転載
19/03/07(木) 22:37:33

聖典の言葉をいくらたくさん語っていても、それを実践しなければ怠け者である。
それは例えば、牛飼いが他人の牛を勘定しているようなものだ。
そういう者は修行者とはいえない。
思いわずらうな。なるようにしかならんから、今をせつに生きよ。

仏陀

1628トンチンカン信徒:2019/03/08(金) 09:24:17
>>1627
真の仏なら、そん糞たれなことは、言わない。

1629シャンソン:2019/03/10(日) 19:31:41
  奈良の神社仏閣 唐の高僧鑑真が建立したお寺 唐招提寺

 唐招提寺は薬師寺から徒歩で15分の場所にあります。車で行くと5分もかかりません。
あっという間に到着したので、薬師寺の薬師如来様に聞いたお話がまだ私の中に残った状態でした。
人間が亡くなったあとで迷わないように、戻るべき世界に帰れるように、仏様がいる....なんて仏様はありがたいのだろう、
と考えつつ南大門をくぐりました。

 仏様に感動した気持ちで「ここは鑑真さんが建てたお寺なんだなぁ」と思うと、魂がものすごく反応して、涙がぽろぽろとこぼれました。
5度の失敗にもめげず、目が見えなくなっても、日本人に仏様を伝えなければ!と唐から海を渡って来られたのです。その尊い志に感動せずにはいられません。
人間を救おうとする仏様がいて、それを伝える高僧がいて、仏教は広まっていったのです。

 涙で顔がくしゃくしゃになっていましたが、まず金堂に入りました。

1630シャンソン:2019/03/10(日) 19:34:11
>>1629

神様と仏様から聞いた人生が楽になるコツ https://ameblo.jp/mejirokoi/entry-12436606088.html

1631シャンソン:2019/03/10(日) 19:47:44

みずから自己の燈火となれ、みずから自己の保護所となれ。他人に保護を求めるべからず。法を燈火とし、法を保護とし、他のものに依存すべからず。

釈迦 (説話)

1632アクエリアン:2019/03/10(日) 20:12:14
今日の音楽

久しぶりに

アストラル音楽 ウマー・パールヴァティーの愛 (キーレーンver.)
https://www.youtube.com/watch?v=WvCVy6aHziY

1633トンチンカン信徒:2019/03/10(日) 21:10:17
>>1632
不法侵入者アクエリアン<捕縛>しました!

志恩さんの仲間新羅人のアクエリアン傍流版入館禁止です!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

1632:アクエリアン
19/03/10(日) 20:12:14
今日の音楽

久しぶりに

アストラル音楽 ウマー・パールヴァティーの愛 (キーレーンver.)
[www.youtube.com]

1634シャンソン:2019/03/10(日) 22:00:55
 掲示板管理人様へ。

 あらし投稿はうのはな以外でも削除すると明記していたのですから、
 早くトンチンカン信徒氏の投稿を削除し、アクセス禁止処置を
 行ってください。

 何回うそをつけば気が済むのでしょうか?
 人を馬鹿にするのもいいかげんにしてもらいたいです。

1635トンチンカン信徒:2019/03/10(日) 22:51:27
>>1634
シャンソンさんは?

徳仁新天皇陛下の北朝正統論が、気にくわないわけでしょ?

でも、実際本屋で本は売ってるよ。家では家族で読んだ。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

NAME
嘘をいうのが使命なのか?
SUB
るん吉や愚かな老人も「あらし」です。
MES
1634 :シャンソン :2019/03/10(日) 22:00:55
 掲示板管理人様へ。

 あらし投稿はうのはな以外でも削除すると明記していたのですから、
 早くトンチンカン信徒氏の投稿を削除し、アクセス禁止処置を
 行ってください。

 何回うそをつけば気が済むのでしょうか?
 人を馬鹿にするのもいいかげんにしてもらいたいです。
投稿日時
2019年03月10日 (日) 22時12分

1636トンチンカン信徒:2019/03/10(日) 22:52:19
>>1635
トンチンカン信徒
SUB
皇太子様ご学友様著作に、賛成!北朝正統!
MES
皇太子殿下、ご学友様に賛成です!

北朝正統!関東天皇家日本国天皇陛下です!
(日野ボンさんの嘘つきです!)

<湊川神社を神戸に建立したのは、その憂さばらしです。(南朝皇室臣下の楠木氏は北朝の朝敵でした)明治天皇陛下の公式の勅裁は、憂いです>


北朝は臣下は本来、納得していないが、名より、実を取った。そういうことですかね?
投稿日時
2019年03月10日 (日) 16時07分

1637トンチンカン信徒:2019/03/10(日) 23:01:24
>>1635
トンチンカン信徒は、嘘はついてないよ。

観測はして、データは集約したけどね。

日野ボンにしても、結局、日蓮宗は家族の話だし、その日蓮宗の稲荷も新興宗教だし。眉ツバだとわかってきた。日野ボン家の本元は、真言醍醐派なんも分かって来た。

知られたく無いから、無視して、誤魔化しるだけだよ。


嘘つき日野ボンを鍛えて、儲道具にする計画が、パーになる連中がいるから、シオン観測隊と話さないだけさ。

1638トンチンカン信徒:2019/03/10(日) 23:04:11
>>1635
そんなに、徳仁殿下がきにいらのね。シャンソンさん。

1639トンチンカン信徒:2019/03/11(月) 01:30:39
シャンソンさん

だって、こうした、内容の公式記録が気にくわないんでしょ。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

SUB
南北朝正閏論より
MES
南北朝正閏論より

〜北朝より南朝朝敵論〜
。その後、北朝によって皇統が統一されて楠木正成ら南朝方の人々を「朝敵」と認定され、更に実際問題として南北朝合一後も80年近くにわたって「後南朝」と呼ばれる北朝及び室町幕府に対する南朝復興運動が続いていたことから、親房以後に南朝正統を唱える者はいない状態が続いた。
投稿日時
2019年03月11日 (月) 00時26分

1640トンチンカン信徒:2019/03/11(月) 01:34:36
>>1639
要するに。

湊川神社の楠木正成公が、見方を変わると、<朝敵>に成る運命。

仕方ないでしょ。

奢る平家は、尚からず、日本史の常ですよ。

シャンソンさん。

1641トンチンカン信徒:2019/03/11(月) 03:47:56
湊川神社て、明治にできたんだね。

南朝の人の憂いのためらしいね。

北朝の近衛さん筆頭に、あまり、面白くないの実際らし。

精々、伊勢楠木氏など、田舎に隠れたて、ゲリラ戦してたサムライの子孫なのは、分かってる。
アラビア石油の山下太郎氏も伊勢楠木氏だけど、やはり、そうした、人々子孫だね。

ホントに雅な、近衛さんや吉良さん、上杉さん、足利さんにしたら、怒り浸透な、所沢ですね。


皆さん、子孫があり、先祖が、あるんだからね、仕方ないよね。

子孫どうしは、後世どう上手く付き合う。


現代に置き換えると?
中国や、ロシアに、戦勝国パレードされて、敗戦国日本帝国の悪を、悪を言われた、面白くないのと同じでは?

楠木正成公子孫や、南朝の子孫の皆さん。

1642シャンソン:2019/03/11(月) 04:16:01

😸 トンチンカン信徒は志恩さんとおなじくらい、おかしいです。変人だね。

👼住之江では、ないような気がしますけど。

>住吉は、元は「すみのえ」と読んだ

1643トンチンカン信徒:2019/03/11(月) 05:45:43
>>1642
シャンソンさん

前に、確認したんですが、私は、シャンソンさんを、『呼び捨て』した事は、ありません。

それに、以前に確認しましたよね。

なんで?志恩さんの味方の様な真似するですか?
私は、シャンソンさんに、変なことは、していません。

寧ろ、前から
るん基地や志恩さんの味方みたいな、真似してるの、シャンソンさんですね。『呼び捨て』して、おかしな行為をするのも、シャンソンさんですよね。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

1642:シャンソン
19/03/11(月) 04:16:01

・ トンチンカン信徒は志恩さんとおなじくらい、おかしいです。変人だね。

・住之江では、ないような気がしますけど。

>住吉は、元は「すみのえ」と読んだ

1644トンチンカン信徒:2019/03/11(月) 06:01:26
>>1642
シャンソンさんは?

毎度だけど?
『るん基地と志恩さんが嫌いだと、口先で言いながら、アクエリアン絡むと、可笑しいこと、言ってくるね。』

『基本アクエリアンは、本島掲示板の住民でしょ?志恩さんとるん基地の仲間でしょ?何で、話する変えてくるだか』

毎回、シャンソンさん裏切りしてるは、シャンソンさんだよ。呼び捨てした、イライラさせて。

(アクエリアンが、志恩さんと仲良くしてる所)

65: アクエリアン :2017/11/19(日) 12:11:26

志恩さん、創価学会に関しては、中杉弘さんのブログは面白いです。
戸田城聖から次期の会長になれと推薦されていたにもかかわらず、
自分はまだ仏法の真髄を悟っていないからと固辞された石田次男と交流が
あった中杉弘さんですが、創価学会についてなかなか勉強になります。
中杉弘さんは谷口雅春先生の生命の実相も非常に熱心に読まれていたようで、
生長の家についての記事もありますが、
細かいところでは間違いも多いですが、本質は掴まれているのではないかと思います。


人間の探究 897 創価学会幹部は朝鮮人!


8597:志恩

17/10/25(水) 03:58:31 ID:6hRUvSRg
創価学会は、生長の家のことを、邪教だと決めつけて、昔から、生長の家を敵対視している宗教です。

特に私が戸別訪問していた昭和39年ごろといいう時代は、創価学会全信者が総決起して、
数人グループで、各家庭に 突然押し入り、折伏と言って、創価学会に改宗させようとして、
激しい折伏運動を展開していた時期でした。

娘時代、私は、そういう創価学会の人たちと、突然、来て、強引に我が家へも入ってきた
創価学会の折伏グループと論戦しまして、度々、追い返していたのです。

あの人たちは、当時は、他人の家の仏壇を、持ち出していき、
代わりに創価学会の仏壇をそなえようとしていました。

相手に、反対されればされるほど、自分たちの 罪汚れが落ちるという
教えでしたので、もう来ないでくださいと、いくら断っても、しつこく 来ていました。

そういう時代を、昔、生きてきた私は、創価学会の醜い部分を見てきましたから創価学会の教えは
大嫌いなのです。

しかし、創価学会を信仰している人間は嫌いではありませんから、近所の創価学会のおばさんには、道で
すれ違う時は、無視はせず、ちゃんと会釈だけは してきたのです。

そういうことがあっての出来事でしたので、ご報告させていただいたのでした。

創価学会のおばさんは、私が生長の家だということはご存知ですから、たぶん創価学会の勧誘はしないと
思います。したら、断るだけです。

なぜ、あちらが突然話しかけてきたのかな、ということですが、普段、道で会えば、お互い、会釈だけは
してきたので、あのおばさんは、私のことを、嫌な人間ではないと、思っていたからだと思います。

でも、たとえ、この度、珍しく あちらが、話しかけてきたからといいましても
あのおばさんは、見るからに、こせこせした感じで、すぐに怒り出すような 短気そうなタイプで、
私の好きなタイプの人では ありませんから、今後も お友達には なりません

1645トンチンカン信徒:2019/03/11(月) 06:08:17
>>1642
シャンソンさん

北朝正統説の歴史観は、頭なんか、可笑しくないよ。

結構、正確な、文書が残ってから、正しいよ。

だから、天皇陛下も言われるさ。


がっかかりするは、わかるが、何も昔と違うだからさ。

冷静考えよう。


新羅人の志恩さんじゃないだからさ。

1646聖典引用版:2019/03/11(月) 12:20:35
504: 金木犀 :2012/04/23(月) 05:54:13 ID:XJ2w09Xw
住吉大神と阿弥陀仏、観世音菩薩との関係

この住吉大神は如何なる神様であるかと言いますと、人生を住みよき世界にする所の神様であります。仏教で言うと、この神様は阿弥陀仏にあたるのであります。阿弥陀仏の慈悲の働きが観世音菩薩、阿弥陀仏の智慧の働きが勢至菩薩であります。阿弥陀・観世・勢至の三尊一体であります。生長の家の神様は観世音菩薩であると言われておりますが、その本地は阿弥陀仏であります。

聖観世音菩薩の仏像を拝見致しますと、宝冠をかぶっておられる。その宝冠の真中に普通は、もう一つ仏像が刻んであるのであります。その宝冠の仏像は阿弥陀如来であります。これは観世音菩薩が阿弥陀仏の示現であることをあらわしております。

阿弥陀仏は尽十方に満満(みちみち)ておられる“宇宙の本体”的実在であらせられ、尽十方無碍光如来とよばれているのであります。尽十方というのは八方に天地の二方を加えて十方であります。十方をことごとく尽してあらゆる方角にも充ち満ちていられる無礙の光が阿弥陀仏なのです。無礙というのは、どんなものもさわりにならない障礙物(しょうがいぶつ)にならないで何処にでも満ちておられることであって、「光」というのは「智慧」のことであります。

宇宙遍満の智慧が阿弥陀如来である。如来は尽十方に満ちみちておられるから、「彼の仏如来は去って去る所なく、来って来る所なく」と、法顕訳の大無量寿経に書いてあります様に、去来して、どこからどこへ来迎あそばれてお救けになるというような、そういう空間的な距離的働きがなく、十方――あらゆる方角――に満ちみちておられるのが阿弥陀如来であります。

だから現実に人格的に姿を顕して人をお救いになるという時には、阿弥陀仏そのままでは出てこられないで“観世音菩薩”のお姿をして出て来られるという事になるのであります。この観世音菩薩が生長の家の神様なのであります。



普門成就の観世音菩薩
 
さて、この観世音菩薩という仏様は一宗一派の仏様ではないのでありまして、これは仏教のどんな宗派の方でも、真言宗であろうが、浄土宗であろうが、日蓮宗であろうが、観世音菩薩を拝まないところの仏教はないのであります。

この観世音菩薩の功徳がかかれてあるところのお経は、法華経の“普門品第二十五”という所に書かれているのであります。この“普門品第二十五”というところを、独立さして“観音経”とも謂われているのであります。観音様は、何故“普門品”に収録(おさ)めてあるかと言いますと、“普門”というのは、“あまねき門”ということで“あまねく”というのは“どこにでも”ということです。“門”というのは“宗門”です。観世音菩薩はあらゆる宗門を、あまねく成就するところの仏様であるから、普門成就の仏様として「普門品」に収録めてあるのです。

このように観世音菩薩という仏様は、普門成就のキリスト教にも、神道にも、この観世音菩薩は示現して救いを垂れていられるのです。神道に於いては既に申しました様に、住吉大神、塩椎大神、それからまた綿津見神という様に龍宮の大神として顕れてましますのであります。

505: 金木犀 :2012/04/23(月) 05:56:11 ID:XJ2w09Xw
あ、本流青年掲示板に載っていますから、後はそこで読んで下さい。

506: 金木犀 :2012/04/23(月) 06:03:59 ID:XJ2w09Xw
>>503
訂正します。

神誌住吉大神について → 神誌で住吉大神について

1647シャンソン:2019/03/11(月) 14:41:16
1645 :トンチンカン信徒 :2019/03/11(月) 06:08:17
>>1642
シャンソンさん

北朝正統説の歴史観は、頭なんか、可笑しくないよ。<


  ていうか、私は歴史関係に関しては三歳児並みなので
  なんの話なのか、最初からわかっていないんです。すみません。

  ここは、非武装版で、バトル禁止のところだから、
  この話はこのへんで中止してください。

1648神の子様:2019/03/11(月) 16:23:22

 心がすべてである。
あなたはあなたの考えたとおりになる。

           ブッダ

1649シャンソン:2019/03/11(月) 16:25:19
>>1632

アクエリアンさん、ありがとうございます。
 同じ音楽で「甘露」というものもありました。
 大型テレビで聴いてみます。

1650トンチンカン信徒:2019/03/11(月) 18:04:10
>>1647
シャンソンさん

歴史関係と言うか、一軒一軒だ、先祖供養に関わってくる話だからね。

その地域に特性が、あるから、すごく、伝道してるいるうちに、自然に勉強しました。

地域の神社の中は、特古ものが、あり、その地域場所と名前と住んでる、住民が、変化、土地とも、変化した様子が、わかります。

私の地区で、奈良天平の昔の時代に、人が住んでいました。それこそ、日野ボンさん、言う、時代です。正倉院に記録があるそうです。

シャンソンさんが、住之江と言われていましたが、実際は、古代の住之江と、現代の住之江は、違うかもね(笑)

古代の海岸には、出島があり、出島を亀島とよんでたようです。

そこに、大概、神社がありました。

まあ、いま、地名だけ名残で、残存してる、日本の各所は、沢山あります。

1651なにちん:2019/03/11(月) 20:13:11

 トンチンカン信徒がいちばん人をおちょくっているのだ

1652トンチンカン信徒:2019/03/12(火) 13:27:18
気に食わなと、志恩さん=変身ハンネマキ

と同じ、マネをするんですね。

シャンソンさん。

呼び捨てもするし、完全に、志恩さんの仲間なんですか、シャンソンさん↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
>>1651:なにちん
19/03/11(月) 20:13:11

 トンチンカン信徒がいちばん人をおちょくっているのだ<<

==========


気に食わないと、志恩さんの仲間の本性をだしてくる、シャンソンさんですが、本人は、志恩さんとるん基地は嫌いと言ってます。

いったい、どちらを、信用したら良いんですか?

1653シャンソン:2019/03/12(火) 13:29:52

 人を深く傷つけてきた愚かな老人、るん吉、訊け管理人氏などは
 この傍流掲示板から排斥しています。

 You don't have permission to access form mail on this server.

1654トンチンカン信徒:2019/03/12(火) 13:52:38
>>1653
シャンソンさん

私は、英語は、わかりません。

私は、るん基地、志恩さんの撃退に協力して貢献してきました。

シャンソンさんと同じく、トキさんから、理不尽な行為により、傍流版住民になりました。

だから、共同住民です。↓↓↓↓↓↓↓↓↓

1653:シャンソン
19/03/12(火) 13:29:52

 人を深く傷つけてきた愚かな老人、るん吉、訊け管理人氏などは
 この傍流掲示板から排斥しています。

 You don't have permission to access form mail on this server.

1655シャンソン:2019/03/17(日) 22:08:50

  ディーパック・チョプラ&小林健
 https://www.youtube.com/watch?v=FyTd-b3s76s

1656神の子様:2019/03/20(水) 16:23:06

  神仏のなみだ 紹介動画
  http://www.810.co.jp/hon/ISBN978-4-8024-0044-2.html

1657転載:2019/03/26(火) 18:38:27
〉新興宗教ホームページより

商いは仲人

商いという字は、「立つ」の下に「門」と書き、そしてその下に「口」と書きます。
これは、こっちの門と、そっちの門、双方の側に立って口利きをすること。
つまり「仲人」という“心”です。
つまり早い話が、農家の人ばかりだったら、着るものも住む家もできません。
着るものは服屋さん、家は大工さんに頼まなければなりません。
頼んだら、お礼をしなければならない。
けれど、どのくらいお礼をしたらいいのかわからない。
そこで、間に立って口を利く人がいる。そして両方から礼をもらう。
これが「商い」です。
両方が成り立つように、正直に口を利く。
これが商いというものです。

1658転載:2019/03/26(火) 20:20:06
不滅の聖典『生命の實相』誕生「満81年」 (5180)
日時:2013年01月01日 (火) 08時24分
名前:伝統


不滅の聖典『生命の實相』がこの世に顕現したのが、昭和7(1932年)年1月1日。
今日は、満81年を迎えました。

不滅の聖典『生命の實相』誕生「満81年」をお祝い申し上げます。

以下は、昭和57年1月1日「聖使命」からの紹介です。

   *”うのはな さま”の記事(2012/11/28(水) 19:56:29)からの転載です。
    ”うのはな さま”にはいつも感謝致しております。
     今年もよろしくお願い致します。
     ( http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1333192083/877 )


《不滅の聖典『生命の實相』 奇蹟を生み続け半世紀 目指せ、世界の精神革命》

昭和五十七年一月一日、全世界の生長の家信徒にとって、まことに記念すべき日が訪れた。
不滅の聖典、新時代のバイブル、と讃えられる『生命の實相』の初版本が
昭和七年一月一日に発刊されて以来、この日をもって満五十年という節目を迎えたからである。

この『生命の實相』こそは、文書伝道という全く新しい宗教活動の形態をとり、
数多くの聖典をもつ生長の家の中でも、最も基本となるもので、特別の地位にあるものといえよう。

同書につき、生長の家大神自らが語られた「声字即実相の神示」(昭和七年一月十一日)には、
「吾が第一の神殿は既に成れり、名付けて『生命の實相』と云ふ。....吾れに神殿は不要であると
嘗て示したことからあらう。吾れは道(ことば)であるから、吾が道を載せた『生命の實相』こそ
吾が神殿である」とある。

この神示によれば、『生命の實相』は神の神殿であり、本体であって、
神ご自身のお言葉そのものである。

谷口雅春先生が「本当の著者は私ではない」「私は神のラッパであって、教祖ではない」
と謙虚に言われるのも、この点にあろう。

そしてそれ故こそ、同書の権威と影響力は絶大となる。
それを証明するのが無数の具体的実例である。

『生命の實相』を読むだけで、不治の病いが治った、家庭が調和した、
性格や運命が一変した等々の体験談は、発刊当初、谷口雅春先生ご自身をも
驚かしめたものだが、今日でも、何ら変るところはない。

先の神示に「『生命の實相』を披くだけで病念は去り、煩悶は解決し、人々ただ自己生命の実相を
(ほんとのすがた)を知り、歓喜踊躍して手の舞ひ足の踏む所を知らないに至る位はその三番艘
(さんばんそう)に過ぎない。」と神が述べておられた通りの相が実現しているのである。

険しく厳しい求道の旅に出発した旅人の道標となると共に、こうした直接的功徳を万人に
もたらし続けた故に、発刊五十年にして読者層はいよいよ広まり、発刊部数はついに
千六百万を超えるに至ったのである。

それは国内だけの事象ではない。海外でも同様である。
既に英語、ポルトガル語、ドイツ語、スペイン語、韓国語、中国語に翻訳され、
世界各地で読み続けられている。
(その五十年間の歩みについては下記の年表を参照していただきたい)

ところでこの記念すべき時に当り、生長の家信徒は如何に対処すべきであろうか。

その第一は“御教えの原点に立ち還り、更に真摯な求道を”ということである。

かつて谷口雅春先生は「人々は私を神様扱ひするが、私は神様の前になほ罪人として
『すまない、すまない』と思ひ続けてゐるのである」(『愛は刑より強し』)と
述べられたが、このような尊師の真剣さを忘れてはなるまい。


その二は“全人類にこの聖典を伝えよう”という事である。
本紙第五面に掲載のように、これまで宗教などには無関心だった若者達が、
神秘の世界(特に東洋の叡智)を強く求めるという傾向が、世界的規模でおこっている。

ちょっとした書店には必ず、“精神世界の本”というコーナーが設けられ、
宗教書やオカルト書、更にはテープまでがズラリと並べられるようになった。

こうした世界的傾向へ適切に応えることができるならば、
『生命の實相』は、正に“新時代のバイブル”となるであろう。

又そうする為に、惜しみない努力を積み重ねて行くことこそ吾々の使命である。

 聖使命 昭和57年1月1日

           <感謝合掌 平成25年元旦 頓首再拝>

1659シャンソン:2019/03/29(金) 00:28:25
 ディーパック・チョプラの言葉


我々のエネルギーの大部分は、

自分のエゴを維持するために使われている。

もし、我々がエゴのいくつかを手放すことができれば、

二つのとてつもないことが起こるだろう。



一つは、自分が偉大だという妄想を維持することから、

自分のエネルギーを解放できるということだ。



そして2つ目は、世界と自然の偉大さを感じ、

自分自身のためにたっぷりとエネルギーを使えるということだ。

1660シャンソン:2019/03/29(金) 00:34:01

 高杉晋作の名言・辞世の句
 続きと意味 https://pleasure-bit.com/27.html

1661シャンソン:2019/03/29(金) 00:36:46
   五木寛之氏の名言

私たちは、よろこびをもって生きたい。
それを待っているだけではなく、自分からさがし出すことに慣れなければならない。
どんなにつまらないことであってもいい、それをきょう一日の収穫として大事にしたい。
<よろこび上手>こそ、苦しい世に生きていく知恵なのだ、とぼくは自分の体験から思うのです。

1662神の子様:2019/03/29(金) 02:03:40

 千鳥学説と生長の家 http://tecnopla1011.blog.jp/archives/76701351.html

1663シャンソン:2019/03/30(土) 18:39:57

 『神は愛也』というのになぜ神想観では
 http://bbs5.sekkaku.net/bbs/yu0529/&mode=res&log=92

1664トンチンカン信徒:2019/03/31(日) 23:58:59
『人類無罪宣言』の精読により、家系の因縁が、消滅するとの事です。

精読とは、聖典を毎日、繰り返し、繰り返し、読む事、行事(修養法)です。
カトリックのシスターやブラザーは、聖書の精読を、しますね(o^-^o)


同じ本の、同じ箇所を繰り返し読んで良い(^ー^)

誰でも出来ますね("⌒∇⌒")

1665シャンソン:2019/04/01(月) 12:19:56
  一部転載

>梅の花を辞書で調べると、
「一節につき1個の花がなる。毎年2〜4月に花を葉に先立っ
 て咲かせる。」 とありました。
一節につき1個の花とは、一人の人間ごとに内在神が花開
く。 と神霊は伝えます。
その時期は近い将来の春頃と・・・。
この「花を葉に先立つ」とは深いですね。
葉とは光合成を行う摂取と排泄の器官です。
葉は人間の肉体に相当します。
花は中身・人間の霊体・内在神とも言えます。
梅が葉よりも花を先に咲かせるとは、これから霊体が主体に
なる暗示を意味しています。

大本教の原典となる神示にも「梅の花」は頻出します。
「三千世界一度に開く梅の花」 が初発の神示にあり有名で
すが、特に「一度に開く」と「梅」は、セットで何度も出て来ま
す。 三千世界とは近年3000年間の現実界の様相、多数
の国々の今までの興亡、魂の輪廻転生の長い旅への1つの
区切りなどを意味し、新たな次元の世界が一挙に到来する
暗示です。

1666シャンソン:2019/04/01(月) 12:23:23

 『梅の花の神示』 https://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/17924094.html

1667シャンソン:2019/04/09(火) 15:00:53
   ミッションを生かす生き方をする

 大切な人を失うと、人はしばしば自分を責めます。
「自分は何もしてあでられなかった」「自分は無力だ」「自分のせいでその人は死んでしまったの
ではないか」と思い煩います。

 家族など身近な人が自殺した場合、自責の念はより強まります。
23歳の息子さんを自殺で亡くしたある男性は、自分を激しく責めました。
自分はなぜ息子が命を絶ったのかわからない。それほど悩んでいることに気づいてもやれなかった。
こんな自分が親だったせいで息子は死んだのかもしれないと、男性は涙ながらに自分を強く責め苛みます。

 でも、決して自分を責めるべきではありません。
わが子が自殺すれば、親が責任を感じるのは当たり前かもしれません。自殺に関して、親の影響がまったくないとも
言えないかもしれません。

 しかし、前にも述べたように、死んだ人は最後まで「自殺したい」などと思ってはいません。
ただ楽になりたい、命を楽にさせたいと考えた結果が、死というかたちになってしまっただけです。
だから、誰を責める必要も毛頭ないのです。

  もちろん、自殺はよくありません。尊い命をみずから絶つことは、本来許されることではありません。
でも、本人を責めても意味はありません。人生が終わってしまったことを悼む以外、周囲にできることはないのです。
 ただ、それほどまでに苦しみ続けられたことは、その人に与えられた特別の能力であったかもしれません。

若くして苦しみ抜き、自死を選ばざるを得なかったこと。そのすべてがみずからのミッションを果たした結果であると考えられなくも
ありません。人はミッションを果たすと天に召されるといいます。天に召されると、自分の愛する人につねに愛を送り、力を与え、よき道へと導こうとするといわれます。

自殺してしまった人もまた、見えない世界から家族を見守っています。
変わらぬ愛を送り続けています。残された者がその愛に報いるには、嘆き悲しむより、前を向いてみずからが命を輝かせる生き方をすることが大事です。
みずからに与えられたミッションは何か。たとえささやかにしか見えないにしろ、自分が感じとるミッションを生かす生き方を考えるのです。

 それがわかるとき、私たちは人間を超える大きな力とつながり、天国へ旅立った人との深い絆を実感できるのだと思います。

 『世界でたったひとりの自分を大切にする』 鈴木秀子 著

1668シャンソン:2019/04/11(木) 01:35:57
      本当の祈りを覚える

 自然を賛美する。当たり前のことに感謝する。
それは「祈りを捧げる」ということでもあります。
自分を超える大きな力との絆を育てるとは、言い換えるなら、祈りを覚えるということ
でもあるのです。

 多くの人は、祈るということを「助けて下さい」「願いをかなえて下さい」
「思い通りに物事を計らって下さい」と神頼みすることだと考えています。
でも、それは祈りの小さな部分です。

 祈りとは、命の大本である存在を讃え、感謝すること。それは神様の愛を受けとめ、
みずから愛を返すということなのです。与えられる愛は、人間を通してやって来ます。
そのため、必ずしもわかりやすいかたちではないかもしれません。

 自分の期待通りではないかもしれません。
人間は見える世界に気を奪われます。自分に都合のよいかたちでなければ、不平不満を感じます。
悲しみや苦しみも感じます。このような心のままでは祈ることはできません。

 祈るためには、見える世界から心を離し、見えない世界に深く心を沈める訓練が必要なのです。

祈りを覚えれば、他人のために生きられるようになります。
他人との関係をよくしていくことができます。どのような状況にあろうと、他人の歓びをわが歓びに変え、
感謝を捧げるようになります。

 それが本当の祈り、究極の祈りです。
深い祈りを見せて下さったひとりに、渡辺昇一先生がいます。
日本に知的な刺激を与え続けた、上智大学の名誉教授です。
がんに侵された先生は、治療にモルヒネを使うことを最後まで拒みました。

モルヒネを使うと頭が朦朧としてしまい、自分の頭で考えることができない。それは受け入れられない。
苦しんでもいいから、はっきりと自分の人格を保っていたい。日本をよくするために考え続けたいと、先生は
おっしゃったのです。

 しかも、想像を絶する苦しみの中、先生は「ありがとう」と言います。
「ありがとう」と言いながら、苦しみを乗り越えようとします。亡くなられる直前の、先生の言葉です。

「この年になって、この苦しみを味わって、やっとわかったことがひとつある。人間はこの深い命によって
みなつながっている。だから、自分がこの苦しみを捧げれば、どこか知らないところで、誰も支えてくれる人のいない人が、
楽になれるかもしれない。母親が子どものために何化するように、私も自分のこの苦しみを、本当につらい思いをしている人のために捧げたい。
自分のことも、きっとどこかで誰かが祈ってくれていたに違いない。だから自分は今日まで命を保つことができたのだ」

 死に際してなお、誰かの命を思う。祈りとは他に深い愛を捧げることだと、先生の言葉は教えているのです。

これほどの祈りができなくても、いいのです。祈りを知らなくても、生き物や花などを大切にするだけでもいいのです。
自分の部屋に花を一輪、置いてみましょう。しばし不満を忘れて、「きれいに咲いたね」とやさしく声をかけましょう。
 自分以外の他を思うことから、祈りは始まります。

   『世界でたったひとりの自分を大切にする』 鈴木秀子 著

1669シャンソン:2019/04/17(水) 13:03:05
   マネジメントが忙しかった宗祖は短命だった

 浄土系以外の鎌倉時代の宗祖たちを見てみましょう。
禅には道元が開いた曹洞宗と、栄西が開いたとされる臨済宗があります。
共通しているのは座禅や公案(難しい問いを出して、それを修行僧に考えさせるもの)などを
中心とした修行の実践です。

 これまで、修行が長寿に結びついてがいるのではないかという話をしてきましたが、
禅宗を開いた道元(享年五三)と栄西(享年七四)が、法然・親鸞に比べて長命ではなかったのはなぜでしょうか。
一つは、浄土宗のように「すべてを委ねる」という信仰ではなかったことがあげられますが、もう一つは、禅宗では修行する弟子たちを
食べさせなければいけないという現実的な問題があったからではないでしょうか。

 修行をしている人は修行に専念しているわけですから、経済活動はしません。そうすると、いかにお金を集めてくるかが重要になってきます。
そのため曹洞宗では、密教など、禅以外のさまざまなものを取り入れていきます。
現在の仏教式葬儀の原型をつくったのは曹洞宗ですが、それも、人を葬ることで布施が入ってくる仕組みをつくろうとしたからです。

 日蓮の場合は、個人が救われるというよりも、正しい仏法が広まった社会をいかに実現するかを目標としていました。自らの考えを『立正安国論』にまとめて、
鎌倉幕府の前の執権である北条時頼に進言したりしましたが、受け入れられず、逆に伊豆と佐渡に流されました。伊豆はまだよかったのですが、冬に流された佐渡で過酷な生活が待っていて、
掘っ立て小屋のようなところで寒い冬を越さねばなりませんでした。

 佐渡の流罪を許された日蓮は見延で生活することになりますが、これも実質的には流されたようなものだという説が有力です。見延には弟子たちがやって来ましたが、それが何十人にもなったため、日蓮は
「たくさん来すぎる」と嘆いています。
 日蓮の手紙はたくさん残されていますが、物をもらったときのお礼状が大半です。
必ず、「何をいただきました、ありがとうございます」から始めて仏法について説いていくという書状です。私がすごいと思うのは、日蓮はどの手紙にも同じ話題を使っていないことです。
中国の故事を引いたり、仏典から引いてきたりしていますが、同じネタを使わない。手紙を出す相手はいろいろなところにいますから、同じことを書いてもわからないでしょうに、全部違う話をするのです。

 息子を亡くした母に宛てた涙ものの書状もあります。それは日蓮の優しさを示すものではありますが、一方では、たくさんの弟子たちを食べさせなければならないという苦労の証でもあります。
そうすると長生きできるわけもなく、晩年は下痢など体調を崩し、六〇歳でこの世を去りました。
また、僧侶は文章を書くことができましたから、日蓮は、現在でいえば弁護士のような役割を頼まれまれることもありました。

 日蓮が世話になった人物が領地争いに巻き込まれたときなどはその人に加担し、訴訟に勝利をおさめます。
ところが、勝訴したがゆえに相手から逆恨みされて、襲われ、日蓮自身が斬られるという体験もしています。そうしたことは、仏教では「法難」と呼ばれますが、日蓮ほど多くの法難を経験した僧侶もいません。

  『なぜ宗教家は日本でいちばん長寿なのか』 島田裕巳 著

1670シャンソン:2019/04/17(水) 15:38:08
    悲しみは真理に入る門となる

 悲しみは賢者にとっては真理に至る道を教える。悲しみは愚かなる者にとっては地獄に至る道を教える。
しかし真に愚かなる者とては此の世に存在しないのである。何故ならすべての人間は“神の子„であるから、皮膚の表面を
皮剥いたら賢者の實相があらわれて来るのである。皮膚の表面をかすめる浅膚な快感でさえ人間にとって意味があるならば、魂の底まで
刺し貫く深い悲しみが、深い意味を教えないということはあり得ないのである。

 深い悲しみを通過して来た人でないとその人格に奥深い底光りが見られない。
悲しみに鍛えられた人のみが、重厚な輝きを人格の奥底から放つのである。

     『愛はかくして完成す』 谷口雅春先生 著

1671シャンソン:2019/04/18(木) 13:44:58
転載

 今月の法語は東井義雄先生のお言葉です。

   拝まない者も
     おがまれている
   拝まないときも
     おがまれている     
           東井義雄(とういよしお)

 東井先生は兵庫県但馬で小学校の教職にあられ、校長をも勤められましたが、60才の定年をむかえても地域の人たちが止めて貰っては困ると、嘆願書をもって教育委員会に願って留任された程の人間教育に重きを置かれた尊い先生であられました。その先生の中心に常に働いていた心は絶対他力のお念仏の心でした。

 拝む者が救われて、拝まない者は救われないと云うようなことではないのです。拝む者も拝まない者も同じように拝まれているのです。
 拝んでいる時に阿弥陀さまと通じ合うと云うことではなくて、拝まない時も阿弥陀さまはこの私を拝んで下さってあるのです。


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