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生長の家政治連合と「今の教え」を考える
15
:
トキ
:2011/06/20(月) 13:36:48
<雑感>
生長の家政治連合の突然の解散は、関係者に深いキズを残しました。これこそが、日本を救うのだと信じて、政治活動をしていたのに、いきなり「間違い」にされてしまったのです。私は、生長の家政治連合にはいくつかの点で否定的な考えを持っていますが、この点については、彼らが怒るのは当然だと思います。当時の理事長の和田英雄さん(のちに教団を離れました)など、当時の責任者の説明も心のこもったものではありませんでした。今でも、この問題がぶり返されると、教団上層部は上から目線で説教をします。が、彼らにそんな資格があるか、どうかは疑問だと思います。
極端な言い方をしたら、生長の家政治連合が問題というよりも、その後始末のまずさこそが問題だと考えています。
現在の谷口雅宣先生は、再三、生長の家政治連合は「間違い」だった、と断言をしております。実は、私自身、生長の家政治連合には批判的だったので、この点について、何もいう権利はありません。しかし、彼は評論家ではありません。生長の家総裁です。もし、生長の家政治連合の活動が「間違い」だったというのなら、彼の立場では、先ず、生長の家という組織がした間違いについて、当時の関係者に謝罪をすべきです。これは彼の個人的な見解とは別の話です。公人としての義務です。
さらに、生長の家政治連合はなくなったのに、当時生み出された「組織教学」は、そのまま残りました。少なくても、「前期 谷口雅春先生の時代」までは、総裁がここまで独走できる体制ではなかったです。これが、現在、谷口雅宣先生の「独裁」を正当化する理論とされているのです。この「組織教学」を否定する事ができないまでも、21世紀の新しい「組織教学」の検討が必要な気がします。もし、生長の家政治連盟の活動に「負の遺産」があるとしたら、この「組織教学」かもしれません。
生長の家が、ある時期、政治に関わり、運動をしていたのは、否定できない事実です。それを単に否定するのではなく、もっとポジティブにとらえ、将来への教訓にもする姿勢こそが、必要だと考えています。その意味で、皆様のご投稿をお待ちしております。生長の家政治連合の肯定的な側面からの投稿も歓迎します。よろしくお願い申し上げます。
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