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男性専科 板

689さくら:2013/05/15(水) 21:16:46
>>686

>>余談だけど、ユニフォームの後ポケに単行本入れて、ノックの最中に読んだこともあったわ・・・

…こんな野球部員って…、むかしから、訊け監督らしいですね、笑。

>だがそういう議論は私には高級すぎるので、ここでは省くが、いずれにしても、「トマスの不信は当然であって、そう思ったらそう言って少しもかまわないだけでなく、そう思ったらそう言わねばならない。

そうでなければ嘘になる。
また彼がそう思ったということを非難する権利はだれにもない。

このことは『事実があったかなかったか』という事実論は、その人の思想・信条に関係はない」ということが当然の前提とされない限り、この伝説が生れてこないという事実も示している。<


面白いですね、聖トマスの不信。

確かに、「疑う→確かめる→信じる」というプロセスは、とても誠実な姿勢ですね。
そのものに、真摯に向き合おうというような、むしろ肯定的な態度だと感じます。

その姿勢そのものが否定されるのは、おっしゃるように、健全な組織でも社会でもじゃないですしね。

(一番エライ指導者イエスの態度が、さすがですよ。
宗教のエライ幹部とかトップとか指導者に疑問呈するのは、組織内部の人間にはたいへんなことだものね、笑。)


余談。

宗教なんかで、「確かめないと信じられない」ことは、不信とみなされるかもしれませんけど、
…かんがえたら、悟りを開いた方の内的プロセスって、結構、この道程をたどっているともいえるかもしれないですね。
次元が違いますけど。
(雅春先生も、現象を疑って否定して、その果てに実相独在をお悟りになれた、とか。)

トマスのこの不信のはなしも、宗教的に考えると、
これはただの「事実確認をしたから信じた」、という以上のことが、トマスの中では、起こったんではないですかね。
(…そうじゃなかったら、人の身体の釘穴に指突っ込まれたからって、信じないからふつう)
訊けさまが話す生長の家の「体験」に対する信心も、このことに通じるところがある気がするんですけど。

ご利益とか奇跡による因果関係で信じる、ということではなくて
その「体験」そのものによって、内部にある神聖が確信させられる、とか、内部に神聖なものと出会って変革が起きる、とか…。
そういう感覚が、「信仰体験」にはありますから。

…わかります?
ま、はなしが分かりづらかったらいいです。

えっと。たしかここは、オトナのジョーダン(下ネタ含む)が通じる女子は、出入りして良いんですよね?


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