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生長の家政治連合と「今の教え」を考える
10
:
トキ
:2011/06/20(月) 13:29:18
<谷口清超先生時代>
さて、生長の家政治連合の解散は突然発表され、部内での説明も不十分だったので、生長の家政治連合の関係者を中心に、多くの信徒からの激しい反発がありました。そのために生長の家から離れて、独自の運動を始める人も出ました。本部の権威も傷つきました。
それを納める為に上層部がとった手段が「組織教学」の強化でした。が、当時はまだ谷口雅春先生がご健在だったので、何とか納める事ができました。しかし、もっと順序を踏んでの議論をすれば、情勢は違ったと考えています。
重大な事は、生長の家政治連合がなくなったのに、教団内部に生長の家政治連合の組織体質、発想、部内の雰囲気は残った、という点です。「純粋な信仰」を目標と掲げながらも、運動の発想などは、生長の家政治連盟当時と同じままでの運動が展開し、現場の活動者や会員は、その齟齬に悩みました。
生長の家政治連合までは、生長の家は、外部への関わりを積極的に推進する方針でした。が、生長の家政治連合解散後は、内向き、閉鎖的な体質への変化をしました。それまで生長の家の行動は、社会に一定の影響を与えていました。また、生長の家から角界で活躍する有為な人材が多数輩出されていました。が、この時期以降、そのような事は少なくなりました。
さらに、敢えて言うと、このときから、生長の家の迷走が始まったと言えるでしょう。
私見では、谷口清超先生の目的は、生長の家を政治への介入以前の状態、つまり信仰だけを目的とする組織に戻すものだったと推測できます。しかし、谷口清超先生には大変申し訳ありませんが、それに成功したとは感じていません。組織の目的が何なのか、現場の活動者にも不明なまま、活動をする状態が続きました。
しかし、谷口清超先生は、偉大な指導者であり、谷口雅春先生の正当な後継者でした。この困難な時期にもかかわらず、教団を純粋な方向へと指導され、内外の信徒の尊敬を集めました。この先生だからこそ、この困難な状態を乗り切れたと言えるでしょう。
(私は、この時期の生長の家を“谷口清超先生時代"と呼んでいます)
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