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非武装信仰板

1543シャンソン:2018/09/03(月) 11:32:53

1354: うのはな :2011/10/14(金) 11:54:22 ID:iM0b0bt6

 『何を食ひ何を飲まんと思ひ煩ふことなかれ』と云ふのは眞理なのですけれども、
併しながらそれを楯にして自分の料理の下手なことを弁護して見たり、自分の思遣りのない
ことを弁解して見たりしてゐるのでは駄目であります。
 食物は神様の生かす生命が現れてゐるのですから、それを神の生かす生命さながら、
それを生かして出すのが割烹の原理であります。

 神様の生命を少しも値引きしないで、神様から興へられた生命そのまま百パーセントの
美味しさを生かし、発揮してそれを食膳に出すと云ふのが料理の原理であります。
それなのに、自分の誠が足らず、熱心が足らず、深切が足りないために、百ある食物の生命を、
或いは八十パーセントしか生かさなかったり、或いは六十パーセントしか其の
美味しさを発揮しなかったり、中には三十パーセント位しか神の生命が現れてゐない御料理が
あったり致しますと、神の生命を途中で穢してしまったと云ふことになるのです。

 お食事を頂く方の側から申しますと、『何を食ひ何を飲まんと思ひ煩ふこと勿れ』でありますが、
お料理をする上から云へば、興へられた材料の中にある神の生命を生かすも殺すも料理する人の愛にあるので、
美味しいのを相手に食べて頂きたいと云ふ愛の心がなければ本答に上手な料理は出来ないのです。

 併しながら、相手に美味しいものを食べさせてあげたいと云ふ愛がありましても、
自分の我でさう思ったのでは、自分の好きな料理ばかり拵へることになるものです。
さうして、夫の嗜好も察しないで、自分が好きだから、夫も好きだらうと思って、自分に
とって美味しく感ずるものを出して、夫の嗜好を無視し勝ちであります。
例へば自分が甘い料理が好きだったら、無暗に砂糖を入れた料理を出す。
ところが夫は塩辛い料理が好きなのに黙ってこらへて食べてゐるやうなこともあり勝ちです。

 正直に『良人がとてもお前の料理なんて食べられやしない。まるで砂糖を
嘗めてゐるようなものだ』とでも言って下さればよく判るかも知れませんが、
さうでない場合には気が附かない。
 ですから、妻たるものは先ず夫の嗜好を呑込むことが必要です。
『何がお好きでございますか。今日の料理はどうでございました?辛かったら辛かった、
甘すぎたら甘すぎたと遠慮なしに被仰つて下さい』と言って、夫の嗜好に沿ふやうに
心掛けなければなりません。


『 愛と光との生活 』 谷口雅春 先生著


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