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「谷口雅春先生を学ぶ会」を語る会1

65名無しさん:2011/09/19(月) 22:06:42



東日本大震災は序章にすぎないのではないだろうか? 戦後の大混乱期 人心は荒廃していたが、不安・動揺は4年連続の巨大震災を起こしたのである。

経済不安が続く中で来年 再来年と大震災ラッシュは起きる可能性もある。



鳥取地震:第二次世界大戦中の1943年9月10日17時36分54秒に発生した地震。震源地は鳥取県気高郡豊実村(現・鳥取市)野坂川中流域(北緯35度28.3分、東経134度11分)。Mは7.2。震源が極めて浅く、鳥取市で震度6、遠く瀬戸内海沿岸の岡山市でも震度5を記録した。総被害は、死者1083人、家屋全壊7485戸、半壊6185戸、焼失251戸、被害総額は1億6000万円(当時)であった。

昭和東南海地震:1944年(昭和19年)12月7日に午後1時36分から、紀伊半島東部の熊野灘、三重県尾鷲市沖約 20 km (北緯33度8分、東経136度6分)を中心とする震源で発生した巨大地震。「昭和東南海地震」と呼ばれることがある。 地震規模を示すマグニチュードは 7.9 と推定されている。一般に死者・行方不明者数は1223を数えたとされる(統計によりいくらか数字の大小はある)。
人的被害
地震による家屋の倒壊、地震直後に発生した津波により、三重県、愛知県、静岡県を中心に、推定1223名の死者・行方不明者を出したとされている[3]。
津波
地震後の津波では震源域に近い尾鷲市を中心に熊野灘沿岸一帯に壊滅的な被害をもたらした。最大波高は、尾鷲市賀田地区で記録された 9 m 。第一波が襲った後、家へ荷物などを取りに戻り、第二波に巻き込まれ、亡くなった例もあった。津波被害は米軍により空中撮影された。

三河地震:1945年1月13日午前3時38分23秒に、愛知県の三河湾で発生した直下型地震である。震源地は三河湾 北緯34度42.1分 東経137度6.8分、深さ11km。三重県津市で震度5を記録したが、震源に近い現在の西尾市などでは震度6(現在の震度階級では7)であったといわれる。震源が浅く、マグニチュード6.8と規模が比較的大きかったにも関わらず、被害報告はごく僅かしか残されていないために、現在に至ってもこの地震について詳しいことは判っていない。死者1180人、行方不明者1126人、負傷者3866人。家屋の全壊は7221戸、半壊1万6555戸、全焼2戸、半焼3戸、その他2万4311戸[3]。

昭和南海地震:1946年12月21日 昭和南海地震 - M 8.0、被害は中部以西の日本各地にわたり、死者1,330名、家屋全壊11,591戸、半壊23,487戸、流失1,451戸、焼失2,598戸。津波が静岡県より九州にいたる海岸に来襲し、高知・三重・徳島沿岸で 4 - 6 m に達した。室戸・紀伊半島は南上がりの傾動を示し、室戸で 1.27 m 、潮岬で 0.7 m 上昇、須崎・甲浦で約 1 m 沈下。高知付近で田園15km2が海面下に没した。山口県美祢市(旧美祢郡別府村、共和村)では秋吉台麓の厚東川沿いの低地に「口径 1 - 11 m 、深さ 1 - 5 m の堆積地ドリーネが150余発生した[1]」。
(*ドリーネとは、石灰岩地域でみられるすり鉢状の凹地。溶食作用や、地下の石灰洞の拡大による地表の陥没で生じる。)


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