昭和南海地震:1946年12月21日 昭和南海地震 - M 8.0、被害は中部以西の日本各地にわたり、死者1,330名、家屋全壊11,591戸、半壊23,487戸、流失1,451戸、焼失2,598戸。津波が静岡県より九州にいたる海岸に来襲し、高知・三重・徳島沿岸で 4 - 6 m に達した。室戸・紀伊半島は南上がりの傾動を示し、室戸で 1.27 m 、潮岬で 0.7 m 上昇、須崎・甲浦で約 1 m 沈下。高知付近で田園15km2が海面下に没した。山口県美祢市(旧美祢郡別府村、共和村)では秋吉台麓の厚東川沿いの低地に「口径 1 - 11 m 、深さ 1 - 5 m の堆積地ドリーネが150余発生した[1]」。
(*ドリーネとは、石灰岩地域でみられるすり鉢状の凹地。溶食作用や、地下の石灰洞の拡大による地表の陥没で生じる。)
【ニューヨーク時事】21日の野田佳彦首相とオバマ米大統領との首脳会談後、大統領が首相について「彼となら仕事ができる(I can do business with him)」と語っていたことが分かった。大統領周辺から日本政府関係者に伝わってきたもので、首相同行筋が22日、明らかにした。
大統領の発言は「彼とは取引できる」とも訳され、初の首脳会談で大統領が首相を評価し、個人的な信頼感を示したものと受け取れる。ただ、首相がその信頼に応えることができるかは、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題などの取り組み次第だ。