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男性専科 板
661
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『日本はなぜ敗れるのか』(山本七平著書)
:2013/05/07(火) 08:53:45
昭和19年4月末、私(山本七平)は門司の旅館にいた。…皆ここで船に積まれ、どこかに送られる。大部分が恐らく比島であろう。アメリカの潜水艦は日本全体が緒戦の″大勝利″の夢からまだ醒めぬ18年の9月に、既に日本の近海で自由自在に活躍していた。潜水艦による輸送船の沈没は、原則として一切新聞に出ない。従って以下に記す小松氏の記録は、18年当時の海没の、まことに珍しい「目撃者の記録」である。
《…目下の戦況では台湾危じと直感し、内台航路の危険を冒して内地に引揚げる事に決心し…台東を九月七日に出発した。…家族一同どうやら同じ船で内地へ行く事になった。…27日の夜半突然の砲声に一同飛び起きる。船は全速でジグザグに逃げまどう。…そして爆雷の音がしきりに響いてくる。》
《…突然、すぐ目の前にいた富士丸の胴体から水煙があがった。やられたと船室に飛び込み子供等に用意をさせる。窓から見れば富士丸はもう45度に傾き次いで棒立となって沈んでしまった。雷撃後3分30秒であっけなく姿を消した。》
《我々の船は全速で逃げ四時間後に再び富士丸遭難地点に戻り救助にかかる。又やられはせぬかと気が気でない。沖縄からきた飛行機が二機、潜水艦を探している。富士丸の遭難者の大半を救助した頃、我々の船めがけて三本の雷跡。慌てて室に帰る。船は急旋回。その時、ドスンと大きな音がした。》
《もうだめだ。が、幸い魚雷は不発で助かった。船からは大砲を乱射する、爆雷は落す、全速で逃げまわる。生きた心地はない。門司までの一昼夜は実に長い、嫌な、命の縮まるような思いをした。…三十日無事神戸港に入港した。…》
結局、台湾を出港した当時の最優秀船三隻は、駆逐艦と航空機に護衛され、自らも対潜水艦用の砲を搭載しながら、三隻とも雷撃をうけた。小松氏の乗った欧緑丸が無事助かったのは、奇蹟的に魚雷が不発だったというだけである。これがその約半年後の昭和19年4月となると、あらゆる面で、危険の度は倍増も三倍増もしていた。氏は雷撃をうけた富士丸が、わずか3分30秒で沈んだと正確に時間を計っておられる。
三分半、これは、不意の衝撃から脱出するには、決して十分な時間とはいえないが、しかし、全員はともかく、一部のものには脱出が可能である。だが私が乗船したころには、米軍の魚雷が高性能になるとともに日本側は老朽船のみになっており、平均15秒で沈没した。救出者は通常ゼロ、三千人を満載した船で、五人が奇蹟的に助かった例もあったそうである。秘密は、少なくとも組織の内部では完全には守れない。動員下令で原隊を去り、乗船したはずの者がすべて一切の消息を絶てば、だれでも不審に思わざるを得ない。だが全員海没すれば「死人に口なし」で、噂の″火元″さえなくなってしまう。また奇蹟的に助かった者がいても、そのまま南方へ運ばれ、音信不通となる。
とはいえ何やら押さえつけるような不気味な雰囲気と、対潜水艦ノイローゼとでもいいたい上層部の、気違いじみた防諜々々の訓示から、逆に、恐るべき状態がひしひしと迫って来ているのはわかった。門司の宿舎では、電話も手紙も町の人と口をきくことも禁じられていた。出航がいつかはもちろんわからない。…何日目かおぼえていない。乗船に関する命令と指示があるから、明日一時に、輸送指揮官・先任将校・連絡係の三名が、船舶輸送司令部に出頭せよという通知があった。…「ワシらの乗る船はきっと桟橋に横づけになっトルだろう。山本、先に船を見て、それから司令部へまわろう」先任将校のS中尉は私にそういい、二人は、少し早目に宿舎を出た。…二人は…海へとのびる桟橋へと歩いた。そこには、うす汚れた一隻の船が横づけになっていた。
近づいてみると、恐怖すべきボロ船であり、一見してスクラップであった。それも道理、後で聞いたことだが、この船は船名が玉鉾丸、船齢すでに27年、最高速度5ノット半という、当然、廃船とすべき代物であった。だが…不思議に常に無事帰航したという″奇蹟の船″でもあった。乗船してから船員が語る処によると「5ノット半の船が戦場をウロウロしているなどという事は、アメリカ人の常識では到底考えられない。そこでいつも魚雷の照準を間違えるから無事なのでしょう」という事だった。だがその時は、勿論そんなことは知らない。ただ、雨の中にぼんやりと見える、異様にうす汚れ、「汚れ色」としかいえぬような色をして、至る所からシューシューと蒸気がもれ、何ともいえぬ悪臭を放っている浮ぶスラムを、しばし果然と眺めていただけである。
(つづく)
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