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生長の家政治連合と「今の教え」を考える
5
:
トキ
:2011/06/20(月) 13:17:56
<中期 谷口雅春先生時代>
この時期以後、生長の家は、純粋な信仰運動だけでなく、政治運動も始める様になりました。そのため、組織のあり方も中央集権的になり、運動のあり方もや組織のあり方、部内の雰囲気など、多くの点で変化が生じました。森田=安東の両先生などはこの時代の申し子と言えるでしょう。
一部の信徒は、政治への接近に批判的でしたが、反面、当時の青年を中心に、情熱的な運動を求める雰囲気が強く、青年会を中心に、活動は活発化しました。その意味で、当初は生長の家の教勢発展に寄与したと言えるでしょう。元号法制化運動など、各種の運動で成果を挙げると、いよいよ政治への接近傾向が強まり、生長の家政治連合の関係者が肩で風を切る傾向が強まりました。
生長の家政治連合は、生長の家教団の一関連団体にすぎないのに、実際には、生長の家を代表するような言動すらするようになりました。時には、総裁の権威をも無視する場合もありました。その反発を押さえる為に、生長の家政治連盟を中心とする上層部から中央集権化を合理化する教学が強化されました。私はこれは、組織教学と密かに呼んでいます。当時、谷口雅春先生はご高齢で教団運営の実務から離れつつあり、後継者の谷口清超先生の権威はまだ完全には確立していなかったので、生長の家政治連合の人達がその間隙をぬい教団に大きな影響を与え増しア。そして、彼らが、この組織教学の中心的な提唱者でした。
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