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「本流対策室/4」
330
:
解説者
:2012/10/19(金) 17:01:03 ID:???
生長の家の教えの根本は、言うまでもなく「天地一切のものに感謝」であります。
感謝すべき対象がたとえ自分を傷つける存在であっても、と私たちは教わっているはずです。
上記で紹介させていただいた体験談の
>A君が父と母との「争い」に心を奪われて、それを心で咎めている間は、どうしても調和できなかった一家が、
A君一人の心が変り、父母の争いの姿の奥底にかくれている「本当の父母の姿」を観る心になり、
それを振り上げられた棒の下で、実際に拝み切った時、忽然として調和した姿があらわれ、「争い」の姿が消えていってしまったのである。<
これが「信仰の和解」であると私は考えます。
では、それがどのような手順で、どのようにして可能なのか?
生長の家の全信徒が「天地一切のものに感謝する」という教えの根本に立ち返ることです。
具体的には神想観、聖経『甘露の法雨』の読誦。それしかないと思います。
前にも書きましたが、「桃の實会」当日の悪天候までも快晴へと変えることができる祈りの力があるわけで、なぜそれを使わないのかと思います。
上記で紹介した体験談以外にも似たような話は生長の家にはいくらでもあります。
すべて共通しているのは、谷口清超先生がおっしゃっているように、
>A君が父と母との「争い」に心を奪われて、それを心で咎めている間は、どうしても調和できなかった一家が、
A君一人の心が変り、父母の争いの姿の奥底にかくれている「本当の父母の姿」を観る心になり、
それを振り上げられた棒の下で、実際に拝み切った時、忽然として調和した姿があらわれ、「争い」の姿が消えていってしまったのである。<
に尽きると思います。
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