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スタッカート!

348名無しのAA書きさん:2018/05/17(木) 22:52:43
自分だけの一冊 北村薫のアンソロジー教室


アンソロジーとは、一般的には詩や小説、あるいはエッセイなどを、編者の好みに応じてまとめたもの。

こういうのは、ゲームやFlashやAAとかにも応用できるよね。
ネットでの良作紹介とか、AA保管庫での作品一覧なども、広義の意味でのアンソロジーなのだろう。


ここで、慧眼なのは、アンソロジーって、視聴者が集められている作品群を読むものって、思いがちじゃない?
そこを、北村はこう諭す。

>アンソロジーというのは《選んだのがどういう人なのか》を示している。
>勿論、収録されている作品を読むものでもありますが、同時に――あるいはそれ以上に、選者を読むものなんですね。

これって重要な視点だと思う。
やっぱりね、特定のアンソロジーと言うか作品の批評集に感じる嫌悪感には、傷つけられたお気に入りの作品への憤りだけじゃなくて、そこから透けて見える選者の視点や愛情の薄さにもあるのだろうし。
反対に新しい視点を提示されてその作品がもっと好きになるレビューとか、作品の並びもあって。そこにはね、その作品への感謝だけじゃなくて、選者へのリスペクトにも似た思いがある。


北村薫の見方の一つに、詩や小説の創作も含め、ある対象について語っているとき、実はそれを語っている自分も表現しているのだ、的なのがあって。
小説を読む行為も、その人だから出来る読みがあって、その人なりの読みがあって、だから何かを読んだり見たりしてその解釈を書くことも、結局は自分を表現するものなのだ的な。

プロフィールや自己アピールや自分語りなど、○○歴何年とか、○○の経験があるとか、○○をやっているとか、そのまま自分というものを語るだけじゃなくて、
何かしら趣味や創作物を楽しんで、それについて語ったりするということも、また自分を表現するものなのだ。
ってことなのかなと、自分は解釈している。

うん、アンソロジーを見ている自分だけじゃなくて、今みたいに本やゲームを浅はかな紹介したりしている自分もいて。
あー、未熟者です、自分、すいません。

と、でも、この本を読むと、それでも無性に自分でもアンソロジーを編みたくなるんすよ。
それは、作者のアンソロジー歴に、商用での経験だけではなくて、小学生の時に自分ノートに書いた私的アンソロジー集があってとか。
講義形式の本なのだけど、講義を受けて作った一般の人のアンソロジー集みたいなのが、そのまま載ってたり。

あの、素人でも、どうか、アンソロジーを編んでみては、という提案。
アンソロジーは選者をも語るものなのだから、自分を見つめることにもなるし、名刺代わりにもなりそう。
そーゆー、お気に入り集を作りたくなる本でした。
って、その証拠に作ってみました。へへ。

私家版AAアンソロジー。
ttp://a0014028.html.xdomain.jp/linkhokanko.html




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