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「本流対策室/4」

305SAKURA:2012/10/18(木) 18:14:52 ID:9C6FqmhU
トキ様 へ ・ 観覧者の皆様 へ―――
こんばんは……  ロ―マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>298の“トキ様の投稿”に関しまして……
>>296>>297の” SAKURA” 投稿の続きです…

■【 分派…の皆様方 】の“言葉”から、何を学びとるのでしょうか〜〜〜???
「雅春先生の言葉…」引用のみです。…が? 「具体論…身近な体験談?」は、どこに?いって
いるのかしら〜〜〜ン!
ただ【感情論…】ばかりで“哲学的な解説”を頂きますと、その方の“考え方?捉え方?”この
尺度がこちらの方も分かりますので…次なる【ステップ…】へ行けるのでは?ないのでしょうか?

■ 益々【現 象 世 界】ですかしら〜〜〜ン…?

私が思いますには、「雅宣先生の御文章」の理解が出来れば……
「雅春先生の理解…」は、ある面では“超〜〜〜簡単!”に、なのでは??と思います。
まず「雅春先生の本」を読んで、深く〜深く〜読んでいきます内に、益々として、
「雅宣先生の理解…」が、出来ますのでは?この様な感じを受けます昨今です。…が?

私は、先程【 うのはなさんの直接引用 】をはじめて、拝読させて頂きましたが……?
これは本当に!どの様なる根拠で??何がいいのか??“お話…”からいいますと〜〜〜?
従いまして、このように“素晴らし〜〜〜イ!書籍本の引用”を、読んでいきます内に、更に、
繰り返し〜繰り返し〜て読んでいきます内に、【人それぞれの体験談…】を“言葉”によって、
表現されるのではないでしょうか??
❤〜 そうですネ!ごく“身近なところでの体験”から“お話…”が出来ますのでは??
この様に思うのです…。

                  つづく

306SAKURA:2012/10/18(木) 18:17:18 ID:9C6FqmhU
トキ様 へ ・ 観覧者の皆様 へ

こんばんは……  ロ―マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>298の“トキ様の投稿”に関して…
>>296>>297>>305>>の” SAKURA” 投稿の続きです…。

■ ただ「雅春先生…」〜〜〜ばかりでは、世間一般の第三者から見ますと〜〜〜><
【一歩!!間違います〜〜〜】と?【カリスマ集団…】的な見方にも?なるのではと ><
つまり……まるで【理 解 の な い 崇 拝 論 !】に、目に映るのでは?
この頃では、懸念しています…。
しかも、昨年からの【現総裁雅宣先生…中傷】これは余りにも“信仰者…”としての
■ 『生長の家』の“イメ−ジ” 更には??
【分派…「学ぶ会」「靖国見真会」「ときみつる会」…etc】への“イメ−ジ”も同様にとられ、
今回『生長の家』の信者が減少…云々…事の成り行き上【正当論…当たり前】との判断です 。…が?

私は「両方の良い箇所」更に!さらに「抜粋して納得…」しながら、まず!“実行…”
これが【今 を 活 か す 事 !】では、ないでしょうか??

今は、私事ですが「雅宣先生のお経…」を読誦していますが、これは本当に【意志=意識】に、
つながりやすいのです。…が?
今では【意志…】が弱冠弱くなりました時、❤〜【大自然讃歌…】を読誦してみますと〜〜〜
益々!【意志…】が強くなる様なのです。…が???まず!今は【続行中…】なのです。
まだ!この【讃歌…お経??】発表されましてからの 【年 月…】??考えますと……

まず【決め付け論…】の前に【素直な気持ち…】で、受け入れるように“行”じていますが〜?
これが“一番…”ではないでしょか??
■【商売でも…3年…5年……etc】或る程度の余裕を見ますのが??世間一般的な捉え方ではと
思います。この頃!!当に頃思う【 SAKURA 】です。…が????

                                      再合掌

307山ちゃん1952:2012/10/18(木) 18:26:33 ID:RtA64Ims
トキ様へ
貴方は何故突っ込まれるのか理由はわかりますか?
ここでもそうなんですが、人を使って言葉を書くのです。つまりどういうことか
というと、

 最初に
>「一白鳩会員」が言っていましたが、聖典にしろ、聖経にしろ、実際に書かれたのは
生長の家大神であり、執筆をされたのは谷口雅春先生です。<

次に
>教団には、「分派は親殺しと同じ大罪」と言い切っている地方講師もいる<

この場合その地方講師の名前を挙げるのが筋道が通る行い方です。また「一白鳩会員」
とか第三者を使うのはいけません。
それが出来ないならば、トキ自身がそのように思っていると書かなければいけません。
逃げ道を作るというのはこのことなんです。
「私は常に第三者です。教団も悪いし、意見は「学ぶ会」の気持ちは分かりますが
賛成しません。」
「こんなこと誌友が言っています」それをこんな掲示板に書いても疑われるだけです。
それなら私(トキ)の感想である。というのが説得力があります。

上記の内容では何をいっているかわかりません。賛成しているなら「学ぶ会」に行くべきだし
そうでないならば「教団」を保身として頑張るということです。
どちらにも付かないのはある面、卑怯であると思われます。
そうした書き方を今後注意しなければ「靖国見真会」参加者様から再度注意されます。

世渡りが上図な人と言われるのか、または筋が通っているといわれるのか、そろそろはっきり
しないといけません。
いかがでしょうか。

308うめ:2012/10/18(木) 18:35:09 ID:/3nxKE2Q
週間文春に生長の家7億献金がでていますが本当でしょうか

309goro:2012/10/18(木) 19:04:26 ID:Cc8Z7oOY

 訊けどん

>>「本流派」に対する最後通告、“天地一切と和解する教え”から目を背けるな…!<<

最後通告とはよくぞ言ってくだされた。まっこちあいがとうございもす。
これからは訊けどんの初心者みたいな覚えたてん屁理屈ッを見んでよかち思えば
今かいショツとチョカ持っせぇ誰でん彼でん呼び止めっよ!「乾杯」どんすっでな^^v

こいからかんばしたん道場に行たっくっで。もちろん乾杯じゃっど!
おいげんとぉちゃんにもまこちよか報告ッがでくっとよ!訊けどんあいがとがした。

返事はいらんでな!

310解説者:2012/10/18(木) 19:25:57 ID:md5NOjAY
goro様

>>303
は、私、解説者のコメントであり、訊け様とは何ら関係ありません。
ついでに言うと、貴方のコピペ投稿に私はウンザリしています。
紋切り型保守の典型ですね。
あ、返事は不要です。

311トキ:2012/10/18(木) 19:40:30 ID:iqRahF5.
>>307

山ちゃん1952様

 平素は教団のために多大なご奮闘をされ、心から敬意を表します。

 ご丁寧なご指摘に深く感謝申し上げます。貴重なご意見は、今後の参考にさせて
いただきます。

 しかし、私は現役の会員であります。自分の意見を開陳する事も関心がありますが、
同時に、現在、教団の信徒が何を考え、どう行動しているのかを紹介するのも大切な
役目だと思っています。組織から離れた本流復活派の皆様も、教区に関心がない教団
上層部の皆様にも、ぜひ、現場の生の声を聞いて欲しいと願っています。

 その観点から、申し訳ありませんが、今後も現場の声を紹介する投稿は継続したい
と思っていますので、ご了承下さい。

合掌 ありがとうございます

312解説者:2012/10/18(木) 19:59:58 ID:???
>>310
【訂正】
>あ、返事は不要です。×

くだらない身元詮索や人格否定でなければ、いつでも議論をお受けします。○

313トキ:2012/10/18(木) 20:07:06 ID:iqRahF5.
>>300

 コメント、ありがとうござました。

 靖国見真会参加者様のコメントは、きっと、神様が彼を通じて

「もっと真剣に”和解の祈り”をしなさい!」

と喝を入れて下さったものだと考えています。誠に素晴らしい
事です。ありがとうございます。

合掌 ありがとうございます

314志恩:2012/10/18(木) 20:09:41 ID:.QY5jUA6
>>308:うめ様

>>週間文春に生長の家7億献金がでていますが本当でしょうか <<

このことに対する疑問は、新・大論争掲示板の方にも、載っています。
トキ様が、いろいろな人に聞かれた結果ですが、あの記事の内容は、真実ではないとのこと。

 つまり、生長の家教団は、維新の会には、献金してないとのことです。

 ですが、生長の家の信徒の人が、献金した可能性は、否定できないそうです。

しかし、週刊文春の表紙のところに、スクープ記事として、
「維新の会に生長の家が、7億 献金」と、表示されていると、

 電車の宙づり広告や本屋等で、文春を、見た場合、
 皆さんが、あれは、本当なのだと思ってしまいますよね。

315トキ:2012/10/18(木) 20:19:31 ID:iqRahF5.
>>314

 ご丁寧な開設、ありがとうございました。

 実際の記事を見ると、まるで内容のない話なので、拍子抜けします。

 ただ、あの記事を読むと、教団が追いつめられているのが外部にも知られて
いるのがよくわかります。

 それと、これもあの記事同様、根拠のない噂ですが、教団が人材が払底して
いるので、外部のコンサルタントや業者に委託する事が増えているのです。し
かし、先方に足元を見られて、法外な金を請求されている、とも聞きます。

 私は、これを裏付ける証拠を持たないのですし、事実でない事を祈って
います。

316SAKURA:2012/10/18(木) 20:24:49 ID:9C6FqmhU
トキ様 へ ・ 観覧者の皆様 へ
こんばんは…… ロ―マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>296>>297>>305>>306>>の” SAKURA”投稿の続きです…。
>>299に関して投稿より

■もう一つは【週 刊 文 春 の 本】ですが??
この様な本は、当に【現 象 世 界 の 突 入 】に碚いて行く【入口…】でしょうか??

更に!この本は「吸血鬼達…“タタキ男夫婦…”達が、好む本です〜〜〜ネ!
【 ア〜〜〜ダ!コ〜〜〜ダ!のうんちく 】ばかり…果たして“ために成る事”は〜〜“ノ―!”
でしょうか〜〜??此処は、西の果て??まではいきませんが“田舎…”です。・・・が?
“田舎暮らしの私…”は、“田舎…地下鉄線”では??
今回の【 橋下知事(元) 】の件の“ポスター”は、見受けませんでしたが〜〜〜><

■売り出すときの【広 告 効 果】で、躍らせる“人間”ほど“愚かなモノ”はないと思います。

更に【2チャンネル…】で、もっと詳しく“弁護士の巣状・生い立ち…”が〜〜〜
【 グ−グルですから “全世界…配信” 】されていますので、このような
【強調しました“投稿”の内容の方】が、私の捉え方としましては“ビックリ”ですが??
まず!私は、こような【週刊紙…】は読みませんので、
【やじ馬根性…に脅されない!!】様にと、これだけです〜〜〜ョネ!
こような本は、意外と【創価学会…の方々】は、多いですかしら〜〜〜ン!

【雑誌関係…】は、殆ど【創価学会…関連出版】ですから、私が仕事関係で思うですが??
或る時…【古 布 の 着 物】を、売り出すとき……これも【仕掛け?仕掛け人?】が、
ありました。…が???
当時は、分からなかったのですが〜〜〜また!これも“詳しく”投稿させて頂きます。……が?
給えになるでしょうから〜〜〜♫〜〜〜では!また後程・・・・  

      再合掌

317goro:2012/10/18(木) 22:34:54 ID:Cc8Z7oOY

 以下ひとり言!

「天地一切と和解・・・」常に同じフレーズ!
同じ「心」から出てくる言葉としか思えない。
正確には「天地一切のものと和解せよ」

>>貴方のコピペ投稿に私はウンザリしています。
  紋切り型保守の典型ですね。<<

ウンザリさせて悪かったね?でもさ、
紋切り型ってわかりやすいじゃん?

それにしても「ウンザリ」だなんてはしたないよ。
ウンザリしない人も居るから、気をつけて!

嫌だったら読まなきゃいいじゃん?

318トンチンカン:2012/10/18(木) 23:42:11 ID:9yITXFI2
こんな“講演会”が!!


谷口雅春先生を仰ぐ 『生命の實相』を讃える講演会 ご案内 (2499)
日時:2012年10月15日 (月) 10時42分
名前:山川秋桜

とき :平成24年12月13日(木)
      午後1時〜午後4時(0時30分開場

ところ:うはらホール(神戸市東灘区民センター)
           JR神戸線「住吉」駅 南へ徒歩3分

講演 :森田征史氏 ・ 安東 巌氏 ・ 坂田成一氏

参加費:1,000.−

問合せ先:生命の實相を讃える講演会 事務局
           078−785−5615

319志恩:2012/10/19(金) 00:42:13 ID:.QY5jUA6
goro様

goro様の書き込み、いつも楽しみに拝見させて頂いている1人です。
前にも言いましたが、ここの掲示板で書けば、総裁擁護派の方々に
いろいろと言われます。くじけずに、今後も書き込みを、よろしく
お願いします。
ここをご覧の皆様のために…。

320goro:2012/10/19(金) 09:11:27 ID:Cc8Z7oOY

 志恩さま

>>ここの掲示板で書けば、総裁擁護派の方々にいろいろと言われます。
   くじけずに、今後も書き込みを、よろしくお願いします。ここをご覧の皆様のために…。<<

応援して下さって嬉しく思います。ありがとう。
私も日本の事やアジア、世界のこと等、再確認したいという気持ちで転写させて頂いています。
大好きなマザーテレサの「一人のために役に立てばいい」という言葉を励みにさせて頂きます。

321解説者:2012/10/19(金) 13:03:35 ID:???

>>300

「訊け」管理人様

↓熊本鎮台様の「アジ演説」です。
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=527

>少なくとも私は本気で、人生をかけて、谷口雅春先生の「教え」を護ろうと思っております。

“本気”だから、「和解」は無理だ、それに代わる道を探るしかない、それは“棲み分け”しかないと言っているのです。<

和解は無理。ゆえに“棲み分け”しかない、つまり、「学ぶ会」が教団を脱会した信徒の受け皿になると、とおっしゃっています。
「信仰の和解」については、相変わらずノーコメントでした。

教えの根本である和解を説かずして受け皿になるというのはこれ如何に?

322「靖国見真会」参加者:2012/10/19(金) 13:58:53 ID:???

ここに登場する積もりはありませんでしたが、さすがに、ここまで小馬鹿?にされましたら、この場を借りて、「解説者」様に質問する権利はありますよね?

「解説者」様は、以前、確か、私のことを「運動家」として一流とお認めいただいたのでしたね。

だから、私は「運動家」として、今の状況を私なりに分析した上で、“棲み分け”が最も現実に叶っている道だと申し上げたわけです。

しかし、貴兄は、もう一方で、私のことを「宗教家」としてはダメだ、アジ演説ばかりしていると指摘なされました。

人をそこまでいう以上は、貴兄は、「宗教家」として少なくとも私以上であるという自信がおありなのでしょう?

そこで、はっきりと伺います。

「信仰の和解」についての貴兄の「コメント」をよろしくお願いいたします。

私は楽しみに待っていますよ。

「宗教家」として自負される貴兄が、この状況下で、どんな「信仰の和解」をコメントされるのか?

「訊け」さんに振らないで、ご自身でお答えくださいね。

「信仰の和解」とは何か?

それがどのような手順で、どのようにして可能なのか?

まさか、私のような「アジ演説」などはなされないでしょうから本当に楽しみに貴兄のコメントをお待ちしておりますよ。

323「訊け」管理人:2012/10/19(金) 16:02:09 ID:???


 ハ、ハ、・・・・ハ ク シ ョ ン ッ !

 ・・・・・・おお今日も誰か、オイんこつを噂しよるなあ。ほんなこて・・・・

追伸

 くしゃみした際思わず、手が滑って投稿してしもうた・・・・↓

<参考資料1>

『生命の實相』38巻(幸福篇下)47頁より謹写――

 人間たちが互いに憎み合い、互いに悪口を言い合うのがわたしには不思議でたまらないのである。憎みや悪口の中には地獄があり、愛と讃め言葉の中には天国浄土があるということを知っていながら、それらの人々は憎み、かつ悪口を言い合っているのである。

 互いに排斥し合う者は「生長の家」の誌友ではないのである。いわんや「生長の家」の講師ではない。それは地獄の役員であり、閻魔の庁の衛丁(えいてい)ぐらいのところだろう。

 「生長の家」のためにならないからといって、ある人を排斥するのはまちがっている。「生長の家」はそんな小さなものではない。生長の家のためにならない人間などは世の中にないのである。毛虫でさえも世の中に何か貢献している。いわんや毛虫に幾億倍優っている人間においておやである。ある人間を毛虫のように思って排斥する人は、その排斥する方の人自身が毛虫のような心をもっているのである。

 毛虫が人に嫌われるのは、自分を衛(まも)るために人の不快がる装いをして平気なことである。自分を衛るために、人の迷惑になる悪口を言う人は毛虫の心である。


<参考資料2>

『生命の實相』38巻(幸福篇下)122頁より謹写――

なんじの愛の乏しきを嘆け。
なんじの心に審判の満ちたるを嘆け。
なんじの心に虚偽の満ちたるを嘆け。
働きを惜しむ心を嘆け。
真理がなんじの心のうちに未だ顕われざるを嘆け。
本物を覆い隠す泥棒のみ
主人公の顔をしてなんじのうちに幅を利かせていることを嘆け。
なんじの物質精神を嘆け。

「本当の汝」はいずこにいるぞ。

それでもなんじは「真理」を悟ったというか。

『生命の實相』を読んだというか。

いな、いな、いな、断じて。

真理はなんじの中にいないのである。

「本当の汝」はなんじの中にいないのである。
「本当の汝」をなんじの中に呼び戻せ。
なんじは癒ゆるであろう。


(つづく)

324「訊け」管理人:2012/10/19(金) 16:02:43 ID:???

<参考資料3>

『善と福の実現』14頁より謹写――

 世界の根源が神であり、神が善であるとわかったならば、そして神のみがすべての渾てであるとわかったならば、世の中に悪意ある対立などありようがないのである。「敵がない」という人生観にならなければならないのである。「敵がある」と云う人生観に立つ限り、自分の妄想によって「敵」を描き、描くゆえにその「敵」が現実にあらわれ、ついにその敵のために敗北せしめられると云うことになるのは、古今東西の実例によっても明らかなことである。
 「敵」だと思えば、敵でないものが敵とあらわれて来る。すべての存在は「敵」ではない、「善意」と「愛」とをもって吾々に何かを互いに貢献し協力すべく与えられているところの存在と信じ、現実に「敵」とあらわれていても、それは敵ではないとして「実相」の善を信頼して厚遇するならば味方となってあらわれて来るのである。
 敵があると信じ、不調和が存在すると信じ、それに対して身構えすることは、神の善意と、その無限力とを信じない不敬の罪だと云わなければならない。


<付記>

※ 聖典準拠の総裁追放策ですが、もう、これしかないと思います。本流派の方々はいかがお考えでありましょうか。
 
『幸福を招く365章』186頁より謹写――

<「迷い」はどうしたら消えるのか>

 心の「迷い」を無くするには、「迷い」を捉えて破壊しようと力む事は要らないのである。それは却って自分の心が「迷い」を掴むことになって益々大いに「迷う」ばかりである。「迷い」を無くする唯一の道は、心を「迷い」から一転せしめて、「人間」の本来完全なる相を見詰めるようにすれば好いのである。自分の病気を癒すには、自分の病気を見詰めないで、自分の実相の完全さを見詰めれば好いのであるし、他の病気を治すには、彼の病気を治そうとか、病気をどうしようとか思わないで、ただ彼の完全さを見詰めれば好いのである。全世界の人々が、ただ、他の善のみを見詰めるようにすれば忽ち平和は来るのである。

 〝自分が〟祈る力や、自分の思念力によって不幸や病気を退散せしめようなどと思ってはならないのである。われわれが善き言葉で祈り、善き想いを想念したならば、あとは神が成就したまうのであると知らなければならないのである。それは種を蒔くのと同じことである。善き言葉又は善き想念を述べることは、大宇宙の創化力の沃地に、善き種子を蒔くことになるのである。その種子を育て生長せしめたまい実を結ばしめ給う力は神にあるのである。吾々は自分の力で、蒔いた種子から茎や葉を引張り出そうなどと考えてはならないのである。「吾れはただ善き想念の種子を蒔く、これを育てたまうのは神の力である」と念じて、静かに神に全托せよ。

<了>

325山ちゃん1952:2012/10/19(金) 16:28:35 ID:RtA64Ims
トキ様へ
ご回答有難う御座います。
私は今回の回答には決して満足しておりません。
いくら信徒の声など聞いても「自分がどう思っているのか」の方が大切ですから
もし教団が悪い方向に進んでいるならば喚起して一人一人説得するのが役目だと
思うからです。
例え誌友100名の声聞いたとしても、それがひょっとして間違っているのではないかと
いう判断が出来たときに、自ら旗を振る役目の方が大切ではないかと思うのです。

よく報道記者で言われるのが「人が将に殺されんとする場合」助けれられるものが
自分しかいない場合「報道記者をなげうってでもその人を助けるのか」それとも
報道記者としての姿勢を崩さないで写真を撮るか」貴方はどちらを選ぶかというと私は進んで
報道記者を捨てても人を助ける役目をしたい。
いわゆる、傍観者になりたくないのであります。
私はトキ様は傍観者でありうるから信徒の声と言いながら冷静にこの掲示板に書かれる
のであります。
だから信徒の声などはっきりいえばどういう方向に進むかは多くの信徒は総裁の
独断で決められその方針に決められたように進んでいる人が多い。
だがこれも各教化部において異なるからです。だから一地域の信徒の意見などほとんど
信用ならないのが現状であります。

たとえば、大阪と神奈川では信徒の考え方は異なります。それは総裁の力が大きく
及ぼさない部分があるからです。

必要なのはトキ様の声です。傍観者のような書き方すればするほど反発は大きいです。

326解説者:2012/10/19(金) 16:30:49 ID:???

「靖国見真会」参加者様

ご登場いただきましてありがとうございます。

>「解説者」様は、以前、確か、私のことを「運動家」として一流とお認めいただいたのでしたね。
だから、私は「運動家」として、今の状況を私なりに分析した上で、“棲み分け”が最も現実に叶っている道だと申し上げたわけです。<

生長の家における運動とは、どこまでも正しい信仰に基づいたものでなくてはならないと思っています。
生高連の宣言・綱領にも「正しい宗教心に基づく正しい愛国運動を推進する原動力…」ということが明記されております。
その観点からすれば、「靖国見真会」参加者様は生長の家の人類光明化運動の「運動家」としても疑問です。
日本会議等の保守系団体の「運動家」であれば話は別かもしれませんが。

さて、「信仰の和解」について、ですが、以前にさくら様が紹介した体験談をここに転載させていただきます。
少し長いので何回か分けて紹介させていただきます。必ず最後までお読みください。

327解説者:2012/10/19(金) 16:31:46 ID:???
『善意の世界』より抜粋  谷口清超先生 著P98〜

父母の喧嘩

さて高知県に宿毛市という所がある。県の南西端にある美しい町で、
その土居下というところに後藤良夫さんといって英語と数学の私塾を経営している教育者がいらっしゃったが、
私が昭和四十二年の冬高知市に講習会に行ったとき、こんな話をしてくださった。
後藤さんは当時宿毛市の相愛会長をしていたが、ある日或る所で高校生と中学生との見真会が行われた。
その時、後藤さんは講師として出席し、親孝行の話をし、“感謝は凡てを癒す”ということをテーマに話した。
さて後藤先生がその晩会場内の一室で眠っていると、中学三年のA君が部室にやって来て、「先生、先生」と揺り起こす。

「どうしたのかね?」
ときくと、A君は、

「先生、相談があります」
と真剣な顔でいう。

「よし、分かった。しかしここでは皆さんに迷惑をかけるから、別室へ行って話を聞こう」
と電燈のとぼっている別室へ行ってA君の相談をきいてあげた。

「先生は今日、“親に感謝しなさい。感謝は凡てを癒す”という話をなさいましたね?しかし僕は、どうしても親に感謝することができないのです」

「そりゃ又どうしたことかね?」

「実は恥ずかしいですが、僕の父には母以外に女の人がいるんです。それがもとでお父さんとお母さんはよく大喧嘩をしています。近所でも評判になるくらい、毎日のように喧嘩をするんです。
その父母を見ていて、僕の夢はやぶれてしまいました。あんな喧嘩を見ていると、どうしても父母に感謝なんかする気になれません」

「そうか。なる程。あんたの気持ちもよく判るよ。しかしねえ・・・」
と、後藤さんは大略次のようなことを話してあげた。

一、親と子の結びつきについて。
二、神に感謝しても、父母に感謝しない者は神の心に叶わぬということ。
三、香川県での或る体験談。即ち或る不良の息子が、或る日父に多額の金を無心したところ、父に断られたので、カーッとなって、父に火の入った火鉢をぶっつけようとした。
すると父はその時、合掌して息子を拝んだ。その尊い父の姿を見て、息子はそこにひれ伏して、「お父さん、僕が悪かった」と言って、遂に父と子の和解ができたということ。
即ち、どんなに感謝しにくいような出来事があっても、その現象の奥にある実相を礼拝するならば、必ずそれがあらわれて、現象の悪は消えるのであるということ。
四、いかなる逆境でも、それを住みよい世界にする智慧と力とが、人間には与えられているのだということ。

後藤先生はこの四つのことを、A君に約一時間半にわたって話して聞かせた。
夜半のこの愛のこもった話は、A君の心の中にしみ透って行ったようである。A君の顔には明るい微笑すら浮かぶようになった。

328解説者:2012/10/19(金) 16:34:55 ID:???
>>327の続きです。

「先生、有難うございます。僕、帰ったら、お父さんお母さんに、第一番に感謝します!」
と、A君は力強く言って部屋に引き上げた。
やがてその見真会も無事に終りA君は喜び勇んで我が家に帰って行った。
そして開口一番、

「お父さん、お母さん、有難うございます」

と言おうとした途端、家では父と母が大喧嘩をしている真最中であった。
その喧嘩の声が、近所隣に鳴り響いている。これを見たとき、A君は、

「こんな下らない父母に、どうして感謝ができるもんか!」

となさけなくてたまらず、せっかく見真会で心に決めて来た父母への感謝の言葉など一言も出て来なかった。
ただ口惜しさ一杯で、父母の浅間しい姿をじっと見守っていた。すると父母の喧嘩は段々激しさを増し、ついに父が母をぶん殴ろうとして、手をふりあげた。

その時、A君は無我夢中で、パッと父の前にとび出し、父をつき飛ばした。

 父は思わぬところから新手の攻撃をうけ、ヨロヨロとそこへ倒れた。
その瞬間、父はカーッとなって、近くに転がっていた棒切れをとるやいなや、それを握って立ち上り、A君に向かって殴りかかろうとした。
その途端、A君は後藤先生からきいた話を思い出した。いうまでもなく、不良の息子から殴られようとしたときの、父親のあの話だ。
A君の頭に、

「合掌するのは今だ!」

とひらめいた。A君は、直ちにその場に正座合掌して、父を拝んだ。
目をとじて合掌しながら心の中で、

「お父さん、有難うございます。お母さん、有難うございます」

と念じていると、何分たっても、棒が振り下ろされない。どうしたのだろうと目を開いてみると、
お父さんの眼からは、涙がポロポロと頬を伝って流れ落ちていたのである。
その父の泪を見たとき、A君はたまらなくなった。父の涙が、A君の胸を深くえぐったのだ。
思わず、

「お父さん!」
と呼んで、父の胸にとびついた。

「お父さん、僕が悪かった!お父さん、僕をゆるして下さい!」

父とA君とは、抱き合って泣いた。合理的な節も何もありはしない。何がわるい。どちらが悪いの問題ではないのだ。A君が父と喧嘩しなければならぬ節はないし、又わびなければならぬこともない。がしかし、こうして父と子とが抱き合って泣いたとき、一切の行きがかりが何もかも解消して、心と心が通じ合った。
二人は心から和解し感謝しあうことができたのである。

329解説者:2012/10/19(金) 16:36:37 ID:???
>>328の続きです。

絶対絶命

この有様を見ていたお母さんも、たまらなくなって泣き出した。もとはと言えば自分と夫の争いである。
ああ私が悪かったと気がついたものだから、抱き合っている父とこのところへ飛び出して、

「お父さん、タカシ、ゆるして頂戴。私が一番わるかったんです。ゆるして頂戴!」

と泣きながらわびた。こうして親子三人は心から懺悔と和解の涙にむせんだ。
このようなことがあってから、A君の家族は一変してしまった。父と母との仲がよくなった。
A君が父と母との「争い」に心を奪われて、それを心で咎めている間は、どうしても調和できなかった一家が、
A君一人の心が変り、父母の争いの姿の奥底にかくれている「本当の父母の姿」を観る心になり、
それを振り上げられた棒の下で、実際に拝み切った時、忽然として調和した姿があらわれ、「争い」の姿が消えていってしまったのである。
 このことがたちまち隣近所で評判になった。
何しろ今迄はあんなに派手に言い合っていた夫婦が、すっかり仲良くなり、親子も調和しあったのであるから、

「一体、どんなことが行われたんだろう」
という訳だ。

こうしてA君の父と母と、A君自身、その妹の全家族が、熱心に「生長の家」の御教えを行ずるようになり、全員聖使命会員となった。
勿論、お父さんとの間に問題のあった女の人も、話し合いできれいに別れて行ってしまった。

そもそも人間にとって、根本的に不可能なことなど何一つありはしない。
何故なら、人間は本来「神の子」であって、神から無限の智慧と愛と生命力とが与えられ済みだからである。
ところが人々は、とかく現象的な知識で、自分の能力を限定し「常識」の虜囚になっている。
自分に親切にしてくれる人でなければ感謝できないと思っていたり、自分に都合の悪いことを言う親の言うことなど聞いてやるものかと思っていたりする。
そう思って「自分」という殻をしっかり握りしめている間は、人間の「実相」はその「殻」によって蔽い晦まされて、出現しない。
自分の「実相」があらわれてないから、世界は狭く暗澹としている他はないのである。
この「殻」を打ち破らなければならない。
親に感謝するという、最高の命令を、断々固として実行に移す。
それは親から「不可能」と思われることを命じられる時でもよろしいし、親のふりあげる棒の下でもよろしい。
そのような“絶対絶命の境地“に於いて、無条件で合掌三昧の心境になり、父母の心にハイと一つに成り切るとき、
忽ち我の殻が破れ去って、光明燦然たる「実相」が輝き出し、一切の悪しき現象がことどとく拭い去られてしまうのである。

人生とはそういったものなのだ。

330解説者:2012/10/19(金) 17:01:03 ID:???

生長の家の教えの根本は、言うまでもなく「天地一切のものに感謝」であります。
感謝すべき対象がたとえ自分を傷つける存在であっても、と私たちは教わっているはずです。

上記で紹介させていただいた体験談の

>A君が父と母との「争い」に心を奪われて、それを心で咎めている間は、どうしても調和できなかった一家が、
A君一人の心が変り、父母の争いの姿の奥底にかくれている「本当の父母の姿」を観る心になり、
それを振り上げられた棒の下で、実際に拝み切った時、忽然として調和した姿があらわれ、「争い」の姿が消えていってしまったのである。<

これが「信仰の和解」であると私は考えます。

では、それがどのような手順で、どのようにして可能なのか?

生長の家の全信徒が「天地一切のものに感謝する」という教えの根本に立ち返ることです。
具体的には神想観、聖経『甘露の法雨』の読誦。それしかないと思います。
前にも書きましたが、「桃の實会」当日の悪天候までも快晴へと変えることができる祈りの力があるわけで、なぜそれを使わないのかと思います。
上記で紹介した体験談以外にも似たような話は生長の家にはいくらでもあります。
すべて共通しているのは、谷口清超先生がおっしゃっているように、

>A君が父と母との「争い」に心を奪われて、それを心で咎めている間は、どうしても調和できなかった一家が、
A君一人の心が変り、父母の争いの姿の奥底にかくれている「本当の父母の姿」を観る心になり、
それを振り上げられた棒の下で、実際に拝み切った時、忽然として調和した姿があらわれ、「争い」の姿が消えていってしまったのである。<

に尽きると思います。

331解説者:2012/10/19(金) 17:22:31 ID:???

「いや、不可能だ。ずっと祈っていたのに何ら変わらない。それどころかどんどん悪くなる」

そういう意見もこの掲示板で見ましたし、「靖国見真会」参加者様もそう思っておられるわけですよね?
厳しい言い方になりますが、その時点で生長の家の信徒ではないと思います。

学ぶ会でも個人指導を行っているそうですね。もしも、
「酒乱で外に女を作っている父に感謝できない」と相談されたらどのようにアドバイスなさるおつもりでしょうか?
「父親の悪事を町内に言いふらして、父親を家から追い出しなさい」とは言わないでしょう。
上記体験談の後藤先生のように「お父さんの実相を拝みなさい」とアドバイスされるはずです。
実相を拝み、感謝すれば、そこに神が顕れることを知っているからでしょう?

それとも、父母への感謝とはケースが違いますか?私はそうは思いません。

私がずっと違和感をおぼえているのは、学ぶ会による教団批判が「神意」であるかという点です。
逆に学ぶ会や社会事業団、新教連を批判する教団に対しても然りです。
本流派のある方は「神意」であると断言されました。その根拠も説明済みであると言われましたが、私にはよく解りません。
先日、右翼の街宣車が本部前で雅宣総裁を名指しで批判したそうですね。
これも「神意」ということになりますし、右翼は神に選ばれた霊の選士ということになります。

「神意」は天地一切のものに感謝したときに顕れると学んでいるはずです。例外はありません。

332志恩:2012/10/19(金) 17:30:12 ID:.QY5jUA6

>>生長の家の教えの根本は、言うまでもなく「天地一切のものに感謝」であります。<<

この教えの「和解の論理」について、どれだけ、復活派と和解派(総裁擁護派)は、論戦して来たでしょうか。

なのに、今になっても、このように、尚、天と地ほどの、受け取り方の差が、あります。

価値観の差も、はっきり分かれております。

当のご本人の雅宣総裁先生が、社会事業団に「和解」の意志があるとも、彼の言動をみれば、

微塵も感じられません。裁判は続行中なのです。

アクエリアン様が、ブログに書かれていましたが、価値観が違う者同志が、一緒になることほど、

苦痛なことは、ありません。

信仰上の和解とは、妥協とは、ちがうのです。思想も感性も、違う者同志が、無理に一緒になっても、プラスにはならず、

日々が、苦痛以外のなにものでもありません。ますます混乱し、互いが、共倒れになるばかりです。

家族内の問題と、公の立場の人との問題は、全く別の次元の問題です。

やはり、きっぱり、分かれるのが、本当の意味で、お互いが生かし合える道だと思っております。

333解説者:2012/10/19(金) 17:31:32 ID:???

最後に、吉田國太郎先生著『常楽への道』P157を謹写させていただき、これを「靖国見真会」参加者様のご質問

>それがどのような手順で、どのようにして可能なのか?

についての返答とさせていただきます。


 この頃こう思うことしきりである。

 拝めるようになる方法、実行出来るようになる方法などと、方法を求めたり方法を尋ねたりしていることが、どんなに空しいことかと云う事である。感謝と云うことにしてからが、感謝出来るようになる方法などを尋ね求めている限り、決して感謝が出来たためしが無い。方法など求めにかかる心であっては決して本物を吾が身に戴くことは出来ないものである。感謝には方法は無い。合掌にも方法は無い。このことが解らされてこの頃私の生活は良い意味に於て簡単なものになってきた。余計なものが頭の中や、心の中から脱落して行った感じである。合掌にも方法は無い。こうしてああしてなどと方法を尋ねて合掌した所に真の合掌は生きて来ない。ただ素直にそのまま拝むこと、と云われて、ハイと素直に掌を合せた処に誠の合掌は生きる。ポンと中心に飛び込まず、方法などを尋ねているから目的が成就されない。

 合掌するにはただ合掌する以外に道は無い。感謝するにはただ感謝する以外に道は無い。信ずることにしてからが、信じられるようになる道など求めずに、信ずると云うなかへ素直に自分を入れて行かなければ、信は成就されるものではない。ただ素直にその中へ自分を入れて行く。そこに道が顕れて来る。ここに私達の『生命の實相』を繙(ひもと)く時の、神の子としての繙き方がある。法然に欺されて地獄へ堕ちても更に後悔申さずとて、ただ素直に法然の申されるがまま、なすがままに念仏申してゆかれた親鸞聖人の御心には、ただ頭が下るばかりである。

 素直にその中へ自分を入れて行く。ここを失って、信じられるようになる道など求めにかかったならば、吾等のうちにいつの日にか信が生まれてくるであろうか。感謝の心が欲しかったならば、素直に感謝そのものの中に自分を入れて行くこと。感謝も信も、人々具足すれども、素直にその中へ自分を入れずに、外へ向って方法などを求めているから生きて生まれて来ないのである。大通智勝仏が十劫と云う長い年月成仏することを得なかったのは、彼が勝手に成仏せざりしためであったのである。この頃味い深く戴く御言葉である。

 『汝等天地一切のものと和解せよ』神の御言葉ははっきりと割り切れていて余りがない。

 『和解せよ』である。それ以上一語をも要しないのである。受ける吾等は素直に入る。それ以外には語るを要せずである。この割り切れ具合の鮮かさに、神様の神様としての尊さが生きている。割り切れているか、いないか、聖凡二つの別れ道がここである。

 (昭和十五年五月)

334解説者:2012/10/19(金) 18:02:06 ID:???

【余談】

「靖国見真会」参加者様、質問に対して質問で返すのはいかがなものでしょう?
「靖国見真会」参加者様も当然、私の質問にも答えていただけますよね?

私からの質問は以下の2点です。

○私は「信仰の和解」について上記で述べさせていただきましたが、「靖国見真会」参加者様が考える「信仰の和解」をお聞かせください。「私は運動家だから答える義務はない」というのはナシの方向でお願いします。
○本流復活の運動は「神意」でしょうか?だとしたら、その根拠をお示しください。

なお、ご回答はこの「トキ掲示板」にてお願いします。
「生長の家光明掲示板」は議論する場ではないはずですから。

「靖国見真会」参加者様からのご回答、心よりお待ち申し上げます。

感謝合掌

335志恩:2012/10/19(金) 18:35:00 ID:.QY5jUA6
横スレ失礼します。

前世からの、問題もあると思います。現象的に和解しようと思っても、
別れるべき人とは、別れるようになっております、だからこそ、

新しい出発が出来るのでは、ないでしょうか。

「信仰の和解」とは、価値観の違う人と、無理に合わせることでは、ありません。。

清超先生の奥様の、恵美子先生は、第1回目の結婚は、北海道の青年とされましたが、

間もなく、離婚されました.

つまり、別れられたのです。

だからこそ、清超先生のような、宗教的にも最高に優れた青年と,巡り会われて、

最高に幸せな 再婚がお出来になり、

新たな再出発の道を歩まれることが出来たのです。

別かれる事は、悪いことでは、ないのです。

336山ちゃん1952:2012/10/19(金) 18:40:06 ID:RtA64Ims
志恩様
ご無沙汰しております。
何回か「和解」について書いたのですが、やはり「和解論者」には固執があるのです。
私のブログにも書きましたが、『聖経 甘露の法雨』の「大調和の神示」にもキッチリ
と記載があります。兄弟や父母に感謝しないものは和解は成立しないと書いています。

そこがわからないで「和解論」を展開しても駄目なんです。恵美子先生は講話や本などの執筆
は現在は赦されていません。

兄弟同士の諍いなど、どうみても「神の心」に叶わぬ事ではないでしょうか?
もしそれが赦されるのは本当に神の前にて懺悔するしかないのではないでしょうか。
ただ、これほど神の心を蔑ろにすれば、本人の改心などよほどでない限り難しい
と私は思っています。私は昔から言っているように分派しかありません。
棲み分けは難しいのは生長の家の信徒のなかでも様々な考えがあるから、それを
整理していく人がいればいいがそんな人もいない。
やはり争いがどうしても起こります。争い無しにするには余程の指導者がいない限り
難しい。今回の久保さんや前原さんの論争など本部から争いを行うのですからそれを
みても難しいのがわかります。

337西向く人:2012/10/19(金) 18:43:07 ID:M7ribEwU
 『黴菌とさえも和解せよ』との新しい教ですから

 その日は近いんじゃないですかね

 
 ・・・うちらは『黴菌』?

338志恩:2012/10/19(金) 19:33:41 ID:.QY5jUA6
山ちゃん1952様

コメント、ありがとうございます。

ここの掲示板が立ち上がってから、早、1年と5ヵ月経とうとしておりますのに、、総裁擁護派の皆様は、
相変わらず、「和解の倫理」の1片を捕まえて、「これが和解の教えだ」「これが和解の教えだ」と
紙にしたため、矢ぶみを本流に 飛ばし続けています。

まるで、像のしっぽを掴んで、「これが像だ」「これが像だ」「おぬしは、わからぬのか!」と、
主張し続けている少数民族のようです。

>>何回か「和解」について書いたのですが、やはり「和解論者」には固執があるのです。

私のブログにも書きましたが、『聖経 甘露の法雨』の「大調和の神示」にもキッチリ
と記載があります。兄弟や父母に感謝しないものは和解は成立しないと書いています。

そこがわからないで「和解論」を展開しても駄目なんです。<<

まったく、その通りです。ご本人が、兄弟や父母に感謝していない。
教えの根本である和解の教えを ご本人の総裁自ら 破っているんですから、スタートラインが、ぐちゃぐちゃなんですから、
その先にある和解の道を、まともな判断で、歩めるわけが、ないのです。。

原点に返って、反省しなければ、、、ですが、反省されてるようには、全然、お見受けしません。彼を発言を見れば。

>>恵美子先生は講話や本などの執筆は現在は赦されていません。<<

そうですね。恵美子先生のご文章、拝見したいです。執筆は、許されていないということは、自由がないのですね。
大変お気の毒に存じます。

>>兄弟同士の諍いなど、どうみても「神の心」に叶わぬ事ではないでしょうか?
もしそれが赦されるのは本当に神の前にて懺悔するしかないのではないでしょうか。

ただ、これほど神の心を蔑ろにすれば、本人の改心などよほどでない限り難しい
と私は思っています。私は昔から言っているように分派しかありません。<<

望み薄です。

>>棲み分けは難しいのは生長の家の信徒のなかでも様々な考えがあるから、それを
整理していく人がいればいいがそんな人もいない。<<

これから、的確なお方が、名乗り出られる可能性は、ないのですか。
よき指導者は、みなさん、追い払われてしまって、チリジリバラバラなのですか。

>>今回の久保さんや前原さんの論争など本部から争いを行うのですからそれを
みても難しいのがわかります。>>

ブラジルでの1件ですね。
教団は、1つ1つ、細かいことを言って、ひきしめに 躍起のようですね。

でも、残念ながら、教団のされることは、センスが、まったく感じられません。

339「訊け」管理人:2012/10/19(金) 19:33:43 ID:???

何か皆さんのお話しを聞いていると、こう思えてくるんですよね。いや皆さん、和解って「相手次第」ってことなんですかね。いやたとえば、相手が「悪い」としましょう。でも、そんな相手でも「和解」していくのが生長の家なのでは、ないでしょうか。(言うは易しとは申せ、少なくとも「御教えを守る」ってそういう意味でしょう)
 いやホント、皆さんにお聞きします。

○ 総裁が悪であれば、和解は不要なのですか。

 ・・・・上記設問ですが、どなた様かご返答をお願い致します。現象がこんなにこんなに困難だ、「だから和解しなくていい」なんてこれ、暴論では?



340「訊け」管理人:2012/10/19(金) 19:43:38 ID:???

>>338

 志恩さまは常に、そうです。和解派があたかも「理解力がない」かの様に宣伝を
なさいますよね。でもそれ、少なくとも事実では、ありませんよね。

 事実ベースで話をするならば常に、議論が核心に迫ると皆さんが「放棄」なさい
ます。これが議論錯綜の原因だと思います。そんなに解釈が、分かれますか。そ
んなに雅春先生の御筆ですが、悪筆でしょうか。



341解説者:2012/10/19(金) 19:45:33 ID:???

志恩様

>この教えの「和解の論理」について、どれだけ、復活派と和解派(総裁擁護派)は、論戦して来たでしょうか。<

論戦した覚えはありませんが・・・。

たしかに裁判は続行中で、年内には判決が出るとウワサされていますね。
双方とも判決は重く受けとめるべきだと私も思います。
先日発表された教団の、前原氏、久保氏に対する声明文を見てもとことん争う姿勢を見せていますから、
裁判で和解するのは無理な話でしょう。

しかし、「靖国見真会」参加者様はそれを問うているのではなく、「信仰の和解」についてです。
個人と公人とは違うと志恩様はおっしゃいますが、それも現象の話ですよね?

山ちゃん1952様

はじめまして。
山ちゃん1952様のご高名ははかねがね承っております。

>兄弟や父母に感謝しないものは和解は成立しない
完全同意です。

>兄弟同士の諍いなど、どうみても「神の心」に叶わぬ事ではないでしょうか?
もしそれが赦されるのは本当に神の前にて懺悔するしかないのではないでしょうか。

これは、「雅宣総裁が改心すれば、和解に応じてやっても良い」という意味でしょうか?
生長の家では、一切者の自覚、すなわち、すべては自分の責任であるという自覚が神の子の自覚であることを私は教わりました。
だから、教団内外のゴタゴタも私たち信徒一人一人の責任である、と。

>ただ、これほど神の心を蔑ろにすれば、本人の改心などよほどでない限り難しい
と私は思っています。

無礼を覚悟の上で申し上げますが、このコメントはどこか他人行儀のように受けとめてしまいます。
山ちゃん1952様が単なる評論家なら問題ありませんが、生長の家の信徒としてはいかがなものかと思います。
結局、山ちゃん1952様がおっしゃっていることも志恩様と同様に、現象の話ですよね?

釈迦に説法になりますが、そもそも谷口雅春先生は、完全円満なる実相世界をこの現象界に顕さんとするために
人類光明化運動に起ち上がったわけです。

現象がどうのではなく、どこまでも自分自身がこの世にあるすべての人やもの、事に対してその奥にある実相を観ていくか、
というのが、私たち生長の家信徒のあるべき姿ではないでしょうか?

342「訊け」管理人:2012/10/19(金) 19:50:36 ID:???
>>341

 そうなんですよね・・・・論戦にすら、なってないですよね。そして、
論戦にすらならぬ理由は、論点回避ですよね。

 論点回避されてから皆さんが何をなさるのか・・・・記憶が薄れる頃に
こう、書かれるわけです。たとえば「何度も何度も誠心誠意尽くしたのに、
まったく聞く耳を持たない和解派」とか。

 もう「ビックリ仰天する」こと、しばしばなのですが。



343志恩:2012/10/19(金) 20:00:26 ID:.QY5jUA6
総裁は、教えをそのまま継承してない人なんです。
雅春先生のことも尊敬してない人なんです。

ですから、【今の教え】を支持してる人にとっては、雅宣さんの行ないは善であり、雅春先生のことは、棚に上げて、
雅宣さんと、和解して、雅宣さんに、ついていかれたらいいと思います。

しかし、もともとの教えを、本物だと思い、信じている人にとっては、雅宣総裁の行ないは、善ではないのです。
ですから、
あるべきところへ、正しくあらしめる。と言っているのです。
和解しなくていいのは、生長の家を継承してない行為についてです。

そういう行為に、合わせるということは、雅春先生をうらぎることです。
ですから、雅宣さんの、行為にたいしては、和解という名の妥協は、してはならないということです。

あるべきところに、正しく、あらしめるという意味は、

天使は,天界へ。
チョウチョは、菜の花畑へ。
ライオンは、草原へ。
リスは森へ。  

それぞれが、価値観が同じ、合うところへ、行きましょうという意味です、

344志恩:2012/10/19(金) 20:06:52 ID:.QY5jUA6
山ちゃん1952様

私が、望み薄。。と申し上げましたのは、彼が、改心することです。
私も、すっきりと、分派で行く方が、いいと思います。

生長の家の出発のときも、少人数で始まったのですから、
受け皿があれば、じわじわ増えてまいりますから。

345「訊け」管理人:2012/10/19(金) 20:14:59 ID:???


 ・・・・・・・・。





346志恩:2012/10/19(金) 20:16:32 ID:.QY5jUA6
現象ですよねと申されますが、
彼の思いが、顕れているのが、現象なんです。

皆で祈ればいいと,言われますが、われわれも何十年も、祈ってまいりましたが、
なんで、信徒が、総裁の実相を祈り続けなきゃならないのですか。
それでは、本末転倒の宗教です。

普通、宗教というのは、総裁が、信徒の幸福を祈るのものです。

347神の子さん:2012/10/19(金) 20:18:25 ID:uEcp2dog
志恩さんも山ちゃんさまも

和解は困難なときはしなくていいんですか?

生長の家と違う考えみたいですね。

総裁は嫌いですが懸命に祈っている人もあるんですよ。総裁が悪であれば、和解は不要なのですか。

348神の子さん:2012/10/19(金) 20:21:07 ID:???

志恩様

それ、現象ですよね?



349山ちゃん1952:2012/10/19(金) 20:29:50 ID:RtA64Ims
志恩様
本当にコジツケは凄いものを感じています。
そこまでコジツケれば立派です。
それは「丸い玉子も切りようで四角になる」ですね。

でもどうやってそうなるのか不思議です。私の知り合いで沢山の教化部長がいますが
総裁に対していい事をいう人はいません。やはりそこが問題だと思います。
その中には数名の元理事の方もおられます。

志恩様のいうように和解を云う人は雅宣総裁に付いて行かれたらいいと思います。
雅春先生の愛国書など読まないで、雅宣先生と手を携えて頑張ればいい。
私達が雅宣先生の本を読まないのと同じようにそうすればいい。それで円満解決
です。
皆さんが和解という御蔭で益々『生命の實相』の大切さを感じます。

350志恩:2012/10/19(金) 20:31:00 ID:.QY5jUA6
和解は、困難なときは、しなくていいのかというのは、
前から、総裁擁護派のうたい文句です。

和解は、してはならない相手の行為とは、してはなりません。

吾々だって、祈ってきましたよ。

でも、どうしても、和解がならないことも、あるのです。

総裁の行ないが、間違っている場合は、その行ないに、
和解という名の妥協はしては、ならないと思います。

生長の家でも、いろいろな取り方が、あるのですね。
和解と妥協は違うとか言うと,直ぐに、生長の家の考えと
ちがうというのも、和解派の決まり文句です。

神の子さんの考えておられる「和解」とは、具体的に、
どういうことに、なることが【和解】だと思っておられるのですか?

総裁が、懺悔することですか?

351「訊け」管理人:2012/10/19(金) 20:34:10 ID:???


和解とは「困難な場合はしなくていい」と、申されておられます。

 以上です。





352志恩:2012/10/19(金) 20:36:57 ID:.QY5jUA6
山ちゃん1952様

ほんとに、和解派は、こじつけがすごいです。
このまま対話を続けても、きりなく平行線ですから。

そうですよ。
一番すっきりするのは、和解派は、雅宣先生について行ったら、
いいと思います。

353解説者:2012/10/19(金) 20:38:51 ID:???

山ちゃん1952様

>でもどうやってそうなるのか不思議です。私の知り合いで沢山の教化部長がいますが
総裁に対していい事をいう人はいません。やはりそこが問題だと思います。
その中には数名の元理事の方もおられます。

教化部長が総裁を悪と認めれば、和解は不要なのでしょうか?

>志恩様のいうように和解を云う人は雅宣総裁に付いて行かれたらいいと思います。

本流派の皆様は「和解を云わない」という意味でしょうか?
和解を云う=生長の家信徒と捉えている私は益々『生命の實相』の大切さを感じます。

354「訊け」管理人:2012/10/19(金) 20:44:30 ID:???


  ・・・・・・・・・。






355桜餅:2012/10/19(金) 20:46:04 ID:CXQw1jl6
>あるべきところに、正しく、あらしめるという意味は、

>天使は,天界へ。
>チョウチョは、菜の花畑へ。
>ライオンは、草原へ。
>リスは森へ。  

>それぞれが、価値観が同じ、合うところへ、行きましょうという意味です、

すごく説得力があります。
こうすることが一番平和であるような気がします。
和解をしようとする人は、本流派のことは忘れて教団に入って雅宣氏に協力してあげましょうよ。
本流派は教団を忘れて分派として頑張りましょうよ。

356「訊け」管理人:2012/10/19(金) 20:49:24 ID:???


 もうなにかたとえば、「今日の昼めしは、焼きソバでした」程度の書き込みも、
許されそうな、そんなナンセンスな流れですね。


合掌

357解説者:2012/10/19(金) 20:51:10 ID:???

志恩様

これまで私は「総裁に屈服せよ」なんてひと言も申しておりません。
それと、何を、どのように「こじつけて」いますか?意味が解りません。

この世のすべての人やもの、事の実相を拝むのが生長の家信徒のあるべき姿なのではないですか?
と、問いかけているだけです。

結論としては、

>でも、どうしても、和解がならないことも、あるのです。

ということですね。良く解りました。

358うのはな:2012/10/19(金) 21:00:45 ID:20AcZStc
356 :「訊け」管理人:2012/10/19(金) 20:49:24 ID:???

 もうなにかたとえば、「今日の昼めしは、焼きソバでした」程度の書き込みも、
許されそうな、そんなナンセンスな流れですね。


合掌
===============================================

訊け管理人さんのように、他人の話を小馬鹿にするような上から目線の
コメントを多発し、人の感情を害する人は、ナンセンスとは正反対の御自分の
高尚なブログにお戻りになり、全体調和のために今後は意見しないでください。

359志恩:2012/10/19(金) 21:02:48 ID:.QY5jUA6
桜餅様

おいしそうなお名前ですね。(笑)


>>
>あるべきところに、正しく、あらしめるという意味は、

>天使は,天界へ。
>チョウチョは、菜の花畑へ。
>ライオンは、草原へ。
>リスは森へ。  

>それぞれが、価値観が同じ、合うところへ、行きましょうという意味です。<<


桜餅様
>>こうすることが一番平和であるような気がします。
和解をしようとする人は、本流派のことは忘れて教団に入って雅宣氏に協力してあげましょうよ。
本流派は教団を忘れて分派として頑張りましょうよ。<<


ですよね!!
私も、同意します。

360「訊け」管理人:2012/10/19(金) 21:11:04 ID:???


 ・・・・まあしかし、ほんなこて。






361志恩:2012/10/19(金) 21:11:16 ID:.QY5jUA6
うのはな様

ほんと、ほんと、訊け君は、すぐに上から目線の発言をしますね。
自分では、きがつかない様子ですが、
人を、おちょくったような言い方をするんです。

今度、天国のお爺ィ様に、言いつけておきます。

362志恩:2012/10/19(金) 21:18:42 ID:.QY5jUA6
光明掲示板より転載させて頂きます。


【戦いの原因を作ったのは教団側。この事実をしっかり把握しないといけない。】NEW (2613)

日時:2012年10月19日 (金) 18時51分

名前:中村晃生

生長の家を巡る全てのの裁判の原因は、教団側にあります。

その根本原因は、雅春先生の真実の教えを抹殺しようとするマサノブ氏の、

異常な「親殺し」の心理にあると言って過言ではないでしょう。

私は、ことがスタートした 対 宮沢氏の最初の裁判を東京地裁に学ぶ会の皆さんと共に

傍聴に行ったことがありますが、

昔から良く知っている当時の教団理事長なんか、私たちを見ても、挨拶すらせず

完全に敵視していました。

そうした「和解」とは程遠い教団の異常な態度が、

今日の 全面敗北を 招いていることを、知る必要があります。

363「訊け」管理人:2012/10/19(金) 21:19:57 ID:???

<ここまでの流れ>

○和解は「困難な場合を除く」な方

→あなたこそ、本流です。仲良く出来ない相手とは和解の必要はありません。

○あくまでも「天地一切と和解せよ」な方

→あなたは教団に行ってください。そこでがんばりましょう。





364志恩:2012/10/19(金) 21:31:14 ID:.QY5jUA6
光明掲示板より転載させて頂きます。


日時:2012年10月18日 (木) 13時09分
名前:「靖国見真会」参加者

「和解派」の皆さん、なぜ、ここまで「和解」ができないのか、すべてはこの「事実」を直視するところから始まります!

それを如実に示す書き込みがありました。

〉生長の家傍流掲示板/別板

男性専科 板
110 :神の子様:2012/10/15(月)
1910 :元青会老人:2011/11/05(土)

(前略)今回のトキさんの書き込みで、明確にトキさんが「本流の人達」と今まで言って批判してきた
本流の連中とは、生長の家社会事業団と光明思想社ということが、はっきり分かりました。

さらにトキさんは、それらの人達が挑発してきたと表現していますが、事実を知っている立場として
言っているのならばウソをついていることになります。

試しに、裁判記録は残っていますから、読んで見られたらいいです。皆さんも確認されたら良いと思います。

 生長の家社会事業団は言うまでも無く、創始者は谷口雅春先生で、初代理事長も雅春先生です。

そして、『生命の實相』『聖経』をはじめとした数々の聖典の正式な著作権者です。

その著作権者である生長の家社会事業団が、以前より数回にわたり『生命の實相』のリニューアルを日本教文社に求めてきました。

そして担当者はそれを良しとして教文社取締役会に提案するものの、常にある人と本部より天下ってきた取締役の反対で、要求は排除されてきました。


 → さて、著作権者としての要求は挑発でしょうか。


さらに著作権者としての当然の権利として、要求をかなえてくれる出版会社を探すことも、当然のことです。
そのような時に、『生命の實相』復刻版の途中からの教団の指示と見られる著作権者改ざんと日本教文社による印税不払いが見つかるわけです。


 → さて、ここでは誰が挑発しているのでしょうか。


さらに、再三にわたる抗議と話し合いにも応じなかったのが日本教文社であり、やむなく裁判で決着をつけざるを得なくなりました。


 → さて、だれの挑発で裁判になどなったのでしょう。


以上が引用です。

365志恩:2012/10/19(金) 21:37:50 ID:.QY5jUA6
② つづき

「和解派に対する最後通告。 事実から目を背けるな。」

名前:「靖国見真会」参加者

今、最高裁に上程中の著作権裁判は、なぜ、起きたのでしょうか?

「和解派」の皆さん、皆さんの願う「和解」の道が閉ざされてどうして「裁判」になってしまったのか…?


その“事実経過”がここに明らかに示されています!

これをどうご覧になりますか…?

ここにきて、どうして、これを貼り付けておきたいと思ったかといいますと、第一線では、相変わらず、すべては「社会事業団」のせい、
「谷口雅春先生を学ぶ会」のせいにされていると伺ったからです。

「裁判」における判決をなぜ重視するのか…?

そこには、第三者による客観的な“事実”判定があるからなのです!

「和解派」の中には、「裁判」なんてどうせ現象だ、それより大事なのは、 宗教的和解 などという向きもあるようですが、

よし、それを百歩譲って受け入れるとして、それでもその前提となるものは“事実”認定でありましょう…?

“事実”からしか“真実”を明らめる道はないからです!

「和解」の道を閉ざし、「裁判」で決着をつけるしかないように挑発したのは、果たして、どちらでしょうか…?

その問いに対する明解なる回答のない「和解論」は、議論するに値しないと私は言っているのです!

366神の子さん:2012/10/19(金) 22:04:06 ID:auybq8fY
また逃げたか本流

367「訊け」管理人:2012/10/19(金) 22:07:07 ID:???
>>「和解派」の中には、「裁判」なんてどうせ現象だ、それより大事なのは、 宗教的和解 などという向きもあるようですが、

よし、それを百歩譲って受け入れるとして、それでもその前提となるものは“事実”認定でありましょう…?

“事実”からしか“真実”を明らめる道はないからです!<<


 ダウト。





368「訊け」管理人:2012/10/19(金) 22:11:08 ID:???
 

>>“事実”からしか“真実”を明らめる道はないからです!<<


 その「事実」とは、いったい?
 

『生命の實相』第27巻127頁より謹写――

 彼は「事実に面しては」という。しかしその「事実」とは何ぞや。現象のみ、本来無きもののみ。しかもこの「本来無き現象」をありと観るかぎり、彼のごとく実相一如の世界に没入する体験を得るとも、何人も「われらは弱し、われらは完からず」と嘆ぜざるをえないのである。しかし、これを「事実」というのはまちがいであるのである。知れ、事実というは実相のみであるのである。だから実相の実在のみを強調し「弱きものは無し、完からぬもの無し」と、いっさいの悪を空(くう)じ去って、しかして「一切皆善の実相的事実」のみを肯定するとき、われらは現象的事実をも征服しえて、「われらは弱し、われらは完からず」と現象的事実に征服された弱音を吐く必要がなくなるのである。
 生長の家はかく「実相皆善」のみを強調して、「現象は無なり」と現象的不幸一切を空じ去る。さればこそ現実を征服する現実的威力を発揮するのである。「現象あり」と観ずればわれらは現象に力を認めるがゆえに現象を征服することができないのである。「現象も現象として在るのであって、かく本体界のみを主張し、本体界の完全観念を現象界にも適用せんとするのは、本体界と現象界とを混同するものである」との諸宗教家または哲学者よりの非難があるが、われらは本体界と現象界とを混同するのではない、混同とは現象界を在りと認めての立場であるが、われらは現象界無しと自覚するがゆえに、無きものは混同するの恐れなきがゆえに、われらはただ常に本体界の完全性のみを主張するのである。その結果、本体界の完全性がそのまま現象界に投影して、現象界の不幸を征服することができるのである。

 「現象は現象としては在るのである」といって現象界を本体界に対立せしめたり、「本体界の自叙自展が現象界であって、本体界と現象界とは一如である、そして、現象界は本体界のうちに包摂せられるものである」というような在来の見方を脱しえないような宗教では、とうていそれは現実人生を支配することができないのである。生長の家の思想が、かく素晴しい現実人生の支配力を有しているのは、主として「現象無し」とスカッと截(た)ち断り、実相独在を明快に斬然(ざんぜん)と主張しているからであるのである。


<了>

369解説者:2012/10/19(金) 22:23:38 ID:???

人格攻撃→コピペ投稿…。

お約束的展開というか、もう古典芸能の域ですね。
論点を再確認いたしましょう。

訊け様「総裁が悪であれば、和解は不要なのですか。」



志恩様「でも、どうしても、和解がならないことも、あるのです。」
山ちゃん1952様「和解を云う人は雅宣総裁に付いて行かれたらいいと思います。」

で、私からの質問。

本流派は生長の家の根本教義である「和解」を説かないのですね?

と、いうことは「靖国見真会」や「愛国練成会」では「生長の家信徒行持要目」も朗唱されない?
なぜなら、その第一に「天地一切のものに感謝すべし」とありますから。

お約束的展開は、もう、ここを訪れる方は飽き飽きしていると思います。
たまには質問にきちんと答えてくださいよ、志恩様。

370アクエリアン:2012/10/19(金) 23:06:35 ID:HNT95bPg
神の子様

>347:神の子さん
2012/10/19(金) 20:18:25ID:uEcp2dog

志恩さんも山ちゃんさまも

和解は困難なときはしなくていいんで すか?

生長の家と違う考えみたいですね。

総裁は嫌いですが懸命に祈っている人 もあるんですよ。総裁が悪であれば、 和解は不要なのですか。

ーーーーー

この疑問に対する回答は、うのはな様のお考えが、適切だと思います。

次のように、述べられています。

ーーーーー

「教区会員」板

202:うのはな
2012/10/19(金) 18:30:43ID:wEsUJlf6

一般信徒同志が雅春先生の「和解の倫 理」などを引用して、こんなお父さん にでも 感謝、和解が大事なのですよ、という のなら話はわかるが、相手が総裁だと か体制の場合は 酒乱の総裁論理に和解しましょう、感 謝して実相を祈りましょうというわけ にはいかないのである。

ーーーーー

さすが、うのはなさん、問題の本質を、ズバッと捉えられています。

私人と、公人としての生長の家の総裁とでは、和解の祈りは、同じでも、
現象的、現実的対処法が異なるのは、当然なのである。

志恩様の言葉を借りれば、「次元が違う」ということですね。

まず、何故、現在の生長の家の問題が起こってきたのかの、根源を突き止めなければならない。

生長の家の使命は、人類光明化ということであり、日本国実相顕現ということですね。

では、これらの聖なる使命をどのように実践していけばいいのか。

それは、開祖谷口雅春先生が 生長の家の大神から受けられた教えが説かれている、聖典、ご著書によって、生長の家の教えを、伝えていく、ということになるはずです。

これは、和解派の人も異論はないはずです。

訊け様の最近の報告によると、谷口雅春先生のご文章に触れた人が自殺を思いとどまった、ということです。

それほど、谷口雅春先生のご文章には、偉大なる、マジカルなパワーがあるということですね。

これも、和解派の人も異論はないはずです。

残念ながら、現総裁のご文章には、開祖谷口雅春先生のようなマジカルな、神秘的な力はない、ということも異論はないはずです。

では、生長の家の使命は、どのようにして、果たしていけばいいのか。

それは、もう、谷口雅春先生のご著書を、全面的に押し立てて、布教に邁進していくほかないはずです。

雅宣さん、あまりにも、ご自身の教えを、全面に押し立ててきすぎたのではないでしょうか。

これが、現在の問題の根源ではないでしょうか。

評論家的文章では、人を救うことはできないのです。

それに、開祖谷口雅春先生の愛国書に違和感を感じられるならば、それは、貴方の悟りがまだ開祖のレベルには到達していないことですから、法燈継承者の資格はありません。

違和感を感じられるならば、法燈継承者のレベルに到達している人に譲るべきです。

私は、生長の大神の人類光明の意義およびその方法を十全に理解されている、ときみつる会の宮澤潔先生がふさわしいと思っています。

開祖谷口雅春先生の明治憲法復原の意義も十全に理解されておられますから、法燈継承者のレベルに充分に到達されていると思います。

山ちゃん様の指摘される、先ず、総裁ご自身から、兄弟と和解して下さい、すべては、そこから、はじまるのだと思います。

371山ちゃん1952:2012/10/20(土) 00:08:42 ID:RtA64Ims
アクエリアン様
ありがとうございます。
私が答える必要がありませんね。適切な回答に感謝申し上げます。

訊け様
神の子様

少し解り易いようにいいますので聞いてください。
例えば、私が臍曲げた人間で他の人に迷惑ばかりかける人間だとします。
そこで神の子様が「きっと真人間になる」と和解の祈りをしたとします。
だが、そんな祈りでも私が反省しなければどうしようもないのです。それを
与えるきっかけが必要なのです。
例えば、私という俎上がインタ−ネットしかわかりません。総裁も私達の
遠い存在なのであります。
そういう祈りが利かれるにはその人が近ければ近い程、祈りというものは効果があります。
だが、私はそういう臍を曲げていることが正しい、人に迷惑かけるのが楽しくて生き甲斐
ということを信念で思っていた場合、余程でない限り祈りというのは利かれない
のであります。

私自身が警察の世話となり刑務所に入れられても、人の責任ばかりしていたらどうしますか?

別に悪を認めるとかそんな話ではありません。人間はある程度地位を確立されると
反対に人の云う事をきかない人間が多いのであります。現在の生長の家の教団の状況が正しいと思われる
あれば最早話しすることすら無理なのであります。

私達はいくらでも和解のテ-ブルに着きます。然し今の状態を善としない私達と今の状態は最良と思っている人
とどうすれば和解できますか?

雅春先生の行われた愛国運動や様々な運動と『生命の實相』の頒布運動を展開する運動の提唱と
『生命の實相』を誌友会のテキストに使わないと指示した現教団と貴方はどちらに付きますか?
ただそれだけなんです。
それならば実際に和解するための実際の働きかけはあなた達は一回でもしたことがありますか?
私達の諸先輩は必死になって、総裁に注意したりしましたが、そういう人を辞めさせるようなことを数々
しました。

web誌友会で『生命の實相』の輪読会を行っていますが、総裁はそれに反対されているのですよ。

生長の家では和解というのは大切ですが、和解というのは個人でも協調するのは難しいのです。それでも祈らな
らないといけません。ただ悪を見てそれを批判するんじゃないのです。

戦後雅春先生は共産体制と断乎して戦われました。
それならどうして共産党と和解されなかったのかわかりますか?そこを理解
出来なければ私達の云っていることを理解することは難しいのであります。


訊け様と神の子様貴方が和解の謹告を総裁にして下さい、私達はいくらでも話し会いします。
そこからスタ-トしましょう。

372さくら:2012/10/20(土) 00:50:44 ID:okL5qOHI
山ちゃん1952さま

雅宣総裁は、雅春先生より人格的にも、宗教的指導者としても、数段劣るということは、その通りだとおもいます。
また、説き方があまりに今までの生長の家の歴史を否定するような方向に走り、信徒の理解が得られないことは、よく分かります。
また人道的にも関係者には冷酷な仕打ちがあったこともあるとおもいます。

ただ、そのことをもって、雅宣総裁がすべて雅春先生の教えを抹殺しようとする虚説だとすることには無理があるのは、わかります。
また、本流掲示板だけの情報を鵜呑みにしてか、事実確認したわけでもないのに、短絡的に生理的に合わないようなことで、「虚説」というような過剰反応をする人がいたりすれば、そのことの方が、どうしても、違和感を感じます。

生長の家を学んでいって、波長があわない、感性があわないから、付き合わない、などというのなら、似非スピリチュアル宗教な理解だとおもいます。

もっと広く言えば、思想や宗教がちがうことさえ、越えられるのが、生長の家だとおもうのですが。

そのようなことで、「真の生長の家」と「偽の生長の家」のように分けるようなことは、たいへん悲しいです。

立場がちがえば、言い分も違うのは当然で、
自分たちとは違うものだから「虚説」として排するというのは、どうなのでしょうか。

和解派=雅宣派というトンチンカンな理解の方も、神の子か草餅さんだかのなかにはいるようですが、違いますが。

和解派は、雅春先生の教えを、この問題にこそ、生かしていこうと提案しているのだと思います。
それで、み教えをお互い確認しあいましょうということだと、受け取れます。

また「棲み分け」は現象的な活動面で別れることがあるかもしれませんが、
雅春先生の教えを守ろうとするなら、「唯心実相」哲学の人間神の子の教えにおいては、一つになれるのではないかということだと思うのですが…。



373さくら:2012/10/20(土) 00:52:03 ID:okL5qOHI
WEB誌友会の復興G様のご意見に賛同し、
貼り付けさせていただきます。

>これは当然、「相手の実相」を見て、であるべきなのですが、まずは相手を悪者として排斥する姿勢を改め、「棲み分け」でもいいから“共存”を認める。
しかし、それは過渡的な状態であって、ずっとそれでよいかと言えば、そうではない。「棲み分け」が続くのだったら、生長の家出現の意義はなくなると思います。
今までいろいろな宗教宗派が乱立しながら、なんとか日本では宗派争いはおさまって「棲み分け」ができている状態のように思われますから、そこへ生長の家がまた分派して現象的「多様性」は増えても、神の創造の根本構図である中心帰一・万教帰一は実現しないのであれば、生長の家は何のために出現したのか、意味はなくなるのではありませんか。
それが神の御心にかない、谷口雅春先生の切なる理想 御悲願、御教えにかなうことだとは、私にはとうてい思えません。

374さくら:2012/10/20(土) 00:54:54 ID:okL5qOHI
それから、この書き込みで、論点に関係ない、
人格攻撃だか、茶々だかをいれるなら、
神の子さまでも、草餅だか、うぐいす餅さまでも、
島板で思う存分お願いしますね。
そこなら、管理人さまも、ある程度自由に攻撃させてくれるみたいですよ。

よろしくお願いいたします。拝。

375山ちゃん1952:2012/10/20(土) 01:32:42 ID:RtA64Ims
さくら様
貴方は優しいですね。
その気持ちを是非とも大切にして下さい。
さて、「虚説」という言葉にあまり囚われないで下さい。
なんでも言葉にとらわれば執着します。
これは真理としては「闇」に対して「光」を当てればいいのです。闇そのものも
存在しなくなります。
それと、「真の生長の家」と「偽の生長の家」という分け方はいけませんね。
わたしは「谷口雅春」先生に回帰しようと考えています。そこから本当の立教
の使命を学ぶ事が大切です。
ただそれを阻害しているのが現教団なのです。雅春先生の本を読みたくても現在
ではほとんど刊行停止という状態です。
そこで「唯神実相哲学」のその本質も晦まされているのが現実であります。
生長の家の主斎神は「宇宙大生命」ですがその顕れとして天皇様を現人神として
仰ぎたてまつっています。そこの根本が理解出来ないといけません。
だがその根本教義であるべき天皇様の恩徳を総裁は蔑ろにしています。誰かが書い
ていましたが、総裁の講習会に何回となく行ったが一度も天皇の話がなかったと
云われていました。私も総裁からそんな話は聞いたことありません。

唯神実相も「宇宙大生命」が理解出来なければ、わかりません。
「実相の額を通して宇宙大生命に礼拝する」というのは宇宙大生命(みおやのかみ)
であり、その現人神として天皇陛下を礼拝しています。
副斎神として「生長の家大神」を私達は礼拝しております。同じく「住吉大神」とか
「住ノ江大神」とか「塩椎大神」とかいいます。すべて同じことなのです。

雅春先生は中学時代においても参拝されていた大阪西区九条の「茨住吉神社」も
やはり「住吉大神」のご加護ともいうべきものがあったのです。
いろいろありますが、そうした生長の家本尊という書物がぬけているのであります。

そうした内容はさくら様は読まれたことありますか?
もし読んだことが無ければ是非読んで下さい。
『神の真義とその理解』に詳しく書いています。

376志恩:2012/10/20(土) 06:53:12 ID:.QY5jUA6
解説者様


「総裁は悪であれば、和解は、不要であるか」という質問ですが、

私は、トキ様が言われている「和解」を心の底では、望み、祈ってまいりました。
私は、和解は、不要であるとは、思っていません。

しかし、現実は、山ちゃん様もいわれるように、
雅宣さんは、立教の使命を学ぶことのできる本は、ほとんど、絶版にしました。

谷口雅春先生の教えである「唯神実相哲学」のその本質も晦まされており、
根本教義であるべき天皇様の恩徳を総裁は、語られた事もないということでは、ありませんか。

教団に所属していた「新教育者連盟」も古事記を話したために、教団から追放されてしまったという記事も、
読みました。

「生命の実相」も、テキストに使うなという指令を教団(雅宣さん)は、全国に出しているそうですね。

いまだに、事業団と裁判をやり、ご兄弟を追放し、自ら、和解していない。

これを、あげると、現象だと、あなたは、言われますが、
この悪の行ないにたいして、和解は、出来る訳がありません。

私は、【和解は、不要だ】とは、言っていません。
今の教団は、ご自信が【和解を、不可能にしている】と言っているのです。

解説者様でも、訊け君でも、雅宣総裁を説得してくださって、

総裁が、ご兄弟とも事業団とも、【和解が可能】になれば、
そして、「生命の実相」をテキストにして、
雅春先生の教えに、回帰してくだされば、それは、一番いいことです。

377志恩:2012/10/20(土) 07:09:26 ID:.QY5jUA6
上記で、書きましたようなことが現在も続いているわけですから、
このままでは、教団も事業団も、共倒れになる危険性があると、
トキ様もいわれていますから、

共倒れを防ぐ為に、
「棲み分け」する方が、いいのではないかと、私は思っております。

さくらさまが、いわれたように、棲み分けしても、後々には、
同じ生長の家同士なので、和解することになるとも、思っております。

いったんは、別れて、そのしばらく後には、「和解する」これが、自然な成り行きでは、
ないでしょうか。

378解説者:2012/10/20(土) 07:10:43 ID:???

志恩様

「雅宣総裁が改心すれば和解してもよい」、つまり、
和解はケースバイケースということですね。

私が>>333で紹介した、吉田國太郎先生の御文章

>合掌するにはただ合掌する以外に道は無い。感謝するにはただ感謝する以外に道は無い。信ずることにしてからが、信じられるようになる道など求めずに、信ずると云うなかへ素直に自分を入れて行かなければ、信は成就されるものではない。ただ素直にその中へ自分を入れて行く。そこに道が顕れて来る。ここに私達の『生命の實相』を繙(ひもと)く時の、神の子としての繙き方がある。法然に欺されて地獄へ堕ちても更に後悔申さずとて、ただ素直に法然の申されるがまま、なすがままに念仏申してゆかれた親鸞聖人の御心には、ただ頭が下るばかりである。

 素直にその中へ自分を入れて行く。ここを失って、信じられるようになる道など求めにかかったならば、吾等のうちにいつの日にか信が生まれてくるであろうか。感謝の心が欲しかったならば、素直に感謝そのものの中に自分を入れて行くこと。感謝も信も、人々具足すれども、素直にその中へ自分を入れずに、外へ向って方法などを求めているから生きて生まれて来ないのである。<

これをどのように受けとめられますか?これもケースバイケースですか?

379アクエリアン:2012/10/20(土) 07:23:33 ID:JKO5AVLc
山ちゃん様

具体的な解決法を教示していただいてありがとうございます。

トキ様も書かれていましたが、やはり、これからの生長の家の行き方は、谷口雅春先生の教えを学び、継承し、そして伝えていく、というこだ、ということですね。

和解方法は、シンプルなものだと思います。

現教団の衰退は、「今の教え」という名の元で、開祖谷口雅春先生の教えをあまりにも、ないがしろにしてきたことに尽きると思います。

人を救えないで、何で、宗教と言えるのか。

現在のあり方は、カルチャー教室のような感じになっているのではないでしょうか。

現教団が今までのやり方を反省し、谷口雅春先生に回帰するというのなら、和解は可能と思いますが、まあ、無理でしょう。

雅宣環境真理教として、これからも、その方針は変えないのではないかなと思っています。

やはり、分かれるのは、仕方ないと思います。

380志恩:2012/10/20(土) 07:58:54 ID:.QY5jUA6
ひとりごと板】


解説者様

私も、以前より、吉田國太郎先生の「常楽の道は、拝読しております。
貴方の謹写されたご文章のところは、「現象は見ず、ただ合掌して善を祈っておれ、外へ向かって
方法などを求めているから、、生きてうまれてこないのである。」

現象処理は、ケースバイケースだと思います。

私が、吉田國太郎先生の、心に残ったご文章は、
パソコンの横に、メモして貼ってあるのですが

「太陽は、自分というものを 掲げてはいない。
 自らは、己の名前すらも 残してはいない。
 … … …」
というところです。
私は、本来、人々を救えていた教えを、継承者は、「太陽」のような無私な心で、
受け継いで、人々を、これからも、以前のように、救済して欲しいと,願っているのです。
それが、神から神託を受けた生長の家の使命だと確信しているからです。

アクエリアンさんが、書かれていますが、
「今の教え」は、人を救っていますか?
>>現在は、カルチャー教室のような感じになっている。(絵手紙、ノーミート料理、脱原発ではね)。

現教団が今までのやり方を反省し、谷口雅春先生に回帰するというのなら、和解は可能と思いますが、
まあ、無理でしょう。
雅宣環境真理教として、これからも、その方針は変えないのではないかなと思っています。
やはり、分かれるのは、仕方ないと思います。<<

雅宣総裁の代弁者のような初心者様が、
今の生長の家の教えに関するお気持ちを、別版に書かれていました。
以下のとおりです。

これを読まれて、雅宣さんが、雅春先生の教えに回帰されると、思われますか?
むづかしいのでは、ないでしょうか。

「ひとりごと」板
>>1108 :初心者:2012/10/19(金) 15:47:19
生長の家の教えは、日本的なふうを装いながら、そのじつ語られているのは
ヨーロッパ的思想である可能性が高そうです。それはいってみれば、プラトン
主義の焼き直しのひとつでしかない。そんな気がいたします。

ここに真実の世界はない。真実の世界はべつの場所にある。このように、
けっきょくのところは真なる世界を立ててしまう、いや立てなければならなく
なる。典型的なプラトン主義としかいいようがありません。

ここを否定しておきながら、べつのどこかに真なる世界を求めてしまうと
いうのであれば、ここを真なる世界と見ることとたいしてちがわぬことの
ようにおもわれます。 <<

381解説者:2012/10/20(土) 09:02:15 ID:???

志恩様

>「現象は見ず、ただ合掌して善を祈っておれ、外へ向かって
方法などを求めているから、、生きてうまれてこないのである。」

たしかに、現象処理はケースバイケースです。
裁判も一つのケースではあります。それは否定しません。

しかし、上記の御文章のどこにそれが書かれているでしょうか?
私が言いたいのは、「生長の家におけるケース」です。

生長の家信徒ならば、「現象は見ず、ただ合掌して善を祈っておれ」だと思うのです。
これを本流派の方は「何もしない人」と言われてますよね?

さらに、吉田國太郎先生は『常楽への道』のなかでこうおっしゃっています。

>『和解せよ』である。それ以上一語をも要しないのである。受ける吾等は素直に入る。それ以外には語るを要せずである。この割り切れ具合の鮮かさに、神様の神様としての尊さが生きている。割り切れているか、いないか、聖凡二つの別れ道がここである。

これが「生長の家におけるケース」であり、信徒が為すべき道であると思います。

382「訊け」管理人:2012/10/20(土) 09:14:46 ID:???


>>山ちゃん1952さま


 ご返信をありがとうございます。貴重なお時間を割いていただきまして感謝致します。と云うことで先ずは、ご主張を確認致したく思います。

 なお現在、当方が解釈した貴殿御主張ですが、結論から申しますとやはり「和解は困難な場合はしなくてもよい」と読めます。少なくともそう解釈した次第ですが、論拠は以下のご発言です。

(>>371ご投稿文より)
>>生長の家では和解というのは大切ですが、和解というのは個人でも協調するのは難しいのです。それでも祈らならないといけません。ただ悪を見てそれを批判するんじゃないのです。<<

 ここが主張ご趣旨でありましょう。そしてその、ご主張の論拠として貴殿は下記をご投稿なさっておられます。確認致しますと――生長の家では「和解というのは大切」ですが、和解というのは個人でも協調するのは「難しい」――の論拠は、

○ 祈りには効果が薄い場合があるため(>>371前段)
○ 相手が改心しない限り、祈りは奏功しないため(>>371中段)

 等々とご主張なさっておられます。この趣旨が御主張であるとの理解で、間違いないでありましょうか。間違いあらばぜひ、ご指摘をお願い致します。そして、ご真意確認後このご主張――「生長の家では和解というのは大切ですが、和解というのは個人でも協調するのは難しいのです。」――に対し、返信文を作成致します。(くどいですが、ご真意を誤読している可能性があるための「問い合わせ」これが本駄文趣旨になります。)

 なぜくどく真意を確認するのか、その理由を記します。
 いや、なぜと申して現時点での貴殿ご主張、そのまま読めば「祈りは奏功しない」「相手側改心が重要」となるためです。そして故に「和解はムリ」と主張されておられることに、なっているためでもあります。少なくとも(この解釈が正しいと仮定するならば)これは、当方が把握したところの「御教え」とは根本からして、趣を異にしているためです。

 ご真意確認後、貴殿ご投稿文へ返信を致します。ただその前にご真意の確認ですが、これをさせて頂けれ幸いです。上記掲載した当方の解釈ですが、これに間違いあらば御指摘くださいませ。よろしくお願い致します。




383志恩:2012/10/20(土) 09:43:23 ID:.QY5jUA6
光明掲示板より、転載させて頂きます。

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&amp;mode=res&amp;log=529

【宗教家を名乗ることは生半可な自覚ではできない!】

日時:2012年10月20日 (土) 08時57分
名前:中村晃生

私がマサノブ氏のことを、「自称法灯継承者」と敢えて呼ぶのには理由があります。

それはマサノブ氏程度の、生半可な決意では、とても人を救うことなんて覚束ないし、

また彼の程度の人物に

「法灯継承者」と称されたのでは、住吉大神の大使命を帯びてこの世に出現した
「生長の家」の名がすたれると思うからです(みなさんも、そう思いでしょう!)。

ましてや雅春先生がお立てになった人類光明化の大目標など、とても達成できません。


マサノブさん、貴方は人類光明化の大目標などはどうでも良く、

一日も早く八ヶ岳の「人類」とさほど接触する必要の無い大自然に囲まれて、

大好きなパソコンをたたきながら、手前勝手な観念論を書き込み、

信徒の浄財で残りの人生をヌクヌクと過ごしたいのでしょうが、

人生そんな甘っちょろいものじゃありませんよ!

私は、読売新聞をやめた後、田中六助代議士の秘書を5年間勤め、

その後は福岡県大川市長を5年間、地元の国会議員が死去したため、その後釜に押されて、

河本派の新人として(野田聖子氏と同期)立候補し、衆議院選には2回挑戦した経験があります。

つまり秘書時代から数えると15年以上の政界とのかかわりをもっていたわけで、

その間、実に多くの宗教家、神人、霊人と親しく交わってきました。

だからこそ言えるのですが、

「法灯」を継承したと言う人物で、マサノブ氏ほど信仰心のない俗人に近い人間に会ったことは

ありませんし、

彼ほど修行をしていない継承者も見たことも、聞いたこともありません!!

しかし、実際に信徒の皆さんは彼の姿が「法灯継承者」の姿だと

勘違いしている方も多いと思いますので、回を重ねて私が直接お

会いした、本当に尊敬できる宗教家の話をしたいと思います。

384志恩:2012/10/20(土) 10:03:46 ID:.QY5jUA6
解説者様

谷口雅春先生は、
和解について、

「光明思想でないものや、ばい菌や、和解してはならないものとは、和解してはならない。」と

「信仰としての和解の定義」を、いくつも説かれておられます。

「実相と和解せよ、とは、悪と見える現象とは、仲良くするな、和解するなということです。」

解説者様曰く

>>「私が言いたいのは、「生長の家におけるケース」です。<<

先に書きましたのは、これに対する、お返事です。

また、解説者様曰く>>

生長の家信徒ならば、「現象は見ず、ただ合掌して善を祈っておれ」だと思うのです。
これを本流派の方は「何もしない人」と言われてますよね?


さらに、吉田國太郎先生は『常楽への道』のなかでこうおっしゃっています。

『和解せよ』である。それ以上一語をも要しないのである。受ける吾等は素直に入る。それ以外には語るを要せずである。
この割り切れ具合の鮮かさに、神様の神様としての尊さが生きている。割り切れているか、いないか、聖凡二つの別れ道がここである。

これが「生長の家におけるケース」であり、信徒が為すべき道であると思います。 <<


祈ってばかりで、それを行動に移さなければ、実現することと、そうでないことがありますでしょ。
信仰は、祈りばかりでは、実現しないケースが多々あります。

学校へ、遅刻しないようにと、座して祈っていても、実際に行動におこし、
走って学校へ向かわなければ、祈りは叶わない。祈っても遅刻する、という雅春先生の教えの例を、よく講師の方は、
話しておられました。

何もしないではないかというのは、実際に行動に移し、【和解】について、総裁を説得する行動をしてない、ということです。
祈っていないということでは、ありません。

385解説者:2012/10/20(土) 10:44:47 ID:???

志恩様

>「光明思想でないものや、ばい菌や、和解してはならないものとは、和解してはならない。」と
「信仰としての和解の定義」を、いくつも説かれておられます。
「実相と和解せよ、とは、悪と見える現象とは、仲良くするな、和解するなということです。」

 完全に同意します。

 しかし、「悪と見える現象」を暴き立てて批判することを以前、志恩様は「神意である」と断言されましたね。「悪と見える現象」が消えて本物の実相が顕れてくるのだ、と。

 私はどうしてもそうは思えないのです。なぜなら、「『悪と見える現象』はナイ」というのが生長の家の説く「唯心実相」の教えではありませんか。

 谷口雅春先生著『希望を叶える365章』P179に「『悪』と格闘してはならない」と、書かれていますので、謹写させていただきます。

 時々私たちは、「神の創造(つく)り給えるこの世界には『悪』が存在しないのである」と云う眞理を忘れてしまって、恰も神の創造り給うた世界に「悪」があるかの如く、悪と取り組んでガタガタ格闘していることがあるものである。悪を〝真実存在〟すると信じている限り、悪は〝真実存在〟でないにも拘らず、その信念に支えられて消えようとはしないのである。いつまでガタガタやってみても、それは消えはしないのである。
 それよりも「悪」を消そうと思ったならば、神想観して「神の創造り給うたこの世界には『悪』はないのである。神は愛であるから、唯、善のみを私に与えたまうのである」と、ただ「善のみ存在する世界」を心の眼でジッと見詰めるようにするがよいのである。神があらゆる事件の中に、存在したまうて、一切のものを調和ある状態にあらしめておられることを本当に自覚して、それを念じつづけるようにするならば屹度、如何なる事件も結局は円満に調和した状態に解決するものである。

 祈りを具現化するための行動についてですが、信徒一人一人が「『悪と見える現象』はナイ」という「唯心実相」の教えに立ち返り、それを多くの人々にお伝えすること。それに尽きると私は思います。私は組織活動はしておりませんが、自分の与えられた場所で取り組んでいます。

386「訊け」管理人:2012/10/20(土) 11:22:47 ID:???

 以下志恩さまご発言ですが、これは注釈を要します。ですのでいったん、補足説明など付記しておきたく思います。(さもないと過去の経緯から診るに、議論錯綜の要因になります。)


>>「光明思想でないものや、ばい菌や、和解してはならないものとは、和解してはならない。」<<


 どういう意味で掲載されたのか不明ながら上記御文章、意味はこうです。

 そのバイ菌を「バイ菌と見る自分の眼」をして、和解しては「ならない」となるはずです。バイ菌として見てしまうその、(仮相の)ニセ者の眼と和解してはならない、そういう意味になりましょう。
 さらに追記すれば、「相手が悪だ」と見るその眼は、「曇っているのだ」と黙考する余裕を持つように雅春先生は、ご主張あそばされていると、解釈します。

 まとめますが、この、

>>「光明思想でないものや、ばい菌や、和解してはならないものとは、和解してはならない。」<<

 に関してですがあくまでも、「和解してならない」のは自分側の虚説――つまり、全てを神性として「見ることができない」「礼拝することができない」仮相を指しての、ことであります。あくまでも指差す方向は自分側です。相手方では、ありません。もしもここで「相手が虚説、摧破すべし」と解釈される方あらば、それは「間違い」だと断言致します。

 以上、議論錯綜要因となりそうな一節でしたので、付記致します。



387志恩:2012/10/20(土) 11:52:09 ID:.QY5jUA6
解説者様

別板1で、解説者様に
お答えしましたが…


虫歯でも、虫歯菌に犯された悪い歯を、治療すれば、歯全体が、完全になります。
それを、現象は見ないで、虫歯はないのである、、というわけで

「悪と見える現象はナイ」ということで、

虫歯に目をつぶり、虫歯をほっとけば、
口中の歯が、虫歯菌にやられて、全部の歯は全滅し、手遅れになります。

歯の場合は、若くして、「総入れ歯」にすることも、いいでしょう。
それは、貴方のご自由ですけれどね。

でも、歯科医の先生に聞きましたが、虫歯を ほぉっておくと、
虫歯菌が、脳神経を犯して、人間は死ぬことが、あるそうです。

このように、虫歯菌、1つとっても、現実は、甘く見てはいけません。

虫歯を見つけて、それを指摘することと、
間違った行為は、間違った行為だということと、似ていますが、

それを、「悪とみえる現象を、暴き立てる」という言い方をされるというのは、、
貴方は、教団側にたっておられるからでして、
暴き立てられているというように暗黒思想的にうけとるというのは、
貴方は、かなり、教団の暗黒思想に、洗脳されているからだと、お見受けします。

貴方が謹写して下さいました

 >>谷口雅春先生著『希望を叶える365章』P179に「『悪』と格闘してはならない」というところ

 時々私たちは、「神の創造(つく)り給えるこの世界には『悪』が存在しないのである」と云う眞理を忘れてしまって、
 恰も神の創造り給うた世界に「悪」があるかの如く、悪と取り組んでガタガタ格闘していることがあるものである。
 悪を�真実存在�すると信じている限り、悪は�真実存在�でないにも拘らず、その信念に支えられて消えようとはしないのである。いつまでガタガタやってみても、それは消えはしないのである。
 それよりも「悪」を消そうと思ったならば、
 神想観して「神の創造り給うたこの世界には『悪』はないのである。神は愛であるから、唯、善のみを私に与えたまうのである」と
 ただ「善のみ存在する世界」を心の眼でジッと見詰めるようにするがよいのである。神があらゆる事件の中に、存在したまうて、
 一切のものを調和ある状態にあらしめておられることを本当に自覚して、それを念じつづけるようにするならば屹度、
 如何なる事件も結局は円満に調和した状態に解決するものである。

 祈りを具現化するための行動についてですが、信徒一人一人が「『悪と見える現象』はナイ」という
「唯心実相」の教えに立ち返り、それを多くの人々にお伝えすること。それに尽きると私は思います。
 私は組織活動はしておりませんが、自分の与えられた場所で取り組んでいます。>>

これについての貴方の真理の捉え方も、実相と現象を混同していると思います。

無抵抗でいたら、それこそ、雅春先生が天啓をうけられた生長の家は、この世から抹殺されてしまうのです。

現象処理…ここが、悪いという点を、しっかりと見つけて、指摘し、

改善することは,暗黒思想ではありません。むしろ、それは、良くなるためのものですから、光明思想なのです。

388志恩:2012/10/20(土) 11:54:51 ID:.QY5jUA6
386の訊け君の投稿文を拝見しないで、387を書き込みました。
お昼になりますので、食事の支度のため、席を立ちます。

午後からは、来客がありますので、書き込みは、できません。

389「訊け」管理人:2012/10/20(土) 12:10:56 ID:???

(昼飯前の雑感)

 ・・・・あれだけ誤読の余地なく精密に書かれた奇書、それが『生命の實相』です。ですが、こんなに読む人によって解釈が変わるものなのでしょうか。いや本当にこの一年半以上ですがもう、不思議でなりません。問題は雅春先生の筆力なのでしょうか。それとも私の読解力が問題なんでしょうか。

 ・・・・・「和解」って単なるお題目なんですか。皆さん、もしも単なる「お題目に過ぎぬ」、そう判明するなら喜んで捨ててしまいます。そして、和解の代りにガンガンに、「悪の摧破!」てな書き込みを致しましょう。ですが・・・・・「和解はお題目なのだ」、そんな聖典記述がないので困ってます。

 また、別テーマに飛びますけれども>>388志恩さまご発言の、以下箇所ですが、

>>無抵抗でいたら、それこそ、雅春先生が天啓をうけられた生長の家は、この世から抹殺されてしまうのです。<<

 ここも非常におもしろい話があります。これ、言ってみれば「自力作善×神への全托」です。もう、一大テーマでもあるのですが雅春先生は、(数は少ないながら)これに関しても回答をお示しになられて、おられます。・・・・この「自力作善で行くべきか」「全托でいくべきか」の区別は、雅春先生もたびたび質問を、受けられたそうであります。たとえば「目の前に暴漢が襲ってきそうな時にも、『悪に抗するな』『祈れ』でいくべきか」――このような質問が本テーマなのですが、これに対して雅春先生が、ご回答なさっておられます。その箇所を以下、ご紹介致します。


○ 『健全の真理』(旧版)255頁付近


 ちなみに前掲テーマが、「ピエール博士の祈りのかなえられる十要項」です。255頁が同博士の話題ですので、数頁後だと記憶しております。ここにこの、「自力か全托か」という、非常に悩ましいテーマが取り上げられております。お持ちの方はご高覧ください。
 
 ・・・さてその、肝心の内容ですが、興味深い例が出てきます。「目の前で暴漢に襲われた際、どう行動するか?」に関してのそんな、実に興味深い話なのですがあるご婦人(生長の家誌友)が夜道で、暴漢に襲われたそうなのです。その際、「悪に抗するなかれ」の同婦人はいったい、どのような行動でこの難から、免れたでありましょうか。このご婦人のこの公案(「自力か全托か」)への回答ですが、もう、素晴らしいものなのです。ぜひ同箇所をご拝読願いますよう。さらにまた、「夫にハイ」のご婦人の話も、おもしろいです。

 空襲されそうな予感があり、「疎開しましょう」と申し出たご婦人の話なのですが、旦那様は頑として拒否なさいます。さらに後日、実際に空襲被害を受けるご婦人なのですが、いったいどうやってこの難を逃れたでありましょうか。「夫にハイすれば空襲」「だけど疎開するには、ハイしてはならない」というジレンマなのですが・・・・非常に深遠な真理が語られていると思います。

 なお、言うまでもなく本題は、今後の「教団への対応」関連です。これからも「悪を剔抉する」(自力作善に乗り出す)のか、「全托」で行くのかと云うところの・・・




390解説者:2012/10/20(土) 13:17:18 ID:???

志恩様

己の立ち位置については考えたことがありませんでした(笑)。
過去の議論、いや、議論にもなりませんでしたね(笑)、
それを蒸し返してしまいますが、立ち位置を問うこと自体が
二元論的な考え方ではありませんか?

それでも私の立ち位置はどこにあるかといえば、
「聖典」にあるとしか答えようがありません。

>これについての貴方の真理の捉え方も、実相と現象を混同していると思います。<

「現象の悪を見ず、その奥にあるところの実相を観て、
その円満完全さに感謝したとき、自ずと実相は現れ出てくる」

私は繰り返し繰り返しそう申しておりますし、
それが生長の家の教えであると理解しています。

事実、『生命の實相』をはじめとする聖典には
それが書かれているのではないですか?

その、私の真理の捉え方がオカシイ、実相と現象を混同していると
おっしゃるのであれば、具体的にどの部分でしょうか?
ご指摘いただければ幸甚です。

>現象処理…ここが、悪いという点を、しっかりと見つけて、指摘し、

改善することは,暗黒思想ではありません。むしろ、それは、良くなるためのものですから、光明思想なのです。 <

それと、「改善すること」について。
これまで悪い点を見つけて指摘されてきたんですよね?
それは誰もが認めますし、私も認めます。

では、具体的に教団のどこを「改善」されたのか。
念のために言っておきますが、これ、現象の話ですよ。

誠に勝手ながら志恩様からのご回答を推測すると・・・・。

「『改善』しようとした人は次々とクビを切られた。
だから、もっともっと教団の、総裁の悪事を
白日の下に晒さなくてはならないのです」

ということになりましょうか?

「負のスパイラル」ですよ、それ。
この世には現象の方法論でもって解決できる現象と、
できない現象があります。

以前、トキ様は、「教区会員版」197にて

>つまり、教団側も本流復活派も、それぞれ相手の存在を否定して、
存在その者を抹殺したいと思っています。しかし、裁判で勝ったとし
ても、それで満足できる結果になるのでしょうか。

と、述べられています。私も同感です。

現象の方法論でもって解決できない現象をいかに解決するのか。

やはり、吾々生長の家信徒であれば、「現象ナシ」の教えに立ち返り、
それを多くの人々に伝えていくしかないでしょうと。

それでも志恩様は、
「悪を見つけて指摘するのは『神意』だから、必ず良くなる」
と、おっしゃるのでしたら、どうかその根拠をお示しください。

391SAKURA:2012/10/20(土) 14:27:35 ID:m1q2iwKA
トキ様 へ ・ 観覧者の皆様 へ
こんにちは……  ロ―マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>298の“トキ様の投稿”に関して…此処から考え込みまして、
>>296>>297>>305>>306>>316>>の” SAKURA” 投稿の続きです…。

>>307(直接! 投稿文に関しまして、感じました事柄を、記載させて頂きます。…が?)
■拝読させて頂きながら?【管理人…立場】としては【無理…難題】と思います。…が?
どちら側?なのでしょうか???この“問いかけ論”は、逆の立場上を、考えますとますと?
難しいのでは、ないでしょうか???この事が、脳裏に浮かんでしまいます。

私達…「生長の家…信者」と致しましては、
更に私自身の“考え方?捉え方?”でいきますと、まず「管理人」は、
【分派…「靖国見真会」「ときみつる会」…etc】側では〜〜と?この頃は、文章内容から見受け
られますでしょうか?唯!以前「学ぶ会」…には?いきませんとの“投稿内容…”でしたが?
これも…果たして“現時点…心境”はいかがなものでしょうか??

■最近は【中 道 派】という方々の【分派…】がいます。…が?
この【中 道 派】とは、如何なる“解釈論”かと、この頃“疑問点”に思うのです。…が?
最終的には“投稿文”を見ておりますと【現総裁雅宣先生…排斥】この“心”が?
その“投稿内容文”から、感じ取れる次第です。…が?

                つづく

392SAKURA:2012/10/20(土) 14:29:30 ID:m1q2iwKA
トキ様 へ ・ 観覧者の皆様 へ ……
>>298の“トキ様の投稿”に関して…此処から考え込みまして、
>>296>>297>>305>>306>>316>>391>>の” SAKURA” 投稿の続きです。

■私達は【現総裁雅宣先生派…】としての“コメント投稿”をさせて頂いておりますが?
最近は、此処の「トキ管理人様」は、殆ど、「雅宣先生擁護派…私一個人オンリ−」への、
“コメントの返事”はありません。……
従いまして、此処からでも「管理人の心境・思考」は【分派…】では???解釈しております。
当に【無 言 の 意 志 表 示】でしょうか??

更に【分派…の方々】の〜〜〜私達から見ますとくだらないものでも、
此処の「管理人様…分派中心」コメントの“返事”です。…が???
そうこうしています内に、個人的ではありますが?まず!色々考えて参りますと、
私達【現総裁雅宣先生擁護派…】が登場した事によりまして、【偽!雅宣派…】を作っての
“投稿…”が出来ない状況下に成り【想定外…】という事なのでしょうか〜〜〜?

もしくは?【末端信者…一般信者】に、“いちいち…コメントの返事”を出しますと、
現職員の立場がないではとの事?更に!此処の「管理人のトップ」に止められているか?
それとも、文字変換の時“私の記号…”を更に変換されまして、全く見えないようにして
まるで【末端信者…一般信者】の存在を無くしている感じでしょうか???
【差 別 用 語】…【差 別 思 考】でしょうか?
もしくは?もう一つ考えられます事は、【ひらがなの「さくらさん」】を、いつもそうなのですが?
此処【最高裁判決…】に近ずきますと、前回も同様ですが?【地裁・高裁…判決前】でも同様!
【仕立ている?】ので、これを、今後【 起 用 】いきたいとの事…
これが“方針…”の結論でしょうかと??私の知人関係は、話しています。…

■この様に、いろいろ【分 析】します。そうすると、どう見ましても【分派…側】なんですョネ!

私達“一般信者”は【今!夜明け前…】なのです。…なので、
このような状態から【脱皮…】しますにはと?現状の?カオスの“深淵”を覗いてみますと><
ですから「山ちゃん様の御心配」は、御無用と思いますし“オカシク〜”感じます。…が?

今!私達は、前以上【本当の戦いは、今後!新しい展望にて、今を活かすチャンス】と思っています。

そして【分派…】の皆様の“ネガティブな言葉”は“人を救済”??まるで
“人をだめにしていく言葉”の発言であり、何処に【人を救済】されているのでしょうか??

今までの“信仰の哲学”が、如何に?何処まで?“表現・説得力”があるのかしら〜〜〜ン!と、
思いながら、やはり!【真理の表現が出来る事…】、更に【人格…論】が見える方に、当然!
ついていきますでしょうか???
■それが【迷える羊??】【悩める羊??】の当然たる“心模様”と判断します。
そうしますと、【中傷論 = 悪口論】…この様な“ 投稿内容 ”しかできない場合は、
【人の心をひきつける…】このインパクト?果たして?出来ますでしょう〜〜〜か???
一時的に“ 引きつけ? 引きよせ? ”られたとしても【人間の心理作用…】は?如何かと思います。

                  つづく

393トキ:2012/10/20(土) 15:23:48 ID:G1/FOl7.
>>392

 コメント、ありがとうございます。

 特にSAKURA様を無視したつもりはなくて、最近、パソコンの調子が
少し悪くて、コメントがかけなかった場合が多かったのです。気分を害されたらお詫びします。

 今後ともとご投稿をお願いします。

合掌 ありがとうございます

394うのはな:2012/10/20(土) 17:32:52 ID:cZ3Ym7Bg

次々と出て来る 雅宣教の、、、

 生長の家今昔物語 http://blog.zaq.ne.jp/sinseityounoierengou/

395SAKURA:2012/10/20(土) 17:50:16 ID:rwd7gX3g
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは…… ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>393の…ご丁寧なる“お返事” ありがとうございます…。

“パソコン”の状態が悪いとの事で…早く治りますと宜しいでしょう〜〜〜かと思います。

余談ですが??【元小泉総裁…】からでしょうか?
■【盗聴法案…】云々で?此処昨今「電波妨害…」は日常茶飯事でしょうか?
その?類でしょうか?
私も…外部からの必要以上の【電波…】にて、照明器具を外部から?“コントロ−ル”されて
いる状況です…。この様な事でしたら?くれぐれもお気を付け下さいませ…。
                                 
再合掌

396西向く人:2012/10/20(土) 19:27:28 ID:M7ribEwU
「唐松ブログ」には

 『人間との調和には書いていない』とありまっせ

397「靖国見真会」参加者:2012/10/20(土) 19:33:04 ID:???
「解説者」様へ

「解説者」様からの要請もありましたので、再び、こちらにお邪魔させていただきます。

大変、申し訳ないですが、「解説者」様というお方は、テーブルの下で相手を蹴り続け、そのくせ「和解」の握手を求める、そんな人なのではないかと思えてなりませんでした。

前にも言ったと思いますが、「和解」を唱える人は、私どもとは“和解”しようという気がないとしか思えないのです?

自分が出来ないことを、人には「和解せよ」という?

何かおかしくはありませんか?

少なくとも、「和解」を言う人は、どんな相手に対しても、幾ばくかの敬意を表する心を失ってはならない、それが私に言わせれば「和解派」の絶対条件であろうと思います。

「和解」を言う以上は、それほどの宗教的に高い次元が要請されるものだというのが私の理解です。

しかし、残念ながら、「解説者」様は、私に対して「和解」などあり得ないというような物言いをされてこられました。

例えば、次のような言い方であります。

以下、引用。
〉「本流対策室/4」、
326 :解説者:2012/10/19(金)
(前略)
>「解説者」様は、以前、確か、私のことを「運動家」として一流とお認めいただいたのでしたね。
だから、私は「運動家」として、今の状況を私なりに分析した上で、“棲み分け”が最も現実に叶っている道だと申し上げたわけです。<
生長の家における運動とは、どこまでも正しい信仰に基づいたものでなくてはならないと思っています。
生高連の宣言・綱領にも「正しい宗教心に基づく正しい愛国運動を推進する原動力…」ということが明記されております。
その観点からすれば、「靖国見真会」参加者様は生長の家の人類光明化運動の「運動家」としても疑問です。
以上が引用。

前には、「運動家」として認めていただきましたが、今度はそれにも疑問符がつくという貶め方をされたわけであります。

更に決定的なのはこれです。

〉331 :解説者:2012/10/19(金)
「いや、不可能だ。ずっと祈っていたのに何ら変わらない。それどころかどんどん悪くなる」
そういう意見もこの掲示板で見ましたし、「靖国見真会」参加者様もそう思っておられるわけですよね?
厳しい言い方になりますが、その時点で生長の家の信徒ではないと思います。
以上が引用です。

「生長の家の信徒ではない」???

生長の家に入信して何十年となりますが、さすがにこんな言われ方をされたのは、初めてであります!

「見解」が違うからといって、相手を「生長の家の信徒ではない」という決めつけ方を普通、しますか?

しかも、そういう人が「信仰の和解」を滔々とお述べになられる?

人を蔑んでおいて、小馬鹿にしておいて、そんな人から「信仰の和解」を説かれても、正直、私の心には何一つ響いてはきませんでした。

「酒乱」の人の実相は礼拝できても、「谷口雅春先生を学ぶ会」の人間の実相は拝めないということなのでしょうね…?

「和解派」の皆さん、「和解」を名乗る以上は、最低限、相手への“敬意”は払うべきではないでしょうか…?

それでないと、私のように、折角、立派なお話しを書き込んで下さっているのに、読む気を失わさせる…ということになりはしないかと、それを恐れます。

398「靖国見真会」参加者:2012/10/20(土) 19:36:07 ID:???

「解説者」様はじめ、「和解」を仰る皆様に、これだけは言っておきます。

谷口雅宣先生は、自らの信念をもって、脱谷口雅春先生路線を歩んでいるのです!

それをまず認めるべきだと思います。

その路線に、私はついていけないのです。

「ついていけない」

もう、この判断を既に下してしまっているのです、ここをぜひ、わかってください。

ついていけない以上、そこに留まることはできないでしょう?

だから「組織」から脱退したわけです。

脱退した者に、それでも「和解せよ」というのは、どういうことを要求されているのでありましょうか?

考え直して、谷口雅宣先生の路線に従えということを仰るのでありましょうか?

谷口雅宣先生の実相を信じて、今は辛いかもしれないけれども、きっと先生も目覚められるときがくるから、それを信じて谷口雅宣先生についていきなさい、そう仰るのでありましょうか?

もし、それをもって「和解」というのであれば、それは実に谷口雅宣先生に対して失礼な話しだと私は考えます!

谷口雅宣先生は、何度もいいますが、自らの信念に従って、今の路線をつくりあげたのです!

「いつか目覚められるときがくる」という言い方は、谷口雅宣先生が、何か「悪い」ことをしているということになりはしませんか?

ましてや、酒乱の人の体験をもってくるとは?

認識違いも甚だしい、とても私には理解できない話しと言わざるをえません!

信念をもってやっている谷口雅宣先生に対して、弟子が「実相」を祈るなどというのは、こんな不遜極まりない話しはないと思っております。

ご存じのように、私は、谷口雅宣先生の路線は到底、認められないという立場にいます。

だから、違う路線を歩もうと考えたわけです。

谷口雅春先生の「教え」のみでいい、そういう路線でこれからの人生を全うしたいと思ったわけです。

だから、谷口雅宣先生の路線がいい人はそちらについていけばいい。

それについていけない人は、それとはまた別の路線を歩まれたらいかがですか、そう提案申し上げているわけです。

今回、私の投稿をきっかけとして、たくさんの方が活発に持論を展開してくださったことをこの場を借りて心より感謝申し上げます。

私の気持ちをよくぞ代弁したくださったという論考もたくさんありました。

それがとても今は私の心の支えとなっております。

心より感謝申し上げます。

ありがとうございました。

399「訊け」管理人:2012/10/20(土) 21:32:37 ID:???



 要するにこういう話、なのですね。所謂「本流派」とはまあ、こう定義できそうです。たとえば、


 「聖典に根拠のない行動を採用しながらも、その聖典を守ろうとする集団」

とか、

 「御教えを破りながら『御教えを守ろう』とか、言っている人たち」

 と・・・・


追伸

 「それなら、生長の家やめちまえッ!」に該当する思想とも、解釈できます。いやだって、貴殿だって薄々気づかれておられるようにそれ、生長の家の教えの「外」の思想です。國太郎先生が「青年よ偉大であれ」で述べられたところの「それなら、生長の家やめちまえッ!」ですが、これに該当する思想です。そうではありませんか。(←無礼ですか。無礼と申されるならば縷々、論拠掲載致します)

 いやだって、(人間知で)「和解不能」と思えても、そこを突き破っていくのが生長の家ではなかったでしょうか。たとえば今回ご投稿の文章ですが、吉田國太郎先生の前で発表できますか。(私には無理ですけどもね・・・)

<参考資料>
○吉田國太郎先生「それなら、生長の家やめちまえッ!」
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65583616.html

400アクエリアン:2012/10/20(土) 21:53:02 ID:Y34l9q96
靖国見真会参加者様
熱烈なご投稿ありがとうございます。

同感です。

批判文がありますが、
問題の全体像が、理解されていないようです。

木を見て森が見えない、そんな感じです。

どうも、靖国見真会様の真意が伝わっていないようです。

なかなか、掲示板上のやり取りは、難しいものです。

401「訊け」管理人:2012/10/20(土) 22:33:50 ID:???


 「汝ら、天地一切のものと和解せよ」で行くのかあるいは、

 「汝ら、 天地一切のものと不快せよ」の運動についていくのか・・・・




402解説者:2012/10/20(土) 23:10:29 ID:???

「靖国見真会」参加者様

 ご返信くださいましてありがとうございました。

 私は「靖国見真会」参加者様の質問に誠心誠意答えさせていただいたつもりです。しかし、それが「靖国見真会」参加者様に無礼として映ったのであれば、心よりお詫び申し上げます。申し訳ございませんでした。

>前にも言ったと思いますが、「和解」を唱える人は、私どもとは“和解”しようという気がないとしか思えないのです?

 たしかに、そうかもしれません。しかし、私は生長の家の信徒です。人間智の、現象の方法論をもって解決できないような問題が起こった場合、どこまでも現象の方法論にこだわるのではなく、「天地一切のものと和解せよ」という教えに立ち返り、教えを実践することで必ず乗り越えることができると確信しています。ですから、いつか必ず「靖国見真会」参加者様をはじめ、本流派の皆様と和解ができる日が来ると信じています。

 早速、本日から、より真心を込めて和解の神想観を実修させていただきます。その機会を与えてくださった「靖国見真会」参加者様にあらためて感謝申し上げます。ありがとうございました。

 私自身への批判は甘んじて受けますが、どうか1つだけ弁解させていただくことをお許しください。

 「靖国見真会」参加者様をはじめとする本流派の皆様のご意見から、教団と和解(現象的な和解)するのは困難であることは理解しています。しかし、本流派も教団も双方が「信仰の和解」を説く教えを信仰しています。

>学ぶ会でも個人指導を行っているそうですね。もしも、
>「酒乱で外に女を作っている父に感謝できない」と相談されたらどのようにアドバイスなさるおつもりでしょうか?
>「父親の悪事を町内に言いふらして、父親を家から追い出しなさい」とは言わないでしょう。
>上記体験談の後藤先生のように「お父さんの実相を拝みなさい」とアドバイスされるはずです。

 上記の例えは「靖国見真会」参加者様から「認識違いも甚だしい」とのお叱りを受けましたが、「和解が困難な相手と和解する」という本質的な部分は間違っていないと思っています。学ぶ会も教団も双方とも「信仰の和解」を説いているにもかかわらず、実際に行っているのは、裁判や批判合戦という現象の方法論です。なかにはそれを「神意」だとおっしゃる方もいます。私はどうしてもそこが矛盾していると思わざるを得ません。ですから、どうしても私は「靖国見真会」参加者様に「信仰の和解」について、どのようなお考えであるかをお聞きしたかったのです。

 もう、私からの問いかけには答えてくださらないかもしれませんが、ご返答くだされば幸甚です。



403SAKURA:2012/10/21(日) 01:44:00 ID:bvD7yBJY
トキ様 へ 
観覧者の皆様 へ ……
>>298の“トキ様の投稿”に関して…此処から考え込みまして、
>>296>>297>>305>>306>>316>>391>>392の” SAKURA” 投稿の続きです。
こんばんは……  ロ―マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1349267312/391
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1349267312/392
上記を昨日“ 投稿 ”させて頂きました。…が??

■昨日から“投稿…”しまして、「トキ様…」から返事を頂きました。…が?
まだ【未投稿…】がありますが
明日またその>>391>>392の続きを“投稿”させて頂きますので、
「トキ様」・「観覧者の皆様…」…その際は、閲覧して頂きますと幸いに思います。…が??

                                   再合掌

404志恩:2012/10/21(日) 06:53:54 ID:.QY5jUA6
「靖国見真会」参加者様

再度のお越しを、心から感謝申し上げます。

アクエリアン様がいわれるように

>>批判文がありますが、
問題の全体像が、理解されていないようです。

木を見て森が見えない、そんな感じです。
どうも、靖国見真会様の真意が伝わっていないようです。

なかなか、掲示板上のやり取りは、難しいものです。>>

私も、まったく同じ感想を持ちました。


しかし、ここをご覧の皆様のほとんどの方々には、
「靖国見真会」参加者様のおっしゃった真意は、伝わっており、
理解されたと、思います。 合掌


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