レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
スタッカート!
-
.
.
.
.
スタッカート!
.
.
.
..
.
.
.
テーマソング
【Silent Siren】「KAKUMEI」MUSIC VIDEO FULL ver. 【サイレント サイレン】
ttps://www.youtube.com/watch?v=crGzlCuaTGg
金曜:21:00
-
この理論を、良キャラ揃いの、「山奥のしぃ先生」に当てはめて、考えてみようと思います。
あの、しぃ先生ではキャラ紹介にタロットカードを用いて、「正の属性」と「負の属性」を置くじゃないですか。
515 名前:1枚のカードの、表と裏 投稿日:2002/07/06(土) 20:25 ID:EzOAjPX2
┏━━━━━━━━┓
┠───【Ⅱ】───┨
┃二]::::::::::::::::::::::::::::?[二┃【THE HIGH PRIESTESS(女教皇)】……2番目の大アルカナ
┃||||〜I| ̄ ̄ ̄|I〜||||┃
┃|||| ||?∧ ∧ ??|| ||||┃ ☆ポジティブ・シンボル……知的、知性、冷静さ、自立した女性、
┃|||| ||?(*゚ー゚) || ||||┃ 静かなる統率力、善と悪を心得る者
┃||||? と|/⌒つっ ??||||┃
┃|||| |~|ヽ_ノ )|~| ||||┃ ★ネガティブ・シンボル ……無知、冷淡、打算的、計算づく、
┃|||| ?| ̄ ̄U! ̄| ||||┃ 見せ掛けだけ、自分の殻に篭った
┃二]i ̄ ̄ ̄ ̄ ̄i[二┃
┃ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄┃
┠【?H?.PRIESTESS?】┨
┗━━━━━━━━┛
\/
/\
┏━━━━━━━━┓
┠──【?ⅩⅤ?】──┨
【THE DEVIL(悪魔)】……15番目の大アルカナ ┃ッコダッコダッコダッコダッ┃
┃゙コウビコウビコウビコウビ┃
☆ポジティブ・シンボル……奔放、革命、自由、強い主体性 ┃マターリ ∧∧ シィハカワ┃
極めて強い意志、欲望を支配する ?┃シィ‐?,、?(*゚ワ゚),、???エ-ン┃
┃コ?//`ノ つつ|\?タ┃
★ネガティブ・シンボル ……淫靡、堕落、邪な、モラルの低下、 ┃リ ⌒←(_つノ ⌒⌒ リ┃
自己中心的、野放図でワガママ ? ┃ヒドイヨ ???(ノ ワルクナイ┃
┃シィシィシィー!?シィシィシィー!?┃
┃ニャーン?ハニャーン?ハニャー?┃
┠─【?THE???DEVIL?】─┨
┗━━━━━━━━┛
これ、ほんと上手いっすよね。
○○だけど××っていうキャラの特性を、どんと分かり易く提示して、特徴づけている。
自分はキャラにギャップや矛盾ができると、少し奥の深さが出るかなと思うんですけど、そういうのをプレリュードで描き手募集の前に、周到に準備してたんですねー。
うーむ。
-
私的キャラ考察
<登場人物紹介>
∧ ∧ 【愛称】 しぃ先生 (本名…シィネスト・ヒューポクライテ)
(*゚ー゚) 【性別】 ♀
(| |つ 【出身】 モララー共和国
〜' | 【年齢】 29歳(教員歴5年)
U U 【象徴】 アルカナ2 THE HIGH PRIESTESS (女教皇)
「しぃ」だけど「典型的なまたーりしぃに嫌悪感を持っている」
「破天荒、陽気、強気」だけど「自分の弱さを抱えていて誰にも言えない」
「銃をぶっぱなつ」のだけど「優しい」
+「子供を教え導きたい」(←人間関係のもつれで、山奥の学校に左遷されたのだけど)
,,,_∧ 【愛称】 でぃ先生 (本名…ディーノ・C・トラッシュ)
(#゚;;-゚) 【性別】 ♂
[U] ;;| 【出身】 モララー共和国
〜|;; ;; | 【年齢】 25歳(教員歴2年)
U U 【象徴】 アルカナ12 THE HANGED MAN (吊人)
「でぃ」だけど「東の楽園の聖女のでぃに劣等感を持っている、後天的な事故によるでぃ(男)だったりする」
「おとなし目でカッコつけ」だけど「2chネラーでエロな半虹をお気に入りにしている」
「ハンディキャップがあるために授業には難儀する」のだけど「生徒からは親しまれている」
+「子供を教え導きたい」(←事故で、山奥の学校に左遷されたのだけど)
うん、凄くギャップの塊。
こうしたオトナな濃いキャラたちは
生徒たち四人(彼らも複雑なギャップがあるのだけど)の子供っぽさと、
対照的になっていて、
ここでも人間関係におけるギャップが生まれている。
あと、脱線するのだけど、
キャラの魅力に「キャラが成長する」「変化していくキャラ」というのがあると思うんです。
それを子供たち生徒に限定させずに、しぃ先生とでぃ先生の弱さを描き、教える立場の筈の二人の成長をむしろ物語の本線に置こうとしたのが、
また、上手いと思うのです。
-
すごい勉強になる
-
いろいろ考えて作ってあるもんだなあ
-
あああ!
このスレ、意外や意外、読んでる人いるんすね。
自分でもヒク長文砲なのに。
キャラについてはもっと色んな要素や切り口もありそうだけど、うん、語る言葉を持たないし、わからない。
むしろこっちが知りたいくらいですよん。
今度は本の紹介。
おまけ付き。
-
自分だけの一冊 北村薫のアンソロジー教室
アンソロジーとは、一般的には詩や小説、あるいはエッセイなどを、編者の好みに応じてまとめたもの。
こういうのは、ゲームやFlashやAAとかにも応用できるよね。
ネットでの良作紹介とか、AA保管庫での作品一覧なども、広義の意味でのアンソロジーなのだろう。
ここで、慧眼なのは、アンソロジーって、視聴者が集められている作品群を読むものって、思いがちじゃない?
そこを、北村はこう諭す。
>アンソロジーというのは《選んだのがどういう人なのか》を示している。
>勿論、収録されている作品を読むものでもありますが、同時に――あるいはそれ以上に、選者を読むものなんですね。
これって重要な視点だと思う。
やっぱりね、特定のアンソロジーと言うか作品の批評集に感じる嫌悪感には、傷つけられたお気に入りの作品への憤りだけじゃなくて、そこから透けて見える選者の視点や愛情の薄さにもあるのだろうし。
反対に新しい視点を提示されてその作品がもっと好きになるレビューとか、作品の並びもあって。そこにはね、その作品への感謝だけじゃなくて、選者へのリスペクトにも似た思いがある。
北村薫の見方の一つに、詩や小説の創作も含め、ある対象について語っているとき、実はそれを語っている自分も表現しているのだ、的なのがあって。
小説を読む行為も、その人だから出来る読みがあって、その人なりの読みがあって、だから何かを読んだり見たりしてその解釈を書くことも、結局は自分を表現するものなのだ的な。
プロフィールや自己アピールや自分語りなど、○○歴何年とか、○○の経験があるとか、○○をやっているとか、そのまま自分というものを語るだけじゃなくて、
何かしら趣味や創作物を楽しんで、それについて語ったりするということも、また自分を表現するものなのだ。
ってことなのかなと、自分は解釈している。
うん、アンソロジーを見ている自分だけじゃなくて、今みたいに本やゲームを浅はかな紹介したりしている自分もいて。
あー、未熟者です、自分、すいません。
と、でも、この本を読むと、それでも無性に自分でもアンソロジーを編みたくなるんすよ。
それは、作者のアンソロジー歴に、商用での経験だけではなくて、小学生の時に自分ノートに書いた私的アンソロジー集があってとか。
講義形式の本なのだけど、講義を受けて作った一般の人のアンソロジー集みたいなのが、そのまま載ってたり。
あの、素人でも、どうか、アンソロジーを編んでみては、という提案。
アンソロジーは選者をも語るものなのだから、自分を見つめることにもなるし、名刺代わりにもなりそう。
そーゆー、お気に入り集を作りたくなる本でした。
って、その証拠に作ってみました。へへ。
私家版AAアンソロジー。
ttp://a0014028.html.xdomain.jp/linkhokanko.html
-
漫画の紹介もするのだ! 手広く浅く。
-
七つの海 岩泉舞短編集
七つの海
ネットの「漫画図書館Z」で無料で読めます。
ttps://www.mangaz.com/book/detail/74341
ジャンプ読み切りでは屈指の知名度の作。
ユージは、ゲームにはまり、勉強が苦手で、運動もダメな、「のびたくん」な男の子。
そんな彼が、あるスーパーマンな少年と出会って……
果たして、「七つの海」の冒険は、ユージに幕を開けるのか。
逃避すること、自分の弱さを認めること、老いと成長。
様々な要素が絡み合い、ドラマが積み重なり、
読後、不思議と爽やかでいて明るくも、ほんのりビターな余韻を残す。
-
ネタバレリーノ
大人になること。
自分の場合、受験教育と言うかアルバムの作文や卒業文集制度の影響と言うか、
大人になることは、何かしらの成功や達成をして、子供から大人にステップアップするものだと思っていた。
一方でオトナよりも純粋な子供のままが優れている、なんてピーターパンにも思っていたりしたから複雑だ。
本作での大人になること。
それは地道な勉学成果でも、スポーツの活躍でも達成されず、恋愛が叶うわけでもなく、ゲームをクリアするのでもない。ゲームは始まりすらしない。
あるのは失敗の連続だ。
漢字テストで居残りし、跳び箱に失敗し、憧れの先生にはカッコ悪いところしか見せれず、アトピーに悩み、家族の問題を抱えだす。
そんな暗い色調が続く物語に光を与えるのが、おじいちゃんの童心との朗らかなやり取り。
それでも、やがて楽しいおじいちゃんとの交流、ファンタジーへの没入を否定しなければならない。
それはうちひしがれた小学生の自分の現実を、その中でパッとしない自分を認めることだった。
この転換が上手い。
現実での成功、リアルの素晴らしさをもって、ファンタジーや子供の時代と、別れを告げるのではない。
むしろ逆で、現実のしんどさを受け入れることで、立ち向かうことを決心することで、輝かしいファンタジーと惜別する。
ここに共感する。
何故なら自分もそうだったからだ。
垢ぬけない自分、もてない自分、暗い幼年時代、ユージと共感する振幅の幅は、いわゆる少年漫画的人物、悟空やルフィよりも、彼の方が広い。
彼ら漫画の主人公は努力して、それが認められ、仲間を得て、成功する。
努力をさほどしない場合は、才能や血筋に成功を、約束される。
七つの海はゲームだけど、王道的ファンタジーそのもののメタファーにもなりえ、要するにそれは少年ジャンプ的な漫画だったりもすると思うのだが、どうか。
でも漢字が上手くならないみたいに、報われない努力だってあるよね。
AAを何年やっても、全くコピペAAしか出来ない人だっているよね。
悩み、もがき、弱さを思い知り、時には逃避をし、それでも弱い自分を受け入れ、決定的なシーンからは逃げず、そして少しだけ成長する。
ユージは共感できる主人公だ。
跳び箱を飛べる。
だけど、クラスで最後で、おしりをゴツン。
この決して安易なハッピーエンドではなく、しかしそのエンドに込められた作者のユージへの惜しみない祝福に、温まる。
肉体はもうとっくに大人になっている自分でも、自身をふりかえり心を大人にしようと、後押ししてくれる余韻が、清々しくも力強い。
そして少年漫画であって、少年のユージの物語なのだから、大人になることへは温かい肯定的な視線があって、それが素晴らしいのだけど。
同時に大人の暗さみたいなもの、ボケが進行して逃避してしまうおじいちゃん、そのおじいちゃんの異変の真相を知らぬまま翻弄され泣くお母さん。
それでも生活していく。
大人になることを肯定し、でも大人になっても弱い部分は弱いままなんだとする、少しシニカルな視点が、また後味をほろ苦く、豊かにしている。
-
小説の紹介へん。
-
冷たい仕事(夜のぬいぐるみ)
短編。ショートショートのような短さ。
仕事の出張先の宿。
宴会の後の微妙な疲労感に、決して仲が良いとは言えない同僚との一夜。
少し気怠い話かもしれないと言う予想は、しかし、ささやかで大きな発見によって、裏切られていく。
この視点。確かに近代的で、だけど、現代では失われていくその出来事、にクローズアップしていく、その柔らかさに打たれる。
この手があったか。と。
そして、それに少年時代の秘密基地のように心を滾らせる中年成年が、物語を展開していく。
冷たい感覚と、熱い感覚が織り交ぜられ、読後に充実感がしんしんと残る。
冷蔵庫が小さく鳴っている。
-
________
/
l 何しているんだ?
\ ________
 ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄/
l これは……凄い……
∧_∧ \
( ´∀`)  ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/ヽ_y_|ノつ ∧ ∧
しL|__| (*゚Д゚)
(_)_) ○_ソ y|〉
LL二|
し`J
__∧______
/
l 冷蔵庫がどうかしたか?
\
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
__∧______
/
l 先輩、先に休んでください。
l ぼかあ、仕事が出来ました。
\
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
-
テクニックについて
う〜ん、これは自分でも模索中のところで、正にプロット的な、メモ的な文章っす。
メモ、プロット
小説の設計図「プロット」とは?
ttp://taskeyu.me/?p=4540
プロットや脚本については、色々なHow toとかあるらしいのですが。
これが一番シンプルで、自分の中でしっくりくる。
>あまり難しく考えず、「自分のためのメモ書き」のような気持ちで書いてみましょう。
>書いている途中で面倒になってしまう、小説を書くところまで続かない…となってしまったら本末転倒。
うん、こんな感じ。
自分はアイディア→AAという一直線じゃありません。
アイディア→小説→AAというルートを辿るのです。なのでAAの参考にはならないだろう。です。
それで、文章を書くときに、『流点観測、くつひも』あたりの時期から、「アイディア→メモやプロット→小説」っていうルートを辿らせてます。
なんでそうなるかと言うと、一作で書く分量が増えたのと、一筆書きするほどの自分の中の猛烈さが、消えてしまったんですね。
あの単純に原稿用紙15枚、総AAコマ数100コマを超えてくると、書いている勢いが持続せずに、ぶっちゃけエターナりかける。
(こねたとかは勢いのままに書いてしまうけど、その方が書いていて気持ちいいので、そのままでいい気がします)
それでプロットを書いてみると、この作品を完結させたときの見取り図がはっきりするというか、
「これは面白そうだ、書ききらねば」という手応えやモチベ向上になるし、
「あー、これ頭でっかちで書いててしんどそう」や「冒頭だけでストーリーが止まる」って失敗を予測して大けがする前に回避する率が上がります。
(回避しきれない例もあり、このスレのタイトルのとか)
-
最近「震度3」というのを書いたんですが。
1まずアイディアがぐらぐら沸く。
震度3の地震と失恋の気持ちを合わせよう。場所は喫茶店で。書きたい感情や心境とシチュエーションのフィットを感じる。冬終わりから、春先あたり。
2そのまま、幾つかの別のアイディア群とともに放置。
並行して、別の短編を書いたり。
3アイディアが沸騰する。書く気が生まれる。
4そこで感情を整理して一から文章を書くというのを、勢いのままメモ的なプロットを書く、と言う方向に導く。
5メモ的なプロットを書いたのを、幾晩か寝かせる。
モチベーションが高まっているので、就寝前の脳内会議やふとした生活のなかで、ふつふつとアイディアや書きたい場面、セリフが連鎖する。
付け足したり削ったりする。震度3の場合は短期間だったりして、2日くらい。
6小説にする。
7AAにする。
こういうルートをとってます。
ここで使うのはAAエディタです。とても使い勝手がいいです。
幾つかの紹介のページでプロットには紙媒体やメモ帳を使うなどがあるのですけど、おススメはパソコンです。AAエディタ〈自分は(´д`)Edit〉は、凄く自分に合います。
-
4の過程で、一気に書きやすいし、使い慣れているのもあって、こう、感情がダイレクトに乗っていく感じがする。
それで書いた後に、ざっと見でもストーリーラインがわかるので、全体の流れを、俯瞰的に見つめなおしやすいです。
なによりも5の寝かせの作業が、とても効率的です。
付け足しや削除や言い直しがスムーズに出来る。
それらを消しゴムやノリやハサミなしで出来るので、作っているうちにこじれても、物理的に見栄えが極端に悪くなることもない。
それともうちょい量が増えて人物が多くなると、人物の設定メモ(大まかな職業やら、好きなもの、嫌いなものとか)みたいなのを書くのですが、その時もAAだと直ぐに視覚的に列挙できます。
勢力図とか人物関係図も比較的簡単に作れる気がします。
AAだと清書するときに、同エディタ内でいじれるし、コピペも容易だから、本編に凄く反映しやすいです。
・さよなら雨の日より
【 ホァン 】
∧∧
ミ゚-゚,,彡
(y:::::J
, |:::::::|
U^J
果報は寝て春眠暁 寝る子は育つ
・シード・フォー・ホープより
┏ フゥ
┏ ディーノ ┃ ┏ レモナード
┃ ┃
λ_λ
∧_,,, (ー´ )/ ̄ヽ ∧_∧
(o;゚#)/⌒ヽ ⊂y::::::ヽ)ヽ)ヽ) Xヘ ハヾ X
(:::::::) ヽ)ヽ)ヽ) く::::ノ,,,つ (∀^#ヽ゚|/ ̄ヽ
ヽ::::::ヽつ /■\ (ww:::::::§ヽ)∧w∧
(,,,ノ (∀` ,,)/⌒ヽ (__)::::::川 ミД゚,,彡/ ̄ヽ
ヽ<V>:::ヽ)ヽ)ヽ) ヽ_) (::y:::::)ヽ)ヽ)ヽ)
(::::::::::::: つ ヽ:::::::,J
(_/ ̄ ̄ (,,)"
┃ ┃
┗ ライス ┗ ジョーダン
-
それでプロットを作るときに、考えているのは、プロットはあくまでも道しるべであって、ミニストーリーと言うほどにきちんとしたものではない。
紹介されたページのように、ちょっと整理されたアイディアのメモ帳みたいな感じで。
ぶっちゃけ、自分という読者さえわかればいい。
気構えずにプロットを書くと、すごく楽に、負担少なくプロットを書けるし。
本編を書くときに、必要以上にプロットが圧迫したり制限したりしないです。
全体の大まかな流れを敷くというか。何だろう。流れる前の、導入剤みたいな。思考の流れを文字化して整理するような。
もしかしてプロットそのものよりも、プロットを書くという過程を通して得るものがある気がします。
もちろんこんな感じに書いているので、プロットから本文で削られた部分もあるし、逆に付け足されたり、さり気ない箇所がメインになったりもします。
そういうのはプロ的じゃないだろうけど、書いていて自分もワクワクできるので、自分にはプラスです。
本文で書けなかった部分は、裏設定的にシナリオの骨を支えるだろう、付け足した部分は、書きたいのが鮮明になりそのまま血肉になるだろう。と楽観的に考えます。
参考になるかどうか。震度3のプロット。
-
震度3
身体が感じる揺れ。
突然に、失恋を実感する、揺れ。
喫茶店、「木漏れ日」
数人の常連。働き人。
ボンゴレビアンゴ
携帯をいじる。
別れた恋人のtwitter
昇竜の味噌ラーメン 相変わらずのこく深 ☆☆☆
ラーメンの画像。
学生時代から。告白は彼氏から。
体育系の彼氏
ラーメン巡り
インドアの私は体のラインを少し崩した
それでも、何も言わずに変わらず愛情を注いでくれた。
自慢じゃないけど、今更に言っても意味がないけど、身体よりも心が合う二人だった。
仕事で忙しくなる。
一週間の名古屋出張の帰りに、別れをレストランで告げられた。
お土産のホテルで買った本場のういろうは、結局、一か月たった今も、部屋のタンスの上。
携帯を閉じる。
-
料理が遅い。先客もいるし、何時もの事。
ボンゴレのビアンゴ。何か作るコツでもあるんだろう。
家で真似てみたが、この味は出なかった。
彼氏に食べさせたかった味だった。だからなのか、この店も紹介していないし、スパゲッティを手作りしたこともなかった。
何時かと思っていたのに。
何だろう、今でも食べてくれる気がしている。
地震。
震度3くらいだろうか。
ちょっとざわつく。
向こうの女の子の喋りのトーンが変わり、携帯を取り出している。
ああ。
昔は、付き合ってから数か月後のあの昼下がり。
地震があって、それは大したことはないけれど、彼氏から電話があった。
メールじゃなくて、通話で、「大丈夫か?」って「大したことないよ」って「大げさだよ」って。
うん、大したことはない。
わたしの携帯は揺れない。
ああ、そっか、別れたんだ。
別れた。
私は声を押さえて、泣いた。
-
これは昨日、思いついたの。小説化、AA化は未定。
プロットは考えるだけで楽しい。自分だけが楽しむ用な低コストなもの。
夢。
夢犯罪。
夢を訪れて、その宿主に害をなす。
夢警察。
夢犯罪者を、取り締まる。マイナー。
夢探偵。
ドリームダイバー
夢は第一次元の無意識において全生命が繋がっている。
ドリームダイバーは自身の睡眠から、他者の夢にアクセスして、ダイブする。
主人公
わたし。
女子大生。
埼玉在住。都心の大学に通う。
好きなこと:スクラッチくじ。
嫌いなこと:マラソン大会
好きなもの:神保町エチオピアのカレー。
嫌いなもの:なめくじ
リョウ
夢警察。
東京在住。スイス出張中。
好きなこと:昔のB級ドラマ漁り。「レッドドワーフ号」「竜馬におまかせ」「ケイゾク」 A級はオーラがあり過ぎる、C級はありきたり、B級こそがドラマ通。
嫌いなこと:ネクタイ。ネクタイを嬉々として締める人。
好きなもの:野茂英雄、野口英世
嫌いなもの:AKB48
野口先生
高校教師
埼玉在住。教授歴15年。
好きなこと:古本屋巡り。本は買わない。
嫌いなこと:教頭先生の演説。生徒愛がないくせに偉そう。
好きなもの:卒業文集、寄せ書き、特に生徒のプライベートなところが透ける部分
嫌いなもの:未成年の異性間交流。お気に入りの女子生徒と付き合うような男子生徒。
-
序
夢。
謎の人影。
ずっと見ていたよ。何で逃げるの。俺を見てよ。ずっと見てたんだよ。
1
警察。
たらいまわし
「ストーカーが出たんです」
「夢でねえ、夢のストーカーねー」
「信じてください」
「そりゃね、環境副大臣の親戚の娘さんじゃあね。信じるしか」
「そんなつもりじゃないんです。信じてください。信じて」
「はい、紹介状。まずこのサイトにアクセスして」
「カウンセラーですか? そんなんじゃ」
「違います」
「それって、まさか、本格的な精神病院なんて」
「あのねー、警察の夢心理部です。本庁のエリートさん。五時きっかりにね、ここの「脱・暗黒チャット」ってところに入って、ハンドルネームは、そうだな、あっ、本名じゃまずいだろうし、ナオコでね」
「はあ」
2
チャット。
リョウ登場。
自己紹介。
自己紹介が続く。
「馬鹿にしてるんですか! もういいです」
「いやいや 違うんだって」
「聞いてる? これも診断の一部で」
「おーい!」
「おーい?」
「ありゃ、やっぱりページ×しちゃった? 短気なんだから」
以下略(笑)
-
漫画のショー会。
-
ヨコハマ買い出し紀行
◇時
この時代設定は、ロボットがいる近未来。
の筈が、何処か昭和の雰囲気がする。
これがマイナスじゃなくて、一つの世界になっているんです。
デジカメとか今からすると古いところもあれば、地球を周回する翼機と言った近未来のところもあって。
この古くて新しい感じが描くところは、夜と言う終わりの時代がひたひたと迫りつつ、だけどまどろむように続く黄昏の時。
お祭りのようだった 世の中が
ゆっくりとおちついてきた あのころのこと
のちに夕凪の時代と呼ばれるてろてろの時間
つかの間のひととき
ご案内しましょう 夜が来る前に
まだあったかいコンクリートにすわって
◇再読性
最初の方の物語は、まったりと明るいテイストなんです。
子供のタカヒロとマッキがお姉さんのアルファと遊んでいて、それをお爺さんが見守るという。
長閑な田舎テイストも手伝って。
その話が動くのが、台風の晩。
そこから空間的に動いていって、ふと気づくと、子供の二人は青年に、大人になっていって。お爺さんは老いていって。その時は戻らないで進んでいく。
寂しくなって、切なくなっていく。
巻数が進み、終わりが近づいてくると、妙に胸がこう、しんしんとしたものに浸されていく。
よちよちと道を辿っていた子供二人が、成長していって、育っていって、それぞれの生き方を決めていく。
それは喜ばしいことで、成長物語となっているのだけど。
心地よい場所を巣立っていくのを見送る、二人にとってその思い出になっていく場所にずっと居続ける主人公の視点が、なんとも沁みる。
物語として救いになっているのが、第132話「見て、歩き、喜ぶ者」のワンエピソード。
これがあるかどうかで、随分と全体の後味が変わったかなと思う。なにも、大きなイベントは起きないのだけど。
これは、一読目は、のほほんと読んで、何も考えないで空気のように通り過ぎていく感じで読み進めれるし、それがうん、なんというか心地いい読み方な気がする。
でも一読して、終わりにするのは勿体ない。
ふと思い出したときにもう一度ひっぱりだして、ぱらぱらぱらーっとめくってみると、また何とも違った味わいが出てくる。
-
◇重層
この物語の切なさは、作中の時代設定。
夕凪の時代。
それ以前の文明を崩壊させただろう戦争や環境問題などには一切ふれない。
その後の、人の世が終わってしまう時代は、仄めかすだけで描かない。
本作で語られる世界は、平和でのんびりとしていて、まったりとしていて、終わらない日常のような雰囲気すら漂う。
だけど、やはり終わっていくのだろう。
語られるのは、主人公の日常、二人の子供や老人との微笑ましい交流であって、それが終わっていく変節があって。
その作品世界の大きな時代の一時と、漫画内で語られる一人のエピソードの一時が、呼応するように連なって、その相乗効果で、心動かされる。のかな?
◇リーダビリティ
この話は、セリフの分量も少なく、キャラが自論を主張することも少なく、
SF設定を無理に説明することもなく(人によっては説明不足と取るかもしれないけど、本作の肝はSFそのものにあるわけではない)、
絵で見せる場面も多く、雰囲気も落ち着いているので、
ストレスを殆ど感じずに、読み進めることが出来る。
かと言って、薄味な雰囲気だけで終わらない奥行きもあるので、心の琴線も一つ二つじゃなくて、何だろう、色んな場所をくすぐる。
ので、息抜きだったり暇つぶしに手に取れるし、そのくせ心の本棚の忘れられない一段になったりしている。
-
ゼルダbotwのしょーかい
やべーボリュームっす。そんでも紹介しきれねーっす。
自分用メモ。
こんなの他人様が読んだら、ヒクわ。
-
ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド
◇立体的な空間
広大で立体的な3Dマップ。
その最初の衝撃は、同ゼルダシリーズの「時のオカリナ」にまで遡る。
序盤の妖精の森を抜けて、ハイラル平原に出た時、ぐんと広がる空間に心は踊り、後に馬に乗って駆けた喜びは忘れられない。
次に広さで印象的だったのが、同ゼルダシリーズの「風のタクト」。
この思い出はネガティブなもので、広すぎる海原に、海が続き景色が大きく変わることもなく、その淡々としたひらけた世界に、なんというか倦怠や限界のようなのを覚えた。
(ただし思い出は美化される。それも今では忘れ得ぬ体験)
それから高低差を意識した、立体的なマップで印象深いのが、「ゼノブレイド」のガウル平原。
清々しい抜けるような音楽とともに、駆け抜ける大地は、なかなかに気持ちよかった。
そうしたフィールドへの感動は、このゼルダbotwで、大きく塗り替えられた。
今までオープンワールド系統をやったことがないので、ローディングなしで一つの広い世界を体験できる、そのシームレスな広大さは、確かに革命的に映った。
自分のゲームの嗜みの狭さなのだが。
それでもゼルダのフィールドの良さは、オープンワールドであるだけではないと思う。
-
◇等高線のあるマップ
このゼルダでは地図の入手が新しい土地を訪ねる際の、最初の目的になるのだけど。
この地図が独特。
等高線があるのだ。
と言うのは、山や高いところには狭い間隔で輪郭のように線が引かれて、急勾配だと示されたり。
その等高線を置くほどに、ゼルダのフィールドには山が散在し、高さを意識させる。
それだけではない。それがゲームの遊びに、活かされている。
それはそうした地図で目につく山をはじめとして、フィールドの殆どの崖や岩山を、よじ登れること。
そうして山頂に辿り着くと、高いところからフィールドを見下ろすことになる。そうすると、目的地や寄り道スポットを見つけたりする。
そのスポットへはボタン一つでパラセールを使って、滑空するように降下飛行して、一気に近づける。
この一連の動きは、よじ登る為に短い距離の移動に時間をかける、頂上で一休止して風景を見渡し怪しいところや目的地を探索・確認する、パラセールで一気に上空を移動。
とフィールド変化のテンポやリズムをつけるのにも役立っている。
広大なフィールドを用意する。それは今までの2Dゲームから「時のオカリナ」後への3Dゲームへと、ゲーム性を変えてしまうほどの変化だったが。
立体的で広大なフィールドに用意し、それに飽き足らず、かなり自由に自主的に登山や滑空をする遊びを与えることで、それと匹敵するほどにフィールドへのアプローチを変えた。楽しい方向に。
多くの体験談と同じように、ゼルダbotw後は、自分もどんなにマップデザインが優れていたゲームだったとしても、「この崖を登れない」「これっぽちの段差を乗り越えない」のに不満を持つようになってしまうだろう。
以前は感じていなかった不便さ、非リアルな感じを与えられてしまう。そういう罪作りな体験だ。
-
ゼルダbotwはただ自由に、無制限に山に登れるわけではない。
登るためには「頑張りゲージ」というゲージを消費し、それが尽きると落下。高所でこれが果てると、一気に滑り落ち、最悪の場合ゲームオーバーとなる。
このゲージは傾斜の緩い箇所で、地面に足をつけて一休みすれば回復する。
ここで面白いのは、このゲージによる制限がある為に、登れない急斜面や崖はあるにはあるけれど、微妙に登れそうな崖が意外に多い。
この場所からならば、この緩い傾斜の部分まで登れれば、一休みできそう。なんか地面も草色になっているし。ここへアタックして、ここで休んで、次はここへ。
とゲームに慣れていくと、登山計画のようなものを立てたりして、遊べる。
またゲームを進めると頑張りゲージを少しずつ上げることが出来る。
消費アイテムの料理によって、ある程度ゲージを回復することで、力押しでよじ登れたりする。
そういうのも手伝って、登山の楽しみのようなのがある。登山がゲームになっている。プレイヤーの経験による成長とゲーム的なパラメータの成長で、行ける範囲やそこへの辿り着きやすさみたいなのが広がっていく。
登山は必須じゃない。
フィールドには街道が通っていて、それは古いもので安全ではないものだけど、高確率で街や馬宿と言った人の集まりに繋がっている。
それを頼りに行くこともあるし、手探りの時などは、自然と道を辿るようにデザインされている。
けど、自分のプレイを振り返ると、道なりに進むことは稀で、直線距離に高い丘があったりしたらそこを登るし、寄り道のような感じで道を外れるし、馬鹿だから高いところに登るし。
そんな感じなので、登山に連れていけない馬に乗って、街道を行く的な楽しみ方は余りできていない。
馬の存在感が思ったよりも薄いなと思うのは、山登りを中心にした自分のプレイスタイルのせいでもあるのだろう。
誰でも行けるルートとして街道が用意され、山に登るよりも効率のいい移動手段として馬が用意される。
それでも。
選択の末の登山がある。一方で選択の末に馬乗りがあった。
ゼルダbotwは自由度が高い、と良く言われるけれど、それは確かに「何でも出来る」に近いのだけど、
幾つも選択肢があって自分の路を選択する、障害物だって物理的に乗り越えられる。でも乗り越えなくてもいい。
この幅の広さと、選択の自由と塩梅にある気がする。
-
◇フィールドに時を置く
空間の話をした。
次は時間だ。
一日。ゼルダの世界では一日が過ぎる。朝が来て昼が来て夜が来る。
当たり前だ。でも、そこにも、ただそれを置くだけではない、美意識を感じる。
この作品、夕日はそんなに綺麗じゃないんです。夜が来る前の寂しい明かりのような、一日が終わってしまうような頼りない日の入りになっている印象を受ける。
それで夜が来る。
リアルなグラフィックやリアリティを追求すると、夜になると暗くなる。辺りが見えなくなる。ゲームがプレイしにくくなる。ように思う。
ここは嘘をついてる気がする。暗いんだけど、ゲームプレイに支障を来たす程の暗さじゃない。その嘘の加減。
その代わりギミックで夜の不便さや不快さを演出する。ピアノの音は影を潜め静か。すると夜だけの専用の敵キャラが、ぼこぼこっと地面から湧いてくる、空から飛んでくる。敵キャラの襲撃のBGM。
たまに禍々しい月が出る。
ちょっと嫌な感じもする夜な感じ。
ただ、夜が100パーセント悪いかと言うとそうじゃない。
昼に活動する敵は寝てたりして発見されにくくなったり、一部の目的地やアイテムはぼうっと光って、見つけやすくなる。
そして、夜明けが綺麗。夜の不便さが終わることも相まって、すごく清々しい気分になる。
ロケーションも東方向に海を配置することで、水平線からのご来光が見れたり。ここは工夫している気がする。
ゼルダには一年のサイクルも意識させられてしまう。
世界を作るにあたって、五月から六月にかけての、雨上がりの新緑の空気を目指した的な発言があって、それが色濃く反映されている気がする。
ただ、ジャングルのようなロケーションには高温多湿な空気が漂ったり、海辺の村や無人島には夏の空気があるし。
枯れ葉が積もる台地には、秋が匂う。
春を強く感じさせる桜が咲いている山があったり。
かと言うと雪の降り積もる山々には、冬がある。
極端なロケーション、火山や砂漠や雪原では、気温の概念を意識される。ヒットポイントが削られるので暑さ対策、寒さ対策が必要となる。
土地柄がそこでも色濃く出る。
一日、一年だけじゃない、百年のサイクルまである。
滅ぼされた城下町やら、疎開するように山奥にある村やら、敵の機械兵が闊歩する嘗て人々が暮らしていた城の平原やら。
ずっと前の敗戦のの爪痕があちこちにある。
一部の場所では、廃墟巡りのような趣さえある。
痛々しさを通り越した、時に風化された静謐さ。
-
◇フィールドを行き来する人
大災害の後の世界が舞台なだけに、街や集落の数は少なめだ。
ただ、それだけにこれらを訪れるとほっとする。
大自然や敵をかいくぐった果てに、馬宿や街のBGMが徐々にボリュームを上げていくときの安らぎ。
セリフ回しとかなんだろう人柄とかが透けて、生き生きとしてたり、温かかったりする。
中央部には旅人が意外と多いのも特徴的。
広いフィールドに旅情を感じながら行くと、時折、焚火の煙が見えたり、街道を行くNPCと出会ったりして、この世界を旅するのは自分だけではないと実感する。
物を売り買いする商人だったり、謎を解明しようとする吟遊詩人だったり、幻のキノコを探す姉妹だったり。
相棒もいない一人旅なのだけど、この世界にはそうした旅を続ける人達が点在したりしているのが、ゲームプレイのアクセントになっているし、心情的になんだかほっとする。
周辺部や僻地では人も絶えがちになり、未踏の地への冒険感が。
-
◇フィールドを意識させる仕掛け
空間があって、時があって、人がある。
こうした優れたフィールドを用意しても、プレイヤーが能動的に遊ばなきゃ、ただっぴろい、キレイ、だけで終わってしまいそうだけど。
そうはさせない、遊び手にフィールドに積極的に関与させる仕掛けがある。
ウツシエという写真パシャパシャ。
面白いショット、絶景があったら写真にパチリ、だけじゃない。
写真の風景から、それが撮影された実際の場所を探し、訪れる。すると過去の思い出の一シーンが蘇る。
縦軸のストーリーを、フィールドの横軸に内在させる仕掛けがある。
この移動とストーリーの繋げ方は、素敵。
それ以外にも写真を使ったサブクエスト、怪しい場所を写してこい、あの敵を写してこい、があったり。
極めつけはハイラル図鑑。動物や素材や敵キャラ武器などを写すと、それが図鑑のナンバーに登録される。
これはやろうと思えば、写真にこだわらず、素材を取ったら登録、敵を倒したら登録とか出来たわけで。でもそれをしなかった。
敢えて図鑑登録までにその対象を写真にするというワンクッションを置いたのは、
ウツシエシステムに馴染ませ積極的に使わせるのと、この世界への自分からの介入を高め、知識を征服した手応えを深めるためじゃないだろうか。
写真の風景探しは、ゲームプレイ上、遊んでほしいシークエンスなのだろう。強制されないけれど、誘導はされる。
図鑑は特に必須じゃない。メリットもないような気がする。でも集めたくなる。
またフィールドに多く配置されるキノコや野草と言った素材アイテム、狩ることのできる動物などが、リズムを変化させるとともに、世界への介入を助ける。
-
◇そしてストーリーを紡ぎだすフィールド
ゼルダbotwのストーリーは弱いと言う人がいる。
確かに自分も、ラスボスの存在感が薄いと思ったり、最終目的を置き去りにして、寄り道にかまけたりもした。
でも、ゼルダのストーリーは、きっと決まった明確なストーリーラインにあるのではない。と思う。
旅をしていてここに行こうと決める、手さぐりに目的地に行く。決めないで、何となくふらつくこともある。
そこでは思いがけない出会いがあるかもしれないし、発見があるかもしれないし、忘れられない景色があるかもしれない。
その「かもしれない」が異常な数、用意されている。それは殆どのプレイヤーは全部体験することはなく、製作者も予期していないものかもしれない。
そういう曖昧なものが、それは自分が体験したものとして確かにあって。
曖昧だからこそ尊く、自分のストーリーだと思えるからこそ尊い。
簡単な言葉にできてしまうストーリーは、なんというか。
獏とした言語変換不可能の、雰囲気や空気までをも背後にひそめた体験としての物語。
敵もいない、ただっぴろい平原を駆けていて、寂寥感のようなものがふつふつと。
それが少し寂しくも心地よく、浸ってしまいながら歩く。
しばらくすると、遠くからアコーディオンの音が響いてきて、ほっとして近づいていく気持ち。
語られるフィールドの謎。
そういう体験は、きっと自分だけのストーリーじゃなくて、用意された確率の一つで、誘導させられたものだろうけど、それでも自分の一時として息づき、物語を連なる一ページになっている。
生活こそが旅こそがストーリーなのだ。運動会でも成人式でも葬式でもイベントでもない、人生という体験そのものがストーリーなのだ。そう思わせるものがゼルダbotwの稀有な快楽にある。気がする。
ゼルダについてはサバイバル要素。収集と消費のサイクル。コンプリートを諦めさせる膨大な量だからこそ生まれた完璧を求めないことによる自由。山の水源から上流、滝へ、やがて下流へそして海へ、水の移動。釣りゲーへの可能性。
などについても語りたかったが、まー、書くのも読むのもねー。ねー。ねー。ねー。
-
ゼルダブレワイに関する、紹介、レビューものリンク集
ttp://a0014028.html.xdomain.jp/zeldawildlink.html
ゼルダ楽しいよ。
こーゆー、楽しい紹介が自分でもできたらなー。
楽しいものを楽しく遊んで楽しく消化して楽しく言葉で伝える。
そんな感じになりたい。
けど、自分のつまらん正確性も独創性もなんもないレビューを見返して、すげー遠いところにいるのを実感。近づきたい。
-
面白そう
-
遠泳 eviyan
ttps://web.archive.org/web/20060126225848/
ttp://www.fsi.co.jp:80/conts/a/11/enneiv3_1.html
これ、インターネットアーカイブなので前編が見れねー。中編、後編のみ。
全編見れるところがあったら、教えてー。
◇「デジタル漫画」
「デジタル漫画」ってジャンルが嘗てあったんす。
普通の漫画に、webならではの映像や音を合わせて、flashなどを中心にして作られた漫画群。
これ、確かに一大ブームになる気配はあって、集英社も「ジャンプデジタル漫画賞」ってのを開設して、入賞者をweb連載したりした。
国際妖怪警察OKEI
ttp://nzambi.com/dm/okei/index.html
今ではメッキリ減りました。壊滅に近く、絶滅も視野に入るくらいマイナーに。
ジャンプの賞も何年も前に閉鎖し、他の会社も撤退し、跡形もない。
何でかと言うと、自分が思うに、
1 漫画に比べてお金に繋がらない、商品として扱いにくい。作るのに、静止画よりも手間とコストがかかる。
2 パソコンスペック、通信技術の向上。漫画そのものを原稿そのままに、気軽にダウンロードできるようになった。
3 海賊漫画の台頭。
いや、これはモナギコ系AAを扱う自分も他人事じゃないっす。
モナーも「デジタル漫画」みたいな道を辿っている?
-
でも
4デジタル漫画は、漫画に比べて重い。容量もそうだし、映像的演出に時間をかけるので、読書スピードも重めで、音がなったりするのでボリューム感も重め。
のような重さがネックな気がするんです。
「遠泳」はその点が非常に意識されている。
読み込みの画面もそうだし。
漫画の進め方も、音を使うのがデジタル漫画らしいけど、読むのに邪魔にならない。時が止まらないし、ウザくならない程度に留めている。
映像も使うけど、漫画部分もある。
漫画部分、原稿を読むみたいにページを上下にスクロール出来て、それに伴って音が出たりして、これ、凄い臨場感ある。
読むテンポに変化がつけられていて、飽きずに、待ちぼうけせずに最後まで進めれる。
そして読後の余韻もある。
この遠泳は「デジタル漫画」でもかなり古く(19年近く前)、ブームの先駆的な役割だったんだけど、これを超える工夫ってある? くらいに洗練されている。
今では前編が見れないのが、返す返す勿体ない。
-
◇男性、女性、異性
のっけから、性的。
だけどこの性はかなり現実的で、いわゆる漫画的なエロだったりお色気とは、本質を異にする。
以前は少年として遊んでいた子供たちが、青少年として女を男として意識しだす。
そこに込められたリアリティ。
「おしたおす?」と教室で語る。その中学から高校の間の、女性と「やる」ことに興味津々で、でもまるで体験として実在感がない故の感じ。
青春でも、春と言うにはまだ苦い時期。
主人公はその若さを隠そうと距離を置こうとしつつ、水着姿のヒロインにこらえきれず。
ここに漂うエロス。どうなるのか、読者も登場人物さえもわからないでいる沈黙のドキドキ感よ。
そして、こうした男女の成長に焦点を当てた話の為か、家族と言う要素は周到に排除されている。
家に帰るシーンに至っても、父の姿も母の姿も全く現れない。
テーマがぶれることを嫌ったのか、徹底して焦点を絞っている。
-
◇狭い視点
この作品では、主人公のモノローグ以外、登場人物の心情は語られない。
よくあるAのキャラの顔を写して心の声、次いでBのキャラの顔を写して心の声。という手法は取らない。
漫画(AA)の多視点の表現―読者はAの心もBの心も覗ける神様視点
(わたしの水着にみんなメロメロね)
∧ ∧
☆ノ^^ハ)) V/ (ヒンニュー。。。こいつぁ、貧乳じゃ)
ノリ Aエー 人
ι)`ー'〉 (((ハヾヽ
( ヽノ| ハBビーハル
し'_ノ (^(^>J
|ヽフ´)
し'l_ノ
ヒロインが何を思いそのセリフを喋ったのか行動したのか、親友は?
それは語られない。
だからヒロインの最後の行動までアレに対してどう対処するのかドキドキが続くし、物語の緊張の線になっている。
更に親友にも、奥行きある印象を与えている。
主人公とヒロインが遠泳を成功して満足しているのを見つめるその親友の顔。
そこに喜び以外のもの、羨望だったり寂しさだったり、そういうのを感じるのは妄想しすぎか。
前編で味のあるセリフもあるし、後編で二人と花火大会に行かないなど。
恐らく彼の心情にもう一歩踏み込むとわかりやすすぎるようになって軽くなってしまう、その絶妙の重さの塩梅で、親友のキャラやその変化が描かれている。
主人公と親友に永遠の友情を感じつつ、あのように物理的にも精神的にも近い状態は、決して続かない、今だけのものだと。
そう妄想できるのは、語りすぎない、からだろう。
それは先の家族の省略にも通じる。
-
時においてもそうだ。
三人は、数年前までは他の仲間たちとも仲よく遊んでいた。遠泳していた。
回想場面が入っても可笑しくない設定だが、それはされない。
過去と同じく、未来も語られない。
主人公とヒロインの約束、夏の終わり、これから先を含ませつつ、それらは描かずに、夏とともに物語は閉じる。
今に、視点が狭められている。
からこそ、その瞬間を生きる若い主人公たちの精一杯さ、性の謳歌が、リアルタイムに伝わっていく。
やや顔を背けたい、恥ずかしさを感じる部分があるのはわかる。
それも含めて、この作品の味だし、商業で使えないだろうことも含めて、自分は好きだ。
デジタル漫画の歴史とともに埋もれるのが、寂しい作であーーーるんるん。
(i'^i、 o
〜 !_⌒ lヽiヽ゜
\(,,゚Д゚)つ
〜 〜 ヽ)_ long distance swim
-
視点と言うか。
一人称、三人称というか。
考え中なのだけど。
書き方に
Aタイプ
主人公の心情中心。読者には、主人公以外の心の声は原則的に聞こえない。
→主人公に感情移入しやすい
Bタイプ
俯瞰に近い視点。読者は、Aの心の声もBの心の声も聞こえる。
→大局に立った視点。心理的駆け引きなどを楽しめる。
の2タイプあるのかな。
-
思い出保存型シンドローム
ttp://dechi.xrea.jp/library/log/syndrome/index.html
はAタイプですよね。
主人公のモノローク、心情は痛いほどに伝わってくるけど、ヒロインの心の声は聞こえない。
ヒロインが何を思っているのかわからない。
と言うことによって、ヒロインは主人公にまだ心を寄せている? とか 相手との恋愛や結婚を機に主人公への思いは冷めてしまった? とか。
読者は想像し、わからないから、余白として機能し、わからないヒロインの心情と、それを深層で求める主人公の心が、物語の導線になっている。
それがヒロインからの行動、手つなぎのシーンで、過去と変わらず大切な友達だ、と仄めかされる。
ことにホッとすると同時に、恋が破れたことによる切なさがじんわりと実感される。
これは途中までわからない、から緊張感があるんすよね。
たとえば、しぃがモナーをどう思っているのかを()で読者が知ってしまったら、随分ゆるりとした話になってしまう。
一人暮らしだモナ
ttp://dechi.xrea.jp/tokyo1dk/log2/886.html
はBタイプ。
読者はギコの心もしぃの心もわかる。
これは超絶技巧で、書かれた心理戦で。
その駆け引きや、物語の動き方が凄い。
自分はAタイプ系の物語を多く書くんですけど。
Bタイプを書くだけの技量が無いとも言う。
Hunter×Hunterや一人暮らしの1さんのような、心理戦は一生を何回繰り返しても書けそうもないという。
ありきたりの心理を書くにしても、Aタイプなら共感してくれるかなとか。
逃げです。
でも、初心者はBが書くのが楽と思いがちかもしれないけど、効果から言えばAの方がイージーだと思います。
-
ゲームのしょーかい。そうかい。
-
星のカービィ ロボボプラネット
1”3D”Sという失敗
ロボボプラネットは3DSのソフトだ。
3DSの目玉と言えば3Dの裸眼立体視だが、自分は3D機能は最初の数本は物珍しくて使っていたが、基本的にOFFしている。
今では2DSなんて立体視を削除したハードが出ていたり、立体視に対応していないソフトがあったり、この裸眼立体視をゲームに導入するというチャレンジは失敗だとメーカー側も認めているかのような雰囲気だ。
問題点を自分なりに整理すると。
①3Dブームの終息
3DSが発売した当時は、3D映画全盛で、3Dテレビが話題になったり、立体視が大きくクローズアップされていた。
目新しさは確かにあって、つまり、最初は新鮮な気持ちで遊べるんですよ。だが、飽きてくる。
②ゲームプレイに障害
これは特定のアングルじゃないと3D映像が機能せず、ゴーストと言うかジャギーと言うか、こう、ぼやけたりして、見えにくくなる。
これはNew3DSで大きく改善されたが、やはり、携帯機だから寝転がってやりたいとかなると、まず、使えない機能となる。
肝心のゲームプレイが、立体視と相性が悪く、制約されてしまう。
③立体視を効果的に使ったゲームが少ない
幾つかのゲームは3Dのムービーや飛び出す映像を出すことで、発売当初は話題性を提供した。
だが、ゲームの本筋において、立体視を利用したことで、ゲームプレイが快適になる、遊びが広がる、といったゲーム性と3Dの親和性があるゲームは驚くほどに少ない。
ムービーとして見た目はリッチになるが、3Dはゲームにあまり貢献しない、或いはそうさせるのが困難だったり、ノウハウが足りなかったりするのだろう。
-
2 数少ない”3D”でプレイしてみたくなる3DSソフト。
自分が遊んだゲームでそれに挙げられるのは、スーパーマリオ3Dランド、カービィの前作トリプルデラックス、そして本作ロボボプラネット、の3本だ。
マリオ3Dランドは、3DS初期の作でお手本のような3D機能、立体的に空間を把握することで、距離感をよりはっきりと認識でき、ハード特性により3Dゲームをより楽しめる画期的なソフト。
トリプルデラックスも、立体視を使うと見た目的にリッチになるし、遊びやすさも確保されている。
ただ、ジャイロ機能と言う3DS本体を傾けて操作する遊びが随所に組み込まれていて、立体視のメリットを減じている。
ハードを動かすと、視野が変わり、プレイヤーとハードの距離が変わり、立体視にぶれが起きやすく、快適なゲームプレイと言えず、どうしても相性が悪い。
ハードごと動かすジャイロ、3D立体視。共に3DSの目玉だったが、これ、水と油だ。
ロボボプラネットは、このジャイロを使う遊びはアクセントとしてあるが、随分と減っていて、立体視で遊び続けやすくなっている。
カービィと立体視の相性の良さ。
それは基本的には左から右に移動する横スクロールアクション、それに加えて難易度が低い。
このシンプルなイージーさは、立体視によるわずらわしさを減じてくれる。
たとえば画面が立体視を使ったせいで支障がありダメージを受けるとする。
複雑な操作を要求され、一発でゲームオーバーならストレスを受けるが、カービィの「ゆるさ」なら不思議と許せてしまう。
そして3Dである意味。
マップがかなり3Dチックなんですよね。
動くのは二次元の横スクロールながら、マップは3D的で、3Dなカメラワークで演出される場面もあるし、マップ自体こう3D的にオブジェクトや敵が配置されている。
特定のポイントに触れると、操作するラインが、手前のところだったのが、奥のラインに移動したり。
半2D的、半3D的だとでもいうか。
遊び心地は確かにいつものカービィなのだけど、演出やギミックなどは、かなり目新しく、他のソフトには少ない。あったにしても、ここまで全面に出しているのはカービィだけ。
画面奥から手前へ敵が攻撃してきたり、奥の柱がこちら側に倒れてきたりなど、演出にとどまらず、ゲームの遊びにも組み込まれている。
3Dの深度も、表現も、流石の出来。
自分は2、3ステージしか、3DをONにして遊ばなかったけど、こういうソフトが3DS初期に出ていたら。
つまり「立体視でゲームを遊ぶとどうなるのか?」という関心があったブーム期だったら、全編通して、3Dで遊んで、新鮮な感動を受けただろう。な。
こういうソフトが、立体視の可能性を広げるハード初期に出なかったのは残念だけど、逆を言えばこなれてきた後期だからこそ出せた、成熟機の産物なのだろう。
だからNew3DSではじめて遊ぶ人は、マリオ3Dランドとともに、ロボボプラネットも、立体視ゲームとはこういうもんなんだと楽しむにはオススメです。
いや遊びやすさや取っつきやすさなどを考えれば、今までテレビゲームに触れていなかった人、幼児などが初めて手にするソフトとしての定番としてのロボボプラネット。ひいてはカービィシリーズ。
-
3ロボット
カービィの遊び、気軽に敵能力をコピーして、すいすいと遊ぶのは基本で。
ところどころにコピー能力を利用したパズルがあって、そのヒントや使う能力が近くにあったりフレンドリーだったのも基本で。
あの、トライ&エラーとか何度もチャレンジしてストレスの上でクリアとかじゃなくて、ふわふわとばしばしばしと動いてステージや敵をなぎ倒していく、アクションそのものの面白さを提供する。
そのカービィの楽しさは健在。
そういう基本的なカービィの面白さを広げるのがロボボアーマーと言うロボットに乗り込む要素。
これは単純に、特定の場所に行くと乗り降りできるロボットで、破壊力と爽快感のあるロボットを楽しめるというだけじゃなく。
ロボットも敵能力をコピーできるんですよ。それも微妙にカービィ本体とは機能が違うんです。
そしてその能力を駆使したパズル要素もちらほらあるんす。
カービィの新コピー能力とか2、3増えて、それ話題になるじゃないですか。
それを本作限りのロボットの要素に限定して、10近く増えてるなんて。
あとカービィは自由に飛べるんですけど、ロボットに乗るとジャンプが二段ジャンプほどに制限される。
カービィのメリットでもありデメリットでもある、空中の自由さは確かにあるのだけど、ところどころで制限することでジャンプアクションとしての楽しさも、ちょっとだけ提供している。
だからカービィプレイ、ロボットプレイと、プレイにメリハリを与えて変化をつけるだけじゃなく、それぞれに違ったコピーやアクションを使うことでゲームプレイに広がりを生む。
ロボット=いろもの。
じゃないです。確実に遊びにバリエーションを生んでいる。
-
4やり込み
ゲーム本編は遊び心地はいいけど、易しめ。
でもサブゲームは充実している。
カービィの吸い込み大作戦、カービィハンターズ、共に体験版的な短さだけど、後にそれぞれ単体でソフト化、ダウンロードソフト化されていて、遊びとして楽しい。
クリア後のステッカー集め、ICキューブ集めも、ステージを再訪させる要素。
後に追加される2つのモードも、特にメタナイトのそれは結構いい感じに楽しいです。
10時間〜20時間の遊びになるだろうけど、中身はまったりだけど、単調でもなくマンネリでもなく、ほどほどに充実していて、2Dアクションしてるなーって思います。
ハードな死んで覚えるゲー的なストイックなプレイヤーは満足しないかもしれないけど。
ゲーム初心者にはもってこいだろうし。
カービィファンから中堅のプレイヤーまで、楽しませてくれる、カービィ2Dアクションの集大成であり、ロボットと言う新機軸を打ち出した良作です。
ストーリーは終盤は盛り上がるけど、道中は薄め。
なんのために、なにを目標に遊んでいるか強烈な動機付けは感じないけど、その緩さもカービィか。
自分は緩いのも好き。
あんまり考えないでのほほんとプレイしているのは至福。
-
カービィのデザインってシンプルで印象に残って、簡単にコピーできていいよね。
ってササっと書いてみて、己のセンスのなさに愕然とする図。
_ / ̄ ̄ ̄\_ who are you?
\ ( 〇 〇 )/
ヽ ▽ /
と/───`つ
-
>>307
に加筆―。
覚えている人いるかなー。(←見ている人すらいないよー)
-
大きな二つの心臓の川 Big Two-Hearted River
『ヘミングウェイ釣文学全集 上巻・鱒』
谷阿休訳 より
;"; "i "; ;ヾ;"ゞゞ ;"; ;ヾ; ; ; ;ヾ ; ;::'': ;;ヾ ;;
"ゞ ;;'";:;,rー、'':':':::":.:'..'.:.;: .:::;:::メ;ヾ; ;メ ; ゞ';'';ヾ';
メ ; ゞ;::;:'|! :;:::;`ヽ. :; : :;';: : : .. :.:.:..ゞ;':;;'ヾ;;ゞ;;ヾl|;ゞ;;i ;';;
ゞソ; ;ゞ;::|! '::;;::':; し〜^ヽ. .:.:.:.:.:.:.:.:.:.:\ir':''|l|:;':':;';;;'::;
ヾ; ;ヾ; |! /! .:. :. :. :l|i:.;;'|;メ;ゞ|lヾ ;;
;;:':';:':: |!∧ニユ |ノ :. : :: ::|l| ;''ド';:;:ルノッ
:::.:.:' ∩ ´ー) <! ゚ ,,,,.,.,;::':;;;,;';'::;r;::':;;":;';';';';';;::;;;';
ヒ句x[lつ .' 。゜__ -- .. .__..,,厶';;;':;'冫;::;;:';::':;::::':;
;::;:: ベ─./ , )べ, -... - .. ... ゙~'''^''゙'''^'゙'''^''^"゙゙゙"゙゙
:;-:;::;;:' (_ノー';:;'\;〉 ─ .... ^ー ...= ^^ √ゝ、 _ ^^ ....
::;;:/;::;:\ニ;::;べ_;_/;>= - ^__^ ^ー __,,,,/丁ヘ;::;〉,,^,__
;:::;;:':ゞ/;::;;:";:':;: : ;::;;';ん,,^''^" -==- ^~'''^''゙^"^~
ー゙゙'〜゙゙^.'^=-==^ ' 〜 ,,,,,,..,., ^ ^ ^ー ^^==-
^^ 〜^ ^ ー 〜 〜 ^ ^^
ヘミングウェイの中短編。
ニック・アダムズものという連作の一つで、従軍後の心の再生を描いた、らしい。
が、そうした前提知識がなくても、ただ一人大自然に真向かいになって、料理をし釣りをする。
料理の焼けた匂い、清流の冷たさ、バッタが飛び跳ね、鱒が抗う重さ。
それら感覚に迫る描写が絶妙で、小旅行したかのような感覚に浸れる。
台詞も極力少なく、大きく感情を誇張することもないが、アウトドアを楽しんでいて自然と一体になることに喜びを覚えている気持ちが、すらりと伝わっていく。
追記
幾人かの訳者によって訳されていて、何種類か翻訳のバージョンがある。
その中でも、谷阿休の訳が、すらりと入って情景が浮かびやすく、好きです。
その、訳の正確さ云々じゃなくて、文章のタイプが好みなんです。
「ヘミングウェイ釣文学全集」は、ヘミングウェイの釣りへの並々ならぬ情熱や、鱒釣りの前提知識を得たりできて、通して読むと伝わってくるものがあった。
元々収録されていた短編集の「われらの時代 男だけの世界」(高見浩訳)なら、主人公のニック・アダムズの流れをある程度は追えるし、一冊のそこに配した著者の意図とかも味わえる。
「われらの〜」には他に名短編がいくつも収録されている。「雨の中の猫」「敗れざる者」「殺し屋」など。
「釣文学全集」では、未完ながら味わいのある「最後のよき土地」がありまっす。
と言うことで、どちらもお勧めだし、どちらかが気に入ったら両方買いじゃんって感じですけど、
big two heated river 単品に絞ると、「釣文学全集」に軍配を挙げたいっす。私見100パーざんすが。
-
◇「ヘミングウェイ短編集(一)」(大久保康雄訳)
∧ニユ (
(* ´ー) ))
ヒ句x[lつ┻┛
それからフライパンを網の上に乗せて火にかけた。
ますます腹がへってきた。
豆とスパゲッティが煮立ってきた。
ニックはそれをかきまぜた。
泡立ってきて、小さな泡がぶつぶつ表面に浮かびあがった。
うまそうなにおいがした。
◇「われらの時代 男だけの世界」(高見浩訳)
∧ニユ (
(* ´ー) ))
ヒ句x[lつ┻┛
それから、炎の揺れるグリルにフライパンを乗せた。
腹がますますへってきた。
豆とスパゲッティが温まってきた。
そいつをスプーンでよくかきまぜた。
泡が立ってきた。
いくつもの小さな泡が、じわじわと浮かびあがってくる。
いい匂いがしてきた。
◇「ヘミングウェイ釣文学全集 上巻・鱒」(谷阿休訳)
∧ニユ (
(* ´ー) ))
ヒ句x[lつ┻┛
炎の立つ鉄架の上にフライパンを載せた。
空腹がひどくなってきた。
豆とスパゲッティがあたたまってきた。
ニックは豆とスパゲッティをスプーンで掻き混ぜた。
ブツブツと気泡の弾ける音が立ちはじめた。
小さな気泡がじわじわと、底の方から表面に昇ってきていた。
いい匂いが立ち籠めた。
-
ゲームの紹介の時間です。
-
聖剣伝説レジェンドオブマナ
◇世界 精緻なドット絵と雰囲気あるBGM
聖剣lomで特筆すべきはグラフィック。
ドットを極め、当時最高峰の描き込みによるグラフィックは、温もりを伝え、世界観に絵本のような雰囲気を与えている。
これはプレステ1の作だが、以後スクエアのグラフィックは、CGを中心にしたものにシフトしていく。
ので当時の最高峰は、皮肉にも、ドット絵を使ったRPGとして史上最高峰、を意味するんじゃないかなん。
巨大なボスは描き込まれ、迫力がびしびしするし、ドット絵のキャラクタは、時代の古さすらも、生き生きとしたものにしている。
これに下村陽子の作る音楽が、抜群にマッチして、世界を作っている。
特に最初に訪れる「ドミナの町」では、中世ヨーロッパの片田舎を彷彿とさせる牧歌的な風情が展開する。
-
◇実はサガフロンティア系譜のアクションRPG
この作品は、フリーシナリオに近い。
各所にイベントが散らばっていて、それらをある程度、好きな順から自由に進めれる。
主にメインストーリーとなる三つの流れがあって、クリアの必要のない様々なミニストーリーが点在する。
武器は11種類あって、好きな種類のものを使っていける。
蓄積要素が必殺技習得だけなので、種類の取り換えの融通は効く。
武器入手は初心者は店から買う、中級者はハックスラッシュ気味に敵からのドロップアイテムを駆使する、熟練のやり込みにはオリジナル武器の作成と強化が待っている。
各人のプレイスタイルによって、バトルも十人十色。
主人公はセリフを喋らず、ストーリーを大きく引っ張るわけではない。
NPCを一人連れていくことが出来て、その仲間が物語を紡ぐ役割を担う。
他にペットというモンスターを仲間にするシステム、ゴーレムという武器防具からパーツを作成し機械兵を組み立てるシステムがあって、
ゴーレム、ペットどちらかを三人目のメンバーとして連れていくことが出来る。
魔法は楽器を使うことによって発動する。
しかし、本作では従来のシリーズと比べ、あまり存在感を持たないのが難。
他にも色々とオリジナルなシステムが組み合わさって、アクションRPGをベースに、奥深い体験へと連れて行ってくれる。
と、この作品は聖剣ファンよりもサガファンの方が刺さるような気がする。
癖のあるシステム、奥深いやり込み要素、シニカルな皮肉が潜むストーリー。
こだわってこだわって、ユーザーはそれを十分に堪能できなくても、「これで勝負だ」、的な頑固職人の味がする。
-
◇哲学的なセリフ回しとストーリー。でも哲学的って、良いことなの?
ストーリーは大きく分けて三本。
ドラゴンのバトルを主とした昔からのオーソドックスなゲームらしい「ドラゴンキラー編」。
反対にゲームというフォーマットのストーリーを逸脱したかに見える賛否両論な「エスカデ編」。
そして珠魅という宝石を核とした種族の騎士と姫をめぐる「宝石泥棒編」。
中でも「宝石泥棒編」が出色。
設定に独自の歴史、時の流れがあって、山場へ向かって謎を含みつつ起伏のあるストーリー。
何よりも設定やバックボーンが、もう素晴らしくファンタジーでありながら、それが他にはない聖剣lom特有の、それこそ宝石のような輝きがあって、物語を紡いでいく。
他にミニイベントなら、砂漠の実験と、ランプと恋、の話が、なかなかに印象に残った。
-
ただ、エスカデ編をはじめとして、ストーリーが「哲学的」に傾き過ぎている感じもある。
セリフ回しが観念的で奥が深い。
だけじゃないと思う、「哲学的」と呼ばれるのは。
それは生活に根差していない感覚、文化を背景にしていない感覚、言葉が上っ面をなぞっているような、同人的という形容すれすれを走っている。
本作で、勿体ないと思うのは、歴史が設定され、詰められているのに、そこに生活や文化、社会が匂ってこない点だ。
宝石泥棒でボイド警部ってキャラが出てくるのだけど、他の警察組織の一員も警察の小道具も牢屋も描写されない。どころか、警察署そのものや警察組織そのものすら、全く出てこない。
じゃあ、なんだ、って言うとファンタジーと言うパレットに、警察が全く馴染んでいないし、その背景が浮かんでこない。単体の要素として浮いちゃっている。
こういうのは他にも、魔法学校があって、魔法を学ぶ生徒たちが出てくるのだけど、彼らって社会に出てなんになるんだろう、「兵士として就職? 魔楽器を売る?」とか考えるのだけど、作中では全くふれられない。
食事シーンは皆無で、果樹園から野菜が取れるのだけど、イルカキュウリなんてイルカのグラフィックの野菜が出来て、でも食べるところは出てこないし、想像しにくい。
そういう風に、設定として登場するのだけど、それが社会や文化として位置づけられない、全体に馴染まない感じがする。
それは多分、ゲームの作り方そのものの矛盾にあって。
まず設定資料とか作ってそれを元にスタッフたちが作品を広げるのだろうけど、こうした先に挙げたものは、ゲーム進行には必要のないもので、だから余り考えられないでほうっていかれてしまった。
作品全体に流れる文化が、共有されないまま、設定やキャラクタが独り歩きして、思考して、セリフをつぶやく。
だから観念的で、哲学的なものになる。
これは本作の限界というよりゲームの限界で、特に当時の胎動期のゲームの限界で。
こういう文化や生活を、ファンタジーという題材で、表現した作品って数えるほどなくて。
それは「ドラゴンクエスト7」や「クロノトリガー」や「ゼルダの伝説ブレスオブワイルド」みたいな、とんでもない傑作の域ですよね。
でも、聖剣も世界観の表現では、表面部分で素晴らしいグラフィックと音楽で十二分に外堀を埋めていて。
それでプレイヤーの世界の介入のさせ方も、幅や間口を取った自主性を尊重したフリーシナリオで。
だから、そこが実現していれば、素晴らしいマスターピースになった気がする。
本作の目指して欲しかった到達点は「哲学的」なんてもんじゃなく、「詩的」な感じだった。です。
その詰めの甘さのようなものは、エンディングの流れにもあって。
最後にクローズアップされる要素が、物語全体にバランスよく配置されていないのもあって、どうも納得できない。
-
◇中級者に門戸を開きつつ、膨大なやり込みを秘める
フリーシナリオ形式の欠点として、説明不足は否めない。
シナリオを進めるのにフラグが不親切だったり、あるミニイベントは発生条件すら気づかないまま物語を終えることもあるだろう。
クリアまでに取りこぼす要素もあるだろう。
難解な世界辞典は理解しにくく、ユニークなサボテンの日記も普通なら見過ごしてしまいそうな要素だ。
本作は、雰囲気ゲーとして、世界のライトな部分を楽しめるものの、釈然としない部分も残す。
ゴーレム作成、武器強化は、ゲーム本編だけではやり込めない程に深く、やり込めば時間も労力も桁外れにかかる。
つまり攻略本、攻略サイト必須の、少し不親切な作りになっている。
そこもサガ的。
だけど、一応のエンディングまでなら僅かな助けでも独力で行けると思うので、この物量、自由さのある世界を、手探りで辿っていく楽しみは、やはり体験してこそ。
ので、まずは攻略情報からは距離を置いてプレイ。
一応のエンディングまで行ければ、武器やレベルを引き継いで強くてニューゲームできるし、反対に敵の強さを極み難易度まで変更可能だったりする。
そこからさらなる旅をしたければ、攻略情報を漁るのがオススメ。
昔の作にしては攻略サイトには困らないだろうし、少し足を出せば600ページの辞典サイズのアルティマニアな攻略本をお供に出来る。
__,xヘハ7Zァx_ サボテン君の日記は、
. _≫‐ヨZ※片7≪ シナリオをクリアした後の密かなデザート。辛口だけど。
⌒7〜}ハ}ハ{⌒ ̄
. _〉 〉=く,
道行く若者に声をかけて、 .. ァ´ / ̄ ハ,
君のランプを売らせれば、 _{^ {/⌒ o l´ ̄ ̄ ̄ ̄`
∧∧ 手間をかけずにランプは売れる ]、rヘ o _. ァ/ ,ハハ < なけた。
(,,゚Д゚) . lvv;ヘ_≧z-=f{ jj,ノ}} l、_______, ニキータは徹底的に守銭奴なのが、却って憎めない
/ i ∧∧ 私のランプが好きな人は、 {{ { \_ノノ:i i iV≪_ノ
(*゚ー゚) ほんの少しだけど、遠くから \,_ ..ィ:i_j_iノト、 ________
U ), わざわざ買いに来てくれるの Ⅵ ̄ ̄ ̄ _] ∠丶-'"> / あなたの心の道具箱、
`| ̄ ̄ ̄´| (*`ー´*) < スマイリーニキータだにゃ
|\/\/| ,とi iつ \
` ー--‐  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
-
いやー、読んでるかい、ジョージ。
本の紹介だよ。
夏休みの読書感想文にぴったりだね。(小学生並みのしょーかいぶんってことさ)
-
さかなクンの一魚一会
◇魅惑文章
さかなクンの自叙伝。
ギョギョギョと侮るなかれ。リーダビリティが抜群で、そのくせ中身の濃い文章が展開していく。
フリガナ付きで、絵が多く入っている。
子供向けかなと思えても、子供にカブトガニの飼育エピソードやウマヅラハギに惹かれていく過程を、わかりやすく、書けますか。
いや、ほんと、すっごいよ。
自慢たらしくもなく、わかりにくくもなく、魚博士なマニアックで細かなディティールも、平易に伝えていて。
絵も、さかなクン本人が描いた絵で、その魚の特徴が浮かびつつ、魚特有の愛嬌なようなもの(あるじゃないですか)がディフォルメされた、見事なもの。
クラリネットを吹く魚たちの絵。くらくら。
すらすらと読めます。楽しく読めます。
それで語られる内容が、さかなクンの半生でしょ。詰まらないわけがない。
もう面白いエピソードが、タコに傾倒した小学生の頃からしてもう、カブトガニとか、テレビチャンピオンとか、大学の一芸入試とか、笑いつつも感心しつつ。
やっぱり刺さったのがあれですね、進路選びからの挫折パート。重くなる話をコミカルに語るのが、かえってね、ジンとしてしまい。
寿司屋での、ふとしたきっかけでの転機に、おおおと。
-
◇転びつつも、進んでいく
小学生の時に飼育したくて、タコ捕り名人にタコを釣ってもらったら、そのおじいちゃんが、釣ったタコを内臓引きちぎって、びしびし叩きつけて。
「ぎゃああああ、やめて――」
)ワラ
割烹料理屋で水槽のウマヅラハギを見て、飼いたくなって。
「あのー。表で泳いでいるウマヅラハギちゃんをください!」
すると板前さんはニコッとして、
そして出て来たのは
「ぎゃあ、ひええええええ!」
)藁
そこから中学生時のカブトガニの飼育のエピソードですよ。
飼育に失敗して、死んだカブトガニがすんごい腐臭をして、それでも剥製にして形に残そうと、風呂場でゴーグルにマスクをして涙涙に身をくりぬく。
そこに、魚というものが本質的に命で、その泥臭い部分も含めて、魚を自然と見つめているその視点の成長。というか。
いや、狂気じみた部分も含めて、何かを好きになるということの、とても純粋な部分が出ている。
それでもまだ、カブトガニの飼育のエピソードは続いていき、展開していく。
そこから命の尊さのようなものまで伝わってくる。
-
◇魚版シャカリキ
最後は教訓めいた感じで、成功者さかなクンといった風になるけど、分かりやすいニーズをつかむには、しゃーない。
でも、この何かね、魚を愛しすぎた故に魚研究の登竜門の大学に入れなかった感じとか、次第に魚一直線になっていく感じとか、それでも切り開いてく感じとか。
あれです。曽田正人の「シャカリキ」を思い出させました。
ただひたすら自転車を愛して、その愛に叶うだけの天からの才能があったというのも含めて。
あと、母親がほんと苦労してんな―、こーゆー愛情もあるんだなー、さかなクンも母親を好きなんだなーって言うのが、余韻にちょっとしたぬくるみを残しております。
極めてハードな描写もあり
| |つ_∧ ;;⌒);;⌒) オエ、オエエエ〜と、次から次へとおそってくる吐き気に耐えながら、
| |-∀-; ) ;;⌒) 甲羅の中の身を取り出します。
| | と ) ドロドロロ〜ッと出てくるはらわたや身は、もうこの世のニオイとは思えないほどの臭さ。
| |( ( ( 必死で中身をかきだしビニール袋に詰めたら
| |(_(_)
TVチャンピオン電話内予選
∧_∧ 小学生のころから通いつめ、入りびたり、
∧_∧ D (`(;´Д` )') 魚と一日中、一緒にいれる。
( ´∀`)○ ___ ''""''"""''" " 天職だと思っていた水族館勤務は
( )D……/◎\
-
こーゆー、精緻でリアルな絵を描くだけの下積みや観察眼があるから
ttp://www.jfa.maff.go.jp/j/kikaku/wpaper/h22_h/trend/1/zoom_f012.html
こーゆー、勢いがある楽しいイラストを即興で描けるんすねー。
ttps://twitter.com/jijicom_ent/status/757051235094568960
自分は絵心が無くて諦めてる派だけど、そりゃ観察の足りなさとか絵を描く量が殆どなきゃ、
ササっと書いたAAにゃ魂がこもらんよなー。
あー、さかなクンすげー。
漏れは底辺AAコピペ改造流を貫いてコー。
-
だってさかなクンと同じ15分くらい費やして、出来たのが、>>388っすよー。(爆死)
-
ブックレビュー。びゅーっとな。
-
月の砂漠をさばさばと
さきちゃんとお母さんの、母子の日常物語。
12のエピソードで綴られてまっす。
ほのぼのとゆっくりと日常が積み重ねられ、時に切なさや悲しさ、子供特有の怖さなども描かれるが、
それでも文章全体から漂う優しさ、肯定的な明るいタッチと、おーなり由子の柔らかな絵が、心をほっと暖めてくれる。
ぬくい毛布のように心地よい読後感に満たされる。
子供でもすらすら読める易しくて優しくて、でも、よく読んでみると行間から滲む含みのある文章の加減が絶妙。
北村薫を知らない一読さんも楽しめれそうだし、これは何度も読める重層さがある。な。うん。
表題の「月の砂漠をさばさばと」は一度読んだら、忘れられないし、忘れたくないって思える作品でした。
「夢の終わりに月の砂漠で」はこの地平を目指したんですよ。飛べなかったけど。
文庫と単行本があるが、断然に文庫がおすすめっす。
確かに挿絵が小さくなるというデメリットはあるにはあるけれど。
それでも巻末の梨木香歩の解説「日常を守護する」は、余りに素晴らしい。
作品の理解がぐっと深まるとともに、さりげない表現などにも気づき、読みも深くなるし、北村薫ひいては彼の「日常系」と呼ばれる著作群を理解する大きな助けとなること請け合い。
またこの解説を読むと、梨木香歩本人の作、「西の魔女が死んだ」の狙いというか雰囲気に込めたものというか、そういうのをより味わえる気がする。
-
「月の砂漠をさばさばと」内の「ふわふわの綿菓子」の私的解説っす。もろにネタバレっす。
著作権違反、牢屋に入ってもえー人は、ここに目を通して―。
ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/3246/1483523187/
でも、漏れを牢屋に連れて行かないで―。
-
166Now_loading...774KB2017/08/22(火) 03:54:23.43ID:y7FHPQ0l
絵本のような小説で。読みの例。
「さきちゃんとお母さんの日々を綴った」北村薫『月の砂漠をさばさばと』。
母娘の食卓で交わされる、通学路の帰り道で出会った犬たちに名前を付ける話
白くてふわふわ⇒マロ マシュマロみたいだから
黒くてウォーウォーと鳴く⇒オペラ 鳴き方がテレビで見たのと似てたから。
???⇒アオリン
?は何でしょ。
答え:青い犬ではありませんよ、ダンボールに居たからです。ダンボールがアオリンゴのそれだったから。
ここで話は飛ぶ。団欒終了。
1の見方。
このような謎かけに、北村薫のミステリ作家としての観察力が……
殺人事件に使われるミステリの手法を……北村薫は日常のふとした会話の中で……
2の見方。
あー、なんか楽しそうだ。ほわほわ。なんか楽しそうで口が食べ物にも会話にも軽快に動くシーンだよ。こうやって体も心も成長してくんだな。素敵。
3な見方
いや、もやもやするぞ。
楽しそうな食卓のやりとりだよ。これって。子供っぽい、純情な感じがするよ。
でもさ、ダンボールに入った犬って。捨てられたってことじゃん。
これって悲しくない? それを美味しい食卓に入れるなんて。こいつを飼い犬の、恐らく血統書つきだろう、白犬と黒犬と並べて話す、残酷な子供らしさよ。
-
段ボール箱に入っている→捨てられたって連想は、どうなんだろうね。
自分の子供の頃の昭和の時って、捨て犬とか規制がけっこう緩くて、こーゆー捨て犬って、子供の時に見かけたもんなんですよ。
こう結び付けれるのは強引かもしれないけど、極端な一つの読みってことで、勘弁を。
でも、やっぱり、なんかね、一見明るいやり取りにちょっとした闇ってのは大げさだけど、なんだろう。
マシュマロ、オペラなんて血統書付きな高価な犬を連想させるワンちゃんと、しょぼい段ボールのアオリンゴの犬を並べる、その子供らしいあどけない純な感じとか。それが並んでしまう世間の辛さ、帰り道にある現実感とか。
そーゆーのを察しないで、「元気がないの(?)」なんてネガティブに答えるお母さんとのやり取りが、一見ユーモラスな家族の食卓の会話として成り立っているように、読者に思わせる。
そのチョイスに、単なる癒し系じゃない、なんだろう、リアルさのようなのが出ていて、好きです。
-
このように、さりげなく通り過ぎてしまいそうで、でも立ち止まって味わいたい文章ってのは、他にもあります。
犬へのネーミング→校長先生へのネーミング→自分へのネーミングの由来→熊のネーミングの話
→自分をネーミングした父への想い
という繋げ方。
一見バラバラなようで、全体としてしっかりと構成されたエピソードの配置の妙。
作中で語られなかった父。姓が変わることへ、母が何故、真剣だったのか。
というなぞかけは作中では明示されないが。
姓が変わる→旧姓になる→離婚していた→母と生活しているさきちゃんは、父とは離れて暮らしている
ということらしい。
これは梨木香歩の解説でふれられているが、作中では離婚というワードを一度も使わず明言していない。
ので気付く人は気づくっていう要素だろうけど。
知ってしまうと、切なさが語られない(語れなかったってことでしょう。幼いさきちゃんには離婚したなんて大人の事情を突きつけられない)だけに余計に切なくなる、と思いません。
自分も一読後に解説を読んで、あーって教えてもらったんだけど。
それでも、綿菓子が時とともにしぼむという描写の、言いようのない切なさは、それを知らなくても、伝わるんじゃないかな。伝わりました?
-
「――お肉だけじゃ駄目よ。ちゃんと緑も食べてよ」
「食べてるよ」
と、さきちゃんは、茹でられて色鮮やかなブロッコリーに箸を伸ばします。
「食べてるよ」なんて。
これ、明らかに食べてませんでしたよね。
母から注意されて、こういうわかりやすい嘘というか強がりみたいなのを言い、はじめて緑にも箸を伸ばす。
こーゆーの、好きなんだよなー。
さりげなく嘘をつくというか、なんかこのあるある感というか。
こーゆー懐のある表現、なんとなく伝わるような一本調子じゃない表現。妄想しすぎですか。そうですか。
似たようなものに、こんなのあります。子供っぽい。
「たけし、宿題やった?」
「何だよ、今からするところだったのに。ウザいこと言うなよー」
いじょー、ながくなりましたが、しょーかいでした。
-
「大久保町は燃えているか」を改めて読んで、もー、色んなものが浮かんでくる。
小説への感想は後でふれるとして。
私的に封印していたというか、見て見ぬふりをし続けていた部分というか。そーゆーのが。
ぐるぐるぐるぐる。
このスレ読んでいる人がどれくらいいるかわからんけど。
自分用メモってことと、書くことで思考を整理していくことと、整理していく過程をそのまま出すことで他人様はともかく自分としては得るものがあるのではないかということで。
愚痴愚痴っぽくネガティブなものも含めて、深夜のラブレターならず、深夜の朝焼けまでの罪状告白。聞いて脳内神様!
ということで、まともな思考の人は読むに堪えんだろうし、疲れるだろうし、マイナスな影響を与えそうなので。
ほんとはこーゆーの書かない方がカッコいー職人なんだろうけど、自分はこーゆーやつでして。
だからね、あざ笑ってくださる目線のある人だけが読むといーよ。明日の自分も含めて。
-
打ち切りについて
自分は小ネタはともかく、大きな挫折となる打ち切りを3度、経験してまして。
1モナーファンタジータクティクスの打ち切り
ttp://a0014028.html.xdomain.jp/monafan.html
これオープニングで終わるんす。
本編には至らない。本編は後継の人が書いてたかなと思ったんですけど、その人も確か1章を終えることなく、リタイア。
小ネタで茶を濁しつつ、それでも自分も本編AAを進めてたんです。
攻略本も買ったサー。ゲームも本編をもう一度ふくしゅーしたサー。
情熱はあったんす。
でもね、プレイ時間30分で済む過程を書いていてね、第一章の最初のバトルとシナリオ部分を書くのに、一か月ほどかかってたんす。
それを悲しい挫折宣言と共にどっか地下に投下して、もうそこは自分でも忘れちゃったな。
枝葉を取っ払った総プレイ時間30時間として。1時間を2カ月。
順調に最初のモチベーションとペースを保って、何年計画? それまでAAなんぞやってられんわーって、打ち切り決断。
原作ファンも多く、2chのピーク期とも重なり、これまでもこれからも一番多くの住人や感想を抱えていて、リアクションと言う点ではこの上なく恵まれていたんですけど。
それと、書いていて、楽しく、負担にならない居心地の良さ、というのは違いますよね。
自分のAA人生で一番やる気のある期間だったんですけど、それでもゲームのAA化の壁は高かった。とてつもなく高かった。
-
1-2 ゲームのAA化 その1
FFTのAA化で挫折したのは、自分だけじゃないよん。
FFTを描く
ttps://www.logsoku.com/r/2ch.net/aastory/1225382225/
第二部まで。
キリのいい所まで書き進めれたのは、職人の鏡。
これくらいで、多分ゲームプレイで15時間ほどで、やはり、なんというか限界が来るんじゃないでしょうか。
このスレの職人さんは明らかに自分のモナーの時よりも職人歴が長く、技術もアリーの、時間の掛け方もわかってるーの、バトルも楽しくアレンジしつつ、拡大は特徴を押さえ。
あの、自分のモナーファンタジーは描いた当時の時期もあったんでしょうけど、あくまでもゲームを単純なAA化するのにパロディー化して笑わせるのに力点を置いていて、
この作者さんのように自分色に染める、ゲーム世界を自分の作品とするまでに至らないので。
この作者さんはほんと自分よりもずっと上の作者さんなんですけど、やっぱりそこまで自分のものとしたからには愛着もひとしおなんでしょうけど、ここが限界点だよね。優れたAA職人であっても。
スレは7-8、期間は半年を過ぎて、そこでモチベーションも、一番やりたいことも変わっていく転機になる。
-
あの弁護するとFFTって、ゲームシナリオの方向性が、1章、2章、3章と変わっていくんですよね。
1章はどちらかと言うと、貴族と平民、持つ者と持たざる者の争いが軸なんです。階級対立、社会構造。
身分差を意識した平民の親友ディリータから「お前とは違うんだ」な感じで、エリート意識のある没落貴族アルガスからは弓で射られていく。
貴族の中の貴族、兄たちとは袂を分かち、傭兵となる。
この物凄い対立感、喪失感、すべてを失ったラムザ、だからこそ出来る何かがある、そう思わせる姫救出劇の始まりじゃないですか。
でも、その力学は変わっていくんす。
身分対立は、教会の隠蔽体質へと変わり、戦うべくは人だからこその悲劇だったのに、化け物モンスターとなる。組織対立、信仰問題。
身分から除外され根無し草となったラムザ、それに代わり与えられるのは教会に反逆した「異端者」の立場でしょう。
第一部の革命軍のボスが、3部くらいで変わり果てた姿で出るんですけど、いやそのラムザのセリフが痛い痛い。
「クエストスタッフやオウガのファンだった人はたとえその選択しかなかったとしてもあなたの行動を残念に思うだろう。
「夢や理想は、FFブランドの手を借りて実現しても価値が半減してしまう! そうじゃないのか、松野!
「“現実”はもっと厳しいものなのだ! おまえが考えている以上にな!
「おまえに責められる覚えはない! おまえたちに責められる理由など何もないのだッ!!
)違う
それでも第二部は
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
|γ´ `ヽ |
|f.i ゙`ヽ_ 丶 ヘ | 騎士アグリアス
|| ト、ト、,,ヽ ヽ ヘ| 「今さら疑うものか! 私はおまえを信じる!!
|| .i__ヽ `ーxヽ i r i. |
|| iュ ィf;デlヽr /.r|
|j i i V / |
|i. ト、 __ ∧ V..j|
|k, l i≧≦-ヘ V |
| il | );| | | ; ;| リ|
|;; 込ノ;ノ i ヾ; ;ヘ `|
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
なんて名台詞、名展開があるけど、アグリアスはその後本編で一言も話さなくなるし。
やっぱりモチベーションが落ちるのは、本編の方向性が変わる、特に歴史ロマンに惹かれた人はダメージが大きい。
そーゆー事情があったような気がします。
なんかディスってますが、ゲームシナリオはなんだかなーですけど、ゲームプレイそのものは財宝探しに仕事にジョブの成長に、面白く展開していきます。
とフォロー。
ゲームとしての楽しさと、ゲームシナリオを再現するゲームAAの楽しさは、必ずしもイコールでは結ばれないようです。
-
1-3 ゲームのAA化 その2
ゲームのAA化は、打ち切りや自然消滅が多い。
多分、もっとも大きな期待を背負っただろう ◆dCs3N3avQg さんの「モナー聖剣伝説2」もペースが落ち、盛り上がりどころに至るまでに終わってしまった。
ゲーム系AAって、元ネタがあるからすっごく入りやすいんですよ、初心者とかファンがAAを描く動機になることが多い。
でもそのボリュームからして、終えるのは至難。
入り口は広く、道中は厳しく、出口は極めて狭い。ブラックAA。
ゲーム再現系で完走したので、書いている方も読んでいる自分も、双方が終えれたのは振り返ると二つだけでした。
真女神転生〜モナー戦争〜
ttp://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Oakland/7907/dds_mona.html
「 やる夫が空を目指すようです 」
ttp://aapp.arc-spi.com/?cat=5
当たればデカいのはわかるんですけど、自分にはムリポな高みです。
元ネタありきだからオリジナル原理主義者には楽に書いているように見えますけど、いや、これ、凄い愛着力いりますよ。
讃えられてしかるべき。ここにたたえよー。ぱちぱちパチパチパチわーわーわー。
-
2-1 ウイユヴェールの打ち切り リベンジ
ttp://a0014028.html.xdomain.jp/uiyu.html
FFT本編の再現は無理だ―ってなったときに。
じゃあ、ボリューム的にほんの一部のサウンドノベルなら。ってことで。
ウイユヴェールでした。
でも、これもリアルライフに支障が出始め、途中で打ち切り。
また暇になったときに、リベンジして、なんとか完成。
でも、スレはとっくに落ちていて、当時の住人には届かなかった。
つまり、ここが再現系の限界ですよね。自分の。
16話程度。
打ち切り前の段階ではパロディー色強め。
ゲーム内のエピソードを補完するオリジナルを二編。(当初の予定では5つくらい。ボクサー8頭身パブロと1さんブラックの濃密な絡み合いを提供したかった)
打ち切り後のリベンジでは当時のテイストが戻らず、コピーでぜーぜー完走。
満足のいく出来ではないけれど、多分ね、モチベ的に1スレを超えると、10話なんて超えると、書いていて、楽しいからパロるというより、ここまで来たから無理矢理でも完成せねばな方向になる。
そーゆー辛い思いをしてまで完成させる甲斐は確かにあったけど、こゆのを打ち切る人を止めれるほどに得るものが大きいってわけじゃないでした。
ただね、むぼーにも今まで八頭身を描いたことなく人体のデッサンもわからないのに、飛び込みでキモイのを追求できたのは、得難い喜びでした。
振り返ると、最近は原作物はコピーが多いけど、パロディーも素敵だなと思いつつ、やっぱり消費スタミナとかモチベ低下率が。
パロディーのなけなしのセンスも忘却しきったし。
ある程度キャリアがあって、連載物を持ちたい時期に、こーゆーちょーどいーボリュームで、加工しやすい題材にぶつかれた。
自分は幸せでした。
まー、でもこのウイユヴェールのストーリーの悲壮感は、殆どの選択肢では、つまり99パーセントのIFの中ではウイユかパブロかどっちかが死ぬ。その陰鬱感にあって。
途中の大きな分岐で、一歩たがえると、その後の10を超える細かい分岐の果てはどれもバッドエンドなんて意地の悪さ。
取り返しのつかない一線、というのがとても上手く出ていて、読者もウイユも、もう悲劇が待つのを知っていて、それでパブロをデートに誘うような場面があるんす。泣ける。
だからウイユヴェールは話の祖筋というより、サウンドノベルだから評価されるような味があって、サウノベ黎明期にコンシューマでこれを出せたのは、だから画期的だと、そう思わされる作品で。
そーゆーの、AA化だとすっぽり抜けて、多数分岐のサウンドノベルが、一本のノベルになっちゃいました。
ちょっとだけ抵抗したんですけど、それも虚しい。
選択やアクションの果てに、ハッピーエンドだった感動とか、やっぱゲームプレイしてこそですよね。
小説でもゲームので有名なのは、ICOの宮部みゆきくらい?
たぶんドラクエ4コマ劇場、柴田亜美とか江藤ひろゆきとかの。そういうのが、方向として、面白いんじゃないかな。
-
3 からくりサーカス
脳内打ち切り。
ストックは原作五話分くらい? オマケ含めると500コマを超えてた。
でも、晒した3コマは、呪いAAとして、知る人ぞ知る大失敗作となった。
本編再現はムリポなのは自分でも分かる。
ならばと、プリンスドマヌカン、人気の鳴海主人公のエピソードを一つ、コミックス2巻分。
この容量ならと挑むも大けがして失敗。
モチベが続かず。
拡大AAを積極的に取り入れたが、基本がないのに独特の藤田絵を再現するのは余りに敷居が高すぎた。
補完資料を入れつつ。一コマ一コマに手間を入れつつ、なまじ愛着があるのが、さらにペースを落とすことになり、分解、失敗。
じゃあ、何だ、どれだけのサイズだったら、満足できて完走できたんだっていうのが最近分かってきて。
七つの海
ttp://a0014028.html.xdomain.jp/nanaumi.html
読み切り漫画一本のボリュームが、労力的にも手応え的にもとても良かった。
アレンジはあんまり入れず、コピー系で、その元もネットにあるという意味ナッシングと言えるけど、
それでも自分的に原作を消化できた満足感があったし、表現とかで学ぶものも多かった。
内容は、海洋大冒険、ゲームの世界、ワンピースなんて、ファイナルファンタジーなんて挑むの諦めて、現実を見よーよ、足元を見て跳び箱を飛ぼうよ。
というのが、どれだけ我が身に迫って、コピーしていくうちに癒されたのは、知ってもらえると思う。
それでも当初の予定を超えて100コマ長。200コマに迫るボリュームは、ある程度書きなれたり、自分のように低コストコピー中心じゃないと、きっついわな。
ヨコハマ買い出し紀行
ttp://a0014028.html.xdomain.jp/yokohamakaidasi.html
となると漫画一本分。
ここらへんが楽しく書けるし、学習効果も効率的。
有名漫画だったのでAAMZで、先人の再現拡大一枚絵にも当たれたので、一話だとワンポイントに使えた。ラッキー。
本編でオリジナルを持っている人でも、コピーやパロティー的な気安さでやれる、そういう一話をピックアップすると、プロの作品なのでキリよくまとまっていると思うんで、面白いんじゃ?
でんも、自分にはパワーひまわりを育てる気力などないよ。
-
4スタッカート
スレタイですなー。
これが一番大きな挫折でしたん。
描き始めの高揚感はすごかった。
モナモナ団系の、能力バトルや拡大をぜいたくに使った演出。
シリーズ構成も100ページの小説を五本くらいで、組み立てようとか思ってた。
書く前から、打ち切り決まってたようなもんで。
>>30
にあるように、元は「大久保町シリーズ」のようなコメディどたばた劇を書こうとしたのが、
設定を借りようとしたハーメルン、ドラクエの影響を受けつつ、
そうして出来上がった敵ボス、ジョンくんが、ものすごく大暴れしてコンセプトをぶち壊していったんですなー。
楽しい喫茶店から、不穏すぎるニュース、バトルへと流れ、終いにはお客さんを殺すところまで行き。
目を疑いましたよ。
それでも力業で、今までにない作風になった的な喜びもあり、AA化していくと。
これが楽しくない。
しんどい。
元の小説もアクションが書きなれてないのはありありとしてるし。
バトル物は読んでいるとテンポが気持ちいいが、書くのは時間がかかってテンポが気持ちよくない。
第一部で打ち切り。
ネットがやになった。
AAはもっとやになった。ぶっちゃけ引退際だと思った。もう書かねー。
騙し騙し一年単位でモチベを取り戻し再開。
二部で、人死にをAAで描いた際に、漏れの中の何かがふっきれた。
もうAAは描かねー。
後遺症は大きく、復帰した今もバトル物に距離を置く始末。
バトルは書いていて楽しかった。物語が急激に動くのが楽しかった。
でも、小説で書き終わった瞬間に力尽きてしまった。
AA化して書いてるうちは、書きたいものと違うなってのが、付きまとってきた。
量的にも一定周期で書けるボリュームが、ちょうど一部で限界だったんだろう。
クレアさんごめん。
ここに宣言。
スタッカートは永久にお蔵入り。
-
ここに晒そう。
スタッカート(未完)
ttp://a0014028.html.xdomain.jp/suta.html
スタッカート小説版(完結編)
ttp://a0014028.html.xdomain.jp/sutasyou.html
元ネタ小説は完成してたんですよん。ほんとですよん。恥ずかしい出来だけど。
この小説版も、小説サイトではものすっごく評判が悪く、あー、ほんと、だめでしたー。
-
4-2 小説再現系
そこで小説再現、その限界について考えてみた。
ゲーム系、漫画系で学習したように、小説も文庫一本をAA化するのは余りに危険。
一番よく知られている例は、ししさんの「夏への扉」ですよね。
オリジナルのAAに最適化した設定に、書き下ろしの背景、文章部分を削りスリム化しても、タイムスリップの過去編の入り口で止まってしまった。
それでもあれだけ反響があったんだから、挑む甲斐はあるのでしょうけど。
自分はコピーしていて。
黄色い桜を探して(原作:√∞◆DQ/36J7k22)
水に眠る(原作:北村薫)
月の砂漠をさばさばと―ふわふわの綿菓子(原作:北村薫)
辺りの分量が気持ち良かったです。
量的に少々厳しいものがあった「水に眠る」も楽しかった。
何でかと言うとどれも原作を何べん読んでも面白いし、惚れてしまうほどに好きなんですね。
モチベも高く続いたし、やっぱ好きだから書く。
それが自分流だよなーって。
スタッカートはモナー系のメインストリームで評価されるものを書こうと、気負い過ぎてました。今思えば。
確かにバトル系は今は描けそうもないし、大久保町は燃えているかは文句なく面白いし、それが今では到底再現しきれないボリュームなのもわかるし、
だってアニメ映画化でも文庫一本丸々入んないんだよ、削らなきゃいけないんだよ、そんなボリューム個人の趣味でやるにゃ、重いよん。
自分の手で書きたいのもあるし、そうなると学習のためのコピーも、好きだけで書けるコピーも、限りがある。
となると短編、ショートショートだよなー。
でも何か最近自作小説系もボリュームが減っていて、クックものくらいのはかけそうもなく。
セミリタイアと言うか寄る年波も考えて、楽な距離を泳ぐのが吉なんでしょう。
或いは少しずつ短編を積み重ねていくとか。
-
いじょー、長々と電波な考察と愚痴を吐き出しましたです。
あとで読む自分、思いっきりヒキソウ。
日はまた昇ったよ。すっかり朝だよ。急がねば―。
-
自分はこういう感想?みたいなのは作者の人間味がリアルに出てて結構好きだったり
-
えー、読んでくれたの―。ありがとー。
もっとドロドロとするかと思ってたら、割と平凡ですよね、自分って。平凡でありつつ不器用で底辺って感じ。
さてさて、元々書こうとしてた、本の紹介っす。
-
大久保町は燃えているか(電撃文庫)
◇うさんくさいです、B級です、だからこそ楽しい
兵庫県明石市大久保町は、現在ナチス占領下にある。
この、余りに荒唐無稽な設定を、笑いながら受け止めれるか、そーゆーとこで読者を選びそう。
地の文というか、語りも真面目な個所もあるにはあるのだけど、そこで登場人物がほんとに無駄でしょーもないことを言ったり、地の文で作者がなんかヒトコト言ったり。
特にライトノベル方式に多いのですけど、メタ的と言うか、作者本人が、小説内容にヒトコト突っ込む。
これ、下手をすると寒いというか冗長と言うか、内輪ネタな感じを受けるのですけど
(特にアマチュアはキツクナイ? AA作品でも作者自らが物語中で語っちゃうの、やっぱ萎える部分があって。
東京一人暮らしの1さんのあの作者ナレーションは本当に稀有だよねー)
これらが、大久保町では芸の域まで行ってるんですよね。なんか楽しく、それで起きる間の伸び方まで好ましく思えてしまう。
あの、そこは作者である田中哲也の関西生まれの育ちと、吉本興業で台本を執筆していたという、笑いとトークのバックボーンに支えられている気がする。
ハラハラッとする部分はあるけど、外した部分があるんで、純粋な物語を求めるとちょっとまどろっしくもあり、小説らしいロジックを求めると甘い部分もある。
でもこの甘さは、意図的に配置された無駄な枝葉や、大げさすぎるシリアスな設定に人間臭い間の抜けた人物の組み合わせなどと加わって、自分は許せるというかこのロジックの緩さこそ、本作の味なんじゃないかなと思う。
あの、凄く庶民派で、ネタ派だけど、ロマンチストなところもあるよね。ポエマーを馬鹿にしつつ、詩心を愛してるよね。とかそういう矛盾を含みつつ、あははって笑い飛ばしちゃう、その醍醐味。
苦手な人は苦手だと思うよ。
でも、自分は好きです。何度読み返しても、にやりとしてしまうし、底抜けに明るくもまだ終わってほしくない寂しさみたいなものに浸ってしまう。
これは他人に紹介するとしたら、時間を無駄にしたいときに、暇つぶしにイイよってなるんですが。
自分にはそれ以上のものがあるんだよー。
新板のハヤカワと旧版の電撃文庫があるんですけど、これは断然、電撃文庫の一択でしょう。
こちらの方が挿絵に何というか、親しみを持ちやすいし、何といっても最後の挿絵です。この絵があってはじめて物語がすんなりと閉じる、とっても大事な要素になってます。
旧版の電撃文庫ですよー。
-
◇このセリフと地の文の落差
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| わたしはヘルベルト・フォン・ブラウフィッチェ大佐。
| お会いできて光栄だ。
\ ____________________
V
∧_∧
(,, ・∀・)
(il+,y0li)
くノ,_々;;;〉
(_,,)_,,)
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
見事な日本語だ。当たり前だ、どう見ても日本人だ。
――
「減帯」などと書いて「へるべると」と読むのではあるまいな。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
◇なんかさ、如何にも少女少女した仕草よりも、こういうので何となく惹かれていく感じみたいなの。さり気なくも上手いと思うのですけど、どうなんでしょ?
∧ ∧
(*゚ー゚)
. U ∩
〜( | ∧∧
U U (Д゚,, )
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
鼻に皺を寄せた顔を向けられ、
「いー」と歯を剥いて、唸られた。
妙な感じだったが幸平はそのとき、くっきり浮き出た女の子の顎の骨を可愛いと思った。
小さく尖った顎だった。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
-
◇太田じいさんのピアノって、実は本作の評としても、しっくり来る。
♪
♪ ___
\ (_ ♪
|\ ヽ_
∧∧ | \ \
|(゚∀゚)| \ >
|ノ つΓ ̄ ̄ ̄~| ̄ ̄|
( 匚____ζ―r-
|〓(_))¶ ¶ ¶
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
そのいい加減さが、かえって音楽を美しくしているようだった。
歌の方も、歌っているのか喋っているのか判断のつきにくい歌い方なのに、
長年使用してくたくたになった革のような味があった。
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ちょうど、かつて黒人がニューオルリンズで云々 ;
\____________________
◇くだらなくてさいこー
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| 哺乳類とか、イヌ科とかネコ科とか言うでしょ?
| キツネザルってキツネ科かサル科かどっちだろうと思わない?
\ ____________________
V
∧ ∧
(*゚ー゚)
. と つ
〜( | ∧∧
U U (Д゚,, )
∧
/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| あれね、どっちだろうって思ってあたし調べたのよ。
| そしたらキツネザル科なんだって。
| ひどい話でしょう
\____________________
-
◇主人公にヒロイン、そして個性的なわき役たちが物語を動かす。
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ようどうですよね
\ ____________________
V
うんうん、と頷いて
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| そりゃなんといってもようどうだ
\ ____________________
V
∧_∧
( ´∀`) ←ただでさえ抜けている主人公よりも、さらに抜けている河合、
( ) ポエマーな西畑と共に、シリアスな空気をかき乱し、絶妙にほんわかさせていく。
| | |
(__)_) ________
∧,,∧ / 君も聞くだろうか、この爆音を。
ミ,,゚Д゚彡 < 見るだろうか、オリオンを。
ミ ∩∩ \
ミ ミ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∪ ∪
◇人間臭い人たち。いい人たち。困った人たち。ちょっと近寄りたくない人たち。でも憎めない。
気づくと、この小説は人、そして人と人、時に強引にストーリーを進める力も、主人公たちの人を和ませる間の抜けた、なんだろう人懐っこい無防備さ故なんだなって思う。
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| おかしな理屈だが、ぐっとくるね
\____________________ The World Is Waiting For The Sunshine
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
_______________ 好きだなあ、と思う。
/
l 鷹弦さんに 緑丘でも獅子舞やるように、 :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::________::::::::::::::
\ 言うてもらわれへんかなあ /
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ l 前門の虎、習わぬ経を読む
________ \
/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
l 親切な人もたくさんいる ________
\ /
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ l 結局は自分が満足したいから人に親切ににするのだ
\ ________
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/
l でも、親切にされると嬉しい
\
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
-
いじょー。
夏の終わりの読書紹介でした。
-
秋の始まりの本のしょーかい。
-
伊豆の踊子
古典として有名。にしては、意外にも40ページほどの中短編なのだ。
感覚に訴える描写、情景というか、踊り子の清廉な美しさと、旅情ある風景、風物が、読書を豊かにしてくれる。
踊り子が清廉で(解説に処女性という言葉も出るけど、むしろ今の時代ではそれに捉えられると解釈が狭くなる気がする)、清潔で、あどけなく、女でありながら幼い。
ここに主人公がその清廉さに惹かれ、それが汚れることも自分が汚すことも恐れ、適度に距離を置きながら、それは紳士的でもあって、少しずつ気持ちが近づいていく過程が心地いい。
旅の合間のなかなか埋まらない二人の距離(物理的にだが、これは心もそなのかな)や、すれ違う会話などを通して、それでも心が朗らかになる経緯が、好き。
それだけに最後が、爽やかでありながら胸に響く。
一般に言われるように、それは癒しだったり、満たされないものが埋まる感覚、だけなのだろうか。
それだけではない。と自分は思う。旅は一時、どうしようもなさ、も感じたのかなとか。
そう思わせるのは、必要以上に主人公の心を暴かない、明示しない、ほどほどに距離を置きつつも、鋭いフレーズが光る描写とその作品への姿勢にあるのだろう。
語りきらない美学。
-
∧ ∧
(^ー^*)
(ヽ//J
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
この美しく光る黒眼がちの大きい眼は踊り子の一番美しい持ちものだった。
二重瞼の縁が言いようなく綺麗だった。
それから彼女は花のように笑うのだった。
花のように笑うと言う言葉が彼女にはほんとうだった。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
l二二l
,| |
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
――物乞い旅芸人 村に入るべからず
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
-
誰も手に取らないのに、本をしょーかい!
すでにこいつぁ、備忘録。
-
星への旅(少女架刑など)
死への色が濃い短編が6編。
やはり注目は「少女架刑」でっす。
死体のわたしが語る一人称で、死体解剖されていく過程をこれでもかと綴る。
自分は本を読むときは映像をイメージしながら読むんですけど、それを躊躇ってしまうような軽い吐き気のするような描写が、こう、クル。
死体は刻まれているのに、死人のわたしはそれに痛覚も触覚も感じずに、恥ずかしさとかを感じながら、事実をありのままに語っていく。
この語り手の置き方と、解体の描写に、これは映画、テレビやラジオでは出来ない、つまり小説ならではの、文章でしか成り立たない技だと思う。
それは、魂となって肉体の少し上を漂うような、わたしの精神。
もうね、これはシンドイノダケド、死体として、徹底的に物体としてモノとして扱われる肉体。
これによって心と身体の相克が際立つ。
自分が死んだ後に、残った肉体、死体を思うとね。もう、なんつーか、生きなきゃと。
魂ってあるんだろうか、こんな魂だったら報われるんだろうか、とか却ってこう、その心で語ることへのファンタジーに悲しくなったり。
ヘビーできつくて、けっこうだららーって続いて、それで「読み終わったーっ」て一息ついたら。
次の短編「透明標本」ですよ。この子憎たらしい、掴みかかりたくなるような配置。
あの、グロイと言っても、ゾンビホラーな「エンタメ怖い」ってのとは違って、腹に来る感じです。
個人的に、毒にも薬にもなる小説だと思うし、だからこそ、その「毒」をもっと若い感性の時に飲みたかったなって言う思いもある。
表題作、「星への旅」。
集団自殺をゴールに、わいわい旅していく話。
自殺サイトで集まって、デートして自殺―。とか意外とね、今の方が刺さるお話な気がする。(書かれたのは昭和42年)
こう熱をもって死ななきゃじゃなくて、生きるのかったるいなー、なんかないかなー、死ぬのなんてどう? いいかも! いいかも! 目標をもった旅たのしーね!
あれ? ほんとは死にたくない? 逃げよっかそのままか、あとで決めよ! いっけね、寝過ごした。
なんてね、軽いんです。(自分の曲解)
その軽さが、却ってリアルでねー、なんとなく「死にたい」って言ってた自分の青春期と微妙にシンクロして、わかるわかるーって言う思いがあって。
もちろん、この一作だけだと、その軽さ故に、浅はかだっていう批判も出来そうなんですけど。
その軽いインスタントさを、「少女架刑」らと共に配置した重さ、みたいなところに意味があると思う。
-
┌────────┐
│ 新鮮な死体を? │
└────────┘
∧▲
(,,゚ヮ゚)
と O
/ |
( _ /_ ノ_ _
-
ゲームの紹介でーす。
はじめて旬のものを紹介できた。
はまってしまって生活リズムずたずたん。
-
ゼノブレイド2(DLC 黄金の国イーラ)
◇様々な面がブラッシュアップ
これはダウンロードコンテンツなのだけど、準新作と言っても差し支えない。
グラフィックは、制作エンジンを変えたおかげで、パワーアップしている。
フィールド探索も、テンポが滞りストレスの感じる部分は減り、無理に随所に訪れさせようとする誘導も減り、探索の面白さが増している。
バトルも戦略性が増しながら、それでいてより遊びやすく、TIPSでチュートリアルを見返せるため、理解もし易くなった。
キャンプによるアイテム作成は、バトルでの能力アップアイテムの存在感を引き立たせ、フィールドアイテムの収集と直接的に繋ぐことで、マップ→キャンプ→バトルと、有機的に流れを作っている。
サブクエストは素晴らしくなり、幾つか問題は残すものの、作品を豊かにする。
ストーリーは、うーん、序盤から人物や用語がずらっと出てきて、このイーラから入るのはやや敷居が高いと思うものの、それでもイーラから始めたらこの物語のエンディングにどのような感情を植えつけられるのか、気になってしまう出来。
ムービーはとても良い。メインストーリーをひたすら追うとムービーゲーに近い割合なものの、出来は良く、特に終盤のそれには心が揺さぶられたなー。
と、ゼノブレイド2本編をブラッシュアップしたものになっている。
本編に劣るのはボリュームです。
プレイ時間、マップの数や広大さ、アイテムの種類や量、仲間ブレイドの数など。
けど、イーラだけで、20〜30時間は遊べる。
それだけ本編のボリュームが大きいわけで、むしろ大きすぎて、消化不良感や味わい尽くせない部分だったり、とっちらかった印象もあるので。
コンパクトに纏めたという評価も出来る。
本編が高級中華、珍味アリの満漢全席。
なのなら
イーラは、料亭の幕の内弁当。
-
◇ヒトノワ
サブクエストに当たるヒトノワシステムはとても面白い。
テキストは力が入っているし、仲間キャラクタの掘り下げはもちろん、その街の住民がクローズアップされていて、文化、社会が匂うものもあり、その土地への愛着が生まれてしまう。
メインストーリーがシリアスで重めなので、サブストーリーが何処か軽く陽の感じで、やり取りが楽しく、人助けをしている手ごたえがして、メリハリにもなっている。
料理大会や新人傭兵のエピソードが好きだな。
その土地と住民との親交が、ストーリーに憎いほどに組み込まれていて、本編を遊んでいたら、たぶんちょっと分裂のような複雑な感情になりながら、見つめることになると思う。
ただ強制しすぎている嫌いがあって。
住民と最初に会話するときの、演出はかなりテンポが悪く、不要。オプションでOFFにすべし。
また、途中でメインストーリーを進めるのに、幾つかサブを消化する必要が、文字通り義務としてあるので、能動的に遊んでこその部分なのに、ちょっとエゴい。
強制するにしてももう少し緩和してもと思う。3時間内で十分に終わる量だけど、メインが気になって仕方がないところで、水を差されたような感がある。
とても良くできている。
が、もう少し発展の余地があるだろう。
あと、中盤から後半にかけてモブとの会話が楽しく味わいがあるセリフで、生き生きとしているのに対して。
序盤辺りでは、バトルの豆知識など、ゲームを進める都合によって喋らされている感のあるセリフがかなり多く、ちょっとそっけないというか、ここは頑張って欲しかった。
たしかに攻略情報は必要だけどさー、なんだろう、ちょっと考えなさすぎな感じがして。
◇やさしい人たち
主人公のシン、ラウラ、アデルに集う人々はみんな、基本的に優しい。
ラウラは、お姉さん的な、こう、親しみのある優しさ。
シンは、表には出ないものの、氷のように秘めた優しさ。苦しい時に無言で寄り添ってくれたり。
アデルは陽気な直情的な優しさ。王として皆をひきつける人柄。
ユーゴは優等生的な育ちの良さを感じる優しさ。少し控えめなのも良い。
基本的に優しく、でも人によって個性的で微妙に違う優しさ。
それらが旅で街でふれあう感じが、シリアスなストーリーを暗くなり過ぎなくさせる。温かみ。
それらの優しさが、またヒカリと言う本編のキーキャラの心に変化を与え、その変化の果てのエンディングは……必見。
-
◇文化が見える、人が見える
本作ではキャンプのクラフトで料理が作れるので、それはFF15のシステムと似ていて、こちらは美麗なCGどころかちょっとした一枚絵もないので。
見劣りはする。インスタ映えはしない。
でも、こちらの方が良いと思うんだ。
それは、土地があって、例えばスペルビアって国は荒野な土地なのだけど、だからか、そのスペルビア料理ってあんまり美味しくないそうで、その土地出身の人ももちろん残念な味覚をしている。
というのをサブイベントで、表現しているんですよね。
それは美味しそうな料理が並ぶイーラという国の豊かさを、対として示していて。
そういう土地や文化を匂わせる描写が、いいなって思う。
また料理にしても、ヒカリがメシマズな料理を作るのを、前半からギャグとして描くのだけど。
これはふりかえると、不器用で、でも人に何かを味わってほしい、美味しいと言って欲しい的な、そういう献身の心みたいな、不器用で形になりにくいけど。とかが伝わってくる描写なんです。
また本編で、だからこーなのかと思わされたり、あのシーンはこうだったのか、的なものを絡めて、想像を働かせる。
一見、ウケを取りつつ、練られてます。
面白いです。
ゼノブレ2は減点方式で70点。加点方式なら1000点って感じだけど。
イーラは減点方式で85点。加点方式なら985点って感じでした。
イーラをやれば本編をやりたくなるし、本編で満足した人にはぜひ手に取ってほしいイーラ。
-
メインがしっかりしつつ、サブも充実。
ノポン族は可愛らしくも、相変わらず商魂たくましい。
‘,ー-.、 / : : : /
`ヽ、::\ : : : /
ゞ≠≠ミヽ/ヽ : ヽ :/
⌒≫:::/::::::|: : : |:ヽ
Y⌒Y::::::::::|: : : : : }
{:::::::::::: : : : :/
/``-、""",-\
/ : : (。:::〉: : : 〈。::):ヽ
/: \:⊂⊃:rv‐v┐⊂⊃:、
/: : : : : :`: .,: : ヽ.,_,ノ: :,. : '′ヽ
,. {: : : : : : : : : : `¨:大:¨´: : : : : : ‘,
,. :'": :|: : : : : : :`ヾ:弋´::::::`フ¨/: : : : : ト、
,. :'": :__∧: : : :、: : : :ヽ |::::::::| / : : ィ: : :|: ‘,
=-‐''"´ /::::::::‘,: : |`¨¨¨¨ !__j ¨¨´/: : :/ト、: \
‘,:::/: \: | ‘,`ー'"/ |: : /::::! `' .,_>
∨::.: : . ` _,,.. -‐' : : : / .|/l:::::|
∧:::.: : . ‐-=-‐''"´\| └∧/
|ハ:::::::.: : . . ,:'
|:::::,> ..,,: . ,. /
`'′ `¨¨¨¨¨¨\ (
`´
ヒカリはとてもキャラの深みが増した。
主人公のラウラも可愛い。JRPGとしては攻めた27歳の年齢と、そのお姉さん的な優しさが、〇。(容姿は女子大生っぽいが)
i|
i「 ̄ ̄ ,/
/ / ‘, /| ./ \
/ /_ア___∨:.: |/ r 、i ,
./ / /_ア / ‘,/`(\| ‘,
/ ,__ア ./ ,/ヽ (\|
./ i il /| | 、 \| |
r | i|/\i∧ 、 \ | /i/|
, ! | 弌笊㍉ \__>―_>::'::::::ノ
/ 人| i| vり `ィ笊㍉ー r=个
./ / | l| vり イ| | |
__/ / :| l|、 ′ /:/ ∧ ,
/| | / .:::| l|::\ ` - ' ..イ:/ /|i∧ 、', \、
/| | | / ..:::: ∧ l|_jニ >-=≦ :::::/ /:.:|l ∧ マx、 .|:::,
./:.:. | | | -=ミ ___Ⅵ|[\ | i ∧_/) /:_、:|l /∧ マ \ |::::|
__,:.:.:.:.:.: | | |' 7\\_`|__j'_.∧ ,/ ̄`\ 、∧ マ:.:.ヽ /:::ノ
_ ⌒7:.:.:.:.:.:.:/_.//__ _/(_ __ _j⌒i_' _r― 、 \丶、}:.:.:.:.|、 //
 ̄ ̄ /7=‐  ̄_ ィf´ ̄ / / / | └i i┘´ i⌒\} / |\ 丶、! ー―‐=彡
_厂_,.。s≦/ .// L,/、_/{ |,x(|___|)x | )ヽ._>、. L__)ト .,___> ` ー<
-
どくしょかんそー、とっきゅーびん。
-
ななつのこ
◇ゆるやかな日常の謎
題材は確かに日常系なのだけど、この優しくてふんわりした肌ざわりは、それだけでは無いように思う。
それは、ミステリってその謎解きの宿命か、殺人事件や密室トリックと言った、どうしても固い硬質的な殺意と言うか、人を傷つけようとする意図、のようなものが置かれることが多い。
だけど、本作での駒子の日常に起こる七つの謎は全てそのようなものから遠くにある。
大学生の毎日の延長にある、そこから生まれる想いだから、同じく毎日に生きる自分との距離は近く、馴染みやすく、人肌のぬくさにしんみりとなる。
ただ、もう一つに感じるのが、短編一つ一つのオチに至る驚きに比して、本編全体に流れるギミックやオチが、どうにも途中で読めてしまい、ちょっと緩い印象がある。
この緩さも、温かみを損なわない味と考えてしまえば、良ポイントよねん。こういうの好きですよ、自分は。
◇白いタンポポ
本作で出色なのは6番目の「白いタンポポ」です。
色がねー。色彩豊かな描写の文体と相まって、ミステリな謎と絡まって。
それも作中作の「ななつのこ」と繋げるお馴染みのギミックだけじゃなく、北原白秋の短歌の解釈の定説への一つの異見ともなり、それもまた味わい深い別解釈だなと思わせる。
そういう、前にもふれた、また連想で挙げる人も多い北村薫のファンなら堪らない、文学の匂いと日常、女の子の弱さと成長、そういうのが連なり、それぞれに効果を上げ、一纏まりとして機能している。
ちょっと、このエピソードは飛びぬけて出来が良いです。
これを読んで、ググってしまい、画像を見てほうっとなりました。
主人公の駒子がとても身近で、そして好ましい程度の可愛らしさを漂わせるのも魅力。こういうのに、パーソナルを感じる。
∧∧
ミ ゚oシ
( : J ∧ ∧
/::::::::) (゚o゚*)
(,,ノ"J (;;y:::J
(ノ丶)
まずは自己紹介をするのが順序だと思い、そうした。
そのときも、後になってからも、私はあくまでも一人称に『私』を用いた。
例えばふみさんが使っているような『お姉ちゃんはねえ』なんていう言い方は、なぜだか無性に恥ずかしかった。
∧_∧
(´∀` *) 廃れたる 園に踏み入り たんぽぽの 白きを踏めば 春たけにける
O旦⊂ ) (北原白秋)
(__(__ ̄)
-
本のショー会。
kindleや青空文庫で無料で読めるよん。
|
|
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板