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男性専科 板
679
:
「訊け」管理人
:2013/05/11(土) 04:15:53
○「心理的高揚」という”麻薬”を打ち続けた挙句、敗戦した日本〜
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『日本はなぜ敗れるのか』(山本七平著書)より謹写――
確かに日清・日露にも多くの将号が出征したとはいえ、当時の日本の動員能力は2%以下であって、国民の98%は、実際には戦争への「心理的参加」のみで、日々の生活それ自休に、はっきりそれと意識できる変化もなければ、内地が戦場になったわけでもない。従って当時の新聞を読むと、その人々の心的態度は切迫感があるとはいえ、心情的にベトナムを支援している人びとの態度と、基本的には余り変わらない。ところが「事変」にすぎないはずの日中戦争は、あらゆる生活必需品を、徐々にしかし的確に身辺から奪っていく。しかも動員につぐ動員で、「兵隊にとられない」といえば「あの人、健康そうだけど、どこか体が悪いのじゃないかしら」と変な目で見られかねないのが実情である。しかも、報道管制は、何の実態も知らせてくれない。
しかし現実に身辺では、何やら異常な変化が起り、しかも中国の戦線が膠着してどうにもならないこと、そしてどこまでいっても結着がなさそうなことは、否応なくだれにでもわかる。こういう状態におかれれば、だれでも「いや気」がさし「やる気」を失う。
従ってここに小松氏の指摘する厭戦「国民が戦いに厭きていた」が生じた。言うまでもなくこの指摘は太平洋戦争を始めたその時点で既に「厭きていた」ということである。これは当然であって、以上のような状態におかれたら、どんな国、どんな組織であっても志気(モラール)の低下は避けられまい。
もちろん軍は、このモラールの低下を知っている。そして知っているがゆえにあらゆる方法で人為的に「戦意高揚」を図ろうとする。
この「人工的高揚」の庶物であるさまざまな「企画」は、やれ「祝典」やれ「旗行列・提灯行列」やれ「国民儀礼」やれ「壮行会」等の連続で驚いたことに、戦地ですらこの「景気づけ」をやっており、小松氏は次のように記している。
<<【比島沖海空戦】往日飛来した米機動部隊に比島東方海上で大打撃を与えたという快ニュースにすっかリ喜んでしまった。タクロバンからは「米機動部隊は全滅セリと宣伝すべし」という命令がきたので町で戦勝祝賀会をやり、比人のブラスバンドが行進したり、…盆と正月が一度に来たような騒ぎだった。>>
<<だがこれらは、自然発生的でないだけに、人びとはそれに心から同調できない。すると同調しない者を「敗戦主義者」の名のもとに糾弾する。糾弾されるのがいやだから、みな外面的に騒ぎ、騒ぎそのものを喜ぶことはあっても、その心底は、特にそれが終ったあとは、中年以上には一種の「シラケ」であり、「軍にはこまる」「軍にはこまる」が日常の挨拶のようになっていく。>>
これは…「現実的解決を各人の心理的解決に置きかえよう」という行き方だから、社会とは、しばしば現実的解決と心理的解決が逆行するものだと知らない青少年層…および青年将校だけはこれに満足し、自らの心理的解決という虚構に基づく悲壮感で、逆に規実の社会を規制していこうという形になる。太平洋戦争への突入は、この心理的解決示現実の解決に先行してしまった行き方であり、従って当時の新聞は「暗雲一気にはれて……」と記したわけである。これは、当時の心情を最もよく表わしている言葉である。
しかし、心理的「暗雲」が一気に晴れたことは、現実の問題が片付いたことではない。だが、その瞬間だけは、人は、片づいたような錯覚を抱く。しかし、いわゆる緒戦の大勝利なるものが勝利でも何でもないことは、現実を見れはすぐに気づいたはずである。
たとえば、比島を例にとれば、比島攻略の作戦計画、編制準備を開始したのが、昭和16年8月9日であり、先遣隊のアパリ上陸は12月13日であって、この間、約4か月を要している。これは、一つの軍団が一つの作戦を準備から実行に移すにはどうしても必要な期間であり、大機甲師団群の大規模展開なら、もっと歳月を必要とするであろう。これに対してアメリカ側を見ると、コレヒドール陥落が17年5月6日、比島ビサヤ地区の攻略完了は5月21日である。日本側はこれで一応作戦完了だったわけだが、アメリカ軍のガダルカナル上陸は、それから三か月もたたぬ17年8月7日である。これは、まさに、日本軍の進出能力を見きわめた上での、間髪を入れぬ反撃といえる。だが当時、この反撃の早さの意味を、本当に知っていた者はいなかった。はじめは大本営すら、ガダルカナルという島の存在さえ知らなかったという。従って、その反撃の重要性は気づくわけがない。
(つづく)
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