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生長の家政治連合と「今の教え」を考える
1
:
トキ
:2011/06/20(月) 13:07:03
このスレッドは、生長の家の「今の教え」と「本流復活」の問題に関連し、
「生長の家政治連合」と「今の教え」について、自由に議論をするため
に作成したスレッドです。
生長の家に関連する話題なら、上記に話題に限定しないで、広く受け付けます。また
どの立場の人の投稿も歓迎しますが、基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教え
を支持、共鳴する人のためにサイトです。生長の家と谷口雅春先生へのご批判をされる内容
の投稿はご遠慮下さい。
投稿の削除はしない方針ですが、アダルトサイトや出合い系サイトの勧誘を含む内容など
明らかに目的外の投稿は、削除の対象となります。
目的外の投稿の判断は、最終的には、管理人である「トキ」の判断になります。
ご理解下さい。
スレッドのルールと方針は、生長の家の「今の教え」と「本流復活」を考えると、と同じに
考えております。
2
:
トキ
:2011/06/20(月) 13:12:10
<はじめに>
この論考は、現在の状態に至までの生長の家と生長の家政治連合の概略を述べるとともに、現在の組織に与えた影響を考察したものです。
生長の家政治連合は、現在の生長の家教団内部では、タブーになっています。また、「本流復活」と言われる人々の間でも、評価は別れております。
最初にお断りしておきますが、私は、生長の家政治連合の活動そのものの評価をこの文章で行うつもりはありません。しかし、生長の家政治連合をタブーにしている現状には、一石を投じたいと考えております。
私自身は、当時、生長の家政治連合(生政連)にはほとんど関わっていません。ですから、生政連の是非や結果を論じる資格はないと思っています。また、直接、関与して
いなかったため、その情報の多くが、書物や伝聞によるものである事はご理解下さい。ここに書かれている事が「正しい」というつもりはありません。あくまでも、現在の生長の家の状態を説明する、一つの仮説だと思って下さい。おそらく、当時の関係者や歴史に詳しい人からは、不満がでるとおもいます。
実は、この問題を論じると、本が1冊できるぐらいです。ですから、かなり事実関係を簡略化しました。其の点、あらかじめお詫びします。
生長の家政治連合の関係者は、現在でも多数ご存命です。また、当時の関係者の証言もようやく聞かれるようになりました。多数のご投稿をお待ち申し上げます。
3
:
トキ
:2011/06/20(月) 13:13:38
<初期 谷口雅春先生時代>
生長の家は、谷口雅春先生が始められたのですが、集会も当初は近畿地方や東京に限られていました。そのうち、全国で本を読んで、救われたという人達が本部に問い合わせて、近所の誌友と連絡を取り、勉強会を始めて、自然発生的に各地で支部が出来たのです。その後、急激に教えが広まると、各地で支部が出来、講演会も開かれるようになりました。しかし、支部の運営は有志の寄付などに頼っておりました。教化部長も常駐せず、定期的に本部から本部講師が派遣され、講話をするシステムでした。ですから、各地の支部は独立独歩の気概が強く、本部方針も細かい点まだは指事されませんでした。
言い方は悪いですが。家族的な雰囲気があると同時に、まだ、現在的な意味での「組織」ではなかったとは言えるでしょう。
谷口雅春先生は、人間的な魅力に溢れ、教えの素晴らしさと相まって、信徒は父親のような気持ちで接しておりました。家族のような雰囲気が部内には溢れていました。
戦争中、あるいは戦後は困難な時期が続きましたが、信徒はよく団結し、教団を守りました。(私は、この時期までの生長の家を“初期 谷口雅春先生時代"と呼んでいます)
4
:
トキ
:2011/06/20(月) 13:15:05
<前期 谷口雅春先生時代>
戦後は、生長の家の信徒が急速に増え、組織も拡大しました。
そのため、従来のような組織では、運営が出来なくなりました。試行錯誤の末、聖使命会員制度が発足、近代的な組織への一歩を踏み出しました。同時に、やや中央集権的な組織になりました。が、組織は順調に拡大し、信徒も増加の一途をたどりました。
その頃、共産党などの左翼党派が跳梁跋扈し、安保改正などもあり、国内の思想状況は悪化していきました。そこで、愛国者陣営といわれるグループから生長の家に支援要請が届くようになり、それに応えて生長の家も少しずつ政治への接近を始めました。当時は、右翼陣営の世間的な信用は低く、評価の高い生長の家への期待が高かったのです。が、思想の悪化と左翼勢力の拡大は止まりません。国内の危機的な状況に、ついに、谷口雅春先生は、「日本を守るためなら、生長の家が潰れても良い」とのご信念のもと、生長の家政治連合を結成し、全面的な政治への参加を決意されたのです。
(私は、この時期までの生長の家を“前期 谷口雅春先生時代"と呼んでいます)
5
:
トキ
:2011/06/20(月) 13:17:56
<中期 谷口雅春先生時代>
この時期以後、生長の家は、純粋な信仰運動だけでなく、政治運動も始める様になりました。そのため、組織のあり方も中央集権的になり、運動のあり方もや組織のあり方、部内の雰囲気など、多くの点で変化が生じました。森田=安東の両先生などはこの時代の申し子と言えるでしょう。
一部の信徒は、政治への接近に批判的でしたが、反面、当時の青年を中心に、情熱的な運動を求める雰囲気が強く、青年会を中心に、活動は活発化しました。その意味で、当初は生長の家の教勢発展に寄与したと言えるでしょう。元号法制化運動など、各種の運動で成果を挙げると、いよいよ政治への接近傾向が強まり、生長の家政治連合の関係者が肩で風を切る傾向が強まりました。
生長の家政治連合は、生長の家教団の一関連団体にすぎないのに、実際には、生長の家を代表するような言動すらするようになりました。時には、総裁の権威をも無視する場合もありました。その反発を押さえる為に、生長の家政治連盟を中心とする上層部から中央集権化を合理化する教学が強化されました。私はこれは、組織教学と密かに呼んでいます。当時、谷口雅春先生はご高齢で教団運営の実務から離れつつあり、後継者の谷口清超先生の権威はまだ完全には確立していなかったので、生長の家政治連合の人達がその間隙をぬい教団に大きな影響を与え増しア。そして、彼らが、この組織教学の中心的な提唱者でした。
6
:
トキ
:2011/06/20(月) 13:20:49
<組織教学>
これは、私の勝手なネーミングです。
生長の家の「中心帰一」とは、真理や理念の中心への無条件の帰依を意味しました。
あるいは、「道」を大切にすること、「大調和」を大切にする事をも含みました。無理矢理の服従ではなく、心からの調和がポイントでした。が、この時期以降の中心帰一は、「上層部への無条件の服従」という意味へ拡大解釈されるようになりました。その上、総裁=副総裁=み教え、というラインが、現象人間の「総裁、副総裁」という意味をも含むまで広まりました。これが行き着くと、その世界は、生長の家ではなく、昔の陸軍の内務班になります。実際、谷口雅春先生の直弟子の本部講師が、「これは(生長の家の)中心帰一ではない。支那式服従だ。」と断言されたのを、この耳で聞いております。
この時代までの教団内部の雰囲気は家族的でしたが、これ以後は、良い意味でも、悪い意味でも、軍隊のような雰囲気が混じりだした、と古い信徒さんは回想をしております。
組織教学の弊害は、教団が正しい理念に基づき、運営されている間は、問題が生じませんでしたが、今日のような間違った理念の下で運営されると、その弊害は著しいものになります。
生長の家政治連合の当時は、ご高齢になられたとはいえ、谷口雅春先生もご健在で、上層部にも谷口雅春先生の直弟子がご健在でした。暴走を指摘される生長の家政治連合の指導部も、部内では実力者だった森田=安東先生ラインでしたから、それなりの権威もありました。いわば、優れた指導者と有能な側近が健在なため、弊害はすぐには表面化しませんでした。
なお、組織教学は、これ以後、総裁の交代や重要な運動方針の変更で、組織部内に動揺が生じたたびに、動揺を収めるための手段として、強化されていきました。
7
:
トキ
:2011/06/20(月) 13:22:11
<政治との絶縁生命>
教団の過度な政治への接近は、信仰への軽視を生み出す場合もあり、次第に部内からも批判があがるようになりました。生長の家政治連合の関係者の専横も目立つようになりました。生長の家政治連合が推薦した議員のスキャンダル、支持政党の政治汚職なども加わり、内外から批判の声があがるに至りました。優生保護法改正での支持政党が約束を反故にした事等、政治への不信が強まり、遂に、谷口清超先生が、谷口雅春先生のご了承を得て、政治活動の停止を宣言しました。同時に、生長の家政治連合も解散となりました。
(私は、この時期までの生長の家を“中期 谷口雅春先生時代"と呼んでいます)
8
:
トキ
:2011/06/20(月) 13:24:00
<政治活動停止の疑問点>
教団の政治活動停止の経過は、今日でも公になっていない点が多いです。
政治活動停止が正しい決定だったとしても、段階的な廃止という手段もとれたはずです。なのに、何故、いきなりの停止だったのか、疑問があります。
当時、「聖使命」新聞紙上に掲載された、「生長の家政治連合解散、政治活動の停止」についての声明文は、今から思うと、谷口雅宣先生のご文章と類似点があるような気がしております。気のせいでしょうか? 最近、公表された村上氏の回顧録を見る限り、谷口雅宣先生が生長の家政治連合に極めて批判的な言動を当時からしていたようです。
谷口雅春先生が、生長の家政治連合の解散の報告を聞き、激怒された、という噂が教団内部に今日でもあります。が、教団の公式見解、ならびに本流復活の中にも、谷口雅春先生はご納得されていた、との事です。この点について、私は判断をする材料を持ちません。
その他、不明の点が多々あります。今後の解明が待たれます。
9
:
トキ
:2011/06/20(月) 13:26:35
<後期 谷口雅春先生時代>
谷口雅春先生は、長崎に生長の家総本山を建立、信仰の力での日本国の実相顕現と世界平和に方向を転じられました。その後、共産主義の間違いが周知になり、冷戦崩壊へとつながったのはご承知の通りです。
谷口雅春先生は、教団運営の実務を谷口清超先生に任せ、ご自分は長崎の総本山で、もっぱら、祈りによる日本国実相顕現に時間を費やされました。その後は、亡くなられるまで、総本山での活動を継続されました。この時期は、比較的に安定した時期でした。
(私は、この時期の生長の家を“中期 谷口雅春先生時代"と呼んでいます)
10
:
トキ
:2011/06/20(月) 13:29:18
<谷口清超先生時代>
さて、生長の家政治連合の解散は突然発表され、部内での説明も不十分だったので、生長の家政治連合の関係者を中心に、多くの信徒からの激しい反発がありました。そのために生長の家から離れて、独自の運動を始める人も出ました。本部の権威も傷つきました。
それを納める為に上層部がとった手段が「組織教学」の強化でした。が、当時はまだ谷口雅春先生がご健在だったので、何とか納める事ができました。しかし、もっと順序を踏んでの議論をすれば、情勢は違ったと考えています。
重大な事は、生長の家政治連合がなくなったのに、教団内部に生長の家政治連合の組織体質、発想、部内の雰囲気は残った、という点です。「純粋な信仰」を目標と掲げながらも、運動の発想などは、生長の家政治連盟当時と同じままでの運動が展開し、現場の活動者や会員は、その齟齬に悩みました。
生長の家政治連合までは、生長の家は、外部への関わりを積極的に推進する方針でした。が、生長の家政治連合解散後は、内向き、閉鎖的な体質への変化をしました。それまで生長の家の行動は、社会に一定の影響を与えていました。また、生長の家から角界で活躍する有為な人材が多数輩出されていました。が、この時期以降、そのような事は少なくなりました。
さらに、敢えて言うと、このときから、生長の家の迷走が始まったと言えるでしょう。
私見では、谷口清超先生の目的は、生長の家を政治への介入以前の状態、つまり信仰だけを目的とする組織に戻すものだったと推測できます。しかし、谷口清超先生には大変申し訳ありませんが、それに成功したとは感じていません。組織の目的が何なのか、現場の活動者にも不明なまま、活動をする状態が続きました。
しかし、谷口清超先生は、偉大な指導者であり、谷口雅春先生の正当な後継者でした。この困難な時期にもかかわらず、教団を純粋な方向へと指導され、内外の信徒の尊敬を集めました。この先生だからこそ、この困難な状態を乗り切れたと言えるでしょう。
(私は、この時期の生長の家を“谷口清超先生時代"と呼んでいます)
11
:
トキ
:2011/06/20(月) 13:32:41
<谷口雅宣先生の時代>
谷口雅宣先生は、副総裁時代に「大東亜戦争侵略論」をいきなり発表し部内を混乱させるなど、適性には最初から疑問視する声も一部にありました。
その後、生長の家総裁に就任された谷口雅宣先生は、「国際平和信仰運動」なるものをご提言、「愛国的国際人」とか「両軸体制」とか「座禅的瞑想」とか、一見、おどろおどろしいが、実は内容のない合成語を羅列し、迷走状態にあった生長の家をまとめあげ、滅亡へとしっかりとご指導されているのです。彼は、生長の家政治連合を毛嫌いしていましたが、皮肉な事に、トップダウンが大好きで、議論を嫌い、邪魔な人間は片端から追放し、信仰以外の目的に組織を使うなど、やっている事は、生長の家政治連合の連中と似たり寄ったりの事をしているのです。しかも、その総裁の独裁を理論的に裏付けしているのが、生長の家政治連合時代に生み出された組織教学だったのです。
彼の組織指導を見ていると、<中期 谷口雅春先生時代>の全否定だと言う事が見えます。この時代は、組織の一部が暴走し、制御がきかなくなっていました。その時代に感じた恐怖が現在の暗黒体制の動機になっているのでしょう。そして、生長の家政治連合について「正しい判断」を下した自分への過大な評価と、「間違った」信徒への過小な評価も見えます。強引な独裁体制を引いているのは、自分の頭脳への自信過剰のなせるものだと言えます。
公平を守る為に彼を援護すると、生長の家という古い体質の組織を改革する必要は確かにあったのです。生長の家政治連盟当時の体質を改善し、普通の社会通念から見ても通用する組織にする意欲は持っていたと思います。
当初、私を含めて、彼に期待していた人間は少なくないです。が、信徒の皆様がご存知の通り、組織指導の結果は悲惨なものです。今日では、もはや行き詰まりは明白、という状況になっております。
以上が、生長の家と生長の家政治連合との関わりです。
12
:
トキ
:2011/06/20(月) 13:33:43
<現在の生長の家政治連合の教団からの評価>
この生長の家政治連合の一連の事件は、当時の関係者に深いキズを遺しました。
生長の家という組織の威厳も低下しました。谷口雅宣先生が、かって
「祖父は間違いをしました。」と
言ったのは、この点をさします。
彼は、もともと、生長の家政治連合を嫌っていました。また、村上正邦氏によると、自分が新聞社で希望する部署に行けないのは、生長の家政治連合関係者の妨害によるもの、と思い込んでいたようです。当時の生長の家政治連合推薦の議員が谷口雅宣先生に、散々、叱られたという話もあります。いくつか要因が重なり、彼は、生長の家政治連合に嫌悪感を持っているようです。
今日の生長の家では、生長の家政治連合とその時代は、生長の家の「汚点」と見なされています。少なくとも、現在の総裁はそう考えています。で、「日時計主義」を唱える原宿教団では、「臭いものにフタ」とばかり、この件を議論する事は禁じられています。そのくせ、生長の家政治連合と親近性のある言動は取り締まられる、という現実があり、このあたりが部内を萎縮させる原因となっています。
13
:
トキ
:2011/06/20(月) 13:34:51
<現在の生長の家政治連合の関係者からの評価>
生長の家政治連合の末期には、その専横や内容に対し教団内部でも批判が強かったので、生長の家政治連合の活動停止には、賛同する声が多かったです。しかし、生長の家政治連合は信徒の自発的な動きではなく、生長の家教団の意向で始まり、活動をしていたのです。発表も突然でした。ですから、関係者からは「裏切られた」という声があがりました。現在でも、「本流復活」掲示板などに、当時の関係者が怒りの投稿をするのは、こういう背景があるのです。それが嵩じて、生長の家政治連合廃止の急先鋒だった谷口雅宣先生への敵意へとつながっているのです。
特に、谷口雅宣先生は、谷口家の他の兄弟姉妹と違い、運動には参加せず、冷笑的な立場だったと言われています。当時の活動者からは嫌悪されていた、との投稿が別のサイトにありました。これが一般信徒ならともかく、信徒の浄財で小学校から一流私立大学に通い、海外留学までされた人物だったから当然です。言い換えれば、闘わなかった人間が、「美味しい汁」だけ頂戴し、闘った人間を批判し,その上、指導者になったのです。賛否は別にして、関係者の怒りは理解は出来ます。
14
:
トキ
:2011/06/20(月) 13:35:40
<私見>
現在の教団内部では、生長の家政治連合は、タブーになっています。それは、関係者が生長の家政治連合を「汚点」と考えている点や、この問題を掘り下げると、生長の家教団、ひいては谷口雅春先生の責任論が噴出しかねないと考えているのでしょう。
しかし、この問題をタブーにしていたために、現在の迷走が始まったと思うのです。ですから、どこかで、一度、きちんとした総括なり反省はしなければいけないと思います。
この文章で、生長の家政治連合の是非を論じるのは、あまりも範囲が広すぎるので、省きます。また、私は、当時、生長の家政治連合には反発を感じて距離を置いていた人間でしたから、論じる資格もないです。
今日から考えると、谷口雅春先生は、日本国という立場で行動をされました。生長の家の損得ではなく、国家の正義という観点からの行動だったのです。現在の政治の混迷を見る限り、生長の家政治連合が目指したものは、否定はできないのではないか、という気がします。また、谷口雅春先生と当時の指導部が目指したものは、当時の社会情勢を見る限り、当然とも言えるものでした。ですから、生長の家政治連合を論じても、決して、谷口雅春先生を否定するものではない、と考えております。この点については、当時の関係者の積極的なご投稿を期待しております。
15
:
トキ
:2011/06/20(月) 13:36:48
<雑感>
生長の家政治連合の突然の解散は、関係者に深いキズを残しました。これこそが、日本を救うのだと信じて、政治活動をしていたのに、いきなり「間違い」にされてしまったのです。私は、生長の家政治連合にはいくつかの点で否定的な考えを持っていますが、この点については、彼らが怒るのは当然だと思います。当時の理事長の和田英雄さん(のちに教団を離れました)など、当時の責任者の説明も心のこもったものではありませんでした。今でも、この問題がぶり返されると、教団上層部は上から目線で説教をします。が、彼らにそんな資格があるか、どうかは疑問だと思います。
極端な言い方をしたら、生長の家政治連合が問題というよりも、その後始末のまずさこそが問題だと考えています。
現在の谷口雅宣先生は、再三、生長の家政治連合は「間違い」だった、と断言をしております。実は、私自身、生長の家政治連合には批判的だったので、この点について、何もいう権利はありません。しかし、彼は評論家ではありません。生長の家総裁です。もし、生長の家政治連合の活動が「間違い」だったというのなら、彼の立場では、先ず、生長の家という組織がした間違いについて、当時の関係者に謝罪をすべきです。これは彼の個人的な見解とは別の話です。公人としての義務です。
さらに、生長の家政治連合はなくなったのに、当時生み出された「組織教学」は、そのまま残りました。少なくても、「前期 谷口雅春先生の時代」までは、総裁がここまで独走できる体制ではなかったです。これが、現在、谷口雅宣先生の「独裁」を正当化する理論とされているのです。この「組織教学」を否定する事ができないまでも、21世紀の新しい「組織教学」の検討が必要な気がします。もし、生長の家政治連盟の活動に「負の遺産」があるとしたら、この「組織教学」かもしれません。
生長の家が、ある時期、政治に関わり、運動をしていたのは、否定できない事実です。それを単に否定するのではなく、もっとポジティブにとらえ、将来への教訓にもする姿勢こそが、必要だと考えています。その意味で、皆様のご投稿をお待ちしております。生長の家政治連合の肯定的な側面からの投稿も歓迎します。よろしくお願い申し上げます。
16
:
トキ
:2011/06/20(月) 13:53:39
<追加>
生長の家の長い歴史を見ると、障害もなしに順調に発展をしたとは言えません。「生長の家30年史」「40年史」「50年史」も良い本ですが、谷口雅春先生のかかれた「明窓浄机」が実は、生長の家の歴史を知る上では、たいへん参考になります。それを読むと、谷口雅春先生がたいへんなご苦労をされたのがよくわかります。その歴史の中で、栄光もあれば、挫折もあったのです。
私自身、長く活動をしてきて、その間には、良い事がたくさんありました。が、否定的な事も、現象としては、現れた事があります。組織としての生長の家にも、類似の事があったと思います。
これは、たいへん畏れ多い事ですが、生長の家という組織は、世界や国家、個人にとって、優れた貢献を多数しました。が、何十年という間には、知らない間に「業」は積んでいた部分があったと感じます。多くの本を読み、そう感じました。
ここで、「業」というと、生長の家と谷口雅春先生を批判する人がいますが、それは間違いである、という点は申し上げます。人間であれ、組織であれ、行きて活動をする人は必ず「業」は積んでいるといえるでしょう。私は、この文章を書いている時点ですら、生長の家と谷口雅春先生の偉大さを一点の疑いもなく、信じております。
谷口雅春先生の愛国心、理想を求める純粋な姿勢とともに、教団運営のために、隠れたご苦労をされた点を、現在の信徒一同、深く感謝申し上げるべきだと強調したいです。その点は、何回でも繰り返したいと思います。
今日、生長の家で起こっている混乱、あるいは総裁の暴走は、今日、突然、生まれたものではなく、生長の家という組織に生じた永年の「業」が。出たものかもしれません。今回、生長の家政治連合をテーマにしましたが、実は、生長の家という組織の永年の「業」がでたものだと考えています。その意味では、総裁や生長の家という組織の問題であると同時に、生長の家に関わった信徒一人一人の問題だとも考えています。
でも、悲観をする必要はありません。
「業」は現れたら、消えて行くと教えられています。
今回の一連の事件で現れた以上、消えると確信しています。間もなく、問題は解決すると信じております。その意味で、夜明けは近いと確信しています。
17
:
山ちゃん1952
:2011/06/21(火) 01:02:15
トキ様ご提言ありがとうございます。
さて、本部内部の事情はわかりませんが末端の信者などを無視した行動は組織
としてどんな事情があるにせよ失格であり、私は擁護など出来ません。
そうしたツケがそのまま今の現状になっていることは本来猛省するしかありません
が今の組織に「祖父は間違っていた」という資格はないことは明確であり。
反対に反省しても、どうする対処も出来ないことは自明である。
それは組織の総括も出来ない組織は他を批判は出来ません。
さて、私は以前に「生長の家」の歴史を勉強することの大切さを提言しました。
何故そう書いたのか理由は書きました。
ビスマルクは「愚者は経験に学び、賢者は歴史を学ぶ」という言葉がありますが
人の経験というのはその人の歴史しかわかりませんが、歴史は綿々と流れた
縦の歴史を学ぶものです。その歴史がその人を見ていると悪い人は沢山いますが
それを長いスパンで考えると悪人と思えるひとが実は歴史に功績を残した実例は
あります。
たとえば、徳川綱吉は「犬公方」ともよばれ当時の新井白石すらその悪行を綴った
と言われます。
だが、長い歴史から見ると、日本人の優しさのようなものが熟成された初期にも
感じます。またいろいろと述べてみたいところですが、結論からすれば歴史は長い
スパンが必要なのです。
藤原正彦さんは近現代史は「共産主義」の脅威を語らないのでいる。分野の異なる
私がその歴史を紐解くことをされている。(数学者)
そこなんですよ、生長の家の政治に何故谷口雅春先生は推進されたかを語らないと
片手落ちのような気がします。トキ様にはそういう事を語って戴きたい。
しかし、私論では行けませんので生長の家政治連盟の作成した文書や経緯など
わかる範囲でお願いしたい。
私はそういうパンフレットや著書など僅かしかなく資料とはいえない。
是非公けにしていただければ助かります。ただ外部にマル秘は致しかたない。
許せる範囲でお願いいたします。
それにより、負の歴史というのはそうでないことも理解できるように思える。
18
:
トキ
:2011/06/21(火) 09:42:05
>>17
山ちゃん1952様
コメント、ありがとうございました。
こんな長い文章を読んで下さり、ありがとうございました。
生長の家政治連合の事を調べるのは、部内でも難しいです。複数の当時の生長の家政治連合の関係者に
当時の話を聞いても、皆さん、話してくれませんでした。教化部でも、当時の資料は処分されているみたい
です。たまたま、個人が所蔵していた資料が、ご本人が亡くなり、ご遺族により表に出るのが数少ない例外
です。
生長の家を辞めた、生長の家政治連合関係者にも会った事がありますが、これは、ろくでもない人でした。
なるほど、生長の家政治連合が活動停止になったのも、宜なるかな、です。
生長の家の歴史を勉強する事の大切さは、全く同感です。素晴らしいご提言です。
生長の家の歴史で言うと、30年史にしろ、50年史にしろ、生長の家に都合の悪い事は書いてないです。
50年史を編集した人は、森田=安東先生派の人でしたが、あまりにも谷口雅春先生を尊敬するあまり、
生長の家を美化し過ぎるし、編集者の主観に会わない部分は控えめにしてあります。これも良くないと感じます。
一番、頼りになる資料は、谷口雅春先生の「明窓浄机」で、これは、結構、生長の家に都合の悪い話も
たくさん掲載されています。「ゆにはデパート」の話なんか、この本がなければ、知らなかったと思います。
谷口雅春先生は、ご自分に都合の悪い話も、全部、正直に書いておられます。この点は、素晴らしいと
感じます。
ただ、生長の家政治連合というのは、日本の政治史の上でも、一つの大事な存在だと思うのです。
私も勉強中です。
生長の家政治連合については、これから、当時の関係者の投稿をお待ちしております。
合掌 ありがとうございます
19
:
トキ
:2011/06/21(火) 09:48:32
>>9
訂正です。
×(私は、この時期の生長の家を“中期 谷口雅春先生時代"と呼んでいます)
◎(私は、この時期の生長の家を“後期 谷口雅春先生時代"と呼んでいます)
20
:
山ちゃん1952
:2011/06/21(火) 13:49:23
普通会社では社史などは自社の悪いことは書きません。勿論余程社会の通念でなければ
避けるとは思います。過去に悪い印象を残したくないのは当然だと思います。それぞれの編纂史があります。
先日池田市の池田文庫に行ってきましたが、阪急電車の社史や宝塚歌劇団の通史が
掲載されていましたが、そこに悪いことは流す程度で良い方向に書くのは通史です。
それぞれの通史があります。神社は神社史や市史などいろいろありますが、自分の事は悪くは書きません。
生長の家50年史編纂に関わったのはS氏と言われますが、その細部に関わったOさんは生長の家
の歴史には大変詳しく、何度も大本教に行ったことなど詳細に語っていただいた事があります。
今は異なる所で活躍されておられますので、名前は出せませんが現在東京にお住まいであります。
昨日会社を休んで戦後を中心に雅春先生の年譜作成していました。数年前は気にも留めなかった
生政連のパンフレットが見つかりました。田中忠雄先生を中心の時代の小冊子です。
21
:
トキ
:2011/06/21(火) 15:51:00
>>20
山ちゃん1952様
コメント、ありがとうございました。
古い信徒さんと話していた時に、聞いた話です。
生長の家の組織は、各地の信徒さんが、自発的にお金を出し合い、分担して労力を提供し、独立独歩、作ったものが大半です。
もちろん、谷口雅春先生のご活躍が中心ですが、各地の信徒さんの協力がなければ、今日の組織はあり得なかったのです。今日の
原宿教団の歴史には、その視点が欠けていると感じます。ですから、過去、各地の信徒さんが、本部の専横には断固抗議したのは、そう
いう背景があるからなんですね。
谷口雅宣先生が、森のオフィスとか、環境とか、勝手な事をするのも、そういう視点が欠けているのが原因だと思います。
言い方は悪いですが、こんな勝手気ままをするのは、近代的な組織ではなく、”谷口商店”ではないか、という感じです。組織教学に
ついてですが、具体的な証言は紹介できないですが、谷口雅宣先生が、谷口清超先生の言う事には従わなかった、という証言は
複数あります。ところが、自分の言う事には従え、という世界ですから、困ったものです。
あと、生政連については、関係者もタブーとして、証言されませんね。見事なものです。
本当は、森田先生や安東先生など、関係者がきちんと証言を残して欲しいと願っています。
やはり、体験者の投稿は勉強になります。今後ともよろしくお願い申し上げます。
合掌 ありがとうございます
22
:
ブログ「雅春先生に訊け」管理人
:2011/06/21(火) 16:55:17
本日ブログにて、雅春先生のご回答―倉田百三氏宛て―をアップしました。
是非ご高覧あれ、であります。
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65559793.html
いやー、雅春先生の御言葉をそれこそ、20ページ分書き写し(PCなんで打ち
写し)しましたけど、スゴイ効果ですね(笑)もう今私の脳内は、雅春先生
ご主張(しかも昭和11年ヴァージョン)で一杯です。ええ、原理主義者と言わ
れる方以上の原理主義者と言えるでしょうか(笑)
まあ、素晴らしい機会となりましたこと、皆様に御礼申し上げます。
合掌
23
:
ブログ「雅春先生に訊け」管理人
:2011/06/21(火) 16:57:12
すみません・・・スレッドを間違えました(笑)
24
:
トキ
:2011/06/21(火) 20:08:13
>>23
いえいえ、気にされないで下さい。
25
:
現職員、妻
:2011/06/21(火) 22:15:42
トキ様
生長の家史論文を読ませて頂きました。
大変貢献の高い仕事をして頂き、ありがとうございます。
今の組織のあり方は、生長の家の歴史から
自分なりに理解していましたが、
トキ様が示して下さった「組織教学」、
私には組織を考えるに、
ずっと理解の課題でしたので、納得するところでした。
また組織自体の業の行方。
トキ様は、
一般的には、こういう状態の組織は、組織が崩壊するか、
指導部が失脚するか…
と書かれていましたが、
これからの生長の家の組織のあり方や方向の可能性に、
何か展望のようなお考えをお持ちでしょうか。
26
:
エンジェル
:2011/06/21(火) 22:22:02
トキさまが書かれた<政治活動停止の疑問点>についてのⅠ考察のために
実は私もこの事が本当はどうだったのか知りたくて(古今物語の掲示板でも話題になったことがあったので)
もしかしたらあの当事雅春先生の最もお側におられた貴康先生ならご存知かと思いうかがった事があります。
それまでは、清超先生が政治活動を嫌っておられてという噂もあったのですが、お話を聞いて驚きました。
私が、清超先生は政治活動がお嫌いだったのですかと貴康氏にお聞きすると
「好き嫌いの問題ではない、僕は玉置和郎の事務所で一年間丁稚奉公させられたんだよ、預けられたりは清超先生だよ笑、嫌いな世界に息子を預けはしないだろーよ」
「それでそのうちに玉置先生に見込まれちまって村上さんもいたんだけど俺の跡継ぎになってくれないかと誘われてね、僕も若かったから本気にしちゃって・・・」
「て゛もね、清超先生はおまえは生長の家を勉強して政治家ではなく政治家を使う立場の人間になれと言われたんだよ」
だからその後長崎の雅春先生の下に行かれたのだそうです。でもこの当事は選挙のたびに全国を応援に行き、特に村上さんの初当選の選挙では奥さんの臨月の日を超えて駆け回り、村上さんの当選確実が出た日にMさんは生まれたそうです。
さて、二回目の(一度雅春先生自身が活動停止を言われたことがあります)生政連の活動停止(凍結)になった時の話ですがここからは実際にお聞きしたことを
会話形式にして書きます(文責はエンジェル)
「あの日ね、清超先生から朝お電話があってね、あんたは政治活動にとても興味があったし誤解の無いように伝えておきたいことがあって・・・」
(実はこの当事、総本山の落慶大祭後、長崎に貴康先生の尽力で長崎『玉置会』が三菱関係を中心とした企業が参加して出来上がり、地方議員連盟も大いに拡大中で貴康さんも各地に応援に行かれていた等の背景があったようです)
清超先生「生長の家は自民党に結局利用されてしまったことは君も今度の法案の扱いや名簿順位の扱いで理解していると思う」
「信徒をこれ以上純粋な信仰活動よりも政治に関わらせて失望させるわけにいかない。ここは一時政治活動を凍結して純粋な信仰活動にもどり、
圧倒的な信徒の増大を図って出直さなければならないと考えたわけで、先ほど雅春先生にこの決断をお伝えして了解を戴いたところだからね理解して欲しい」
貴康氏 「活動の凍結とは信徒数が倍増した日には再び政治活動に参加するということですか」
清超先生「そう思ってもらってもよい、ただ自民党と今までのように協力するかはわからない」
貴康氏 「もし信徒さんを拡大できたら自分たちの政党を作る可能性もあるのですか」
清超先生「そういうこともあり得る、何しろこれからは政党に他の団体と天秤にかけられるようなことの無いように信仰的に熱烈に、
信徒数においても圧倒的な力を蓄えなければならないということだ」
貴康氏 「そういうことならば全く異論はありません。先生のおっしゃる通りです」
このようなお話があったそうで他の誰にもしばらくはお話にならなかったそうです。
このことから解るように、生政連は一活動が凍結されそれは、解散と云うことではなかったわけで
実際、経理上も生政連の会計と財産はその後何年も残っていたようです。
「この活動の凍結の決定はおそらく当事の理事会であったはずで、このころの理事会の書記は
森田征史さんだったろうから詳しくは聞いたらいいよ」とのことでした。
ちなみに、雅宣さんはとお聞きすると、あの当事は生長の家にはいなかったと思うよ、完全に解散になるころには
本部に入っていて当然大きく関わったとと思う。との事でした。
27
:
トキ
:2011/06/22(水) 10:25:05
>>26
エンジェル様
たいへん貴重な証言をご紹介下さり、ありがとうございました。驚くような内容ですね。
貴康先生は、ご紹介下さった清超先生との会話の一番最初の部分は、部内での文章で明らかにされていました。
が、続きの部分は、こちらで紹介されるのが、初めてだと思います。
この証言が、当時、紹介されていたのなら、後の流れが変わったかもしれません。その意味では、惜しいと
も感じます。あれ以降、組織にガタが出る様になってきましたから。
清超先生が、そのようなお考えだったとしたら、 ますます雅宣先生が生政連の活動停止について占める役割りが大きい
と推察できます。が、証拠はありません。
共産党なんかも、スターリン批判とか、六全教とか、突然の方針転換で組織が動揺した歴史がありますが、この問題
は、もっともっと歴史が明らかになるべきですね。
今回は、本当にご投稿、ありがとうございました。
合掌 ありがとうございます
28
:
トキ
:2011/06/22(水) 10:44:41
>>25
現職員、妻様
ご投稿、ありがとうざいました。
実は、不確定要素が多すぎて、予測不能です。神様しかご存知ないでしょう。(笑)
ただ、今の生長の家は、運動にしろ、組織にしろ、あまりにも「澱」というか、少し余分なものがついていると思います。
一度、リセットして、シンプルなものに戻すべきかもしれません。
柳田国男さんの「零戦燃ゆ」という本を読んでいたら、こんな話がありました。
戦争末期、硫黄島を守る為に零戦隊が硫黄島に進出しました。が、飛行機が足りないので、最新式の零戦が半分しか手に入りませんでした。そこで、倉庫に眠っていた
古い零戦を引っ張りだして使う事にしました。
やがて、アメリカに戦闘機が空襲に来たので、レーダーで探知した零戦が飛び上がって迎撃しました。戦闘が終わってから零戦が戻ってきましたが、驚いた事に
最新式の零戦の大半は撃墜されて帰ってきませんでした。逆に古い零戦は全機、無傷で帰ってきました。おまけに、全員がアメリカの戦闘機を撃墜したと報告しました。
何故、こんな事になったのか?
最新式の零戦は、研究の結果、いろいろな装備がついていました。が、肝心のパイロットがそれを使いこなす事が出来なかったのです。おまけに、いろんな余計な装備
をしたため、動きが鈍くなり、そこをアメリカの戦闘機につけこまれて撃墜されたのです。
古い零戦は、基本的な装置以外は、何もついていませんでした。ですから、パイロットが飛行機を使いこなす事が出来たのです。余計な装備がないので、飛行機の動きも
俊敏でした。ですから、アメリカの戦闘機と空中戦をしても、動きが早いですから、敵がモタモタしているところを巧みな動きで優位にたち、次々と撃墜していったのです。
最近の家電でも、携帯電話でも、多機能になり過ぎて、かえって使いにくいという話はあります。
生長の家も、少し、余分なものが憑き過ぎたと感じています。絵手紙や環境が悪いとは思いませんが、それは、個人の判断に任せる事だと思います。もっと基本を大事に
すべきだと思います。
どうも、勝手な事を書きまして、すみません。
合掌 ありがとうございます
29
:
現職員、妻
:2011/06/22(水) 14:10:10
トキ様
トキ様の見識にすがりたくなり、漠然とした組織の行く末をお尋ねすることとなり
すみません。
私にも分かりやすい例をあげて下さり、ありがとうございます。
しっかり狙いを定めて操縦できるシンプルな零戦に戻って頂きたいですね。
トキ様のようにはっきり意思を
持って組織に残る方を、
私は周りに知らなかったので…
(まあ話せることでもなかったのですが、)
トキ様の実感では、そういう傾向もいまの組織には感じられますか。
信徒の方も含め組織を辞めるか、今の雅宣先生のやり方に迎合していくか…だと思ったり、
なかなか客観的に組織を考えられなくもなっていたので、
それだけではない力に希望を感じたいです。
正直、今の講習会や全国大会を
推進する気にはなれないですが、
(本当はもともと「宗教を推進する」というのは、感覚的にずっと抵抗がありますが…)
若い方が生き返るような真理を、スパッと説いてくださる様な集まりが現実に出来ないというのは、
今触れる新しい方には、逆に気の毒な気がしたりします。
信徒さんが組織を離れて幸せになるならそれはそれでよいと思います、が、
私の知人には、組織に失望して逆に宗教アレルギーになったり、
真理を精神世界に求めて(ある意味魑魅魍魎?の世界に)いった方もいるので、
極端な例ですが、真理を求める方のそうした流れはやはり残念です。
宗教組織の宿命でもあるんでしょうか。
本当に私にはわからない事が多く、とりとめない事を書きまして、失礼しました。
自分としても組織との関わりをこれからも考えていきたいと思ってます。
ありがとうございました。
拝
30
:
義春
:2011/06/22(水) 16:05:44
全国大会ネタがあったので、一寸書いてみる。
確かに、今年の全国大会は行く気になれんかったなぁ…そりゃ青年会の会長から推進の葉書頂いたりで、あぁ、頑張ってらっしゃるんだ…とは思ったし、それには人として尊敬します。
だけど、さ…まぁ〜色々付き合いというものがあるから行って感じたけど、体験談まで環境はないでしょうよ(泣)
そりゃエライよ…農業とかって呂氏春秋じゃないけど農人に謀らずな天と土との対話をしなくちゃいけないからさ…俺には出来ないと思う。
だけど、それが人に何か影響を与えるの?真理は何処に行ったの?
…と。まぁ…でも、体験談した人を責める訳じゃないよ。以下の事が考えられるからね。
去年の全国大会の体験談をした人が内幕教えてくれたけど、本当は話した内容ではなく、周りの人が生長の家の真理で救われた…ていう話をしたかったのに、本部の都合で無理矢理変えられた、しかも色々手際悪くて、もう厭だ!と嘆いていた…だから、もしかしたら、今年もそうなんかもしれないからね。
まぁ…来年は行かないと思う。
高橋是清みたいな苦労人の事を『古い考え』とか切り捨てる人の話を聴く気になれん…まぁ…今年も思いっきり寝てたけど(笑)
ちなみに私の周りのバイオや環境関係の人達は彼の話を聴いても情報のソースを疑うし、生物系の人間をいっさいがっさい切る言い方には、かなり反感持っているンだよね。
31
:
現職員、妻
:2011/06/22(水) 17:43:26
体験談、不手際事件〜
残念ながら私も体験しました…
まあ妻になる前の話なんですが、
本部のせいねんかいってとこは
大丈夫なんだろうか…
なんて、その時は思いましたよ、、
普及誌も機刊誌も誰のため?って話がありましたが…
結局、全国大会の体験談も、
総裁先生のご満足なお話を、
お聞かせする場なのでしょうか。
義春様もいなくなる全国大会、
ますますさみしくなりますわ…
33
:
トキ
:2011/06/22(水) 19:40:35
青年会の全国大会、残念でしたね。いい時代に自分が青年会が出来た幸せを感じると共に、これから入る青年が可哀想だなあ、と思ってしまいます。
看板は生長の家で、中味は環境の家では、羊頭狗肉ですよね。
教区では、情報が入らないので、若手の活動者では、「本部の考えている事だから、大丈夫だろう」と思っている人が多いです。でも、古手の活動者と話をすると
「もう、ダメだろう」と言います。理念がどうの、というレベルではなく、組織運動という側面から観察すると、成功するはずがないのです。昔の陸軍のインパール作戦
とか、山一証券の倒産とか、ワンマンな指導者の暴走で組織が崩壊する、という話はよく聞きますが、我々は、今、リアルタイムでそれを見ているのですね。
で、この際、生長の家という組織体が、どういう動きをするか、予想は難しいです。
ただ、一般論ですが、個人であれ、組織であれ、過去にその人やその組織の歴史を観察すると、だいたい同じパターンを取るのですね。ですから、生長の家の歴史を
調べると、だいたい、有る程度の予想はできるのではないか、と考えているのです。総裁が暴走する、というのは過去にないパターンですが、生長の家が存亡の危機に
なった、というのは、終戦時などはありました。ですから、少し調べてみようかと考えています。それがわかると、次に、どう動けば良いか、予想がつきますから。
合掌 ありがとうございます
34
:
義春
:2011/06/22(水) 19:59:31
>>31
現職員妻さま
仕方ない事ですよ。今年だって『俺は行かんぞ!』と宣言してたのを折れに折れて参戦したら、この体たらく…俺はこんなもんを見る為に生きたのじゃない!こんなんだったら(古代の習わしで貴人の往く道を掃除する)除道として清超先生の先に逝っておけば良かった…と怒りと悲しみと悔しさと…言葉に言い表せない苦しみだったんですよ…。
35
:
義春
:2011/06/22(水) 20:10:58
・・・かと言って、雅春先生を学ぶ会にも行く気はないんだよな…会報は読んだけど、若い奴が求める創造性がない。
確かに、雅宣総裁の欠点は的確についてるけど、その先がどうしても見えないんだよな。
今の時代に必要とされる事、次の時代の展開がない…雅宣総裁の批判より、それを前面に出したら生長の家を知らない層にも生長の家の真理を伝えられるのに…と凄く残念に思ってる。
これからは生長の家を知らない層にどう伝えるか?だと思っているんです。
36
:
ブログ「雅春先生に訊け」管理人
:2011/06/23(木) 11:00:34
>義春さん
うーん・・・貴君が「学ぶ会に魅力なし」と申されるか。うーん、「それ
じゃあ少し考えよう」てな感想を持つ次第ですね。(あなたの見る目を評価
してるんで)そうか・・・貴君印象では、学ぶ会も「あんまり」か。
>確かに、雅宣総裁の欠点は的確についてるけど、その先がどうしても見えないんだよな。
そうなんだよね。それは(組織部外者)の私も強く感じることだね・・・と
は申せ私のは、ホニャララ掲示板から推察した「学ぶ会イメージ談」的話だけ
どね(世間では「妄想」とも云う)でも貴君までそう評されるとは・・・やや
残念感はあるね。
>若い奴が求める創造性がない。
会報未読の身ではなにも申せぬとは云え、まあ、(くどいが)ホニャララ掲
示板の雰囲気から推察するに、「そうなんだろうなあ」とは感じるかな。
たとえば、ですよ、たとえば『生命の實相』に触れたばかりの若者(20代)
がなにを求めているのか?こういった視点は完全に抜けている気が(私も)し
ています。
今の若者って――こんな断言は危険とは云え、それでも自信があるんで言わ
ざるを得ないが――現在の団塊世代以上に〝苦労〟している世代ですよ。詳細
過ぎる例で恐縮だけど、まあ例えば、団塊世代が普通に得られた「休業手当」
ってヤツ・・・今の若者には「夢のような待遇」でしょう、これ。そしてそん
な認識はあまり、現在の団塊世代以上は持ちえていないのかなあ、と。
ああなんか、とりとめの無い話になりましたが、まあ貴君認識に(妄想ベー
ス談とは申せ)「同意」ですね。
37
:
現職員、妻
:2011/06/23(木) 11:55:20
そうですね、
まさにその行き場のない想いを抱える信徒さんの受け皿は
どこなんだろう、と、ずっと思ってました。
他の会が受け皿に、というならそれで良いと思いますが、
義春さまの受け皿になる会に感じた実感が伝わります。
今は逆に生長の家の救いを伝えていく入り口がますます狭くなってるのが現実なんですね。
森の本部、については、
教区や信徒さんの本音はだいたいどんな感じなのでしょう。
若い人は本当に関心持つ人は多いのかしら…(私とだからかな)森、に関して話をしてますが。
私はいくら意義を理解しようとしても、心ではしらーとした気持ちになります…
本部が森へこもれば、
総裁の森論文、純子先生森エッセイにますます拍車がかかるだろうし、
本部も信徒さんの声からますます乖離しますよね。
雅宣総裁は、
雅春先生の真理のお言葉をちょこちょこと引用してご自分の「新しき時代の教義(狭義)」を解説されますが、
論理で導かれる結論と、
自分の中で感じる違和感の乖離がやはり、大きく感じ、
雅春先生の偉大な真理から、あれ、いつの間に巧妙に論理のすり替えをされて、
こんなところにつれてこられたのだろう…と、正直そんな感じが否めないのです。
(この度の谷口雅春大聖師の二十六年祭のお言葉も、なんだか私にはそんな印象でした)
トキ様の歴史に学ぶ姿勢は、
頼もしいです。
崩壊も暴走も、諸共に行こうと思います。
38
:
義春
:2011/06/23(木) 12:36:03
>>36
雅春先生に訊けブログ管理人さま
そうなんですよね…残念過ぎます。
ガンダム0083でガトーが決め台詞言って(GP02の)アトミックバズーカをぶっぱなす時に不発だった並みに残念感があります。
・・・実を申すと10年近く前に向こうの上の人にに電話掛けた事があるんですよ。やっぱり直接話さないと分からないですからね。
その時も雅宣総裁より遥かに、いや比べたら申し訳ないくらいに温かみを感じた。信仰者としても尊敬もした。
だけど、若者に対しての眼を感じなかった…だから、行けなかった。今もだけど、あの頃も命をかけて何かしら遺せる場所をのみ求めてましたから。
某掲示板には、同じ匂いを感じますね。
創造的・建設的なものを求める心、又、身近な悩みや将来への不安を若い世代は抱えてますから。
だから、日本や世界の将来へのビジョン…方向性を指し示し、具体的に動く事が雅宣総裁を凌駕する唯一の道だと想うのです。
まぁ…私も仲間にそれを図って動いています…まっ、中々、あんまり上手く行ってないけどね!まだまだ時期じゃないのかもしれない(笑)
そういえば、学ぶ会の見真会の感想が某掲示板にあったから、丁度、他教区を放浪中でベテランの先生といたから『こうだった様ですよ』と伝えたら『そんなんだと雅春先生はお怒りになるだろうな…雅春先生に近づくどころか全く逆に行ってないか?』というような感想を述べてらっしゃいました。
まぁ…私達の世代は団塊の…親父達の世代より苦労してるかな?ただ、パワーを感じないですけど…ね。
困難と戯れよ!どころか困難の奴隷と化してる感すらあります。現象と闘え!己が限界を越えろ!困難を喰え!喰って力をつけろ!パワーこそ力だ!…と想う事がバシバシ…いや、しばしば…色々あるんですよ(泣)
私は病気と闘ってきた人間なので、その喩えは身に染みるくらいに分かりますよ。私は闘病時、社会保険の傷病手当と限度額負担免除を併用して乗りきりました。ちなみに手術前に万事手筈を整え、金という兵坦線を確保しなくっちゃ戦は出来ませんので、兵坦を整えてこそ気合いも空回りせんですからに。
ホント、私もとりとめない事を書いてしまいました…ホント、何処に命をかける場があるんやら…。
39
:
義春
:2011/06/23(木) 12:52:20
>>37
現職員妻さま
まぁ〜教団がどうなっても生きてれば再起出来る。現に私は仕事も金も家族も…身体さえも失っても神の子無限力で諦めずに頑張ったら再起しましたもん。
今だと上司に『義春君がいないと仕事回らん』と言われてるくらいに仕事人間ですよ。
五体満足な皆だと、これくらい何も問題なくこなせると思いますよ。教団も同じ。問題という迷いは現れたら消える、今は力を蓄えて準備する時なんだって思ってます。
森なんて俺からしたらどうでも良いレベルですよ。ネット的に言えば『日本語でおk』とか『環境破壊して環境保全?バロス』な感じです。
Mなんかは『自然を破壊しといて環境保全?オカシイじゃん』なんて言ってたらしいけど 全 く 同 感 で す(笑)
40
:
エンジェル
:2011/06/23(木) 20:28:37
『C02出さないために森までガソリン車で行って森で薪拾ってストーブで燃やして』
ってのもひっくり返りそうなギャグですね。
『動物が嫌いで特に虫は天敵!ゴキブリみるとカナきり声だしてスリッパ片手に追いかける夫人』
この人のワクワクする笑みの日々もさてどうなるものか。
それにしても今まで散々環境破壊してきた大手ゼネコンにオフィスを作ってもらうなんて・・
コリャアシャレニならんね。Mくんの感性はとってもまとも。
横から失礼しましたーw
41
:
トキ
:2011/06/23(木) 20:48:10
>>40
余談ですが、宇治の練成を受けた時に、新練成道場が出来てすぐに、手抜き工事から
ひび割れや雨漏りがすると聞いた記憶があります。工事を担当したのが、某大手ゼネコンらしいです。
42
:
現職員、妻
:2011/06/23(木) 21:17:35
「命をかけて何かしら遺せる場所をのみ求める」義春様の姿は、
周りにきっと大きな影響を与えていますね。
(私にさえ「熱い心の火の粉」が飛んできてますから…)
義春様のご友人たちは、こんな友達を持って幸せだろうな〜と、想像しています。
それにしても、長い、
この長い、ひっくり返りそうなギャグに、
一体誰が最後に
「おい!」
ってツッコミをいれるのでしょうか…。
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