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「本流対策室/4」
384
:
志恩
:2012/10/20(土) 10:03:46 ID:.QY5jUA6
解説者様
谷口雅春先生は、
和解について、
「光明思想でないものや、ばい菌や、和解してはならないものとは、和解してはならない。」と
「信仰としての和解の定義」を、いくつも説かれておられます。
「実相と和解せよ、とは、悪と見える現象とは、仲良くするな、和解するなということです。」
解説者様曰く
>>「私が言いたいのは、「生長の家におけるケース」です。<<
先に書きましたのは、これに対する、お返事です。
また、解説者様曰く>>
生長の家信徒ならば、「現象は見ず、ただ合掌して善を祈っておれ」だと思うのです。
これを本流派の方は「何もしない人」と言われてますよね?
さらに、吉田國太郎先生は『常楽への道』のなかでこうおっしゃっています。
『和解せよ』である。それ以上一語をも要しないのである。受ける吾等は素直に入る。それ以外には語るを要せずである。
この割り切れ具合の鮮かさに、神様の神様としての尊さが生きている。割り切れているか、いないか、聖凡二つの別れ道がここである。
これが「生長の家におけるケース」であり、信徒が為すべき道であると思います。 <<
祈ってばかりで、それを行動に移さなければ、実現することと、そうでないことがありますでしょ。
信仰は、祈りばかりでは、実現しないケースが多々あります。
学校へ、遅刻しないようにと、座して祈っていても、実際に行動におこし、
走って学校へ向かわなければ、祈りは叶わない。祈っても遅刻する、という雅春先生の教えの例を、よく講師の方は、
話しておられました。
何もしないではないかというのは、実際に行動に移し、【和解】について、総裁を説得する行動をしてない、ということです。
祈っていないということでは、ありません。
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