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男性専科 板

670『一下級将校の見た帝国陸軍』:2013/05/08(水) 08:37:15

<妄想の絶対化>

 相変わらず横行しているのが、「アメリカはアジアの心を知らなかった」というような言葉である。だがそういう言葉を口にする人は、「アジア」という語の意味内容を、その内心で真剣に検討したことがあるのであろうか。「アジアはない」。この言葉にはすぐ反論が出るだろう。これは日本人のタブーに触れる言葉だから、激烈な反論かもしれない。では次のように言いなおしてもいい。

 「われわれが頭の中で勝手に描いているアジアとかアジア人の心とかいった概念に適合する対象は、現実にはどこにも存在しない」と。

 三十年前(註:大東亜戦争)、何百万という人が、入れかわり立ちかわり、東アジアの各地へ行った。私もその一人だった。そして現地で会った人びとが、自分のもっているアジア人という概念に適合しなかったとき、

 「こりゃわれわれの“見ずして思い込んでいるアジア人という概念”が誤っているのではないか、否、この広大なユーラシア大陸の大部分を占める地に“アジアといった共通の像”があると一方的にきめてしまうのは誤りで、単なる一人よがりの思い込みではなかったのか?」

 と反省することができたなら、日本の犯した過ちはもっと軽いものであったろう、と私は思う。われわれは、否、少なくとも私は、残念ながら当初は、そういう考え方、見方ができなかった。そして、自己の概念に適合しない相手を見たとき、多くの人と同じように私も、いとも簡単に言ってのけた。「ピリ公なんざアジア人じゃねェ」。ピリ公とはフィリピン人への蔑称である。そして、アジアの各地で、実に多くの人がこれと似た言葉を口にしていたことを、戦後に知った。

 これはどういうことであろうか。自己の概念に適合しなければ、自己の同胞をすら「非国民め」と村八分にする精神構造から出た「非アジア人め」という相手を拒否する言葉だと思うが、一体なぜわれわれは、こういう場合、自己のもっている“アジアという概念”の方を妄想と思えないのであろうか。一体なぜ、甚だ茫漠として明確でない自己の概念 ―― というより妄想 ―― を絶対化するのか。「アメリカはアジアの心を知らなかった」と言うなら、そう言う人は、「アジアの心」とやらを、本当に知っているのか。そしてそれは、その心を探し求めて、全アジアを経めぐった上で形成された概念なのか?


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