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男性専科 板

624神の子様:2013/04/11(木) 20:12:09
訊けさんてめちゃくちゃな人だな

625「訊け」管理人:2013/04/12(金) 07:31:27

>>624

 ついてナイのに「男性板」来る人、こっちの方がめちゃくちゃな人でしょう。





 (ああ、またしても「クダラナイ」事を語ってしまった)

626「訊け」管理人:2013/04/12(金) 08:08:52


<傍流講師試験内容>


--------------------------------------------
Q1:「バカ」と「おバカちゃん」の違いに関して答えなさい。
--------------------------------------------

A: 常識の欠如が「バカ」であり、サービス精神の発露が「おバカちゃん」である。前者は日本のみならず、世界で嫌われるが後者については、案外歓迎される。




--------------------------------------------
Q2:徳久克己先生に関して、「武勇伝」を軸に語りなさい
--------------------------------------------

 楠本先生とのやりとりこそが、最高の「武勇伝」と信ずる。

 楠本先生が「親孝行の話」以外、講話することを許されていなかった当時のこと。これに不満を洩らした楠本先生に対し、徳久先生はこうお応えになられた。

 「ダメだ!」

 と。

 続けて

「『楠本と云えば親孝行』、こうならなきゃダメなんだ!」

 と叫ばれて、「持ちネタ反復」の重要性を語られた。つづけて、

 「楠本と云えば『親孝行』!・・・・・徳久と云えば『S●X』じゃろ?だはははは(笑)」

 

--------------------------------------------
Q3:「聞き分けのない女の頬」ですが、ジュリー(沢田研二)はこれを「どうさばき」ましたか?答えなさい。
--------------------------------------------

A;ひとつ、ふたつ張り倒した。

(沢田研二「カサブランカ・ダンディ」http://www.youtube.com/watch?v=3kJwLiJbR4c

627「訊け」管理人:2013/04/12(金) 08:24:05

<傍流講師試験内容>
 

--------------------------------------------

Q4:楠本先生は「親孝行」です。徳久先生は「S●X」が持ちネタですが、感動的な話を挙げなさい。

--------------------------------------------

 エロ話をきっかけに、「殺し合いを防いだ」話を語りたい。ちなみに、個人的に思うに「こういう人」こそが、「真に頭の良い人」だと信ずるものである。エロ話も侮れないのである・・・・

(ちなみに以下は、「松田巳代志」先生と「森田征史」先生の対談である)

『理想世界』誌(昭和53年10月号)より謹写――

森田 そうですか。そういう時ですね。勝ち組、敗け組の争いがあったというようなことを聞いておりますが

松田 はい。自分の信ずる国が敗けたと言いたくない気持が強かったんですね。それに日頃の感情問題も影響して、いろいろなことがありました。

森田 それは、どういったことでしょう。

松田 「特攻隊」なんていうのが出来ましたからね。

森田 え? それは何をするんですか?

松田 それは、敗戦組をやっつけるんです。殺すんですよ、敗戦組の親玉たちを。

森田 日本の国が敗けていると言っている人を殺すわけですか。

松田 日本人でありながら日本が敗けたことを喜んでいると‥…。

森田 実際そういうことがあったんですか。

松田 ありましたよ。

森田 そうですか。たいへんなことでしたね。骨肉争う悲劇だなあ……。

松田 私たちはもうちょっと隔離された世界におりましたから、そういう勝ち組にも入らなかったですけどね。だけども日本人の多くの人たちは、日本の敗戦を信じたくなかった。ところが今度は、敗け組の方が、これはたまらんというのでプラジルの警察を買収して抱き込んで、勝ち組狩りを始めた。それで勝ち組は次から次と捕えられましたね。

森田 そういう中で、戦前から生長の家をやってられた方々は、非常な苦労をされたことでしょうね。

松田 苦労しましたね。生長の家でも、「あれは勝ち組かな、敗け組かな」とハッキリしないと物も言えない。これは深刻でした。私たちは、〝これはいかん、大調和を説く御教えをいただいているものが争うようなことではいかん〟と思いましたけれども、その時の私たちの力ではどうにもなりませんでした。それで、日本から講師を招んでこの問題解決していただこうというので、自刃の矢を立てたのが、徳久先生だったわけです。医学博士、本部理事本部講師、青年部長という肩書きがよかったので。… (笑い)

森田 徳久先生、どんな姿をして来られました?

松田 飛行機が着いたとき、タラップの上から、こう合掌して下りて来られた。その姿の壮厳さに、みんな泣いてしまいましたね。そうして到着されたその晩、もう講演会がサンパウロでありましてね。その時ぼくはも 一番最初に行って聴いとったですよ。どうおっしゃるかと思ってね。

森田 日本は勝ったか敗けたか。

松田 ええ。せっかく日本からお出でになった先生だけれども、日本が勝ったとおっしゃったら負け組みがついてこない。負けたとおっしゃったら、おそらく勝ち組がついてこない。いったいどういう話をされるか。もう、まばたきもしないで、全身を耳にして、聴いておりました。そうしたら先生は、戦争の話をされるかと思ったら、セックスの話がどんどん出て来た。

森田 はっはっは…… (笑い)

松田 ところが、みんなは喧嘩をしとったから、笑いぐせがついておらんので、三十分位は誰も笑わない。

森田 あはは、そうですか。

松田 しかしそのうちにだんだんよう堪えんようになって、一人が笑い出したから、みんなが笑い出した。とうとう腹をかかえて笑った。ははは……しかし、ぼくだけは笑わなかった。こっちは勝ったか負けたかと真剣になっているのに、産婦人科のセックスの話とは何事か、と思っておったんです。しかしばからしくなって終いには笑いましたけどね。そうしてみんな笑ったあと、最後にくね、徳久先生はこうおっしゃった。

「皆さんは勝った、負けたで私が何を言うかと思ってらっしゃるだろうが、私は勝ったとか負けたとかという現象の話をしに来たんではない。勝った、負けたは現象だ。永遠の実相、不敗の実相を私は話しに来たんだ。」

それで、みんな泣きました。勝ち組も敗け組も。――祖国の同胞が、国をあげて血を流して戦ったんだ、それを何も役に立たない、プラジルのわれわれが、勝った、負けたで争っていたとは、ああ悪かった。天皇陛下に申しわけなかった。祖国の同胞にも申しわけなかったと、みんな泣いたんです。それで大調和になったわけです。そしてその話がプラジル中のどこへでも広がっていきましたからね。それでだいたい生長の家の中はおさまりましたね。

628神の子様:2013/04/12(金) 08:46:38
「クダラナイ」 目立ちたがり屋の 「おバカちゃん」

629うのさん:2013/04/12(金) 09:32:29
>>624

 ついてナイのに「男性板」来る人、こっちの方がめちゃくちゃな人でしょう。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~^^^^

くだらなくないですよ。さくらさんなんかのっけから男性版に来てましたからね。
メチャクチャな人なんていうと可哀そうです。
 ルール違反なので、今後一ヶ月は男性版にかきこまないよう気をつけます。
訊け管理人さんも名前を変えて女子会版には来ないでください。

630うのさん:2013/04/12(金) 09:34:49

 ついてナイのに「男性板」来る人

 しかし、訊け氏からは本島で本流で○玉持ってるのは私だけですからって、
マンガやからかうようなことを書かれていますよ、わたしは。

631「訊け」管理人:2013/04/12(金) 09:41:07

 「よほど、お好きなんでしょう(ええ・・・・)」


                   ∧,, ∧
                   (`・ω・´)
                     U θ U
                 / ̄ ̄Ⅰ ̄ ̄\
                |二二二二二二二|
                |        |
パシャ パシャ  パシャ パシャ パシャ  パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ
   パシャ パシャ パシャ パシャ パシャ  パシャ パシャ パシャ  パシャ  パシャ
 ∧_∧      ∧_∧     ∧_∧  ∧_∧    ∧_∧     ∧_∧
 (   )】      (   )】    (   )】 【(   )    【(   )    【(   )
 /  /┘ .   /  /┘.    /  /┘ └\ \   └\ \   └\ \
ノ ̄ゝ     ノ ̄ゝ      ノ ̄ゝ     ノ ̄ゝ    ノ ̄ゝ     ノ ̄ゝ

632解説者:2013/04/12(金) 11:35:11

訊け様

昨夜、南九州から帰宅しました。
南九州滞在中は大変お世話になりました。

いやぁ、南九州は食べ物は旨いし、人々は温かいし、最高でした!
何よりもこの掲示板によって生まれた訊け様との縁に感謝しています。
トキ様、ありがとうございました!

皆様、訊け様はこの掲示板のキャラ、そのまんまですよ(笑)。

今度は宇治や東京でお会いできるのを楽しみにしております!

解説者拝

633「訊け」管理人:2013/04/12(金) 12:39:36

>>訊け様はこの掲示板のキャラ、そのまんまですよ(笑)。<<


 ホント、美少年ですみません。



           ,、‐ ''"  ̄ ``'' ‐- 、
        /イハ/レ:::/V\∧ド\
       /::^'´::::::::::::i、::::::::::::::::::::::::::::\
     ‐'7::::::::::::::::::::::::ハ:ハ::|ヽ:::;、::::::::::::丶
     /::::::::::::::/!i::/|/  ! ヾ リハ:|;!、:::::::l
    /´7::::::::::〃|!/_,,、   ''"゛_^`''`‐ly:::ト
      /|;ィ:::::N,、‐'゛_,,.\   ´''""'ヽ  !;K
        ! |ハト〈  ,r''"゛  ,       リイ)|
          `y't     ヽ'        //
         ! ぃ、     、;:==ヲ  〃
         `'' へ、   ` ‐ '゜   .イ
              `i;、     / l
                〉 ` ‐ ´   l`ヽ
            / !       レ' ヽ_
         _,、‐7   i|      i´   l `' ‐ 、_
     ,、-‐''"´  ノ,、-、 / 、,_ ,.、- {,ヘ  '、_    `ヽ、_

634神の子様:2013/04/18(木) 09:06:35
   
   >>631



   きらいなやつおりまっか?^〜^

635トキ:2013/04/18(木) 12:37:44
>>632

 いえいえ、解説者様、訊け管理人様に、こちらこそ深く感謝申し上げます。

合掌 ありがとうございます

636神の子様:2013/04/25(木) 02:30:27

「うの・訊け」珍珍戦争・・の終結を!!

トキさん、「うの・訊け」の<和解>は出来ないのか?

和解和尚の名が泣いている・・・

637神の子様:2013/04/25(木) 02:38:25

「うの・訊け」珍珍戦争・・は、「大自然讃歌」読誦の具現現象か?

コードネーム「Eの露払い」の、即ち「訊け」の<おふざけ路線>の悪弊か?

訊けの「使用停止用語」・・<キャバクラ、キャバ嬢>!!

640うのはな:2013/04/25(木) 17:39:48
コードネーム「Eの露払い」の、即ち「訊け」の<おふざけ路線>の悪弊か?

訊けの「使用停止用語」・・<キャバクラ、キャバ嬢>!!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
しかし、訊けから和解のリンリン節とキャバと盗作贋作を取ったら
 借金だけしか残らないのではないだろうか。
 へんに禁止、なんてすると、背教だ排除だって小理屈を並べてくるし
 名前を変えてまで侵入する性格である。

 泥棒にも○分の理、とかいうぐらいだし、遠目に眺めてるしかないのかも。

641「訊け」管理人:2013/04/25(木) 22:54:40

 佐久間象山が「八重の桜」で、こんなセリフを吐いてましたね。 

 「何かを始めると、『何もしない奴』が必ず邪魔をする」と ――

 ・・・・いやー、名言だねこりゃとか言いながら、今、「鶏」を食っています。


      _,,, 
     _/・e・) <ぶーん
   ∈ミ;;;ノ,ノ
     ヽヽ


 スズメじゃないけどね。




643うのはな:2013/04/26(金) 09:26:10

きけは話のすり替えはよくやるけど、話の逸らし方は下手ですねw

644うのはな:2013/04/26(金) 09:29:36
 男性専用版の見分けもつかず、書き込みしていてすみません。
 このコピペを最後にします。真のトンチンカン男とちがって、ハンドルネームトンチンカンさんの
 投稿です。
名前:トンチンカン 投稿日: 2013/04/25(木) 22:52:49 光明掲示板に、マサノブ氏が切り込みを・・・との話がでております。

>711 の文面はその辺りを述べております。

「0350=マサノブ氏」確実?・・・というのは本当でしょうか?

645「訊け」管理人:2013/04/26(金) 13:09:56

<告知>

 現在当掲示板は現在、「天才言語サル」(メス)の語学トレーニング中です。意味不明な文も多々掲載されますが、観覧の皆さまは返信をお控えくださいますようお願い申し上げます。


日本霊長類研究所
所長 福山雅治
主席研究員 トニーレオン

646うのはな:2013/04/26(金) 13:37:22
90 名前:「訊け」管理人 投稿日: 2013/04/24(水) 16:35:57

 しかしホント、「気持ち悪い女」だよねえ(笑)

 もっと暴れて、頂きましょう。バカなんですから、しょうがない(笑)。





追伸

 下半身の件なんで、勘違いしないように

647うのはな:2013/04/26(金) 13:38:27

 あ、またまちがえて投稿しました。
 でも「意味不明の」の文だからいいか。

649神の子様:2013/04/27(土) 16:37:22

うのはなの こぼるる蕗の 広葉かな / 蕪村   (蕗=ふき)

うぐひすの 通ふ垣根の 卯の花の 憂きことあれや 君が来まさぬ / 万葉集巻十

650「訊け」管理人:2013/04/28(日) 06:46:12


>>憂きことあれや 君が来まさぬ<<


 秀逸です(笑)。





652うのはな:2013/04/29(月) 11:20:26
名前:神の子様 投稿日: 2013/04/29(月) 05:59:46
1315 名前:名無しさん 投稿日: 2013/04/27(土) 09:43:21 116 :名無しさん:2013/04/27(土) 09:25:00
生長の家に比べたらマシ。
http://jbbs.livedoor.jp/study/11788/


キチガイが


天理教で生長の家が恥かいてますんでうのはなさんに注意

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ここには統一協会の元工作員がややこしいコメントを入れに来たり、
自分のブログでの誌友会では閑古鳥の人が、自分の雑談会場に使ったり、
それなりに役にたっているように見えますが、わたしのほうでは運営方針版で
トキさんに、器量がないなら閉鎖したらいいと、はっきり書いています。
わたしに注意しないで、ここの管理人に注意してください。

653神の子様:2013/05/01(水) 19:08:29

158 :「訊け」管理人:2012/09/24(月) 08:52:22
(本流対策室より)

>志恩さま



>訊けさんは、くどくて くどくて、疲れますので、もう、私は、訊けさんとは、
>論戦するつもりは、ありません。

 志恩さんて、いつもこうですね。非常に残念です。・・・議論が核心に迫るといつも逃げられます。ところでこれ、私とのやり取りなのでしょうか?違いますよね。

 貴女が逃げられた相手は私ではなく、谷口雅春先生であります。貴女が反論出来なかったのは、「和解の倫理」及び「〝最後の審判〟に就いての神示」についてでは、ございませんでしたか?

 珍説スルーはOKだと思います。ですが、雅春先生のご主張はこれ、スルーしてもよいものでしょうか。ですのでもっと、堂々とされてください。なお、


>それで、そのころから、反本流派であったさくらさんや、「訊け」管理人さんが、張り切って、今も尚
>本流に対して「和解」だ「和解」だと、「大調和の神示」の印籠を悪用して、張り切って、本流に噛み付く発言を、
>繰り返しているのでしたか。


 「噛み付く」の意味解説、並びに、「神示悪用の過去」に関して、ご指摘くださいませ。よろしくお願い致します。特に私が、神示を歪曲して珍説を補強しているとすれば、それは問題です。堂々この私を、ご批判くださいませ。(いつもの調子で構いませんよ)





654神の子様:2013/05/01(水) 19:09:55
1490) もううんざり、書きたくないけど書かざる得なし。 投稿者:にこにこ信徒
あれこれと投稿の名前代え父親譲りの『理屈』こねまわして掲示板閉める前『信者』より先に書きまくる『愚か管理人』。
『谷口雅春先生の御教え、御教え』と云いながら幼稚で浅はかな言葉並べ『閉める本流宣言』でのたうち廻る姿は、一種『狂気』のように受ける。
『子供の問題は○○の問題』と『真理』は告げられていること、葵新吾、素人信徒様はよくよくご存じのはず。

もう『なんとか光明宣言』もお止めになって、高慢な言葉慎み静かに『本来の生長の家御教え』学ばれたら如何ですか。

655神の子様:2013/05/02(木) 03:00:40
266 :トキ掲示板祝福祈願部:2013/05/01(水) 22:04:48 うのはな様、ありがとうございます。うのはな様、ありがとうございます。
うのはな様、ありがとうございます。うのはな様、ありがとうございます。
うのはな様、ありがとうございます。うのはな様、ありがとうございます。
うのはな様、ありがとうございます。うのはな様、ありがとうございます。
うのはな様、ありがとうございます。うのはな様、ありがとうございます。
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うのはな様、ありがとうございます。うのはな様、ありがとうございます。
うのはな様、ありがとうございます。うのはな様、ありがとうございます。

657神の子様:2013/05/03(金) 11:34:29
訊け様は、心底ではこのようにうのはな様に感謝の念を唱えられていると思います。

659「訊け」管理人:2013/05/07(火) 08:30:05

>>解説者さま


 ・・・・さて、突然ですが「山本七平」さんです(笑)。この男性板で最近、「私が(再々度)ハマっている山本七平さん」の御文章ですが、紹介して行こうと思います。

 ちなみにこれから掲載される御文章ですが、「オトナが知ってりゃいい話」です。オトナだけが知っていればよい、自国の歴史であります。ですので、女子供が知る必要はないと云う「自国歴史の暗部」話になるのですが、これを敢えて扱おうかと・・・・・・まあ、「反日!」とか云われる方あらば、「そうですか」としか云いが御座いません・・・・(女子供の出入りは禁止ですw)

 ところで・・・・まあ、我々は「オトナ」です。オトナなのですから戰爭を「絶対悪」とか「絶対善」で捉えてはナラヌと考えます。

 そして「オトナ」の思考様式とは、「この部分は◎ここは×や△」と云った思考です。自国の歴史に対しても「誇れる点」「恥ずるべき点」を明確にするのが、「オトナの思考」だと個人的に考えます ――

 ・・・・・まあ、言い訳はよいでしょう(^^)。さっそく開始します。以下の御文章ですがどうぞ、ご高覧(拝読)ください。出典は山本七平氏著書『日本はなぜ敗れるのか』です。そして、テーマは「バシー海峡」という、非常にマニアックなものです。(ちなみに「大東亜戦争の敗因は?」と問われ、インパールもミッドウェーもガダルカナルも出ずに、某者から「バシー海峡」の名が出た模様。そしてそれに、同意する者が多数いた模様ですがさて、「バシー」とはどんな海峡なのか・・・・興味ありませんか?)




660『日本はなぜ敗れるのか』(山本七平著書):2013/05/07(火) 08:46:20

『日本はなぜ敗れるのか』(山本七平著書)より謹写――

 危機というものは…脱出路の提示という形でしか認識されない。バシー海峡は様々な意味でそういう道であった。それは太平洋戦争全体にとっても、そこを通過して辛うじて助かった一個人にとってもその名を口にしただけで総毛立って「戦意喪失」する、血迷える者が誤認した脱出路だったのである。従って、敗戦21ヵ条にバシー海峡が登場することは、あらゆる意味で、私(山本七平氏)にとっては当然である。それは、われわれが、いかに、危機に対処できずに滅びるかを示す象徴的な「名」である。

 一体何が故に制海権のない海に兵員を満載したボロ船が進んでいくのか。それは心理的に見れば、恐怖に訳が判らなくなったヒステリー女が確実に迫り来る訳の判らぬ気味悪い対象に手あたり次第に無我夢中で何かを投げつけ、それをたった一つの「対抗手段=逃げ道」と考えているに等しかったであろう。だが、この断末魔の大本営が、無我夢中で投げつけているものは、ものでなく人間であった。そしてそれが現出したものは、結局、アウシュヴィッツのガス室よりはるかに高能率の、溺殺型大量殺人機構の創出であった。このことはだれも語らない。…だが「ヒステリー女の手あたり次第のもの投げ」といえば、おそらく反論はあるであろう。大本営には確かに一つの理屈はあった。だがそういった″理屈″とか″理論″とかいうものは、常に、ヒステリー的衝動の正当化と理論づけにすぎない。
 当時我々の受けた「訓示」によれば、日米両野戦軍はまだ一度も″決戦″をしていないという事であった。確かに、島嶼の争奪は十数個師団を展開する″奉天大会戦″的″決戦″ではない。「広さ」は戦力である。幸いマッカーサーは「アイ・シャル・リターン」。来るに決まっている。
 従って、戦備をととのえ、ルソンの山野に大兵を展開して米軍に決戦を挑み、これを包囲殲滅した上で対等の講和に持ちこむ、というのが、あらゆる方法で大兵団を比島に送った基本的な″理論″であり、これを彼らは″唯一の脱出路″と考えたわけである。だが窮地に陥った者は、そこが唯一の脱出路と思い込んだ瞬間、そこへ殺到して自滅する。そしてそのように、日本軍は、バシー海峡で自滅し、そしてその自滅の瞬間まで、危機の叫びは、実は、逆作用する一種の子守歌にすぎなかったのである。

 組織の中の一員は…その当時であれ現在であれ、世界的な情況の中にある自己の位置は把握できない。確かに、周囲の情況は、あらゆる不安に満ちている。しかし、ちょうど「オオ、ヨシヨシ」といって子供をあやして不安を鎮めるような装置もまた、到る所にある。無敵神話・東条スマイル・軍歌と国民歌謡・お守り・旗の波は、幼児から「あやしと甘え」で育った者に、理由なき鎮静を与える。
 また、軍隊という組織・鉄の軍紀・階級・信念・猛訓練等、一切合財が「あやし」になる。そして「危機の叫び」と「あやし」のバランスで成り立つ「虚構の子守歌」は、本当の危機すなわち「脱出路」の入口まで、各人を眠らしている。そして整々と脱出路まで導かれた者が、ある情況を目にした瞬間、一切は虚構で、現実にはすべてが既に終わっており、自分達はただ”清算されるため”にそこにいるにすぎないことを知り、冷水をあびせられたように慄然とする。

 それがバシ―海峡であった。

(つづく)

661『日本はなぜ敗れるのか』(山本七平著書):2013/05/07(火) 08:53:45

 昭和19年4月末、私(山本七平)は門司の旅館にいた。…皆ここで船に積まれ、どこかに送られる。大部分が恐らく比島であろう。アメリカの潜水艦は日本全体が緒戦の″大勝利″の夢からまだ醒めぬ18年の9月に、既に日本の近海で自由自在に活躍していた。潜水艦による輸送船の沈没は、原則として一切新聞に出ない。従って以下に記す小松氏の記録は、18年当時の海没の、まことに珍しい「目撃者の記録」である。

 《…目下の戦況では台湾危じと直感し、内台航路の危険を冒して内地に引揚げる事に決心し…台東を九月七日に出発した。…家族一同どうやら同じ船で内地へ行く事になった。…27日の夜半突然の砲声に一同飛び起きる。船は全速でジグザグに逃げまどう。…そして爆雷の音がしきりに響いてくる。》

 《…突然、すぐ目の前にいた富士丸の胴体から水煙があがった。やられたと船室に飛び込み子供等に用意をさせる。窓から見れば富士丸はもう45度に傾き次いで棒立となって沈んでしまった。雷撃後3分30秒であっけなく姿を消した。》

 《我々の船は全速で逃げ四時間後に再び富士丸遭難地点に戻り救助にかかる。又やられはせぬかと気が気でない。沖縄からきた飛行機が二機、潜水艦を探している。富士丸の遭難者の大半を救助した頃、我々の船めがけて三本の雷跡。慌てて室に帰る。船は急旋回。その時、ドスンと大きな音がした。》

 《もうだめだ。が、幸い魚雷は不発で助かった。船からは大砲を乱射する、爆雷は落す、全速で逃げまわる。生きた心地はない。門司までの一昼夜は実に長い、嫌な、命の縮まるような思いをした。…三十日無事神戸港に入港した。…》

 結局、台湾を出港した当時の最優秀船三隻は、駆逐艦と航空機に護衛され、自らも対潜水艦用の砲を搭載しながら、三隻とも雷撃をうけた。小松氏の乗った欧緑丸が無事助かったのは、奇蹟的に魚雷が不発だったというだけである。これがその約半年後の昭和19年4月となると、あらゆる面で、危険の度は倍増も三倍増もしていた。氏は雷撃をうけた富士丸が、わずか3分30秒で沈んだと正確に時間を計っておられる。

 三分半、これは、不意の衝撃から脱出するには、決して十分な時間とはいえないが、しかし、全員はともかく、一部のものには脱出が可能である。だが私が乗船したころには、米軍の魚雷が高性能になるとともに日本側は老朽船のみになっており、平均15秒で沈没した。救出者は通常ゼロ、三千人を満載した船で、五人が奇蹟的に助かった例もあったそうである。秘密は、少なくとも組織の内部では完全には守れない。動員下令で原隊を去り、乗船したはずの者がすべて一切の消息を絶てば、だれでも不審に思わざるを得ない。だが全員海没すれば「死人に口なし」で、噂の″火元″さえなくなってしまう。また奇蹟的に助かった者がいても、そのまま南方へ運ばれ、音信不通となる。

 とはいえ何やら押さえつけるような不気味な雰囲気と、対潜水艦ノイローゼとでもいいたい上層部の、気違いじみた防諜々々の訓示から、逆に、恐るべき状態がひしひしと迫って来ているのはわかった。門司の宿舎では、電話も手紙も町の人と口をきくことも禁じられていた。出航がいつかはもちろんわからない。…何日目かおぼえていない。乗船に関する命令と指示があるから、明日一時に、輸送指揮官・先任将校・連絡係の三名が、船舶輸送司令部に出頭せよという通知があった。…「ワシらの乗る船はきっと桟橋に横づけになっトルだろう。山本、先に船を見て、それから司令部へまわろう」先任将校のS中尉は私にそういい、二人は、少し早目に宿舎を出た。…二人は…海へとのびる桟橋へと歩いた。そこには、うす汚れた一隻の船が横づけになっていた。

 近づいてみると、恐怖すべきボロ船であり、一見してスクラップであった。それも道理、後で聞いたことだが、この船は船名が玉鉾丸、船齢すでに27年、最高速度5ノット半という、当然、廃船とすべき代物であった。だが…不思議に常に無事帰航したという″奇蹟の船″でもあった。乗船してから船員が語る処によると「5ノット半の船が戦場をウロウロしているなどという事は、アメリカ人の常識では到底考えられない。そこでいつも魚雷の照準を間違えるから無事なのでしょう」という事だった。だがその時は、勿論そんなことは知らない。ただ、雨の中にぼんやりと見える、異様にうす汚れ、「汚れ色」としかいえぬような色をして、至る所からシューシューと蒸気がもれ、何ともいえぬ悪臭を放っている浮ぶスラムを、しばし果然と眺めていただけである。


(つづく)

662『日本はなぜ敗れるのか』3:2013/05/07(火) 08:56:45

 近よると船は意外に大きい。後部の船愴にすでに乗船しているらしい兵士が、甲板に満載したトラックの間をちらほらと行き来する姿は、見えなくなった。そのときS中尉が不意に「山本、あ、ありゃなんじゃ」と普段に似合わぬ驚きの奇声をあげた。

 …甲板の舷側ぞいに何やら四角く仕切られた木造の小屋…がずらりと並び、…しかもベトベトに汚れた感じであり、その下部に開口部があって、そこから汚水らしきものがたえず流れ出し…海面にまで流れている。その汚水の幕が船全体を染めあげ、前述の「汚れ色」としかいえない色にしている。「便所だ」…考えてみればこういう装置が必要な事は当然である。船は元来が貨物船だから、船員は恐らく2、30人、従ってそれに応ずる居住施設しかない。その船の船倉に三千人を押しこむ、人を貨物と考えれば確かにそれだけのスペースはあり…物理的には…不可能と言えぬかも知れない。しかし貨物には排泄はない。従って否応なしに三千人分の便所は作らねばならない。とすれば舷側ぞいに海に向けて排出口をもつ小屋を、出来る限り数多く作らねばならない。

 「フーム」S中尉はしばらくうなっていた。S中尉は私が今までの生涯で会った最も豪胆・沈着・冷静な人であった。そして常にユーモアがあり、死に直面しても反射的に冗談の出る人だった。その人の沈黙が私を不安にした。しかし司令部に近づくと彼はちょっと笑みをうかべ「運を天にまかすと言うが、この航海は本当にウンを海にまかすわけだな」と言った。その言葉に私の緊張はほぐれた。…佐官以上は全て飛行機で別途に現地に赴任し、貨物船の船倉に入れられるのは一兵卒から叩き上げの尉官と幹部候補生出身の中少尉以下であった。そして部隊が無事にマニラにつくと、そこで輸送編成を解いて現地のそれぞれの師団の指揮下に入るというのが、その仕組であった。

 なぜこういう方法をとったのか。内地で完全に編成してそのまま現地に送った方が、すぐに活動できるという点で、はるかに能率的ではないか。アメリカはそうしており、従って上陸と同時にすぐに展開できる。なぜそれをしなかったのか。言うまでもなく「危険の分散」であろう。

 ある一兵科の一部隊を一隻に乗せ、それが海没すれば、その師団は一兵科が完全欠如になって半身不随になる。それを防ぐ為、様々な兵科を細分して様々な船に乗せたのであろう。…佐官以上の幹部を別途に航空機で送ったのもおそらく同じ発想であり、…そしてそのこと自体が、全員の到着は到底おぼつかないこと、おそらく大本営自身が、そのうちの何割かが無事到着すれば大成功と考えていたことを示している。

 …私は…老准尉の所に行って明日の乗船に関して細かい指示をうけた。その夜、簡単な会食があった。…十数人の将校は努めて楽しげに振舞っていた。しかし私は、ある一事が気掛りの為、どうしても落着かず、同時にあの船影を思い出すと、何としても気が滅入ってきた。気掛りとは老准尉の言葉である。「砲兵隊は後部船艙左舷、船艙一坪あたり4人」と私は聞いたつもりなのだが、後で思い出すと彼は「14人」と言ったようにも思えるのである。

 確かに軍の輸送船が豪華な客船であるはずはない。しかし、人間の生活空間、いわば相当長期間の「住」の面積は、一坪4人すなわち畳一帖に二人がぎりぎりの限界であろう。それ以下では、第一、寝ることが不可能である。…従って「軍」を念頭においた常識でも、一坪4人が限度のはず、14人などということは到底考えられない。考えられないから私は「4人」とメモして来た。しかし昼間のあの船…を思い出すと、何やら14人ということも、満更ありえないことではないように思えて来るのだった。…翌日午後一時、乗船が開始された。もう疑念の生ずる余地はなく、船艙の割当は一坪14人であった。

(つづく)

663『日本はなぜ敗れるのか』4:2013/05/07(火) 08:59:17


 もっとも船艙はいわゆるカイコ棚式に二段になっており、従って、一段ずつ数えれば一坪7人である。ただその高さはやっと胸までの二段であり、従って、ひとたび船艙に入れば、その人は、直立することはできない。…私は船艙に降りた。ぎっしり積載された人間のはき出す一種の暈気ともいうべきものが充満し、空気が濃密になり、臭気の立ちこめた蒸し風呂といった感じである。湿度百%で、船艙の鉄板の天丼から絶えず水滴が落ちる。…誇張でなく息がつまる。カイコ棚に押し込まれた人間のうるんだように光る目が、一斉にこちらを向く。…降りて来た人間は、この有様に気をのまれて、カイコ棚の前でウロウロする。各班長が「つめろ」「頭を下げて入れ」とわめきながら、一人一人をその棚に押し込んでいく。

 すべての人間は思考力を失っていた。否、それは、思考を停止しなければ、できない作業であった。

 人がまるでコンベアに乗せられた荷物のように、順次に切れめなく船艙に積み込まれ、押し込まれてぎっしりと並べられていく。そうやって積み込んだ船に魚雷が一発あたれば、いまそこにいる全員が15秒で死んでしまう――。この悲劇は、架空の物語でなく現実に大規模に続行され、最後の最後まで、ということは日本の船舶が実質的にゼロになるまで機械的につづけられ、ゼロになってはじめて終ったのであった。そしてこの「押込み率」は…ナチの収容所の中で最悪といわれたラヴェンスブリュック収容所の中の、そのまた最悪といわれた狂人房のスペースと同じなのである。おそらくこれは、これ以上つめこんだら人間が死んでしまう、ぎりぎりの限界である。

(つづく)

664『日本はなぜ敗れるのか』5:2013/05/07(火) 09:02:33

 アウシュヴィッツの写真を見る。確かに悲惨であり、あれもカイコ棚である。しかしあのカイコ棚には、寝るだけのスペースはあった。船にはガス室はあるまい、と言われれば確かにその通りだが、しかし、この船に魚雷が当たった時の大量殺数の能率――三千人を15秒――は、アウシュヴィッツの一人1分20秒とは比較にならぬ高能率である。

 でも、魚雷はガス室ほど確実に来るわけではない、という人もあるかもしれない。しかし、もう一度いう。では何隻の船が終戦時に残っていたのかと。結局全ての船が、早かれ遅かれ、最終的には、世界史上最大能率の大量溺殺機械として、活用されただけである。一体、この船倉につめこまれた事と、ガス室につめこまれた事と、実際に、どれだけの差があるであろう。両者とも、身動きは出来ず、抵抗の能力はなく、ただ、死が来るのを待っている。差があるとすれば、一方はコックをひねられればおしまい、一方は雷跡が見えればおしまい、という差だけではないか――。

 アウシュヴィッツといえば人は身ぶるいをする。しかし、小松氏が「バアーシー海峡」の名をあげても、人は、何の反応も示すまい。理由は何であろう。

 アウシュヴィッツの犯蹟は明らかになった。多くの写真が公表され、多くの記事が書かれた。同じことは『収容所群島』にもいえる。しかしバシー海峡は何も残していない。海が全てを呑み込み、一切を消し、人々はこの海峡の悲劇だけでなく、この海峡の名すら忘れてしまった。従って、敗因第「15」を人は奇妙に思うのも不思議でないかも知れぬ。しかし奇妙に思うこと自体が、今に至るまで、真実は何一つ語られていないことの、決定的な証拠ではないのか。

(つづく)

665『日本はなぜ敗れるのか』6:2013/05/07(火) 09:06:38

 日は暮れた。雨は遠慮なく降る。乗船はまだ終らず、船倉への長い列は途切れなくつづいている。ナチの収容所の囚人頭に等しい輸送副官のT中尉は…大声をあげて駆け回っている。…いるだけで玉の汗が流れてくる船艙。そこから起るいら立ちの怒声罵声、ビンタの音。私はこの時ぐらい、部下のいない「部付」という身分を有難いと思ったことはなかった。

 夜半になって、ついに乗船は終った。すべての場所が人、人、人、人。文字通り足の踏み場もない人の群れ。船は曳き船にひかれ、港内のブイに繋留された。出港はいつのことかわからない。

 奇妙なもので、余りに苦しい状態におかれると、「たとえどうなってもいい、何でもいいから、この状態にけりをつけてはしい」という気にだれでもなる。人びとは、自分たちが、大洋に導かれた巨大な「死へのベルトコンベア」に乗せられたことを、知っていた。従って、そのコンベアが動き出すのが遅ければ遅いほどよいはずなのに、逆に、一日も早く動き出してほしいと願うのである。そしてそう願ったときに一切の秩序は実質的に崩壊していた。

 もちろん「志気」などというものは消えていた。「死へのベルトコンベア」に乗せられて、「士気」などが存在するはずはあるまい。これが小松氏が正しく指摘している「バアーシー海峡の損害と、戦意喪失」の意味である。

 では、バシー海峡とアウシュヴィッツは同じであったろうか。もちろん違う。同じなのは、小スペースヘのすしづめと、高能率の大量殺人装置という現象面だけである。

 ドイツ人は明確な意図をもち、その意図を達成するため方法論を探究し、その方法論を現実に移して実行する組織をつくりあげた。たとえ、その意図が狂気に等しく、方法論は人間でなく悪魔が発案したと思われるもので、その組織は冷酷無情な機械に等しかったとはいえ、意図と方法論とそれに基づく組織があったことは否定できない。

 一方日本はどうであったか。当時日本を指導していた軍部が、本当は何かを意図していたのか、その意図は一体何だったのか、おそらくだれにもわかるまい。というのは、日華事変の当初から、明確な意図などは、どこにも存在していなかった。ただ常に、相手に触発されてヒステリカルに反応するという「出たとこ勝負」をくりかえしているにすぎなかった。意図がないから、それを達成するための方法論なぞ、はじめからあるはずはない。従ってそれに応ずる組織ももちろんない。そして、ある現象が現われれば、常にそれに触発され、あわてて対処するだけである。従ってすべてが小松氏の憤慨した情況「戦争に勝つために是非必要だというから、会社を辞めて来てみれば、何のことはない」という状態になる。従って何の成果もあがらない。だがこれは小松氏のような立場にあった人だけでなく、当事者であるはずの軍隊自身についてもいえることであった。

(つづく)

666『日本はなぜ敗れるのか』7:2013/05/07(火) 09:10:08

 砲なき砲兵、自動車なき自動車隊、航空機なき航空兵、それらが「死へのベルトコンベア」からこぼれ落ちたように比島に到着してみれば、最初に兵姑でうける挨拶が「何だって大本営は、兵員ばかりこんなにゾロゾロと送り込んで来るのだ。第一、糧株がありゃしない、宿舎もない、兵器!とんでもない。そんなものがあったら、既に到着した部隊を兵器なしで放り出しておくわけがあるまい。当分、シナ人墓地ででも宿泊してろ」ということであった。

 ではなぜこのように全く成果のあがらない事をするのか。

 言うまでもなくそれは、成果があがらないとなると、その方向へただ量だけふやして、同じ事を繰り返す事が、それを克服する方法としか考えられなくなるからである。…そしてこの事を非常に大がかりにやったのが「バシー海峡」であった。

 ガソリンがないといえば反射的に技術者を送る。相手がそこへ来るといえば、これまた反射的にそこへ兵力をもっていく。そして沈められれば沈められるだけ、さらに次々と大量に船と兵員を投入して「死へのベルトコンベア」に乗せてしまう。それはまさに機械的な拡大再生産的繰り返しであり、この際、ひるがえって自らの意図を再確認し、新しい方法論を探究し、それに基づく組織を新たに作りなおそうとはしない。むしろ逆になり、そういう弱気は許されず、そういうことを言う者は敗北主義者という形になる。

 従って相手には、日本の出方は手にとるようにわかるから、ただ「バシー海峡」で待っていればよい、ということになってしまう。

 この傾向は日露戦争における旅順の無駄な突撃の繰り返しから…毎年毎年繰り返される「春闘」まで一貫し、戦後の典型的同一例をあげれば「60年安保」で、これは、同一方法・同一方向へとただデモの数を増すという繰り返し的拡大にのみ終始し、その極限で一挙に崩壊している。一方、私が戦った相手、アメリカ軍は常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。同じ型の突撃を馬鹿の一つ覚えのように機械的に何回も繰り返して自滅したり…ボロ船船団を同じ様に繰り返し送り出して自ら大量「死へのベルトコンベア」を作る様な事はしなかった。これは、ベトナム問題への対処の仕方にも表われているであろう。

 あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。
 一億何千万円とかを投入した小野田少尉の捜索が失敗した時、それに携わった人が言った言葉が、やはり「やるだけの事はやった」であった。そしてバシー海峡で全ての船舶を喪失し、何十万という兵員を海底に沈め終った時、軍の首脳はやはり言ったであろう、「やるだけの事はやった」と。

(つづく)

667『日本はなぜ敗れるのか』8:2013/05/07(火) 09:12:12


 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探究し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるため払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。従って小松氏が、敗因の中にこの海峡の名をあげたのは、当然すぎるほど当然であった。

 太平洋戦争自体が、バシー海峡的行き方、一方法を一方向へ拡大しつつ繰り返し、あらゆる犠牲を無視して極限まで来て自ら倒壊したその行き方そのままであった。

 だがしかし、わずか二十年で、すべての人がこの名を忘れてしまった。なぜであろうか。

 おそらくそれは、今でも基本的には全く同じ行き方をつづけているため、この問題に触れることを、無意識に避けてきたからであろう。従ってバシー海峡の悲劇はまだ終っておらず、従って今それを克服しておかなければ、将来、別の形で噴出して来るであろう。

<了>

668解説者:2013/05/07(火) 10:14:14

訊け様

>>659 〜 >>667

実に興味深く拝読させていただきました。

“皇軍”とは程遠い姿があったのですね。考えさせられます。

>この傾向は日露戦争における旅順の無駄な突撃の繰り返しから…毎年毎年繰り返される「春闘」まで一貫し、戦後の典型的同一例をあげれば「60年安保」で、これは、同一方法・同一方向へとただデモの数を増すという繰り返し的拡大にのみ終始し、その極限で一挙に崩壊している。

>あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。

今でも日本人にはこういった気質がありますね。
「やるだけのことはやった」と言われれば、そこで思考停止してしまう。

生長の家の組織もそうでした。
自ら掲げた目標を達成できなかったとき、
「やるだけのことはやった」と。
ずっと私は違和感を覚えていました。

やるだけのことをやったのなら、目標は達成しているはずだ、と。
それを指摘すると、「じゃ、お前がやってみろ」と、なるわけです。

そういうことじゃない。
なぜ失敗したのかを明確に分析して、次回につなげないことには
今回の失敗は本当に「無駄」になってしまうわけです。

生長の家が凋落した原因の一つがそこかもしれません。

669「訊け」管理人:2013/05/08(水) 08:34:42

>>解説者さま

 山本七平さんですが、気に入ってくださったみたいで何よりです。この方は「サヨクからも嫌われ」「ウヨクからも嫌われ」と云う、そんな方です(笑)。サヨクが「百人斬り競争」をネタに騒いだ際には、理路整然と反論しちゃいました。頭がよい上に説明能力が高く、さらには「戦場経験の」陸軍少尉です。サヨクのペテンなどは直ぐに、見破ってしまいます。

 一方で「ウヨク」からも嫌われてます(笑)。

 まあ、理由は明白ですよね(^^)。今さら説明の必要はないでしょう。当時の大日本帝国ですが、それに対して「非常に冷静な考察をしておられるから」でしょう。そして冷静な考察とは「恥ずるべき点」も、触れておられるということになりますので当然、「単細胞のウヨク」は、激怒という・・・・・まあ、そんなパターンです。

 さて本日は、山七さん(先生の愛称)のご著書(『一下級将校の見た帝国陸軍』)から二点紹介致します。本日のテーマは「妄想の絶対化」ならびに「気魄演技」というものになります。(非常におもしろい論点です。そして、これらの要素ですが平成の日本人にも「アリアリと」見て取ることが、出来ると思います)




670『一下級将校の見た帝国陸軍』:2013/05/08(水) 08:37:15

<妄想の絶対化>

 相変わらず横行しているのが、「アメリカはアジアの心を知らなかった」というような言葉である。だがそういう言葉を口にする人は、「アジア」という語の意味内容を、その内心で真剣に検討したことがあるのであろうか。「アジアはない」。この言葉にはすぐ反論が出るだろう。これは日本人のタブーに触れる言葉だから、激烈な反論かもしれない。では次のように言いなおしてもいい。

 「われわれが頭の中で勝手に描いているアジアとかアジア人の心とかいった概念に適合する対象は、現実にはどこにも存在しない」と。

 三十年前(註:大東亜戦争)、何百万という人が、入れかわり立ちかわり、東アジアの各地へ行った。私もその一人だった。そして現地で会った人びとが、自分のもっているアジア人という概念に適合しなかったとき、

 「こりゃわれわれの“見ずして思い込んでいるアジア人という概念”が誤っているのではないか、否、この広大なユーラシア大陸の大部分を占める地に“アジアといった共通の像”があると一方的にきめてしまうのは誤りで、単なる一人よがりの思い込みではなかったのか?」

 と反省することができたなら、日本の犯した過ちはもっと軽いものであったろう、と私は思う。われわれは、否、少なくとも私は、残念ながら当初は、そういう考え方、見方ができなかった。そして、自己の概念に適合しない相手を見たとき、多くの人と同じように私も、いとも簡単に言ってのけた。「ピリ公なんざアジア人じゃねェ」。ピリ公とはフィリピン人への蔑称である。そして、アジアの各地で、実に多くの人がこれと似た言葉を口にしていたことを、戦後に知った。

 これはどういうことであろうか。自己の概念に適合しなければ、自己の同胞をすら「非国民め」と村八分にする精神構造から出た「非アジア人め」という相手を拒否する言葉だと思うが、一体なぜわれわれは、こういう場合、自己のもっている“アジアという概念”の方を妄想と思えないのであろうか。一体なぜ、甚だ茫漠として明確でない自己の概念 ―― というより妄想 ―― を絶対化するのか。「アメリカはアジアの心を知らなかった」と言うなら、そう言う人は、「アジアの心」とやらを、本当に知っているのか。そしてそれは、その心を探し求めて、全アジアを経めぐった上で形成された概念なのか?

671『一下級将校の見た帝国陸軍』2:2013/05/08(水) 08:40:07


<気魄演技>

 演技力の基礎となっているものを探せば、それは”気魄”という奇妙な言葉である。この言葉は今では完全に忘れられているが、かつての陸軍の中では、その人を評価する最も大きな基準であった。そして一下級将校であれ一兵士であれ、「気魂がないッ」と言われれば、それだけで、その行為も意見もすべて否定さるべき対象であり、「あいつは気魄がないヤツだ」と評価されれば、それは無価値・無能な人間の意味であった。

 では一体この「気魂」とは何なのか。広辞苑の定義は「何ものにも屈せず立ち向っていく強い精神力」である。これは、帝国陸軍が絶対視した「精神力」なるものの定義の重要な一項目でもあったであろう。だが、実際にはこの「気魄」も、一つの類型化された空疎な表現形式になっていた。どんなにやる気がなくても、その兵士が全身に緊張感をみなぎらせ、静脈を浮き立たせて大声を出して、”機械人形”のような節度あるキビキビした動作をし、芝居がかった大仰な軍人的ジェスチュアをしていれば、それが「気魄」のある証拠とされた。従ってこれを巧みに上官の前で演じることが、兵士が言う「軍隊は要領だよ」という言葉の内容の大部分をしめていた。内心で何を考えていようと、陰で舌を出していようと、この「演技・演出」が巧みなら、それですべてが通る社会だった。戦場に送られまいとして、この演技力を百パーセント発揮して、皇居警備の衛兵要員として連隊に残った一兵士を私は知っている。その彼は陰では常に「野戦にやられるくらいなら逃亡する」と言っていた。

 将校にも勿論これがあった。そして辻政信に関する多くのエピソードは、彼が「気魄演技」とそれを元にした演出の天才だった事を示している。そしてロハスを処刑せよとか、捕虜を全員ぶった斬れとかいった無理難題の殆ど全てが、いつか習慣化した虚構の「気魄誇示」の自己演出になっていた。そして演出は一つの表現だから、すぐマンネリになる。するとそれを打破すべく誇大表現になり、それがマンネリ化すればさらに誇大になり、その誇大化は中毒患者の麻薬のようにふえていき、まず本人が、それをやらねば精神の安定が得られぬ異常者になっていく。

 確かに人生には、そして特に戦闘には「何ものにも屈せず立ち向っていく強い精神力」が要請される。だがこういう意味の精神力と”強がり演技”にすぎないヒステリカルな「気魄誇示」とは、本来、無関係な筈であった。真のそれはむしろ、静かなる強靭な勇気と一種の自省力の筈であり、この本物と偽物との差は…最後まで事を投げず、絶対に絶望せず、絶えず執拗に方法論を探究し、目的に到達しうるまで試行と模索を重ねていける粘り強い精神力と、芝居がかった大言壮語とジェスチュア、無謀かつ無意味な”私物命令”とそれへの反論を封ずる罵言讒謗の連発との違いに表われていた。

 精神力とは、これらの気魄誇示屋の圧迫を平然と無視して、罵言讒謗には目もくれず、何度でもやりなおしを演じて完璧を期し、ついに完全成功を克ち得たキスカ島撤退作戦の指揮官がもっていたような精神の力であろう。そしてこの精神が最も欠如していたのが「気魄誇示屋」なのだが、あらゆる方面で主導権を握っているのが、この「気魄誇示屋」というガンであった。

<了>

672「訊け」管理人:2013/05/08(水) 08:57:50


>>解説者さま

<どうでもイイ補足>


 ちなみに「山七」先生ですが、雅宣総裁と同じ「青山学院」のご出身です(笑)。以上、どうでもイイ補足話でした。



追伸

 ちなみに徴兵検査の際、「甲種合格ッ!」と言われた時に「チッ」と舌打ちした学生がいたんだと(笑)。そしてそれが「青山学院」の学生だったらしく、廃校騒ぎにまで発展、したらしいのです。そしてその余波を山本七平さんはクライます。どんな被害か?

 ・・・・「山本、オマエは徴兵検査で何を言うか分らない」「我が校(青学)は前科がある」「徴兵検査の際は、オトナシクしてろ」(笑)。そんなこと、言われたんだと。まあ・・・・・「チッ」と舌打ちして「廃校になるかも」な騒ぎになったらしいのですが、いやこれ、いくらナンでも「陸軍の横暴」でしょう。

 そして、いくら自分の祖父が陸軍にいたからって、こんな面までも肯定はしませんよ。廃校騒ぎにまでなった、「チッ」という舌打ち事件なんですが、やはり、どう考えても異常だと思います。ええ、当時の陸軍のこんな部分は「異常」と云う意味です。

 ・・・・とまあ、ここでは「女子供を排して」の、多面的な考察を致したく思います。「日本バンザーイ!」という単細胞的思考には私、どうしても組みする気になれんのです。

673「訊け」管理人:2013/05/08(水) 14:03:45

>>解説者さま

 『なぜ日本は敗れるのか』(山本七平著書)に関する話です。さて、この本裏表紙には「日本人論の決定版」と書かれてあるのですが、この宣伝文句に狂いなしです。貴重な記録を元に著者が、戦場体験などを併せて筆を振るわれ、まあ、「誰も反論不能では?」と云った日本人論を展開されます。

 さてこの本ですが、読まれた方がよい理由として序文一部を掲載致します。以下前半を省略しますが、「正しい記録とは?」と云ったテーマです。山七先生が価値を見出した資料の名は『虜人日記』と言います。「なぜ一日本人の日記がそんなに貴重なのか」はさて置きますが(読んでからのお楽しみですね)我々が歴史を語る上でいろいろな資料にあたります。ですが、価値のある資料とはいったい、どんなものでしょうか ――


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『なぜ日本は敗れるのか』(山本七平著書)より謹写――

「横井さんや、小野田さんの手記、どうお考えですか」
「……」

 ちょっと返事ができない。返事ができないということは、二人の手記が虚妄だという意味ではない。だがかりに今、押入れを整理していたら、三十年も前の日記が出て来たとする。何気なく読む。そのとき人は感ずるであろう、いま自分の内にある三十年前の「思い出」と、日記に書かれている当時の「自分の現実」との間の大きな差を――そしてこの差は、二十年前、否、十年前の日記にも感ずるはずである。ではその人のその「思い出」は虚妄であろうか。

 そうはいえまい。その人がいま、ある種の「思い出」をもっているということは、あくまでも事実なのだから、その「思い出」を、何の対社会的配慮もなく、思い出ずるままに記したなら、そういう「思い出」を抱いているという事実は、あくまでも事実であろう。だが「思い出」は「思い出」であって、だれにとってもそれはそのまま、三十年前の「自分の現実」ではない。返事に窮するのは、まずこの点であって、相手の質問が、両氏の記録を「三十年間の正確な記録と思うか」の意味ならば、私の返事は「思わない」となる。

 しかし、それは両氏が虚妄を語っているという意味ではない。両氏のような立場におかれれば、両氏のように語る以外に方法はあるまい。「では両氏はその思い出を『思い出』ずるままに語っていると思うか」と問われれば、その返事は留保せざるを得ない。だがしかしここに取材に関連する問題も介在する。だがこれは後述しよう。

 では、どのような形になれば正確な記録になりうるであろうか。もしかりに、横井・小野田両氏が、昭和二十年前後に相当詳細な日記をつけ、それをどこかに埋めて忘れてしまったと仮定しよう。内地に帰ってしばらくたってからそれを思い出し、何らかの方法で再び手に入れ、それを一言一句訂正せずに公表し、その内容のうち現代人に理解できない部分や情況は…読者が納得するまで説明する、いわば当時の自分の状態と現在の自分の状態の間に立って自ら通訳するという形をとったと仮定しよう。もしそれができたら、おそらくそれが、現在われわれが読みうる最も正確な記録であろう。

 では、そういう記録があるであろうか。ある。私は、故小松真一氏の『虜人日記』に、それを見出したのである。

 …林屋辰三郎氏が【私は、常に、歴史資料は、『現地性』と『同時性』という二つの基準に照らされなければならないと考えます。文献ならば、それが、その場所で書かれたものかどうかということ、これが『現地性』です。そして、その時に書かれたものかどうかということ、これが『同時性』です。このX軸とY軸の二つの軸で判定して、その基準に近づけば近づくほど、史料として価値が高いということです】と記されている。この基準は、現代史にもそのまま適用できるであろう。

 
(つづく)

674「訊け」管理人:2013/05/08(水) 14:05:17
(つづき)


 従って横井・小野田両氏の記述は「現地性」はあるが、現代史の基準としては、戦争中と戦争直後の部分に関しては「同時性」がうすいと言いえよう。だが問題はそれだけではない。現代史ではこのほかに、生存する関係者への配慮や、政治・経済・外交上の要請から、資料に意識的な改変は加えられていない、という保証も必要である。政変のたびに改変される”党史”は、現地性と同時性はもっていても、否、もっていればいるほど、その信憑性には疑問をもたざるを得なくなる。

 またたとえそれほどでなくとも、その現代史の中の一員としてその社会に生きている限り、人は対人関係・対社会関係の完全な無視は難しい。従って、時勢への配慮とその為の意識的無意識的迎合があっても不思議ではないわけだが、この点において、それが皆無なのがまたこの『虜人日記』なのである。なぜそう断言できるか。著者の成り立ちがそれを示しているからである。著者の小松真一氏は軍人ではない。氏は、陸軍専任嘱託として徴用され…結局、われわれと同様の辛酸を舐めて、終戦を迎えたのであった

 (〜中略〜)本書(註:『虜人日記』)は、まずその材料が、その内容の「同時性」と「現地性」を余すところなく証明している。この点、昭和三十年に東京で印刷された記録とは、その価値が違う。従って比較すること自体が、はじめから無意味かも知れない。だが現代史資料は、前述のように、それだけでは必ずしも正確ではない。

 ”終戦”は単に日本が戦争に敗れたというだけでなく、一つの革命だった。昨日までの英雄は一転して民族の敵となった。同時にすぐさま新しい独裁者が、軍事占領に基づく絶対の権威をもって戦後”民主主義”を推しすすめていた。従って当時の多くの人の記述に見られるのが、新しい時代に順応するための自己正当化の手段としての、過去の再構成である。

 それは時には自己の責任を回避するため、一切を軍部に転嫁し、これを徹底的に罵倒するという形になったり、自分や自分の所属する機関を被害者に仕立てるという形になっている。ある大学は軍部に追われた教授を総長に迎えた。軍部に追われたというが、実際は、彼を追い出したのは大学である。しかし、その大学がその教授を総長に迎え、大学自体をその総長と固定することによって、自分の過去を再構成し、あたかも大学自体がその総長同様に被害者であったかの如き態度をとって、そのまま存続した。同じことをした言論機関もあるが、もちろんこの傾向は、あらゆる機関から家族・個人にまで及んでいる。

 こういう場合、その大学や機関等の記す「戦中史」や「回想記」は、たとえ、「直後にその場」という「現地性」と「同時性」を備えていても、信頼できる歴史でも記録でもない。否、むしろ、最も信頼に値しないものの一つであろう。

 この点『虜人日記』は、まさに稀有な状態にあるといえる。

 氏は軍に所属し、従ってその内部でつぶさにその実状に接していながら、軍隊という組織に組み込まれていない特異な地位にある技術者であった。従って組織への配慮、責任の回避、旧上官・旧部下・同期生・軍関係学校たとえば中野学校の先輩後輩といった関係等への思惑、部下の戦死に対する釈明的虚偽や遺族のための”壮烈な戦死”という名の創作等々からすべて解放されている。同時に氏は、内地の情況を全く知らなかった。中心的なカランバン収容所でさえ、内地のことは殆どわからない。まして地方のオードネル労働キャンプでは、内地情報は一切不明と言ってよい――この点は後述するが。

 従って、内地の変化を先どりして、それをもとにして過去を記すといったことは、氏の場合は起りえない。

(つづく)

675「訊け」管理人:2013/05/08(水) 14:05:54
(つづき)

 またアメリカの労働キャンプには、ソヴェト式の思想教育は皆無であったから、”民主的観点”から事を曲げて書く、ということも起りえない。この状態は私の『ある異常体験者の偏見』でも触れたが、一種の短い空白期間ともいうべき、非常に面白い時間――そして、比島の収容所の人間だけが味わったと思われる時間であった。思考への圧迫は一切皆無、軍事的圧迫はもちろん、アメリカ民主主義的圧迫もない。そこには、「お前はかく考えねばならぬ」という思想的権威が皆無の世界であった。

 軍国主義は消えた、しかし「民主主義者になれ」と強制されたわけではない。従って、そういう擬態も必要でない。軍国主義の絶対化が消えたという以外では、過去はそのまま存続しており、人びとはごく普通に、軍国主義なき時代の普通の日本人がもつ伝統的常識でごく自然に対象を見た一時期である。新しい「タテマエ」も、その「タテマエ」を表象する「民生日本」とか「文化国家」とかいったスローガンも、そのスローガンを戦争中同様に騒々しく”奉唱”し強制する言論機関も、何もなかった。第一、新聞もテレビもラジオもなかった。

 そして小松氏は、この位置で、まだ過去とは言えないほど身近な過去とそれにつづく現在を、そのままに見、そのままに記しているのである。

(後略)

676「訊け」管理人:2013/05/09(木) 10:46:17



 さて、本日の「山七さん」です。これも結構、おもしろいテーマです。題材は「専門家の口が封じられ、『雑識をつめこんだ幼児』の幼稚な意見が幅を利かす日本社会」というものなのですが・・・・・・まあ、山七さんの御文章です。私が語るよりも、読んでもらった方が早いでしょう。以下にさっそく、謹写させて頂きましょう。




677『無所属の時間』 1:2013/05/09(木) 10:47:09


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『無所属の時間』(山本七平著書)より謹写――

 ある対象に対して「好悪の感情」をもつことは各人の自由である。しかし「好悪の感情」の動きはあくまでもその人の「内心の問題」であって、その感情通りに「対象」が「変化」するわけではない――これは言うまでもないことだが、幼児にはこれが峻別できない。ところがこの人たちが開戦直前の日本に戻ってみると、日本人が全員これを峻別できなくなった幼児のように見え、そこで、その教授たちは呆然としていたわけである。作家のF氏が「……こんなことをいう人間が最高学府に籍を置いているとは、何としても信じがたい」としばし呆然としたのと、おそらく非常に似た状態であったろう。

 当時の日本人はみな少なくとも愛国者的感情は今より濃厚であったと思う。特に「排日のアメリカ」で、話を聞くだに不愉快な経験をした人びとは、一種「国粋主義的」ともいえる一面があった。そしてそういう人なればこそ、この幼児的状態に祖国の危機を感じて必死になって「事実認識が違う」と訴えはじめたわけである。

 だがそれは、ほんの短期間というより一瞬にして終わった。いや終わらざるを得なかった。そしてしまいには質問をされても、答えなくなった。ある教授はさびしそうに言った。「何をいっても無駄だ、何を言ったところで『アイツ、カプれて来やがった』で終わりなんだから……」。

 こういった状態、いわば「知っている人」が口がきけなくなり、「知らない人」が堂々と発言するという状態は、昔も今も、また対象がかわっても、変わりがないように見える。

(中略・・・つづく)

678『無所属の時間』 2:2013/05/09(木) 10:47:47


(つづき)

 人間が一つの「判断」を下し「意見」を述べることは、何らかの資料(インフォメーション)に基づくはずである。いかなる名医といえども、あらゆる方法による診察という直接的な資料蒐集に基づかねば診断すなわち判断は下せないし、従って意見を述べることはできない。これはすべての対象に対して同じであり、従って人は、判断なり意見なりを公にするときは、要請があれば、その判断や意見の基となった資料を提出する義務があるはずである。と同時に、何かの判断や意見を述べる時、人は自分がいかなる資料に基づいて、その判断・意見を述べているかを常に明確に自覚していなければならない筈である。

 何かを明確に知っている人は、自分が何を知り、何を知らないかを知っている。従ってそういう人は、意見を求められると、自分はそれに関する資料(インフォメーション)を全くもっていないから意見を述べることができない、という。人が「全知」でない限り、それは当然の返答であって、それ以外に返答があるはずはない。

 従ってこの世界に生起する多くのさまざまな問題に対して、殆どの人(もちろん私も含めて)が「知らない」、「わからない」と答えるのが当然であって、私は、はっきりとこう言える人が多いことは、非常に健全な状態だと思っている。というのは、そう答える人は、何か別の事なら「はっきりと知っている」事の証拠に他ならないからである。そして「知らない」と自己規定した人々の、自らの意志による沈黙が本当に「知っている人」の発言を引き出す事ができ、その人の知識を全体が検討し、かつ全体が共有できるのである。

 最初に述べた「街頭録音」で発言した人びとに「あなたは、いかなる資料に基づいてそう判断を下したのか」と問えば、おそらくすべての人が、ただ「何となく」何の確たる根拠もなく「そう思っている」にすぎないことがわかると思う。全く無根拠・無資料で断定を下す。
 そしてその断定たるや、断定された対象がそれを耳にすれば「抱腹絶倒」するような断定なのである。この状態が「言論の自由」の有無に関係ないことは、日支事変から太平洋戦争のときの状態と酷似していることからも明らかであろう。

 この状態をどのように克服するか、今の日本にとって最も重要な問題は、そして真剣に考うべき問題は、そのことであろう。

<了>

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679「訊け」管理人:2013/05/11(土) 04:15:53


○「心理的高揚」という”麻薬”を打ち続けた挙句、敗戦した日本〜

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『日本はなぜ敗れるのか』(山本七平著書)より謹写――

 確かに日清・日露にも多くの将号が出征したとはいえ、当時の日本の動員能力は2%以下であって、国民の98%は、実際には戦争への「心理的参加」のみで、日々の生活それ自休に、はっきりそれと意識できる変化もなければ、内地が戦場になったわけでもない。従って当時の新聞を読むと、その人々の心的態度は切迫感があるとはいえ、心情的にベトナムを支援している人びとの態度と、基本的には余り変わらない。ところが「事変」にすぎないはずの日中戦争は、あらゆる生活必需品を、徐々にしかし的確に身辺から奪っていく。しかも動員につぐ動員で、「兵隊にとられない」といえば「あの人、健康そうだけど、どこか体が悪いのじゃないかしら」と変な目で見られかねないのが実情である。しかも、報道管制は、何の実態も知らせてくれない。

 しかし現実に身辺では、何やら異常な変化が起り、しかも中国の戦線が膠着してどうにもならないこと、そしてどこまでいっても結着がなさそうなことは、否応なくだれにでもわかる。こういう状態におかれれば、だれでも「いや気」がさし「やる気」を失う。

 従ってここに小松氏の指摘する厭戦「国民が戦いに厭きていた」が生じた。言うまでもなくこの指摘は太平洋戦争を始めたその時点で既に「厭きていた」ということである。これは当然であって、以上のような状態におかれたら、どんな国、どんな組織であっても志気(モラール)の低下は避けられまい。

 もちろん軍は、このモラールの低下を知っている。そして知っているがゆえにあらゆる方法で人為的に「戦意高揚」を図ろうとする。
 この「人工的高揚」の庶物であるさまざまな「企画」は、やれ「祝典」やれ「旗行列・提灯行列」やれ「国民儀礼」やれ「壮行会」等の連続で驚いたことに、戦地ですらこの「景気づけ」をやっており、小松氏は次のように記している。

 <<【比島沖海空戦】往日飛来した米機動部隊に比島東方海上で大打撃を与えたという快ニュースにすっかリ喜んでしまった。タクロバンからは「米機動部隊は全滅セリと宣伝すべし」という命令がきたので町で戦勝祝賀会をやり、比人のブラスバンドが行進したり、…盆と正月が一度に来たような騒ぎだった。>>

 <<だがこれらは、自然発生的でないだけに、人びとはそれに心から同調できない。すると同調しない者を「敗戦主義者」の名のもとに糾弾する。糾弾されるのがいやだから、みな外面的に騒ぎ、騒ぎそのものを喜ぶことはあっても、その心底は、特にそれが終ったあとは、中年以上には一種の「シラケ」であり、「軍にはこまる」「軍にはこまる」が日常の挨拶のようになっていく。>>

 これは…「現実的解決を各人の心理的解決に置きかえよう」という行き方だから、社会とは、しばしば現実的解決と心理的解決が逆行するものだと知らない青少年層…および青年将校だけはこれに満足し、自らの心理的解決という虚構に基づく悲壮感で、逆に規実の社会を規制していこうという形になる。太平洋戦争への突入は、この心理的解決示現実の解決に先行してしまった行き方であり、従って当時の新聞は「暗雲一気にはれて……」と記したわけである。これは、当時の心情を最もよく表わしている言葉である。

 しかし、心理的「暗雲」が一気に晴れたことは、現実の問題が片付いたことではない。だが、その瞬間だけは、人は、片づいたような錯覚を抱く。しかし、いわゆる緒戦の大勝利なるものが勝利でも何でもないことは、現実を見れはすぐに気づいたはずである。
 たとえば、比島を例にとれば、比島攻略の作戦計画、編制準備を開始したのが、昭和16年8月9日であり、先遣隊のアパリ上陸は12月13日であって、この間、約4か月を要している。これは、一つの軍団が一つの作戦を準備から実行に移すにはどうしても必要な期間であり、大機甲師団群の大規模展開なら、もっと歳月を必要とするであろう。これに対してアメリカ側を見ると、コレヒドール陥落が17年5月6日、比島ビサヤ地区の攻略完了は5月21日である。日本側はこれで一応作戦完了だったわけだが、アメリカ軍のガダルカナル上陸は、それから三か月もたたぬ17年8月7日である。これは、まさに、日本軍の進出能力を見きわめた上での、間髪を入れぬ反撃といえる。だが当時、この反撃の早さの意味を、本当に知っていた者はいなかった。はじめは大本営すら、ガダルカナルという島の存在さえ知らなかったという。従って、その反撃の重要性は気づくわけがない。

(つづく)

680「訊け」管理人:2013/05/11(土) 04:16:24

(つづき)

 「心理的解決」を「現実的解決」と錯覚していたのであろう。この錯覚は、全軍、否、全国民にあった。錯覚がつづいている間は、日本側の抵抗はきわめて頑強であったが、それが錯覚と気づいた瞬間、以前より甚だしい士気の低下の低下を招き、すべての人間が実際にはやる気をなくしてしまう。そうなるとまた逆に人工的に志気を高揚させようとする。それがまた低下する、するとまた……でつづく循環はまるで、麻薬で高揚しているようなもので、切れると、前にもました脱力感と失望感となる。この悪循環は結局、最終的にすべての人間を虚脱状態にしてしまう。

 終戦と同時の、全日本的虚脱状態は、何も、短期間で生じたのではない。実は8年がかりで到達した状態なのである。そして「心理的高揚」「心理的解決」に同調しない者を「敗戦主義者」として糾弾する。…海軍山本大将、米内大将に「痰唾」を吐きかけたとて、それは、吐きかけた人開の「心理的解決」になるかもしれないが、現実の国際関係、軍事力の力関係に何らかの変動があるわけがない。従って、現実的解決には全く無意味なのだが、この「無意味」なことが、何かの意味をもつかの如き錯覚で、常にこれが行なわれるわけである。

 象徴的にいえば、太平洋戦争自体が、親米英派を超えて、米国に「痰唾」をはきかけて快哉を叫んだという形であり、従って「暗雲一気にはれた」心理的状態がつづく間と、その後の反動的な志気低下とが、最前線の状態にもはっぎりと現われてくるのである。


(〜後略)

681『ある異常体験者の偏見』:2013/05/13(月) 17:04:42

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『ある異常体験者の偏見』より謹写――

 「事実論」は思想・信条には関係ないから、「事実論」を思想・信条を基にして批判してはならない――という原則は、やはり新約聖書の時代からあるのだと思う。というのは「トマスの不信」という面白い話が出てくるからである。

「イエス・キリスト復活伝説」を知らない人はいないであろうし、今でも世界の多くの国で復活祭が祝われている。ところがイエスが処刑されて数日たって「イエスは生き返った」という噂が広まり、それを「事実」とするムードが盛りあがった時、弟子の一人であるトマスが言った。「私は(イエスの)その手に(十字架に釘づけされた)釘あとを見、自分の指をその釘あと(の穴)に差し入れ、自分の手をその脇に差し入れて(槍で突かれた痕を調べて)みなければ、決して信じない」と。

 非常に面白い事に、聖書はこのトマスの態度を少しも非難していないのである。彼らにとっては、そう思ったら、そういうのが当然なのである。

 まして「そんな事を言う奴は、イエスの弟子とは認めない」といったり、やれ不敬だの、不信仰だのといった罵詈讒謗を加えた、などという記録は全くなく、淡々とこれまたそう書いてあるだけである。

 日本国中が「天皇は現人神だ」と言った。勿論新聞もそう書いた。「お前はヤソだそうだが、どう思うか」「私は天皇のところへ行って、直接『私は現人神』だという言葉を聞き『疑うならこの手にさわってみよ』といわれて、その手にさわり、その感触から、成程これは人間ではない、やはり現人神だなあと感じない限り、そんな事は信じない」といったところで「トマスの不信」が当然とされる社会なら、たとえ戦争中でも、これは不敬でなく、むしろ尊敬のはずである。第一「信じない」という事は、自分の状態を正直に表明しているのであっても、客観的に「天皇は現人神でない」と断言しているわけではない。

 従ってそう私に質問した人間が、本当に天皇を現人神だと信じ、そう書いた新聞記者も本当にそう信じているなら「なるほどね、そういう機会があるといいね」というだけの筈である。ところが奇妙な事に、この「トマス的返答」が何にもまして徹底的に彼らを怒らせるのである。そしてその怒り方は実に壮烈なものであった。だが怒るという事自体が、その人自身が内心では天皇を現人神だと思っていない証拠である。


(つづく)

682『ある異常体験者の偏見』 2:2013/05/13(月) 17:05:27

(つづき)


 『百人斬り競争』でも同じであって、たとえ「出来る限りの資料を集めて、それを『釘あとに指を突っ込む』ぐらい徹底的に調べない限り事実とは信じない」と誰かがいったところで、これを事実だという人が本当に事実だと信じているなら、怒る筈はない。「どうぞ調べて下さい。何なら資料を集めてお手伝いしましょうか」というのが当然であって、生体実験をやってみろといったり「後は死あるのみ」といった葉書を送ったりする事はありえない。こういう事は常に、結局は事実だと強弁する人自身が内心では事実と思っていない証拠にすぎないのである。

 伝説というのは実に便利なものだから「トマスの不信」の物語では、八日後にトマスが弟子達と一緒にいるところに、不意にイエスが出現するのである。ところが面白い事に、前述のように弟子達がトマスを非難しないだけでなく、イエスも彼を非難しないのである。
 勿論「お前のような奴は弟子の資格がない。破門だ」などとはいわないで、いきなり手を差し出す。「指をここ(の穴)に入れろ、手を見ろ、手をのばして脇に入れろ……」といい、最後に有名な「見ずして信ずる者は幸いなり」という。

 しかしこの言葉は、その証拠を見せて、その上でその本人が言った言葉で、証拠を提示しえない他の弟子たちが、「見ないで『事実』という事にしろ」と強制した事ではない。それは絶対に誰もしていないのであり、それをする事こそ絶対に許されないのである。いずれにしても「トマスの不信は当然であって、そう思ったらそう言って少しも構わないだけでなく、そう思ったらそう言わねばならない。そうでなければ嘘になる。また彼がそう思ったという事を非難する権利は誰にもない。この事は『事実があったかなかったか』という事実論は、その人の思想・信条に関係はない」という事が当然の前提とされない限り、この伝説が生れてこないという事実も示している。

 北ヴェトナム軍がユエで市民を生埋めにして虐殺した、と『サンデー毎日』編集次長の徳岡氏が書いておられる。これが事実なら、それは徳岡氏の思想・信条とは関係なく事実だから、もし何らかの名目で氏を非難する者がいたら、その者の頭がおかしいといわねばなるまい。

 これは『百人斬り競争』でも同じだし「増原長官(註:増原内奏問題)の辞任問題の一面も同じであろう。「あった事」を「なかった事」にすると、正直に「あった」といった人間を「嘘つき」にしなければならない。
 そこである記者の話によれば彼を「捏造大臣という事にして」「記者団に虚偽の発表をした」という事にして辞職させたそうだが、これが事実なら、実に「二重の虚偽」である。そして「トマスの不信」を認めないと、人は必ずこの「二重の虚偽」に落ちていく。
 そしてこの場合は、落ちていくのは勿論与党だけでなく野党も同じである。私は実は以前から、戦前、軍部や右翼が天皇を政治に利用したやり方が、この「二重の虚偽」の逆用だと思っていただけに、今回の野党の動きは、ちょっとショックであった。

<了>

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683「訊け」管理人:2013/05/13(月) 17:11:08



>>トキ理事長

>>681〜の謹写文に関し>


 今回の「聖トマスの不信」ですが、非常に良質の論点だと思います。山七さんは、いつも「さすが」なんですが、私はこの「聖トマスの不信」のご指摘は特に素晴しいと思っております。

 いやこれ、ホントにそうですよね(^^)。「見るまで信じない」と云う率直さは、別に、非難の対象ではないはずです。でも、掲示板でのやり取りでは、そう云えない場面が多々あります。「事実を知るまでは信じない」とか云っちゃうと、途端に非難轟々です。・・・・・こういうのって、我々日本人の弱点ですよね。

 ところで掲示板ですが「聖トマスの不信を許容するもの」で、あって欲しいものです。頭ごなしの誹謗中傷って、やはり変ですよね。




684トキ:2013/05/13(月) 20:39:54
>>683

 ご投稿、ありがとうございます。

 「トマスによる福音書」は、最近、注目されていると本で読みました。

 それは、この本は、抹殺されているが、実は、生長の家の真理とほとんど同じ
内容だと言われているからです。閑話休題。

 掲示板というのは、まあ、試験の答案と同じですから、提出されたものだけで
判断がされます。自分が分かっているか、どうかではなくて、他の人が理解できる
か、どうかで判断がされます。

 その意味で、投稿をした場合、その内容の立証説明は投稿者様にあると思われ
ます。また、表現について、他の投稿者様から問い合わせがあった場合も、その件に
ついて、説明をする必要はあると考えています。

 ただ、宗教という問題を議論するので、最終的に結論がでない場合もあると思います。
その場合は、投稿者様同士では結論を出さず、閲覧者様の判断に任せるという事になる
と思います。

 と、言う事を考えていますが、これが正解か、どうかは自信はありません。

皆様のご意見も御願いする次第です。

合掌 ありがとうございます

685さくら:2013/05/15(水) 16:08:47
訊け管理人さま

さくらは「おんなこども」だから、(笑)普段こういう本を、ふだん、読まないのだけれど、投稿興味深く読ませて頂きました。

ある特異な組織体制の中で、
物事の、「光」と、「そうでない部分」、両方を見据えて、はじめて冷静に判断し考慮しようとするという…、
フツーの大人の姿勢が通じなくなる世界は、こわいですね。

人が高揚し、扇動され動かされるのは、短絡的な構図です、
善、悪。正、偽。聖、邪…。
一見分かりやすく、内部団結しやすいし、
こういう世界では、物事の本質を考えようとする人間はやっかいですから「排除」する方が楽です。

宗教も、こうした短絡思考を超えた、成熟した信仰を育てたいとおもいます。


…ほんとは、この話より、さくらは徳久先生の、「幸福な結婚生活」に、興味があるの。


>868

 
 そうですか(笑)。ところで貴女は、恋愛のご経験はおありですか?



………

これとか、ね…、

これはこれで、女子を集めて座談会することにしますわ。

さくら拝

686「訊け」管理人:2013/05/15(水) 16:22:18

>>685さくら


 山七さんは学生時代に、狂ったように読んだのよ(笑)。「いやこのオッサン(失礼)、判ってるわ」てな感じでね・・・・・余談だけど、ユニフォームの後ポケに単行本入れて、ノックの最中に読んだこともあったわ・・・(生意気な野球部員だわ・・・死刑だわ)

 で、この「聖トマスの不信」だけど、特に感銘を受けたのよ。いや、「それを見るまで信じない」という態度表明だけど、これって批判対象じゃないでしょう?なのに、これが「生意気な態度に解釈された」のが当時の私なんです。なので、山七さんを読んだ時は感銘を受けたなあ・・・・・

 例示されてあるけども、「天皇が現人神かどうか、自分で確認するまで信じない」 ―― こんな事、ウヨクの前で言ってごらんよ(笑)たいへんだから(笑)・・・・でも、考えてみるとこの種の態度って実に「誠実」なんだよね。聖トマスも実際、キリストからその後批判なんかされていない。「オマエはオレの復活を信じなかった!?コンチクショー」なこと、そんな非難は浴びていない(笑)。いや、これって健全な社会だと思うんだけどねえ・・・(オレは決して、西欧崇拝者では〝ない〟ケド、良い面は「良い」と云う・・・余談)

 「聖トマスの不信」を殺しちゃうような社会や組織は、・・・・・・・最後は滅亡するんだろうね。飛んだ話だけど「大和を沖縄特攻!?冗談でしょ」なんてこと、言えぬ社会や組織はやはり「弱い」んだよね。「そんなこと言うヤツは非国民」とか、言っている間にすべきこと。(※)これを忘れちゃダメだよねえ。

 ・・・・山七さんの話を開始すると、止まんなくなるんでこのヘンで(笑)



<註>

※ 「そんなこと言うヤツは非国民」とか、言っている間にすべきこと。

 このケースでやるべき事は、「大和を沖縄特攻の意義」でしょう。それを説明することであるハズです。しかし・・・・そんな説明をスキップし、相手を「非国民」とか言っているダケじゃ、ダメだよね。少なくとも、オトナでは〝ない〟よね(幼児だよな、そんな態度は)。

687神の子様:2013/05/15(水) 16:46:26
さくらは「おんなこども」だから、「男性専科 板」へお出まし?

688トキ:2013/05/15(水) 21:03:23
>>683

「訊け」管理人  様

 山本七平さんは、昔、読みました。確か、ルソン島の第10師団(通称「鉄」師団)に配属されていたときの経験を書かれていたと
記憶しています。山本さんは、陸軍将校でしたが、士官学校ではなく、予備士官学校、つまり幹部候補生出身の将校でした。これは、
旧制中学卒業以上の人が試験を受けて合格したら、速成教育で下士官や将校になれる制度でした。

 ただ、面白いのは、戦記本を読むと、幹部候補生出身の将校のほうが、正規の士官学校出の将校よりも、戦闘が上手だったという
人が多かった事です。これは、山本さんの本ではないですが、ビルマ戦線などで、例えば、砲兵が退却する場合、士官学校出の将校
は、無理だという状況でもマニュアル通りに大砲を引っ張って退却しようとして無駄に部下を殺したが、幹部候補生出身の将校の場合、
これは無理だ、という状況では、大砲の重要部を爆破して使えなくして、その上で人員だけを退却させたので、損害が少なかったとい
う話も聞いています。つまり、視野が広くて、柔軟な判断が出来たということです。

 それで思い出したのが、谷口雅春先生が、生長の家の講師は、原則、普通の仕事をしなければならない、という規則を定められた
事です。いわゆるプロの宗教家が、視野が狭く、排他的で独善的な傾向が強いのを危惧した谷口雅春先生が、一般の人の常識も大事
にされた証拠だと思います。

 信仰という面では純粋性は大事ですが、実践という場では、やはり、視野を広く持つ事が大事だと思った次第です。

689さくら:2013/05/15(水) 21:16:46
>>686

>>余談だけど、ユニフォームの後ポケに単行本入れて、ノックの最中に読んだこともあったわ・・・

…こんな野球部員って…、むかしから、訊け監督らしいですね、笑。

>だがそういう議論は私には高級すぎるので、ここでは省くが、いずれにしても、「トマスの不信は当然であって、そう思ったらそう言って少しもかまわないだけでなく、そう思ったらそう言わねばならない。

そうでなければ嘘になる。
また彼がそう思ったということを非難する権利はだれにもない。

このことは『事実があったかなかったか』という事実論は、その人の思想・信条に関係はない」ということが当然の前提とされない限り、この伝説が生れてこないという事実も示している。<


面白いですね、聖トマスの不信。

確かに、「疑う→確かめる→信じる」というプロセスは、とても誠実な姿勢ですね。
そのものに、真摯に向き合おうというような、むしろ肯定的な態度だと感じます。

その姿勢そのものが否定されるのは、おっしゃるように、健全な組織でも社会でもじゃないですしね。

(一番エライ指導者イエスの態度が、さすがですよ。
宗教のエライ幹部とかトップとか指導者に疑問呈するのは、組織内部の人間にはたいへんなことだものね、笑。)


余談。

宗教なんかで、「確かめないと信じられない」ことは、不信とみなされるかもしれませんけど、
…かんがえたら、悟りを開いた方の内的プロセスって、結構、この道程をたどっているともいえるかもしれないですね。
次元が違いますけど。
(雅春先生も、現象を疑って否定して、その果てに実相独在をお悟りになれた、とか。)

トマスのこの不信のはなしも、宗教的に考えると、
これはただの「事実確認をしたから信じた」、という以上のことが、トマスの中では、起こったんではないですかね。
(…そうじゃなかったら、人の身体の釘穴に指突っ込まれたからって、信じないからふつう)
訊けさまが話す生長の家の「体験」に対する信心も、このことに通じるところがある気がするんですけど。

ご利益とか奇跡による因果関係で信じる、ということではなくて
その「体験」そのものによって、内部にある神聖が確信させられる、とか、内部に神聖なものと出会って変革が起きる、とか…。
そういう感覚が、「信仰体験」にはありますから。

…わかります?
ま、はなしが分かりづらかったらいいです。

えっと。たしかここは、オトナのジョーダン(下ネタ含む)が通じる女子は、出入りして良いんですよね?

690志恩:2013/05/15(水) 21:30:17
トキ様

山本七平さんは、男が 惚れる作家のようですね。

実は、私の夫も、昔、山本七平の本が好きで、よく読んでいました。うちの本棚にも
山七さんの著書が数冊あります。

それから、今から15年程前のこと、私事ですが、ぎっくり腰になりまして、
近所の整形外科医院へ診てもらいに行きましたところ、夕刻どきの雨ふりの日のせいか、

がらがらに病院が空いていて、待合室には、誰も居ないし、診察室に 
はいりましたら、50代前半の院長と、私と二人だけだったんです。

そのとき、よほど、院長は閑だったのか、なにを思ったのか、わかりませんが、
私相手に、語る、語る、
自分のすきな山本七平について……。これ、ほんとうの話ですよ(笑)

院長が言うには、医者という職業はストレスが多い職業なのだそうです。
ぼくの父親も医者だったが、救急医院に
してたから、ストレス大で、早死にした。だから、ぼくは、救急医院には、しなかったの。。
長生きしたかったからね。

看護婦だって、なかなか、院長のいうこと聞かないもんなんですよ。それで、ぼくは、
そんなこんなで、ストレスが溜まったときは、いつも、きまって、山本七平の本を読むのよ。

するとね、胸がすっとして、ストレスが消えるのよ。。と、1時間くらいでしたか、
1人で、延々と、ぎっくり腰の 私という患者相手に語っていました。

あの、雨の日の、なんとなく けだるく ゆうつな 暗い診察室のひとときを,山本七平で
思い出しました……。(笑)

691志恩:2013/05/15(水) 21:31:34
あれれ、ここ、男性の部屋でしたか。失礼しました。

692「訊け」管理人:2013/05/16(木) 07:27:29


高田純次bot ‏@TakadaJunji 5月9日


 「おじさんはいいかげんな性格って言われるけど下半身もいいかげんなんだ」





693「訊け」管理人:2013/05/16(木) 07:28:24


 あっ、純次じゃなく「山本七平」さんだった・・・オレとしたことが。





694「訊け」管理人:2013/05/16(木) 08:04:07

 えええと、さて・・・・性格が、(アルファベットの)“Z”のカタチしてます「訊け」管理人です。「山七先生WEB誌友会」にようこそ。


>>トキ理事長


 ああ、山七さんは「鉄師団」だったのかあ・・・・・・なのに、鉄不足で悩まされたのは皮肉ですねえ(BGM:島倉千代子「人生いろいろ」)。ところで武田鉄也ですが名前の由来が、「鉄(弾丸)不足」だったとかでオモシロイんですが(※)、余談も余談になりますんで止めておきます(笑)。

 さて〝幹候〟将校は確かに柔軟性があったみたいですね。「社会経験があった」のも一因ですしその点は、「中学校から軍隊シカ知らない」という〝士官〟出将校との違いでしょう。これは祖父もよく言っておりました。「士官出は上陸初日にバタバタ死んだ」「弾丸が飛んで来る中で、身を乗り出しておったからだ」(・・・・ちなみに、生き残った祖父は〝幹候〟出w)

 ところでこの、社会経験の有無ですが、これ以外にも山七先生はオモシロイ話を披露されておられました。いやその、「なんで〝幹候〟将校は優秀だったの?」に関する話なんですが要因としては、(ミモフタモないストレートになりますが)「出世の芽が無かったから」というものでした(笑)。いや、士官学校出は出世があります。これからは少佐はおろか「大将」の地位を目指します。当然「上」の顔を伺いながら部下を率いるわけです。ところが一方の〝幹候〟は、出世出来ません(笑)せいぜい「陸軍大尉」で退官です。ですんで、「ええい、やっちまえ」になりがちだったとか・・・・(笑)いやこの、「やっちまえ」とは、「上の言うことにいちいち『ハイ』なんて言ってたら、部下が全員戦死だ」みたいな、そんな意味です。まあ、〝幹候〟だったら生きて帰れるカモな期待、二等兵クラスは持ったみたいですね(で、士官学校出が小隊長の部隊は・・・・・・・死を覚悟したとか)

 でもまあ、以下のトキさん談には同意です。

――――――――――――――

それで思い出したのが、谷口雅春先生が、生長の家の講師は、原則、普通の仕事をしなければならない、という規則を定められた
事です。いわゆるプロの宗教家が、視野が狭く、排他的で独善的な傾向が強いのを危惧した谷口雅春先生が、一般の人の常識も大事にされた証拠だと思います。

――――――――――――――


 ・・・・ずっと宗教の世界しか知らないってのも、問題でしょうね(^^)。いやたぶん(笑)。そんな意味では、いろんな仕事を持つべきですよね。そしてさらには、夜の街にも出て行くべきですよ、ええ(・・・・自己正当化)。



<註>

※ 武田鉄也の名前の由来は「鉄(弾丸)不足」

 戦地でお父さんが、弾丸不足に悩んだと。それで、生まれた子には「鉄不足で悩まされぬ様に」とのネガイを込めて、「鉄也と命名」・・・・まあ武田鉄也にまつわる、ちょっと「どうでもいい話」で御座いました。

695「訊け」管理人:2013/05/16(木) 08:36:51

>>さくら

>>えっと。たしかここは、オトナのジョーダン(下ネタ含む)が通じる女子は、出入りして良いんですよね? <<

 そうです。「永田町から歌舞伎町まで」「マザーテレサから高田純次まで」 ―― このスレが取扱うネタは、こうなります。かなり広範な範囲になりますんで、沸点の非常に低いところの、「けしからーん!」てな言葉が口癖の「愛国女子系」は、来ない方が無難でしょう。激怒されること、必至です。・・・・・・・で、さくら様は掲示板情報では、「頭がオカシイ」ご様子ですね?安心してご参加ください。さて・・・・


――――――――――――――
面白いですね、聖トマスの不信。
確かに、「疑う→確かめる→信じる」というプロセスは、とても誠実な姿勢ですね。
そのものに、真摯に向き合おうというような、むしろ肯定的な態度だと感じます。
その姿勢そのものが否定されるのは、おっしゃるように、健全な組織でも社会でもじゃないですしね。

(一番エライ指導者イエスの態度が、さすがですよ。
宗教のエライ幹部とかトップとか指導者に疑問呈するのは、組織内部の人間にはたいへんなことだものね、笑。)
――――――――――――――

 いやホント、そうだよなあ。まあ無論、礼を失してはならないワケだけどもたとえば上司も、部下が「私は見るまでは信じません」と言われたら称賛せねばならぬよね(笑)。いやホント、そんな奴は優秀だと思うもんね。「こいつは、洗脳されにくいな」てな風でね。

 で、こういうヤツに限って理解したら早いのよね(^^)。理解したらもう、猛進すると思うんだわ・・・・だから、こんなヤツを「生意気なヤツ」とか排除しているような組織あらば、ダメだろね・・・

――――――――――――――
宗教なんかで、「確かめないと信じられない」ことは、不信とみなされるかもしれませんけど、
…かんがえたら、悟りを開いた方の内的プロセスって、結構、この道程をたどっているともいえるかもしれないですね。
次元が違いますけど。
(雅春先生も、現象を疑って否定して、その果てに実相独在をお悟りになれた、とか。)
――――――――――――――

 ぜったい、そう言えるよね。雅春先生だって「聖トマスの不信」を、表明される方だと思うわ・・・・いや一度、雅春先生だって「神はいない」と断言されたワケだからね。「自分がそう信じられるまで、神はいないと述べる」という態度だけど、これってトマスだよなあ。そして、このプロセスって、必要だよねえ。

 もしも、〝自作の問い〟もなくいきなり「神を信じます!!」てな人あらば、それはそれでアブナイ気がするもんね・・・・・「霊が!霊が見えます!」系の(笑)そんな人にコロリと騙されちゃうのは「聖トマスの不信」の、ない人じゃなかろうか・・・

 ・・・・まあいずれにせよ山七さんは、「オモシロイ」のよ。おもしろい論点を多々、お持ちの方と言えますね。そして、「あ!」てな気づきを与えてくださる先生です。以後も紹介して行きます。



696「訊け」管理人:2013/05/16(木) 08:38:48


>>690志恩さん

 たぶん山七先生ファンのその「お医者さん」ですが、オンナに苦しめられたんだと思います。ええ、「理屈、通じねえーなー」なそんな、悩みをお持ちだったハズです。そんな男性にとって山七先生は、最高の幸せをくださる方なのです。

 いやーホント、オンナはメンドクサイです。(笑)




697神の子様:2013/05/16(木) 10:29:25
メンドクサイなら相手にしなければいいのにw

698志恩:2013/05/16(木) 11:53:55
訊けさんは

オンナに苦しめられたせいで、山本七平に 走ったのだね。

699神の子様:2013/05/16(木) 14:40:05
訊けさんもめんどくさいうちの男に入ります(笑)

700栄える会B:2013/05/16(木) 14:46:47
愛国女の敵それが訊けですw

愛国!!な女を議論で平気で泣かす男です。ご注意をw

701神の子様:2013/05/16(木) 15:09:28
自分で言ってどうするw

702「訊け」管理人:2013/05/16(木) 16:28:18

>>700栄える会B(独身)殿


 今日も実に仕方なく、キャバクラへ行くことになりました。ああ、メンドクサイメンドクサイ。だって、仕事なんですもの、行かざるを得ません。ああ、メンドクサイメンドクサイ・・・・・・



追伸

 ついでにオレさま、饅頭が怖い。(あと、現金も怖い)

703神の子様:2013/05/16(木) 19:27:12
自分に返答してどうするw

704「訊け」管理人:2013/05/16(木) 22:16:44

>>703


 私のHNが「ありがとう」だったらば、ただじゃ済まない書き込みですよ。



拜(笑)

705さくら:2013/05/16(木) 22:44:36
> ・・・・まあいずれにせよ山七さんは、「オモシロイ」のよ。おもしろい論点を多々、お持ちの方と言えますね。そして、「あ!」てな気づきを与えてくださる先生です。以後も紹介して行きます。

オトナのはなし、よろしく。

706「訊け」管理人:2013/05/17(金) 06:59:01

>>オトナのはなし、よろしく。<<


 しょうがねえな、子猫ちゃん・・・・・・



 付いて来れるかい?これが、オトナの世界だ・・・・




↓オトナの世界【ハイレベル】























高田純次 on ‏twitter
「この間、黒い雲からヒョウが降ってきたよ。ライオンじゃないよ」


高田純次 on ‏twitter
「オレは役作りのためなら身長も2メートルに伸ばすよ」


高田純次 on ‏twitter
「パリは寒い時に行くとイイよ。行ったことないけど」


高田純次 on ‏twitter
「渡辺正行の合コンで目の前に『可もなく不可もなくのコ』が座ってきたんで、人生を語ってやったよ」


高田純次 on ‏twitter
「餃子はラーメン屋でよく売ってるよね え!知ってたの」

707神の子様:2013/05/17(金) 07:52:11
>>704
なぜここでまたありがとうさんが出るのだ。あなたこそ怒られますよ(笑)

708「訊け」管理人:2013/05/17(金) 08:37:43

>>707さん


 森進一の声で電話に出たら、セキこんじゃったのよ。だからそれ以来、俺は、ナリスマシはしてないんだ。




709「訊け」管理人:2013/05/17(金) 08:45:46

>>707さん

 あと、「森進一」だけど、オレの伯父さんだって知ってた?














 ・・・・ウソだけど。



710「訊け」管理人:2013/05/17(金) 08:52:30


――――――――――――――
>>705 名前:さくら 投稿日: 2013/05/16(木) 22:44:36
> ・・・・まあいずれにせよ山七さんは、「オモシロイ」のよ。おもしろい論点を多々、お持ちの方と言えますね。そして、「あ!」てな気づきを与えてくださる先生です。以後も紹介して行きます。

オトナのはなし、よろしく。
――――――――――――――


 今日はなんか、気分じゃないわ。なぜか知らんが〝六平〟くらいだわ、今日の山本度は・・・・なので今日は、お休みな。(山七さん文)




711「訊け」管理人:2013/05/17(金) 08:57:01


「訊け」on ‏twitter

「昨日キャバクラで安倍サンの悪口言ってたらね。バチが当って延長料金、とられたよ」

712「訊け」管理人:2013/05/17(金) 09:01:17

「訊け」on ‏twitter

「あ、陰陽師の『安倍清明サン』じゃないぜ?オレが悪口言った相手」

713「訊け」管理人:2013/05/17(金) 09:05:47

訊けon ‏twitter

「携帯の待ち受けが『徳久克己』なのは、日本でオレひとりだと思うんだ」

714「訊け」管理人:2013/05/17(金) 09:32:26

「訊け」on ‏twitter

「スベっているのは、わかっているんだ。」

715「訊け」管理人:2013/05/17(金) 09:35:07
「訊け」on ‏twitter

「ギャグよりも『ギャグがスベった』て話が、一番うけるんだ」

716「訊け」管理人:2013/05/17(金) 09:37:37
「訊け」on ‏twitter

「これが悔しいんだ(>>715)」

717さくら:2013/05/17(金) 09:43:58
>>705
いいよ、いいよ、監督、笑。
あそびなさい、あそびなさい。
(あっちでは、司会を拝命したおエライさんなんだから、もうこっちでしかおふざけは、できないよ、^ ^)


おことはあそんどかないと…おとなになりきれないみたいだからね…
あ、あそんでばっかりでも、大人になりきれてないみたいね、(^^)

718さくら:2013/05/17(金) 09:45:54
訂正、、
おこと*おとこ。


きのう、さくらも、飲みましたので…
しつれい、、

719「訊け」管理人:2013/05/17(金) 09:56:43
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11788/1345969739/895

↑さくら投稿文

「訊け」on ‏twitter

「これ読んだら、6.5平くらいになったんだ。(現在の山本度)」

720「訊け」管理人:2013/05/17(金) 09:58:25
(あっちでは、司会を拝命したおエライさんなんだから、もうこっちでしかおふざけは、できないよ、^ ^)


「訊け」on ‏twitter

「福本(阪急ブレーブス)は国民栄誉賞を辞退したんだけど、理由が『そんなモン受賞すると、立ちションできなくなるから』だったんだ」

721「訊け」管理人:2013/05/17(金) 09:59:07
「訊け」on ‏twitter

「ちなみに>>720は実話なんだ」

722「訊け」管理人:2013/05/17(金) 10:16:01

「訊け」on ‏twitter

「でも俺は、司会もするけどキャバにも行くんだ」

723「訊け」管理人:2013/05/17(金) 10:16:50
「訊け」on ‏twitter

「でもさすがに『いや〜昨日はキャバで』なんて、WEB誌友会板には書かないんだ」


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